被害者不在の解決はない
日本軍「慰安婦」問題 日韓合意を批判する
年の瀬も押し詰まった昨年12月28日、日韓外相会談が開かれ、日本軍「慰安婦」問題にかんする合意が発表された。
その内容は、@「慰安婦」問題は当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感し安倍首相が心からお詫びと反省の気持ちを表明する、A韓国政府が財団を設立し、ここに日本政府の予算で資金を一括して拠出し被害者支援を行う、Bこれで「慰安婦」問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、今後、国連等、国際社会において互いに批難、批判することを控えるというものだ。予算規模は概ね10億円程度と発表された。さらに、C在韓国日本大使館前の少女像(平和の碑)にたいし韓国政府は適切に解決する努力をするということが確認された。これで日本軍「慰安婦」問題はすべて解決されたというのだ。
今回の日韓協議は一貫して「慰安婦」被害者である当事者を無視して進められてきた。被害者が納得できない合意などありえない。被害者の頭越しでおこなった合意を黙って受け入れろというものだ。これは被害者を再び蹂躙する行為であり、日韓両政府が「被害者」を力づくで黙らせるという宣言だ。
前提条件付き「解決」
安倍政権が日韓合意にいたる前提条件として持ち出したのが、@日本大使館前の「平和の碑」の撤去、A「二度と問題を蒸し返さない」という約束だった。加害者が被害者側に問題の解決をお願いする際に、前提条件を付けることなどありえない。「平和の碑」は、20年以上にわたって日本政府を訴えてきた「慰安婦」被害者たちが、過去の辛い歴史を記憶し、二度とそうした被害を繰り返さないための象徴として、日本大使館前に2011年12月14日の1000回を数えた水曜デモの時に建てられたものだ。この「平和の碑」の撤去を要求することは、アメリカが「原爆投下を謝罪するから広島の原爆ドームを撤去しろ」と言っているに等しい。また「二度と蒸し返さない」などという条件は、加害者が持ち出すことではない。
安倍政権は日韓合意に際してこのふたつの条件を持ち出すことで、被害者たちにたいして傲然と、「今後は日本軍『慰安婦』問題について一切口をだすな」と言い放っているのだ。
国家と軍の犯罪認めず
「合意」では、「軍の関与」は認め「責任は痛感する」とは述べてはいるものの、日本国家と日本軍による組織的犯罪行為であるとは認めなかった。これは1993年、当時の内閣の意思として発表された河野官房長官談話からはるかに後退したものだ。
河野談話では、「慰安所は軍当局の要請により設立され、旧日本軍が直接・間接に関与した」「甘言、強圧による等、本人たちの意に反して集められた」「官憲等が直接これに加担したこともあった」「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいもの」と、軍の直接・間接の関与と強制を認めていた。
ところが今回の合意ではそれらが曖昧にされた。安倍首相が「心からのお詫びと反省」をするというのであれば、河野談話の見直し策動も含めて、「慰安婦」問題にたいして「日本政府に責任はない」「強制連行などなかった」という態度をとってきたことにたいして謝罪しなければならない。
破綻した「女性基金」
「韓国政府が財団を設立し、ここに日本政府の予算で資金を一括して拠出し被害者支援を行う」というのは、1995年に始まって破綻した「女性のためのアジア平和国民基金」と同じだ。「アジア女性基金」は、国家責任・法的責任を認めず、国家賠償を拒否し、その代わりに民間から基金を集めて被害者に手渡すことで「解決」を図ろうとしたが、多くの「慰安婦」被害者から拒絶され破綻した。今回は、韓国政府が財団を設立し、日本政府が資金をそこに拠出する形で国家責任に基づく国家賠償としない措置を取ろうとしている。「慰安婦」被害者が求めているのは、国家としての責任を認め謝罪することだ。その要求を踏みにじって、再び「札束」で黙らせようというのだ。
真相究明や歴史教育なし
「慰安婦」問題の解決のためには、闇に葬られてきたすべての事実を明らかにし、真実を掘り起こすことが不可欠だ。安倍政権が真に「謝罪」するのであれば、一貫して真相究明をおこなわず、逆に隠蔽し続けてきたことを謝罪し、「真相究明の努力」を約束しなければならない。しかし今回の合意にはそのことについて一言の言及もない。
また「慰安婦」問題を歴史教育の場で語り継ぐ努力についても一言もない。安倍政権が、二度とこうした犯罪を繰り返さないと誓うのであれば、「慰安婦」問題を次世代の日本の若者たちに語り継ぎ教訓化するのは当然のことだ。
アメリカの圧力
今回の日韓合意にいたる背景には、アメリカの日韓双方への圧力があったといわれている。アメリカは、この間、中国が韓国に急接近していることに危機感を抱き、米日韓体制の結束をゆるぎないものにするために、「日韓関係の軋み」となっていた「慰安婦」問題の「決着」を日韓双方に迫ったといわれている。
93年の河野談話の見直しをもくろんでいた安倍政権にとって、あいまいな形であっても「軍の関与」を認めることや、「心からのお詫びと反省」をおこなうことは絶対に認められないものであった。また韓国政府にとっても、日本政府の法的責任も認めず、国家賠償も認めないで、破綻した国民基金の焼き直しでしかない「解決」とひきかえに、「平和の碑」の撤去や「二度と蒸し返さない」という約束をさせられることなどは応じられるはずがなかった。
ところが「米日韓体制の強化という政治目的」のために、戦時下の日本国家による戦争犯罪をうやむやのうちに終わらせようとしたのだ。
反動キャンペーン
今回の合意を受けて日本のマスコミはそろって「韓国政府の責任で挺対協を説得して少女像を撤去させろ」「韓国がゴールポストを再び動かして蒸し返すことは許されない」といったキャンペーンを張っている。あたかも、「『慰安婦』被害者から不当な要求を突きつけられるたびに日本政府は謝罪も含めた解決の努力をしてきたが、それをことごとく反故にしてきたのは『慰安婦』被害者や韓国のほうだ」といわんばかりの論陣を張っている。河野談話の見直しを図って「慰安婦」問題を否定したり、国連人権委員会などで何度も勧告が出され、国際社会が日本を厳しく批難してきた事実もことごとく隠蔽して、こうしたキャンペーンを張ることは許されない。
日本軍「慰安婦」問題を本当に解決しようと思うなら、まず何よりも、「慰安婦」被害者が慰安所でどのような過酷な状況を強いられてきたのかを知り、人間としての尊厳がいかに深く傷つけられてきたのかを省み、被害者に思いを馳せることを抜きにありえない。「慰安婦」問題を政治問題としか考えない安倍政権の態度やマスコミの報道こそが本当の解決を阻んでいるのだ。
真の解決のために
日韓合意以降、韓国の日本大使館前では「平和の碑」を守りぬくために、24時間の座り込みが続けられている。昨年12月31日には抗議する学生30名が逮捕された。1月6日、合意後初の1212回目の水曜デモには、日本大使館前に1000人が集まり、新たに金学順さんの銅像も設置された。
