改憲―戦争へ進む安倍政権
「沖縄・反原発」で打倒しよう
戦争は廃止総がかり行動実行委員会が新宿で街頭演説(12月15日) |
原発事故の責任追及を福島原発国訴団が検察審査会に事故責任の徹底追及を訴えた(12月10日 東京地裁前) |
改憲クーデターと闘う
昨年6―9月の戦争法反対闘争は、60年安保闘争、70年安保・沖縄闘争以来の大規模な大衆闘争となった。安倍政権は、これまで政府が憲法によって禁止されているとしてきた集団的自衛権の行使を法制化し、自衛隊の海外における武力行使を可能にする戦争法を強行成立させた。これは憲法9条を事実上破棄する「改憲クーデター」である。「平和主義」を国是としてきた戦後70年にわたる日本政治は重大な転換を遂げようとしていることに多くの民衆が、強い危機感を持って立ち上がった。
安倍政権を打倒するたたかいは昨年9月19日の強行採決を期して、本格的に始まったのだ。
安倍政治とは日米同盟の強化、新自由主義的構造改革の推進そして国家主義的独裁政治体制への転換をめざすクーデター政治である。安倍政治の背景には、金融グローバリズムを推進する日米双方の支配層の強力な要請がある。
すでに世界の金融資産はGDPの5〜6倍に膨れあがっているといわれている。巨大化した金融資本が資本として自己増殖を続けていくために、世界中で略奪、収奪、強搾取を繰り広げ、深刻な格差と貧困、飢餓と難民を拡大し続けている。これがグローバリゼーションという経済システムの正体である。それは、世界各地で「戦乱」=侵略戦争・略奪戦争を引き起こしている。そしてこの戦争に必要な軍備、基地、兵員のために莫大な軍事費を浪費しているのだ。
グロバリゼーションが引き起こした「終わりなき戦争」は、より強力な民衆の抵抗を生みだしている。とくにこの戦争を主導しているアメリカは巨額の軍事費による財政的疲弊を促進させ、社会保障の後退と貧困の拡大によって国内の階級対立を深刻化させている。
安倍政治とは、アメリカの「戦争・貧困・格差」を直輸入する政治であり、これとの対決は日本の民衆にとって死活がかかっているのである。
7月国政選挙の位置
安倍政権は今年7月の参院選で、憲法改正に必要な3分の2議席以上の獲得をめざしている。7月参院選は、改憲攻撃とのたたかいにおいて重大な政治決戦となっている。安倍のねらいは憲法9条を改悪し、現行憲法の平和主義を、積極的平和主義=「武力による平和」に置き換えようとするものである。
そのために戦争法のもとでの南スーダンPKO派兵をはじめとする自衛隊の海外派兵によって、自衛隊を戦闘地域で活動させ、9条改憲に向けた世論の動員をはかろうとしている。改憲攻撃を打ち砕くことは、日本階級闘争の当面する最大の政治課題である。
日米同盟の強化と新自由主義的構造改革を推進する安倍政治の展開は、不可避的にさまざまな面で矛盾や対立を生みだしている。そしてこうした矛盾の集中点で立ち上がっている人びとのたたかいは、安倍政治―改憲攻撃への民衆的反撃の一大拠点へと転化する展望を切り拓いているのである。
沖縄闘争の意義
その最大のたたかいは沖縄県民による辺野古新基地阻止闘争である。これは日米安保体制そのものを揺るがす闘争として発展している。また沖縄の基地撤去闘争は、韓国、台湾、フィリピン、グアム、ハワイなどの反基地闘争と連帯し、東アジア―太平洋地域を米軍支配から解放するたたかいへとつながっている。
また沖縄闘争が強く打ち出している自己決定権の主張は、日本社会の構造的な沖縄差別を鋭く告発するとともに、日本の民衆が自らの力でこの差別構造をのりこえて沖縄との共闘を力強く進めることこそが、日米同盟の支配から脱却する唯一の道であることを示している。
安倍政権による辺野古埋め立て工事の強行を許さない運動を各地で進めるとともに、キャンプ・シュワブゲート前の座り込み闘争や海上抗議行動などの直接行動の大衆的発展を実現しよう。
すべての原発を廃炉へ
沖縄とならんで重要なのは福島第一原発事故の被災地・被災者の運動である。原発事故は、「安全神話」を崩壊させただけではなく、「人命軽視・経済効率優先」、「地方・過疎地への原発を押しつけ」に象徴される日本社会の歪みを浮き彫りにした。原発事故被災者の訴えは、日本の核政策への批判にとどまらず、資本主義社会への根底的な批判へとつながっている。そうであるがゆえに、政府は福島県民に対して被災者を切り捨てる「棄民政策」をとり続けている。
これにたいして昨年6月、原発事故によって受けた被害にたいして、国や東京電力を訴えている住民・団体をつなぐ「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」が設立された。被害者への謝罪と完全賠償、生活・医療保障、被ばく低減策の実施、国・東電にたいする責任追及という切実な要求の実現のためにたたかおう。
また核政策(核武装政策)を維持するために政府は停止中の原発を次々に再稼働させようとしている。稼働中の川内原発の即時停止、高浜・伊方原発再稼働阻止、停止中の原発の即時廃炉に向けてたたかおう。
戦争サミット許すな
2016年の重要課題は5月26日から27日にかけて開催される伊勢・志摩サミット反対闘争である。このサミットは、G7各国によるイラク・シリアなど中東・アフリカ地域のイスラム勢力にたいする空爆の強化や地上戦の展開、さらには国内における治安弾圧の強化で意思一致する場となるであろう。そして安倍はこのサミットで戦争法によって集団的自衛権の行使―自衛隊の多国籍軍参加が可能になったことを誇示し、「対テロ戦争」(侵略・略奪戦争)の旗振り役を演じ、戦争法発動へゴーサインを出そうとするであろう。
サミット開催までの過程では、「対テロ警備」を名目とした監視や検問態勢の強化、不当な捜索、尾行、拘束・逮捕などの弾圧が図られるであろう。こうした弾圧態勢の強化にひるまず、戦争法反対闘争で爆発した民衆の怒りでサミットを包囲し、安倍の野望を打ち砕こう。
「再稼働差し止め」覆す
12.24 福井地裁決定を弾劾する
12月24日、福井地裁(林潤裁判長)は、高浜原発3・4号機の異議審で、再稼働を認める決定をくだした(写真)。あわせて、大飯原発3・4号機の「再稼働差し止め」申し立てを退けた。この両決定により、法律上は高浜・大飯とも再稼働可能情勢に入った。
この裁判は、高浜原発3・4号機と大飯原発3・4号機の再稼働差し止めを求め、住民が仮処分に訴えていたもので、昨年4月福井地裁(樋口英明裁判長)は、高浜3・4号機について緊急性を認め、「再稼働差し止め」決定をくだした。
これにたいして、関西電力は異議を申し立て、最高裁から送り込まれた林裁判長のもと異議審がおこなわれていた。
