沖縄 辺野古
不当逮捕、工事強行
撤去すべきは米軍基地
5000人が結集 (2月22日 名護市キャンプ・シュワブ前) |
カヌー隊を外洋放置
辺野古新基地建設では1月27日からコンクリートブロックが隙間なく、海中に投入されている。2月に入っても1日に4〜5個の10〜45トンのブロックが臨時制限区域に投入されている。海上抗議団は船とカヌーで連日の抗議を展開。海上保安庁は抗議のカヌーを捕捉し、外洋まで運び置きざりにするという行動に出た。外洋は波がうねり、強風の中カヌーを漕ぐことは困難だ。海保は2月3日から6日まで連日外洋に放置した。
米軍キャンプ・シュワブ前では、この暴挙に200人が抗議。そして、代表団は「生命にかかわり危険である」と防衛局を追及した。またマスコミは連日「危険性」を報道。それにより防衛局は外洋での放置をやめた。しかし、カヌー隊への暴力的拘束は続いている。
米軍幹部が暴言
10日、ヘリ基地反対協ダイビングチーム・レインボーが、フロートやブイを固定するために設置したコンクリートブロックがサンゴを傷つけているところを撮影し、写真やビデオをマスコミに提供した。新聞、テレビで報道され衝撃がはしった。海上では海保職員が強引に抗議船に乗り込み、船は定員オーバーで転覆寸前になり、仲間4人が海に投げ出された。またこの日、在沖米海兵隊報道部の幹部が、市民が海保や警察によりケガを負わされていることに対して「サッカー選手がケガをアピールしているようなものでばかばかしい」と暴言をはいた。
11日、ブロックの投入されている場所が、昨年8月に県が岩礁破砕許可を出した臨時制限区域外であることを県は問題視。作業停止へ調整を始め、12日までに防衛局の回答を求めた。また、高江では、北部訓練所司令官が高江住民に「反対運動はお金をもらっている」と暴言をはいた。
山城さんを狙い撃ち
12日、海上にコンクリートブロックを投入していた台船2隻が作業を終了。台船撤収。次の日にはオイルフェンスとフェンスを固定していたアンカーを撤去。フロートとブイは残留。
13日、キャンプ・シュワブ・ゲート前で抗議活動の市民1人が公務執行妨害で不当逮捕。ただちに名護署に抗議行動。昼と夕方5時過ぎに市役所中庭で抗議集会、多くの名護市民も駆けつけた。このかん弾圧がエスカレートし、山城博治さんをターゲットにしている。今回も山城さんに襲いかかり、それを止めようとした市民を不当逮捕したのだ。14日夜釈放。
16日、翁長知事は防衛局にたいし、ブロック設置作業の中止と設置したブロックを移動しないよう求めた。指示に従わない場合は知事権限を行使し「埋め立て取り消しも視野にある」と明言。
ゲート前では、翁長知事の指示に、「工事中止に向けた大きな一歩」と大きな声が上がった。
海上ではクレーン船1隻が撤去、1月27日からの作業が終了。クレーン船1隻が残された。マスコミの調査によると、この作業で、10〜45トンのブロック20個が投入された。大型ブロックは全体で34個投入される予定で、まだ14個が投入されていない。
17日、未明5時半頃ゲートより資材搬入。泊まり込みの市民が駆けつけるも数十名の機動隊に阻止される。一報を聞きつけ市民が続々と結集、激しい抗議がたたきつけられた。この攻防の中、山城博治さんが拘束された。「山城返せ」と機動隊に詰め寄る。山城さんは30分後に解放された。
5000人の結集
18日、沖縄防衛局と北部国道事務所がテントに来て、ゲート前テントの撤去を要求。強制撤去を示唆。市民側は要求を拒否した。
19日、沖縄防衛局は、16日の翁長知事の要請に、「今後は新たなブロックの設置や、既に設置したものの移動予定はない」と回答。
22日、「止めよう辺野古新基地建設! 国の横暴・工事強行に抗議する県民集会」が名護市辺野古キャンプ・シュワブ前で開かれ、5000人が参加した。午後からの集会前、米軍は午前9時頃ゲート前で抗議行動をしていた沖縄平和運動センター山城博治議長と男性1人を刑事特別法違反の容疑で不当逮捕した。抗議行動中、基地の境界線(イエローライン)を超えて基地に侵入したという理由だ。午後の集会に参加する市民に不当逮捕が瞬く間に伝わり、ゲート前には「不当逮捕だ」「即時釈放しろ」と怒りの声が上がった。
怒りの発言
午後1時、集会開始。2人の即時解放を求め、参加者全員の「仲間を返せ」「不当拘束許さんぞ」のシュプレヒコールで幕を開けた。共同代表や国会議員の発言も不当逮捕に対する怒りと新基地は造らせないとの固い決意を述べた。稲嶺進名護市長は「オール沖縄の流れが基地建設反対の知事、国会議員を誕生させた」「毎日ゲート前、海上で頑張っている皆さんには頭が下がります。これからも支えてください」と市民へのお礼を述べた。そして、「強い力に対抗するには市民、県民の団結が必要です。これからも皆さんと一緒に団結の力を日米に示していきましょう」と決意を述べた。
安次富浩ヘリ基地反対協共同代表は、「ウチナーンチュの土地を米軍が勝手に占拠したのだ。不当に逮捕するならすべての米軍基地を返してもらおう」と訴えた。高校2年になった渡具知武龍君が「ゲート前のテントを撤去せよと言っているが、撤去されるべきはテントではなく米軍基地ではないか」と問いかけると集会で一番の拍手喝采が沸き起こった。集会中にも県民が続々と駆けつけ、新基地建設強行に怒りの声をあげた。
オール沖縄の力を
集会終了後、名護署に500人が結集し「不当逮捕だ」「仲間を返せ」と抗議行動。
23日、午後8時、山城博治さんともう1人が釈放された。2人とも不当逮捕を弾劾し、元気に現場復帰。更なるたたかいに決起する決意を述べた。
24日、翁長知事は、臨時制限区域に設置されたコンクリートブロックが岩礁破壊しているか、26日にも県が調査に入ることを明らかにした。24日現在、海上では工事は行われておらず、ボーリング調査のスパット台船も搬入されていない。
2・21
高浜再稼働阻止
住民による説明会開催
住民説明会で3氏が講演(2月21日福井県高浜町) |
2月21日、福井県高浜町において、「原発再稼働を考える/住民の、住民による、住民のための説明会」がひらかれ、地元・高浜町、福井県をはじめ滋賀、京都、大阪などから120人が参加した。〈若狭の原発を考える会〉と〈原子力発電に反対する福井県民会議〉が共催。
原子力規制委が2月12日に、関西電力高浜原発3・4号機について、新規制基準を満たすとして審査書を決定した。再稼働をめぐっては、2012年の福井県おおい町、昨年の鹿児島県薩摩川内市でも行政による住民説明会が開かれてきたが、今回の高浜町では住民説明会を行政はおこなわないという。こうした許せない事態の中で、この説明会は準備され、町内で何回にもわたり、ビラまきなどの宣伝活動がくりひろげられてきた。
安全な原発はない
