辺野古新基地
陸・海で体を張って抗議
防衛局が本体工事に着手
米軍車両の前にすわり込んで抗議する市民たち (10月29日 名護市内) |
沖縄防衛局は10月29日午前8時、名護市辺野古で新基地建設のための埋め立て本体工事に着手した。翁長雄志知事による埋め立て承認取り消しにたいし、28日に国土交通相がその効力を止める「執行停止」を決定した上での工事の強行である。また、中断していた海底ボーリング(掘削)調査の作業も再開した。
翁長知事の「埋め立て承認取り消し」を支持し、工事の中止を求めて首相官邸前で抗議 (10月14日) |
ゲート前で激突
29日早朝より、キャンプシュワブのゲート前に抗議の市民が駆けつけ、工事再開阻止の座り込みを始めた。午前7時頃、大型トラックや作業員を乗せた車輌10数台が基地に入ろうとした。市民100人が、車両の前に座り込んだり、車両の下に潜り込んで阻止する。これにたいして、県外から動員された機動隊200人以上が座り込む市民に襲いかかり、ごぼう抜きを始めた。排除された市民たちは怯むことなく、果敢に突撃する。あたりは騒然となり、交通はストップ。激突すること30分。市民1人がケガをして救急車で搬送された。ケガ人を出しながらも市民たちは懸命に踏ん張った。このとき1名が不当逮捕された。
その後も、海上保安官の車両や米軍トラック・車両が基地内に入ろうとするたびに、その前に立ちはだかった。ゲート前でおこなわれた抗議集会には、名護市の稲嶺進市長もかけつけ、「法律違反をしているのは国の方だ。とても法治国家、民主主義国家とは言えない」と政府の暴挙を糾弾し、座り込む市民たちを激励した。
午後には、各地の島ぐるみ会議が大型バスで続々とかけつけ、ゲート前の抗議行動は間断なく続けられた。
一方、海上では、抗議船3隻とカヌー13艇が抗議行動を展開。海底ボーリング(掘削)調査のため浮具(フロート)や油防止膜(オイルフェンス)を設置しようとする作業船の行く手を阻む。オイルフェンスにしがみついて必死に抵抗。作業員とロープを引っ張り合ってバランスを崩し、両者が共に海に落ちるなど激しい攻防を繰り広げた。
安倍政権の打倒へ
沖縄県民の意思を踏みにじる本体工事強行に全国から怒りの声を集中しよう。現地闘争への支援を強化しよう。政府による埋め立て承認取り消しの「執行停止」決定は、権力の濫用以外のなにものでもない。独裁政治の本性をむき出しにした安倍政権を打倒しよう。
ストップ!マイバー10月5日施行されたマイナンバー(共通番号)制度で安倍政権がめざしているのは、番号とカードで市民を丸裸にし、国家管理を強化する暗黒社会だ。10月3日、反対するデモが渋谷でおこなわれた。 |
経産省前テント不当判決
強制執行を許すな
〈経産省前テントひろば〉に対して国が起こした「土地明け渡し・損害賠償請求」裁判の控訴審判決が10月26日にあり、東京高裁(民事24部、高野伸裁判長)は控訴棄却の不当判決をくだした。
判決は、原告(国側)の主張をほぼ全面的に認め、「テントを畳んで経産省の管理地から退去せよ」「1日当たり2万1917円の金員を払え」「これには仮執行の条件を付す」というもの。
この不当判決に対して、被告(テントひろば)側は即日、最高裁に上告。しかし、撤去執行許可が発令されており、いつ強制執行されてもおかしくない緊迫した情勢だ。テントへの緊急結集が呼びかけられている。
50年目の三里塚闘争へ
10・11現地総決起集会
10月11日、三里塚現地(成田市東峰)において「最高裁の強制収用を許さない」「第3滑走路粉砕」「安倍政権打倒」を掲げた全国総決起集会が開催され、930人が集まった。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟。
開会前、「浪花の歌う巨人」趙博さんによる力あふれるライブ演奏が会場を鼓舞し、取り囲んだ公安・機動隊を圧倒した。集会は、集会場となった反対同盟員・萩原さんの畑横を間断なく通り抜ける航空機の爆音や自走機騒音のなかで開かれた。三里塚農民は、空港建設から50年、開港から38年、日々このすさまじい騒音地獄・生活破壊の環境のなかで闘い、暮らしている。
戦争につながる第3滑走路
90歳を超えてなお第一線にたって闘う北原鉱治反対同盟事務局長が主催者あいさつ。事務局報告を萩原富夫さんがおこなった。萩原さんは、「市東さんの生活環境について、みなさんにも実感していただきたい」と、会場が市東さん宅にも近いこの畑にしたことに触れたうえで、最高裁署名が現在7000筆集まっていることを報告。厳しい闘いだが、さらなる市東さんを支える力の結集をと訴えた。安保法制(戦争法)強行のなかで作られようとしている第3滑走路が、戦争につながっていることは一層明らかであり、またこれらのことについて地域の人々と語り合い、自分たちの生活の場で戦争を粉砕すると、決意を語った。
連帯のあいさつを、動労千葉・田中委員長、関西新空港反対住民を代表して永井満関実代表、山本善偉関実世話人、そして全日建連帯労組関西生コン支部・西山直洋さんがおこなった。
強制収容ゆるさない
「市東さんの農地取り上げを打ち破ろう」と題して、当該の市東孝雄さん、反対同盟顧問弁護団、市東さんの農地取り上げに反対する会などから報告がおこなわれた。市東さんは、「東京高裁の不当判決は絶対に認められない」「親が百年以上育ててきた土地、たとえ『猫の額のような畑』と言われようと、それを守ることが自分の居るべき場所です。1年でも長く、身体の続く限り農業をやっていきたい」と決意を語り、「みなさんがいれば、それだけまた自分の勇気にもなります」と、引き続き5万人署名をはじめ、支援を訴えた。また市東さんの農地取り上げに反対する会は、「運動の輪を広げよう」と都内で開かれる11・21シンポジウムへの参加を呼びかけた。
さらに三里塚同様に「国策」攻撃、辺野古新基地建設と闘う沖縄から名護市議の川野純治さんがアピール。つづいて、福島、経産省前テントひろばから闘争報告がおこなわれた。 反対同盟婦人行動隊からのカンパアピールをはさみ、部落解放同盟全国連合会はじめ支援、共闘団体からアピール・決意表明がおこなわれた。
最後に反対同盟・太郎良陽一さんが集会宣言を読み上げ、スローガン採択のあと、反対同盟を先頭に市東さんの農地までを往復するデモに出発した。
来春3・27へ
