安倍をひきずり降ろせ
反原発・改憲阻止派に票の集中を
安倍政権は先月21日、衆議院を解散し、総選挙(2日告示、14日投開票)に踏み切った。18日の記者会見で安倍は「消費税引上げの1年半延期についての是非を問う」ということを強調した。ところが解散後の記者会見では「アベノミクス解散」と自ら命名し、「アベノミクスの正否を問う選挙」へと変更した。このようにコロコロと論点を変えて、本質的な問題をはぐらかすというのは安倍の常套手段である。それでは安倍が何としても隠したい争点とは何か。
沖縄・自民党の4候補を落とせ
共謀罪新設阻止東京・銀座で治安弾圧の強化に反対するデモ(11月20日) |
新基地は直ちに中止へ
まず第一に、沖縄の辺野古新基地建設をめぐる是非である。先月16日の沖縄知事選では新基地建設反対を掲げた前那覇市長・翁長雄志氏が、現職の仲井眞に10万票の大差をつけて圧勝した。同時におこなわれた那覇市長選では翁長氏の後任候補の城間氏が自公推薦候補にダブルスコアで当選した。さらに那覇市、沖縄市、名護市でおこなわれた県議補選では、那覇市と名護市で新基地反対派〈ひやみかち うまんちゅの会〉が当選。これによって県議会の翁長与党は25人となり、安定多数(定数48)を占めることになった。
うまんちゅの会は、今次総選挙で「沖縄を裏切った自民党にNOの審判を下す」として沖縄の小選挙区4区すべてに候補者を立てた。
もはやこうした沖縄県民の意志を踏みにじって新基地建設を強行することは不可能だ。安倍は新基地建設計画を撤回するか、さもなくば首相を辞任するか、そのどちらかしか道は残されていない。いま問われているのは、住民に耐え難い犠牲を強要し続ける日米同盟最優先の政治を根本から転換することである。集団的自衛権行使や特定秘密保護法は撤回・廃止すべきだ。憲法を踏みにじって戦争国家へ向かうのか。そのことを不問に付して総選挙を強行することなど断じて許されない。
原発再稼働許すな
ならんで重要な問題が原発の再稼働問題だ。福島第一原発事故の原因は未だに究明されていない。とくに地震と事故との関係というもっとも重要な点が何も明らかにされていない。そして原発事故の収束についてもメドが立たない状況である。こうした中で、川内原発を再稼働させるなどもってのほかだ。
さらに中国、韓国そして朝鮮民主主義人民共和国との外交上の失政である。昨年末の靖国神社参拝や集団的自衛権行使容認さらに、日本軍「慰安婦」問題における「河野談話」見直しの動きなど、安倍政権の国家主義的、歴史修正主義的なふるまいが東アジアの政治的緊張を高めている最大の要因となっている。日中関係、日韓関係をここまで悪化させたことの責任が安倍には問われている。
動揺する安倍政権
こうした重大な失政の上に、7―9月のGDP成長率の速報値がマイナス1・6%と発表された。アベノミクスの失敗が誰の目にも明らかになった。4―6月期に続いて、2期連続でGDP成長率がマイナスということは、「景気後退(リセッション)」局面に入ったということである。
この数字に政権中枢は大動揺をきたしている。このまま手をこまねいていれば自公政権が崩壊しかねないという危機感が彼らを解散総選挙に踏み切らせたのである。18日の記者会見で安倍が総選挙の勝敗ラインを与党で過半数(238議席)と思わず口走ってしまった。自公の現有議席から88議席も失ってどうして「勝利」といえるのか。ここに安倍の狼狽ぶりがよく示されている。
一方、今回の総選挙がいかにインチキなものであるかを民衆はしっかりと見ぬいている。共同通信の世論調査でも衆院解散に「理解できない」と回答した人が63・1%にのぼっている。
デフレ脱却論のウソ
さて安倍・自民党の総選挙の主張は「デフレから脱却し、経済を成長させ、国民生活を豊かにするためにはアベノミクスしかない」ということだ。
彼らによれば、デフレによって実質金利が上昇し、企業の実質債務負担が高まる。また賃金の調整が難しく、それが生産減少、雇用削減をもたらし景気を低迷させ、さらなるデフレを進行させる。だから「デフレ脱却」が経済政策の第一の目標になるというものだ。これがとんでもないデタラメなのだ。
日本経済がデフレに突入した2000年以降、今日にいたるまで実質金利上昇はおこっていない。したがって企業の実質債務負担も増えていない。一方、小泉政権が非正規雇用化を推進したため、労働者の賃金は著しく低下し、下方へと調整された。そしてデフレ下の02年から08年まで、戦後最長の「景気拡大」が続いた。しかしこれは、富の一極集中と中間層の没落を促進する深刻な格差の拡大であった。
喧伝されている「アベノミクスの成果」なるものは、08年リーマン・ショックと11年東日本大震災によって落ち込んだ国内経済の回復局面と安倍政権の登場とが丁度重なっただけのことだ。
アベノミクスは大失敗
ところがアベノミクスによる「異次元の金融緩和」は、円安の進行による原料価格の高騰を引き起こし、家計や中小企業を圧迫し、かえって回復基調に水を差す結果となった。こうして弱含みとなった景気に致命的な打撃を与えたのが今年4月の消費税率引上げである。安倍政権は13年以降の景気回復の芽を見事にたたきつぶしたのである。この失敗は隠しようがない。アベノミクスを推進すればするほど、格差と貧困、社会の荒廃は激しく進行する。
安倍は10月末に量的緩和を年60〜70兆円から80兆円へ拡大すると発表したが、追加分のほとんどは金融(株式)市場へと消える。大企業や大手金融機関の利益を確保するために、将来にわたって莫大な国の資産を食いつぶしているのだ。「デフレ脱却」はそのための隠れ蓑にすぎない。
いま労働者人民にとって本当に必要なことは、これまで削減を続けてきた社会保障費を回復することだ。安倍はこれを「バラマキ」と非難しているが、それはまったく違う。社会保障に投入された金は消費を伴って実物市場に環流し、確実に実体経済の回復に寄与する。非正規雇用・派遣労働者の拡大や残業代のゼロ化による労働者への更なる賃下げや社会保障の切り捨てを、これ以上許してはならない。
労働者人民の生活を極限的に破壊しながら大企業の利益のみを保障し、その上に、原発再稼働、沖縄への新基地建設、集団的自衛権行使のための法改正を強行する安倍・自民党を政権の座からひきずり降ろそう。
安倍政権打倒へ
11・11総がかり行動
11月11日午後6時半から、「戦争させない・9条壊すな! 11・11総がかり国会包囲行動」が国会正門前や首相官邸前など国会周辺でおこなわれた。国会周辺は完全に埋め尽くされた(写真)。
金澤壽全労協議長は「安倍政権は、ひとことで言えば、戦争と貧困を作り出す内閣。働く者の雇用と生活を破壊し、戦争に向かう日本を作り出そうとする動きに断固反対していきます。安倍政権を打倒し、安心して働き生活のできる社会実現の一歩にしたい」。
作家の落合恵子さんは「彼ら(安倍政権)がやっていることは、私たち市民や子どもたちに銃口を向けているのと同じことです。彼らと共に生きていけない。何が『女性活用』か。彼らなんかに活用されたくない。いっしょににたたかいましょう」と発言。
秘密保護法とたたかう学生は「私は今月20歳になります。もし選挙があったら、2度と安倍政権のような人たちを当選させないよう慎重に考えて投票したい。1年前はこうしたことに興味はありませんでした。秘密保護法の行動に参加し、今も行動を続けています。12月10日にこの場所で秘密保護法への抗議をします。ぜひ、集まってください」と訴えた。(東京 F)
2面
シリーズ新成長戦略批判C
消費税増税は絶対阻止
きわだつ高い逆進性
(目次)
はじめに
T 消費税導入後の4半世紀
U 消費税の何が問題か?
