未来・第162号


            未来第162号目次(2014年10月16日発行)

 1面  ガイドライン改定許すな
     集団的自衛権反対で3千人
     10月8日 東 京

     進む国会の形骸化
     安倍の所信表明演説

     ストップ川内原発再稼働
     鹿児島市 反対集会に7500人    

     Xバンドレーダー
     搬入反対で連続行動
     9月28日 京丹後市で集会・デモ

 2面  辺野古へ駆けつけよう
     大阪アクションが呼びかけ

     沖縄・名護市議選奮戦記
     猛暑の街宣、銀輪、そして勝利

     三里塚農地裁判は、いま
     関西実行委員会が学習会

 3面  シリーズ 新成長戦略批判〜B
     激しく進む教育破壊(中)
     教育再生実行会議と大学イノベーション      

     “大戦前夜”をどう闘うか
     都教委包囲ネットが集会 10・3 東 京

 4面  日本政府に一〇〇以上の勧告
     運動の力で国連人権勧告実現を

     9・24大 阪
     駅前ビラまきは罪か?

     ヘイトスピーチに社会的包囲を
     9・21 差別・排外主義にNO! 討論集会

     許すな差別・排外主義 10・5アクション

 5面  寺尾差別判決から40年
     狭山再審へ道ひらけ
     深谷 耕三      

 6面  投稿
     『昭和天皇実録』のウソを暴く
     私の兄は昭和天皇に殺された  (上)

     投書
     「人口8千万人」という無自覚
     『書評』を書いて学んだこと

       

ガイドライン改定許すな
集団的自衛権反対で3千人
10月8日 東 京

「戦争への道を許すな」日比谷野外音楽堂を3000人が埋めた(8日 東京)

日米両政府は8日、防衛協力小委員会を開き、「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の中間報告をまとめた。その内容は、7月1日の集団的自衛権行使を容認する閣議決定に踏まえて、日米の軍事的一体化を、より一段と深化させるものとなっている。
従来のガイドラインとの大きな違いは、これまで日米の軍事協力の地理的範囲を「アジア太平洋地域」に限定していたものを「アジア太平洋およびこれを超えた地域」とすることによって、地球全体に拡大したことだ。
過去においても、アフガニスタン戦争(01年)やイラク戦争(03年)で、自衛隊は米軍への協力をおこなってきたが、そのための特別措置法をつくらなければならなかった。ところが集団的自衛権の行使が認められれば、今後は米軍の要請によって直ちに自衛隊を派兵することができるようになる。中間報告で繰り返し登場する「切れ目のない」という言葉は、日米の軍事的一体化を完成させるということだ。
さらに注目すべきことは、中間報告の中の「地域及びグローバルな平和と安全の確保」という項目で、「日米両政府は、日米同盟のグローバルな性質を反映させるために、協力範囲を拡大する」として、「地域の同盟国やパートナーとの三カ国間および多国間の安全保障及び防衛協力を推進する」と述べている点だ。これは多国籍軍への参加を含んでいる。
日本を「戦争をする国」に変えるガイドラインの年内改定に反対の声を上げよう。
8日、東京の日比谷野外音楽堂では、憲法違反の集団的自衛権行使に反対する大集会が開かれ、3000人以上が参加した。主催は日弁連。集会では元内閣法制局長官・宮崎礼壹さんらが発言。集会後、「戦争への道を許すな!」と銀座へ向けてデモ行進をおこなった。 

進む国会の形骸化
安倍の所信表明演説

臨時国会開会日に国会を包囲

9月29日に臨時国会が開幕し、安倍首相が所信表明演説をおこなった。その内容は、行き詰まりが明らかな「成長戦略」、「地方創生」、「地球儀を俯瞰する外交」を並べ立てるという陳腐なものであった。それは国会の形骸化を象徴するものでもある。7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定のやりかたに典型的にみられるように、国会は官邸で決定したことを追認する機関になってしまった。
今国会は改造安倍政権の基盤強化のための国会でしかない。目玉とされる地方創生は、来年4月の統一地方選をねらった予算のばらまきだ。当面は「地方再生」でマスコミをにぎわせ、「自民人気」を維持しようというのだ。成長戦略の目玉の「女性活用」も、本当の意味での女性の社会的進出を積極的にサポートするものではない。安倍政権は沖縄県民の強い反対の意志をふみにじって名護市辺野古への新基地建設を強行している。また原発立地の地元自治体に責任を押しつける形で、原発再稼働に踏み切ろうとしている。
辺野古現地の闘いと連帯し、新基地建設を体を張って阻止しよう。11月県知事選で基地建設反対の意志を安倍政権に叩きつけよう。原発再稼働に反対する全国的なネットワークを強化しよう。戦争へと突き進む安倍政権を民衆の圧倒的な怒りで包囲し打倒しよう。

ストップ川内原発再稼働
鹿児島市 反対集会に7500人

「川内原発を再稼働するな」天文館公園に7500人が集まった(9月28日 鹿児島市)

九州電力の川内原発1、2号機が全国のトップを切って年明けにも再稼働かといわれている。そうした緊迫する情勢のなかで、「ストップ川内原発再稼働! 9・28全国集会」が鹿児島市の天文館公園でおこなわれた。地元の鹿児島県をはじめ九州各県や全国から7500人が集まり、川内原発の再稼働を絶対に許さないという強い意思を表明した。
集会当日起こった御嶽山の噴火では多くの犠牲者が出ており、あらためて霧島火山帯に接する川内原発の再稼働がいかに無謀であるのか突き出されている。また今後全国の原発の再稼働を阻止するためにも、絶対に川内原発の再稼働させてはならないという決意が語られた。
集会後、JR鹿児島中央駅までデモ。右翼の妨害をはねのけて、再稼働反対の声を高らかに響かせた。
10月9日から「地元合意」を取りつけるための住民説明会が始った。地元住民の再稼働反対の声で圧倒し、川内原発の再稼働を絶対に阻止しよう。

Xバンドレーダー
搬入反対で連続行動
9月28日 京丹後市で集会・デモ

Xバンドレーダー基地建設現場に向けてデモ行進
(9月28日 京丹後市)

9月27〜28日と、]バンドレーダーの搬入に反対する連続行動がおこなわれた。
9月27日は、京都大学において、第7回東アジア米軍基地問題国際シンポジウムがひらかれ、韓国から7人、沖縄から3人の活動家を招いて、110人が参加した。この東アジア米軍基地問題国際シンポジウムは毎年沖縄を中心におこなわれているが、今年は京都でおこなわれた。シンポジウムには、岩国の愛宕山を守る会代表の岡邨さん、神奈川の基地撤去をめざす県央共闘会議副代表の檜鼻さんも参加した。
韓国からの報告で、京都]バンドレーダー基地、沖縄普天間オスプレイ、辺野古新基地、韓国済州島カンジョン基地、岩国への米軍戦力集中など、米「アジア回帰」戦略のもとに、日米韓の軍事一体化が深められている現実が突きつけられ、今こそ沖縄・韓国・日本の市民住民運動の国際的な連帯が問われていることが確認された。

