未来・第164号


            未来第164号目次(2014年11月20日発行)

 1面  沖縄圧殺、原発再稼働、解散強行の
     安倍政権を打倒するとき

     川内原発、再稼働阻止
     11・7 知事・県議会の同意に怒り

     高浜(福井県)の再稼働許すな
     10・26 大阪で集会・デモ    

 2面  シリーズ 新成長戦略批判〜C
     消費税増税は絶対阻止(上)
     安倍政権打倒の大衆反乱を

     「私たち抜きに私たちのことを決めるな」
     「骨格提言」完全実施を求める 10・30日比谷集会

 3面  安倍・塩崎の派遣法攻撃
     連続抗議行動で廃案へ      

     現場レポート
     労働者の人格を否定する
     郵政職場のパワハラ

     投稿
     沖縄・辺野古訪問記
     工事を中断させた

 4面  争点
     橋下・桜井会談の真相(下)
     ―在特会と橋下はなぜ特別永住制度を攻撃するのか

     中原教育長をひきおろそう

 5面  10・3 糸数慶子参院議員講演会
     「オール沖縄で戦争政治とめよう」      

     守れ!経産省前テントシリーズL
     弁護団・当該が怒髪天の陳述

     大飯差し止め訴訟 控訴審 11・5
     裁判所は国民の権利守れ

 6面  保養キャンプ 課題と展望
     ネットワークと 行政動かす力      

     書評
     政界ゆ着と労組つぶし
     『関西電力と原発』
     うずみ火編集部・矢野宏・高橋宏他 (西日本出版社)

       

沖縄圧殺、原発再稼働、解散強行の
安倍政権を打倒するとき

知事に当選した翁長雄志さん(10月25日 名護市)

安倍政権の危機が深まっている。衆院解散・総選挙の決断の最大の要因はアベノミクスの破綻である。 消費税率8%引き上げに伴って国内の景気は一気に落ち込んだ。4〜6月期の実質GDPは年率換算で7・1%のマイナスとなった。
家計に与える影響はさらに深刻である。総務省が10月31日に発表した家計調査報告の9月分速報によれば、二人以上世帯の消費支出が前年同月比で実質5・6%マイナス。勤労者世帯の実収入は、実質6・0%のマイナスとなっている。
この統計が発表された当日、日銀は追加緩和を発表した。その内容は、年60兆円〜70兆円のペースで増やすとしていた資金供給量を約80兆円まで拡大するというものだ。さらに同日、GPIF(年金積立金管理運用独立法人)は、年金積立金の運用比率を従来の債券72%、株式24%、短期資産5%から債券50%、株式50%に変更すると発表した。年金資産はおよそ127兆円。株式が24%から50%に変更されると単純計算で33兆円を超える資金が株式市場に投入される。
これを受けて日経平均株価は急騰し、1万7千円から8千円の間で推移している。また円安も進行し、最安値を更新し続けている。これによって莫大な利益を得ているのは金融機関とグローバル企業である。トヨタは2015年3月期の純利益で2兆円を超えると発表した。トヨタは1円円安になると純利益が約400億円増えるのだ。まさに労働者人民を犠牲にしながら、濡れ手に粟のボロ儲けをしているのだ。
12日、野放図な金融緩和を国会で追及された日銀総裁・黒田は「来年10月の消費税10%引き上げを前提に実施した」と答弁し、悪性インフレの可能性を否定した。ところが、その直後に安倍政権は、消費税率引上げの延期を決断したのである。もはやアベノミクスの破綻は誰の目にも明らかだ。今回の解散・総選挙は、このままでは不可能になる辺野古新基地建設、原発再稼働、集団的自衛権法制化を強行するためのものだ。このようなでたらめな政治手法に多くの民衆が怒りをたぎらせている。いまこそ沖縄県民の闘いに続き、安倍政権を打倒するときである。

工事を実力で阻止
辺野古新基地を許さない

10月30日、知事選が告示された。那覇市内の事務所で翁長候補は出陣式をおこない、街頭での第一声はキャンプ・シュワブゲート前で。ゲート前には市民が早朝より集まり、翁長さん到着時には350人に膨れ上がった。翁長さんの第一声は「辺野古新基地建設阻止」への並々ならぬ決意が現われていた。
11月1日、那覇市内。沖縄セルラースタジアム那覇で「オナガ雄志うまんちゅ“1万人”大集会」が開かれ、会場には予想を超える15000人が結集。
あちこちで感動の拍手・指笛が鳴り響いた。沖縄県民の「オール沖縄」の信念が結実した集会となった。あるおじぃは「これだけの人が集まるのは県知事選を何度もやっているが初めてだ。絶対勝てる」と感激し涙ぐんでいた。
3日、ゲート前ではアスベスト処理をめぐり防衛局に抗議を申し込んだ。10月29日以降、工事はストップしているが、防衛局からは、アスベストをどのように処理するのか回答はない。市民は回答を求め再度座り込んだ。防衛局は出てこず、長時間の座り込みに。
そのとき突如、機動隊が市民に襲いかかり排除にかかった。激しいもみあいが30分以上続いた。市民は回答があるまで何度でも座り込む決意だ。
7日、名護市選挙区の県議会補選が告示された。補選には稲嶺与党が推薦する候補が無所属で立った。自民党の元県議と一騎打ちだ。キャンプ・シュワブのゲート前で、県議補選候補が街頭での第一声を行った。稲嶺名護市長、翁長知事候補も駆けつけ、知事選、県議補選のダブル勝利を宣言した。
翁長候補は、15日、選挙戦最後の街頭演説をキャンプ・シュワブゲート前でおこない、那覇市の打ち上げ式に参加する予定。翁長候補の最初と最後の街頭演説が辺野古現地であることは、並々ならぬ決意の表れだ。

翁長氏 新基地反対で当選 11・16 沖縄知事選

川内原発、再稼働阻止
11・7 知事・県議会の同意に怒り

11月7日、鹿児島県議会と県知事は、九州電力川内原発1・2号機の再稼働に同意した。この日の県議会の傍聴席はプラカードを持った傍聴者の抗議の声が充満(写真)。これを無視し、伊藤知事は「苦渋の決断」と称して、全国初の再稼働に同意したのだ。これは電力資本・安倍政権の国家の総力をあげた許しがたい攻撃だ。
9月26日、原発に隣接する久見崎海岸に、再稼働に反対する監視テントがたてられ、28日には鹿児島市内で7500人の集会が開かれた。30日、原発から30q圏内のいちき串木野市と日置市議会が、両市を同意対象に含めるよう意見書を可決した。
10月に開催されたアリバイ的な地元説明会では誰一人納得せず、周辺自治体では反対が多数の中、薩摩川内市と鹿児島県のみの同意で再稼働に踏み切ろうとしている。
避難計画、火山の巨大噴火、「地元」の範囲などの問題山積を強行突破しようとするこの攻撃を許してはならない。川内原発再稼働阻止の声を全国であげよう。

