「全基地撤去」 6・19県民大会
米軍属 女性殺害 怒りに包まれる沖縄
嘉手納基地第一ゲート前で、米軍属による女性殺害事件を糾弾(5月20日) |
5月19日、4月28日から行方不明になっていたうるま市の20歳の女性が遺体で発見され、元海兵隊で米軍属の男性が逮捕された。沖縄県内には大きな衝撃がはしり、ただちに各地で抗議行動が開始された。沖縄はいま、深い悲しみと抑えることのできない怒りに包まれている。5月23日、オール沖縄会議は抗議の県民大会を6月19日、那覇市の奥武山陸上競技場で開催することを決定した。5月26日、沖縄県議会は沖縄の米海兵隊の撤退を求める決議をあげた。1995年の県民大会規模の集会を目指している。
平和行進はじまる
5月13日 第39回平和行進の出発式が午前9時半から、県内の東、西、南のコースで一斉におこなわれた。東コースの出発式は、キャンプ・シュワブゲート前でおこなわれ700人が参加。この日の午後3時頃、大浦湾に停泊していたボーリング調査の台船2隻とコンクリートブロックを積んだ台船1隻が撤去された。フロート(浮き具)の撤去は4月30日に始まったが一部の撤去のみ。安次富浩ヘリ基地反対協共同代表は「なぜこんなに時間がかかるのか。コンクリートブロックも海中に投下されたままでいつ引き上げるのか」と怒りをぶつけた。
15日 「復帰44年平和とくらしを守る県民大会」が那覇市の新都心公園で開かれ2500人が参加。
恐怖と怒りと悲しみ
20日 逮捕された米軍属が働く米軍嘉手納基地第1ゲート前では早朝より市民100人が抗議。
正午過ぎ、嘉手納基地第1ゲート前で緊急抗議集会を開催。市民250人が参加。集会は全員による黙とうで亡くなった女性の冥福を祈り、基地に向かって「沖縄からすべての基地を撤去せよ」と怒りの拳を突き上げた。マイクを握った女性は「娘がいるが怖くて外に出せない」と声を詰まらせた。インタビューに応えた女性は「基地があるから事件は起きた。沖縄は相変わらず植民地ではないか」と涙ながらに訴えた。県議や国会議員も駆けつけ、日米両政府の対応を糾弾。
また、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」などの市民団体は県庁で記者会見した。
シールズ琉球の玉城愛さんは「彼女とは同世代、彼女にも夢があったと思う。恐怖と怒り悲しみで言葉にならない。基地がなかったらこういうことは起こってなかったのでは」と言葉を詰まらせた。
5月21日、東京では<辺野古リレー>が警察庁に対して抗議行動 |
「命を返せ!」
21日 キャンプ・シュワブゲート前では、9時から座り込みを開始。「事件を起こす米軍関係者を民間地へ出すな」と車両の前に座り込む。機動隊は排除にかかるが力が入らない。「沖縄県警も私たちと同じ気持ちだろう」とおじぃが訴えると、機動隊はうなだれた。座り込みの数は徐々に増えていく。米軍車両は基地内に入ろうとするが、市民の壁の前になすすべなく引き返していく。市民の「やったぞ」の声が響き渡る。基地内のイエローラインを越えて人があふれるが、刑特法での逮捕もできない。米軍警も遠くで見守るだけだ。
22日 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」はじめ女性団体を中心に、キャンプ瑞慶覧、石平ゲート前に2000人の市民が抗議行動に。喪章をつけて追悼の意を表し、「すべての基地・軍隊の撤去」「命を返せ」などのプラカードを掲げて基地周辺を静かに歩いて、深い怒りと悲しみを表わした。
23日 大浦湾上の臨時制限水域に張り巡らされていたフロートすべてが撤去された。沖縄県民の怒りの前に一挙に撤去された。海上では投下されたコンクリートブロックを残すのみだ。
25日 午前中キャンプ・シュワブゲート前で抗議集会。午後からは嘉手納第1ゲート前で4000人規模の集会。その後、防衛局に抗議行動。(杉山)
伊勢志摩サミット反対
東京・大阪で集会、デモ
伊勢志摩サミットを前に、東西でこれに反対する取り組みがおこなわれた。東京では5月22日、「伊勢志摩サミット反対! 新宿デモ」に250人が参加(写真左)。
大阪市内では5月21日、「伊勢志摩サミットを問う5・21関西集会」が開かれ、200人が参加した(写真右下)。
主催者あいさつでは、大阪府警の「詐欺」容疑でっちあげによる3人の不当逮捕を弾劾した。集会は、元衆院議員の服部良一さん、龍谷大学名誉教授の杉村昌昭さんとピープルズ・プラン研究所の小倉利丸さんによるパネルディスカッション。
杉村さんは、1975年からはじまったサミット(先進国首脳会議)には「金融市場の不安定化に対処するために開かれたものであり、経済的なグローバル化のための会議だった」と話した。
小倉さんは、伊勢志摩サミットが戦争法成立後、最初のサミットで安倍は海外への軍事的な関与を決めようとしていることを指摘。
「テロとの戦争」に反対し、新自由主義による格差・貧困の拡大とたたかう人びととの国際的な共同闘争を進めよう。
関西で3人を不当逮捕
サミット関連弾圧だ
5月19日、大阪府警公安三課は、米軍Xバンドレーダー基地反対をたたかう3人の仲間を逮捕した。翌20日、1人は釈放されたが、他の2人には勾留決定がついた。この逮捕に先立ち、5月2日には、16カ所を一斉捜索した。
この逮捕・捜索の容疑は「詐欺」だという。公共施設の会議室を会議に利用したが、それを労働組合の名義で借りたことが「詐欺」だというのである。会議の申し込み書には、それらの会議で使用することが明記されていた。