米軍基地前をデモ

翌28日は、京丹後市宇川農業会館での集会と久僧、中浜、尾和、穴文殊と建設中の米軍基地前を通り、袖志までのデモをおこなった。京都からの大型バス4台をはじめ、関西各地から400人が参加した。
前日のシンポジウムに参加した、韓国、沖縄、岩国、神奈川の活動家も全員が参加した。集会では地元京丹後市の〈米軍基地建設を憂う宇川有志の会〉の代表三野みつるさんと、事務局長永井友昭さんが発言し、この間の現地の動きを報告した。また、米軍基地建設反対丹後連絡会と滋賀県民平和・人権運動センター議長からの連帯あいさつがあった。
韓国や沖縄、岩国、神奈川からの発言と、韓国の多数の若い活動家の参加が地元住民の注目を集め、]バンドレーダーは京都だけの問題でなく、東アジア全体の問題であることが浮き彫りになった。

2面

辺野古へ駆けつけよう
大阪アクションが呼びかけ

10月5日、 大阪市天王寺区民センター大ホールで「いま、辺野古から いま、関西から」の集会が開かれ、200人が参加した。主催は「STOP! 辺野古新基地建設! 大阪アクション」。大阪アクションは7月1日、関西で沖縄闘争を取り組んできた11団体で結成。この日は8月23日、9月20日に続く取り組みとなった。 集会は、DVD上映から始まり、緊迫した沖縄現地が映し出された。
その後、連帯労組近畿地本・西山書記長が主催者あいさつ。

「仕事を辞めても」

これから辺野古現地におもむく人が発言。「沖縄に行ったことがない自分が、沖縄のこと、辺野古の米軍基地建設計画を知り、行かなければと思った。そのためには今の仕事を辞めても」と熱い決意。最後に、奄美生まれで嘉手納育ち、つい最近、辺野古現地にも行った牧志徳さんのライブ演奏が始まった。米軍シュワブゲート前座り込み闘争の現場を再現するような島唄が奏でられ、参加者全員でカチャーシーを踊り、大いに盛り上がった。
集会後、デモ出発。「辺野古埋め立て阻止!」「米軍基地をつくらせないぞ!」のコールが大阪ミナミの繁華街に響きわたった(写真)
今必要なのは恒常的に辺野古現地に支援者を派遣することだ。同時に関西で、沖縄現地の状況を広範な人びとに向けて発信していくことである。辺野古新基地建設を絶対に阻止しよう。(大阪 N)

沖縄・名護市議選奮戦記
猛暑の街宣、銀輪、そして勝利

与党の市議候補を紹介する稲嶺市長(右)と翁長雄志那覇市長(左)(9月3日名護市)

7月12日、名護市内で東恩納琢磨議員の後援会事務所開きがおこなわれた。稲嶺市長も駆けつけ30人が結集した。稲嶺市長は、「たくま」議員の6年間の業績を評価し、ジュゴン保護など環境問題で一緒にアメリカに行ったこと、稲嶺与党には辺野古・大浦湾を抱える地元の「たくま」議員の勝利が絶対必要であり、辺野古新基地建設阻止をともに頑張っていきたいと訴えた。安次富浩さんや山城博治さんなどが駆けつけ激励した。「たくま」議員は支援者に向かい必勝の決意を述べた。

気温33度の中、昼街宣

8月31日告示日、27議席に35人が立候補し、激しい選挙戦に。稲嶺与党は16人を擁立し全員当選・過半数維持をめざした。私は辺野古現地の攻防のため選挙事務所には行けなかったが、「たくま」のポスターは早々に貼られていた。9月3日より事務所に行き、朝立ちを始める。大きな声で挨拶し、車に向かい手を振る。しかし車から手を振る人の反応は、市長選のときと比べ低く、多少の焦りを感じた。
私は昼休みの街宣を決意し、みんなに「1人でも街宣に行く」と告げた。日中33度以上の暑さの中で立ち続けることは辛いことだが、でも誰も反対せず、街宣に全員が決起する。昼休みの労働者が次々に名刺を受け取る。反応はいい。人の流れはあまりないが、車から手を振る人が多くなった。

銀輪隊は行く

昼の行動後、銀輪隊をやった。選管から、自転車に候補者の名は出すなと言われ、「たくま」のスローガン「ふるさとは宝」ののぼりを立て走り回る。銀輪隊を組織したのは「たくま」後援会だけであった。名護市内をくまなく回りきった。車から手を振る人も多かったが、どこの候補かわからず、首をかしげる市民も多くいた。選管の締め付けに負けるものかと連日の銀輪隊に決起した。

翁長那覇市長と合流

9月3日は翁長雄志那覇市長がキャンプ・シュワブゲート前座り込みを激励に訪れた。稲嶺名護市長も同席し、翁長さんと握手を交わした。翁長さんと稲嶺さんはその後名護市内に移動し街頭に立った。名護の中心地に稲嶺与党16人の支持者1000人が結集。各陣営ののぼりがはためき、ふたりが登壇した。稲嶺さんが稲嶺与党16人の名前を一人ひとり紹介すると、それぞれ大きな拍手が送られた。翁長さんは、仲井真知事の裏切りを批判し、「辺野古新基地建設反対を掲げるものが知事にふさわしい」と宣言した。稲嶺陣営の支持者は翁長さんの発言に勇気をもらい、指笛と大きな拍手で応えた。

終盤3日間の攻防

9月4日からの3日間攻防には、事務所にも人が集まりだし熱気を帯びてきた。ビラ入れ、朝、昼、夕と街頭に立った。街宣車は「たくま」の地元をくまなく回った。
9月5日には、まよなかしんやさんが応援に来てくれ、街頭でミニコンサートをやった。周りには子どもたちが集まり踊りだし、「たくま」コールがこだまし、車の窓を開けて手を振る人が何人もいた。他陣営の街宣車は立ち止まり私たちの写真を撮っていた。
9月5日夕方、稲嶺与党16人の候補者と共に街頭に立っている稲嶺市長が、「たくま」候補の応援に駆けつけた。稲嶺さんは名護市の中心地交差点で「たくま」候補とがっちり握手し、「稲嶺市制を支えるため、辺野古、大浦湾を抱える地元の『たくま』候補の当選が絶対必要です」と市民に訴えた。

勝利をテコに県知事選へ

9月7日、名護市議選開票結果、稲嶺与党は14人が当選し、定数27の過半数を維持した。「たくま」候補は、前回より84票伸ばし、1143票を獲得した。順位も6位で上位当選となった。
翌日、辺野古現地で頑張っている安次富浩さん、山城博治さんが勝利宣言。両氏とも「名護市議選勝利の力で知事選を勝利させよう」と訴えた。11月16日の沖縄知事選に勝利しよう。(沖縄 T)