高浜(福井県)の再稼働許すな
10・26 大阪で集会・デモ


10月26日、「いらんわ!高浜再稼働」関西集会(主催:脱原発政策実現全国ネットワーク 関西・福井ブロック)がエルおおさかで開催された。600人が参加、集会後デモをした(写真)
池島芙紀子さん(ストップ・ザ・もんじゅ)が主催者あいさつをした。「九州の川内原発をめぐって非常に緊迫した情勢にあるなかで、関西に住むわれわれは、高浜と大飯原発の再稼働に反対していかなければならない。再稼働の動きは他人事ではなく、緊急にこの集会を開催した」と述べた。
そして武藤類子さん(福島原発告訴団・団長)と広河隆一さん(フォトジャーナリスト)の2人が講演した。

福島の現実

武藤類子さんは、「今、福島がおかれている状況」について物柔らかに語った。「福島では帰還政策がおこなわれ、避難区域がつぎつぎに解除されている。国道6号線が開通したが、その路上では17マイクロシーベルト/時もあった。こういうなかで、人々の生活と安全が無視されつづけている。」
武藤さんは、@原発内で働く被曝労働者(6000人/日)の存在、A汚染水問題、B周辺地域の復興は進んでおらず、帰っても暮らせない現実、C積み上げられた除染土の問題、D放射性物質(8000ベクレル以上)を含むゴミの焼却施設が仮設で作られていること、E環境創造センターは子どもたちに放射線の安全教育をするための施設であること、F仮設住宅では精神疾患や自殺に追い込まれる人々がふえている問題など、福島の現実を訴えた。

保養の重要性

つづいて、広河隆一さんはチェルノブイリと福島で撮影した写真を示しながら、被曝の実相と保養の重要性について話した。
国会議員から山本太郎さん(参議院議員)と菅直人さん(衆議院議員)の2人が発言。宮下正一さん(原子力発電に反対する福井県民会議)と服部良一さん(前・衆議院議員)から連帯のアピールがあった。

2面

シリーズ 新成長戦略批判〜C
消費税増税は絶対阻止(上)
安倍政権打倒の大衆反乱を

はじめに

安倍政権は、来年10月の消費税再引き上げ(現行の8%から10%に)にむけ突っ走っている。今年9月の内閣改造および自民党新人事には消費税率再引き上げ推進論者を並べた。10月31日に、日銀金融政策決定会合が意表を突く金融の追加緩和を決めたことも、消費税の再増税の決断を促すためである。
11月4日に開いた有識者による「点検会合」では、連合の古賀伸明会長らに「予定通り実施されるべきだ」と発言させている。またテレビや新聞の政府広告で2億6000万円も投じて、「消費税率の引き上げ分は社会保障に着実に使われます」などと、真っ赤なウソを宣伝している。
アベノミクスの幻想は完全に剥げ落ち、株高を一時的に演出して、乗りきることも限度に達した。第3の矢とされている「成長戦略」はひたすら雇用条件を悪化させ、グローバル金融資本を儲けさせるものでしかない。「国土強靭化」なる公共事業も波及効果はゼロ。つまるところ原発とリニア新幹線などの「インフラ・システム輸出」のための国内ショールーム化の犯罪的路線しかないのである。そのために労働者人民の生活と生きる権利を奪う消費税の再増税である。絶対に阻止しなければならない。

T 消費税導入後の4半世紀

ひとことで言えば、貧困と格差の激烈な拡大である。若干のデータで見ると、小泉・竹中以降の10年で5千万円以上の超高額所得者数は3倍に、逆に年収200万円以下の層は861万人から1045万人へと2割以上増えている(いずれも2001年と2010年の比較)。この間、億万長者や大企業が溜め込んだ資産は1000兆円以上である(個人金融資産1400兆円の半分以上+企業の内部留保300兆円超)。
同じ10年間に、給与所得者の平均年収は454万円から412万円に1割も下がっている。生活保護受給者が100万人ちょっとから200万人へと倍増した(今年4月現在で215万9千人)。最低賃金は先進国で最低のままである(2006年現在で各国の最低賃金を平均賃金と比較すると、日28%、米33%、英35%、仏47%)。増える一方のワーキングプアとホームレス、自殺者という現状である。
社会の存立、いな人間の存立さえ危機にさらすこのような情況はなぜ生まれたのか? 日本の支配階級が、中間層に所得税減税と引き換えに消費税の導入を受け入れさせてきたからである。しかし4半世紀を経て中間層はほぼ壊滅した。いまや消費税増税を黙って受け入れるような階層は存在しない。消費税再増税に大衆的反乱が起こる条件は成熟している。

U消費税の何が問題か?

トヨタ社長より
 労働者の負担率が上

消費税導入の前年である1988年と東日本大震災の前の2010年を比較すると、GDPは25%増えているが、税収は25%以上減っている。この間、消費税は3%から5%に引き上げているのに、法人税・所得税・相続税はどんどん引き下げているからである。これを個人単位でみれば次のようになる。
2010年をとると、トヨタ自動車の社長は年収約3億4000万円、所得税の負担率15・1%、住民税の負担率4・7%、社会保険料の負担率(本人分と事業者負担分の合計)0・9%、以上すべての負担率の合計は20・7%、額は7038万円ほどである。これにたいして、平均給与所得者430万円の人をとると、所得税の負担率4・3%、住民税の負担率5・1%、社会保険料の負担率25・2%。以上すべての負担率の合計は34・6%で、額は149万円ほどである。
なんとトヨタの社長より、平均的給与所得者の方が負担率(負担感)は大きいのである。役員報酬が7200万であった東京電力の社長は、2011年に起きた福島第一原発事故の最大の責任者である。この東電社長の負担率もトヨタ社長とほぼ同じであることに怒りを持たない人がいるだろうか?

産業空洞化、失業者増

消費税の問題点は以下の点にある。
@国内輸出大企業だけが有利になる輸出還付金制度
A競合する海外製品にたいする非関税障壁
B国内の競争的起業への抑制効果
C中小零細企業からの需要の取り込み
D派遣労働者の賃金が仕入額控除になるためのコストカット効果
要するに、製造業の新規投資をおこなったり、人件費の多い企業ほど不利になるため、産業を空洞化させ、失業を増やし、雇用を減らす(逆に派遣や委託などの非正規雇用の増大)。
そのうえ、グローバル企業が主導する消費税引き上げ合戦が不可避化し、国際的争闘戦が激化する。悪循環の典型が自動車産業である。トヨタを筆頭に、消費税でぼろもうけしているにもかかわらず、労働者の給料を上げず、正規雇用の労働者を増やさず(非正規雇用で代替し)、下請けには過酷なコストカットを迫っている。その結果、若者の「自動車所有離れ」が起きる。たんに「離れた」のではない。買えないし、維持する財力がないのである。
国内で売れないから消費税を引き上げて(非関税障壁を高くして)、生産も市場も国外に求めざるを得ない。その結果、国内は生産も、雇用もますます空洞化する。(つづく)(落合 薫)

消費増税は絶対阻止ー安倍政権打倒の大衆反乱を
はじめに
T 消費税導入後の4半世紀
U 消費税の何が問題か
(以下次号)
V 日本の消費税の問題性
W シャウプ税制を破壊
X 消費税導入と増税の口実
Y 消費税は軍隊のために
Z 源泉徴収制度の意味