この不当弾圧は、米軍Xバンドレーダー基地反対運動の前進への権力の焦りだ。6月5日には、地元の京丹後市で大規模な反対集会が予定されている。いまひとつは、5・26―27伊勢志摩サミットにむけての予防拘禁である。
2面
新たな冤罪生む刑訴法改悪
一部可視化、司法取引、盗聴拡大
新たな冤罪を生む恐れのある刑事訴訟法改悪案が、5月20日参議院本会議で可決、24日の衆議院本会議で可決成立した。
大阪弁護士会の有志は、5月21日、大阪弁護士会館で刑訴法の一部改正に反対する緊急市民集会を開いた。集会の主催が「弁護士会有志」となったのは、法案に日弁連が賛成しているためだ。(写真上。右から司会の永嶋靖久弁護士、桜井昌司さん、足立昌勝さん、清水忠史衆議院議員)
監視社会の登場
法案の問題点や審議・採決にかんする報告は、関東学院大学名誉教授の足立昌勝さんがおこなった。足立さんは救援連絡センターの代表を務めている。足立さんは、日弁連が「取り調べの可視化」によって政府に取り込まれていることをきびしく批判した。今回の刑訴法の改悪では、可視化の対象をごく一部に限定しており、すでに部分的に進められている「取り調べの可視化」の動きに逆行するものでしかない。また司法取引の導入が新たな冤罪を生みだすものであることや、通信傍受(盗聴)の拡大に警鐘を鳴らした。
可視化のまやかし
続いて布川事件の元被告として20歳から49歳までの間、冤罪によって刑務所生活を送った桜井昌司さんが講演。自らが経験した警察や検察の捜査手法に基づいて、今回の一部可視化がまったくのまやかしであり、これからも冤罪被害者を作り出すことになることを、説得力をもって語った。
また民進党の江田五月・有田芳生両参議院議員の裏切りや、刑訴法改悪に賛成しているジャーナリスト・江川紹子の問題点をするどく指摘した。
さらに桜井さんは、「苦しかったのは29年の獄中生活よりも、警察・検察の取り調べによりウソの自供をさせられ、人間としての尊厳を奪われたことだ。しかし29年の獄中生活が決して無駄ではなかった。なぜならそれが自分を変え、再審無実をかちとり、今日の自分を作ったからだ。冤罪が生み出されれば、それとたたかう自分のような人間が必ず生まれる。そこに勝利の展望がある」と発言した。
その後、清水忠史衆議院議員が国会における審議の様子を詳しく報告した。今回の法改悪は3年後に見直しをおこなうことになっている。今後は法の運用をめぐってその問題点を暴くたたかいが重要となる。また「共謀罪」制定の動きにたいしてたたかいを強めていくことを全体で確認した。
主張
7月参院選 野党に投票を
安倍を2/3にはさせない
安倍は「選挙で選ばれた最高権力者」を自称し、立憲主義を破壊、解釈改憲を強行し、圧倒的民意(原発再稼働反対、辺野古新基地反対)を無視している。2014年末の総選挙で自民党の比例区得票率は全有権者の17%でしかないのに、小選挙区制という制度のため、圧倒的多数の議席を占め、公約にもない秘密保護法制定を皮切りに、つぎつぎと強権政治を発動してきた。
今次参議院選挙では、憲法改悪の具体的項目は提示せず、改憲に必要な3分の2以上の議席獲得を目指している。選挙の前には争点にせず、「選挙が終われば全権委任」という手法をまたも使おうとしている。30年代・ヒトラーの使ったクーデタ手法が、この国で繰り返されようとしているのである。
格差・貧困、生活破綻
安倍政権の3年半、「アベノミクス」のかけ声で向上したのは株価だけである(ただし、初めの1〜2年)。利益を得たのは大企業と株保有者のみで、中小企業や人民には生活破壊が襲いかかっている。「大企業の利益が、下まで滴り落ちて来る」という「トリクルダウン」理論はウソだった。非正規職はますます拡大し、年金は削減され、子どもの貧困は6人に1人となり、奨学金という名の数百万の教育ローンを抱えた大学生が膨大にいる。今春大問題になった保育士の賃金は「財源不足」を理由に改善されなかった。
7月参議院選挙はこの3年半の安倍政権への是非が最大の争点だ。
2012年に自民党が決定した『日本国憲法改正草案』こそこの時代を乗り切る彼らの「綱領的文書」だ。そこには近代立憲主義を否定し、資本の収奪の自由を謳歌する反人民的な思想が満展開されている。とりわけ緊急事態条項導入による現憲法体系の破壊は、重大な攻撃だ。自公に3分の2以上の議席を与えてはならない。
また、5月19日に公表された沖縄での米軍属による強姦殺人事件と、それにたいする安倍政権の対応は、安倍政治が沖縄の民意を顧みず、沖縄の人々の尊厳と生命をふみにじっていることを暴露した。
安倍政治の打倒へ
野党共闘は当初困難を極めたが、2月19日の野党共闘成立以来、2000万人署名運動の推進などと連携し、1人区では全選挙区で野党共闘が成立した。さらに戦争法だけの「1点共闘」にとどまらぬ、沖縄、原発、TPP、格差解消、反貧困、最低賃金などの共闘の中身の充実が迫られている。
7月参議院選挙は15年安保闘争の継続として、参議院選挙という場で安倍の改憲の野望を粉砕するたたかいである。3分の2以上の議席を与えないため、1人区での野党共闘に投票を集中しよう。複数区(東京・大阪など)でも、空論的でない勝てるたたかいをわれわれがたぐり寄せよう。
さらにこのたたかいは今次参議院選にとどまらず、ここ数年のたたかいの中で再度の政権交代を目指すものとなる。15年安保闘争や沖縄の島ぐるみ共闘をひきつぐ100万人民のデモを背景とした「政権交代」である。そのためには新自由主義を拒否し社会を変革していく思想が必要だ。
(城戸雄二)
「一億総活躍」って、なに?