三里塚農地裁判は、いま
関西実行委員会が学習会

「金もうけのためでなくて人と人がつながる農業を」(9月29日 大阪市)

「三里塚農地裁判は、いま」の学習会(9月29日、エルおおさか)がおこなわれた。

農地強奪裁判の現状

遠藤憲一弁護士(三里塚空港反対同盟顧問弁護団)は、裁判にいたる経過と、ほんらい農地を守るべき農地法により市東孝雄さんから農地を奪おうとする暴挙をていねいに、しかし怒りをもって次のように説明した。
―いちばんの大問題は強制収用ができなくなったので、農地法を使って、民事訴訟で土地を奪おうとしている。それは明白な脱法行為で、もちろん憲法違反である。
これに対し千葉地裁は「本件はNAA(成田空港会社)による農地賃貸の解約申し入れを許可しただけ」「解約許可だけでは市東さんの賃借権は、すぐになくならない。市東さんは、解約申し入れを裁判で争うことができる」という。法律で、申し入れから1年で賃借権は消滅する。「すぐには」という1部分をもって全体をごまかす詭弁。強制収用であることは明白である。
しかも収用法は失効しており、2度とできない。目的は明らかに、他でもない「空港建設のための農地取得」である。
そもそも本件の背景は、88年の「転用目的、売買そのもの」を市東さんに隠し、地主と当時の公団との間で農地を売買したことにある。これは「小作人以外の者に売るときは許可してはならない」という農地法3条に違反している。購入する場合は、耕作しなければならない。NAA(公団)は、耕作権を市東さんに残したまま、こっそり購入している。
NAAは「転用目的だった」といっているが、当時はまったく工事計画などなかった。農地法20条「転用の相当性、必要性」を述べ、急きょ2週間で「計画案」を出してきた。「転用目的」の5条にも違反する。

農民の姿見えない判決

もう一つ、市東さんが農業を営んでいる姿、生活、生存権。いま日本の農業破壊がすすんでいる現状に対し、まったく無理解。観念の操作だけで判決を書いている。1審、多見谷判決は一方では非常に部分的に「まだ耕作権はある。強制収用ではない」と言い、他方では「全体的に見れば転用計画があった」など大まかに言い、NAAの言い分をすべて認める。「法解釈の錬金術」的判決ですね。
控訴審、高裁は「司法改革」のもとでスピード結審が横行している。そういう訴訟指揮は認められない。50年間完成させなかった空港絶対反対、空港廃港の不動の決意でたたかいましょう。

本来の公共性

次に鎌倉孝夫さん(経済学者)が近著『成田空港の公共性を問う』に展開した「公共性の中味」「公共性とは人民の生きる基盤、生活権、人権の保障」について話した。
―労働と生活の差別なき保障こそが、本来の公共性である。また、人間社会の存立発展の根拠は、労働者・農民の生活権の保障が根本になければならない。土地、自然、環境は労働、生産の基礎である。
成田空港の経緯を考えると、「経済成長」ということのみ優先されてきた。人間が生きる根拠は、金なのか。資本の本質は、金儲けを目的とする金と商品の運動。それ自体としては、価値増殖的根拠を持たない。土地、自然を投機の対象としている。アメリカもそうだ。それに何周も遅れ、安倍政権はいま武器と破壊産業を資本の生き残り策にしてきた。現代資本主義は、極限的、末期的局面にある。
市東さんのたたかい、この裁判闘争は、そういうことに対する本来の公共性を現実化するものである。

人と人がつながる農業

2人はともに、「市東孝雄さんの農業、有機・無農薬の農業を大切に続ける営み。金儲けのための農業ではなく、人と人がつながる農業。それを実践する市東さんに寄り添い断固裁判闘争、三里塚闘争をたたかおう」と訴えた。(吉田)

3面

シリーズ 新成長戦略批判〜B
激しく進む教育破壊(中)
教育再生実行会議と大学イノベーション

U 国家戦略としての大学イノベーション(承前)

国家に従属する大学

国立大学法人法では、学長決定権のすべてを、ごく少数の者からなる学長選考会議に与えようとしている。国立大学における学長選挙が改廃され、意向投票制度としてのみ残された現行の学長選考に対する大学構成員の権限が、学長選考に関する第12条7項に「学長選考会議が定める基準により」という文言が付加されることでさらに縮小・消滅する。さらに、第20条3項の「国立大学法人の経営に関する重要事項を審議する機関」たる経営協議会の委員における学外者の数が、現行の「二分の一以上」から「過半数」に変更された(第20条第3項、第27条第3項関係)。「経営に関する重要事項」を学外者が決めることになる。産業界から「経営のプロ」を招き入れ、大学教育の民営化・効率化を通して「グローバルな競争力」を高めることをめざすという。
教授会が審議している教育研究費の配分、教員の業績評価、教員採用などの人事、学部長の選任、カリキュラムの編成や学部・学科の設置廃止、学生の身分など、教育研究のあり方を左右する重要な事項を、学長が独断で決められることになる。教授会を「学長のための諮問機関」に変質させてしまう。その一方で、副学長も「学長の命をうけて校務をつかさどる」として権限を強化し、学長中心の執行体制を強める。
国立大学法人法改悪案は、学長選考会議が「各大学のミッション(使命・任務)にそった学長像」などの“基準”を定めて選考するとしている。この基準にあわないと、教職員の投票(学長選挙)で1位でも学長になれない。「各大学のミッション」とは、文科省が決めた大学ごとの改革ビジョンであり、文科省の方針にそって大学を運営する者しか学長になれない。 すでに、学長選考会議が学長選挙で1位になれなかった候補者を学長に選出する大学が増えている。山形大学では、7年前に結城章夫文部科学事務次官が、1位でなかったにもかかわらず、学長に選出された。結城学長は昨年、原子力規制庁審議官を2月に更迭された名雪哲夫を山形大教授として、独断で採用した。名雪は1月、日本原子力発電敦賀原発(福井県)の断層調査で、原子力規制委員会の調査団の評価会合の前に、日本原電の求めに応じて報告書原案を渡した情報漏えいで、更迭された。
権力が集中する「学長」や経営陣に求められているのは、政府が決めた「ミッション」を忠実に履行することにすぎない。国立大学法人は文字通り国家従属法人に変貌するのだ。
めざすべき「ミッション」が、文科省によって一方的に各国立大学に通達される。「各大学との意見交換によって」と書かれてあるが、実際には文科省からすでに文言がほとんど書き込まれ、自主的な数値目標だけが空欄になった「ミッション」が一方的に各大学に突きつけられる。「ミッションの再定義」にもとづいて改革プランを申請した大学には補助金を与えて(最初に東大・京大といった有名大学が指名され、弱小国立大では第3次補正予算で2月末という年度ぎりぎりの時期に示される)、それを遂行することを強く求める。一般運営交付金が毎年縮減されているので、国立大学はこのような補助金なしには生き残れない。
文科省が地方の中小規模大学に求める「ミッション」は共通している。理工系か医療系に力を注げということだ。どのような優良学科でも、国立大学文系の学部や組織は必要ないので廃止せよということなのだ。極端な「ミッション」によって国立大学から人文系の学部や学科はどんどん縮減される。政府・文科省による大学教育・大学そのものの暴力的な破壊だ。

