ストップ安倍強権政治
秘密保護法の施行許すな
首相官邸前10日、秘密保護法の施行に抗議して350人が官邸前で抗議の声をあげた |
6日、午後2時前から日比谷野音で「強行採決から1年『秘密保護法』施行するな! 12・6大集会」が1600人を越える人たちを集めておこなわれた(写真右下)。
昨年のこの日、1万人をはるかに超える人々が国会を取り囲む中で、「秘密保護法」の採決が強行された。以来1年、「6の日行動」を中心にさまざまな行動を取り組んできた人々が集まり、10日に迫った法の施行を絶対に阻止しようと声を上げた。
主催者あいさつで、海渡雄一弁護士は、「この法律の真の目的は何でしょうか。それは、われわれを萎縮させ、黙らせるためのものだと思う。ならば、われわれは、さまざまな市民運動をけっしてあきらめない。私たちは、この社会の主人公として、政府の秘密を知る権利がある。法の廃止まで闘い続けよう」と訴えた。
新崎盛吾さん(新聞労連委員長)は「今でも権力に批判的とされるマスコミの報道や取材に対する圧力があります。私も、身体捜索を受けたことがあります。秘密保護法が施行されたら、ますます圧力が強まることになります。私たちは、こうした当局の動きを監視し、しっかり対決していく決意を固めています」と語った。
勝つまでたたかう
国会議員のあいさつ、アピール紹介、カンパアピール、日弁連、学習院大学大学院教授の青井未帆さん、戦争をさせない1000人委員会、解釈で憲法9条を壊すな! 実行委員会の平良さん、憲法共同センター、秘密保護法対策弁護団、特定秘密保護法に反対する学生有志の会からの発言が続いた。
平良さんは「私は、沖縄の出身です。沖縄が望んだのは平和憲法の下への復帰でした。しかし今、9条が危うい。国民には何も知らせないまま、戦争のできる国、いや、戦争をする国へと変えようとしています。一つだけ勝てる方法があります。それは、勝つまで闘うということです」と訴えた。
最後に、秘密保護法に反対する全国ネットワークの各団体から活動報告がおこなわれ、集会アピールを採択して集会を終えた。参加者は、その後、銀座までのデモ行進をおこない、秘密保護法の廃止を道行く人たちに訴えた。
大阪でも連日の抗議行動
秘密保護法成立から1年目の6日、大阪市内で「秘密保護法廃止!ロックアクション」がおこなわれ、350人が集まった。扇町公園でひらかれた集会では、全国(東京、横浜、静岡)で開始されている違憲訴訟の報告、大阪弁護士会の報告など、秘密保護法廃止に向けて更なる闘いの決意が語られた。集会後、大阪駅前の繁華街までデモ行進(写真上)。
法施行後、はじめてとなる「6の日」行動は、1月6日、大阪中之島公園水上ステージで午後6時半から。
翁長沖縄県政が出発
辺野古新基地建設阻止が柱に
陸で海で激しい攻防
軍用車両の前にたちはだかる(6日) |
11月16日の沖縄県知事選で、新基地建設反対を掲げた前那覇市長・翁長雄志さんが、現職の仲井眞に10万票の大差をつけて圧勝した。にもかかわらず、安倍政権は、知事選の2日後の18日夜10時過ぎ、キャンプ・シュワブに大型トラック11台分の工事用資材を搬入。
翌19日、沖縄防衛局は浮桟橋の設置を再開。海上での作業は約2か月ぶりだ。海上抗議隊は船3隻、カヌー13艇で抗議した。シュワブゲート前では50人が座り込んで抗議。翁長雄志新知事(12月10日就任)もゲート前に駆けつけた。
20日は海上抗議隊がカヌー20艇で抗議。19人が拘束された。ゲート前でも道路の真ん中に座りこんで抗議した。鉄柵を押しのけ山型の鉄板の上にも座り込んだ。これに対して機動隊の激しい排除が始まる。映画撮影や取材の記者にも襲いかかり排除。記者はメガネを壊された。この攻防で84歳のおばぁが頭を打つケガをし、救急車で運ばれた。ほかにも多くの人が打撲などの傷をおった。
翌日、海上には巡視船14隻、ゴムボート33艇、警戒船20隻が配置され、フロート、オイルフェンスを並べる作業が開始された。海上ではカヌー20艇で抗議。ゲート前には市民100人が座り込んでゲートを封鎖した。すると間もなく機動隊50人以上が座り込みの市民に襲いかかる。しかし、何度排除されても座り込みは続けられた。
工事が中断へ
22日の早朝より浮桟橋の撤去が始まった。巡視船、ゴムボートも姿を消した。21日に衆議院解散総選挙の発表がなされ、12月14日の投開票日まで作業は中断されるようだ。防衛局は「準備が整い次第作業を開始するという方針に変わりはない」と述べた。
ところが12月1日、キャンプ・シュワブのゲート前に工事車両が入ろうとした。市民がただちに阻止線を張って抗議行動を開始。防衛局職員がゲートの中から「車両を通せ」とがなりたてる。「選挙期間中は工事をしないと言ったのは防衛局ではないか。工事車両は一台も通さない」と怒りの声があがる。防衛局とのやり取りが続き、周りの交通が渋滞する。機動隊が座り込みの排除をうかがう。追い詰められた防衛局は「1台だけ入れてくれ。あとは入れない」と泣きを入れてきた。そこでようやく座り込みを解除し、勝利のこぶしを突き上げた(12月10日現在、一台の工事車両も入れていない)。
7月7日からはじまったゲート前座り込みが、3日で150日目を迎えた。参加者ののべ人数は1万8千人を超えた。
4日、沖縄防衛局が県に提出している埋め立て工事工法変更申請を仲井眞知事が承認しないように求める「止めよう辺野古新基地建設! 12・4県庁包囲県民大行動」がおこなわれた。正午、雨にもかかわらず、2200人が県庁を包囲。キャンプ・シュワブのゲート前では山城博治さんら20人が抗議を続けた。
卑劣な工法変更承認
その翌日の5日、仲井眞知事は退任4日前に、埋め立て工事工法変更2件を承認した。前日の県民集会を無視し、知事選で落選したにも関わらず承認を強行した仲井眞知事に対し市民の怒りが爆発した。那覇市の知事公舎前やキャンプ・シュワブのゲート前で怒りのシュプレヒコールが上がった。「仲井眞の退任まで気を緩めないで頑張ろう」と気勢を上げた。県庁前では仲井眞の退任の9日までテントを張り抗議行動が続けられた。
8日、県庁の知事室前に「仲井眞知事が工法変更の承認をしたことの説明」を求め市民100人が座り込んだ。仲井眞知事は面会せず非常階段から逃げ帰った。
仲井眞知事が退任した9日は、県庁内に市民100人が集まり抗議の声をあげた。
10日、翁長雄志さんが県知事に就任。翁長さんは「アメリカ軍普天間基地の辺野古移設阻止を県政の柱に据える」「埋め立て承認の取り消しが法律的に可能かどうか検証作業を始める」と述べた。(沖縄 M)
2面
シリーズ 新成長戦略批判〜C
消費税増税は絶対阻止
結局は軍事予算に
(目次)
はじめに
T 消費税導入後の4半世紀
U 消費税の何が問題か?
