未来・第157号


            未来第157号目次(2014年8月7日発行)

 1面  辺野古新基地
     連日の工事阻止行動
     全国から現地に支援を

      4000人超で再稼働阻止
     さよなら島根原発 大集会

     第三滑走路許すな
     10・8農地裁判、10・12現地集会
     三里塚   

 2面  シリーズ 新成長戦略批判 @
     8時間労働の歴史的転覆
     “働き方改革”がねらうもの(上)

 3面  “ザイトクに公共施設を貸すな”
     使用拒否した門真市で集会      

     ガザ侵攻弾劾
     イスラエルは殺戮をやめろ

     逆転有罪判決に怒り
     10・5関電前弾圧 控訴審判決

     関電1万人包囲へ
     再稼働阻止! 御堂筋をデモ
     7・13 大阪

 4面  寄稿 小多 基実夫(反戦自衛官)
     苦悩する自衛官と共に
     “たちかぜ”裁判控訴審の勝訴によせて

 5面  視座 韓国民衆言論が見た
     日韓米軍事同盟化の動き(下)
     真野 巌      

     世界の目
     ドイツ人記者がNHKを斬る
     「こちら政府放送局です」

     夏期特別カンパのお願い

 6面  直撃インタビュー(第24弾)
     あくまで現場にこだわる
     朝鮮人強制連行の真相を究明(上)
     藤原 好雄さん      

             

辺野古新基地
連日の工事阻止行動
全国から現地に支援を

キャンプシュワブ前でスクラムを組んで、資材搬入に
抗議(7月21日 名護市)

深夜の資材搬入

名護市・辺野古の新基地建設のための海上ボーリング調査用資材が、7月20日午前2時半、キャンプ・シュワブに搬入された。新基地建設に反対する市民たちはこの間、土・日を除く連日朝から夕方までシュワブゲート前で抗議行動をおこなっていた。海上でも土・日を除く連日、監視船とカヌーによる抗議行動に決起していた。沖縄防衛局は市民の目の届かない時間をねらって突然、大型トレーラーやトラックなど総勢42台でブイや浮き具などの資材を搬入したのである。「資材搬入」の一報を聞きつけた市民たちはキャンプ・シュワブのゲート前に続々と集まり、抗議の声を上げた。午前8時半には100人の市民が「ブイ設置やめろ」「ボーリング調査はおこなわせないぞ」と声をあげながらゲート前をデモ行進。
「午前2時半の搬入」という事態を受けて、ゲート前の座り込み抗議行動を朝から夕方までの昼間帯に加えて、午前0時から2時半までの深夜帯も実施することになった。連日、深夜の座り込みにもかかわらず、50人の市民がゲート前で抗議の声をあげている。

機動隊と激突

22日、キャンプ・シュワブゲート前の朝の集会に稲嶺進・名護市長が駆けつけた。稲嶺市長は、参加した市民たちに「あきらめたら負ける、あきらめてはいけない」と激励した。ゲート前には、国会議員、県議会議員、名護市議会議員などが連日激励に訪れている。
20日以降、市民たちの抗議の座り込みによって資材搬入を阻止されていた防衛局は、24日午後9時半、座り込みがおこなわれていない時間をねらって、トラック10台で資材を搬入。その時ゲート前で監視していた山城博治・沖縄平和センター議長を機動隊20人が取り囲んで搬入を強行したのである。急を聞きつけた市民20人が、資材を下してゲートから出てきたトラックを取り囲んだ。スクラムを組んで抗議の声をあげる市民を排除しようとする機動隊と激しいもみ合いとなった。防衛局のたび重なる卑劣なやり方に市民の怒りは燃え上がり、座り込みの時間帯を午後7時から深夜2時半に延長した。
26日、今度は座り込みの人数が少なくなる昼休みの時間をねらって大型トレーラーによる搬入を強行。市民らは昼食もそこそこに現場に駆けつけ抗議の声をあげた。なりふり構わぬ防衛局のやり方に市民の怒りが頂点に。
ゲート前の抗議デモは日ごとに激しさを増している。防衛局はその後もトラックなどによる資材の搬入を続けている。駆け付けた市民たちはトラックの前に立ちはだかって果敢に抗議行動を展開している。警備に動員された機動隊をものともしない。排除されても、繰り返しトラックの前に立ちはだかっている。

全国から支援を

27日、海上では浮き桟橋の工事が始まり、シュワブゲートから搬入された砂利で浜に道を造り桟橋が造られた。海上保安庁は巡視船7隻、ゴムボート10数艇で市民の海上監視船とカヌーを追跡した。海保は那覇軍港に全国から20隻の巡視船を集結。用意したゴムボートは100艇を下らないであろう。そうした中で、市民の監視カヌー2艇が桟橋を監視しているところを海保にだ捕された。監視カヌーの市民2人は一人づつ海保のゴムボートに分離。カヌーは別に曳航された。この2人は辺野古漁港で海保のボートから降ろされ、カヌーは浜に返された。シュワブゲート前ではカヌー隊への弾圧に抗議するデモが激しく闘われた。
28日深夜2時半、防衛局は、市民の抗議行動が終わるのを見はからって、ゲート前の工事を始めた。市民が立ち入れないようするため、ゲートに鉄柵を取り付け、鉄製の可動式フェンスを作ったのである。これに怒った市民たちは、道路の真ん中に座り込んで抗議。ゴボウ抜きにしようとする機動隊を、スクラムを組んではね返す。交通はストップした。機動隊との攻防は数十分におよんだ。その後、資材トラックがゲートを入ろうとするたびにその前に立ちはだかり、機動隊と激しくもみ合った。
安倍政権による有無を言わせぬ基地建設の強行に、怒りに燃えた人びとが続々と辺野古に結集している、本島はもとより、宮古や全国から闘いの参加者が増えている。現地で闘う沖縄県民に連帯し、全国から支援に駆けつけよう。

4000人超で再稼働阻止
さよなら島根原発 大集会

中国電力島根支社に向かってデモ  
(7月20日 松江市内)