「私たち抜きに私たちのことを決めるな」
「骨格提言」完全実施を求める 10・30日比谷集会

10月30日、「骨格提言」の完全実現を求める10・30大フォーラムが東京・日比谷野外音楽堂でひらかれ、850人が参加した。参加者数は昨年の3倍。
このかん1万人以上の参加で開かれていたこの集会は、一昨年から開催されなくなった。そのことに危機感を持った人たちがかろうじて継続し、去年、今年と準備を重ねてきた。今年から新たに反貧困ネットワークが加わった。
リレートークは、@精神障がい者への差別と隔離に抗して、A知的障がい者の施設での虐待問題、B生活保護制度改悪に抗して、C共に学び生活する学校を目指して、D介護保険優先と闘って、E難病者の情況。病名により選別される福祉適用、医療費負担など、F「尊厳死」法制化に反対する、G障がい者の生存を否定する出生前診断に反対、H女性障がい者の状況、I介助労働者の思い、J原発被災と障がい者。
怒っているぞ! 障害者切り捨て・全国ネットワーク(怒りネット)の古賀さんは、基調報告で「骨格提言を無視し、裁判の和解合意を黙殺する総合支援法に民主主義はあるのか? 骨格提言の完全実現を勝ち取ろう」と提起した。

強制入院の恐怖の中で

「精神障がい者への差別と隔離に抗して」全国「精神病」者集団の山本真理さんが発言。「国連人権委員会では、日本の精神病院の悪評振りがとどろいていた。病院の看板書き換えに過ぎない『病棟転換型居住系施設』を許さない。障がい者権利条約は批准されたが、『私たち抜きに』政策が決められている。医療主導の下に、地域に管理・監視体制が作られようとしている。強制入院の恐怖の中で生きている。施設・病院から仲間をとりもどそう。」
藤岡剛士弁護士は、「昨年11月、知的障がい者入所施設で、激しい虐待事件があった。職員によって、1週間の間に2回、あばら骨を折られた。多数の職員から日常的な暴行を受けていたもよう。職員2名が逮捕されたが、骨折は不問。07年には、佐賀県で、安永健太さんが、『不審者』として路上で15人の警察官から暴行のうえ殺害され、裁判所はその警察官を無罪にした。(権利条約批准後に)虐待防止法があるにも関わらず、虐待はまったく止まない。権利条約など無くても、仲良く生きられる社会にしよう。」

社会保障全体の改悪

宇都宮健児さんは、「障害者権利条約で、障がい者は権利の主体と明記された。骨格提言の完全実現を支援していきたい。日本の貧困率は16%。中でも一人親家庭の貧困率は54・6%。バッシングを利用して安倍政権は、平均6・5%、最大10%も生活保護費を引き下げようとしている。それに対して1万人を超える異議申し立てがあった。叩きやすい生活保護から始めて、ゆくゆくは社会保障全体を削減・改悪しようとしている。」
65歳問題(介護保険優先問題)では怒りネットの3人が発言。「65歳になるのを前に、県・市と交渉した。県では、必ずしも介護保険を使わなくても良いとなった。市は、県を悪者にしていい逃れようとした。暫定的に3カ月間認めさせ、さらに主治医の診断書を持って交渉して、継続的に総合支援法を認めさせた。」「連れ合いが65歳になって、2カ月ごとに契約期間を切って総合支援法を認めさせている。介護保険は申請主義なので申請しないでもよい。一人で闘わせないで大勢で支援していこう。」

「尊厳死」法制化

「尊厳死」法制化との闘いでは、「欧米の障がい者団体も積極的安楽死を阻止するのに必死になっているが、日本の障がい者運動は、1961年、〈青い芝の会〉前身の『しののめ』誌が、世界で始めて安楽死・尊厳死を問題にした。50年間、日本の障がい者運動は、安楽死ではなく、その手前の尊厳死の法制化を阻止してきた。これは日本が世界に誇ってよい運動であり成果だ。さらに運動を継承しよう。」
集会宣言では、「財政赤字は公共事業や無駄な経費、軍事費が原因であり、社会保障に金を回すことは十分に可能だ」と言い切った。 (T)

3面

安倍・塩崎の派遣法攻撃
連続抗議行動で廃案へ

大阪で連続して街宣

厚生労働委員会での強行採決が迫る11月6日、淀屋橋で12時から13時まで40名を超える大阪労働者弁護団、民主法律家協会の各弁護士、さらに多くの労働組合員などが参加して街宣行動がおこなわれた。この日は緊迫した国会情勢を反映してテレビなどのマスコミも多く取材に来ていた。
街宣カーが到着すると、まず最初に民法協の中西基弁護士が用意した大型のパネルを使ってわかりやすく説明した。つづいて大阪労働者弁護団の普門弁護士が発言。全労連、全港湾からも熱い訴えが次々とおこなわれた。用意したビラやティッシュは若い人も積極的に受け取っていった。
派遣法改悪に反対する大阪の街宣行動は10月6日(南森町)、21日(天満橋)、11月6日(淀屋橋)と連続しておこなわれてきた。
次は11月21日、12時から心斎橋のアメリカ村の交差点(周防町交差点)で予定されている。全国で巻き起こっている反対運動によって国会情勢はグラグラになっている。世論をさらに熱くするため、抗議のファックスを国会に送り、派遣法改悪反対の街宣行動に参加しよう。

廃案にあとひと押し

10月28日に衆議院本会議で審議入りした派遣法改悪案は、世論の反対運動のうねりの中で、動揺に次ぐ動揺の過程に入っている。
11月5日、反対を押し切って厚生労働委員長の職権で委員会が開かれたが、塩崎厚労相のデタラメ答弁(注)や公明党の動揺など敵のエラーが続いている。自民党・公明党は11月7日、わずか1日(実質7時間)の審議で安倍首相が参加した「総理入り質疑」を強行しようとしたが、首相が議場に来ると野党が全員退席し「総理入り質疑」は空転した。
12日、衆院厚生労働委員会理事会で、自公両党は、13日・14日の委員会では派遣法改悪案ではなく、他の4法案を審議すると提起し、事実上、派遣法改悪案の採決を断念することを認めた。
廃案に向かってあと一押しだ。さらなる抗議行動をまきおこし、11月21日には心斎橋のアメリカ村交差点に12時に集まり、反対運動をさらに熱くしていこう。

異常な「総理入り質疑」

「総理入り質疑」は、議論が煮詰まったなかで最後に内閣の長としての見解をただすためにおこなわれるものである。当然、その前に十分な議論がなくてはならない。多くの反対の声の中、先の通常国会で成立した「地域医療介護法案」ですら、6日間、27時間の審議が行われている。審議1日、7時間の審議だけで「総理入り質疑」を強行しようとすることはきわめて異常である。

さらなる行動へ

こんなおごり高ぶった自民党や公明党は徹底的に叩かなければならない。来年4月に改悪法の施行を強行しようという資本や自民党・公明党とたたかい、さらに行動を重ね、反対行動をひろげていこう。

