「新基地反対!」国会を包囲
2月21日 稲嶺名護市長らが発言
辺野古新基地建設反対をかかげ 国会を包囲する28000人(21日) |
2月21日午後2時から、「止めよう! 辺野古埋立て2・21国会大包囲」が、同実行委員会と〈戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会〉の主催でおこなわれ、28000人が集まった。
名護市長の稲嶺進さん、ヘリ基地反対協の安次富浩さん、沖縄出身の国会議員、政党、労働団体の代表が安倍政権による辺野古埋立て強行に抗議の声をあげた。
美ら海を埋め立てるな
稲嶺市長は「安倍政権は、辺野古埋め立てを強引に進めようとしている。そのために、国民の権利である行政不服審査を国自身が申し立てるという法律の乱用までおこなっている。
25日には、代執行訴訟の証言に立つ。売られたけんかは受けてたつ。私たちの正義と国の不誠実な対応、法律の乱用をしっかり訴える。法廷の外の皆さんのような応援の声があることで、裁判官にも、どこに正義があるのかを強く訴えることができる」。
「機動隊が暴力をふるって住民をごぼう抜きにし、海を守るべき海上保安庁が埋立てに加担している。そういう中でがんばってきた。それは、県外の皆さんの支援のおかげだ。これは、名護市や沖縄県の問題ではない。民主主義や地方自治をないがしろにする今の政権を絶対に許すことはできない。美ら海を埋立てるな! ともにがんばろう」と訴えた。
自信持ち、安倍打倒へ
安次富さんは「安倍政権は、辺野古が唯一の解決策だと、恥知らずにも言っている。沖縄の民意は、普天間基地はアメリカに持って帰れだ。
ある防衛大臣経験者が、(新基地は)佐世保周辺がいいのだが、九州の住民が反対するから、基地の多い沖縄がいいと言っている。紛れもない沖縄差別だ。今度の参議院選で安倍政権を打倒しよう。沖縄では、野党共同行動ができている。これを全国に広げ、安保法制も原発再稼動も止めよう。自信を持って、今の政権を打倒しよう」と力強くアピールした。
土砂搬出に反対
辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会共同代表の阿部悦子さんは「土砂搬出予定地の8県17団体で結成した。辺野古埋め立ての土砂の8割は沖縄県外から持ってくる。
この埋立てを本土側で止めたい。小豆島、天草、五島列島などから、自然を破壊して、土砂を辺野古に持っていこうとしている。私たちは、これ以上沖縄にたいする加害の責任を負うわけにはいかない。私たちのふるさとの破壊も許さない。
土砂搬出反対の署名に協力を。私たちのふるさとには、戦争をするための砂は一粒もない」と決意を語った。
最後に、SEALDs琉球の学生による「辺野古埋め立て反対」「戦争法廃止」のコールのなか参加者が国会を幾重にも包囲した。
JR大阪駅前に600人
辺野古の海を埋立てるな
2月21日大阪では、〈戦争をさせない1000人委員会・大阪〉、〈STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション〉など6団体が呼びかけて、「戦争法廃止! 辺野古新基地建設反対! 関西大行動」が取り組まれた。会場のJR大阪駅北側には、関西6府県から600人が参加した(写真)。司会・進行は1000人委の、山元一英さん(全港湾大阪支部委員長)。主催者あいさつの後、沖縄からかけつけたオール沖縄会議事務局長・稲福弘さん(自治労沖縄県本部委員長)がアピール。続いて奈良―沖縄連帯委員会代表・崎浜盛喜さんが発言。
毎週土曜日の午後、〈辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動〉に参加してJR大阪駅前で訴え続けている山崎さんは1カ月間にわたる沖縄現地滞在中のたたかいを紹介。
沖縄意見広告運動の梶原さんは、全日建連帯労組の仲間が生コンミキサー車に乗りキャンプ・シュワブ前で行動したことを報告。「しないさせない! 戦争協力」関西ネットワークの中北弁護士は、3月27日に稲嶺名護市長を迎えてひらかれる大集会(中之島中央公会堂)へ結集を訴えた。
高浜原発
4号機 再稼働許すな
高浜、おおい、舞鶴で訴え
写真奥、3号機(左)、4号機(右) |
1月29日、関西電力は高浜原発3号機を再稼働した。引き続いて4号機の再稼働を2月26日に強行した。
30年を越える老朽原発、しかも危険なMOX燃料を使用する高浜3、4号機の稼働を許してはならない。そればかりか、関電が申請していた40年を越える高浜1、2号機の審査についてもおおむね問題がないとして、原子力規制委員会は「合格」の決定を出した。原発推進という国策に沿った関電の突出ぶりは極まっている。
ゲート前で抗議行動
2月20日、高浜原発4号機再稼働阻止! 緊急行動実行委員会が呼びかけ、高浜原発再稼働阻止現地集会がおこなわれた。
警察権力は前回に続いて検問や車線規制など厳戒体制をとった。福井県は原発ゲート近くの展望所を、工事をおこなうという理由で使用禁止とし、フェンスで囲み、立入りできなくした。ここは、1月の3号機再稼働の時に、再稼働反対を掲げたテントが設置され、反対運動の拠点になったところだ。
このような妨害をはねのけ、どしゃぶりの雨をものともせず高浜原発の先の集落(音海地区)に、地元福井県内をはじめ、福島、首都圏、東海地方、関西一円から多くの人が集まった。午後4時から、実行委員会と若狭の原発を考える会・木原壯林さんから提起を受け、原発ゲートに向けデモ行進。デモ終点の北ゲート前で、抗議行動をくり広げ、2重3重の鉄柵・バリケードに守られた高浜原発は、「再稼働反対」の怒りに包まれた(写真上)。
アメーバデモ
デモにさきだつ、20日昼過ぎには、隣接する京都府舞鶴市でアメーバデモ(マイクアピール・練り歩きとポスティング)をおこなった。デモ翌日の21日には、グループごとに分かれ、福井県高浜町、おおい町の隅々までアメーバデモをおこない、再稼働の危険性を訴えた。行く先々で住民の熱い反応があった。
汚染水漏れでも再稼働