説明会は、元日本原子力研究所副主任研究員の木原壯林さんの「安全な原発はない」と題する講演、元理化学研究所研究員の槌田敦さんの「福島事故と原発再稼働」と題する講演、福島原発被害者で避難者の木幡ますみさんの「原発避難民」と題する講演がおこなわれた。講演の後、質疑応答がおこなわれた。
木原さんは、原発は人類の手におえる技術ではなく、安全な原発はないということを多様な観点から説明した。核反応はミリオンエレクトロンボルトの世界で、化学反応はエレクトロンボルトの世界であり、原理的には1個の放射線で100万個の化学結合が切断されるという、そもそも100万の単位で桁が違い、人体や生物と 核反応は相いれないものであると解説した。
槌田さんは、福島原発事故がとんでもない事態であることを詳しく説明。3号機の爆発は水素爆発ではなく、核爆発であること、原爆にはいわゆるヒロシマ型の原爆(高濃縮ウランを使用)があるが、それ以外に理研が開発した原爆があり、これは低濃縮ウランを使用する。10%程度の濃縮ウランで、これが臨界に達するとまわりの水が水蒸気爆発を起こすタイプ。3号機の爆発はそれである、と解説した。
避難はいかに大変か
木幡さんは事故当時、原発のある大熊町に住んでいて、現在は会津若松市の仮設住宅で避難生活を送っているが、原発事故による被曝と避難がいかに大変なものであったかを詳しく話した。また、いま復興住宅ができつつあるが、保証人と3カ月分の家賃等が最初に必要であり、家財など100万円くらいかかり、税滞納者は入れないなど、普通に仮設に暮らしている者が簡単に入れるものではない、と復興政策なるものの矛盾、格差社会の現実を語った。
地元から参加した人々から多くの質問が出て、活発な討議がおこなわれ、参加者は、再稼働をさせてはならないと深く確信するものとなった。
2面
沖縄 高江
何者かがテント撤去
恫喝に屈せず闘い抜く
高江のヘリパッドは建設予定6カ所の内、N4―1が2013年2月、N4―2が2014年7月に完成した。2007年から始まった抗議行動は監視テントを拠点に粘り強く展開された。監視テントは、N4に2カ所、N1に1カ所を固定にして、必要に応じてテントを増強し、たたかってきた。
2月19日夕方から20日早朝にかけて、たたかいの拠点であるN4テント2カ所が何者かによって撤去された。7年半にわたる抗議行動の拠点の破壊に、住民からは怒りの声が上がった。監視テント2張り、ストーブや椅子、テーブル、周辺の横断幕用単管パイプなどが盗まれていた。一部は基地内に投げ込まれていた。
N4で完成したヘリパッドは、1月30日の日米合同委員会で米側への提供が決まったが、引き渡しはまだである。米軍はまだ、引き渡しがすんでいないのに、すでにN4のヘリパッドを使用している。それにたいし、住民が激しい抗議行動をしているさ中でのテント破壊であった。怒りを胸に、住民はただちに新たなテントを張り、監視の抗議行動に決起している。
一方、東村は2月23日の臨時村議会で、新着陸帯(ヘリパッド)使用禁止を求める意見書を全会一致で可決した。着陸帯建設に関連した意見書採択は2006年以来で、使用禁止を求めるのは初めてだ。意見書はただちに防衛局に提出された。
高江ヘリパッド建設は昨年7月より、N1の建設にシフトした。N1テントのある場所はN1ゲート前で、ゲートをふさいでいる。防衛局は、N1ゲート前の県道70号線沿い路側帯を日米共同使用から米軍専用に戻す手続きを進めていると報じている。米軍専用になると、刑事特別法が適用される。テントは撤去され、路側帯の中に入ると、米軍提供施設との境界線(イエローライン)侵入となり、2月22日辺野古で刑事特別法による不当逮捕のようなことが起こる。高江住民は権力の恫喝に屈することなくたたかっている。22日の辺野古での県民集会にも多くの住民が結集した。辺野古、高江のたたかいが正念場を迎えている。全力でたたかおう。
沖縄意見広告運動
オスプレイ反対で全国キャラバン
200人結集で出発集会(2月21日 大阪市内) |
辺野古現地での工事強行阻止の闘いが連日続き、翌22日には県民集会が開かれる前日の21日、大阪で「沖縄の民意を踏みにじるな! 2・22辺野古現地集会連帯 埋め立てNO! オスプレイNO! 全国キャラバン出発集会」が開かれた。
当初、沖縄現地からヘリ基地反対協の安次富浩さんを迎える予定だったが、安次富さんは翌22日の集会のため来阪できず、ビデオメッセージでの参加となった。
冒頭、映画『圧殺の海』予告編の上映のあと、意見広告運動代表世話人の武建一さんが「沖縄の闘いは困難を強いられているが、闘いによって粉砕できる『希望の星』でもある。この闘いを支える第6期の意見広告をがんばろう」と提起した。
主催者あいさつの服部良一元衆議院議員は、「安倍政権による国家テロで緊迫している沖縄現地に明朝向かう」と語った。次いで辺野古テント前の安次富さんのビデオメッセージは淡々とした中にも、勝利の決意溢れるものだった。
闘いは後戻りしない
メインの講演は沖縄マスコミ労協の滝本匠議長。滝本さんは、この1年の沖縄の闘いを振り返りながら、「仲井真前知事の歴史的裏切りにもかかわらず、基地返還による沖縄経済活性化の事実を経験した財界の一部も含む沖縄の闘いは後戻りしない。これに対して安倍政権は辺野古現地の闘いの圧殺のため、工事強行・海上保安庁の暴力・高江テント撤去・辺野古テント撤去警告など、なりふり構わぬ攻撃に出てきている。しかしこの生きた闘いを通じて運動はさらに強化され、検証委員会・米政府の動きもにらみながら、進んでいく」と報告した。
つづいてキャラバン隊の西山直洋隊長が「沖縄と連帯し、オスプレイ配備反対のキャラバンを、23日からの四国を皮切りに、3月は九州・沖縄、その後京都・滋賀・奈良などに行き、佐賀のオスプレイ配備撤回などのような運動と繋がっていきたい」と決意表明。
〈辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動〉、〈米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会〉などから連帯あいさつ。まとめは全港湾大阪支部の山元一英委員長が、改めて沖縄闘争の意義を語り集会を終えた。
沖縄に思いを馳せ
意見広告は6月に掲載される。これからが運動の正念場で、沖縄現地の闘いに思いを馳せながら、全国に運動を広げていかなくてはならない。
申し込みは、郵便振替「00920―3―281870 意見広告」で、個人1口1000円、団体1口5000円、名前の公表(可・不可)を明記して、送金。
辺野古―海保の暴力許すな
神戸5管本部に抗議・要請 2・12
2月12日午後2時から、「STOP! 辺野古新基地建設 大阪アクション」に参加する仲間20人が、神戸市にある第5管区海上保安本部へ抗議・要請行動をおこなった(写真)。
