未来・第194号


            未来第194号目次(2016年2月18日発行)

 1面  高浜原発再稼働を弾劾
     福井県高浜町
     抗議活動に大きな反響

     御堂筋をサウンドデモ
     戦争あかん! ロックアクション
     2月6日 大阪

     ボノム・リシャール
     米強襲揚陸艦が訓練
     辺野古沖に初めて登場

 2面  共同闘争で安倍打倒へ
     1000人委員会・大阪が集会
     1月31日

     「2000万人統一署名」
     戦争法廃止へ 各地で
     大阪府堺市
     神戸市三宮

     主張
     まさに「ナチスの手口」
     緊急事態条項の正体

 3面  「葬れ! TPP」 全国から声を
     批准阻止へ 闘いはこれから      

     フジ住宅 ヘイトハラスメント裁判
     社内で排外主義を扇動     

 4面  左翼でない人と結びつく
     1・30シンポ
     反貧困の新たな運動
     高見 元博

     書評
     沖縄から日本を変える
     翁長雄志 著『戦う民意』(角川書店発行)

 5面   「3つの国家」と対峙する
     趙 博さんが語る わたしの在日朝鮮人史      

     「君が代」条例は違憲
     奥野・山口戒告処分 4周年集会
     1・30 大阪

 6面  争点
     天皇フィリピン訪問と日韓合意
     改めて日本の戦争責任を考える      

             

高浜原発再稼働を弾劾
福井県高浜町
抗議活動に大きな反響

デモで北ゲート前に到着。奥に見えるのは1号機、2号機

1月29日、午後5時、関西電力は国家権力機動隊に守られながら高浜原発3号機の制御棒を抜くボタンをおし、再稼働を強行した。昨年の九州電力・川内原発に続く暴挙を弾劾する。

創意工夫を凝らして

24日の高浜現地での全国闘争(既報)以降、若狭の原発を考える会がよびかけ、高浜現地で創意工夫を凝らした取り組みが連日たたかわれた。なかでも小人数で旗や太鼓をもち、ビラをまきながら高浜町内の路地をねり歩く「アメーバデモ」は大きな反響を呼んだ。
家の前に出てきて手をふる人や、手を合わせて感謝しながらビラを受け取る人もいる。「再稼働に反対」と声を出して意思表示する人も。
原発直近の展望所には再稼働反対を訴えるテントが建てられ(写真下)、再稼働時まで維持された。

原発ゲート前へ

「何としても再稼働のボタンを押させない」。29日、降りしきる冷たい雨の中、地元福井をはじめ、川内原発反対をたたかう〈ストップ再稼働!3・11鹿児島集会実行委員会〉や伊方原発反対をたたかう人、関西各地からかけつけた人々などが展望所に集まった。
警察の執拗な妨害をはねのけて午前9時から集会を開始。思い思いの旗やメッセージボードを手にゲート前に向かう。警察は北ゲート手前から正門ゲート付近までの片側車線をバリケード封鎖し、片側交互通行にする非常手段に出た。
こうした妨害をものともせず、道路をはさんで正門ゲート前に到着。声をかぎりの抗議や太鼓などの鳴り物の音が響き渡った。約1時間にわたる抗議行動をおこなった。
午後3時、再度展望所に集合し、再び正門ゲートへ。北門ゲートからトンネルを抜けると、警察が阻止線をはり通行を妨害。しかし、猛烈な抗議で道をあけさせた。
正門ゲート前に再び陣取り、抗議の声をあげ、鳴り物の音が響き渡った。午後5時、関西電力の構内放送が3号機起動を告げた。ひときわ大きな声で再稼働強行を弾劾し、原発廃炉までたたかうことを宣言した。

4号機再稼働ゆるすな

高浜原発3号機は再稼働された。しかし、たたかった人びとに敗北感はない。警察を総動員し、原発をバリケードで囲い、道路を封鎖し、周辺社会の生活や活動を犠牲にする厳戒態勢を取らなければ、原発の再稼働はできないということを政府と電力会社に突き付けた。厳戒態勢の中で、小なりといえども原発ゲート前で展開された今回の抗議行動は「次につながる」たたかいとなった。高浜町内で再稼働をめぐる分岐を生みだした意義も大きい。
関電は2月下旬にも4号機の再稼働をねらっている。〈高浜原発4号機再稼働阻止! 緊急行動実行委員会〉は以下の行動を呼びかけている。

2月20日 高浜原発前抗議行動
20日〜21日 高浜町、おおい町、舞鶴市で「アメーバデモ」
25日 関電本店前「再稼働阻止」全国行動
26日 高浜原発4号機再稼働阻止現地行動

御堂筋をサウンドデモ
戦争あかん! ロックアクション
2月6日 大阪

大阪ミナミの繁華街をゆくデモ隊

2月6日、大阪市内で「戦争あかん! ロックアクション」がおこなわれた。新阿波座公園での集会後、難波まで、にぎやかにデモ。サキソフォン、ジャンベ、ギター演奏にあわせて、ジョン・レノンの歌や島唄が御堂筋に響きわたり、沿道の市民の注目を集めた。

改憲を阻止するために

集会では主催者が、「自民党改憲草案98条の緊急事態条項は、緊急事態宣言を閣議決定だけでできることになっている。緊急事態条項が導入されると独裁政権が登場する」と訴えた。つづいて発言した谷次郎弁護士も緊急事態条項の問題点を指摘。緊急事態宣言を政府が発すると、憲法を一時停止できる。ナチスとヴァイマル憲法とを例にあげて説明した。 7月参議院選で自民党は改憲を争点にすると言っており、非常に危険だと訴えた。

週3回止めれば

沖縄辺野古の座り込みに参加した女性の報告の後、沖縄から来た男性のアピールがあった。週に3回工事をとめれば、辺野古の工事は止められる。現在は水曜日、木曜日はほぼ止めることができている。「あと1日止めることができれば、この工事はできない」と座り込み行動への参加を呼びかけた。
最後に7月参議院選挙で、大阪4議席のうちの1議席は野党共闘の候補を当選させようとの訴えがあった。

ボノム・リシャール
米強襲揚陸艦が訓練
辺野古沖に初めて登場

キャンプ・シュワブゲート前の座り込み(2月3日)

1月28日 キャンプ・シュワブ第1ゲート前のコンクリートブロックは1400個に増え第1ゲートを封鎖し、工事車両の進入を阻止した。機動隊は見守るばかりで対応できない。
辺野古沖では、米軍強襲揚陸艦ボノム・リシャールにオスプレイが離着艦したり、水陸両用車を搭載する訓練が確認された。ボノム・リシャールが辺野古沖に現れたのは初めて。新基地の必要性をアピールするためのデモンストレーションだ。
29日 辺野古代執行訴訟第3回弁論が開かれた。ゲート前では早朝より市民が結集し、ブロックを積み上げた第1ゲート前で抗議行動を開始した。機動隊は手出しができない。市民は搬入を阻止したことを確認し、午後の裁判闘争に参加。
裁判が始まる前、公園で1000人の市民が集会を開き、翁長知事と弁護団を激励した。裁判では、弁護側の9人の証人尋問要求にたいし、証人7人を退けた。2月15日翁長知事、2月29日稲嶺進名護市長の2人の証人尋問をおこない、2月29日で結審するとした。また、多見谷裁判長は、国と県に和解を勧告した。

