未来・第158号


            未来第158号目次(2014年8月21日発行)

 1面  戦争・規制撤廃の国家改造
     「新成長戦略」を批判する

     閣議決定はクーデターだ
     “1000人委員会”が集会開く
     7・31 東京

     辺野古新基地建設阻止闘争
     島ぐるみの闘いへ
     8・14海上ブイの設置強行弾劾

 2面  シリーズ 新成長戦略批判 @
     8時間労働の歴史的転覆
     “働き方改革”がねらうもの(下)

     社会変革めざす運動へ
     関西合同労組、21回大会

 3面  8・6ヒロシマ 平和の夕べ
     「被爆70年にむけ」「忘れない」

     投稿
     全市30キロ圏内の舞鶴
     住民の避難は困難

     裁判なしで不定期に拘禁
     7・27 医療観察法反対集会

 4面  直撃インタビュー(第24弾)
     労働運動から解放運動、反戦へ
     原点となった全電通時代(下)
     藤原 好雄さん

 5面  職務命令捏造で
     戒告処分を強行
     大阪府教委      

     基地を集中させる差別
     仲里利信さん(元沖縄県議会議長)が講演

     (書評)
     戦争は格差社会をリセットしない
     『皇軍兵士の日常生活』

     夏期特別カンパのお願い

 6面  視座
     京都朝鮮学校襲撃事件
     高裁判決は何を示したか
     速見 賢三      

             

戦争・規制撤廃の国家改造
「新成長戦略」を批判する

安倍政権は6月24日、新経済政策の骨格を閣議決定した。ひとつは「経済財政運営と改革の基本方針2014」(骨太の方針)で、いまひとつは「日本再興戦略改訂」(新成長戦略)である。いずれも破綻まぢかのアベノミクスを弥縫し新自由主義攻撃を加速するもので、「岩盤規制」の突破と称して医療・雇用・農業の破壊に全力をあげてくる。集団的自衛権の7・1閣議決定とこの攻撃は「戦争をする国への国家改造」を目指すものだ。
雇用攻撃は6月11日の関係閣僚会議で、「残業代ゼロ」制度の導入を決めた。農業では農協解体へ舵を切った。医療解体は混合診療の拡大から国民皆保険破壊をめざし、税制「改革」では消費税10%と法人税減税をねらっている。まさに富者はますます富み、貧者はますます貧しく、を強権的に遂行するのが安倍政権ということだ。
この政策を政府主導でおこなうのが国家戦略特区である。特区戦略は韓国・中国などで急速な経済成長実現のためおこなわれたが、経済成長が行き詰った日本でも小泉政権の「聖域なき構造改革」として進んできた。特に安倍政権は2013年4月17日の産業競争力会議で日本経済の問題点を取り上げ、その解決策として「世界一ビジネスのしやすい事業環境」のため「特区」を提案し、14年5月1日には6つの国家戦略特区を認定した。それは@東京圏は2020年オリンピックを視野に国際ビジネス拠点を形成、起業・イノベーション、A関西圏は健康・医療分野で、再生医療などの分野で研究開発・事業化、B新潟の大規模農業、C兵庫県養父市の中山間地農業、D福岡の解雇規制緩和による起業促進、E沖縄を国際的観光拠点に、というものである。
これはアベノミクスの「効果」が大企業・都市の一部に限定され、それすら失速の危機の中、「ローカル・アベノミクス」を標榜し、「トリクルダウン」効果を地方に実感させ、急低下した支持率を回復し、経済安定のもと改憲・戦争攻撃を加える基盤とするものだ。
それではこの新成長戦略・特区構想は成功するであろうか。「ドリル」で「既得権=岩盤」を壊し、労働者を無権利にする攻撃には激しい抵抗が始まっている。社会福祉・医療分野の攻撃も、「命に差をつける」攻撃が簡単に進むはずがない。それを破る再生医療の拠点として目論まれた神戸の再生医療・事業化計画は、STAP細胞の捏造疑惑の責任者=笹井芳樹・理化学研究所副センター長の自殺により全面破産した。関西空港を拠点に、中国・アジアの富裕層に高額な医療・再生医療を提供する橋下らとも一体となった構想はその中心部が崩壊した。沖縄では観光業者が「観光の基盤は平和」と、基地にノーを突きつけている。東京圏は福島原発事故が収束しないまま東京五輪に期待するなど、砂上の楼閣だ。新潟や養父の農業特区も、地域の再生と無縁の巨大資本・農業破壊が目に見えてくる。改憲攻撃と新成長戦略の破綻は安倍の支配の根底を崩していく。 (2面に「シリーズ新成長戦略批判」)

閣議決定はクーデターだ
“1000人委員会”が集会開く
7・31 東京


7月31日、「憲法破壊の閣議決定を今すぐ撤回しろ! 戦争をさせない1000人委員会 7・31集会」が東京・全電通ホールで開かれ、500人を超える参加があった(写真)。
冒頭に司会から7月1日の集団的自衛権に関する閣議決定について、「民主主義を汚すかつてない規模の暴挙」「19人の閣僚によるクーデター」と弾劾があり、「本集会で新たな闘いのスタートを切ろう」と呼びかけられた。
講演では、明治大学法学部教授・浦田一郎さんが、今回の閣議決定の詳細な分析とそこに至る歴史的背景を語り、「閣議決定は国会を拘束するものではない、市民運動で今後の動きを作っていこう」とまとめた。
沖縄平和運動センターの福元勇司さんは、沖縄タイムス・琉球新報の30本以上の記事を紹介しながら、沖縄にかけられている攻撃や市民による反撃について報告した。米本土はもちろんのこと日本本土でも住民の反対があれば政府方針が変わる中で、沖縄だけが人権を無視され続けているという差別状況が語られた。大阪での反対運動の記事に触れて、全国で運動を作り上げて欲しいと訴えた。
国会議員や主催者側からのまとめでも、沖縄からの提起は我々に向けられたものであり、世論調査では過半数が閣議決定反対という情勢を背景に、市民社会にとっての最大の脅威である安倍内閣を打倒していく具体的闘いが必要とされた。沖縄知事選への取り組みをはじめとして、全国で闘いを作っていくことが呼びかけられた。

辺野古新基地建設阻止闘争
島ぐるみの闘いへ
8・14 海上ブイの設置強行弾劾

資材搬入のトラックに抗議(8月7日 名護市内)

資材搬入続く

7月29日早朝より海上ボーリング調査のための資材が、キャンプ・シュワブゲートから搬入された。ゲート前に鉄柵が設置され、路上には山型の鉄板が敷き詰められている。ギザギザの鉄板は踏み込むとケガをするくらいの深さで、ゲート前から市民を排除するために設置された。市民の抗議に防衛局は「車の泥除けである」といって、撤去を拒否した。
海上では、台風12号の接近により、27日に設置したばかりの海上浮き桟橋を陸揚げした。那覇軍港に結集していた海上保安庁の巡視船はそれぞれの県に一旦帰った。抗議船も引き上げ、海上での行動を中止したが、ゲート前の抗議行動は30日も引き続き行われた。
31日、8月1日の両日は台風12号のため、資材搬入はなく、抗議行動も中止した。台風明けの2日、資材搬入の10トントラックがシュワブゲート前に現れ、早朝より結集している市民は車の前に立ちはだかり抗議の声を上げた。機動隊と民間ガードマンが市民を排除しようとし、激しく激突する。市民はトラックの出入のたびにくりかえし立ちはだかり、抗議の声を上げるが、防衛局は機動隊を増強し、逮捕をちらつかせ恫喝してくる。
海上では、新たな台風11号の影響で作業は中止になった。