沖縄・辺野古海上で県民の総意を踏みにじって強行されている埋め立て工事。この工事強行に多くの県民・市民が連日、抗議船やカヌーで阻止・抗議行動をたたかいぬいている。この全く正当な県民の意思表示に対して沖縄を管轄する第11管区海上保安本部が「安全確保」の名目で卑劣な暴力的弾圧を繰り返している。これに対する弾劾・抗議行動としてたたかわれた。
〈大阪アクション〉の抗議・要請行動に対して、5管本部は総務部広報・地域連携室が対応した。「(写真を示して)このような暴力的弾圧をどう思っているのか」「辺野古へは全国動員されているということだが、第5管区からも行っているのか」との問いに、「具体的なことは何もお答えできない」「動員は東京(本庁)がハンドリングしてやっている」と、辺野古へは全国動員であり、第5管区からも行っていると実質認める発言をした。
最後に5管本部前で断固たるシュプレヒコールを叩きつけた。
2月21日、沖縄タイムスは「辺野古過剰警備、海保『沖縄2紙は誤報』在京メディアに異例の説明」と報道した。なんと海上保安庁は政府機関としては異例の一部報道記事を示して、報道各社に個別説明会を開いた。それも地元メディアにはなんの説明もなくだ。こんなデタラメを絶対に許さない。
2・19
近畿中部防衛局に対する
第13次署名提出・要請行動
2月19日、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」と賛同団体は、このかん大阪駅前等で集めた署名3355筆、(累計59786筆)をもって、近畿中部防衛局(大阪市中央区)へ第13次提出・要請行動をおこなった。25人の仲間が参加した。
2・15 三里塚学習会
「農地は生活に不可欠なもの」
学習会で報告する市東さん(右)と一瀬さん(左) |
2月15日、「三里塚農地裁判は、いま」学習会パート2が大阪市内でひらかれた。主催は三里塚決戦勝利関西実行委員会(関実)。
主催者を代表して関実世話人の山本善偉さんが「安倍はいま有頂天になって悪政を進めている。大変な人物を総理大臣にしてしまった。福島原発事故が何一つ解決されていないのに、原発の再稼働を進めようとしている。沖縄の意思を無視して辺野古新基地建設を強行している。これは絶対に許せない。このような状況のなかで半世紀にわたってたたかってきた三里塚闘争がある。市東さんの農地裁判は、一審から傍聴を続けているが、農地を守ることがいかに大切なことであるかを痛感している。裁判の勝利のために、法廷内を一杯にするだけでなく、裁判所を万余の人民で包囲する闘いを実現しましょう」とあいさつした。
不法な農地取り上げ
続いて三里塚芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さんによる「スライド上映と訴え」がおこなわれた。市東さんは、東京高裁で上映したスライドを使って、空港会社による不当・不法な農地取り上げの実態を暴露した。そして「スライドを見てもらえばわかるように、この農地は私にとって、なくてはならないものです。『お金を出す』というが、私はお金が欲しくて農業をやっているわけではない。私のつくった野菜を消費者に喜んでもらうこと、これが私の生きがいです。3月29日は、成田市役所のとなりにある栗山公園で全国集会を開きます。ここは三里塚闘争がもっとも激しかった頃、機動隊によって多くのけが人が出た旧成田市営グランドです。50周年を前に、三里塚闘争の原点に帰って、より大きな闘いを実現したいと思います」と決意を語った。
反対同盟顧問弁護団の一瀬敬一郎弁護士は「市東孝雄さんに対する農地強奪裁判の現状」の講演をおこない、参加者からは裁判の現状への質問がいくつも出された。
3月4日、東京高裁へ
一瀬弁護士は、「粘り強くたたかえば、この裁判に勝利できるという展望を持っている。裁判を取り巻く闘いを今の4〜5倍へとひろげて欲しい」と市東さんの農地裁判(控訴審)第4回口頭弁論(3月4日東京高裁)への参加を訴えた。
3面
直撃インタビュー 第25弾
市東さんの農地取り上げ反対 第3滑走路建設阻止
三里塚闘争50年、新たな闘いへ
萩原 富夫さん
萩原富夫さん |
2013年暮、萩原進反対同盟事務局次長の突然の死に際して、多くの人が三里塚闘争の行方に危惧の念を持った。しかしこの1年、進さんの遺志を受け継ぐ反対同盟事務局の市東孝雄さん・萩原富夫さんらの闘いは、それを吹き飛ばし、新たな運動の発展の方向性をさし示した。萩原進さんの娘さんと結婚し、空港敷地内外で家族で農業を営んできた富夫さん。進さんの死後は同盟の中軸として重圧を受けながら、50年目をむかえる三里塚闘争で新たな闘いに進もうとしている。この苦労と抱負を大いに語ってもらった。(見出し・文責は編集委員会)
―萩原進事務局次長が2013年の暮れに亡くなりました
農民革命家として凄い人でした。常に運動のことを考えていて、その鋭い感性と集中力は凄かったですね。まさに人生をかけて闘っていました。そのへんが父を尊敬していたところであったし、とてもかなわないという感じでした。いろいろ問題とか間違いとかもあったとしても、闘争にかける執念や深い思いは全然他の人とは違っていたと思います。
―家族としての進さんは
「愛すべき人」というのでしょうか。わがままなところもあるけど、すごく優しい。とても生真面目で、まっすぐな人でした。親族の中でも信頼は厚かったですね。
私としては、何とか父がやりたいと思っていた闘いを実現するためにサポートしてきました。さまざまなあつれきもあって、大変でしたけれども。こういうと「大変だ、大変だって、そんな話ばっかりじゃねえか」って言われますが、実際にそうだったんですよ。
―進さんの闘いをどう受け継いでいきますか
まさに三里塚闘争そのものという人でしたから、倒れたときは愕然としました。その存在は大きかったですね。私はあれほどの卓越した感性は持っていませんから、自分なりにやっていかなければと思っています。みんなの力をあわせていって、もっともっと大きな広がりを持った三里塚闘争にしていきたいと思います。
そこが父が「超えたい」と思っていたことです。ただ「超えたい」ということは言ってても、なかなかできるものではありませんでした。いろんなしがらみがありますし、そういうことにあまりにも気を遣いすぎて、どうしても突破できなかったという面があると思います。それを昨年3月、東京でやった全国集会の成功でひとつ突き抜けることができました。
農民革命家としての父は、他の人に比べてもぬきんでていたと思います。私は、「三里塚闘争に絶対に勝利する」という父の精神を引き継いでいきたいと思います。今ではよかったと思っています。私がここに来て。
―昨年は反対同盟にとっても大変な一年でした
そうですね、一周忌で一区切りつきました。本当にこの一年は早かったですね。2014年は父が亡くなってからのスタートでしたから。 葬式が終わるとすぐに年が明けて、これからどうやっていいのかわからないという感じでしたね。何からはじめたらいいのか、どうするのか、全然整理がつかない状態で始まりました。