7月20日におこなわれた「さよなら島根原発! 大集会」は、島根原発の稼働・再稼働を許さないたたかいとして、2011年3・11以降最大となった。地元島根はもとより、中国地方各県からバスを仕立てるなど大挙結集。四国、九州、関西からの参加者も。島根原発から9・8qしか離れていない会場のくにびきメッセは、集会参加者であふれた。主催者は4463人と発表。
原子力規制委員会が川内原発の規制基準適合を認め、再稼働の動きがいよいよ強まる事に対する危機感がこの結集となった。集会では、誰も責任を取らずとにかく再稼働ありきという、政府・地元自治体・規制委・電力会社に対する弾劾が相次いだ。規制委の田中俊一委員長は「安全だということは言わない。再稼働の判断にはかかわらない」と発言している。安倍政権は「安全性は規制委に委ねている。再稼働は電力会社の判断」としている。政府は新基準を「世界で最も厳しい基準」と言いつつ再稼働を急ぐが、地震国日本と他の地域を同一基準で検討すること自体、欺瞞だ。しかも世界では常識となってきているコアキャッチャー(溶融した炉心を貯留・冷却する施設)や航空機等の衝突に対する対策という二重格納容器は基準とされていない。
島根県知事は「原発は国の政策」と責任回避、松江市長は「広域避難計画を再稼働承認の条件にしない」という。中国電力は「安全協定」の締結対象から島根県、松江市以外の30q圏内の他の自治体を排除している。呼びかけ人の一人の北川泉島根大学元学長は「30q圏内に47万人が住む島根原発が稼働したらどうなるのか」と、避難計画を住民に押しつけ再稼働を「いのち」よりも優先する政府などを弾劾した。
集会では、ルポライターの鎌田慧さん、講談師の神田香織さんのゲストスピーチ、上関原発を建てさせない祝島島民の会代表清水敏保さんなどが連帯の挨拶。終了後原発から8・7qの県庁に向かうコース、JR松江駅に向かうコースの二手に分かれてデモ行進。デモの途中、さよなら島根原発ネットワークの芦原康江さんたちが中電島根支社前で集会宣言を読み上げ、中電の担当者に手渡した。

第三滑走路許すな
10・8農地裁判、10・12現地集会
三里塚

発言する市東孝雄さん(7月13日)

国土交通省は5月、2020年までに、羽田と成田の滑走路を1本ずつ増やす計画を発表した。続いて6月6日にその有識者会議が、具体的プランを発表した。現在の成田空港・暫定滑走路を南に1000メートル延長し、これと並行に第3滑走路を造り、「高速離脱誘導路」、駐機場や旅客ターミナルビルもさらに建設するとしている。そして、年間33万回、1時間に最大72便の離発着を可能とするという。
暫定滑走路の南側への延伸とは、東峰の島村さんの住居や萩原さんの畑の強奪だ。また多くの周辺住民が追い出される。
7月13日、周辺住民に闘いを呼びかけるデモがおこなわれた。主催は、三里塚芝山連合空港反対同盟。
市東さんは「今日のデモをもって、周辺住民に権力のやり方を暴露し、闘いを呼びかける」と決意を語った。
10月8日は東京高裁で、市東さんの農地裁判。10月12日には、三里塚現地での全国集会が呼びかけられている。

2面

シリーズ 新成長戦略批判 @
8時間労働の歴史的転覆
“働き方改革”がねらうもの(上)

「戦略は細部に宿る」

安倍政権は6月24日に臨時の閣議を開き、「経済財政運営と改革の基本方針」(いわゆる「骨太の方針」)と「「日本再興戦略」改訂2014/未来への挑戦」(いわゆる「新成長戦略」)、規制改革の実行手順を盛り込んだ「規制改革実施計画」を閣議決定した。
今回の成長戦略確定過程の産業競争力会議で中心となっていた竹中平蔵(人材派遣会社パソナ会長、慶応大教授)が「新成長戦略」について閣議決定前日に以下のようなコメントをだしている。「戦略は細部に宿る」と題して「過去数十年、手付かずの分野で改革に着手。今回発表された成長戦略は、実は意外とレベルの高いものになっている」「働き方についても、いわゆるホワイトカラー・エグゼンプションが明記された。つまり、労働時間によって報酬を測るのではなく、成果によって報酬を測るという新しい制度がつくられる」(「経済政策ウオッチング」2014年6月23日)。階級的力関係の歴史的転覆をおこなうということだ。とりわけ労働分野について強烈な意思をもって臨んだことが明確である。これにゴーサインを出したのが5月1日の英国の金融街・シテイーでおこなった安倍の講演だった。そこで安倍は次のように言った。「柔軟な働き方ができるように労働法制を変える。これができなければ日本の成長はない」(7月4日付日本経済新聞)。

労働組合を排除

竹中は「新成長戦略」の工程表の実施がポイントであると強調する。夏の労働政策審議会(「労政審」、公益・労働・使用者の三者協議の場となる)や来年の法案化で「この閣議決定を貫徹できるかどうかにかかっている」と檄をとばし、「組織率20%を切った労働組合は労働者代表と言えるのか」とその排除を訴えている。

カギとなる労働分野

骨太の方針では、法人税の実効税率を2015年度から数年間で20%台に引き下げることなど、経済政策の方針が示された。新成長戦略では、日本の「稼ぐ力」を取り戻すこと(「企業が世界一活動しやすい国」)を新たに掲げ、「残された課題」として「改革の10の焦点」としてコーポレートガバナンスの強化や、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF、資産規模129兆円)の株式運用見直し、農業改革、医療と並んで「働き方改革」をうちだした。
「雇用制度改革・人材力の強化」として、@「労働移動」「マッチング機能」「多様な働き方」、 A「女性」「若者・高齢者等」「外国人材」、B「大学改革」「グローバル人材強化」の3つの柱が打ち出されたのである。それぞれに「新たに講ずべき具体的施策」が示され、その工程表も示された。図はその全容である。
この小論では「働き方改革」と銘うった労働分野への攻撃の内容と、その強行が引き起こす矛盾と破産の必然性を明らかにし、これといかに闘うのかを提起したい。

働き方改革 @
「労働時間」がなくなる

新成長戦略における「鍵となる施策」の第二章「担い手を生み出す」に位置づけられているのが「女性活躍」と「働き方改革」である。女性に焦点を当てたキャンペーンがなされているが、そこには「働き方」改革の毒を消すというねらいもあると見るべきだろう。
ここでのポイントは、「働き方」の改革、つまり「労働のあり方をかえる」というところにある。その核心は前述の竹中・安倍発言のとおり、年来の課題であった「労働時間規制」の突破である。これは第一次安倍政権以来の労政審の課題であったものだ。「残業代ゼロ」という批判がなされているが、それでは今回の攻撃の本質を暴き切れているとはいえない。

歴史を200年逆戻り

「新成長戦略」では次のように言う。「時間ではなく成果で評価される創造的働き方の導入」(新成長戦略概要「多様な働き方1」より)と。
本文では「労働時間の長さと賃金のリンクを切り離した新たな労働時間制度の創設」となっている。「労働時間と賃金のリンクを切り離す」とは何を意味するのか。資本主義的生産様式の登場以来、労働者階級は長労働時間(当初は12時間労働が目標)を減らし、「人らしい生活」の実現するために200年にわたって闘ってきた。「働き方改革」とは、歴史を200年前に逆戻りさせることを意味する。
いまでは正規雇用労働者であれ、非正規雇用労働者であれ(月給、日給、時給であれ)労働時間は一日8時間、週40時間、日曜日は休日が前提である。それを超える労働(時間外、深夜、休日)は割増賃金の支払いが義務づけられる。労働者は昼間8時間働き、夜の8時間は眠りにつき、8時間は人間活動の時間で、休日は休む―これが「人たるに値する生活」(労基法1条)の最低限であるとされてきた。
問題ではあるがフレックスタイムにせよ、変形労働・裁量労働にせよ、この8時間労働を基本にして、日、週、月、年単位で労働時間を変形させるものである。管理職除外事項も8時間労働を基本にしたものであった。だから36協定(8時間外労働協定)や、不十分なものであるとはいえ過労死基準(1カ月当たり80時間を超える時間外労働)などは8時間労働が前提となっている。「リンクを切り離す」とは1日8時間労働を前提にしないということである。「労働時間」に対する原理的転換である。
「1日あたりの労働時間の基準」(標準労働日)をなくす。そして「成果で評価」する賃金ということは、極端にいえば資本家が要求した成果を労働者があげることができなければ、たとえ何時間労働したとしても、資本家はその「対価」を労働者に支払う必要はないということになる。