そして、「慰安婦」被害者と韓国挺身隊問題対策協議会は、全世界に「平和の碑」の建立を進めていくこと、国連などの国際社会に訴えかけていくこと、韓国政府が財団を作り日本政府が10億円を拠出しておこなうとされる支援事業に対抗して、新たな財団を作って独自に支援をおこなうことなどを発表した。この日は世界12カ国、41都市で集会が開催された。日本でも大阪・梅田で100人が集まり、水曜デモがおこなわれた。
日本軍「慰安婦」問題の真の解決のためには、@日本政府が国家的法的責任を認め公式に謝罪すること、A被害者に国家的賠償をおこなうこと、Bすべての資料の公開とさらなる調査、C再発防止措置を講じ、歴史教科書への記述と社会教育の実施、D誤った歴史認識に基づく、事実に反する公人の発言の禁止などを明確にしなければならない。今回の日韓合意を許さず、「慰安婦」被害者とともにたたかいぬこう。
「戦争法廃止へ、改憲許すな」で総行動(1月4日)通常国会開会日の1月4日、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会の国会開会日行動がおこなわれ、3800人が参加した。日本共産党・社民党・生活の党・民主党・維新の党の国会議員が参加。秘密保護法廃止実行委員会の海渡弁護士は、戦争法廃止と秘密保護法廃止を一体のものとしてたたかうべきと提起。安保法制違憲訴訟の会の内田雅敏さんは、全国300人の弁護士体制で違憲訴訟をおこなうと報告。これらの発言を受けて、議員会館前の歩道を埋めつくした参加者は、改憲阻止へたたかう決意を新たにした。 |
2〜3面
新年特別インタビュー第2回
50年目を迎えた成田空港反対闘争
「三里塚は健在、微動だにしない」
三里塚芝山連合空港反対同盟 市東孝雄さん×萩原富夫さん
三里塚闘争は今年50年目の大きな節目を迎えた。現在、最高裁で係争中の、市東さんの農地取り上げのための農地法裁判は、今年中にも判決が予想される。こうした重大な局面にたいして、たたかいの展望をどのように描いているのか。三里塚芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さん(成田市天神峰)と萩原富夫さん(成田市東峰)にお話をうかがった。(インタビューは昨年12月21日。本紙編集委員会)
「強制的にやってきても負けないぞ、という気持ちで」(萩原)
「ぜひ、三里塚に来てください」 |
司会 三里塚闘争は50周年を迎えます。1960年代から70年代は、故戸村一作委員長や北原鉱治事務局長の第一世代。83年3・8分裂以降の80年代から90年代にかけては萩原進事務局長の第二世代、そして21世紀に入ってからは、市東孝雄さんの農地取り上げ攻撃をめぐる攻防がはじまり、今は市東さんや萩原富夫さんたち第三世代が三里塚闘争を担っています。
市東 たしかに50年というのは長いね。北原さんも「自分でもこんなに長くなるとは思わなかった」とよく言われます。「3・8分裂」で進さんたちの第二世代が分れてしまい、進さんが一人で背負ってましたからね。そのあとが俺たちだから。闘争の経験という面では、実際にいっしょにたたかってないので、そのちがいが出てくるのかな。
萩原 闘争が始まったときは2〜3年で終わると思ってた。富里案がすぐダメになったから、三里塚だってすぐ終わると思ってた。ところが向こうがごり押ししてきたわけだから。
市東 御料牧場があったから強引にやってきたんですよね。だけど、この50年の間でたたかい方が変わってきたといいますか、横の広がりができてきたので、反対同盟の数が少なくなってもたたかっていけるっていう。
萩原 昔は全国からたくさん三里塚に来てくれましたからね。そういう時代の流れがあった。それがどんどん少なくなってきている時に市東さんの農地取り上げが出てきたので大変でしたね。それでもう一回大衆的な広がりをもたなければならないということで、おやじ(萩原進さん)が呼びかけを始めたのですが、その途上で亡くなりました。それを引き継ぐかたちで、とにかく支援してくれる人だったら誰にでも会いに行って頼むほかないという気持ちでやってきました。まず、三里塚に来てもらわないことには。僕らは人数も少ないし、僕らだけではたたかえない。そういうなかでどういうたたかいをやっていくのかは、実際、僕らも想像できないというか。ただ昔みたいな形じゃないと思います。「人を集めてドカン」というような実力闘争でやればいいというような情勢ではないと思います。
陣形づくりが大切
市東 権力も集会なんかでは、昔みたいな暴力的な検問はやらなくなりましたけどね。ただ、向こうはやる時はやりますからね。だけど、こっちがそれにのってやるとさ。
萩原 たたかい方としては難しいですよね。その一方で、実際に市東さんの農地を強制的に取り上げることができるのか。簡単にはできないんじゃないかという気もしています。実際に耕作している農地を取り上げるということは強制収用そのものだし、これだけの規模の強制収用はいままでないことですから。農地法裁判では高裁でも空港会社は仮執行の申請をしていない。
結局はこれからやるべきことはやっぱり陣形づくりですよ。いろんな人に働きかけて、いろんな人が三里塚に関心をもって、かかわりを持っていくなかで、成田空港にはこういう問題があるんだということをもっともっと表に出していく。そういう積み重ねの中で、市東さんの農地を守ってみせるぞと。最近、そう思いはじめています。
もし強制的にきたとしたら、実際には向こうの方が力強い。そこでこちらが激しくやろうとしても、それは簡単ではありません。
市東 向こうにそうさせないためのたたかい方だよね。
萩原 「強制的にやってきても負けないぞ」という気持ちでやれたらいいなと思います。そして、そうさせないような雰囲気をつくっていくことでしょうか。
市東 だから、今は、向こうの方が裁判所に任しちゃうみたいなね。なにかあるとみんな裁判になっちゃうんですよね。昔みたいな暴力的なやり方は表に出さないようにして。
萩原 実際問題、市東さんの農地をむりやり取り上げなければ空港が成り立たないというわけじゃないからね。
市東 だって現に飛行機を飛ばしてるわけですからね。本当に危険だったら、飛行機を飛ばさないですよ。
萩原 市東さんの土地が「じゃまだ、いますぐどけてほしい」とかいいながら、もう10年近くたっているのに、なんの問題も起きていない。
「地域で共感してくれる人が出てきてますね」(市東)
市東孝雄さん |
第3滑走路計画
市東 最初に第一、第二、第三世代という話が出たけど、俺たちはずっと昔からこうして、そのままやってるって感じなんだけど。ただその内容の面でいうと、事務局の4人でけっこうまめに話し合って進めています。昔は、あまりそれはなかったらしいんですよね。
それで25年ぶりに地域の一斉行動をやってみると、地域の中でそれに共感してくれる人がけっこう出てきてますね。
萩原 びっくりしましたね。市東さんの農地取り上げに反対する賛同署名がこの周辺からいっぱいとれてね。初日からですからね。
司会 それは第3滑走路計画の関係もあるんでしょうか?
