許すな
秘密保護法、12月10日から施行
資産凍結のテロ新法
安倍政権は、10月14日、特定秘密保護法の運用基準と政令を閣議決定するとともに、施行日は12月10日と正式決定した。政府が実施したパブリックコメント(意見公募)には2万3千件の意見が寄せられ、「特定秘密の指定基準が不明確で恣意的な運用が可能」「不正な情報隠しを防ぐチェック機関に調査権限がなく、実効性がない」「特定秘密を扱う公務員らの精神疾患や犯罪歴を調査するのは人権侵害にあたる」など制度の根幹にかかわる批判が寄せられた。しかし決定した運用基準の内容はこうした重要な意見を全て無視したものだ。特定秘密保護法の廃止へ向けてさらに運動を強めよう。
「テロリスト」指定であらゆる運動を弾圧
現在開会中の臨時国会では、2つの危険な治安法が審議されている。10月10日に閣議決定した「国際テロリストの財産凍結法案」と昨年3月閣議決定され継続審議中の「テロ資金提供処罰法改正案」である。
これらは国際条約や国連決議の要請に従って制定するというかたちをとっているが、実際には国内おける治安弾圧の強化を目的としたものだ。
前者は「国際テロリスト」と指定された者の資産を凍結することができるようにするものである。後者は、現行法では資金だけだった提供の対象を土地、建物、物品、役務など大幅に拡大した。
また現行法は「テロ企図者」にたいして直接提供する(一次協力者)、あるい提供させる行為だけを処罰の対象としていたが、改正案では、一次協力者に対する二次協力者、さらに二次協力者に対する協力者(その他の協力者)へと対象の範囲が飛躍的に拡大されている。
これらの法律の重大な問題点は、国家公安委員会によって恣意的に「テロリスト」指定ができるようになっている点である。「テロリスト」とは「公衆等脅迫目的のための犯罪行為を実行しようとする者」と定義されている。「実行行為」がなくても、公安当局が「しようとしている」とみなせば「テロリスト」にされてしまうのだ。
また座り込みや道路封鎖などのような直接行動による抗議闘争などが「公衆等脅迫目的の犯罪行為」であると拡大解釈される可能性がある。
ここでいう「公衆等」のなかには「国、地方公共団体、外国政府等」が含まれている。すなわち、反政府運動だけでなく地域の住民運動まであらゆる運動団体を「潜在的なテロリスト」として弾圧の対象とすることが可能になるのだ。
また民族解放闘争や、独裁政権と闘う民衆の運動を支援することもテロ行為への協力とみなされ処罰される可能性が極めて高い。
このような治安法の今国会での制定を、絶対に許してはならない。
労働者派遣法の改悪を阻止しよう
派遣法改悪案が9月29日閣議決定され、臨時国会に提出された。さきの通常国会で、法案のずさんな誤記載(罰則の時期)が発覚し、廃案になったものを出しなおしたものである。10月28日、衆院本会議で審議入りし、29日には委員会審議が始まった。安倍首相の答弁が求められる法案のため、「APEC出席前11月7日の衆院で通過、今国会成立」を政府自民党・公明党は狙っている。
9月提出後、多くの派遣労働者、労働組合、労働法学者、法曹界諸団体がこぞって反対の声を上げ、集会デモ、街宣行動を首都・全国で連日繰り広げている。阻止のために全力をあげよう。
生涯、派遣で働くことに
10月27日、榊原経団連会長は「使いがってが良くなっている」と言い、安倍政権は「成長戦略」に位置づけている。
今回の改悪は法の原理転換で、あくまで臨時的例外としてあった派遣労働を当たり前ものとしていくもの。今は「専門26業務」(通訳、調査など。実態は曖昧)以外の仕事を派遣労働者に任せられるのは最長3年。これを超えれば直接雇用義務が発生するが、2015年4月から業務の区分廃止、期間の上限を事実上(労働組合の同意あれば)なくす内容だ。どの仕事も3年ごとに人を入れ替えれば、ずっと「派遣で」となる。全員が不安定低賃金の派遣労働者でもいい―そういう企業が登場してくる。究極の格差貧困である。(詳しくは本紙147号参照)。
Xバンドレーダー搬入に阻止行動
地元住民と連帯し、連続的闘い
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18日から22日まで連続的な現地抗議行動 |
米軍は、10月21日の未明4時半頃、地元住民には一切知らせず、秘密裏にXバンドレーダー本体を米軍経ヶ岬通信基地に搬入した。レーダーは、空路米本土から横田基地へ、その後C17で空路小松基地へ、そして陸路経ヶ岬通信基地へ運ばれた。22日には隣接する自衛隊基地で、現場を担当する在日米陸軍第14ミサイル防衛中隊の発足式がおこなわれた。
関連資材搬入阻止行動
米軍Xバンドレーダー基地反対京都連絡会・近畿連絡会は、9月28日に地元京丹後で400人が集会とデモをおこない、10月4日には米軍基地いらない京都府民の会、米軍基地建設反対丹後連絡会が1400人の集会とデモをおこない、地元の反対の声の大きさが明らかになった。
18日には京都連絡会・近畿連絡会共催で、50人がゲート前での抗議行動をおこない、資材搬入のトラックの出入りを一時的に止め、工事を遅らせた。
21日未明、宇川有志の会からの連絡で事態を知った京都連絡会は、3人が朝7時頃に現場に到着し、独自にゲート前で抗議行動をおこなった。
結団式弾劾行動
22日は地元で、米軍人・軍属の結団式があると判明していたので、京都連絡会の20人が9時半に現地に。穴文殊参道入り口を封鎖する京都府警と対峙して、10時からの発足式に参加する車に抗議。
この抗議行動には、京都連絡会以外にも地元の方を含め多数が参加し、合計で40人くらいに。地元の参加者は会場から出てくる関係者に怒りを激しくぶつけた。京都連絡会が持っていた英語のメッセージボードを譲りうけ、「京丹後の地元をうろつく米軍人・軍属に突きつける」という人もでた。
息の長いたたかいへ
この後、京都連絡会は、11月1日京都市内東山いきいき市民センターで、レーダー搬入阻止行動の報告集会をおこない、11月18日には、京都府や近畿中部防衛局への抗議闘争、12月には地元京丹後で運用開始に抗議する集会をおこなう予定で準備している。
今後基地を撤去させる息の長いたたかいを、地元京丹後の住民と連帯してたたかいぬこう。
10・19 反戦共同行動 in京都
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10月19日、「変えよう!日本と世界 反戦・反貧困・反差別共同行動in 京都」集会が、京都市内円山公園で開催された。関西各地から600人が参加。今年のメインテーマは、「戦争国家へと暴走する安倍政権を撃て」。白井聡さん(政治学者、文化学園大学助教)が基調講演をおこない、「倒すべきは安倍政権とそれを支える親米保守勢力だ」と訴えた。
また川内原発の地元・鹿児島と沖縄から緊急アピール受けた。
集会後、京都市役所前までデモをした。四条河原町繁華街に「戦争をする国づくり反対」がこだました(写真)。