関西電力は高浜3号機について、すでに燃料棒を装填し、「1月28日に再稼働する」と表明している。再稼働を許すな。安倍政権、関西電力の暴挙は認めない。
2〜3面
新年特別インタビュー
第1回
「構造的な沖縄差別がまかり通っていいのか」
真宗大谷派僧侶(元・読谷村議) 知花昌一さんに聞く
「沖縄への構造的差別が続いている。歴史的な差別に加え、沖縄の基地を当然視することで政府はもとより本土民衆からも『沖縄、辺野古が唯一』と押し付けられている」という知花昌一さん。高校時代から復帰運動に参加し、本土の大学入学を機に在本土沖縄出身者として沖縄闘争に注力してきた武島徹雄さん。同世代のおふたりに対談をお願いした。多忙な日程のなかで時間を割いてもらったおふたりに感謝したい。
(12月20日、神戸市内 司会・文責/本紙編集委員会)
「あれ(コザ暴動)は沖縄の人びとに強烈に根付いている」(知花)
武島 さっそくお聞きします。昌一さんから見た辺野古の現状、それと不可分の沖縄の歴史、沖縄問題とは何か。辺野古闘争の内容といってもいいでしょうか。その展望、「オール沖縄会議」が結成されたことの意味など。また時間があれば「沖縄から見た天皇問題」についてもお聞かせください。
知花 沖縄を考えるとき、安保問題などから政治的に語るだけでは言いつくせない。差別という意味からも捉えておかないと。ぼくは最近とくに、そう考えている。いわゆる構造的差別があるし、差別としての基地問題がある。
本土では、基地は安保の問題となる。「安保に賛成だから、沖縄に基地があってもいい」という意見もある。しかし沖縄は、そうじゃない。安保を認める人たちも基地に反対している。金秀、かりゆしなど企業グループ(注1)もそうです。
コザ暴動の体験
武島 きょうは、コザ暴動45周年ですね。
知花 そう、あれは沖縄の人々に強烈に根づいている。沖縄市(旧コザ市)では、きょうは写真展やシンポジウムが開かれている。韓国から光州蜂起の当事者が沖縄にきたとき、「なぜ暴動というんだ。民衆の蜂起じゃないか。暴動という権力側の言葉を使わない方がいい」という。暴動というのは、権力にとってあってはならないこと。犯罪的なこととして貶める言葉だ。しかし逆に、権力はそれを恐れている。あえて民衆の側から「暴動」を使おうという人がいる。それほどのことだ。
武島 暴動という民衆蜂起ですよね。そういう内容が詰まっている。
司会 はじめから本質的な議論になっていますが、知花さんの問題意識を少しお話しください。
知花 そうだね。お寺さんも含め、月2回くらい本土に呼ばれます。最近は「構造的沖縄差別がまかり通っていいのでしょうか」という演題で話している。学界、報道でも構造的差別ということが普通になってきた。
ぼくはコザ暴動の前日、「毒ガス撤去」デモに参加していた。コザ市(現沖縄市)から嘉手納近くまでの長いデモでね、疲れて帰って寝た。朝、ラジオが「コザで暴動」といっている。すぐに行った。ゲート通りに民衆がワッーと集まって黒い煙が上がっている。街角には銃を構えた米兵が出ていたが、騒然としていた。完全に解放区。凄まじいなあと、感激だった。
胸のつかえがおりた
武島 ぼくはこっちの大学におり、ニュースを聞いた。解放感があった。本当に感動した。胸のつかえが一気に吹っ飛んだような。同じでしたね。
知花 どうしてこんなことが起こったのかと思った。そのあと小規模だったが那覇でも、またコザでも起こった。沖縄では「マグマが溜まっている。爆発したらコザ暴動だ」と、よくいわれる。
武島 沖縄の歴史のなかでコザ暴動の位置と意義はものすごく大きい。なぜ暴動という形をとって民衆が決起したのか。米軍支配の沖縄の戦後、県民が虫けら同然に扱われてきた過酷な現実に、積もり積もった思いが一気に噴出した。糸満市で酔っ払い運転の米兵が青信号を渡っていた主婦をひき殺したが、基地に逃げ込んで無罪。コザで同じようなことが起こりMP(米軍憲兵)が出てきた。「また同じか」、それが引き金だった。
民衆はきちんと車を選んで米軍、米兵の車両だけを燃やした。ガソリンを抜く人。それを燃やす人。暴動という形態のなかにちゃんと「秩序」がある。民衆のしっかりした意識がある。
知花 当時、米軍関係の車は黄色ナンバーに「キーストーン・オブ・パシフィック」と書いてあった。それを他に燃え移らないように真ん中に出してひっくり返す。黒人兵の車を「やってしまえ」という人と、「いや、あいつらも差別されているから、やめよう」という人が。「じゃ、あっちにしよう」と。
屈辱に耐えてきた沖縄の民衆の気持ちが一気に噴き出すと、そうなるよ。この10数年、4回も10万人集会をおこなったが、民主的に非暴力でおこなわれてきた。しかし一顧だにされない。もう、あれ(暴動)しかないんじゃないかという気持ちが起こっても不思議じゃないよ。沖縄は、コザ暴動の体験がある。きょう12月20日、本当に歴史的な転換の日だ。
武島 まったく同感ですね。コザ暴動を報じた当時の雑誌『世界』に、「沖縄のオジイが杖を振り上げながら、『ユーセーサ、ユーセーサ(よくやった、よくやった)』といっていた」と載っていた。話が終わらなくなりますね。
辺野古のことをお聞きしたい。
「辺野古は絶対に止める」(知花)
知花 ぼくは、週1回くらい行っている。毎日60人から100人。毎週水曜日は議員団を含め300から500人、1000人以上のときもある。ゲートは3つ。それだけ集まると機動隊150人では排除できない。少し工事はやっているようだが、埋め立てには膨大な土砂がいる。いまでも朝からもみくちゃ状態。島ぐるみ会議では、それを木曜日にも広げ、ゲートを封鎖しようとしている。そんな状態で1日千台もの工事用トラックを動かせるのか。毎日ごぼう抜きされながら、ぼくらは絶対に止められると確信していますよ。
カヌーは45艇くらいある。ところが漕ぎ手がね。技術的にも体力的にも、年寄りは出られないんだよ。自分でひっくり返し、自分で乗ることができなければならないから。だから、みんなゲート前に集中している(笑い)。日曜日は新しい漕ぎ手の練習、訓練だ。45艇フルに動かせれば海保とやり合える。
武島 そういうリアルな状況を聞くと、勝てる確信が大きくなります。いま一人でも二人でも現地、現場に駆けつけるということが大事ですね。沖縄はもちろん、本土からも。
知花 ぼくらは、こういっては何だけど本土をアテにするという気持ちはない。自分たちだけでも、止める。沖縄の歴史、さっきのコザ暴動の体験もあるし、10万人が何度も集まることもできる。これまでの革新、保守ではない。島ぐるみ会議は保守も革新もいっしょ。辺野古基金は5億円を突破しています。70%は本土からですよ。本土の人たちも、辺野古の事態を見て納得できない、政府のやり方はおかしいという人がいっぱいいる。
