未来・第186号


            未来第186号目次(2014年10月15日発行)

 1面  日米軍事協力を許さない
     米空母寄港に怒りの声
     10月2日 横須賀

      ルポ辺野古
     陸・海で連日の抗議行動
     激しさ増す海保との攻防

 2面  高浜原発の再稼働を許すな!
     大阪・関電本店前まで リレーデモの呼びかけ
     「高浜―関電本店リレーデモ」実行委員会 木原壯林

     反戦・反原発で2万5千
     アベ打倒の決意新たに
     9月23日 東京

     控訴審でも無罪
     JR大阪駅前街宣弾圧

 3面  自由と尊厳を取り戻す闘い
     2015年安保闘争取材記(上)      

     病者と生きる社会の在り方
     往復書簡 『ともに生きる 7』を読んで      

 4面  戦前に回帰する安倍
     浜矩子さんの講演を聞いて
     9月16日 大阪

     「農業、暮らし切り捨て、大企業が大事か」
     反TPP集会での萩原富夫さんの発言から

 5面   寄稿 反戦自衛官 小多基実夫
     特殊作戦部隊とオスプレイの横田基地配備、その狙いは何か(下)

      読書
     他者への不安 ファシズムの土壌
     『「テロに屈するな!」に屈するな』
     (森達也著・岩波ブックレット 620円+税)

 6面  寄稿 戦後70年と〈天皇〉 連載 最終回
     近代日本の民衆の闘いを総括し天皇制に打ち克つ道を見出そう
     隠岐 芳樹      

             

日米軍事協力を許さない
米空母寄港に怒りの声
10月2日 横須賀


10月1日午前7時頃、超過密な東京湾浦賀水道を通過し、空母ロナルド・レーガンが、G・ワシントンの後継艦として横須賀港に向かった。R・レーガンの前方で、出迎えた海上自衛隊のヘリ空母いずもが先導。まさに「戦争法」の協力体制そのものだ。早朝、対岸の公園の堤防で、神奈川などの労組市民が抗議の声をあげた。翌2日午後6時から「R・レーガン横須賀配備抗議! 原子力空母の母港撤回を求める全国集会」が始まった。参加者は2800人(写真)。 集会では、フォーラム平和の藤本泰成事務局長が次のようにあいさつをおこなった。
「R・レーガンは『力の平和』という別名をもっている。おりしも戦争法案が成立した。安倍が言う『積極的平和主義』、これは軍事力をもって、人を殺すことで『平和をつくる』ということだ。空母ミッドウェー配備から43年、この横須賀は世界で唯一米空母の母港であり続けてきた」。
「第7艦隊、この世界で最強の機動部隊は、朝鮮・ベトナム・湾岸・イラク・アフガン戦争などで、世界の人たちを殺し続けてきたのではないか。そして、この日本は、横須賀はこの『後方支援』にまわっていたのだ。平和憲法を守ろうと声をあげ続ける私たちはこの横須賀の存在を忘れてはならない」。
「私たちは、平和憲法を守り、決して人を殺さない、そういう日本のあり方を作っていかなくてはならない。私たちは、この神奈川・沖縄の基地を無くしていこう。戦後私たちは一度も引きがねを引くことはなかった。これからもそうありたい。そのために、連日、国会前にいたのではなかったか。これからもがんばっていこう」。

危険な原子力艦船

その後、福元勇司沖縄平和運動センター副議長、呉東正彦原子力空母母港問題市民の会共同代表や大波修二厚木基地爆音防止期成同盟委員長から発言が続き、デモに出発。横須賀基地前で怒りのコールをあげた。
このR・レーガンは福島原発事故後、「トモダチ作戦」に参加。多数の兵士が被ばくし、3人が死亡、200人の隊員が損害賠償を訴えている。除染は「完了」とされているが詳細は不明だ。
福島原発事故以来、国内の原発がほとんど稼働してこなかったにもかかわらず、空母や原潜など米艦船の原子炉は全く何の制約も受けずにこの超過密な東京湾で出入港を繰り返している。ひとたび事故があれば首都圏は壊滅的ダメージを受けることになる。また横須賀基地と連動する厚木基地には欠陥輸送機オスプレイが何回も飛来し、空母艦載機の離発着訓練によって、危険と深刻な爆音被害が繰り返されている。さらなる地元での市民運動の強化が必要である。(神奈川・深津利樹)

伊方原発
住民の多数は再稼働反対
11月1日 松山市で全国集会

安倍政権は7月17日、愛媛県と伊方町に「再稼働同意要請」をおこなった。これを受けて伊方原発30キロ圏内の八幡浜市、西予市、宇和島市、大洲市、内子町、伊予市が8月中に説明会を開き、原子力規制庁、資源エネルギー庁、四国電力が出席した。
説明会は参加者を各自治体が指名した住民に限定し、時間は2時間半、傍聴は「原則認めない」というもの。
大城八幡浜市長は「説明会参加者からの意見集約で、再稼働賛成が66%にのぼった」と言っているが、このときの集計対象者は、市が事前に指名した市議や地元各界代表者67人だった。アンケート方式で参加者の意見集約をした西予市は再稼働賛成20%、反対63%。宇和島市は賛成26%、反対51%だった。
しかし30キロ圏内の5市町首長は「再稼働の是非は表明しない」として、自らの主体的責任を放棄して、「同意」の流れに与したのである。そして伊方町議会は、住民の抗議の中10月6日、本会議最終日に「3号機の再稼働を求める」陳情を質疑・討論なしで採択した。9日、愛媛県議会本会議は、「再稼働反対を求める請願」56件を不採択とし、「早期再稼働を求める請願」4件と緊急上程された自民党議員団による「再稼動を認める決議案」の採択に踏みきった。
中村県知事と山下伊方町長は、住民の説明会開催要請を拒否し、伊方町議会、愛媛県議会の「再稼働を求める請願・陳情」の採決を受けて、経産相の伊方原発視察とその後の面談終了をもって「再稼働同意表明」をおこなおうとしている。
伊方原発3号機再稼働を阻止しよう。11・1全国集会in松山に結集し、「同意撤回」「再稼働反対」の声をあげよう。

ルポ辺野古
陸・海で連日の抗議行動
激しさ増す海保との攻防

警察車両の前に座り込んで抗議集会(10月3日)