V 日本の消費税の問題性
W シャウプ税制を破壊
(以下前号まで)
X 消費税導入と増税の口実
Y 消費税は軍隊のために
Z 源泉徴収制度の意味
X 消費税導入と増税の口実
第1は、「少子高齢化社会」の到来を国難のように騒ぎ立て、不安をあおるのが第2臨調以来の日本政府の消費税導入・税率アップを押し進めるための手法であった。本来、社会の人口構成において65歳以上の高齢者が増えることは、その社会が豊かで、安定していることの証明であり、喜ぶべきことである。老人を敵視して、後世の世代の負担が増えるなどと騒ぐ方がおかしいのである。しかも騒いでいたのが土光敏夫氏のように90歳近い高齢の富裕者であったのであるからマンガに近い。
そもそも社会の人口構成を、年齢だけで判断するのは間違っている。生産年齢に属する人が、みんな働いているわけではないし、高齢者がすべて被扶養者というわけでもない。社会の人口構成は、就業者かどうかで見るべきである。人口にしめる就業者の割合でいうなら、日本の場合、過去・現在・未来を通して、ほぼ2分の1である。つまり就業者は自分自身と他の1人を養っているのであり、これは高齢化が進んでも変化がない。
財政危機のカラクリ
第2の口実が「財政危機」論である。「日本がギリシア化する」「社会保障の財源がなくなる」などと危機感をあおりたてる手法である。
ギリシアは通貨の発行権を持たないため、国債をほとんど外国の金融機関に買い取られ、国全体がヘッジファンドのおもちゃにされたのであって、日本とは全然違う。日本の国債は、ほとんど日本人が持っていると言われている。しかも赤字が重なって国債費が増大すればするほど、国債の利子・元本の支払いは国債を保有している富裕層の下に行くから、彼らに有利なのである。日本のような財政構造の国は、国の赤字が増えれば増えるほど富裕層に利益があるのである。
他方、往々にして、「日本の国債はほとんど日本人が持っているから、財政は破綻しない」という人が多いが、労働者人民はそんなに甘く考えてはいけない。国債の保有者の国籍がどこであれ、彼らが本当の財政危機になったとき、国債の棒引きに簡単に応じるなどとは考えられないからである。資本家に愛国心など期待する方が間違っている。
第3が「小さな政府」「簡素で公平な財政」という欺瞞である。消費税を増税し、法人税や個人所得税は減らすやり方の中に欺瞞性がすでに表れている。要するに、大企業や富裕層は、自らにたいする保護や優遇策を要求し(この意味では「大きい政府」となる)、その一方で、労働者人民にたいしては国家的サービスの縮減を要求する(この意味では「小さな政府」となる)のが彼らのやり方である。
1988年と2010年の国税収入の比較 武田知弘『税金は金持ちから取れ』より |
Y 消費税は軍隊のために
そもそも消費税が歴史上初めて導入されたのは古代ローマ時代の初代皇帝アウグストゥスの時である。広大な領土を獲得し、防衛するための50万人の軍隊を維持するために、税率1%の売上税を創設した。これはすべての事業者の売上高に課税する大型の間接税で、アウグストゥスはこれを軍事費の不足を補う目的税とした。それ以降300年間、この税制はローマ帝国の軍隊を維持するために存続する。
ナチスの戦争財源
歴史上、消費税が導入された第2の例は、第1次大戦中の1916年にドイツが戦争遂行財源として税率0・1%の売上税を創設したことであった。これは戦後も賠償金の支払いなどのため増額され、途中、若干の上下変動があったが、ナチスの政権掌握で税率を引き上げ、敗戦後の1951年には4・0%にした。4・0%というと低率であるように感じるが、この売上税は、取引のすべての段階で4%が課税されるもので、複利計算で雪だるま式に税が増える仕組みであった。
以上ふたつの例に見られるように、消費税はいずれも戦争に関連して導入されている。軍隊という巨大な国家暴力装置を支えることが目的であるから「小さな政府」のための税制であるはずがない。そもそも新自由主義者の言い分そのままに国家や政府を無力、無意味にするためであったら税金などいらない。矛盾と欺瞞の極みが消費税をめぐる論議であると言わなければならない。
Z 源泉徴収制度の意味
消費税とは、税というよりむしろ、「社会的弱者の富をまとめて、巨大資本や富裕層に移転するための収奪システム」という方が正しいであろう。資本主義の搾取・抑圧を支える再配分による「社会的安定装置」としての役割をまったく持たないからである。 このような消費税は減税または撤廃し、個人所得税の累進率を上げることが本筋ではないか。社会保障について、公助→共助→自助と負担者を移行させ、典型的には「障害者自立支援法」のように応能負担を廃して応益負担にするという破壊的な措置が取られてきた。これ以上、このような仕組みを許してはならない。
「皇国租税理念」
このように、税制の改悪に次ぐ改悪を許してきた根底に、主体的に言えば、日本人の税金感覚の問題がある。すなわち、政府を「お上」と呼び、税金はとられるものであり、とられてしまえば「お上」のもので、自分たちのものではないとする「感覚」があったことを忘れてはならない。典型は戦時中の「皇国租税理念」である。1944年、当時の大蔵省主税局長・松隈秀雄は帝国議会で次のようにこれを説明している。「皇国本来の租税理念は……上納の観念である。神様に御初穂を差し上げる観念である。したがって国民としては、応分皆納の思想をもたなければいかぬということをよく分かるようにする必要があります」
このような神がかり的租税理念を支えたのが、所得税などの源泉徴収制度である。これは1940年にナチス統制経済の仕組みを研究した大蔵省が導入したもので、納税額の自己査定である「確定申告制度」とは逆に、財務省が査定して、納税者はその通り納めるという制度である。税金を、誰がどれほど納めて、誰のためにどれほど使うかについて、納税者である労働者人民には関与させず、できなくさせるシステムである。ここには「租税民主主義」「財政民主主義」はまったくない。日本は、大部分の給与取得者にこの徴税方式が適用されているという世界でも珍しい国である。委任民主主義(お任せ民主主義)の典型がここにある。
税は民衆が決定すべき
民衆の自己決定が悪税とのたたかいでも決定的である。本当に必要とする政策や政府には民衆は喜んで税を払う。そうでなければ払わない。それが可能でないところに真の民主主義はない。アメリカの独立革命は、1773年のボストン茶会事件で口火を切った。「代表なくして課税なし」の原則にもとづいて、イギリス議会議員の選出権を持たない植民地アメリカの人民が東インド会社の商船を襲撃して、本国が税金をかけようとしている紅茶を海に投棄したのである。現在のティーパーティはアメリカの共和党右派の組織となっているが、もともとの意味はこういうものだった。