(以上前号)
V 日本の消費税の問題性
W シャウプ税制を破壊
(以下次号)
X 消費税導入と増税の口実
Y 消費税は軍隊のために
Z 源泉徴収制度の意味
V 日本の消費税の問題性
消費税を増税し、所得税、法人税を切り下げてきた結果は何をもたらしたか? 新自由主義の母国であるアメリカと比較しよう。2009年のアメリカの個人所得税の総計は、1兆2590億ドルだった。日本円に換算すると100兆円ちょっとである。一方、日本の2009年の個人所得税は、15兆5000億円程度で、なんと、アメリカの6分の1以下である。人口比、GDP比を考慮しても半分に満たない。低所得者にたいする税金はアメリカの方が軽いから(課税最低所得がアメリカの方が高い)、この差は金持ちにたいする課税がアメリカの方が重いからである。アメリカの最高税率は35%で、日本の最高税率40%より低いのに、こうなるのは、日本の所得税には、金持ちにたいするさまざまな恩恵処置(抜け道)があるからである。
法人税については、「日本は高い」「法人税を上げれば景気が悪くなる」「国際競争力のために法人税は減税すべき」「法人税が高いと企業が外国に行ってしまう」などと言われる。これは全部ウソである。
低い日本の企業負担
確かに率だけ見れば、日本の法人税は税率が高いが、企業が負担する社会保障費と合わせれば、日本はフランス、イタリア、ドイツなどの西欧諸国より低い。そのうえ租税特別措置法などのさまざまな抜け道がある。結果的に、日本の企業の負担は先進国の中では低い方である。法人税を上げても何の影響もない。法人税とは企業の利益にかかるから、法人税が高いからといって、商品の値段が上がったり、企業の収益が下がったりすることはない。実際に、日本で法人税が一番高かった(43・3%)1984年〜88年の期間、日本経済は最高潮で、企業の株価も非常に高かった。大企業の法人税を減税しても、法人税(法人住民税を含む)は大企業の支出の中でわずか1%にも満たないから、法人税を10%下げても企業活動への影響はほとんどない。国際競争力が増すことなどありえない。またわずか0・1%の経費削減のため企業が外国に出ていくこともあり得ない。企業が外国に出ていくのは市場と安い人件費が狙いであって、安い法人税を求めて外国に行くことなどはありえない。
日本の消費税は最悪
消費税自体についていうと、日本の消費税は総税収に占める比率が世界一大きい部類に属する。アメリカには消費税は存在しない。州によって数パーセント程度の小売売上税というものがあるが、これは消費税とは性格が違うものである。消費税のように製造元から卸、小売りの各段階にかかるものではないうえ、輸出企業にたいする輸出還付金もない。アメリカでは歴代政権が消費税導入を図ったが、すべて失敗してきたのである。
また付加価値税という名の消費税と同じ性格の、しかも20%前後という高率の税制を持つヨーロッパ諸国はどうであろうか。25%という高率の付加価値税を持つスウェーデンと日本を比較してみよう。国税収入全体に占める消費税、または付加価値税の比率は、日本もスウェーデンもともに22・1%である(消費税率が5%であった2003年時点の比較)。なぜこうなるのか。北欧の国は、所得税が高度の累進制で税の捕捉率も高いからである。またヨーロッパ諸国の付加価値税は、食料品、衣料品は軽減税率、医療・教育・住宅取得・個人用不動産などは非課税にしていることが多く、付加価値税の税収はとうぜん少なくなるからである。ダイヤモンドとミルクにおなじ税率をかけるような国は日本だけである。
日本の消費税の最悪の点は、高度の逆進性の問題である。「平等な税制」という財務省の触れ込みとは逆に、消費税は赤字の企業にもかかる。中小零細企業にはきわめて重いことになる。それ以上に、低所得者は所得のほとんどを消費に充てるから消費税の負担率は重い。富裕層が貯金をしたり、金融資産を購入するとその分は消費税がかからないから、大企業と富裕層の消費税負担率は少なくなる。これが逆進性の根拠である。
W シャウプ税制を破壊
シャウプ税制とは、経済安定9原則(1948年)やドッジライン(49年)と一体で、占領軍が主導した勧告に基づいた税制で、戦後の税制の柱となってきた。目的は、単一為替レートの実現のためのインフレ収束、そのために節約と耐乏を労働者人民に強制することであった。しかし重要な特徴として、90%に近い高度な累進課税であった。そのうえ、初期には富裕税があって、富の集中排除が徹底していた。負担と犠牲を労働者人民に強制して、企業の資本蓄積にはほとんど課税しないという露骨な資本主義的税制である。しかし個人所得税中心で高度の累進課税という点が、日本の支配層やブルジョアジーには許しがたいものであった。歴代の政権はこれを破壊することに意を用いてきた。
「金もうけ自由」
高度成長が終焉する70年代後半、大型間接税導入の動きが出てくる。「応能から応益へ」、「直間比率の是正」などを合言葉に、1981年に発足した第2次臨時行政調査会(第2臨調、土光臨調)が国鉄分割民営化、「3K赤字の解消」(コメ・国鉄・健康保険)などを打ち出した。戦後財政構造の大転換で、防衛関係費とODAは増額、社会保障・文教費・公共事業は減額する。税制改革のポイントは「カネもうけ自由」を名目とする所得税の累進税率のフラット化であり、「水平的公平」を名目とする消費税の導入であった。
しかし消費税は簡単に導入できたのではない。消費税を導入しようとした自民党の内閣は、大平・中曽根と2つ潰れている。これを教訓化した大蔵省・財務省はそれ以降、消費税率の引き上げは非自民政権にやらせるという手法を採用してきた。細川・羽田・村山・菅と消費税率引き上げを試みた非自民内閣はすべて短命に終わっている。
戦後財政構造を大転換し、消費税を導入したのは1989年、竹下登内閣であった。竹下がやったことは消費税の新設だけではない。法人税、物品税の大減税のうえに、所得税の累進税率をフラット化したことが重大である。それまで15段階あった刻みを3回にわたって5段階にまでフラット化した。15段階の最高税率では8000万円超の所得者が70%の所得税をとられていた。それが5段階になって、2000万円超の所得者に50%の最高税率を適用することにした。そのうえ、申告分を減らし、源泉分を増やすということまでやった。
