「安倍晋三を返り討ちに」
2万5千人が国会を包囲
6・14
2万5千人が参加した「とめよう!戦争法案 集まろう1 国会へ6・14国会包囲行動」(6月14日) |
「殺し殺されるのはイヤッ!」女たちの平和国会ヒューマンチェーンに1万5千人が参加した(6月20日) |
6月14日、「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」の呼びかけで「とめよう! 戦争法案 集まろう! 国会へ 6・14国会包囲行動」がおこなわれた。「戦争法案絶対反対」のコールで始まった集会の熱気を伝えたい。
最初の発言者は評論家の佐高信さん。「自衛隊の統合幕僚議長だった栗栖弘臣は、2000年に書いた『日本国防軍を創設せよ』という本で、『自衛隊は国民の生命・財産を守るためにあるのではない。国の独立と平和を守るためにある』と書いている」と、国家における軍隊の本質を暴露した。
続いて、民主党の長妻昭代表代行、日本共産党志位和夫委員長、社民党の吉田忠智党首が発言。
命を奪わず、奪われず
「島ぐるみ会議・名護」共同代表の玉城愛さん(名桜大学3年)は、1959年に米軍機が墜落した宮森小学校の卒業生。17人が亡くなり、210人が負傷するという大惨事だった。2004年に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学には、いとこが通っていた。玉城さんは基地に苦しむ沖縄県民の状況を訴え、政府が暴力的に辺野古基地建設を進めていることを怒りをもって語った。「人の命を奪いたくない。人に命を奪われたくない。人の命を奪う手伝いをしたくない」「私は今20歳だが、初めての選挙は、昨年の県知事選だった。親の言いなりや、紙を見て候補を選ぶということでは社会を作る大人にはなれない、という強い気持ちを込めて、自らの主張を名護市・北谷町で仲間とともに訴えてきた」と力強く発言。
辺野古基金共同代表の鳥越俊太郎さんは、作家の澤地久枝さんとともに7月18日午後1時、全国一斉に「安倍政権を許さない」というプラカードを掲げる行動を呼びかけた。
立憲デモクラシーの会共同代表の山口二郎さんは、「今回、憲法学者が安保法制は違憲であると言い切ったことが、大きなインパクトを与えた。これこそ学者の本来の仕事」と述べ、学者の見解を踏みにじる自民党副総裁・高村を「独裁国家を作ろうとするもの」と弾劾した。「日本は戦争に巻き込まれなかったのは、55年前に何十万という市民がこの国会議事堂を包囲し安倍晋三の祖父である岸信介を退陣に追い込んだから。岸の野望どおり憲法9条が改正されて自衛隊が単なる軍隊になっていたら、日本は間違いなくベトナム戦争に兵を送るはめになっていた。そして、たくさんの人を殺し殺されるという悲惨な歴史になっていたはず。憲法を守る市民の力が日本を戦争に巻き込まれないようにしてきた。安倍晋三は、岸の遺恨を晴らそうとして、この違憲の安保法制を進めようとしている。われわれは50年前のあの先輩の思いを引き継いで、安倍晋三を返り討ちにしよう」と闘いを呼びかけた。
私たちの『戦場』は国会前
漫画家の石坂啓さんは、「私たちは今戦場にいる。私たちにとっての戦場は国会前。撃つべき敵は安倍総理。倒すべきは戦争法案だ。そして助け出さなくてはいけないのは瀕死の憲法9条だ。今日私は『後方支援』に来ているのではない、前線に立っているつもりだ」と力強く発言。
女性落語家の古今亭菊千代さんはまず、「芸人9条の会」を立ち上げたことを報告。「戦争はだめなのであって、『どんな条件か』などと言っている場合ではない。多国籍軍は民間人を殺している。そんなところに日本の自衛隊が加担するようなことがあっては絶対にいけない。全国民で反対したい」と訴えた。
女の平和実行委員の杉浦ひとみ弁護士は、6月20日に国会を取り巻くヒューマンチェーンを呼びかけた。「私たちは、集団的自衛権の閣議決定に抗議して、ことし1月17日に、国会を赤色で取り囲んだ。戦争法案を合憲と強弁するために、砂川事件の最高裁判決を自民党は持ち出してきた。ところが彼らは、『1票の格差』について最高裁が何度も違憲判決を出しているのにこれを守ろうとはしない。6月20日は、赤いものを身に着けて国会を取り囲もう」と呼びかけた。
戦争反対は弁護士の義務
日弁連憲法対策本部事務局次長福山洋子さんは、「(集団的自衛権行使容認の閣議決定は)憲法の立憲主義、恒久平和主義、国民主権に反しており、撤回を求めた。これを実施する法制定も違憲であるとの意見書を日弁連が公表し、52のすべての弁護士会が会長声明や決議を挙げている。戦争は最大の人権侵害。戦争の危険性を高めるような動きには、弁護士会は反対しなければならない。日弁連には、憲法前文と9条の恒久平和主義を守るという責務がある」「『アメリカがサイバー攻撃を受けた場合、いわゆる武力行使の3要件を満たせば、日本は集団的自衛権を使って武力行使を行うことができる』という政府見解を示したと報道された。このような異常事態が、私たち弁護士スピリットに火をつけた」。
「5月29日、日弁連定期総会で、『安保法案に反対し、平和と人権、立憲主義を守るための宣言』を決議した。戦前の弁護士会は、国家総動員体制に組み込まれ、大日本弁護士報国会を作るなど、戦争の拡大を進める一翼を担ったという痛恨の過去がある。そのことへの反省と教訓を忘れてはならない。集めた請願署名は26万を突破し、先日国会議員に託しました。東京の3つの弁護士会は昨年から月に1回、街頭宣伝活動を有楽町でおこなっている。最近では、年配のご婦人らが『孫が大変なことになる』と、悲壮な面持ちで署名に応じてくれている。これまで黙っていた人たちが声をあげている。ともにがんばろう」と訴えた。
ルポライターの鎌田慧さんは、「60年安保で私たちは国会を取り巻いて政府に抗議した。その大衆運動によって平和を守ってきたという自信がある。私たちの最大の任務は、安倍政権を何とかしてつぶし、安保法制をつぶすことだ」として、翌日からの国会前座り込み、毎週木曜夜の国会前行動、24日夜の大行動を呼び掛けた。
この日の行動にはオーストラリア、カナダ、フィリピン、カザフスタン、ポルトガル、セネガル、コンゴ、インド、シリア、ブラジルなどの世界各地の平和団体、労働団体からアピールが寄せられた。(広瀬)
“憲法のない国になる”
戦争法案反対 神戸で9千人
6・21
神戸市の東遊園地を埋め尽くした9千人の参加者 |
「戦争法案、それ本気なの」というコールが響き、「イケン!」というボードがいっせいに掲げられた。6月21日、神戸・東遊園地で開かれた安保法案反対の集会とデモは、反戦集会としては過去最大規模の9千人。東遊園地は、かつて兵庫県からの学徒出陣式典会場となった場所。はじめて兵庫県弁護士会が呼びかけた。参加者は市民グループ、労組、個人など様々。宝塚や淡路、姫路、丹波、但馬、広く県下各地から集まった。若い世代も多く、戦争法案への世代をこえた不安と怒り、廃案への意志が表れていた。