高浜4号機では、ちょうどわれわれが音海地区に結集している20日午後3時42分ごろに1次冷却水の浄化設備から放射性物質を含む汚染水漏れをおこした。重大事態であるにもかかわらず関電は、ボルトの緩みが原因として、起動前検査から再稼働へつき進んだ。若狭の人々や関西―全国の人々を犠牲にしても、何が何でも再稼働にのめりこむ関電を許すな。
2面
16春闘
最賃を時給1500円に
関西合同労組が統一要求
関西合同労働組合は、1月24日の春闘集会で16春闘方針・スローガン・行動スケジュールを確認し、2月15日と16日の両日、春闘要求統一行動をおこなった。
兵庫支部は15日、神戸ヤマト運輸など5事業所と兵庫労働局に、春闘統一要求書、分会要求書および申入書を提出。組合員12人が参加した。兵庫労働局にたいしては、ケミカルシューズ製造の事業所におけるサービス残業の深刻化にたいして、神戸西労働基準監督署が是正勧告を出すのに4カ月近くもかかり、その間にパワハラなどによって組合員が退職せざるを得なくなった件についての労働局の調査と見解を求めた。また、障がい者雇用における職場環境配慮義務の強化にかんする要請を、障がい者雇用枠で就労している組合員が参加しておこなった。最低賃金の時給1500円への引き上げについても要請した。
16日、大阪支部は19人の組合員の参加で、大豊運輸倉庫(写真)など5事業所と大阪労働局にたいして統一要求書、分会要求書および申入書を提出した。この日は大豊運輸倉庫を相手取った組合員の未払賃金請求裁判があり、傍聴闘争に15人が参加した。大阪労働局には、「最低賃金を時給1500円に引き上げよ」と申し入れた。
現在兵庫支部では労働委員会2件、裁判1件、大阪支部も労働委員会2件、裁判1件、京都・滋賀で裁判1件を闘っている。介護職場の争議に勝利したのに続いて、すべての争議解決へ全力をあげている。地域の仲間が各職場に、皆でおしかけて取り組む春闘要求書提出行動は重要な取り組みとなっている。2月23日には、大阪北港・南港で、25日には神戸ポーアイのコンテナ・バースで春闘宣伝行動をおこなった。(労働者通信員 K)
戦争法を廃止へ
大阪駅前で署名活動
2月21日、JR大阪駅前で「憲法改悪に反対する市民フォーラム」が開かれ、改憲策動に反対するリレートークと、戦争法の廃止を求める2000万人署名活動がおこなわれた。同市民フォーラムは、昨年から毎月1回、大阪駅前でおこなわれている。
この日のリレートークでマイクを握った大阪弁護士会の太田健義弁護士(写真)は、「法律が成立したからといってあきらめてはいけない。私たち一人ひとりがこの国の主人公だ。私たち主権者には平和を守る権利がある。政府が平和を踏みにじろうとしているときには、それに反対する権利がある」と戦争法の廃止を訴えた。(山際)
動燃職員の不審死
遺族が「遺品引き渡し」訴訟
運転を停止している高速増殖炉もんじゅ |
1月25日、東京地裁で「もんじゅ・西村裁判(国賠)」の口頭弁論がおこなわれた。
ほんとうに自殺?
事件は「もんじゅナトリウム漏洩事故後の1996年1月13日に動燃職員・西村成生さんがセンターホテル東京の8階から飛び降り自殺した」とされるもの。
死亡推定時刻(深部体温から算出)がホテルにチェックインする前の時間であったり、飛び降り自殺であるにもかかわらず、遺体損傷は軽微で争った跡があったりするなど不自然なことが多い。そのため遺族が真実を追及するために遺品引き渡しなどを求めて、昨年2月に警察の関係者と東京都を提訴したのがこの裁判だ。
原告側は現場検証や検死にあたった警察官や救急隊員、当時の動燃理事長など9人の証人尋問を求めているが、裁判所は現場も死体も見ずに、家族に「自殺」の報告に来た警察官のみ尋問をおこなうと言ってきた。
報告集会で原告代理人の大口弁護士は「(こちらの求める証人尋問を)実現すべく食い下がっていきたい」「裁判所としては次回口頭弁論をやって打ち切りと考えている。どう(口頭弁論を)続けるかが課題。」と報告した。
たった4枚の写真
原告の西村トシ子さんは「(こちらが尋問を要求した)報告書作成者、実況見分した人、写真を撮った人は現場を見ている。その人たちが出てこないとわからない。(裁判所が認めた証人は)書類を管理していた(だけの)方。どこで撮ったのかもわからない写真を4枚出しただけ。法医学の専門家によれば『(こういう事件の場合写真は)100枚は撮る』とのこと」「こういうことが日本でまかり通るのが怖い。応援をよろしくお願いします」と訴えた。
次回口頭弁論は4月18日。(投稿・浜寺)
レポート
辺野古の座り込みに参加して
沖縄への構造的差別を実感
座り込みの女性を強制排除する機動隊員 (2月13日 名護市内) |
ゲート前の攻防
2月13日午前4時起床。6時前に辺野古のゲート前に到着。キャンプ・シュワブには明かりが煌々とつき、基地の中には機動隊のバスが見える。辺りはまだ暗いのに次々と車が到着して座り込みに参加する人々が降りてくる。
まだ暗いなか、たたかいの歌が歌われる。しかし、現場には一触即発の見えない緊張が走っている。ちょっとでも何かあれば逮捕するという緊迫した緊張関係である。不当逮捕を許さないために辺野古弁護団の弁護士にもついてもらっているという。司会から無理をしない、逮捕者を出さない、けが人を出さない、不当弾圧を許さないため、非暴力に徹してほしいという要請があった。
工事のダンプカーはゲートに直接来ず、一度、特定の場所で待機する。それをこちらが見張っていて連絡してくるという。この日のダンプカーは1台だけということだった。
司会から「ゲートをふさいでいるバスに機動隊員が乗り込み、いつでも動かせる状況になったので、あと10分ほどで機動隊がごぼう抜きを始める」という。
6時50分過ぎ、私たちの前に機動隊が20人並びごぼう抜きが始まった。何人かの人はバスの下に潜り込んで抵抗した。私たちも非暴力でたたかった。「東京に帰れ!」「機動隊は恥を知れ!」と抗議の声があがる。司会はマイクで機動隊や沖縄防衛局に「生活道路をふさぐな!」「防衛局はALSOKの警備員の陰に隠れて恥ずかしくないのか!」「みんなの前に出てきて説明しろ!」と抗議を続けた。
