未来・第153号


            未来第146号目次(2014年6月4日発行)

 1面  大飯原発3・4号機 運転差し止めを命令
     福井地裁 経済性よりも“命”を優先

     安倍政権はダメ
     新宿駅周辺でデモ

     原発自主避難者に賠償
     東電に初の仮処分命令 京都地裁     

     沖縄 政府の圧力に負けない
     5・15平和行進 力強く

 2面  争点 集団的自衛権(上)
     他国を攻撃する権利
     汐崎 恭介

 3面  「口元」チェック 撤回させた
     不起立処分取り消しへ集会       

     京都府 京丹後市 米軍レーダー基地
     工事着工に抗議

     住宅追い出しとの闘いを
     部落解放同盟全国連第23回大会

     狭山闘争、新展開へ
     5月23日 日比谷野音で全国集会

 4面  維新・橋下暴言の不正義
     「慰安婦」問題で西野留美子さんが講演

     橋下市長絶対許さへん
     「暴言」1周年にデモ

 5面   書評 新しい三里塚闘争論
     『成田空港の「公共性」を問う』を読んで
     (鎌倉孝夫・石原健二編著 社会評論社 2014年刊)      

     読谷村で三里塚集会
     市東さんが現状を報告 沖縄

     6・25市東さん農地裁判へ
     東京高裁は徹底審理せよ

 6面  視座 世界政治の焦点 ウクライナ(上)
     黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)を読む      

     世界の目 アメリカの「失望」が意味するもの
     独・フランクフルター・アルゲマイネ紙より

       

大飯原発3・4号機 運転差し止めを命令
福井地裁 経済性よりも“命”を優先

「司法は生きていた」歴史的な勝利判決直後の
福井地裁前(5月21日)

5月21日、福井地裁・樋口英明裁判長は、関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を下した。判決では大飯原発の構造的欠陥を指摘。原発事故が生命、身体、生活基盤に重大な影響を及ぼすことを重視し、「極めて多数の人の生存そのものにかかわる権利を電気代の高い低いの問題などと同列に論じることは許されない」として被告・関西電力の主張をしりぞけた。
昨日からの雨が、漸くあがった午後、福井地裁正門前は「3・11」後初めての原発訴訟判決に注目するマスコミが陣取っていた。2時頃になると三々五々人びとが集まってきて、38席の傍聴券を求めて200人を超える人々が裁判所裏側の地下通路に吸い込まれていく。
午後2時45分、傍聴抽選を終えた原告団と支援は、弁護団も加わって、横断幕を掲げて裁判所正門前に向かった。
傍聴抽選に外れた支援者は正門前で、ある人は談笑し、ある人は落ち着かない様子でうろうろして、判決の知らせを待った。3時5分、地裁玄関に、白い棒を掲げ持ち、ガッツポーズの青年が2人飛びだしてきた。「おっ、奇跡か」と思ったとたん、白い棒が、バッと開かれ、「差し止め認める」「司法は生きていた」の大きな文字が現れた。
マスコミのカメラは一斉にシャッター音を発し、支援者からは拍手と万歳の声があがり、やがて、「原発反対」「再稼働反対」のシュプレヒコールが繰り返し叫ばれた。警察が出動し威圧するが、喜びにわく人々に効果があるはずがない。
法廷の状況が全くわからない。3時30分頃に若い僧侶が出てきて、支援者が群がった。僧侶は「たかが経済活動である原発が、人権を侵してはならない。関電が主張する安全には根拠がない」と、判決の一部を伝えた。
3時45分、笑顔の原告たちが出てきて、今や遅しと待っている支援者と合流した。あっちにひとかたまり、こっちにひとかたまりと、感動を共有する輪がいくつもできた。弁護団はマスコミに取り囲まれ取材攻勢を受けている。原告団事務局から5時記者会見、6時報告集会の方針が提起され、会場の教育センターに向かった。

安倍政権はダメ
新宿駅周辺でデモ

5月10日、「安倍政権はダメだとはっきり言おう! 5・10新宿デモ」(写真左)がおこなわれ、160人が参加した。主催は、〈安倍のつくる未来はいらない! 人々〉。
安倍の反動攻撃が市民生活のすべてを覆う勢いで進んでいる。その理不尽さによって逆に市民の中で慣れが生じてしまうのではないか、安倍批判の声を上げることに迷いが生じているのではないか。これらを危惧する人々が新宿に集まった。
デモ出発前、多くの人でにぎわう新宿アルタ前で、デモ参加者がアピール。集団的自衛権・改憲問題、戦争と戦後補償問題、沖縄辺野古の問題、教育・日の丸君が代問題、社会保障・派遣労働問題など発言は多岐にわたった。福島から黒田節子さんが原発問題を訴えた。午後2時に出発したデモ隊は、1時間以上にわたって、新宿駅周辺で「安倍政権倒そう」の声をとどろかせた。