介護保険制度の大改悪@
土田 花子
昨年9月末、自民党総裁に再選された安倍首相が記者会見で突然打ち出した「一億総活躍社会」。「新・三本の矢」と称して、@「希望を生み出す強い経済」→目標「名目GDP600兆円」、A「夢をつむぐ子育て支援」→目標「希望出生率1・8」、B「安心につながる社会保障」→目標「介護離職ゼロ」を掲げた。そのために設置された「一億総活躍国民会議」(議長 安倍晋三、担当相 加藤勝信)が、5月18日、今後10年の施策として「ニッポン一億総活躍プラン」をまとめた。@〜Bに共通する課題として「働き方改革」を強調、「同一労働同一賃金の実現にむけた検討、保育士・介護士の賃上げ実施などが盛り込まれている。
本稿では、「1億総活躍」が、超少子高齢化によって直面している「労働力不足」への対応策として打ち出されていることについての批判、「介護離職ゼロ」のペテン、とんでもない介護保険制度大改悪について3回シリーズで報告したい。
「一億総…」とは
それにしても「一億総活躍社会」とはおかしな日本語である。「活躍」とは何か? 1億人が「活躍」を求めているのか? 多くの人々が望んでいるのは8時間働けば衣食住に困らず、結婚や子育てが「贅沢」ではなく自由に選べる暮らしではないのか? 素朴な疑問が湧いて当然だ。でもそれが語られない。マスメディアを通じて無批判に繰り返し垂れ流され、次第に空気のように社会に「なじんで」きつつある。それが恐ろしい。本来、個人の自由の領域の問題であり、価値観を含む言葉である「活躍」を、国が云々すること自体、自由の侵害である。
「一億総…」は言うまでもなく「一億総玉砕」、「一億総ざんげ」を継承するフレーズだ。国民を侵略戦争へ総動員し、加担させ、「非国民」をつくり出した。天皇の戦争責任を免罪し、同時に日本人民自らの反省と償いも曖昧にさせてきた言葉である。安倍は国民統合と国家総動員体制を強めていくキーワードとして意識的にこの言葉を持ち出している。
「活躍」とは「酷使」
結論的に言うと、安倍の言う「活躍」の意味は労働者・民衆の労働現場への徹底した「かり出しと酷使」である。以下、今年1月の施政方針演説の抜粋を紹介するが、このように読み替えると「一億総活躍社会」のめざすものがクリアに浮かびあがってくる。
安倍は言う。「女性も男性もお年よりも若者も、一度失敗を経験した人も障害や難病のある人も、誰もが活躍できる社会。…『一億総活躍社会』への挑戦を始めます」「高齢者の皆さんの7割近くが、65歳を超えても働きたいと願っておられる」『生涯現役社会』。… それを現実のものにしていこうではありませんか」「一億総活躍の最も根源的課題は、人口減少の問題に立ち向かうこと。50年後も人口1億人を維持すること」「希望出生率1・8の実現を目指す」
これは“女、年寄り、負け組、障がい者、病人は安い労働力だから総動員、総酷使する”という宣言だ。「7割が65歳を超えても働きたい」のではなく、働かなければ生活できない現実があるのだ。安倍はそれを喜んでいる。「生涯現役社会」を目指せば年金、医療、介護の負担は要らない。裏を返せば働けなくなったら死ねという社会だ。
その上で、「人口1億人維持」のために、女性に子どもを産めという。女性は人口1億維持のための手段、戦前の「お国のために産めよ、殖やせよ」そのままだ。菅官房長官は「女性は産んで社会に貢献を」と言い放った。安倍政権が表看板にする「女性が輝く社会」とは、「産み、殖やし、育て、働き、介護もせよ」と女性を駆り立てる社会のことだ。しかし女性は断じて「子産み道具」にも「国の奉仕者」にもならない! と返しておこう。(つづく)
3面
ルポ
熊本大地震の被害実態
下水管被害の調査業務から
はじめに
阪神大震災では、兵庫県伊丹市を中心に震災当日から復興に向けた調査に着手し、東日本大震災では2011年4月5日から6月末まで宮城県内の調査業務に従事しました。そしてこのたびの、熊本地震では4月28日から5月7日まで、ゴールデンウィーク返上で被災地・熊本県阿蘇市内の下水管被害の調査業務に参加しました。
一人の調査技師が体験できる範囲は、震災の全容からすればほんの僅かなものにすぎませんが、三つの大きな震災現場を直接調査してきたものとして、いくつかの事実をお伝えすることが、今後なにかの役に立つのではないかと思います。
阿蘇市内の状況
写真1 |
阪神大震災は都市直下型の地震によって大きな被害がありました。東日本大震災は、震源が遠く離れていたものの、その被害エリアは広大であり、地震に加え津波・原発事故と三つの被害を生じさせていました。
そしてこのたびの熊本地震は、大きな前震とその後の本震の2回にわたる大きな直下型の揺れに見舞われたという点で、過去の震災といくらかの違いがあったように見受けられます。どちらかというと阪神大震災に近い被害状況であると感じました。
(写真1)では、活断層が住宅地を直撃し、1・5m程の段差が生じていることが見て取れます。ある住民が、「どっちが本当の地面なんだ!」と言われていました。
(写真2)は豆腐屋さんです。写真右手の道路に段差が生じ、応急処置が施されています。この段差が住宅にも影響を及ぼし、家屋は傾き、2階の窓は全部外れています。
阪神大震災時の伊丹市や東日本大震災時の宮城県の山間部がそうであったように、マスコミが報道しない地域でも大きな被害が起きています。そこで暮らす人々の不安はマスコミ報道が集中する場所と変わりません。阿蘇市はマスコミの報道から外れているため、ボランティアもあまり見かけません。
阿蘇市は阿蘇外輪山の中にあり、阿蘇山の北に位置します。人口は3万人弱で、過疎化が進んでいるようです。市内には多くの温泉があり、県内最大の観光地なのですが、今回の地震で温泉水が来なくなった宿泊施設もあったようで、大きなホテルも休業しているようでした。
写真2 |
下水の被害
路面
他の震災でも見られましたが、液状化現象によって路面には大きな亀裂が生じている箇所が見られました。
(写真3)に見られるように、下水道管敷設後、管の埋設範囲に沿って陥没が生じることが多くあります。埋設工事の時の埋め戻し土の転圧不足と見られます。東日本大震災の時に内陸部で多く見られたメンテナンスホールの大きな浮上は、今回は見られませんでした。
写真3 |
メンテナンスホール