市東 第3滑走路もありますね。
萩原 第3滑走路の問題については、ずっと地域をまわってたから。それでまあ、応援する気持ちもあったんでしょうけど。前からビラもよく読んでたんだって。たまたま会えて、署名してくれたりカンパくれたりという人も出てきた。だから、空港周辺の人たち、賛同署名をしてくれた人に集まってもらって懇談会みたいな形でやれたらどうかってことをこないだ話しましたね。
市東 この2年半ちかくの地域への一斉行動は良かったと思いますね。もっと早くやってもよかったんじゃないかって。これまで同盟のたたかいは俺たちとは関係ないと思ってた人もね、第3滑走路計画なんかがでてくると自分たちの身にふりかかってきますもんね。そうすると、やっぱり同盟が頑張ってるからということで、今まではつながりがなかった人たちも出てくるんですよね。
萩原 昔、俺は同盟に入ってたとか、あすこのおばあちゃんは昔やってたんだとかね。そういう話は出てきますね。ただそういう人もだんだん少なくなっているかもしれないですね。でも気持ちでは応援しているという人はまだいるっていうことなんですよね。実際、年中、宣伝カーも回してますけど、文句を言いにくる人はいませんからね。地域の中で許容されているというのはすごいことだなあと思います。
芝山廃村化が現実に
司会 そういう意味では反対派っていうのは今でも成田の現地では多数派なんですかね。
萩原 第3滑走路についても向こうは非常に慎重ですよね。強引さをださない。
市東 「住民側からの要望が強い」とかね。「第3滑走路建設で雇用も増える」とか、そういう言い方をしてる。向こうも50年前のような闘争にしたくないんですよ。
萩原 地元で根回しをしてからする。芝山、多古町の「成田第3滑走路実現を目指す有志の会」とかね。
司会 成田市には別の組織がありましたね。
市東 そうです。「有志の会」には成田市は入ってないんですよ。
司会 芝山と成田で2つあるんですね。
市東 そうです。成田は「成田空港第3滑走路実現する会」。成田の商工会はそこに芝山を呼んでないんですよ。
萩原 利権があっちにいっちゃうからね。
市東 固定資産税の問題だけですよ。廃村化しているところに滑走路を作ったって、人がいないわけですからね。地域住民が潤うわけがありません。
萩原 みんな怒ってるみたいですよ。また、移転・廃村じゃねえかとかね。同盟が昔言ってた芝山廃村化が現実になってきたということで。徐々に動きが出てきてますね。結局、芝山を廃村にする政策なら、残るのは何だろうと。住民はいなくなって、村役場だけ残るってことになってしまうってね。
司会 第3滑走路の問題で新聞記事に東峰をつぶすのをあきらめたというようなことが書いてありましたが。
市東 (東峰の)島村昭二さんが立ち退いたらすぐにできますよ。ただ昭二さんは「話し合うんだったら、まず半年でもなんでも飛行機止めろ」と、そういうニュアンスなんですよね。そしたら向こうは、「交渉の場にもうつかない」とかなんとか言ったんでしょ。
「耕作権裁判でどのくらい向こうを追い込めるか」(市東)
司会 それでは、話題を変えて市東さんの農地裁判についてお伺いします。
市東 一審の千葉地裁の判決は、そういうものとして覚悟はしてましたけどね。最初のうちは、「あれっ、今度の裁判官はちがうのかなあ」なんて 思っていると、だんだんとね、「あれっ、雲行きが変わってきたぞっ」て感じで。
一審の多見谷(裁判長)も、最初は「41の9は航空写真で見ても耕した跡がない」と自分で言ってたんですよ。それが最後になったら、空港会社が言ってないことまで判決文に付け加えて、向こうの主張を認めている。本当にひどいですよ。
司会 今やってる耕作権裁判の裁判長もやたらと丁寧ですね。
市東 そうそう。もしかすると3月交代かもしれないって言ってるんですよ。ああいう感じでやってる裁判長は、変えられるんですよ。ホントに不思議ですね。
萩原 だから裁判の報告会でも、「良さそうな裁判官ですよね」なんて言う人もいるけど、「いやだまされちゃダメだ」「あれがくせ者なんだ」とかみんな言ってます。
市東 耕作権裁判でどのくらい向こうを追い込めるか。それと農地法裁判で最高裁がどういう判断をしてくるのかですね。 おそらく連動してると思うんですよ。
萩原富夫さん |
産直運動
司会 産直運動のほうはどうでしょうか。
市東 まず一番はね、ケース拡大がなかなか難しいんですよ。野菜ができすぎても困るし、できないのも困るんだけど。そういう点では、露地栽培の難しさが出たんじゃないですかね。昔のような季節感で温度がうまくまわってないですからね。農家がハウス栽培になるという気持ちも分からなくはないですね。ハウスと露地のものでは食べると全然違いますけどね。
萩原 ハウスは半分の期間でできちゃうからね。1カ月で葉物なんかできるでしょう。それを回転していくわけだけど。露地だとだいたい2カ月。暖かいと1カ月くらいでできるのもあるけど。だいたい野菜のサイクルは種をまいてから3カ月だからね。みんな年をとってきたから、イモ、サトイモ、ニンジンのような重たいものは避けるようになってきたんじゃないですか。スイカも作ってる人が減ってきたっていうし。
市東 このへんも減りましたね。
萩原 スイカは小玉になってきた。重たいのは持てなくなったって。だんだん変化してきてますよ。ニンジンを掘るのも、今は機械で抜いていっちゃうんだから。機械を使わないとできない年代の人たちだから、しょうがないんでしょうけどね。
市東 だから結局、機械代を払うために農家をやってるっていうんですよ。
萩原 機械に使われているようなもんですね。
市東 今年は大根が急激に大きくなったり、ニンジンが育ち過ぎちゃって、市場なんかでも、ちょっと勘弁してくれって言われてるらしいんですよね。八街のほうでも「もう持ってこないでくれ」ってね。
萩原 大暴落してるよ。結構多いね、最近ね。前も白菜が暴落したとか。大根とかもね。
司会 季候のせいですかね。
萩原 暖かいんですよね。産直としては、いろいろまめに作っておくんですが、今年はいっぺんにできすぎちゃってね。
市東 15〜16種類入ったときがあったでしょう。
萩原 そうなると今度は年あけがなくなってしまう。
市東 だから端境期をできるだけ少なくしようとやってるんですけど、これは天候だからどうしようもないですよね。
司会 消費者のほうから要望はあるんですか。
萩原 それは特にないですね。作ってほしいものってのはたまにありますけどね。