歯止めなき過重労働

当面その対象となるのは「一定の年収(年収1000万円以上)」があり、「職務範囲が明確で高度な職業能力」を有する者に限定するといわれているが、歯止めにはならない。アメリカでは年収2万3660ドル(約241万円)以上の管理職や専門事務職が「残業代ゼロ」の対象になっており、「労働者とその家族、経済に損害を与える」として、その対象を縮小する法案が先月上院に提出されている。
これを許せば「歯止めのない過重労働」「歯止めのない賃金の切り下げ」に労働者は追い込まれていく。ここに「小さく生んで大きく育てる」(竹中平蔵)戦略が仕組まれている。さらにフレックスタイム制、裁量労働制についても、「新たな見直し」として、現行1カ月間の清算期間を延長、対象範囲拡大(企業の中核・開発部門等)、手続きの緩和(労働組合や労働者代表との協定ではなく、本人同意へ)などがあげられている。

働き方改革 A
解雇自由と金銭解決システム

もうひとつの柱として登場してきたのが「紛争解決システム」の構築である。継続して論議はされてきたが、旧「成長戦略」にも、6月段階の「素案」にもなかったものが閣議決定の過程で登場してきた。さまざまな新成長戦略批判がなされているが、なぜかこの点が見過ごされている。実は重大な攻撃がここにも仕組まれている。

紛争予防

この間の労働法制改革の柱に「紛争予防」がすえられてきた。格差と貧困の拡大の中で労働分野で噴出した矛盾を、「集団的労使関係」(労働組合)ではなく、「個別」に誘導して抑え込もうという一貫した労働行政と司法の流れの中で、「個別労働関係紛争の解決促進法(促進法)」(2001年)、「労働審判法」(2004年)、「労働契約法(契約法)」(2007年)とその改正(2012年)の制定がされてきた。その理念と目的は「紛争について迅速かつ適正な解決」(促進法1条)、「個別の労働関係の安定に資する」(契約法1条)というものである。これは労働者の権利を担保するものとして、労働組合を結成する権利を保障した憲法28条を原理とする戦後労働法の理念に背理するものである。
そして今回の新成長戦略の「働き方改革」で登場してきたのが、「グローバルにも通用する予見可能性の高い紛争解決システムの構築」である。「主要先進国において判決による金銭救済できる仕組みが・・・整備されている」ことに踏まえて、今年度中にあっせん等の分析とともに諸外国の関係制度・運用に関する調査研究をおこない、2015年中に「解決システム等の在り方」や「活用可能ツール整備」をおこなうというのだ。「金銭救済」の文言が盛り込まれたことは、これまでの解雇規制に風穴をあけたという意味をもつ。

解雇規制の廃止

すなわち、解雇規制を廃止し(労働契約法16条・解雇規制の除外規定をつくる。16条の廃止を意味する)、企業の都合で解雇した労働者にどのくらいの金銭を支払えば「これがグローバル基準だ」といって、黙らせることができるかということである。これを調査して、1年以内に基準を作ろうというのだ。
そこには労働組合の団体交渉権や団体行動権を否認しようとする意図も明確に含まれている。竹中や経団連の中には過半数組合しか団体交渉権を認めるなという年来の主張がある。実際アメリカなどでは法定組合以外は非合法なのである。ここまで踏み込もうというのが安倍らの願望であることはまちがいない。
「予見可能性が高い」とは何を意味するのか。それは「雇用維持から労働力移動」への転換を進めるということだ。正規・非正規を問わずにどんどん首切りをおこなうということだ。そうなれば当然紛争が予見されるので、それを未然に防止する体制が必要だというのである。実際に工程表では「雇用調整助成金から労働移動支援助成金への資金シフト(2015年度までに予算規模を逆転する)」と明記している。(つづく)(森川 数馬)

3面

“ザイトクに公共施設を貸すな”
使用拒否した門真市で集会

講演する前田朗さん

7月26日、大阪府門真市で「ザイトクに公共施設を使わせない論理と倫理〜前田朗先生講演集会イン門真」が戸田ひさよし門真市議主催で開かれた。

〔注〕ザイトクとは戸田議員の造語。民族差別を得意がる在特会などのヘイトスピーチ・ヘイトクライムをくりかえす勢力のこと。

門真市では戸田市議の奮闘で、自治体として「住民の安全と尊厳を守る行政責務を果たす」と明言し、対ザイトク施策にとりくんできた。しかし5月、在特会元副会長・川東に会場を貸すという事態が発生。その後、使用許可を取り消したが、対ザイトク施策の貫徹は簡単ではないことをつきつけられた。
この事態をふまえ、門真市は前田朗さん(法学者・東京造形大教授)を招き、地方自治体初の反ヘイトの全部署職員研修(200人超規模)を実施。翌26日一般市民、各地の議員、活動家を対象に講演会が開かれた。

「表現の自由」とは

以下、講演要旨。 地方自治体は在特会などヘイトクライムをおこなう団体・個人に公共施設を貸してはいけない。「貸すのを断ることができる」ではなく「貸してはいけない」のだ。「表現の自由・集会の自由があるから断れない」というのはとんでもない話。「表現の自由」のためにもヘイトスピーチは処罰されなければならない。
今年3月、埼玉スタジアムで、サポーターが「JAPANESE ONLY」という横断幕を掲げた件で、Jリーグは浦和レッズに無観客試合(入場者のいない試合を開催。実質4億円の罰金)などの制裁を科した。Jリーグは日本の常識ではなくFIFA(国際サッカー連盟)=国際基準で判断している。
「外国人お断り」の横断幕でも、これほどの制裁が行われるのに、街頭で「朝鮮人殺せ」と大音量でヘイトスピーチしても罰せられない。日本の常識が国際基準からずれているのだ。
ヘイトスピーチは、差別、扇動、迫害である。欧米のヘイト・クライム法を見ると、米国では「暴力を伴うヘイト・クライム」を処罰。英国は「暴力を伴わないヘイト・クライム」も処罰。EU加盟国は「暴力を伴わないヘイト・クライム」も処罰。「表現の自由があるから規制できない」という、おかしな議論はしていない。日本国内では、ヘイト団体・個人に公共施設を「貸してはいけない」という発想が出てこない。しかし憲法と国内法から、(消極的表現ではあるが)「貸さないことができる」。要は、日本国憲法21条「表現の自由」ではなく、13条「個人の尊厳」、14条「法の下の平等」の問題だ。ヘイトスピーチの野放しで「あらゆる権利を侵害される」人びとがでてくる。自治体がそれに手を貸してはいけない。
在特会などがホテルで講演会をやるなら10万円かかるが、公共施設なら1万円程度。つまり公共施設を貸せば9万円を在特会にカンパすることに等しい。地方自治体は住民税で成り立っている。住民税は、国籍に関係なく住民全員から徴収する。この税金で、住民の一部を迫害することに手を貸すのは許されない。

