安倍打倒 戦争への道 阻もう
「憲法守れ!安倍はヤメロ」 12万人の怒りが 国会を包囲(8月30日) |
戦争法案(安全保障関連法案)を今国会中に強行成立させようとする安倍政権にたいする怒りの声が全国からわき上がっている(2面に関連記事)。
8月30日、国会周辺を12万人の民衆が埋めつくし、戦争法案の廃案を訴えた。9日、激しい雨の中で東京・日比谷野外音楽堂に、「戦争法案廃案! 安倍内閣退陣!」をかかげて、5500人が結集した。
集団的自衛権の行使を認める戦争法案が成立すれば、日米の軍事一体化は格段に進行する。米軍のおこなう戦争に自衛隊はいつでも参加できるようになる。これに伴い、自衛隊の装備は大幅に強化される。
軍事費5兆円超に
そのことを示すように、2016年度の防衛費の概算要求は過去最高の5兆911億円となった。そこでは、オスプレイ12機、次期主力戦闘機F35の6機取得や、弾道ミサイル防衛を担うイージス艦1隻建造費が計上された。また南西諸島強化の一環として鹿児島県・奄美大島や沖縄県宮古島への警備部隊配備のための予算も含まれている。「中国脅威」を前面に押し出した自衛隊の増強と日米の強力な軍事同盟の登場は、東アジアにおける軍事的緊張を高めることにしかならない。
また概算要求の中では、アデン湾の「海賊対処」を名目でアフリカ東部ジブチに建設した自衛隊基地を米軍等への輸送支援の拠点として使用する内容も含まれている。アデン湾の海賊発生件数は激減しており、今年1〜6月はゼロだ。もはや自衛隊が駐留する理由はなくなっており、直ちに撤退すべきであるにもかかわらず基地の強化を図っているのだ。ジブチの自衛隊基地を中東・アフリカにおける「対テロ戦争」の支援拠点にしようとしていることは明らかだ。
こうした安倍政権の戦争政策を後押しするように、10日、経団連は武器輸出を「国家戦略として推進すべきだ」という提言を公表した。日本における「軍産複合体」の形成がねらわれている。戦争法案を廃案へ。安倍政権を打倒しよう。
名護市 辺野古
工事再開許さない
5日 県民集会に3800人
「工事強行を迎え撃とう」キャンプ・シュワブゲート 前に3800人が結集した(5日 名護市内) |
9月5日午後、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で、「辺野古新基地建設断念! 戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 工事再開を許さない!県民集会」が3800人の参加のもと、開催された。
8月10日から9月9日までの1カ月間工事は止まった。その間、政府と翁長知事との協議がおこなわれたが、政府は協議終了後に工事を再開させる方針だ。県民は「工事は再開させない」と怒りの拳をあげた。
美(ちゅ)ら海守れ
集会は、「新基地いらない」「美ら海守れ」「戦争法案いらない」のシュプレヒコールで始まった。国会議員や主催者のあいさつの後、現地でたたかう、ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんが登壇。安次富さんは「戦争法案、原発再稼働、沖縄基地問題など、安倍政権は民意を無視するファシスト政権だ」。
「7日の政府との会談後、翁長知事は埋め立て承認を取り消し、14日以降のボーリング調査を再開させないでほしい。国連で国際社会に訴えてほしい」、「工事再開をさせないたたかいをやりましょう」と訴えると万雷の拍手がわき起こった。
工事強行迎え撃つ
海上行動隊から、船団長の仲宗根和成さんは「昨年7月より海上で命かけてたたかってきた。1カ月といわず、ずっと中止し、白紙撤回してほしい。次の世代も立ち上がっている。30代も頑張る。共に頑張りましょう」と決意をのべた。
沖縄平和運動センター事務局長の大城悟さんは「県民と全国の力を結集し、安倍政権の工事強行を迎え撃とう」と戦闘宣言を発した。
アベに負けない
シールズ琉球の若者は「沖縄から全国にたたかいが広がっている。辺野古から日本、世界に向けてメッセージを届けていこう」と訴えた。
稲嶺進名護市長は「ゲート前で、海上で雨の日も風の日も頑張っている皆さん、ありがとうございます」、「辺野古、高江、戦争法案を止める。3つを止めないと幸福はない」「若者が動き出している。若者やワラビ(子ども)が頑張るから私たちも頑張れる。雨にも負けずアベにも負けず頑張っていこう」とたたかいの結束を呼びかけた。
労働者派遣法改悪弾劾
「みなし制度」を骨抜きに
安倍政権は多くの抗議を踏みにじり8日参院厚生労働委員会、9日参院本会議で派遣法改悪案を強行採決し、11日衆院本会議で可決成立させた。
この改悪は、戦後労働法の原則である「直接雇用」を破壊する暴挙である。これにより企業は派遣労働をどの業界にも、どこでも自由に導入できるようになる。正規雇用労働者を次々と派遣労働者に置き換えることが合法になる。改悪法によって「正社員になれる」(安倍答弁)などというのは大うそである。「日経」(9月1日)調査でさえ派遣社員の68%が「地位向上にならない」と改悪案に反対している。
派遣法改悪反対行動は6月19日の衆院通過後も取り組まれてきた。連合も含めた全労働団体の抗議行動が続けられ、審議過程で問題点が次々と指摘されてきた問題法案だ。施行日を9月1日から9月30日に変更する修正案の審議もなく採決強行した。8日当日は〈安倍政権の雇用破壊に反対する共同アクション(事務局団体:全労協、全労連、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)〉が雨の中で参院議員会館前で反対行動を続けた。
この改悪法には9月1日施行が明記されていたがそれを過ぎて、30日施行に修正して現行法の定める「雇用労働契約申し込みみなし制度」(10月1日施行。違法派遣があった場合、派遣先企業は、当該労働者に正規雇用を申し入れる義務が発生)の施行を骨抜きにするためである。違法派遣を合法とするものだ。違法派遣(禁止業務、無許可・無届派遣、期間制限違反、偽装請負)数はこの4年間で1408件(行政指導件数)である。この改悪案は1408件の直接雇用(正社員化)を防ぎ、長年くりかえされてきた違法派遣を「帳消し=合法化」してしまうものである。
改悪案を施行するためには、41項目もの政省令改悪案を労働政策審議会で審議しなければならず、最短でも1カ月程度が必要で、さらに周知をしなければならないが、9月30日、改悪法施行で、翌日(10月1日)施行の「みなし制度」を骨抜きにするというアクロバットである。過去の例では、派遣法制定のときは約1年の周知期間、1999年の原則自由化では約5カ月、前回改正(2012年)でも約6カ月あった。ところが今回は周知期間はない。まともに施行できる条件はない。