伊藤塾塾長・弁護士の伊藤真さんほか、兵庫の弁護士がリレートーク。伊藤さんは「全国の弁護士会が(集団的自衛権、法案は)違憲であると声を上げている。戦争は最大の人権侵害であり、反社会正義の最たるもの。憲法学者もこぞって違憲、反対を表明している。与党、安倍総理の答弁はデタラメきわまる内容。これでは憲法がない国になってしまう。(国会状況は予断を許さないが)あきらめない。廃案まで闘いぬきましょう」と、訴えた。
この日は、炎天下の真夏日。集会終了後、2コースに分かれ元町までのデモ。「戦争法案、ゼッタイ反対」のコール、「イケン」の青いボードの列が続いた。
2面
沖縄
島ぐるみ会議が目指すもの
復帰運動を超える闘いへ
6月、大阪市内で「沖縄建白書を実現し未来を拓く島ぐるみ会議(略称、島ぐるみ会議)」を代表する二人の人物が相次いで講演をおこなった。一人は島ぐるみ会議の共同代表であり、株式会社かりゆしの代表取締役会長(CEO)の平良朝敬さん。平良さんは沖縄かりゆしリゾート・オーシャンスパなど県内5つのホテルを経営する沖縄経済界の重鎮の一人だ。もう一人は、島ぐるみ会議の事務局長で琉球大学教授の島袋純さんである。 二人の講演をとおして、現在の沖縄における島ぐるみの闘いがどのようにして形成され、なにを訴え、どこに向かおうとしているのかを考えてみたい。(武島徹雄)
平良朝敬さんの講演は、6月5日、大阪市内で開かれた「基地を拒否する沖縄からのアピール」でおこなわれた。主催は、島ぐるみ会議全国キャラバン in 大阪実行委員会。
平良さんは、5月27日から10日間、米政府高官、米連邦議会議員、米シンクタンク、米市民団体に沖縄県民の辺野古新基地建設反対の民意を訴えるために訪米していた翁長知事に訪米団として同行していた。
彼は観光業経営者としての立場から「観光と基地はまったく共存しない」ということを、資料映像を使って具体的に明らかにした。在沖米軍と米軍基地の存在にたいする批判は経済的側面にとどまらず、ウチナンチュウとしてのアイデンティティーに立脚した日本政府の沖縄差別にたいする根底的批判として展開された。
「日本政府は在沖海兵隊は抑止力として必要だと言うが、それはユクシ(嘘)だ(ウチナーグチ〔沖縄の言葉〕でユクシは嘘という意味だが、抑止の発音もウチナーグチで同じユクシで懸けている)。」「アメリカが在沖海兵隊の引き揚げを検討しようとしていたことに対して日本政府が引き止めた」「森本・元防衛庁長官の『米海兵隊の配置は沖縄でなくてもよいが、しかし政治的には沖縄しかない』という発言は、沖縄には犠牲を押しつけても構わないというヤマト(日本)の沖縄差別だ」
21世紀の琉球処分
「去年、自民党本部の石破幹事長(当時)が沖縄に来て、首をうなだれる5人の沖縄選出の自民党国会議員を従えてこれ見よがしに普天間基地の辺野古移設容認の演説をおこなったが、それはまさに21世紀の琉球処分そのものの構図だった。この時の私の気持ちは、苛立ちや虚しさや怒りなどのいろんな感情が入り混じった、屈辱的というか何とも言えない思いだった。このことで私のウチナンチュウとしてのアイデンティティーに火がついた。辺野古に基地は絶対つくらせないという決意を新たにし、それまでの自民党支持を断ち切って日本政府に対して本格的に闘っていくことに踏み切った」「かつて沖縄の保守知事でさえもが『日本人になりたくてなれなかった沖縄人』(西銘順治)、『沖縄は今、マグマが煮えたぎっている状態だ』(稲嶺恵一)と語っていたが、まったくその通りだ」
「『時代の流れ』という沖縄民謡の最後のくだりを私は替え歌にして『大和の世(ヤマトヌユー)から沖縄世(ウチナーユー)、たくましく変わいる、くぬ沖縄』(日本の世から自分たちのための沖縄世に、たくましく変革していくよ、この沖縄)と作った」「今、沖縄は大きな歴史の曲がり角にある。日本の沖縄差別を突き破って、沖縄のことはウチナンチュウが自分たちで決めていくような沖縄世を創り上げていく島ぐるみの県民パワーがたくましく育ってきている」「安倍の積極的平和主義にだまされて、日本を再び戦争する国にしてはいけない」「絶対にあきらめず、声を大きくしていけば、必ず勝てる」「沖縄を差別する日本の在り方を変えていくためにも本土の皆さんの力が必要です。共に頑張っていきましょう」。
沖縄戦後史の総括
琉球大教授・島袋純さんの講演は、6月12日、関西・沖縄戦を考える会第4回総会でおこなわれた。
島袋さんは、最初に「沖縄建白書」について解説した。建白書は「オスプレイの配備撤回」「普天間基地閉鎖」「県内移設断念」という3つの要求を掲げたものであるが、これに県議会議長、県議会全会派代表、県内全41市町村長と議長、地方4団体代表、経済団体代表、労組代表、社会教育団体代表等が署名・公印添付した。まさしく「オール沖縄」の全県民的意思が体現された歴史的文書である。
次に、島ぐるみ会議結成の経緯と目的を説明した。島ぐるみ会議の目的は直接的には建白書の3大要求を実現し沖縄の未来を拓くのだが、そこに貫かれているのは建白書要求の実現過程を通して沖縄県民の自己決定権を「形成・確立」し、「行使・貫徹」するということである。そのため、島ぐるみ会議の組織構成は、「諸団体の寄せ集め」のような実行委員会形式の限界を乗り越えて、個々人の自発的参加による市民運動方式にしたという。これによって運動の持続性・活動性・発展性を確保することをめざしたのである。その歴史的意義を沖縄戦後史における運動的・組織的総括を踏まえて提起された。
さらに、島ぐるみ会議のこれまでの活動と今後の課題が報告された。ここで注目すべきことは、辺野古バス(沖縄本島の南部・中部・北部から発車する辺野古行きのチャーターバス)の恒常的運行での県民の自発的参加による現場の闘いの強化と、アメリカや国連への働きかけ。また日本全国でのシンポジウムなどによる世論喚起と支援拡大などである。
辺野古基金の創設と稼働もその一環だが、すでに現時点までに1カ月強で3億2千万円余が集まっている。また、県内各市町村に「島ぐるみ会議運動」とも言うべき自発的な運動と組織が続々と生み出されてきている。こうした運動と組織を日本全国にひろげていきたいと提起した。
辺野古新基地建設を沖縄だけの問題とするのではなく、また沖縄の闘いへの単なる支援・協力にとどまることなく、日本の各地で、自分自身の存在と人間性に関わる課題として取り組む主体が登場し、互いに連帯することが必要である。「島ぐるみ会議・大阪」のような自発的な運動と組織の連帯を通して、全国的な反辺野古新基地(反軍国化)の統一戦線の確立めざしていきたいという内容であった。そして、特に喫緊の課題として、工事の中止とそのための運動と闘いの強化・発展・の資金として辺野古基金へのカンパが訴えられた。