市東 「おいしい」とかそういう感想はありますけど。
「日本の農民だって立ち上がるしかなくなる」(萩原)
昨年3月、成田市役所横の公園でひらかれた全国集会。会場の写真展に注目が集まった |
TPPに抗して
司会 TPPの大筋合意がなされたといわれています。
市東 この間の農政は、農家に大規模化を促してきましたけど、それを受けて大きくしたところはその分だけ、逆に大変になってくるんじゃないですか。法人化してこれまで儲けてたところが、TPPで外国の安い農産物が入ってくるので、はげしい競争にさらされますよね。台湾だとか、そっちの方へ輸出すれば良いんだといっても価格競争が大変だと思います。米とか果実とかを単発でやっているところはもっと大変でしょうけどね。
萩原 おれたちみたいな家族農業でやっているところはそんなに影響はないよね。
市東 消費者さえ、きちんと押さえておけば大丈夫です。だから販路の問題ですよ。
司会 有機農法の産直でやっている限り、そんなに大きく影響はないということですね。それでも農業全体としてはマイナスになりますね。
市東 安倍が「強い農業」とか「攻めの農業」とか言いますけどね。
萩原 口だけだよね。何の具体性もない。強いところ、成功しているところだけ取り上げてね。こうやれば良いんだみたいなことを言っているけど、みんなが出来るわけがない。もしもみんながやったら、みんなダメになってしまうでしょう。それが資本主義です。新自由主義はつぶし合いなんだから。もともと農業はそんなものじゃなくて、確保しなければいけない、守らなければいけないものだから。
そりゃ、農家はやめたって良いけれど、じゃあ、日本のみなさんは何食べるんですかっていうことですから。そこなんですよね。昨日見た映画のなかでアメリカ人が言ってました。農業がなくなったら、不況のときに食べられなくなるんだと。かつての大恐慌でそれを経験しているから、絶対農業は必要なんだっていう考え方。だから、都市の空き地をどんどん耕して、種をまいて活動している。その人たちがオキュパイまで行く。なるほど、すごいなと思いました。ハートフルというか、 共同性を求めてやっているというところがね。
だから日本の農民だって、追い詰められれば追い詰められるほど、立ち上がるしかなくなるはずですから。
司会 産直運動のように消費者と結びついていく、地産地消と言われるような在り方が農業の基本なんでしょうね。
萩原 「地産地消を守ろう」ということをやるべきですよね。
市東 地域でいくらでも出来るんですよね。
萩原 そうですね、消費者も一緒にやろうということで、週に一回でも消費者が手伝いに来るとか、そういうこともやりました。自分の食べるものですからね。
農家の生きがい
司会 農業者の高齢化が進む一方で、都会の労働者が退職して農村に帰って、土になじむ生活をしたいという事例が増えているようです。
萩原 まあそれは農業とは違いますが。千葉や福島でも若手の新規就農とか、ぽつぽつとあるようですよ。30代40代でしょうけど、農業をやりたいという人がいることはいるんですね。労働者の中には、ストレスのたまる労働環境ではやってけないという人もたくさんいるでしょうから。そこから農業をやろうという人も出てくる可能性がありますね。
市東 農業はやってて、楽しいですからね。自分のやり方次第で結果も出てくるしね。何しろ、自分の好きな時間があるってことは一番良いですよ。
司会 お勤めしていたときと今とでは。
市東 勤めているときの方が楽ですよ。時間だけ働いていれば給料をもらえるしね。ただそれだけだとね。今は自分の好きな時間で、今日は起きてどんなことやろうとか考えながらね。そういうのが何というか自然というんでしょうか。
萩原 そうだね、本来の労働というか、生きてる感じがするよね。
市東 雨が降れば、「今日は雨だから体を休めよう」とかさ。勤めだったらそんなわけにはいかないからさ。
国策とのたたかい
司会 市東さんは毎年沖縄に行かれてます。
市東 6月23日、慰霊の日に合わせて、摩文仁にも行きましたね。福島に行ったり、沖縄に行ってみると、国策との闘いということではひとつですね。福島の仮設住宅からいも掘り大会で来ている人たち、「もう帰れない」と言ってます。安倍は安全だとか言ってるけど、あんなのホントに大嘘っぱちですね。また沖縄の辺野古でもそうですけど、県、名護市を飛び越えて、地元の区に直接お金を渡すとかさ。
萩原 無茶苦茶だよね。
市東 ああいうやり方で、お金を使って分断を図る。
萩原 協力する者には金を出すという感じですね。福島も「帰還、帰還」でね。「もう帰れる」、「もう問題は終りだ」。そうやって帰してしまえばもう賠償の必要もない、解決したみたいになっちゃうでしょう。
「やっぱり、ぶれないことが一番でしょうね」(市東)
司会 最後に全国のみなさんにおふたりからひとことずつお願いします。
市東 この2〜3年では本当に幅広い陣形といいますか、多くの人たちに支えられたと思います。これからも今まで以上に行けるところに行こうと思っています。また見るのと聞くのとでは全然違いますから、ぜひ多くのみなさんに三里塚に来てもらって、自分の目で現実を認識してもらいたいと思います。そして地元に帰ったら、「三里塚はこういうことになっていた」とまわりに知らせてもらって、ともにたたかっていきたいと思っています。
萩原 若い人になるべく来てもらいたいですね。そして、各地域で三里塚の集会などを少しずつでもやってってもらえるとかなり違ってくるんじゃないかと思います。
市東 北原さんの言葉を借りれば、「三里塚は健在です」ということですね。
萩原 そこは大きいですよね。健在というか、微動だにしないという。何も変わらずたたかい続けているということです。
市東 三里塚闘争が50年続いてきたのは、やっぱり、ぶれないことが一番でしょうね。
萩原 何かあれば三里塚に来てください。こちらは何も変わらないでやってっから。また同盟を呼んでもらってもけっこうです。
11月21日に都内で開いた市東さんの会のシンポジウムには、沖縄から安次富浩さんが来てくださいました。沖縄からはこちらの現地集会のときには、必ず人を派遣してくれるんですけれども、あれは本当に助かるというか、嬉しいですね。こちらからはなかなか行けないけれども、来てくださるのはありがたいですね。これは僕らにも力になりますし、本当に嬉しいです。それに応えるためにも、三里塚でしっかりとたたかいたいですね。
