高浜原発運転差止
原発なくす道筋見えた
井戸弁護士が「決定」を解説
大津地裁決定の意義を説明する井戸謙一弁護士(3日 京都市内) |
高浜原発3・4号機の運転差し止め決定(3月9日)についての緊急報告集会が、4月3日京都市内で開かれ、福井県や京阪神地域から200人以上が参加した。〈若狭の原発を考える会〉と〈京都脱原発原告団(世話人会)〉が主催。
福井原発訴訟(滋賀)弁護団長の井戸謙一弁護士が講演をおこない、大津地裁決定の特徴・骨子を説明した。
大津地裁決定は、3・11福島第一原発事故の事態を踏まえることを核心に据えたうえで、新規制基準の不合理を指摘し、原発を受け入れるか否かは、専門的判断ではなく、社会的判断であることを明記した。そして、被告(関電)が立証すべきこととして「規制委員会が関西電力に設置変更許可を与えた事実」だけではなく、「3・11」を踏まえ、原発の規制がどのように強化され、関電がそれにどのように応えたのかを立証することを求めており、関電はなんら立証をしていないとして運転停止を命じた。
避難計画は国の義務
避難計画の問題についても、「3・11の経験に照らせば『国家主導での具体的で可視的な避難計画が早急に策定されることが必要であり、この避難計画をも視野に入れた幅広い規制基準が望まれるばかりか、それ以上に、過酷事故をへた現時点においては、そのような基準を策定すべき信義則上の義務が国家には発生しているといってもよい』」と大津地裁決定は述べている。
国際基準として確立し、日本の原子力政策の核心を成している深層防護の考え方に関連して、「避難計画を審査しない新規制基準は、確立した国際基準に抵触しており、原子力基本法、原子力規制委員会法に違反している」と断じた。
その上で、「3・11」を経験した現在、原発の許容性は専門家が判断すべきことなのかと設問し、大津地裁決定は原発を許容するのか否かを決めるのは「社会一般の合意」であって、「専門家」ではないとの認識を示した。そして、「広範な市民の声と、裁判官の正義感がコラボして、原発をなくしていく道筋が見えてきた」と報告をまとめた。
油断せず、たたかいを
その後、「今後の反原発運動を考える」と題して、京都脱原発原告団、ふるさとを守る高浜・おおいの会、グリーンピース・ジャパン、かざしもネット、釜ケ崎日雇労働組合、若狭の原発を考える会、原発全廃! びわ湖一周デモ2016実行委の7団体が発言した。〈若狭の原発を考える会〉高瀬元通さんは、福井地裁・樋口決定が高浜原発再稼働反対運動の陣形に油断を生み出した側面をのべ、大津地裁決定にあぐらをかくのではなくそれをも武器にして、地道な原発廃炉のたたかいを大きく作り出していくことが重要だと提起。これからも引き続いて若狭一帯でアメーバデモを展開していくと述べた。〈びわ湖一周デモ実行委〉稲村守さんは、5・4〜5・8びわ湖一周デモへの参加を訴えた。
大津地裁決定にたいして、関電は仮処分決定の執行停止と保全異議を申立てた。5月10日に第1回審尋がおこなわれる。大津地裁決定をも武器に、高浜原発を廃炉に、全原発の廃炉を掲げて大きなたたかいをつくりだそう。
福島原発刑事裁判
ただちに公判を開け
5日、福島原発刑事訴訟支援団、福島原発告訴団、福島原発告訴団弁護団は3者連名で東京地方裁判所に対して、「東電3被告の福島原発刑事裁判について直ちに公判を開くよう」申入れをおこなった。また東京地裁刑事4部を訪問。申し入れ書を提出し、すみやかに第1回公判が開かれるよう要請した。 |
これ以上がまんできるか
辺野古新基地 刑特法による海上初逮捕
目取真俊さん逮捕される
普天間飛行場返還の日米合意から20年。4月12日、県庁前で県民集会 |
【4月1日】海上抗議行動中、芥川賞作家の目取真俊さんが刑事特別法で不当逮捕された。刑特法での逮捕は海上では初めて。
この日午前9時頃、海上行動隊はカヌー5隻で辺野古浜を出発。9時20分頃、辺野古崎の岩場に到着。いつも通過している岩場が、この日は干潮で通過できなかった。そこでカヌーから降りて、カヌーを押しながら通過しようとしたところを米軍警が、「基地に上陸した」として、男性一人を拘束。それに抗議した目取真俊さんを米軍警が基地内に連れ込んだ。目取真さんは、米海兵隊に8時間拘束された後、中城海上保安部によって逮捕された。
これまで、海上保安庁は、海上で市民を一時拘束しても必ず解放していた。工事中断により海保の拘束は少なくなったが、そのぶん米軍の対応が激しくなっている。市民250人がただちに抗議行動にたちあがった。2日午後7時過ぎに目取真さんの釈放を勝ち取った。
「辺野古総合大学」
【5日】「辺野古総合大学」が始まった。辺野古総合大学は昨年8月、工事が1カ月中断されたときに開講し、市民から好評を博していた。今回は2回目の開講。4日から30日の間に17回開かれる。
講師は沖縄大学の新崎盛暉さんや沖縄国際大学の前泊博盛さんはじめ、市民運動家、海人、ミュージシャン、三線奏者など多岐にわたる。初回の新崎盛暉さんの講義には200人が聴講。熱心に耳を傾けた。
【6日】午後3時、中城米軍キャンプ瑞慶覧(在沖米軍司令部がある)石平ゲート前で「米軍の横暴・弾圧を許さない」緊急集会を開いた。市民700人が座り込み、抗議の声をあげた。集会では、目取真さんの8時間にわたる拘束や、3月に起きた米兵暴行事件などに激しく抗議した。
ウチナーンチュの海
【12日】日米両政府が1996年に米軍普天間飛行場の返還を合意してから20年となるこの日、オール沖縄会議は「日米合意から20年、普天間基地の閉鎖、撤去、辺野古に新基地を造らせない県民集会」を那覇の県庁前で開き1500人が参加。
集会では、高里鈴代共同代表や国会議員などが発言。それぞれ「これ以上の基地負担は我慢できない」と訴え、米軍普天間飛行場の早期返還を求めた。なかでも、稲嶺進名護市長は「この20年、普天間は1ミリも動いていない。70年がまんしてきた、これ以上はがまんできない」と怒りをあらわにした。
安次富浩ヘリ基地反対協共同代表は「この海も空も陸も、アメリカのものでも日本政府のものでもない。ウチナーンチュのものだ。『危険性除去』と言うのであれば米本国に基地をつくらせる交渉を安倍政権はやるべきではないか」と訴えた。最後に、シールズ琉球の玉城愛さんの発声で「団結がんばろう」をおこない参加者は手をつなぎ、こぶしを夜空に突き上げ決意を新たにした。その後、国際通りをデモ行進した。(杉山)
5月の『未来』の発行日について
