高浜原発
再稼働差し止め仮処分決定
原発の息の根をとめよう
4・14 福井地裁
高浜原発の再稼働を差し止める仮処分決定を受けて喜ぶ申立人、弁護団、支援者たち (4月14日 福井市内) |
福井地裁の前は横断幕が広げられ、幾本もののぼり旗が立ち、マスコミのカメラがならんでいる。一帯は「解放区」のようだ。
やがて申立人と弁護団が横断幕を先頭に現われ、裁判所の中に消え、数百人の市民が「世紀の大決定か、司法の限界か」と、固唾をのんで知らせを待った。
申立人代表の今大地晴美さんと弁護人が裁判所入り口の石段を小走りに駆け降り、垂れ幕を広げた。裁判所を取り囲んだ人々の、ウオーという叫びと、どよめきが広がった。「司法が再稼働を止めた」「司法は生きていた」という文字がくっきりと見える。待ちに待った再稼働差し止めが現実となった。河合弁護士がマイクを握り、「完全勝利」を宣言した。
記者会見で、弁護団は今回の仮処分決定のキモを「基準地震動を過去の平均値ではなく、最高値に設定しなければ、安全を確保できない」という弁護団の主張を受け容れたことにあると説明。
申立人の水戸喜世子さんは「再稼働を推進するこの国には正義はない。高浜・大飯の仮処分をやろうという話があり、即決断した」と切羽詰まっていた気持ちを話した。中嶌哲演さんは「真に理想的なことは真に現実的である」と言いきった。今大地さんが申立人声明を読み上げ、他の申立人も喜びと決意を語った。
翌15日、名古屋高裁金沢支部で大飯原発運転差し止め控訴審第3回口頭弁論が開かれた。
裁判所ロビーには100人を超える市民と報道関係者がひしめき、60人の傍聴者が決まり、法廷に向かった。
法廷では
裁判では、原告側から第3準備書面が提出された。関西電力の地震動に関する主張への反論である。関電は新たにふたつの準備書面を提出した。第21準備書面では5層の過酷事故対策があり、「安全」だとしながら、結論は民事訴訟の判断基準にすべきではないというのだ。
その後、原告弁護団によるプレゼンテーションがおこなわれたが、裁判官からは積極的な質問もなく、裁判官が何を考えているのかわからない。弁護団が、進行協議を要望したが、裁判所は争点整理を作成してから判断すると答えて、閉廷した。
内山弁護人は地震動についてあらためて詳しく確認した。まず、地震と地震動(揺れの大きさ)を区別し、揺れに注目するよう訴えた。そして、関電は揺れの想定を最大ではなく、平均でやっており、これでは誤差が大きく、平均から4倍も外れており、安全対策を立てるなら少なくとも平均の8から10倍とらねばならない。すなわち700ガル程度ではなく、5000以上、できれば1万ガルの揺れを想定すべきである。
このように議論を進めても、関電は負けることがわかっているから、まともに反論も議論もしない。地震が起きて、関電の想定を越える揺れによって原子炉や給水系が破壊されれば、人々の命はひとたまりもない。
海渡弁護人は前日の仮処分決定について説明した。関電は多重防護だから安全と主張しているが、第1陣の備えが貧弱なため、いきなり背水の陣となり、「多重防護」は成立していない。関電は「めったに起きない」ことを前提に、安全対策を手抜きしている。規制委員会は免震重要棟の設置に猶予期間を設けているが、地震は人間の都合で待ってくれるわけではなく、規制基準は緩やかすぎて、適合しても安全は確保できない。
その後、司法への全面依存を戒め、市民自身の力で再稼働を止める決意が相次いだ。
政府と関電
仮処分決定を受けて、規制委員会の田中委員長は「規制基準を見直さない」と居直り、菅官房長官は「粛々と再稼働を進めていく」「国は当事者ではない」、安倍首相は「安全性が確認された原発は再稼働を進める」などと口走り、原発再稼働にしがみついている。
関電の森会長は「早期再稼働を諦めたわけではない」と語り、4月17日に福井地裁に異議を申し立てた。4月22日には川内原発再稼働差し止め仮処分請求が退けられた。政府、規制委員会、関電は司法反動に期待し、防戦に必死である。
だが、大飯原発再稼働差し止め判決と高浜原発差し止め仮処分決定は不動の地平にある。日本の原発はもちろん世界の原発の息の根を止めるために、ふたつの地平を守りぬこう。
高浜原発差し止め仮処分決定理由(抜粋)@基準地震動である700ガルを超える地震について
基準地震動は原発に到来することが想定できる最大の地震動であり、全国で20カ所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が2005年以後10年足らずの間に到来している。
A基準地震動である700ガル未満の地震について
基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあることは債務者(関西電力)においてこれを自認しているところである。基準地震動である700ガル未満の地震によっても冷却機能喪失による炉心損傷に至る危険が認められる。
B冷却機能の維持についての小括
各地の原発敷地に5回にわたり到来した基準地震動を超える地震が高浜原発に到来しないというのは根拠に乏しい楽観的見通しにしかすぎない。
C使用済み核燃料
使用済み核燃料は我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼす可能性があるのに、格納容器のような堅固な施設によって閉じ込められていない。深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとに成り立っているといわざるを得ない。
D被保全債権について
原子力規制委員会が策定した新規制基準は合理性がないことは自明である。新規制基準は緩やかにすぎ、合理性を欠くものである。そうである以上、新規制基準に本件原発施設が適合するか否かについて判断するまでもなく債権者(住民申立人)が人格権を侵害される具体的危険性即ち被保全債権の存在が認められる。
E保全の必要性
本件原発の事故によって債権者(住民申立人)らは取り返しのつかない損害を被るおそれが生じることになり、本案訴訟の結論を待つ余裕がなく、また原子力規制委員会の設置変更許可がなされた現時点においては、保全の必要性も認められる。
今号は大型連休のため、第2木曜発行に変更しました。次号は通常通り5月21日発行です。
(自由法曹団大阪支部のビラを転載) |
2面
「戦争讃美」とたたかう
歴史修正主義克服の試み
4月18日 天 理 市
「市民や運動家による啓発が重要」と語る金子マーチンさん(4月18日 天理市) |