警察がブロック押収

30日 第1ゲート前のブロック1400個を機動隊が押収した。ブロックが威力業務妨害にあたるとして名護署に持って行った。そして、ブロックの後には指揮官車をむりやりいれた。第1ゲートは装甲車2台と指揮官車1台で完全に封鎖された。機動隊は工事車両が来ると、市民を排除し、指揮官車を動かして車両を基地に入れた。
2月1日 県は辺野古埋め立て承認取り消しを国土交通相が執行停止したことにたいし、国に執行停止の取り消しを求めて、福岡高裁那覇支部に提訴した。承認取り消しをめぐる県と国との訴訟は3件目となった。
3日 水曜総行動に市民300人が結集。集会中の工事車両の搬入はなかったが、人数が少なくなった午後2時過ぎ2台の車両が基地に入った。
4日 木曜総行動に市民300人が結集。この日も午後2時過ぎ2台の車両が基地に入った。

機動隊撤退を要請

5日 ヘリ基地反対協はテント村で記者会見をおこなった。ゲート前での警視庁機動隊の過剰警備を指摘し、その撤退を訴えた。安次富浩共同代表は「警視庁機動隊の配備後3カ月で、市民10人以上がけがをしている。国家権力の弾圧だ」と訴えた。要請文は、沖縄県公安委員会と県議会議長に提出していることも報告した。
6日 瀬嵩の浜で緊急集会を開いた。今後、大浦湾で予定されるコンクリートブロックの投下を阻止するため、陸と海との抗議行動を強めていくことを確認した。浜では、市民100人と海上行動隊30人がエールを交換した。(杉山)

2面

共同闘争で安倍打倒へ
1000人委員会・大阪が集会
1月31日

1月31日、大阪PLP会館で多数の参加のもと、「戦争法廃止をめざす『戦争をさせない1000人委員会・大阪』集会」が開かれた。
主催者あいさつに立った弁護士の丹羽雅雄さん(写真)は「日本の現状は1930年に匹敵する戦争前夜といえる状況。もはや加害の戦争責任、戦後責任だけでは不十分。戦前責任を深く自覚しなければならない」と話し、「決して諦めない。断固として戦争法を廃止し、安倍政権を打倒し、安倍を支える勢力を解体しなければならない」と訴えた。

勝ちに行くたたかい

平和フォーラム共同代表の福山真劫さんは「2016年、平和と民主主義の再確立をめざして」をテーマに話した。「戦争法が実体化しないように今からのたたかいはある。しかし、たたかいが弱かったら戦争法の実体が造られ、もっと弱かったら、憲法そのものが変えられる」と話し、「諦めない気持ちが大事。勝つためには何でもやるという決意が必要。さまざまな政党からは、絶対に勝ちに行くという気持ちが伝わってこない。本気で勝ちに行くためにはどうするかが求められている」と現状の厳しさを指摘した。
また2000万人署名運動について福山さんは「桜井よしこが1千万集めるのであれば、われわれは2千万集める。総がかり行動実行委として取り組む。思い付きで2千万と言っているのではない。集まる数字だ」と話し、「2015年の高揚したたたかいを全国に広げるなら、負けるとは思っていない。参議院選挙もたたかい方によっては絶対負けない」「さまざまに分裂したなかで安倍と対抗できるのか。共産党批判だけやっていれば済むのか。4者統一(市民団体、労働組合、政党など)をしなければ絶対勝てない」と訴えた。

左翼らしくたたかえ

丹羽、福山両氏の提起は今日の日本階級闘争の現状を的確に指摘するものだった。「反戦平和と民主主義を守り抜くために本気でたたかおう」「セクト主義を排し、幅広い人民の共同闘争を創り出し、安倍の大反動に打ち勝とう」ということだ。福山さんの「左翼だったら左翼らしく頑張れ」というアピールは参加者を鼓舞激励した。(労働者通信員D)

「2000万人統一署名」
戦争法廃止へ 各地で
大阪府堺市
神戸市三宮

大阪府堺市では、1月31日午後2時から中百舌鳥駅前広場で、戦争法の廃止を求める2000万人署名の街頭署名行動がおこなわれた。この企画は堺市長選や「大阪都構想」反対運動などの共同行動に踏まえて、堺の戦争法に反対する勢力の総がかり行動として実現した。笑福亭竹林さんなどが呼びかけ人。
開始予定時刻前から多くの参加者が駅頭を埋めた。その数280人。風船を配る親子も参加した。マイクアピールは民主、共産、社民の各政党関係者、無所属の堺市議、さらにはSEALDsKANSAIやSADLの若者など多彩な人々がおこなった。
今後も「つぶせ戦争法! 堺action」が第2、第4火曜日に署名行動をおこなうなど、諸団体・個人の粘り強いたたかいが続く。(山)

神戸市三宮の繁華街で週5日、署名活動を実施(2月11日)

兵庫県下36団体によるネットワーク「アベ政治を許さない市民デモKOBE」(アベKOBEデモ)は、毎月19日に「神戸市役所前から元町まで」のデモを続けている。昨年12月からは「戦争法廃止、参院選でアベ政治にストップ」を訴えようと、毎週5日、繁華街の三宮(マルイ前)で「2000万人署名」をおこなっている。「毎週1、2回」という意見も出たが、「毎日やろう」と始まった。
12月17日からスタート、2月11日で33回に。参加者はのべ445人、署名累計4598筆に達した。雨天は中止、毎週、月・火・木・金・土の2時〜4時。大きな横断幕を用意し、底冷え寒風の日が続いた1月も、呼びかけのCDを流しながら署名を訴えた。
これまで1日の署名は最高365筆、最低31筆。参加者は毎回10人から20数人だが、4人(途中から2人)の日もあった。「2人でもできるという変な自信が持てた」とメール報告があると、翌日は参加者が増えた。「通りかかった年配の男性が『1億総活躍は、1億総動員、最後は1億玉砕だ』とマイクで訴えてくれた」(2月9日、報告メール)。
アベKOBEデモは「6万筆」を目標に、今後は団体にも依頼を広げる。県内では他に阪神地域や明石市などで市民グループが署名活動をおこなっている。(博)