官僚天下りの草刈場に

法人化後、文科省からの出向官僚や元キャリア官僚が国立大学の理事や教員に就任している。学長選考会議に文科省出身者が31国立大学に33人も入っている。今回の法改正によって、財政的締め付けを活用した恫喝、教授会・学長選挙の無力化、政財官界エリートによる執行機関の占拠、理事・教員ポストへの大量天下りに、ますます拍車がかかっていくだろう。

V 窮乏化する大学と拡大する格差

大学審議会が1991年に出したいわゆる「大学教育の大綱化」は、大学教育に競争原理を持ち込むことにより各大学独自の教育・カリキュラム改革を推進させた。その結果約5年で教養部・一般教育部はほとんどの大学から姿を消した。文科省はさらに締め付けを強め、2004年に国立大学法人化が実施され、国立大学は企業の形態を取ることになった。
法人化の出発点から財政基盤は二極化、格差は大きかった。法人化に際して当該法人に現物無償提供された土地・建物・設備・施設など基礎資産は東大、京大などの上位10校で45・6%を占めた。逆に多くの法人が資産総額10億円にも満たなかった。初年度の運営費交付金も、上位10校が43・2%を受け、他の73法人で残りを分け合った。
運営費交付金は毎年度1%の減額措置がとられた。しかも各大学法人に人件費5%削減が義務付けられた。これまで運営費交付金は学生数や規模などに応じて全国立大にほぼ機械的に振り分けられていたが、2014年度から18大学に重点的に配分されている。
さらに法人大学経費の競争資金化が進められている。総合科学技術会議の競争的研究資金制度改革について(意見)においては、「競争的資金とは、資金配分主体が、広く研究開発課題等を募り、提案された課題の中から、専門家を含む複数の者による、科学的・技術的な観点を中心とした評価に基づいて実施すべき課題を採択し、研究者等に配分する研究開発資金をいう」と記載されている。要するに、応募者同士で競争させ比較し、良い研究に対してだけお金を配分するというものだ。競争資金化によって、交付金が増大するのは東大、京大など13大学で、74大学は減少する。しかも50%以上減額となるのが50法人もある。2013年度から新たに導入された「世界水準の優れた研究活動を行う大学群の増強を図る」研究大学促進費は、@科研費などの競争的資金の獲得状況、A国際的な研究成果創出の状況、B産学連携の推進状況を査定して配分される。
第2期教育進行基本計画における成果目標や基本施策を実現する課題コンテストへの応募・参入が査定される。コンテストの眼目は「成長牽引のイノベーション」、「国際的競争力のある研究」、「グローバル人材育成」、「大学ガバナンス改革」である。さらに国家戦略を遂行する大学改革路線への誘導を図る各種の「改革特別資金」が配置されている。
こうして大学法人は、「大学改革」国家戦略にがんじがらめに絡めとられていく。

教職員の労働条件破壊

基礎体力の虚弱な大学は、人件費すら運営費交付金ではまかなえない。極限的な財政切り詰めで生き残りをはかるしかない。教員削減が大規模におこなわれた。その結果、大学院の維持が困難になった法人もある。たくさんの授業科目が消滅して学部・学科の改組をよぎなくされる。文系教員の組織は解体され「グローバルな理工系人材」を目的とした新学部作りをしなくてはならない状況になっている。
非常勤講師は大量解雇され、授業の水準が維持されない。職員は、半数近くが契約・派遣労働者になった。職務経験の蓄積や継承が困難になっている。年期付きの非正規労働者を大量に雇用し、教職員間の格差が広がり、「大学で働く誇り」さえも奪われていった。先端科学の研究さえも非正規雇用に支えられている。京大iPS細胞研究所の山中伸弥所長が内閣委員会の参考人質疑に提出した資料によると、京大iPS細胞研究所で働く教職員214人のうち、雇用期間の定めのない者はわずか23人(11%)にすぎない。他の191人(89%)は全員が有期雇用だ。
2012年、当時の民主党野田政権が国家公務員給与特例法によって国家公務員の賃金を引き下げた。すでに教職員から公務員としての地位を剥奪しながら、国立大学法人に対しても同等の7・8%削減を求めた。同等額を運営費交付金から減額した。ほとんどの法人が特例法に準じた賃金削減を強行した。それまでも2006年以降5年間で人件費5%以上の削減を求められ、2009年度には8・6%と超過達成していた。追い討ちをかける安倍「大学改革」によって、55歳以上の昇給がなくなったり、退職手当の大幅削減もおこなわれている。とりわけ、付属学校教職員や付属病院職員に対する超過勤務手当の未払い問題が多発している。成果主義賃金を導入されたり、労働時間の定めがないため正規雇用の教員に過労死が発生している。(つづく)(井上 弘美)

“大戦前夜”をどう闘うか
都教委包囲ネットが集会 10・3 東 京

〈都教委の暴走をとめよう! 都教委包囲・首都圏ネット〉の主催による「『戦争は教室から始まる』を阻止する10・3集会」が東京で開かれた。前段として行われた9団体による東京都教育委員会への要請行動を受けての集会だった。
冒頭に司会から、第3次世界大戦前夜ともいえるような動きが進む中で、我々のたたかいで良い方向を切り開こうとの訴えがあった。つづいて基調報告。「10年たってみて、10・23通達が国家にとって必要なものであったことが良くわかった。10・23体制ともいうべきものが全国を覆っているが、たたかいは続いている。反原発や秘密保護法を水路に新たに立ち上がった人々もいる。学校現場の中で強いられた多忙化と管理強化にさらされてはいるが、教員こそが社会と切り結ぼう」などと語った。

学校現場から

学校現場からの報告では、解雇撤回のたたかい、道徳観の押し付け、授業進行での教師の裁量範囲の縮小、千葉での意に沿わぬ教科書への採用妨害、自衛隊による防災訓練や宿泊訓練など、さまざまな問題とそれへの取り組みが紹介された。
特別決議の後で連帯したたたかいの重要性が強調され、組織犯罪対策法・医療観察法問題を担う2つの戦線との共同した取り組みを進めているとの報告があった。

4面

日本政府に一〇〇以上の勧告
運動の力で国連人権勧告実現を

「ヘイトスピーチを許すな」芝公園からデモに出発する人びと(9月28日 東京)