9月24日、22日に不当逮捕された韓国人のCさんに10日間の勾留決定。名護署前では100人が抗議の声をあげた。差し入れ、カンパが全国から続々と寄せられている。家族の滞在費カンパも集まっている。海上の仲間やゲート前の市民も連帯のカンパを集めた。
防衛局は、接近する台風対策で、海上ではフロートの一部を撤去する作業をおこなった。12日に作業を再開したが、ボーリング調査ができないまま、またフロートや浮桟橋などの撤去作業を始めた。工事は一向に前進しない。海上行動隊は、抗議船3隻とカヌー12艇で作業を監視した。
また、この日、島ぐるみ会議・東村が発足。16日の島ぐるみ会議やんばる大集会の決定を受け、東村でも結成大会がもたれ、30番目の島ぐるみ会議を発足させた。大会では、辺野古・高江の新基地建設を阻止し、高江ヘリパッドの撤去を求める決議をあげた。 29日、ゲート前では、台風対策で外していたテントを設置し、市民100人が座り込み、抗議行動を再開した。海上は余波のため作業はなかった。
30日、海上作業が再開。防衛局はフロート、オイルフェンスの再設置を始めた。海上行動隊は、抗議船2隻とカヌー15艇で抗議行動。海上保安庁のゴムボートがカヌーを追いまわし、カヌー隊8人を拘束した。拘束時の海保の対応は以前より激しさを増している。8人は数時間後解放された。
18日に不当逮捕されたBさんに10日間の勾留延長が決定。昨年7月からゲート前抗議行動で10人の不当逮捕を出しているが、23日間の勾留ははじめてである。国家権力の弾圧が激しくなっている。
10月1日、ゲート前には連日100人以上の市民が座り込みをしている。機動隊は第1ゲートに2台の大型バスを配置し、バリケードを築き市民を排除している。そして、早朝の抗議行動に100人規模の機動隊を動員し、市民の座り込みをごぼう抜きで排除する。この時の排除の仕方が以前に増して激しくなっている。県外の機動隊を動員しているようだ。
2日、Cさんが釈放され、支援の市民20人が出迎えた。海上では、作業がつづき、市民への弾圧も激しくなっている。午前中の抗議行動でカヌー隊7人を拘束。午後の抗議行動でも7人を拘束。フロートに近づくだけで、何度でも拘束する。カヌー隊も何度拘束されようと果敢に抗議行動に決起する。海保との攻防は激しさを増している。
3日、前日釈放されたCさんが、ゲート前で支援者に感謝のあいさつ。Cさんは「赤ちゃんが生まれたら、必ずこの場所に一緒に座り込みます」と決意を表明した。
防衛局は、海上のフロートを3重に張りめぐらせ、オイルフェンスも設置した。フロートを3重にしたのは、カヌーの侵入を阻止するために強化したものだ。以前フロートが一重の時、カヌー隊が簡単にフロートを乗り越え、スパット台船に接近した。この時の教訓から三重にした。
この日、海上行動隊は、抗議船3隻とカヌー20艇で決起。5人が拘束されるが、果敢に抗議行動を貫徹した。海上行動隊は、連日早朝より、防衛局の作業が終わる夕方5時ごろまで抗議している。24時間体制のゲート前のたたかいと、海上のたたかいがこれからも翁長知事を支える力になる。

2面

高浜原発の再稼働を許すな!
大阪・関電本店前まで リレーデモの呼びかけ
「高浜―関電本店リレーデモ」実行委員会 木原壯林

2011年3月11日に発生した福島第一原発事故で、十数万人が財産と故郷を失いました。多くの被災者が困窮した生活を強いられ、癌の不安にさいなまれています。また、東京新聞が今年3月発表した「原発関連死」は1232人にのぼり、事故から4年半経っても被害が拡大し続けていることが明らかになっています。
一方、今でも事故炉の詳細は分からず、 事故収束の目途はたっていません。汚染水の漏洩は止まらず、浄化作業はトラブル続きです。ても被害が拡大し続けていることが明らかになっています。
にもかかわらず、九州電力と政府は、8月11日、運転開始から30年を超える老朽原発・川内1号機の再稼働を強行しました。そして、わずか10日で、大事故に繋がりかねないトラブルが発生したのです。水蒸気を冷却・復水するために海水を流す細管の破損です。長期にわたって高温海水に接触してきた細管の腐蝕は容易に予測できるにもかかわらず、原子力規制委の審査では、その点検と取り換えを免れていました。このように、規制委の審査では安全にとって肝心な点の多くが見落とされています。
関西電力・高浜原発3、4号機(福井県)も30年超えの老朽原発です。しかも、より危険度が高い加圧水型・混合酸化物燃料原子炉です。規制委は、この原発を「新規制基準」で審査し、本年2月に適合としました。
高浜原発で 福島原発級の事故が起これば、地形的に見て、住民避難は極めて困難です。関西1450万人の水がめである琵琶湖や、大阪、京都、名古屋などの大都市で甚大な放射性物質被害が危惧されます。若狭に面する日本海は閉鎖水域ですから、その汚染も極めて深刻です。
いま、大多数の人々が原発再稼働に反対しているにもかかわらず、安倍政権は原発再稼働に極めて意欲的です。それは、 @使用済み核燃料の処理や保管に要する費用、事故による損失を度外視すれば、「安上がりの原発電力」で電力会社や大企業に利潤を与えるためであり、A原発輸出によって、原発産業に暴利を与えるためであり、B原発を有事下のベースロード電源として確保し、核兵器の原料プルトニウムを製造し続けるためです。安倍政権は「現代と未来の人々の犠牲のうえに、巨大資本に奉仕する国づくり、戦争できる国づくり」政策の一環として原発を再稼働させようとしています。
福井地裁は、昨年5月の大飯原発の運転差し止めを命じた判決に続いて、本年4月、高浜原発再稼働差止め仮処分を決定しました。決定理由では、人が人らしく生きる権利が経済的利益に優先することを明言し、原発の危険性を明瞭に指摘しています。
この決定に対して、政府、関電、規制委は、「異議・不服」を申し立て、「粛々と」再稼働の準備を進めながら、異議審と上級審で決定が覆えるのを待っています。裁判に勝利して、関電や政府に再稼働を断念させるためには、これまで以上に大きな反原発の世論を巻き起こしていかなければなりません。
高浜原発の再稼働を阻止するためには、原発立地の若狭および周辺地域と原発電力の消費地・関西での原発拒否行動がしっかりと結びつくことが必要です。運動の再構築が急務です。
若狭、琵琶湖周辺、京都、大阪の住民に「高浜原発再稼働反対」を訴えるために、高浜原発から関電本店(大阪市)まで、13日間200キロのリレーデモを呼びかけます。11月8日に高浜原発を出発し、20日に関電本店に到着する予定です。このデモが起爆剤となって、電力会社、財界、そして安倍政権の心胆を寒からしめるような、再稼働阻止の大闘争が実現することを願ってやみません。