沖縄―日本の変革へ
平良さんの発言は、島ぐるみ会議に象徴されるオール沖縄の運動と闘いにおける県民パワーの力強さとその発展の方向が鮮明に示されている。また「島ぐるみ」が内包するさまざまな矛盾を克服し、解決していく展望や「オール沖縄」と結合した「本土」における運動をどのように形成していくのかについても多くの示唆を与えている。
また島袋さんの講演は、沖縄現地の島ぐるみ会議の運動と組織が辺野古(高江)の現場での闘いを軸にして県内各市町村で自発的な草の根運動として広がり始めていることを強く印象づけた。これは、かつての復帰運動を超える規模に拡大していく様相を示している。思想的には復帰協運動の限界を克服する内容を孕んでいる。
早計のそしりを免れないことを承知の上で言うならば、沖縄県民の自発的な運動・闘いが、沖縄の自己決定権を形成・確立・行使・貫徹し、コミューン(自治共同体)へと発展していく可能性があるということだ。そして、島ぐるみ会議のような運動・闘いと組織を沖縄だけでなく全国各都道府県に創出していくことによって、日本帝国主義・安倍政権の沖縄差別政策と壊憲=戦争政治を打ち破り、帝国主義国家体制を転覆していく展望を大きく切り拓いていくことができるということである。沖縄闘争の全国的な展開と発展、それと結合した反原発の闘いなどさまざまな闘いの発展を通して日本の革命的変革の現実性を実感した。
辺野古新基地
許せない海保の蛮行
陸海で連日の抗議行動
慰霊の日、米軍キャンプ・シュワブゲート前に作られた献花台(6月23日 名護市内) |
台風6号の影響で5月11日以降中断していたボーリング調査が6月2日、3週間ぶりに再開した。再開したのは1カ所だけである。翁長知事が訪米している最中の作業再開に対して、海上では抗議船3隻、カヌー18艇で抗議行動を展開。作業中止を訴えた。
キャンプ・シュワブゲート前では市民120人が「民意を無視している」と怒りの声を上げた。
翌3日には、ボーリング調査が3カ所に拡大。海上では前日に続いて抗議行動。ゲート前では早朝6時より、議員団30人と市民200人が怒りの座り込みをおこなった。機動隊による排除をものともせず、座り込みを続けた。
ゴムボートで衝突
4日、海上抗議団の男性が抗議船からフロート内に飛び込み、スパット台船めがけて泳ぎだした。これに対して海上保安官らはゴムボートを疾走させ男性に衝突させた。男性は緊急搬送され、顔面打撲で加療3日間の診断を受けた。男性は「一瞬死ぬかもしれないかと思った」と怒りに震えていた。ゲート前では、この暴挙に150人が座り込んで抗議。
翌日は中城海上保安部前で市民50人が「海保の暴挙を許さんぞ」と抗議行動。海上でも抗議行動がくりひろげられた。
8日、海保の暴力行為の本丸、那覇市の第11管区海上保安本部前で抗議行動がおこなわれ、市民250人が緊急抗議集会をひらいた。海保ゴムボートによる衝突事件への謝罪を求め、怒りのシュプレヒコール「海保の暴力許さんぞ」「大浦湾から出ていけ」と声を上げた。
防衛省は、ボーリング調査が履行期限の6月末までに終了しないことがあきらかになり、再延長の検討を始めた(16日)。当初は3月末までの予定だったがそれを3カ月延長して6月末までとしていたが、さらに遅れが生じている。本体着工が9月以降にずれこむ可能性もある。
17日午前9時、キャンプ・シュワブゲートに入ろうとする工事車両10台に対して、進入を阻止しようと市民80人が座り込んだ。すぐに機動隊がごぼう抜きを始め、機動隊との激突は数十分におよんだ。最終的に工事車両は中に入ったが、市民は機動隊に詰め寄り、怒りの拳を突き上げた。
「大浦湾収容所」
「慰霊の日」の6月23日、キャンプ・シュワブゲート前では市民150人が集まって、ゲート前歩道に献花台を作り慰霊祭をおこなった。正午、献花台の前に全員が集合し1分間の黙とうをささげた。沖縄戦の終結後、キャンプ・シュワブは「大浦湾収容所」として、今帰仁、本部や伊江島などの住民約4万人が収容されていた。マラリアや栄養失調などで亡くなった人も多く、シュワブ内に埋葬されているといわれている。市民は供え物をし、黙とうをして、沖縄戦で亡くなった戦没者を弔い、反戦平和と新基地建設反対の思いを新たにした。
3面
ルポ
被害を受けた者が痛みを声にして
5月24日「ひだんれん」設立
請戸 耕一
集会参加者がいっせいに「手をつなぐ」のメッセージをかかげた(5月24日 福島県二本松市) |
福島第一原発事故によって受けた被害にたいして、国や東京電力を訴える動きが全国に広がっている。そうした中、訴えを起こしている住民や団体をつなぐ「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」が設立された。5月24日、福島県二本松市内で開かれた設立集会には300人が参加した。「ひだんれん」への参加団体は5月24日現在で13団体(※注)になっている。
集会では、秋山豊寛さん(宇宙飛行士、ジャーナリスト、福島県田村市から京都府内に避難)の講演があり、各地の原告や弁護士から取り組みの報告がおこなわれた。「ひだんれん」共同代表の武藤類子さん(福島県三春町)が「手をつなごう!立ち上がろう!」という設立宣言を読み上げた。
原告や弁護士の報告では、以下のような国の動きに対して、苦しみと怒りの訴えが相次いだ。
@自民党復興加速化本部が居住制限区域と避難解除準備区域について、2年後の2017年3月までに避難指示を解除し、精神的損害賠償の支払いをその1年後に打ち切る方針を出した。A福島県が自主避難者に対する住宅支援を2016年度で打ち切る方針を出した。B国が年間20ミリシーベルトでの避難解除と帰還促進を基本方針として進めている。C国が次の原発事故を想定し、電力会社を免責するために被害者が損害賠償の訴訟を起こせないように制度の改悪に着手している。D総じて国が、「原発事故の被害など大したことない」「福島原発事故はもう終わったことだ」として切り捨てようとする姿勢を露わにしている。
このような動きにたいして、設立宣言では次のように呼びかけた。「国と東電にたいし、被害者の責任として本当の救済を求め、次の目標を掲げます。1、被害者への謝罪 2、被害の完全賠償、暮らしと生業の回復 3、被害者の詳細な健康診断と医療保障、被曝低減策の実施 4、事故の責任追及…。私たちは、諦めることをしません。口をつぐむことをしません。分断され、バラバラになることをしません。私たちは手をつなぎ、立ちあがります。そして、すべての被害者の結集を呼びかけます」
以下、集会での3人の発言要旨を紹介する。
真っ赤になって怒らねば
福島原発かながわ訴訟原告団 村田弘さん
―南相馬市小高地区から横浜市に避難