(注)塩崎厚労相のデタラメ答弁:「派遣で働く人の待遇の改善を図る一方で、正社員への道が開かれる」

現場レポート
労働者の人格を否定する
郵政職場のパワハラ

営業ノルマと暴言

私はかつて大阪の郵便局に長年働いていたものです。郵便局は今から7年前に民間になりましたが、特に私が記憶しているのは今から4年前、年賀はがきなどの営業ノルマが厳しくなったことです。
上層部は営業目標と言ってますが、われわれ働く現場としては「目標」ではなくあくまでも「ノルマ」にすぎません。その営業ノルマのプレッシャーからうつ病になり、欠勤と出勤を繰り返す日が続きました。
幸い自殺とまでいたりませんでしたが、同僚から「死ね!」と言われたり、出勤する途中で気分が悪くなり欠勤する電話をしたところ管理者は「休むんか!? 自分の健康管理ぐらいしっかりせぇ! 診断書とって来い、ボケ!」と暴言・罵声を浴びせかけられました。

悪質管理者の横行

これら郵政職場の現状に対して私は人間的に絶対許せないものがあり、この場を借りて徹底的に訴えます。たかが1日休むぐらいで「診断書とって来い!」とは絶対におかしいのではありませんか? そしてこの上司の言ったことは明らかにというか完全なるパワハラではないでしょうか?
それ以外でも仕事面でこの管理者Aには無茶苦茶やられました。この管理者Aのまえになると一部を除く若い人達はみんな怯えて仕事をしていました。中には明日の担務ボードを見て帰る人もいるぐらいでした。こういう中で、私は昨年、非常に愛着のあった大阪の郵便局を辞めざるをえませんでした。

交通事故の頻発

このような状態で仕事をするとどうしても起こしてしまうのが交通事故です。私がやめる直前のことです。配達途中でタクシーのドアに接触する交通事故を起こして辞めた人がいました。
幸い双方に怪我はなかったのですが、管理者Bは「交通事故を起こしたのはお前、始末書だ!」と言ったそうです。本人は「走行しているところタクシーのドアが開いたため避けきれなかった」と主張。話がだんだんこじれ、結局その人は嫌気がさして辞めてしまいました。皆さんはどちらの言い分を尊重しますか? 辞めた人は最後の日、交通事故を起こしているにもかかわらず晴々とした表情で職場を去っていきました。

地域合同労組ビラ

こんな緊迫した状態の中で仕事をしていたのです。私はある労組の信頼していた役員に相談しました。しかし、当局や管理者と交渉することはありませんでした。また、後輩が組合役員に「こんな状態では仕事が出来ない。組合を通じて言ってくれ」と言ったそうですが…全く無視していたそうです。いまの職場の組合はこうした職場の状態に向き合ってくれないんだと思っていました。
そんな中で地域合同労組のビラが職場の前でまかれました。私はそれをずっと持っていました。

親友の入院

パワハラで今から3年前に脳出血で倒れ、現在も入院・闘病している友人がいます。 その人は私の元職場の同僚で、とても仕事熱心な、物静かなジェントルマンでした。親友でした。友人は非正規雇用で入社し、その後正規雇用となり、一定の責任をもつところまで頑張って働いていました。その彼も今はもう働くことができません。人生を棒にふらなければならなくなりました。年老いたお母さんは泣いています。パワハラを放置したままの職場は「絶対にダメ」です。企業の責任は重大です。
私は郵便局をやめ、病気療養中に意を決し「ビラにある通りのことが郵政である」「その問題を取り上げるべきだ」とビラの地域合同労組に電話しました。その後労組の取り組みに参加し、病気も克服し、今年新しい職場に就労することができました。労働相談テントにも参加しています。
最後に私のスローガンです。
・パワハラは絶対に許しません。
・パワハラは働く人の権利を侵害・妨害する犯罪です。
・パワハラは絶対に根絶するべきです。(投稿・一田和夫)

投稿
沖縄・辺野古訪問記
工事を中断させた


いざ、辺野古へ

10月26日から4日間、辺野古のたたかいに参加した。最初の日曜日は穏やかな辺野古のテント村で知事選のことや、工事をめぐる攻防のことなどを聞いた。
翌日から3日間は、キャンプシュワブのゲート前での抗議行動に参加。朝7時半からテント2でミーティング。その後カヌー隊、テント村、ゲート前など、それぞれの現場の準備にかかる。
8時頃、ゲート前での準備を手伝う。塩ビパイプをつなぎ合わせ、基地のフェンスも利用して骨組みにし、ブルーシートを張った手作りのテントが30メートルぐらいかそれ以上の長さで設営され、バナー、のぼりなどで所狭しとデコレーション。約1時間かけて準備が整うころには、続々と人々が集まって来た(写真・27日)

アスベスト処理問題

キャンプシュワブ前でのたたかいは、新基地建設にむけた作業ヤードをシュワブ内につくるための既設建物解体工事を止めることが目下の最大の課題となっていた。この解体工事は7月、小野寺防衛大臣が着手を宣言したが、それ以降住民が公文書開示請求などにより、解体される建物には実はアスベストが使用されていることが発覚した。その危険なアスベストを扱う工事の届け出を県に出さずに強行しようとしていたというでたらめな工事である。
防衛局はあくまで10月29日、飛散性のアスベストを含む部分の解体を強行する構えでいたため、住民、県民はキャンプシュワブのゲート前での抗議をより強めて来た。これに対して警察権力が、座り込む住民をごぼう抜きにするなど弾圧も激しさを増していた。

ぞくぞくと現地へ

このように重要な局面で、27、28日、県内各地からキャンプシュワブ前にはどんどん人々が集まり、常時100人を超え、1日に延べ200名も集まるような状況だった。毎週月曜日、バスで参加する島ぐるみ会議のみなさんは70人で10回目の参加。また退職した教員の方々やさまざまな団体・グループが紹介された。アピール、シュプレヒコール、デモ行進、防衛局現場責任者との交渉が終日続いた。緊迫した状況を和らげるような三線と歌、踊りも。

工事を中断させた

先頭に立つ山城博治さんは「裁判所任せというのは大衆運動の原則ではありません。大衆運動はあくまで現場でたたかいぬくことです。基本的には座り込みで工事強行を阻止しよう」と訴えた。
29日当日、2つのゲートに分かれて監視し(その後もうひとつのゲートでも)、立ち会いに来た県の車を阻止、交渉の末引き上げさせ、防衛局も今日は作業はしないと明言、ついにこの日の強行を阻止するという大勝利を収めた。しかしたたかいはまだまだ続く。30日からは知事選の本番。現地攻防を直接支えるたたかいはますます求められている。(兵庫 N)

4面

争点
橋下・桜井会談の真相(下)
―在特会と橋下はなぜ特別永住制度を攻撃するのか

U 戦後の在日朝鮮人の処遇 ―追放をたくらみ破産(承前)