昨年、奈良県天理市の並河市長が朝鮮人強制連行と「慰安婦」を記録した説明板を撤去してからちょうど1年目となる4月18日、「歴史修正主義克服の試み―ヘイトスピーチ規制法、『負の歴史』を黙殺しない取り組みを考える―」集会(主催、天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会)が、天理市内でおこなわれた。
相手があきらめるまで
司会の川瀬俊一さん(「考える会」事務局)は、「全国各地で同じような事件が起きており、この問題は天理市だけの問題ではない。全国で運動している人々とつながっていきたい」と述べた。本集会には、長野市松代にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑にかんする「松代大本営追悼碑を守る会」、高崎市「群馬の森」公園にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑にかんする「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」、韓国にある「日本軍慰安婦ハルモニとともに行動する統営・巨済市民の会」から連帯のメッセージが届けられた(注1)。
藤原好雄さん(「考える会」共同代表)が開会のあいさつ。「歴史の歪曲は絶対に許されない。戦争に反対するたたかいは、まだまだ弱い。命ある限り、私はたたかいぬく。相手があきらめるまでたたかいぬこう」と力を込めた。米田哲夫さん(同)が、この1年間の取り組みを説明した。天理市内で戸別ビラいれをおこなったこと、全国から5386筆の署名を集め、天理市長に提出したことなどを述べた。
「記憶の暗殺者」
ロマ人(注2)研究者である金子マーティンさん(日本女子大学教員)が、集会のテーマで記念講演をおこなった。講演要旨は以下のとおり。
「私は、『記憶の暗殺者』である歴史修正主義者を絶対に許さない。ヘイトスピーチ規制法に関する日本の研究者は、ドイツなど外国の取り組みは紹介するが、日本のことはあまり述べない。もっと日本の足元を見つめてもらいたい」
「1995年12月、日本は国連の人種差別撤廃条約を批准した。しかし、4条(人種的優越又は憎悪に基づく思想の流布、人種差別の扇動等の処罰義務)については、今日まで保留し続けている。日本政府は憲法21条(言論の自由)を理由にしているが、これは幼稚な言い訳にすぎない。2013年1月、日本政府が国連に提出した報告書では、『現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動がおこなわれている状況にあるとは考えていない』と述べ、明らかに虚偽の報告をしている。しかし、マスコミはこのことを批判しなかった」
「EUではヘイトスピーチに対する規制法(注3)があり、ヘイトスピーチは犯罪になっている。しかし、ロマ人に対する差別はたくさん起きている(注4)。司法と警察権力は、取り締まろうとはしない。日本のマスコミは、何も報じていない」
「ヘイトスピーチを禁止する法律はあったほうがいいが、法律だけで差別はなくならない。市民や運動家による啓発のほうがもっと重要だ」
「負の歴史を否定・歪曲することは許されない。全国各地の戦跡(注5)でも、天理と同じことがおきている。日本の司法、行政、マスコミは、右翼の圧力にどうしてこんなに弱いのだろうか。これらの人々は心のなかで同じ事を考えているからだろう」
最後に、金子さんは「安倍首相は戦後70周年にたいする首相談話を出すようだが、日本が国際社会の笑い物にならなければよいがと思っている」と皮肉をこめて語った。
大阪で歴史修正の動き
集会の後半では、大阪の2つの団体から歴史修正主義に反対する取り組みの報告があった。
茨木市「ピースあい」からは、大阪警備軍軍需部安威(あい)倉庫跡地(注6)にある「朝鮮人強制連行」記述の銘板が、木本茨木市長によって撤去されようとしていることが報告された。
また「ピースおおさかの危機を考える連絡会」は、「今年の4月30日、『ピースおおさか』がリニュアルオープンになる。侵略と加害の記述がなくなり、動画の解説では「自存自衛のための戦争だった」とされる。『ピースおおさか』は『政府の統一した見解に基づいて展示する』戦争賛美の展示施設になろうとしている」と警鐘を鳴らした。集会に参加した人たちは、このような動きを市民の力で阻止しようと決意を新たにした。
(注1)「統営・巨済市民の会」のアピールには、「天理市当局の説明案内板撤去の措置は、過去の植民(地)支配と侵略戦争の時代に歴史の歯車を回すことで、過去の戦争犯罪が現在、未来にも継続することになります。明らかなことは、そうした戦争犯罪に対する日本国民の憂いと罪の思いが日本政府と天理の措置によって現在にも未来にも続いてゆくということです」と述べられている。
(注2)ジプシーと呼ばれて差別されてきた集団のうちの主に北インドのロマニ系に由来し中東欧に居住する移動型民族。
(注3)例えば、ドイツでは刑法130条(民衆扇動罪)として規制されている。
(注4)2014年6月13日フランスでは、群衆がパリ近郊のロマ人キャンプを襲撃し、少年が重体になる事件がおきている。
(注5)長野市松代、群馬県高崎市、大阪府茨木市のほかに、北海道猿払村、福岡県飯塚市、長崎市など。
(注6)大阪府内には「朝鮮人強制連行」銘板がある旧軍施設跡が4カ所ある。安威倉庫跡地以外にタチソ地下壕跡(高槻市)、大阪城公園(大阪市中央区)、生玉公園地下壕跡(大阪市天王寺区)の3カ所。
私はなぜ原発反対になったのか
元京都大学原子炉実験所講師 小林 圭二
4月21日、大阪市内で開かれた第4回世直し研究会で、元京大原子炉実験所講師・小林圭二さんが「反原発運動における裁判闘争」というテーマで講演した。小林さんは原子力研究者として反原発運動にかかわってきた。今回は伊方原発裁判闘争を中心に、その体験を語ってもらった。以下は講演要旨。
原子力工学1期生
1959年、私は京都大学工学部原子力工学科に入った。京都大学に原子力工学科ができた年だ。その頃、日本にはまだ原発は導入されていなくて、原発の未来は意気揚々としていた。
1964年に京都大学原子炉実験所に採用され、研究者の卵として原発の炉心開発の研究にたずさわっていた。その頃、私は「使用済み燃料の処分はどうするのか」という問題意識はもっていたが、原発の安全性については「今は危険だが、将来は向上するであろう」という期待をもっていた。
低線量被曝の危険性
1973年、周辺住民35人が四国電力・伊方原発1号機の原子炉設置許可処分の取り消しを求めて提訴した。わたしがこの裁判にかかわったのは、住民の闘いを支援しようという反権力意識からであった。日本で初めての原発裁判であり、裁判は安全上の技術問題が焦点となり、科学技術論争として争われた。この裁判では、以後問題になるほぼすべての技術問題が網羅されている。原発が導入されていく過程であり、技術上の論争にならざるを得なかった。