1905年の第1次ロシア革命でソビエトは、ツァーリの政権に納税拒否を呼びかけた。これには労働者・農民はもちろんブルジョアジーや下級貴族まで協力して大きな効果を発揮したと言われている。ゼネストや武装蜂起よりも効果は大だったといえる。ただしツァーリの権力の激しい弾圧をうけ、たたかいぬいたからこそこの戦術も有効性をもったのである。
日本にも明治初期の1875年から77年にかけての地租改正反対一揆がある。全国画一の地租への統合を理由に、農民への賦課を従来以上に高めようとする明治政府に、全国の農民が蜂起し、数年間にわたってたたかい、ついに1877年に地租を3%から2・5%に下げさせたのである。民衆の側はこの事態を「竹槍でドンと突き出す2分5厘」と川柳で揶揄した。また、日本の労働者人民は、徴兵制度の施行にも「血税反対一揆」なるものを起こして抵抗している。
戦後最大の税制の大改悪、消費税増税に反乱を起こそう。格差・貧困化の極限的進行と争闘戦から戦争への道、消費税大増税を阻止し、消費税を撤廃しよう。
(おわり)(落合 薫)
【引用・参考文献】
北野弘久・谷山治雄『日本税制の総点検』
安藤実『日本財政の研究』
小此木潔『消費税をどうするかー再分配と負担の観点からー』
武田知弘『税金は金持ちから取れー富裕税を導入すれば、消費税はいらないー』
斎藤貴男『ちゃんとわかる消費税』
岩本沙弓『あなたの知らない日本経済のカラクリ』
落合薫「安倍政権を99%人民の怒りで包囲しよう」(『展望』14号)
秘密保護法の廃止を求め
大阪弁護士会がデモ
秘密保護法施行を2日後にひかえた12月8日の昼休み、大阪弁護士会がよびかけ、ランチタイムデモがおこなわれた。大阪弁護士会館前の広場に、弁護士、市民など250人が集まり、石田法子・大阪弁護士会会長は「秘密保護法の問題はまだ終わっていない。人が作った法律は、人が変えることができる」とアピール。参加者にひまわり(正義と公正のシンボル。弁護士バッチはひまわり)の造花が配られ、市役所前までデモ行進した。
3面
仕組まれた「JAL破綻」
整理解雇は不要だった
12・2 大阪
原告団が「あの空へかえろう」を合唱 |
2日、大阪市内で「JALの仲間とともに 空の安全をとりもどす12・2集会」(実行委員会主催)が開かれた。関西で解雇、差別争議を闘う労組からの報告もなされた。支援共闘、支える会に集まる労組、市民など多くが会場のエルシアターを埋め、最高裁闘争勝利を誓った。集会は、JAL裁判原告を含む3人の女性による進行で始まった。
第1部は、裁判で証言した醍醐聡東大名誉教授(専門は財務会計)が「空の安全があぶない! JAL裁判と労働者の未来」と題して講演。第2部は闘いの映像、各争議闘争報告、JAL原告団の報告と決意。
新事実が明らかに
醍醐さんは、高裁に提出した新事実について詳細に暴露。JAL側の解雇理由説明では、「希望退職を募ったが更正計画(2011年3月)に未達成だったので2010年12月31日(大晦日)165人の大量解雇に踏み切った」というものだった。東京地裁はこれを認め、整理解雇の正当理由として解雇有効としていた。ところが、12月31日の時点で退職予定者が、更正計画を、パイロットで110名オーバー、客室乗務員で78名オーバーしているという会社側資料が出てきた。しかし高裁判決はこの事実を完全に無視し、逆に更正計画の未達成の立証責任を非解雇者原告にもとめるという極悪の判決を下したのである。労働法の根本を否定するものである。「理不尽、不条理そのものだ」と醍醐さんは弾劾した。
安全無視のJAL
解雇基準にパイロット55歳(機長)、48歳(副操縦士)、客室乗務員53歳以上を適用した。これは高度な安全が求められる航空においてベテランを排除するもので国際基準を逸脱したものである。エールフランスKLMグループ、ルフトハンザ航空では「年齢選別」を禁止している。ANAでは3万航空時間の59歳客室乗務員を祝福した(11月21日)。JALの解雇基準がどれほどデタラメか、である。高裁判決はこれを「安全低下の根拠なし」と追認したのである。
危険な便別採算性
「利益を出す」(稲盛)経営はいま便別採算性まですすんでいる。燃費節約のための危険な航路選択(台風の中を直進、戦場空域飛行など)や定時到着率を競わせるためにリミットアウト(整備不良で出発待った)を申告しにくい雰囲気さえつくりだされている。
債務は解消できた
醍醐さんはJAL破綻の真相は「仕組まれた国策破綻」だと独自の詳細な財務分析をもとに暴露した。
公表された債務超過は1兆7135億円といわれ誰も疑わなかったが、分析によると9402億円は「ゲタをはかせた」(片山元管財人の証言2011年9月5日)財産評価損であり、3031億円は更正手続きを選択したために発生した退職金債務。残りの債務4702億円は再建後利益と減損会計で解消でき、JALは自力再建可能で破綻処理する必要なかったのである。だから、1年後には1500億円超の黒字なのである。ここまでして無理やり破綻処理なのか。
国家的不当労働行為
大量解雇の真実が明確になってきている。安全問題で「もの言う組合・乗務員を職場から追い出す」労働組合破壊計画の実行であり、「京セラの内部留保1兆円をめざせ、ANAなんか問題ではない」(JAL破産管財人代理の発言。社員むけ教育用ビデオで)であり、その果てにJALを国策として完全民営化するという新自由主義攻撃の軸に位置づけた、マスコミ・司法も動員した攻撃だったのである。だから、政府の肝いりで京セラ稲盛を経営に引っ張って血の入れ替えを断行したのである。この攻撃に立ちはだかるJALの闘いを労働者全体の闘いでさらに強めよう。
「力は残っている」
最後に原告団が壇上に立ち、最高裁闘争勝利へ決意を明らかにした。おのおのが解雇当日から4年を振り返り判決に怒りながら「負けるわけにはいかない」「勝つまで闘う」「もどるまで闘う」、そのために政治を変えると語った。そして沖縄県知事選挙のオナガ勝利に駆けつけた俳優菅原文太さんの言葉のセリフをかりて「パワーは残っている。勝つぞ」と締めくくった。
ILO第二次勧告(2013年10月31日)、8月28日(行訴スト権介入事件)不当労働行為判決を踏まえ、12・2集会をきっかけに新たな最高裁署名などの大運動をつくりだし、JAL闘争勝利を闘いとろう。(M)