日韓条約と協定永住

法律126号にある「別に法律で定めるところ」というのは入管法のことを指しているが、入管法は何度も国会に上程されるが激しい反対の声で成立はできなかった。一方、65年に日韓条約の締結に伴って、在日朝鮮人の処遇問題が大きな焦点となり、日韓法的地位協定が締結され、協定永住が定められた(申請期限は71年1月16日)。それは法務大臣の自由裁量ではなく申請すれば認められ、また退去強制が大幅に緩和された。入管令が退去強制事項に含めていた生活困窮者、障がい者などは対象外とされ、懲役7年以上の犯罪以外は対象から除外された。しかし、対象は韓国国民であり「韓国籍」取得が不可欠だった。日本政府は、「一定の安定的な永住権」を使って朝鮮籍の人々を韓国籍に切り替えさせようとした。日本政府が一方的に「朝鮮総連の支持基盤」と見立てた朝鮮籍の人々を切り崩すために使ったのである。さらに協定永住は、「協定永住1世」の孫(協定永住3世)については永住を保証せず、25年以内に協議するとしたのである。「協定永住3世問題」であり、25年後の「91年在留権問題」である。

入管難民法と特例永住

一方、「別に法律で定めるところ」とする入管法が成立したのがようやく81年だった、在日朝鮮人を追放し、それでも日本に在住する人々は徹底した管理にさらそうとする法案はことごとく廃案に追い込まれ、敗戦後35年以上も入管法は成立できなかったのである。しかも81年に入管法が成立した動機は、ベトナム戦争終結後の難民受け入れをめぐって日本政府は国際的非難を浴び、受け入れを迫られ、国際人権規約(79年)、難民条約(81年)を批准さざるを得なくなり、それに伴って国内法の整備が迫られた結果であった。ここで制定された特例永住は、法律126号とその子(4―1―16―2)が対象とされた。対象は主に、協定永住を申請しなかった朝鮮籍の人々であった。申請すれば受理されるが、協定永住のような「7年以上の懲役以外は対象外」などの退去強制事項の大幅な緩和はなく、協定永住に比べれば退去強制事項は厳しく、また協定永住同様に法律126号の孫(4―1―16―3)以降の在留資格は定められなかった。

91年在留権問題

戦後の日本政府の在日朝鮮人に対する処遇の歴史を簡単に見てきた。敗戦直後の追放政策の破綻と、植民地支配の結果として在日朝鮮人が日本に在住することを一定認めざるを得ない結果としての法律126号。そして代を重ねるごとにさらに不安定な処遇を強いることで在日を抹殺しようとする政策。しかしそれらをはね返し、在日朝鮮人が在日朝鮮人として生き存在し続ける中でこうした策謀は破綻に追いやられていった歴史を見ることができる。
81年の時点で在日朝鮮人の在留資格は大きくは協定永住と特例永住とされたが、いづれも3世以降の在留は定められておらず、日韓法的地位協定が定めた25年後の91年が焦点となったのである。そしてこの「91年在留権問題」は、90年の外登証の大量切り替え時の指紋押捺拒否闘争と完全にリンクしたのである。
85年の14000名もの指紋押捺拒否・留保の闘いは、戦後40年を経て、在日朝鮮人が日本政府の「同化か追放か」を迫る攻撃に抗い、民族的人間的尊厳をかけた闘いだった。先に述べたように不安定な在留資格と様々な退去強制事項の存在は、拒否すること自身が命懸けであった。しかし当時、約65万人のうちの14000名の拒否は2%にも達する。日本の人口に換算すれば240万人が拒否に立ち上がった数だ。
90年は、再び外登証の切り替え時に当たり、指紋制度と3世以降の在留権問題をどうするかが焦点となった。われわれも、指紋拒否に立ち上がった在日朝鮮人と連帯し、また89年1月の天皇ヒロヒトの死による1年以上に及ぶ「服喪」の強制と、90年の新天皇の「即位礼」「大嘗祭」の天皇賛美の攻撃、その一環としての指紋拒否者への「天皇恩赦」という攻撃に対して、「指紋・入管―天皇決戦」を掲げて全力で闘った。
こうして、指紋制度は93年に永住者と特別永住者は廃止、99年には全廃となった。そして、91年に法律126号とその子孫は、協定永住・特例永住を含めてすべて特別永住資格となり、申請すれば子々孫々まで取得できるとなった。退去強制事項は一般の外国人とは異なり、内乱、外患、国交・外交上の罪、そして「無期又は懲役7年以上の罪に処せられかつ法務大臣が日本の重大な利益が損なわれたと認定した場合」に「限定」された。緩和されたとはいえ退去強制事項が残されたことや、再入国する場合許可を受けなければならないなどの問題点は残るが、在日朝鮮人をことごとく追放しようとする戦後の一貫した攻撃は打ち破られたのである。こうして出来たのが現在の特別永住制度である。

V 在特会や橋下はなぜ特別永住制度を攻撃するのか

以上見てきたように、現行の特別永住制度とは、在日朝鮮人を追放・抹殺しようとした日本政府の攻撃が50年近くの闘いで打ち破られ、曲がりなりにも在日が在日として存在し続けることを認めざるを得なくなった結果を表している。在特会と橋下は、戦後以来、連綿たる闘いによって曲がりなりにも勝ち取った特別永住制度に焦点を当てて覆そうとしているのだ。
在特会や橋下が特別永住制度を「在日特権」として否定し攻撃するのは、日本政府ができなかった、侵略戦争と植民地支配の結果存在する「歴史的存在」としての在日朝鮮人の抹殺が目的なのだ。「歴史的存在」としての在日朝鮮人を抹殺・否定することで、侵略戦争と植民地支配の歴史を抹殺し正当化しようとしているからだ。
在特会会長・桜井と橋下との「怒鳴り合い」は、ヘイトスピーチが是か非かをめぐってではない。在特会は在日朝鮮人を直接攻撃することで抹殺を図ったが、橋下は「政治の力、俺の力で抹殺する」と言っているという違いに過ぎない。本質も目的も変わるところはない。日本政府が戦後一貫してやりたくてもとうとうできなかった在日朝鮮人の抹殺を在特会は暴力で企て、今度は橋下がやるといっているのだ。

在特会と維新は一体

維新は、来春4月の統一地方選挙で吹田市議選に立候補予定の候補者として、元在特会のメンバーを公認した。松井大阪府知事(日本維新の会幹事長)は、その事実が発覚しても、「公認は取り消さない」と言い放った。10月19日に投開票の兵庫県川西市議選に立候補した、徳島県教組襲撃事件で有罪となった「おつる」こと中曽ちづ子(落選)に多数の維新の議員が応援に駆けつけた。在特会と維新とは根深い関係なのだ。
もちろん、安倍政権とて同じである。山谷えり子国家公安委員長は、京都朝鮮学校襲撃事件に加わった複数の在特会幹部との写真が暴露され、「20年来のお付き合い」と報じられた。直後の外国特派員協会での質疑応答でその事実に質問が集中し、国家公安委員長としてヘイトスピーチ団体を取り締まるのかと問われたが明確には答えようとはしなかった。国際社会では、「安倍政権の警察トップの閣僚はヘイトスピーチ擁護者」との認識が急速に深まっている。
在特会、橋下・維新、安倍政権は同質である。日本軍「慰安婦」問題を否定して植民地支配の「生き証人」である在日朝鮮人を抹殺し、侵略戦争を美化・正当化しようとしている。その先にあるのは、「かつての戦争」の再現である。在特会、橋下・維新、安倍政権を許してはならない。 (速見 賢三)