2面
戦争あかん2万5千人
大阪で最大規模の集会
8月30日
「アベ政治を許さない」扇町公園を2万5千人が埋めつくした(8月30日 大阪市内) |
8月30日、大阪では小雨が降る中、午後4時、扇町公園に2万5千人が集まり、「戦争法案を廃案へ! アベ政治を許さない!」の怒りと抗議の大きな声を上げた。参加者は扇町公園に入りきれず、過去最大規模の集会となった。参加者は、一人ひとりが、それぞれの熱い思いを込めた表情で、公園入り口で配られた「戦争アカン」のメッセージカードを手に会場に向かった。
集会は、呼びかけ人・小山乃里子さんの開会宣言で始まった。司会をSADL(民主主義と生活を守る有志)の女性、SEALDsKANSAI(自由と民主主義のための関西学生緊急行動)の男性がつとめ、木戸衛一さん(大阪大学大学院准教授)、大学生2人、政党3団体(民主、共産、社民)からの発言に続いて創価学会有志の女性が登壇、「私たちは法案をきちんと理解しているからこそ反対。絶対廃案をめざす」と発言し会場から政党発言よりも大きな拍手が湧いた。
続いて参加者全員で一斉に「戦争アカン」のメッセージカードが掲げられた。
雨中で「総がかり行動」
阪神地域71議員呼びかけ
伊丹市
9月6日、伊丹市三軒寺前広場でおこなわれた「アベ政治を許さない 阪神総がかり行動」に、雨の中500人が参加した。神戸市以東の阪神地域7市1町の26市議呼びかけで始まった「阪神総がかり行動」はこの日で3回目。今回は共産党や保守系無所属も含む超党派の71議員の呼びかけとなった。
開会のあいさつは三田市議の坂本三郎さん。部落解放同盟兵庫県連委員長でもある坂本さんは、「戦争は最大の差別」と訴え、戦争法案廃案を求めた。その後、三田、猪名川、川西、伊丹、尼崎、芦屋、西宮の自治体議員の発言がつづいた。
尼崎市議は維新を含む賛成で「慎重審議」決議を報告。宝塚・川西・伊丹の日教組出身の議員は、「自衛隊員が住み、教え子が自衛隊にいる町で、今こそ『教え子を再び戦場に送るな』の実践が問われている」と訴えた。
伊丹市議は、「7月のデモに注目している市民に声をかけると現職の自衛官だった。彼の思いも込め反対する」と発言。
最後に川上八郎伊丹市議のまとめと先導でデモ行進に出発(写真)。
この日の行動の成功が、17日の川西市議会「慎重審議」を求める意見書可決につながった。
平和記念公園に500人
広島
8月30日、広島市・平和祈念公園内の「折鶴の像」前に安保関連法案に反対するママの会など約500人が集まった(写真)。途中参加の人たちが増えて、約800人が本通りをデモ行進した。
沖縄県議会議員 新里米吉さん
沖縄、闘いの今(中)
なぜ沖縄に新基地か、経済は基地依存か
しんざと・よねきちさん(沖縄県議会議員、辺野古基金運営委員会・委員長、県政野党知事選候補者選考委員会・座長ほか) 平和のための市民の集い(神戸市内)での講演から要旨をまとめた。(文責は編集委員会)
銃剣とブルドーザー
沖縄戦と基地について、いまだに誤解や曲解がある。1945年3月26日に米軍が慶良間諸島を砲撃。4月1日から約17万の米軍が本島中部に上陸した。米軍はおもに日本軍がいた南部へ進攻。生き残った住民を収容所に入れ、占領地域に基地を作っていった。普天間や嘉手納は、戦争中から作られた。敗戦後、住民が帰ってきたとき村は基地になり戻れない。仕方なく周辺に住まざるを得ない。以前は役場や学校があった中心地、平坦ないい場所を基地に取られていた。さらに戦後、米軍は銃剣とブルドーザーで土地を取り上げた。
百田尚樹のウソ八百
百田発言は、とんでもないデタラメだ。「普天間飛行場は田んぼのなかにあった。周りは何もない。基地ができたから商売になると周辺に住み始めた」とは、どういうことか。宜野湾市はすぐに抗議した。しかし、百田さんが初めて言ったことではない。保守、右翼はじめ、前からそう言っていた。事実でないことを平気で言う。
もう一つ、「基地のおかげで沖縄の経済、生活が成り立っている」という間違い、誤解。確かに戦争直後は焼け野原で、生産設備は壊滅状態。1950年代まで沖縄の県民所得に占める基地関連収入は50%前後あった。しかし1972年「返還」時で15%、いまは5%。はるかに多いのは観光収入である。知事選の際も沖縄の観光業界は、「米軍基地は沖縄経済の阻害要因」と言った。私たちが言うとあまり響かないが、同じことを保守、リベラルの側が言っている。
跡地利用例の事実を述べておきたい。いま那覇新都心になっている旧米軍牧港住宅地区。返還後、立地企業による経済波及効果は生産誘発総額660億円(年間、以下同)、所得誘発額182億円、雇用誘発者数5700人。いずれも返還前と比べ10〜12倍、とくに雇用波及効果は約15倍と大きい。じつは米軍基地の雇用数はあまり多くない。こういうことが分かっているから、軍用地主も返還にあまり抵抗がない。跡地を有効活用すれば、はるかに発展する。市町村の税収も増える。これらの面でも、百田発言は論外である。
基地押しつけの「論理」
2010年2月に沖縄県議会は「普天間の早期閉鎖、返還。県内移設に反対」という全会一致の決議をおこなった。11年、民主党政権のとき当時の仲井真知事と北沢防衛大臣の協議があった。これをみると沖縄の基地問題がよく分かる。以下は、やりとりの一部。
(防)沖縄は米本土やハワイ、グアムに比べ朝鮮半島や台湾海峡に近い(近すぎない)位置にある。
(沖)なぜ、日本の中で沖縄なのか…。
(防)沖縄に海兵隊が駐留していることは、島嶼防衛や人の救出等からも重要。
(沖)2005年10月の2+2で確認しているように、日本の島嶼防衛はわが国自ら対応するとなっている。米軍の民間人救出順位はアメリカ国籍、グリーンカード保持者、イギリス国民、カナダ国民、その他の順。「民間人救出」とは、どういう事態を想定しているのか。
「近いけど、近すぎない」と言われてもね。どこだって当てはまる。まともに答えていない。ミサイルが使われる戦争なら、近すぎる。2+2では「島嶼防衛は自衛隊が主体的に対応する」「米軍は後方支援など」としている。民間人救出というが、「危ない」となったら民間人は先に引き上げる。これまでも紛争地域になると、外務省が引き上げ勧告を出してきた。