司会 本土の人たちが「これは沖縄の問題か。本土、日本の私たちの問題だ」と考え始めています。辺野古の座り込みに参加した人が、「これ(工事強行)は安倍政権の姿そのもの」「しかし、このたたかいに民主主義がある」とレポートしています。
そこに身をおくと 国家の暴力が見える
知花 原発も基地も国策。国家権力・政府が前面にいる。そこに身をおくと、国家権力とその暴力が見えてくる。それがいまの沖縄、原発でしょう。彼らは法律も無視だよ。つごうが悪ければ変える。警視庁から機動隊を投入する。辺野古の海には海保の監視船艇が20隻も並ぶ。沖縄戦の再来かと思うよ。
国家権力の横暴がむき出しになっているのが辺野古だ。「これはおかしいよ」と気づく民衆は、権力の姿が見えるんだよね。抵抗を始める。抵抗すれば本質が見えてくる。日本の民衆は、ようやく気づき始めたのかな。原発事故、沖縄、安保法制。「おかしいぜ」という声が上がり始めた。
権力に従う者には、それが見えない。仏教からいうと、それは畜生ですよ。畜生というのは下僕(しもべ)、家畜のこと。飼われている。「首が飛ぶような念仏者になれ」という言葉がある。仏教の本質はそうですよ。首も飛ばないような念仏をいくら唱えても、何も変わらない。南無阿弥陀仏と唱えただけで親鸞は島流しだ。法然の弟子は首を斬られた。親鸞の仏教は、既成の教えにたいする新しい運動だった。「ただ、念仏を唱えよ。そうすれば救われる」というのは、何もせずに服従することではない。その念仏行為は既成の仏教にも、権力、権威にも従わない。それが民衆を変えていった。だから弾圧された。
南無阿弥陀仏の原点は抵抗だよね。活動的であり、出家ですよ。出家というのは家を出る、世間から出る、世間に出るという意味もある。世間の価値観に従わない。戦前のキリスト教もそうだけど、仏教も戦争に協力した。教えにないことを教えてきた。再びそうであってはならないのなら、一揆を起こすくらい出世間(しゅつ せけん)しなければ。ぼくは、そう思っていますね。
武島 いまの話で昌一さんが親鸞に学び僧侶になったのが、わかるように思います。
知花 ぼくはずっと学生時代から社会運動をやってきた。「日の丸」も焼き捨てたけど、何か足らないなと思うようになった。左翼は左翼で既成の概念に捉われていたのではないか。そういうときに親鸞に出会った。平良修さんのようなキリスト者もいたが、宗教だから普段は怒りを表面に出さない。「知花も、おとなしくなるのか」と思われただろうね。
宗教というのは、本来は民衆の思いと生きざまを表すものですよ。それが権力と結びつき、地位と組織を守ろうというものになってしまう。宗教も党派もですけどね、組織を守ろうとするとき権力に取りこまれ変質するよ。
武島 平良さんは、ぼくが高校生のとき、アンガー高等弁務官の就任式(1966年11月2日)で「あなたが最後の高等弁務官になりますように」とお祈りをした。あのころの高等弁務官というのは恐ろしい権力者、独裁者だった。それを目の前において平然とやった。本当にびっくりした。
「貫かれてきた琉球『処分』」(武島)
沖縄のアイデンティティー
知花 事あるごとに何回目の琉球処分といわれる。ぼくは明治政府のときが第1、沖縄戦と講和条約が第2、返還協定のときが第3といってきたが、沖縄戦と講和条約を分けるという意見もある。そうすると返還協定が第4、辺野古決定は第5だろう。石破が沖縄選出の自民党議員を恫喝したのも琉球処分といえるかもしれない。
武島 節目、節目はあるけど、ずっと処分状態が貫かれている。それが構造的差別の内容のひとつですね。第1次、第2次というと、本土の人たちは「そこだけが処分」と誤解するのではないか。貫かれながら、節目がある。ぼくは、沖縄戦というのは第1次琉球処分で強制され構築された構造的沖縄差別の極限的帰結、行き着いた現実が沖縄戦だったと考えてきた。
知花 ああ、そうだね。沖縄戦を琉球処分と見るかどうかというとき、沖縄も戦争に積極的に協力したではないか、ということがある。教育でもそうされたし一部異論はあったかもしれないが、ほぼ全面的に協力した。
武島 それは沖縄県民が、連綿と差別の歴史におかれたことにたいし、戦争に全面的に協力していくことによって自分たちも立派な日本人として認めてほしいという極限形態、歪曲され間違った意識だけど、差別された現実の裏返しの心情と構造の表われだったと思う。
いま沖縄のアイデンティティーがいわれている。前泊博盛さんは「アイデンティティーだけではダメ」という。沖縄のアイデンティティーだけでは、沖縄が一体となって起ち上がっていくというところまでいかない。 沖縄の今後を展望するとき、「保守と革新」という意識構造、その軛を脱するイデオロギーが求められている、ということではないか。前泊さんはオール沖縄というものをどのように発展させるのか、沖縄の未来という観点から言っていると思う。
「オール沖縄」とは
知花 オール沖縄は、一つ筋を通している。経済的なこともあるだろうけど、はっきりしているのは「基地はいらない」ということ。何もかも取りこんでやっているわけじゃない。これまで70年間ずっと基地があり、基地の被害を受けてきた。安保賛成も反対もある。しかし「もう基地はいらない」「基地のない沖縄を展望する」ということだよ。イデオロギーを棄てるということじゃない。それはお互いに持ちながらのアイデンティティー。そこには「基地はいらない」という軸が貫かれている。
武島 教科書書き変えのとき、建白書提出のとき翁長さんが果たした役割を見て、その信念は本当に固いと思った。
知花 何年か前の慰霊の日の国際反戦集会で「ヤマトンチュはヤマトに帰れ」という意見があった。「安保をつくり、犠牲は沖縄に押し付ける」「沖縄にきて平和運動をやって自己満足している」とか。ぼくはその意見に「そこまでいうんだったら、あんたたちがやってからいえよ」といった。
ぼくは、独立論にシンパシーを持っている。独立を考える琉球民族独立総合研究学会という団体もできた。だけど沖縄にルーツを持つ人だけ、となっている。じゃ本土から沖縄に来て住む人は、在日は。そういう排外的ないびつさでいいのかと思う。
「本土で基地を引き受けよう」という人たちもいるが、ぼくは賛同できない。「本土は安保賛成の人が多い。それなら『基地は沖縄に』というのはおかしい」という。安保反対の人たちがそういうことをいっている。安保に賛成なら一応スジは通るよ。でも反対の人がいうのはちがうと思うよ。
「沖縄に対する懺悔だ」という人もいる。それはけっきょく国家権力の横暴に負けていると思う。その論理では本土の米軍基地に反対できなくなるんじゃないか。