成田空港シンポジウム
深刻な騒音被害明らか
空港と住民のくらし検証
11月29日、成田市内において市東さんの農地取り上げに反対する会主催の「検証・成田空港と住民のくらし 11・29シンポジウム」が開かれた(写真)。成田空港建設による農地強奪問題と並んで、いま一つの重大かつ深刻な問題といえる騒音・健康問題に切り込み、また成田空港周辺地域で開かれる初めての集いである。さまざまな妨害と対決し、周辺地域に1万枚の宣伝チラシを市東さんの会独自で配布し、地域住民がつくる集会として大きな成果を得た集会であった。
騒音と健康被害
冒頭、北海道大学大学院教授の松井利仁さんが、成田空港の騒音問題について講演した。「騒音による健康被害」が相当深刻な状況にあるにも関わらず、日本にはその研究者がほとんどいないこと、また日本では騒音による健康影響が死亡や疾病に至る(狭義の健康影響)までは問題視されず、「たかが生活妨害」(広義の健康影響)程度くらいにしか認識されていない。
しかし騒音による一時の睡眠妨害も、それが1か月以上続くようになると睡眠障害という疾患(病気)に変わっていき、さらに様々な身体的健康影響に及んでいくという。交通騒音による健康影響は、睡眠障害、高血圧、心臓血管疾患(心筋梗塞)、糖尿病など、すでに科学的知見として知られるようになり、また夜間騒音がより深刻(高血圧リスク)であることも明らかになっている。
厚木爆音訴訟の横浜地裁判決は、WHO(世界保健機構)環境騒音ガイドライン、欧州WHO夜間騒音ガイドライン、あるいは欧州における環境要因による健康損失、そして厚木での測定結果と健康損失をふまえた画期的判決であった。
環境要因による健康損失として、日本ではオゾンやダイオキシンの問題が新聞紙上を賑わすことがあるが、航空機騒音を含めた交通騒音は、これらをはるかに上回る危険要因といえる(欧州WHO報告)。しかるに日本(成田空港を含め)の「環境基準」は、2年前にWECPNLからLdenに表現は変わったが、先に述べたような健康影響の科学的知見などは見送られ、元の基準値が継承された(辺野古のアセスも同様)。騒音による健康被害・影響を考慮に入れない環境基準など、一体何の意味があるのか。
とりわけ成田では、夜間10時には就寝につき朝7時頃に起床する人が多いが、飛行制限は夜11時〜朝6時であり、約半数の人たちの睡眠が保護されておらず、飛行制限を夜11時から6時までとする根拠もまったく存在しない。
松井さんのこうした科学的立場からの「騒音問題と健康影響」報告は、すでに私たちが取り組んでいる農地問題とは異なるが、第3滑走路問題をふくめ無謀な空港建設と闘う、もうひとつの重要な視点、切実な課題といえる。後述する足立成田市議の報告にもあったが、周辺住民は相当な比率で睡眠妨害、疾病症状を訴えている。
野放しの騒音
成田空港騒音の「音と映像」による報告に続いて、同会事務局でもある足立満智子成田市議より、「成田空港の騒音問題と急浮上した拡張計画」について報告がおこなわれた。騒音は2つの法律(騒防法と騒特法)による「規制」や補償措置があるが、住民の生活や健康を守るものとは縁遠い。住民の中には「もう慣れた」などという人もいるが、それはあきらめに近いもので、騒音実態に即した対策がなされてこなかったことを意味している。
空港周辺住民からの聞き取りや成田市がおこなったアンケート調査報告を見ても、騒音問題はきわめて深刻な状況にある。また空港内の自走機による騒音・低騒音が何の規制も受けず野放し状態にある。第3滑走路構想については、当初の成田空港計画と同様に、地元の人々に何一つの相談もなく発表され、今もその位置さえ明らかにできないという代物だ。
その後、意見交換がもたれ、周辺住民からの深刻かつ率直な現状報告も含め、参加者から活発な質疑応答と議論・意見が交わされた。
そして「成田市への申し入れ」を採択したあと、農地裁判の当該である市東孝雄さんが立ち、「私にとって農地は命。私の農地問題は私一人の問題でなく、誘導路に囲まれた東峰の人たち、また騒音下にある五千軒をこえる人々の暮らしとつながっている。この地で1日でも長く農業を続けていく」と変わらぬ決意を表明し、集会を締めくくった。
4面
「耐え忍ぶのでなく、怒りをもって」
生活保護裁判始まる 大阪
10月31日、大阪市内で生活保護基準引下げ反対大阪連絡会が主催して訴訟提起に向けた説明会がおこなわれた。会場には原告になる予定の人たちが続々と集まり、参加者は100人前後になり、会場は立錐の余地もなくなった。
受給者の生活実態
引き下げ後の受給者の生活実態に関するアンケート調査を〈全大阪生活と健康を守る会〉がおこなったが、そこから明らかになったことは、食費と衣類をもっとも切り詰めているという結果が出てきた。従来からギリギリの生活をしているのに、さらに切り詰めていけば、「健康で文化的な生活の保障」が「餓死しない程度の保障」に変質・切り下げられていく。さらに厚労省は保護基準引き下げに続いて、住宅扶助(家賃相当分)削減の策動を始めている。こんな攻撃はぜったい許してはならない。
考えてもみてほしい。200万人を超える人たちの生活の基準を最大10%引き下げることは何をもたらすのか。保護基準は最低賃金やさまざまな社会保障制度のベースとなっているため、社会全体の生活水準を引き下げ、格差社会はますます拡大していく。まさに、土台が沈むとみんなが沈むのである。
誰が得をするのか
誰も得をしない。引き下げによって削減された財政は国庫に入り、そこから巨大独占資本や金融資本、そして富裕層のふところに入っていく。200万人を超える人たちの保護基準の引き下げの次にくるのは賃下げや種々の社会保障の解体だ。
普門大輔弁護士は、訴訟の意義として、「生存権をあらためて確立させていくだけでなく、保護基準と連動しているさまざまな諸制度、最低賃金や教育の保障、国民健康保険、介護保険等の諸制度につながるすべての人たちの権利を守っていくことである」と提起した。さらに、生活保護にたいして「誤解をもつ人たち」を含めて、世論に訴えていくことも課題として訴えた。
裁量行為とのたたかい
今回の引き下げは法改正によるのではなく、大臣告示という一片の通知で強行されている(生活保護法8条)。
したがって、法律論的にいえば大臣の裁量権の逸脱・濫用を立証していくことになる。今の司法の反動的姿勢をみれば簡単な裁判ではない。しかし、不可能な裁判でもないことも提起された。