メンテナンスホール内で多く見られたのが下水管の抜け出しです。
地震の影響で、本管がメンテナンスホール内に突き出しています(写真4)。私はこれまでの震災でも、これほど多くの突き出しを見たことがありませんでした。管口あたりは大きく損傷し、地下水が多量に流入してきています。早急な対処が必要です。
もう一つは口輪のズレです(写真5)。
液状化現象で路面が移動し、蓋と口輪が40ミリほどズレています。
写真4 |
写真5 |
管内
場所にもよりますが、メンテナンスホールの管口が突き出していたにもかかわらず管内の損傷はあまりありませんでした。
驚いたことは、おおよそ30度ほど折れ曲がった塩ビ管が、剪断されることなくライフラインとしての機能を果たしていたことです。もちろん滞水は発生していましたが、左の写真のようにポンプ圧送で対処が可能であったようです(写真6)。
なお、こうしたポンプの設置の場合、仮配管や発電機・ポンプ操作盤の設置スペースが問題になります。大都市では難しい課題です。
今回の調査では雨水管渠(ボックスカルバート)内部の潜行調査もやりました(写真7)。5月5日、この調査中に震度4の余震を管内で体験しました。ボックスカルバートは頑丈で、目地部に軽微な損傷はありましたが、全体としては機能の損傷はありませんでした。
この余震の時、地上部にいた人たちは「立っていられない」くらいの揺れで、真上の路面も波打っていたそうです。みんなが心配して「大丈夫かぁ?」と声が響き渡ったのですが、開口部まで100メートル以上もあったので、逃げることもできません。とりあえず管内にいたほうが安全だったようです。
写真6 |
写真7 |
最後に
阿蘇市でも多くの被災した人たちが中学校の体育館に設けられた避難所で暮らしていました。確かに今回の地震で阿蘇市が受けた被害は、益城町や南阿蘇村に比べると少なかったのかもしれません。しかし間違いなく阿蘇市も部分的には大きな被害を受けていました。
マスコミの報道から外れ、ボランティアもあまり来ないのは、阿蘇市が益城町より人口が少ないからかもしれません。こうしたことを見たとき、東日本大震災で大きな被害を受けながら、津波被害を受けなかった宮城県登米市の職員の人がこぼしていた「私たちのことは忘れられているのでしょうか」の言葉が思い出されます。
もう一つ。5月5日の時点で、寄せられた労働相談が5000件をこえたとの報道がありました。阪神大震災では、結成されたばかりの労組が受けた相談が1年で1万件をこえていましたが、それに匹敵する勢いです。行政主導の労働相談が展開されていますが、相談内容は「賃金の未払い」や「解雇」のようです。このような案件では労働組合がやることはいっぱいあります。阪神大震災の経験と実績を生かしてくださることを期待します。(加藤和樹)
熊本大地震
労働相談を受け付けます
関西合同労組が窓口開設
熊本大地震による被災失業・休業労働者の労働相談が5500件を超えたという。「休業中の補償は受けられるのか」といった内容が過半を占める。熊本県では被災して生産を停止した工場が相次ぎ、事業再開の見通しが立たない中小企業も多い。「会社から連絡がない」との相談もあり、今後、雇用不安が拡大する恐れもある。
阪神淡路大震災のとき、関西合同労働組合は雇用保険未加入でも、一般被保険者では1年以内に月15日以上(1日8時間以上)働いている月(「雇用保険実務でいう「完全月」が、6か月以上あれば受給可能(短時間被保険者も一定の基準働いていればよい)と、神戸職安に未加入者の特別相談窓口を開かせた。震災特例で通常の給付期間にプラス2カ月の延長もできた。遡及加入手続きというのは、震災以前にもあったが、社会的には当時はほとんど認知されず職安窓口でも「未加入ならだめです」と追い返されることもあったが、職安交渉を粘り強くおこなって実現してきた。約1800人の給付を実現した。
震災失業の救済
震災による長期休業には、これも特例で雇用保険の給付が可能になった。事業主には休業中の雇用保険助成金支給の道があった。この手続きも手伝った。兵庫県は膨大な震災失業者にたいし、しごと開発事業(月10日の「ビラまき」やゴミの分別作業などの仕事で5万円の手当がでた)で1800人を就労者とするミニ失業対策事業をおこなった。厚労省交渉、県交渉など「仕事よこせ! 失業対策事業おこなえ!」と被災失業労働者と力を合わせ実現した。
震災失業という大問題は大きな労働問題であり、ユニオンの存在と闘いが問われる。九州の闘う労働組合の仲間の活躍に期待し、関西合同労働組合兵庫支部も特別相談窓口を開いている。いつでも相談を。
関西合同労組兵庫支部
〔相談電話・メール〕
(078)652―8847
hyogounion@k8.dion.ne.jp
美浜3号機 主要審査が終了
40年越え原発で2例目
原子力規制委員会は、5月12日、関西電力・美浜原発3号機の新規制基準による主要審査を終了したと発表した。これにより、審査は最終段階に入る。最終的に「合格」すれば、運転開始後40年を経過する老朽原発では高浜原発1・2号機に続く2例目となる。
美浜3号機は04年8月に2次冷却系の復水系配管破裂事故をおこし、5人の労働者が死亡、6人が重軽傷を負っている。
危険極まりない老朽原発の再稼働を許すな。
4面
特集 安倍政権を斬る
森川 数馬
21世紀の貧困と国家改造(下)
安倍政権の一億総活躍
総動員と国家改造
「一億総活躍社会」やそのキーワードである「多様で柔軟な働き方改革」や「生産性向上」とは、新自由主義国家に国民を総動員する政策である。それは15年安保闘争でしめされた民衆反乱がアベノミクス批判に波及することを恐れて、大急ぎでその修復と糊塗を図り、それをもって「新自由主義的な国家改造への国民総動員」に一気に進もうというものだ。
それは「国民のあらゆる層にわけいる」という手法をとり、その政策は民主党(現民進党)などの野党や、連合など労働運動のナショナルセンターが打ち出したものに似せている。旧来の自民党の手法とは明確にちがう。こういう形で野党の存在価値を失わせ、労働組合や市民運動を無力化するというやり方だ。
「人口減少」、「急速な労働力不足」、「妊産婦自殺の急増」など、新自由主義政策の破綻がもたらしたショッキングな事態を利用して「国民総動員」をはかろうとしている。まさに「ショック・ドクトリン」だ。