実効性ある対策を

つぎに日本軍「慰安婦」はデマだという歴史偽造展示会の開催中止に取り組む堺市、高槻市、生駒市からの参加者が報告と決意を述べた。
最後に戸田議員が「(あらたに法律や条令をつくれるならそれにこしたことはないが)現状でも闘い方はある。トイレに部落差別の落書きがあれば大問題になり、自治体も対策をおこなってきた。ザイトクは街頭で、大音量で『朝鮮人を殺せ』と扇動している。なぜこんなことが放置されるのか。同和人権行政を適用すれば対処できる。各地の議員、市民は、自治体行政に働きかけ、門真のたたかいに続いてほしい」と訴えた。

ガザ侵攻弾劾
イスラエルは殺戮をやめろ

イスラエルによるガザ地区空爆と地上侵攻により犠牲者は1400人(7月31日)を超えた。ガザ地区の人口は150万。日本に置き換えると、突如侵攻してきた外国軍に10万を超える人々が一方的に殺されたことになる。今日もイスラエル軍は制空権を持ち殺戮を繰り返している。「ハマスは過激派」の宣伝は、2006年総選挙での勝利―合法政権政党を無視している。これを叩きつぶそうとイスラエルが空爆・侵攻を行い、アメリカが支援しているのだ。今おこなわれている殺戮は、人道に対する犯罪にほかならない。イスラエルは直ちに殺戮をやめよ!

逆転有罪判決に怒り
10・5関電前弾圧 控訴審判決

6月30日、大阪高裁(上垣猛裁判長)は一審無罪判決を取消し、Aさんに懲役1年6月、執行猶予3年という不当判決を下した。
大阪高裁201号大法廷には、警察官証言を全面的に信用する判決に怒りの声が充満。これに対し裁判長は退廷命令を乱発し、騒ぐと上告審に影響があるぞとまで恫喝する、不当かつ極悪な法廷となった。
判決内容は、弁護側の証言を信用できないとする一方で、数々の矛盾に満ちた警察官証言は信用するというダブルスタンダードで、はじめに有罪ありきの『絶望の裁判所』を地でいく判決であった。
特に、影山警察官のビデオ映像に出て来る「巴投げポーズ」と、「左時計回りに城戸警察官を倒した」との供述の矛盾には、「不合理な供述の変遷とまで言うことはできない」とした。またビデオ映像・音声には出てこない影山の「やかましいんじゃ」証言についても、「喧騒の中、そのような発言があったと思いこんだ可能性」と、これまたウソの証言を擁護した。さらに転倒シーンは、影山がAさんの袖を最初からつかんで離さず後ろに倒れたのに、Aさんが押したと認定。Aさんは引っ張られて腕は伸びきっているのに、どうして柔道3段の警察官を倒す有形力を行使できるのか。
こうしてAさんは「2人の警察官に1週間・3週間の傷害を負わせ、これを全面否認する極悪犯罪人」とされた。実際、警察官2人に傷害を負わせたうえで否認すれば、通例は実刑だが、さすがに裁判長はウソの事実認定の上に、無実の人間に実刑を課すのは心が咎めたのか、3年の執行猶予としたのだろう。「聞いていてあきれ、笑ってしまった」というのがAさんの感想である。Aさんと支援者・弁護団はこの不当判決を許さず、最高裁に上告して、次の闘いを開始した。

関電1万人包囲へ
再稼働阻止! 御堂筋をデモ
7・13 大阪


川内原発の再稼働がもくろまれているなか、7月13日、大阪市内で「再稼働やめろ! デモin御堂筋」がおこなわれ210人が参加した(写真)

1万人集会を

デモに先立つ集会では、木原壯林さん(京都悠悠化学研究所)が、「再稼働ねらう川内原発と原子力規制委員会について」と題して発言。
原発は人類の手に負えるものではない。推進派は、原発の難点が科学で克服できると宣伝しているが、それは思い上がり。現代科学で地震や噴火は予知できない。汚染水ではALPSや凍土壁工事がうまくいっていない。
かつてタコ部屋制度による強制労働で暴利を蓄財した麻生太賀吉(麻生太郎の父)が会長をやっていたのが九州電力。九電は安倍内閣のメンツをかけ規制委の要求を全面的に受け入れ、再稼働を申請している。重要な火砕流と火山灰の問題にはほうかむり。
規制委は5人中4人までが原子力ムラの出身。原子力は総合科学で、規制委のような限られた人材では原発の事故への対応は考えつかない。広く人材を求めると原子力ムラが崩壊する。
5・21福井地裁の勝訴を全国に波及させよう。この秋は原発全廃の正念場。原発現地でのたたかいと、電力大消費地での「原発ノー」の運動を高揚させよう。近々「関電包囲1万人大集会」を呼びかけたい。川内原発の再稼働を阻止しよう。

原発と被曝労働

続いて、釜ケ崎日雇労働組合の三浦俊一さんが「原発と被曝労働」について発言。 「原発と人類は相容れない」〜この命題は、原発の現場では「生きた人間と原子力」の関係で、様々な問題を生じさせている。3・11以前の運動は、原発と労働者の被曝問題はあまり語らなかった。1975年、関西からはじめて被曝労働による労災申請が行われた。77年に放射線管理手帳制度ができたが、現実は下請けの下請けが手帳を管理し、退職(解雇)時に本人に渡していないため、本人はどれだけ被曝したかわからない。そうして、白血病などの疾病・疾患が蔓延していく。廃炉・全廃の日まで、労働者の安全と衛生を守り抜いていこう。
福島県から関西に避難した青田恵子さん、福井の福福ネットの渡利さんが発言。続いて、若狭連帯行動ネットワーク、ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン、原発メーカー訴訟の会から連帯アピール。フリートークでは、伊方の家、上牧行動、西成青い空カンパ、など6団体・個人から発言があった。
集会後、難波まで御堂筋を「再稼働するな」の声をとどろかせ行進した。

4面

寄稿 小多 基実夫(反戦自衛官)
苦悩する自衛官と共に
“たちかぜ”裁判控訴審の勝訴によせて

4月23日、東京高裁(鈴木健太裁判長)は、「たちかぜ」裁判で原判決を取り消し、原告全面勝訴の画期的な判決を言い渡した。
事件は10年前の04年10月27日の朝におきた。京浜急行立会川駅ホームで21歳の自衛官が飛び込み自殺をしたのだ。
亡くなったのは、海自護衛艦「たちかぜ」乗組員21歳の新隊員T1等海士(以下、1士)である。先輩隊員から激しいいじめ・暴行・虐待を受けた末の無念の自殺であった。