夏休みの子どもらも

3日は日曜日で、資材搬入はなかったが、市民はゲート前にテントを張り、抗議の座り込みを始めた。この日は全国からの支援も多く、夏休み中の子どもらも駆けつけてきた。ある市民は「報道を見て、来たかったが仕事の都合で来れなかった。政府の力ずくのやり方に腹の底からの怒りを感じる。鉄柵と鉄板は市民排除以外のなにものでもない」と怒りに震えていた。中学生は「テレビで見たが実際に来てみて、驚いている」。またある市民は「現状を子どもに見せようと連れてきた。自分も必ずまた来ます」と述べていた。現場を一目見たいと老夫婦が訪れ、涙ぐんでいた。
市民からの差し入れは日増しに増えている。この日は150人以上の人々が集まった。

鉄柵の中にテント

4日、ゲートを封鎖している鉄柵が歩道を占拠しているので、「歩道は市民のものである、歩道を解放しろ」と抗議の声を上げた。この日も100人以上が集まり、資材車の前にたちふさがった。夕方、歩道上の鉄柵に関する調査団が到着し、「歩道は基地のものではない市民のものだ、歩道を解放しろ」と通告して、鉄柵の中の歩道に入った。機動隊は手出しができない。調査団が「歩道を解放したぞ」と叫ぶと、大きな拍手が沸き起こり、「次は鉄柵の撤去だ」との声が続いた。
5日、早朝より市民が結集してくる。いつものようにテントを張り、代表団が鉄柵の中の歩道にもテントを張るが、機動隊は何もできない。「やったぞ」と明るい声。
6日、7日と資材搬入は続くが、市民の抗議で予定が大幅に遅れた。海上作業は台風11号の通過後の予定だ。7月中旬予定のボーリング調査は8月中旬以降にずれた。(※注 14日、防衛局は施工区域を明示するブイの設置を強行)また、辺野古漁港の作業ヤード建設も名護市の許可がとれず、のびている。市民の闘いが作業を遅らせている。牛歩の闘いであるが、沖縄の島ぐるみ闘争は勝利に向かって突き進んでいる。(沖縄 M)

2面

シリーズ 新成長戦略批判 @
8時間労働の歴史的転覆
“働き方改革”がねらうもの(下)

働き方改革 B 限定正社員の普及・拡大

限定正社員はすでにユニクロや日本郵便、金融機関などで導入が始まっている。「職務等を限定した多様な正社員の普及・拡大」である。正規雇用と非正規雇用の間に解雇しやすい低賃金労働者をつくりだそうということである。これを非正規雇用問題の解決の名目でやろうとしているのである。職種や地域、プロジェクトに限定して契約する「正社員」である。また、正規雇用労働者を大量にこちらに誘導しようとしている。雇用契約の際に「明示」をうながし、「雇用管理上の留意点(導入モデル)」(2014年7月作成)を示すので、それを使って「普及・拡大」せよと呼びかけるとしている。
 以上見てきたように安倍の新成長戦略で打ち出された「働き方改革」とは、従来の労働法から除外規定や廃止項目が次々とつくりだされていくという「風景」が見えてくる。(今回省略した「労働者派遣法改正」の狙いについては、本紙147号、149号を参照)
 これは単純な「規制緩和」などではない。戦後労働運動によってかちとられてきた「労働と生活のあり方」の原理的転換であり、200年間にわたる闘いの成果である「労働者保護」の歴史的転覆ということである。

アベノミクスは一過性

新成長戦略は「10年で実質平均2%程度の成長を」持続し、「アベノミクス効果の地方波及―ローカルアベノミクス(2013〜2022年度 基本的考え方)をめざすという。各項目ごとに「中短期の工程表」をつけているなかに、その並々ならぬ意気込みがみてとれる。
 官邸のコメントでそのねらいが正直に語られている。
 「始まりつつある経済の好循環を一過性のものに終わらせず、持続的な成長軌道につなげる」「昨年の成長戦略で残された課題としていた、労働市場改革、農業の生産性拡大、医療・介護分野の成長産業化等の分野にフォーカスして、解決の方向性を提示」(官邸HP6月24日)。
 要するに、アベノミクス株価浮揚での「見せかけ景気」の正体が見抜かれないうちに、グローバル大企業向け政策を次々と打ち出して、株価の維持を図ろうということだ。安倍は「改革に終わりはない」と述べて永久改革宣言をおこなったが、それはジレンマに満ちた破綻的政策と言わざるを得ない。
 「成長」の崩壊を政治的経済的な「戦後レジーム」問題としてうちだし、3つの矢という名の「日本再興戦略」をうちだしたが、いまやその破綻を突きつけられている。「景気回復を日本の隅々に実感」(施政方針演説)と「トリクルダウン効果」を訴えたが、いつまでたってもその「実感」が生み出されることはない。結局、低賃金と格差拡大が景気の足をひっぱるという構造を変えることなどできないのだ。安倍は、連合の集計を使って「15年ぶりの「賃上げ2・07%」(昨年は1・71%、大企業2・12%、中小企業1・76%)を成果として強調する。しかしその実態は、物価上昇率が消費増税もあって前年同月比3・4%(5月の消費者物価指数)。勤労世帯の実収入はマイナス4・6%(前年同月比)と8カ月連続でマイナス。「1年前よりも暮しのゆとりがなくなってきた」と答えた人は43・7%と、13年3月以来の最高となった(日銀アンケート調査)。
 7月に入りメディア各社が実施した世論調査で、安倍政権の支持率が軒並み過去最低を記録するなど右肩下がりとなっている中、必死に打ち出したのが今回の新成長戦略である。その中に、「年来の課題」を強い抵抗を覚悟の上で一挙に盛り込んだのである。まさに絶望的突進といっていい。

労働者階級の対抗戦略

ゼネストの対置を

この新成長戦略がそのまま進むわけではない。戦後労働法制を総破壊するこれほどの攻撃を許すほど、戦後70年の労働者と民衆の闘いは甘いものではない。戦後労働法は単に上から与えられたものではない。それを実効あるものにするために労働者が自らの血を流して闘いとってきた権利である。「使用者概念の拡大」や整理解雇法理や破産法を突破した全金港合同の闘いなど、数え上げれば枚挙に暇がない。これが「世界で一番解雇しにくい国=日本」としてグローバル資本の前にたちはだかっているのである。
 これをいま破壊しにかかっているのである。たしかに日本の労働運動は85年以来の労働法制の改悪をゆるし、その権利を奪われてきた。しかし今回の労働法制の改革はこれまでとは次元を画する攻撃である。それは労働者に「無権利状態」を受け入れさせるというものである。これに対置させられるべきは、全労働者によるゼネラルストライキ以外にない。まさに民衆の側から革命権を発動すべき事態なのである。そのことを明らかにするためにさらに次の点を指摘したい。