ゲートに入ったのはダンプ1台と乗用車数台だけだったので、拘束時間はわずか15分ほどだった。「解放」された私たちは再びゲート前に座り込んだ。現場に設置されたスピーカーから「翼をください」(赤い鳥)やジョン・レノンの「イマジン」などが流れてくる。70年代のデモのときのような感覚が久々によみがえってきた。
ゲート前でのあいさつ
座り込みは80人となった。大城敬人名護市会議員、うるま市9条の会、小松基地爆音訴訟の会、辺野古に来るのは2回目という20歳の女性も発言した。頑張れとクラクションを鳴らしていく車もあり、昼前には稲嶺進名護市長も激励に来た。
辺野古の状況
本土の新聞が報道するような本格的な工事は始まっていない。今後、第2ゲートのところを立体交差にして400〜500台/日のダンプカーを通すとのことである。海にはコンクリートブロックを乗せた台船が昨年11月から浮かべられている。ゴーサインが出れば一挙に海中に投入される危険がある。
しかし、連日不屈に続けられている座り込みが工事を止めている。今、水曜と木曜を止めているが、可能だと判断すればもう1日止めて、日曜日を含めて週4日止めたいとのことである。
基地に依存しない経済
翁長雄志知事は「基地関連収入が沖縄経済に占める割合は、戦後の50%から5%を切〔り〕」「今や『基地は沖縄経済の最大の阻害要因』となっている」と『闘う民意』(角川書店2015年12月発行、9ページ)で述べている。
私は1973年と1996年の2回沖縄に行っているが、上記の翁長知事の見解を強く実感した。宿泊したホテルは2000人位が宿泊できるが、これより規模が大きいホテルがあちこちに建っており、ほとんど満室状態だという。ホテルの巨大な駐車場もレンタカーで満車状態。
宜野湾市の嘉数高台から普天間基地に駐機しているオスプレイが見えるが、少し眼を動かすとはるか遠くに巨大な観覧車がみえる。北谷町のハンビー飛行場などの跡地が巨大な商業施設として生まれ変わっているのだ。北中城村でも昨年4月返還された米軍のゴルフ場が巨大なイオンモールに生まれ変わった。基地がなくなればどれだけ沖縄が豊かになるか本当に計り知れない。
沖縄が問いかけるもの
翌2月14日、私たちは南部の戦跡めぐりをした。最大の激戦地になった宜野湾市の嘉数高台、豊見城市の旧海軍司令部壕址、糸満市のひめゆりの塔、摩文仁の丘、平和の礎などを見てきた。天皇制の国体を延命させるために沖縄を犠牲にし、1952年の日本(本土)の「主権回復」では米軍のもとに差し出し、今また新基地をおしつけるという沖縄にたいする構造的差別を肌で感じた。沖縄の問題は本土の問題だということは活字だけではわからない。やはり、現場にきて沖縄の問いかけるものに、一人ひとりが考え行動していくことが求められているのではないかと切実に感じた。(米山 忠)
3面
子どもたちに笑顔と希望を
朝鮮学校の「高校無償化」へ
2月13日 全国集会
各地の高校生たちが集まり全国集会 |
2月13日、「子どもたちの笑顔と希望のために、朝鮮学校高校無償化全国一斉行動」の全国集会が大阪市内でおこなわれた。
開会あいさつで朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪共同代表の韓哲秀さんは「子ども3人をウリハッキョに通わせて保護者歴17年。自分の子どもが普通の扱いを受けないということに胸が痛む。せめて少年期は安心して自尊心をはぐくみながら過ごしてほしい。朝鮮学校を差別から守ることが日本の人権意識を高めることだと信じて活動している無償化連絡会の温かい支援がある。世界は信頼に足るものだ。ここには私たちの味方もたくさんいるという安心感を持って生きていってほしい。連帯の輪を広げていこう」と訴えた。
裁判の現状報告
大阪から、大阪弁護団長の丹羽雅雄さんが裁判の現状を報告。この裁判で問われている本質は、@歴史修正主義、壊憲、教育の国家主義的改変を推し進める安倍政権による、上からの民族教育への露骨な政治介入(不当支配)の事案であること。
A継続する植民地主義としての「同化と排除」政策と朝鮮半島の冷戦構造という歴史の現状の清算と変革、日本と東アジアにおいて多民族・多文化の共生社会を創り出し、東アジアの平和構築と国境を越えた人々の「連帯とつながり」を作り出す裁判である。
B第2次「学校閉鎖令」ともいえる日本国家による朝鮮学校排除政策と草の根レイシストなどによる民族差別、排外主義を許さず、朝鮮学校で学ぶ子どもたちへの権利を守り発展させうるかという国際的な普遍的価値基準を日本社会に根付かせるための人権・反差別・共生の裁判である。
C「子どもたちに笑顔と希望を」を合言葉に、より広範な裁判支援の「連帯の輪」を作り出し、裁判闘争勝利に向けて、前進しようと訴えた。
大阪府知事の態度
続いて「無償化連絡会・大阪」事務局長の長崎由美子さん。1月5日今年初めての火曜日行動の時、松井知事がビラを受け取らずに通った時、6カ月の赤ちゃんをつれたオモニが「この子に教育を受ける権利はあるんですか」と訊ねたら、「無い」と言い捨てたことを受けて、18日に申し入れをした。知事は「対話をしていない」、という発言で無視している。これからも追及していくと発言した。
広島から、広島市で市長と根気よく面談しながら2015年から「スポーツ・文化交流費」として支援を勝ち取ったこと。朝鮮学校と日本の学校が一緒に「へいわ・子ども展」をおこなって支援の輪を広げていることが報告された。
東京から、東京朝鮮高級学校がラグビーで東京代表として花園に行ったが、彼らが高校無償化から排除され、東京都の補助金からも排除されていることに一切触れられていないことや、毎週金曜日午後4時から5時まで朝鮮大学生を中心に文科省の前で抗議行動をしていることが報告された。そのほか福岡、愛知からも報告があった。
朝鮮高校生徒の決意
次に大阪「補助金」裁判で上映されたDVD「大阪朝鮮学園紹介映像」が上映され、厳しい社会情勢の中で生き生きと学ぶ子どもたちの様子が紹介された。