閉鎖的な階級社会

T1士は、テレビで自衛隊の災害救助を見て「こんなふうに人助けがしたい」と希望を持って入隊したが、わずか2年目、同艦への乗艦歴10カ月目で自殺に追い込まれた。一方、彼を死ぬまでいじめぬいたのは入隊16年、同艦への乗艦歴7年の古参隊員S2等海曹(以下、2曹)34歳であった。自衛隊という閉鎖的な階級社会(※注)におけるこの力関係の差は想像を絶するものである。
S2曹は刑事裁判に起訴され、他の隊員に対する恐喝と暴行の罪で執行猶予付きの有罪判決を受けたが、本件に関する部分では「被害者死亡」として不問になった。
その上、調査をおこなった警務隊は、両親に対し「自殺の原因は(いじめでなく)風俗店通いで借金を作ったことではないか」と言い放った。「死人に口なし」とばかりの卑劣な自衛隊のやり方に対し、両親は真相を明らかにするため06年4月、横浜地裁に国家賠償請求を提訴した。

「うっちゃり判決」

11年1月26日、5年に及ぶ審理を経て横浜地裁で1審判決が出された。水野裁判長は「S2曹による虐待と上司の怠慢が自殺に追いやった」と認定した。しかし「S2曹も上司も自殺するとまでは思わなかった。『予見可能性がなかった』ので自殺に対する責任はない。賠償も生前に受けた苦痛の部分に限られる。」という驚くべき「うっちゃり判決」(弁護団)であった。
東京高裁での控訴審は、この「予見可能性」についての争いになった。そこで最大の攻防になったのは、自殺直後の04年11月に「たちかぜ」乗員約190人に対して海自がおこなった「艦内生活実態アンケート」約400枚の存在およびその証拠提出であった。 このアンケートについては、提訴前(05年4月)から遺族が「情報公開請求」を申し立て、一審でも弁護団が開示請求をおこなったが、自衛隊はいずれも「破棄した、存在しない」と提出を拒み通したのである。
すべての証拠と証人が自衛隊の手にあり、自衛隊のやりたい放題の感があったこの裁判が大きく様相を変えたのは、一審で07年まで被告=国の指定代理人を務めた現職の3等海佐(以下、3佐)が内部告発の陳述書を裁判所に提出した12年4月からである。

3佐の内部告発

3佐は、06年4月提訴から数日後に情報公開を担当する上級者の2佐に呼ばれて「アンケートは破棄したことになっている」と告げられる。
後日、裁判資料の整理中に問題のアンケート(約400枚もの)の存在・保管を確認。 海自は、遺族の情報公開請求に対して、「破棄した」と嘘の回答。 08年、3佐は防衛省の「公益通報窓口」に内部告発するが、防衛省は「アンケートを隠した事実はない」と全面否定。
11年1月、3佐は自ら「情報公開請求」するがやはり「存在しない」と拒否。
自衛隊の自浄作用への期待を絶たれた3佐は、審理の「早期結審」の流れが強まる中、やむにやまれぬ思いで12年4月に東京高裁へ「陳述書」を提出した。3佐は「陳述書」という形で裁判所を間に挟むことまでして、自衛隊に訴え続けたのであった。
「自衛隊をはじめ行政庁が嘘をつけば、国民はそれを前提に意思決定することになり、民主主義の過程そのものが歪められます。今からでも遅くないので嘘をついていたことを認め、文書を出してください。」

出てきたアンケート

この捨身の3佐の訴えにも自衛隊の態度は変わらなかった。そればかりか、この期に及んであろうことか、高裁までもが「(アンケートの)開示勧告はしません」と法廷で宣言したのである。「提出命令はおろか勧告すらもしない」と、あくまで「早期結審」=門前払いを画策するかのような訴訟指揮をとったのである。
しかし、12年6月18日(第6回口頭弁論当日)の朝刊各紙は、3佐の内部告発を大きく報道した。ここで大きく流れが変わった。 6月21日、突然、海自は「アンケートが見つかった」と発表し、杉本海上幕僚長(当時)が公の場で謝罪した。それを受けてアンケートをはじめとする大量の証拠が法廷に出されてきた。
そして翌13年12月11日、3佐の証人尋問が実現したのである。
3佐は、「組織が違法行為を認めずにきたことで、私だけでなく自殺した隊員の遺族、隠蔽を指示された隊員ら、大勢の人生が歪められてしまった」「情報公開請求のあった文書を隠蔽することは民主主義の根幹に関わる違法行為である」「国民に嘘をついてはいけないという信念で告発した」と心情を語った。

いじめの実態が白日に

証拠開示されたアンケートからは、逃げ場のない狭い軍艦内で繰り返されたいじめ・暴行・虐待の事実が明らかになった。上官も同僚も多くの乗組員がT1士の「自殺が予見できる状態」であったことが明白になった。
3佐の証言とそれによって提出された証拠は、自衛隊が上級者の責任逃れのために、@生き地獄に追い込まれ死を選ぶしかなかった下級隊員(T1士)の生命と尊厳を踏みつけ、Aまたそのために情報公開制度・公益通報制度をないがしろにし、B裁判においては偽証を繰り返し、Cさらに勇気をもって法廷で真実を証言した自衛官を法廷の場で罵倒・脅迫し、D徹底的な証拠隠しをおこなうなど、違法の限りを尽くしてきた事実を白日のもとに暴き出した。このような裁判の進展に押された内閣府の情報公開・個人情報保護審査会は、「組織全体として不都合な真実を隠蔽しようとする傾向があった」と異例の批判を公表した。 控訴審は、本年1月27日「結審」、そして4月23日「判決」と進み。冒頭の勝訴判決を勝ち取り、防衛省は上告を断念。判決が確定した。
5月22日には、河野克俊海上幕僚長が遺族(原告:母)宅を訪ね謝罪した。政治的決着を付け、幕引きを図りたいという防衛省の思いもあったのではないだろうか。

3佐への処分を画策

しかし、それでも現場の海自は絶望的なあがきを見せた。即ち、3佐への懲戒処分を画策したのである。3佐に対する報復弾圧と、「情報公開請求の文書を隠蔽してはいけない」というこのような内部決起が2度と起こらないように見せしめにするのが狙いであろう。さすがに旧軍以来まったく反省をした経験がない海自である。
この呆れ果てた処分策動が報道されるや、「3佐を守れ」という声が全国で盛り上がり、またしても懲戒権者の頭越しに防衛省から「不処分」が発表され、ようやく決着した。