竹下税制改革の結果
この税制の大転換で利益を得たのは大企業と高額所得者であり、不利益を被ったのは中小・零細企業や自営業者、そして何よりも中・低所得の労働者階級である。税の応能負担の原則を崩し、どんどん応益負担にしていったのである。それまでの日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれる経済成長の中で、しかも中間層が分厚い「1億総中流社会」と言われていた。とくに74、75年恐慌後の世界的不況、スタグフレーションの下で、日本が世界のブルジョアジーから垂涎の的の経済的安定を保った時期、日本の所得税制は世界にもまれな「公平」なものであった。74年から84年までの所得税率の刻みは実に19段階あり、最低の課税率は年収60万円以下の層で10%、最高は8000万円超で75%の税率であった。地方税等を含めると後者の税率は実に90%にも及んだと考えられる。豊かな者からは多く、貧しい者からは少なくという税制の「再配分機能」が十分に働いていたのである。この累進原則がもっとも崩れた1999年から2007年までの所得税制はなんと4段階の刻みしかなく、330万円以下が10%、1800万円超が37%ということになったのである。このようなすさまじい転換をもたらしたのが第2臨調であり、竹下税制改革であった。(つづく) (落合 薫)
3面
柳本飛行場跡フィールドワーク
戦争遺跡を抹消する動き
(写真1)撤去される前の説明板。現在、説明板は撤去され、ブルーシートで覆われている。 |
11月8日、「地元の歴史がこうして消されていいの? 奈良県の天理・柳本飛行場説明板撤去問題を考えるフィールドワーク」(「天理・柳本飛行場跡の説明板撤去について考える会」主催)があった。さわやかな秋晴れが広がるなか、このフィールドワークには約40人が参加した(注1)。
朝10時に、式上公民館に集合。柳本飛行場(大和海軍航空隊大和基地)には、ほぼ南北にのびる主滑走路があったが、ここはその最南端にあたる。
米田哲夫さん(「考える会」共同代表)が、「柳本で何があったのか、まず事実を知ってもらいたいと思い、今回のフィールドワークを企画した」とあいさつ。藤原好雄さん(「考える会」共同代表)は「説明板撤去は10月29日付の〈ニューヨーク・タイムス〉、30日付〈朝鮮日報〉でも取り上げられており、今や国際問題となっている。世界が我々の取り組みに注目している」と訴えた。
ミニ集会の後、高野真幸さん(「奈良・発掘する会」)の説明を受けながら、@滑走路のコンクリートの跡、A老人ホームふるさと園の説明板、B防空壕(2カ所)、C掩体壕の基礎部分跡、D施設部のあった地域に現存する宿舎(トタン葺き平屋建の集合住宅)、E慰安所があったとされる所、F飛行場の境界の水路(南東端部分が現存)、この約5kmの行程を歩いた。(以下、@〜Fについて高野さんによる解説)
戦争の歴史を見て歩く
(写真2)柳本飛行場の防空壕跡(奥の小山)の前で説明を聞く参加者(11月8日 天理市) |
@柳本飛行場は、「米軍が奈良までは上陸してこないから」という理由で、本土決戦を戦うための司令部とする構想をもっていた。陸軍は長野市松代に「御座所」を造っているが、海軍は柳本に天皇の「御座所」を造る計画であった。主滑走路が非常に長い(1500m)のはそのためだ。1945年2月に航空隊が開設された。
A説明板(写真1)ができたのは1995年。朝鮮人強制連行と日本軍「慰安所」の事実を正確に記録している。この説明板が今年(2014年)の4月に、並河天理市長によって撤去された(注2)。当時、朝鮮人強制連行に関する説明板は全国的にも前例がなく、我々としては満足できる内容で作ることができた。
Bこの防空壕(写真2)は、おもにゼロ戦の通信施設として使われていた。防空壕は3カ所あった。
C1945年7月に、ゼロ戦(約50機)を主力とする実戦部隊がやってきている。掩体壕はこれらの飛行機を格納していた。
D敗戦後、強制連行で徴用された朝鮮人労働者(2000〜3000人)は、政府によって本国に帰されている。一方、働き口を求めてやってきた朝鮮人労働者も多くいた。かれらは家族で来ている場合が多く、政府からも放置され、ここに留まるしかなかった。
E柳本飛行場の建設現場に「慰安所」が設置されていた。朝鮮人女性(20人が確認されている)が「慰安婦」として強制連行されていた。この「慰安所」は海軍の管理下にあったのが特徴。敗戦後、政府としてもこのまま放置しておくこともできず、彼女たちはやっと9月下旬になって帰国している。
F滑走路の水はけをよくするために、用水路が飛行場の境界を取り囲むように造られていた。
説明板撤去の政治目的
朝鮮人の強制連行に関わる説明板撤去の動きは、天理市だけではなく、北海道猿払村(注3)や、高崎市の「群馬の森」(注4)でもおきている。これは「戦争できる国づくり」をすすめる安倍政権の存在が根底にある。
このフィールドワークは、今後もおこなわれる。終了後、参加者は柳本小学校校区への戸別ビラ入れをおこなった。
(注1)本紙42号(2009年10月6日付)に、「過ちくり返さぬため負の遺産を後世に」というテーマで柳本飛行場跡フィールドワークの記事が掲載されている。
(注2)本紙157号(2014年8月7日付)、「藤原好雄さん直撃インタビュー」を参照。
(注3)猿払村では、旧陸軍が対ソ戦に備えて1942〜44年に浅茅野飛行場を建設し、日本人も含めて多くの朝鮮人が過酷な環境で働いていた。80人以上が栄養失調やチフスなどで亡くなり、飛行場近くの旧共同墓地などに埋葬された。「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」などが2006〜10年まで発掘調査を行い、見つけた遺骨を近くの寺に安置した。