2面
沖縄知事選へのアピール
辺野古建設阻止・翁長勝利へ
安倍政権は今臨時国会を、原発再稼働、沖縄新基地建設、消費税増税などの重要な対決点をはぐらかして、その裏で社会保障の切り捨て、労働法制の改悪や集団的自衛権行使のための制度・法律の改悪の準備を進めている。しかし沖縄の新基地建設はそうはいかない。沖縄人民の8割以上が反対する新基地建設の強行はかならず破綻する。
日本の集団的自衛権の発動は、中国や朝鮮半島など東アジアにおける戦争の危機を極度に高めることになる。その点からも、日米最大の軍事拠点、沖縄の侵略基地を撤去させる闘いは重要である。沖縄人民と連帯し、日本の労働者人民の未来をかけて、沖縄知事選に勝利し、新基地建設阻止、侵略の基地撤去を闘いとろう。
すべての力を辺野古攻防に
9月17日、沖縄を訪問し仲井真知事と会談した菅官房長官は、辺野古移設は「既定路線」としたうえで、普天間の「5年以内の運用停止」については(国と県が本格的に協議を始めた)今年2月を起点として、19年がメドだというまやかしの表明をした。米政府は普天間「返還」を22年度以降としており、その内容で日米は昨年4月に合意している。しかも米政府はこの合意を見直す考えはないと明言している。日米の当局者は、辺野古に新基地をつくっても、普天間を撤去する考えなどない。しかも新基地は耐用年数200年、垂直離着陸機MV22オスプレイ100機、強襲揚陸艦が運用可能な巨大基地である。こんなだましうちを許さない。
9月20日、新基地建設に反対する集会(8月23日に続き2度目)が辺野古で開かれ5500人が参加。50人乗りの大型バス約70台が本島全域から集まった。翁長雄志那覇市長(64歳)は「辺野古の海を埋め立てさせてはいけない。絶対に阻止しよう」、稲嶺名護市長は「翁長新知事を誕生させ、『オール沖縄』での反対を見せよう」と訴えた。「沖縄戦後史に刻まれる県民行動となった」(9月23日付琉球新報)。
9月23日、訪沖した江渡聡徳防衛相が、11月の知事選にかかわらず「移設計画」を進める方針を示した。翌24日、キャンプ・シュワブのゲート前の集会で、山城博治さんは「もしそういった事態になった場合、沖縄は自立するか独立するかの議論をしなければいけない」と訴えた。沖縄の怒りに寄り添い、全労働者人民の力で辺野古新基地建設を阻止しよう。
翁長雄志氏の新基地建設阻止の決意
翁長雄志氏は、4回連続当選した那覇市長である。かつて自民党の県連幹事長を務め、2010年の県知事選挙では、仲井真現知事に「普天間基地の県外移設」の公約を掲げさせて、選対本部長を務めた。オスプレイの配備と辺野古の新基地に反対で、2013年1月のオスプレイ配備反対と普天間基地の県外移設を掲げ、沖縄の全市町村長と議会議長が署名した建白書運動の中心となり、10万人を結集した2012年9月9日の県民大会では共同代表となった。辺野古の座り込みの現場や県民大集会、名護市議選におもむき、自らの決意を語っている。
翁長氏は当初は、「移設反対」を唱えながら具体策には言及しなかった。それは、仲井真現知事の埋め立て承認を撤回すると莫大な賠償金を沖縄県が負担することになるという圧力がかかったからである。しかし、最近は「撤回・取り消しも視野に入れる」と踏み込んでいる。
9月13日の出馬会見では、「政府によって強行されている辺野古・新基地建設に断固反対します」「(仲井真現知事が行った辺野古の埋め立て承認について)まず知事選に勝って、承認そのものを私たちの手で取り消す。その上で、承認撤回のあり方をみんなで力を合わせて考えたい」と述べた。
9月13日、翁長候補の選挙母体「平和・誇りある豊かさを! ひやみかち(さあ頑張ろう)うまんちゅ(万人)の会」(社民党・日本共産党・沖縄社会大衆党・生活の党・県民ネットの5政党・会派で構成)の結成総会で翁長氏は、「沖縄は今まで一度たりとも自分たちで『どうぞ』と土地を差し出したことはない。仲井真弘多知事の辺野古埋立承認で初めて沖縄は自ら基地建設を認めることになりかねない。絶対に止めなければならない。保革を超え心を一つに知事承認への審判を下そう」と呼びかけた。
埋立承認の撤回・取消へ
9月16日、翁長雄志那覇市長は、9月市議会定例会で、仲井真県知事が辺野古の埋め立てを承認したことの是非が知事選の焦点になるとしたうえで、「私は承認しないと決意表明している。県民の判断が下された後に、承認の撤回、取り消しの選択を視野に入れて頑張りたい」と、辺野埋め立ての承認の撤回や取り消しも検討する考えを初めて鮮明にした。
この背景には、公有水面埋立法には、知事がいったん承認すれば撤回や取り消しをする規定がないから、それはできないという誤った解釈があった。しかし公有水面埋立法に規定がなくても、行政不服審査法・行政事件訴訟法・国家賠償法などの行政法には「取消」や「撤回」の規定が存在する。「取消」とは行政行為が行われた時点で瑕疵や違法性があった場合で、遡及して処分を取り消し、損失補償は不要である。これにたいして、「撤回」とは処分が行われた後になってその処分が不適当となった場合で、さかのぼっての効果はなく、損失賠償も必要になる。沖縄弁護士会の池宮城紀夫弁護士らがこの点を指摘し、一挙に運動内部の共通認識となったのである。
同時に、翁長支持の「島ぐるみ会議」や5団体共闘の「うまんちゅの会」のなかから、「50億円の賠償問題が生じるなら運動の力で50億円を集めようではないか」という声が上がった。この声が、翁長氏を励まし、「撤回」ないし「取消」にまで踏み込んだ決意表明となった。ここには、たんなる行政手続きや法解釈の次元ではなく、沖縄人民の根源的決意と怒りがあふれ出ている。
かつて「復帰」前の1968年11月の初めての(そして最後の)住民直接投票による行政主席選挙で、保守の西銘順治候補は、「『米軍基地撤去、即時無条件復帰』を掲げた革新統一の屋良朝苗候補が勝利すると、昔のようにイモを食い、はだしの生活に戻る」と強調した。当時の沖縄人民は投票率90%の選挙で屋良候補を選出した。復帰して、そして米軍基地がなくなれば(当時の沖縄人民は「復帰」=「米軍基地撤去」 と考えていた)、「イモとはだしの生活に戻る」という恫喝と日米両政府の必死のテコ入れの重圧をはねのけて、屋良氏を選んだのである。それと同じことがいま起きている。金にも恫喝にも屈しない沖縄人民の力が翁長氏をおしあげているのである。
島ぐるみ決起で必勝を
島ぐるみの決起で知事選を闘い、仲井真を圧倒的する票を集中し、「辺野古埋め立て反対」「新基地建設阻止」の翁長氏を当選させよう。翁長氏が知事になったら、本人が宣言しているように、あらゆる手段を尽くして埋め立てを絶対に阻止する。法的・行政的手段はもちろん、現地・現場の反対運動の先頭に立って阻止する知事を断固実現しよう。
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連日のキャンプシュワブゲート前抗議行動で、シュワブ内の作業中止をかちとる |
止めよう新基地建設!