この裁判に関わる中で、わたしは低線量(内部)被曝が深刻な問題であることを知った。裁判では、市川定夫さんが担当していた。若い人ほど細胞分裂が激しく、放射線に対する感受性(危険性)は高い。つまり、放射線は人間の生命力に敵対する関係にあるのだ。
また、放射線は人間の五官でキャッチすることはできない。放射線は人間の生命体としての防衛能力を超えている。わたしは「原発と人類は共存できない」ことを理解した。これで、わたしは原発絶対反対になった。
住民が国を圧倒
伊方原発裁判の内容については、原告(住民側)が圧倒していた。被告(国側)の証人には安全審査会の委員が登場してきたが、これがひどかった。国の安全審査なるものはまったくでたらめで、なにもやっていない事がよくわかった。われわれは勝訴を確信した。
結審が迫った頃、突如として裁判長が異動になった。柏木という裁判官が横浜から異動してきたのだ。この裁判長はさっそく結審して、3カ月で原告敗訴の判決を言い渡し(1978年)、翌日には横浜の裁判所にもどっていった。なんというやり方だろう。やはり、本質的には「裁判制度は国家権力による国民支配の道具にすぎない」。この事をあらためて思い知らされた。
1992年に、最高裁は上告を棄却(原告敗訴)し、この判決が今日も判例となっている。最高裁判決の最大の問題点は、専門家の裁量権を広く認めていることだ。国の選んだ専門家が好き放題できる。福島第一原発の事故によって、原子力の専門家にまかせてはダメだということがよくわかったと思う。
裁判闘争の新たな展望
2014年5月21日、大飯3、4号機の運転指し止め訴訟の画期的判決。また、今年4月14日、福井地裁で高浜原発3、4号機の運転を禁ずる仮処分決定がでた。樋口裁判長の主張は、人間としてまっとうなものであり、市民視線に立ったものだ。福島第一原発の事故による影響は大きい。反原発のうねりに支えられて勝ち取られた成果だろう。
わたしは今まで、裁判闘争ははたして運動する側(住民)にとってプラスになるのかという疑問をもってきた。裁判は「代理戦争」のようなものになり、運動する側と闘いを共有するのが困難だからだ。
今回の判決で、大衆に開かれた新しい裁判の展望が出てきた。今後、この決定の論理は反原発運動に役立つし、役立てるべきだろう。
次回の小林さんの講演は、6月30日(火)午後6時半〜 大阪市中央区・中央会館にて。もんじゅ裁判を闘った経験を語っていただく予定である。(世直し研究会 津田)
3面
盗聴拡大と司法取引制度
永嶋弁護士が危険性を訴え
4月6日 大 阪
4月6日、大阪市内でひらかれた「秘密保護法廃止! ロックアクション」での永嶋靖久弁護士の発言を紹介する。(文責、見出しとも本紙編集委員会)
3月13日、盗聴法の大改悪が国会に上程された。
まず、盗聴できる事件の範囲が大幅に広がる。今までは、薬物、銃器、組織的殺人、集団密航の4つだけだった。これに加えて爆発物、放火、殺人、傷害、逮捕監禁、詐欺、窃盗、誘拐、児童ポルノの9種の事件について盗聴できるようになる。
一応条件としては、複数人がなんらかの役割分担してその事件を起こしたと疑われる状況がある場合に絞っているといわれるが、実際にそうなっているかどうかはわからない。
つぎに、盗聴の際の立会人がなくなる。今まではNTTなど通信事業者のところへ警察が行き、そこの職員の立会いのもとで盗聴していた。これはNTTも、捜査機関も面倒くさいということで、立会人をなくしてしまおうとしている。通信を丸ごとハードディスクなどに記録して、それを暗号化し、警察に持ち帰って盗聴するというようになる。
司法取引の制度化
あわせて司法取引が制度化される。これは、「私は誰それが犯した罪にかんする情報を提供するから、私の罪は勘弁してください」―こういう取引を警察と被疑者の間ですることを認める制度。
3月に岐阜県美濃加茂市の市長が裁判で無罪になった。この事件は賄賂を贈ったということを社長が自白していた。しかし裁判所は、「この社長は別件の罪を軽くしたいから、そういう自白をしたのではないか。だとすれば信用できない」と判断し、市長は無罪になった。
現在、司法取引という制度があるわけではないが、それに似たことが実際におこなわれていて、冤罪を引き起こす可能性が非常に高い。それを「これからは法律をきちんと作ってこれから取引しましょう」ということ。
これが、国会に上程されていて衆議院の法務委員会で審議が始まろうとしている。
可視化とセット
大変なのは、日本弁護士連合会がきちんと反対できていないこと。民主党も反対できていない。なぜかというと、この〈盗聴法と司法取引〉が〈取り調べの可視化、録音・録画〉とセットになって出てきているからだ。
日弁連も民主党も「取り調べを可視化する」と言ってきたので、これとワンセットになって出てきている法律に反対できない。これに反対すると取り調べの可視化も実現できないということになってしまっている。
そもそもこんなものがセットで出てくること自体がおかしい。取り調べの可視化(録音・録画)というのは、厚生労働省の村木さんの事件で、「密室のなかの取り調べで自白を取ろうというのは冤罪を生み出す危険性が高い」ということで始まったはずだ。、それが今や「司法取引」という冤罪を生み出す制度とセットになって出てきている。民主党の国会議員が法務委員会の審議で、「これらがパッケージで出てくるのはおかしい」と質問をしているがその通りだ。
3月13日に全国18の弁護士会の会長、それとは別に京都の弁護士会の会長も反対の声明を出しているが、日弁連としては反対できない。大阪弁護士会も反対の声明が出ないという状況で非常に危険である。
年間100万件
山本太郎さんが参議院で「可視化されるのは全逮捕事件の2%ぐらい。これで可視化と言えるのか。あとの98%どうするのか」と質問したら、役人は「無理です。これが限界です」と答弁した。
この15年間でおこなわれた盗聴件数は98〜99件といわれている。あと9種類増えるとどうなるか。詐欺と窃盗は認知件数だけで年間100万件。実際に検挙されるのは20数万人。とてつもない数の盗聴が法的には可能になる。山本太郎さんが、「録音・録画は限界というが、盗聴はどれだけ増えるのか」と質問すると「やってみないとわかりません」という回答だった。
「傷害」、「逮捕・監禁」というのは労働運動や市民運動にたいするデッチあげ弾圧でよく使われる罪名である。「詐欺」、「窃盗」などは関係ないと思うかもしれないが、例えば活動家の子どもや身近な人間が「どうも放置自転車に乗って行ったらしい」、「そら、盗聴してみよう」とならないと言えるだろうか。