この勝利を活かそう

この裁判の一連の勝利を切り開いた根底的な力は、ご遺族と弁護団を先頭に、ご遺族の地元あるいは「たちかぜ」の母港のある横須賀をはじめとする全国の支援のみなさんの執念の賜物であったことはもちろんである。しかし、それにしても原告(遺族)の側に何一つ有利な証拠も情報もなく、裁判所までもが自衛隊のやりたい放題の中で翻弄されてしまっていたこの裁判で真実を明らかにすることができたのは、やはり3佐の内部告発が決定的であったことは間違いない。
加えて強調したいのは、3佐だけでなく、隊内(艦内生活)でがんじがらめの監視下にありながら勇気を持って情報提供をしてくれた同僚隊員、裁判に証人として出廷し自衛隊の法務官の前で勇気をふりしぼって証言してくれた現職隊員や退役隊員らが存在したことである。さらにその何万倍もの海上自衛隊をはじめ全国の自衛官が注視しているという法廷内外の無言の力が潜在的な力として勝利を引き寄せたということである。
「もし、3佐の決起がなければ?」と想像するだけでも恐怖であるが、各種の自衛隊裁判を見るにつけこのような自衛隊の違法行為の数々は例外ではないと言わざるを得ないが、他方また人生をかけた自衛官たちの隊内からの決起も決して例外的なものではないとも言いきれる。

自衛官とともに闘う

毎年100人近い自殺者を生む自衛隊にしても「自殺」は看過できず対策はおこなっているというが一向に効果は出ていない。
08年に勝訴した別件裁判(浜松基地自衛官人権裁判)は、本件同様に先輩隊員(上官の2曹)の陰湿ないじめにあって05年自殺に追い込まれた航空自衛官3曹の自殺事件である。彼の場合、95年に入隊以来10年間の自衛隊生活のうち大半がこのいじめに耐えながらの生活であった。皮肉にもイラク戦争=クウェートに派兵されていた4カ月間だけがいじめの地獄から「解放された」わずかな期間だったという。
仮に、命がけの戦地派兵でも「いじめられ続けるよりはマシだ」という理由で「隊内のいじめが兵士を戦地派兵に導く役割を果たしている側面がある」のならば、派兵を進める自衛隊の手でこれが解決できるわけがない。むしろ戦争を阻止しようとする者こそが自らの課題として取り組むべきではないだろうか。
「集団的自衛権」によって、自衛官が米兵とともに戦闘の最前線に派兵され殺戮と戦死の危機に直面している今日、この自衛官たちを蚊帳の外に置いたままでの反戦運動では余りにもリアリティに欠ける。
自衛官を一括りにした「職業差別的な」拒絶反応はいまや左翼運動の弱点になっていると猛省して、運動の側から1歩も2歩も個々の自衛官(組織としての自衛隊というよりも)に接近すべきではないだろうか?
かつて市民団体がイラク派兵に反対するビラを自衛隊官舎に配布した件で、自衛隊と公安警察が激甚に反応し大弾圧をおこなった事件があった。これを想起すれば、戦争遂行勢力のどこが弱点で、政府が何を恐れているかは明らかだ。戦争の当事者たる自衛官への「接近」とその苦悩を共有することの意義は明白であり、われわれの実践的克服が急務である。

(※注)自衛官の階級
上から、「幹部(将校)」「曹(下士官)」「士(兵)」に大別される。幹部は上から「将、将補、1佐、2佐、3佐、1尉、2尉、3尉」、下士官は「准尉、曹長、1曹、2曹、3曹」、士は「士長、1士、2士」と16の階級に分かれる。3曹以上は定年制の雇用。士は2年3年の雇い止め契約で、「使い捨て非正規特別国家公務員」という弱い立場である。

5面

視座 韓国民衆言論が見た
日韓米軍事同盟化の動き(下)
真野 巌

韓国民衆言論―〈統一ニュース〉(5月12日付)は、韓国の平和団体〈平和と統一を開く人々〉の主張を紹介しながら、「『日本の集団的自衛権行使』と『三角軍事同盟』は、日本軍の朝鮮半島への介入に道を開く」として、次のように指摘

「〈平和と統一を開く人々〉は、日本の集団的自衛権行使の、1番目の対象地域が韓半島になるとし、パク・クネ政権が『朝鮮半島ないしわが領域には、われわれの要請がなければ日本は入ってこられない』と述べているが、これは根拠のない主観的な希望にすぎないと警告した。
朝鮮半島の有事の際、日本軍の朝鮮半島への上陸を決定するのは、あくまでも韓国軍に対して戦時作戦統制権を行使する米軍であるが、自国の地上軍投入を最小化しようとする米国にとって、日本軍に匹敵する支援部隊は存在しない。
また朝鮮半島有事で、米国が主導する多国籍軍の一員として日本軍が朝鮮半島に進出すれば、韓国政府がこれを防ぐ国際法的根拠はいっそう弱められると、〈平和と統一を開く人々〉は主張した。
〈平和と統一を開く人々〉は、朝鮮戦争当時、イ・スンマン(李承晩)政府も、米国の要請で日本軍が朝鮮半島に入り、大々的な掃海作戦と輸送作戦を展開したのを防ぐことができなかったという先例を見ても、朝鮮半島有事で、「わが政府の要請なしに、日本軍は朝鮮半島に進入できない」というパク・クネ政府の主張は非現実的だと指摘した。
〈平和と統一を開く人々〉は、最近、韓米当局が抑制戦略という対北先制攻撃戦略を確定し、対北先制攻撃訓練に熱をあげている。これに歩調を合わせる日本が、昨年10月はじめに、北韓内の基地を先制攻撃することができる先制攻撃能力を保有し、〈海兵隊を創設〉するという立場を明らかにした。これに加えて、集団的自衛権行使の立場を確定したのは、『東北アジアの戦略的安定を破壊し、朝鮮半島を恒常的な戦場』とすることになるだろうと、懸念した。」
〈統一ニュース〉が指摘するように、MD体制を軸とする日韓米三角軍事同盟に向けた動きは、朝鮮半島を「恒常的な戦場」にするだけではなく、米国の軍事基地列島である日本全土に壊滅的な打撃をもたらす可能性が極めて高い。米国が主張するように、「アメリカに向かうミサイルを打ち落とすためには、集団的自衛権を行使する日本自衛隊のミサイル発射が必要」だとすれば、「まず日本が戦場と化すであろう」ということは誰でもわかることだ。

韓国民衆言論 〈オーマイニュース〉(2014年5月29日付)は、米国統合参謀本部次長が、米国の負担を軽減するために、(韓国と日本の負担で)MDの地域防衛網を構築し、ミサイル追跡レーダーを新たに設置することに言及

〈オーマイニュース〉は「ジェームス・ウインフェルド米国統合参謀本部次長は、28日ワシントンDCのシンクタンクで『米軍は、国防予算が削減される状況で、アジアの諸国にますます依存するしかない。グアムにインストールされたものと同じサード(THAAD、高高度ミサイル防衛システム)の迎撃ミサイル1基が、1100万ドルであるのに対し、北韓のスカッドミサイルは300万ドルに過ぎないという点を踏まえ、(日韓の負担で)地域防衛網を構築すればコストを削減できる。』と述べた」MD体制を、他国の資金で構築しようとする米国のあつかましい意図を見て取れる。
また同紙は、「ウインフェルドは、アメリカ本土とアジア地域の防衛能力を向上させるために、今年末までに日本に弾道ミサイルを追跡する高性能TPY―2(Xバンド)レーダーを追加配備する予定だ」と、京都府京丹後市に建設予定のミサイルレーダー基地にも言及している。
レーダー基地は、ミサイル兵器と一体のものである。京丹後市が攻撃対象となることは明白だ。
平和憲法を破壊し、日本の軍国主義化へ進む安倍政権の暴走を阻止する日本民衆のたたかいは、「日本の集団的自衛権と、日韓米三角軍事同盟は、日本軍の朝鮮再侵略に道を開くもの」であることを糾弾することで、MD体制の構築を、「中国と朝鮮同族をねらった侵略政策だと抗議する韓国民衆のたたかいに繋がっていくことができる。日韓米軍事同盟を阻止する韓国民衆と日本民衆の同盟こそ、今必要なのである。