武島 基地誘致運動になってしまう。沖縄と連帯するという気持ちではあっても、現実には安倍の戦争政策に加担することになる。沖縄の側から「もう嫌だ。基地は本土に持っていけ」という気持ちはよくわかる。いままでどうやっても基地は撤去されてこなかったじゃないか。せっぱ詰まった形で「本土に持っていけ」というのは「本土のあなたたちはどうするのか」と突きつけているのだ。そこを間違って「本土に基地を」というと、むしろ沖縄の気持ちを歪めることになると思う。
知花 また仏教のことになるが「懺悔なきもの畜生なり」という親鸞の言葉がある。懺悔というか、慙愧というか、それは人間が持たなければならない。彼らは、そう思ってくれていると思うけど、表し方がちょっと違うのじゃないか。それでは同情になってしまうのではないか。運動形態はいろいろあっていいと思うけど、自分のイデオロギー、生き方を曲げていっしょにやろうというのは、どうなのか。
「むき出しの国権に、民権が正面に出てくるよ」(知花)
人権を蹂躙する安保とは何だ
知花 私たち反戦地主が土地の使用を拒否したとき、法律を変えて「象のオリ」(写真下=米軍楚辺通信所)を使用しようとした。国会に行って「土地泥棒だ」と叫んだら逮捕された。そのとき検事が「あんたたちは安保、基地に反対しているけど、アジアでは日本は危険だから米軍がビンの蓋として押さえている」と、米高官の言葉そのままをいうんだ。アジアの安心のためだ、というわけ。ぼくは、「そのために沖縄が犠牲になり、女性や少女が暴行されて何の安保だ」「安保で国民が蹂躙されている。国家公務員としてどう思うんだ。国民よりも大事な安保、基地って何だ」といったら検事は黙ったね。
原発もそうだ。「犠牲のシステム」という。「原発も基地も、犠牲なんだ」と。電気をふんだんに使い金儲けをするために、福島の人たちは被曝し生活を破壊されている。さっきもいった慙愧の思い、それはないのか。多数のためには、少数は犠牲にされてもいいのか。少なくとも、「少数や辺境が犠牲になりっぱなし」は終わりにする。古波津英興さん(1907―99)がいっていた民権と国権の対立。そこに民主主義がある。
武島 謝花昇(注2)の沖縄民権運動を今日的に継承し発展させた古波津さんが、よく話していた沖縄のことわざ「ワンガサンデー、ターガスガ。ナーマサンデー、イチスーガ(私がやらなくて誰がやるんだ、いまやらなくて、いつやるんだ)」。それは沖縄の自己決定権のことでもある。「沖縄のことは沖縄が、沖縄の世の中は自分たちの力で作り出すんだ」という、ウチナンチュの自己決定権が強烈に大衆的になってきている。
天皇と構造的差別
武島 沖縄戦の教訓として、もうひとつ「ヌチドゥ(命こそ)宝」というのがある。時間のつごうで省略しますが、これは重要な思想内容を孕んでいます。知花さんから見た天皇と沖縄問題、「尖閣」を口実にした南西諸島の防衛強化、自衛隊の進出についてお聞きしたい。
知花 天皇には戦争責任問題と、戦後の問題がある。戦時中は御前会議で戦争を終わらせることができたのに国体護持と天皇制存続に執着し、沖縄戦、広島・長崎に至らしめた。本土決戦の時間かせぎに、沖縄に犠牲を押し付けた。戦後は、アメリカに「50年間沖縄を支配してよい」「切り捨てていいよ」と約束した。自分の命乞いも含め、マッカーサーに何度も会っている。そこから構造的差別はずっと続いている。
「尖閣」問題では、政府もマスコミもあまりにも過剰な意図的な反応や報道をする。敵をつくって軍事に走るという常套手段だ。「敵は中国だ」というと、多くの人たちがそうだと思う。石垣島の漁民は、「静かにしてほしい」といっているよ。
ぼくは、意気揚々としているよ
知花 20年前に、米軍用地の強制使用をめぐって当時の首相が沖縄県知事を訴えた。少女暴行事件が起こり、当時の大田知事が署名を拒否したときだ。「象のオリ」のぼくの土地をめぐって土地使用期限が切れ、政府は一時不法占拠する状態になったが、軍用地特措法を改正、暫定使用を合法化した。彼らは、法律でも何でもつごうのいいように変える。あのときは国の業務の代理だった。今回は法的にも完全に県知事の権限。たたかう側も当時は反戦地主が中心だったが、いまは広範な階層の人々が運動の主体。本土、アメリカでも沖縄に基地を押し付けるなという声があがる。絶対にとめられる。
農地を守る農地法を悪用し三里塚の市東さんの農地取り上げ判決をくだした裁判長が、福岡高裁那覇支部に異動になった。露骨だ。だけど、どんな司法判断が出ようとあきらめる状況はないよ。
1月24日の宜野湾市長選にむけて政府はまたぞろ懐柔策だ。翁長さんは「話クワッチー(話だけのご馳走)」「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」といった。ていねいな言葉ですよ。
いま、国権がむき出しになっている。謝花昇から100年余の民権運動。それが正面に出てくるよ。ぼくは、意気揚々としている。コザ暴動と民衆決起。そして、いまの島ぐるみ闘争。全国で、いまほど沖縄が問われているときはないんじゃないか。展望と、誇りを感じている。
司会 知花さん、武島さん、ありがとうございました。
(注1)金秀グループは、沖縄県の企業グループ。総合建設業・小売業・保険代理業・携帯電話販売代理業・リゾート施設の運営。株式会社かりゆしは、沖縄県由来の資本として沖縄本島でリゾートホテル3軒を営業する大手ホテル会社の一つ。
(注2)謝花昇 1865年生、1908年没。沖縄における自由民権運動の先駆者。沖縄県からの最初の県費留学生として、帝国農科大学(東京大学農学部)に入学。卒業後、技師として沖縄県庁に就職。のち、時の奈良原県知事の施政と対立。辞職して知事の暴政を批判した。
4面
争点
安倍政権の「医療介護改革」を斬る
―介護離職ゼロの正体
介護業者の倒産が過去最多に
9月24日、安倍首相は「アベノミクス第2弾 新三本の矢」と称して、突如「介護離職ゼロ」をぶち上げた。「介護労働者の離職ゼロ」と勘違いした人も少なくない。介護のために離職を余儀なくされる労働者は年間10万人、これをゼロにするというのだが、本気ならば「まず介護労働者離職ゼロ」だろう。多くの人が酷評し、「虚しい響き」と冷ややかに受け止めた。
ちょうど一カ月後、「介護業者の倒産過去最多」(東京商工リサーチ調査)と新聞が報じた。背景には4月の介護報酬大幅引き下げがある。同時に改悪介護保険法も施行されている。このように介護の受け皿を破壊しておいて「介護離職ゼロ」を呼号する安倍政権。めざしているのは社会保障を解体して「互助・自助」に置き換えていく事である。
介護報酬大幅引き下げ