県庁前・辺野古・シュワブで行動
10月9日、「止めよう新基地建設! 10・9県庁包囲県民大行動」が県民広場でひらかれ、3800人が県庁を囲んだ。
10月20日、海上行動隊は、フロートを修理しようとする防衛局の監視船に、抗議船とカヌー隊で抗議行動。
台風によるフロートの切断・移動により、サンゴがかなり傷つけられている。反対協のダイビングチームが海中を撮影し、抗議の記者会見をひらいた。スパット台船の導入は9月15日以降1カ月以上もない。海上保安庁も9月15日以降一度も出てきていない。工事は完全にストップしている。(10月29日現在)
10月25日、名護市民会館中庭で、「オナガ雄志必勝やんばる総決起大会」が開かれ、2000人以上が集まった。稲嶺市長はじめ、やんばるの各支部代表があいさつ。翁長氏は「オール沖縄で勝利しよう」と宣言。
10月23日、沖縄防衛局はキャンプ・シュワブ内の建物の解体工事について、県と名護市労働基準監督署が29日現地調査し、許可されれば29日以降工事をおこなうと発表した。これまで市民は、防衛局に対して、建物解体工事に発生する石綿(アスベスト)の処理をめぐり工事の中止を求めていた。その結果、解体工事はストップしていた。突然の工事再開の発表に、市民は「説明もなく始めるのか」と抗議し座り込んだ。防衛局は「安全に処理する」と強調するだけで、詳細な説明はない。怒りに燃えた市民は「アスベスト被害の懸念が払しょくできないまま工事を許すわけにはいかない。車一台も通さない」と立ちふさがり座り込んだ。県警は緊急に機動隊車両2台を増員し、計100人で座り込み の市民に襲いかかった。
激突すること5回、基地内に入る車両は止められ、交通はストップ。24日以降も連日の座り込み、機動隊は増員され、激しくもみ合う。市民も徐々に増えてきた。「工事車両は一台も入れない」と固いスクラムを組み座り込む。機動隊の排除に怯むことなく、あざだらけになりながらも何度でも座り込む。
10月29日、早朝よりゲート前に多くの市民が集まりはじめた。ゲート前のテントが、いつもの倍の速さで立った。みな緊張した面持ちで黙々と作業を始める。10時ごろ集まった150人の市民は3つのゲート前に分かれ、基地内に入る車両を1台ずつ止める。3つのゲートは市民によって完全に封鎖された。
周辺の交通はストップ。昼前、県と名護労働基準監督署が現地調査にゲート前へ。ゲート前では、市民の激しい抗議が始まり、県職員に詰め寄る。県職員は抗議のすさまじさに退散した。午後2時頃防衛局が来て、「今日の作業は中止します」と告げた。その後、県は市民と対話すると約束。県は防衛局にそれまでの工事中止を求めるが、防衛局は返事なし。いつ始めるか分からない状況だ。
この工事作業中止は、決定的勝利だ。辺野古漁港の作業ヤード建設は名護市の許可が取れず、遅れている。防衛局はキャンプ・シュワブ内の建物を解体し、その跡地に作業ヤードを造る計画だ。その建物の解体工事を29日と決めた。その作業を市民の力で止めたのだ。
30日、県知事選が告示。辺野古現地で、そして選挙で、沖縄県民の熱い闘いが開始される。辺野古新基地建設阻止、県知事選に勝利しよう。
3面
シリーズ 新成長戦略批判〜B
激しく進む教育破壊(下)
教育再生実行会議と大学イノベーション
W 東北大学に「ブラック企業特別賞」
北大の職員が雇い止めされ、2011年6月に札幌地裁に提訴した。同職員は2002年秋、非正規職員の研究補助として働き始めた。身分は「謝金雇用」「短時間勤務職員」「契約職員」と変わり、職場を異動した末、8年半後の2011年3月に雇い止めとなった。昨年3月に閉校した専修大北海道短大では、教員24人のうち8人が解雇された。8人は解雇無効を求めて提訴している。このほか、天使大で教職員組合結成に対する不当労働行為、道教育大で学長選の取り消しを求める訴訟、札幌大で労働条件切り下げをめぐる道地労委への救済申し立て、千歳科学技術大で新任教員の不当解雇、東京理科大長万部キャンパスでパワハラによる懲戒処分禁止の仮処分申し立てなど、北海道では多数の大学で労働争議がたたかわれている。
東北大学は昨年、「ブラック企業特別賞」に選ばれた。2007年に同大大学院薬学研究科で助手を務めていた男性が研究室から投身。月100時間以上の時間外労働、副作用の強い抗がん剤実験にも駆り出され、換気も不十分な環境でひとりで実験を強いられる。また、指導教授からのパワハラも指摘されており、「新しい駒を探してください」という遺書を残し、研究室から飛び降りた。2012年3月に過労自殺と認定され、遺族が大学側に約1億円の損害賠償を求める訴えを起こしている。また、同年1月には、工学研究科の准教授が自殺に追い込まれている。遺族は労災を申請し、同年10月に「過重労働の恣意的強制があった」と認定された。
早稲田大学では非常勤講師に対して5年で雇い止めとすることを決定。早稲田大学の場合、専任教員1800人に対し、非常勤講師が2900人。この非常勤講師に対する就業規則を、春休み期間に合わせてこっそりと改訂してしまった。これに対し非常勤講師たちが、鎌田薫総長と常任理事ら計18人を刑事告訴している。このような就業規則は、大阪大学、神戸大学、法政大学でも作成されており、労働契約法が改正されたことによって、非常勤講師の大量解雇を生んでいる実態が浮かび上がる。
琉球大学では、職員労組が県労働委員会に救済申立をおこない、不当労働行為の命令を引き出した。付属病院ではパワハラを受けた職員たちが3年間のたたかいによって裁判所による勝利的和解で合意した。ところが琉球大学はそのいずれの関係回復の命令も反故にしている。
構造的なモラル低下
STAP細胞問題だけでなく、様々な研究をめぐる不正が明るみに出ている。東大では、@アルツハイマー病の大規模臨床研究で研究データが改ざんされた。厚労省が被験者データの保存を求めたが研究事務局が書き換えた。事務局の室長格として出向していた製薬会社エーザイの社員が書き換えに関わっていた。代表研究者の岩坪教授は、共同研究者に釈明と口止めのメールを送っていた。A製薬会社大手ノバルティスの白血病治療薬研究では、事務局の東大病院から患者の個人情報が会社に渡されていた。B細胞生物学の加藤教授グループは組織的に論文不正を行っていた。調査が迫ると、不正の証拠となる画像や実験ノートの改ざんや捏造を指示していた、など相次いでいる。
東大だけが例外的にひどいのではない。あらゆる研究領域で研究資金獲得のための業績主義が横行し、本数稼ぎの研究論文の増加や、論文の捏造、データの使いまわしという事態が起きている。原因を、研究者個人のモラル低下だけに帰すことはできない。インパクトの高い研究成果を誰よりも早く、誰よりも数多く出さなければ、予算獲得ゲームに勝ち抜けない。短期的な成果を求める評価主義、成果主義がはびこっている。限られた予算の中、外部資金に依存した研究体制とならざるを得ない。民間会社との癒着がはびこる。さらにコンプライアンスの強化という名の雑務が増え、研究に費やす時間が減る。研究者の処遇は不安定で、賃金はますます切り下げられる。モラル低下は構造的な問題であり、成長戦略のもと極限的に進むだろう。