5月の本紙の発行は、5月19日(第199号 8ページ 400円)のみとなります。
6月以降は、通常どおり第1、第3木曜日発行です。
2面
国際シンポ
チェルノブイリ30年・フクシマ5年
核時代の終わりの始まりに
4月26日、チェルノブイリ原発事故が起きてから30年になる。4月3日、「チェルノブイリ30年・フクシマ5年/国際シンポジウム」(主催:同実行委員会)が、大阪市内(たかつガーデン)で開かれた。集会には200人をこえる市民が参加した(写真)。
チェルノブイリとフクシマ
T部は「チェルノブイリとフクシマを結んで」というテーマでおこなわれた。振津かつみさん(チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西)が、「チェルノブイリ・フクシマを繰り返すな、事故被害者の補償と人権の確立に向けて、福島を核時代の終わりの始まりに」という基調提起をおこなった。
つぎに、チェルノブイリと福島から、被災当事者4人の報告があった。ベラルーシに住むジャンナ・フィロメンコさん、ロシアに住むパーベル・ブドビチェンコさん、福島から馬場有さん(浪江町長)と秋葉信夫さん(フクシマ原発労働者相談センター事務局長)。その後、この4人によるシンポジウムがあった。
U部では「チェルノブイリ・フクシマを繰り返さないために」というテーマで、広島、長崎、福井、福島からの報告があった。木原省治さん(原発はごめんだヒロシマ市民の会)、崎山 昇さん(全国被爆二世団体連絡協議会)、山崎隆敏さん(元・福井県越前市議会議員)、三浦俊彦さん(福島県教組・放射線教育対策委員会委員長)など。
移住の権利
ジャンナさんは、チェルノブイリ原発事故当時、原発から北西40qのナローブリアに住んでいた。ここは福島の「避難区域」と同じ汚染レベル。政府は住民に情報を教えなかった。被災者は移住を求めてたたかい、5年後にチェルノブイリ法を実現させた。この法律によって、ジャンナさんはやっと移住することができた。また、ジャンナさんは移住後の苦しい体験を語った。「自分たちの住んでいる場所を捨てることは、いかにつらいことか」と。
反核の国際連帯を
パーベルさんは、チェルノブイリ原発から北西に170q離れたブリヤンスク州ノボツィプコフ市に住んでいる。ここはホットスポットで、福島の「避難区域」と同じレベル。住民の多くは、おもに経済的理由から汚染地に住み続けざるをえなかった。
「政府は住民の安全のことは考えていない。ソ連(現在ロシア)と日本は社会体制が違うが、官僚はなぜ同じ対応をするのか」と怒りをこめて語った。
また、パーベルさんはNPO「ラディミチ・チェルノブイリの子どもたちのために」の取り組みを報告した。「太平洋の島々の人たちを含めて、市民の間で国際的なつながりを持たなくてはならない」と提起した。
風化と風評被害
馬場町長(2007年12月より現職)は浪江町の被害について語った。
浪江町は原発立地自治体ではなく、補助金の恩恵はまったく受けていない。しかし、原発事故によって、この町はおおきな被害をうけた。小学生は事故前には1600人いたが、今では二本松市の仮設小学校に通っている子どもは36人。6500人の町民が全国600の市町村で避難生活をしている。
馬場さんは「現在、福島は二つの風に悩ませられている。それは風化と風評被害。原発事故の原因がいまだ究明されず、責任も取っていないなかで、再稼働はありえないことだ。」「事故時には、国からも、東電からも、何の連絡もなかった。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報も公開されなかった。住民の安全は見捨てられた。情報がきていれば、避難の仕方も違っていただろう」と述べた。
原発労働者の被曝
秋葉さんは、昨年2月、フクシマ原発事故労働者(収束・廃炉・除染)相談センターをいわき市で立ち上げた。その取り組みから福島の原発労働者の状況について報告した。現在、福島では毎日7000人の労働者(福島県出身者が約半数)が原発事故関連で働いており、日々被曝を強いられている。
秋葉さんは「すでに2万1000人が5ミリシーベルトを超えており、がんなどの発病者が増えるのではないかと心配している」「これからも原発労働者の声を全国に届けていきたい」と語った。
被災者の声に耳を
現在、福島の原発事故がなかったかのように、被災者を抜きにした復興が叫ばれている。核の惨事をこれ以上繰り返させてはならない。これは被災者共通の思いだ。
核被災者の声に耳をかたむけ、市民の力で〈核時代の終わりの始まり〉を実現しよう。この意気込みにあふれる集会だった。(津田)
主張
軍事化する日本
アベ政治のめざすもの
安倍政権による憲法改悪がいよいよ現実味を増している。7月参院選(あるいは衆参同日選挙)が今後の日本政治の行方を左右する重要な選挙となっていることについて異論はないだろう。
7月選挙をめぐっては、憲法問題以外にも安全保障関連法(戦争法)、消費税増税、原発再稼働、辺野古新基地建設、労働法制、社会保障など重要な争点が目白押しである。
安倍政権はこうした全面的な攻撃の先にどのようなビジョンを描いているのであろうか。それが、「自民党憲法改正草案」から浮かび上がる国家像であることはまちがいない。
それを一言で要約すれば、「日本の軍事化」ということになる。
「軍事化」とは、一般的には軍事力の増強や軍事費の増大を図り、軍事=戦争に依拠した外交政策を展開することをさすが、それだけにとどまらない。その特徴は、政策決定権力の集中、軍事機密の増大、民衆の人権・自由の軽視などによる民主主義の空洞化である。すなわち政治・経済・教育・文化など、一般社会のなかに中央集権的な強権や物理的な強制力が次第に拡大・浸透していく過程のことである。
「冷戦終結」後、新自由主義的グローバリゼーション(金融グローバリズム)の急進展が生みだした「危機的状況」にたいして、日本の支配階級は「軍事化」をもって対応しようとしているということになるだろう。
すなわち、一方では金融グローバリズムを推進しながら、他方ではそのことによって世界各地で生みだされている矛盾を、強権的な国家体制と強力な軍事力・軍事同盟をもって抑え込もうとする政策である。
それはあまりにも矛盾的であり、危機をより深刻化させるものであることは明らかである。