主張
まさに「ナチスの手口」
緊急事態条項の正体

1月10日、安倍首相はNHKの番組で、今年7月におこなわれる参院選挙で、自民・公明に加え、おおさか維新の会や日本のこころを大切にする党など憲法改悪に積極的な政党をあわせて、憲法改正発議に必要な3分の2以上の議席の確保をめざす考えを示した。
安倍は昨年11月11日の参院予算委員会で改憲によって緊急事態条項を創設することを「極めて重く、大切な課題だ」と述べた。1月19日の参院予算委でも「大規模な災害が発生したような緊急時において国民の安全を守るため、国家と国民がどのような役割を果していくべきか」と再び緊急事態条項の必要性に踏み込んだ答弁をおこなった。

9条改憲に踏み込む

また2月3日の衆院予算委で安倍は「9条2項の改正」に踏み込んだ。この日、自民党政調会長・稲田朋美が「現実に合わなくなった9条2項をこのままにしておくことこそ立憲主義の空洞化だ」と質問した。これにたいして安倍は「7割の憲法学者が自衛隊に憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきだとの考え方もあり、私たちの手で変えていくべきだとの考えの下で自民党の憲法改正草案を発表した」と、自民党が2012年に発表した「日本国憲法改正草案」に触れ、「9条2項を改正して自衛権を明記し、新たに自衛のための組織設置を規定するなど、将来あるべき憲法の姿を示している」と答弁したのである。
改憲をめぐる情勢は、ついに総理大臣が国会で堂々と9条改悪に言及するところまで進行しているのだ。

戦争法と一体

安倍は7月参院選の結果を見て、改憲に具体的に着手しようとしていることは明らかである。「緊急事態条項」について、「大規模自然災害への対処の必要性から一般の理解が得られやすい」という評価が見受けられるが、これはこの条項の正体を見誤るものだ。
自民党改憲草案では、内閣総理大臣が緊急事態宣言を発することができるのは「わが国にたいする外部からの武力攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」の順番になっている。緊急事態で第1に想定されているのが、外国との戦争である。緊急事態宣言が発せられるのは実際に日本が武力攻撃を受けたときなのかどうかはあいまいである。すでにある武力攻撃事態法では、この法律によって対処すべき「事態」は、実際に武力攻撃を受けたかその明白な危険がある場合の「武力攻撃事態」と、武力攻撃は受けていないがそれが予測される「武力攻撃予測事態」という2つをあわせたものだ。
日本が外国にたいして武力攻撃をおこなった時点で、当然その相手国の反撃が予測される。武力攻撃事態法の発動と同時に緊急事態宣言を発することも成り立つ。 昨年9月成立した戦争法(安全保障関連法)がこのままいけば3月29日に施行される。限定的とはいえ集団的自衛権の行使を認めたこの法律が効力を持つことになれば、ここで述べた想定が現実味を帯びてくる。

ナチスの全権委任法

それでは改憲草案はこの緊急事態宣言にどのような権限をもたせようとしているのか。
草案では内閣は「法律と同一の効力を有する政令」を制定することができ、内閣総理大臣は「財政上必要な支出その他処分」や「地方自治体の長にたいして必要な指示」をおこなうことができるようになる。この政令や処分については国会の事後承認でよい。また緊急事態宣言下では、誰もが「国その他公の機関の指示に従わなければならない」とされる。
このような緊急事態宣言の期限は一応100日以内とされているが、国会の承認があればいつまでも延長可能である。しかも、緊急事態宣言下では衆議院は解散されず、両院の議員の任期、選挙期日に特例を設けることができる。これでは「国民の意見を反映する場」としての国会はほとんど機能しない。
すなわちいったん緊急事態が宣言されるや、内閣と総理大臣が法律の制定や財政支出など国家の重要な権限を自由に行使できる独裁政権が登場するのである。緊急事態条項がかつてのナチス・ドイツの全権委任法に例えられるゆえんだ。1933年、ヒトラー政権下で成立した全権委任法(「民族および帝国の困難を除去するための法律」)とは、内閣にたいして憲法に拘束されない立法権をあたえるものだった。これによって世界で最も民主的であるといわれたヴァイマル憲法は解体された。
3年前の7月、麻生太郎(副総理)は憲法改正にかんして「ナチスの手口に学んだらどうか」と発言して物議を醸したが、緊急事態条項こそ「ナチスの手口」そのものである。またすでに述べたように戦争法と緊急事態条項は一体のものである。この危険な正体を暴露し、戦争法廃止、憲法改悪反対の大衆運動を発展させよう。(汐崎 恭介)

3面

「葬れ! TPP」 全国から声を
批准阻止へ 闘いはこれから

2月1日、大阪市内で「つながれアジア! 葬れTPP! 国際シンポジウム in大阪」が開かれた(写真左)。海外からゲストを招き、国際的な連帯で各国議会での批准を阻止する動きを作ろうという企画だ。主催は〈TPPに反対する人々の運動〉。中心を担ったのは関西で反TPP運動を進めてきた全日建連帯労組・関西地区生コン支部、全港湾大阪支部、ほんまやばいでTPP実など。東京、山形でも開催され、反TPP運動にとって重要な取り組みとなった。
昨年10月に「大筋合意」したTPPの暫定協定文が11月5日公開された。日本国内ではすでに条約が成立したかのように扱われているが、参加各国の批准なしには協定は発効できない。合意内容も秘密が含まれており(二国間の交換文書は非公開)、協定文は本文と付属書だけでも5500ページを超える。その危険な内容に大統領選の焦点となっているアメリカを含め、参加各国での反対の運動が広がっている。日本でも国会での批准審議を前に諸団体によるシンポジウムや分析報告がおこなわれている。
2月1日の大阪シンポのパネリストは、 ニュージーランドからはモアナ・マニアポトさん。グローバリゼーションに対抗する活動家で先住民マオリのシンガー・ソングライター。
マレーシアからはファウワズ・アブドゥル・アズィズさん。メディアジャーナリストで現在は第3世界ネットワークで政策・提言活動。
韓国からは鄭 泰仁さん。 ノ・ムヒョン元大統領の首席秘書官を務め、韓米FTAに反対して辞任後、韓米FTA阻止汎国民運動本部で運動。ソウル市の社会的経済の政策・理論面を担当。
大阪から全日建連帯労組・関西地区生コン支部の武建一委員長。コーディネーターを田淵太一さん(同志社大教授)が務めた。

各国から実態報告

最初に「異常な秘密交渉」「ISDS条項(投資家対国家の紛争解決)」「批准なしに発効できない」などTPPのポイントを確認し、海外からの報告をうけた。
マレーシアからは投資分野で「外国人投資家が過度保護」、政府調達や国有企業に及ぼす影響を指摘。52の市民団体による反対運動を報告した。
韓国からは、TPPと韓米FTAは同じであり、それがもたらす問題点を韓国の経験に踏まえて指摘。特にISDS条項について、「提訴されるとほとんど国家が負けている。北米自由貿易協定(NAFTA)でカナダやメキシコが莫大な支払いを余儀なくされた。韓国でもロンスター(米投資ファンド、45億ドル賠償要求)などによる提訴が始まった」と警鐘を鳴らし、「TPP批准の前にISDSの削除や医療・保険・サービス分野の見直しを要求すべきだ」と呼び掛けた。