続いて京都・神戸・大阪の朝鮮高校に通う生徒からの発言で「平等な権利がほしい」「朝鮮人としてのアイデンティティーを培うことができた民族学校を守りたい」「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのためにを肌で感じとり成長してきた。心ある日本の方々と手を取り合い、力を合わせていくなかで、道は必ず開けていく。堂々とウリハッキョで学んでいく」と述べた。
連帯のあいさつは韓国から来た、ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会共同代表の孫美姫さん。固く握り合った手をはなさなければ、私たちは必ず勝ちますと訴えた。(山藤)
朝鮮学校で学ぶ権利を
生徒ら 文科省に要請行動
2月19日
文科省前で訴える朝鮮高校生たち(2月19日) |
高校の授業料を無償化する制度が始まったのが民主党政権下の2010年。教育の場に政治的判断を持ち込まないとしておきながら、政府は朝鮮民主主義人民共和国の動向を理由に、朝鮮高級学校(高校にあたる)のみを制度の対象から外した。これにたいし、学校法人朝鮮学園、生徒(卒業生)らが原告となって、高校無償化制度の適用を求める裁判を東京、愛知、大阪、広島、福岡の5カ所でたたかっている。
朝鮮学校の適用排除を決定した2010年の2月20日に合わせ、今年の2月19・20日に一斉行動が取り組まれた(主催:朝鮮学校で学ぶ権利を! 東京行動実行委員会)。
19日は文科省への要請を1時間に渡っておこなった。その後、毎週おこなわれている省庁前抗議行動を高校生を中心に600人で取り組んだ。
20日の屋内集会は、参加者で会場がいっぱいに。集会は高校生による合唱で始まった。続いて弁護士などから、伊藤博文(日清戦争をおこない韓国総督府初代総監。朝鮮人革命家・安重根によって射殺)を千円札の肖像にする日本の悪意を弾劾されたことが原点になったなど、個人の思いを中心にしたスピーチがあった。このかん、複数の自治体がそれまで独自に支給していた補助金の打ち切りをはじめた。政府内ではこれを全国一律の処置とする通知を出そうという動きがある。政府による差別扇動を許さず、裁判に勝利し、朝鮮学校への「高校無償化」をかちとろう。(沢野)
生存権裁判 第4回口頭弁論
保護基準引き下げは違法
大阪市役所・裁判所へむかう人々に淀屋橋でアピール(2月19日) |
2月19日、生活保護基準引き下げ違憲訴訟(生存権裁判)の第4回口頭弁論が大阪地裁大法廷でおこなわれた。
重要な争点に入った
保護基準はどうやって決めるのかという今回の裁判の核心をスライドを使って弁護人が陳述した。
従来、保護基準を決めるときマーケットバスケット方式やエンゲル方式が使われていたが、一般世帯の消費水準とあまりにも低くかけ離れていたため、当時の保護基準の非人間性を弾劾する朝日訴訟も提起された(1957年)。朝日訴訟は敗訴したが当時の厚生省は高度経済成長期に入ったこともあって一般世帯の7割をめざして保護基準の引き上げを始めた。それが格差縮小方式といわれるもので65年に始まり83年まで続いた。この方式により保護基準はようやく一般世帯の消費水準の6割から7割にまで達した。
しかし、82年の第2臨調で保護基準の「適正化」が打ち出されるなかで採用されたのが現在の水準均衡方式である。同時に123号通知が出された。この通知以後、生活保護申請を相談扱いにして追い返す水際作戦が始まった。
水準均衡方式とは一般世帯の消費水準が上がればそれにあわせ、下がればそれにあわせるというものである。この方式が採用されるとき激しい議論があり、生存権を保障するため上げ幅、下げ幅については専門家の検証が不可欠とされた。しかし、今回の保護基準の引き下げは専門家の検証を受けておらず、厚労省の数人の職員が密室で決めたものである。
弁護団はこの違法性を明らかにするため昨年夏頃から準備を始め、その成果を50ページに及ぶ書面として完成させ今回提出した。
2人の原告意見陳述
島根県江津市出身で72歳のAさんは家が貧しく、中学を出るとすぐ大阪の製材木工会社に住み込みで働き始めた。その後、床屋、折箱の製造、ボルトナット製造、大衆食堂などで働いてきた。しかし、63歳のとき胃がんになり手術したが、体力は落ち込み働けなくなった。さらに無年金だったため生活保護を申請した。Aさんは2013年12月、南海高野線初芝駅構内で突然倒れた。栄養失調による貧血だった。Aさんは、生きがいを奪い生活できなくなる引き下げは間違っていると訴えた。
大阪市大正区出身で69歳のBさんは木工所を経営していたが離婚がきっかけで心の支えを失い、仕事に身が入らず、借金がふくれあがり、廃業を余儀なくされた。その後、トラックの運転手や派遣会社で仕事をしたが派遣会社もクビになり自殺を試みた。ナイフは胸のあたりを15センチほど貫通したが、奇跡的に臓器は全く傷がつかなかった。救急車で運ばれ、退院後、生活保護を申請した。
人生はうまくいかないことが多くどこかでつまずく。そういう時の最後のセーフティネットが生活保護である。これをみんなの力で守っていかなければならないとBさんは総括集会で熱く訴えた。
新たに3人の弁護人
昨年12月に弁護士になったばかりの3人の弁護士が弁護団に加わった。3人とも貧困問題に関心を持ち、そのうちの1人は学生時代から野宿者支援にかかわっていた女性である。この人たちが次の新しい戦力になってくれることを期待したい。
次回は5月25日(水)午後3時から大阪地裁大法廷でおこなわれる。抽選のため集合は午後2時半前になる。(矢田)
4面
天皇制と戦争を賛美
育鵬社 道徳教科書を採用させるな
昨年夏、この4月から公立中学校で使われる教科書がきまった。日本教育再生機構(八木秀次理事長)などは育鵬社版歴史、公民教科書の採択の目標を10%に設定していたが、各地のたたかいで歴史は6%(前回3・9%)、公民が6%(同4・2%)にとどまった。
道徳教科書を導入
戦後教育は1945年に連合国軍司令部によって、侵略戦争のイデオロギーを醸成していた「修身、国史、地理」の中止が命じられ、47年に教育基本法が制定され、新たに「社会、家庭、自由研究」を教科とした。48年6月、衆参両院で、「教育勅語等排除」「教育勅語等の失効確認」が決議されて、名実ともに新しい教育が始まった。