この国の警察は、ずいぶん以前に、日本共産党の国会議員の電話を違法に盗聴していた。これからそういうことが起こらないと言えるだろうか。とても危ない。
戦争ができる社会
統一地方選挙が終わると、一連の安保法制の改正案が出てくる。基本的には安倍首相のいう「わが軍」が世界中で切れ目なく、どこの国の軍隊であろうといっしょになって活動できる、そういう法律を作ろうとしている。
今の時代の戦争は国境の外でするだけではない。国境の内外を超えて戦争がおこなわれている。そのため「戦争をする国」になるには、戦争をできる社会をつくらなければいけない。だから「戦争する法律」というのは、それができる社会を作る法律といっしょになってやってくる。それが盗聴法であり司法取引だろうと思う。
生存権裁判始まる
社会の土台が沈む
大阪地裁 4月17日
大阪市内で街頭宣伝(4月17日) |
4月17日、生活保護基準引き下げ違憲訴訟(生存権裁判)の第1回口頭弁論が大阪地裁大法廷でおこなわれた。
障がい者全体の問題
法廷では原告2人が意見陳述をおこなった。脳性まひの原告は、働いて自立することを求めてきたがかなわず、「障がい者は働いて食べることをあきらめないといけないのか」とずっと自問してきたが、「思いを同じくする仲間と出会い、様々な社会運動に参加できるように」なり、「人の海の中」にようやく参加できるようになってきたこと。これを支えていたのが生活保護だったと述べ、「今回の引き下げは、私だけでなく、私の後に続く障がいを持つ者の自立を阻害」していると指摘。
もうひとりの原告は75歳の元自営業の高齢者。築約50年の木造アパートは、冬は室温が10度前後、ときには5度以下になる。暖房器具は一切使わず、厚着をした上に毛布2枚で過ごしている。ここまで節約しても今回の引き下げで新聞代が払えなくなり、止めざるを得なかった。「一番声を上げにくいところから削ろう」とする国のやり方に怒りを表明。
法廷に怒り渦巻く
弁護団からは小久保哲郎弁護士と和田信也弁護士がパワーポイントを使って国の引き下げの違法性を述べた。根拠は、生活保護利用者が買うことなどほとんどあり得ない電化製品、例えばノートパソコンなどの値段が半分に下がったからというのである。
真冬でも暖房を使わない利用者はパソコンなど買う余裕はない。人を愚弄するにも程がある。法廷内では怒りが沸いた。
全国では600人を超える原告が生存権裁判をたたかっている。原告の意見陳述は2回目からは認めない傾向が続いているが、大阪では次回以降も意見陳述が認められた。51人の原告と支援の陣形がかちとったものだ。
最低生活基準
口頭弁論終了後、報告会がおこなわれ、用意した資料150部がなくなった。この裁判は10年規模の大型裁判になる。個人1口1000円、団体1口5000円の支える会への入会が新たに10人弱あった。
日本の場合、社会の最低生活基準を形成しているのは、一般に、「最低賃金ではなく生活保護基準にある」といわれている(小越洋之助『日本最低賃金制史研究』422ページ 1987年 梓出版社)。保護費引き下げは、まさに社会の土台が沈むことである。社会保障の運動と労働組合がしっかりとスクラムを組んでこの引き下げを押し返していこう。
読者の声
違法行為くりかえす大阪市
『大阪市の生活保護で…』本を読んで
私は大阪市内の小規模な社会福祉法人に、非常勤生活指導員として勤務している労働者です。この事情からおわかりのように、いわゆるワーキング・プアというカテゴリーに属しています。また、こうした法人では税務当局の介入を受けることは致命的になるため、税金関係はまったくのガラス張りです。その結果、ワーキング・プアにもかかわらず相当な市府民税と、際立って高い国民健康保険料の支払いが私にも要求されています。
市府民税については平松前市長以来、未納者にたいする差し押さえがなされてきましたが、橋下現市長になってからは差し押さえの恣意性が目だっています。私自身も、ちょっとした払い忘れで差し押さえられた経験があります。そのとき電話で税務当局に、どのような規準で差し押さえがなされるのか聞きましたが、相手は「規則に従ってしかるべくやっている」としか答えられませんでした。
国保について、未納部分が累積している被保険者が多いことは、いちどでも大阪市の国保支払い窓口に行ったことのある人ならば、すぐにわかる事実です。ただ税務当局とちがって、国保の担当がどの程度差し押さえをやっているのかはわかりません。しかし納入が遅れて、未納額からするときわめて微々たる金を持って窓口に出向く者(すなわち私)を待っているのは、職員の恫喝です。「これが、あなたの未納額です。財務調査に入りますよ。もしお金があれば差し押さえますよ」というわけです。何か質問をしたり異議を唱えたりすると、カウンターの奥の方で、1人離れた机に座っている大柄な男がこちらをうかがっていたりします。
『未来』で紹介のあった『大阪市の生活保護でいま、なにが起きているのか』を読んで、この大柄な男こそ大阪市が導入している「警察OB」だとわかりました。また、この本で生活保護行政における大阪市の数々の違法行為を知りました。
いかにたたかうのか
そこで私が思ったことは、こうした違法行為を繰り返している大阪市にたいして、国保という局面において、その財務調査や差し押さえ恫喝とどうたたかっていったらよいのか。皆様方はどうお考えなのか、お教えいただきたいということでした。
それらの違法行為の責任を不問に付す大阪市分割構想に、絶対に反対です。
(大阪市/ワーキング・プア)
4面
戦争法案阻止する5〜7月の闘い
改憲阻止・安倍打倒の憲法闘争へ(下)
岸本 耕志
W 昨年7・1閣議決定と安保法制整備
解釈改憲クーデター
安倍政権は昨年7月1日、集団的自衛権行使容認の閣議決定をおこなった。自衛隊の海外派兵・戦争参加の「歯止め」をはずし、「専守防衛=戦争をしない国」から「海外派兵=戦争をする国」への原理的転換をおこなう解釈改憲であり、現憲法体系を破壊する「クーデター」と言わねばならない。
安倍首相は連休明けの国会で、この閣議決定の法制化へ向けて、国際平和支援法の新設、自衛隊法・周辺事態法・PKO協力法などの改悪をねらう。その標語が「切れ目のない安保(安全保障)」だ。4月27日の日米ガイドラインの全面改定と一体で、日本帝国主義の利害を世界規模で貫徹するため、地理的・時間的・事態対応的制約をはずし、「いつでも、どこでも戦争参加」が可能な「戦争をする国」への転換だ。米英同盟でアメリカ主導の軍事行動に常に参戦し続けているイギリスの道の選択だ。「積極的平和主義」の名で安倍が進める一連の軍事・外交政策は、1930年代の軍国主義・日本への回帰でもある。