9月28日、東京の芝公園で、「国連人権勧告の実現を! すべての人に尊厳と人権を!」集会が400人を越える参加でおこなわれた。
はじめに主催した実行委員会から、「昨年は国連社会権規約・拷問禁止委員会から、今年は自由権・人種差別禁止委員会から、日本政府に対する100以上もの勧告が出された。なかには、1年以内に方策を立てろ。あるいは次回の報告までに措置をせよと、これまで以上に厳しい内容になっている。人権問題でたたかっているみんなは横に繋がってこの国を変えていこう」と訴えた。

国連勧告をめぐる報告

海渡雄一さん(日弁連・自由権ワーキング座長)から「自由権規約委員会に行った。代用監獄、死刑制度などに関する重大な勧告が出た。そして、新しく秘密保護法とヘイトスピーチの問題が取り上げられた。ヘイトスピーチにたいしては、刑事法での取り締りが勧告された。委員会の最後に、議長から従軍『慰安婦』の問題とヘイトスピーチの問題に特に触れて、『日本政府の対応は、国際社会に抵抗しているように見える』と異例の厳しい批判がなされた。日弁連も動き出しつつある。勧告の実現は我々の責務でもある」と話した。
師岡康子さん(人種差別撤廃NGOネットワーク)から「今回の勧告は3度目。前回の勧告から9年。日本政府が無視していることに委員たちは憤っていた。『日本は95年に条約を批准しているが、やる気が無いなら、なぜ批准したのか? 民主主義国というなら条約を守れ』。そして、被害を受けたマイノリティーの実態調査に基づく差別禁止法制定とそれを保証する国内人権機関の設置が強調して勧告された。東京・国立市に続いて各地から国会に意見書を上げよう」と呼びかけた。
寺中誠さん(アムネスティー)は「安倍内閣は昨年6月18日、『条約機関が出す勧告は法的拘束力がない。実現する義務は生じない』と閣議決定している。これは、条約違反であり、憲法98条2項違反である。政府のスタンスは、『人種差別はないから条約に入る。問題があれば入らない。直す気がない』ことを示している。政府の論理は『条約は憲法の問題、判断は最高裁の仕事。行政は憲法に触れない形で立法をおこなう。憲法の人権保障と行政は無関係』というのが制度的設計思想である。さらに、『政策を作らない。付け焼刃の対処はするが』という思想がある。だから、できれば国際社会は見たくない。自民党改憲草案にもそれが現れている」と痛烈に批判した。
有田芳生議員は「4月に超党派で〈人種差別撤廃基本法を実現する議員連盟〉を作った」と報告した。

各団体からの発言

〈女たちの戦争と平和資料館〉の方は「朝日新聞の報道をきっかけに日本軍『慰安婦』制度そのものがなかったかのような歴史の捏造(ねつぞう)が横行している、正されるべきは安倍総理の認識」と訴えた。
〈福島原発事故避難支援ネット神奈川〉は「子ども被災者支援法があるが、被害の地域・被害者の特定すら明らかにされていない。そのために問題解決を意図的に妨げられている。子どもたちの未来のためにがんばっていきたい」と発言した。
〈移住労働者と連帯する全国ネットワーク〉は「今回の委員会では前回に引き続いて技能実習制度のもとでの労働搾取目的の人身売買についての調査と加害者への制裁を勧告された。さらに入管法見直しの勧告・難民・収容・子どもなどさまざまな問題での勧告が出されている。今後も移住労働者と家族の権利保護に関する条約の批准を求めていきたい」と訴えた。
〈なくそう戸籍と婚外子差別・交流会〉は「婚外子差別規定は最高裁の違憲決定で廃止されたが出生届けの差別記載など差別制度は維持されたまま。93年の婚外子差別撤廃勧告から20年。人権侵害の法務省に迫っていきたい」と訴えた。
朝鮮大学校の学生は「7月の自由権規約委員会、8月の人種差別撤廃委員会に当事者として参加。両委員会で高校無償化からの朝鮮学校除外問題、地方自治体による補助金支給停止問題に是正勧告が出された。たたかいぬく」と報告した。
〈沖縄一坪反戦地主会関東ブロック〉は「1903年大阪万国博(内国勧業博覧会)でアイヌ・朝鮮・琉球の人たちを展示物にした。沖縄では今も続くこのような差別の典型が辺野古新基地建設である。ともにたたかってほしい」と訴えた。
コラール台東からは「東京の八王子と青梅は世界一精神科病床の密集地で、34・5万床、10万人の社会的入院が続いている。他国では1、2カ月の入院なのに日本は5年以上の人が何10万人もいる」と現実を訴えた。
集会アピールを採択し、デモ行進に移った。(東京 S)

9・24大 阪
駅前ビラまきは罪か?

「大阪駅前で ビラを撒いたら 罪ですか???9・24集会 ? 無罪◎勝利したから Part U ?」が大阪市内でひらかれ、参加者は100人を超えた。主催は、関西大弾圧救援会など。
JR大阪駅前街宣(2012年10月17日)をめぐる事後弾圧で韓基大さん、下地さんら3人が同年12月に逮捕されたが、韓基大さんのみが「威力業務妨害」で起訴された弾圧事件。
今年、7月4日に大阪地裁で無罪判決を勝ち取ったが、検察が控訴したため、次は高裁段階でのたたかいに移る。2審勝利にむけ、大阪地裁判決の意義および問題点を検証する集会としてひらかれた。
集会は、オープニング「ギターと歌」から始まり、つづいて本件弾圧で韓基大さん(写真)とともに事後逮捕された当該2人があいさつ。
次に、位田弁護士が、「無罪判決への道のり」と題して経過報告をした。

憲法研究者4人が発言

まず、「7・4無罪判決の意義とこれからの課題」と題して中川律さん(埼玉大学准教授)が、解説と問題提起をした。「この事件の中心的論点はJR職員が、街宣参加者に対して『駅敷地(ルクア東側広場)でのビラ配りを制止したこと』『コンコース内通過を制止したこと』『駅敷地からの退去要求したこと』これらの行為が、憲法上、法律上の要保護性があるのか、否か。JR職員の上記行為は、街宣行動参加者の〈表現の自由〉や〈鉄道敷地を利用する利益〉への制限をおこなうものであり、要保護性を欠くといえる。」
さらに、同じく憲法研究者である、石埼学さん(龍谷大学)、石川裕一郎さん(聖学院大学)、福嶋敏明さん(神戸学院大学)が発言した。
たたかう仲間からのアピールは、7団体から。

徹底的にたたかう

まとめを当該の韓基大さんがおこなった。「この逮捕は狙い撃ち。恣意的な弾圧だ。この弾圧を認めたら、権力にコントロールされるようになる。僕らは、すべてにおいて自由であるべきなんです。徹底的にたたかいましょう」と訴えた。

ヘイトスピーチに社会的包囲を
9・21 差別・排外主義にNO! 討論集会

9月21日、差別・排外主義に反対する連絡会主催の「9・21差別・排外主義にNO! 第3回討論集会」が開かれ、約100人が集まった。今回のテーマは「〈在特会〉は、なぜこうした人々を憎悪するのか?」。