沖縄の言うことを政府はまともに聞かない。地理的優位性とか抑止力とか、この2つを言う。しかし前述の協議のように、まともな説明を聞いたことがない。第1次安倍政権のとき、小池百合子・防衛大臣にテレビ番組で「抑止力とは何か」と質問があった。「抑止力は抑止力です」「いや、その中味は」「いろいろあります」。答えになっていない。これで沖縄に基地を押し付け、説得しようとする。
民主党政権のとき国会質問で当時野党の石破議員が、「『ある国』が台湾を攻めたとき、いちはやく民間人を救出する。それができるのが海兵隊だ」と言った。防衛オタクといわれる人が、こんなことを言う。さっきも話したように、民間人は先に引き上げる。その上、日本人はいちばん後回しだ。
日本政治の堕落
辺野古は代替でもあるが、新基地である。
最近の翁長・菅会談。
(翁長)沖縄県が自ら基地を提供したことはない。自ら奪い県民に大変な苦しみを与えながら、「(普天間は)危険だから危険性除去のため沖縄が負担しろ。代替案はあるのか。日本の安全保障を考えているのか」。こういう話が出ること自体が日本の政治の堕落ではないか。名護市長選、県知事選、衆議院選は前知事の埋め立て承認にたいする審判を問うた。
(菅)市街地の中心部に位置し世界一危険な飛行場。固定化はあってはならない。19年前(大田知事時代)に日米で普天間返還が合意された。その後、知事(稲嶺)、名護市長(岸本)の同意をいただき閣議決定した。
条件を反故にした政府
翁長・安倍会談。
(翁長)総理も官房長官も当時の稲嶺知事、岸本市長が受け入れたと言う。しかし知事は「軍民共用、15年使用期限」、名護市長は「地位協定の改善、使用期限、使用協定等」の条件を付けた。政府は要請を受け閣議決定、その後に廃止。県外移設の公約をかなぐり捨てた仲井真前知事の埋め立て承認を錦の御旗にしている。すべての選挙で、民意が示された。
(安倍)辺野古への移設が唯一の解決策。
19年前というのは大田知事のとき。当時の橋本総理が、普天間返還を約束。その後、移設を言い出した。3年後に稲嶺知事、岸本市長が受け入れたというが、条件があった。15年使用期限とか軍民共用とか。政府は「できない条件」を受けた。アメリカに相談したら問題にもならなかった。だから、その経緯をごまかし「唯一の解決策」と言うしかない。(つづく)
3面
自己決定権を貫く沖縄
前泊博盛(沖縄国際大学教授)さんが講演
大阪
「沖縄の自己決定権を貫くことが展望をひらく」と語る前泊さん(8月23日 大阪) |
8月23日、“STOP!辺野古新基地建設! 大阪アクション”(以下、大阪アクション)主催の「大阪アクション1周年! 今までとこれから」と題する集会が大阪で開かれた。参加者はおよそ120人。大阪アクションは関西で辺野古新基地建設反対の運動・闘争を展開している9つの市民団体・労組などが呼びかけて、昨年8月に設立されたもので、現在18組織にまで拡大しており、今後もできるだけ多くの組織の参加を呼びかけている。
真剣かつ熱気
集会は司会による開会挨拶のあと、大阪アクション結成後、この1年間の活動と会計報告がおこなわれた。活動内容として、集会やデモはもちろんのこと、第5管区海上保安本部(神戸市)要請行動、近畿中部防衛局(大阪市)署名提出行動、辺野古現地での工事を直接担っている大成建設や中央開発にたいする抗議行動などを、辺野古現地のたたかいと連動して積極的・精力的におこなってきたことが報告された。
このあと、メインの記念講演を「辺野古をめぐるこの1年とこれから」とのテーマで沖縄国際大学教授の前泊博盛さんがおこなった。講演にたいする質疑応答のあと休憩が入り、再開して呼びかけ団体の中から5団体による活動報告がなされ、さらに安保法制をめぐる国政報告、会場からの発言、閉会あいさつをもって集会は終了した。
集会は戦争法案が参議院での審議に入り、辺野古新基地建設をめぐる政府と沖縄県の集中協議期間という状況の中で、真剣さと熱気のこもった雰囲気に満ちていた。
「オール沖縄」とは
前泊さんの講演はシニカルな語り口とブラック・ユーモアで安倍政権にたいする核心を突いた批判が印象的で、安倍首相が聞いていたらどんな顔をするだろうかという感じも含めて興味津々であった。講演内容はポイントを絞って整理するとつぎのような内容であった。
冒頭に前泊さんは当日の琉球新報に掲載された「なぜ辺野古埋め立て承認取り消しを第3者委員会の法的瑕疵があるとの報告に踏まえて直ちにしないのか?」というチョムスキーやオリバー・ストーンら世界の識者の声明を示し、翁長知事への疑念を表明した。つまり、翁長知事が政府の提起した集中協議に応じたことについて何か裏取引があるのではないかという疑念である。
翁長知事への疑念を前泊さんはさらに副知事の人事とともに、特に“オール沖縄”について翁長知事が「イデオロギーよりアイデンティティー」としてのみ強調し、「イデオロギーからアイデンティティー」とは言わないことに注意を喚起していた。すなわち、翁長知事が「より」ということでまだ保守イデオロギーを克服できず、「から」という沖縄アイデンティティーの立場に全面的かつ完全に立ちきれていないのでないか、これでは“オール沖縄”を不動のものとして貫いていくことができないのではないか、という疑念である。
沖縄の自己決定権
沖縄アイデンティティーに完全に基礎づけられた“オール沖縄”が琉球独立学会の問題提起なども受け止めながら沖縄の自己決定権を貫いていくことが勝利の展望を切り拓いていく。安倍政権が辺野古新基地建設を強行するならば、血を見るたたかいもありうる。それは、日米同盟の危機に転化していかざるをえない。そして辺野古新基地建設阻止のたたかいをキャンプシュワブ基地撤去へと連動させ、普天間基地の早期返還にとどまらず極東最大の嘉手納基地撤去へと発展させていく必要がある。安倍政権の「積極的平和主義」という軍事中心の外交を阻止し、憲法9条に基づいた平和外交を展開していくことなしに辺野古問題の解決は困難だ。
辺野古のたたかいを貫いて、大田知事時代に策定された基地返還アクションプログラム・産業創造アクションプログラム・国際都市形成構想を今日的に実現しながら、EUならぬAU(アジア連合)をアジアの人びとと共に構想していくことが、沖縄と日本の未来を平和で豊かなものにしていく。
“県外移設”の意味
沖縄問題は日本問題そのものに他ならず、本土の人たち自身の問題でもある。沖縄が普天間基地の“県外移設”と主張することは、沖縄の基地撤去のために本土の人たちが自分たち自身のたたかいとして共に立ち上がって欲しいということであって、本土に基地を誘致する運動は間違っている。