X 存在自体が問われる私立大学
数で見れば日本の高等教育の大半は私立大学が担っている。2012年度で、院生を含む大学生の数は約302万人、そのうち約225万人、74・4%が私大に通っている。その私大が危機的状況に陥っている。
経営難から閉校になる私大が増えている。2012年度には4年制私大の約4割が赤字だった。45・8%が定員割れ、34校は入学者が定員の半数以下だった。
学費が高騰している。奨学金の実態は大半が利子付で教育ローンというものである。「奨学金」返済滞納者は30万人にも及んでいる。入学後の中退者が増加している(正規の統計はないが約1割と試算されている。多さが問題となって文科省も2014年度から調査する予定)。一部の私大では、入学定員を埋めるため、学力不足の学生を多く入学させたため高等教育が成立しない状況がある。卒業しても就職難が待っている。2012年度の大学院卒業生の約3割が就職できなかった。
経営難から教職員の人件費が削減される。教育・研究条件、労働環境が劣悪化している。教職員の多忙化、疲弊も広がっている。
経営者の不祥事は後を絶たない。多くの私大で、学生からの前受金を外国債券に投資し巨額の損失を出した。慶應義塾大学では2008年に535億円もの損失を出している。不正会計、収賄疑惑、不正入試もとどまるところを知らない。創造学園大学は負債額の虚偽記載とともに深刻な経営実態が判明し、2013年3月、文科省の命令で解散させられている。安倍の競争政策のもとで私学はますます営利企業化する。そして生き残るために実業教育の導入と就職斡旋業に特化していく。教育再生実行会議第5次提言でいう「実践的な職業教育を行う高等教育機関」となっていく。
Y はびこるネット右翼のヘイトスピーチ
立命館大学事件
2014年1月、立命館大学びわこ・くさつキャンパスの教養科目「東アジアと朝鮮半島」をめぐってネット上で担当教員に対する激しい攻撃が展開された。昨年12月の授業で学生有志が担当講師の許可を得て、朝鮮学校の高校無償化適用を求める「文部科学相宛のメッセージカード」を配布した。担当教員は「成績に関係なく、記入は自由」と説明し学生団体が配った。
受講者とみられる人物が今年1月、ネットの短文投稿サイトに「こんなカードを書かせるから立命は糞」と投稿し、嘆願書の写真を掲載した。この直後からネットで、女性講師の実名や写真を掲載して「大学をやめて半島に戻れ」などと差別や誹謗中傷が急増し、同大学に抗議が相次いだ。同大学は、差別的中傷を弾劾することもせずに、担当講師を「署名を求めたかのような誤解を与えた」と指導し、ホームページで謝罪した。
この事件に対し、「立命館大学ヘイトスピーチ問題の解決を求める有志」が、2月12日に学長宛に「立命館大学に声明文の撤回とヘイトスピーチへの毅然たる対応を求める要請書」を送り、公開質問状を送った。この「要請書」で@大学が1月15日にホームページで公表した声明の撤回、A大学として改めて毅然とした態度を社会的に表明すること、Bレイシズムやヘイトスピーチに関する教育研究に取り組むことの3点を大学に求めた。その後、2度にわたり川口総長との懇談会を持ち、@についてはホームページから削除、Bについては川口総長も「強く同意する」とし、具体的な取り組みについて意見交換した。意見交換の結果は、常任理事会文書「ヘイトスピーチ等差別的言動防止に関する取り組みについて」(2014年7月16日)にまとめられた。
広島大学事件
『産経新聞』が5月21日付朝刊の1面で、特定の講義と担当教員をターゲットにして、大学の授業に対する攻撃を始めた。4月28日、広島大学総合科学部の「演劇と映画」という教養科目の講義において、約200人の学生に対し、元「慰安婦」とされた人たちの証言をもとに構成された60分の韓国ドキュメンタリー映画、「終わらない戦争」が上映された。
記事は、「いつから日本の大学は韓国の政治的主張の発信基地に成り下がってしまったのか」という「受講者の一男子学生(19歳)の声」をもとに、一方的にこの講義を非難した。担当した准教授を攻撃するキャンペーンを展開した。1学生の印象だけをベースに、最後は河野談話や朝日新聞の批判で終わるという、「歴史戦」と銘打たれたコーナーの典型的なキャンペーン記事である。
その結果右翼が、ネット上で「広島大学の反日講義」「大学に巣食う韓国人工作員」等々、准教授に対する差別、誹謗中傷を拡散した。広島大学には「抗議」の電話が殺到した。さらに、この記事に便乗(もしくは意識的に連動)して、2日後の衆議院内閣委員会(5月23日)で、広島出身の中丸啓議員(当時日本維新の会)が、文科省に説明を求め広大や准教授を攻撃している。
直ちに『産経新聞』にたいする抗議活動も開始された。ヘイトスピーチに対抗する市民団体「ヒロシマ・アクション」も結成され、様々な運動が展開されている。しかし7月に広島で「ヒロシマ・アクション」を支援するライブを行った趙博氏に対するネット上での差別攻撃が続いている。
大学は「砦」となるか
これらの事件はいわゆる「在日」の大学教官を狙い撃ちにしたものだ。日本の植民地支配の歴史や戦争責任を追及することを抑圧する、ヘイトスピーチだ。右翼勢力から標的にされた大学は、それぞれ国立大と、私大の中でも政府・文科省が推進する「大学改革」を率先して進めてきた。新自由主義「改革」とネット右翼の跳梁は連動する。
「在日」の大学教員の講義内容を、ネットを通じて歪めて伝える。右翼が反日教育だと攻撃する。それを『産経新聞』など右翼メディアがキャンペーンする。さらに維新の会などの議員が国会で取り上げる。ますます右翼の攻撃激化、とりわけネット上での差別・中傷が炎上する。
これらとのたたかいのない「大学の自治、学問の自由」はまったくの空語である。(おわり)
(井上弘美)
4面
争点 橋下・桜井会談の真相(上)
―在特会と橋下はなぜ特別永住制度を攻撃するのか
10月20日、大阪市役所内で、橋下徹市長と在特会会長の桜井誠との会談がおこなわれた。今年7月、在特会らによる京都朝鮮第一初級学校に対する三度にわたる襲撃事件の控訴審において、大阪高裁は在特会らの行為をヘイトスピーチと認定し、損害賠償と街宣差し止めを命じる判決を下した。これを受けて橋下が、「大阪でヘイトスピーチは認めない。僕が直接対応する」と言い出しことによって、この日の会談が持たれた。
T「ヘイトスピーチと闘う橋下」を演出