原発自主避難者に賠償
東電に初の仮処分命令 京都地裁

福島第一原発事故で福島県内から京都市内へ自主避難し、東京電力に損害賠償を求めて京都地裁へ提訴した40代男性が賠償金の仮払いを申し立てた仮処分の決定で、京都地裁(佐藤明裁判長)は東電に月額40万円の支払いを命じた。決定は5月20日付。
原発事故賠償で裁判所が避難者への仮払いを命じる仮処分決定を出すのは全国初。
決定では「男性の休業損害は事故と因果関係がある」と認定。東電は、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会の指針で損害項目に就労不能損害が挙がっておらず「因果関係なし」と主張したが、佐藤裁判長は同指針の「個別具体的な事情に応じて因果関係を認め得る」との基本姿勢に触れ、「自主避難の損害と事故の因果関係は事案ごとに判断すべき」と指摘。今年5月から1年間、月額40万円を支払う必要性を認めた。
申立書などによると、男性は妻と幼児ら3人の5人家族で福島県の避難指示区域外から避難し、昨年5月に約1億3千万円の損害賠償を求め提訴。同12月、「仮払いがないと生活を維持できない」として仮処分を申し立てた。東電は答弁書で「自主避難者への公平な基準で賠償済み」などとして却下を求めていた。

沖縄 政府の圧力に負けない
5・15平和行進 力強く

名護市・辺野古で行われた出発集会で気勢を上げる平和行進参加者たち(5月16日)

5月18日、5・15平和行進実行委員会と沖縄平和運動センターが主催する「復帰42年5・15平和とくらしを守る県民大会」が宜野湾海浜公園で開かれた。豪雨のため当初予定の屋外劇場から野球場前広場に変更されたが、県内外から2100名が参加した。

辺野古で出発集会

16日、名護市辺野古浜に、沖縄本島3コース(東・西・南)の参加者全員1100人が結集して、37回目の平和行進が始まった。辺野古新基地建設が緊迫する中、3コースが一堂に会し、辺野古新基地建設を許さないことを決意する場となった。
山城博治実行委員長は「昨年から政府の圧力が強化されている。それに負けず力強い運動をつくっていこう」と訴えた。へリ基地反対協共同代表安次富浩さんは「基地建設が始まれば、まさに皆さんの立っている砂浜に作業ヤードが作られます」と危機感を露わにした。本土の代表は「行進で基地建設反対、反戦・平和を訴えたい」と決意を述べた。
最後に訪米中の稲嶺進名護市長のメッセージが読み上げられ、山城実行委員長の団結ガンバローの後、東コース(宜野座からキャンプハンセン)を先頭に辺野古浜を一周し、3日間の行進に出発した。西コースは読谷村役場前から嘉手納基地へ、南コースは糸満市西崎運動公園から南部戦跡周辺を歩く平和行進に出発した。

豪雨の中で県民大会

18日午後、3日間の行進を終えた労働者が豪雨をものともせず、宜野湾海浜公園に続々と結集した。集会は激しい雨の中、山城実行委員長によるあいさつの後、3コースの代表が「県外や国外の人たちと一緒に歩いたことで、平和の思いを新たにした。伝えていくことの大切さを実感した」と3日間の行進を振り返った。韓国の済州島で海軍基地建設反対を続ける代表も連帯のエールを送った。
「日米両政府によって押し進められる沖縄や全国の米軍基地の強化・拡大に反対する。原発の再稼働、憲法改悪を許さず世界平和のために闘いぬく」などの大会宣言を決議し、最後に山城実行委員長の「戦争への道に突き進む国にさせないために頑張ろう」の掛け声に合わせ、全員で団結ガンバローと拳を上げた。

2面

争点 集団的自衛権(上)
他国を攻撃する権利
汐崎 恭介

5月15日、首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、首相に報告書を提出した。これを受けて安倍首相は、同日夕、記者会見において、「限定的に集団的自衛権の行使を認めるべき」という政府の考え方(「基本的方向性」)を示した。戦後、集団的自衛権は常に「他国を攻撃する権利」として行使されてきた。これを「限定的」であれ認めるということは、事実上、憲法9条を破棄するということである。

固有の権利なのか?

政府の主張は「個別的自衛権と集団的自衛権は国家の固有の権利である」というものである。
まずここから見ていきたい。「自国が武力攻撃を受けたとき、相手国に対して武力を持って反撃する権利」である自衛権の概念が、歴史上登場してきたのは19世紀前半のことである。第一次世界大戦後、〈国際紛争解決のための戦争の否定〉と〈国家の政策の手段としての戦争の放棄〉を宣言したパリ不戦条約(1928年)においては、自衛権の行使は禁止されるべき「戦争」から留保されるとした。
第二次大戦前までは、自衛権に「個別的」「集団的」という区別は存在しなかった。「自国が武力攻撃を受けたとき」というのが自衛権行使の大前提となっていた。
ところが集団的自衛権とは「自国が武力攻撃を受けていないにもかかわらず、自衛権(すなわち他国に対する武力)を行使できる」とするものである。このような概念が登場したのは、第二次大戦後、1945年に締結された国連憲章第51条においてである。
国連憲章の草案がアメリカ・イギリス・ソ連・中国の4カ国によって合意したのは、1944年秋のことであるが、草案には第51条は存在しなかった。この時期は連合国側が協力して、日本・ドイツ・イタリアとの戦争を遂行していたときである。ところが、独ソ戦に勝利したソ連軍は東欧諸国に進出し、その勢力圏化の動きを見せ始めた。一方、アメリカも西欧の勢力圏化へと向かう。こうして米ソふたつの大国が対立し、世界の分割を始めたとき、国連憲章の中に第51条が設けられることになったのである。米ソ両国が当時、何を意図していたかは明白である。それは相手が自分の勢力圏に進出してきたときに、武力で反撃する権利を確保することであった。
しかしこれは、排他的な軍事同盟を否定し、集団安全保障体制の確立をうたった国連憲章の精神に明らかに反している。そのため第51条はつぎのような抽象的な表現になっているのである。
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。(後略)」
この条文を見れば明らかなように、「集団的自衛権とは一体どのような権利なのか」ということについては何も書かれていない。書くことができなかったのである。