このような動きにたいするカウンターとして、金融グローバリズムにたいして国際的な規制を加えるとともに、国内における新自由主義的政策の転換を求める運動が世界的に広がっている。ヨーロッパにおける反緊縮運動(ギリシャ、スペインなど)や、アメリカの大統領選挙におけるサンダース旋風などがその典型である。日本においては、昨年の戦争法反対運動でクローズアップされたSEALDsなどの運動がその流れの中にあると言っていい。
今日の金融資本のグローバルな展開を規制する強力な国際機関の形成や先進諸国政府間の連携は実現可能か。また先進諸国政府にたいして新自由主義政策からの転換を促すことができるのか。
その答えは、「利潤追求」のために、人間が限りなく犠牲にされる資本主義への民衆の素朴な怒りのなかにある。「株の配当」のために人びとは労働しているわけではないし、そのために非人間的な扱いを受けるいわれはない。福島原発事故は「経済的利益よりも人間の命が大切だ」という広汎な意識を形成した。これは原発運転差し止め裁判における司法判断にも強い影響を及ぼしている。
そしていま注目すべき事態が起こっている。タックスヘイブンに隠匿されたグローバル企業や各国の指導者たちの資産の一端を暴露した「パナマ文書」が世界を震撼させている。
彼らが最も恐れているのは、資本主義への根底的な批判を内包した民衆運動のグローバルな形成である。それは可能であり、資本主義にかわる新たな社会への大きな希望となる。(汐崎恭介)
3面
原点に返り闘いの拡大を
3・27三里塚全国集会基調報告 萩原富夫さん
3.27成田市内での全国集会で基調報告をする 萩原富夫さん |
3月27日の三里塚全国総決起集会における萩原富夫さんの基調報告が波紋を投じている。萩原さんは、1983年の三里塚芝山連合空港反対同盟の分裂以来はじめて、熱田派との共闘を呼びかけた。新聞各紙も「熱田派との連携模索」(毎日新聞千葉版、千葉日報)と報じ注目した。萩原さんの発言の核心は、三里塚闘争の原点に立ち返り、農民が主体となって三里塚闘争の新たな発展を切りひらくという決意の表明である。反対同盟の提起にこたえ、市東さんの農地を守り、成田空港第3滑走路建設を阻止し、安倍政治と対決する人民のたたかいの砦を築こう。以下、萩原富夫さんの基調報告を採録する。(文責 本紙編集委員会)
みなさん。全国から結集いただきまして、ありがとうございます。
先ほど、北原事務局長のメッセージを読み上げましたが、今のところ体調は回復に向かっておりますので、ご安心ください。ただ、ご高齢ですので、大事をとりまして、メッセージというかたちにしました。代わりまして私の方から基調を提起させていただきます。
フリートークの中で多くの方から今の安倍政権にたいする怒りとたたかいの決意が述べられました。そういうわけで、私は三里塚の話をしたいと思います。
ご承知のとおり市東さんの農地死守のたたかいは最高裁にいっております。この1月、1万2千筆あまりの署名を、反対同盟は弁護団とともに最高裁に提出し、訴えをおこなってきました。
さらに本日の集会を第2次の締めきりとしまして署名のお願いをしていたところ、関西から2千筆をこえる署名を届けていただきました。関西生コン支部や港合同のみなさんを中心にあつめていただいたことに心から感謝申し上げます。
第1次が1万筆でしたから、第2次に向ってどう積み上げをしようかと心配していましたが、新たに5531筆になりました。日程を調整して、再度、最高裁にたいして要請行動、抗議行動をおこないます。
いのちを守る闘い
市東さんの農地を守るたたかいは、すべての農民に通じる問題だと思っています。現在、安倍政権のもとでTPPが推進され、沖縄のサトウキビをはじめ北海道の牛乳の問題など、農民にたいしてあらゆる面でやっていけないという攻撃が加えられようとしています。
市東さんのたたかいは「農地はいのち」と銘打って、「農業を守るたたかいこそが人民にとって大切なたたかいだ」ということを訴えてたたかっています。「農業を続けていけない」「生きていけない」、こういう状況に全国の農民が追い込まれている中において、「農地を守って農業を続ける」ということは全国の農民を勇気づけるたたかいだと思います。
空港がもっと発展すれば地域や市民も潤うという論理で進めようとしている成田空港の第3滑走路建設は、農地をつぶし、自然を破壊し、農業を破壊する、まさに命を大事にしない今の安倍政治と同様の政策です。これにたいして私たちは、「農地はいのち。農地こそが大事なんだ」としてたたかいます。このことを市民のみなさんに心から訴えたいと思います。
本日はこの赤坂公園という成田空港で働く人たちのための住宅地として開発された成田ニュータウンのど真ん中で、そのことを訴えるという絶好の機会を得ました。
今、安倍政権が軍事と戦争にカネをつぎ込んで、武器や原発も輸出するという、「金儲け第一」の政治を進めております。こんな政治はもううんざりです。私たちのたたかいはここにも通じています。「農地はいのち」。市東さんのたたかいは、いのちを奪う安倍政治とのたたかいです。私たちが「世の中を変える」、「新たな世界を展望する」というとき、いのちを大切にするという視点が一番だいじなのではないでしょうか。
沖縄について発言がありましたけれども、あのように行政や県知事までまきこんで「島ぐるみ」のたたかいが爆発しているということについて私たちは大いに学ぶところがあると思います。
三里塚闘争の原点
私たちのたたかいは50年という長きにわたって、命がけのたたかいを展開してきたと思います。私自身は、こう見えても若造ですので、実際にからだをはって機動隊とぶつかった経験はありません。しかし、そのようなたたかいの上に現在の勝利が切り拓かれてきたことは事実だと思います。そのことは大いに誇っていいと思います。そしてそのたたかいの中で、私たちはある意味で、余りにも精鋭化しすぎてしまったのではないかと思っています。
いま一度、「国家権力による横暴と対決する農民のたたかい」という原点に立ち返って、今こそ、その原点を全国に訴えて、三里塚闘争の発展をかちとっていかなければならないと思っています。市東さんのたたかいの勝利のためには、目の前にいるみなさんのたたかいを、さらに一回りも二回りも大きくしていくようなたたかいが必要です。それはわたしたちにとって切実な課題になっています。
2月の耕作権裁判の報告会で私は、熱田派のみなさん、私たちはずっと「脱落派」と称してきたのですが、この熱田派のみなさんにも私たちのたたかいを訴えるべきだ、広げていこうという訴えをしました。