高浜―関電本店リレーデモ 日程
11月8日(日) 12時 高浜原発前出発集会
        〜デモ〜高浜町役場
 9日(月)  高浜町役場(集会)〜デモ〜JR小浜駅
10日(火) JR小浜駅〜デモ〜熊川宿
11日(水) 熊川宿〜デモ〜JR近江今津駅(集会)
12日(木) JR近江今津駅〜デモ〜JR近江高島駅
13日(金) JR近江高島駅〜デモ〜JR志賀駅
14日(土) JR志賀駅〜デモ〜JRおごと温泉駅
15日(日) JRおごと温泉駅〜デモ〜JR大津駅(集会)
16日(月) JR大津駅〜デモ〜関電京都支店(集会)
17日(火) 関電京都支店〜デモ〜JR長岡京駅
18日(水) JR長岡京駅〜デモ〜上牧〜JR高槻駅
      (集会)
19日(木) JR高槻駅〜デモ〜JR吹田駅
20日(金) JR吹田駅〜デモ〜関電本店(関電包囲大集会)
   出発は初日をのぞきいずれも10時
   デモ終了後は集会か交流会があります

反戦・反原発で2万5千
アベ打倒の決意新たに
9月23日 東京

「さよなら原発、さよなら戦争」東京・代々木公園に2万5千人が集まった(9月23日)

〈「さようなら原発」一千万署名 市民の会〉主催による「9・23さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」が東京で開かれた。〈戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会〉が協力に名を連ねて、大きなテーマを2つ並列に掲げた集会に、2万5千人が集まった。

あきらめない

まず前段に小規模の集会がふたつ同時に開かれた。ひとつは原発、もうひとつは戦争法案・沖縄問題をテーマにしたもの。原発集会では、司会が「100万円の羽毛布団を20万円にしたって高いものは高い」と帰還政策を弾劾。福島では巧妙にデマを交えた「なすびのギモン」なるパンフの大量無料配布などで放射線安全神話作りの推進、周囲の理解が得られない自主避難者の苦悩、原発の劣悪な労働環境などが発言者から語られた。
その一方で、「あきらめない」をキーワードにたたかいぬいた結果に東電幹部強制起訴があったこと、当事者組織19団体が集まった〈ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)〉と〈「避難の権利」を求める全国避難者の会〉による新たなたたかいが始まろうとしていること、自主検査・自主検診の取り組みなども報告された。

シニシズムを一掃

本集会では、結果に一喜一憂することなく再稼動を少しでも抑えるたたかいを進める姿勢の重要性、再稼動がわずかしか実現できていないことがたたかいの成果であること、戦争法案へのたたかいの高揚は蔓延していた政治的シニシズム(冷笑)を一掃したとの総括、自然エネルギーへの転換が趨勢となっている世界情勢から見た日本の異様さなどが話されるとともに、来年の参院選を見据えたたたかい、自衛官との連帯が訴えられた。
発言者には、反原発に取り組んでいる韓国の神父、再稼動を理由に日本からの勲章授与の打診を断ったフランスの映画監督の姿もあった。
これらの発言を受け、安倍打倒の決意をあらたにしながら、2方向にわかれてデモ行進をおこなった。

控訴審でも無罪
JR大阪駅前街宣弾圧

9月28日、JR大阪駅前街宣弾圧の控訴審で、大阪高裁第5刑事部(並木正男裁判長)は、検察側控訴を棄却し、1審無罪判決を維持した。
この弾圧は2012年10月17日、JR大阪駅前(敷地の東北角)付近でおこなわれた「震災がれき広域処理」に反対する宣伝活動にたいして、同年12月に3人が令状で事後逮捕され、うちHさんのみが「威力業務妨害」で起訴された事件。昨年7月の1審判決では無罪が言い渡されていた。
今回の控訴審判決は「控訴棄却=無罪」としたものの、判決内容は1審判決より悪い方向に踏み込んだ内容になっている。並木裁判長は、駅構内の秩序が保たれない「おそれ」があれば、コンコース内の通行を駅職員は阻止してよいとか、駅職員による通行妨害は「違法ではない」と断言。メガホンや、プラカードを持ったまま、電車を利用したり、構内を通過することを、駅職員の勝手な判断で阻止してよいと事実上宣言した。
そのうえで、「(本事件は)威力業務妨害の構成要件に該当しない」「(1審判決における)事実誤認は、判決に影響を与えるものではない」とし、控訴棄却とした。

がれき説明会弾圧は有罪

この裁判は、もうひとつの「2012年11・13大阪市がれき説明会弾圧」と併合審になっている。同弾圧では3人が起訴され、うち2人の裁判は大阪高裁での有罪判決で確定している。Hさんのみが、JR大阪駅前街宣弾圧との併合のため、判決が遅れていた。今回、大阪高裁は「被告側の控訴棄却」で、1審有罪判決を維持。「懲役8カ月、執行猶予2年」の不当判決となった。

3面

自由と尊厳を取り戻す闘い
2015年安保闘争取材記(上)

60年・70年安保闘争にならぶ大衆的決起

2015年戦争法反対闘争は、60年安保、70年安保・沖縄闘争とならぶ全国数十万の大衆的決起のたたかいとして、法案強行採決後の今日も続いている。
70年安保闘争以降、長きにわたる社会運動の後退局面が続いたが、3・11大震災・原発事故後、社会のあり方を問い直すたたかいが蓄積されてきた。そして今回、戦争法強行による「平和主義」と「国民主権」の破壊に対して、あらゆる世代が人間の尊厳をかけて立ち上がった。とりわけ「戦後70年、『政治の禁止』というくびきから解放された若者たち」(雨宮処凛)はシールズなどの新たな運動形態で登場し、戦争法反対闘争を牽引した。筆者が主に活動している兵庫県を中心に闘いの経過をレポートする。

転機は3憲法学者の違憲証言

たたかいの転機は6月4日の衆院憲法審査会での3憲法学者の発言だった。改憲論者の小林節氏や秘密保護法に賛成した長谷部恭男氏が「集団的自衛権の行使は憲法違反」と発言した。それまでは弁護士会や立憲デモクラシーを唱える一部の学者らが、学問的蓄積を否定する安倍強権政治と自民党改憲案を批判してきたが、ここで大きく運動と結合した。
学生と研究者たちの戦争法反対運動は急拡大した。短期間で1万人を超えた学者・研究者の声明運動は、新自由主義攻撃の下で「大学の自治」や「学問・研究の自由」を奪われかけた大学人による「自由をとり戻す」運動でもあった。
格差・貧困が拡大し、「奨学金」という名のローンを卒業時に500万円も背負わされる学生たちにとっては、戦争法と経済的徴兵制はストレートに結びつく。彼らは今後の人生をかけて戦争法反対運動に立ち上がり、その勢いはまたたく間に高校生へも広がり、全国各地で自主的な運動を呼び起こした。