介護報酬とは、政府が3年ごとに決める介護サービスの公定価格である。医療の診療報酬と比べると驚くべき低さだが、その上に今回、制度始まって以来の大幅引下げが強行された。「2・27%のマイナス改定」と報じられたが、それは基本報酬のプラスα部分である「加算(※)」を含めて計算した見せかけの数字だ。実は本体部分である基本報酬が平均4・48%も引下げられた。中でも小規模のデイサービス(△9・8%)、訪問介護の生活支援(△4・7%)、特別養護老人ホーム(△6・3%)などを狙いうちにしている。さらに介護の必要性が「軽い」と判定された「要支援者」にいたっては20〜25%の引下げだ。
(※)「加算」は幾つもの要件を満たし煩雑な申請手続きをおこない認められた後に初めて請求できる。今回、中重度者や認知症にたいする「加算」が新設・増額されたが、零細事業所ほど加算をとるのは困難である。
小規模デイサービスも生活支援も、大半は零細な事業所がおこなってきた。労働者の過半がパートや登録型ヘルパーという低賃金・不安定雇用の女性労働者である。こうして経営を維持してきた経営体が今回の大幅引下げに持ちこたえられるはずがない。
特別養護老人ホームにたいしても「中重度者」の介護に重点化し、減収分を加算でやりくりしろというわけだ。3月時点での待機者は52万人だが、法改悪で「入所は原則要介護3以上」と制限され、待機者の34%が切り捨てられた。
ここには保険給付抑制のために、◆制度発足以来増え続けてきた小さな事業所をつぶす、◆「軽度者」を切り捨てる、◆生活支援を介護保険から切り離し、家事代行業者や外国人労働者、ロボットへと置きかえていく―などの厚労省の意図が貫かれている。
こうして「医療から介護へ、施設サービスから在宅サービスへ、在宅サービスから家族や近隣住民による『自助』『互助』へ」という超少子高齢化に対応する新自由主義的「医療介護改革」の流れを加速させているのだ。
介護虐待が急増
こんな中で、氷山の一角だが国の統計でも介護虐待は急増している。
介護職場の深刻な人手不足、介護労働の質を確保できない現状が背景にある。入居者の大半が認知症という施設で働く女性労働者は「人手不足で放置が常態化」「夜間、『早く来て!』と叫ぶ入居者、鳴りやまないナースコールに線を引き抜きたい衝動をこらえながら、そのうち心身がマヒ、最後は無視してしまう」と窮状を訴える。自らの感情をコントロールしながら相手に寄り添う介護労働は感情労働といわれ、同時に肉体労働でもある。多方面の知識と技術、経験の積み重ね、人格形成を求められる。多くの介護労働者が「働きがいのある仕事」「社会や人のために役立ちたい」と選んだ介護職場で、人間としての心身の限界を超える過酷な労働を余儀なくされている現状を変えていかなければ虐待は無くせない。
家族の置かれた状況も過酷だ。「警察庁によると2007年から14年までの8年間に、介護・看病疲れによる殺人事件(未遂も含む)は全国で371件、自殺や無理心中で亡くなった人は2272人」「介護殺人加害者の半数が昼夜を問わぬ介護で睡眠不足、うつ状態の診断もめだつ」との新聞報道がある。介護サービスを利用していても事件が起きていることを注視する必要がある。
介護制度の貧しさを浮き彫りにする現実である。
介護保険は「国家的詐欺」
今の介護保険制度は介護が必要になっても、情報のキャッチ・要介護認定の手続き・時間と費用など幾つものハードルを越えなければ利用することができない。利用できても上限設定、必要な介護は保険外、施設がない、施設はあるが労働者がいない、介護の質は劣化するばかりなど安心・安全の介護とは程遠い。サービスを充実させれば保険料が上がるという根本的矛盾を抱えた制度なので市町村は勢い給付を抑える。年金が月額1万5千円しかない人からさえ保険料が天引きされるが実際の利用は高齢者の2割弱。8割強の人が掛け捨て。まさに「保険料あって介護なし」なのだ。
この介護保険の改悪法が4月施行された。今までとは一線を画する抜本改悪である。主な改悪点は、
@要支援者の訪問介護とデイサービスを介護保険給付からはずし、市町村事業へ移行(開始時期は15年4月から17年4月までの間)、
A特別養護老人ホームへの入所制限(前記)、
B所得によってサービス利用料を2割負担に引き上げ、
C低所得者でも預貯金があれば施設の居住費・食費を補助しない。
さらに6月、国が発表した「財政健全化計画」では「要介護2まで切捨て」などの恐るべき給付抑制案がてんこ盛りにされ、一部は閣議決定により要検討とされている。「介護保険の生みの親」である元厚労省官僚・堤修三氏さえ「国家的詐欺」と怒りを露わにしている。
「賃上げ」はペテン
介護現場の深刻な人手不足、その最大の原因は低賃金・劣悪な労働条件である。
介護労働者の賃金は全労働者の平均より月額11万円も低い。
政府は介護報酬引下げと同時に、高いランクの処遇改善加算を新設し、「介護労働者ひとり1万2千円の賃金アップ」と喧伝した。しかし、所詮官僚の机の上の空論、全労連の全国調査でも8割が実感ないと回答している。
そもそも前述のように報酬全体を大幅に引下げているのだから、処遇改善加算をあげたからといって賃上げの担保にならないことは自明の理。しかも新設加算にはより厳しい要件が設定され、どの事業所でも取れるわけではない。
国とマスコミの報じ方によって甚だしい誤解が生じているが、加算金は介護労働者一人につきいくらという形で算定されているのではない。事業所が実際に毎月提供したサービスの種類に応じて4ランクの加算率(最低0・88%、最高8・6%)が設定されており、それを介護報酬に上乗せして事業所に支払われる仕組みだ。従って、同じ時間働いても生活支援のように報酬単価が低い介護労働にたいしては加算金も低くなる。加算金が保険料に跳ね返っていくことも問題である。さらに他職種の労働者もいて事業所が運営されている場合、介護労働者だけに賃金を上乗せすることは労働者の分断につながる。しかしその原資は事業所が捻出するしかない。
このように処遇改善加算の仕組みは実効性が無く、矛盾だらけである。
介護労働者の労働条件改善の大前提として引き下げた基本報酬を早急に元に戻すこと、介護労働者に最低でも「世間並み賃金」を保障すること、そのために11万円賃上げ目標を明確にすること、賃上げ原資は介護保険からではなく税金でまかなうこと―これらを国に強く求めていく必要がある。
超少子高齢化が突きつけるもの
世界に類を見ない急激な超少子高齢化・人口減少社会。眼前にあるのは、人間が日々の生存を維持し、子を産み育て、社会を繋ぎ歴史をつくるという人類の生命体としての当たり前の営みさえもが崩壊していく日本社会の現実である。グローバル金融資本によるあくなき利潤追求、弱肉強食の市場原理主義が地球を覆い、ひとりの労働者の最低限の生存さえ許さない無慈悲で残酷な極限的搾取と収奪の結果である。同時に、労働運動の後退がこの横暴をまかり通らせてきた。