こうした橋下の対応は、行政の長としてやるべきことではない。行政の長として本気でヘイトスピーチを許さないと考えているのならば、「ヘイトスピーチ団体に行政施設を貸し出さない」、「ヘイトスピーチ被害の救済」といった施策の実行や、国立市議会や名古屋市議会、奈良県議会のようにヘイトスピーチの法規制を求める意見書の採択をめざすなどいくらでもある。
そうした方針を練り上げ、市民への訴えかけをおこない、実現していくのが本来市長としてとるべき態度である。ところが橋下がとった行動はそうではない。「俺の力でやめさせる」というものだった。橋下は、本気でヘイトスピーチと闘うつもりはない。「ヘイトスピーチと闘う橋下を演出する」ためにこの日の会談を企画したのだ。
ヘイトスピーチに真剣に向き合うならば、まずは被害者である在日朝鮮人から聞き取りをするのが筋である。襲撃を受けた朝鮮学校関係者や、在特会がヘイトスピーチを繰り返している大阪・鶴橋で生活する人々がどのようなダメージを被っているのかを、聞き取ることが始めなければならない。しかし橋下は被害者の声を聞こうとはしない。痛みを知ろうとはしない。「ヘイトスピーチと闘う橋下」をマスコミを使って宣伝することだけが目的なのだ。
橋下は原発問題でも同じような態度をとっていた。あたかも政府の原発政策に反対しているようなパフォーマンスを演じながら、具体的な施策は何一つおこなわなかった。実際にやったことは、市民の反対の声を無視して放射能汚染ガレキの焼却を強行し、大阪府警とグルになって抗議する市民への弾圧を加えた。また滋賀県知事選では脱原発候補ではなく原発推進候補を応援したのである。
醜悪な「罵り合い」
開かれた「会談」は終始、醜い罵り合いだった。桜井が橋下に「あんた」と言うと、怒った橋下は「うるせえ、お前」と言い返し、まるでチンピラ・ヤクザの喧嘩の様相に終始した。橋下の言い分は「参政権を持っていない在日韓国人に言ってもしようがない。特別永住制度に文句があるなら国会議員に言え」というもので、桜井の主張と基本的に変わらない。ヘイトスピーチは問題とせず、「在特会の主張は維新なら実現できる」とでもいいたげな内容だった。「ヘイトスピーチと闘う橋下」を演出するための「罵り合い」は、多くの人には「身内の喧嘩」としか映らなかったであろう。
特別永住制度の見直し
翌21日、橋下は「在日への特別扱いは差別を生む」という理由で、在日韓国・朝鮮人への特別永住資格を見直し、在日外国人への一般永住資格に一本化することを検討すると主張した。これは、在特会の主張の正当性を認め、在特会に代わって維新がそれを実現するという宣言だ。在特会のヘイトスピーチを規制するのではなく、攻撃されている在日朝鮮人の在留資格をより劣悪なものにすることを実現するというのだ。
橋下と桜井との「対談」の結論がこれだったのだ。「ヘイトスピーチと闘う橋下」を最大限に演出しながら、実際にやることは在特会にかわって特別永住制度を廃止し、在日朝鮮人を迫害するというのだ。
U 戦後の在日朝鮮人の処遇
―追放をたくらみ破産
在特会も橋下も、他の外国人と違って、在日韓国・朝鮮人だけが特別永住資格を持っていることが「特権」だといいなしている。こうした主張は悪質なデマゴギーであり、戦前の日本帝国主義の植民地支配の歴史を否定しようとするものである。そのことを少し長くなるが歴史的に実証していきたい。そうすれば何故、在特会や橋下が特別永住制度を執拗に攻撃するのかが見えてくる。
そもそも韓国・朝鮮人がなぜ日本に住まざるをえなかったのか。朝鮮と台湾は日本の侵略を受け植民地とされた。母国を奪われ、名前も「日本式」に変えさせられ、母国語の使用も禁止され、土地も奪われ、「日本国民」とされた。「日本国民」とされた朝鮮人の多くが、生きるために日本に渡航せざるを得なかった。「太平洋戦争」の末期には、「日本兵」として戦場にも狩り出され多くの犠牲を強いられた。
ところが敗戦直後の日本政府は、日本に居住する朝鮮人から日本国籍を一方的に剥奪して「外国人」とし、憲法をはじめとして日本国民に保障されたあらゆる権利から排除した。国民健康保険にも国民年金にも加入させず、生活保護からも排除し、むしろ生活保護の受給を入管令の退去強制事項にも明記した。それどころか、すべての在日朝鮮人の韓国への強制送還すら目論んだ。さすがにこれはGHQの反対で実現はしなかった。
本来ならば、日本政府は植民地支配を強いて在日朝鮮人の権利を侵害し続けてきたことに対して賠償する責任がある。しかし、賠償どころか無権利状態を強いたのである。「在日特権」どころの話ではない。加害の責任を果たさずに、被害者をさらに痛め続けたのだ。日本の戦後民主主義の重大な問題点とは、その出発点において戦争責任、加害責任を明確にせず、朝鮮人への加害と差別を継続していることに無自覚であったことにある。それが戦後の日本の民衆の意識を大きく規定し、今日、在特会や維新や安倍政権を生み出す土壌として脈打っている。
日本政府は在日朝鮮人を「日本国民」から排除して「外国人」として扱い、入管令の適用対象としたが、当然にもそれは在日朝鮮人の激しい反対にさらされた。
そもそも入管令が対象としている外国人とは、@外国の旅券を持ち、A在外公館での査証(ビザ)の交付を経て日本に入国し、B入管令に規定された在留資格を有する外国人である。一方的に日本国籍を剥奪された在日朝鮮人は、こうした入管令に規定する外国人には当てはまらないのだ。その結果、法律126号によって、「別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」とせざるを得なかったのである。
法律126号とは、敗戦後の日本政府が、在日朝鮮人を得手勝手に「外国人」として、無権利と管理と追放を企んだがそれができず、侵略戦争と植民地支配の結果として在日朝鮮人が存在しているという事実を認めざるを得なかったことを表している。
しかしこの126号も、日本の敗戦以前から引き続き日本に在住していた人のみに適用されたのであり、戦後一度でも日本から出国した人は「密入国」とされ強制送還の対象となった。さらに法律126号には子孫は含まれず、子は4―1―16―2(特定在留)とされ3年ごとの更新が義務付けられた。孫は4―1―16―3(特別在留)で、「3年を越えない範囲で、法務大臣が認める者」が在留できるとされた。世代が進むに従って在留がより不安定なるようにされたのだ。敗戦直後、在日朝鮮人の追放を企んだ日本政府は、それが簡単にはできないとなる中で、時間をかけて在日を抹殺する政策を取ったのである。(つづく)
安倍・橋下は退陣へ
大阪で800人の大集会
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800人がエルシアターをうめ、28団体が決意表明 |