市東さんの農地を守り抜く闘い、第3滑走路をめぐる闘いの只中で、三里塚闘争はいま50年目の闘いに突入している。来春3・27成田全国集会(成田市内)、7月には50周年集会(東京)が呼びかけられた。市東さんの農地法裁判(最高裁)=5万人署名運動、耕作権裁判(次回12・14、千葉地裁)を中心に、50年目の闘いをたたかい抜こう。
2面
早期結審・再稼働阻む
高浜原発仮処分異議審
10・8福井地裁
福井地裁前
10月8日福井地裁で、高浜原発3・4号機仮処分異議審が開かれた。福井市フェニックスプラザに集まり、仮処分申立人の挨拶がおこなわれ、シュプレヒコールのあと、三々五々福井地裁に向かい、申立人や弁護団と合流し、拍手で送り出した(写真)。
その後、50人を超える支援者は車道に向かって、のぼりやボードを掲げてスタンディングアピールをおこなった。(大飯原発仮処分審尋も同時に開かれた)
関西各地からも
ふたたびフェニックスプラザに移動し、集会が再開された。真宗大谷派の僧侶は『釜ヶ崎と福音』(本田哲郎神父)から引用して、本物の平和のためのたたかいを訴えた。元福井県職員で建築関係の仕事をしていた宮下さんが建築物の耐震安全上の問題について話した。
「福井から原発を止める裁判の会」からは、万が一仮処分で負けたら、本裁判になるので、その時には1000人の原告でたたかう決意が表明された。「若狭の原発を考える会」の木原壯林さんは老朽原発とMOX燃料の危険性を話したあと、11月8日から20日にかけて、高浜から関電本店に向かうリレーデモの参加を訴えた。
11月再稼働策動粉砕
この日の異議審は、高浜原発の11月再稼働をめざす関電とのつばぜり合いのたたかいで、申立人側は11件の準備書面をそろえて提出した。論点は@震源を特定せず算定する地震動、A応答スペクトルにもとづく手法(松田式)、B断層モデルを用いた手法、C年超過確率である。
午後6時、申立人と弁護団が会場に姿をあらわし、記者会見が始まった。異議審開始早々に、裁判長は「11月13日第4回異議審はやります」と述べたという。関電が望んでいた早期結審・11月再稼働を粉砕したのだ。
審尋では、長沢啓行さん(生産管理システム)、井野博満さん(金属材料学)、後藤政志さん(元原子力プラント設計技師)がプロジェクターを使って、3時間かけて説明した。裁判長は「説明は有益で、充実していた。まだ多くの論点でかみ合っておらず、双方のスタンスに違いがある。双方の主張を確認するために11月13日に追加主張を認める」と締めくくり、次回結審については明言しなかった。
報告の最後に申立人を代表して今大地さんが「5年前の福島原発事故を他人事にしてはならない」と感想を述べ、記者からの質問に移った。
11月13日福井地裁へ
マスメディアの関心は次回結審か、決定はいつか、そして再稼働はいつになるのかにあった。井戸弁護士は「次回に結審したとしても、決定はどんなに早くても年末になるだろう」と答えていた。
仮処分を押しつぶすために、最高裁から優秀な3人の裁判官が「刺客」として派遣されている。原発の再稼働を現実に止めている高浜仮処分決定を守りぬくために、次回審尋に大挙結集しよう。
投稿
仲間に手を出すな
10・18 新宿・大久保 反ヘイトデモ
私たち「差別・排外主義に反対する連絡会」は、毎年秋に東京の新宿・大久保地域で、差別・排外主義に反対するデモ行進をしています。今年も、10月18日に100名弱で歩きました(写真上)。新宿駅から新宿三丁目交差点、そして歌舞伎町地区をかすめてコリアンタウンである職安通りです。
2011年に始まった取り組みも、今年で5回目になりました。「生きる権利に国境はない! 私たちの仲間に手を出すな!」をメインスローガンに掲げるこのデモは、新宿・大久保の両地域で商業を営み、あるいは生活するさまざまな国籍の在日外国人の人たちに連帯をアピールするものであるとともに、新宿の街を行きかう人々に、排外主義 (レイシズム)との闘いに立ち上がることを呼びかけるものです。
12年から13年は、コリアンタウンである新大久保商店街が、毎週のように排外デモの脅威にさらされました。カウンターの抗議行動や反対世論の盛り上がりにより、今はこのデモはおこなわれなくなっています。これは闘いの一定の勝利ではありますが、私たちはこの地域でのデモ行進を続けています。
なぜなら、街頭でのヘイトは下火になったとしても、極右安倍政権の下で政府・国家レベルのレイシズムが強くなっていると考えるからです。第2次安倍政権(12年12月発足)の最初の仕事が、高校無償化からの朝鮮学校排除だったことが象徴的で、しかもその閣僚の多くが日本会議のメンバーです。歴史の捏造という土壌からレイシズムは育っていきます。その意味では、ヘイトとの闘いの行方は、決して予断を許しません。
私たちは、「ヘイトとの対抗というラインを越えて、(ヘイトを生みだす)歴史的土壌と対抗していく」(10・18当日の基調提起)という認識に立って取り組んでいます。当日はその趣旨に沿って、「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」「反天皇制運動連絡会」「『国連・人権勧告の実現を!』実行委員会」「辺野古リレー」「APFS労働組合」の5つの団体から連帯の挨拶をいただきました。さらに、ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判の支援に関わっている方からのメッセージもいただきました。
デモ最中の警察は、例年にもまして過剰警備の態勢を敷いてきました。差別暴言を吐いた警官もいます。これらは、安倍政権下での「国家のヘイト化」の一つの現れかもしれません。
一方、今年のデモで特筆すべきことは、沿道ビラの受け取りの良さです。用意したビラがほとんど残りませんでした。今までの5年間で最高の受け取りでした。政治が危険な方向に向かっていることへの危機感が、広く浸透していることの現れといえるでしょう。反応がダイレクトに返ってくるデモは、元気がでます。闘いは街頭で。(差別・排外主義に反対する連絡会 M)
10・14 治安法学習会
「岩盤破壊」の実態を暴く
10月14日大阪市内で、治安法学習会「この国会で何が起ったのか!」がひらかれ、永嶋靖久弁護士が講演をおこなった。主催は、〈共謀罪に反対する市民連絡会・関西〉。