辺野古をめぐる集中協議は現場を中心に沖縄と本土の広範な人びとのたたかいが安倍政権を追いつめている証拠であって、知事の動向に左右されるものではない。安倍首相の集団的自衛権行使による戦争政治を打ち破って、辺野古闘争の勝利に向かって共に運動とたたかいを大きく盛り上げていこう。
沖縄闘争の展望示す
以上の前泊さんの講演は、前知事・仲井真の裏切りによる骨身に滲みた反発に規定されて、翁長知事に対する疑念を強烈に持っていることが印象的だった。もちろん自民党沖縄県連の重鎮であった翁長知事を無条件に信頼するわけではないが、沖縄戦における住民の強制集団死に軍命はなかったとする歴史の偽造で教科書の書き換えに抗議する県民大会の共同代表や、オスプレイ配備の見直しなどの要求を掲げた“建白書”の東京行動団の先頭に立ってたたかったこと、そのほか彼の言動を見る限り、沖縄アイデンティティーに踏まえた“オール沖縄”の立場に立脚していると判断してよいのではないか。
辺野古現地のたたかいを先頭に沖縄―全国で運動とたたかいを大きく強力に盛り上げ、その中に翁長知事をしっかりと獲得し、位置づけ、支えていくということであろう。その上で、前泊さんが辺野古のたたかいはあくまで民衆の運動とたたかいが基礎・基軸であって知事の動向に左右されるものではないと断言していることにはまったく同感である。
また「琉球独立」をも視野に入れ、アジアの人びとと共に平和外交によってAU(アジア連合)を構築していくなかに沖縄・日本を位置づけていくという壮大な展望の提起は大いに参考になったし、鼓舞された。
前泊さんの講演の提起も参考にし、検討しながら、沖縄闘争をさらに拡大・強化・発展させていこうと決意を新たにした。(武島 徹雄)
高浜原発運転差し止め
仮処分決定を守りぬこう
9・3 福井地裁
9月3日、福井地裁で大飯原発3・4号機仮処分命令申立事件第4回審尋、高浜原発3・4号機保全異議申立事件第2回審尋が林裁判長のもとで合同でおこなわれた。
地裁前には50人の支援者が集まり、申立人、弁護団を見送り(写真)、福井弁護士会館で審尋内容の説明会が開かれた。審尋は2時間の予定をこえ、厳しいやりとりが6時ちかくまで続いた。
絶対勝利の陣容で
原発運転差し止め裁判の最先頭をいく大飯・高浜仮処分裁判を全国の力で守るため、今日の審尋には、新たな弁護人と長沢啓行大阪府立大学名誉教授(生産管理システム)、井野博満東京大学名誉教授(金属材料学)、後藤政志NPO法人APAST理事長(元原子力プラント設計技師)の3人の学者も加わった。
この日の審尋は7月24日に裁判所から出された「5項目の質問」に回答することだった。
裁判所が出した質問は、@基準地震動の策定について、A耐震安全性について(安全余裕、安全上重要な設備、必要に応じた耐震補強)、Bイベントツリーについて、C使用済み核燃料プールについて、Dその他。
全原発をとめる一歩
今大地晴美さんが申立人を代表して「仮処分の裁判は日本の司法を変えたといわれるほどに、日本の歴史ではじめて原発を止めることができました。私たちの一歩が日本のすべての原発を止める一歩」と力強いあいさつをおこなった。
つづいて、弁護団の只野靖さんが審尋の概略を次のように説明した。
裁判所が出した質問のいちばんめは基準地震動に関して。「関西電力は平均像を逸脱する地震の発生を十分に考慮していない。最大の地震動を想定していない。基準地震動を作成するにあたって、『松田式』の不確かさについて考慮していない」という申立人からの指摘について、関電は「当社は誤差ないしデータのばらつきをそのまま考慮したり、債権者が主張する方法では考慮していない」と明言した。
裁判所の「考慮しないことの科学的根拠は何か」との質問に、関電は「地表に現れている断層の末端を掘って活断層がないことを確認した」と答えた。しかし地表の見える部分では確認できても、地下に断層がない証拠にはならない。地下深くの断層は調査しようがなく、地震が起きてみないとわからない。
結局、「誤差を考慮しなくてもいいという科学的根拠」については、関電は回答できなかった。
最後に、3人の学者が専門分野に関する感想を述べた。長沢さんは「関電自身の発言を否定するスライドが出された」、井野さんは「突っ込んでいくと破綻するだろう」、後藤さんは「原発は100%安全でなければならない」と、次回に向けて闘志をあらわに。全国の力で高浜原発仮処分決定を守りぬこう。
許すな 高浜・伊方再稼働
9月6日 京都で全国集会
6日、「さよなら原発全国集会in京都〜高浜・川内・伊方原発の再稼働を許さない!?」が、京都市内の梅小路公園・芝生広場でひらかれ、5500人が参加。呼びかけは、原子力発電に反対する福井県民会議など5団体。
福井県・高浜、鹿児島県・川内、愛媛県・伊方から報告がおこなわれた。九州電力川内原発の報告を、向原祥隆さん(ストップ再稼働! 3・11鹿児島集会実行委員会事務局長)がおこなった。向原さんは「九電は川内1号機に続いて10月中旬にも2号機を再稼働すると言っているが、2号機は蒸気発生器がぼろぼろ。再稼働はさせない」と語気を強めた。最後に「当面、川内原発の再稼働を認めない、高浜原発、伊方原発の再稼働を許さない運動に最大限の力を注いでいこう」との集会アピールを採択した。
4面
ルポ
汚染の現状と防護をめぐって
木村真三さんと河田昌東さんが南相馬市小高区で講演(上)
請戸 耕一
8月2日、福島県南相馬市小高区内で、「木村真三×河田昌東 放射線コラボ講演」と題する講演会がおこなわれた。福島第一原発から20キロ圏内にかかる小高区は、約1万3千人の住民全員が避難している。南相馬市としては、小高区の避難指示解除準備および居住制限の両区域について来年4月の解除をめざしている。もっとも住民の意向は一様ではない。帰還をめざす住民もいれば、帰還をしないと決めている住民もいる。判断を保留している住民もいる。そうしたなか、この講演会は、帰還をめざす住民らが中心となって企画された。
河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部理事、元名古屋大学教員、分子生物学)と木村真三さん(獨協医科大学国際疫学研究室長、放射線衛生学)はともに、チェルノブイリ原発事故後の調査や救援に長く関わり、その経験に踏まえて福島原発事故の直後から被災地に入り活動を続けている。2人の講演と住民との質疑の一部を2回にわたって掲載する。
木村真三さん(左)と河田昌東さん(右) |
山、川、土壌、野菜の現状
河田昌東さん
2011年4月半ばから福島の測定を始めました。まずは、事実を知ることから始めなければというのが基本的な考えです。