それでも、すぐに反対同盟の旗開きをやり、3月には東京高裁で市東さんの裁判闘争をやり、それから東京で全国集会です。とてもそれだけのことを自分一人で抱え込むことはできません。そこでこれを機会に、市東さん、伊藤さん、太郎良さん、そして自分の4人が「反対同盟の事務局としてやっていこうよ」ということで、とにかく集まって、話し合いをしながらやっていくというスタイルを続けてきました。マスコミからは「次の事務局次長は誰がやるんですか」とか聞かれましたし、皆さんもそういうことを考えたかもしれませんが。
当初は、私も何も分からない状態でしたから、とても引き受けることはできませんでした。しかし、今は事務局次長を決めて一人に責任が集中してしまうのはよくないと思っています。そうはいっても、「やはり私が責任取ってやっていかなければならない」という気持ちでやってきました。
とにかく「みんなで力をあわせてやっていこう。足りないところはみんなで力を出しあおう。一人一人が自覚して、責任をもってやっていこう」ということを確認しながらやってきたんですよね。
―昨年3月の東京集会は画期的な取り組みでした
3月の裁判と全国集会を東京でやったあと、すぐにこの取り組みの総括をしようということで総括会議を開きました。今まで東京で全国集会をやったことはありませんでしたし、内容もこれまでの現地の集会とは違った新しい形の集会になりました。「経産省前テントひろば」など、これまでにはない新しい人たちが参加してくれました。ですから、みんながどういう感想を持っているのかを聞きたかったですね。
そしたらみんな「よかった、よかった」ととても反応がよかったので、「こういうのをやってもいいんだな」ということがわかりました。今後も新しいスタイルを追求しつつ、現地サイドでの闘いかたも守っていく。試行錯誤しながら、全国集会を現地で年1回、外で年1回やろうとか考えています。
―4月頃から第3滑走路計画が出てきました
そうですね。これは大変なことなんですけれど、誤解を恐れずに言えば、反対同盟にとっては「格好の闘争課題」と言いますかね。市東さんの農地取り上げに反対する闘いも2006年頃からすでに8年以上の長期闘争になっていますから、やはり何か新しいことに取り組んでいかないと、闘争がマンネリ化してしまいます。そういうことで第3滑走路問題が出てきたときは、「よし新しい闘いができるぞ」と思いました。7月にこの問題をテーマにして現地で集会とデモをやりましたが、これが大成功でした。
また市東さんの農地取り上げに反対する署名運動を2年近く続けてきて、それが、かなりの影響力が地元にあるってことがだんだんとわかってきました。反対同盟ニュースもたびたび発行して情報を伝えました。地元の人たちには「第3滑走路」にかんする情報が何も入っていませんでした。私たちの活動を通じて地元の人たちと同盟との関係ができつつあります。
―そうした取り組みが11月のシンポにつながりました
地元の人たちが反対同盟とつながって、現地集会に参加するにはカベがあります。地元では「過激派」と思われているので、直接関係をもちづらいのです。ですからそこはあえて無理をせずに、11月に「市東さんの農地取り上げに反対する会」で騒音問題を中心にしたシンポジウムを成田市内でやりました。そこに成田市民も参加してくれました。これはいいなと思いましたね。これからもこうした取り組みを「市東さんの会」が担ってくれるといいなと思っています。会のほうも大変でしょうが、こういう形で市民とのつながりを今後も持っていきたいです。
―昨年は市東さんの農地裁判の控訴審が始まりました
裁判については、空港会社側を押して完全に勝利しました。昨年3月から始まって1年続くことになります。最初は2、3回で終わるといわれてましたから。これは大勝利ですよね。この3月で結審になるのかどうか。私としてはそういう気持ちでやらなければならないと言っています。
「結審を許さない」という構えで3月に向かっていきます。
―今年3月の全国集会についてうかがいます
通常だと市東さんの畑でやるんですけど、実際問題、あの時期に畑を集会に使うと、あとの作付けが非常に難しいんです。それとやっぱり外に打って出て、多くの人が注目するところで集会とデモをやりたいということで、会場を探しました。そこで栗山公園、かつての成田市営グランドですが、昔の大闘争をやったところにとりあえず申請してみました。するとあっけなく受理されまして、「もしかしたらできるかもしんねえよ」と半信半疑だったのですが。やっぱりああいう町の中で集会をやらないとダメですよね。
―三里塚闘争も2016年で50年になります
50周年を機に何か新しいことを企画してやりたいと思っています。いろんなアイデアをどんどん出して欲しいですね。三里塚に思いを寄せているいろんな人たちが集まって、いっしょに実行委員会をつくってやれればいいなあと思います。三里塚の闘いの歴史とこれからの闘争課題がきちんとつながっていく、そういう企画がいいですね。
―これからの抱負をお聞かせください
この1年やってみて、何とかやれるっていう自信はついたというところでしょうか。今後も自分たちでちゃんと話し合いをして、方針を決めていくという形でやっていきたいですね。やっぱり一人ひとりが主体的に闘うことだと思います。農民としてここで生きていくということを土台にすれば何でもできるという実感をもっています。そうすれば、あれこれ悩むことはないといいますか。
もう一方で、三里塚闘争は同盟だけが闘っているわけではなくて、まわりの皆さんがいるから成り立っているということをつくづく感じました。そのうえで、まわりの状況に左右されない反対同盟というものをきちんとつくるぞということは意識しています。「同盟には同盟の考えかたというものがあるんだ」ということを常に思いながらやってます。三里塚闘争は、「党派の運動だろう」とまわりから見られることがあると思うんですが、それを払拭するということをつねに意識しながらやっています。そうして何とか新しい運動、大衆的な運動を目指していきたいと思います。
―ありがとうございました
3・29三里塚全国総決起集会
◇3月29日(日) 正午
◇ところ:成田市 栗山公園
(JR・京成電鉄「成田」下車、東へ5分
成田市役所 北隣)
◇主 催:三里塚芝山連合空港反対同盟タイトル
はぎわら・とみお
1968年、佐賀県鹿島市生まれ。
47歳。
1986年法政大学第二経済学部入学。
2003年1月、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長・萩原進さんの長女・裕紀(ゆき)さんと結婚、家族で農業を営む。
趣味はオートバイ。
4面
狭山事件
東京高検が証拠物リスト開示
映画・高裁行動など―再審実現へ