しかし、58年には「道徳」の時間を復活させ、06年第1次安倍内閣は教育基本法を廃棄し、新教育基本法を制定し、「道徳心を培う」という教育目標を立てた。14年、中央教育審議会は「道徳に係る教育課程の改善等について」において、小中学校の道徳を「特別の教科―道徳」と位置づけるべきと答申した。
これを受けて、15年9月に、文部科学省は「道徳教科書」の検定基準を告示し、小学校用「道徳教科書」は17年検定―18年に導入、中学校用「道徳教科書」は18年検定―19年に導入されることになった。道徳教育をすすめる有識者の会(渡部昇一代表)は小学校高学年用『はじめての道徳教科書』(13年12月)と中学生用『13歳からの道徳教科書』(12年2月)を育鵬社から出版している。
育鵬社が出版している『13歳からの道徳教科書』『はじめての道徳教科書』と戦前の修身教科書(6年生用)とを比較検討してみる。
朝鮮人児童の洗脳
手元にある『朝鮮総督府初等学校修身書(上)』(1918〜1937年)の中の6学年児童用(34年版)の目次を見ると、最初に教育勅語(1890年)と3つの詔書、つづいて第1課から第20課がならんでいる。
内容をかいつまんで見ると、教育勅語は「爾臣民 父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ 夫婦相和シ 朋友相信シ 恭儉己レヲ持シ 博愛衆ニ及ホシ 學ヲ修メ業ヲ習ヒ 以テ智能ヲ啓發シ 特器ヲ成就シ 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ 一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ 以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」として、国民に道徳をおこなって、天皇のために働くことを命令している。
1910年韓国併合の翌年には、「朕さきに教育に関し宣諭するところ今茲に朝鮮総督に下付す」と、教育勅語を朝鮮人民にまで及ぼしている。
第1課から第20課の内容に立ち入ると、「@校風の発揚」では、学校の目的は立派な人物(天皇に忠義を尽くす人)を作るためとしている。「A良心」では、二宮尊徳を引き合いに出して、修養することを奨めている。「B勇気」では、明治政府に貢献した勝海舟を引き合いに出して、命がけで天皇のために働くことを求めている。「C思慮」では、勝海舟と西郷隆盛の尽力で明治維新がなったと賛美している。「D信念」では、孔子を引き合いに出して、努力・修養することを求めている。
「E能率の増進」では、国のために能率を上げるよう要求している。「F農村生活」では、農村の盛衰は国運の消長につながるからよく働けと命じている。「G職業と分業」では、一身一家の幸福と国家の繁栄のために職業に励めといっている。「H実業と信用」では、実業家はわが国の名誉を毀損するなといい、「I産業と金融」では、産業を盛んにして、国のために働くことが大切だと強調している。
「JK朝鮮の施政」では、朝鮮併合をあたかも朝鮮人が望んでいたかのようにウソで固められている。「L皇室と臣民」では、「皇室を尊び、忠誠を捧げること」が臣民の道徳だとしている。「M男子の務めと女子の務め、N夫婦」では、男尊女卑を規定している。「O国憲国法」では、帝国憲法と皇室典範を遵守し天皇の下僕となることを求めている。
「P国防と国交」では、国際連盟脱退が平和と正義だと強弁している。「QR戊申詔書」では、贅沢はせずに、天皇に尽くせと要求している。「S国民の覚悟」では、過去6年間の学習は大日本帝国と天皇に奉仕するための準備であったと締めくくっている。
国民学校6年間の教育で朝鮮の児童は教育勅語と修身で洗脳され、日本人化を余儀なくされ、家族の反対を押し切ってまで、不二越や名古屋三菱の軍需工場への「募集」に応じていったのである(詐欺、欺罔による強制連行)。
戦争美化と天皇賛美
育鵬社版の2冊をざっと見ると、まず目につくことは軍人を多数登場させていることである。
乃木希典は日露戦争時の大将、栗林忠道中将は硫黄島の総指揮官、山本幡男はハルピン特務機関、佐久間勉は海軍第6潜水艇の艇長、工藤俊作は駆逐艦「雷」の艦長である。これらは戦争の悲惨を伝えるためではなく、美化し、軍国少年・少女を生み出すための教材である。
つぎに、天皇(制)賛美のための教材がいくつも配置されている。仁徳天皇、光明皇后、聖徳太子を登場させ、現天皇・皇后まで動員して天皇(制)賛美をすり込もうとしている。天岩戸や伊勢神宮を教材にして、神話教育をおこない天皇制への誘い水にしている。中村久子(「日本のヘレン・ケラー」)や西岡常一(宮大工)の口を借りて天皇を賛美させ、渡邉允には宮中祭祀について詳述させている。
革新的人物を排除
育鵬社版の2冊には100人近くの人物が登場するが、体制順応型の人物ばかりで、とくに明治政府と対決した人々、人民の側でたたかった人々はだれひとり取り上げられていない。ここに育鵬社版「道徳教科書」の性格が表れている。
たとえば、中江兆民(自由民権運動)、植木枝盛(自由民権運動)、田中正造(政治家)、幸徳秋水(社会主義者)、片山潜(社会主義者)、小林多喜二(小説家)、桐生悠々(ジャーナリスト)、平塚らいてう(女性解放運動)、福田英子(女性解放運動)、石川啄木(歌人)、羽仁五郎(歴史学者)など近代日本の革新的思想の担い手は登場しない。
育鵬社版の採用阻止を
2014年から使用されている『私たちの道徳』では、一見すると無毒の教材を使い、あるいは茨木のり子(反戦詩人)のような人物を潜り込ませているが、大局的に見て毒を含ませて、体制順応型の人格形成に寄与しようとしている。しかし育鵬社版の2冊はストレートに天皇(制)と戦争を賛美する猛毒をてんこ盛りにしている。
もちろん、育鵬社は検定を通過させるために、2冊の「道徳教科書」の内容をそのまま使わないだろうが、いったん採用が始まれば、その本性を明らかにしてくるのは時間の問題だ。絶対に育鵬社版「道徳教科書」を採用させてはならない。(須磨明)
戦争のための教育を許さない
2・11大阪 自律性と批判的思考と行動