中原教育長をひきおろそう

先月29日に開催された大阪府教育委員会議のなかで、立川さおり教育委員が、中原教育長からパワハラを受けた事実を暴露した。
それは、「認定こども園」の定員上限を25人から35人に引き上げる条例改定案にかかわる個別会談の場で、立川委員が35人化に反対である旨発言したことに対し、中原教育長は「(府議会での答弁は、立川委員が)母親とか、個人の意見を披露する場ではない。課長が用意した通りに言えば、いいんです。目立ちたいだけでしょ。誰のおかげで、教育委員でいられるのか、他でもない知事でしょう。その知事をいきなり刺すんですか。自分もやってられない、辞める。自分のキャリアに傷がつく。損害賠償請求、告訴します。罷免要求だしますよ」とたたみかけたというもの。
維新が引っ張ってきた現教育委員会の内部からも、「(橋下や中原のやり方には)もうやってられない」とばかりの反乱がついに始まった。

5面

10・3 糸数慶子参院議員講演会
「オール沖縄で戦争政治とめよう」

関西・沖縄戦を考える会恒例の講演会が、10月3日、大阪市内で開かれた。今回のテーマは、「集団的自衛権と沖縄〜第二の沖縄戦を招く! 集団的自衛権と秘密保護法」で、講師は参議院議員(沖縄選出)の糸数慶子さん。糸数さんは沖縄平和バスガイドの先駆けで、現在は沖縄社会大衆党の委員長。
沖縄・辺野古への新基地建設に向けた埋め立て工事のためのための海底ボーリング調査強行をめぐる現地の攻防が激しく闘われている緊迫した状況の真っ只中での講演会とあって、参加者は通常を倍する100人を超え、会場を一杯にした。司会の開会宣言と主催者代表のあいさつの後、糸数さんが演壇に立った。
冒頭、糸数さんは「ハイタイ、グスヨー、チュウウガナビラ」(やあ、皆さん、ご機嫌いかがですか)、「(大勢お集まりいただき)イッペー、ニヘーデービル」(大変、ありがとうございます)とあいさつ。
彼女のウチナーグチ(沖縄語)でのあいさつに、彼女のウチナンチュウ(沖縄人)としてのアイデンティティと誇り、そして沖縄への日本の差別的有り様に対する抗議の意志が込められているように感じた。
あいさつの後、糸数さんは、開会中の国会における安倍発言とその諸政策のウソとペテンを暴き、安倍の強権的なやり方を危機感を持って弾劾した。そして、彼女の母親や家族・親戚の沖縄戦における悲惨な体験をチムグリサシー(心苦しくしながら)話し、戦争は絶対に許してはいけないと心底から訴え、本題に入った。
「辺野古への基地建設は普天間基地の単なる移設ではなく、新たな基地機能の強化だ」「世論調査では、沖縄県民の8割が基地建設には反対だ」「安倍は“沖縄の基地負担を軽減する”と言いながらオスプレイの強行配備や辺野古・高江の新基地建設を推し進め、“沖縄の皆さんの理解を得ていく”と言いながら8割の県民の気持ちを無視し、踏みにじっている」「集団的自衛権の行使容認と辺野古新基地建設へ向けたキャンプシュワブの立入禁止水域50mから2qへの拡大を同時に閣議決定したことは、両者が一体のものであることを示している」「集団的自衛権は米軍の戦争に協力することになるし、秘密保護法は例えば基地にカメラを向けただけで逮捕されるといったことになりかねない」
「安倍は積極的平和主義と称して、尖閣諸島をめぐる中国との緊張を高め、南西諸島防衛方針を打ち出し、与那国・宮古への陸上自衛隊配備を推し進めている」「靖国参拝の強行でアジア諸国を刺激し、沖縄の全島要塞化を狙っている」「安倍は日本国憲法の三本柱である国民主権・基本的人権・戦争放棄を天皇主権・基本的人権剥奪・戦力保持の憲法に改悪しようとしている」
糸数さんは概要このように語り、戦争政策の重大な攻撃である辺野古の新基地建設を絶対に阻止しなければならないと強調した。
11月の沖縄県知事選挙は島ぐるみの“オール沖縄”対日本政府の闘いであり、知事選に勝利して辺野古の闘いの展望を切りひらき、“オール沖縄”を“オール日本”に拡大して憲法改悪を含めた戦争政治を阻止し日本を変えていこうと訴えて講演を締めくくった。 質疑・応答のあと、事務局のまとめで講演会は終了した。

守れ!経産省前テントシリーズL
弁護団・当該が怒髪天の陳述

久見崎(ぐみざき)海岸の脱原発テント

川内原発再稼働に反対し、テントたつ

川内原発の再稼働のための布石が、一手一手治安部隊の擁護を背景に打たれてくる。10月29日、日置市における補足住民説明会をもって、半径30キロ圏内の市町の住民説明会は終了。薩摩川内市議会の再稼働推進議決も終わり、11月7日には鹿児島県臨時議会での同意がおこなわれた。8割に達する住民の不安など、まったく顧慮されないに等しい暴力的展開であり、説明会ではなく、対話を偽装する通達としか考えられない。原子力規制庁長官は元警視総監だった。
これに対抗するために、テントひろばは東京の第1テントとほぼ同規模のものを、川内原発の取水排水口につらなる久見崎浜に建てた。海洋は、はるかに東中国海を望んでいるが、崖上には原発の天辺(てっぺん)が覗かれる。海上には、海上保安庁の艦船も偵察警備をしている。

第8回口頭弁論

10月14日午前9時半より、東京地裁テント裁判の傍聴抽選に参加する前に、恒例の開廷前抗議集会が催された。淵上さんの激昂は、聞く人々を震え上がらせるほど。そろそろ傍聴者も減るかと危惧していたテント内部の人々は、いつもの100人を超える結集に、ほっとしていた。
法廷では、河合弁護士による東電の犯罪性の証拠列挙と糾弾、それにつらなる政府、経産省、検察の責任を徹底追及する熱い弁論から始まった。東海第2原発差止訴訟を取り組む相沢さんがはじめて傍聴して、この法廷の「自由さ」に驚嘆したという。
また、河合弁護士は、海渡弁護士とともに「日本と原発」という映画を制作、劇場公開すると報告会で述べていた。原発政策の犯罪性を立証する河合さんは、法廷で、原告(経産省)を数度、「被告」と名ざししていた。ベテランの法曹家としては、異例なことだった。
そして、唯一の希望として、5月21日の「大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決」(樋口判決)を挙げた。
こののち、吉田弁護士はパブリックフォーラム理論(注)を展開し、樋口判決の公益論にたてば、テントひろばの占有正当性が認められ、経産省の行為は権利濫用、スラップ訴訟であるとして、経産省、検察の倫理性を追及した。被告を2名に限定したことも同罪になる。現在、テントの当該として、43人のひとびとが立ち上がっている。ゆえにテントは、組合所有と考えるべきだとした。結果、この訴訟は根拠がなく、すみやかに却下されるべきだ。
こうして、誤認された当該の正清、淵上両氏が、怒髪天をつく勢いで、陳述。福島などの被害者の悲惨な現実から目をそむけ、オリンピック・ブームをつくろうとする政府、再稼働へ邁進しようとする東電、そして御用弁護士となりはてた検察・検事を激しく糾弾した。 次回は、12月3日(水)午後3時より、東京地裁103号法廷。(Q)