そして、避難できる人、あるいはしたい人は当然避難すべきです。ですが、避難できない人、残っている人たちもいる。そういう人たちの被ばくをいかに下げるか。まずは正確な汚染マップを作る必要がある。それから内部被ばく対策のために、いろんな食品等の測定が必要です。
まず、空間線量率の測定ですが、2011年6月に第1回の測定をおこないました。その結果をマップにしましたが、当時これを見て大変だという気持ちでした。
それから、半年毎に測って、今年の4月、第9回の測定ですが、青いところ(自然放射線を引いた上でプラス1ミリシーベルト未満)が大幅に増えています。予想以上に空間線量が下がってきています。
第1回目のときには、年間1ミリシーベルト未満というのは、全体の5%ぐらいしかなかったんですけども、今回の測定では77%に増えました。小高区では、2012年には21・8%でしたが、今回は61%になりました。
山で汚染が循環
ところで、山に近い部分はどうしてもいろんな問題が起こります。
チェルノブイリの例でいうと、事故直後、木の葉の汚染が15万7900ベクレル。それが次第に腐葉土になって土の下に沈んでいきます。そうすると土の上の方は汚染が弱くなっていきます。しかし、腐葉土になって沈んでいくと、今度はそれが根から吸収されるようになります。そこで、木の年輪を分析すると、事故後6〜7年ぐらいから急に汚染が高くなっています。これは根からの吸収が始まったということです。
根から吸収すると、葉っぱも汚染します。それが落ちて土に帰り、また吸収される。こういう循環が始まるわけです。あとは半減期で減っていくしかありません。
同じようなことは、南相馬でも起こるんじゃないかと考えています。
土質の違いと汚染
山の土ですが、川内村では、まだ地表から3〜5センチぐらいのところにセシウムの大半が残っています。カリウムは水に溶けやすいので溶けて下に沈んでいきますが、セシウムは水に溶けにくいので残ります。
そうすると、山菜など地表に根を張るものは汚染がうんと高くなります。カリウムがあれば代りに吸収されてセシウムの吸収を抑制するんですが、カリウムは溶けて流れてしまうのでセシウムが吸収されてしまう。山菜の汚染が高いのはこういうことが理由です。
しかし場所によって全然違います。南相馬市の押釜では地表から20〜25センチぐらいまでセシウムが沈んでいます。土質の違いです。粘土質の場合には沈み方は遅いんですけど、砂質の土壌の場合は非常に速い。だから、場所によって汚染の進行度合いが違うということも考慮に入れなければならないのです。
澄んだ水と濁り水
みなさんが気にしている水の問題です。
土質によって違いますが、セシウムが雨水に溶けて沈んでいくスピードはゆっくりです。井戸水はよく測定に持って来られますが、深い井戸水で汚染が出たケースは今のところありません。これはチェルノブイリでも同じです。
それから南相馬市の上水道は地下水ですので、水道水に関しては安全であると思います。
問題はダムの水や川の水を利用しようというときです。セシウムは濁りです。土壌の粒子に固くくっついています。だから、もし、どうしてもそれを利用するというのであれば、濁りを濾過するのが有効です。透明な水にはセシウムはほとんど含まれていません。飯舘村の川でも、澄んだ川の水を測定すればセシウムはほとんどない。しかし濁った水を測れば必ずあります。
アンモニアで可溶化
ただ水溶性のセシウムという問題があります。なぜ水溶性のセシウムができるか。
例えば、鉄分の多い地質の場合です。鉄分が雨で川に流れてきて水中で酸化されるのですが、そうすると川の中の酸素が少なくなります。それがダムのような有機物が溜まっているところで起こると、有機物が酸欠状態で分解されアンモニアができます。アンモニウムイオンはせっかく土にくっついているセシウムをまた可溶化する働きがあります。
そういう状態の水を使うのはとても危険です。そういうこともありうるということをご記憶いただきたい。
野菜と山菜
それから、野菜の測定をずっとやっているわけですが、その目的のひとつは汚染しやすい野菜としにくい野菜を区別することです。
実際にやってみてわかったのは、根菜類は土の中にある部分の方が高いだろうと思うんですけど、実際は逆で地上部の方が汚染は高いんです。サトイモのイモは低いけど、上のイモガラは非常に高くなります。
年毎に汚染は下がっています。野菜に関してはそういう傾向があります。ところが山菜、例えばコシアブラなどはてんぷらにするとおいしいのですが、汚染は極めて高い。これは、最近の研究で根の構造に原因があるらしい。
それから、2013年と14年で同じ山菜を比べると、ゼンマイは14年の方が高くなっている。ワラビもそうです。こういう風に、山菜の場合は野菜と違って増えてくるものもあるわけです。
志田名と二本松の取り組みから
木村真三さん
「住むべきか、住まざるべきか」ということで、お話をさせていただきます。小高に帰れるからよかったのか。そうではありません。
まずお話するのは、いわき市の志田名(しだみょう)地区の例についてです。川内村との境です。小高と同じレベルかそれ以上の汚染があった地域です。
ところが国は、この地域の汚染を知っていながら、当初住民には知らせませんでした。放射能が通過した直後、自衛隊が志田名に入って線量を測っていますが、住民に知らせず見捨てています。
この志田名の大越キヨ子さんは、自分の娘と孫を避難させました。でも孫たちには早く帰ってきてほしいという思いで、線量計を買って測ってみることにしました。中国製の小さいやつです。測ってみると仰天するような線量がありました。
僕がたまたまこの志田名を発見してキヨ子さんの情報を得て、それから志田名のために動き始めました。
空間線量の変遷
米軍と日本が共同で航空機モニタリングをしています。2011年4月12〜16日、志田名地区は黄色です。ところが8月17日には赤く(線量が上昇)なっています。翌年5月23日から6月13日の測定でも志田名だけがホットスポットとして残っています。
これはどういうことか。放射能が動いて貯まってきているのです。志田名地区は7つの沢からなっていて、山から落ちてきたものが溜まって土になっているわけです。
われわれは一所懸命この実態を訴えたのですが、県も市も聞いてくれませんでした。
除染の効果
その後、志田名でもようやく除染が始まりました。田畑含めて45ヘクタールの表層4センチをはぎ取る表土剥ぎです。その除染が去年10月に終わりました。
除染後の状況を見るために改めて測ってみました。ところどころ1マイクロシーベルトを超えて2マイクロシーベルト近いところもありますが、平均値で0・44マイクロシーベルトでした。