10月8日、「安倍さん 橋下さん もうごめん!10・8集会」が大阪市内でひらかれ、会場のエルシアターを埋める800人が参加した。主催は、集会実行委員会。
戦争する国づくりに突き進む安倍政権、橋下・維新の会による暴走と対決してきた28団体が次々と自らのたたかいを紹介。安倍政権を倒し、橋下・維新による大阪府市政を終わらせることを誓い合った。
〈朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪〉は、2011年度から橋下・維新により朝鮮学校補助金がうちきられたことに抗議し、府と市の補助金復活を求めている。子どもたちの夢と希望を奪う差別政策を進める橋下市長と松井府知事こそ最大のヘイトスピーカーだと訴えた。
〈橋下市長の「慰安婦」・性暴力発言を許さず辞任を求める会〉は、昨年5月の橋下差別暴言=「「慰安婦」制度が必要なのは誰だってわかっている」に抗議し、「私たちの人権を蹂躙し続ける橋下徹を許さない。女性差別と言葉による性暴力を絶対ゆるしません」と強調した。
〈STOP原子力★関電包囲行動〉は、「安倍首相は福島第一原発事故が収束もしていないのに、廃炉を進めるどころか、再稼働に突き進んでいる。原発を輸出しようとしている。沖縄・辺野古に新しい米軍基地をつくろうとしている。命を大切にしない、他者を尊重しない考え方では、だれにとっても生きやすい社会など実現できるはずもない」と発言した。
ほかには、「君が代」処分とたたかう〈グループZAZA(「君が代」不起立処分撤回大阪府人事委員会不服申立当該12名)〉、〈「入れ墨調査」拒否者の不当処分の撤回を求める会〉、思想調査アンケートや組合事務所撤去とたたう大阪市役所労働組合などからアピールがあった。
登壇した高校生は、「これから生きていく社会が戦争をする社会になってしまうのではないかと不安です。戦争しようとする安倍さんは許せません。戦争なんかではなく、学費を安くしてほしい、就職できるようにしてほしい。集団的自衛権容認に反対する署名集めを始めた」と語った。
5面
第3滑走路許すな!
10・12 三里塚全国総決起集会
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成田市東峰で、全国集会(10月12日) |
10月12日、成田市東峰で「市東さんの農地を守ろう! 第3滑走路計画粉砕! 10・12全国総決起集会」が開かれた。主催は三里塚芝山連合空港反対同盟。910人が参加した。
司会は反対同盟の伊藤信晴さんと宮本麻子さんがおこなった。
主催者として反対同盟事務局長の北原鉱治さんがあいさつ。北原さんは「市東さんの農地を守る闘いは、日本の農民の未来がかかった闘い」と強調した。
推進派をたたきつぶす
つづいて反対同盟事務局から萩原富夫さんが報告をおこなった。萩原さんは、演壇に故萩原進さんの遺影を掲げたことに触れながらつぎのように発言した。
「今回の集会ではじめて父の遺影を掲げた。三里塚闘争は市東さんの農地を守る闘いが中心なのに、遺影を出すと追悼集会になってしまうので控えてきた。反対同盟事務局は父の意志を引き継ぐために闘ってきた。48年間にわたる闘いになるが、敵の攻撃はますます激しくなっている。国交省は成田空港の強化・拡大を発表し、2本の滑走路の同時離発着と24時間空港化を打ち出した。第3滑走路建設に対しては、駅頭での街宣活動、空港周辺の5000軒への宣伝戦を強め、推進派をたたきつぶす。成田空港の軍事空港化の完成を阻止する闘いは、安倍政権の集団的自衛権行使に反対する闘いと一体のものである。来年3月29日、全国総決起集会を現地で開催する。」
天神峰で生きる
特別報告として国鉄千葉動力車労働組合、関西新空港反対住民から発言を受けた後、市東孝雄さんが演壇にたった。市東さんは「高裁では勝利的に裁判が進んでいる。私が『闘魂ますます盛んなり』と壇上から宣言してはや15年がたった。これもみなさんのおかけです。自分が天神峰で生きていくことは自然であるという立場をつらぬいて、国策と闘う福島、沖縄のみなさんともに三里塚は意気揚々と闘います」と決意を語った。
その後、反対同盟顧問弁護団、市東さんの農地取り上げに反対する会が発言。カンパアピールをはさんで、沖縄と福島からの参加者の訴えがおこなわれた。
最後に「10・12闘争宣言」を参加者全員の拍手で採択。反対同盟・野平聰一さんの音頭でガンバロー三唱をおこない、約2・9キロのデモに出発した。
市東さんと弁護団がNAA追及
10・8 市東さん農地裁判
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市東孝雄さんの農地を強奪しようとする農地裁判の控訴審第3回(東京高裁)が10月8日にひらかれた。裁判に先立ち、190人が高裁前でリレートーク、ビラまき、高裁包囲デモをおこない、反対同盟・北原事務局長、市東孝雄さん、萩原富夫さん、弁護団らが「農地取り上げ反対」署名4237筆を追加提出した(合計17300筆余)。(写真)
傍聴者は法廷に入りきれず、100人ほどの傍聴席は満席。
今回は裁判長が交代したため、更新手続き、意見陳述がおこなわれた。市東さんと8人の弁護団が、それぞれNAA(成田空港会社)、千葉県の対応を徹底追及する陳述をおこなった。
市東さんは、手入れされた南台の畑のようす、第2滑走路と西側付近上空からの写真などをプロジェクターで映しだしながら説明し、「空港のためには農家は潰していいのか。農地法3条を素通りし単なる賃借にすり替え、強制収用するのか」と、20分間にわたりNAAと千葉県を弾劾した。
市東さんは、とまと、ゴーヤ、きゅうり、なす、ねぎ、ヤーコン、冬瓜など季節の実りを消費者に届けている。産直の会、福島の子どもたちが大喜びしている芋ほり大会の様子も映された。そういう畑を、住居、作業場、道祖神、古い樫の大木、地域まるごと破壊しようというのだ。
「土は、代替地でできない。土づくりに15年、20年かかる」。市東さんが箱に入れた畑の土を裁判長に提出すると、小林昭彦裁判長は土に触り「ご意見、ありがとうございました。お気持ちはよく分かりました」と言わざるを得なかった。
卑劣なNAA
この裁判の邪悪な意図、違法・不法を弁護団(市東さん側代理人)は次々と追及した。「もはやできなくなった強制収用を、裁判を使い、農地法を逆用し、やろうとするNAA・千葉県の暴挙。一審判決は、悪辣きわまりない」「耕作者の同意もなく農地を地主から買収、それどころか15年間も隠した」「NAAは、畑の特定のための書面さえ偽造し、知事の許可を受けた」「農地の権利移動、転用の制限、賃貸借の解約の制限を定める農地法3条、5条、20条などを逸脱。違法、無効である」「高裁は、その一審判決を追認してはならない」と陳述した。