今、保護基準引き下げは社会全体の問題だとして北海道、群馬、埼玉、石川、愛知、三重、滋賀、京都、大阪、和歌山、岡山、広島、愛媛、宮崎、佐賀、熊本、沖縄と全国で提訴が始まっている。提訴予定を含めるとさらに拡大する。
最後に普門弁護士は、たたかいながら社会を変えようと語り、「差別され、しいたげられ、苦しい思いをしている全ての人たちとつながって社会を変えていくこと、その中にこそ本当の勝利がある。耐え忍ぶことは社会保障解体の攻撃を受け入れることにつながる。だから、耐え忍ぶのではなく、怒りをもってたちあがろう、声をあげよう、そして社会を変えよう」と訴えた。
『大阪市の生活保護でいま、なにが起きているのか』(かもがわ出版 1400円+税)
保護費削減と、違法な実態を告発
全国最悪の大阪市
全国の自治体で生活保護費が増加し続けている中、大阪市は昨年、全国の政令指定都市で唯一保護費を削減した。なぜ、大阪市だけ保護費を削減できたのか。
今年5月28、29日、全国調査団が大阪市ともっとも激しくたたかったのが、申請者を入口で締め出す「申請時のガイドライン」(以下、ガイドライン)といわれる大阪市独自の「水際作戦」だ。これは、申請者が稼働年齢層(15歳〜64歳)の場合、申請を受理した上で求職活動を指示し、就職に至らなかったら「稼働能力を活用していない」として申請を却下するものである。
本書では、大阪市と当該のAさんとの激しい攻防が生々しく報告されている。Aさんは職場で倒れ、所持金が尽きる中、「買い置いていた米を1日1回だけ食べて」(同書33ページ)命をつなぎ、ハローワークに通い、体調不良をおして数社に面接するも、就職するに至らなかった。誠実かつ熱心に求職活動をしたAさんに対し、大阪市は「稼働能力を活用していない」として申請を却下したため、弁護士が同行してようやく保護開始決定となったが、大阪市の抵抗は生半可なものではなく、Aさんの保護開始決定時の手持ちは10数円だった。
ガイドラインの違法性を指摘された橋下市長は、関西テレビの取材に対し「ルール違反であったことは申し訳ないし、ルール違反は改めます」といわざるを得なくなった。しかし、橋下市長はいまだにガイドラインを改めることを一切やろうとしていない。
淀川区、浪速区では
本書ではガイドラインの違法性の暴露だけでなく、生活保護行政の現場において400人を超える恒常的な要員不足の実態が明らかにされ、構造的な過重労働による病気休職者が出ていることにもふれている。過重労働をおしつける本庁に対し、淀川区や浪速区から反乱が起こっていることも開示資料の分析によって判明してきた。
本書ではケースワーカーの覆面会議も掲載されている。なかなか本音を言えないケースワーカーたちが集まり、現場の生の声や過酷な労働条件、過度な警察依存の実態、さらに改善への取り組みの提案も出されている。
調査団に参加した雨宮処凛さんは「胸が熱くなった調査活動」というコラムを書いている。印税は全額、全国で開始されている生活保護基準引き下げに反対する裁判費用に寄付される。ぜひ一読を。
保安処分的な面が強まる
医療観察法廃止へ
11・23 東京
殺人や傷害、強制わいせつなど六罪種の犯罪をして「心神喪失ないし心神耗弱」と審判された「精神病者」を特殊施設に収容するか、指定された精神病院に強制的に通院させる法律が「心神喪失者等医療観察法」だ。2006年の施行後、分かっているだけでも37人も自殺者を出しているなど大きな問題があるにもかかわらず、何の反省もなく続けられている。既に数年間収容されたままの人がいるなど、当初心配された長期収容の問題も起きている。特殊施設といってもスタッフの数が多いだけのことで、特別な治療法があるわけではなく漫然と収容が続けられている。
2年間の強制収容
毎年二回の恒例になっている集会だが、年ごとに新しい状況が報告される。基調報告で広島の足立修一弁護士は、以下のように語った。
当初は想定したほど入院の割合は高くなかったが、指定入院機関の整備が進むとともに徐々に入院の割合が上がってきている。入院設備があるから入院が生じるのだ。審判で付添人(弁護士)は「地域での通院で足りる、任意入院でよい」と主張するが、家族が受け入れるかどうかが大きく左右する。また指定入院機関が処遇終了相当と判断しても、すぐにはそうならないことが多い。指定入院機関の医者が入院の必要はなくなったから通院相当と判断しても指定通院機関が決まらないために退院とならないケース。地域での受け入れが進まないために退院できないケース。すなわち、いったんレッテルを張られてしまうと簡単には剥がせず、社会復帰ができない実態がある。
また指定通院機関、地域での受け入れが決まっても、裁判所での手続きに無駄な期間がかかる。鑑定が誤っていてもそれを正す手続きが定められておらず、対象行為がないことが分かっても再審の手続きがないことなど制度の不備がある。また自殺者が多いことは「内省」を促すプログラム自体に問題があることを示しており、責めずに行動を改めるようにプログラムを見直す必要がある。
最近の具体例として、元妻への全治1週間の傷を負わせたことで2年も入院させられたケース。家族に10日間の傷を負わせて入院となったが退院を家族が受け入れず、グループホームも受け入れないケース。知的障がい者は本来この制度の対象ではないが、入院処遇となったケースがある。
観察法の実態は徐々に保安処分的な面が強くなっており、運用実態を暴露して反撃する必要性がある。巨大精神病院を全廃し司法精神病院も無くそうとしているイタリアの改革を見れば、日本でも精神病院や司法精神病院(観察法病棟)をなくすことは可能だ。そのためには地域での取り組み、受け皿を作ることで、すべての人が尊重され地域でいきいきと生きて行ける仕組み、ネットワークを作ることが必要だ。
自殺した仲間のこと
全国「精神病」者集団の山本眞理さんは「精神病院での虐待の実態」を報告した。精神病院では枚挙にいとまがない虐待がおこなわれている。公表されている隔離数は増えており、身体拘束数は2004年に比して倍に増えている。
「病棟転換型居住系施設に反対する闘い」の報告が東京と大阪の方から。また京都から生活保護引き下げに対する取り組みの報告があった。