4人のパネリストが「いま民主主義を問う」と討論(2月11日 大阪) |
2月11日、「建国記念の日」反対!「日の丸・君が代」処分撤回! 戦争のための教育は許さない! 2・11集会が大阪市内で開催され、会場となった港区民センター・ホールを満杯にする500人余りが参加した。主催は集会実行委員会。
ナショナリズムの鼓吹
冒頭、「日の丸・君が代」強制反対、不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク代表の黒田伊彦さんが集会の意義を提起。黒田さんは、今年5月開催予定の主要7カ国首脳会議を議長国として伊勢志摩の賢島で開く理由として安倍首相が「日本の美しい自然、そして豊かな文化・伝統を世界のリーダーたちに肌で感じてもらえる」「伊勢神宮の荘厳で凛とした空気を共有できればいい」と述べたことを紹介。安倍の思惑がグローバル化の中でのナショナリズムの内外への鼓吹であることを指摘した。さらに、14年、15年の伊勢神宮での年頭所感としての政治方針の発表が、天皇制ナショナリズムを利用した人心把握の策略に他ならないと断罪。今日においても国家神道が生き延び、政治と社会を規定しているおり、「君が代」の起立斉唱の強制は、戦前の現人神天皇への忠誠表明の延長にあるとした。最後に、今こそ戦争する国づくりの「改憲」に抗する立憲主義と民主主義でたたかう世代を結ぶことが重要と締めくくった。
民主主義めぐりパネル討論
続いて、「戦争をする国に抗して、いま民主主義を問う」と題してパネルディスカッションがおこなわれた。パネリストは高作正博さん(関西大学教授)、橋本真菜さん(元SADLメンバー)、三輪晃義さん(弁護士)、増田俊道さん(府立学校教員、グループZAZA)の4人。
高作さんは、戦争法が成立し、改憲の動きが「クーデター」のように進む中で、民主主義が問われている。抵抗の切り札は、民主主義における「市民」のあり方、自律性と批判的思考、そして民主主義における「行動」であると訴えた。
弁護士の三輪さんは、「君が代」処分撤回弁護団の一員として、教員の不起立の思いに共感、裁判と民主主義について話し、不起立こそ民主主義の証であると結んだ。
教員の増田さんは、学校現場で総務省が高校生向け副教材として『私たちが拓く日本の未来』を配布していること、これがまさに国定教科書そのものと批判し「たたかっている限り、負けない」と決意を表明。
元SADLの橋本真菜さんは、1年間SADLで活動、サウンドデモ、フライヤー、喫茶店トーク、居酒屋トーク、ネットTVなど、さまざまなことをやった。若者がいま称賛されているが、年配の人たちは年配の人たちに届く言葉を持っているはずと話した。
続いて特別報告として奥野泰孝さん(府立支援学校教員、グループZAZA)が裁判支援をアピール。
趙博さんのミニライブをはさんで不起立被処分者や連帯の発言が続いた。最後に集会決議と5点の行動提起を全体で確認した。
5面
韓国 「労働改悪2大指針」発表
「低成果」理由に解雇可能へ
世界的な経済不況が広がっているなかで、韓国では労働組合にたいする攻撃が強まっている。これにたいして、民主労総傘下の労働組合は激しくたたかっている。
1月22日、朴槿恵政権の李基権雇用労働部長官が緊急記者会見をおこない、〈労働改悪2大指針〉を発表した。この席で、李長官は「この指針は本日の発表後、直ちに(25日から)実施される」と語った。
〈2大指針〉の内容は、一般解雇と就業規則に関する2つの指針からなっている。
ひとつは公正人事指針(低成果解雇指針)。これは勤務成績の不振を理由に、いつでも労働者を解雇できるというもの。韓国の労働基準法では日本と同様、労働者を簡単に解雇することはできない。今回、政府は「解雇になるのは極めて例外的に業務能力が著しく低いか、業務成果が振るわず同僚に負担になる場合に限られる」などと言っているが、労働者を能力で分断する常套手段だ。
もうひとつは就業規則指針。経営者が就業規則を勝手に変更できるようにした。韓国の労働基準法では、労働者に不利な就業規則の変更は労働組合か労働者の過半数以上の同意を必要とする。今回の指針では、労組が協議を拒否・同意しない場合でも、「社会通念上の合理性」に基づき、経営者は就業規則を変えることを可能にした。
昨年、公共機関に「賃金上限制」が導入されているが、これを民間部門にも拡大しようとしている。「賃金上限制」とは、勤続年数によって賃金が上がる年功給制をなくし、ある年齢以上では賃金が上がらなくする制度。経営側はこれをテコに賃金体系を年功賃金制から成果賃金制への移行をもくろんでいる。
今回の攻撃のあくどさは、国会を通して労働基準法を改定するのではなく、既存の労働法規を無視して、〈指針〉として出してきたことにある。ここに朴政権の意図を読み取ることができる。国民的議論や、国会を無視して、政権が一方的に決めるというのだ。安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定でおこなったのと同じやり方だ。
李長官は、22日の記者会見で「労働改革を早く実践し、仕事不足の危機を克服してほしいという、国民と産業現場労使の願いをこれ以上先送りすることはできない状況に達している」と述べた。国民の願いを叶えるためにはこのような方法をとる必要があったと言いたいのだが、誰も信じる者はいない。
政府の狙いは労働組合としての団体交渉権を無力化することであり、このことが労働組合のない未組織労働者に与える打撃は限りなく大きい。深まる経済危機の中で、企業の利潤を確保する。そのためには、労働者に犠牲を転化する。まさに古典的な攻撃が、労働者に襲いかかっている。
この攻撃にたいして、民主労総は政府指針の破棄を要求して、ストライキでたたかっている。1月22日、アルバイト労働組合員の約80人が雇用労働庁内のソウル雇用センターを奇襲占拠し、たたかいに立ちあがった。また、25日から無期限ゼネストを宣言。25日から連日、民主労総に加盟する産別労組とその傘下の地域本部がストライキ集会、デモ、街宣をおこなっている。今日、民主労総は厳しい弾圧体制のなかに置かれており、ゼネストは部分的ストライキに収束される可能性もある。