福島から神奈川に避難している61世帯174人が現在、横浜地方裁判所で、国と東電の責任を認めさせる訴訟をたたかっています。今月の20日に9回目の口頭弁論を終えたところです。
ところで、ほんとにひどいと思いませんか。自主避難者への住宅支援の打ち切り、それから居住制限区域などの解除の方針。そういうことが相次いで報道されました。この4年間、収束宣言から始まって、安倍首相のアンダーコントロール発言など、福島の原発被害者をないがしろにする動きに本当にはらわたがちぎれる思いをしてきましたけれども、今度こそ本当に許せないという気持ちになっています。
ひとことで言えば、「福島原発はもう終わったことだよ。もう、戦争をやるかどうかなんだから、『原発で被害を受けて賠償しろ』などといっている場合じゃないよ」と宣言しているに等しい。私はそう受けとめています。私は昭和17年生まれで73歳になりますが、私が生きてきた70年間の最後に来て、安倍政権という恐怖の集団によって、日本が爆発させられてしまうのでないかと、背筋が凍るような気持ちでいます。
武藤類子さんが2年前に「私たちは静かに怒る東北の鬼です」と言われて、私も静かに怒ってきました。しかし、もうそういう段階ではないんじゃないか。本気になって、真っ赤になって怒る必要があるんじゃないか。そういう気持ちで頑張っていきたいと思います。
思っていることを言えないようにしている、その根本とたたかう
原発賠償訴訟・京都原告団 菅野千景さん
―福島市から京都市に避難
京都には51世帯144人の原告がいます。大人から子どもまでが原告となり、大阪や兵庫と協力しながらたたかっています。
原発事故が起きて、食べ物や飲み物、生きるために必要な水や空気、大切な人との関係、それらがすべてこれまでと同じようにはできなくなってしまった。これは、私たち誰もが感じていることだと思います。毎日の食べ物や原発の状態など、そういう緊張感の中で子どもたちの心身の健康を心配しつつ今も暮らしています。
しかし、その原因であり当事者である東電や国は謝罪もなく、他人事のようにしています。問題のすり替えの繰り返しで、腹の中が煮えくり返ります。
私は、昨日福島市に入り、今朝タクシーに乗って運転手さんとお話をしました。運転手さんは、南向台(福島市で空間線量が高いが避難指示が出されなかった地域)に住んでいるそうです。原発の話もしました。運転手さんは、「(子どもとお孫さんを)もっと線量の低い所に引越しさせるんだ」と話してくれました。私が、「ああ、それはよかったですね。でも、こういう話が、みんなともっと普通に話せる環境になったらいいなあ」と言ったら、運転手さんが振り返って、「本当にそうだねえ。このままではおかしいもんナイ」とおっしゃっていました。
心の中で思っていることを言えない環境にしているその根本と、私はたたかっているんだなと感じました。本当のことを言ったら反発や批判を受けるのに、立証されていない「因果関係はない」とか、「問題はない」と言い切る無責任な言葉は正当化されてしまう。そういう現実にとても違和感を覚えます。
5月16日、「女たち・いのちの大行進 in 京都」という集いをおこないました。命を守ろう、子どもたちを守ろうという思いの方が、全国から千人以上も集まって下さいました。子どもも大人も今日までたくさんのことを我慢して、あきらめて、そしてお別れして、失ってきました。もうこれからは、助け合って、うわべだけの希望ではなく、本当の未来のために、力を合わせて、手を取り合って、進んでいきたいと心から願います。
先のことを考えられない状況が辛い
福島原発おかやま訴訟原告団 大塚愛さん
―川内村から岡山市に避難
昨日になって参加を決意しました。7カ月の赤ちゃんを連れてきました。
77世帯103人が原告団になって2014年3月に提訴しました。原告の多くは、自主避難された方たちで、母子避難で岡山に来ている方もいます。私は、10年間、川内村で築いてきた自給自足の暮らしと、自分で立てた家のすべてを置いて、岡山の方に避難をしてきました。この4年間何度も振り返ったり、涙を流しながら、生活再建を一歩一歩頑張ってきました。
原発事故の被害というのは、セシウムも目には見えませんが、受けた被害や心の傷も目に見えません。当事者である私たちが、暮らしの中で何が起こったかということを言葉にしないと被害というのは伝わらない。そういうことをこの4年間つくづく感じてきたので、原告になった私たちは、勇気を出して発言をしています。
そんな中で、先日、自主避難者の住宅支援打ち切りがニュースになりました。明後日、福島県庁の方に続けてもらうように要望したいと思っております。ある避難者の方が、福島県庁で伝えてほしいという思いをメールで送ってくれました。その方の言葉を読ませてもらいます。
避難者からのメール
なぜ、自主的避難者にたいして支援が打ち切られるのか。どんな思いでふるさとを離れ、親族や友だちと離れてきたのか。子どもを思う気持ち、ただそれだけで今を生きている私たちを、どうして支援してくれないのか。知らない土地に、遠い場所に、好んで避難した人なんて誰もいないと思います。
子どもが生まれて家族になって、これからだというときに、なけなしの貯金を崩し、仕事をやめ、すべて福島に残して避難してきました。4年がたち、生活がやっと普通にできるようになり、あの原発事故を振り返らずに、前を向いて行こうとやっと思うようになった矢先に支援の打ち切り。さらに雇用促進住宅は3年後に取り壊しが決まっています。子どもたちがやっと学校や岡山の生活になじんできてくれました。なのに、私たちはまた引っ越しや転校を繰り返さなければいけないのでしょうか。引っ越しにはお金がかかります。福島に戻るにもお金がかかります。親族に会いに1年に1度帰ることだってやっとの状況です。
やっとの生活をしている私たちにとって残酷でなりません。お金なんかじゃない。将来が見えないことに、先を考えることができない状況が辛いんです。
みんな同じだと思います。あれからもう4年。私たちにとってやっとの思いで過ごしてきた4年。やっと落ち着いて、子どもの数年後を楽しみにできるようになったばかりなのです。その小さな幸せさえも支援がなくなったら、また振り出しに戻るんです。どうかもう数年、私たち親が「自分たちが決めた道はこれでよかったんだ」と言えるようになるまで、もう少し時間が必要なんです。どこに行けばよいのでしょうか。もうあんな思いはしたくないんです。
思いをつなげる
こういう言葉をいただいています。
岡山は西日本でいちばん避難者が多い地域で、関東から避難をしてきている人がたくさんおられます。そういう方たちが応援に来てくれ、訴訟に加わっていきたいという動きもあります。
先ほど、秋山さんが「この会場に来ていない人たちとつながっていこう」という話がありました。岡山では、福島県に留まっている人たちの保養の受け入れをしています。そのお母さんたちは訴訟には加わっていないけれど、同じ思いでいると思います。県内におられる訴訟に加わっていないたくさんの人たちの思いともつながっていけたらと思います。 (了)