その真意は、「このままではいけない。私たちのたたかいはもっと全国にひろがるはずだ。そして市東さんのたたかいに絶対勝利しなければならない」ということです。
「熱田派に訴えてもどれだけの力になるのか」という意見はあるでしょう。しかし、そこから始めなければならないと思います。三里塚をたたかってきた熱田派のひとたちにとっても「市東さんのたたかいは支援すべきたたかいである」という声を聴いています。
今までの壁を破ろう
みなさん。いままでの壁をうちやぶりませんか。私たちが閉じこもっていては、何も変わりません。私たちのたたかいはここにしっかりとあります。みなさんのたたかいがあります。さらにその上で、たたかいを広げるために、今一度、心を真っ白にして、あらたな三里塚闘争をつくりあげようではありませんか。
三里塚反対同盟はこのままでは先細りしてしまいます。この三里塚闘争の危機の中で、私たちは外へ打ってでる。市東さんのたたかいに心打たれ、支援したいという人となら誰とだって繋がっていく。そういうたたかいに打ってでたいと思います。そのことをぜひ、ご理解をお願いしたいと思います。
皆さんも私たちと同じようにもう一度心を真っ白にして、今までのことはいったんおいて、一緒にやる人がどこかにいるならば、一人一人つながって、どんどん広がって、市東さんの農地を守り抜こうではありませんか。そのことを心から訴えたいと思います。
この「50年」という大変大きな節目のなかで、7月3日、東京におきまして、「7・3 50周年」の集会を開きます。今まで来たことがない人もきていただけるように、工夫を凝らして集会を開きたいと思います。
全国に打ってでる
いま述べたような立場で、これから私は全国に打ってでていきます。みなさんも、それぞれの持ち場で三里塚闘争のキャンペーンをはっていただいて、市東さんの農地を守る、このたたかいに勝利する。そのために少しでも三里塚を多くの人に知ってもらう。そういう企画なりなんでも結構です。私たちは写真展を準備しておりますが、なんでも結構ですので、どんどん進めていただきたいと思います。
以上、私の提起とさせていただきます。ありがとうございました。
戦争はアカン!大阪でパレード
6日、「戦争はアカン!ロックアクション」が大阪市内でデモ。5月6日に「戦争のリアルと貧困のリアル」と題して高遠菜穂子さんと雨宮処凛さんの対談集会が開かれる |
新基地建設断念へ攻勢を
第7期沖縄意見広告 6月初旬に掲載
山内徳信さんと武建一さんを代表世話人とし、沖縄2紙や本土紙、アメリカ紙WEB版に、辺野古新基地建設反対をアピールする沖縄意見広告運動は今年で7年目になる。昨年までのこの意見広告運動の蓄積は、昨年秋には「辺野古基金」をもとに、「ヘリ基地反対協議会」と「島ぐるみ会議」を広告主に、51の地方新聞・全国紙に意見広告を載せる媒介役となり、全国の世論を大いに喚起した。
今年も6月初旬の沖縄タイムス・琉球新報・朝日新聞への1面全面広告掲載が最終局面に入っている。今年は特に3月に「和解」による工事中止となったが、安倍政権は工事をあきらめているわけではなく、この攻撃にたいする民衆の側から「新基地建設断念」を求める、攻勢的なたたかいとなる。
また沖縄意見広告運動は、オスプレイの全国配備にも反対して、毎年2月から全国キャラバンをおこなってきたが、今年は2月16日に連帯労組関生支部のコンクリートミキサー車が辺野古現地に登場し、たたかう仲間から喝采を浴びた。
そして今、全国の6千人以上の人々・団体が自らの意思を表明する意見広告は、安倍政権の工事再開の狙いを追い詰めていくことになる。
皆さんの、沖縄意見広告運動への取り組みをお願いしたい。
賛同金は個人1口1千円、団体1口5千円 郵便振替は「00920―3―281870 意見広告」。締め切りは5月20日。新聞掲載は6月初旬になり、その後アメリカからゲストを迎えた報告集会が、6月11日に関西で、12日に東京で開催される。
4面
生活保護
基準引き下げ許さず
支える会第2回総会
3月27日、大阪府保険医協同組合会館で〈生活保護基準引き下げ違憲訴訟を支える大阪の会(支える会)〉の第2回総会と藤田孝典さんの記念講演が140人の参加でおこなわれ、会場はほぼ満杯になった。
2014年12月19日、保護基準引き下げ違憲訴訟を大阪地裁に提訴し、同日、支える会を結成した。以来1年3カ月、支える会は着実に広がり、27団体、123人の会員となっている。違憲訴訟は27都道府県に及び、原告数は全国で881人となっている。
社会保障解体攻撃と真っ向から対決する攻防の一つが、生活保護基準引き下げに反対するたたかいである。保護基準引き下げは介護・医療・障害各分野に及んでいく。さらに労働法制の改悪とも一体である。総会ではこれまでの活動にふまえて、さらに立場の違いを超えて力をあわせていくことが提起された。
藤田孝典さんが講演
藤田さんは今話題となっている『下流老人』(朝日新書2015年6月)の筆者である。埼玉県を中心に12年間にわたって高齢者を含めた生活困窮者の支援活動をおこなってきた藤田さんの話は机上のものではなく、実際の支援活動の中での体験をふまえたもので、たいへんリアルなものだった。
「下流老人」とは文字通り、普通に暮らすことができない“下流”の生活を強いられている老人を意味する藤田さんの造語だ。今、日本の高齢者のなかに貧困が急速に広がり、「下流老人」が大量に生まれている。その実態を示すものとして低年金のために要介護1の68歳の女性が特別養護老人ホームで働き、要介護1の人が新聞配達をしているという。要介護1とは要支援状態よりさらに「手段的日常生活動作」の能力が低下している人をさす。このような報告はたいへんショッキングなことだった。日本の社会保障がいかに劣悪かつ音を立てて崩壊しているのかを突きつけられた思いだった。
今年1月、軽井沢スキーバス事故で死亡した65歳の運転士は報道によると身寄りもなく、生活費が必要であり、死後の遺体の引き取りもなかったという。背景にある雇用問題として低年金のために、劣悪な労働条件でも働かざるを得ない高齢者の実態、最低賃金が低いために苛酷な労働につかざるをえない実態、健康や心身に不安や異常があっても働かざるをえない実態などが浮かび上がってくる。
高齢者(65歳以上)はドイツでは5・4%、フランスでは2・2%しか働いていないのに日本は20・1%が働いている。ドイツの4倍、フランスの10倍である。日本の社会保障、とくに高齢者にたいする社会保障がいかに劣悪かということである。