私は最近自殺した仲間のことで思うことを報告した。亡くなったのは患者会の30年来の友人であり、私が初めて患者会というものに入った時にいた仲間だ。私の患者会に対する過信が彼女を助けられなかった原因ではないかという後悔の念が強い。彼女が発したSOSを捉えることができなかった。彼女が自分の本当の辛い思いを患者会で語れなかった。「何々せねばならない」というように活動を何かの義務のようなものと考えるような思考から抜け出す助けになれなかった。そこに患者会が万能であるかのように思ってしまった私の過信があったのではないか。患者会さえあれば何でも語れる場であるだとか解決があるはずだとか、頭で考えた型に現実を当てはめてしまう理論先行の誤りがあったのではないか。理論の再構築を含めて考えていきたいと思うこと、また彼女の通うクリニック、職場、家族との連携ができなかったか、悔やまれることなどを話した。あらためて心から御冥福を祈りたい。
集会参加は82人。(高見元博)
5面
守れ!経産省前テントシリーズM
裁判長が突然の結審
12・3
「脱原発テントといのちを守る裁判」の傍聴に集まった人びと(3日 東京) |
開廷されたその時には、こうした最後は全く予想できなかった。弁護団からの準備書面要旨の弁論、当事者参加申し立てをした福島のKさん意見陳述が終了した後、裁判官の合議が5分程度おこなわれ、再開するや裁判長は突然結審を宣言し逃げ去った。判決日は指定せず。
準備書面要旨の弁論
この日の法廷では、弁護団による準備書面要旨の弁論と、双葉町から避難した女性による陳述がおこなわれた。
大口弁護士は、経産省と検察による「テント設置者の2人」という特定は、あやまりであることを追及。釈明が虚偽であり、まったく無責任なものであることを鋭く指摘。MさんとEさんの現場使用許可申請者の取り違い、人物同定ミス。そうしたミスを発生させた違法ビデオの証拠開示請求の拒否。さらに、テントひろば占有者は、特定の組織・団体の代表者ではなく、たったの2名のみを代表格として被告とすることの誤り。「私は、占有者」と名乗る人々は、43名にものぼるもので、告訴形式自体、虚偽・無根拠である。そして、第2テントの設置は、福島の女性たち、子どもたち、被害者、被災者のものであり、被告2名の占有使用するものではない等々、現場認識の誤りを訂正せず、作成した退去勧告書も不当なものであり、証人S氏との対話も証拠として提示することはできないものだったことが論証された。こうして、被告2名の特定は無根拠であるとして、告訴の即時却下を要請した。
長谷川弁護士は、テントひろばは、経産省の業務を阻害・妨害するものではないことを歴史経過的に立証。経産省の現地説明書の中に、「ポケット・パーク」という記載があったことを再び、検察側に確認させようと迫った。「ポケット・パーク」=公共空間という要件がすでに、設計意図に盛り込まれていたことを追及し、そのうえで、この公共空間で営利事業は一切おこなわれていないことも付加。東電原発の安全神話が福島の人々を破滅に追いやったことを東電や国が自覚することなしに、この公共空間での活動はやめられないこと、この場所の管理責任が国にはないことを、証明した。
あらゆる安全基準を下げて、原発の稼働を住民の安全や労働者の健康よりも優先していた国こそ、東電福島事故の責任を問われなければならない。科学技術の言葉の操作によって、企業優遇の制度を改変させていたのは国にほかならず、この体質は、東電福島事故以後も本質的に変わっていない。そうであればあるほど、経産省前テントの存在意義は正当なものとなる。民衆の正当な表現の自由を抑圧、不当弾圧する国にこそ違法性がある、と立証した。
求釈明では、「世界最高水準の安全」神話の虚構性、チェルノブイリ事故とのまっとうな比較考証のサボタージュ、避難計画の未成等々検察側国の怠慢・錯誤を縷々指摘したが、検察側は「すでに書面に書いたとおり」と不誠実な返答を再三繰り返し、弁護側を激昂させた。追いつめられた検察を裁判長が介入忖度して救済する。不公平な裁判長にも攻撃の矢は放たれた。
避難の女性が陳述
Kさんの証人陳述は、事故の発生から現在まで、いかに血を吐くような苦労をかさねてきたか、経験者の偽らざる言葉のはしばしには、真実の力がみなぎっていた。一片のメモを見るでもなく、裁判長の目を正視しながらの熱弁に対して、おちつかぬ態度で、裁判官たちは、Kさんの視線をかわしていた。
「こうして、いっさいの生きるよりどころを失くし、避難者として、絶望の淵に落とされた私を、からくも奮い立たせたのが、経産省前テントひろば、とりわけ、女性テントの存在でした。わたしのような苦労を今後ひとさまにさせたくない、私の最後の拠り所をなくされないよう、そして、わたしのふるさとには一生帰ることができないと捨て去られながらも、いつか帰れるというなにゆえとも知られぬ希望を、テントの皆様とわかちあっているのですから、裁判長はじめ、よろしくお願いします。テントを失うことは生きるすべを失うことです。」
会場には、すすり泣きが漏れ、テントの存在正当性が、東電福島事故被害者の女性から伝えられたと思われた。
そして、その瞬間、突然、3人の裁判官は、「合議」と称して退場した。5分ほどして戻るとすぐ、「今回の法廷で弁論は終わります」と早口で、よくわからない弱々しい調子で宣言した。長谷川弁護士は「忌避、忌避」と裁判官席に詰め寄ったが、3人の裁判官は退席。その後、弁護団は、面会を要求したが、拒否された。
午後7時からの報告会では、どうしても結審としかみなせないが、これをいかにのりこえて、たたかいつづけるか、今後のたたかいへの志気を一層高めようと、繰り返し繰り返し、それぞれの人々から呼びかけられた。
この結審が、国会周辺、首相官邸前への抗議行動弾圧へと及ばぬよう、抗議行動を強めよう。(Q)
進む米軍のアジア重視
岩国が極東最大の基地に
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11月29〜30日、山口県岩国市で「アジアにおける米軍基地に反対し、日本の集団的自衛権に反対する国際連帯集会」、「岩国☆希望の祭」、「米軍基地へのデモ」など岩国行動がおこなわれ、約200人が参加した。
岩国福祉会館で開かれた国際連帯集会の1日目(写真)は、岩国からの報告と全国各地の反基地運動からの報告があり、2日目は韓国、フィリピン、オーストラリアからの報告があった。
岩国からは、〈住民投票の成果を生かす岩国市民の会〉の大川清さん、岩国市議の田村順玄さん、愛宕山を守る会の岡村寛さんが発言した。岩国では、今年5月に愛宕山米軍施設の敷地造成工事が開始され、8月には普天間基地から空中給油機KC130部隊15機の移駐がおこなわれた。2017年には、空母艦載機や最新鋭戦闘機など130機前後が集結し、米軍関係者1万人を抱える極東最大の航空基地になろうとしていることが報告された。