その後、追悼碑の建立が進められ、2013年11月26日に除幕式がおこなわれる予定だったが、村には「強制連行というが根拠はあるのか」などと右翼から抗議が相次いだ。村当局からは除幕式の中止を求められ、追悼碑の撤去が強いられた。
(注4)群馬県が県立公園「群馬の森」に設置されている朝鮮人追悼碑の設置更新を不許可としたのは表現の自由を侵害し違憲だとして、11月13日「追悼碑を守る会」は不許可処分の取り消しなどを求めて前橋地裁に提訴した。
追悼碑は2004年に守る会が建立したが、碑前で開催した追悼集会で、「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などと発言したことを理由にして、県は許可条件に違反して政治的な活動を重ねたとして今年7月、設置期間延長を認めない決定をした。
各界の多彩な人々が
小田原紀雄さん追悼集会
ありし日の小田原さん 2008年2月 大阪の集会で |
11月15日、池袋サンシャイン文化会館で160人余が集まって小田原紀雄さんの追悼集会がおこなわれた。集まった人たちは小田原さんの人柄もあって多彩な顔ぶれだった。
第1部は、日本堤伝道所牧師の山下竜嗣さんの司会で始まった。評論家の菅孝行さん、牧師の村山盛忠さん、山谷労働者福祉会館からなすびさんと向井宏一郎さん、刑法学者の足立昌勝さん、港合同の川口浩一さん、救援連絡センターから山中幸男さんと宇賀神寿一さん、河合塾での教え子の人たち、宮城正明さんが三線で「子持節(くゎむちゃーぶし)」を歌い、最後につれあいの緑さんが思いを語った。
古典に親しむ人
河合塾の元生徒の人たちの話で小田原さんの別の面も知った。小田原さんが担当していたのはさまざまな理由で高校を中退した人たちで、生きづらさや苦しさを抱える人が多かった。そういう生徒に気を配って、面白い授業をしてくれたという。小田原さんの専門は古文だが、休憩もとらずに添削をみてくれ、授業に出てこれない生徒には「休んでいた分をいっしょに読みましょう」と声をかけてくれたとのことである。
また、羽生の教会では、近所の主婦の人たちといっしょに源氏物語を読む会合も開いていた。そういえば、『〈脱国(だつくに)〉の民へ 小田原紀雄請問対話集』(2010年12月 エイエム企画)という本には藤原定家の話も出てくる。
懐かしく思い出す
第2部は軽食と飲み物が出され、元東京外語大学教員・日本寄せ場学会の藤田進さんの司会で、多くの人たちが交流し、小田原さんをしのんだ。
1945年生まれの小田原さんは呉宮原高校から國學院大學文学部哲学科に入学。在学中に学生運動に入り、呉黄幡弾薬庫闘争もたたかった。生きにくさの中にいる若い人たちに情熱的に接していた小田原さんは闘志だけでなく、接する人たちを暖かくさせる何かを持っていた人だと思う。
私は東京にいたときに初めて小田原さんと接したが、当時四面楚歌だった私をさまざまに支えてくれた。いろいろな集まりの後、早稲田の教会の近くの飲み屋で「キリスト様」という名前でキープしている一升瓶の焼酎で杯を交わしたことを今も懐かしく思い出す。小田原さんに心から感謝するとともにご冥福を祈りたい。 (や)
小田原紀雄さん:8月23日逝去。69歳。靖国天皇制問題情報センターの導き手。日本キリスト教団羽生伝道所牧師(埼玉県羽生市)
テロ財産凍結法成立
11月19日参院本会議で
11月19日、参院本会議で「国際テロリストの財産凍結法」が可決成立した。来年11月までに施行するとしている。この法律は、「国際テロリスト」と指定された個人や団体の財産の売却、資金の借り入れ、預貯金の払い戻しなどを都道府県公安委員会の許可制とし、違反すれば懲役1年以下または罰金50万以下を科すというもの。
「テロリスト」の指定は、国家公安委員会がおこなうことができ、当局による恣意的な適用が可能な治安弾圧法だ。
派遣法改悪案が廃案
安倍政権が狙っていた労働者派遣法の改悪案は、審議が進まないまま11月21日の衆院解散をむかえ、廃案となった。同改悪案が廃案になるのは、6月につづき2回目。
改悪案は、@労働者が派遣元に無期雇用されていれば、派遣の期間制限をなくす。A労組からの聴取を条件に、受け入れ期間を無期延長可能に。B別部署に配置転換すれば、同じ労働者を使い続けることが可能、など「生涯派遣」を生み出す内容で労働組合側から反対の声が上がっていた。
4面
論考 「親切で礼儀正しい日本人」によ残虐事件
『東京裁判―性暴力関係資料』(吉見義明監修2011年)を読む
戦時性政策は軍事作戦
極右勢力は軍隊「慰安婦」は強制ではなく、本人の意志であり、商行為であり、国の責任はないと主張している。
しかし、戦場における将兵の性管理は戦争遂行上の作戦として講じられてきた。ナチスドイツ軍は「(強かんは)敵方を萎縮させ、犠牲者の抵抗の意気をくじく」とし、ノルマンディ上陸作戦の米軍は「(強かんは)若者たちを鼓舞する即効薬」とし、日本軍の進撃が早いのは「将兵の間に略奪・強かん勝手放題という暗黙の諒解があるからだ」(松本重治)というように、強かんを軍事作戦の一環としてとらえていた。
極右勢力は決してこの事実を見ようとはせず、天皇の軍隊の無謬性・神聖化を私たちに押し付けようとしている。
被害者数を値切る
日本軍「慰安婦」の強制連行を否定する歴史学者・秦郁彦は南京虐殺被害者の数を4万人に値切るために『南京事件』を著したが、その中で、強かん、「慰安婦」に関する用語を74カ所以上も使っているように日本軍による性犯罪を無視できなかった。
秦郁彦は極東国際軍事裁判所の判決をもとに、7万の日本軍が12月13日に南京を占領してからの最初の1カ月間に「南京城内では2万件余りの強姦事件が発生」したとしているが、では、7月7日盧溝橋事件から南京入城までの5カ月間に、一体どれだけの性犯罪が起こされたのだろうか。上海に上陸した日本軍は「女、子どもにかかわらず中国人は皆殺せ。家は全部焼け」という命令の下で、「略奪・強かん勝手放題」で南京に進軍したのだ。
このように考えると、「親切で礼儀正しい日本人」による強かん、性奴隷事件の全体像は未曾有の数値になり、「どこの国でもあった」などと言って、うやむやにしたり、居直ることは絶対に許されない。ましてや、朝鮮で女性を募集し、はるか6000キロも離れた最前線に強制連行し、慰安所を設置し、監禁し、管理していた「慰安婦」政策はどこから見ても軍事作戦そのものであり、軍の責任を回避することはできない。