永嶋さんの講演は、〈2015年安保闘争〉といわれる闘い、いまの世界と日本の99%と1%の攻防の核心と闘いを考える上で示唆に富んだ講演であった(写真)。
今年の政治・経済・治安弾圧動向を記した資料『2015年通常国会会期中の主な出来事』を使いながら、「『岩盤』はどこまで破壊されたか」「戦争準備はどこまで進んだか」「治安管理はどこまで進んだか」を解き明かし、この情勢をどう押しとどめ、闘うのかという問題提起であった。
「岩盤破壊」というフレーズで戦後社会を変える攻撃がおこなわれている。生活・生命・人権保護のことごとくを「岩盤」としてドリルで破壊する規制破壊3法案(農協、雇用、特区)は、労基法改正を除いて成立した。
それと一体で強行された安保法制=戦争法成立によって、「いつでもどこで誰とでも、戦争を始めたいときに始めることができる」状態に日本社会がなった。またそれに対応した治安管理としてすでに動き出している秘密保護法に続き「テロ資産凍結法」、「マイナンバー」が成立。
まさに、戦後社会の「風景を変える」(13年特区基本方針)地点にまで来ていることとがあきらかにされ、クーデターではないかと問いかけた。この動力は立憲主義という近代社会の基本理念の破壊であることが解明された。そして安倍ドリルは労基法の破壊、戦争の開始、共謀罪に向かうと明らかにされた。
8月30日の国会前12万人決起にみられる日本の〈オキュパイ運動〉の方向性をさし示す、安倍独裁に代わる、新たなあり方を強く示唆する講演だった。(M)
戦争法にロックをかける
10・6 大阪ロックアクション
戦争法の強行成立後、初のロックアクションが10月6日、大阪市内でひらかれ250人が参加した(写真左)。
ロックアクションは、2013年12月6日の「特定秘密保護法」強行成立をうけ、秘密保護法廃止をめざす行動として出発。正式名称は〈秘密保護法廃止! ロックアクション〉。6日の「6」と、秘密保護法に鍵(ロック)をかけ廃止にもちこむという目的からロックアクションと命名された。2014年1月6日から、毎月6の日に集会・デモをおこなってきた。今年からは、戦争法案阻止にも取り組み、7月〜9月過程は、「街かどプロジェクト」をたちあげ、毎週(水)(土)に街頭宣伝を各所でくりひろげてきた。
10月6日の集会では、主催者から、「戦争法の強行成立をうけ、ロックアクションは〈戦争あかん! ロックアクション〉と名称変更し、戦争法・秘密法の廃止をめざしてたたかう。当面、6の日にデモまたは屋内集会を続ける」と提案があり、参加者全体で確認した。
この日の集会は、育鵬社の教科書採択めぐる動向、京都府京丹後市の米軍Xバンドレーダー基地反対のたたかい、10月5日に施行された共通番号制とのたたかい、南スーダンに派兵されている自衛隊の今後の動向などで発言・報告があり、最後に「戦争法、今後のたたかい」として、共同代表の服部良一さんが問題提起をおこない、デモ行進に出発した。
3面
“浮かんだ舟は進む”
2015年安保闘争取材記(下)
安倍政権は強権的に戦争法制を進めたが支持率低下で、政策はジグザグをくり返した。「経済復興」のシンボルである東京五輪・新国立競技場プランは無責任と利権がからみ、白紙撤回に追い込まれた。衆議院で可決した盗聴法改悪などは、戦争法審議と重なった参議院では採決に持ち込めず継続審議となった。
しかし、マイナンバー制やTPPを強行し、「1カ月休戦」を装った辺野古新基地建設の工事が再開された。川内原発を8月12日に1号機、その後も2号機の再稼働が続き、伊方・高浜が狙われている。派遣法改悪による労働法制破壊が進む。教育の市場化、歴史修正主義の教科書採択やマスコミの統制も進んだ。「一億総活躍」とは、「一億火の玉」の国民総動員そのもの。戦争法と一体の戦争をする国づくりと、社会全分野での闘いが求められている。
(上)に続き、兵庫・関西を中心に報告する。
国会前と全国がつながる
8・30、解放区となった国会正門前の闘いは、全国に伝わった。9月初めから連日の国会闘争が取り組まれ、全国の中小都市にも集会・デモが次々と広がった。兵庫県では8月29日に県下5地域(神戸・尼崎・姫路・豊岡・淡路)で集会とデモ、9月に入ると加古川・明石・芦屋・伊丹と連日、数百人が立ち上がった。9・6伊丹行動は自衛隊の町(中部方面総監部がある)で、71人の自治体議員が呼びかけ人となり雨天をついて500人の集会となった。この71議員の行動は、保守系を含む県下4市長(宝塚・尼崎・芦屋・篠山)の反対声明につながった。
自公が予定した9月10日までの強行採決は、全国の闘いの高揚で中旬に追い込まれた。7月の26団体から35団体に広がった「アベKOBEデモ」ネットワークは、労組や既成団体の動きが少ないなか人々の結集軸となり、9月12日の第3弾は1000人の集会・デモとなった(写真左)。シールズの学生やママの会、沖縄辺野古行動の人々、国会議員が廃案をアピールした。
9・13川西ママ・パパ有志の会呼びかけ行動には、教組支部や生協が組織的に参加した。
9・13大阪では左派系労組と市民1300人が合流し中之島公会堂を埋め、西梅田までデモ行進した。(写真左)
横浜公聴会から、連日連夜
国会前は連日数万人がつめかけ怒りの声を上げ続けた。しかし、国会内では警察権力の壁に守られ審議が強行された。アリバイだけの中央公聴会と地方公聴会に、人々の怒りが沸騰。16日、横浜公聴会場前には3000人の市民が集まり、警察の規制を突破し車道に座り込んだ。安保特別委員会の委員らは国会に戻ることができず、審議は大幅に遅れた。
この市民の力に後押しされ、国会内では野党議員の身体を張った闘いが始まった。連日連夜の集会は国会前を埋めつくし、人があふれた。阻止線を張る警察と激突を繰り返しながら国会内と呼応し「野党がんばれ」「福山がんばれ」「廃案、廃案」の声がこだまする。
警察の規制に実力対峙し「柵、堤防」は押し倒され、再び解放区が出現した。これらと一体で全国各地の主要ターミナルで抗議、宣伝行動がおこなわれる。神戸では35団体ネットワークが16日〜19日と4日連日の抗議行動。毎日40人から70人、のべ200人以上が「アベ政治を許さない」とアピール、連日数百枚のチラシが配られた。
国会前では19日未明まで、抗議のコールがやまなかった。
9・24「不当逮捕を許さない」声明