司会 市東さん、萩原さん、どうもありがとうございました。
4面
辺野古の現地から
2016年を勝利の年へ
工事阻止へ総行動を強化
ゲート前で闘う山城博治さん(1月13日) |
1月6日、2016年辺野古新基地建設阻止行動が始まった。キャンプ・シュワブゲート前には、多くの市民が結集した。警視庁機動隊は5日から次々と沖縄入り。6日は議員総行動の日で、稲嶺進名護市長はじめ、県議会議員、市町村議員、市民含め170人が参加。
車両搬入はなかったが、沖縄県警と警視庁機動隊は基地内で待機して弾圧をうかがった。
ボーリング調査再開
7日、海上では、ボーリング調査が再開された。ゲート前には市民100人が座り込んだ。午前7時頃、基地に20数台の車両が入った。沖縄県警、警視庁機動隊が座り込みの市民をごぼう抜きした。機動隊は昨年より凶暴化している。容赦のない引き抜きが繰り返された。
この日、昨年12月17日に不当逮捕された男性が、処分保留で釈放された。また12月5日に不当逮捕された男性は、昨年末起訴された。これまでの不当逮捕のなかで初めての起訴だ。
翁長知事の決意
8日、辺野古代執行訴訟第2回弁論が開かれた。ゲート前では早朝より座り込みで抗議した。午前7時頃20数台の車両が基地に入った。機動隊の暴力的排除が繰り返された。しかし、市民は怯むことなく何度も座り込んだ。
午後の裁判では、800人の市民が裁判所前集会に結集した。市民は弁護団や翁長知事にエールを送った。翁長知事が「集まった多くの皆さんに勇気づけられている、このたたかいは必ず勝利すると確信している」と発言すると市民から大きな拍手と指笛が鳴り響いた。翁長知事はさらに「今年は、宜野湾市長選、県議会選、参議院選と重要な選挙がある。その先頭で頑張っていきたい」と決意を述べた。
また、この日、ヘリ基地反対協と辺野古埋立承認取消訴訟弁護団は、沖縄県公安委員会に申し入れをおこなった。昨年11月より米軍キャンプ・シュワブゲート前の抗議行動を警備する警視庁機動隊の派遣要請を打ち切るよう申し入れた。
安次富浩ヘリ基地反対協共同代表は「警視庁機動隊が来てからは運動に対する強い弾圧が続いている」と強調し、ただちに警視庁機動隊の派遣をやめるよう要請した。
連日の攻防続く
ゲート前で連日すわり込み(1月13日) |
9日、ゲート前では市民が早朝より結集し抗議行動。基地には車両20数台が入った。海上では、抗議船2隻とカヌー13艇が抗議行動、海上保安庁の拘束をものともせず果敢にたたかった。
11日、この日は車両が午前7時、10時、午後1時と3回に分けて基地に入った。これまで、午前7時頃1回の車両搬入であったが、増加している。宜野湾市長選で市民の数が少なくなるころを見計らって入っている。
13日、議員総行動のこの日、早朝より市民が結集。午前7時頃には350人に。ゲート前を埋め尽くし、座り込む。工事車両は1台も来ない。機動隊もゲート内で監視するのみだ。山城博治さんは勝利の拳を突き上げる。そして、「今後、木曜日も総行動をおこなう。これからは水曜日、木曜日は車両は入れない」と宣言した。(杉山)
12・18 大阪
「現場攻防で勝つ」
山城博治さんが訴え
12月18日、大阪市内で「沖縄平和運動センター議長 山城博治が訴える! オール沖縄会議とともに、辺野古新基地建設阻止」という講演集会がひらかれた(写真)。
主催は、「Stop! 辺野古新基地建設! 大阪アクション(呼びかけ18団体)」。集会には、定員の132人を上回る参加者が詰めかけた。
講演の冒頭、山城さんは、10月から現場復帰したことを報告。
そして翁長雄志知事の政治家としての信念の強さとその発言の小気味よさを紹介し、「沖縄が初めて日米権力と対決する政治家を持った」と感慨を込めて語った。
辺野古ゲート前のたたかいでは、各勢力による「囲い込み」はすべてやめてもらったこと。辺野古新基地建設阻止の一点で運動を作り、全国の支援を拡大することをめざして行動してきたこと。そして現場のたたかいによって全国にアピールしていくことや「大衆運動は、無理をしないで、楽しくなければならない」と話した。
全国から座り込み隊を
現在、キャンプ・シュワブのゲート前には週1回の水曜行動で、500人から1000人の人たちが結集して、工事車両の基地内への出入りを阻止している。これを週2回にするためにオール沖縄会議が結成されたという。
ゲート前では警視庁機動隊への帰れコールが続いている。沖縄での機動隊への評価はすこぶる悪い。安倍政権は全国選抜で機動隊を派遣するといっているが、これを全国の支援の力で跳ね返したいと訴えた。
また、自治労沖縄県本部の要請で、自治労九州地連の幹部たちが動き始めた。労働運動の力を辺野古の現場に持ち込むことをめざしていることなどを話し、必ず勝利しようと訴えた。
現場で決着
質疑応答で山城さんは、辺野古新基地建設に反対する県民投票について、「県民投票をやれば必ず勝つ。しかし、知事選でも衆議院選でも辺野古反対派が勝っても安倍政権は工事を強行している。それを考えれば、現場で阻止することが重要で、現段階では県民投票は選択肢には入らない」と答えた。その後、辺野古現地で活動してきた仲間3人から報告があり、10万円を超えるカンパが寄せられた。(粟倉)
読書
「新しいオルタナティヴ」は始まっている
内田樹・高橋源一郎『ぼくたち日本の味方です』
文春文庫(2015年11月刊)788円(税込)
題名見たら「引いてしまう」が、なかなか面白い。『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』の文庫化だが、営業ベースに乗せるため出版社からタイトル変更要請があって変えたようだ。
3・11〜特定秘密保護法〜安保関連法の過程の新たな運動は、「対立構造そのものは因習的な左右対立と同じに見えるかも知れないが、今僕たちが立ち会っているのは全く新しい政治的現象だと思う」。これを「理解し分析するためには新しい道具、新しい政治概念、新しいスキームが要るだろう」と。その手探りの作業として対談はある。
55年体制は戦中派が作ったが、本当の戦後派が社会システムを担うようになって急速に劣化が始まった。すべてシステムは、現場の人間が自分の身体かけて固有名詞で債務保証しないと機能しなくなる。システムがクラッシュするのは誰も責任とらないからと。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が延坪島に砲撃したからといって朝鮮学校の無償化制度適用手続きをストップする政治家・安倍の異様さ、今の政治システムのクラッシュについて2人は語る。