朝日新聞の役割
1990年代に入って、韓国で日本軍「慰安婦」問題が社会問題になったとき、日本政府は「民間業者が連れ歩いたもの」として国の責任を否定した。しかし1991年12月、金学順さんが日本軍「慰安婦」であったことを名乗り出た。1992年1月には朝日新聞が、日本軍が軍慰安所設置を指示した公文書を、同年7月にはスマラン事件(オランダ人「慰安婦」)を次々とスクープし、軍「慰安婦」問題の真実を具体的に暴露した。被害者の訴えや、このスクープによって初めて日本軍「慰安婦」制度の実態が明らかにされた。だからこそ極右勢力は、朝日新聞を恐れ、呪い、つぶしにかかっているのである。
極右勢力は「慰安婦」報道に携わった元朝日新聞記者を追いかけて、職場をやめさせろと脅迫し、これに対して帝塚山学院大学(大阪)は即刻解雇し、北星学園大学は来年度以降は雇用契約を更新しない方向だという。朝鮮学校の教員や児童生徒が暴力的襲撃やヘイトスピーチと全力でたたかいぬいているというのに、日本の大学は極右の脅迫にやすやすと屈し、大学の自治を自ら放棄している。非常に残念な事態である。
原資料で確認しよう
さて、表題の『東京裁判―性暴力関係資料』に戻ると、本資料集は、極東軍事裁判(東京裁判)において、日本軍の戦争犯罪を立証するための証拠書類の中から、性暴力関係の事項を含む「東京裁判性暴力関係資料リスト」(539件)を作成し、その中から、40点の原資料を採録している。
本書の構成は解説、原資料、性暴力関係資料リスト、付録からなっているが、他の資料集で収録されている南京事件関係資料は除外されている。また、日本の植民地だった朝鮮、台湾に対する残虐行為は審理から除外されているため、東南アジア各地に連行された朝鮮人、台湾人女性への性暴力・虐待の証拠書類は提出されていない。
今回のレポートは本書に採録されている原資料40件の中から、中国、フィリピン、東南アジア、オランダ領東インドなどでの性暴力関係の一部を紹介する。
@中国
日本軍による対民間人犯罪を扱った証拠書類は全部で150件、性暴力関係の記述も含んだ証拠書類が39件であった。検察側の主たる関心は、南京事件の立証にあり、他の地域における中国方面の証拠書類は、南京と比して明らかに少なかった。
(資料1)日本軍は長沙陥落後に同地で「姦淫を欲しい侭」にした。
(資料2)日本兵8名が13歳の少女を強かんし、死に至らしめた。
(資料3)日本軍が服を脱がせた40名の女性を広場に連れ出し歩かせた。
(資料4)見ず知らずの男女同士に性交を命じ、拒否すれば射殺された。
(資料5)女性をストーブの上に下着を脱がして座らせて拷問。
(資料6)北平市にある中学校3年の女子学生3名が憲兵によって逮捕・拘禁された上、強かんされた。
(資料7)桂林を占領した日本軍が女工の名目で集めた女性たちを脅迫し、「妓女」として「軍隊の享楽に供」した。
(資料8、9)江西省での強かん事件。
(資料10)綏遠省で日本軍による強かんを拒んだ女性が射殺された事件。
Aフィリピン
フィリピンにおける対民間人犯罪に関する証拠書類は95件であり、この中で性暴力にかんするものは35件である。
(資料11)1945年2月17日、マニラ市内の1カ所に集められた63名の住民が射殺・刺殺され、女性の死体に傷つけられ暴行された形跡があった。
(資料13)1945年2月、マニラ市内で、日本軍が虐殺した住民の死体約100人の中に、乳房を切り取られたり、陰部をえぐり取られた婦人を見た。
(資料14)中央学校校舎で、全部の婦人の服を剥いで一晩中立たせた。谷山軍曹が火のついているマッチをもって若い婦人の子宮の毛を焼く。
(資料15)妊婦の腹部を斬り開き、胎児が現れたとき、彼等はその頭を切断した。
(資料16)フィリピンにある3つのホテルで,少なくとも40人の女性たちが3日間、集団強かんされた。
(資料17)通りを歩いていた2人の娘が2人の日本兵に白昼に強かん。
B東南アジア
(資料無)キョンナラで女性が銃で殴打され、裸にされて列車に縛り付けられ、翌日斬首された。
(資料18)ラングーンにおける強かん
(資料21)香港の大学病院で勤務中であった看護師が強かんされた。
(資料無)キンセイヨクにおいて苦力や女性が辱められた事件
(資料22)アンダマン諸島では、女性が裸にされ、両手を頭上に両脚を開いて縛られ、その間にろうそくを立てて、性器を焼かれた。
Cインドネシア(オランダ領東インド)
(資料23)取り調べの最中に平手で女性たちを殴打するとともに、「売春」を強制させる目的で、衣服を脱がせて裸になることを強制。
(資料25)中部ジャワのチェプーにおいて、15歳と16歳の少女が連行されて強かん。避難先の救急病院で既婚のオランダ女性複数が昼夜を問わず1週間以上にわたって集団的、連続的、無慈悲に強かんされた。…女性たちは「身の安全の為」と称して近くの学校に移され、夜半に、就寝中の女性たちの部屋に司令官を先頭に兵士たちが侵入し、集団強かんが行われた。
(資料27)ジャワ銀行取締役の妻に対して訊問中に竹で殴ったり長靴で蹴ったりの拷問が加えられ、胸や膣まで竹の棒で突いた。数日後、この女性は死亡した。
(資料無)憲兵隊事務所のヴェランダで住民環視の下、男は裸体のまま横臥するよう命令された。
慰安所への連行と強制売春
(資料24)民政部及日本企業の全女性職員に特警隊に出頭を命じ、そのうち何人かを強制的に「売春所」に送った。1943年「公立性慰安所」の設置を命令した(海軍軍人専用の3カ所、民間人用の5〜6カ所)。海軍軍人専用は海軍守備隊が直接営。・・・婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。
海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕らへ、強制的に医者の診察を受けさせた後、彼女等を性慰安所に入れました。