9月16日深夜、警察との激しい攻防により、国会前でハンストを闘った学生をはじめ13人が不当に逮捕された。最前線で抗議していた若者や市民が警察に、そこにいただけで理由もなく「連れ去られた」。これにたいし、一部の人々が「逮捕者は過激派の○○派なんだって。自業自得」などとネットや口コミで流布した。警察の規制や弾圧には抗議せず、「安全な国会前行動」という名で自主規制をはかる人々との攻防も続いた。しかし、戦前の治安弾圧の歴史を知り60年・70年安保闘争の弾圧を経験してきた人たちの怒りは「警察の弾圧を許すな」として拡大し、9月24日、総がかり行動が「不当逮捕を許さない」声明を発表する。25日までに全員が奪還された。「警察の規制に感謝する」という一部グループの言動は、連日の国会前実力行動と全員奪還で乗り越えられた。
2016年5月の伊勢・志摩サミットと7月参議院選をめぐり、今後も治安弾圧が強まるだろう。9月24日の不当逮捕弾劾声明は、これらを許さない基礎となる。
闘いは終わらない
強行採決後も全国各地で反対運動は続く。9・20宝塚集会では、海渡雄一弁護士が「戦争法の危険」「政権交代のリアル」「脱原発闘争との結合」を語り、質問に答え沖縄闘争との結びつきに言及した。9・26大阪最北端、人口1万人の能勢町に沖縄から知花昌一さんが来た。70年安保時に勝利した能勢ナイキ闘争のリーダーたちと改めて沖縄との連帯・結合が確認された。
10・1関西学院大では200人以上の教授たちの声明とシールズの学生が合流した集会が開かれた。教授や学生の発言とともに、Mr.関学というべき黄金期のアメラグ部監督で、学長・理事長も勤めた武田建さんの参加、発言に参加者は意を強くした。(写真左)
10・6大阪ロック・アクションには250人が集まり、秘密保護法以降の毎月行動が「戦争あかん! ロック・アクション」として継続されると決まった。兵庫35団体ネットも「毎月19日」に行動を続け、5・3憲法集会と参議院選挙にむけ、運動を継続する。10月以降の関西各地の脱原発集会は、「原発も戦争もない社会」を掲げ、学生や若い世代が合流した。
翁長知事と沖縄・辺野古の闘いは辺野古埋め立て取消しを決定し、工事強行の政府との本格的対決に入った。
戦争法反対は、安倍政権の強権政治にたいする社会全体の闘いとして後戻りすることはない。「浮んだ舟は進む」(故・古波津英興さん=沖縄民権の会=のことば)。(久保井健三・写真も筆者)
無知をさらした 桜内被告・秦証人
10・5 吉見裁判最終弁論報告
10月5日、歴史研究家・吉見義明さん(中央商科大学教授)が桜内文城衆院議員(当時)を名誉棄損で訴えた裁判が東京地裁で結審した。最終弁論では原告側の大森典子弁護団長が被告側を圧倒する弁論をおこなった。それにたいして、桜内被告は「秦郁彦証人にたいして無知だと言った原告側こそ失礼ではないか」というケチ付けしかできなかった。
裁判の報告集会で、弁護団と吉見原告から勝利感に満ちた報告がおこなわれた。(写真)
論点のすり替え
大森弁護士は、「裁判の中で向こうは『学説の争い』に主張を変えてきた。(争点は外国人記者クラブでの)被告の発言が名誉棄損かどうかだ」と述べ、「(「慰安婦」に居住・外出・廃業・拒否の)〈4つの自由〉がないことも立証した。(公判で)秦証人が論破されたとも書いた。裁判所を説得できると思っている。被告側の論点すり替えにはあきれている。」と被告の態度を批判した。
そして「1月20日15時30分に判決公判。この裁判で勝っていくことが必要。まだまだいろいろやらなきゃいけない。どのような判決が出ても高裁・最高裁を見据えてたたかう。」と訴えた。
川上詩朗弁護士は、「一般の人が外国人記者クラブでの発言を聞いてどう思うかが出発点。」「(公判を通して)『慰安婦』が性奴隷であったことが、より整理されてきた。」と述べた。
秦郁彦証人は無知
穂積剛弁護士は「秦証人を『無知』と言ったことについて謝罪を求めてきたが、当時あった奴隷条約を知らないから無知と言った」とのべ「世の中を右に引き倒せるなら事実も論理もどうでもいいという人が議員であってはならない」と断罪。
そして「南京大虐殺をめぐる名誉棄損事件で、中心になっていたのは稲田朋美。(百人切りをやった)向井少尉の部下が『農民を連れてきて(無抵抗の状態で)切った』とのメモを残していて、高裁判決(06年5月)でも『(百人切りの事実を)否定することができない』とした(同年12月最高裁で確定)。であるのにその後に出した本の中で稲田は『戦闘行為中に百人切るなどということが可能であるとは思えない』と書いている。同じメンタリティだ。」と述べた。
松岡肇弁護士は「勝つと思っていたら敗訴、ということがあった。判決が出るまでは用心しなければいけない。判決まで頑張っていきたい」。
武藤行輝(こうき)弁護士は「『慰安婦』の実態について反論してきた。一つでも例外があれば、奴隷制でないような理屈を言ってきたので批判した」。
緒方蘭弁護士は「『でもお金もらったんでしょ』という向こう側の主張があるが、当時だって人身売買は認められていなかった。公娼制度が奴隷制度だという認識は当時もあった。」「今年は教科書採択の年。歴史の議論をする必要がある」と述べた。
支離滅裂な被告側
吉見さんは「『性奴隷』という表現でぎょっとする。性奴隷とは何なのかが広まっていないからだ。裁判で国際法上の『奴隷』が明らかにされたのは大きい。東大法学部出身の桜内被告や・秦証人が国際法上の奴隷を全く分かっていなかった。」とのべ「被告はことごとく論破され、『学説上の争い』に逃げ込むしかなかった。(本人が記者の前で示してねつ造だと言った)本を読んでいないし、(本の内容が)ねつ造だと(裁判では)言わない。支離滅裂だ」と痛烈に批判した。
そして「秦さんは自分が書いたことを忘れている。(自らが過去の著作で)性奴隷と認めていることについて反論できない。彼の論説が破たんしていることが明らかになったのが成果だ。慎重に判決の日を待ちたい。この問題を広く伝える必要がある。」と話した。
11月1日の一橋大学(国立キャンパス)の学園祭でのシンポジウム〈日本軍「慰安婦」問題とどう向き合うのか〉への参加を訴えて報告集会は終了した。
4面
自治体首長が介入し採択
中学「歴史・公民」教科書 育鵬社が増加
「府下5市での育鵬社教科書採択」に抗議する集会 |
来年4月から全国の中学生が使用する教科書の採択が8月末までに終了した。