世界の目
ドイツ人記者がNHKを斬る
「こちら政府放送局です」

少し古い話であるが、ドイツのメディアがNHKの新会長に籾井勝人が就任したことをどう見ているかを紹介しよう。今回も取り上げるのは、保守系新聞のフランクフルター・アルゲマイネ。記事を書いたのは、在京特派員のカーステン・ゲアミス記者。
記事の見出しは、少々刺激的で、「日本の国営メディア・こちらは政府放送局です」というものである。この見出しを読んだだけで、ドイツ人は、たちまちナチ時代のゲッベルスの宣伝国営放送を想起するという。
さてゲアミス記者は、「安倍首相がNHKを政府の戦列の中に加えるだけでなくて、日本の第二次世界大戦史を国家主義的に再解釈するための組織として利用しようとしていることは明白である」と断言する。その確たる証拠としてあげているのが、NHKの新会長・籾井勝人の就任直後の記者会見だ。
記者は、籾井が「報道や報道機関についてまともな認識を持っていないが、首相と同じ国家主義的イデオロギーの持ち主であるがゆえにNHK会長に任命された」ことからみて、籾井の任期の3年間のうちにNHKが「政府のプロパガンダの手段になる」と警鐘を鳴らす。
籾井の日本軍「慰安婦」にかんする一連の発言の中で、記者が「極め付けはこれだ!」と取り上げているのは「韓国が、暴力で女性を徴集した唯一の国が日本であると主張するので話がややこしくなった」というものだ。「日本軍が当時数万人の少女を参謀本部の指示で性奴隷にした―このようなやり方を、国際的に、独立した歴史研究者たちは、『唯一無二』のものであると認識しているが―ことに、東京の新政権の権力者たちは今でも異を唱えている」ときびしく批判する。
そして彼は、籾井発言をめぐってソウルから東京にむけて発せられた次ような問いかけに、東京からの返答がなかったことを憂うのである。「もし日本にまだ良心を持つグループが存在するのであれば、あのような不条理な発言をする、極めて反倫理的な立場にたつ籾井のような男がどうして公共放送のトップに立つことができるのか」
籾井や百田尚樹らの発言を「委員の私的な発言に過ぎない」というNHKの態度を見て記者は危機感を募らせる。「これらの安倍信奉者を経営委員に任命したということは、日本における報道の自由を組織的に空洞化させる政府の一連の決定の一環である」と。
最後に特定秘密保護法について、「今やこの法律は可決されたのだから、それを問題視するいかなる理由もない」という籾井の発言を取り上げて次のように締め括る。
「こうした政治の結果はすでにあらわれている。NHKの編集者が、外国の同僚との議論で安倍の政策の危険性を指摘したとしよう。そしてなぜ自分の番組でそのことについて何も報道されていないのかを問われたとしよう。その時、その編集者はあきらめて肩をすくめるだけであろう」。(H・T)

夏期特別カンパに御協力をお願いします

安倍政権は7月1日、集団的自衛権行使を認める閣議決定を強行しました。集団的自衛権の行使容認と憲法改悪との闘いは歴史的階級決戦になろうとしています。政権を揺るがす運動をまきおこしていくには、資金が必要です。革命的共産主義者同盟再建協議会に対し、支持者・読者の皆さんに特別カンパをお願いします。

郵便振替
口座番号 00970―9―151298
加入者名 前進社関西支社
郵送 〒532―0002
 大阪市淀川区東三国 6―23―16
 前進社関西支社

6面

直撃インタビュー(第24弾)
あくまで現場にこだわる
朝鮮人強制連行の真相を究明(上)
藤原 好雄さん


藤原好雄さんは現場の闘いに徹底してこだわる人である。82歳になる今でも、常に闘いの現場に駆けつけ、自ら体を動かさなければ気が済まない。ながく労働運動にかかわり、奈良市会議員を6期つとめた。現在は、朝鮮人強制連行・奈良県真相調査団をはじめ、護憲運動や沖縄の基地撤去を求める運動など、奈良県の反戦平和運動の中心的な人物である。(上)では朝鮮人強制連行の現場とその取り組みについて、(下)では職場の闘いと地域の闘いについて聞いた。(見出し・文責は編集委員会)

―学童動員の体験を聞かせてください

1943年、小学校(国民学校初等科)5年生の時でした。その頃5、6年生は学童動員がありました。予科練(海軍飛行予科練習生)が馬に乗って学校にやってくれば、草刈りの要請に来ているわけです。柳本飛行場をつくるためです。草刈りが告げられると、「あすは勉強せんでもええぞ」と喜びました。家から鎌2丁と砥石をもって学校にいくわけです。みんな農家の子ですから、草刈りは先生よりも子どもたちの方が早いのです。
草刈りは、夏も冬もあったのですが、その日は暑い日でした。水筒の水はアッという間になくなってしまいます。私は、予科練がドラムカンで湯をわかして、茶をつくっているのを知っていました。それで、水筒に茶を入れに行ったのです。
ハッと見ると、そのドラムカンの横のところで朝鮮人の青年が腕立て伏せをさせられていました。ひとめ見たら朝鮮人の青年だと、すぐにわかります。顔は血だらけでした。その青年は腕立て伏せをしている背中に、薪の割木が乗せられていました。腕がガタッとなると、それが落ちます。落ちたらその割木で顔を殴られるのです。ふつう10分もしたら、腕がガクッとなりますよ。私が見たときはそういう状況でしたから、1時間以上たっていたのではないでしょうか。血をいっぱい流している。それはもうすごい状況を、私は見ているわけです。
いつまでたっても、わたしはその情景を忘れることはできないのです。思い出すと、今でも涙が出てきます。強烈な印象をもっています。その青年が何をしたのか、その事情は知りません。だけど、そこまでしなくてもよいではないか。私がなぜ朝鮮問題とか朝鮮人の問題にこだわるのかというと、この体験があるからです。

―柳本飛行場について、教えてください

大和海軍航空隊の飛行場(柳本飛行場)は、『天理市史』では1944年に建設が始まったと書かれていますが、正確には1943年から工事が始まったのです。これは私の体験とも一致しています。一般からの勤労奉仕がありました。また、この建設工事には朝鮮人労働者が動員や強制連行され、働かされています。「慰安所」も設置されています。