(注)パブリックフォーラム理論:所有権やその本来の利用目的のための管理権に基づく制限を受けざるを得ないとしても、憲法21条が保障する集会の自由に可能な限り配慮する必要があるとする理論。

大飯差し止め訴訟 控訴審 11・5
裁判所は国民の権利守れ

11月5日午後2時、名古屋高裁金沢支部で傍聴抽選券を受け取り、石川門側の小公園に集まった。全国の原発裁判ののぼりが林立。デモ行進で裁判所に入った(写真)。傍聴抽選で168人の希望者に31人が決まった。抽選に外れた人たちの待機会場で弁護団と原告団事務局による「模擬裁判」がおこなわれ、原告側の主張が同時進行で再現された。
最後に映画『日本と原発』(河合弁護士監督)が一部上映され、原告団、弁護団、傍聴者が到着し、100名を超す大記者会見・報告集会が始まった。

迅速な裁判を約束

事務局長の松田さんが開会のあいさつ。19人の弁護団の紹介、笠原弁護士が今日の裁判の経過を報告。次回2月9日は、原告団として、被告関電の第17準備書面に対する反論をおこない、関電は「次回までに主張を完成させる。専門家の証人は申請しない」という。
内藤裁判長は10月1日に交代したばかりで、関電の引き延ばし作戦が危惧されたが、裁判長から「双方迅速に進めて欲しい」との要望があり、迅速な裁判進行が約束された。

法廷での主張

法廷で意見陳述をおこなった原告と弁護士がその内容を報告した。
最初に、中嶌哲演原告団長は「〈黄金の光〉は、私たち人間の弱い心を引きつけてやみません。/巨大な危険性とひきかえの、大飯原発3・4号機増設に伴う交付金や協力金も、その例外ではないようです。/しかし、その光の及ぶ範囲は狭く、時は短いのではないでしょうか。その光の届かぬ先は、深い闇が私たちをのみ込もうとしているかもしれないのです。/一方、私たちの人間としての〈良心の光〉は、透明で、まことに無力に見えます。が、その光の及ぶところは広く、長いのであります。/先祖代々守り続けてきた、美しい若狭の海は、私たち地元住民だけではなく、広く関西や中京方面の都市住民にも、大きな恵みを与え続けています。その〈真実、自他共に生かされ、生きる道〉を、最愛の子どもたちや孫たちに伝えて行こうではありませんか」と訴え、聞く人の心を揺さぶった。

4人の論客の弁論

河合弁護士からは「原判決の歴史的意義、全国、海外の市民の反応、原判決のわが国の民主主義における歴史的意義、控訴審に望むこと」について。板井弁護士は「玄海原発弁護団・原告団から、4人の弁護士と4人の原告が来た。新規制基準は原発を再稼働させるための基準だ。水俣病、ハンセン病、4大公害裁判の経験から、裁判所は国民の権利を守るべきだ」と述べた。
島田弁護士は「司法はなぜ原発事故を防げなかったのか。司法界の中に考えをあらためる人も出ているが、事故前後になぜ考えが変わったのか。福島原発事故で社会通念が変わり、裁判官が判断基準にしている経験則が変わったからだ」と話し、海渡弁護士は「国会事故調も地震が原因としている。司法にも責任がある。請戸の浜で、遭難者の捜索をしていた消防団員が助けてくれという叫び声や、ものを叩く音を何カ所でも聞いたが、翌日10q立入禁止命令が出て見殺しにせざるを得なかった」と話した。

次回は2月9日

川内原発訴訟をたたかう弁護士から特別アピールがあり、「大飯判決のあと、裁判官の姿勢が変化している。鹿児島県知事は7日にも川内原発の再稼働に同意しようとしているが、大飯の判決を守って、全国の原発を止めたい」と訴えた。
その後、マスコミから様々な質問があり、6時頃に終了した。2月9日に再び名古屋高裁金沢支部に集まろう。 (S)

6面

保養キャンプ 課題と展望
ネットワークと 行政動かす力

この夏休み、高放射線量地域に住む子どもたちのキャンプやショートステイなどの「保養」(注)が全国各地で取り組まれた。全国で約6千人が参加したと言われている(8月26日・神戸新聞朝刊)。

ある団体の夏休みキャンプ

関西各地の保養22団体が集まって作っている「ほようかんさい」では、ホームページを立ち上げて各団体の取り組みを紹介している。
その中から、A市でおこなわれたある団体の夏休みキャンプの様子を紹介したい。
ここでは、12年春休みから14年春休みまで春と夏に5回キャンプをおこなってきた。今回で6回目。この8月の1週間、市内のお寺を借りておこなわれた。
初日に引率者が福島県まで迎えに行き、新幹線で午後に関西到着。
始まりの会で自己紹介をする。参加者のリピーターの子は慣れた様子で自己紹介をするが、初めての子は照れて自己紹介ができない。事務局、生活班、食事班、車両班、子ども付きそい班、撮影班の各スタッフが紹介される。これらスタッフは、このキャンプまでに7回の会合や学習会、ボランティア説明会をおこなってきたという。スタッフは大学生から高齢者までさまざまだ。
施設の使い方などが説明されたあと、部屋割りが決められ、子どもたちは荷物をもって各部屋に散っていく。
2日目から、うどん作りやプール、花火、肝試し、紙芝居などのスケジュールが続く。このお寺には広い風呂がないので、夜は近くの銭湯に行く。騒いで、おっちゃんに怒られる。付き添いのスタッフは大変だ。自分の体を洗う間もない。上がってから、銭湯のおばちゃんに飴をもらう。
今回、自由時間が設けられ、子どもたちが一日自分で決めたところに行くという企画もあった。京都観光、近くのスーパーで買い物、飛行場見学など。子どもたちの自主性を重んじたいという主催者の気配りだ。
キャンプ行事の最終日、バーベキューで盛り上がる。中国ごまなどのパフォーマンス、ギターに合わせての歌の合唱。そしてスタッフへの心をこめた「お礼の言葉」が子どもたちから述べられる。
ここの保養キャンプは、食事に特に気を使っている。食材は全て放射能測定で不検出のものを使用。放射能の入っていない食事を食べ、放射能を排泄し、放射能を恐れることなく戸外で思い切り遊ぶ。小川でザリガニをとり、土をいじり、落ち葉を拾う。高放射線量地域でできないことを自由におこなう。