違法な侵略の代名詞

それでは戦後、集団的自衛権はどのように行使されてきたのだろうか。主な事例を年代順に左の表に列挙してみた。
東西冷戦期に集団的自衛権を行使したのはほとんど米・ソ両国である。しかもすべて自国の勢力圏内の小国に対して行使しているのである。つまり大国の勢力圏・新植民地主義体制からの離脱・解放を求める小国・民族に対する侵略戦争の口実として集団的自衛権が使われてきたのだ。集団的自衛権が「違法な侵略の代名詞」と言われるゆえんである。
冷戦後、集団的自衛権が行使されたのは01年のアフガニスタン戦争である。01年9・11「同時多発テロ事件」に対して、翌日開催された国連安保理は、加盟国が「個別的及び集団的自衛の固有の権利」を持っていることに言及した決議1368をあげた。アメリカは個別的自衛権をかかげてタリバーン政権打倒の戦争を開始。NATO諸国は集団的自衛権をもってこれに参戦した。
このように「集団的自衛権」が比較的新しい概念であり、しかもそれが行使されてきた実例から鑑みれば、「自国が武力攻撃を受けていないにもかかわらず、他国を武力攻撃する集団的自衛権は国連憲章の理念との関係で問題をはらんでいる」という議論(高野雄一、藤田久)が日本の国際法学会では有力である。また集団的自衛権を個別的自衛権と同列に「固有の権利」とすることにたいする異論(高野、最上敏樹、広部和也)もある。

「限定容認」はペテン

さて、安倍は5月15日の記者会見において、安保法制懇の報告書で「二つの異なる考え方」が示されたと述べた。一つは「個別的か、集団的かを問わず、自衛のための武力の行使は禁じられていない。また、国連の集団安全保障措置への参加といった国際法上、合法な活動には憲法上の制約はない」とするものであり、いま一つは、「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」である。そして政府としては前者の考え方を取らず、後者の考え方で検討を進めていくと表明したのである。ここで安倍が「限定的に集団的自衛権を行使する」と述べたことを捉えて、新聞・テレビの報道では「限定容認」という用語が飛び交っている。
しかし報告書を読めば一目瞭然であるが、そこでは安倍が言うような「二つの異なる考え方」という形で問題は出されていない。報告書が提言しているのは、従来の政府による憲法第9条の解釈を変更によって次の4項目を認めるべきだということである。

@集団的自衛権の行使
A軍事的措置を伴う国連の集団的安全保障措置への参加
B国連PKO等や在外自国民の保護・救出、国際的な治安協力における駆け付け警護や妨害排除に際しての武器使用
C「組織的計画的な武力行使」かどうかの判別がつかない場合(個別的自衛権行使の要件を満たさない場合)であっても、そのような侵害を排除する自衛隊の行動
安倍は記者会見でこの4つのうちの「A軍事的措置を伴う国連の集団的安全保障措置への参加」だけを留保し、残りの3つはすべて認めると表明したのである。
会見の中で言及した、「国連PKO要員が武装集団に突然襲われる」という事例はBにあたる。また「漁民を装った武装集団が我が国の離島に上陸する」という事例はCをさしている。
提言では集団的自衛権について次のように定義している。「我が国と密接な関係にある外国に対して武力攻撃が行われ、その事態が我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるときには、我が国が直接攻撃されていない場合でも、その国の明示の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使してこの攻撃の排除に参加し、国際の平和及び安全の維持・回復に貢献すること」としている。「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性」や、「明示の要請又は同意」、「必要最小限の実力の行使」などを条件にしていることを持って「限定的」といっているようだが、「密接な関係にある外国」がアメリカであるとすれば、これらの条件は瞬時にクリアされる。

最後の歯止め

それでは、報告書はどのように憲法9条の解釈を変更しようとしているだろうか。
現在の政府の解釈は、「外国から不正な武力攻撃を受けたとき、国民の生命や財産が危機に瀕するような状況で、不正な攻撃に対処する主権国家の最低限の責務として自衛権を行使するための必要最小限度の実力組織を持つことを禁止してはいない」というものである。すなわち、「必要最小限度の実力組織」としての自衛隊は憲法9条の「戦力」には該当しないというものだ。
そして自衛隊が武力を行使する場合は次の要件を満たさなければならないとした。
@わが国に対する急迫不正の侵害があること
Aこれを排除するために他の適当な手段がないこと
B必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
これに対して報告書の提言はBの実力行使における必要最小限度の範囲の中に「集団的自衛権の行使」も含まれると解釈すべきだという。
これは暴論である。自衛権発動の3要件は、日本に対する武力攻撃の発生が大前提であり、その前提を欠いている集団的自衛権がここに入り込む余地はない。
「最小限度の実力行使」とは、日本の領土・領海から「敵」を排除することに止めるという意味である。つまり、敗走する「敵」を追いかけて「敵国」の領土に攻め入ったり、占領してはならないということである。これに対して、集団的自衛権の行使とは「他国を守る権利」とも言い換えられる通り、他国での武力行使が前提となっている。これを「必要最小限度」に含めるということは、自衛隊の武力行使に対する制限を取り払うということだ。すなわち、日本が他国に侵攻し、占領して占領統治をしくことも可能になるということなのである。
たとえ「限定的」という形容詞をつけようとも、集団的自衛権の行使を容認すれば、海外での武力行使を禁止してきた憲法9条の規範性は失なわれる。それは戦争への「最後の歯止め」を日本は失うということだ。(つづく)