沖縄からは名護市議の川野純治さんが沖縄知事選や辺野古の攻防、京都からは大湾宗則さんが米軍Xバンドレーダー基地建設をめぐる攻防、呉からは〈ピースリンク広島・呉・岩国〉の新田秀樹さん、横田からは全労協全国一般東京労働組合の大森進さん、砂川からは砂川裁判元被告の武藤軍一郎さんが砂川裁判の再審を請求してたたかっていることを、それぞれ報告した。
各国で基地を強化
また海外からは、米軍の「再均衡戦略」と呼ばれるアジア太平洋重視政策のもとで、アジア太平洋のさまざまな地域で米軍のプレゼンス(影響力)が強化されていることが報告され、日本の京丹後や岩国や沖縄の現状と一体で動いていることを実感した。
韓国からは〈群山平和と統一を開く人々〉のキム・ヨンテさんが立って、韓米連合司令部の平澤移転が仕上げ段階にあるこの10月23日の韓米年次安保協議会議で、韓米連合司令部のソウル残留が決まった。これは、龍山米軍基地移転協定にたいする重大な違反であり、駐韓米軍は事実上ソウル(龍山)と平澤の2カ所に司令部を置くことになり、韓国国民への負担を加重させるものであり、平和を願う韓国国民の思いを踏みにじるものであると報告した。
フィリピンからは、ブッチ・ポンゴスさん(バヤン日本支部)が、今年の4月28日に調印された比米防衛協力強化協定(EDCA)がフィリピンにおける米軍の活動を飛躍的に強化し、アジア回帰を補助し、フィリピンの主権を明け渡すとんでもないものであると報告した。
オーストラリアからは、〈オーストラリア反米基地キャンペーン連合〉のデニス・ドーディさんが、2011年に米軍海兵隊2500人の北部ダーウィン基地への駐留に同意したこと、この間のオーストラリア中央にある米軍パインギャップ基地の強化とインド洋ココス諸島(オーストラリア領)からの無人機の飛行、そしてパキスタンでの無人機による3000人以上の殺人について、パキスタンとオーストラリアの弁護士から訴追されていると報告した。国際連帯のたたかいの必要性がますますはっきりした。
国際連帯を実感
29日の夕方からは、岩国市民会館で、「岩国☆希望の祭り」がおこなわれ、海外からのゲストや岩国市民が登壇し、岩国・労働者反戦交流集会実行委からの発言のあと、まーちゃんバンドの演奏があった。夜の交流会では全国から参加の労働組合や団体から発言があった。また30日の午後からは雨の中、米軍基地までデモをおこなった。
福井の原発を動かすな
「若狭の家」オープン
小林圭二さんが発言 |
10月1日、反原発「若狭の家」が若狭現地にオープン。それを記念して、「若狭の原発再稼働を阻止しよう」講演・学習・討論会が11月29日、京都市内でひらかれた。
冒頭、主催者あいさつがあり、つづいて小林圭二さん(元京大原子炉実験所)が連帯あいさつ(写真)、たんぽぽ舎・柳田さんからのメッセージが紹介され、さらに、「大飯原発3・4号機運転差し止め訴訟」の福井地裁5・21判決の要旨が朗読された。
「福井での原発再稼働阻止の戦い」と題する報告を、「若狭の家」運営委員会(福井)の若泉さんがおこなった。県議会と行政の動向、市民運動の状況について報告し、月曜日から金曜日まで毎朝、JR福井駅前での街宣や福井県庁前ランチタイムアピールなどをおこなっていると紹介。
記念講演「原発は人類と共存し得ない ?原発の即時全廃を目指して?」は、同運営委員会・共同代表の木原壯林さん。木原さんは「原発再稼働に反対し、原発を即時全廃させ、原発輸出に反対しよう。原発エネルギーの代わりに種々の再生可能エネルギーを導入して、エネルギー生産量と使用量を維持する考えがあるが、これは資本の利潤追求と資本主義の延命を助けるだけである。エネルギー使用を削減した文化豊かな社会を構築する機会とすべき。原発地元と電力消費地元とを結ぶ運動を強化しよう」と訴えた。最後に自由討論がおこなわれ、活溌な意見交換がなされた。
6面
ルポ・原発事故被害者集会
「もう我慢の限界だ」
立ちあがる原発事故の被害者(上)
請戸 耕一
「3年8カ月、じっと我慢をして待っていた。国、行政が助けてくれるだろうと。しかし一歩の進展もない。我慢の限界だ。このまま黙っていたら東京電力、国によってわれわれ被害者は潰される」(原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団・団長 長谷川健一さん)
11月16日福島市内で、「もう我慢はしない! 立ち上がる」のスローガンを掲げ、被害者らでつくる30団体(別表)が共催・賛同し、「原発事故被害者集会」が開催された。
飯館村民の半数に迫る2837人が11月14日に国の紛争解決センターに申し立てた「原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団」。2013年3月に始まり福島県内すべての自治体と隣県の4000人の住民からなる「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」原告団。「原発さえなければ」と書き残して自殺した相馬市の酪農家の遺族が起こした「原発さえなければ裁判」弁護団。年間1ミリシーベルト以下の環境で教育を受ける権利と体制を求めて8月29日に新たに始まった「子ども脱被ばく裁判」。検察の不起訴処分に対し検察審査会で「起訴相当」を含む議決が出される中、東京電力幹部らの責任を追及している「福島原発告訴団」など、被害を告発し賠償を求める動きが各地で強まる中で、それぞれの取り組みをおこなってきた住民らが、一堂に会し発言し交流が持たれた。
以下、被害者団体、弁護団、ゲストなどの十数の集会発言の中から、4人の発言(要旨)を紹介する。
宝物である子どもたちが危機にさらされている
ふくしま集団疎開裁判の会 今野寿美雄さん
「もう我慢はしない!立ち上がる」をスローガンに原発事故被害者らが集会を開いた (11月16日 福島市内) |
私は浪江町から福島市内に来ています。小学3年生の子どもがいます。
今年の8月29日、福島地裁に「子ども脱被ばく裁判」が提訴されました。
子ども脱被ばく裁判にはふたつの裁判があります。ひとつは「子ども人権裁判」、もうひとつは「親子裁判」です。
子ども人権裁判は、福島県内に住む小中学生が、小中学校のある市町村にたいし、子どもには被ばくについて安全な環境で教育を受ける権利が保障されていることを確認する裁判。親子裁判は、原発事故で福島県で被ばくした親子が、子どもの命を救おうとしない国と福島県に対して、正しい救済を求める裁判。このふたつが提訴されました。