さらに前回、市東さん側が提出した求釈明に対し、NAA・千葉県側は「対応しない」、弁護団による187ページの控訴趣意書にも反論しないという。釈明すれば無法、破綻が明らかになる。「一審判決どおり」を期待する態度に終始した。これに弁護団が猛反発。裁判長が「まったく、しないのですか」。NAA側は弁護団の追及に「では、簡単に」。弁護団「簡単、いい加減は許せない」。弁護団は反論準備に2カ月は必要と主張し、次回裁判は3月4日(水)となった。
裁判長の一見「温厚な」訴訟指揮が何を意味するのか、傍聴席にも少々戸惑いが感じられた。報告集会で北原事務局長があいさつ。「あんな裁判に騙されないよ。三里塚は実力闘争で闘ってきたんだ」という発言のとおり。3月4日、傍聴闘争へ。(S・K)
福島原発告訴団が東京地検を包囲 9・30
9月30日12時から、福島原発告訴団の院内集会と東京地検包囲行動がおこなわれた。
福島原発告訴団は、福島第一原発事故の責任を不問にしようとする政府と東京電力の策動に対して、事故当時の東電勝俣会長・清水社長をはじめとする者たちを検察に告訴した。
ところが東京地検は「今回の災害は予見不可能だった」として全員を不起訴にした。告訴団は直ちに検察審査会に申し立て、さまざまな証拠・意見書を積み上げてきた。そして今年7月、3人の起訴相当・1人に不起訴不当の検察審査会の議決を勝ち取った。
参議院議員会館でおこなわれた集会には350人が集まった。主催者挨拶に続いて、海渡・河合両弁護士から検察審査会の決定内容の解説がおこなわれた。海渡弁護士は「検察がふたたび不起訴にしても検察審査会で強制起訴を勝ち取ればよいという考えはとらない。なぜなら、『予見可能性』を判断するのは検察ではなく裁判所だ。検察自らがきちんと起訴すべきだ」と強調した。
告訴人から
被害者・告訴人からは「こんな不安で悔しい生活を送ることになったのに誰も罰せられないなんて、絶対に納得できません。原発事故の責任者を起訴して、すべての被害者がもとの生活を取り戻すこと、原発ゼロにすることです」と訴えた。
浪江町からの告訴人は「浪江はゴーストタウンどころか破壊の町です。遠くに原発の建屋が見えます。あそこのために、私たちの人生は翻弄され、子どもたちの健康は奪われています。脱原発のために今後も行動していきます」と決意を語った。
果敢に進む私たち
広瀬隆さんと落合恵子さんから挨拶があった。落合さんは「原発的体質を変えなきゃだめです。集団的自衛権も特定秘密保護法も根っこは同じじゃないですか! 沖縄の知事選に関して官房長官は『基地問題は過去のこと』と言いました。福島にも同じことがされようとしています。果敢に前に進む私たちでありたい」と思いを語った。
最後に、武藤類子さんから「11月16日に福島で被害者を結集した集会をおこないます。今日はバス3台で福島から参加しています。被害を受けたものの責任として、東電の責任を追及し続けていきます。全国の皆さんと一緒にがんばっていきます」と閉会の挨拶がおこなわれた。
その後、東京地検に移動し「検察みずから事故の責任者を起訴せよ」という要請行動にあわせて包囲行動をおこなった。
10・18 ぶっとばせ弾圧 新宿デモ
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任意であるはずの職質が強制され、警察による人権侵害が全国的に増えている。今年5月に東京の新宿署と高輪署、8月に大崎署の警察官が路上で倒れた人を警察署の「保護房」に連行し、死亡させるという事態が起きた。このような警察権力の肥大化に危機感を持つ人々による実行委員会が7月12日に次いで、「ぶっとばせ弾圧!vol2 10・18新宿デモ」を開催した(写真)。
新宿駅前広場の集会では、司会から「資産凍結法」の危険性が訴えられる一方、今回のデモ申請を警察署に出向くことなく郵送でおこない、コース変更等の事前介入を打ち破ったことが報告された。
沖縄でのたたかう勢力への暴力的排除や第1次、2次安倍内閣による死刑執行が21人に及ぶこと、労働運動への刑事民事両面からの弾圧、東京五輪準備によって進行する野宿者等弱者の排除などが報告された。
12・6秘密法国会傍聴者弾圧裁判では傍聴者にけが人が出るほどの凶暴な訴訟指揮がおこなわれている。靖国神社日の丸バッテン弾圧の家宅捜索では「障害者」手帳が押収された。国体天皇批判弾圧では半年にわたる公安からのつきまといを受けたことなどが報告された。
公安による並走や撮影に原則的な抗議をおこないながら2時間に及ぶ新宿周辺のデモを貫徹し、関西大弾圧裁判の攻防の報告を受けて、継続した取り組みが確認された。
6面
投稿 『昭和天皇実録』のウソを暴く
私の兄は昭和天皇に殺された (下)
一読者 (静岡市 78歳)
撤退作戦に邪魔な兵士は「自決せよ」
1942年の大晦日、「ガ島において、いかにして敵を屈伏させられるかの方途を知りたい」という天皇の発意にもとづいて御前大本営会議が開催された。この会議は決議の場ではなく研究会議という建前で、会議終了後に陸海軍の両総長が天皇に「列立上奏」することになっていた。会議終了後、両総長が天皇に拝謁して、来年1月下旬ないし2月上旬にガ島を撤収する旨の「上奏」をおこなった。実はそれに先立つ12月29日、陸海軍の首脳が協議して、ガ島撤退の方法と退却線を決めていたのである。
天皇はこれに満足せず、敗北の理由を何度も聞きただし、機械力と人力の差が敗因であると指摘している。しかし最後に、仕方なく「よくわかった」と言ってガ島撤退の方針を裁可した。
以上の経過は、天皇の激しい闘志と統治権者としての積極性、さらにガ島の失陥が戦争全体の敗北につながるのではないかという不安の念を示している。
天皇がようやく撤退を含む「新作戦」を打ち出したのは、1943年1月4日である。しかし、前線の部隊にそれが伝えられたのは11日後の1月15日の夜であった。そのとき撤退行動の邪魔になるとみなされた兵隊は、戦陣訓(注)どおり捕虜にさせないために「自決せよ」と指示された。
(注)中国侵略戦争が予想以上に長びき、戦場で「軍人の本分にもとる」行動が多くなったので、「皇軍道義の高揚」をはかるため、捕虜になることを「恥辱」として厳禁するなどの準拠を示したもの。1941年、東條陸相によって布達された。
死体のウジ虫を口にする「餓島」の兵士