安倍は7・1閣議決定のもとに、自公で衆院300超の力で安保法制を整備し、沖縄新基地建設や原発再稼働においては多数の反対の声を無視し、「法治国家として粛々と」強権政治を執行している。福島瑞穂参議院議員の「戦争法案」という的確な質問の議事録抹消を求めた。戦前翼賛国会で斎藤隆夫議員の反軍演説を抹消し、最後は議員除名したのを彷彿させる動きだ。
わずか全有権者の4人に1人の得票で300議席を得られる小選挙区制による国会支配で、「法治国家」と称して強権政治・戦争国家化を進めるのが安倍政権だ。
新ガイドライン合意
安倍首相は岸田外相・中谷防衛相を伴い4月26日に訪米し、日米の外務・防衛担当者4人(2+2)の協議で18年ぶりに日米ガイドラインの改定に合意し、自衛隊と米軍の調整機能を強化し一体となった行動の質量的アップをおこなった。日米安保条約の極東という地域概念を取り払い、米軍と自衛隊が世界規模で展開する改定を国会審議もなく強行したのだ。
ガイドラインは、自衛隊と米軍がおこなう共同作戦における役割分担を定めた政策文書。1978年に旧ソ連に対抗して策定され、97年には朝鮮有事を想定して改定された。今回の改定は、中国の軍備増強や海洋進出などを名目とする。米国は財政難の中で自衛隊の役割拡大を求め、日本は「離島防衛」などで米軍動員を約束させた。また「日本周辺」という地理的制約も取り払い、中東・ホルムズ海峡での停戦前機雷除去も可能とした。後方支援も大幅に拡大する。さらに宇宙・サイバー空間での協力ももりこむ軍事協定だ。
5月連休明けの国会で別表の法案新設と改悪が、一括提出・一括審議により、会期を延長してでも成立が狙われている。自公による密室協議で決められた法律によって、政権が決断すればいつでもどこでも自衛隊の海外派兵が可能となろうとしているのだ。野党第1党=民主党は現政権での制定には反対としているものの、基本姿勢はあいまいだ。この危機的状況を乗り越える国会闘争が求められている。
公明党は「国会の事前承認で歯止めをかける」というが、「切れ目をなくす法整備」をおこなうのであるから、国会承認は「合意の取り付け」にはなっても、決して「歯止め」にはなりえない。そもそも公明党が自民党案に反対投票したことがあるのか。密室協議で安倍の防波堤に転落した公明党は、その支持層との乖離を深めている。
切れ目のない安全保障
今回の法整備は「切れ目のない安保」として、日米一体の軍事力行使、集団安全保障への参加、グレーゾーンへの対処、海外派兵恒久法として「国際平和支援法」の新設、PKO活動の拡大、海上臨検、と想起されるすべての事態に対応しようとしている。
そのため武力攻撃事態法には新たに「存立危機事態」をいれ、日本が直接攻撃を受けなくても、密接に関係ある国が攻撃され日本の存立が脅かさるような事態を想定する。周辺事態法は、「重要影響事態法」に変え、「日本周辺」という地理的概念を取り払い、共同作戦をおこなう対象を米軍以外にも拡大する。
これまでおこなわれてきた自衛隊の海外派兵では、派遣期間や活動内容を定めた特別措置法をつくっていた。それが、今回新設される「国際平和支援法」によって、特措法をつくらなくても戦闘中の他国軍に後方支援ができるようになる。
またPKO協力法を変え、国連平和維持活動以外の人道復興支援を可能とし、グレーゾーン対応や海上での船舶臨検も可能とする。
これらの法整備で安倍政権がねらっているのは、自衛隊の海外派兵と戦闘参加である。海外で活動する日本人(多くは商社や現地プラント管理)の「保護・救出」を名目にして他国へ軍事介入する。かつて日本帝国主義は中国・上海の共同租界における「日本人居留民保護」を名目に軍事侵攻し、中国侵略戦争を拡大していった。(「上海事変」1932年)。「邦人保護・救出」は帝国主義の軍事介入の常套手段である。自衛隊は既にタイで人質救出の訓練をおこなっている。
X 「富国強兵」を進める安倍政権
破綻した「成長戦略」
安倍はその強権政治で日本経済の長期停滞からの脱出を図ろうとしているが、アベノミクスの第三の矢=新成長戦略は既に破綻している。年金資金の投入による株価高騰によって「成長の仮象」を取り繕っているが、「トリクルダウン効果」は一向に作用していない。資本は農業破壊、医療・教育・福祉の解体、賃金破壊という人民の生活破壊、格差・貧困の拡大によってその利益を確保している。
唯一の「成長」産業は原発と武器とインフラ(新幹線やリニア)輸出だ。これを安倍が必死にセールスしている。
国の歳入が50兆を切る中で軍事予算は拡大し5兆円に迫った。中国脅威論を煽り、それと対抗する軍事力が必要と軍事大国に進もうとしている。典型は、オスプレイやハリアーの着艦可能な中型空母「いずも」の進水だ。これは旧日本海軍最大の空母信濃とほぼ同じ大きさである。海自の中型空母とイージス艦が米大型空母と連携して中国軍と対峙しようとしている。中国にとっては、こうした日米同盟の強化が「重大な脅威」となっている。現代の「富国強兵」を進める安倍政権こそ、アジアにおける軍事的脅威そのものである。
マスコミ・教育を攻撃
安倍強権政治のいま一つの軸が、マスコミ・教育の統制だ。人民の反乱に対抗する最大の武器がナショナリズムと教育支配と治安弾圧だ。安倍はマスコミへの支配・介入の常習犯である。政権掌握後は露骨にNHK人事に介入し、産経を自らの機関紙化し、読売の渡辺・フジの日枝らとの癒着を深めている。昨年の「朝日バッシング」で頂点に達したマスコミ攻撃は、個別番組への介入へと拡大している。広告代理店と組み、世論操作をおこなっている。
安倍の別働隊の維新・橋下もマスコミを駆使し、行政機関や政党助成金を使って、公務員(自治労・日教組)への規制を強めている。5月17日におこなわれる大阪市解体の住民投票は、憲法改悪のための国民投票のモデルでもある。教育委員会制度の改変、教科書・教科内容への介入、教職員支配強化など教育に対する支配介入がおこなわれ、全国学テ実施とその内申化も橋下を先兵に進められている。治安弾圧の強化も、盗聴・司法取引など新たな攻撃が始まった。集大成として憲法改悪がある。改憲阻止闘争は、これらにたいする怒りを包摂する。
Y 9条改憲阻止と平和的生存権闘争
改憲阻止闘争の主軸は9条改憲を阻止することにある。1931年の中国東北部への侵略戦争からの15年戦争の敗戦の結果、アジアと欧米諸国にたいする不戦の誓約として現憲法は制定された。憲法の平和主義が戦後政治の日本の規範となってきたことは間違いない。
労働者階級は、50年朝鮮戦争、60年安保、70年安保、沖縄返還闘争、ベトナム反戦と、日本帝国主義の再びの軍事化の動きに立ち上がり、この反戦意識が戦後階級闘争を支えた。90年代以降もイラク反戦や自衛隊派兵と闘った。そして今「9条を変え、戦争をする国に作り変える」ことを、人民は許さない。