企業のための国家

一つはこのような攻撃と一体で「過労死防止法案」が全会一致で先の国会で成立したことである。そしてもう一つは昨年末国会で成立した国家戦略特区法の第37条である。
 過労死法案は「過労死防止を国家の義務」と明記しながら、行政・財政上、立法上の措置は定められず、罰則ももちろん定めなかった。主眼が「調査・研究」で、企業については「協力努力」だけなのである。殺人を犯す国(と企業)に罰を与えなかったのだ。
 また国家戦略特区法第37条は「個別労働関係紛争の未然防止等のための事業主に対する援助」として、「国は、労使紛争を未然防止して、産業競争力の強化を図るために、特区内で事業主に対して援助する」という。これほど露骨な企業援助法はほかにない。「国家が資本を援助して労使紛争を未然に防止する」というのである。まさに企業=国家の宣言だ。
 安倍独裁政権のもとで、このような法案が国会を次々と通過している。過労死防止法案の成立のために55万筆をこえる署名が集められた。しかし実際に成立した法律は、「紛争予防」の観点に立つ国家が、必死の思いで署名を集めた家族の方々を足蹴にするものであった。7月24日、都内でおこなわれた経団連フォーラムで榊原定征(東レ会長)が「政治と経済が二人三脚で手を携える正念場」と発言すると、安倍は「官民一体で世界の真ん中で輝く日本」と応えた。1%のための日本国宣言である。

資本主義に代わる社会

支持率40%台の安倍政権(得票率では20%台)に蹂躙され、無法が大手を振ってまかり通る国会。もはやあらゆる意味で資本や国家に「ルール」を期待する「お願い・お任せ民主主義」(代議制)ではだめだということである。議会の外で渦巻く労働者民衆の力と行動によって独裁政権を打倒する〈民主主義〉の闘争が登場すべきときである。それは〈福井判決〉であり、滋賀の反乱(アベノミクスへの地方の反乱)であり、そして沖縄で、福島で、官邸前で民衆が示す闘いである。こうした観点から労働運動を見つめ直す必要があるのではないだろうか。
 敵の総攻撃の内の一つ一つを取り上げて、一対一で論点を対置したり、暴露・批判に終始するだけでは闘いの展望を切りひらくことはできない。新成長戦略に対する民衆の対抗戦略とは、新自由主義的グローバリゼーションにかわる政治・経済・社会そして労働のありかた(オルタナティブ)を示すことである。それは社会変革を掲げて、安倍独裁に対する根底的な反撃を組織することではないだろうか。
 そのスローガンは、「グローバル資本の競争論理の成長戦略ではなく、被災地、地域社会に人間の生きる協同の社会を」であり、「成長」を追い求める「資本主義」の論理から解放された時空間建設へ「対話と協同」を拡大していくことではないだろうか。
 それは労働運動の〈再生〉の闘いと同時一体的なものである。階級支配を打ち砕く「陣地戦」(グラムシ)の開始である。共同を進め、総反撃を組織しよう。(この点については論をかえて提起したい)
 7月から始まった「労政審」は審議会とは程遠い、6・24閣議決定の押しつけと追認の場になる。廃案となった「労働者派遣法改正」も国会に出てくることは必至である。これとの闘いがまず緒戦となる。総選挙も予想される。「労働法制破壊許すな! 安倍独裁倒せ!」の闘いを早急に構築しよう。(おわり)(森川数馬)

社会変革めざす運動へ
関西合同労組、21回大会

7月13日、西宮市勤労会館で関西合同労働組合第21回定期大会が開催された。1995年の阪神淡路大震災に神戸長田のがれきの中から組合を立ち上げて20年目の大会で、70人が参加(写真)。
冒頭、全日建連帯労組関西地区生コン支部執行委員の西山直洋さん、全国金属機械労組港合同委員長の中村吉政さんなどから連帯のあいさつを受けた。また、元大阪府労働委員会労働者委員の要宏輝さんのメッセージが読み上げられた。
大阪労働者弁護団の永嶋靖久弁護士が「労働分野における『戦後レジームからの脱却』とは何か」と題して講演。「戦略特区」をつかって全国一律の労働法規制を破壊しようとしていることを明らかにした。
総括では、40人近い組織拡大は運輸労働者や介護労働者など矛盾の集中する労働者が助けを求めて結集していること、「駆け込み寺」「回転ドア」型から維持・継続型の複数分会へ移行の傾向があり、〈企業内での闘い〉と同時に、業界全体を変えていく同業種・同職種の仲間が企業の壁を越えて、(運輸労働者を手始めに)事業主をも巻き込んだ闘いにチャレンジしていきたいと提起。
さらに労働組合がさまざまな社会運動・市民運動とつながり、人権擁護の闘いの先頭に立ち、反戦平和の闘いの先頭に立って、社会の変革のためになくてはならぬ社会的労働運動として闘うことが訴えられた。
取り巻く情勢では、20代の4人に1人が自分の会社を「ダーティ企業」と感じており、闘いに立ち上がりつつある99%の手で、新たな社会を作り出す必要があると強調された。
「残業代ゼロ」は「年収1000万以上」というが、アメリカでは2万3千ドル(240万円)以上とされ、労働人口の88%に及び、大問題となっていると報告された。
また、方針では、安倍独裁政権と全力で立ち向かい、社会的労働運動の闘う方針が鮮明に提起された。新たな20年に向けてスタートを切るに相応しい大会となった。(兵庫 K)

3面

8・6ヒロシマ 平和の夕べ
「被爆70年にむけ」「忘れない」


6日、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」が広島YMCA・国際文化ホールで開催された(写真)
苦難の69年を歩んで来た被爆者の方たち。無念のまま多くの方たちが次々と亡くなりつつある中、被爆者の方たちの核廃絶の思いを踏みにじるばかりか、集団的自衛権の行使を認める閣議決定の強行。「戦争への道を着々と歩んでいる今の日本を今日一日しっかり考え、今後の行動につながる充実した会にしたい」、と河野美代子さんのあいさつで始まった。
最初は三浦裕美さんによる被爆ピアノの演奏。「来年被爆から70年。この被爆の記憶をどのように伝えていくか。そういうことがこれから大きな問題になってくる……忘れない、思い続ける。そういったことが本当に大切なこと」という思いを込めたピアノ演奏が静かに響いた。この「忘れない」という言葉が今回のキーワードとなってくり返された。なお、この被爆ピアノは来年1月、被爆70年「平和の夕べ」のプレ企画として沖縄から全国へ演奏が始まる。

落合恵子さん

次の世代に残すもの

次は落合恵子さんのメイン講演。敗戦の年に生まれた自身の生い立ちから始まり、ヒロシマとの関わりにとって大きかった栗原貞子さんの「生ましめんかな」との出会い。ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」やジョンレノン「イマジン」、マーチン・ルーサー・キングやその他様々に影響を受け、学んだ言葉や考え方を自分のもの、自分の思想にして落合さんは語る。
「『戦争前夜』としか言えないような時代の幕開け、私たちは一体どこに向かったらいいのか」「この秋の福島と沖縄知事選。福島と沖縄はとてもよく似ています。誰かの安全と誰かの利益のためにときに捨てられる地域でもあるという悲しい現実があります。そういったことを考えるとこの二つの知事選で何とか答えを出したい」
「私たちはそんなにたくさんのものを持っているわけではありません。たくさんのものを次の世代に残せるわけではありません。だったらこの一つだけは残していきましょう。命より大事なものはこの世にはない」「そして全てのそれぞれの子どもが、100%自分を生ききることができるような社会と環境を」