日本国憲法
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない



集団的自衛権を行使した主な事例

ソ連のハンガリー軍事介入(56年)
 米・英のレバノン・ヨルダン介入(58年)
 ソ連のハンガリー軍事介入(56年)
 イギリスのイエメン軍事介入(64年)
 アメリカのベトナム侵略(64年)
 ソ連のチェコスロバキア侵攻(68年)
 ソ連のアフガニスタン侵攻(79年)
 アメリカのグレナダ侵略(83年)
 アメリカのニカラグア軍事介入(84年)
 フランスのチャド軍事介入(86年)
 アフガニスタン戦争(01年)



3面

「口元」チェック 撤回させた
不起立処分取り消しへ集会 大阪

処分撤回へ抗議と闘いを集中しよう
             (5月17日大阪市内)

5月17日、今春の卒業式・入学式の闘いのまとめ集会が大阪市内でひらかれ、160人が参加した。主催は、「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク。
冒頭、この春の卒業式・入学式の状況とこの間の闘いの成果が報告された。
中原教育長が昨年9月と今年1月に肝いりで出した「口元」チェック通知は、校長・副校長・教頭・主査が目視して現認するというものであったが、これを事実上撤回させた。
特にこの春は、卒業学年・入学学年の担任でも「君が代」斉唱時に起立する意思表示をしない者は式場から排除するという攻撃が執拗に加えられ、強制の度合いが強まった。
これまで処分された人数は「君が代」条例施行後、減給3名、戒告53名。この春の不起立者は卒業式では6名、入学式で2名。特に強調したいのは、
@これまで2回目で減給処分を出されていたのが、「懲戒処分差し止め訴訟・仮の差し止め請求」を起こしたことで、減給処分を阻止することができたこと。
AZAZA(「君が代」不起立処分大阪府人事委員会不服申立当該11名)のメンバーが人事委員会闘争や裁判闘争、公平委員会闘争で闘っているが、初の人事委員会裁決で高槻の山田肇さんの戒告処分が取り消された。高槻市教委が府教委にあげる処分内申について事前にも事後にも教育委員会議での議決を経ていなくて、「重大な手続きミス」があったということで処分が取り消された。しかし不当にも再任用取り消しについての申し立ては棄却した。
B府教委は3月25日の教育委員会議で不起立・不斉唱の現認については、「各校の状況に応じて校長・准校長の裁量と責任において実施する」と改め、不斉唱と不起立を別々に記載する報告用紙も一本化された。これは「口元」チェックを事実上撤回したものである。これらの勝利は、全国からの8000筆に及ぶ署名の提出や、大阪ネットに結集する組合の交渉、弁護士団体の反対声明など、反対運動の成果としてある。この成果を確認して全ての処分を取り消し、全国の闘いに広げていこう、と提起された。

闘いなくして権利なし

次にZAZA弁護団の小谷弁護士が「『君が代』で何かおもしろい事できないかな? 3年目の挑戦」と題して講演。
これから差し止め訴訟の活用、人権救済申し立て、事前の意向(思想)調査、式場外勤務命令問題を表に出してマスコミへアピールなど工夫して取り組もうと訴えた。
ZAZAのメンバー・この春の不起立者からの報告、共に闘う団体・個人からの発言の後、大阪ネット黒田代表がまとめの発言をした。冒頭提起があったこの間の勝利は段階的な勝利だ。権力への闘い無くして権利はないと言われている。我々の権利を確立していく闘いが必要だ。今年の入学式で不起立してまだ処分を阻止しているAさんの問題は、校長が「起立斉唱せよ」という職務命令を出していない。そこで顛末書を要求されている。そこに矛盾が生じている。矛盾を拡大して闘いの楔を打ち込んでいく。後で決議される集会決議を持って、19日大阪府教委へ抗議に行く。またAさんへの事情聴取が予定されている23日にも府庁別館前に集まって、弁護士立会いを要求していく。大量の抗議と闘いの意思を結集して、新しい質へと転換していこうと締めくくった。
最後に、「府教委はAさんへの職務命令を撤回し、謝罪せよ! 処分するな!」の集会決議を採択して閉会した。

京都府 京丹後市 米軍レーダー基地
工事着工に抗議

近畿地方初の米軍基地(Xバンドレーダー基地)の建設工事が、京丹後市で5月27日早朝から始まった。前日の26日午後、突然、「明日、工事に着工する」との連絡が関係者に入った。当日は、朝から工事現場の近くで、地元住民、関西一円からかけつけた人々など100人をこえる人々が抗議行動をおこなった(写真)。「10月レーダー搬入、12月運用開始」と防衛省は一方的に発表している。