困難に直面する保養団体

福島原発事故から3年半。保養活動は、困難に直面している。
まず財政の問題がある。保養に取り組みだして当初のうちはカンパも集まる。しかし原発事故への関心も薄くなり、3回から4回となってくるとお金が集まらない。様々な助成金があるが、必ずおりるとは限らない。次に、財政の問題も含めて一つの団体でさまざまな問題を抱え込んでしまって、行き詰まるということである。また、当初は「高放射線地域の子どもたちをなんとかしたい」と集まってきた人々が、放射能に対する考え方の違いから分裂するということもある。
チェルノブイリでは、集団的に学校丸ごと、地域丸ごとで保養をおこなって効果をあげてきた。しかし日本の場合は、チェルノブイリと同じ放射線量値のところでも「安心・安全」が強調され、それが圧力となって公然と放射能の話ができず、保養に行くのは周りに黙ってこっそりと行くという状況なのだ。
国は「原発事故はなかったことにする」政策を全国的に推し進め、原発再稼働や原発輸出を推進している。それが福島や周りの高放射線地域の雰囲気を作り出している。

今後の展望

しかし最近、少し違った動きも見られる。
福島県西郷村は復興基金を使って県外の団体と共同でクラス丸ごと移動教室をおこなうという。
また本年度から国と福島県も、「リフレッシュ効果」を認め(しかし「保養」や放射能の影響については絶対に認めないが)、福島県外での自然体験事業に乗り出した。これは福島県内に拠点のある団体が県外に自然体験に行く場合に助成金を出そうというものである。これを使って県外の保養団体とタイアップして保養をおこなう団体も出てきた。
今後、保養団体はどういう道をめざすのか。
1つは、ネットワークで取り組むこと。ひとつの団体で問題を抱え込んで疲弊してしまわないこと。保養の団体どうしが得意分野を持ち寄り、多様な団体がネットワークを構築することで持続可能性が出てくることが見えてくる。「ほようかんさい」のような団体を拡充していく。
2つ目は、高放射線地域の人々を「支援される人」として固定化せず、参加者による自主運営をとりいれていくこと。
3つ目は、情報格差を解消するよう努力すること。保養に関するさまざまな情報は、知っている人はものすごくよく知っているが、知らない人は全く知らないという現状がある。
夏休みキャンプの前の福島現地相談会のチラシに「後援」として「福島県・二本松市・白河市」が入った。そのことによって各小中学校で公然と配布ができ、それで初めて「保養」のことを知った保護者もいた。
4つ目は、壁は厚いが官民の連携の必要性である。自治体と自治体、学校と学校などの結びつきができれば、さらに保養に行ける人数が増える。

      

(注)「保養」とは
心身を休ませて健康を保ち活力を養うこと。放射能汚染地域で暮らしている子どもたちが、汚染されていない場所で一定期間過ごすことは、原発事故由来の新たな放射性物質が体内に入ることを抑制し、体の免疫力を高める効果があるといわれている。(KH)

書評
政界ゆ着と労組つぶし
『関西電力と原発』
うずみ火編集部・矢野宏・高橋宏他 (西日本出版社)

昨年9月15日に関西電力大飯4号機が停止して以降、この国の原発は1基も稼働していない。この現実は財界人・反動政治家が言う「原発がなければこの国の経済活動はマヒする」のウソを示した。それでも彼らは「再稼働前提の電気料金で、再稼働がないと大幅値上げは不可避」と脅してくる。しかしこの論理も5・21福井地裁判決で粉砕された。原発再稼働の先頭を争うのが九州電力と関西電力という最も政界と癒着した電力会社であることは、国策・民営の原発政策の闇を示して余りある。この関西電力という会社を正面から見すえ、関西電力がなぜ原発に依存していったか考える1冊として「うずみ火」という新聞を発行する著者たちから刊行されたのが、『関西電力と原発』(2014年5月刊)である。

関電の歴史の暗部

若狭湾は関西電力の原発が多数存在し、「もんじゅ」なども含めると14基が集中する国内最密集地である。関電美浜1号機が1970年の大阪万博に「原子の火」をともして以降の歴史は、この国の原発の歴史そのものである。なぜここまで原発依存の企業ができてしまったのか。本書はそこを「第2章、関電の歴史」で明らかにしている。それは「表での国策と関電の二人三脚」は、「裏での組合破壊・労務管理、物言えぬ職場」と一体ということである。
関電の歴史は、阪急電鉄で組合を割り、その腕力を買われ当時最強の労働組合であった「電産」を潰した太田垣士郎と、そのあとを継ぎ30年近く帝王として君臨した芦原義重に尽きる。関電の歴史を知らない人も「黒部の太陽」とクロヨンダムは知っている。この過程こそが「表はビッグプロジェクト推進、裏は徹底した労組つぶし」がおこなわれた過程である。これを主導した太田垣らは続いて「クロヨンの次は原子力」へ突入する。この過程は正力松太郎・中曽根康弘が原発を日本に導入する過程と一体で、関電は政界闇工作と和歌山・三重・福井に原発立地を求めて札束攻勢をおこなう。その裏で反共労務対策を強力にすすめ、電産を分裂させた。
太田垣の後を継ぎ関電の帝王となった芦原と政界との癒着は、今年7月に朝日新聞の「原発利権を追う」の中で、芦原の秘書から副社長になった内藤千百里の証言で、闇献金の赤裸々な事実と関電裏面史が全面的に暴露された。まさにこの時代、関電は全国の電力会社の中で最も原発に依存する会社となったのだ。

原発廃炉を求めよう

30年近くにわたり関電に君臨した芦原は、そのあまりもの会社私物化により、87年に現経営陣につながる小林庄一郎らに解任されるが、その後の経営陣が原発依存から転換したわけではない。3・11福島原発事故以降、多くの株主や近隣自治体や、毎週金曜日の関電本店前での抗議行動も無視して再稼働を強行した。この過程では関電と連動した大阪府警による逮捕・弾圧も襲いかかる。裁判では検察側証拠として「関電ビデオ」が提出された。このビデオ映像は、関電に抗議する市民を24時間2方向のカメラで監視し、特定人物をズームアップした高解像度の映像である。本書125ページからは、この抗議行動と弾圧の模様が紹介されている。
関電の歴史は、政界癒着の原発推進、および徹底した労務管理・原発立地工作・市民敵視の歴史であった。しかし「3・11」を経た今、原発に対する批判は持続的に継続し、老朽化した美浜原発などの廃炉も迫っている。膨大な裏金や役員報酬を電気料金に上乗せしてきたカラクリもばれてしまった。政権と癒着した暗黒支配の芦原体制は現経営陣の手で終焉したが、その後も同じ道を歩んでいくなら関電の破産が必然であること本書は教えている。しかし、市民の監視・包囲と、再稼働阻止の闘いなしに、破産しても彼らの原発からの撤退はありえない。高浜原発の再稼働をねらう関電に対し、2012年をはるかに上回る包囲・現地の闘いを実現するとき、関電内部からの反乱も必至であることを本書は示している。 (Mt)