(※注)「ひだんれん」参加団体:原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団、福島原発かながわ訴訟原告団、福島原発告訴団、福島原発被害山木屋原告団、川内村原発事故被災者生活再建の会、南相馬・避難勧奨地域の会、子ども脱被ばく裁判の会、原発損害賠償訴訟・京都原告団、福島原発おかやま訴訟原告団、福島原発被害東京訴訟原告団
/オブザーバー参加団体:「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団、みやぎ原発損害賠償原告団、原発さえなければ裁判原告団
4面
不当逮捕の3人を奪還
米軍基地反対運動への弾圧
大阪
6月4日に「道路運送法違反」容疑のデッチあげで大阪府警公安三課に逮捕(本紙前号既報)されていた反戦・市民運動の活動家3人が、16日に1人、17日に残る2人が釈放され、全員が仲間のもとに戻ってきた。勾留延長にたいしてなされた準抗告が認められた結果の釈放だ。こんなこじつけ逮捕では、裁判所でさえ、さすがに勾留しつづけるのは無理と判断したのだ。
20日、でっちあげ弾圧前線本部が置かれている大阪府警西署に2回目の抗議行動がおこなわれ、米軍Xバンドレーダー基地反対・近畿連絡会、京都連絡会、6・4関西市民運動弾圧救援会、労働組合などから80人を越える人々が集まった(写真)。
「今回の弾圧が不当であったことを認め、謝罪し、二度と繰り返さないことを約束せよ。事情聴取等の捜査活動を直ちに中止せよ」という抗議文を読み上げ、代表団が渡そうとするも、大阪府警は受け取りを拒否。怒りの声がくりかえしたたきつけられた。
負担軽減のウソを暴露
高里鈴代さんが講演
6月20日、「辺野古の海を埋め立てるな!戦後70年企画 高里鈴代さん講演会」が、京都市・人まち交流館でおこなわれ、300人が参加した。主催は6・20講演会実行委。「NoBase沖縄とつながる京都の会」が呼びかけた。沖縄からは「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表・高里鈴代さんのほかに、連日の辺野古の座り込みをしている小橋川共行さんと、「座り込めここへ」を歌う秦真実さんを招いた(写真)。
高里さんは、戦後70年の沖縄の歴史を、県民の4分の1が犠牲になっ た沖縄戦、駐留し続ける米軍、繰り返される米兵による性暴力被害などを説明。基地移設計画は、「沖縄の負担軽減」と言いながら、実態は基地を強化し県民にさらなる負担を強いていることを明らかにした。そして「集団的自衛権の行使容認」がさらに強固な基地建設につながるとして、沖縄の民意を無視する安倍政権を激しく批判した。
小橋川さんは、基地前での座り込みの現状を報告し、そこでおこなわれている歌や踊りを披露した。秦さんは、闘いのなかで生まれた「辺野古ソング」を紹介。
基調報告は京都沖縄県人会の大湾宗則さん、そのほか京都で闘う3団体からのアピール。集会後、京都市役所前までデモ行進した。
高浜再稼働はやめて
関電八木社長宅へデモ
6・21
6月21日、電気事業連合会会長である八木関電社長の自宅がある高槻市上牧で、「関電八木社長 原発やめて下さいパレード」が、原発ゼロ上牧行動など4者共催のもとにおこなわれ50人が参加した(写真)。
毎月第2、第4の火曜日に阪急電鉄上牧駅前では「原発ゼロ上牧行動」が取り組まれているが、今回は6月25日の関電株主総会に向けて、はじめてパレードが取り組まれた。集会では、「原発ゼロ上牧行動」が主催者あいさつ、共催団体の「若狭の原発を考える会」「脱原発高槻アクション」「とめよう原発!! 関西ネットワーク」から発言があった。参加者のリレートークに続いて、八木関電社長に対する「高浜原発3、4号機の再稼働をしないで下さい」「関電が所有するすべての原発の即時廃炉を決定して下さい」という申し入れ書を採択。代表が八木社長宅に申し入れをおこなった。集会後、元気よくJR島本駅までパレード。
関電は原発再稼働に向かって突っ走っている。福井地裁が高浜原発3、4号機の運転差し止めを決定したのに対して異議を申し立て、決定を覆すことをねらっている。そればかりか、運転開始から40年をむかえようとしている高浜原発1、2号機の再稼働もねらっている。また関電は原発推進・依存政策が生み出した経営危機のツケを消費者に転嫁する大幅な電気料金の値上げに踏み切った。
創意工夫を凝らした再稼働反対行動を関電にたたきつけよう。原発立地地元の若狭地方におけるたたかいと結合した電力消費地・京阪神の再稼働反対のたたかいを拡大しよう。
反戦実が原宿・渋谷デモ
道行く市民が共感示す
6・21
国会前で連日の座り込み行動が始まり、節目では万単位の行動が始まった6月21日、東京渋谷で「戦争国家化をうち砕け! 安倍をたおせ! 全国総決起集会」(主催:反戦実)が350人の結集で開かれた。集会はオープニングに沖縄辺野古海上行動の記録が上映され、海上保安庁の暴力に怒りを募らせた。司会はこの間の国会行動・新宿デモなどの先頭に立ってきた若い世代の2人。
まず実行委を代表して松平直彦さんから基調提起がおこなわれた。松平さんは安倍政権がおこなっていることは侵略国家への国家体制の転換だと弾劾した。安倍の言う「戦後レジームからの脱却」は、かつての「富国強兵」の道で、我々にはこれと違い、「人と人、人と自然の豊かな関係を、国境を越えて創造していく道」だと訴えた。そして沖縄に思いをはせ、戦争法案を廃案にするには、会期延長が狙われるが、これを許さず、衆院通過時などに国会へかけつけ、安倍政権打倒を闘いとろうと訴えた。
続いて沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックや淵上太郎さん(経産省テント裁判当該)などから特別報告があり、関西からXバンド闘争被弾圧者、釜ヶ崎日雇労働組合、9条改憲阻止共同行動の発言があった。
休憩・ミニコンサートをはさんで、後半は神奈川県央共闘など各地の反戦運動・労働運動・市民運動を闘う仲間、大学生から発言があり、渋谷デモに出発した(写真)。
デモ行進は、先導する「ノラ・ ブリゲード」の激しい音楽と踊りが原宿・渋谷の市民の注目を引き寄せ、幟を林立させた隊列がこれに続き、「戦争法案廃案」のコールが渋谷の街にこだました。注目する市民はスマホなどでデモ隊やメッセージボードを撮影・発信し、安倍打倒のうねりが拡大していった。
「ムスリムは、助け合いの社会」
日本人ムスリム女性に聞く
アジアで暮らす日本人ムスリムの女性から、日ごろの暮らしやイスラム国問題などを聞いた(5月10日)。あくまで一個人の意見である。(三村)