ヘイトスピーチは暴力

第1部は、長年にわたり排外主義の動きを取材してきたジャーナリスト・安田浩一さん。「帰国を拒んで逃亡した中国人研修生が職務質問を避けようとし警察官に射殺された。遺族が起こした国賠訴訟で、後に在特会へと合流する人物らが裁判所前でヘイト攻撃を展開。これが在特会的存在との出会いだった」と。そして、攻撃対象が反原発・反天皇制・生活保護・部落から朝日新聞の元記者の家族にまで拡大している状況を弾劾した。
「喪失感・奪われた感が根拠としてあると思う。そのために強い方には矛先を向けずデマに飛びつき弱者を攻撃する。在日特権がネット上でねつ造されるように、敵を発見して叩くのが目的化。被害者が存在し日々拡大されていること、当事者の受ける切実性を感じる必要がある。表現の自由を奪われ沈黙を強いられているのは、攻撃されている弱者の側。ヘイトスピーチは『言葉の暴力』ではなく単なる『暴力』」と締めくくった。
第2部では、在特会の攻撃対象となった運動関係者によるディスカッションがおこなわれた。〈「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会〉からは国連人権勧告を無視する政府と共同でたたかう運動が実現しているとの報告。部落解放同盟奈良県連からは、強制連行や慰安所に関する公共の掲示板を天理市が撤去するという動きが報告された。
反天皇制運動連絡会、経産省前テントひろば、〈女たちの戦争と平和資料館〉からも提起を受け、ターゲットにされた人たちが孤立せず、在特会への社会的包囲網を作り、それを反安倍にも繋げる展望が語られた。

許すな差別・排外主義 10・5アクション

差別・排外主義に反対する連絡会は10月5日、9・21集会とワンセットでこの日のデモを、前夜からの土砂降りの雨を突いて100人でおこなった(写真)
集会で主催者は「連絡会結成以来、攻撃を受けている当事者とどう繋がっていくのか、自分たちの中にある差別意識をえぐり出し、捕らえ返そうとしてきた。昨日もデモの趣旨のビラを持ち、デモコースの店をたずねた。何軒かの店では、ビラを置いていって欲しいと言われた。ヘイトスピーチに対する国連の勧告が出るなど一定の反撃があるが、朝日新聞バッシングや元記者への脅迫・レイシズムの嵐が続いている。カウンターの中にもある女性差別やナショナリズムにも注意しなければならない。歴史に耐えうる行動、社会的包囲網を作り地域に届けていきたい」と訴えた。(連帯発言は、割愛)
デモは、柏木公園から新宿の繁華街を通り、沿道の注目を浴び、ビラの受け取りも格段に良かった。

5面

寺尾差別判決から40年
狭山再審へ道ひらけ
深谷 耕三

差別社会の変容

殺す側と殺される側

新自由主義の世界史的台頭は、社会の差別構造にも変化をもたらさずにはおかない。「変化」とは、人々の間における「殺す側」と「殺される側」への線引きという問題である。日本における最初のそれは在特会らによるヘイトスピーチとして顕在化してきている。
ウォーラースティンは「世界システム論」の中で、差別とは「主に下層の人々を世界システムに包摂する様式」であると言っている。すでに日本は世界第2位の格差社会となっている。現在の日本を国家として成立せしめているものは差別による包摂以外にはない。
「殺す側」と「殺される側」の線引きは、幾重にも引かれる。誰もが知っているナチスの例で言えば、共産主義者、社会主義者、「障害者」、キリスト者、最後にユダヤ人が殺される側に立たされた。人々は常に殺される側に立つまいとし、結果として差別する側に立とうとする。この運動を組織化したものがファシズムに他ならない。
このことは、差別の対象は多様であるが、差別そのものの本質は同じであることを示している。原発事故のために福島に対する差別が生じたのではない。日本が差別社会であるが故に、福島原発の事故が必然化したのである。

辺野古新基地建設

辺野古新基地建設は、ヘイトスピーチと並んで、日本社会の変質をもたらす重大な攻撃である。
辺野古新基地建設の強行は、米軍による沖縄占領の永続化を意味すると同時に、それを認めることができない沖縄の人々に対する永続的戦争を意味する。集団的自衛権を閣議決定した同じ閣議で、大浦湾における基地建設強行のための制限水域の設定がおこなわれ、また、それに抗議するカヌー隊に対して海上自衛艦の派遣が検討されているように、辺野古新基地建設は集団的自衛権の行使そのものであり、沖縄県民はテロリストとして想定されているのである。
沖縄に対するこのような戦争は、日本社会における民主主義に重大な危機をもたらす。沖縄地元紙は連日のように辺野古新基地建設を弾劾し、抗議行動を報じているが、日本の大手マスコミはほぼ沈黙を守っている。それはすでに言論統制の始まりである。真実を伝えようとする人々に対しては、秘密保護法による戦時的な弾圧が加えられるだろうし、一連の弾圧はそれが始まっていることを示している。日本社会における沖縄県民をはじめとする人々に対する新たな差別・排外主義の跋扈(ばっこ)を許してはならない。

部落解放運動の課題

水平社は何故敗北したのか。多くの人々が語っているようにそれは排外主義に敗北したのだ。敗北とは「殺す側」にたたされたということである。水平社の敗北を弾圧によってのみ説明することは一面的である。水平社は、殺す側に立たされることを通して国家にからめとられたのである。この敗北の道から逸(そ)れることは日本の民衆運動にとっても、部落解放運動にとっても喫緊の課題である。
今日、狭山闘争をたたかい、原発、ヘイトスピーチや辺野古新基地建設とのたたかいをも自らの課題としてたたかいぬく部落大衆が広範に存在している。その歴史的意義は計り知れない。彼らに学び、部落解放運動の新たな時代を切り開くためともにたたかわなくてはならない。

狭山再審の実現を

差別裁判のジレンマ

今日的にみて、寺尾判決には2つの意味がある。
ひとつは、部落民を犯罪者にしたてあげるという彼らの差別構造の根幹がこれによって護持されてきたということ、そして、もうひとつ忘れてはならないことは、石川さんの命を死刑台から奪還したということである。これは国家と民衆とのたたかいが作り出したある種の均衡ともいえる。
日本社会の差別構造が「殺し」「殺される」関係を強めている中で、40年前につくられた均衡が揺らいでいる。すでに、「同和対策」事業の全廃と逆差別キャンペーン、公務員現業に対する差別主義的解体攻撃、それらに呼応した水平社博物館差別街宣事件、週刊朝日による差別的身元調査記事事件等々として部落差別攻撃が強められてきた。
だが、石川一雄さんが生きて差別裁判を糾弾し続けている限り、また、石川さんに連帯してたたかう狭山闘争が社会に深く根付いてたたかいを継続している限り、国家は第2・第3の狭山事件によって部落民を殺される側に立たせ、そのことを通して天皇制を頂点とする身分的差別に民衆を包摂しきっていくことができないのである。
2006年の第3次再審請求から8年、09年の3者協議開始から5年を経て、今なお狭山再審が膠着状態に置かれている政治的意味とはそのようなジレンマにある。
第3次再審棄却攻撃によって石川さんを死に追いやろうとする国家の側からの均衡破壊攻撃に対して、狭山再審実現をかちとり、日本社会の差別構造そのものを打ち破るためにすべての人々が力を合わせて起ち上がることが求められている。