「アベ政治を許さない」全国一斉行動

内閣法制局長官を都合のいい人物に勝手にすげかえ、「米艦船の邦人を守る」や「ホルムズ海峡機雷除去」という立法事実が消滅しても強硬姿勢を変えない安倍政権の姿に、「もはや理をつくしても戦争法案は止まらない」と民衆が感じた時、3・11以降生みだされてきたさまざまな運動が一つにつながった。澤地久枝さんの「アベ政治を許さない」が合言葉となり、7月18日の全国一斉行動となった。
6月21日、神戸では70年安保以来の9千人が集まり、復活した「ベ平連」の旗もひるがえった。7月18日には兵庫県下の26市民団体がネットワークを作り400人でデモ行進をした。「組織動員」にたよらない、誰でもはいれる自主的な運動だ。
衆議院での強行採決は、たたかいの火に油を注ぐだけだった。強行採決の日、シールズ関西が呼びかけた大阪・梅田の行動には、JR大阪駅周辺の歩道が鈴なりとなる2700人が参加した。内田樹氏と関西学院大の寺田ともかさんが感動的なアピールをおこない、それがネットで全国に拡散された。

解放区となった国会正門前(8月30日)
デモ後、東遊園地にせいぞろい
(7月18日 神戸)

衆議院採決後も闘いは終わらない

7月後半から8月にかけて、運動は収束するどころか、新たなたたかいへの準備期間となった。各地で毎週のビラまきがおこなわれ、若手弁護士や元自衛官を呼んで学習会が開かれた。
8月23日の神戸市の私学会館での集会は、元自衛官の泥憲和さんの講演、戦争体験者の山本善偉さん、ママの会、水岡俊一参議院議員の報告がおこなわれ、後半戦へたたかいの火ぶたが切られた。
元自衛官の泥さん(姫路市在住)や井筒高雄さん(元加古川市議)の講演は各地で開かれ、そこで語られる「戦争のリアル」によって運動に深みが加わった。自治体議員の反対運動も広がり、地方議会で反対あるいは慎重審議を求める決議が上がった。公明党が反対に回れば「政権交代」となる地方都市も出てきた。
小さな子どもを持つママたちの「だれの子どもも殺させない」という運動も全国に広がった。運動は地方都市から過疎の村まで全国津々浦々におよんだ。

8・30国会正門前は解放区に

新幹線の窓に「戦争反対」の文字が

後半戦の焦点は8・30国会包囲10万人・全国100万人行動だった。8月30日、全国から12万人が国会前に集まった。上京する新幹線に登場した「戦争反対」の窓文字がネット上で話題となった。大阪では扇町公園に2万5千人が集まり、創価学会員の発言もおこなわれた。
8月30日当日、国会前とその周辺の歩道は参加者で一杯となり身うごきができない中で集会が始まった。ついに2時前には、警察の規制線を突破して車道に人があふれ、「堤防が決壊」した。しかしなぜか「主催者の男性」は「その場を動かないでください」と訴えた(TBS報道番組)。「堤防決壊」の現場にいた大阪の弁護士は、「そんなことをしたら敵の思うつぼだ」と叫ぶ人の声を聴いた。
しかし人々の闘いは国会前を解放区とし、ついに戦争法反対闘争は、60年や70年とならぶ巨大な国会闘争として爆発した。(つづく)(久保井健三・写真も筆者)

病者と生きる社会の在り方
往復書簡 『ともに生きる 7』を読んで

〔読者から筆者へ〕

読み手から筆者への共感という迫り方で言うと、高見さんは「『病者』が開き直って」社会に出て行ったとき、周りの小さな社会が変わる、だから社会に出ようぜ、ということが一番に言いたかったのではないかと思う。そうして「岩倉村の経験から学ぼう」と言っている。岩倉村では、「病者」が農作業を手伝ったり、柴刈りするなどして村民と共に生活していた。
私の叔父は、ダウン症の障がいをもっていた。何十年か後に、「精神病院で死んだ(?)」と聞かされた。子どものころ叔父がニコニコ顔でお菓子や飴を汚いズボンのポケットから出し、小さな私にくれたことを憶えている。お菓子だけでなく、ゆで卵や生卵をポケットに入れ、潰れてポケットがベトベトになって困った顔をしている姿や顔は、いまも鮮明だ。
どうしていつもお菓子や食べ物をもっているのか不思議に思っていたが、10年ほど前に叔母の話を聞き、その疑問が氷解すると同時に胸を熱くした。叔母の話ではJ町のオッチャン、オバチャンの肩を揉んだり薪を割ったりして、お菓子や時には5円、10円のお小遣いをもらっていたという。J町は、被差別部落である。彼は、学校帰りのやんちゃ坊主たちに追っかけられ、はやし立てられ、石を投げられたりしていたと聞く。そういう叔父を、部落の人々は日常に受け入れてくれていた。そういう話を聞いていたので、岩倉村が「病者」を受け入れていたという話がよくわかった。
身内に「病者」もいる。「精神病」というものを家族が理解することは、なかなか困難である。フロイト、フロムやマルクーゼなどを読んだ。マルクスやレーニンを読み社会運動に参加し、初めて何とか自分なりに「理解」し、対象化できるようになり嬉しかった。 高見さんは、精神病は「社会的関係性の病気であり、社会の矛盾を背負った病」と指摘している。私も、そう考える。だから、高見さんの言うように社会に出て、社会的関係性の中で病気をもったまま社会とともに生きる努力や、周りの人々の環境整備、支援が必要なのだ。
「開き直れば自分を否定してしまうことが起きない。自分を肯定すれば、たとえ社会が否定しても心は楽になります」と、高見さんは「病者」仲間に訴えている。「また、社会の側から接近することが何より必要」と、健常者の仲間に訴える。ストンと心に落ちるように読ませてもらった。私は「家族」という立ち位置から読ませてもらった。(K・H)

〔筆者から読者へ〕

ご感想を、どうもありがとうございました。ご家族に「病者」がおられたことを知り、家族として接していたらどういう感覚なんだろうなと思っています。
的確な読解にちょっとびっくりしています。一番言いたかったところを的確に指摘されたような感じがあります。全体として「病者」を対象にしているのと同時に、「健常者」の仲間も対象とした文章ですから。「階級社会と『精神病者』解放」「京都岩倉村と『精神病者』」は、「病者」を強く意識して書きました。「99%の連帯」は、「健常者」も意識しています。案の定「岩倉村」は、「病者」からの反応が強かったです。
学生時代いじめに遭っていたという方からも、感想を寄せていただきました。ネットで注文してきた方です。疎外された経験が親近感となっているようでした。
下町で「病者」を差別しない人たちというのは、知り合いの精神科医の経験や知人のアパート住民のことです。下町には「病者」を包み込む何かがあるようで、感想に書かれている被差別部落と共通したものを感じました。
病棟転換型居住系施設を考える集会(7月、神戸市内)で発言した家族の方は、お兄さんが60年安保の時に発病、入退院を繰り返した末に長期入院になっています。隔離・拘束・電気ショックの経験から医療を信じられなくなっており、退院させられないのだといいます。この方のもう一人のお兄さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)で、もう亡くなっているそうです。読後感をいただいた方と、何かの境遇が似ているなと感じました。(高見元博)