産業革命の時、労働者は血を流し命がけの闘いによって女性と子どもの保護―労働時間の短縮を闘いとってきた。労働者階級自体が滅亡してしまいかねない危機と、資本家に譲歩を強制した闘いの歴史を今、思い起こす。
支配者層は自ら招いた「労働力の絶対的不足」に危機感を募らせている。「1億総活躍社会」を呼号し「女も、年寄りももっと働け」と尻を叩き、生存権は保障しないが最後の血の一滴まで絞りとると襲いかかってきている。さらに国内で賄えない労働力は海外から導入、ロボット開発を成長戦略にすれば一石二鳥という考えである。
結婚も子育てもできない社会は、若者や子ども達から「結婚したい」「子を産み育てたい」という願望も奪っていく。女性差別や性抑圧の問題を捨象してこの問題と向き合うことはできない。女性が自由に主体的に、対等な立場で男性と結びあい、産みたいと願い、産み育てることができる社会を一からつくっていかなければならない。それは出生前診断によって障害児を抹殺させない、長生きを「社会的悪」であるかのように思わせる価値観や社会を許さない闘いと一体である。
新たな労働運動の力で
一昨年、関西で労働運動の再生をめざす運動が開始された。産業別・業種別に中小零細企業の労働者を組織化し、労働組合が主導して事業者とも連携して業界を支配する大資本と対抗する産業政策運動をすすめ、健全な中小企業経営と労働条件の改善をかちとる取組みを広げていこうとする運動である。
そこから介護医療部会が発足し、介護保険法・障害者総合支援法に基づく制度の枠組みそのもの、即ち国や自治体に要求を突きつけていく運動が始まっている。介護労働者の明日と、高齢者・「障害者」の生存と尊厳を守るために避けて通れない闘いである。この運動をともに推進、発展させ、労働運動再生と労働者住民主体の社会保障を闘いとっていこう。(土田花子)
シンポジウム
「社会保障の切り捨てアカン! 財源(カネ)がないってホンマなん? ?公正な税制のあり方を考える?」
と き:1月30日(土) 午後1時〜4時半
ところ:AP大阪淀屋橋4階(京阪淀屋橋ビル 地下から17番出口)
資料代:500円
〈プログラム〉
・リレー報告 「社会保障の現場から」 生活保護/年金/医療/介護/障害/奨学金/保育
・基調講演
「分断社会を終わらせる? 『救済の政治』から必要の政治』へ」 井手英策氏(慶應義塾大学教 授)
主 催:反貧困ネットワーク大阪など3団体
5面
辺野古レポート
工事車両搬入を阻止
12・14 オール沖縄会議結成
キャンプ・シュワブ第1ゲート前にすわり込む市民たち(12月23日 名護市) |
工事を阻止
12月9日、議員総決起行動のこの日も、早朝より市民がゲート前に結集。午前7時には350人に達し、工事車両を待ち受ける。機動隊はゲートの中から弾圧をうかがうが、工事車両は来ない。市民はこの日も工事を阻止したことを確認し、勝利のダンスで盛り上がった。
10日、沖縄防衛局は、9日に工事車両の搬入ができなかったことに危機感をつのらせ、午前7時と午前9時の2回にわたり、計28台の車両を基地に入れた。市民は徹底抗戦をしたが、機動隊の暴力で、ごぼう抜きされた。
米の退役軍人が合流
11日、米軍の退役軍人らで構成する平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」のメンバー11人がキャンプ・シュワブゲート前の座り込みに参加。米軍の軍事政策を批判するとともに、沖縄県民と連帯を強めた。メンバーは機動隊のごぼう抜きにもひるむことなく抗議を続けた。そして、座り込みの市民に「辺野古の反対運動は国際的な広がりを持っている」と激励した。
12日、ゲート前からダンプ5台を含む8台の車両が基地に入った。海上ではボーリング調査が最終段階に入り、あと1カ所を残すのみとなった。
14日、〈辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議〉の結成大会が宜野湾市でひらかれ、1300人が参加した。辺野古への新基地建設阻止に向け、政党や市民団体、経済界や若者のグループまで幅広い団体を網羅する新組織として発足した。
稲嶺進名護市長、高里鈴代島ぐるみ会議共同代表、呉屋守將金秀グループ会長の3氏が共同代表に就任。稲嶺名護市長は「たたかいは裁判闘争とかあるが、この大衆運動こそが一番大事な力になる。オール沖縄会議がまとめ役になる」と結成の意義を述べた。
翁長知事が「辺野古新基地建設阻止に向け、心を一つにしてやっていこう」と訴えると、会場参加者から割れんばかりの歓声と拍手がわきおこった。
右翼と対峙
16日、議員総決起行動。この日も400人がゲート前に結集。工事車両は来ず、機動隊の出動はなかった。市民は「人が集まれば工事を止められる」とスクラムを組んだ。
この日、右翼40人がゲート前で集会とデモをした。11時30分頃ゲート前で集会を始めた。機動隊に守られ、がなりたてた。市民150人はテントに結集し、独自集会を開き、カチャーシーで右翼の集会に応えた。右翼はその後、浜のテント村近くに集まり、一人一人がマイクを握り、同じようなことを2時間がなりたてた。テント村には市民が集まり、右翼と対峙しながら座り込みを貫徹した。
この日、国頭村で「島ぐるみ会議」が結成された。これで、沖縄本島の全市町村に島ぐるみ会議ができた。
警視庁が一時撤退
17日、ゲート前の座り込み抗議中、1人が不当逮捕された。またこの日、5日に逮捕された男性に10日間の勾留延長が決定した。(計23日間の勾留)
21日、警視庁機動隊が帰任した。年明けには増強した機動隊が警備にあたると伝えられている。しかし、警視庁機動隊の一時撤退は、ゲート前座り込みの市民に歓喜の声をもって迎えられた。「撤退し工事が止まった。われわれの勝利だ」「われわれの運動が機動隊を追い返した」と辺野古ダンスで喜びをあらわした。一方「年明けには機動隊が戻り、工事を再開するだろう」と気を引き締めた。この日、工事車両の搬入は確認されなかった。
海上では、スパット台船が作業をしている。市民は、抗議船とカヌーで抗議行動を続けた。そんな中、突如、海保が市民に襲いかかる。カヌー隊の男性1人が拘束時に胸を押さえつけられた。男性は胸の痛みを訴え救急搬送された。22日には女性1人が海保にケガを負わされた。
23日、今年最後の議員総決起行動に市民400人が結集。1年間のたたかいを振り返り、来年もひき続きたたかうことを決意する議員たちの力強い発言が続いた。議員は市民とスクラムを組み、辺野古ダンスを踊り、カチャーシーでたたかいの決意を固めた。
自衛隊を戦場に送るな!