いま一つの軸は、憲法前文にいう「恐怖と欠乏から逃れ、平和の裡に生存する」権利を、奪還・行使し闘うことだ。どの時代よりも格差・貧困が拡大し、6人に1人の子どもの貧困が次世代に受け継がれる。生れながら富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる。こんな強欲資本主義社会が許されるはずがない。
資本の無限の増殖運動のため原子力発電所が建設されたが、3・11福島事故で破産した。司法的にも2014年5月と15年4月に稼働差し止めが決定された。憲法25条でいう健康で文化的な生活=生存権破壊を許さず、平和的生存権を行使しよう。また9条体制が沖縄に基地を集中させた事実を直視し、構造的差別に怒り、自立・解放を求め、知事を先頭で闘っている時、憲法闘争は沖縄闘争と一体でなくてはならない。
貧困と戦争を強制する資本主義社会の打倒から、戦争と貧困のない社会をめざそう。5〜7月、国会を包囲するとともに、それぞれの現場から安倍政権打倒の闘いをつくりだそう。(おわり)
5面
視座
ムスリムについての無知を見据えよう
内藤正典『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』を読んで
イスラム国が話題になってからなのだが、イスラム問題の本を読むようになった。まず読んだのが『イスラーム国の衝撃』(池内恵著 文春新書)。知らなかったことがいっぱい書いてあり、イスラム国について事実を知るには良い本だったが、著者が「反テロ」を強調しすぎるのには違和感があった。
新たに読んだのが『イスラム戦争』。これは良かった。著者のクルド問題の議論には異論があるが、それ以外は腑に落ちる内容だった(クルド問題について著者はイラクを分裂させることに反対という立場で書いている。クルドの民族自決権を承認すべきだという観点が抜けていると思う)。著者は自ら、ムスリムやイスラム法学者ではなくイスラム地域研究の専門家だと言っている。同志社大学の教授だ。2014年の12月に書かれており、シャルリー事件や後藤さんらの殺害事件は直接出てこない。
著者は日本が集団的自衛権を行使して中東に自衛隊を派兵し参戦することに反対し、警鐘を乱打している。日本国憲法第九条がいかに世界情勢の現状にあった解決策になっているか、対話なき武力行使で解決はないと書いている。その立場からイスラム世界で起きていること、ムスリムについての様々な誤解を解くことを具体的に書いている。
本書では欧米のマスメディアの情報を日本のメディアも垂れ流す状況に警鐘を鳴らしている。それに反論するのが本書の目的といってもいい。その目的は正しいし、目的を果たしていると思う。私たちは日々、帝国主義の見解に影響されている。共産主義者だからといってそれらから自由なわけではない。
「イスラム原理主義」という規定は正しいか
イスラムのことを知りもせずにあれこれ論じるのは危険すぎると感じている。「イスラム原理主義」という規定について著者は、「原理主義」というのはもともとキリスト教の一派を侮蔑的に呼んだ言葉で、それを帝国主義がイスラムとひっつけたので、ムスリムには通じない言葉だと書いている。本書には書いてないことだが、私もこの規定には危険なものを感じる。イスラム武装勢力にもいろいろな流れがあるのだが、「イスラム原理主義」と一括してしまうことの危険性だ。
イスラム国というのはそれを承認したムスリム全てを「国民」とする「カリフ制国家」であり、国境でくくられる既成の概念によるいわゆる「領域国民国家」ではない。だから中東のどの地域の武装勢力でも、アフリカやアフガニスタンの武装勢力でも、カリフ(預言者ムハンマドの後継者)を名乗っているバグダーディ(イスラム国の指導者)に忠誠を誓えばイスラム国国民となるという仕組みになっている。それどころか欧米やアジア、オーストラリア、日本などに在住のムスリムでもイスラム国の国民になることができる。しかし、アルカイダ系などのイスラム武装勢力もいるのだし、ガザの正当自治政府も「イスラム原理主義」と呼ばれている。エジプトの正当政府だったムスリム同胞団もそう呼ばれることがある。これらの正当政府を過激派だとして打倒の対象としてきたのが帝国主義でありシオニストだ。
パキスタンのタリバンが軍の学校を襲撃し子どもたちを大量虐殺したということになっているが、欧米の扇動を垂れ流すメディアの情報だけで判断していいものか疑問はある。本書では「これではパキスタンのタリバンはイスラムの名を騙る偽物といわざるを得ない」と評されている。本書には、子どもを殺すことはムスリムが最も憎むことだとも書いてある。またボコ・ハラムが女性を人身売買していると言われるが、もしそれが事実ならイスラム法に反したことであり「イスラム主義組織」とは言えない、単なる盗賊集団だということになると書いてある。2012年にアフガニスタンのタリバンは「女性教育を否定しない。われわれが否定するのは、アフガニスタンの伝統も信仰も無視して西欧の教育を持ち込もうとすることだ」と述べている。
これらをいっしょくたにして「イスラム原理主義」「テロリスト」と呼び「殲滅せよ、殺してしまえ」と、一般市民を巻き添えに数万数十万人のムスリムを殺害し続けているのが帝国主義だ。なお中東で帝国主義という場合、アメリカだけでなくイギリス、フランスを含むことに注意が必要だ。日本もそこに加えられつつあることを見ないといけない。
テロとイスラム法
帝国主義の「対テロ戦争」で大勢の子どもや女性、高齢者が殺されたことをムスリムは怒っている。それは武装勢力に限ったことではない。とくに子ども殺しをムスリムは心底憎む。それがある時、テロという形で現れるのだ。テロの根本原因は歴史的なものを含めて帝国主義の侵略と抑圧にある。イスラム国を支持するムスリムは今のところ少数者のようだが、帝国主義を憎むのはムスリムの圧倒的多数者だ。イスラム国が仮に軍事的に潰されても新たな「イスラム国」が現れるだけだ。
私は帝国主義者のようにムスリムの決起を「テロリスト」と規定することで全否定することには反対だし、日本人がムスリムに対する抑圧民族である立場を踏まえるべきであるという議論や、日本政府がイスラムを侵略し、イラク戦争では参戦もしたのだから、まず日本政府・安倍政権打倒を明確にすべきだという立場も正しいと思う。しかし人道というものがあり、全ての「テロ」が正当化できるわけではないとも思っていた。本書では「テロ反対」という立場を表明しつつ、同時にテロといわれる行為を前述のように「イスラム法」にかなっているかという基準で判断している。(預言者ムハンマドの言ったこと、おこなったこと、すなわち「神の定めた掟(おきて)」がイスラム法)。結局、被抑圧民族の利益にかなうことを基準として考えるしかないだろう。