住宅追い出しとの闘いを
部落解放同盟全国連第23回大会

部落解放同盟全国連合会の第23回大会が、4月12日、東大阪市内でひらかれた。
三里塚関西実行委・山本善偉さん、同住連世話人・家正治さん、吉田徳夫さん、高槻市議・和田たかおさん、森島吉美さんなどから連帯のあいさつがあり、楠木事務局長から活動報告、中田書記長から運動方針案提起があった。新たな挑戦として「地域で一から団結を取りもどす闘い」「格差是正論からの脱却」「社会運動全体の中に部落解放運動を位置づけ直す闘い」が訴えられた。
三つの特別報告がおこなわれ、狭山再審闘争では、袴田事件の再審決定を受け「次は狭山だ」として、再審要請はがき、波状的要請行動等の方針が提起された。西宮市・奈良市での住宅追い出し攻撃に対しては、当該の住民ら多数が登壇。「闘いは終わりではありません。これからです」との訴えがあり、支援カンパ運動が満場の拍手で決議された。また、来春統一地方選挙で寝屋川市議選に立候補する木邨秀幸さんから決意表明、青年部から決意表明があった。
労働運動も「社会的労働運動」というべき社会運動との関わり、社会全体を変革していく運動として労働運動が本当に必要とされる、そういう闘いが労働運動の再生かけて求められている。同じことが部落解放運動にも問われているだろう。狭山再審闘争の流動的な状況、住宅追い出しとの厳しい闘いの現実に対して、なんとしても共に運動の輪を広げたい。
特別講演で、沖縄平和運動センターの山城博治さんが、奈良の集会で石川一雄さんとともに発言にたったことを、熱い連帯を込めて話し、沖縄の現状と闘いを激しい怒りと熱意で語った。沖縄の島ぐるみの闘いに連帯し、本当に学んでいかねばならないときだ。
西宮市・奈良市の住宅追い出しと闘うカンパにとりくみ、部落解放運動との連帯の輪を広げていこう。(兵庫 K)

住宅明け渡し攻撃とたたかうための闘争カンパ
振込先:ゆうちょ銀行(口座番号)14190ー45773491
(口座名)瀧岡廣治(タキオカコウジ)
奈良の住宅追い出し裁判闘争の支援費用 西宮の強制執行に備えた、生活困窮者への引越し支援費用 差し押さえの一時的なつなぎ資金(目標額:500万円)
呼びかけ:同和住宅家賃値上げ反対全国連絡協議会
     部落解放同盟全国連合会




狭山闘争、新展開へ
5月23日 日比谷野音で全国集会

日比谷野音に3000人。(5月23日)

51年前の5月23日、当時24歳だった石川一雄さんは突然自宅で逮捕された。逮捕された石川さんは、別件逮捕、再逮捕のなかで、女子高校生殺害の取調べをうけた。そしてその厳しい「拷問」にも等しい取調べのすえ「やったと言わなければ兄を逮捕する」と脅され、だまされ、ついにウソの自白に追い込まれた。狭山事件である。
5月23日、東京・日比谷野外音楽堂で、狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会主催の「冤罪51年、袴田事件再審開始に続け! いまこそ証拠開示と事実調べを! ・狭山事件の再審を求める市民集会」が開かれた。

不退転の決意

集会は12時半から、「頭脳警察」PANTAさんのミニコンサートで幕を開けた。石川一雄さんと早智子さんがアピール。石川さんはそのアピールの中で、「残念ながら、不当逮捕されてから51年を迎えてしまいました」「私たち夫婦はこれからも無罪をかちとるまでお互いに手をたずさえながらがんばっていこう、そういった不退転の決意があります」「51年の年月で決着をつけたい」として、この集会に向けた歌を発表した。
「縄打たれ 51年前の今日 苦難の道のり 夢想だになく」
また、「なんといっても、だまされたとはいえ、自白してしまったことであります」と取調べと自白の強要に対する悔しさを述べ、狭山勝利に向かっての決意をかたった。早智子さんも、映画「SAYAMA見えない手錠をはずすまで」のことや、フェイスブックを見て参加した新しい支援者のことなどを報告し、狭山闘争の新しいうねりと51年にかける展望をかたり、狭山勝利にむかっての支援を訴えた。
集会の後半で、先日再審が決定され即日釈放された「袴田事件」の袴田巌さんが特別報告のアピールにたった。48年ぶりの多くの人の前での発言に戸惑いながらもユーモアたっぷりのアピールに、安堵の笑いや激励の声、拍手がおこった。石川さんも、かつての「死刑囚」同志としての獄中でのエピソードなどを懐かしそうに語った。
市民の会アピールを漫画家の石坂啓さんがおこない、手塚治虫さんの弟子として「反戦、反権力」をつらぬく決意をかたった。最後に、閉会のあいさつを部落解放同盟中央本部委員長の組坂繁之さんが行い、日比谷公園から常盤橋公園までのおよそ1時間のデモ行進に出発した。
狭山闘争が大きく新しく変わりつつある。今後の大衆的な発展を感じさせた。再審開始の波がうねり始めたとはいえ、それが狭山闘争の再審闘争に届くには時間がかかるだろう。だが展望はある。「裁判長はその時代の世論が納得する判決を出すのだ」ともいわれる。そういう世論をつくりだす大きな新しいムーヴメントを創り出すことだ。(東京 M)