総がかり講演集会に2200人
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12月19日「自衛隊を戦場に送るな! 総がかり講演集会」が東京・北とぴあで開かれ、2200人が参加(写真は第2会場)。
元自衛官の井筒高雄さんは「一般の自衛隊員は本格的な実戦訓練はしていない。安倍総理はそういう自衛隊員を海外に出そうとしている。必ず大量の死者が出る」「イラク戦争では米軍よりも多国籍軍の死者の方が圧倒的に多い。しかも『非戦闘地域』での戦死者の方がはるかに多いという統計がある」と話した。
労働弁護団の高木太郎さんは9月の電話相談での自衛官の家族の声を紹介。自衛官の息子を持つ母親は「安保法案には大反対。自衛隊員の子どもがいて法案に賛成する親はいない」「上官から『こういう仕事だから自分の墓の場所ぐらい調べておけ』と言われた」などの例を紹介し、自衛官・家族の悲痛な実態を明らかにした。
日・米6500人が図上演習
初日に伊丹総監部へ抗議
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12月5日から13日まで、陸上自衛隊伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)において、日米共同方面隊指揮所演習「ヤマサクラ69」がおこなわれた。この演習は、米陸軍と陸上自衛隊が全国に5つある陸上自衛隊方面隊において、持ち回りで毎年おこなわれている、コンピュータを使用して死者の数も飛びかう本番さながらの図上演習だ。
今回は、戦争法制定後初の演習で、自衛隊員4500人、米軍2千人が参加した。東海・北陸から中国・四国地方にいたる広大な地域で、他国軍の上陸を想定して、○○地域で戦闘に入るとし、そのために必要な軍事力を派遣し、「死者何人!」 とシミュレーションする演習で、日米軍事一体化が細部にわたり詰められた。
演習初日に抗議集会
演習の初日、共同訓練開始式にあわせて、「戦争法反対! ストップ!ヤマサクラ69」集会が千僧駐屯地近くの昆陽池公園で開かれ、関西各地から450人が集まった(写真上)。
主催者、来賓のあいさつに続き、沖縄からの報告を沖縄県統一連の大久保康裕さんがおこなった。国相手の裁判や辺野古現地の様子がリアルに語られ、感動を呼んだ。特に翁長知事への激励の人たちで裁判所前が埋め尽くされた上に、翁長知事の言葉がすごく良くて、「激励に駆けつけた人達が翁長知事の発言に逆に勇気づけられた」とのことであった。また、当日朝、キャンプ・シュワブ前での山城博治さんら3人の逮捕に怒りの声があがった。
集会後、陸自第3師団がある千僧駐屯地西門から、陸自中部方面総監部がある伊丹駐屯地へのデモをおこなった。
大阪ロックアクション
難波までサウンドデモ
「戦争あかん! ロックアクション」は12月6日、大阪市西区の新阿波座公園から難波までサウンドデモをおこない230人が参加した(写真)。戦争法廃止の訴えに加えて、木原壯林さん(若狭の原発を考える会)が福井県の高浜原発から大阪市の関電本店に向けたリレーデモの報告。木村真豊中市議はマイナンバー制度反対のアピールをした。
6面
検証
釣魚台(尖閣諸島)と在沖米軍基地(下)
ロバート・D・エルドリッヂ『尖閣問題の起源』を読む
協議を拒否する日本政府
71年当時、米台間には繊維問題があり、アメリカ側にはケネディ無任所大使など、釣魚台を取り引き材料にしようという勢力が存在していた。しかし、沖縄の米軍基地に近い島を台湾(中国)の支配下に置くことによって米軍基地が脆弱になるという判断から、このような動きは退けられた。アメリカにとって釣魚台の領有権問題の判断基準は沖縄米軍基地の安定的確保が最優先事項だったのである。
他方で、アメリカは日本政府にたいして、釣魚台の領有問題について台湾政府と協議し、友好的な解決をすべきだとくりかえし発信している。
台湾(蔡外交部部長)の主張は「尖閣は日本が日清戦争の結果として獲得したもので、実際には対日講和条約第2条(注)の範囲に含まれている。…大陸棚は中国本土の延長線上にある。大陸棚と琉球諸島の間には海溝があることから、大陸棚のいかなる部分についても日本政府に権利はない」というものであった(1970年)。
1970年9月、台湾議会は「釣魚台は中国の正統な権利」とする決議をあげ、かつ、日本政府との対話の準備があるとしたが、日本政府(外務省アジア局中国課首席事務官)は「尖閣諸島は対日講和条約第2条の範囲内に含まれておらず、…領土問題は存在しない…協議する用意はない」というかたくなな態度をとり続けてきた。
72年沖縄返還前後には、防衛庁は南西諸島の防空識別圏を設定し、73年1月1日から釣魚台を含む南西諸島での防衛出動を開始した。
アメリカの沖縄基地の確保問題と日本の釣魚台の領有問題は不離一体の問題だったのである。
(注)サンフランシスコ条約第2条(a)「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」
台湾、香港で抗議運動
このようなヌエ的な態度をとるアメリカと日本にたいして、台湾と香港で激しい抗議の声が上がっている。
71年2月20日、香港で「日本軍国主義」「アメリカ帝国主義」「日米の尖閣での共謀」を非難する学生デモが巻き起こった。3月中旬にはアメリカの大学・研究所の教授、学者、学生500人連名の手紙を蒋介石に送り、張群総統府秘書長は「国府は断固とした態度をとり、大陸棚の諸権利を保護」「たとえ一寸の土地でも、または一片の岩でも守る」と声明した。
71年4月9日のブリーフィングで、ブレイ報道官は「対日講和条約で使用されている言葉は尖閣諸島を含む…台湾の主張を受け入れない」と話したのをきっかけに、翌10日ワシントンで中国人学生の大規模デモがおき、香港の学生デモで21人が逮捕された。16日に台北デモ、17日に香港で1500人、18日に日本製品の不買運動が起こった。5月4日の香港デモでは12人が逮捕され、16日にも香港でデモがたたかわれた。
沖縄返還協定が調印された6月17日には台北で千人の学生デモ、7月7日には香港で3千人、8月13日には千人の抗議のデモが渦巻いた。