共産主義とムスリム
本書から離れるが、最近のイスラム国をめぐる議論の中で、共産主義に基づくテロリズムを否定する立場から論じるものがある。しかし、それは別個に論じるべき問題だと思う。ムスリムのテロが正しいかどうかは被抑圧民族の利益にかなうかという問題であり、共産主義に基づくテロはそれが共産主義革命の役に立つのかという問題だと思う。「人道」といっても帝国主義抑圧民族から押しつけてはいけないと思う。ムスリムのテロをムスリム自身の基準以外の基準で良くも悪しくも判断するのは、帝国主義抑圧民族の傲慢でしかないのではないか。共産主義を基準にすることさえも、テロの根本的原因が帝国主義の侵略と抑圧にあること、すなわち自分自身の責任であることを見失う可能性がある。「進歩・文明」という高みからムスリムを「後進・野蛮」と呼び、否定し続けている諸帝国主義国を、その価値観さえも未だ打倒しえていないわれわれ日本の共産主義者が、取るべき態度ではないと思う。共産主義の高みから宗教に基づくテロを「後進」と論断するとしたら、ムスリムからは帝国主義と同列とみなされるだろう。われわれがムスリムの信頼を得るに十分な行動をおこなった時に初めて、共産主義の同じ土俵で論じることができるのではないだろうか。
日本において帝国主義と共闘するかのようにまったく同じ立場と論理で、イスラム国を非難する「左翼」党派が多数存在するという思想的腐敗状況を、どう考えたらいいのだろうか。ムスリムの決起を「テロ」と呼ぶが、それは帝国主義によってムスリムにくわえられている暴力と殺戮に比して、等価報復にもならない規模のものではないか。それを帝国主義と同列になって声高に非難することが正当だろうか。われわれには「7・7自己批判」をあらためて今日的に考える視点が必要だと思う。私は、われわれがムスリムについて無知である現実を直視することから始めるべきだと思う。 (竹内仁)
参考文献
『イスラーム 生と死と戦』中田考 著 2015年
集英社新書
『イスラムの怒り』
内藤正典 著 2009年 集英社新書
投稿
「テロ資産凍結法」のねらい
政府・マスコミによる過激派批判キャンペーンが、「テロリスト」と名称を変えて吹き荒れている。どのように反撃していくべきか。
「テロ指定・資産凍結法」という法律をご存じだろうか。この通称「テロリスト資産凍結法」と呼ばれる法律が、衆参あわせてわずか2日間の慌ただしい審議をもって、2014年11月19日、日本国の法律として制定された。この内容すら知らない議員もいたという。ほとんど唯一国会での質疑に立った山本太郎議員は後日の講演会で、「テロリストのような政府が、まじめな人の活動を止めようとしている」と批判した。
国家権力の専横支配に反抗する民衆の側からの赤色テロルと、治安維持法下の特高警察による拷問弾圧である不正義の白色テロルとの根本的差異を覆い隠して、赤色テロルを封じこめようとするものだ。
ある人が「テロ指定」を受けると、その配偶者、親族の生活費、財産まで自由に取り上げることができるという。身内を災厄に引きずり込んで生活権、活動権を奪う法律だ。
「テロリスト」から連想されるものの一つに、路地裏で暗闇で消火器爆弾を手にしてイヒヒ笑いをするバイ菌マンという図式がある。なにをしでかすか分からない危険人物、愉快犯というイメージだ。これが日本人の頭のなかで共通認識のようにまでなっているのは、警察が実に長い時間と経費をかけて国民に植え付けようとしてきたからだ。
「あなたはテロリストを許しますか?」
という問いかけの背後には、
「あなたはテロリストではないでしょうね?」
という威圧的な言葉が伏せられている。その脅しの前で多くの人は判断停止となる。それほど意識のなかに警察支配が浸透してきている。
まずは「テロリスト」を排除し、「異端者」「非国民」の排除へと拡大し、国民全体を互いにけん制させあい、分断しながら、かつてとなんら変わらないやり口で侵略戦争翼賛の道へと追い込んでいく。このような動きが本格的に始まったのである。非暴力、不服従のあのガンジーすらもテロリストとして投獄されたという。「テロ指定・資産凍結法」とは、共謀罪とならんで、戦時体制を作りだすためには何でもありとする悪法なのである。
さしあたり、誰からも批判を受ける恐れがないであろうと警察が見なしている、オウム真理教の残された信者に照準を合わせ、地ならしを狙っている。アパートの賃貸契約の際、「過激派」であることを隠していたのは詐欺罪に当るとして逮捕された中核派活動家がいる。
左翼陣営は、その矛先が向けられてくるのを座して待つわけにはいかないのである。(高村良三)
6面
直撃インタビュー(第26弾)
「私たちの世代のうちに、核廃絶の道筋を」
被爆70年 被爆ピアノ公演を沖縄から始めた
ピアノ調律師 矢川 光則 さん
「広島、長崎の重い課題を、被爆3世には引き継がせない。私たちの世代で核廃絶の道筋をつけなければ」という矢川光則さん。父親は爆心地から800メートルで被爆。母親は黒い雨に打たれた。被爆2世である。ピアノ調律師として20年ほど前に1台の被爆したピアノに出会い、以降「被爆ピアノ公演」を続けてきた。「それは、平和の種まき」と穏やかに言うが、被爆70年の今年「原爆は、三度どころか一度でもあってはいけなかった」と核廃絶への覚悟を語った。(聞き手/本紙編集委員会)
―矢川さんにとっての「被爆、反核体験」を聞かせてください
私は1952年生まれ。消防士だった父親は、爆心地から800メートルの消防署で被爆。重症を負い、助かったものの長年体調不良が続きました。母親は黒い雨を浴び、祖父母は父の妹、娘を捜しに入市被曝。子どものころ広島では家族や親戚、どこの地域にも被爆した人がいました。
私自身は被爆2世です。直接の被爆体験があるわけではなく、若いころは原爆をあまり意識していませんでした。平和運動をしている人たちは何か特別の人たちだろうくらいに思っていました。私たちの世代は、まだ当時学校で、はっきりした平和教育というものもなかったですね。
言わんほうがええ
高校を出て調律師の勉強をし、楽器メーカーに勤めました。最初の勤務先は山口県。調律に回っているときに、広島出身ということが分かると「ご両親は原爆に会われましたか」と聞かれます。訪問先は学校の先生の家が多かったのですが、「はい」というと、「そりゃ、言わんほうがええですよ」とよく言われました。
「どうしてですか」と聞くと、「結婚に差し支えますからね。私の娘にも、広島の人と付き合うちゃいけん言うております」と。「そういうことになっているのか」と思いましたね。父親に話をすると、歯をくいしばって黙っていました。被爆したくて、したわけじゃない。言いようがなかったでしょう。