第3次再審闘争の現状

さる8月30日、狭山事件の再審をめぐる19回目の3者(裁判所、検事、弁護団)協議がおこなわれ、筆跡証拠が開示される見通しとなった。
石川一雄さんの手紙など未開示の筆跡資料は50数点にのぼるとされる。検察は「プライバシー保護」を理由に開示を拒んできたが、裁判所側からの「検察が裁判所に提出し、裁判所がプライバシーの有無について検討したうえで、問題のないものを弁護団に開示する」との提案を検察が受け入れた。
また、弁護団は、3者協議に先立ち、関源三巡査部長による「被疑者石川一雄が取調の合間に本職にたいして語った言動について」と題する報告書を新証拠として提出した。「報告書」の日付は6月23日。石川さんが単独犯行の自白をはじめたその日のものである。
それによれば、このとき、石川さんは取り調べにあたっている3人の刑事に部屋から出てもらうように言い、関源三と2人だけになった。そして石川さんは「善枝ちゃんはどうなっていたんべい。それを教えてくれればわかるんだ」とたずねたというのである。
警察官に「遺体の状況を教えてくれ」と頼む犯人がいるだろうか。関「報告書」は、石川さんが犯人ではありえないことを端的に示しているのである。
この関「報告書」は、2010年5月にはじめて証拠開示された取り調べ録音テープとも完全に一致している。
テープを鑑定した浜田寿美男・奈良女子大名誉教授によれば「自白は『(真犯人しか知り得ない)秘密の暴露』ではなく、むしろ『無知の暴露』である」。
例えば、「タオルをどのように利用したか」について、当初、石川さんは「口を塞ぐ蓋をした」と答えている。それに対して関は「間違いってこともある」「よく考えたらどうだ」等と応答している。そして自白は「目隠しのようにした」と変わっていく。
荒縄についても、当初は「殺す前に縛った」と言い、捜査官の「おかしくなる」(それでは強姦できない)との誘導によって「死んだ後に足首に縛った」という自白に変わっている。
あるいは芋穴の利用については「生かしといて穴の中に入れた」「芋穴で殺しちゃった」等の自白に対して、「それはおかしいと思うよ」との誘導が行われ、「俺が芋穴に入って死体を入れたり出したりした」という自白に対しては「長縄が使える」との誘導が行われた。そして、ついには「殺害後、足首に結びつけた荒縄を持って逆さ吊りにして芋穴に出し入れした」との自白にたどりつく。
石川さんの自白はこのように、すべて、遺体の状況等と合致するよう誘導され、でっちあげられていったのである。取り調べ録音テープと浜田鑑定は石川さんの無実を明らかにする決定的な証拠である。
だが、検察は、今なお証拠隠しの姿勢を崩してはいない。
この間開示された証拠の中で、遺体を縛っていた手拭いについての捜査書類に改ざんが発見されている。これは確定判決の事実認定を揺るがすものである。弁護団は手拭い関連の全証拠の開示を求めているが、検察は「不見当」としている。袴田事件においても再審開始決定後に「不見当」とされてきた証拠(味噌樽から出てきた衣類のフィルム)が「発見」され、開示されているが、検察の証拠隠しは言語道断だ。
8月3者協議では、裁判所が検察に対して証拠リストの開示を促したとされる。証拠リストの開示から全証拠の開示へ、すべての人々の声を結集しよう。

狭山再審闘争の展望

以上のように、石川一雄さんの無実は明々白々であるにもかかわらず、検察は証拠隠しを続け、裁判所は今なお事実調べを開始しようとしない。このような理不尽をもたらしているものは、結婚や就職において部落民を排除し続け、部落民を犯罪予備軍と見なし続けている差別構造をおいて他にはない。
第3次再審闘争の展望は、日本社会の差別構造とたたかうすべての人々の結集に求められなければならない。言い換えれば、狭山闘争は、日本社会における差別排外主義とのたたかいの一環としてのみ、その展望を見いだすだろう。原発、ヘイトスピーチ、沖縄のたたかいとともに、日本社会の差別構造の極限に位置するたたかいとして、狭山闘争に連帯し、ともに勝利するために全力でたたかいぬこう。
10・31寺尾判決40カ年を反撃の時としよう。

寺尾判決40カ年糾弾 再審闘争勝利 狹山中央集会
 と き:10月26日(日) 午後0時半開場      午後1時開始(終了後デモ予定)
 ところ:日比谷図書文化館 コンベンション     ホール地下1階大ホール      (東京都千代田区日比谷公園内)
 主 催:部落解放同盟全国連合会

狭山事件の再審を求める市民集会
 と き:10月31日(金) 午後1時〜2時半
     (終了後デモ予定)
 ところ:東京・日比谷野外音楽堂
 主 催:狭山事件の再審を求める市民集会実行委員



6面

投稿
『昭和天皇実録』のウソを暴く
私の兄は昭和天皇に殺された  (上)
一読者 (静岡市 78歳)

このテーマについて、当初は敗戦70周年を迎える来年の夏に書くつもりだったが、このたび『昭和天皇実録』(以下、『実録』)が公表されたので、これを機に投稿することにした。
『実録』は官製の「正史」にありがちなゴマすりとウソだらけの代物である。新聞各紙に載っていた“識者”のコメントや座談会も、ほとんど天皇讃美に終始している。「戦争に反対だったが軍部の暴走を押え切れなかった」「戦後は国民と親しく接して復興に尽くされた」とある。昭和天皇のポジティブなイメージを、この『実録』で改めて人びとのアタマに強く刷り込もうという作意が感じられる。
安倍政権下で新たな戦前を迎えようとしている今こそ、装いを凝らして登場の機をうかがう天皇制(イデオロギー)を迎え撃つ戦略が求められている。拙稿は『実録』とそれに呼応する天皇制賛美のキャンペーンに対する、一庶民のささやかな反撃の試みである。