99%と1%の闘い

ニュージーランドの先住民マオリの芸術家モアナ・マニアポトさんは、「われわれの価値観とTPPはまったく違う。自然を商品化しようとするTPPは英女王が先住民の土地、漁業、すべての価値あるものへの優先権をみとめたワイタンギ条約の全面的裏切りだ」と弾劾。「ドイツの音楽会社が自分の名前モアナを商標登録したことによって、アルバムで自分の名前が使えなくなった。マオリの薬草をとる権利も奪われる」とTPPによって何が侵害されるのか具体的に訴えた。
さらにTPPの秘密交渉を法律違反とする判決があったと報告。「TPPはいったん作られたら戻すことは困難」「これは国と国の争いではない。99%と1%の闘いだ」「世界で一番大切なものは民衆だ」と結んだ。
関生支部の武委員長は「80万人の雇用拡大はデタラメだ。TPPの実態は日米で95%を独占支配するもの」と批准阻止の共闘を訴えた。

日米で批准阻止を

TPPは農産品の関税だけの問題でなく、投資や金融、雇用、サービス貿易全般、知的財産、食の安心・安全も含んでおり、さらには国有企業や電子商取引などこれまで貿易協定になかった分野もカバーする実に多岐にわたる。戦争法とならんで日本の行方を大きく左右する大問題である。今後国会でもTPP協定が審議されるが、合意にかかわった甘利が担当大臣を辞任したことで、後任の石原伸晃にまともな国会答弁ができるのかなど、政権側の揺らぎも見えている。日米のどちらかで批准できなければ、TPPは発効できない。
グローバリゼーションの進展によって、地球規模で格差・貧困の拡大、深刻な環境破壊、「農や食の不安」が拡大している。そうした現実を背景に反TPP運動が国際的に拡がっている。
米日などTPP参加12カ国は2月4日、ニュージーランドのオークランドで協定書に署名したが、当日はニュージーランドをはじめ、日本、米国、メキシコ、チリなど各国で抗議行動がおこなわれた。TPP阻止の国際的な連帯を形成し、違憲訴訟も含めた大衆的な反対運動をつくりあげよう。(労働者通信員M)

フジ住宅 ヘイトハラスメント裁判
社内で排外主義を扇動

1月21日、大阪地裁堺支部の大法廷でフジ住宅ヘイトハラスメント裁判の第2回口頭弁論がおこなわれた。全国から多くの人たちがかけつけ50人の定員に74人が集まった。口頭弁論終了後の報告集会で、西谷敏・大阪市立大学名誉教授や多くの人たちが発言した。

何が起きているか

フジ住宅は大阪府岸和田市に本社をおく東証一部上場の企業で社員は千人を超える。この会社内で2013年以降、ヘイトスピーチを含む激しい差別とパワーハラスメントが進行している。

@排外主義あおる会社

同社会長は、ヘイトスピーチを含んだ新聞記事等のコピー、DVD映像等を全社員に毎日、時には1日に何回もメール等で配布している。配布資料の中には「(韓国人は)嘘が蔓延している民族」とデマを流したり、日本軍「慰安所」で被害を受けた女性たちを「売春婦」「高級娼婦」と罵倒する文書もある。
それだけでなく、会長は配布資料の感想を業務日誌に書くように全社員にうながし、会長の意に沿う感想文を選んで全社員に配布している。さらに会社の経費で「自虐史観」を攻撃するヘイト本、嫌韓本、嫌中本を10冊以上全社員に配布している。

A訴訟参加を強制

会長は、朝日新聞社にたいする集団訴訟(「慰安婦」強制連行報道や歴史事実のねつ造歪曲報道にたいする謝罪を求める訴訟)の原告になるよう全社員にうながし、協力業者からも訴訟参加者を集めている。集まった委任状の数をその都度、全社員に配布している。

B展示会場への動員

昨年7月、東大阪市だけでなく大阪市、四条畷市、河内長野市でも育鵬社の教科書採択が強行された。その結果、大阪府下の中学生の5人に1人が育鵬社教科書を使うことになった。
教科書採択の攻防が激化した昨年5月頃からフジ住宅は育鵬社教科書の採択に協力するよう全社員に強要しはじめた。勤務時間中に教科書展示会場に行かせ、そこで育鵬社教科書に賛成する意見を書かせた。
展示期間中は連日、展示会場に行きアンケートを書いてきた社員たちの業務日誌が全社員に配布された。会社の会議で「教科書展示会への取り組み」が提案され、展示会場に行くための「車の乗り合せ表」まで作られた。育鵬社教科書を称賛する文書が次々と配布され、全社員に住所地の市長や教育長宛に育鵬社教科書を採択するよう手紙、メール、ファックスを送ることが求められた。実際にフジ住宅の社員が手紙等を送った自治体は関西で40以上にのぼるという。
展示会場では会社が作成したマニュアルに沿って書くよう指示された。内容は事細かく指示され「育鵬社教科書が良い」「日教組の先生には教えてほしくないと近所の人も言ってます」などというものだった。
職場では、会社がくりひろげる在日へのデマなどを何の抵抗もなく信じ、勧められるままに行動し、会社にほめられることで、ますます会社の意に沿う方向に傾倒していく社員もたくさん生まれてきているという。
在日や「慰安婦」にされたハルモニたちへの攻撃的な言葉が「堂々とすごい頻度で配布されることが普通に許容されている職場」に変質していっている。

提訴に至った経緯

原告として立ち上がったのはフジ住宅でパート労働者として働く在日3世の40代の女性である。彼女がなんとかしなければならないと思い始めたのは教科書展示会への動員だった。こんな形で意図的に作られたアンケートが子どもたちの使う教科書に影響力を持つことに恐怖を感じた彼女は悩みぬいた末、原告として提訴するに至った。
彼女はいきなり裁判に訴えたのではなく、昨年1月、会社にたいして改善を申し入れ、3月には大阪弁護士会への人権救済の申し立てをおこなった。しかし、会社は一切改善しなかった。それどころか8月には彼女に退職勧奨をおこなってきた。そのため、やむにやまれず立ち上がるしかなかったのである。

労働組合の課題

この裁判の支援を訴えるパンフレットには「この裁判は日本の企業に勤める外国籍住民と、すべての人が、職場のなかで安全、安心を感じながら伸び伸びと能力を発揮できる、快適な労働環境をつくるためのルールを社会に問う意義を持っていると考えています」と指摘している。
排外主義が激しく吹き荒れる中、「排外主義に疑問を持たず、持てなくなって」いくような職場にしてはならない。
次回口頭弁論は4月14日(木)午後2時半から、大阪地裁堺支部でおこなわれる。抽選になることが予想されるため、遅くとも午後2時前には堺支部前に集まろう。(谷)