貧困の様相が変化
違法な極悪企業が増えているなか、長女がうつ病で働けず、大学卒業後30年近く自宅に引きこもる状態が続いたため、親を含めて生活保護受給に至った例、数千万円の貯金があったのに高額の2度の心筋梗塞の手術で貯金がゼロになり、年金だけでは生活できず生活保護受給に至った例も、今や「異常」ではなくなっている。
混合診療の解禁により医療が商品化され、高額の医療を買わなければならなくなる時代が訪れ始めているのだ。さらにショッキングなのは、詳細は省くが年収400万円でも将来生活保護を受けざるを得ない可能性が高いという指摘である。
生活保護は種々の限界があるにしても、最後のセーフティネットとして存在している。これを破壊して、社会保障だけでなく労働法制をも解体しようとする攻撃と真っ向からたたかっていくことが必要である。
5月25日(水)午後3時から大阪地裁大法廷で、保護基準引き下げ違憲訴訟の第5回口頭弁論がおこなわれる。傍聴に参加しよう。(矢田)
焦点
4月から診療報酬を改定
福祉切り捨ての長期計画
この4月から診療報酬が改定された。診療報酬とは公的医療保険から医療機関や薬局に支払われる報酬のことである。治療や検査、薬ごとに価格が決められており、原則として2年に1度、中央社会保険医療協議会の答申を受けて、厚生労働大臣がその改定をおこなう。
診療報酬の財源は税金、保険料、そして患者負担(1〜3割)で賄われる。その改定の内容によって、医療費の国庫負担額、医療機関の収入、そして患者負担が左右される。そのため、毎回の改定は医療関連法令の改定とともに、日本の医療の在り方を決める重要な政策決定となっている。
2016年度の改定では診療報酬全体で0・84%減となる。このうち「本体」と呼ばれる医師や薬剤師の技術料(診療、治療、検査、調剤など)は0・49%増である。一方、「薬価」は1・33%減となった。小泉政権時代から診療報酬はほぼ毎回マイナス改定が続いている。ちなみに昨年の介護報酬改定も2・26%減だった。
改定のポイント
政府は今回の改定によって医療費を約6400億円減らせると試算している。そのポイントは次のようなものだ。
@入院は重症者に絞り、できるだけ早く退院させて入院日数を短くし、急性期(※1)の病床を1万5千床減らす。―まだ治っていなくても退院させられる。
A退院した患者を「地域包括ケアシステム」で受けいれる(慢性期(※2)病院、介護保険の施設、在宅診療、かかりつけ医など)。―安上がりの医療・介護供給体制を作り、患者・家族へ負担を押しつける。
B大病院へは紹介状がなければ初診時5千円、再診時2500円の自己負担を義務付ける。―貧困者から高度の医療を受ける権利を奪う。
C長期リハビリテーションの点数を6割に下げ、次回からは介護保険に移行させる。―リハビリが医療の大切な柱であることを否定する。
重要なことはこの改定が、3年前に「税と社会保障の一体改革」の名のもとに国の財政再建のために〈消費税の増税〉と〈社会保障費の削減〉を決めた基本方針に沿ったもので、前回の改定から次の改定まで6年間にわたる長期の”医療・福祉切り捨て計画”の一環だということだ。2年後の診療報酬改定は介護報酬と同時改定となる。それがこの“切り捨て計画”の総仕上げともいうべき大改悪となるのは間違いないだろう。
2年間のたたかいへ
そのほかにも社会保障の切り捨てのために、高額医療費や高額介護サービス費制度(※3)の基準引き上げ、光熱水費の全額自己負担化、後期高齢者の自己負担を原則2割にするなど、多くの法令改定がねらわれている。こんご2年間のたたかいが重要だ。
安倍政権にたいして、「高齢者、障がい者、貧困者の声を聞け」「勝手に社会保障を後退させるな」「国民皆保険制度を守れ」という運動を進めていかなければならない。(下田富雄)
(※1)症状が急激に現れる時期のこと
(※2)病状は比較的安定しているが、治癒が困難な状態が続いている時期のこと
(※3)介護保険を利用して支払った自己負担額が一定金額を超えた分払い戻される制度
本の紹介
平然と約束破り嘘をつく
アベ政治の正体に迫る
(福島原発の)汚染水は漏れ続けているのに、「コントロールされている」と言う。労働者派遣法の改悪で女性を使い捨てにするのに、「女性の活躍」と言う。積極的戦争参加を「積極的平和主義」と言う。瑞穂の国を守ると言いながら、TPPに参加する。沖縄の皆さんに丁寧に説明すると言いながら「辺野古が唯一の解決策」と工事を強行する。
正直・親切・愉快に
日本の首相安倍の言葉は180度真逆の意味で使われている。アウシュビッツの門に掲げられた「ARBEIT MAHCT FREI(労働は人を自由にする)を想起する」と福島みずほさんは言う。「意地悪」化する日本を見ながら、「正直・親切・愉快」に生きていくために、そこに真っ向勝負をかけようという対談。
平然と嘘を言う。まともに論争する意志がない。壊れたレコーダーのように意味不明の答弁を繰り返す。煙に巻いたり恫喝、やじったり、権力を振りかざす。そういう首相や首長が登場して久しい。平然と約束を破り、嘘をつく政治家たち。不当に金を受け取っても野放し。それが自らの権力誇示の根拠ともなっている。彼らが語る言葉には主語がない。まったく無責任の表明。これらが「意地悪」化する日本を形成しているという。
葛藤のない人々
そのような安倍という「政治家」は、1人の政治家としての思惟が作ったものでなく、日本人の無意識的欲望に応えているとの指摘はおろそかにできない。
内田さんは、「他者と会話できる人は、自分の中にも他者を抱えこんでいる人。自分のなかにさまざまな異物を抱え、うまく統一できなくて葛藤している。葛藤のない人は他者と対話ができない」「戦争がもたらす厄災に生身で共感、共苦できる想像力のない人が戦争をしたがる」と言う。
直接民主主義の力
内田さんは「SEALDsがユニークなのは『人間の弱さ』を勘定に入れ政治運動を設計したところ」「近代市民運動の苦難の歴史を踏まえた、きわめて成熟した政治運動」「リーダーがいない、綱領がない。にもかかわらずいっせいに動けるということは、地盤そのものが動いていることを意味している、ひとつの政治文化」と。間違いなく、そうだと思う。
この春から7月選挙の過程で、もうひとつ質的な転換を創り出せるかどうか。この対談は、アベ政治とは何なのか、新しい運動はどういうものか、この中にアベ政治をひっくり返していく力がどこにあるのか、必死に明らかにしようとしている。国会論戦でがんばった福島みずほさんの人柄、一生懸命さにも頭が下がる。ともに考えねばならない問題だ。(村木)