(資料26)1944年1月マゲランの収容所に連行され、日本人憲兵の関与の下に「売春」を強制された。
(資料29)ティモール人女性を「売春所」へ送るよう首長に強要。
(資料30)憲兵隊を攻撃した者たちの娘6人が報復として強かんされ、「売春所」に連行された。家族を人質にとって脅迫することにより、強制をより確実にした。
1945年2月上旬米軍はルソン島に上陸し、マニラに突入した。資料11(63人虐殺)と資料13(約100人虐殺)は日本軍が敗走する過程で、多数のフィリピン住民を虐殺していることを示している。しかもその中には性的暴行を受けた女性もいた。日本軍は武装した野獣と化し、住民に襲いかかっていた。
上記の事例は戦争行為とはまったく次元の異なる戦争犯罪であり、氷山の一角であり、文字に残されなかった事件は100倍、1000倍の数に上るだろう。極右勢力は今でもアジア解放の聖戦と主張し、河野談話の取り下げを画策しているが、河野談話でさえも不十分である。
当時、「親切で礼儀正しい日本人」と評価されていた日本人によって、どうしてこれほど残虐なことがなされたのか。いまふたたび、集団的自衛権が容認され、一旦戦場に赴いた日本軍が再び同様の残虐行為をしないという保証はどこにもない。だからこそ、日本軍を他国に送り出してはならない。
5面
「安倍政権の暴走をとめよう」
戦争をさせない1000人委員会結成を確認
11・9大阪
雨もあがりデモに出発(11月9日 大阪城公園) |
11月9日、〈大阪平和人権センター〉と〈戦争あかん!基地いらん! 関西のつどい実行委員会〉共催で「とめよう! 戦争への道 めざそう! アジアの平和 2014関西のつどい」が開かれた。会場の大阪城音楽堂には雨にもかかわらず1000人を超える人が集まった。
集会では秘密保護法12月施行、集団的自衛権行使、日米防衛ガイドライン改定、辺野古新基地建設、原発再稼働など、人民の反対の声を無視して戦争に突き進む安倍政権の暴走を止めようという発言が続いた。また、大阪の「戦争をさせない1000人委員会」発足が確認された。
戦争させない1点で
中北龍太郎さん(関西のつどい代表)が主催者あいさつをおこない、続いて連帯の発言がおこなわれた。
鎌田慧さんは戦争をさせない1000人委員会の全国呼びかけ人の1人として発言し、人の命を大切にしない安倍政権を批判し、沖縄に新しい基地を作るのをやめよう、新しい原発を作るのをやめよう、他国に進出して行って、そこの国の住民を殺すのをやめよう、殺されるのをやめようと呼びかけた。
〈フォーラム平和・人権・環境〉代表の福山真劫(しんごう)さんは、大阪で〈戦争をさせない1000人委員会〉が発足したことを報告。「平和フォーラム・平和人権センターは伝統ある諸団体が集まってたたかってきたが、それだけでは安倍の暴走を止めることはできない。大胆にこれまでの運動のありようを変え、市民団体、平和団体と連帯しようと、1000人委員会を立ち上げた。あと1つか2つ1000人委員会ができれば、全国の各県段階で1000人委員会ができることになる。各市町村で立ち上げて広げていってほしい」と訴えた。
ストップ・ザ・もんじゅ代表・池島芙紀子さんは、「反原発に軸足を置いて活動してきたが、反核、反原発を1つのものとしてとらえてきた」と語り、「権力はいざというとき、核武装したいという思惑がある。そこにゾンビのようにもんじゅが生きながらえているゆえんがある」と指摘し、「自治体で原発再稼働を止めてくれという意見書を上げてほしい、地方から変えていくことが大事」と訴えた。
大阪労働者弁護団代表・丹羽雅雄さんは、安倍の戦争する国家づくりをいろいろな角度から批判し、戦争をさせないという一点で市民運動と労働運動の結びつきを強めようと話した。
軍事基地こそ疎外物
まーちゃんバンドによる歌と踊りのあと、沖縄から選挙戦の合間を縫って来阪した安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会・共同代表)が「理不尽な蛮行・辺野古基地建設着工に抗議の結集を!」と題して講演。
沖縄の民意を無視し続ける日本政府とのたたかいを熱く語った。
「なぜ辺野古で抵抗運動が起きているか? 41市町村議会が「建白書」(2013年1月28日総理に提出)という形で、オスプレイ配備撤回、米軍普天間基地閉鎖・県内移設断念を求めたが無視されている。沖縄自民党の国会議員に対しても公約を覆さなければ公認しないとの圧力をかけた。仲井眞も安倍の飴にのっかってしまった。」
「沖縄の民意は無視され続けているが仲井眞の裏切りで負けることはない。名護市長選挙で稲嶺さんが2期連続当選。これは名護市民の怒りである。名護市はハコモノを維持するために圧迫されている。もう辺野古に基地はいらない。今回の県知事選は名護市長選挙を拡大したものである。」
「辺野古工事では、海保が、抗議するカヌー隊員に暴力をふるったが、動画をインターネットにアップするなどしてアピールし、多くの県民がカンパを寄せ、カヌーも座り込みも増えた。今では埋め立て水域をカヌーで越えることが出来るようになった。沖縄県民、市民の抗議の声が、勝つ状況を作り上げている。キャンプシュワブゲート前では百数十人も座り込んでいる。排除されてもまた同じことをする。沖縄の基地は(自分たちから)奪われたもの。軍事基地こそ疎外物だ。」
「(沖縄知事選は)保守対革新ではない、沖縄の心を金で売り渡さないということなんだ。たかだか300億のために名護市民にがまんしてくれと言っている」と仲井眞を批判した。
差別、貧困、戦争に反対
この後、決意表明に移り立憲フォーラムの辻元清美さん(民主党)、服部良一さん(社民党)、〈朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪〉から玄順愛(ヒョンスネ)さん、〈反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)〉から新開純也さんが発言。
服部良一さんは「秘密保護法が施行されても廃止を求めていく。集団的自衛権行使を止めるための違憲判断を求める準備を進めている」と発言。