野中広務は、土下座せんばかりに「頼む。勘弁してくれ」と言い、後藤田正晴は「可哀想でな。(沖縄)県民の目を直視出来ないんだよ、俺は」と言ったが、中谷も菅も安倍もいけしゃーしゃーと平気で嘘をつく有様を、翁長知事は代執行訴訟の意見陳述で書いている。戦争を経験したことのない政治家にバトンタッチして政治の有り様がガラリと変わったことを痛感する。
鳩山の「抑止力発言」を本土のメディアは“口からでまかせ”と鳩山の個人的資質を問うて叩いたが、琉球新報は「抑止力が虚構であることを首相がよくぞ言った」と言下に擁護している。
また、中東のリアルなニュースは東京外国語大学のサイトを見なさい、そうすれば、イスラムに対する恐怖が世界中に流れているが、平和的で高貴な何かがイスラム政治の言葉の中に流れていることがわかる。これが現実だと思っている現実が本当は現実の全てじゃなくて、その周りに自分たちの現実性を成立させている外側があって、その外側に通じる回路の言葉やロジックがなかなか見いだせないでいる私たち等々、と。
中国電力が出した漁業保証金10億8000万円を供託し受け取らず、30年間の反対運動を生活の一部として取り組んできた祝島の共同体を、オルタナティブのイメージとする。「私が正しくて、お前は間違っている」っていう形式の言語活動は、「知恵を出し合う」こととは違って、成長を前提としないこれからの社会では知恵を出し合うことこそ大切という。
あらゆる社会的運動は、どんなに繰り返されても根付かない限り消え去る。この運動(祝島やオキュパイ)のすばらしいところは、「(根付く)場所を決めたところ」だと。
もうすでに「新しいオルタナティブ(もう一つの世界)」は始まっているというのが結論だ。価値観の多様性を認めようとすると、頭が柔軟になっていくような気がする。軽快でスリルある対談だ。私もすでに新しいオルタナティブの中にいるのを感じるような…。(多田)
5面
林裁判長が樋口決定覆す
「安全神話」に戻った司法
福井地裁前
12月24日、福井地裁前は人々でごった返していた。1時30分から出発前の集会がおこなわれ、50分には、申立人と弁護団は支援者の拍手に見送られ、裁判所に入っていった。
2時をすこし過ぎて、裁判所の正面玄関に申立人の今大地晴美さんが姿を現したが、笑顔はなく、その口をへの字に結んでいた。そして広げられた垂れ幕には「司法の責任はどこへ」「福島原発事故に学ばず」と記され、樋口決定が覆されたことを私たちに知らせた。ざわめきと弾劾の声が上がった。
簡単な報告と怒りのシュプレヒコールがつづき、記者会見会場(福井県国際交流会館)に移動した。会場は駆けつけた市民とマスコミですべての席(約300席)が埋まっていった。申立人声明、弁護団声明、決定要旨が配布され、決定の内容が明らかになった。
今日の林潤裁判長による決定は出来レース以外の何ものでもない。11月13日に高浜異議審、大飯仮処分の審尋が終結してから、この日までに政府、福井県、裁判所、関電は一体となって再稼働のための条件整備をおこなっていた。
住民の生活と命
決定要旨を読んで感じることは、住民の命の問題が捨象されていることである。大飯原発の運転差し止め判決を書いた樋口英明裁判長は「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と住民の生活と命を基準にして、判決を書いたのにたいして、林潤裁判長はヒラメ裁判官として、新規制基準への適否を機械的に当てはめ、4・14樋口決定を取り消したのである。
仮処分異議審では住民や福島原発事故の被害者の気持ちを訴える機会はなく、たった4回の審理は関電の主張とそれにたいする反論に費やされた。論点整理のための質問事項は真理を追究するためではなく、関電側に主張を補充させるための「やらせ質問」にすぎなかった。
まさに最高裁から送り込まれた3人のエリート裁判官は刺客としての役割を果たしたのである。
過酷事故を否定
各論的に問題点を探ると、林潤決定は「新規制基準の枠組みには合理性がある」として、新たな「安全神話」を杓子定規に当てはめて、樋口決定を覆した。まさに福島原発事故以前に立ち戻ってしまった。
林潤決定は最低限の「多重防護」の考えさえも否定した。多重防護とは、「第1層:異常の発生の防止、第2層:異常の拡大を防止(止める)、第3層:周辺環境への放射性物質の異常放出の防止(冷やす、閉じ込める)、第4層:過酷事故の抑制と緩和(消火水、海水の利用、格納容器ベント)、第5層:人と環境を守る(屋内退避、避難、汚染物の出荷制限)」の5層である。
林潤決定は「新規制基準に適合している」「社会通念上無視しうる程度に管理されている」から過酷事故は起きないと断じ、4層、5層は考えなくてもよいとしたのである。こうして、林潤裁判長は住民の命と生活と引き換えにして、関電を救済したのである。
リップサービス
決定では、「(原発には)絶対的安全性は存在しない」「過酷事故が起きる可能性は否定されない」「高いレベルの安全性を目指す努力」「重層的な対策を講じておくことが重要」などとあたかも住民の主張を取り入れているかのように書いているが、結論に結びつかない論述は単なるリップサービスであり、何の意味も持たない。
また、林裁判長は「多様な意見に耳を傾けよ」と能書きをたれているが、自身は住民の訴えにも、専門学者のプレゼンにもまったく耳をかさず、関電の主張をなぞって決定を書いたのである(コピペ裁判官!)。
1月6日、抗告申し立て
1月6日、高浜異議審について、申立人と弁護団は名古屋高裁金沢支部に抗告を申し立てた。とくに、林潤決定が多重防護の4層、5層対策を不要とし、努力目標に格下げした点を突き、「審査を通っても安全ではない」という田中俊一委員長発言をもテコにして、主張を組み立てていく。
大飯原発の運転差し止めについては、規制委員会が再稼働の許可を出した時点で、再度、仮処分を申し立てることを考えている。
私たちの決意
戦後民主主義(三権分立の理念)のもとで、司法の独立が広く信じられてきたが、危機の時代には裁判所は一国家機関として、体制擁護のために働くことが全民衆の知るところとなった。