韓国労総も、反政府闘争にたちあがることを宣言している。全国的・国民的にたたかいを広げていければ、この攻撃を粉砕することができる。労働運動が刑事罰と民事上の賠償の対象とされる厳しい法規制のなかで、韓国の労働者はたたかいぬいている。(津田)
この記事を書くにあたって、柴野貞夫時事問題研究会のホームページを参考にした。
投稿
「日本社会の望む解決」が生みだした
『帝国の慰安婦』(朴裕河 著)
2月14日、大阪市内で「被害者不在の日韓『合意』は解決ではない〜日韓外相会談と朴裕河問題を批判する〜」講演会が開かれた。主催は、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク。
昨年末の「慰安婦」問題での日韓合意にたいして、被害者を先頭に韓国内では怒りと抗議がひろがっている。しかし日本の中では、「一歩前進」などの評価や「あとは韓国政府が国内の批判、不満を抑える努力をすべき」という声が蔓延しているのが現実だ。
2013年韓国で発売以来(日本語版は14年秋)、被害者女性たちから事実誤認と名誉を傷つけたと訂正、出版停止を訴えられていた『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(世宗大学教授)は、昨年秋、名誉毀損罪として韓国で起訴された。それにたいして、日米の「知識人」54人が学問・研究・表現の自由への権力の介入として抗議声明を出した。
『帝国の慰安婦』とはなにか、それは今回の日韓合意とどう関係するのか、というのがこの集会のテーマであった。講師は、発刊以来この本を批判している鄭栄桓さん(明治学院大学教員)。
リベラル知識人が支持
朴裕河がいう「慰安婦」問題とはなにか。それは@『強制的に連れて行かれた20万人の少女』論は、幼い少女というイメージを強調するものだが、それは例外である。A朝鮮人「慰安婦」は当時は日本臣民であり、軍に期待された役割を積極的に担い、日本兵に「同志意識」を持ち、「同志的関係」にあった。B「慰安婦」を生み出したのは植民地支配と貧しさと朝鮮の家父長制と国家主義である。C人身売買の主役は朝鮮人・日本人の『業者』であり、日本軍は制度を『発想、黙認』した責任のみである。D故に日本国家に法的責任は問えない。E戦後日本政府は実質的な謝罪と補償を(他国に比べても)おこなってきたというものだ。
この本は日本では朝日新聞出版から発行され、朝日、毎日新聞では礼賛記事が多く掲載され、上野千鶴子氏や高橋源一郎氏などリベラルを自認する知識人から大いに支持されてきたのである。
鄭栄桓さんは、朴裕河が日韓合意のために政治的に動いたということはないだろう、しかし合意をよしとする日本社会の流れを生むことへの影響はあっただろうという。
日本社会の思想問題
以下、鄭さんの講演を筆者なりにまとめてみた。
この本は被害者の証言録やこれまでの調査・研究から都合のよいところだけを切り取り、「誤読」し、自分の「慰安婦」イメージに合わせて書かれている。それは学問や研究の名に値しない。
さらに、朴裕河は1990年代から今に至る「慰安婦」問題の解決のために力を尽くしてきた当事者、支援団体を口汚く罵っている。挺対協への名指しの悪罵としかいえない批判、苦難を乗り越え声をあげている被害者ハルモニをおとしめる論述にたいして謝罪と訂正を求められても開き直っており、被害者が「告訴」という手段に訴えたのも十分理解できる。
特徴的なのは日本への免責である。2000年の国際女性戦犯法廷について一言も書かれていない。そこでは天皇有罪、責任者処罰、日本国としての謝罪と賠償、名誉回復、再発防止のための歴史教育などの施策という「慰安婦」問題解決のための核心が論じられ確認されているにもかかわらずである。
朴裕河は、日本社会にある「『慰安婦』問題をこう解決したい」という欲望に応えているのだ。『帝国の慰安婦』は、日本社会の思想の問題である。「日本社会」が望む「かくありたい慰安婦」論にぴったりなのだ。日韓合意はまさにそのようなものである。
真の解決に向けて
詳しくはブログ〈日朝国交「正常化」と植民地支配責任〉を見ていただきたい。鄭さんが、人間の良心、学問の良心をかけてこれに向かい合っていることに心からの敬意と、彼がなげ返した「日本社会」の右派というより日本のリベラルなるものへの疑問に応えていかねばならない。
この日の参加者は主催者の予想を超えた200人。日本の中で「日韓合意」に反対し、朴裕河的な主張には確信を持って批判し、真の解決に向かう運動を作り出すために大きな意味を持つ集会だった。(吉野)
6面
論考
被ばくとガン(第2回)
線量限度とは何か(上)
請戸 耕一
放射線測定を受ける作業員(2011年5月) |
「防護基準を守っていても労災は起こる」―福島第一原発の収束・廃炉作業に従事して白血病を発症したBさんの労災認定(2015年10月)に関して、厚生労働省の担当者が出したコメントである。厚生労働省はさらに以下のように述べている。
「今回の認定により科学的に被曝と健康影響の関係が証明されたものではない。『年5ミリSv以上の被曝』は白血病を発症する境界ではない」(15年10月21日付朝日新聞)
「労災認定は補償が欠けることがないように配慮した行政上の判断で、科学的に被ばくと健康影響の因果関係を証明したわけではない」(同前)
「防護基準を守っていても労災は起こる」(同前)
労災認定の基準と法定の被ばく限度に関する踏み込んだ言及である。
すなわち、労災認定の基準(白血病では年5ミリSv以上の被ばく)は健康被害が起こるかどうかの境界線を示すものではないという。
また、防護基準すなわち〈5年間で100ミリSv。かつ1年間で最大50ミリSv〉という法定の被ばく限度について、被ばく限度以下でも健康被害が起こるとしている。
つまり、労災認定基準にしても、法定の被ばく限度にしても、被ばくによる健康被害から労働者を守る役割は果たしていないということを認めたに等しい。そうだとすると、この「基準」や「限度」というのは一体何なのかという疑問がわいてくる。
「労働者を守る」は本当か?