こうして米帝と日帝による釣魚台略奪に抗議する中国人民のたたかいはアメリカ大陸にまで及んだ。
日本国内の態度
72年5月15日の沖縄返還が近づくにつれて、日本の各政党も釣魚台に関する態度を明らかにしはじめた。3月28日、自民党は外交調査会声明「尖閣諸島の領有権について」を発表し、「尖閣諸島の領有権について… 歴史的にも国際法的にも、その領有権はわが国にある …わが党は中国との友好親善関係を推進 …本問題についてはとくに中国の理解と認識を求める」とした。
3月30日、日本共産党は釣魚台にかんする見解として、「尖閣諸島は日本の一部 …赤尾嶼と黄尾嶼の米軍訓練区域の撤去」、4月13日、日本社会党は「尖閣諸島は日本に属している。周辺の海底資源は日・中・台3カ国で平和的解決」、公明党、民社党は「尖閣諸島は日本領」と発表した。
多くのメディアは、@尖閣は日本領、A他国を説得し、平和的解決、B大陸棚は中国側と話し合い解決を求めたが、朝日新聞は「尖閣列島は歴史的にも地理的にも中国を含めてどこかの国に帰属していたとは言えない」とした。
一方、釣魚台の返還に反対する2つのグループが存在した。ひとつは、日本国際貿易促進協会で「尖閣列島を中国から窃取する策動に反対」(72年3月7日)と表明した。もうひとつは95人の文化人(石田郁夫、井上清など)による声明で、「尖閣列島は日清戦争で日本が強奪したものであり、歴史的に見れば、明らかに中国固有の領土である。われわれは日帝の侵略を是認し、その侵略史を肯定してしまうことはできない」とした。
釣魚台の「領有問題」をめぐって、既成政党やメディアは領土拡張主義をあおりたてたが、革命的左翼などを含めた排外主義と対決する勢力が辛うじて存在した。
アメリカの考え
次に、90年代以降の釣魚台にかんするアメリカの考えを示す主な発言をあげてみよう。
「尖閣が占拠されたとしても、自動的に日米安保条約が発動するわけではなく、アメリカは軍事介入を強制されるわけではない」(モンデール駐日大使96年)。
「アメリカは釣魚島の領有権にたいするいかなる国の主張も承認したり支持したりすることはない」(バーンズ国務次官補96年)。
「アメリカは尖閣諸島(釣魚島)の最終的な領有権の問題については立場を定めない」(エンリー国務省副報道官04年)
このようにアメリカは、日中(台)間の領土紛争に巻き込まれまいという立場をとっている。
2010年初めに日本人記者のインタビューを受けた米軍司令官も「(尖閣諸島の領有権については)アメリカ政府にとっては議論の余地のあるところです。私の知る限り、尖閣問題は政府間レベルでは解決されていない問題です」と答えている。
また前出のニコラス・クリストフは「72年にアメリカが沖縄の施政権を日本に返還したため、(尖閣諸島が疑いなく日本のものであるとは同意していないにもかかわらず、)尖閣諸島の問題で日本を助けるというばかげた立場をとるようになった。米国は核戦争の危険を冒すわけがなく、現実的に日米安全保障条約を発動する可能性はゼロだ」(10年9月10日)と発言している。
これにたいして、エルドリッヂは「アメリカは物理的に尖閣を日本に渡し、中国と台湾にたいして、尖閣は実際には日本の領土だとして諦めさせるべきだった」のであり、「アメリカは中台の虚偽の主張や言いがかりが野放しになる環境を生みだしたことで、対立を助長してきた …アメリカ政府が40年前に中立政策を採用していなければ、今日何の問題もなかった可能性が高い」とアメリカの政策を批判している。
ちなみにエルドリッヂがアメリカに求めているのは、「まずは抑止を強調した明確な政策をとり、その後中国に尖閣(および沖縄全体)にたいする日本の領有権をキッパリ認めさせ、その上で関係国による海底資源の平和的な共同開発を促すこと」ということである。
10年9月の中国漁船と海保巡視船の衝突に関連して、クリントン国務長官は「日米安保条約の第5条は尖閣に適用される」と発言し、それまでとはニュアンスを変えているが、これはいわゆるリップサービスのたぐいであろう。
釣魚台問題の解決とは
沖縄占領時初期のアメリカは「尖閣諸島は日本の施政下(潜在的領有)にあるが、その領有権についてはなおも争いがある」という立場をとっていた。その後沖縄返還過程で、釣魚台が日台(中)間の紛争に発展しそうな情勢下で、アメリカは米軍基地の安定性を確保するために、返還区域に尖閣諸島を含むことを明示した。
しかし沖縄返還後、アメリカは再び「尖閣諸島(釣魚島)の最終的な領有権の問題については立場を定めない」(エンリー国務省副報道官2004年)という当初の立場に戻っている。すでにアメリカの後ろ盾で日本が実効支配しており、在沖米軍基地の安定性のためには、今さら日台(中)間の領土紛争に口を挟む必要がないからである。
結局は、1895年の日清講和条約直後に日本は釣魚台を略奪し、アメリカ占領時期の日台間の協議を一方的に拒否し、沖縄返還時にアメリカのお墨付きをもらって釣魚台を再び略奪したのである。
数百年の歴史のなかで、台湾、琉球の漁民は釣魚台を漁業拠点とし、周辺海域での豊富な漁場を享受してきたという事実から出発しなければならない。そこは台湾漁民のものであり、かつ琉球漁民のものであり、米軍のものでも日本帝国主義のものでもない。
米軍にとって、在日米軍基地を安定的に使用するためには、間近にある釣魚台は絶対に渡すことはできず、日帝の立場と一致している。他方、中国にとっては在沖米軍基地こそ最大の脅威であり、在沖米軍基地がなければ、釣魚台に関与する必要は全くないのである。
すなわち、在沖米軍基地の存在こそが釣魚台問題を不安定化させている最大の要因であり、釣魚台をめぐる領土問題に終止符を打つためには、在沖米軍基地を撤去し、沖縄を平和の島にしなければならない。
また、「領土問題はない」として、台湾、中国との協議を拒否してきた日帝の態度も、沖縄の平和を不安定にしている。釣魚台問題の解決のためには、日米帝国主義にたいして自己決定権を貫く沖縄(琉球)人民のたたかいが決定的な位置を占めている。
東アジアを軍事的に制圧しようとする米帝と、日米同盟のもとでふたたびアジア人民にその矛先を向けようとしている日帝に釣魚台とその周辺海域を自由にさせてはならない。(須磨 明)