朴南珠(パク・ナムジュ)さん

未来の子どもへの手紙

つづいて、福島から「ガールズライフラボ(女子の暮らしの研究所)」の日塔マキさん、在日韓国人被爆者の朴南珠さん、『原発は滅びゆく恐竜である』を発刊した水戸喜世子さんと、3人のリレートーク。
日塔さんは、福島で3年目を迎える仲間が未来の子どもに宛てた手紙を紹介した。「福島に残ることで産まれてくるあなたたちに何かあったらと思うと少しこわい。でもきっと今福島のことを伝えることは未来の社会を考えることにつながると思う。あなたたちが素敵だと思える社会になるよう」と綴られていた。
朴さんは、電車内で被爆した時の体験を話した。そのすさまじさゆえ「被爆者は絶対に自分のことを話したくない。思い出したくないんです。家族にも話せない」。しかし朴さんはあるきっかけで2003年から被爆体験を話してきた。記憶は年々薄れてくるが、しかし時間がたつほど、いろんな状況がわかるほど本当に許せないという気持ちが強くなっていると語った。

「滅びゆく恐竜」

『原発は滅びゆく恐竜である』は、今は亡き水戸巌さんが講演したり、書き残したものを集めたものである。なぜ今この本を出版したのか。水戸喜世子さんが、巌さんとはどんな人だったのかということで答えた。
今では多くの人にとって常識となっている、原爆と原発が同じものであるということが、40数年前はまだそうではなかった。その時代に反原発を必死で訴えていたのが巌さんだった。もちろん反原発を唱える専門家は他にもいて、現在メディアがその系譜のようなものを報道することもあるが、しかしそこに水戸巌さんの名は一切出てこない。なぜなのか。歴史はそうやってつくられるんだなという思いが喜世子さんにはある。
巌さんは、原発をとめるためには、立地の人たちと膝つき合わせて話しあう以外ない、現地の人たちに停めないといけないと思ってもらう以外に停めることはできないと、現地に入ることを最も重視した。東京湾の漁師と話し合い、また、六ヶ所、女川とすべて手弁当で現地に通った。ここまでこだわって「現地に行ってる専門家は、おそらく水戸をおいて他にいないと思います」。国、権力はこうした地を這うような活動をこそ恐れたのでないか。
最後に河野さんが、来年の被ばく70周年でもまた会いましょうと締めくくった。(N)

投稿
全市30キロ圏内の舞鶴
住民の避難は困難


8月2日、京都府舞鶴市の中総合会館コミュニティセンターで「舞鶴で生きていく? ―福島の現実をもとに若狭の原発を考える集いin舞鶴」が福福ネットの主催でおこなわれた(写真)
舞鶴は再稼働が狙われている高浜原発に隣接し、30キロ圏の避難区域に市域全域がすっぽり入る。そこには8万7000人の舞鶴市民が暮らしている。そして、万一原発大事故が起きれば、生活が破壊され、人が立ち入ることもできなくなる。にもかかわらず、関西電力は舞鶴市を当事者として認めることを拒否し、要望を聞くこともせず、被害だけを強制しようとしている。

避難の困難さ

当日は、170人ほどの方が参加し盛況であった。開場前から続々と舞鶴市民が集まってきた。参加者には女性の姿が目立ち、原発に対する不安の中で日々を暮らし、そしてなんらかの方向性を見つけたいという思いをひしひしと感じた。
集会は、1部「福島が教えたこと」と題して、福島県南相馬市から滋賀県大津市に避難している青田恵子さん、同じく、浪江町出身で南相馬市から京都府綾部市に避難している井上美和子さんが発言した。青田さん、井上さんはそれぞれ、自分の経験してきたことから、事故に際して避難などとうていできない現実を語った。
作家の広瀬隆さんは、地震動の加速度について、1260ガル超で原発は制御不能に陥り、メルトダウンすることは電力会社も認めているが、現実に岩手宮城内陸地震においては4022ガルを記録。しかも直下型地震であった。直下型地震の下からの突き上げに対して、原発は一瞬にして崩壊する。また「250キロ圏が危険」「人格権」などを認めた福井地裁の5・21判決が意義深い判決であり、誰もこの判決を否定できないものであると語った。
避難についても、若狭では「前門の海、後門の山」と避難道路が、国道27号線と14年7月開通した舞鶴若狭自動車道(片側1車線)しかなく、自動車事故やガス欠が起これば全面不通になる。また雪や凍結などでも通行止めが起こり、避難などできない。「安倍晋三、関西電力社長・八木誠、規制委員会・田中俊一は原発稼働中は家族全員とここに住め。そうでない限り住民は再稼働を認めるな」と語った。
2部は「舞鶴は原発とどう向き合うか」と題して、反原発運動を長く展開し今もその最先頭でたたかっている小浜市民の会・中嶌哲演さんのお話とフリートークがおこなわれ、活発な質問・意見が交わされた。
川内原発が、この秋にも再稼働が狙われている。それに続いて、関西電力・高浜原発の再稼働といわれている。

電力消費地の責任

ここに来て、川内原発の「工事計画認可の補正申請書」の提出が遅れることを九州電力が発表。年内に再稼働は無理といわれ、高浜原発でも審査書類の計算が間違っていたことが判明。計算のやり直しが必要になり、今年度中の再稼働は無理という情報が流れている。 いずれにしてもわれわれにとって時間を得たことになる。消費地における大きな再稼働反対のたたかいを作り出そう。それと一体で若狭での再稼働反対のたたかいを作り出していこう。(大阪 O)

裁判なしで不定期に拘禁
7・27 医療観察法反対集会

「7・27『心神喪失』等医療観察法廃止全国集会」が東京で開かれ、80人が参加した。「観察法」は2001年に起きた「附属池田小事件」を口実に作られた。傷害・殺人・放火などの事件を起こした(傷害以外は未遂を含む)と推測されて精神障がいがあると推定された人を、まともな裁判を受ける権利も保障せずに不定期に拘禁する悪法だ。 治療効果も不確実なまま専門施設に長期間収容、または監視下に置くもので、すでに36人の自殺者を出している。入院の期限が不定期で、しかも長引くことが本人の病状を悪化させていることが報告された。
基調講演を社会学者の井上芳保さんが「『精神医療』を脱制度化した社会の構想―精神科病院をなくしたイタリアの実例から考える」という演題でおこなった。精神医療に対する批判的観点からイタリアの医療実践を報告するものだった。イタリアでは1978年にできた法律で巨大精神科専門病院を全廃し、総合病院内の精神科と小規模な地域の施設以外は入院施設は存在しない。日本の状況と比較してその先進性が高く評価されているが、一方で、本人の努力に解決を求める「医学モデル」なのではないかという批判もある。
ジュネーブでおこなわれた国連人権委員会について報告があった。日本政府に対する勧告で評価すべきこともあるが、一方で強制入院制度そのものは認めているという反動的なものだ。それでも日本の長期入院は不当であるとして、精神障がい者が地域で暮らすための社会資源を整備するように日本政府に勧告した。
精神障がい者差別に屈し、差別立法を許してしまった全ての労働者民衆の責任で、一刻も早く観察法を廃止しなければならない。