4面

左翼でない人と結びつく
1・30シンポ
反貧困の新たな運動
高見 元博

1月30日、大阪市内で反貧困ネットワーク大阪主催の「社会保障の切り捨てアカン! 財源がないってホンマなん? 公正な税制のあり方を考える」シンポジウムがあり、130人が参加した。
前半では、生活保護、年金、医療、介護、障がい、奨学金、保育と社会保障の切り捨ての対象になっているテーマで第一線の方々からの報告があった。

生活保護について

自民党の選挙公約に沿って平均6・5%、最大10%の保護費引き下げ。住宅費、冬季加算も大幅引き下げ。たたきやすいところをたたく。生存権保障の「岩盤」となる制度だからたたく。

年金

「下流老人」と言われる低年金の中でのさらなる引き下げ。約800万人の国民年金受給者の平均月額は約5万円。無年金者100万人。生活保護利用者の半数は65歳以上。世代間分断が煽られている。

医療

入院ベッドの削減・再編が17年度から推進される。団塊の世代が高齢になり医療がより求められる中、病床を削減し、急性期病床にヒト・モノを集中して早期に退院させてベッドの回転率を上げる。十分に治癒しないまま退院させられる。結果として再入院が増える。重症化した在宅患者が増えている。医療費が払えずに治療中断例が多い。

障がい

利用者負担について現在負担率が低いが「国民の理解や納得が得られるかどうか」を検討する。国家が望む自立・自助型「福祉」にもっていく。福祉の網からこぼれる「福祉制度難民」の増加。福祉の市場化と慈善事業化の中で小規模法人は立ちゆかなくなる。 各10分という短いものだったので、それぞれ核心部だけだったが重要な提起だった。安倍政権は社会保障費の伸びを年に5千億円に抑えるとして、年間数千億を削減しようとしている。

必要の政治へ

シンポの後半は税制に関することだった。基調講演で井手英策さん(慶応大教授)は、「分断社会を終わらせる『救済の政治』から『必要の政治』へ」と題し、左翼でさえ陥っている経済を拡大しないと社会保障費が捻出できないという発想の間違いを指摘。貧しい人を救済するという考えは中間層が負担者でしかなくなるから反発するということを強調。税制によって、人間の必要に応じて、共存による再分配が可能で、そうすれば中間層を獲得できる。中間層を獲得できなければ社会の改革はできないと話した。
私が慣れ親しんでいる、資本家階級を打倒することで解決することとは全く違う発想だったので、消化するのには時間がかかった。
「私たちの提言」として、財源がないとして社会保障の削減がおこなわれている。税により憲法13条、25条を実現する。公正な税制として所得税、法人税、タックスヘイブンとのたたかいを再構築する。資産課税の強化、富裕税の新設など、税制によって貧困層のための社会を作ることが可能だと述べた。

「左翼」ではない新たな潮流

昨年10・28の日比谷野音での生活保護費引き下げに反対する4000人集会から反貧困運動の新たな潮流を形成しようという試みが始まっている。これから集会などが計画されている。共産党系の団体が加わっているが、共産主義やマルクス主義とは違う思想的なバックボーンを持った運動だ。1・30の基調講演者はケインズ主義(近代経済学)だと名乗っていた。
それをどう見るか。左翼ではないからと拒否するか、「左翼に獲得すべきだ」と思うのだろうか。私は違うと思う。左翼でない運動を、「マルクス主義に獲得する」という立場ではなしに、育てるという度量をわれわれが持てるかどうか。
いかなる社会を作ろうとするのかというテーマでもある。民衆の自然発生性は共産主義運動に収斂されてこそ意義があるという立場に立つのか。「自然発生性への拝跪」と批判することは正しいのか。ケインジアン=近代経済学のまま、共産主義社会を建設する一員になるという立場を想定しうるのではないか。共産主義社会を彩る民衆はもっと幅広いのではないだろうか。
パリ・コミューンを見よ。マルクス主義者がいったい何人いただろうか。

私の全共闘体験

私自身の狭い経験だが左翼ではない民衆との結びつきということで思い出すことがある。1972年のK大での全学バリケードストライキだ。バリストは日大や東大、京大などでの敗北後という時期外れにもかかわらず6カ月も全学封鎖した。学費値上げと裏口入学を制度化する大学理事会方針に学生は心底怒った。思想的には左翼ではない、左翼を嫌いかもしれない学生を多数含む1000人以上の全学集会の圧倒的多数の支持で全学バリストを決定した。6カ月も理事会が機動隊導入を決断できなかったのは、もしそれをしたら全共闘に全学生の支持が集まる恐怖があったからだろう。全共闘は20人くらいの小勢力だった。自治会は中高大一貫校の高校からのブルジョワ的勢力だった。
自治会系と全共闘に分かれ別個にバリケードを作った。自治会系はパリ・コミューンをもじって「バリ・コミューン」を名乗った。こちらも封鎖に加わったのは20人くらいだった。最後は大学側が学費は上げるが裏口入学の制度化は止める譲歩をして自治会が幕引きを図った。全学集会を開いて収束することはできず、機動隊の導入を背景にした、体育会系右翼の暴力で終息させた。
しかし、「機動隊+右翼=自治会VS全学学生」という本質的対立構造を、運動的に実現できなかった。学生をあるがままに味方につけるという発想がなかったからだと思う。中核派は、あるがままの学生大衆を獲得するのではなく、「左翼」に獲得しようとして、「失うものはない、獲得すべきは全世界だ」というような大言壮語を振りまわし、次の自治会選に立候補し3分の1の票を取ったが多数派にはなれなかった。
少数派である左翼が、左翼ではない多数派の民衆と結びついて、選挙でも勝つことを構想しえたら、状況は変わっていたと思える。このことは、左翼ではない反貧困運動が民衆とどう結びつくのかと共通する問題だと思う。流動しているあるがままの人たちと、あるがままに味方になるというたたかい方。そういう構想を持ちうるかどうかが、次の世界を切り開けるか否かの分かれ目ではないかと思う。

書評
沖縄から日本を変える
翁長雄志 著『戦う民意』(角川書店発行)

昨年10月13日、翁長雄志・沖縄県知事が辺野古埋め立ての承認を取り消した。その後、辺野古の新基地建設をめぐり、安倍政権との全面的な対決になっている。
日本政府は「辺野古に移設しない限り、普天間基地は取り除かれない」という。しかし、日本政府が「世界一危険な普天間の返還」を口にする時、辺野古に新基地をつくる必要のために主張するのであって、心の底から住民のために普天間基地をなくしたいと思っているわけではない。