1930年代のドイツでヒトラーは、「失業の解消」を打ち出し、労働者と経営者が一体となった「ドイツ労働戦線」を作り上げた。共和国時代の労使賃金協定は全て否定され、それにかわって導入された国家の信託委員会制度が賃金を決めた。企業では「国民労働秩序法」(1934年1月制定)によって指導者原理・業績主義が貫かれ、経営者は「経営指導者」に、職員・労働者は「従者」に位置づけられた。(石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』)
「一億総活躍社会」はナチス国家と同様の論理と構造を想起させる。それは「働く貧困」の加速とボランティア労働による総貧困の社会化であり、安倍流の新自由主義である。
「同一労働同一賃金」
5月18日「ニッポン一億総活躍社会プラン」(案)が一億総活躍国民会議(以下、国民会議)で決定された。同時に経済財政諮問会議で「骨太方針」が議論された。マスコミの評価は、その大仰さに比して「物足らない」(日経)、「実効性を疑う」(朝日)というものであり、経済界からも不安視する声が出ている。今回の「プラン」の目玉は、「同一労働同一賃金」と「保育・介護」だ。
根本的な問題点は
ILO憲章(1946年)はその前文で「大きな社会不安を起こすような不正、困苦及び窮乏を多数の人民にもたらす労働条件」の改善策の一つとして「同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認」が「急務である」と述べている。
ここでは「同一労働」ではなく「同一価値労働」となっている。ILO100号条約(同一報酬条約)においても「同一の価値の労働」と規定されており、日本は1967年に批准している。しかし国内法には、「同一価値労働同一賃金」についての明文規定は存在しない。欧米各国は法制度などで導入しているが、日本は戦後成長・年功賃金制度をもって対応して来た。
近年、この問題が浮上してきたのは、1995年の日経連報告(『新時代の「日本的経営」』)以来の雇用の柔軟化政策によって年功賃金が崩され大量の非正規不安定雇用低賃金労働者が生み出されてきたことが原因である。そこに一定の「改善」効果は認めるが、今日の労働状況を改善するものかは全く疑問である。
たとえば男女雇用機会均等法ができたとき、多くの企業が「コース別人事」を導入したが、それが実質的な男女別賃金の温床となり、「同一労働同一賃金」を阻んでいるという事実がある。
雇用身分社会
今日の日本では労働が「細切れ」にされているため、「同一労働同一賃金」が労働環境の改善や格差の是正につながらず、むしろ低賃金労働の固定化を助長するおそれがある。仕事ごとに従事する労働者の身分が、正規の総合職、一般職、限定職員、パート、派遣、アルバイト、学生と細かく決められているからだ。
同じ製造現場も正規は監督・管理業務につき、非正規はライン作業と決まっている。日本最大の非正規職場である郵便事業では労働の細分化のために、「一般職(限定社員)」という新たな身分が導入された。中小零細企業では、管理者が数人いるだけで、残りは全員非正規雇用労働者というのが常態化している。ビル管理、警備、清掃の現場では仕事を細切れにして非正規職に割り当てられており、正規職がその仕事をすることはありえない。そのうえ、仕事によっては「女性限定」「高齢者限定」とされている。まさに〈雇用身分社会〉が生みだされているのだ。
2月23日の第5回国民会議で、水町勇一郎・東大社会科学研究所教授は、「欧州でも、労働の質、勤続年数、キャリアコースなどの違いは同原則の例外として考慮に入れられている。このように、欧州でも同一労働にたいし常に同一の賃金を支払うことが義務づけられているわけではなく、賃金制度の設計・運用において多様な事情が考慮に入れられている」と報告している。仕事の種類(労働の質)や身分(勤続年数、キャリアコース)による賃金格差を認めているのだ。
「同一労働同一賃金」で格差や労働環境が改善されるというのは現実を知らない妄言である。
労働法改悪が原因
「労働条件の底が抜けた」といわれる状況を生みだしたのは、86年の労働者派遣法と男女雇用機会均等法を皮切りにした戦後労働法制の改悪だ。派遣法は、99年に派遣労働を原則自由化、04年に製造業派遣を解禁(有期雇用契約上限3年)、15年の大改悪で派遣労働の受け入れ制限を撤廃した。まず、派遣という働き方を撤廃すること。また、今国会に上程中の8時間労働制解体、過労死促進の労基法改悪案(「高度プロフェッショナル制」)を廃案にすること。さらに「解雇の金銭解決制度」導入など労働法制改悪を阻止することである。そして使用者が雇用責任を逃れるための間接雇用や非正規という雇用形態が、やりたい放題の搾取と収奪によって低賃金労働者をつくりだした真の原因である。その撤廃に進んでいくことぬきに、今の労働環境を改善することはできない。
最低賃金の抜本改正へ
いま必要なのは、4人家族が最低暮らしていけるレベルの賃金を保障する最低賃金法の抜本的改正である。
最低でも「1500円」。これは直ちに開始されるべき課題である。一億総活躍プランでは「介護職員、月平均約1万円」、「保育士、月平均約6千円」の賃金引き上げが打ち出されたが、過去の処遇改善策が結局、事業者の資金に消えたのと同じように、選挙向けの対策にすぎない。
月1万円引き上げても、全産業平均に比べて月額11万円以上ある介護労働者の賃金格差を埋めることなどできない。処遇改善を本気で考えるなら、介護・保育の「特定(産業別)最低賃金」を新設すべきである。産別賃金新設に課した高いハードルを撤廃する最低賃金法の改正が必要だ。
安倍は「最低賃金1000円」を目指すといってこれを参議院選挙・衆参同日選挙の目玉にしようとしている。時給1000円では年収200万にも満たない。安倍政権は低賃金労働者や介護労働者の処遇改善を本気で考えてはいない。そのねらいは、労働組合・野党の無力化と国民の「社会的危機」への総動員にある。
「だれでも活躍できる社会」とは、一握りの「経営指導者」とその下で低賃金労働を強いられる膨大な「従者」によって構成される、かつてのナチス国家のような社会の創出である。この「従者」のなかに多くのボランティアの動員が構想されている。それを一億総活躍プランでは「住民による共助の取組みを進める」と打ち出している。