現在、子ども人権裁判の原告が35人、親子裁判が158人となりました。井戸謙一弁護士を団長とする弁護団、水戸喜世子さん(大阪府高槻市)、片岡輝美さん(福島県会津若松市)を共同代表とする支援団が結成されています。
行政の対応に怒り
みなさんの宝ものとは一体なんですか。おカネですか。金のネックレスですか。ダイヤの指輪ですか。
私にとっての宝物とは子どもです。
いま宝物である子どもたちが危機にさらされています。放射線にもさらされています。こんな環境にしたのは誰ですか。
大人たちなんです。子どもたちは、その厳しい中をいま生きていかなければなりません。
子どもたちに安全・安心を与えられるのは誰ですか。壊してしまった大人たちが元に戻して、子どもたちに与えたいです。子どもは未来からの送りものです。
私は、事故から現在までの政府や行政のデタラメな対応に怒りを持っています。そして声を挙げました。
本当は、お母さんたちが話をしたいのですが、いろいろ問題があって、代表して私がここに立っています。お母さんたちは悩んでいます。怒っています。
子どもは子どもたちを守れない。子どもを守るのは大人の責任です。大きな声を挙げて、ダメなものはダメだと、守るものは守ると、子どもたちに明るい未来をプレゼントしましょう。
生活のすべてを破壊され心まで汚染
原発事故被害糾弾 飯舘村民救済申立団 菅野哲さん
私たち飯舘村民はなぜこんな苦しい思いをしなければならないのでしょうか。
私自身も農家で野菜をつくっていました。すべて失いました。
あの美しい私たちの村、飯舘村が、消えてなくなろうとしています。無残な姿をさらけ出しています。美しかった私たちの生活空間、その飯舘村をできるなら戻してほしい。それが飯舘村民の一途な願いだと思っています。
飯舘村の農家の皆さんは、涙を流して、牛を放し、農業を廃業して、やむなく避難をしたわけです。させられたんですね。避難させられて3年半が過ぎました。何が変わったでしょうか。変わったのは、除染でフレコンバックが山積みになっている飯舘村だけです。
避難をしている飯舘村民の生活環境は、依然として、3年半変わらない。仮設で暮らしている人は3割。7割の人はそれぞれバラバラにアパートで暮らしています。家族がバラバラにされて、じいちゃん、ばあちゃんは、仮設で悲しんでいます。孫の顔も見れない。孫は遠くに行ってしまった。会えない。あの賑やかだった家族の雰囲気が一瞬にしてこの3年半、変わってしまったわけです。
飯舘村民は避難が遅かった。指示がされない。あの44・7マイクロ(シーベルト/時)の報道がなされたのは、平成23年(2011年)の3月25日です。その時点で避難をさせられるものと思っていました。しかし逆でした。何回も講演会を開いて、学者が「安全です」という宣言です。安心した飯舘村民はその場で暮らしていました。ましてや放射能まみれの水道水まで飲まされて、そのことによってしなくてもいい、無用な被ばくを長期間にわたってさせられたわけです。
その心というのはいかほどかと。ふるさとを失うというが、私たち飯舘村民にとって、ふるさとではないんです。私たちの生活そのものの基盤でした。それをすべて破壊され、奪われました。その心が、村民には悲しい心としていつまでも残る。いわゆる原発の放射能によって、心までも汚染されてしまったということです。これは一生涯、引き続いていくことでしょう。もっともっと長生きできた人が、仮設で相当数の数で亡くなってしまいました。悲しいことです。
この悲惨な暮らしをいつまで続けろというのでしょうか。早く、早く、この放射能の心配がない、元のような暮らしができるように、安心して、暮らせるように、東電は償い、国はその責任を果たすべきだというふうに思っています。
そして、国には2度とこのような悲惨なことを起こさないように、しっかりと政治をおこなってほしい。さらにこれからの子どもたちを健やかに育てられる環境をつくってほしい。原発なんか必要ないんです。どうかみなさん、福島県民一丸となって、もっともっと声を挙げて全国に、そして、世界に発信していこうじゃありませんか。
(つづく)
主催・協賛団体
主催:原発事故被害者集会実行委員会/共催:原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団、ふくしま集団疎開裁判の会、福島原発告訴団/賛同(27団体):原発損害賠償京都訴訟原告団、原発賠償関西訴訟原告団、原発賠償ひょうご訴訟原告団、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団、福島原発かながわ訴訟原告団、福島原発被害山木屋原告団、原子力損害賠償群馬弁護団、原発さえなければ裁判弁護団、原発事故被災者支援北海道弁護団、原発被害救済千葉県弁護団、原発被害救済山形弁護団、埼玉原発事故責任追及訴訟弁護団、東日本大震災による被災者支援京都弁護団、東日本大震災による福島原発事故被災者支援関西弁護団、兵庫県原発被災者支援弁護団、福島原発事故被害者救済九州弁護団、福島原発被害救済新潟県弁護団、福島原発被害首都圏弁護団、みやぎ原発損害賠償弁護団、やまきや未来の会弁護団、原発賠償関西訴訟KANSAIサポーターズ、原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会、全国一般ふくしま連帯労働組合、那須塩原 放射能から子どもを守る会、福島原発かながわ訴訟を支援する会、福島原発さいたま訴訟を支援する会、ぽかぽか★サポートチーム(原発賠償ひょうご訴訟)
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安倍戦争国家づくりに総反撃する時が来ました。沖縄知事選では自民党は10万票の大差で敗北しました。
アベノミクスの破綻は拡大し、労働者階級と中小企業や地方は、これと闘わないとくびり殺されてしまいます。破綻と動揺と居直りの安倍との闘いを本格的に強める時です。この闘いには膨大な資金が必要です。
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2015年1月発行日変更のお知らせ
2015年1月発行日変更のお知らせ
2015年1月の発行日は、1月8日(木)、
1月22日(木)です。2月以降は通常通り、
第1・3木曜日発行です。