沖縄の民意と未来

こういう状況のなかで、翁長さん自身の著書『戦う民意』(角川書店)が、昨年12月に出版された。ここでいう〈民意〉とは、「沖縄の歴史、戦後の成り立ちを踏まえて、いま辺野古に新しい基地がつくられることを許すわけにはいかない」という沖縄県民の意思だ。
本書では、沖縄県民のたたかいを縦糸に、知事としてのたたかいを横糸にして、沖縄の未来を織っていく。ここが本書の大きな特徴だ。翁長さんは、沖縄県民のたたかいのなかで、その民意に支えられて自分はたたかっている、という認識にたっている。現実に、沖縄のたたかいはこのような構図になっている。

本書の構成

本書は5章から構成されている。第1章 日本政府との攻防。第2章 この国を問う。第3章 品格ある安保体制を。第4章 苦難の歩み、希望への道。第5章 アジアへ、世界へ。
第1章では、2014年11月に沖縄県知事に就任して以降、昨年の10月13日に至る過程が具体的に述べられている。政府との政治的駆け引きのなかで、公表するわけにはいかなかったところが、ここでは明らかにされている。
第2章では、沖縄の構造的差別の問題が取り上げられている。「差別によって尊厳と誇りを傷つけられている」「沖縄の基地問題は、沖縄の問題ではなく、日本全体が問われている」「沖縄の独立よりも、沖縄の自立を模索したい」と、翁長さんは語る。また、地方自治の重要性を指摘し、「地方から日本を変える」「辺野古から、沖縄から日本を変える」と述べている。
第3章は、沖縄からみた基地問題・安保問題が展開されている。軍事同盟である日米安保条約に「品位ある安保体制」はあり得るのかはさておくとして、米軍占有施設総面積の73・8%が沖縄に集中している事実は明らかに日本政府による沖縄差別による。
第4章は、翁長さん自身がうけた沖縄戦の体験から始まる。さらに、沖縄の戦後史と沖縄県知事に至る自己の歩みが語られる。沖縄県民の原点には沖縄戦の経験があることを忘れてはいけない。
第5章は、沖縄の未来。翁長さんが県知事選挙で掲げたふたつのスローガンは「日本の安全保障は日本の国民全体で考えるべきものである」「米軍基地は沖縄経済の最大の阻害要因である」というもの。このスローガンの実現のために、沖縄県民と翁長県知事はたたかっているのだ。

日本を変える

本書の冒頭で、翁長さんは「沖縄だけで日米両政府の強大な権力に立ち向かうことはできません」「これは人間の誇りと尊厳を賭けた戦いでもあるのです」と述べている。日本「本土」でのたたかいが問われている。本書はこのために書かれたと言ってもいいだろう。各地で、いろんな形で「戦う民意」が形成されていった時、日本は確実に変わる。(寺)

5面

「3つの国家」と対峙する
趙 博さんが語る わたしの在日朝鮮人史

1月26日、第8回世直し研究会がおこなわれ、浪速の〈芸人〉趙博さんが「わたしの在日朝鮮人史」というテーマで講演をした。講演の要旨を掲載する。

1月30日、大阪市内での「趙博さんのライブ&トーク」

本名をとり戻す

まず、趙博さんの個人史を簡単に紹介する。 1956年、趙さんは大阪市西成区鶴見橋北通り7丁目(現・長橋3丁目)に生まれた。ここは被差別部落で、沖縄出身者、在日朝鮮人が混住している地域。
中学生時代は「放課後のクラブが終わると、すぐに難波の柔道場に出かけ、夜10時から朝3時まで勉強、朝7時に起きる」という生活を続けていた。「この頃は、文武において、だれにも負けたくない気持ちが強かった。」
無理がたたって中学3年生の2月に結核にかかり、受験勉強ができなくなって「安全圏」の今宮高校に進学した。「柔道と音楽・文学に明け暮れた今高の自由な雰囲気が、私の自己形成に大きな影響をあたえた。」
1975年、神戸外大に入学後、民主主義学生同盟(民学同)に加入し、自治会再建運動に没頭する。本名を取り戻したのは、1976年の秋。「通名を名乗って、朝鮮人であることを自ら否定していた。この事の誤りに気付き、悩み抜いた。私にとって本名奪還は自己変革の第一歩だった」と趙さんは述べる。その後、在日朝鮮人留学生同盟(留学同)に入って活動するが、1979年に金日成主義(主体思想)と朝鮮総連に決別。
その後、関西大学の大学院に進学し、83年から学者(関西大学非常勤講師)としてアイヌ民族の調査に参加する。この出会いと体験によって、趙さんの民族主義的立場性は「完膚なきまでに粉砕される」ことになり、マイノリティ学に目覚める。

〈芸人〉と〈革命家〉

趙さんは〈芸人〉だが、〈革命家〉でもあると言っても過言ではなかろう。もう少し、趙さんの主張(思想)を紹介しておく。
1948年、阪神教育闘争がたたかわれたころ、日本共産党の大阪の布施地区委員会には6千人の党員が存在し、そのうち5千人が朝鮮人であったという。それほど、朝鮮人党員が多く存在した。1955年、日本共産党が路線転換し、同時に朝鮮総連ができるが、朝鮮人党員たちは日本共産党からはなれた。「朝鮮人の共産主義者は日本革命ではなく、朝鮮革命をやれ」という「南日(ナム・イル)声明」によって、在日朝鮮人革命家は「内政不干渉」路線の下、日本の革命運動にはかかわらなくなってしまった。
その後、在日朝鮮人の運動は「在日志向」と「祖国志向」が混在し、論争を繰り返しつつ、今日に至っている。
「原点は1955年にあり、この路線転換の総括を抜きにして在日朝鮮人運動の統一は望めない。在日朝鮮人は『3つの国家(北朝鮮・韓国・日本)』と対峙しながら生きざるをえない。とくに金日成(キム・イルソン)主義の克服は大きな課題だ」と趙さんは言う。言い換えるなら、日本の植民地支配に由来する歴史的存在としての在日朝鮮人は、朝鮮革命と日本革命を同一視野に入れざるを得ない、ということである。
以上のことを総括し、趙さんは自身の立場性(アイデンティティー)を、今日的段階で次のようにまとめている。
「▽組織があろうがなかろうが、集団であれ単独者であれ、100年の〈恨〉を見据え、生きてたたかい抜く。
▽どの国家にも属さない。階級的融和主義には常に警鐘を打ち鳴らしつつ、日本国籍を有するが故に苦しむ人々も、日本国籍を有さないために呻吟する人々も、ともに手を携える。
▽「記憶は弱者にあり」(マルセ太郎)。常に弱者の立場に立ってこそ、芸と学は成る。
▽東アジアの平和的安定こそ私たちが指向する未来、「アメリカ無し」で生きてゆく。
▽日本公民権運動を展望・模索し、「在日」民主勢力の総結集をはかる。
▽カムイに学び、チエちゃんのように生きたい。」(『現代の理論』2007年4月号)