4面

維新・橋下暴言の不正義
「慰安婦」問題で西野留美子さんが講演

昨年5月13日、橋下大阪市長は、「銃弾が飛び交う中で走っていく時に、高ぶっている集団を休息させてあげようと思ったら、『慰安婦』制度が必要なのは誰でもわかる」と発言。そして沖縄の米海兵隊司令官に対して、「もっと風俗業を活用してほしい。そういうところを活用しないと海兵隊の猛者の性的なエネルギーはコントロールできない」などの暴言を吐いた。こうした「慰安婦」被害者を辱め、女性を性の道具として扱い尊厳を踏みつける暴言に対して、日本国内にとどまらず全世界から非難の声が上がった。しかし橋下市長も維新も、今に至るも謝罪・撤回をせず、暴言はさらにエスカレートしている。
この1年間の橋下暴言への闘いの上に、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークが主催、橋下市長の「慰安婦」・性暴力発言を許さず辞任を求める会協賛によって集会が開催され、150人が参加した。以下、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター・西野留美子さんの講演要旨を紹介する。(文責=本紙編集委員会)

戦争の美化

2007年の第1次安倍政権時、安倍首相は「『慰安婦』の強制連行は無かった。証拠を出せ」と、昨年の橋下市長と同じ暴言を吐き、国際的非難を浴びてアメリカに謝罪した。その時に、「辛酸を舐められた元『慰安婦』の方々に、人間として、また総理として心から同情する」という発言をした。昨年に橋下も安倍同様の暴言の際に、「意に反して『慰安婦』になったのは戦争の悲劇の結果。戦争の責任は日本国にもある。『慰安婦』の方には優しい言葉をしっかりかけなければいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない」と発言した。
私たちは、この二人の言葉になぜ怒りがこみ上げるのか。優しい言葉をかけるのは自らを第三者に置くためである。しかし女性に辛酸を舐めさせたのは一体誰なのか。「慰安婦」問題が公になって20年以上経っても正されない、この不正義を正さない限り被害者の尊厳の回復はない。彼らが守りたいのは日本の名誉でしかなく、戦争を美化したいだけだ。

性の防波堤論

橋下発言の不正義とは「性の防波堤」論である。橋下は、昨年6月23日の沖縄戦の慰霊の日にRAA(特殊慰安施設協会―戦後に日本政府が米軍兵士専用に作った慰安所)について触れ、「沖縄の女性が防波堤となり進駐軍のレイプを食い止めてくれていた」「沖縄の女性は頑張った。そういう女性たちに感謝の念を表して、そこで悲惨な境遇を受けた場合にはお詫びや反省をしなければいけない」と発言したが、「『慰安婦』制度は必要」「風俗業を活用」と同じく「性の防波堤」論。「一般住民女性の貞操を守るために性の防波堤になった女性に感謝する」という主張。しかし彼らが守ろうとしたのは「民族の純潔」であり女性の人権ではない。そして、「民族の純潔」を守るとは、大和民族の純潔を守ること、すなわち国体の護持にほかならない。
女性を、「強かんされてはならない女性」と「強かんされてもいい女性」に分け、「良家の子女の防波堤のために、彼女たちに身をもって日米親善にあたってもらいたい」(坂信弥警視総監・当時)としてRAAが作られ、米軍向けに日本人「慰安婦」が集められたが、そこでは「芸妓・公私娼婦・女給・酌婦・常習密売淫犯者」が人柱として集められた。橋下の主張はこれと同じ。

「強制」の証拠はある

安倍や橋下が繰り返し言い続けている「強制連行を示す資料は見当たらない」というデマについて。
@河野談話では、「調査にあたっては各種の証言集における記述、大韓民国における元慰安婦に対する証言聴取の結果等も参考としており、これらを総合的に判断した結果、政府調査結果の内容となった」(高市早苗議員の質問に対して閣議決定された橋本龍太郎内閣の答弁書・1997年)と記されており、普通に考えれば「全体として判断した結果」の結論であるのは自明なのに、「強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」のみを取り出して「無かった」と言い張るのは許されない。
A河野談話当時に資料は発見されていた。昨年6月に共産党の赤嶺議員が、インドネシアで行われたBC級戦犯の裁判のバタビア臨時軍法会議の記録の中に、セマランとバタビアの慰安所関係の事件の被告人と判決概要が記されているが、そこには、「1944年2月末ころから同年4月までの間、部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」と書かれているがどうかという質問主意書を政府に提出したところ、政府の側から、「資料はありました」との返答があった。強制連行を示す資料が見つかっていたことを政府は認めざるをえなかった。その上で、政府の答弁書は、「証拠はない」と言い張り続けている安倍首相の名前では出せないのか、麻生副総理の名で出してきた。
B日本の裁判所でこれまで「慰安婦」裁判はいくつも闘われており、結果的には敗訴にはなっているが、裁判所の事実認定では強制連行はいくつも認定されている。
C日本政府は強制連行を「拉致による強制連行」に切り縮めようとしているが、強制性とは連行時のみではなく、移送の際も自由はなく拘束されていたこと、慰安所での性行為の強要(強かん)、敗戦時の置き去り等、トータルに見なければならない。