いかに立ち向かうか
こうした安倍のねらいを暴露し、「一億総活躍社会 NO!」の闘いを沖縄闘争、戦争法廃止闘争、7月選挙闘争と一体で闘おう。ナチス的手法と闘うためには、労働現場と結びついた広範な大衆運動が必要だ。
「一億総括躍プラン」になにをぶつけるべきか。アメリカや世界で取り組まれている最低賃金15ドル運動、低賃金労働者の国際的取り組みから学ぶべきことは多い(本紙196号参照)。
リビングウェッジ
リビングウェッジ条例(生活賃金条例)の闘いは社会運動ユニオニズムの出発点ともなっているものである。94年アメリカのボルチモア市で最初に制定された。いまでは160をこえる自治体で実施され、連邦賃金の2倍を実現している。生活賃金が実施されていないのは全米で7州のみ。「家族4人が貧困線レベルで生活できる賃金」が基準となっている。
ボルチモア市の運動は、地域の教会と自治体の労働組合を中心とする50団体が連合していた。当時公的部門の60%以上が民営化された米国では、多くの雇用が失われ、失業と低賃金、ホームレスが社会問題となっていた。そこで生れたのが「深刻な社会問題を生み出したアメリカ社会を、民衆の力を結集して地域レベルから変革していく」という新しい発想だった。
生存権と直接行動
そこでは「戦闘性(直接行動)」「民主主義」「社会的ユニオニズム」「国際連帯」「草の根型」の5つがキーワードとなった。
運動は以下の項目が実践された。
@基礎自治体をターゲットにする。
A「生存権」を基本理念とし、それを「社会的正義」と訴える。
B連合―連携という発想。地域レベルで労働、住宅、マイノリティ、高齢者、労働者、市民、学生、宗教家、法律家などあらゆる組織、階層、運動体との連合・連携。
C条例制定後の監視。
D未組織労働者の組織。
とくに注目すべきは、「自分で自分の境遇をかたる運動(ストーリー・テリング)」であろう。「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名ブログが安倍政治をゆるがしたことに通じるものだ。
こうした取り組みが大きなうねりをつくりだし、条例実現へとつながっていったのである。この闘いは2011年の「オキュパイ・ウォール・ストリート」から、今日の「(最低賃金)15ドル運動」の高揚に引き継がれている。それは世界的な広がりをみせている。
ここでは「新しい哲学」が語られ、それが運動化している。これらの闘いに学び「一億総活躍プラン」=21世紀の貧困と国家改造に立ち向かう新たな運動をつくりだそう。(おわり)
5面
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「憲法は適用されてない」
5・15新宿デモに250人
5月15日、新宿でおこなわれた「沖縄『日本復帰44年』を問う! 5・15新宿デモ」に行ってきました。
新宿・アルタ前に着くとすでに百数十人と思われる人が集まっていました。
デモ前のアピールとして、まず沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大仲尊さんが訴えました。
沖縄県議選で多数を
「44年前の日本復帰について、(その是非が運動側に)まだ決まった評価はない」「ヤマトの地で復帰の内実を問うものとして、毎年この時期に行動をやっている」「沖縄県が国地方係争処理委員会に提訴していて、結論が出るまで半年〜1年かかる」「6月5日に県議選がある。多数派を獲得しなければならない」「(工事中止してから)制限区域に入ったとして、刑事特別法違反で逮捕者が出た。手を緩めることなくたたかいを継続している。ぜひ辺野古現地に足を運んでほしい」「新基地賛成派の名護市議が全国の自治体に(辺野古移転推進決議を上げるよう)陳情をしている。地元にそういうのが来ていないかどうか調査してほしい」
市民が次々にアピールに立ちました。
なぜ琉球なのか
シールズ琉球の玉城愛さんが現地から駆けつけて訴えました。
「本土の皆さんの(辺野古のたたかいを呼びかける)SNSに励まされている」「私の通う名桜大は5〜6割の学生が県外から来ている。私たちは基地があるのが当たり前になっているが、県外からの学生と話をして、この日常が異常だと気づいた」「シールズ琉球という名前については議論があった。沖縄問題は(一般の若者には)ハードルが高い。沖縄は日本だということは当たり前なのだが、(差別的に基地が押し付けられている現状では)『まだ沖縄は(琉球処分前の)〈琉球〉のままで日本国憲法は適用されていないのではないか』ということで『琉球』を使った」。
共通の価値は「幸せ」
「祖父が(2人とも)戦争を体験していて、私も次世代に何を引き継がなければいけないか考えている。5月は沖縄では平和教育をやっている。(高齢者に話を聞くと)軍に守られた意識はない。『守ってくれないんだよ』と言われる」「自分が大切にしたいのは、沖縄戦のようなことを沖縄でも県外でもしてはいけない、他人の命を奪ってはいけないという信念」「何のために生きるかと、友達と話し合っている。共通する価値は『幸せになりたい』、そのために生きているということ。だから命を奪ってもいけないし、奪われてもいけない」。
250人が新宿1周
辺野古リレーの代表の方からは5月21日の「国の暴力を許さない!! レジスタンス大行動」として警視庁・海上保安庁・国土交通省前での抗議行動への参加が呼びかけられました。
1時間のアピールの後、新宿を1周するデモにたちました。途中参加も多く、最終的にデモ隊は250人に膨れ上がりました(写真)。(島田秀夫)
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松葉杖をつきながら想う
朝鮮人傷痍軍人のことなど
近く80歳を迎えるので、“終活”の手始めに蔵書の整理をしていたところ、踏み台から足を滑らせて骨折してしまいました。1カ月たってようやくギプスが外れ、松葉杖を使って歩行訓練を始めたところです。普段なら5分で行ける最寄りのバス停まで15分もかかり、往復するだけで疲れてしまう始末です。そんななかで傷痍軍人のことを想い出しました。