日本の侵略戦争や植民地支配をひらきなおり、美化し、子ども達を戦争に動員していこうとする育鵬社の教科書(歴史・公民)が採択された地域は、歴史・公民ともが13地区、歴史が5地区、公民が3地区で、合計21地区にのぼった。(市町村立中学校のみ)
育鵬社教科書の全国での占有率は、前回4年前には歴史3・7%、公民4%であったが、今回歴史6・5%、公民5・8%となった。彼らが掲げた目標の10%におよばなかったとはいえ、憂慮すべき事態である。
前回育鵬社を採択したが、今回は採択しなかった地区は東京都大田区、島根県益田地区(益田市、津和野町、吉賀町)、広島県尾道市、愛媛県今治市の4地区。逆に、今回新たに採択した地区は11地区あった。さしひき7地区増えたことになる。
大阪府下で増加
大阪府下での育鵬社教科書採択は、前回、東大阪市(公民)のみであったが、今回、大阪市(歴史・公民)、東大阪市(公民)、河内長野市(公民)、四條畷市(歴史・公民)、泉佐野市(歴史・公民)の5地区に増加した。 特に大阪市は横浜市につぐ生徒数で、ここでの採択が育鵬社占有率を押し上げた。
また、全国での育鵬社採択に占める大阪府の割合は、歴史28%、公民39%にものぼる。つまり、全国で使用される育鵬社教科書の3〜4割が大阪府下の学校に集中しているのである。
自治体首長が政治介入
大阪市(橋下市長)や泉佐野市(千代松市長)をはじめ、大阪府下の自治体では教育への超反動首長の介入が強まり、教科書選定委員会の答申を無視、覆して、教育委員が独断で育鵬社採択に持ち込むという手法が使われた。
8月5日にひらかれた大阪市教育委員会は異例づくめであった。通常、すべての科目の教科書を1日で採択するところを、わざわざ歴史、公民だけ決める日とそれ以外の科目を決める日をわけた。8月5日は歴史、公民のみを採択する日とした。
そして、傍聴を認めない密室審議とし、傍聴希望者には、地下鉄で3駅も離れた別会場で、委員会の中継映像を見せて傍聴に替えるという暴挙をおこなった。
また、今年2月で任期切れとなった高尾元久教育委員を橋下市長が任期延長(再任)させるという異例の人事をおこなった。同委員は育鵬社と同じフジサンケイグループの重職を歴任し、育鵬社の共同事業者である日本教育再生機構の機関誌に何度も投稿しているような人物だ。
それまで大阪市の採択地区が8地区にわかれていたのを、強引に全市1地区に統合したのを主導したのも同委員といわれている。前回の4年前には8地区でそれぞれ別々に採択していたのを全市1地区に変更し、そこで育鵬社採択に持ち込んだのである。
大阪市は同委員だけでなく、大森教育委員長をはじめ全員が橋下市長の息がかかった人物で占められるという異常な状態になっている。
安倍・橋下による教育破壊との対決を
安倍内閣が進める事実上のクーデター、「戦争をする国、戦争なしでは生きられない国」にする攻撃は激しさを増している。
戦争法、秘密保護法を廃止するたたかいと共に、教科書採択における「首長の介入」や「教員の調査研究を無視する採択方法」をやめさせていく取り組みが必要だ。特に大阪は橋下・維新との対決に勝ち抜くことが問われている。(酒井正己)
橋下市長は、辞める前に「慰安婦」暴言を謝罪せよ
10・26大 阪
「謝れ!」のカードを掲げて抗議する参加者たち |
5月の「大阪市分割・解体」をめぐる大阪市住民投票で、橋下・維新が掲げる都構想なるものに審判がくだされた。橋下市長は「政治家はやめる。次回市長選には出ない」と断言。しかし、在任中の「慰安婦」・性暴力容認の暴言(13年5月)について、反省どころか謝罪も撤回もしていない。
橋下暴言の直後から、当時は毎週、その後毎月1回の市役所前抗議行動をおこなってきた〈橋下市長の「慰安婦」・性暴力発言を許さず辞任を求める会〉は、橋下市長の任期切れを前にして、10月26日、「橋下市長あやまれ! 市役所包囲アクション」をおこなった。
市役所前での抗議宣伝活動の後、午後6時半から市役所近くの公園で橋下市長に謝罪を要求する集会をひらき、その後、市庁舎を参加者全員で包囲。「橋下市長は『慰安婦』暴言を謝れ!」と怒りの声をあげた。
集会では、性暴力を許さない女の会、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク、大阪の男女共同参画施策をすすめる会、新日本婦人の会など7団体が発言した。
包囲アクションに先立ち、声明文『橋下大阪市長の性暴力発言に抗議し謝罪と辞任を求めます』の提出行動をおこなった。
寺尾判決41ヵ年糾弾
狭山再審 早期棄却許すな
10・25全国連集会
寺尾判決41カ年糾弾! 第3次再審勝利、10・25狭山中央集会が開かれた。
部落解放同盟全国連合会は東京永田町の星陵会館において、約100人が結集して、狭山集会を開催した。この集会は最高裁や東京高検にたいする再審開始、事実調べをおこなうように求める、今年4回目の要請行動とセットで開かれた。
集会内容は婦人部の10人余りの婦人が万年筆発見の矛盾やインクの鑑定が間違っていることを、寸劇で熱演して、石川さんの無実を訴えて集会を盛り上げた。報告では、すでに3者協議が25回も開かれて、181点の証拠リストが提出された。開示証拠の特徴は、手ぬぐいなどのリストの証拠物の改ざんや家の図面への書き込みのねつ造が明らかになったことや自白にたいする秘密の暴露の誘導などが明らかになったので、さらに埼玉県警が持っている捜査資料を開示させる要求をして再審を開かせようと提案された。
そして、植村裁判長に交代したのは早期棄却を狙うシフトだとして、これまでにない危機感をもってたたかおうと訴えた。まとめは中田書記長がたって、改憲をもくろむ安倍政権との対決抜きに差別糾弾のたたかいの勝利はない、日本の反動とたたかって同時的に勝利しようと訴えた。(南)
「沖縄の心にドリルで穴をあけられている」
波平恒男琉球大教授が講演
10月16日、大阪市内で関西沖縄戦を考える会の学習・講演会が開かれた。琉球大学の波平恒男教授が「沖縄戦後70年―沖縄とヤマトゥ」と題して講演をおこなった。およそ80人ほどの参加者が熱心に波平さんの話に聞き入った。