『ともに生きる7』B5判57ページ/頒価300円※問い合わせ・注文=怒りネット関西ブログ http://ikari-net.cocolog-nifty.com/blog/

4面

戦前に回帰する安倍
浜矩子さんの講演を聞いて
9月16日 大阪

9月16日、エルおおさかで「ほんまやばいでTPP講演集会」が開かれ、浜矩子さん(写真下=同志社大学教授)が1時間ほど講演した。
安倍首相が、いつも言っている「戦後レジームからの脱却」ということが「戦前への回帰だ」ということは、分かっていたつもりだったが、浜さんはそれを具体的に例示した。4月29日の米議会とその夜の笹川平和財団アメリカ支部での発言からの引用だ。
米議会における安倍首相の演説、「TPPには、単なる経済的利益を超えた長期的な安全保障上の大きな意義があることを忘れてはなりません」は、通商協定を戦略的野望の実現のために使うと宣言したに等しいという。侵略による領土の拡張や植民地の拡大といったブロック経済の反省の上に、まがりなりにも「自由、無差別、互恵」を三大原則として戦後通商関係は築かれてきた。安倍発言は、それを「粉砕」する、平和的秩序にたいする冒涜だと。

国防費を増やすため

また笹川平和財団での発言はもっと露骨に、「アベノミクスと安保・外交戦略はメダルの裏表」「日本のGDPをアベノミクスによってアップすれば国防費を増やすことができる」と言った。浜さんは、「経済政策の目標は、インフレ・デフレ・バブル等からの均衡回復と、苦境に陥った弱者の救済にあるのに、それらにまったく配慮しない御法度発言だ」と切って捨てた。
安倍首相は、これまで歴代の政権が国民のご機嫌取りとして掲げてきた「国民のための政治」ということすら投げ捨て、「富国強兵の大日本帝国」を再現したいと本気で思っている。安倍首相は軽い言葉でさらっと言ってしまう。「本質的本性に照らして当然の本音」(浜さん)という怖さが、そこにある。あらためて安倍の「戦略的野望」を認識できた気がする。
浜さんは、「TPPのほんとうの意味は『とってもやばいパートナーシップ、TYP』というのが正しい」とバッサリ。最後に安倍政治とたたかう「3つの道具」を提案した。自分とは意見を異にする人の話をちゃんと聞くことができる「耳」、人のために泣ける「目」、困っている人のためにさしのべる「手」。これらは、私たちがめざしてきた共産主義者としての心得ということではないかと思った。(波多野)

「農業、暮らし切り捨て、大企業が大事か」
反TPP集会での萩原富夫さんの発言から

萩原富夫さん(写真左=三里塚芝山連合空港反対同盟・事務局員)がTPP反対、市東孝雄さんへの政府・NAAによる農地取り上げ裁判、緊急5万人署名など三里塚闘争の現在を話した(ほんまやばいでTPP集会=9月16日、大阪市内)。発言要旨を紹介する(文責=本紙編集委員会)

農業つぶしのTPP

三里塚からきました。三里塚といっても、あまりなじみのない方もあるかもしれません。私たちは成田空港建設に反対し、もう49年になり、私で3代目になります。私は、親父が2年前に亡くなり事務局を引き継ぐことになりました。
TPPにたいして、私たちは農民の立場から一貫して反対してきました。農民と農業をないがしろにしてきた空港建設に反対する立場から、このTPPの攻撃は、三里塚と三里塚農民にたいする農民つぶし、農業つぶしと一体のものであるという立場から反対してきました。自国の農業をつぶしてどうやって生きていこうというのでしょうか。私たち農民の立場からみると、「農業を無くしたら、みんなどうするの」って、ほんとに心から思います。

緊急5万人署名を

私はたまたま農業を継ぐことになり、たたかっているわけです。いま、B滑走路の予定地で耕作している市東孝雄さん、その署名運動のリーフレットが配布資料に入っていますが、市東さんの農地にたいし農地取りあげの攻撃がかけられ、現在9年にわたって裁判闘争をたたかっています。千葉地裁、東京高裁段階での署名運動を全国の皆さまにお願いしましたが、残念ながら東京高裁は空港会社側を支持し、私たちの訴えを却下するという判決を出しました。私たちは最高裁に上告、8月10日に上告趣意書を提出しました。いろんな裁判の過程がありますが、最高裁になると弁論の機会がありません。いつ判決が出るかわからないような、切羽詰ったたたかいです。
そういう中で新しく「緊急5万人署名」を始めました。ひとつは「賛同人署名」というお願いです。(賛同人が)市東さんを応援する応援団になってほしいのです。「私は賛同し、署名を呼びかけます」と、お名前を公表し、署名をもっともっと広げるために協力していただきたい。(賛同人と、署名運動を)両方セットで進めていきたいと考え、開始しています。

農地はいのち

市東さんはリーフレットにあるように、大正時代から親子3代、100年近く農業を続けてきました。市東孝雄さんは「跡継ぎだから」「自分は家に帰ったら、農業をやるんだ」という思いで、(お父さんの東市さんから)引き継ぎました。その時はもう、以前のように土地収用法に基づく強制収用はできない段階でした。ところが空港公団(後に空港会社NAA)は1988年にこっそり土地を用地買収し、(市東さんは)それを知らされずに農業を続けていました。そして2006年に突然、(農地法を悪用し)裁判に訴えてきました。
市東さんは、「農地というのは自分のいのちと一緒なんだ」「絶対守り抜く」と、たたかっています。
私たちは「農地は命」と掲げています。農地、農業というのは「ほんとにいのちだな」と、私たち自身も運動の中で農地の大切さ、いのちを生む、自然の大切さということをあらためて考えています。

どっちが公益?

(会社や空港推進派は)「農業よりも空港の方が公益性があるんだ」「農民には補償をすればいい」「他所に移転してもできるじゃないか」と言います。しかし、市東さんや(福島の)被災地農民のことを思い浮かべてください。「よそへ行ってやればいいじゃないか」という話じゃないんです。農業というのは、やっぱり自分たちが育ててきた、先代・先々代から引き継いできたものが、その人にとっては(他に代えられない)大切なものなんです。市東さんのことを考えると、「ほんとに、そういうのは大事だな」と思います。
農業と農民を切り捨てていくTPPと農政です。農業は切り捨て、自動車産業で儲ければいいというTPPのやり方、それとたたかうのと市東さんのたたかいは同じです。「空港は農業よりも大事だ。空港でもっと多くの人が経済的に潤う方がいい」「TPPで自動車産業の輸出をもっと増やす。農業は輸入すればすむ」。そういうことが言われています。