軍の関与は明白

「軍の関与」を否定できなくなった日本政府は、「軍の関与はいい関与だった」「強制連行を行ったのは業者」というすり替えを行おうとしている。
まず、2000年の女性国際戦犯法廷のNHKドキュメント番組で、吉見義明さんの資料を、改ざん前には「慰安所制度への軍の関与を示す文書が提出されました」となっていたものが、改ざん後の放映では、「これは民間の手で慰安婦を集める時のトラブルをなくすことを目的に軍が関与したことを示す資料です」とすり替えられた。
「慰安婦」を集めていた業者が警察によって逮捕され取り調べを受けたときに、「軍の命令」と言い張ったため、警察はあわてて軍や内務省に問合せをおこなっていたという証拠がいくつも発見されている。そうした事例は、和歌山、長崎、九条(大阪)、山口、群馬など全国に及んでいる。内務省が、「慰安婦」の募集にあたっては業者の選定に注意を払い、地元警察・憲兵隊との連絡を密に取るようにとの指令を出した文書も発見されている。「慰安婦」の募集を禁止した指令ではなく、慎重に進めるようにとの指令。軍のみではなく、警察も内務省も、要するに国家ぐるみの政策として「慰安婦」が集められたことが明白となった。

当時の刑法でも違法

河野談話の元となった被害者16人の証言潰しの策謀と、河野談話撤回の動きについて。極秘資料の証言を産経新聞と『正論』が発表して批判し、「検証しろ」と言い出しているが、そこで明らかになったことでも、ほとんどが未成年で国外移送されており、それは当時の刑法でも違法であり、また連行・徴集方法が16人全員が略取(暴行・脅迫)か、誘拐(欺罔・誘惑)であり違法に当たる。
慰安所には多くの日本人女性も「慰安婦」として居たが、その多くが遊郭にいた女性、農山村から前借金で集められた人身売買、「女中・女給」を謳って詐欺的に集められたケースであり、彼女らには、「お国のため」「死んだら靖国に祀られる」という戦争ナショナリズムで鼓吹して動員し、戦後は社会の隅へと追いやっていった。

女性の人権問題

西野さんは、アジア各地を訪問して被害者に寄り添いながら聞き取りをしてきたが、朝鮮民主主義人民共和国に在住の故朴永心さんについて触れ、朴さんが閉じ込められていた慰安所を一緒に訪れた時の様子を、スライドを使って話した。その過酷な実態は胸を痛めるものだった。
講演後も、会場からの質疑に対して、「慰安婦」問題は朝鮮人「慰安婦」問題ではなく、日本軍が駐屯したあらゆる所で起こっている。それを朝鮮人「慰安婦」問題に狭めることで、女性の人権問題にされずに日韓の政治問題に歪められてしまった。右翼の圧力でマスコミはほとんど触れようとせずに自主規制が始まっているなどと話した。

橋下市長絶対許さへん
「暴言」1周年にデモ

関西ネット(上記事)が、大きなバナーを掲げて参加(5月13日 大阪市内)

昨年5月13日の橋下「慰安婦」暴言から1周年の日、「橋下市長絶対許さへん5・13デモ」がおこなわれ、怒りの声が大阪市役所を包囲した。〈橋下市長の「慰安婦」・性暴力発言を許さず辞任を求める会〉が主催。
デモ当日、橋下市長は、昨年の暴言について記者に対して、「報道機関の大ねつ造から1年ですね。少しでも国民に認識を持ってもらったのであれば非常によかった」とマスコミへの責任転嫁と開き直りに終始した。
橋下市長は昨年5月13日、「世界各国が『慰安婦』制度を持っていた」などとデマを言い、「なぜ日本だけ問題にされるのか。軍の規律維持のために、慰安婦制度は当時は必要だった。(日本軍「慰安婦」問題で)我が日本国が不当な侮辱を受けている。」と発言。

市長を辞任せよ

集会は、市役所南側の中之島公園(女性像前)で午後6時15分から始まり、オープニングは、ジャズサックスのライブ演奏。つづいて、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク、性暴力を許さない女の会など6団体がスピーチ。大阪の男女共同参画施策をすすめる会は、橋下市長がクレオ大阪(大阪市立男女共同参画センター)を廃止しようとしていることに触れ、「橋下市長のような人がいるからこそ、クレオは必要なんです。逆説的意味で、橋下さんは大切な人です」と語った。
集会宣言で「橋下市長は辞任せよ。日本政府は元日本軍『慰安婦』への謝罪と賠償を。性暴力のない社会の実現をめざそう」と宣言。橋下市長が辞めるまで、絶対許さないと誓った。集会後、市庁舎を1周するデモに出た。集会が始まった時点では80人ほどの参加者が、デモ出発時には250人にふくれあがった。

5面

書評 新しい三里塚闘争論
『成田空港の「公共性」を問う』を読んで
(鎌倉孝夫・石原健二編著 社会評論社 2014年刊)

市東さんの農地裁判控訴審、第1回口頭弁論の開廷に先立っておこなわれた東京高裁包囲デモ(3月26日)