(岩波書店 1600円+税)
5面
(直撃インタビュー)
第31弾
砂川闘争はいかに闘われたか
土屋源太郎さんに聞く(下)
今回は砂川闘争の頂点の局面に入る。当時の全学連や総評の労働者が現地反対同盟と協力して、米軍基地内に立ち入り、ついに米軍立川基地を廃止に追い込んだ。今年4月3日に開かれた伊達判決57周年記念集会で土屋さんら元被告は、東京地裁の再審請求棄却に抗議し、抗告してたたかう決意を表明している。改憲、戦争法撤廃闘争と一体で、砂川裁判再審闘争の勝利を勝ち取ろう。
U 第2次砂川闘争―1956年(承前)
―援農ですね、のちに三里塚なんかでやった
そう。それは砂川闘争の経験があるからだな。それから、教育学部とか学芸大の学生とかいるから。子どもたちの勉強を見てあげた。何にもできない者は、野球とかキャッチボールとか、ボールけっとばすとかして、子どもたちと遊んで合流する。またできるだけ地元に迷惑をかけないために、カンパをやった。駅頭カンパをやって、お金が集まったため、動員でバスが使えるようになる。一部、自治会費を出したりして、バスで支援活動ができるようになった。バスの中でアジもできるから、いれかわりたちかわりみんなで発言したりした。そうして地元に信頼されていったんだ。
労組なんか当時、日当が出て来るんだから、お金が違うんだよ。他団体の場合も大体、大人の市民団体だからさ。56年はものすごい動員力があった。だからこの年の10月12―13日に激突する。
そのときは、動員がこっちが3千人とか4千人。機動隊もやっぱり3千人くらい。それで、収用対象地にスクラムを組んで座りこんだんだ。シュプレヒコールだとか、歌は歌うが、なにしろ非暴力なんだ。ところが、小雨で、下もドロドロになってくる。そういう状況の中でも、座り込みをやった。13日が一番ひどかったなあ。なにしろごぼう抜きさ。今のキャンプシュワブなんかと同じだよ。指揮棒を持ったやつが、白い棒でかかれというと、一斉にわーっとくる。
やつらは、まず蹴飛ばしてくるんだ。これが脛(すね)に効く。それと当時、テレビが入りだして映っちゃうから、警棒を上からやらず、下からやってくるわけ。それとね、ヘルメットで頭突きをやってくるんだ。
結局56年の時には反対運動の側が約千人もやられる。ごぼう抜きするだろう。そうすると警官、機動隊がね、ザーっとトンネルつくって、並んでね。そこへ全部押し込んでくる。そうすると全部まわっては、また後ろへ入る。その繰り返しだよ。それで12ー13日と、結果的に測量ができなかった。ほとんど杭うちができない。
―千人も逮捕されたら、収容はどうなったんですか
いや、逮捕ではなく、けが人。逮捕は十何人ね。13日には、当時の武蔵野署だとかいろんなところへ、釈放要請行動やって、その時は一晩くらいでほとんど釈放されて、起訴されることはなかった。
そういうことで、13日がものすごいニュースになった。それで14日も、当然まだ来ると思って、その態勢でいたら、13日の夜になって政府が、測量を中止するという声明を出した。その時はすごかったよ、それこそ町じゅうが、勝った、勝ったで、当時の砂川町の町じゅうがデモでうねってね。
V 第3次砂川闘争―1957年
―基地拡張反対同盟は規模としてはどれぐらいなんですか、例えば世帯数とか
対象所帯が140何軒だと思う。基地拡張申し入れにたいし町議会は全員一致で反対決議をし、砂川基地拡張反対同盟を結成する。町ぐるみのたたかいでした。140軒のうち23軒が最後まで買収に応じなかった。それも、最終的に拡張をあきらめる要因になるんだ。それが大きいんだよ。
それで、57年の闘争はどうだったかっていうと、初めに進駐軍が占領して入ってきて、5万uも拡張してつくった基地の中に青木さんたちの土地があったんだ。大地主だから。それで青木さんは、けしからんと、米軍の司令官に乗り込んでいって、賃貸契約を結ばせて、賃料も出せとやったんだ。ところが55年、56年と拡張の問題が出てきたために、青木さんは今度は、賃貸契約を破棄する、土地を返せという訴訟を起こした。そのために、政府側は青木さんたちの基地の中の土地を対象に強制収用すると言い出した。
―所有権は残っていたということですけれど、立ち入りはできるんですか
もちろん、それはできない。だからこの場合の強制収用というのは、書面上の話で、実際は米軍が使ってるわけなんだ。しかし、新たに、強制収用するには、土地測量が必要になるから、その測量に反対するというのが57年の闘争だったんだ。そこに55年、56年と違いがあるんだ。
だから57年の時には、基地の中に入るっていうことは戦術としてあったわけだ。ただね、基地内に入れば、当時、安保条約の行政協定から刑事特別法でとっつかまるということが、ある程度みえていた。最高刑で十年は食らうから、総評なんかは、入ることにたいしては消極的だったんだ。
それにたいして全学連と僕が委員長だった都学連は中へ入る方針だったんだ。
しかし総評やなんかは、できるだけ入ってもらいたくないし、全学連も総評との関係をこわしたくないという思いはあったと思う。そういうこともあって、森田なんかにも突っ込むぞとさかんに言った。森田は最終的にやろうということになる。当時、21団体いる支援協の戦術会議を役場の2階でかならずやった。今は資料館になってる公民館が当時は役場だった。
7月8日に測量あるから、その前夜の戦術会議で、総評の担当幹事から言われたんだよ。「土屋さん、無理して中へ入んないでしょうね」と。僕、しらばっくれて、「まあ状況しだいですねえ」と、ごまかしちゃった。実際は、その日に、30人ぐらいの特別工作隊ができた。そして夜中に次のようなことがあった。当時の基地の柵はそんなに頑丈じゃない。支柱の杭が打ち込まれて、そこに有刺鉄線が3本ぐらいはってあるだけなんだ。それでまず、そこの杭の下を掘った。300メーターぐらいの間、夜中にみんなで、ちょっと押せば倒れるようにしておいた。それともうひとつやったのはね、当時、田舎だから、ものすごい肥えダメがあるんだよ。そこから臭い奴をくんできて、それに麦わらを刻んで泥を混ぜて、手製のうんこ爆弾をつくった。
―何人ぐらいが基地内に入ったんですか