4面

直撃インタビュー(第24弾)
労働運動から解放運動、反戦へ
原点となった全電通時代(下)
藤原 好雄さん

藤原好雄さんはながく労働運動にかかわり、奈良市会議員を6期つとめた。82歳になる今も闘志を燃やし続ける藤原さんの原点を形成した全電通時代。安保闘争や創成期の戦後部落解放運動とのかかわり。自衛隊員の家族とのふれあいなどをうかがった。(見出し・文責は編集委員会)

―労働組合運動について聞かせてください

 1951年3月に高校を卒業して、電気通信省(1952年に日本電信電話公社に移行)近畿電気通信局資材部の奈良工作工場に入ります。会社に入った年の4月、まだ本採用にならないうちに、労働組合の青年対策部の副部長になったわけです。1953年には、分会の執行委員になります。「職場に入れば労働組合運動をしろ」と、高校の先生がよく言っていました。いちばん忠実に実践したことを、今でも誇りに思っています。
1952年、全電通労組に名称変更するのですが、7月に奈良で全国大会がありました。その時に、奈良県支部からは「RRセンター反対」を訴えました。この年の5月、奈良市の平城京跡の真ん中に、米軍のRRセンター(レスト・アンド・リクレーションセンター)というのが作られました。朝鮮戦争で戦った兵隊の「休憩所」でした。赤線地域(注1)ができていたのです。地元として、これに反対をアピールしました。今では、当時の状況を知っている人も少なくなりました。1953年8月、RRセンターは神戸に移転し、その跡に米海兵隊が入ってきます。

―安保闘争の頃はどうでしたか

1957年頃から、奈良工作工場の廃止問題が起きてきます。この合理化攻撃に反対する職場闘争と一体的に、安保反対の闘いをやっていきます。1958年には、安保反対の自転車行動隊が奈良地域を3コースに分かれて、3日ほどかけて行進しています。これが勤評反対と警職法反対の闘いへとつながっていくのです。
奈良工作工場の分会は77人余りでしたが、組合執行部のほかに「安保阻止の会」と「炭労を守る会」を作って、安保闘争と三井三池闘争を取り組んでいくわけです。組合員の半分くらいは、このどこかに所属して、活動していました。
奈良女子大の学生が昼休みになれば、毎日のようにオルグにきました。「安保阻止の会」のメンバーはそこで安保について勉強して、こんどは他の職場にオルグに行くわけです。当時、国鉄奈良駅周辺には小さな織物工場がたくさんありました。組合は全繊同盟に入っていました。私どもの組合は総評でしたが、そんなの関係なしに、あらゆる職場に入っていったのです。私どもは安保について難しい事はわからないのですが、「ともかく日米安保は絶対に反対や」と言って、話をするのです。1回でだめなら、2回、3回といくのです。そのうちに心やすくなり、話を聞いてくれるようになりました。手ごたえがありました。このようにして、地域で安保反対の運動を盛り上げたうえで、東京に行ったわけです。

―1960年12月に奈良工作工場は廃止になります

職場の全員が配置転換になります。私の場合は、たまたま、三条通りにある奈良電報電話局の電力課の係長からお呼びがかかり、そこに異動することになりました。電力課は出世のできない部署として有名だったのですが、そのかわり労働運動はやりたい放題でした。電気の通っているところは私の仕事の範囲ですから、すべての部署にオルグにいけるのです。
当時、奈良電報電話局には電話交換手の女性労働者が多くて、700人くらいの組合員のうち約半数は女性でした。移ってすぐに、私は分会の書記長になりました。私が移った頃は、あまり動員のきかない職場でした。私が奈良県一の分会にすると決意を述べたら、組合員は「藤原さん、そんなの無理に決まっているで」といって笑っていました。
夜勤明けの女性をつかまえては、朝からオルグをするのです。いちばん力を入れたのは、生理休暇をとる運動です。生理休暇をしっかり取るところは、職場は強いのです。
2年もしたら、支部で150人動員のところ、180人も参加するという分会に変わりました。ある人は「藤原さんと一緒にデモにいったらおもしろいから、年休をとってきました」と言って、笑っていました。現場の闘いが重要だと思います。

―部落解放運動とのかかわりは

部落解放運動は、耳で聞いて知りました。小学校の先輩が県庁に勤めていました。その人が「県庁に研究所ができたんや。俺は仕事でそこに配属になった。藤原君よ、これからは行政闘争や。これからの運動は行政に対して要求を出していく方向性になる」と言っていました。1950年の12月に、奈良県同和問題研究所ができています。1951年に「オールロマンス闘争」(注2)がおきていますから、その頃だと思います。
1957年10月に部落解放同盟奈良県連合会ができます。その少し前です。私は働きながら、近畿大学の夜間に通っていました。私が田原本町の家に帰る途中、川口さん(現・奈良県連委員長)と中企連の河井さんに近鉄西大寺駅でしょっちゅう会いました。帰る方向が同じですから。いつも2人でいました。奈良市で用事があって、御所まで帰るのでしょう。夜10時頃でした。御所に着けばおそらく最終電車ではないですか。組織づくりで動きまわっていたのだと思います。
具体的に部落解放運動にかかわったのは、1962〜3年の頃、川口さんが御所市で支部づくりを一人でやっていたときです。総評から「手伝いに行け」と言われまして、私は1週間くらい手伝いにいきました。御所の各部落を宣伝車でまわって、集会の案内をするのです。村の中では川口さんがしゃべりましたが、それ以外は私もしゃべりました。その頃は、村の中の寺で集会をやったのです。こういう事があったから、川口さんとは心やすいのです。
いつ頃でしたか、八木一男さん(社会党衆議院議員)の選挙のときでした。選挙運動で、吉野町に1週間ぐらい入りました。責任者は奈良県連の委員長をしていた米田富さんでした。残りのメンバーは労組青年部の活動家でしたね。私は全電通労組代表でいきました。そのとき、米田さんといっしょに風呂に入ったのです。「水国闘争」(注3)のときに右翼の国粋会の連中に刀で切られた傷跡やということで、背中を見せてもらいました。たいへんな苦労をして、命がけで闘ってきたんだなあ、と思いました。

―安倍首相が解釈改憲を強行しました

「集団的自衛権の解釈は政府が判断する」と安倍首相は言っています。武力行使の拡大がますます鮮明になっています。政府(首相)は何でもやりたいほうだいです。これでは、立憲主義という、政府を拘束するものがなくなってしまいます。大変な時代になりました。
安倍首相は、外国で言っている事と国内で言う事が違います。外国では、「積極的平和主義の立場から、国連の集団的安全保障に参加する」と本音を言います。一方、国内では「限定的に」「海外派兵できないのは今までと同じ」「日本国憲法が掲げる平和主義はこれからも守り抜いていく」とか、建前ばかりを言っています。国民に対して、明らかにウソをついています。
「石油の輸入ルートや日本の権益を守るためにシーレーンを防衛する」と安倍は言っています。イラク戦争のような事が起きた場合に、こんどは国連の多国籍軍に参加したいのでしょう。これをやれば、もう侵略戦争にまっしぐらです。これに対抗できる新たな運動を作っていかなければなりません。