除染の効果があったかのように見えます。しかし、本当はどうなのかということを調べようということになりました。
除染してもらえなかった牛の採草地があります。そこもずっと測定しています。ここから、地面に潜っていったり、流れていったりした自然減衰ということが見えてきす。それから、物理的半減期による減衰があります。なんにもしなくても時間が経つと放射能は減ります。これは理論計算で求めることができます。
こうして自然減衰の分と物理的半減期による減衰の分を合わせると59%の減少でした。
他方で、除染をおこなったところの放射線線量率は84%の減少でした。でも、この84%には自然減衰の分や物理的半減期による減衰分が含まれています。だから、正味の除染の効果は25%(84−59=25)ということです。
これを「25%しか」というのか「25%も」というのか、正直分かりませんが、45ヘクタールの除染でフレコンバックが4万体です。丸2年で何億円もかけた効果が25%。何もしなくても59%は下がるのに。これが除染の実態です。
しかも除染すれば終わりではないんですね。「先祖様がずっと作ってきた大事な養分の部分を全部除染で取っちまって、山砂を入れている。これが元の土に戻るのには何年かかるんだい?」と。これが現実です。
住民がこうポツリと言いました。「俺ら、この地域を元に戻したいって、ここまでやったけど、結局、若い人は帰って来ないんだ。除染して本当にしてよかったのかは正直わかんない」。
たしかにこれが本当にいい事なのかどうかわかりません。そしてこの地域は20年先取りの超高齢化社会です。若い人というのが60代です。そういう人たちだけの集落になって本当にどうなのかというのが今の問題となっています。(つづく)
5面
東京の勝利に続こう
「君が代」処分の撤回を
8・29 大阪
「夢にも思ってなかった」と語る根津さん (8月29日 大阪市内) |
8月29日、「東京での勝利に続こう! 〜許すな 子どもたちを戦場へ送る教育〜 「君が代」不起立処分を撤回させよう」集会が大阪市内でひらかれ120人が参加した。主催は、「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク。
2つの裁判で勝利
さる5月28日、「07年停職6カ月処分取り消し控訴審(東京高裁)」で1審東京地裁判決をくつがえし、「処分取り消し」の勝利判決をかちとった東京の根津公子さんが報告。
判決の中身は、@前回3カ月処分をさらに加重しなければならない個別具体的な事情は見当たらない、A「君が代」不起立で免職とすることはあってはならない、B「思想良心の自由の間接的侵害」から「思想良心の自由の実質的侵害につながる」と違憲判断を一歩進めた、C勤務時間外の「社前」抗議闘争にたいしての処分は違法である、と解説。
根津さんは「自分が生きているうちに、このような判決が出るとは夢にも思っていなかった」と笑いながら語った。
つづいて、東京の永井栄俊さんが再雇用拒否2次訴訟の勝利判決(5月25日、東京地裁)の報告と分析をおこなった。判決では、過去に不起立で懲戒処分を出しておきながら、再雇用時に、同じ理由(不起立)で再雇用を拒否するのは同じ件で2回目の懲戒処分を出すことになるという原告の主張を認めた。
免職警告付き戒告処分
ついで、大阪の戒告処分取り消し裁判の原告、「君が代」不起立解雇撤回裁判の原告などが発言。
〈子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会〉からのアピールに続き、今春処分を受けた大阪市立中学校教員の松田幹雄さん、大阪府立支援学校教員の奥野泰孝さんがアピールした。奥野さんは今年3月の卒業式で、生徒の介護のため寄り添ってすわっていたことを「不起立」として「免職警告付き戒告処分」を受けた。ふたりの不当処分を撤回させよう。
雨にも負けず 戦争イヤや
秘密保護法廃止! ロックアクション
8・29 大阪
毎月6日の「秘密保護法廃止! ロックアクション」は、戦争する国づくりに関連するあらゆる法案に反対する人たちが結集する場になっている。9月6日も多数の人たちで、会場の小さな公園はいっぱいだった(写真)。
発言者の話は、戦争遂行のためにいろいろな法案が審議され、私たちの日常生活が政権によってがんじがらめにされていくことがよくわかる。
今回の発言者はマイナンバー制に反対しているカンカンネット、盗聴・密告・冤罪拡大の刑事訴訟法改悪とたたかう永嶋靖久弁護士、国会情勢を元衆議院議員・服部良一さん、秘密保護法の違憲確認・差し止め請求訴訟をたたかうフリージャーナリストの吉竹幸則さん、公明党は平和の党の原点に帰れと訴える創価学会会員米本明子さん、辺野古テントでたたかう男性、反原発をたたかう若狭ネットの久保良夫さん、と多様。服部良一さんは「いよいよ戦争法案が山場を迎える。今問題になっているのは経済的徴兵制だ。子どもの貧困は6人に1人、これらの子どもたちが、経済的徴兵制の犠牲になっていくのではないだろうか」と話した。
デモは歌や音楽が流れる楽しいサウンドデモとして本町から難波まで御堂筋を南下し、人目をひいた。(投稿・斎藤良子)
投稿
侵略者の歴史認識を表明する安倍談話
〔はじめに〕
毎日新聞によると、今回の安倍談話について社民党・吉田党首は「4つのキーワードは首相の言葉で語られず、村山談話から大きく後退している」と述べたそうである。しかし、そうであろうか。「キーワード」なるものは、借用されているだけなのだろうか(第1の問い)。そして、そのことは村山談話からの後退を意味するだけだろうか(第2の問い)。4つのキーワードすべてについて議論する余裕がないため、「戦争」に言及し、ある意味でよく似た安倍談話と村山談話の部分だけを考察してみたい。
〔戦争1〕
最初に「戦争」に言及している安倍談話の次の部分を引用する。
「満州事変そして国際連盟からの脱退、日本はしだいに…挑戦者となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んで行きました」
確かに、この部分は村山談話の有名な部分、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで…」を踏まえて述べられているように見える。