排外主義と同化主義

在日朝鮮人にたいする差別と排外主義が、今日では「在特会」などによるヘイトスピーチという形で跋扈している。これは安倍政権が歴史修正主義者の集団であることと無関係ではない。『部落問題事典』(部落問題研究所、1986年)の「在日朝鮮人差別」(趙博さんが執筆)の項目から、重要なところを簡単にまとめておく。
「在日朝鮮人に対する差別は民族のちがい、国籍のちがい、〈出自・血統〉のちがい等を口実として社会制度・意識の双方で現象する。それは日本の朝鮮への植民地支配と、日本国内での在日朝鮮人政策の展開に起因している。今日、大別して、@日本の朝鮮支配・侵略にともなう植民地差別が生んだ朝鮮民族に対する蔑視観や歪んだ朝鮮観、A戦後の在日朝鮮人の法的地位変遷にともなうさまざまな制度的差別、B日本政府の大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国に対する外交政策のあり方、等がその時代と情勢に応じて有機的にからみ合いながら差別観念・意識・制度を助長、再生産している。その形態は〈同化〉と〈排外〉であり、日本国家・市民社会を貫く人権侵害の歴史的体系である。」(『部落問題事典』)ここは、趙さんが「我ながら気合いが入っている文章だ」と自賛したところだ。
戦前、日本の朝鮮植民地支配は、〈武断統治〉と〈文化統治〉の両側面からなされた。「このふたつは互いに補完しあう関係にあり、これが厄介なのだ」と、趙さんは言う。
戦後、@1945年12月、在日朝鮮人をはじめとする旧植民地国出身者の選挙権(被選挙権も含む)を剥奪。このとき、沖縄人民の選挙権も剥奪されている。A1947年5月2日、日本国憲法施行の前日に、最後の勅令として外国人登録令がだされ、在日朝鮮人は「当分のあいだ外国人とする」とされた。B1952年4月19日、サンフランシスコ講和条約発効の直前に、一片の民事局長通達によって、在日朝鮮人は日本国内における〈外国人〉とされた。
このように、戦後、日本支配階級は植民地主義をなんら清算することなく、今日に至っている。趙さんは次のように書いている。
「現在においても在日朝鮮人の基本的人権を保障する国内法的根拠は存在しないばかりか、民族的独自性(ethnic identity)を追求・確立しようとすると排外主義がその障壁として立ちはだかり、基本的人権を要求する時には〈帰化制度〉を頂点とした同化主義、日本人になればよい、さもなくば本国に帰れといった論理・社会意識が立ちはだかっている。」(『部落問題事典』)

日本の革命家の責任

趙さんの表現によれば、在日朝鮮人は日本政府によって「〈外国人〉という身分に貶められた」存在なのだ。日本人革命家は、この事実をどのように受け止めるべきか。日本でたたかう革命家は、日本社会の変革と在日朝鮮人問題を如何に有機的に関連づけるべきか。趙博さんの話は、それを我々に鋭く問うているのである。
趙博さん講演の続きは、第11回世直し研究会【7月12日(火)場所・時間未定】でおこなう。(津田)

「君が代」条例は違憲
奥野・山口戒告処分 4周年集会
1・30 大阪

1月30日、大阪市内で〈奥野さんを支える叫ぶ石の会〉総会、〈支援学校君が代不起立応援団〉総会、その後、両者の共催で「趙博さん ライブ&トーク」がおこなわれた。
大阪府立支援学校教員である奥野泰孝さんは、12年春の卒業式で「君が代」斉唱時に不起立であったことを理由に戒告処分、13年春の卒業式不起立で減給処分、そして15年春の卒業式不起立で戒告処分を受けた。
12年春の処分では同校で同じく山口さんが戒告処分を受けた。そのため、それぞれの支援団体は共同で処分撤回闘争に取り組んでいる。 奥野さんの減給取り消し裁判は、昨年12月21日、大阪地裁で「請求棄却」の不当判決があり、奥野さんは同28日、控訴した。「12年戒告処分」取り消し裁判は、奥野さん、山口さんを含め大阪府下の7人の被処分者(処分年度が異なる人を含む)が「戒告処分」取り消しを訴えて大阪地裁で争っている。

あきらめない

叫ぶ石の会の総会で奥野さんは「減給取り消し裁判は、昨年12月21日に不当判決が出た。裁判長は、大阪府教委の言い分ばかり取り上げて、原告(私)の請求は全部棄却された。控訴審では、しっかりと反論していく」「昨年5月の戒告処分は『もう1回不起立したらくびにするぞ』という警告付の処分だった。大阪府職員基本条例に則ってやっているというが、そもそも戒告以上の処分である減給は、最高裁の判決にすら反している。障がいを持った生徒に寄り添って座っていたことをもって処分することは、子どもたちの人権侵害にも当たる。あきらめないで声をあげ続ける」と決意を述べた(写真上)

孤立させるな

奥野さんの訴訟代理人である重村達郎弁護士は12・21判決の概要を解説したあと、「抵抗するものが存在し、それを取り巻く支援の陣形が作られていて社会的に孤立させないことが最も大切であり歯止めになる。裁判への過度の期待は禁物だが、現実的可能性がある限り勝訴を追求しよう」と訴えた。
続いて、不起立応援団の総会がひらかれ、最後に趙博さんのライブ&トークがおこなわれた。趙博さんは、「在日関西人(趙博さんの表現)」として生きてきた生い立ちの話のなかで、影響を受けたおじいさんやおばあさん、友だちの話などを紹介し、お金のある人は親戚みんなの面倒を見る、民族学校を造るとき土地購入のお金を出すなど朝鮮人としての性格や抵抗の話をした。
最後に「正義のために監獄へ」の歌で「老後はみんな牢獄へ、行けばみんな友だちさ」と締めくくった。

<

6面

争点
天皇フィリピン訪問と日韓合意
改めて日本の戦争責任を考える

昨年末から日本の戦争責任を居直るふたつの出来事が起きた。ひとつは「慰安婦」問題に関する日韓合意であり、もうひとつは天皇夫妻のフィリピン訪問である。これらは日帝の戦後70年政策であり、きわめて帝国主義的な政策である。

T 天皇のフィリピン訪問の意味

2016年1月26日から天皇夫妻がフィリピンを訪問し、30日に帰国した。マスコミは「慰霊と親善の旅」と、天皇を最大限持ち上げているが、「慰霊と親善」の前には、フィリピン人民111万人の死をもたらした統帥権者としての天皇の謝罪が必要である。この間のアキヒトの発言を見ても、ひとことの「謝罪」も含まれていない。
【注:統帥権=天皇大権のひとつで、陸軍や海軍への統帥の権能をさす。出兵と撤兵の命令、戦略の決定、軍事作戦の立案や指揮命令などの権能】