―戦争の矢面に立つのは現場の自衛隊員です

一番心配しているのは、自衛隊員の家族、奥さんやお母さんではないでしょうか。家族にとっては、海外に行かざるをえないにしても、少しでも安全に、怪我しないようにと思っていますから。最初に死ぬのは自衛隊員です。安倍にしてみたら、自衛隊から戦死者が出てもらいたいのでしょう。家族の思いとは対立します。
昔、私が奈良市の市会議員選挙をしていた時です。自衛隊の家族が私を宿舎に呼んでくれましてね。「藤原さんみたいに、戦争反対、自衛隊反対といってくれる人がいるから、うちの主人の命が守られているのです。行け行けバンザイ、何処にでも行けという事になったら、自衛隊員の命はどうなりますか。だから、藤原さんを応援します」と、言っていました。

―2003〜4年ころ、イラク派兵反対の時もそういうことがありました

伊丹の第3師団の自衛隊宿舎では、家族が窓から顔を出して、手をたたいて応援してくれました。まさか家族が支援してくれるとは思っていなかったので、びっくりしました。
その時です。全電通の先輩で、近畿地方本部の委員長をやっていた元大阪府会議員の大台さんが亡くなる前に、私のところに電話をかけてきてくれました。「藤原くんよ。君は、今も戦争反対でがんばっているみたいやなあ。伊丹の自衛隊基地に来て、海外派兵に反対しているみたいやのう」「どんなことがあっても、戦争だけは絶対にやったらあかん」「私の命もあと1カ月もつかどうかや。がんばってくれよ」と言ってくれました。
大台さんは、戦争中には満洲に行って国際電電の仕事をしていました。この国際電電は戦後のKDD(国際電信電話株式会社)とは違います。朝鮮、満洲侵略のために、国策会社として作られた会社です。大台さんは仕事のために送り込まれたのです。朝鮮、中国人民からすれば、侵略者であったわけです。戦後になって、苦労して帰ってこられたそうです。それで、戦争の悲惨さは、よくわかっていたのです。「わしの読んだ有事立法の本は君に託しておくから」と言われ、一週間ほどしたら本が届きました。
私は大台さんの遺言を受けとめていますから、勝手にやめるわけにはいきません。これからも遺志を受け継いで、戦争反対を貫いていきたいですね。ますます忙しくなって、死んでいる暇はありません。(おわり)

(注1)1958年まで、遊郭などの風俗営業が認められた地域 
(注2)被差別部落の悲惨さを興味本位に取り上げた差別小説に対する糾弾闘争 
(注3)1923年3月、奈良県の水平社と国粋会とが衝突した事件

5面

職務命令捏造で
戒告処分を強行
大阪府教委


8月1日、「これで処分?! 私は許さない」集会が大阪市内でひらかれ、150人が参加した(写真)。主催は、「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク。
はじめに主催者を代表して、黒田伊彦さんが、「職務命令なき職務命令違反として処分された府立高校教員・井前弘幸さんの、提訴前の一大決起集会として今日の集会がある。来たるべき闘いの指針として成功させよう」と提起した。
続いて「君が代」不起立処分撤回弁護団を代表して永嶋靖久弁護士が発言。「安倍は第一次内閣の時に教育基本法を変え、第2次内閣で秘密保護法を作り、この7月には集団的自衛権の行使容認に踏み切った。次に共謀罪が来ている。今年12月に秘密保護法が動き出すので、戦争に入ることも、自衛隊が何をしているかも秘密にできる。安倍たちは今すぐ戦争をしたがっている。『日の丸・君が代』は戦争の問題だ。」
この4カ月間、処分攻撃と闘ってきた井前さんは、「中原・大阪府教育長の全校長に対する八千字に及ぶ訓示の中で、府立学校の教育方針について語るのに、子どもや保護者が全く登場しない。不行き届きな教育者たちをどうするのか、大阪のトップクラスの生徒をどう教育していくかのみ。権力者橋下の下、反旗を翻す者に職務命令と処分を使って言うことを聞かせてきた。だが世論の風向きも変わった。教育者も声を出し始めた。世論をどれだけ恐れているかよくわかる。事実を洗いざらい明らかにしていく」と発言。
集会の最後に「府教委は井前さんの処分を撤回せよ! 『日の丸・君が代』強制・処分攻撃をやめよ」の決議を採択した。(大阪 S)

基地を集中させる差別
仲里利信さん(元沖縄県議会議長)が講演

6月13日、関西・沖縄戦を考える会の第3回総会が開かれ、仲里利信さんの記念講演がおこなわれた。仲里さんは自民党沖縄県連顧問で、沖縄県議会議長も務めた保守本流の人である。しかし、2007年9月の10万人が参加した「教科書検定意見撤回を求める県民大会」では大会実行委員長となり、2014年1月の名護市長選挙では自民党を離れて辺野古新基地建設反対を掲げる稲嶺進候補を応援した。
講演のタイトルは「私の沖縄戦体験と新たな島ぐるみ闘争へ」。仲里さんは幼少の頃の沖縄戦の体験から語りはじめた。「戦争が始まる前は戦争なんか怖くないと思っていたが、いざ戦争のまっただ中で悲惨な体験をしたことで、戦争は絶対にしてはならないと体に刻み込まれた」「二度と戦争は絶対にしてはならない。戦争になると人が人でなくなる」。沖縄戦の生の具体的体験談には実感がこもる。また沖縄戦における集団強制死(いわゆる集団「自決」)の軍命をなかったかのように教科書の記述を書き換えることに対して「戦争の実態を歪曲するようなことを絶対に許すわけにはいかない」と語った。
つづいて名護市長選で、自民党を離れ稲嶺候補を単独で応援するにいたった経緯を話した。これまで現自民党沖縄県連会長の西銘恒三郎衆院議員の後援会代表をしてきたが、西銘が普天間基地の県内移設を容認するようになったので辞めたという。仲里さんは仲井真知事の言動がウソ八百であることを具体的に暴き、辺野古新基地建設や南西諸島防衛の問題点や振興策のペテン性などに言及し、日本政府の沖縄政策を批判した。そして「安倍内閣は戦争内閣で危険だ。決して許してはならない」と警鐘乱打した。
最後に11月の知事選に向けた“オール沖縄”の意義と展望を話した。「教科書問題で10万人が参加した県民大会に続き、オスプレイ配備撤回と普天間基地の閉鎖・県内移設断念を求めて沖縄の41市町村すべての首長・議会議長らが署名した“建白書”は全沖縄の総意をはっきりと示した」「沖縄の人びとが人として生きることすら拒まれる基本的権利の侵害と、経済的・社会的・文化的発展の自由を否定する構造的沖縄差別に対して、私たちの生活と命、土地・海・空を守る権利がある。沖縄のことは沖縄の人びとが決める権利がある。日本政府に対して、基地を集中させる沖縄への差別と権利侵害を解消していくよう求めていく」
「11月の知事選挙は、“オール沖縄”対沖縄を差別する日本政府とそれに隷属する一部の人たちとの闘いである。再び沖縄戦を許すのか否かをかけた歴史的な闘いだ。良心的な本土の方々のご支援も是非お願いしたい」
仲里さんのよびかけに応えて、オール沖縄の闘いに連帯していきたい。(島袋純二)