〈大阪府朝鮮学校オモニ連絡会〉会長でもある玄順愛さんは、「昨年、朝鮮学校『無償化』不適用と地方自治体の補助金不支給問題について訴えるために、ジュネーブの国連社会権規約委員会に参加した。人種差別撤廃委員会からは自治体にも補助金を出すよう勧告が出ている」と報告した。
新開さんは「京都で1000人委員会が結成された。京丹後市のXバンドレーダー基地闘争をたたかい、高浜原発再稼働にたいして3月に現地で大きな闘争をしよう。再稼働時には関電を包囲する1万2万のたたかいをやろう。安倍内閣打倒をめざしてたたかおう」と呼びかけた。
最後に大阪平和人権センター理事長の田渕直さんが集会まとめをおこない、デモに出発した。(大阪 N)
川内原発再稼働やめろ
大阪で御堂筋デモ 11・16大阪
九州電力・川内原発1・2号機(鹿児島県)について、地元・薩摩川内市議会と同市長による「再稼働同意」に続き、11月7日には、鹿児島県議会と県知事による「再稼働同意」が強行された。安倍政権と九電は、年明けにも再稼働を強行する姿勢を崩していない。
また、関西電力も高浜原発3・4号機(福井県)の再稼働にむけて急ピッチに動いている。早ければ来年度初めにも再稼働とぶちあげている。
こうしたなかで、11月16日、大阪市内で、「再稼働やめろ! デモ in 御堂筋」がひらかれ、集会には240人が集まった。
〈原発再稼働を許すな〉と題して木原壯林さん(「若狭の家」運営委員会共同代表)が発言し、「川内原発再稼働阻止の闘いは終わったわけではありません。鹿児島現地の運動はさらに新しい段階に対応して高揚するでしょう。私たちもさらに強く連帯し、規制委員会の最終決定を阻止しなければなりません」、「目前に迫りつつある高浜原発再稼働を阻止するために、各地での反原発の運動を再構築し、現地での圧倒的な各戸訪問・署名を断行し、来年3月、現地で大闘争を展開し、それに引き続いて大阪での関電本店包囲1万人大集会を勝ち取ろう。」とよびかけた。
釜ケ崎日雇労働組合の三浦さんは〈原発と被曝労働〉について発言し、「原子力規制委の基準値のなかには、労働者の健康と管理の問題がまったく触れられていない。建物などだけが問題にされている。なぜ、働く者の健康の問題を主要な議題の一つの要素にあげないのか」と弾劾した。
ほかに、「川内原発・現地からの報告」、「川内原発再稼働反対西日本キャラバンの報告」、「福井からのアピール」、「滋賀県放射性チップ不法投棄について」などの報告と発言があった。
連帯アピールは以下の6団体から。ストップ・ザ・もんじゅ、若狭連帯行動ネットワーク、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン、さようなら原発1000人集会実行委員会、原発ゼロ上牧行動、原発メーカー訴訟の会。
集会後、秋晴れの御堂筋にくりだし、元気よく「再稼働反対」を訴えてデモ行進した(写真)。
凍結方式での汚染水止水は失敗
11月21日の原子力規制委員会・専門家検討会での東電報告によれば、福島第一原発2号機のトレンチ(ケーブルなどが通っている地下トンネル)にたまった高濃度の放射能汚染水の抜き取りにむけて止水を追求していたが、依然として止水ができておらず、現状の方式では不可能と東電が認めた。
福島第一原発の敷地下には毎日1000トンの地下水が山側から海側にむかって流れており、うち400トンが原子炉建屋に流れ込み放射能汚染水となっている。この汚染水はトレンチに流れ込み、それがあふれれば海へ、となる。
安倍は東京五輪誘致の演説で世界にむけて、「汚染水は完全にコントロールされている」と豪語したが、コントロールどころか、日々増え続け、止める手立てはまったくない。
6面
「人間の尊厳をかけた闘い」
大江健三郎さんむかえ脱原発集会
11.24伊丹
2011年3・11福島原発事故のあと、毎年秋いたみホールでおこなわれてきた「さようなら原発1000人集会」が、今年は11月24日に大江健三郎さんを迎えて開催された。おりしも安倍政権が川内原発再稼働の決定と解散総選挙の強行で、まるで3・11福島事故などなかったかのように原発推進をおこなおうとする中、脱原発を宣言する大集会として成功した。(写真)
原発と最前線で闘う人々の報告
若い2人の司会が開会宣言。主催者あいさつのあと、福島から避難してきた若いお母さん、大飯原発差し止め訴訟原告、若狭の原発30キロ圏内の住民の発言から集会は始まった。
郡山市から関西に母子避難してきた森松明希子さんは、避難の権利を求めて闘う原発賠償関西訴訟原告団代表で、伊丹市の出身。放射線の危険から親子で関西に避難しながら、福島県に残る友人たちとの交流を絶やさず、そしてその人たちの思いも込めて損害賠償訴訟を闘っている発言は、聞く人の心をとらえた。
初期反原発運動の牽引者=故水戸巌さんのつれあいで、大飯原発運転差し止め訴訟原告・水戸喜世子さんは、今年5月21日の福井地裁での差し止め判決の画期的意義を語り、控訴審での勝利を訴えた。
原発なしで暮らしたい丹波の会・児玉正人さんは、若狭湾の原発再稼働が迫っている中で、30キロ圏内住民の避難計画がまったくなされていない現状を述べ、再稼働への怒りを表明した。
前半の最後は、おしどりマコ・ケンさんから30分にわたる報告。2人は、吉本の芸人として3・11福島事故を東京で経験し、本当に放射線の恐ろしさを体感したものとして、その後の政府・東電のデタラメな対応を東電記者会見・福島現地取材をおこないながら各地で報告会をおこなってきた。映像を使いながら、東電会見のウソの暴露や、隠された真実などを、巧みな話芸で訴え、初めておしどりの話を聞く聴衆の心を一気にとらえた。特に海外・ドイツでの取材報告では、いかに日本列島に住む人々が怒ることを奪われてきたかを覚醒させる内容だった。
憲法への確信と、人間の尊厳を奪うものとの闘い
大江健三郎さん |
10分間の休憩をはさんで、この日のメインの大江健三郎さんの講演となった。大江さんは言うまでもなく9条改憲と福島原発事故に対して行動する現代日本を代表する作家。参加者は緊張感をもって臨んだが、大江さんは哲学的話の中にもユーモアを交え、人間の尊厳を奪い、子どもたちの未来を奪う核=原発への怒りをとき、脱原発を世界に発信することの必要性を訴えた。