私たちは裁判を「たたかう武器」に鍛えるとしても、裁判にすべてを委ねることはやめにしなければならない。あくまでも、原発を止める力は人民のたたかいにあるからである。
戦後民主主義はいまだ沈黙させられてはおらず、裁判闘争のなかで自らを教育し、すべての原発を廃炉にするまでたたかいつづけよう。再びのフクシマが訪れる前に決着をつけねばならない。(田端)
高浜原発再稼働阻止
1・24現地 1・27関電包囲へ
1・9 京都で決定報告集会
報告集会前に京都市内をデモ |
1月9日、京都市内で「福井地裁の高浜・大飯原発再稼働差し止め裁判」全関西報告集会がひらかれ、250人が参加した。
集会の1部では、弁護団の鹿島啓一さんが「12・24決定」の内容解説と全面的批判を提起。2部では、高浜原発再稼働阻止にむけて8人からアピールがあった。〈若狭の原発を考える会〉の木原壯林さんは、11月のリレーデモの成果を報告し、この1年積み上げてきた若狭現地での行動の集大成として高浜原発再稼働阻止のたたかいに立ち上がることを訴えた。
集会場は、関電の異議申立を認め高浜原発再稼働を差し止めた樋口決定を覆した福井地裁・林裁判長の支離滅裂な決定にたいする怒りに満ちた。参加者は差し迫る高浜原発再稼働にたいして、労働者市民のたたかいでなんとしてもストップさせることを誓った。関電は1月末にも高浜原発の再稼働を強行しようとしている。再稼働を止めるために全力でたたかおう。
39回迎えた団結野菜市
三里塚から新鮮な野菜届く
12月26日、冬には珍しいほどの暖かさの中、三里塚直送の団結野菜市が兵庫県明石市の明石教会で開かれた。今年で39回目。前日三里塚で野菜を積んだトラックが夜通し走って朝6時に到着。野菜は泊まり込んだ仲間が荷降ろし作業をして、敷地内に種類別に積み上げられた(写真)。
午前8時すぎ、〈明石住民の会〉の日原さんの司会で集会を開始。野菜を運んできた三里塚現闘が、関西住民の支援交流にたいする謝辞と、最高裁での農地裁判と緊急5万人署名の支援、また第3滑走路計画など現地状況の報告。さらに50周年を迎える2016年の三里塚の闘いを訴える反対同盟のメッセージを読み上げたあと、関西実行委員会・永井代表のあいさつを受けて仕分け作業に入った。
住民団体は永井さん先頭に、これまでも落花生専門で受け持っているが、ビニール袋に入れる小分けは慣れた仕事。一方、土がついているネギ、人参、さといも、八つ頭など量り売りの野菜の担当は小分けにいつも苦労している。今年は太くて長くて柔らかいので評判のゴボウがないのもさびしいが、値が高かった落花生を近くのスーパーで見るとさらに倍の値がついていたと聞いてびっくり。
近くの人が野菜市を待っていたように教会を訪れるのも恒例になっていて、各団体がそれぞれ仕分けと清算を終えて野菜とともに帰り、11時には空のコンテナを積んでトラックが三里塚へ帰って行った。
関西の住民団体をはじめ集まった仲間も39回となると、始めたころ20歳、30歳代の若者が60歳、70歳代になっていて、年を重ねると慣れている反面、いろいろ無理がきかないということも否めない。でも三里塚の黒い土のついた野菜を食べて元気いっぱい新年を迎え、関西実行委員会は1月24日の旗開きから三里塚のたたかいに立ちあがろうと決意している。(え)
6面
―書 評―
戦争法と日米同盟の欺瞞を暴く
春名幹男『仮面の日米同盟―米外交機密文書が明かす真実』
(文春新書 2015年11月刊)
剣持 勇
経歴から見て、リベラルとも、左翼とも思われない著者である。しかし戦争法の背景や日米同盟の本質に食い込んだ分析は圧巻である。安倍政権の犯罪性・破綻性を浮き彫りにする絶好の資料となる。
暴かれた誤謬と欺瞞
本書は、「日米同盟があるからアメリカは日本を守ってくれる」という誤解または誤謬を暴いている。同時に、誤謬に目覚めた政治家や軍人が対米対抗や自主防衛論に走る危険性も間接に批判している。
この誤謬の暴露を補うものとして、アメリカではいま、「日本の有事に『巻き込まれる』ことにたいする警戒感が高まっている」ことの指摘も重要である。
安倍首相の戦争法推進の論理は次のような構造になっている。集団的自衛権の行使容認→日米同盟強化→アメリカが日本を守る→その前提としてアメリカの軍事作戦を「後方支援」する。本書は、この論理の欺瞞性を暴いている。
旧・現安保条約
旧・現日米安保条約を通じて一貫しているのは、米軍の日本全土にたいする駐留権である(=全土基地化)。安保条約を補完する行政協定(旧安保)や地位協定(現行安保)で、その治外法権的地位を確認している。
1960年の改定によって安保は双務的になったとされている。政府やメディアの解釈は、米軍に日本駐留権を与えるのと引き換えに、米軍が日本を防衛する義務を負うということである。しかし旧安保はもちろん、現行安保にも米政府・米軍が日本を防衛する義務を負うとは書かれていない。その点でNATOや米・豪・ニュージーランドのANZUS、米比相互安全保障条約、米韓相互防衛条約などと日米安保条約は性格が異なるのである。現行安保では、旧安保にあった日本の内乱への米軍の軍事介入権がなくなっている。しかしそれによって「双務的」になったなどとは言えない。
在日米軍の役割
本書は、以下の機密公文書で安保条約の前記解釈を裏付けている。
1971年12月29日付、ジョンソン国務次官(当時は国務長官代行)のニクソン大統領宛メモ―「在日米軍は日本本土を防衛するために日本に駐留しているわけではなく(それは日本自身の責任である)、韓国、台湾、および東南アジアの戦略的防衛のために駐留している」。
1971年8月24日、国務省が提出したキッシンジャー宛報告書―核の傘で日本を間接的に(しかもコストをかけずに)防衛しているとしたうえで、「日本国内およびその周辺に配備された米軍部隊は、アジアにおける米国の他の防衛公約を果たすのが第1の目的であり、日本防衛のためではない」。
フォード大統領から諮問を受けた省庁間グループが、1974年9月に大統領に提出した報告―「在日米軍および基地は日本の防衛に直接関与しない」。
米中の国交回復交渉
1971年7月に秘密訪中したキッシンジャーと周恩来との交渉過程で、周恩来は、日本の軍事的復活と1930年代の対外侵略の(再現の)危険性を指摘し、在日米軍の撤収と日米安保条約の撤廃を要求した。これにたいしキッシンジャーは、日本の再軍備や核武装、対外軍事進出を抑えるために、日米安保条約は必要であり、在日米軍はその任務のため日本に駐留している、と応えた。その後、何回かのキッシンジャーおよびニクソンとの会談で、周恩来は安保条約破棄や在日米軍の撤収を持ち出すことはなかったという。