「高齢者」からのバトン

だけどTPPというのは農業だけの問題ではないですよ。私も、今日の浜矩子さんの講演を聞かしていただいて勉強します。こういう集会の取り組みというのは、とても大事だと思います。農業関連の人たちによるTPPに反対する集会やデモとかはよく聞きますが、労働者、市民、農業関係以外の方々が真剣に取り組んでおられるということが、もっと広がる必要があると思います。
私たちも勉強しながら、TPPも含め戦争法制とたたかい、国会行動にも何度か行きました。いまたたかっているのは若者と高齢者が多いですね。失礼ですが、定年を過ぎたかつて60年安保をたたかった人たちが「やっぱり死ぬまでがんばるんだ」と。原発の問題もそうですが、高齢者のみなさん最後までやってほしいですね。いま労働者がなかなか動けない状況の中、高齢者ががんばらないと、この先大変なことになっていくと思います。よく言われていると思いますけど(会場、爆笑と拍手)。 一緒にがんばりましょう。今日はありがとうございました。

5面

寄稿 反戦自衛官 小多基実夫
特殊作戦部隊とオスプレイの横田基地配備、その狙いは何か(下)

非対称の戦争・特殊部隊・オスプレイ

上記(前号)のようにオスプレイは問題だらけであり、当然米軍においてもかなりの不人気機種である。開発初期段階から米陸軍は採用拒否を貫いており、海兵隊も一時拒否した経緯がある。(最終的には米議会の圧力で採用が決まったということらしい)。
問題は、なぜそのような欠陥機を実戦配備するのか? 軍にとってどのような「利点」があるのかということである。輸送力(量)が半減することはおそらく陸軍や海兵隊にとって最大のネックであろうが、秘密作戦を主任務とし、国際法を無視して外国に潜入・奇襲作戦をおこなう特殊部隊にとってはうってつけの兵器と思われる。
オスプレイ輸送機には、MV22と22CVの2種類がある。機体の構造は基本的に共通であるが最大の違いはミッション(任務)である。
海兵隊が装備するMV22(陸自も導入を決めた)は、強襲揚陸艦(ヘリ空母)などから海兵隊員を戦場へ輸送するのが主任務である。これにたいし空軍仕様のCV22は、訓練機以外全機が特殊部隊の専用機である。1機あたり2個小隊(24人)のコマンドを乗せて秘密裏に敵地に送り込むのが唯一の任務である謀略部隊だ。
特殊部隊は、非正規戦・対ゲリラ戦のスペシャリストの部隊であり、敵地に深く入って偵察、破壊、暗殺、拉致などをおこなう。例えば2011年5月パキスタンでオサマ・ビン・ラディン氏を暗殺し、負傷した妻を拉致したのは海軍特殊部隊「シールズ」で、輸送したのは陸軍特殊作戦部隊のヘリMH―60ブッラックホークであった。また今年6月シリアでイスラム国幹部のアブ・サヤフ氏等を暗殺し妻を拉致したのは陸軍特殊部隊の「デルタ・フォース」で空軍のCV22オスプレイが輸送したといわれている。

米軍戦略の変化

因みに、米軍は従来の「国対国」「正規軍対正規軍」という戦争から「非対称の戦争」と称する「民衆やゲリラ」を対象とする戦争に基軸を移している。そのために特殊作戦を重視し、陸軍「デルタ・フォース」・海軍「シールズ」をはじめ空軍や海兵隊の特殊作戦関連部隊をまとめて指揮する「特殊作戦群」(計6万人)をすでに1987年に設立している。
この転換は何をもってなされたか? 設立の前年86年にソ連軍がアフガニスタンからの撤退を表明し、設立の翌年88年から撤退を開始しているのである。
すなわち米国は、ソ連の後退を埋めるために、アフガン―中東を始め世界中の民族自決・民主化をたたかう人々を容赦なく殺害する「戦争」を戦略の基軸に据えたといえる。それが特殊作戦部隊であり、「非対称の戦争」なのである。

横田基地配備の狙い

空軍輸送機オスプレイCV22の横田基地配備について、「沖縄での基地負担軽減のためである」とか、「否! 沖縄での反対運動に押されて本土配備とするが、実際には訓練は沖縄でやるのではないか」との声もあるが、日米政府はもっと攻撃的かつ積極的に考えているのではないかと思う。
CV22は、特殊部隊の輸送を担い、潜入〜活動〜脱出の全行程の秘匿が要求されるため、夜間・闇夜の高速超低空飛行が原則である。レーダーマスクというのであるが、敵の対空レーダーをかい潜り渓谷や山肌を縫うように低空飛行して防空レーダー網を突破するのである。「地形追随・地形回避用レーダー」を活用して夜間でも30メートル単位で地表との間隔を維持して低空飛行をするといわれるが、さらに高性能のサイレント・ナイト・レーダーも開発中である。
このように危険な任務―作戦のためには、当然にも日頃からの十分な訓練を要する。
今回、横田基地にはCV22と同時に400人規模の空軍特殊部隊の軍人・軍属の配備が発表されており、横田基地をCV22と特殊部隊の本格的な訓練基地〜出撃拠点にする計画が進められていると見なければならない。冒頭で触れたが、横田基地への配備決定のタイミングで中谷防衛大臣が「通常の飛行訓練に加え、低空飛行、夜間飛行を実施する」と発言したのはそういう意味である。
沖縄でなく横田基地に配備を決めた理由だが、沖縄は地形がほぼ平地に近く、陸地(特に東西)が狭いため、山岳地・渓谷訓練に使用できる空域が狭く訓練に不向きである。それに比べて横田基地は日本アルプスなど中部〜北関東地方にかけての広い山岳地が隣接しており、濃密な訓練ができるということではないか。(長野〜新潟県にかけての飛行訓練経路「ブルールート」、また富士演習場も近い)
さらに、実戦での出撃基地として考えると、横田基地は沖縄と比べて朝鮮民主主義人民共和国に近いことは重要なポイントである。
また、米軍にとって密かに他国に侵入し、要人の殺害・拉致・破壊などをおこなうこの無法の特殊作戦部隊を日本の首都・東京のしかも「航空総隊」という空自の最高指揮中枢の基地である横田基地に展開させ、最前線基地、出撃と訓練の拠点とすることの対日的な政治的意味はとてつもなく大きいものである。
まさに首根っこを押さえる「ビンの蓋」である。ロンドンにも、ベルリンにもソウルにもどの同盟国の首都にもこのような外国軍の侵略特殊部隊の基地はない。