「自分は元陸軍歩兵第○○連隊に属し、××戦線で敵弾に当って重傷を負い、こんな体になりました」などと、列車のなかや縁日で義援金を訴える姿を、60年代までよく見かけました。中国侵略に始まる15年戦争で、手足をもぎとられたり失明したりした旧「皇軍」兵士です。戦闘帽をかぶって着古した白衣に身を包み、痛々しく義肢を人目にさらして、ハーモニカで軍歌などを奏でていることもありました。
不明にも私はつい最近まで、こうした傷痍軍人のほとんどが朝鮮半島出身者であることを知りませんでした。
同じ傷痍軍人でも日本人の場合は、軍人恩給に加えて障害年金や障害一時金、傷病者特別年金および弔慰金などが支給されました。さらに傷病者や戦没遺族にたいして、伊東と別府に国立保養所が設けられています。
ところが「皇国臣民」として徴兵された朝鮮人は、1945年8月15日を境に「第三国人」として扱われるようになり、国家の保護や補償を一切得られなくなったのです。頼るべき身内も少なく、その人たちもその日その日を生きるのに精一杯でした。先行きの見通しが全く立たない窮乏のドン底で、その困苦と不安はいかばかりであったでしょう。
私は松葉杖に頼る不自由な生活のなかで、はじめて朝鮮半島出身の傷痍軍人が置かれていた不条理な境遇に想いを致すようになりました。帝国主義本国に生をうけた者として、あの人たちがうけた差別と苦しみ、日本国家への憤りに気付くことなく過ごしてきた半生を、今更ながら深く反省しているところです。そして、このような人道にもとる民族差別を公然とおこない、いささかも恥じることのない国家権力にたいする怒りをかきたてられています。
「在日」や〈棄民〉にわが身を置き換えて
少し前まで伊藤博文の肖像を印刷した千円札を、ほとんどの日本人は何の感慨を抱くこともなく使用していました。しかし「在日」の人たちは、母国を植民地化し抑圧と収奪の支配体制を築いた張本人の肖像を、日々の生活のなかで目にするたびに、痛みと怒りを感じたに違いありません。
ハルビン駅頭で伊藤をピストルで狙撃した安重根は、日本では憎むべきテロリストとされています。しかし韓国や朝鮮民主主義人民共和国では、義兵(独立)運動の英雄とたたえられています。ちなみに「維新の元勲」伊藤博文は幕末、幕府の御用学者塙次郎が廃帝の故実を調べているとして、待ち伏せのうえ斬殺したテロリストでした。
かつて「創氏改名」によって、朝鮮人は日本名を名乗る屈辱を味わいました。もし日本人が強制されて、金ナニガシとか朴ナニガシなどと名乗らざるを得なくなったら、どんな精神状態に陥るだろうかと、想像してみたらいかがでしょうか。
今でも日本名を通名にしている「在日」の人が少なくありません。マスコミは「在日」の人が何か事件を起こしたときは本名で、逆に事件の被害者の場合は通名で発表するという話を聞いたことがあります。
「慰安婦」(日本軍性奴隷)の問題にしても、自分自身や自分の娘、姉妹の身に置き換えてみたらどうでしょうか。当事者のハルモニたちを置き去りにした日韓両政府の合意にたいして、あろうことか日本共産党は「問題解決に向けての前進と評価できる」と賛意を表明しています。大江健三郎や上野千鶴子、高橋源一郎ら良心的知識人と目されている人たちまで、同様の見解を示しているとは!
戦争法が施行され、新たな〈戦前〉を迎えつつあるなかで、「保育園落ちた日本死ね!!!」と、若い母親たちが怒りの声をあげました。
かつて朝鮮人の傷痍軍人を路頭に迷わせた帝国主義日本は、今また日本軍性奴隷とされた人びと、幼児とその母親に〈棄民〉政策を強制しようとしています。福島や沖縄の住民についても同様です。40%を超えてなお増え続けている非正規労働者も〈棄民〉と言えるのではないでしょうか。
戦争に向かう動きが加速するにつれて、偽物のメッキがはげ落ち、真贋が問われるようになるでしょう。さまざまな課題への対応をめぐって私たち一人ひとりが試されているのです。松葉杖にすがって歩きながら、そんなことを考えています。
(根来 行人)
社会保障は国の責任で
憲法25条を守る共同集会
5月12日、東京・日比谷野外音楽堂で「社会保障・社会福祉は国の責任で! 憲法25条を守る共同集会」が開かれ、3500人が参加した(写真)。
生活保護問題対策全国会議代表幹事の尾藤弁護士が社会保障をめぐる状況について提起した。
尾藤弁護士の提起
社会保障改革推進法、同プログラム法では、自助、共助、公助を打ち出しています。権利としての社会保障、社会福祉という考え方、国の責任は大きく後退しており、憲法25条の解釈改憲がおこなわれているといっても過言ではありません。
格差は、ますます広がっています。生活保護利用者は、95年には88万人余りでしたが、16年1月には216万人を超えています。医療では高い保険料、自己負担の増加、保険給付の範囲を制限する動きがあります。
「障害者」の分野では、障害者総合福祉法の「骨格提言」の完全実現には程遠い状態です。保育では、待機児童問題が注目されるなか、定員を緩和して、詰め込み保育で対応しようとする動きが目立ってきています。福祉、医療を担う職員の不足、処遇改善は遅々として進んでいません。
政府は、一方では、大企業を優遇し、一握りの富裕層に富が集中する結果を招いているではありませんか。これを改善するためには、公正な税制を確立することが必要です。社会保障は国の責任で。憲法25条を守ろう。戦争法を廃止しろ。社会保障制度改革推進法を廃止しろ。この大きなうねりを全国に広げよう。
各分野からの報告
生活保護、年金、介護、医療、保育、「障害者」などの分野から、利用当事者、現場で働く労働者などが次々に、安倍政権のもとで進む社会保障切捨ての深刻な現状について報告した。最後に、集会アピールを採択し、国会に向かって、デモ行進をおこない、この日の行動を終えた。
6面
ルポ
甲状腺がんの患者・家族が声をあげた
―「家族の会」を結成(下)
請戸 耕一
V「因果関係がある」と認めさせる ―河合弁護士
核心が否定されている
3・11以降、深刻で大きな被害が出て、ADR(裁判外紛争解決手続)や訴訟が全国で争われています。1万人が訴訟を起こしています。でもそれはぜんぶ財物損害(家屋などの損害)と精神的慰謝料だけです。
放射能被ばくの被害・損害の核心は、放射線から発生した病気です。健康被害などという甘い表現を私は使いません。放射線による病気、とりわけ小児甲状腺がんや白血病が被害の核心です。