(書評)
戦争は格差社会をリセットしない
『皇軍兵士の日常生活』

戦後69年、被爆69年の夏。以前に地方紙の読書欄で知り、読んだ。徴兵と旧日本軍を検証する今日的意味はどこにあるのか、と思っているうちに安倍政権の暴走。武器輸出解禁、集団的自衛権が容認され、海外で他国の軍隊とともに戦闘に参加する「国防軍」が現実になりつつある。
世界ではまだ数10カ国が徴兵制を実施している。ロシア、韓国などが徴兵、米英日仏は「志願」制。中国は併用、ほぼ志願で構成しているようだ。アメリカは大学進学や奨学金、グリーンカード(永住権ビザ)取得などで貧困層を軍隊に吸収、戦争を遂行している。日本も格差社会が拡がり、自衛隊が「人気」就職先になって久しい。
本書は、日中戦争〜太平洋戦争、つまり帝国日本が泥沼の侵略戦争から帝国主義総力戦に突入した「15年戦争」過程を、徴兵制の視点から資料蒐集し詳述したものである。旧日本軍と当時の社会研究であり、「侵略、加害」問題はごく一部しか言及していない。
著者は〔はじめに〕で、「貧困が続くなら、戦争が起こってみんな不幸になれば自分たちも浮かぶ瀬もあるかもしれない」という『丸山眞男をひっぱたきたい。31歳フリーター。希望は戦争。』(赤木智弘『論座』2007年1月号)を引用。「それは赤木の“戦略”であり、戦争待望論ではないが」としながらも、「戦争や徴兵が社会を『平等化』させるように思われている節はないか。杞憂であればそれにこしたことはない」と書く。
本文各章で「戦時下の日本社会に徴兵制がもたらした民衆間の著しい不平等、不公平」を詳細に実証する。1937年、陸軍の総兵力は現役33万6千人、召集兵59万4千人。太平洋戦争末期には現役224万4千人、召集350万6千人まで膨れ上がる(1940年の総人口は約8千万人、ほぼ1割に当たる総動員)。末期には徴兵検査を19歳に引き下げ、40歳近い者まで召集した。
不公平、不平等は多岐にわたる。学生や熟練工の猶予、免除は大戦末期まであった。「赤紙が届く、わずかの差」について、松本清張は『遠い接近』の主人公に次のように言わせている。「仕事に追われ、町内の軍事教練へあまり参加できなかった。それを町内ボス、役所の兵事係にハンドウ(反動=嫌がらせ)を回された」。
金銭をめぐる不公平。家族は働き手である一家の柱をとられる。大企業の社員や官吏は留守中、全額あるいは6割程度の給与を補償される者がいる反面、正社員でない従業員、職工は額、期間等で差別された。中小企業は出さない会社が多い。もちろん、自営業や農民にはない。これらは軍隊内、戦地で微妙な分断と羨望、怨嗟、規律士気の低下をもたらした。貧困層には軍事扶助法による給付があったが、世間体をはばかって申し出ず銃後の留守家庭は貧窮にあえぐ。中間層は扶助法に当たらず、この層も困窮した。「お国のために」と歓呼に送られ、「決死の奉公」をしている者の留守家庭が暮らしに貧する、という皮肉な事態。大岡昇平も「近い将来(召集され)死なねばならぬと覚悟。待遇はよくないが、入社当日に召集されても家族に本俸を払う会社を選んだ」(短編『出征』)と書いている。
当初、政府の「(戦争)不拡大方針」を受け留守社員を処遇していた経営者団体と、軍部の軋轢も生じた。「いつまで続くのか。納品する軍需品に出征者の給与負担コストを上乗せしたい」という資本・経営者側、軍部の協議会まで開かれる。どちらも「愛国、奉公」という建前があるから、責任の押しつけ合い。生きて帰還した社員の給与、処遇はどうするか。同期に入社し「内地」で安穏としていた者が昇進し、戦地で死線をくぐっていた者はポストがなく冷遇される…。自営や就業前の入隊者は、会社負担が望めない。しかし、そこは庶民の知恵。「召集されそうだ」となると、駆け込み入社が増える。会社側は、面接で気づいても「忠臣愛国」の世評上、不採用にできない。
戦死した場合、国も企業も弔慰金の負担が生じる。不謹慎だが、戦死者が少ないときはよかったが、戦争の拡大とともに負担は急増する。金持ちは立派な戒名、大きな墓を建て、貧乏人は建てられない。「『護国の忠霊』に差があるのか。墓に規準を設けよ」という提訴まで起こり、寸法基準を出した市町村もあった。
「戦争が格差社会をリセットする」と思っている若者がいるなら読んでほしい。安倍とそのお友だちにも読んでもらいたいが、彼らにはどうでもいい問題なのだろう。
(三木)

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6面

視座
京都朝鮮学校襲撃事件
高裁判決は何を示したか
速見 賢三

 7月8日、大阪高裁において、在日特権を許さない市民の会(在特会)らが引き起こした3度にわたる京都朝鮮第一初級学校への襲撃事件に対する民事訴訟において、昨年の京都地裁に続いて、再び高額の損害賠償と街宣差し止めを命じる判決が下された。今回の判決の意義について考えてみたい。

差別襲撃事件

2009年12月4日、在特会らは、京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、隣接する児童公園を朝鮮学校が「不法占拠」しているなどと言って、ハンドマイクを使って、「スパイの子ども」「うんこ臭い」「日本から出て行け」などの罵声を浴びせかけた。警察はそれを止めようともせずに黙認し続けた。子どもたちは恐怖におびえ、泣き出す子も続出した。
さらに在特会らは2010年1月14日、再び京都朝鮮第一初級学校近くの公園に集まり、同様の差別暴言を振りまく「集会」と「デモ」をくり広げた。そして、3月26日、京都地裁が朝鮮学校から200m以内での街宣を禁止する仮処分を決定しているのを知りながらそれを無視し、またもや在日朝鮮人を誹謗中傷する「集会」と「デモ」を100m以内で強行した。警察はそれを止めずに容認した。
こうした差別襲撃の模様を、在特会らはインターネットで動画配信し続けた。

二つの判決

こうした3度にわたる朝鮮学校に対する差別襲撃に対して民事訴訟が闘われ、昨年10月7日、京都地裁は、在特会らの行為は「表現の自由」として庇護するものには該当せず「ヘイトスピーチ」と断定し、人種差別撤廃条約に基づいて国内法を適用すべきとして、在特会らに対して1226万3140円の損害賠償と、京都朝鮮学校周辺での街宣を禁止する判決を下した。今回、大阪高裁は在特会らの控訴を棄却し同様の判決が下された。

ヘイトスピーチ認定

今回の大阪高裁控訴審判決では、一つめには、「表現の自由に含まれる行為で公益目的だった」という在特会らの主張に対して、在特会らがくり返した「不逞朝鮮人を日本から叩き出せ」「キムチ臭い」「ゴキブリ」「保健所で処分しろ」などは、「在日朝鮮人を嫌悪・蔑視するものであって、下品かつ低俗」、「在日朝鮮人を劣悪な存在であると嫌悪・蔑視して共存することを否定するもの」と認定し、「公益を図るものであったとは到底認めがたいし、表現の自由によって保護されるべき範囲を超えている」と一蹴した。
そして、在特会らの「日本国籍を持たない外国人を日本国籍を持つものと区別することは、人種差別撤廃条約では国籍による区別は人種差別は含まれないので人種差別には当たらない」とする主張を退け、「民族的出身による区別又は排除であり、人種差別撤廃条約の人種差別に該当する」と認定した。一審に続いて、大阪高裁も、在特会らの行為はヘイトスピーチと認定したのだ。