例えば後者の「遠くない過去の一時期」を、前者は「満州事変そして国際連盟からの脱退」という形で具体化しているように見える。しかし、後者の「国策を誤り」を前者では「挑戦者となっていった。進むべき進路を誤り」と言いかえられており、これらの表現の後に導入される「戦争」は、前者と後者とでは明らかに異なった概念となる。言いかえれば、前者は後者を踏まえるという形をとって、後者とは異なった戦争概念を導入するという意図を持っているということである。少なくとも前者において、後者の戦争というキーワードが引用、言及されているとはいえない(第1の議論)。
〔戦争2〕
問題は、これにとどまらない。安倍談話の「満州事変そして国際連盟からの脱退」は、単に時期を特定する機能しか持たないように見えるが、じつは歴史修正主義者の集団である安倍政権の歴史認識を示している。この表現が示す時期に展開された事態は、村山談話の意味とは異なった安倍の言う「戦争」でさえない。先に引用した安倍談話の構造に従えば、この時期には日本は「国際秩序への挑戦者」となり、「戦争への道を歩んで」いたのだから。しかし、この時期に展開された事態、すなわち柳条湖での日本軍による鉄道爆破に始まる事態は、日本軍による中国東北部にたいする侵略戦争に他ならなかった。それをあえて「戦争」でさえないと主張することは、安倍的歴史修正主義の表明以外の何ものでもない(第2の議論)。
〔満州事変〕
「満州事変そして国際連盟からの脱退」という表現では、前段落で述べた事態全体が「満州事変」と呼ばれていると考えられる。なぜなら、この表現にある「満州事変」と「国際連盟からの脱退」とは名詞としての機能が異なっており、後者が「一つの出来事」を指示し得るのに対し、前者はそれができず「出来事の集合」しか指示し得ない。前段落の事態を指示し得る名詞は、この表現中には出来事の集合を指示する「満州事変」という名詞以外にないからである。
とすると、安倍談話では柳条湖での鉄道爆破に始まる日本軍による侵略戦争は、「戦争」ではなく「満州事変」であるということになる。これは安倍的歴史修正主義の表明にとどまるものではなく、侵略者の歴史認識を表明したものと言わざるを得ない。なぜなら、「満州事変」とは実際に侵略行為をおこなった者たちが、自らの行為を指示するものとして使用した名詞であり概念だからである(第3の議論)。
〔まとめ〕
キーワード「戦争」についていえば、冒頭の第1の問いには「Nein」と答えざるを得ない。第1の議論で見たように、安倍談話では「新たな戦争概念」が導入されている。(機会があれば、談話の他の部分をも踏まえて、この概念について論じてみたい)。また、第2の問いが単なる擬似問題にすぎないことは、第1、第2、第3の議論から明らかであろう。これについていえば、村山談話それ自体の批判的研究(検討)の必要性を強調するとともに(この談話が、いわゆる「民間基金」への道を開いた)、かくもあけすけに歴史修正主義、侵略的歴史認識が今回の安倍談話に(少なくとも「戦争」について)述べられているにもかかわらず、誰もそのことを指摘しようとしない(民主党・岡田代表は「今までの政治家・安倍晋三の歴史観とは明らかに異なる」などという武装解除した姿勢を示した)ことに、警鐘を乱打したい。
米帝国主義を巻き込み対中戦争をかまえ、対イスラム人民への戦争にも参戦を策す安倍政権を、欺瞞談話を許さず、戦争法案ともども打倒しよう。(八代秀一)
6面
寄稿
戦後70年と〈天皇〉 連載 D
憲法違反の常習犯を尊敬し
“国民一体”をめざす天皇
隠岐 芳樹
戦後70年の節目の8月15日に前後して、映画やドラマ、ドキュメント、著名人や関係者のコメントが、例年よりも数多く発表された。どれも「平和を愛した」昭和天皇をほめたたえ、戦争責任は問わない姿勢である。
話題を呼んだ映画『日本のいちばん長い日』の原田眞人監督と東京新聞文化部長の対談記事が、8月6日の朝刊に1ページぶち抜きで掲載された。タイトルは「軍をなくして国を残した『聖断』」とある。その意味するところが何かは、本紙の読者には説明するまでもないだろう。
なぜ天皇制の存続が「国」を残したことになるのか。なぜ「国」イコール天皇制なのか。これについて、対談のなかでは何も語られていない。
題名は忘れたが、太平洋戦争末期を舞台にしたドラマの新作発表の席上、出演した人気の若手歌舞伎俳優たちが、「この作品のように家族を守るためなら、あなたも出撃しますか」という記者の質問に、いずれも「ハイ、出撃します」と答えている。
これは戦争映画やドラマでよく見られるパターンだが、家族を守るための戦争などあるだろうか。家族を守ることが大切だと言うのなら、“敵”の兵士にも家族がいることを、なぜ考えようとしないのか。
靖国神社や護国神社の社頭に、「郷土の平和と家族を守る自存自衛の戦いに倒れた英霊たちを祀る」と記されているが、日本の方から戦争を仕掛けて他国の領土に土足で踏み込み、多くの人びとを殺したことを、なぜ率直に認めようとしないのか。
「慰安婦」は天皇から「下賜された贈り物」
文部省は1937年3月、日中全面戦争の直前に『国体の本義』を刊行して、全国の学校や官公庁などに配布した。天皇中心の「国体」思想を徹底するためである。そのコアな部分を紹介すると―
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。(中略)日清・日露の戦役も、韓国の併合も、又満州国の建国に力を尽くさせられたのも(中略)国土の安寧と愛民の大業をすすめ、四海に御稜威(注)を輝かし給はんとの大御心の現れに外ならぬ」。
(注)みいつ。天皇の威光をさす
これこそエスノセントリズム(自文化中心主義、自民族中心主義)の最たるものである。この思想が皇軍兵士たちの強姦や虐殺、略奪を扇動する根拠になった。
この思想のもとに日本軍の性奴隷とされた植民地や占領地域の女性たちが、「慰安婦」として天皇から彼の「赤子」である「皇軍将兵への贈り物」と称されて「下賜」されたのである(高崎隆治編・解説『軍医官の戦場報告意見集』不二出版)。
この「国体」思想は、天皇の戦争責任が不問に付されたため、現在にまで生き延びている。そして総理大臣安倍晋三をはじめとする超右翼が唱える歴史修正主義の源泉になっている。
2000年12月、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が、延べ5000人の参加のもと、5日間にわたって開かれた。法廷は女性への戦時性暴力をはっきりと戦争犯罪と認め、昭和天皇を最もコアな戦争犯罪人と断定した。