本格的地上戦で初めてアメリカに大敗

私の長兄は1943年1月3日、ガダルカナル島(以下、「ガ島」)で、「戦死」した。
1942年8月7日、1万1000人のアメリカ海兵隊が、南太平洋上ニューギニアから約1000q東のガ島に上陸した。2日前に完成したばかりの日本海軍の飛行場があっというまに奪われてしまった。アメリカにとってこの作戦は、太平洋戦争の主導権を握る第1弾であった。陸軍参謀本部はガ島がどこにあるのかさえ知らなかったが、天皇はこの日の攻撃がアメリカの本格的な反攻の開始であると喝破していた。
大本営は米軍のガ島上陸を単なる偵察で奪回も難しくないと考え、急きょ900人の部隊を派遣したが全滅してしまった。ついで8月末から9月初めに約4700人の部隊を送り込んだ。制空権、制海権を奪われていて大きな損害を受けたが、ようやく上陸して夜襲をかけた。しかし米軍の圧倒的な火力の前に半数近くの兵を失い、飛行場奪回はまたも失敗した。この敗北で、大本営は深刻な空気に包まれた。
10月末に日本軍が3度目の攻撃をかけたとき、米軍のガ島地上勢力は2万人に増えていた。ルーズベルト米大統領は補給可能な全航空兵力をガ島に集中せよと命じていた。日本軍は弾薬や食料が底をついて、第3次攻撃も失敗に終わった。
制空権、制海権を米軍に握られている以上、兵員の輸送も物資の補給も満足にできるはずがない。どうやっても不可能な奪回作戦に無理矢理送り込まれた兵士たちが、すさまじい消耗戦の犠牲になることは、冷静に判断すればわかることである。しかし日本の戦争指導者たちは、そんなことは全く意に介さなかった。
この時期、大本営は戦局全体を見通す力を失って焦っていた。なかでも陸軍は四川作戦(注)に主力をそそぐためガ島を早く片付けたいという思いが強かった。
(注)1942年8月末、大本営は当時蒋介石率いる国民党政府の首都であった四川省の重慶を、武漢と西安の2方面から制圧する大規模な作戦を立て、1943年春に作戦開始を予定していた。しかし天皇が中国戦線よりもガ島の攻略を重視したため、12月に中止を決定した。

軍首脳を督励し陣頭指揮する昭和天皇

それでもなお天皇は再三再四、軍首脳を督励してガ島への兵力投入を命じ続けた。米軍上陸直後と9月15日、11月5日、11月11日の4回にわたり、陸軍参謀総長・杉山元(大将、45年9月自決)に、陸軍機を「早く出せ」と迫っている。10月289日には、「同方面(ガ島)ノ戦局ハ尚多端ナルモノアリ。汝等倍々奮励努力セヨ」という勅語まで発して、志気の高揚をはかっている。勅語を伝達した際、天皇は海軍軍令部総長・永野修身(大将、A級戦犯、裁判中病死)に、「ガダルカナルは彼我両軍力争の地でもあり、速やかに之の奪回に努力する様に」とクギをさしている。
天皇にせっつかれた大本営は11月9日、中将今村均(43年大将に昇進、A級戦犯、10年の禁固刑、56年釈放)を司令官に、ニューギニアとガ島の二つの決戦場を統括する第8方面軍を新設した。天皇は宮中に参内した今村に「南太平洋方面よりする敵の攻撃は、国家の興廃に甚大の関係を有する。速やかに苦戦中の軍を救援し、戦勢を挽回せよ」と命じ、さらに「今村、しっかり頼むぞ」と激励している。
天皇のこうした言動は、南太平洋の戦いが戦争全局のカギを握っていると判断し、陣頭指揮をしてまでガ島を何が何でも奪回したいという強い決意の表われである。

東條が撤退を決意しても天皇は奪回指示

ガ島奪回作戦には船舶が次から次に注ぎ込まれ、そのほとんどが海底に沈められた。民需用船舶の一層の動員を求める軍首脳と、これ以上の動員は不可能と主張する企画院(注)総裁・鈴木貞一(陸軍中将、A級戦犯、終身刑、56年釈放)との間で激しい議論が繰り返された。この問題をめぐって軍内部に亀裂が生じた。しかし鋼材生産をはじめ国力が底をついてしまった現実を前に、12月初めには総理大臣・東條英機(陸軍大将、A級戦犯、死刑)もガ島からの撤退をひそかに決意した。

(注)戦争遂行のため各種の総動員計画と生産力拡大計画の立案を主要業務とする内閣直属の機関。

こうしたなかでも天皇だけはガ島の奪回を主張し続けた。しかし、ガ島の戦いの困難さを毎日の戦況報告で十分知っていたはずである。攻略戦を続ければ民需用の船が足りなくなり、戦時経済が破綻を来すことも分かっていたはずである。撤退するしか途はなかったにもかかわらずである。
12月中旬、第8方面軍司令官の今村が「自分は奪回の大命を受けているので、立場上これをやめるという電報は打てない」と漏らしている。このことは、大日本帝国憲法の下、陸海軍を統帥する大元帥陛下昭和天皇の命令がいかに重いものであったかを物語っている。(つづく)

投書
「人口8千万人」という無自覚
『書評』を書いて学んだこと

『未来』158号に「戦争は格差社会をリセットしない?『皇軍兵士の日常生活』」という書評を書いたところ、読者から批判的な投書が届き160号に掲載された。貴重な意見であり、書評筆者として大変勉強になった。
指摘されている2カ所は、どのように書こうか迷った部分でもあった。1点目の「当時の日本軍と社会研究だから」という部分。本書は侵略、加害の事実にほとんど触れていない。「触れていない」とせずに、「当時の社会研究…だから」とした。著者の意図とは別に、「書評を書いた意識」として批判された。
また2カ所目「安倍とお友だちにも…」(最後の部分)は、蛇足的ジョークのつもり。しかし、じつはそれこそ「普通の人間が、いかにして戦争に向かうのか」という核心である、と指摘された。それは、ちょうど連載されていた「関東大震災時の問題」「日本型排外主義」を読むと、いっそう理解が深まると思った。
このような「批判」が寄せられたことは、書評筆者としては大変嬉しかった。2カ所とも、もっと考えていれば、問題点により接近できたかも知れない。しかし、不十分であったがゆえに投書が届き、内容を深める提起があった。「批判のための批判」ではなく、ともに考えようという援助的批判と受けとめることができた。
あらかじめ「でき上がったもの」を至上化し「一致する」のではなく、世界の変革をめざし相互に批判的な意見を交換し、自らを深めていくことが大切でなのではないか。また、それでなくては物事を主体的に獲得できないのではないか。
批判を読んで考えているうちに、もう一つ重要な間違いに気がついた。「1940年の総人口は約8千万人。(それに対し)大戦末期には、日本軍は人口のほぼ1割に当たる総動員」という項。当時の人口統計を調べ、そのまま「人口約8千万」と書いた。
他方では「一億玉砕、一億一心」、軍歌にも「ああ一億の胸は鳴る」もある。よく言われる「一億」には、実は植民地としての朝鮮・台湾ほかの人々が含まれていたことに、すぐには思いが至らなかった。
「戦後世代」であれ、無自覚な歴史観が私自身に潜んでいる。いま跋扈(ばっこ)する差別の根源も、そこにあることを反省したい。(三木)