人民と兵士の命のために

先に見たように、飛行するだけでもあまりにも危険なこの機は、米国内では広大な演習場を除いてはほとんどのところで飛行禁止である。しかし沖縄を始め日本全国では、米軍機は一切の法律に縛られないばかりか、遠慮がちに決められたささやかな取り決めすら無視して、市街地・病院の上空を含め無制限の空域で昼夜を問わず、しかも低空飛行も含めて自由に飛行している。全国全土の上空が米軍にとっては演習場であり戦闘空域なのである。
沖縄をはじめ飛行ルートの下で暮らす全国の人民にとってオスプレイの問題は「騒音」だけではなく、いつ墜落してくるかという命懸けの問題である。
そもそも平時から四六時中、睡眠と健康を妨害し「生命・財産」を破壊の危険にさらして平然としている日本政府と米軍が、有事=戦時に「国民の生命・財産を守る」ことなど有り得るはずがない。
戦争法が成立する以前でもこのありさまである。沖縄戦がそうであったように人も物も戦力・資源として動員し、動員の対象にできないものは「邪魔者」として排除?抹殺される時代はそこまで迫っている。

歴史の曲がり角

他方、この欠陥機に搭乗させられる兵士にとってはどうだろうか? 作戦が最優先する戦時は言うまでもないが、平時の訓練からして命懸けである。最も危険な低空飛行では、オートローテーションが効かないばかりか、パラシュートも使えないなどあらゆるセーフティ機能が欠落しており、陸上・海上・山林どこでアクシデントがあっても即、死に直結するのである。
軍隊と兵士について考える場合に重要なことだが、70年前までの日本や現在までの米国を見るまでもなく、戦争国家においては軍隊が幅をきかすが、それとは逆比例して兵士は人としての尊厳も生命も奪い尽くされる。「国を守る」といってもその方法は基本的に殺戮と破壊の戦争によってであり、兵士の生命はそのために消費される「人的資源」に過ぎない。兵士はあくまで「兵力」としてのみ評価される世界、それが軍隊である。
戦争法によって、「戦争をしない軍隊」といわれた自衛隊が「戦争をする軍隊」に変質させられようとしている。自衛隊は日本社会の縮図である。自衛官が歩む戦争への道を次には労働者人民が侵略の銃を担いで歩かされるのである。今が歴史の曲がり角だ。
米軍の特殊部隊も自衛隊の特殊部隊もいらない。米軍のオスプレイも自衛隊のオスプレイもいらない。

読書
他者への不安 ファシズムの土壌
『「テロに屈するな!」に屈するな』
(森達也著・岩波ブックレット 620円+税)

著者は「IS邦人殺害事件」検証報告書(5月21日公表)をきびしく批判する。検証報告書は「この事件にたいする政府の判断や措置に誤りはなかった」が結論だが、内容は支離滅裂だ。
何よりも、@安倍は1月17日カイロで 「ISIL(イスラム国)と戦う周辺各国に総額2億ドル程度支援」を約束し、岡村善文国連次席大使は殺害予告の2日後(22日)、国連総会で「決してテロリズムや暴力には屈しない」と強調。Aそれらが「10億円の営利誘拐事件」を政治目的のテロへ、ステージアップさせた。B後藤さんの妻は日本政府に直接交渉をおこなうよう何度も要望したが、「テロリストとは直接交渉しない」と拒否。C政府はISへのメッセージをアラビア語に翻訳せず日本語で発信。D中田考氏(イスラム法学者)や常岡浩介氏(ジャーナリスト)がISから通訳依頼で出国しようとしたとき、政府がこれを妨害したなど。安倍が2人を殺害したと言っても過言ではない。
森さんはオウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』『A2』をつくり、『A2』は山形国際映画祭で特別賞・市民賞を受賞。
日本のセキュリティ意識が加速したのは1995年の地下鉄サリン事件以降。世界では01年の「9・11」以降だ。解体の声もあった公安調査庁が一気に息を吹き返した。
「見知らぬ他者への不安や恐怖が煽られ、共存よりも強い結束や同質性を求め、集団内部の異質な存在を発見し、これを異物として排除する。同じ動きをするために指示や号令が必要となり、強いリーダーを求める」。これが「ファシズム」の土壌そのものになるのだ。(村木)

6面

寄稿 戦後70年と〈天皇〉 連載 最終回
近代日本の民衆の闘いを総括し天皇制に打ち克つ道を見出そう
隠岐 芳樹

このシリーズを終えるに当って、天皇制との闘いについて考えてきたことを記して、読者の批判を仰ぎたい。

「天皇」一色の反動攻勢を大衆行動で阻むことに成功

4半世紀前、天皇の代替わりにまつわる一大キャンペーンがおこなわれた。それにたいして、さまざまな政治党派や市民グループが、全国各地で抗議行動を繰り広げた。
1988年秋、昭和天皇の下血騒ぎで日本列島は異様な自粛ムードに覆われた。祭りやイベントが中止になり、テレビから娯楽番組が消えた。皇居前では天皇の病気平癒を願う記帳台に長い列が続いた。
国家権力はこれを皮切りに、つぎの天皇の即位に向けて世の中を「天皇」一色に塗りつぶし、一気に反動化を加速させようとした。はじめは、その目論見通りに情勢が推移した。だが、数年前から昭和天皇の死を「Xデー」として迎え撃つ準備をしていた人びとの闘いが、それを阻むことに成功したのである。
国家権力は戒厳令を思わせるような弾圧体制を敷いて、抗議行動を封じ込めようとした。そうしたなかで、皇居や天皇関連施設にたいして実力行動が敢行された。市民グループは、一旦認めた会場使用を取消す地方自治体当局の妨害をのりこえて闘った。
かつて、これほど大きなスケールで天皇制に挑んだ闘いはなかったと言えよう。だが、この闘いにはつぎのような問題点があった。
一つは、大衆的基盤のうえに闘われたか否か。
残念ながら現在、沖縄や反安保、反原発、反貧困、反差別に取り組んでいる人びとのほとんどが、この闘いを記憶にとどめていない。若い人はまったく知らない。天皇関連施設にたいする実力行動が目に見える「戦果」をあげたとき、我が事として「快哉!」を叫んだ人がどれだけいただろうか。
つぎに、この闘いに加わった多くの組織のなかで、その成果と教訓が継承発展されているかどうか。
革命的共産主義者同盟(革共同)全国委員会は、「天皇決戦」を叫んで最も激しい行動を展開した。しかし現在、革共同全国委員会を僭称する一派は、この闘いについて口を閉ざし、何も語ろうとしていない(『現代革命への挑戦―革命的共産主義運動の50年』序章)。革命と労働者人民を裏切って組合主義・経済主義に転落した者たちの哀れな末路を示していると言えよう。
いわゆる「天皇決戦」から10年ほど過ぎたころ、ある県の労組交流センター(革共同系の活動家集団)の学習会で、古参のメンバーが大日本帝国憲法第一条の条文(注1)を知らないと告白したので、驚いた記憶がある。これが例外的なケースなら幸いだが、あながちそうとも言えないようである。

(注1)大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

天皇制代替わりキャンペーンに抗議する闘いは、膨大なエネルギーを注ぎ込んだにもかかわらず、労働者人民の間で、階級経験→階級蓄積→階級形成へと継承発展されなかった。民衆の意識とも、その闘いを支えた組織の多くのメンバーの認識ともかけ離れたかたちで、代行主義的に闘われたところに、最大の原因があったのではないだろうか。