図で書くと(写真下参照)、大きい丸が放射線被害の全体です。その大半を占めるのが財物損害と精神的慰謝料です。でも財物損害も精神的慰謝料も、元は、病気すなわち甲状腺がんや白血病などになるということから発生します。
だからこの核心部分が否定されると、原発の大きな損害の全体がわからなくなります。
放射能の高いところにいると病気になるから避難するわけです。精神的苦痛も、放射能で病気になるのではないかと不安に感じるからです。だから財物損害も慰謝料も元は放射線による病気というところに核心があります。
ところが、膨大な損害の核心部分がスポッと抜けて、否定されています。それが大問題なのです。
核心部分がスポッと抜けるとどうなるか。全部、底抜けになります。「放射能との因果関係は考えにくい」「病気が発生するかどうかわからない」となると、「家が放射能で住めなくなることもはっきりしない」ということになり、財物損害も慰謝料も根拠がなくなります。それは、結局、「放射能は怖くない」「原発の再稼働をどんどんやろう」という論理になっていくのです。
すべての被害・損害は放射能による病気というところから発生しているわけですが、その核心部分を否定してしまおうというのが今のやり方だと私は考えています。
だからこの核心部分を絶対に否定させてはならない。まさに、病気発生という核心部分の事実を明らかにして、「因果関係がある」ということをはっきりさせることが、被害者の救済にも、原発をなくしていくという点でも重要なのだというのが私の考えです。
「因果関係がある」ということをきちんと社会的にも政治的にも立証していかなければならないのです。ここはまさに天下分け目の戦いです。
患者の深刻な分断
では、なぜこの核心問題が抜けているのか。
患者の皆さんは、お互いに顔も名前も知らず、団結もなく、完全に分断されてきました。また、現代医療において当然認められるべきインフォームド・コンセント(十分な説明を受けた上で治療に同意すること)やセカンド・オピニオンということが、この間の甲状腺がんの治療過程では、完全に否定された状態にあります。
「あなたはこういうわけで病気になった。だからこういう治療をする」というふうにやっていくのが今の医療でしょう。ところが、「はい、あなたはがんです。はい、切ります」と。そこで「原発事故が原因なのでしょうか」と訊いたら、「違います」と言われてしまう。
そこには、問答無用で恩恵的家父長的な治療はあっても、インフォームド・コンセントはないのです。不安だからセカンド・オピニオンを求めようと思っても、とんでもないことになるという恐怖でそれができない。さらに、セカンド・オピニオンを求められた医者も、福島県立医大や福島県と後で面倒なことになるので、やはり「県立医大に行ってください」となります。
こうして、患者はセカンド・オピニオンも求められず、完全に分断され、抑え込まれているわけです。
僕たちも、何とかアプローチをしようと県立医大や福島県に聞いてみましたが、「とんでもない。個人情報ですから教えられない」と。こうして、166人という数はわかっても、どこの誰か全くわからなかったのです。
これは本当に憂慮すべき事態だと考えていたところに、カミングアウトしてくれる人たちが出てきてくれました。これはもう抑えきれないのだと思います。
だから、すべては何から始まるかというと、患者さん同士がお互いに知り合い、どういう状態かという情報を交換し合うところから、始まるということです。
立証責任の転換を
現在の国際的な合意は、放射線量と白血病などの発病率は「しきい値なし」―ここから下は安全というしきい値がない―、それから「直線モデル」―放射線量と発病率は正比例する―これが国際的な合意です。IAEAも認めています。
そして、ある原発から大量の放射性物質が放出されて、その範囲に住んでいる人間が甲状腺がんになったら、原則として、その甲状腺がんはその原発の事故の所為だと認定すべきです。
もちろん、その甲状腺がんが別の理由だときちんと立証できたら、話は別ですが。例えば、レントゲン検査で、誤って甲状腺に大量の被ばくをしてしまったとか。それは医療ミスです。
そういう別の理由がキチンと立証されない限り、原則として、原発事故により放出された放射性物質と因果関係があると認定すべきです。
そもそも〈福島原発から発生した放射性物質が風に乗って流れていって、それがこの子どもの甲状腺にくっついて、そこからがんが発生した〉ということを立証するのは不可能です。そういう不可能な立証ができていないということを理由に、「考えにくい」として否定するのは法律的に間違いです。法律的には、因果関係は被害を訴える側が立証しなければならないのですが、本件や公害の場合には、立証責任が転換されるということになっています。
まさに、「考えにくい」と否定する側が、因果関係を否定する例外的な事由を立証しなければいけないという考え方、そういう判断枠組みを変えないと、被害者は全く救済されないということを私は強く訴えたいのです。
患者・家族が団結して
やはりご家族の方が言われたように、因果関係を認めさせることが大事だと思います。
因果関係が認められないとき、損害賠償ということはおよそないわけです。「治療だけはしてやる」と言うけど、その治療も極めて恩恵的な家父長的な治療になります。それではダメなのです。
まず「因果関係を認めなさい」と政策要求を出していく。「国と東京電力に責任があることを前提に対策をとってください」と。何かものを頂戴とか、情けをかけてくださいとか言っているのではないのです。
そして、正当な要求を認めてくれということを通すには、被害者が団結しないとダメなのです。個人が孤立している限り、親が訴えても本人が訴えてもダメなのです。患者・家族が結束して申し入れや発言をすると、それは社会的勢力による発言と見なされます。そこではじめて注視され、尊重されるようになるのです。そういうことのための家族の会だということです。
もちろん、その基礎にまずはお互いが知り合って情報を交換し、慰め合い、団結する必要があり、それが第一目的です。そうした後に来るものが社会的勢力として自分たちの正当な要求を政策に反映させていくことだと考えています。(おわり)