あらかじめ配布された講演レジュメの内容は、ウチナーンチュとしてのアイデンティティからはじまり、前近代の琉球(沖縄)として琉球王国の成立―「万国津梁」の位置と近世の琉球王国までを歴史的に展開し、さらに近代の沖縄として琉球併合と近代沖縄、そして沖縄戦についてとなっている。ここまでが前提的内容である。続いて本題に入り、沖縄戦後70年―沖縄とヤマトゥとして沖縄戦から戦後占領へ、戦後沖縄の米軍基地について、72年の日本復帰(施政権返還)、95年以降の基地問題が展開され、むすびに―沖縄の現状と将来展望で締め括られている。
波平さんの講演は、辺野古の現状報告からはじまり、琉球の歴史を通してヤマトゥによる沖縄差別、とりわけ近世における構造的差別を明らかにし、それが現在の辺野古新基地建設の強行につながっていることを鮮明にさせるというものだった。そして、「基地は発展の阻害要因だ」と強調し、沖縄のビジョンを自己決定権を発揮してアジアの交流拠点としての基地なき沖縄を作り上げていくことだと提起した。
講演のハイライトは冒頭の辺野古の現状を語り始めた途端に起こったハプニングだった。辺野古新基地建設に対して「もうこれ以上、基地の重圧は耐えられない」として反対している沖縄の民意が鮮明に示されているにもかかわらず、それを踏みにじって工事を強行してくる日本政府の行為によって「沖縄の心にドリルで穴をあけられている感じです」と語ったところで突然話しが止まった。波平さんが涙を必死にこらえていて、声が出せなくなったのだ。
会場全体がその姿に胸を打たれ、しばらく沈黙が続いた。ここに今の沖縄が置かれている状況のすべてが込められていると強烈に感じた。
「沖縄の心を支配し踏みにじる」日本政府とヤマトゥンチュに対するウチナーンチュの悔しさと怒りが、いま沖縄に充満している。沖縄のアイデンティティに踏まえた“オール沖縄”の怒りなのだ。
波平さんはその後、終始笑顔で講演を続けたが、その裏に込められている悔しさと怒りの感情をしっかりと受け止めていくことが大切だと感じた。ウチナーンチュのこの思い、この気持ちをどれだけ共有することができるかに、一人ひとりの人間性が問われており、行動が試されていると思う。私たちがこの感情を共有し、一体となって闘っていくことによって爆発的な力が生みだされていくと思う。(武島)
5面
脱原発、沖縄、戦争法反対が合流
京都で新たな運動が拡大
10・18
10月18日、京都、四条河原町 |
10月18日、京都市の円山野外音楽堂で「10・18変えよう! 日本と世界 第9回反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」が開かれ、800人が参加した。集会では沖縄から辺野古新基地建設反対闘争の中心を担っているヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんが講演をおこなった。
〈反戦共同行動きょうと〉主催のこの集会は、今年で9年目になるが、ここ数年のなかでは、参加人数、集会賛同数ともに大きく増やした。戦争法反対運動の高揚に加えて、〈反戦共同行動きょうと〉の運動の広がりのなかで新たな層が参加してきたことが大きい。
その一つが「若狭の原発を考える会」をはじめとする反原発運動の広がりである。大飯原発再稼働反対の現地行動以来、現地での行動と大衆運動に重きをおき、再稼働阻止全国ネットの一翼として、関西での反原発運動の新たな発展を切り開いてきた。
もう一つは「No Base沖縄と つながる京都の会」をはじめとする京都における沖縄連帯運動の統一を実現しことだ。その中から新たな活動家も生まれている。さらに米軍Xバンドレーダー反対京都連絡会の活動のなかで、米軍基地の地元、京丹後市の住民としっかりと結びついた運動を進めてきた。この3つの領域における運動の発展が今年の集会の成功を生み出した。
戦争法反対運動では、京水労や平和フォーラム、解放同盟なども参加する京都の「1000人委員会」が発足。さらに8〜9月には「憲法9条京都の会」や「京都アクション」と共同した総がかり行動が実現した。今年の集会では、こうした取り組みに踏まえて、〈反戦共同行動きょうと〉としての「総括と今後の方針」をしめす基調提起をおこなった。
また当面する闘いとして、11月8日にスタートする高浜原発再稼働阻止をかかげた高浜から関電本店までのリレーデモへの参加が呼びかけられ、市内デモにくりだした(写真)。(杉本和也)
「原発も戦争もない未来を」
10・23伊 丹
2011年の3・11福島原発事故以降、毎年秋、いたみホールでひらかれている「さようなら原発1000人集会」は、今年は10月23日に「原発も戦争もない未来を」をかかげて開かれ、700人が参加した。
集会では、最初に司会が「原発も戦争もない未来を」をかかげた経緯と、運動を次世代に引き継いでいく趣旨が説明された。続いて映画『日本と原発』(30分版)を上映。
福井地裁高浜原発差し止め訴訟の武村二三夫弁護士の講演は15分という短い時間ながら、科学的に原発事故の問題点を明らかにした。
メインの講演は元NHKアナウンサーでジャーナリストの堀潤さん(写真)。堀さんはNHK時代に3・11福島原発事故をきっかけに原発問題を追ったが、NHKにいることの限界を感じ、フリーとなって取材を続行。その後大学院でジャーナリズムを勉強した。問題をつねに1人称で語るジャーナリストである。
講演では百歳になるジャーナリストむのたけじさんの取材をとおして、中国侵略の「15年戦争」が庶民の支持のなかでおこなわれていたことや、1945年以後も戦争が起こっているのに見ないふりをしてきたことを知った。ジャーナリストはその中に真実を求めることが必要だと訴えた。
原発事故も同じで、何度も福島現地を取材した経験から、性急な結論を押し付けるのでなく、個々人の体験やその思いのちがいを尊重しなければならないことや、一つ一つ事実に依拠しながら、巨大なプラントと安全神話に挑んでいくことの必要性が語られた。
今年、戦争法をめぐって「民主主義」が問われたが、ここでも事実(FACT)にもとづいて、遠回りに見えても下から議論を積み重ね、最後は戦争の問題と一体の原子力ムラに切り込んでいくべきだと語った。
講演を受けて4つの団体・個人がアピールをおこなった。グリーン・アクションのアイリーン・美緒子・スミスさんは、差し迫った福井・高浜の原発再稼働にたいし、地元自治体に抗議の声を粘り強く届けようと訴えた。「辺野古の海に基地をつくらせない神戸行動」は、翁長知事を先頭とする沖縄の闘いを、神戸でも広げたいと訴えた。戦争法に反対するシールズ関西の女子学生は、学生たちの闘いは先人たちの闘いとつながっており、沖縄や原発との闘いともつながっていることを簡潔に訴え、会場の共感を呼んだ。最後はママ・パパ・有志の会が、9月13日の川西市の行動に地域の労組や生協が合流したことを報告。