日本のムスリムは1万人くらい。アジアでは多いのはインドネシア。ブルネイ、マレーシアもイスラムです。ブルネイは、ダール・アッ・サラーム(ダールは館、土地の意。サラームは平和)といいます。
毎日のお祈りや断食は、原則的に誰もがおこないます。時間どおりの宗派もある一方で、ラマダン時期だけとか、幅があります。強制されるのではなく、自分の信仰、気持ちの問題なのです。
ムスリムは世界中にいますが、人種や肌の色、国籍で区別、差別されることはない。神がなぜ民族や人種の違いをつくられたのか、お互いを知りあい理解し合って助け合うためという教えです。文化的な違いはありますが、ムスリムは兄弟です。違いがあるとすれば信仰の度合いくらいで、あとは平等です。
ムスリムは助け合いの社会です。制度としての「福祉」はともかく、困っている人は登録すればモスクごとに食事や物資の配給があり、介護なども助け合いです。集まりがあると、食事が用意され、お金持ちは喜捨をする。それが徳を積むということです。
スンニやシーアとかの違いはありますが、それほど対立し抗争をしていたわけではない。分断支配のために、一方を利用し煽ったのは欧米です。とくにアメリカがイラクに侵攻し、フセイン政府を倒して占領してから、混乱や分断がひどくなりました。IS(イスラム国)もフセインのバース党や軍から派生したといわれている。現在の問題はその要因が大きい。
原理主義という言い方はムスリム社会ではあまり聞かない。サウジのワッハービー(スンニ派の宗派の1つ。厳格派)がそうかもしれませんが、普通では聞きません。何でも原理主義で片づけてしまうのは、意図されたものを感じます。あえていうならワッハービーなど彼らが使っている言葉でいうべきでしょう。
日常では政治的な話題はあまり出てきません。一般的に、どこの国のムスリムも親日的です。日本や日本人に対してはアダブ(礼儀、言動のすべてに礼をつくすこと)、親切というイメージです。しかし、2003年イラク侵攻加担あたりから、「何で」と思う人も増えたのでは。安倍政権の姿勢は、そこをさらに大きく誤ると思います。
ムハマンドの唱えた社会を作ろうという呼びかけは、その現実性はともかくとして、ムスリムの共感を得られます。ハサン先生(中田考さん)もそうです。しかし、「いまのISのやり方がそうだとはとてもいえない」と思っている人がほとんど。イスラムでは「裁きは神の領域」とされていて、勝手に殺すことは許されません。「ISは間違っている」という人が多いと思います。
ただ「残虐」「テロ」という言葉には、想像力を持ってほしい。ISが流している映像の裏で、米軍の空爆がどれだけおこなわれているのか。ガザの学校や病院が爆撃され、どれだけの子どもたちが殺されているのか。
『未来』の竹内仁さんの記事(175号5面『ムスリムについての無知をみすえよう』)を読みました。「批判の自由」は、戦争を仕かけている側に立っていうことではないと思います。「表現の自由」も中立的に語れません。この記事はいい内容だと思いました。
ハサン(中田考)先生のとってもいい本が出ました。『私はなぜイスラーム教徒になったのか』(太田出版)、オススメの1冊です。
5面
視座
「産業革命遺産」と強制連行
富国強兵から侵略戦争
須磨 明
侵略戦争の土台形成
九州・山口の近代化産業遺産(※注)群などが「明治日本の産業革命遺産」として、ユネスコ世界文化遺産に登録されるという。それらは「造船、製鉄・製鋼、石炭産業の重工業分野に西洋技術を移転する上で他に類を見ないプロセスを証明する遺産群であり、非西洋地域において近代化の先駆けをなした経済大国日本の原点を訪ね、語り継いでいく上で、極めて重要な遺産群」とされている。
すなわち、九州・山口の近代化産業遺産群は1800年代から始まる近現代日本の出発点であり、今日の「経済大国日本」の原点として重要な遺産群だというのだ。
しかし、近現代日本は1875年の江華島事件からはじまり、日清戦争、台湾割譲、日韓議定書、日露戦争、韓国併合、第1次世界大戦参戦、シベリア出兵、満州事変、上海事変、「満州国」建国、盧溝橋事件、アジア太平洋諸国への侵略戦争、日米開戦、1945年敗戦までの70年間=侵略戦争と植民地支配の時代と一体だったことを忘れてはならない。
産業遺産と追悼碑群
九州・山口の近代化産業遺産群(明治日本の産業革命遺産)は富国強兵の日本を生み出し、侵略・略奪、植民地支配をもたらしたものとして評価されるべきものであり、その最も重要な「負の側面」を看過して、戦後日本の経済的発展の礎として美化することは歴史修正主義以外の何ものでもない。
これらの産業群の傍らには、強制連行され死を余儀なくされた朝鮮人・中国人を追悼する追悼碑群が点在している。強制連行真相究明ネットの仲間たちによる調査では、北は北海道から南は沖縄まで、300基近くの追悼碑や強制労働現場の説明板がある。
憲法をこえる内容
日本国憲法・前文は「平和主義」として、各方面から評価されているが、戦争がもたらした日本人の悲惨と不戦を語りはしても、理不尽な被害を受けた沖縄やアジアの人々にたいする真摯な謝罪と心からの反省には不十分な感がぬぐえない。
それに引き換え、追悼碑の多くは日本人と被害者が共同で建立し、被害者に謝罪しふたたび侵略戦争をしないことを固く誓っている。それらの碑文や説明文には日本国憲法を越える哲学や心のこもった内容が多く見られ、それ故に戦後70年を直前にして、安倍政権下の歴史修正主義者によって、これらの追悼碑が危機にさらされている。
戦後70年の節目にあたって、わたしたちは江華島事件から始まった侵略と植民地支配の歴史を真っ正面から見据えるために、これらの追悼碑群に親しみ、世界の人々に伝え、不戦の約束を果たしたいと思う。
強制連行の実態
朝鮮人強制連行に関しては、軍隊「慰安婦」動員に加えて、1939年の「募集」、1942年の「官斡旋」、1944年の「徴用」によって、約80万人の労務動員、約36万人の軍務動員がおこなわれ、サハリンから沖縄まで約2千カ所の事業所に連行された(朝鮮国内での労働力動員を加えれば、数百万にのぼる)。そのうち労務動員による死者は約1万人、軍務による死者は約2万人とされている(動員数、死亡者数は『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』竹内康人編による)。
中国人は約4万人が強制連行され、約7千人が死亡し故国に帰ることが出来なかった。
世界遺産としての登録が予定されている「九州・山口の近代化産業遺産群」をはじめとして、九州各地の炭鉱には多数の朝鮮人が強制連行され(筑豊炭鉱地帯だけで約15万人)、過酷な労働下で多数の死者を出した。