天皇アキヒトの発言

1月26日、出発前のアキヒト曰く「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。…ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます」と。
27日の晩餐会でも、アキヒトは「この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘がおこなわれ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました」とも発言している。
アキヒト発言の問題点は第1に、この戦争の主体が天皇の軍隊であったことを語らない。第2に、フィリピン人民の犠牲をアメリカに責任転嫁している。第3に、天皇の強い希望で、カリラヤの「比島戦没者の碑」前で、日本兵を悼んだ。

皇軍による大虐殺

日本軍のルソン島上陸は1941年12月であり、1945年2月の「日米間の熾烈な戦闘(マニラ市街戦)」をはさんで、8月15日敗戦を迎えたのである。天皇発言はフィリピン人の犠牲がマニラ市街戦の巻き添えで起きたかのように言いなしているが、日本軍がフィリピンに上陸してから、マニラ市街戦に至るまでの3年半の間に、すでに100万人のフィリピン人が殺されている。
具体例を示せば、1942年のバターン行軍(約10万人)で、7万人のフィリピン兵のうち1万6000人が死んだ。1945年ルソン島リパでは12000人以上、カランバでは7000人以上が殺された。憲兵隊本部が置かれていたサンティアゴ要塞には多数の市民が地下牢に閉じ込められ、満潮時に水死させられた。これらのフィリピン人の死は日米間の戦闘の巻き添えではなく、100%日本軍の責任である。
日本軍がフィリピンに上陸しなければ、111万人のフィリピン人は死ぬことはなかったし、多くの女性が「慰安婦(性奴隷)」として侮辱され、レイプされることもなかったのだ。

天皇訪問の目的

皇后美智子は「五日市憲法草案…基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など204条が書かれており、地方自治権等についても記されています」と宮内庁のホームページに載せているが、明治政府(天皇)が自由民権運動に血の弾圧を加え、天皇独裁政治を確立したことについては一言も述べていない。
2014年12月に、天皇アキヒトは「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、…戦争で荒廃した国土を立て直し…」と発言しているが、開戦を決定し、講和を遅らせて、国土を荒廃させたのは他でもないアキヒトの父親であることについては一言も語らない。
ところが、八木秀次は月刊『正論』(2015年5月号)で、「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない」と、このふたつの発言にかみついている。
はたして天皇夫妻は極右安倍に対立する護憲論者だろうか。否、むしろ安倍の改憲を背後から支える発言とみることができる。安倍改憲は好戦的改憲であり、保守のなかにも一部たじろぎがあることは事実だ。天皇夫妻は「護憲」を演出することによって、極右安倍と動揺する保守の隙間を埋め、包み込み、ひいてはリベラル派をも天皇制に回収する役割を果たそうとしている。

天皇を迎え撃つ

フィリピンはなぜ、日本の戦争責任を曖昧にしてまで、日本との関係を強化しようとしているのか。天皇を前にして、アキノ大統領は「日本は最大の貿易相手国」「政府開発援助の最大与国」「フィリピン直接投資額第1位」と強調し、日本との経済関係の強化を懇願している。
日本はフィリピンの足元を見て、戦争責任についてはほおかむりし、天皇夫妻を送り込んで、戦争責任を帳消しにする役割を果たさせ、然してフィリピンを取り込もうとしているのだ。
しかし、天皇訪問中の1月27日、マニラ市内で元「慰安婦」と「リラ・ピリピーナ」(「慰安婦」を支援する非政府組織)は日本に謝罪と補償を求めて300人の集会を開いた。日本軍のルソン島上陸に、ゲリラ戦で迎え撃ったフィリピン人民は未だ健在である。

U 「慰安婦」問題をめぐる日韓合意の意味

最終的かつ不可逆的

昨年12月28日、「慰安婦(性奴隷)」問題で、日本の法的責任をスルーし、「少女像の撤去、10億円基金」を目玉にした「日韓合意」が発表された。
「慰安婦」問題は韓国や中国との直接的関係でも重要な案件であり、かつ国連や世界各国から弾劾され、日本の世界進出を妨げる「トゲ」ともなっている。
日韓条約(1965年)で、「慰安婦」問題、強制連行・強制労働問題などを積み残したまま、「完全かつ最終的に解決」と謳ったが、その文言は朝鮮人民の権利を押しつぶすための仕掛けであった。
しかし、独裁政権が倒れ文民政権が成立するや、1990年代以降「慰安婦」問題、強制連行・強制労働問題をめぐって、日本で裁判がたたかわれるようになった(全体で約100件、そのうち韓国人関係は約50件)。裁判所は「時効除斥」「日韓条約で解決済み」などを理由にして切り捨てたが、被害者はたたかいを継続し、いまや世界的問題にまで発展し、日帝を締め上げている。
今回の「最終的かつ不可逆的」という文言には、日韓条約と同様、謝罪も賠償もせずに、韓国政府に再度たがをはめる意図がある。

日韓合意の背景=経済

今回の「日韓合意」の狙いは、第1には日韓間の経済的関係の再構築、第2に日本資本の世界進出のための条件整備、第3に中国・北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)にたいする日米韓の軍事一体化、などにある。
日本にとっても韓国にとっても、互いに重要な貿易相手国であり、大きなウエイトを占めてきた。ところが、日韓貿易額は2011年をピークにして、その後毎年減少し、2015年1〜3月期の日韓貿易額は前年同期の13・9%減となった。
一方、韓国の対中国輸出依存度は25%(2015年)であるが、中国経済の失速に伴って、韓国の対中国貿易額は2013年から2015年にかけて12%も減少した。中国経済の失速と南北朝鮮の軍事的緊張の影響がそのまま韓国経済の低迷をもたらしている。
韓国は中国貿易で失った分を日本を含む西側諸国との貿易拡大で解決しようとしており、12月28日の日韓首脳会談は「慰安婦」問題をクリアーして、日韓経済関係の再構築への布石としての位置を持っている。

V 日本人民の責任

安倍政権は韓国の経済的弱点につけ込んで、長年の懸案である「慰安婦」問題を謝罪せずに日韓関係を「正常化」し、韓国と「和解」したことを世界に発信し、日本経済を立て直そうとしているのだ。
このような邪悪な意図をもっておこなわれた日韓合意にたいして、「慰安婦」被害者たちは、日本大使館前での水曜集会を毎回1000人を超えるまでに強化し、安倍政権に立ち向かっている。
では私たちは「日韓合意」にたいして、どのような態度で臨まねばならないのか。共産党は「問題解決に向けての前進」(志位談話)、社民党は「一歩前進」(又市談話)と、安倍政権による日韓合意を支持している。当事者である「慰安婦」被害者の意思を無視して、日帝の側に立ってプラス評価するなど論外である。
たとえば、安倍は「少女像」の撤去を要求しているが、天皇のフィリピン訪問時にマニラ市街戦で殺された10万人のフィリピン人を慰霊する記念碑を撤去せよといえば、火だるまになることは間違いない。
朝鮮人民にたいして、二度と「慰安婦」問題について要求するなという、安倍による押しつけ合意を断じて容認してはならない。(田端登美雄)