全部で200人から300人くらい。スクラムくんでりゃ、引っ張られてはいっちゃう。まして、柵がそういう状態だから、すっとはいったんだ。僕は、亡くなった被告坂田茂さんによく言われたよ。土屋さん、不思議なんだよ。少し遅れていってみたら、柵がすぐに倒れちゃうんだから。そのまま入っちゃったんだよ。これは悪いなと思って、「いや実は、こういう工作をしてたんだ」と。「やっぱりなあ、お前さんたちがやることは、そういうことだったんだな」と。考えてみると、われわれは学生だからいいんだよ。ところが、坂田さんたちは組合員であると同時に、日本鋼管の社員でしょ。クビになったわけ、みんな。起訴されたのは、坂田茂さんとあと鋼管の2人、鋼管関係が計3人ね。それから国鉄の新橋の労組の青年部長だった椎野徳蔵さん。労働者で起訴されたのはその4人よ。学生では武藤軍一郎君と、それから江田文雄君という、医学連の副委員長かなんかやった医学生。それと私と3人。労働組合の場合は、狙いがあった。当時、鋼管が鉄鋼の中で強くて、ストライキなんかの先頭につねにたっていたから、狙われたんだ。それと国労の青年部、ことに新橋の青年部などは強かった。その青年部長が狙われたんだろうね。
坂田さんたちはクビになって、最終的には裁判に勝利して、復職するんだけどね。僕らにすれば、そこまで考えないからさ。突っ込めば、みんな入ってくるだろうと。隊列はそれぞれ全学連だとか、日本鋼管だとか、別個の隊列で、指揮者も別個にいるんだけど、なにしろスクラム組んで、わっとやってんだから、勢いで。学生だけでも相当な数が、入ったんだ。
―突入後はどうなったんですか
逮捕は9月23日で事後逮捕だった。証拠写真が一番よくあったんだろうな。ものすごくきれいに撮れてる。なぜ分かるかというと、取り調べの時に全部出すんだよ。僕なんか完全黙秘だけど、向こうは、写真を出して、これあんたでしょって、やる。だから、先頭で指揮しているのが、全部出てる。
ところで、このとき基地に入ってみると、鉄条網が巻いたやつがあった。米軍側には、入ってくるという計算があったから、もうすごい鉄条網が巻いてあった。それが4?500メーターもならんでるんだ。それで、最初は、むしろを被せて押したんだよ。びくともしないさ。その向こう側に機動隊がいて、こっち側には測量隊がいる。そうしていたら、そんなに時間がたたないうちに、兵舎の奥から軍用ジープが2台出てきて、3人ぐらいの米兵が大きな機関銃(重機関銃と判明)を車に据えつけているんだよ。機関銃こっちへ向けたさ、威嚇だよ。
後で聞いた話だと、後でそのことを契機にして、軍隊を辞める「インディアン」出身の兵隊がいたんだ。彼の証言によると、司令官は基地内に侵入者がいた場合には射殺してもよろしいという命令を出していたというんだよ。だから、一歩間違えれば僕らはみんなやられていたんだ。それやったらかえって、国際的な大問題になるから、逆効果だと思うけどね。ただ、軍人っていうのは、そういう政治判断と違う判断するし、暴発もあるからね。(おわり)
つちや・げんたろう
1934年8月、東京生まれ。53年、明治大学に入学。56年、明大自治会委員長。全学連中央執行委員。第2次砂川闘争に参加。57年都学連委員長。同年7月8日、米軍基地内に入ったことで刑事特別法違反で逮捕・起訴(第3次砂川闘争)。
現在、伊達判決を生かす会共同代表。2014年6月、砂川事件の再審を請求。今年3月8日、東京地裁は請求棄却を決定。
6面
ルポ
甲状腺がんの患者・家族が声をあげた
―「家族の会」を結成(上)
請戸 耕一
東京電力福島原発事故後の県民健康調査で小児甲状腺がんと診断された5人の子どもとその親(5家族7人)が、「311甲状腺がん家族の会」を結成した。3月12日、都内でおこなわれた記者会見には、患者の父親2人がインターネット中継で福島から訴えをおこない、また、都内の会場では、同会の世話人である河合弘之(弁護士)、千葉親子(ちかこ/元会津坂下町議)、牛山元美(医師)の三氏が会の設立の趣旨について報告した。2人の父親の会見は、名前も顔も明かさず、音声も変換して、インターネット中継という形でおこなわれた。父親の話は控え目で、告発や抗議のような言葉もほとんど聞かれなかった。ここに患者や家族が置かれている福島県内の状況が示されている。3回にわたって連載する。
3月12日、都内でおこなわれた「311甲状腺がん家族の会」の記者会見。左から牛山元美さん(医師)、河合弘之さん(弁護士)、千葉親子さん(元会津坂下町議) |
「絆」、「復興」、「風評被害」―これらの言葉がメディアから流され、有力者の口から語られ、地域社会の中で唱和される。それが言葉の圧力となり、放射線や健康被害の問題を口にすることが、あたかも「風評被害」を助長し、「復興」の足を引っ張り、「絆」を壊す行為としてはばかられる空気が作り出されていく。
県民健康調査・検討会議の専門家たち、一部の医師たちが発する「原発事故の影響とは考えにくい」という言葉も同じことだ。患者や家族は被害者であるにもかかわらず、被害を訴えるどころか、自分たちが何か間違ったことをしたかのように思わされ、自分たちを責めてしまっている。そして、誰にも相談することができず、孤立を強いられている。
患者と家族は、がんを発症するという苦しみ、そして、手術や後遺症の苦しみ、さらに再発の不安の上に、被害者なのに自分を責め、誰にも相談できずに孤立するという二重三重の苦しみを強いられている。
だからこそ、「『放射線の影響ではない』というなら、何が原因なのかを知りたい。『原発事故の影響ではない』と証明できるなら、はっきり証明をしてほしい」という患者と家族の訴えは重い。
河合弁護士は次のように指摘する。
「国や福島県のやり方は、放射能による病気という核心部分を否定することだ。そうすることで、原発事故の損害・被害の全体をなきものにしようとしているのだ。だから、この核心部分を絶対に否定させてはならない。まさに、病気発生という核心部分の事実を明らかにして、『因果関係がある』ということをはっきりさせることが、被害者の救済にも、原発をなくしていくという点でも重要なのだ」。
「考えにくい」という言葉を繰り返す星北斗・県民健康調査検討委員会座長(福島県医師会副会長)や鈴木眞一福島県立医大教授らは、患者・家族の訴えに正面から答える義務がある。
3月12日の記者会見から、患者家族である2人の父親、牛山医師、河合弁護士の冒頭発言と質疑応答の要旨を3回にわたって掲載する。
T「何が原因なのか究明を」―患者の父親
がん宣告のショック
―小児甲状腺がんと宣告されたときは