安倍首相は8月14日の談話で、国際世論の前に仕方なく「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」が存在したと述べたが、日本軍性奴隷という特定を避け、加害の主体と責任の所在には一切言及していない。翌日の全国戦没者追悼式に参列した天皇の「お言葉」は、この問題にまったく触れていない。
「人間宣言」とは名ばかり
〈神の裔〉を自負する一家
1946年元旦、昭和天皇は従来の天皇像を否定して、自分は現人神(アラヒトガミ)ではなく「人間」であると宣言した(「人間宣言」)。しかし天皇制の由来について、「単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」という用心深い表現で、天皇制にまつわる神話と伝説を全面的には否定していない。つまり「神の裔(すえ)」であることを否定してはいないのだ。
かつて現天皇が皇太子のころ昭和天皇の名代として、イギリスのエリザベス女王の戴冠式に参列した折、天皇がはなむけに贈った歌がある。そのなかで天皇は皇太子を「日の御子」と称えている。これは『国体の本義』に言う「天ツ日嗣」と同義語であり、彼らが依然として自分たちを太陽神(天照大神)の子孫であると認識していることを示している。
「人間宣言」は、天皇政治の大権の根拠が天照大神から委託されたものであるとする明治維新以来の考え方について、まったく言及していない。つまり神格否定の核心部分に触れることを避けているのである。
「人間天皇」は民主主義と平和を愛するリーダーとして自ら演出し、行動した。しかし、その内実はそれとは裏腹であった。「人間宣言」そのものにも、つぎのような章句がある。「詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ」。敗戦によって忠君愛国思想が解体し、下からの民主化の波と労働運動が高揚している状況(「戦後革命」)に恐怖する心境を読み取ることができる。
労働組合の反戦闘争を 批判する「平和愛好家」
1948年3月8日、新しく首相の座に就いた芦田均が「拝謁」した際、天皇はまず「共産党に対して何とか手を打つ必要があると思うが」と、共産党対策を促している。
1958年8月、重光外務大臣が安保条約改定問題を協議するため渡米するに先立って天皇に内奏した。そのとき天皇は「日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり」と意見を述べると共に、「自分の知人に何れも懇篤な伝令を命」じている。
1971年6月、蒋介石率いる中華民国(台湾)政府が国連の代表権を失う直前、佐藤首相がアメリカのマイヤー駐日大使と会談した際、天皇から「日本政府がしっかりと蒋介石を支持」するよう促されたと伝えている。
1973年春、労働組合は賃上げ要求と共にベトナム戦争反対を掲げてストライキとデモを繰り広げていた。その最中に奥野文部大臣が内奏したとき、天皇は「平和が大切だ、平和憲法を守れと言いながら、闘い闘いと叫び続けていくのはどうも解せないね」という「お言葉」を発している。このとき天皇は明らかに労働組合の反戦闘争を批判しているのだ。
同じ年の5月、増原防衛庁長官が「当面の防衛問題」について「ご進講」に及んだ。そのとき天皇は「近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。国会でなぜ問題になっているのか」と質問している。増原は「防衛2法の審議を前に勇気づけられました」と非常に感激している。
以上は氷山の一角に過ぎない。天皇は閣僚の内奏の際、誰かれとなく彼らを政治的に鼓舞している。言うまでもなく、日本国憲法は天皇が国政に関与することを禁じている。しかし、連合国軍最高司令官マッカーサーに対する沖縄売り渡しの申し出をはじめ、昭和天皇の憲法違反の言動は枚挙に暇がないほどである。まさに彼こそ憲法違反の確信犯的常習者なのだ。
そして現天皇は即位のときの記者会見をはじめ、ことあるごとに「昭和天皇を心から尊敬申し上げております。そのお姿を手本として受け継いでいくよう心掛けます」と、繰り返し発言している。
最近マスメディアは、憲法違反の戦争法案をゴリ押しする安倍首相と対比して、天皇が護憲の姿勢を堅持していると、さかんに持ち上げている。しかし「護憲主義者」天皇の正体がいかなるものか、これ以上言葉を重ねる必要はないであろう。
天皇がめざす“国民一体”は 支配階級の最強のツール
天皇をとりまく宗教装置は、基本的に戦前と何も変わっていない。明治以来の歴代天皇と同様、超過密都市東京のど真中にとてつもなく広大な空間を占める大宮殿で生活し、年間をとおして数え切れないほどの皇祖皇宗を祀る神事の司祭をつとめている。
天皇と天皇制を支持する人びとの意識のなかで、天皇が天皇であるのは、「国民統合の象徴」だからではなく、「万世一系」の皇位継承者だからである。だが、この「万世一系」という独特の「天皇」観は、明治時代の半ばに初めて成立したものに過ぎない。ここで「万世一系」が史実を偽る代物であることを確認しておきたい。
実在しなかった初代の神武天皇/大和朝廷が後継者を失ったので越の国(北陸地方)から招かれて即位したのが継体天皇/平安遷都した桓武天皇の実母・高野新笠は朝鮮半島からの渡来人である。これ以外にも「万世一系」がウソ八百であることを証明する史実には事欠かない。
「万世一系」でも何でもない天皇を、多くの日本人は「国民統合の象徴」として崇め奉っている。「我が国は皇室を宗家とし奉り、天皇を古今に亙る中心として仰ぐ君民一体の一大家族国家である」(『国体の本義』)という呪縛から、依然として解かれていないためではないだろうか。天皇や皇室を無条件に有難いものと押し頂くことで、日本人としてのアイデンティティーを確認しているものと考えられる。
現在、天皇は戦死者の「慰霊」と原発事故などの被災者への「慰問」を重ねて、政府に向かう民衆の対立意識を緩和する役割を果している。国民の平和と幸福を祈り、国民の苦しみに心を傷める「お姿」をアピールして、現状に不満を抱く民衆が矛を収めてくれれば、彼の目的は達せられる。民衆との距離感を縮め、共感を高めている点で、昭和天皇よりしたたかである。
天皇が作ろうとしている“国民一体”=擬制の共同体こそ、人民支配の最高のツールであり、最後の切り札なのだ。
しかし“国民一体”が、格差と貧困の拡大をはじめとする社会の矛盾を覆い隠すことはできない。われわれはそこに根差すさまざまな問題を自分たちの努力で解決しようと闘っている。そのなかで自らを変革し、真の共同体を感得できるような闘い方を追求すること、そこにこそ、擬制の共同体=天皇制を超克する道が開けてくるのではないだろうか。