1942年8月7日の米軍上陸以来敗退を重ねてきたガ島の日本軍兵士は、食料の補給が絶たれて飢えとの戦いを強いられていた。海水をうすめて飲んだり、一つの梅干しを3日間もなめ続けたり、木の芽やヤシの実、雑草、さらにトカゲやヘビ、オタマジャクシ、ヤドカリなどを食べて飢えをしのぐ有様で、戦闘どころか歩くことさえできない兵士が続出した。1943年に入る頃、食料事情はさらにひどくなり、兵士たちはバタバタと死んでいった。衰弱した自分の体や戦友の死体に群がるウジ虫を口にする兵士まであらわれた。わずかな糧秣をねらって日本兵同士が殺し合うことさえあった。戦時下の厳しい言論統制の下にあった国内で、新聞が「ガ島」を「餓島」と表現する現実が、そこにはあった。
撤退は2月9日に完了した。6カ月におよぶ消耗戦で、陸・海軍あわせて少なくとも2万人を超える(正確な数は発表されていない)上陸兵の命がジャングルに消えた。しかし不思議なことに、新聞各紙の記事を見る限り、『実録』ではガ島の攻防に関する天皇の言動をうかがい知ることができない。
このような状況のなかで、私の兄は「名誉の戦死」を遂げた。昭和天皇の鶴の一声で、青春真っ只中、侵略の先兵として加害者に仕立てられ、被害者として果てたのである。享年21歳。
徴兵検査の前日、目に涙をためていた兄
兄は8人兄弟の長男で、旧制中学時代は親元を離れて隣町で下宿生活を送った。卒業すると将来家業を継ぐため東京・深川の材木店に住み込みで奉公した。徴兵検査を受けに帰郷したとき、15歳も離れた私にやさしい笑顔で声を掛けてくれたのが、たった一つの思い出である。後年、母が「検査の前に、床屋さんへ行って7・3に分けていた髪を丸坊主にして帰ってきたとき、目に涙をためていて、かわいそうだった」と話してくれた。
兄は甲種合格で名古屋の第3師団に入営した。家族全員で面会に行ったが、連絡の手違い(当時は珍しくなかったらしい)で会うことができなかった。しばらくして送られてきた発信地不明の軍事郵便には、「バナナを腹一杯食べています」と書いてあった。国内ではその頃バナナを口にできなくなっていたが、母は「こんなことを書いてあるから、南方のどこかにいるのでしょう」と言っていた。
1942年1月、父が病で急死し、1年足らずで兄の「戦死」の公報が入った。その後、何も入っていない白木の箱と「恩賜」のタバコが届けられた。残されたアルバムには、深川のタバコ屋の看板娘がほほ笑む姿があった。だれにも親しまれ、周囲から将来を嘱望されていた長男の「戦死」は、夫に先立たれて間もない42歳の母には耐え難い悲しみだったであろう。それでも母は残された7人の子どもを抱え、大日本婦人会の役員として活動した。
〈戦争責任〉から逃げる卑劣な男
以上のように、昭和天皇はロボットでもなければ、「受身の人」でもなかった。むしろ昭和天皇こそ最高の戦争犯罪人と言うべきである。
戦前日本には陸・海軍を統合する機関がなく、陸・海軍がそれぞれ独自に情報を収集・分析して作戦を立てていた。戦時には作戦指導機関として大本営が設けられたが、陸・海両軍の意思疎通を欠き、情報も十分に共有されていなかった。陸・海軍の統帥権を握る大元帥陛下昭和天皇は、毎日のように作戦指導者に直接会って戦況報告を求め細部にわたる質問を重ねていた。だれよりも戦局全般に精通していたのである。そして、ガ島攻略にみるように陣頭指揮までとっていた。
ところがである。天皇は敗戦から30年たった1975年10月31日、記者会見で「(戦争責任という)言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねる」と発言している。驚くべき無責任な発言である。にもかかわらず昭和天皇が「誠実なお人柄」で「どんな問題にも真摯に向き合われた」と言うマスコミのネライは明らかである。このこと自身、天皇制が虚偽のイデオロギーであることを象徴的に示している。戦争責任についての天皇発言に接するたびに、昭和天皇に殺された兄のことを思い起こす。
おそらくはアジア・太平洋地域侵略の先兵であることを自覚しないままに南の島で飢え死した兄を思うとき、『実録』の虚偽を暴き、安倍内閣による戦争国家化と天皇制(イデオロギー)に抗して闘うことを誓わずにはいられない。
『ドキュメント昭和天皇』で真実を知る
ガ島の兵士たちに絶望的な戦闘の継続と飢餓を強制した昭和天皇の許し難い戦争指導の実際は、田中伸尚『ドキュメント昭和天皇』第3巻(緑風出版、全8巻)を読んで、初めて知ることができた。同書は、天皇の側近や軍首脳、政府高官などの日記やメモ、回顧録をはじめとする膨大な1次資料と綿密な取材にもとづき、昭和天皇の戦争責任を説得力をもって証明している。同時にそれは、現在にいたる日本の支配体制の無責任な実体を解剖して見せてくれる。
最後に、天皇制(イデオロギー)を省察するために最も参考になったのは、昭和天皇の下血騒ぎの前後に読んだ多くの類書のうち、松浦玲『日本人にとって天皇とは何であったか』『続日本人にとって天皇とは何であったか』(辺境社)であることを付記しておく。(おわり)
戦争をさせない1000人委員会
京都で結成
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10月7日、戦争をさせない京都1000人委員会の結成総会が、会場に入りきれない400人が結集して大成功した。
呼びかけ人は、上田正昭(歴史学者)、尾池和夫(元京大総長)、大谷實(同志社総長)、瀬戸内寂聴、塚本誠一(京都弁護士会元会長)、中尾ハジメ(元京都精華大学長)、橋元信一(連合京都会長)、浜矩子(同志社大教授)、上野千鶴子(立命館大教授)、森清範(清水寺貫主)ら14人で、集会では運営委員である、反戦・反貧困・反差別共同行動京都(反戦行動きょうと)の仲尾宏代表世話人が、運営体制や今後の方針を説明した。運営委員には、反戦行動きょうとのほか解放同盟京都府連、解放共闘、平和フォーラム、I女性会議、市民環境研究所、エルコープなどの活動家が入った。
多様性と包摂
そのあと、呼びかけ人でもある、浜矩子同大教授から「戦争国家へ暴走する安倍政権を批判する」講演があった(写真)。
浜教授は、アベノミクスのことを、「富国強兵のたくらみ」と言い、「明治政府の富国強兵は富国が目的だったが、安倍の富国強兵は強兵が目的である」と説明した。「安倍は経済第1と言うが、原発や武器輸出が実態の経済に人間はいない。デフレからの脱却と言うが、貧富の格差が広がる経済にデフレ脱却はない。人間のない経済は本来の経済ではない。安倍に対して、私たちが対抗して持ち出すのは『多様性と包摂』である。『多様性と包摂』を体現したものが日本国憲法である。だから安倍は憲法を壊そうとしている。また『多様性と包摂』を聖書の言葉で言うなら、『正義と平和、真心と慈しみの寄り添い』である。自分の正義や真心だけを主張し他人の意見を聞かないのは、幼児的凶暴性であり、安倍はそのものである。私たちは大人の包摂を持たねばならないし、正義と平和、真心と慈しみは寄り添わなければならない」などと語った。
参加者はこの話を聞き、京都の1000人委員会を発展させる確信を持った。