東京高検は、1月22日付で、高検に領置されている狭山事件関連の証拠物279点のリストを開示した。その中にはこれまで存在を知られていなかった44点の証拠物が含まれており、石川一雄さんが書いたハガキもあるという。
今回開示されたものは「リスト」であって証拠物そのものではない。また、今回のリストは「高検に領置されている証拠物」のリストであって、捜査書類は一切含まれていない。さらに言えば、埼玉地検や埼玉県警などに証拠物や捜査書類が残されている可能性も否定できない。
それでもなおかつ、リストの開示は異例である。東京高検は昨年10月の三者協議直前にも「リストの開示は必要ない」との意見書を出していた。石川一雄さんの不屈のたたかいと弁護団の努力、そして「検察は証拠隠しをやめろ」との支援者をはじめとする世論が検察の譲歩を引き出したのである。
今年1月23日に開かれた第21回三者協議で弁護団は、今後リストにもとづき証拠開示を請求するとともに、捜査書類を含めた全証拠の開示を求めていくことを裁判所と検察に伝えたとされる。
今回のリスト開示は、他の冤罪事件にも波及することは間違いない。証拠隠しをはじめとする検察の腐敗、数々の冤罪を引き起こしてきた司法の腐敗に対する怒りは社会に充ち満ちている。証拠物のリスト開示から全証拠の開示へ、狭山再審実現のとりくみを進めていこう。
全証拠の開示を
2010年以来、狭山事件では160点余りの新証拠が開示されてきたが、その中には高検の領置番号が付されている証拠が存在した。だが、その番号が飛び飛びになっていたことから、弁護団は「内容が明らかにされていない証拠が多数存在している」として、領置物のリストの開示を強く求めていた。
今回のリスト開示で、「番号飛び問題」はほぼ解決され、弁護団は証拠を特定して開示請求することが可能となった。
残された問題は、今回のリストに含まれていない捜査書類である。特に2009年に東京高裁門野裁判長が開示を勧告した8項目のうち、「殺害現場とされる雑木林のルミノール検査報告書」「被害者の死体の写真」「雑木林の実況見分時に撮影された8ミリフィルム」が今なお開示されていないことは極めて重大だ。これらは事件当時の埼玉県警の鑑識課員の証言や新聞報道などでも存在が確認されているものであり、検察の「不見当(見あたらない)」なる回答は決して許されるものではない。それらは一体どこでなくなったのか。検察送致の時点でなかったのか。地検から高検へ送られた際になくなったのか。検察は説明責任を負っている。検察送致されなかったのであれば、埼玉県警に開示が命令されなくてはならない。これは、公権力が意図的に証拠を隠蔽したのかどうかが問われる問題なのだ。
録音テープの鑑定を
2014年7月、石川一雄さんにたいする取り調べ録音テープに関する弁護側鑑定が提出され、そのひとつである奈良女子大学名誉教授の浜田寿美男氏の鑑定が出版されている(『虚偽自白はこうしてつくられる 狭山事件・取り調べ録音テープの心理学的分析』現代人文社)。2010年に開示されたテープに録音されている場面は、「自白期」の取り調べの一部であり、否認時や「自白に転じた場面」の録音等は含まれていない。それでもわれわれは浜田氏の著作によって、石川さんにたいする取り調べ、あるいは石川さんの「自白」がどのようなものであったのかの一端を知ることができる。
テープの中での「自白」は警察の誘導に応じて二転三転し、時に、死体の状況など客観的事実に照らして「石川さんと取調官が犯行ストーリーを一緒に考える」という奇妙な場面が繰り広げられている。供述調書は石川さんの語りからまったくかけ離れており、警察の作文に署名・捺印させられたものにすぎない。
こんなものが50年間も隠され、「自白は信用できる」として有罪証拠の主軸に据えられてきたのだ。狭山事件のような重罪事件であれば現行制度では取り調べの録画が義務づけられていることからも、裁判所は浜田さんら鑑定人をよび、自白の信用性に関する事実調べをおこなわなければならない。
狭山再審実現の声を
今年1月、毎日新聞社映画コンクールで映画『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』がドキュメンタリー映画部門賞を受賞した。この映画はこれまでに3万7千人の観客を動員したという。映画館上映、自主上映はまだまだ続いている。「まだ見ていない」という方は是非映画制作委員会のホームページで上映スケジュールをチェックして欲しい。
また、毎回の三者協議に向けて石川一雄さんの高裁前アピール行動が粘り強く取り組まれている。日時はインターネットなどで公開されている。「映画を視て狭山を知った」という人々も高裁前に足を運んでいるという。可能な限り駆けつけ、石川さんと共に高裁に迫ろう。
5月21日午後1時から日比谷野外音楽堂で開かれる狭山事件の再審を求める市民の会全国集会をはじめ、全国各地で取り組まれる不当逮捕52カ年を糾弾する集会・行動に参加し、狭山再審の声を全社会に広げていこう。(NB)
なぜ「日の丸・君が代」を拒否するのか
被処分教員先頭に450人が集会・デモ
2・11大阪
処分撤回を闘う12人が登壇しアピール (2月11日 大阪市) |
2月11日の午後、大阪市内で〈「建国記念の日」に反対! 戦争へ導く教育はアカン!! いま「日の丸・君が代」強制拒否の意味を考える2・11集会〉が開催された。主催は〈「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク〉。
会場内の周囲では、「日の丸・君が代」に反対してたたかう様々な団体・グループがブースを出して、本やDVDなどを販売。大阪府警・公安の凄まじいチェック態勢の中を突っ切って来た人たちは、会場内の椅子席を埋め尽くし450人が参加。開会前のギターと歌が会場の雰囲気を盛り上げていた。
戦争教育にストップを
司会の開会宣言に続き、主催者あいさつを兼ねた基調報告を大阪ネットの黒田伊彦さんがおこなった。黒田さんは最初に、「建国記念の日」は旧紀元節であり、記紀神話に基づいた天皇主権制国家を賛美するものであり、国民主権の日本国憲法に違反するものだと弾劾した。そして、それは天皇を頂点とする八紘一宇の思想の下に「大東亜共栄圏」を呼号し、アジアへの侵略と戦争を展開していった戦前の歴史を再び繰り返そうとするものだと厳しく批判した。その上で、「日の丸・君が代」は天皇制国家の象徴であり、学校現場でそれを強制することは天皇と国益のために命を投げ出すことが尊いことだとする軍国主義教育に繋がっていくことだと明らかにした。したがって、職務命令違反を口実にした「君が代」不起立処分を撤回させる闘いは、「子どもたちを再び戦場に送らせない」という教員として全く正しい行動であると提起した。最後に「今、安倍政権の後に戦争が立っている。戦争を廊下の奥に立たせないために、戦争する教育にストップを。真実と平和への希望を語り合える教育の実現へスクラムを組もう」と訴えた。