両判決の法的根拠

二つめには、大阪高裁も京都地裁に続いて、人種差別撤廃条約に基づいて判断するとした。しかし、一審では人種差別撤廃条約に基づいて国内法を適用するとしたのに対して、大阪高裁では、「人種差別撤廃条約は、国法の一形式として国内法的効力を有するとしても、その規定内容は国家の国際責任を規定するとともに、公権力と個人との関係を規律するものであり、(本件のような)私人相互の関係を直接規律するものではなく、適用されるものではない」とし、「他の憲法原理や私的自治の原則との調和を図りながら実現されるべき」とした。
その上で、「私人間において一定の集団に属する者の全体に対する人種差別的な発言が行われた場合には、憲法13条、14条1項や人種差別撤廃条約の趣旨に照らし、合理的理由を欠き、社会的に許容し得る範囲を超えて、他人の法的利益を侵害すると認められるときには、民法709条にいう『他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した』との要件を満たすと解すべきであり、これによって生じた損害を加害者に賠償させることを通じて、人種差別を撤廃すべきものとする人種差別撤廃条約の趣旨を私人間においても実現すべきもの」との判断を下した。
日本政府は、人種差別撤廃条約を批准はしているが、国内法の法的整備を求める第4条は留保しており、条約に対応した国内法がない中で、京都地裁は条約に基づいて判断するとした。しかし大阪高裁は、条約は私人間では適用できないとした上で、憲法や国内法の趣旨とも併せて判断して条約の趣旨を実現するとした。この判断については、法学者の人々も含めた検討がさらに必要ではないかと思う。

民族教育権を認める

三つめには、一審の京都地裁では触れられなかった民族教育権について積極的に評価したことである。
判決では、「昭和28年に認可された学校法人であり、朝鮮人教育や一般文化啓蒙事業を行うことを目的とし、本件学校等を設置・運営して在日朝鮮人の民族教育を行っていたこと、本件学校を含む朝鮮学校は、全国に約120校、生徒数は約1万2000人を数え、民族教育を軸に据えた学校教育を実施する場として社会的評価が形成されている。本件活動(在特会の襲撃事件のこと)により、学校法人としての存在意義、適格性等の人格的利益について社会から受ける客観的評価を低下させられたこと、本件学校の教職員等の関係者が受けた心労や負担も大きかったこと、学校における教育業務を妨害され、学校の教育環境が損なわれただけでなく、我が国で在日朝鮮人の民族教育を行う社会環境も損なわれた」と指摘し、在特会の行為は、在日朝鮮人にとっての民族教育権への妨害行為と指摘したのである。
在日朝鮮人の民族教育権を評価した初めての判例ではないか。

人種差別を明確に

京都地裁に続く大阪高裁での今回の判決は重要である。在日朝鮮人を敵視して行われている在特会などの行為は、表現の自由にはあたらず、ヘイトスピーチ=人種差別であると明確にしたことである。そして日本政府が法的整備を行わない人種差別撤廃条約を一審と二審の違いはあれ適用するとしたことである。そして在日朝鮮人の民族教育権を認めるとしたことである。

警察の共同責任

今回の判決を通して浮かび上がってくることは、一つには、在特会と有無通じ合った、むしろグルになった、警察による在日朝鮮人運動や社会変革を求める運動を潰そうとしてきたやり方に打撃を与えたことである。今回争われた京都朝鮮学校襲撃事件でも、警察は制止もせず黙認し続けた。在特会が裁判所の仮処分決定を無視しても、黙認し続けた。もし、日本の学校で同様の事件が起これば警察はこんな対応をしただろうか。
さらに、日本軍「慰安婦」問題をめぐる「水曜デモ」に対して、警察は在特会には好き放題させながら、「水曜デモ」は妨害し続けた。日本軍「慰安婦」問題の集会に妨害にきた在特会の「被害届」を口実に、被害者である日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークや関係者に強制捜索と呼び出しをかけ続けた。これらのことは判決では書かれていないが、在特会と有無通じ合った警察の不当な弾圧への大きな制動となる。

政府・自治体の責任

二つには、大阪高裁判決で在日朝鮮人の民族教育権の積極的評価がなされたが、そもそも民族教育権を否定し続けたのは誰なのかが浮かび上がってくる。日本政府は高校無償化から朝鮮学校を排除し続けてきた。それに呼応して橋下や石原などは自治体の補助金を次々と打ち切るという露骨な差別と民族教育の否定を行ってきた。在特会らが朝鮮学校を敵視して襲撃に及んだのは、こうした政府や維新などが作り出した社会的土壌の中で生み出されたものである。在特会らによるヘイトスピーチと民族教育の破壊を許さないということは、それを生み出した政府や維新を許してはならないということである。
卑劣漢の橋下は、大阪高裁判決を受けて、7月10日に「ヘイトスピーチを許さない対策を検討する」などと自らが行ってきた差別などなかったかのように言いなし、「ヘイトスピーチと闘う第一人者」のような振る舞いを行っている。これは、「脱原発」などと言いながら先の滋賀県知事選挙では原発推進の自公候補の応援に回った原発問題での振る舞いと同じだ。
判決後の記者会見で、原告は今回のような事件が日本の学校で起これば、文科省も自治体も直ちに子どもたちの「心のケア」のために心理カウンセラーを派遣するだろうが、一切なかったと述べた。民族教育など認めない、在日朝鮮人の子どもたちのことなどどうでもよい、という露骨な差別対応を続けている。
今回の判決をも使って、政府・自治体に民族教育を認めさせること、民族差別を許さないことを突きつけていこう。とりわけ、高校無償化からの朝鮮学校の排除や補助金打ち切りを許さない取り組みを強めよう。

社会的な声の拡大を

三つには、在特会などのヘイトスピーチを許さない闘いの重要性である。この数年間、在特会などによる各種の集会やイベントへの差別的襲撃・妨害に対して防衛行動が取り組まれ、それをはね返してきた。今回の裁判闘争も、朝鮮学校の人々や保護者、弁護団のものすごいエネルギーと労力を費やして取り組まれてきた。
勝ち取った判決は、在特会らを追い詰め、警察や政府、自治体の差別的対応を追い詰めている。そしてヘイトスピーチは許さないという社会的な声も広がってきた。警察も在特会などとの露骨な連携プレーも取りづらくなっている。ヘイトスピーチは許さないという社会的な声をさらに広げて、在特会などを封殺しなければならない。そして在特会などを生み出す土壌を作り出している、安倍政権や橋下・維新などの露骨な差別と排外の扇動を打ち砕こう。

戦争と排外主義

7月24日に国連自由権規約委員会が、日本政府に対して約20もの勧告を発表した。その中には、特定秘密保護法、日本軍「慰安婦」問題と並んで、ヘイトスピーチへの勧告も出されている。日本政府は、中国や朝鮮民主主義人民共和国に対して、「人権抑圧国」と批難し続けてきたが、日本こそ「人権抑圧国」と国際社会から指弾されたのだ。
在特会などによるヘイトスピーチは、日本政府の戦争と排外政策が引き起こしたものであることを国際社会は感じ取っている。戦争と排外主義、民族差別を許さない闘いを強めよう。