最後に主催者団体が、福島事故の反省もなく原発再稼働を進める安倍政権や原発に群がる人びととの闘いを宣言し。2時間半弱の集会を終えた。(兵庫 木戸)
読者の声
『未来』の記事に手応えあった
『未来』の沖縄関連記事 (183、4、5号)を読みました。ついネット上での情報や論説の拾い読みですませがちですが、印刷された文字の読み手に伝わるインパクトと確かさに少し興奮しました。もちろん、筆者の気持ちが伝わってくるからに他なりません。それを自分なりに受けとめ、いわばキャッチボールできる期待もあります。
翁長知事と政権側との集中協議は、政権側が沖縄の投げる球を最初から受け返す意志も誠意もないものであったことが、数度の会見で明らかになりました。予測内ながら憲法すら無視する安倍政権の姿そのままであり、「本土がイヤだと言っているんだから、沖縄に置くのは当たり前だろ」(自民・山崎力参議院議員)発言と何ら変わらない態度に強い憤りと恐怖を覚えます。
今回、新里さん、前泊さんのお話が「沖縄シリーズ」のように連載されました。新里米吉さんの講演要旨、「オール沖縄」で勝利する過程をとても印象深く読みました。勝つには今、何が必要なのか。翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消しを受け、全有権者99%の「本土」の取り組みが厳しく問われています。日米軍事一体化で戦争への道を開いた安倍政権。シリーズを読み、「本土」に深く浸透している構造的沖縄差別を打破できなければ、やがて自らも破滅に至るであろうとの警鐘と展望とを受け取りました。
前泊博盛さん講演の記事、前泊さんの講演要旨と記事を書いた武島さんの意見の対比がとても参考になりました。
拝読した記事に、多くの手応えがありました。私の方もしっかり投げ返す力を養い、また感想など送らせてもらいます。定期購読を申し込みました。(広島県在住/山根)
最高裁が上告棄却
ご支援、ありがとうございました
2012年関電前弾圧当該 松田耕典
2012年関電前弾圧(11・16事後逮捕)上告審において、最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)は9月30日、上告棄却の不当な決定をくだしました。
2審において、被疑事実の中心をなす「器物損壊」罪部分(警察護送車のアンダーミラーを壊した)が無罪となり、今一度審理すれば、付随する「公務執行妨害」罪部分も無罪となることを嫌っての、3カ月での棄却、強い憤りを覚えます。
確定判決では懲役10カ月が6カ月に、執行猶予も3年から2年に減じ、「懲役6カ月」には未決通算160日が算入され、執行猶予が取り消されても20日間の収監しかできません。今回の弾圧が治安弾圧・人質裁判でありながら、裁判終了時には刑がほぼ終了という中に、弾圧の破産性が示されています。
逮捕から約3年。半年余の勾留時の面会・差入れと、10回をこす公判への傍聴支援、多くの皆さんに物心両面で支えて頂いたことにお礼申し上げます。
この過程で、私たち民衆の運動は幾多の弾圧にも負けず、今年は60年・70年安保闘争以来の高揚が生み出されました。今後も新たな弾圧が予想されますが、皆様のご厚誼を忘れることなく、闘いの一翼を担うことを改めて決意し、紙面を借りてお礼の言葉とさせていただきます。
2015年10月中旬
6面
焦点
戦争法下の南スーダンPKO派兵
ー自衛隊が侵略・占領・交戦へ突入
T 自衛隊の派兵予定計画
自衛隊は、今年11月から12月にかけて南スーダンPKO(「国連南スーダン共和国ミッション」UNIMIS)に中部方面隊から第9次隊を派遣する。南スーダンとはPKOの最重要課題とされる住民保護ミッションの最前線である。国会では、停戦合意が破られたら撤退すると答弁しているが、すでに何度も停戦合意は破られている。自衛隊の宿営地近くで戦闘も発生している。
2013年12月に、解任されたマシャール副大統領派がクーデターを起こし、マヤルディ現大統領派との内戦がいまも継続し、100万人以上の避難民が発生している。スーダンとの石油利権や国境をめぐる戦闘も続き、西部ではウガンダ系民兵組織の「神の抵抗軍」(LRA)が略奪などをおこなっている。全土で家畜をめぐる部族間・民族間の争いも絶えない。
すでにPKO5原則(注1)は成り立っていない。停戦合意が破られても、いや破られればそれ以上に、撤収できない状態に置かれているのである。
U PKOの変化と現状
「住民保護」が筆頭に
94年のルワンダ大虐殺が契機となって、PKOの性格は転換した。それまでPKOは、交戦主体にはならない、内政に干渉しないという原則をもっていた。そのため、フツとツチの対立(注2)により、100万人以上の大量虐殺が発生したとき、「介入」せず、見殺しにした。これを受けて、PKOの第1の責任は「住民の保護」となった。すなわち、住民が襲われたときには(と現地で展開するPKO部隊が判断すれば)、武器をとって「防護する」。また地元の政府が責任をとれない中では、交戦勢力にたいする中立性や「内政不干渉」の原則をかなぐり捨てて介入する。PKOといっても現在、中心となっている役割は、「災害派遣」などとは違うのである。
現在、「住民保護」(R2P)が適用されているPKOは、南スーダン、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国のアフリカ3か国である。
PKO派兵国の内訳
「先進国」(帝国主義国)はPKOに部隊を派遣しなくなった。旧宗主国にたいする現地住民の反発が大きく、信用されないからである。1994年にソマリアPKOで、米軍が内戦に介入し、特殊作戦部隊の兵士18人がソマリア民兵によって殺害され、遺体が裸にされ住民に引きずり回され、それが世界のテレビで放映された。これ以降、「先進国」、とくにアメリカはPKOに部隊を出さなくなった。