炭鉱・鉱山・港湾・工場に強制動員され、死亡した朝鮮人・中国人を追悼するために、全国各地に追悼碑が建立されてきたが、九州・山口の近代化産業遺産群の周辺にも多くの追悼碑があり、その碑文からいくつかを下記に紹介することにしよう(全国追悼碑一覧表は「第8回強制動員真相究明全国研究集会」報告集に掲載)。
くりかえさない
侵略戦争と植民地支配の70年間は1945年に破綻し、戦後の70年目を迎えようとしている。安倍政権は安保法制を国会に上程し、日本を70年前に戻そうとしている。
いまわたしたちは拱手傍観していてよいはずはない。日本人自らのたたかいで、侵略と植民地支配に決着をつけられなかった反省をこめて、アジアと世界の人々の注視のなかで、全力をつくしてたちむかいたい。
(※注)産業遺産 「歴史的、技術的、社会的、建築学的、または科学的価値のある産業文化の遺物」とされ、具体的には建物、機械、工房、工場及び製造所など、生産施設そのものだけでなく、輸送施設、生産物を消費する場所、住宅、宗教礼拝、教育など産業に関わる社会活動のために使用されるいろいろな場所も含まれる。
日本と朝鮮の真の友好へ
―日韓条約50年にあたって
6月21日、大阪市内で「日韓条約50年 『解決済み』論の暴力に抗して ?いま、問われるべき過去清算とは?」というタイトルの集会がおこなわれた。
講演は韓国から来日した金昌禄・慶北大学法学専門大学院教授と庵逧由香立命館大学文学部教授の二人。庵逧由香さんは高麗大学史学科大学院文学博士でもある。講演のあとは、先の二人と元衆議院議員の服部良一さんを交えた3人のクロストークがおこなわれた。主催は「戦後70年 東アジアの未来へ!宣言する市民」。
金昌禄教授は「韓日過去清算の法的構造」と題して、1965年に日韓条約が締結されて50年目の今日、日韓関係が極めて「非正常」な状況であるのは、日本政府が1905年(乙巳条約)と1910年の条約(「韓国併合の条約」)を合法であると主張しているからだと指摘した。また、請求権協定の合意の不十分な点なども詳しく説明され、日本政府が日本の植民地支配の責任を具体的に明らかにしようとしないことが日韓関係のあつれきを生んでることが浮き彫りとなった。
金昌禄教授は「韓日間の真の友好関係を築きあげるために、これまでの50年間の歴史を念頭に入れながら、韓日関係の新たな『法的な枠組み』を作るべき秋である」と講演を結んだ。
理不尽な日本政府
庵逧由香教授は戦時動員を専門に研究。「日本と朝鮮半島の過去清算問題は『解決済み』なのか?」と題して講演をおこない、「集団移入韓国人労務者」の補償金について日本側の見解(「日韓間の請求権問題に関する宮川新一郎代表発言要旨」1962年)を紹介した。
それは「韓国側は、日本に強制徴用された労務者につき生存者、死亡者、負傷者それぞれ一定の補償を請求しているが、日本側としては、昭和14年以来、昭和20年4月頃までに、自由募集、官あっせん、最後には国民徴用令により相当数の朝鮮人労務者が集団移入された事実は認めるが、これらの労務者は、日本人として内地に渡来し、内地人とともに勤労したもので、これに対し日本側として、韓国側要求のような補償金を支払う法律的根拠がない」という主張で、これが現在も日本政府の公式見解となっている。
ところが「宮川新一郎代表発言要旨」は、朝鮮人軍人軍属に対する補償金に関しては、「日本国籍保持者に限られているため、韓国人軍人軍属はこれらの対象となりえない」としている。
一方では日本人として働いていたのだから補償金は払わないと言い、他方では日本人として徴兵したにもかかわらず、戦後は日本人ではなくなったのだから補償しないというのである。
日本政府がこのような理不尽な態度を続けている限り、韓国側から信用されないのは当然だ。
敗戦から70年、日韓条約が締結されてから50年。「慰安婦」とされたハルモニたちは高齢になり生存者は50人になった。時間は残されていない。ハルモニたちへの謝罪と補償問題を最優先に、日本と朝鮮が真の友好関係を結べるよう草の根の力で解決に向かって努力していかなければならない。(永岡佳枝)
馬渡社宅51棟の壁書記念碑
福岡県 大牟田市
第2次世界大戦中、大牟田の三池炭鉱に朝鮮から数千名の朝鮮人が強制連行され過酷な労働を強いられた。そのうち約200余名の朝鮮人が『馬渡社宅』に収容されていた。『馬渡社宅51棟』の押入れに彼らの望郷の念が込められた壁書が1989年に訪れた強制連行の歴史を学ぶグループにより発見された。戦時中とはいえ朝鮮人に多大な犠牲をもたらし、さらに犠牲者の痛みを思うとき、ふたたびこのような行為を繰り返してはならない。そこで、この地に『壁書』を復元することによって戦争の悲惨、平和の尊さを次の世代に語り継ぐため、この記念碑を建立するものである。
三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑
福岡県 大牟田市
悲しみは 国境を越え ここに眠る
去る世界大戦の末期において、日本政府は国内の労働力不足を補うために、当時侵攻していた中国大陸で 中国人捕虜や住民などを強制的に連行しました。中国人約4万人が強制連行され、炭坑、港湾や土木作業に従事させられ、過酷な労働や事故、病気等によって約7千人が無念の死を遂げられました。
三井三池炭鉱にも萬田坑や四山坑、宮浦坑などに2481名が連行され、635名が尊い命を奪われました。船中死亡95名は水葬されました。
この三井三池炭鉱宮浦坑では、574名が連行され、強制労働に従事させられ、そのうち44名が亡くなられました。
生きて母国へ帰還できなかった無念の思いを考える時、戦争による強制連行・強制労働は人間として許されない罪悪であります。
私たちは今こそ中国人殉難者に心から謝罪し、この過ちを繰返さない為に、あなた方のみ霊の前に永久不戦、恒久平和の誓いと日本と中国の友好を進めることを決意し、ここに「三井三池炭鉱宮浦坑中国人殉難者慰霊碑」を建立いたします。
6面
読書
『「武力信仰」悪夢再現を憂える
戦後労働法を学んだ陸軍将校生徒(米寿の記)』
佐藤昭夫 著
悠々社2015年刊 3500円+税
出版記念会での佐藤昭夫さん(右) |
5月7日、東京で佐藤昭夫先生の『「武力信仰」悪夢再現を憂える―戦後労働法を学んだ陸軍将校生徒(米寿の記)』(悠々社)の出版記念会が100人をこえる参加でおこなわれた。先生は今年7月で満88歳となる。年を重ねて体は弱っても、その精神はますます峻烈だ。以下、感想を述べたい。
全体からほとばしるものは、自身の体験からする「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない」という強い思いだ。安倍政権によって再び日本が戦争に突入しようとしている今、ぜひ読んでほしい本である。
天皇の戦争責任
先生は天皇ヒロヒトを「将たる者の風上にも置けない、品性下劣の人間」と弾劾する。ここまで激しくヒロヒトを弾劾するのは体験に基づく。