―建設中の体験を聞かせてください

飛行場の中にある神社、墓地、寺などは移転、廃棄させられました。明専寺の墓地が飛行場の中にありました。1943年頃ですか、暑い日でした。私が歩いて飛行場作りの草刈り場から帰る途中、その墓が掘り起こされているところを見ています。村の女性と老人が作業をしていました。当時は土葬です。その現場を目で見て、何やら頭が痛くなって、身動きできなくなって苦しんだのを覚えています。

―「慰安所」のことは知っていましたか

1945年の4、5月頃でした。この年、私は県立奈良工業学校(電気科)に入り、家から柳本駅まで歩いて通学していました。ある朝、私は駅の近くを急ぎ足でまっすぐ歩いていました。道に立っていた2、3人の憲兵隊がやってきて、「こら、ここを通るな、向こうを回れ」と怒鳴り、私は大きく迂回させられたのです。その時、なんでか、わかりませんでした。そこは「慰安所」があった所だということが、何十年も後になってわかった次第です。
この「慰安所」には19人の「慰安婦」がおり、1人死亡しています。もう1カ所、「慰安所」がありました。しかし、詳しいことはほとんどわかりません。

―朝鮮人強制連行の真相調査をなさったのはいつですか

1997年に竹ノ内の壕を調査しました。その時に、近くの農家のおばさんに聞いたのです。「だれが作ったのか、知っていますか」と。「そんなもんは朝鮮人にきまっていますがな」と言っていました。当時の状況をみて知っているのは、農家の女性か子どもです。
農家の人は、朝鮮人労働者が働かされている姿をみて、かわいそうやからと、お米をあげたり、食べるものをあげたりしていました。この点、田舎の人は朝鮮人を見くだしながらも、親切でしたね。

―強制連行について教えてください

日本の朝鮮侵略は、1905年から始まっています。それは軍事的支配=武断統治と同化主義=皇民化政策でした。そして、最初に「土地調査事業」をやったわけですね。当時、朝鮮の土地は皇帝のものでした。つまり、土地は誰のものでもなかったのです。「誰の土地か」と言われても黙って、返事をしない。返事をしなければ、日本政府のものやということで、土地を取り上げるわけです。こうして、朝鮮の農地の半分ほどが「拓殖会社」(注1)の土地になってしまいました。
1920年代には米取り上げ(産米増殖運動)、1930年代には人取り上げ(工業化政策)、1940年代には命取り上げ(強制連行、徴用・徴兵)をおこなっていきます。
朝鮮に対する日本の侵略史を勉強しないかぎり、日本の近代史はわかりません。これがわからないと、本当の政治というのは、できないのではないでしょうか。侵略の歴史を教えられない日本の青年は、本当に不幸です。私はそう思います。

―柳本飛行場の場合は、どうだったのですか

国連人権委員会では、強制連行というのは物理的だけではなく、精神面も含めて言うわけです。監視され自由を奪われている場合も強制連行です。 いわゆる強制連行されてきた朝鮮人と、もう一つのタイプがあります。朝鮮人の親方が自国では仕事がなくなり、日本に働きにきている場合です。自国の農地が破壊されて、働き口を求めて日本にきた人たち。こういう人たちもふくめて、渡日が始まったのです。
柳本飛行場の場合、2千ー3千人の朝鮮人が動員されています。しかし、強制連行された人の名簿はいっさい残っていません。そのまま帰ったのかというと、そうではない。死んでいる人もいるはずですね。だから、私たちは周囲の寺をさがしまして、過去帳を見せてもらいました。なかなか見せてもらえないのです。4体くらいしか見つかっていません。

―今年4月18日に、天理市は柳本飛行場の説明板を撤去しました

説明板の四角の枠内には、強制連行された人たちの証言が次のように記されています。
「寝ているときに急に人が入ってきて連れてかれた。1943年の秋だ。」
「トラックで運ばれたあと、貨物列車に乗せられて、着いたのが柳本だった。何百人といた。私の村からは4人いた。とにかく多かった。」
「朝5時半に起きて、飛行場建設にあたった。沖縄戦が始まってからは、夜にも(山の斜面に)トンネルを掘らされた。」
この説明板は1995年につくられました。私ども朝鮮人強制連行・真相調査団が運動して作ったのではないのです。川瀬俊治さんと高野真幸さんが中心になって、「奈良県での朝鮮人強制連行等に関わる資料を発掘する会」(「奈良・発掘する会」)が、先行して柳本飛行場の調査をやっておられました。これらのは、みんな本にまとめられています(注2)。
韓国に行って聞きとり調査をし、外務省、防衛省の戦史資料室、国会図書館で資料を集めていったのです。この2人が苦労して調べたことによって、柳本飛行場の「強制連行」の事実は根拠があるのです。資料がないのではなく、政府が公表していないだけです。
さらに、説明板設置後も、「奈良・発掘する会」では韓国で新たに判明した4人の当事者から聞き取り調査をおこない、小冊子にまとめています。

―説明板はどのような過程でつくられたのですか

天理市の同和教育研究会の人たちといっしょに作業をしています。内容に間違いがないように慎重に検討し、文言をつくっていったのです。調べた資料に照らし合わせながら文章にしました。天理市と教育委員会はこれに同意をして、説明板を建てたのです。だから、軽い文章ではないのです。史実に基づいた、根拠のある文章なのです。

─天理市が撤去すると決めた理由はなんですか

今年にはいって、説明板の「強制連行」の記述の内容に抗議する手紙やメールが天理市にあったようです。「事実ではない」「書かれていることはデタラメだ」といった内容です。 並河天理市長は、つぎのようにコメントしています。「様々な歴史認識があり、国全体においても議論が行われている中で、『強制性』の点も含め市および市教委の公式見解と解される掲示を行うことは適当ではないと判断し、いったん撤去保存している。今後、歴史専門家等による国全体での研究・検証を見守りたい」と。
天理市長は「いろいろ論議がある」というのは、政府の解釈とは違うからでしょう。ほんとうは政府の見解というのは、柳本や全国の事実を総合して、その上にたって歴史事実を決めるべきものです。政府の見解が決まっていないから、説明板を一時撤去するというのは、おおきな間違いではないでしょうか。

―6月26日に、「天理飛行場跡の説明板の撤去について考える会」が記者会見をしました

「考える会」では、広く柳本飛行場の歴史を市民に知ってもらうために、長い取り組みを進めていこうと思っています。これら活動に賛同団体として力を合わせていただけることを、読者の皆さんにお願いしたいと思います。  (つづく)

(注1)正式名称は「東洋拓殖株式会社」
(注2)『幻の天理「御座所」と柳本飛行場』(高野真幸著、2003年、解放出版社)、『朝鮮人強制連行・強制労働ガイドブック 天理柳本飛行場編』(高野真幸編、1999年、解放出版社)

ふじわら・よしお
1932年7月生まれ。82歳。
1951年高校を卒業後、 電気通信省(1952年に日本電信電話公社に移行)近畿電気通信局資材部奈良工作工場に就職。以後、労働組合運動に入る。1967年、奈良市議会議員に当選(6期24年間)。「朝鮮人強制連行・奈良県真相調査団」事務局長、「憲法を生かす会・奈良」共同代表、「沖縄・意見広告運動」全国世話人などを担う。