かわりにPKOに部隊を出しているのは、「発展途上国」である。提供した兵力に応じて償還金が払われるため、外貨稼ぎが目的である。14年4月末現在の国連統計で、PKO派遣国のランキングの上位10位は、@インドAバングラデシュBパキスタンCエチオピアDルワンダEナイジェリアFネパールGガーナHセネガルIヨルダンである。
V 日本のPKO参加の推移
PKO法改悪の経緯
92年に、PKO法(「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」)が成立した。この法律に基づき、自衛隊の地上部隊が初めての海外派兵をカンボジアにおこなった。自衛隊法も改定され、国際平和協力業務が「付随任務」から「本来任務」に格上げされた。自衛隊員にとっては、武器をもった海外派兵を強制されることになった。
2001年9・11の、米「同時多発テロ」を契機にPKO法は改定され、凍結されていた国連平和維持軍(PKF)への参加が法律上認められるようになった。これに基づき2002年、自衛隊が東ティモールに派兵された。
戦争法の一環としての今回のPKO法改定は、次の3点の変更を含む。
@巡回や検問や警護などの「安全確保業務」を追加した。これは典型的な「住民保護」の治安維持活動であり、軍隊による占領業務である。
A自己防護型に限っていた「武器使用」を任務遂行型にまで拡大した。治安維持、国軍建設支援、司令部業務、駆け付け警護、共同宿営地防護などを可能とする。PKO5原則の決定的変更である。B国連主導でない「国際連携平和安全活動」への参加を可能にした。国連が統括しない多国籍軍への参加である。
PKOの性格変化
ベトナム戦争終結を受けて、77年に戦時国際法が改定された(ジュネーブ諸条約追加議定書)。49年に締結されたジュネーブ諸条約では、交戦主体は国家と国家に限られていたが、国家に準ずる武装集団も交戦主体となった。これによって、現在では、民衆が普通に生活する市街地が戦闘地域となる。PKOの「治安維持」では、「紛争当事者が停戦に合意している」または「紛争当事者がいない場合」に限定している。しかし、「紛争当事者でない武装勢力」が登場したらどうなるか。「国か国に準ずる者」でないから撃ってよいことになる。国連やアメリカが交渉しようとする者を交戦主体と認定してこちらからは撃たないとしても、認知されない武装勢力はそれを無視する。したがってPKOでも紛争当事者の同定は前提とならなくなった。
国連のPKOも、かつては政治合意に基づいて、DDR(内戦などの当事者の武装解除・動員解除・社会復帰)をおこなっていた。現在では、説得と合意に基づいて武装解除する建前を捨て去り、「武装解除の命令に抵抗したら撃て!」が原則となっている。一番苛烈な戦争が渦巻いているところ、そのもっとも焦点となっているところが、自衛隊が行く南スーダンPKOなのである。
W 自衛隊派兵の戦争挑発性
南スーダン派兵の実態
現在、南スーダンPKOに派兵している国は次の13カ国である。
@ケニア(歩兵部隊)A中国(医療部隊・工兵中隊)Bルワンダ(歩兵・航空部隊)Cカンボジア(医療部隊・MP)Dモンゴル(歩兵部隊)Eガーナ(歩兵部隊)Fインド(歩兵・医療部隊・工兵中隊)Gネパール(歩兵部隊)H韓国(工兵中隊)Iバングラデシュ(工兵中隊)Jスリランカ(医療部隊)Kエチオピア(歩兵部隊)L日本(施設隊)(国連統計資料、15年2月現在)。
帝国主義国で部隊を派兵している国は日本だけである。しかも日本は、BCEGIKの部隊とともに首都ジュバに宿営地を設けている。インド、中国などの宿営地は首都から500q以上離れている。
しかも5月から派遣される北部方面隊の編成による第10次隊は、新法制に基づく運用をおこなうとしている。国会で暴露された「統合幕僚監部の内部資料」によれば、「任務遂行型」の武器使用が必要になる「駆け付け警護」以外に、「他国軍との宿営地の共同防衛」を実施する。内戦の焦点でもある首都周辺に宿営地を設け、その共同防衛を口実に占領軍として首都を制圧し、内戦の当事者にたいする先制攻撃も辞さない。他の帝国主義国がしり込みするアフリカにおける侵略拠点、軍事拠点を設けることを狙っているのである。
治安維持=「住民保護」の任務は、今回の法改定で可能になったが、当面、実施は見送るとされている。アフガニスタンにおける国際治安支援部隊(ISAF)がその任務をやった。米軍と並んで国土制圧のため現地の民族解放勢力にたいする人質作戦から住民絶滅作戦までをおこない、アフガニスタン全民族、全住民の怨嗟の的となった。それとかわらないことを次には自衛隊がやろうとしている。
政府はそのためにすでに、南スーダンPKOの第1次派遣隊に、約100人の中央即応連隊を2012年の2月から6月まで派遣している。中央即応連隊とは、外征の軍事作戦の専門部隊として、2007年に防衛大臣直轄部隊として編成された中央即応集団の中核として、位置づけられている。この部隊を最初に派遣したこと自体が、自衛隊が南スーダンにおける侵略と占領のための部隊として最初から位置づけられていたことを示している。
自衛隊の南スーダン派兵を阻止しよう。
(注1)PKO5原則
@停戦合意A紛争当事者の合意B中立性Cこれらの前提が崩れた場合の撤収D武器使用は自己防衛に限る―というもので、冷戦終結前の「国連中心主義」の理念に基づいてつくられたが、現場の実情に合わないとして空洞化されてきている。
(注2)フツとツチ
農耕民のフツと遊牧民のツチは元々、宗教・言語・文化の差異がなく、通婚し、対立もなかった。19世紀末、ルワンダを植民地としたドイツ帝国、第1次大戦後それを引き継いだベルギーは、王族や首長をツチに独占させ、教育・宗教・税や労役すべての面でツチを優遇し、30年代にはIDカードを導入し、両集団を隔離した。この差別・分断政策は、ツチが身長が高く、肌の色が若干薄いとして、白人に近いという人種思想に基づいていた(「ハム仮説」)。キリスト教会がそのようなイデオロギーを支えた。戦後、アフリカに独立の機運が高まると、ベルギーは逆に、多数派のフツを優遇し、両集団の対立を煽った(1962年に独立)。1990年代に、経済危機からIMFの経済調整プログラムが導入されるとこの対立は極限に至り、人口730万人のうち117万人が100日間の間に虐殺され、女性が数十万人レイプされるという悲劇が起こった。国連はPKFを派遣したものの、外国人の避難以外の措置を取らず、英・米・仏の政権も虐殺の見殺しに加担した。