もはや我慢の限界
続いてメインの講演がおこなわれた。講師は、1987年沖縄国体で「日の丸」を焼いた、あの知花昌一さんだ。知花さんは現在、浄土真宗大谷派の僧侶として、地元の読谷村を基盤に、沖縄問題―辺野古新基地建設反対と平和を訴えて全国を飛び回っている。
知花さんは冒頭、「『闘う僧侶』として話をしたい」と述べ、直ちに本題に入った。まず、緊迫している辺野古の状況を具体的に明らかにして、沖縄現地はもとより全国から一人でも多くの人が辺野古に駆けつけてほしい、そうすれば絶対に勝てる。昨年の名護市長選―名護市議選―県知事選―衆議院選の全てにおいて「普天間基地の県外移設」「辺野古の新基地建設反対」という沖縄県民の切実な民意が示された。しかし、日本政府は県民の心底からの願いを暴力的に踏みにじり、構造的な沖縄差別の中で「第5の琉球処分」として作業を強行している。
沖縄では、この10年間に4度も10万人規模の県民大会を開き、非暴力実力抵抗で闘ってきたが、もはや我慢の限界だ。日本政府がこれ以上暴力的に沖縄を圧殺するなら、それによって生み出される一切の責任は日本政府にある。
釈迦の教えに「一人になる」というのがあるが、これは人間として自立するということであり、誤った多数になびくのではなく、正しいことは一人でも貫き、そうした自立した諸個人が互いに結びつき支え合っていくことが勝利の力だ。それぞれの信念に基づいて「君が代」不起立を貫き、それに対する処分と闘っている先生たち一人ひとりが相互に結びつき、さらに多くの人たちがそれを支えて起ち上がっていけば、ソ連軍に対して百万の民衆が手をつなぎバルト三国の独立をかちとったように必ず勝利できる。共に連帯して、安倍の戦争政治をぶっ止めよう。
中原教育長は辞任せよ
この後、弁護団からの報告と当事者である「君が代」不起立被処分者のグループZAZAメンバー12人が登壇し、うち4人が発言した。休憩をはさんでDVDの上映、全国からのアピール、連帯アピールと続き、最後にまとめ・集会決議・行動提起で締め括った。
行動提起では、「パワハラの中原大阪府教育長は直ちに辞任せよ」「『君が代』不起立処分の撤回、大阪府『君が代』強制条例の撤廃」など6点が提起された。
集会終了後のデモは、会場(西区民センター)から心斎橋を経て、御堂筋を通り、難波まで行進した。(Z)
5面
投稿
〈中島岳志北大准教授の講演を聞いて〉
「多数者の独裁」と我々の民主主義
民主法律家協会の権利討論集会が2月7日、大阪市内で開かれた。中島岳志北海道大学准教授の記念講演「なぜ橋下政治は失敗するのか」と7つの分科会があり、300人を超える人々が参加した。以下、私の感想を述べる。
現代日本政治の特殊性
記念講演のテーマは、リベラル保守宣言をしている中島氏の視点からする橋下政治批判である。最初に、現在の日本の政党の状況について鋭い指摘があった。とくに公明党の特殊性である。公明党は元々平和と福祉の二大看板を掲げてきた。それがなぜ、真逆の安倍政権とくっつくのか。ここに現代日本政治の「非常にやっかいな」ところがあると指摘する。
公明党はどちらかというと経済的に苦しい立場にある人たちの中に拡がっていった宗教政党であり、弱者保護の政策を基本にしてきた。しかし、他方では、与党に近づくという性質があるという。公明党は1990年代に自民党から選挙違反指示疑惑、個人資産疑惑等で池田大作創価学会名誉会長の国会への証人喚問を要求される等の激しい攻撃を受けていた。
公明党の中には、こういう攻撃に対し非常に強い恐れをもっている人たちが多い。例えば、宗教法人への課税の問題。これに対し、公明党は自分たちに刃を向けてくる者たちに抱きついていくという政策を取る。一定の票田を持っている公明党は「選挙でこれだけの票を渡せますよ」といって抱きつきながら、自分たちへの攻撃の刃を抜いていくという。
同氏によれば、昨年末の衆議院選挙のとき自民党の中枢は、自民党単独過半数でもなく、自公枠で2/3ラインを超えるのかでもなく、維新の大阪グループと自民党とあわせて2/3に届くのかを見続けたという。結果は、両者をあわせて2/3を超えた。この結果は、公明党にとって「自分たち抜きでほとんどの法案を通される」という無言の圧力となった。
前回の選挙の最大のポイントはここにあるという。この無言の圧力の前に公明党は屈し、ドンドン安倍政権に妥協し、接近していくという構造が生まれていった。今回突然、大阪都構想をめぐる住民投票で公明党がひっくり返ったのは、単に維新から圧力を受けたというのではなく、前回の衆議院選挙で維新の大阪グループと自民党で2/3を取られたことが非常に大きな要素となっているという。
リベラル保守とは何か
同氏は自身の政治的立場をリベラル保守という。保守とは、復古主義でも、反動主義でも、進歩主義でもないという。原発は膨大な人々が住めなくなるようなことをひき起こす。これは行き過ぎた在り方である。「こうした行き過ぎた在り方に“待った”をかけるのが保守の王道」と指摘する。だからこそ、3・11以降、保守主義者こそ脱原発を主張すべきとする。
「保守とは大切なものを守るためには変わらなければならないという思想」だとも指摘する。また、「未来に対する行き過ぎた進歩主義も人間の理性に対する過信でもって他者を抑圧する制度を生み出してしまう」から、進歩主義には立てないという。さらに、同氏は福田恒存も西部邁も否定せず評価する。また「他者との葛藤の中での合意形成」を重視する。同じことであるが、「リベラルとは自分とは違う立場の他者に対する寛容性」であるとも指摘する。
記念講演では同氏のリベラル保守についてかなりの時間を割いて触れられたがここでそれをおこなうには紙幅が足りない。
しかし、同氏の指摘する保守リベラルは含蓄が深く、学ぶところが多い。同氏の以下の著作『政治を語る言葉』(七つ森書館2008年7月)、『秋葉原事件』(朝日新聞出版2011年3月)、『世界が決壊する前に言葉を紡ぐ』((株)金曜日2011年12月)を紹介してそれに代えたい。
橋下政治は失敗する
橋下政治の問題点は「自分が民意を担っている、だから、自分のやり方がまちがっているなら、次の選挙で落としてくれればいい、これが現代の選挙の意味だ」と主張しているところにあるという。
同氏は、これこそが非民主主義的な考え方であるという。 つまり、「自分が多数者」であるとして、「多数者の独裁」をおこなっていること、ここに橋下政治の問題点と破綻点があるという指摘である。独裁はかならず抑圧を生む。この抑圧は必ず「多数者の独裁」を転覆させる。
住民投票をいきなりやり、議会を排除し、そこで多数を握れば、すべてが自分の決定通りにうまくいく、これが民主主義だというこの構造自体に橋下政治の弱点がある。ここにメスを入れることが必要だ。橋下政治を続ければ続けるほど、歴史が示しているように、必ず大きなしっぺ返しと失敗がくると指摘した。