少年時代に迎えた敗戦と新憲法は、それまでの国のために命を捧げるという価値観から、個人の尊厳が尊ばれるという、大転換をもたらした。貧しく中学にも行けない四国の田舎の少年が憲法と教育基本法を知り、「子どもに教育を受けさせない親は憲法違反」と言って、それに母親が応えてくれた。そうして自分は東京に出て勉強をすることができた。
この転換とならび次に転換を迫られたのは、2011年3・11原発事故であった。福島原発事故は、この国に子どもたちが住んではならない地域を作ってしまった。この人間の尊厳を奪う行為と、安倍の「積極的平和主義」などという、言葉を大事にしないあり方を批判し、「福島事故は収束していない。私たちは忘れていない。再稼働しません」と世界に発信していくことが、子どもたちが生きていける道を作る、とまとめた。
大江さんの講演を受けて、各界・各世代の発言が続いた。
さよなら原発神戸アクションの高橋秀典さんは、川内原発再稼働について、薩摩川内市議会と鹿児島県議会以外の「同意」のない「地元合意」を激しく弾劾した。
つづいて、本集会終了後に分散交流会をおこなう「青年」、「保養キャンプ」、「教育グループ」から発言がなされた。
格差・貧困と闘う青年労働者は、この間の貧困の課題を関電前などで脱原発を闘ってきた仲間たちが担っていることを報告。
保養キャンプを担う大学生などは、子どもたちの未来を奪う放射線との闘いを保養キャンプとして持続させてきたことを報告。
大阪の教員は、「放射線副読本」と「日の丸・君が代」処分の実態を報告し、「子どもたちが事実と向き合い、自分で考えることを奪う教育が進められようとしている」と語った。
アピールの最後は、今年94歳になり三里塚や沖縄を闘う山本善偉さん。「毎年この集会に参加しているが、発言を求められたのは年齢のせい」と笑わせながらも、「71年前学徒動員の代表として神戸で答辞を読んだが、それは自分で考えたつもりだったが、神宮外苑の東条英機の前で読んだ東京の代表の内容と瓜二つだった。自分で考えることを奪う教育が戦争を支えていく」と、安倍政治に警鐘を乱打した。
つづいて特別アピールとして、集会呼びかけ人で元衆議院議員の服部良一さんから、安倍政権の解散・総選挙と原発推進攻撃に対し、大阪8区(豊中市)から立候補して闘うとの決意が表明された。最後に北上哲仁集会実行委事務局長がまとめのあいさつをおこない、3時間の集会を終えた。
参加者は大ホールからあふれ、地下多目的ホールなど別会場もいっぱいの総計1480人が、兵庫県阪神・大阪豊能地域中心に関西一円から集まり、今秋最大規模の「反戦集会」として成功した。
分散交流会も盛況
その後、4会場で分散交流会が開かれた。
反貧困若者交流会がひらかれたホワイエには、脱原発を闘いながらシェアハウスなどの運動をすすめる若い世代の30人が集った。ここには同世代のおしどりマコ・ケンさんも参加し、活発な論議となった。
同じくホワイエでの保養キャンプ交流会には、各地のキャンプの実体を担う大学生・若者たちと、これを支える生協や労組の親たちの世代30人が円形になり、ざっくばらんに意見を交流しあった。
5階会議室では本集会に賛同した39人の地方議員・元議員のうち10数人と、議会活動に関心を持つ市民など40人が集まり、「いま自治体議員に何ができるか」をテーマに論議をした。山下けいき茨木市議からは「金関」行動を軸とする地域反戦活動が、北上哲仁川西市議からは超党派100人の議員賛同となった秘密保護法反対の闘い、川上八郎伊丹市議からは自衛隊基地の町・伊丹での「教え子を再び戦場に送るな」の闘い、丸尾牧兵庫県議からは県議会での政務活動費問題などが報告された(写真)。
3階大会議室での教育交流会には40人が集まり、大阪での「放射線副読本」や「君が代」処分との闘いが報告されるとともに、兵庫の現場教員からは労働強化・多忙化の中での組合活動の困難さも語られ、それぞれが連携しあいながら、安倍や橋下の教育破壊と立ち向かうことの重要性が語られた。
実行委員会で論議を積み重ねる
4回目になる1000人集会は、今年の講師が大江健三郎さんに決まるや、毎月のように実行委員会を持ち論議を重ねた。連合下の大労組の参加があるわけではない「顔の見える範囲の市民運動」ではあるが、多様な意見・議論の中から今年のテーマを「何度でも言おう!福島事故は終わっていない」と決めた。このテーマに沿い、サブ講師や各種発言者を求めた。また単なる講演会に終わらせず自分たちの運動を知ってもらうためにブースをかまえた。集会後、広いホワイエには人が溢れ、物品や書籍を求める人が列をつくり、署名コーナーも人だかりとなり、関心のあるチラシが持ち帰られた。その上で4つの分散交流会も成功した。
根底にあるのは、脱原発・安倍政治と闘う人々の多様な意見を大きな力にまとめ上げていく努力である。これまでの左翼運動にある大きな団体の指令で動くあり方や、市民運動にある自己完結的あり方をこえる論議が続いた。また、広汎な人々にビラを総計20万枚まき、チケットを売り、本当に再稼働阻止・安倍打倒に向かう力を積み上げていった。これらの努力が重なり集会の成功になったと思う。(K・M)
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『未来』読者のみなさん。支持者のみなさん。
安倍の解散総選挙、戦争国家づくりに総反撃する時が来ました。沖縄知事選では自民党は10万票の大差で敗北しました。アベノミクスの破綻は拡大し、労働者階級と中小企業や地方は、これと闘わないとくびり殺されてしまいます。破綻と動揺を開始した安倍にたいし、総選挙でも反原発・改憲阻止の候補に投票を集中し、安倍を政権から引きずりおろそう。この闘いには膨大な資金が必要です。年末年始の多忙な最中ですが、冬期特別カンパを集中していただきますようお願いします。
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