先生は1942年4月、13歳で親元を離れ、仙台陸軍幼年学校に入校し、敗戦迫る1945年、配属先としてあえて特攻要員になるため航空科を志願した。「国のため」に自らの身を捧げるためである。しかし、「アジアで2千万、日本国民も310万を超える人を殺した」大元帥たるヒロヒトは、戦争の最高責任を負うことから逃げ続けた。自分の戦争責任を「言葉のアヤ」として逃げ回った。
先生がよく紹介するのが「犬死にじゃ無かった証拠にゃ、新憲法のどこかにあの子の血が通う」という都々逸である。「まさにこの戦後憲法は、戦争で失わされたすべての犠牲の代償として得られたもの」であり、この都々逸は「戦争の惨禍を身に沁みて味わった多くの者の実感」である。
価値観の押し付け
本書では、なぜ、自分が「戦争に進んで身命を捧げ」ることに「疑いを抱くこと」もしなかったのかを率直にとらえかえしている。権力から押し付けられた価値観から逃れるには「復員後3年余りの日時を要した」という。
中学や高校での平和教育に招かれたとき、生徒たちに強調してきたことは「自分の頭で考えること」だという。自分の頭で考える力はどうやったら培うことができるのか。それを本書は見事に論理的に解き明かしている。事実に裏付けられたその論理の持つ迫力には圧倒される思いがする。
先生は労働事件だけでなく、都教委の教科書選定への権力的介入の違法を訴える裁判や、反原発闘争にも取り組み、経産省前の「テントひろば」の立ち退きと損害賠償請求に対する弁護団活動にも携わっている。
労働者解放への熱い思い
本書にはさまざまな労働事件の意見書が掲載されている。既成の価値観にとらわれずに自ら論理を組み立てる力は「労働者の人間としての要求」という原点と労働者階級の解放への熱い思いに源がある。(米村 泰輔)
読書
自分で民主主義をつくる
『ぼくらの民主主義なんだぜ』
高橋源一郎 著 朝日新書 780円+税
高橋源一郎の『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)を読んだ。5月4日、伊丹でおこなわれた憲法集会での講演にいたく魅せられたからだ。朝日新聞の「論壇時評」の新書版という。
「2011年3月11日以降、この国のあらゆる場所が『論壇』になった」で始まる。「新しい事態を説明するための言葉を」取り戻し、「人々を繋ぐ『言葉』の復興をめざす必要あり」と問題意識を提起。タハリール広場から「ジャスミン革命」を歌った詩がネットで広がった話を、「言葉への信頼が失われていたエジプトで、信頼に足る言葉が切に望まれていたから」と評する。「政治や社会についての議論を、学者や評論家の言葉から、『ぼくたちの口語』にそろそろ取り戻すころ」と提起する。「何かを伝えようとするなら、言いたいことを言うだけではダメ。伝えたい相手に、考えてもらえる空間をも届けなければならない」と。人と人との言葉のやり取りを注意深く観察し、表現する文学者ならではと脱帽した。
さまざまな人の論壇を紹介しながら、「信頼感と共感は社会化されず、不信感ばかりが急速に社会化される局面で、社会運動はどうすればよいか」「敵を作ってのバッシング」(湯浅誠)ではだめ。モンドラゴン協同組合(スペイン)やドイツ・フランス共通歴史教科書などの試みを紹介しながら、「新しい共同性を創造すること」「新しい意味を持った『人々』を創り出すこと」だという。
「リベラル勢力は、自分たちの言葉が届かない若い層がこれだけいるということを軽視してはいけない」「更新されない言葉で教条的かつ精神論的9条擁護論を繰り返すだけで、現実に存在する国民の不安に対応しようとしてこなかった」(宇野常寛)と指摘。本当に耳が痛い指摘。
台湾議会占拠の学生たちのたたかいで最後まで占拠継続を主張した学生の言葉を紹介し、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも『ありがとう』と言うことのできるシステムだ」と。かっこいいね、高橋さん。
最後に「『民主主義』とは、たくさんの、異なった意見や感覚や習慣を持つ人たちが、一つの場所で一緒にやっていくためのシステムのことだ」「『民主主義』はいつも困難で、いつも危険と隣り合わせなものだ。誰でも使える、誰にもわかる『民主主義』なんてものは存在しない」「ぼくたちは、ぼくたちの『民主主義』を自分でつくらなきゃならない」とくくる。「民主主義」を甘く見てはいけない。胆に命じなければ。
ハシモト政治にノーを叩きつけた大阪市民。67%近い投票率は、これまでの政治不信と違う。民主主義が確かにむくむくと動いている。安倍の戦争法案国会審議から憲法改悪への動きをとめるたたかいは、この国の「民主主義」実現への真剣勝負とも言える。(田村)
番組紹介
生活保護と雇用の戦後史
Eテレ 戦後史証言・日本人は何をめざしてきたのか
第4回 格差と貧困・朝日訴訟から年越し派遣村まで
7月25日(土)午後11時から放送
従来、生活保護と雇用はそれぞれ別の問題とされ、生活保護は生活保護、雇用は雇用と別々に論じられてきた。しかし、今回の企画は両者を表裏一体の関係としてとらえる意欲的なものだ。
番組では「憲法25条に生存権の保障を掲げ再出発した戦後の日本。しかし戦後70年がすぎた今、先進国でもトップクラスの貧困率を抱える国になってしまった。経済復興と高度成長を遂げる過程で格差や貧困は見過ごされ、最低生活を保障する確固としたシステムの構築に失敗してきたからだ。救うべき人を救えない生活保護制度。正社員でなければ生活の安定が得られない雇用の仕組み。なぜこうなってしまったのか」と問題提起し、「1945年の敗戦から2008年の年越し派遣村まで、生活保護と雇用の二つを軸に、格差と貧困を生みだす仕組みがどのように作られたのかを、関係者の証言をもとにたどっていく」構成である。
番組の中では、戦後の日雇い労働者や出稼ぎ労働者、現在のフリーターや派遣労働者など「日本型企業社会」の裏側で貧困と向き合ってきた人たちの証言や生活保護や社会保障の拡充のために闘ってきた人々、労働組合活動家等々が証言する予定。
籾井勝人がNHK会長に就任して以来、番組統制がさらに激しいが、現場の記者たちはこれに負けていない。NHKの深夜番組には意欲的な番組が多く見られる。可能な方はぜひ視聴を。(Y)
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安倍政権の集団的自衛権容認―戦争法制定の攻撃にたいし、5・17沖縄県民大会(3万5千)と「大阪都構想」粉砕から総反撃が始まっています。5〜6月には、国会・官邸周辺だけでなく、埼玉・福岡・神戸と各地で万規模の闘いが始まりました。内閣支持率も急落し始めています。
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