天皇制を支持する民衆の内面に訴える闘いこそ

天皇制支配のとらえ方をめぐって、戦前から論争が重ねられてきた。敗戦までの日本の国家体制については現在、日本共産党系の学者をはじめ、「天皇制ファシズム」論が学会の通説になっている。これにたいして、神山茂夫らが「天皇制絶対主義」論を唱えて論争した。
これらを根底的に批判し止揚するために、1960年11月、革共同全国委員会の書記長本多延嘉(当時26歳)が「天皇制ボナパルティズム」論を発表した。日本は1896年ごろから1924年の護憲3派内閣成立のころまでに、ボナパルティズム(注2)的形態をとって、絶対主義国家から近代ブルジョア国家に移行したという主張である。

(注2)1851〜70年、フランスのルイ・ボナパルトが、ブルジョアジーを労働者から、労働者をブルジョアジーから守ってやるという口実で、軍隊・警察・行政機構などすべての権力を奪い取ったことに因む。

近代的ボナパルティズムは、ブルジョアジーとプロレタリアートの均衡を根本条件とする。ブルジョアジーが新興のプロレタリアートに対抗するため、旧勢力(地主階級など)と妥協し、それと同盟して階級的利益を貫こうとする特殊な国家形態をさす。そして、階級を超越した権威を上に頂くことで階級間の衝突を防ぎ、全所有階級の利益を守ることを本質とする。
では戦前の日本で、労働者階級は資本家階級と均衡していると言えるまでに成長していたであろうか。20世紀前半の日本の階級関係は、「プロレタリアートはまだフランスを支配することはできなかったが、ブルジョアジーもまた最早フランスを支配できなくなっていた」(エンゲルス『フランスの内乱』第3版序文)という19世紀後半のフランスの状況には程遠いものであった。
労働者の組織率はピークの1931年でさえ7・9%に過ぎなかった。その内実はどうであったか。1925年に、左翼労働組合の全国組織=日本労働組合評議会が結成され、その翌年、共同印刷の大争議が闘われた。そのとき活躍した少年部員たちの「心理調査」をおこなったところ―
「崇拝する人物―大体は軍人、政治家/どんな人になりたいか―会社社長、困っている人を救う人/どんな人が憎いか―資本家、難波大助(注3)、社会主義者/将来にどんな望みをもつか―資本家になりたい、幸福になりたい」という回答が寄せられた。

(注3)1923年、摂政宮(後の昭和天皇)をステッキ銃で狙撃(失敗)した24歳の共産主義信奉者。

東京交通労働組合(東交)は戦前、毎年のように大ストライキを闘った戦闘的労働組合であった。東交の指導者のひとり竹内文治はたびたび弾圧を受け、拷問されても屈しなかった。しかし最後に検挙されたとき、検事に「お前は天皇制廃止を叫んでいるが、お前が育てた活動家の家にも天皇皇后両陛下の御真影が飾ってあるではないか」と攻め立てられて、ついに心が折れてしまった。
かつて評論家の竹内好は「天皇制は一木一草に宿っている」と言った。日本人の日常生活の隅々にまで天皇制イデオロギーが浸透し、人びとがそのことを自覚していない状態を指摘した名言である。
日本共産党の最高幹部で後に転向した鍋山貞親は晩年、「天皇制は政治における芸術作品みたいなものだ」と語っている。ひたすらスターリン主義の権威に従って、革命の主体である労働者の内面に目を向けようとしなかった運動が、民衆を巧みにトリコにした天皇制支配の前に敗北を喫した経験にたいする自嘲の弁である。
以上のことから、天皇制ボナパルティズム論について、つぎような問題点を指摘できる。
@労働者階級のあるがままの姿をとらえることを怠って、資本家階級と均衡しているという現実離れした過大評価に陥っている。
A「階級を超越した権威」である天皇が、具体的にどのようなかたちで階級対立を緩和する役割を果したかという点に言及していない。
B天皇制を統治形態という側面からとらえるだけで、支配される側の労働者人民の内面を視野に入れていない。
C戦後日本の国家体制を「議会制民主主義」であると簡単に片付け、天皇制を「国家の正面にしみついた紋章にまで去勢されている」と不当に低く見ている。
われわれに求められているのは、天皇制(イデオロギー)支配を、あくまでも実態に則して、トータルに把握し分析する姿勢である。専ら観念的に論じ立てて、安易な歴史的アナロジー(類推)に陥ったり、統治形態についての既成のフレームに当てはめて良しとするような態度は避けなければいけない。

日々の実践をつうじて真性の共同体の芽を育てよう

かつて大井広介(注4)は、その著『左翼天皇制』『革命家失格』で、日本共産党のおよそ共産主義とは真逆の思想的組織的体質と反革命的所業を見事なまでに暴露・糾弾した。左翼にシンパシーを抱く立場から、同党の最古参のひとりで統制委員であった山辺健太郎が提供したとみられる情報に基づいて書いているだけに、リアルで説得力がある。

(注4)文芸評論家。本多延嘉や陶山健一、田川和夫らの革共同幹部団に期待を寄せていた。

そこに描かれているのは、家父長専制や権威主義、自己中心主義、大衆蔑視、責任回避、女性差別がのさばる世界である。これらはすべて、天皇制イデオロギーの特徴を裏返し的に反映したものである。彼らは現在、こうした体質を克服しないままにソフトな装いを凝らして、完璧な議会主義・合法主義の党に成り果てた。
一昨年秋、A3版両面刷りのカラフルなビラが全国一斉に配布された。そこには「尖閣諸島と竹島は日本固有の領土!」の大見出しがおどり、「この国を愛しています/日本共産党」と記してあった。選挙の票を欲しいばかりに「愛国の党」を売り込もうしているのだ。
日本におけるナショナリズムは、天皇制と同義語である。天皇制(イデオロギー)攻撃が前面におしだされてきたとき、彼らがバリケードの向こう側から、われわれに襲いかかってくると見て間違いないであろう。
ひるがえって、日本共産党を左から批判し「反スターリン主義」を掲げる革命的左翼はどうか。「内なる天皇制」とも言うべき思想的組織的体質を克服し一掃しない限り、多くの民衆と共に天皇制(イデオロギー)に勝利することなど、とてもおぼつかないと考える。
戦争国家化の動きが加速している今、日々の実践のなかで、天皇制=ニセの共同体にかわる真性の共同体を構築する芽を育てよう。近代日本150年の民衆の闘いを総括し、未来社会への展望を切り拓く可能性を秘めた闘いを追体験しよう。さらに、それをもたらした主体的契機を追求しよう。そこに天皇制イデオロギーに打ち克つ道が見えてくるであろう。