1972年2月、ニクソン訪中時、ニクソンとキッシンジャーは周恩来ら中国側に、沖縄から核兵器を撤去したと告げた。日本側には、後に佐藤首相と「有事核再持ち込み」の「密約」を結ぶときに初めて告げたという。
1990年3月、在日米第3海兵水陸両用戦部隊のヘンリー・スタックポール司令官はワシントン・ポスト紙のインタビューで、「もし米軍が(日本から)撤退すれば、日本は一層軍備を強化する」、そのため「在日米軍の駐留継続が必要だ」と主張した。いわゆる「ビンのフタ」論である。
周恩来が納得したことに見られるように、ニクソンやキッシンジャーの中国での発言は中国にたいするマヌーバーではなく、米国の政治・軍事中枢の中では共通の了解事項であることを「ビンのフタ」論は示している。未開示の米政府の公式文書には明記してあると著者は推測している。
3つのガイドライン
ガイドライン(GL)はつぎのように変遷してきた。
1978年GLには、ソ連の侵攻を「共同して撃退する」と明記してあった。
1997年GLでは、米軍の役割を「支援」や「補完」に限定している。
2015年GLでは諸作戦を自衛隊が「主体的に実施する」(この日本語訳の問題は後述)とした。そのうえ従来、陸海空すべての作戦で米軍がおこなうことになっていた「打撃力の使用を伴う作戦」を、新GLでは「領域横断的な作戦」の場合に限定し、それも、してもしなくてもいいような表現になった。
本書は、以上の点を掘り下げ、新GLの作為的翻訳の問題点を指摘している。ちなみに、日米が合意した正文は英語であり、日本語訳は外務省が後で国内公表用におこなったものである。
(1) 「自衛隊及び米軍は…を防衛するため、共同作戦を実施する」
英語で「共同作戦」は「bilateral operations」となっている。「joint operations」なら「共同作戦」と訳すべきだが、「bilateral」には、日米が「共同して」とか「一体化して」という意味はない。日米各々が、(連携して)独自に作戦をおこなうという意味である。「並行して」と訳するのが適当であろう。
(2) 「自衛隊は、日本を防衛するため…作戦を主体的に実施する」
「主体的に」は「primary responsibility」となっている。これは「主たる責任」「第1次的な責任」と訳すべきである。これを「主体的に」と訳したのでは、日本防衛の責任が自衛隊にあることさえあいまいになる。
(3) 「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する」
「補完する」は、英文では「supplement」となっている。これは「補足する」「追加する」の意味であって、「補って完全にする」意味などない。実際以上に米軍の役割を大きく見せるように訳している。
(4) 「(領域横断的作戦で)米軍は、自衛隊を支援し及び補完するため、打撃力の使用を伴う作戦を実施することができる」
「できる」の英文は「can」ではなく「may」となっている。これはできるといった積極的意味はなく、「してもしなくてもいい」「する可能性がある」という意味である。在日米軍はもちろん、他の米軍も、積極的に「日本防衛のための」作戦をおこなう可能性は限りなくゼロに近いというのが真相であろう。
沖縄「返還」時の問題
1972年返還協定には沖縄の施政権を米側が「放棄する」とし、日本側が「引き受ける」と書いてある。日本に直接引き渡したのではないと解釈できる。施政権とは、国際法で「立法、行政、司法を実施する権限」のことであり、「主権」や「領有権」とは別の概念である。米政府は72年「返還」時に、主権や領有権の帰属をあいまいにし、「施政権を放棄する」という立場をとったのである。
釣魚諸島について、米政府は日本に施政権はあるが、主権や領有権については特定の立場をとらないと言っている。実は、この米政府の立場は沖縄全体についても当てはまる。著者によれば、米政府が、日中、日台の争いに巻き込まれないよう、国際法学者を動員して作り出した「解釈」であるという。
戦争法の危険性
本書からわれわれが汲み取るべきことは、第1に、日米安保体制とは、戦勝帝国主義である米帝国主義の立場からすれば、敗戦帝国主義である日本帝国主義を抑圧し、利用し、動員するためのものである。
第2に、安保体制は、日米関係だけでなく、アジア諸国、他の帝国主義国やスターリン主義国との関係をも視野においた帝国主義間同盟である。
第3に、安倍首相の大国化路線は、対中国対抗のために、戦後帝国主義「秩序」の破壊、再編を不可避とする。戦争法は、戦後の日米関係さえのりこえる突出性、危険性をもつことを見すえなければならないのである。
(新ガイドラインの作為的翻訳)
1(日本語訳)「自衛隊及び米軍は…を防衛するため、共同作戦を実施する」
(英語の原文)The Self-Defence Force and the United States Armed Force will conduct bilateral operations to defend ...
2(日本語訳)「自衛隊は、日本を防衛するため…作戦を主体的に実施する」
(英語の原文)The Self-Defence Force will have primary responsibility for conducting ... operations ... to defend Japan..
3(日本語訳)「米軍は、自衛隊の作戦を支援し及び補完するための作戦を実施する」
(英語の原文)The United States Armed Force will conduct operations to support and supplement the Self-Defence Forces' operations.
4(日本語訳)「(領域横断的な作戦で)米軍は、自衛隊を支援し及び補完するため、打撃力の使用を伴う作戦を実施することができる」
(英語の原文)(Cross-Domain Operations) The United States Armed Forces may conduct operations involving the use of strike power ...
春名幹男『仮面の日米同盟』より引用