Aさん 10代の子どもががんと言われまして、私も妻も大変ショックでした。それ以上に本人もショックで、大泣きしたというのが事実です。
Bさん うちの場合も、先生からダイレクトに「あなたはがんです」って言われまして、息子も、顔面蒼白になって、椅子に座っていられないぐらい血の気が引いちゃったような感じになりました。私も、がんと言われて正直、気が遠くなるような感じで、ひどい思いをしましたけど、息子は、ショックで数日間ふさぎ込んでおりました。
―誰かに相談は
Aさん 自分の子どもががんであるということは誰にも言えませんでした。子どもも友達には言えません。学校には伝えてはいますが、誰に相談していいかというのもわからなくて、家族だけで悩むということがずっとありました。病院にいったときにちょっと先生と話すくらいで、その他ではもう甲状腺がんの話を出すということが正直できなかった状況です。
Bさん 孤立と言いますか、自分の子どもが実際にがんと診断されて他人に相談できるかと言ったら、たぶんできる人はいないと思います。
がん、イコール死というイメージが強かったものですから、とにかくもう、本当に恐ろしいというか、怖かったです。
「放射線の影響」
―県立医大の対応や説明については
Aさん 「放射線の影響とは考えにくい」と言われて、では何が悪かったのかを知りたいというのが本当のところです。「考えにくい」というのに何度も検査しているわけで、何でなのかなという思いがあります。原因がはっきりわからないので、今後、再発しないかとか、他に転移はしないかとか、それが一番心配なところです。
Bさん 息子の目の前で「あなたはがんですよ」って言われたのは、ものすごくショックでした。10代の思春期の子どもに、ちょっとあの言い方はきつかったという感じがします。私たちは、当然ながら甲状腺がんの知識はないので、とにかく藁にもすがる思いで、先生の言うことを聞いて、治療すれば大丈夫なのかなと思っておりました。ただ再発ということが払しょくできないのが不安です。
―医師から、セカンド・オピニオンや、患者会についての説明は
Aさん セカンド・オピニオンについてはっきりした説明はなかったと記憶しております。患者会については、甲状腺がんも全部含めた(がん一般の)案内はいただきました。診察時間が10分ぐらいだったので、説明もそれくらいだったと思います。
医大に紹介された患者会に妻が行ってきました。患者会というより、先生の説明会という感じで、甲状腺がんを持つ親というのは見受けられなかったようです。
Bさん セカンド・オピニオンについては何の説明もありませんでした。患者会についても知りませんでした。説明の時間は10分以内だったと思います。
―放射線の影響にかんする説明は
Aさん 診察の時、「放射線の影響はあるのですか」と訊きましたら、「影響はない」ではなかったのですけど、「考えにくい」という表現で言われました。
Bさん 私の場合は、当然、原発の影響かなと思いまして、訊ねてみたところ、先生は「ありません」とはっきりおっしゃいました。
―小児甲状腺がんが多発していることについて、「過剰診断をしているからでは」という専門家もいますが
Aさん 確かに検査の精度も上がって、従来なら見つからなかった小さながんも見つかるようになったとは思います。しかしうちの娘の場合、比較的大きな状態で見つかりました。明らかにがんだとわかる形で見つかっていますので、過剰診断とかではないと思います。
患者・家族が孤立
―顔を隠し音声も変えてしか話をすることができない状況については
Aさん 甲状腺がんの原因がはっきりしていませんので、今のところ原因がわからないのでこういう状態になっていると思います。原因がはっきりわかっていれば、いいのですけど。
それから、福島県では、放射能による風評被害というのもかなり大きくて、放射線とかその辺の言葉を言うと、さらに風評を高めてしまうとか、農産物が売れなかったりとか、非常にその辺が ……。だから無意識のうちにそういった言葉を言いづらくなってしまっていると思います。
ケアと原因究明
―政府や福島県にたいして訴えたいことは
Aさん 「放射線の影響とは考えにくい」というのが今の見解ですので、放射線の影響ではないとするならば、他の原因が何なのか、(小児甲状腺がんと診断された)166名の方々の原因を探っていただきたい。
Bさん 放射線との因果関係は極めて低いという見解が出されていますけど、では一体何が本当なのかを知りたいです。
―東京電力には
Aさん 今のところちょっと思い当たることはありません。
Bさん 東京電力さんが原因だという確たる証拠があるわけじゃないので、そこのところはすいません、控えさせてもらいます。
―患者と家族にとって何が必要ですか
Aさん やはり10代の子どもががんと言われまして、非常に落ち込んでしまいまして、それが家族としては一番心配するところです。精神的なケアを充実してもらいたいと思います。
Bさん 今後望むのは、メンタルのケアをやっていただきたいと思います。
―一番の要求は原因をはっきりさせることですか
Aさん 原因はわかっていないのですけれども、原発事故の当時福島で生活していたこと(は事実)。「放射線の影響が考えにくい」というのであれば、それ以外の原因は何があるのかを知りたいです。
「原発事故の影響ではない」と証明できるのであれば、はっきり証明をしてほしいと思います。(救済というより)まずは原因を知りたいと思います。
Bさん 私も、最初に、根本的な原因が何かを知りたいです。
家族の会ができて
Aさん いままで子どもの病気のことは、周りの誰にも言えずに、病院の先生と孤独に話すだけでした。「甲状腺がん家族の会」ができまして、同じ病気の子どもさんを持つ親と、子どもの普段の様子、手術前後の体調のこと、またいろいろな悩み事など、いままで誰にも言えなかったことを話すことができて、本当によかったと思っております。同じ境遇の人たちと話すことで、気持ちが大変楽になりました。私たち家族にとって力強い味方です。世話人の方々の存在も大変力強いと思っております。
定期的に集まり、情報・意見の交換などができればよいと考えております。同じ立場にある方が多くいると思います。是非、この会を広めていっていただければと思っております。
Bさん 気持ちの分かり合えるみなさんとお話ししただけでも、本当に救われた気持ちでいっぱいです。
まだまだ大変多くの方々が悩んでいると思いますが、勇気を振り絞ってこの会に参加していただけたらと思います。(つづく)