問われる我々の民主主義の力
中島氏は、けっして単純な処方箋を我々に提示したのではない。同氏はリベラル保守の立場から、非民主主義の極致をいく橋下政治を徹底的に批判した。同氏の指摘のポイントは、民主主義とは自分と立場を異にするものとの葛藤の中で合意形成をしていく在り方だと指摘したことである。視点を変えれば、橋下政治という「多数者の独裁」とその論理にメスを入れる我々の民主主義の中身とその力こそが問われていると強く感じた講演だった。(Y)
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差別扇動とたたかう地方議員
連帯ユニオン議員ネット大会から
2月6日、大阪市内でひらかれた連帯ユニオン議員ネット第10回大会の第2部で「自治体に反ヘイト施策を取らせるための議会質問」の実情報告がおこなわれた。
昨年、大阪府門真市の戸田ひさよし市議は、以下のように訴えていた。「(あらたに法律や条令をつくれるならそれにこしたことはないが)現状でも闘い方はある。トイレに部落差別の落書きがあれば大問題になり、自治体も対策をおこなってきた。ザイトクは街頭で、大音量で『朝鮮人を殺せ』と扇動している。なぜこんなことが放置されるのか。同和人権行政を適用すれば対処できる。各地の議員、市民は、自治体行政に働きかけ、門真のたたかいに続いてほしい」。
それ以降、各地で、この門真市に続く取り組みがおこなわれ、今回6つの地方自治体でのたたかいの報告があった。愛知県安城市、大阪府高槻市、茨木市、豊中市、箕面市、兵庫県川西市での取り組みが各市議から報告された。なお、この日の報告にはなかったが、大阪府堺市でも同様の取り組みがおこなわれているとのことだった。
討論では、かつて日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める意見書を可決した自治体で、それをくつがえす決議があがったり、また別の自治体ではザイトクの有名人物が市議に立候補するなどの反動が起きている。このため日常的にヘイト勢力を批判し、市民の声で包囲していく粘り強いたたかいがなければ、そのような動きは止められないとの指摘があった。
なお、この場で、「反ヘイト議員・候補者ネット」の立ち上げがよびかけられた。参加会員は、北は秋田県能代市から南は鹿児島市までの全国8都府県25自治体、20議員と10候補者に広がっている(2月15日現在)。(N)
〔注〕ザイトクとは戸田議員の造語。民族差別を得意がる在特会などのヘイトスピーチ・ヘイトクライムをくりかえす勢力のこと。
橋下市長の入れ墨処分
2件目も原告勝訴
2・16大阪地裁
大阪市・橋下市長による「市職員への入れ墨調査」を拒否したことを理由に、「戒告」処分をうけた労働者がおこした裁判で、2件目も原告勝利の判決が勝ち取られた。
処分撤回を求めていた森厚子さん(大阪市病院局、当時)がおこした裁判で、2月16日、大阪地裁(中垣内健治裁判長)は、「調査は違法であり、戒告処分を取り消す」判決をくだした。これは、昨年12月に出た1件目の判決(交通局・安田匡さん)の勝訴に次ぐもので、「本件調査により特定の職員が入れ墨をしているとの情報を含む本件入れ墨情報を収集することは、(大阪市個人情報保護条例)6条2項に違反し違法であり、本件調査に回答することを命じる本件職務命令も、同項1号及び2号(例外規定)に該当しないにもかかわらず差別情報を収集することを目的とするものであるから、同項に反し違法である」と断じている。
橋下市長は、上記2件とも控訴し、高裁で敗訴しても最高裁まで争う意向を表明した。違法・無法やり放題の橋下を許すな。大阪市・橋下は、安田さん、森さんはじめ、6人への処分をただちに撤回せよ。
6面
視座
人質2人を見殺しにした安倍
有志連合下で派兵・参戦狙う(上)
速見 賢三
はじめに
湯川遥菜さんと後藤健二さんが「イスラム国」に誘拐され、1月20日に身代金2億ドル(約236億円)を要求する動画が公開され、安倍政権が交渉にさえ応じなかった結果、湯川さんの殺害の動画が公開された。ついでヨルダン政府が拘束しているサジダ・リシャウィ死刑囚と後藤さんの交換が要求され、ヨルダン政府は後藤さんではなく、「イスラム国」に拘束されているパイロットの生存の確認をまず要求し、結果、後藤さんを殺害する動画が公開された。
イラクやアフガニスタンで多くのムスリム(イスラム教徒)が、アメリカ・イギリスや日本も含めた帝国主義諸国から、戦争による無差別の殺戮を強いられ、何万何十万もの人々が殺され傷つけられ、そして難民に追いやられている許しがたい現実の中で、怒りと憤りが積もり積もっていることは間違いない。しかし今回の、湯川さんと後藤さんを誘拐し、拘束し、最後に殺害したことは認めがたいものがある。
その上で今回、2人を死に追いやったのは安倍政権である。安倍は、2人を見殺しにしたのみならず、人質殺害を待ってさえいた。それを契機に、日本を一気に「テロとの戦い」に引き込み、戦争体制と治安弾圧を強化しようとしているのである。
「イスラム国」へ宣戦布告
安倍は、2人の拘束を知りながら、1月17日「『イスラム国』と戦う周辺各国」を支援するために2億ドルを供与すると表明した。これに「イスラム国」は激しく反応し、1月20日に動画を公開し、同額の2億ドルの身代金を要求した。安倍の「2億ドル」演説が2人の殺害の引き金になったことは間違いない。
では、2人が拘束されていることを分かっていながらなぜ安倍は「『イスラム国』と戦う周辺各国に2億ドル」演説をぶち上げたのか。安倍は、アメリカなどとともに、有志連合の一員として空爆や戦争に参加したくてたまらない、というのが本音だ。しかし現行憲法の制約上さすがに一足飛びにそれは無理なため、「日本は有志連合の一員」であること、「日本も『イスラム国』と戦う一員であること」を強調したかったためにあの演説をおこなったのだ。
拘束された2人を無視
昨年8月に湯川さん、11月に後藤さんが行方不明になっていることを外務省は知った。当然、内閣にも報告されている。12月には後藤さんの家族に誘拐犯からメールが送られ、メールのやりとりは10通にも上るという。その際に、身代金として10億円あるいは20億円が要求されたと言われている。この間、水面下で身代金も含めた交渉は可能だった。
しかし政府は、「官邸に連絡室、外務省に対策室を立ち上げ、ヨルダンに現地対策本部を立ち上げた」というが、具体的にはほとんど何もやっていない。日本政府は、「イスラム国」とのコンタクトは何もなく、ただただ周辺諸国に情報提供をお願いしただけだ。