原子力施設で働く作業員の被ばく限度は法令で定められている。労働安全衛生法に基づいて定められた電離放射線障害防止規則(「電離則」)で、〈5年間で100ミリSvを越えず、かつ、1年間で50ミリSvを越えない〉と明記されている。
ところで、こうした法令を定めた目的はなにか。それを2013年に厚生労働省が作成した「事故由来廃棄物等処分業務特別教育テキスト」(13年4月)では、「電離放射線の危険から労働者を守ること」と「有害な電離放射線から労働者の健康を保護するために、事業者が守らなければならない事項」を定めることだと説明している。
電離放射線の危険から労働者を守り、有害な電離放射線から労働者の健康を保護するために、被ばく限度を定めているというのである。
そうすると「防護基準を守っていても労災は起こる」という厚生労働省のコメントは法令の趣旨に反した不規則発言なのか。それとも、「労働者の健康を保護するため」という厚生労働省の主張が欺瞞なのか。
そこで、「防護基準=被ばく限度」がどういう考え方に基づいて設定されているのかを見てみよう。
ICRP1990年勧告の論理 「科学ではなく社会的な判断」
日本の国内法である電離則にある被ばく限度は、ICRP(国際放射線防護委員会)の「1990年勧告(Publication60)」の左記の結論を取り入れたものである。
「いかなる1年間にも実効線量は50ミリSvを超えるべきではないという付加条件つきで、5年間の平均値が年あたり20ミリSv(5年間で100ミリSv)という実効線量限度を勧告する」
ICRPは、各国の原子力推進機関などから助成金を受けて運営される民間の組織で、放射線防護にかんする勧告をおこなっている。1950年代から現在までに、100以上の勧告文書を出している。民間組織の勧告であるから拘束性はないが、原子力を推進する国々は、基本的にこの勧告を取り入れている。
問題はその結論を導き出す過程の論理である。その論理がいわば科学ではなくイデオロギーによっているということは十分に知られているとは言えないだろう。
そこで1990年勧告での線量限度設定の根拠にかんする説明(別掲)の論理を検討したい。
死を織り込んだ線量限度
勧告を一読すると、被ばくと健康被害にかんする明確なデータから基準を求めてゆくのではないことがわかる。「線量限度の選定は一部が科学的判断であるにすぎない」と言うのだ。では何によって判断するのかというと、「社会的な判断」、「価値判断」、「主観」だというのである。そこで言う「価値」とは功利主義という考え方であり、それに基づくリスク・ベネフィット論である。命と健康に関わる問題が功利主義という損得勘定によって扱われているのだ。
この点を少し詳しく見ていこう。
「逃れることのできない困難」
まず、「これらの判断は…難しい」「この困難を逃れられず…」【A】と「難しい」「困難」という言葉が出てくる。何が「困難」なのか。
線量限度という以上、それは〈この数値以上の被ばくは危険、それ以下なら安全〉という具体的な数値で切って示されるものだと考えるだろう。
ところが、被ばく線量と健康被害の関係は連続的で相関しており、どんなに低線量でも一定の確率で健康被害がある。これは1990年勧告も認めているところだ。つまり、健康被害を防止するという指標からすれば、被ばくは極力低く抑えられるべきであり、線量限度は限りなく低くならざるを得ない。よって〈これ以下なら安全〉という数値的な基準は示せない。
これは、単に基準が示せないという問題にとどまらない。被ばくと健康被害を不可避とする原子力という技術が社会的には成立しないということを意味する。それは原子力を推進する立場からすれば受け入れ難い結論だろう。
「健康の考察」の相対化
健康被害を防止することを目標にして線量限度を検討してゆくと「限りなく低く」という結論にならざるを得ない。その「困難」を超えるために、1990年勧告は健康被害を防止するという目標そのものを相対化した。「(線量)限度は健康の考察だけに基づいて選択することはできない」【A】。ここでいう「健康の考察」とは「健康被害を防止するという目標」のことだが、「健康の考察だけに基づいて選択することはできない」というのであれば、他にどのような基準を導入しようとしているのか。それが「社会的な判断」、具体的に言えば「容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見」【B】という基準である。
「社会的な判断」、「容認のリスクレベル」という基準に客観性はない。それを科学的な体裁をとって提示するのは難しい。これが冒頭の「難しい」、「困難」という言葉のもうひとつの意味だ。「線量限度」は、「健康の考察(健康被害を防止するという目標)」から導き出されたものではないのである。
「社会的な判断」
「線量限度の選定は一部が科学的判断であるにすぎない。線量限度の選定は主として、科学的な情報にだけでなく正常状態において容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見にも基づくことが必要と思われる、一つの価値判断である」【B】
「容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見」として示されているのが、「寄与死亡の生涯確率」などの統計的な解析データである。
「寄与死亡の確率」とは、作業員の死亡と、その死亡原因が被ばくである確率のことだ。例えば、毎年50ミリSv、全就労期間(ここでは47年間という設定)で累積約2・4Svを被ばくした作業員が、被ばくが死亡原因となる確率は8・6%となる。言い換えれば、この条件で就労した作業員が100人いれば、そのうち8人強が被ばくが原因で死亡するということである。
同じように、毎年30ミリSvの場合、20ミリSvの場合を計算し、それぞれの寄与死亡の確率を5・3%、3・6%とはじき出している。(※注)
〈5年間で100ミリSv。かつ1年間で最大50ミリSv〉という現行の線量限度は、寄与死亡率3・6%を選択したものだ。つまり〈100人中3人から4人は被ばく原因で死亡する〉被ばく線量ということだ。
つまりここで検討されているのは、〈被ばくを原因とする死がどのぐらいの確率ないし割合ならいいか〉ということにすぎない。〈被ばくによる健康被害や死亡から労働者を守る〉ということではないのだ。つまり、線量限度には〈ある確率である人数が被ばくを原因とする健康被害によって死亡する〉ことが最初から織り込まれているのだ。(つづく)
(※注)ICRPが元にしているデータは、高線量率急性被ばくをした原爆生存者のデータであり、その低線量への外挿があり、その際に2分の1にするという補正がおこなわれている。最新の知見であるBMJ論文(本紙193号6面参照)の解析結果を使えばはるかに厳しい結果になる点に留意が必要だ。
ICRP1990年勧告からの抜粋
(抜粋の【A】【B】の記号は引用者が便宜上つけた)【A】線量限度の数値は、この値をわずかに超えた被ばくが続けば、ある決まった行為から加わるリスクは平常状態で“容認不可”と合理的に記述できるようなものとなるように選ぶ、というのが、委員会の意図である。したがって、線量限度の定義および選択には社会的な判断が入ってくる。これらの判断は、線量限度はある決まった値にしなければならず、他方、可能性を計るものさしに不連続はないことが唯一の理由で、難しい。電離照射線のような作用因子については、被ばくによって起こるある種の影響の線量反応関係にはしきい値を仮定できないので、この困難をのがれることはできず、限度は健康の考察だけに基づいて選択することはできない。(勧告本文)
【B】もしすべての放射線リスクが確定的性質のものであってそのしきい線量は比較的高いとすれば、線量限度を選定することは高度に科学的な仕事であり、得られる結果はしきい線量の大きさに大きく依存することになろう。残念なことに、わかっている確定的影響のしきい値よりも低い線量において確率的影響のリスクがこれに加わる。確率的影響の線量反応関係に大きな不連続性が存在しないかぎり、線量限度の選定は一部が科学的判断であるにすぎない。線量限度の選定は主として、科学的な情報にだけでなく正常状態において容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見にも基づくことが必要と思われる、一つの価値判断である。 (付属文書)