いまでも私の子どもでさえ、何10年たっても、そういうことを言われます。これが差別というものかと思います。福島の原発事故でも差別や「風評」被害が後を断ちません。核、放射線というものの恐ろしさです。
―被爆したピアノと出会い、どのように活動されてきましたか
20年ほど前にピアノ工房を立ち上げ、自前で修理し保管できるようになりました。使われなくなったピアノをリサイクルし、福祉施設に寄贈するなど、それが自分にできる社会貢献だと思ってやっていました。
爆心1・5キロ
そうするうちに被爆したピアノが家にあるという方から、「うちにもある。使ってもらえんじゃろうか」と言われました。爆風で飛び散ったガラスが刺さり、鍵盤が壊れるなど被爆の様子をとどめていました。いまある、被爆して残ったピアノは5台です。元の持ち主3人はご存命、2人は亡くなりました。千田町、舟入、段原の方には何度もお会いし、大切にされていたピアノのことや被爆体験を聞き、私の平和の意識も深まりました。
絵本になった『ミサコのピアノ』は、爆心地から1・8キロの千田町。ミサコさんは今年87歳です。いちばん爆心に近かった舟入川口町の岩田家は1・5キロ。親子2代、音楽の教師をされていました。家は倒壊したそうですが、ピアノは傷つきながら残りました。それより爆心地近くにピアノは残っていません。
「残っていない」。それが、原爆です。
平和、核廃絶の種まき
2001年8月6日、平和公園で初めて「被爆ピアノ・コンサート」をおこないました。最初のころは被爆とか原爆は印象が強すぎると、単に「平和コンサート」と言っていました。予想外の反響でした。被爆したピアノの演奏をとおして、あらためて原爆を知り、考えてもらえるんだと思いましたね。当時は広島県内が中心、せいぜい年に5、6回ほどでしたが。
2004年の秋に長崎原爆資料館に呼ばれました。そこでも大きな反響があり、翌年が被爆60年でしたから全国から呼ばれ始め、被爆ピアノのことが広く知られるようになりました。そのうちに「これは、とても大事なことだ」と思い始めました。調律が仕事であり、私はピアノが大好き、ピアノをとおして平和、反核に目覚めたということでしょうか。私の平和の伝え方は声高にいうのではなく、被爆ピアノの音色を聞いてもらって広げていくという…平和の種まきということでしょうね。
―被爆ピアノ演奏をとおし、考えたことは
新聞が「被爆2世の調律師が、被爆ピアノを復元」と書きました。そう新聞に載れば、話題になりますよね。話題になるから、やるのか。「何のためにやっているのか」と考えました。目的は、核廃絶ですよ。戦争、原爆をうけたピアノですから。
コンサートに参加した方から、よく感想や手紙をもらいます。日本は戦後、経済も復興し、直接の戦火もなかった。だけど、なぜか心に病気を持った人も多い。そういう人たちから「生きる力をもらった」とか。ピアノは何も言いませんが、被爆したピアノは何かを届けるのでしょう。被爆ピアノの演奏が少しでも、そういう人たちにつながってくれるなら。励まされます。それが自分にできることなら、やろうという気持ちですね。
あってはいけんかった
コンサートのとき『原爆を許すまじ』を、かならずプログラムに入れます。「三たび許すまじ」と、歌詞にありますね。それを被爆ピアノの演奏で歌うのは、強いメッセージになります。私は、原爆は三度どころか一度でもあっちゃいけんかった、と思っとります。この曲は、もっともっと歌われてほしい。
これからもっと多くのピアニストや歌手、音楽を愛する人たちがかかわってほしいですね。
―今年は1月沖縄からのコンサートでした
沖縄にピアノを持って行ったのは、5回目。今回は「平和の夕べ」という企画でした。沖縄も、戦争でおびただしい犠牲者がありました。原爆、戦争を証言できる人は、これから年々少なくなっていきます。原爆、戦争をなくすためにこそ、広島、長崎、沖縄の体験を語り継ぎたい。ツアーのとき糸満、名護、読谷で沖縄の若い人たちがピアノを弾いてくれました。嬉しかったですね。
いろんな考え方があっていい、私は広く考えています。自分はこうだから、そうでないところは行かないというんじゃない。様々な人たち、団体、グループ、教育・行政関係からもピアノの要請を受けます。呼ばれれば、どこへでも行きます。そういう種まきだと思っています。
―被爆・敗戦70年という8月をむかえます
昨年から、被爆ピアノの公演要請が増えています。私が広げているんじゃないですよ。みなさんが70年を機に、あらためて原爆や平和を考えようとしておられる。そういうことから平和の意識を深めてもらうのはいいのですが、だけどもう一歩、地震とか災害、環境も含め危機感を持ちたい。60年、70年、日本は直接には戦争をしてこなかった。そのためか、いま戦争への危機感が少なくなってきているのでは。
原発も、はじめは広島につくろうとしたんですから。国は「一度、放射能を受けているから」というつもりだったらしいですが、被爆者は激しく反発しました。地震や台風はとめることはできないが、戦争や原爆は人間のやることですよ。やめることができないわけはない。ダメなものはダメと言わなければ。
世界には大量の核兵器が保有され、いまも廃絶できていません。しかし朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争、冷戦のもとでも直接に核兵器を使用することはできなかった。それは、やはり被爆者の声、運動、訴えがあったからです。同時に、訴えても訴えても核廃絶どころか、保有国が拡がっています。危ない。ほんとうに気がかり。
もっと世論と運動を
「被爆2世の調律師、被爆したピアノ」と言われますが、それだけのことであってはならないと私は思っています。何とかして、私たちの世代で核廃絶への道筋をつけなければ。非人道、生命に反する原爆や核と、人類は共存できません。被爆3世の世代に、このまま重い課題を残すわけにはいきません。
最後に。広島、長崎は人類初めて原爆の放射線、爆風、業火を浴びせられました。その被爆国として、日本はもっともっと核兵器廃絶を強く訴えなければ。そのためには核廃絶の世論と運動が必要です。
それは、夢ではないと思うとります。
やがわ・みつのり
1952年、広島市(現・安佐南区)生まれ。被爆2世、ピアノ調律師。矢川ピアノ工房を主宰。被爆し傷ついたピアノを依託され修理調律し、自ら専用のトラックを運転し全国へ出かける。公演はのべ1300回をこえ、とくに今年は申し込みが相次いでいる。広島修学旅行の生徒たちのコンサートもたびたび。
毎年8月6日は、広島平和資料館前で演奏する。