「ヨルダンの現地対策本部」と言っても、何か特別の対策体制を取ったわけではなく、現地の大使館が努めただけだ。内閣や外務省から責任を取れる人材や専門家を派遣したわけでもない。日本在住のイスラム関係に詳しい専門家やジャーナリストに協力を要請したわけでもない。
そもそもそういう人々を政府は、「『イスラム国』と通じかねない人々」と勝手に見立てているからだ。そして日本政府の根底にあるのは、湯川さんや後藤さんの行動と拘束を、「迷惑」としか捉えていなかったのだ。結局、身代金を支払ってでも2人を取り戻す意思もなく、交渉もしなかった。
さらには「イスラム国」を軽視していた。なぜ「イスラム国」は生まれたのか、なぜ急激に領土を拡大し一定の民衆の支持を集めているのか、彼らは何をめざしているのか、などを真面目に分析・検討していなかった。要するに、楽観視し、舐めきっていたのだ。その結果、ただただ時間を浪費し、その間は手をこまねいていたというのが実態ではないか。
さらには、「イスラム国」と繋がりのある、元同志社大学教授の中田考氏とジャーナリストの常岡浩介氏に対して、「イスラム国」に渡航しようとしていた北大生に刑法の私戦予備罪で家宅捜索をおこなった。2人は彼らに拘束されていた湯川さんの救出のために渡航する前日の昨年10月6日に家宅捜索を受けパスポートも押収された。そのため2人は渡航を断念せざるを得なかった。
公安警察は、2人の動きを察知した上で、意図的に潰したとしか考えられない。「イスラム国」に関わる人は、すべて「イスラム国」の関係者と見立てているからだ。なお、安倍政権は、2人が行方不明であることは知っていたが、「イスラム国」に拘束されているのを知ったのは1月20日に動画が公開されてから、と言っている。しかしこれは嘘である。昨年10月6日に中田氏と常岡氏が、「イスラム国」に拘束されている湯川さんの救出のために渡航しようとしていたことを知っていたのだ。
さらに、2人が拘束されていることが公開された直後、中田氏と常岡氏は、「イスラム国」との仲介役を買って出ることを政府に進言したが、安倍はこれを拒否した。日本政府は何のパイプも持っておらず、本当に人質の解放を考えるならば、どんな方法も尽くすのが常識である。結局、何もやらずに、見殺しにしたのである。
イスラエル国旗の下で
殺害予告が出た直後の1月22日に安倍は、訪問先のイスラエルで、イスラエルの国旗を背景に記者会見を行った。これほど「イスラム国」への挑発的な対応はない。「イスラム国」のみならず多くのムスリムも眉をひそめる対応だ。
さらにヨルダンに現地対策本部を設けたことも間違いだ。ヨルダンはアメリカとともに「イスラム国」に空爆を行っている参戦国だ。彼らにとっては紛れもなく「敵国」だ。人質を拘束されている国家の通常の感覚から言えば、「第三国」に仲介を依頼するのが筋である。その場合、最も適していると言われているのがトルコである。トルコはムスリムが多数の国家であり、空爆には参加しておらず、また自国の空港を空爆に使用させていない。また自国の外交官が「イスラム国」に拘束されたが交渉の末に解放を実現した実績もある。イスラムの指導者や部族との様々なルートも持っている。
にもかかわらずトルコではなくヨルダンに現地対策本部を設置し、結果、「イスラム国」は後藤さんの解放条件にヨルダンが収監している死刑囚との交換を持ち出してきた。この時点で交渉は「イスラム国」とヨルダン政府となり、安倍政権は蚊帳の外に置かれ、何もできなくなった。
ヨルダン政府は当然にも「イスラム国」に拘束されている自国のパイロットとの交換を持ち出し、結果、後藤さんも殺害された。その後、ヨルダンのパイロットも1月3日に殺害されていたことが判明した。事件発覚後の対応は失敗続き、間違いだらけだ。
「人命最優先」は嘘
安倍は、「人命最優先」と言葉の上では言い続けてきた。しかしそれは言葉として言っているに過ぎない。交渉、ましてや身代金を支払ったとなれば、対米関係は最悪となる。そもそも、安倍は、人質の命などどうでも良いと思っていた。それよりも、「テロリスト撲滅の戦争」に加わりたいと思っていたのだ。
しかし最初から、「人質は見殺しにする」などと言明すれば世論の怒りは沸騰するため、「人命最優先」を言い続けたに過ぎない。そのために、「人道支援」を一切口にせずに『イスラム国』と戦う周辺諸国に2億ドルの援助」をぶち上げた安倍が、「2億ドルは人道支援、難民支援のため」と軌道修正と弁解に終始した。しかし一切、交渉はおこなわれず、2人の殺害をみすみす許してしまった。
「人質見殺し」を最初から決めていた
人質を取られている以上、選択肢は3つしかない。1つは交渉して取り戻すこと。2つは相手に攻め込んで、力ずくで奪い返すこと。3つは交渉を拒否して人質を見殺しにすること。以上である。安倍政権には、2の「力ずくで奪い返す」という選択肢はない。そもそもアメリカも武力で自国の兵士の救出を試みて失敗している。ましてや日本の自衛隊には不可能である。情報もなければ実戦部隊もない。自衛隊にそんな決意を求めても現実は不可能である。だとすれば、交渉するしかないのである。安倍は、「人命最優先」を言い続け、一方で「テロリストとは交渉しない」と言い続けた。この2つは相交わることはない。両方の実現など不可能だ。
「テロリストと交渉し身代金を渡せば、さらに誘拐を誘発する」から交渉しないというのだ。「イスラム国」は単なる金目当ての誘拐組織ではない。政治的背景があり政治的意図がある。交渉し身代金を支払ったからそれに「味をしめて」誘拐が頻発するわけでも、また逆に交渉しなければ誘拐が根絶するわけでもない。
そもそも人質を取られている以上、救出するには交渉するしかない。
政治的背景とは無関係の身代金目的の幼児誘拐事件が時々日本でも起こっている。では警察は、「交渉に応じて身代金を支払えば誘拐事件が頻発するから交渉しない」との対応をとるのだろうか。そんなことはない。人質の身の安全を第一に考え、救出するために交渉するのが常道だ。結局、安倍政権は、何の交渉も行わず、ただただ「情報収集」していただけで、見殺しにしたのが実態だ。
事件後の国会で、2人が拘束されていることを知りながら「『イスラム国』と戦う周辺諸国への支援表明」のリスクの追及に対して、安倍は「リスクを怒れるあまりこのようなテロリストの脅かしに屈すると周辺諸国への人道支援はできなくなる」と居直った。「見殺しは当然」と居直ったのだ。民間人が殺されようが、アメリカなどの有志連合に加わって、「イスラム国」との戦争に参加するという決意なのだ。「国家は国民を守らない」のだ。むしろ「国民」を犠牲にして戦争に突き進むのだ。
安倍は、昨年の集団的自衛権の行使容認の閣議決定の際に、国会でパネルを掲げて、「邦人救出のためには集団的自衛権は必要」とぶち上げた。しかし今回の事態を見れば、「邦人救出」どころか「見殺しにする」のが国家の本質だということが明らかになった。「邦人救出」は自衛隊を戦場に派兵するための口実に過ぎない。(つづく)