鎌倉孝夫、石原健二編著による三里塚闘争の新しい本が出た。旧来の政治的アジテーションではなく、新自由主義と三里塚の関係の経済学的分析が展開され、まったく新しい三里塚闘争論となっている。三里塚のことなら知っているという人にも、一読を勧めたい。 鎌倉氏は埼玉大学教授や東日本国際大学学長などを務めた。石原氏は全国農業協同組合中央会で農政課長、営農部長、中央協同組合学園部長を歴任。三里塚には数十年ぶりに関わりを持つようになった。
序章は市東さんの聞き書きだ。新しく知る事実もあった。
第1章は鎌倉氏の書き下ろし。タイトルは「成田空港の『公共性』と農地・農業 成田空港とはいかなる存在か」。
@国・空港会社による空港建設・拡張に公共性があるという主張。A空港の利用が増えていない事実が空港拡張の公共性を否定している。B公共性とはそもそも何か?という構成になっている。
国・空港会社の主張は「成田空港には経済的価値があり、B'滑走路を延伸する必要性や、延伸の公共性がある」とし、その理由として、@国際競争力と経済成長のため、A東アジア諸国で進展する大空港整備に対抗し、B国際拠点空港の整備・強化という国家的要請があるというもの。そのために市東さんの農地取り上げに直結する「へ」の字誘導路の直線化が必要だと主張する。
旅客数は2007年、貨物取扱量は2004年をピークに下落していると鎌倉氏は書いている。本書には書かれていないが、実際には13年度の旅客数は国内線のLCC(格安航空会社)が寄与して初めて2007年を上回った。しかしこれは国の主張にそった空港利用の拡大ではない。東京オリンピックを口実に第3滑走路を建設せよと地元経済団体や自民党議連が申し入れ、国交省が従う動きもあった。これらは、羽田と対抗して「日本の空の玄関」の地位を守るという私企業の私的利益追求でしかなく、公共性などではない。そのために市東さんの農地を取り上げるのだ。

経済成長は公共か?

さらに、競争力・経済成長確保に公益性・公共性があるという観点・意識―体制的常識について検討が加えられていく。成長が続き経済が繁栄すれば、雇用が広がり、所得が増大し、生活が豊かになるという1960年代初頭から語られてきた命題は、現代日本の経済社会において現実性を喪失した幻想であり、「成長神話」に過ぎないことが明らかにされる。
第2章の鎌倉氏へのインタビューで新自由主義の分析から展開される。タイトルは「資本主義と公共性/新自由主義が投げ捨てた公共性は農民・労働者が担う」。
一審千葉地裁判決では、公共性の主張は一切消えているそうだ。新自由主義は、金融資本のための自由の展開、金融資本のための競争力強化、金融資本の利益追求のために国家を使う。新自由主義は公共性を投げ捨て、逆に公共事業の民営化が進められる。いわゆる公共性概念、すなわち「経済成長が国民の利益だ」と支配層は言い続けてきたが、成長が国民の利益にならない現実が露呈している。企業が巨額の利益を稼ぎ出し貯めこむ一方で、失業と貧困が拡大し、生活保護利用者はどんどん増えている。
だからこそ、とにかく国家に従えという強制が出てくる。公共性がないから愛国心を強調する。抵抗勢力が悪いのだと強調される。それに引きずられる民衆が安倍の大衆的基盤となる。

主体の確立

この現状をどう変えていくかが主体の側の課題として投げかけられていると鎌倉氏は提起する。「成長神話」を含めて資本主義への幻想を捨てるしかない。では、労働者が主人公の意識を持つためにはどうすればいいか。そのためには抵抗が必要であり、教育、医療、福祉、農業など新自由主義によって解体・市場化されつつある公共領域の中で主体を築いていくことだと言う。
市東さんが抵抗を通して確立してきた主体の農業を支え、人間的連帯のネットワークと共に広めていくことが、農業を再生・確立し、日本社会を経済基盤から変革していく大きなテコとなりうると続けられる。
この展開の中には、労働運動や反貧困運動と市東さんの闘いの結合点が提起されている。「成長神話」がアベノミクスの実体であり高支持率の源泉だ。しかし、マスメディアに対抗する草の根の言論、ソーシャルネットワークを始めとする新しい形のメディアによる言論が労働者民衆の覚醒を促す武器となりうる。そして抵抗の主体を確立するテコとしての市東さんの闘いがある。

食糧危機の時代に

第3章は石原氏の「これでいいのか! 日本の農地・農業。農業を終焉に追い込む営利企業の農地取得、TPP」。
日本農政の歴史的検討がおこなわれ、農地法を市東さんの農地取り上げの根拠とすることの不法性が暴かれる。さらに、新自由主義と農業の関係が明らかにされる。農業の景気変動の緩衝帯としての役割が産業構造の変化により低下した。景気変動のなかでの労働力の調整が都市と農村間から、第2次産業と第3次産業間に移ったことに、農業政策が変わる要因があったと分析される。
以後、国、県、市町村は、価格支持や生産振興費はスズメの涙という政策が進めた。農業政策がなくなるのと同時並行で農業に企業を参入させろという動きが強められた。
これほど農業を軽んじている国は先進国では日本ぐらいのものだ。国内の穀物価格の安定すら求めず、ひたすら輸入食料主体の食品産業と輸出企業の意向に沿った経済運営がなされる。このままでは日本農業は終焉を迎えることになる。EU、アメリカは1930年代の農業恐慌以後、食糧自給はもちろん地域自給を確実なものとし、生産者とともに消費者を守っている。それに比し、日本は戦後の食糧危機を経験しているにもかかわらず、消費者を含め農業への関心がない。

6・25農地裁判へ

私は今62歳だが、戦後の食糧危機を経験している世代だ。おやつはサツマ芋、おかずもサツマ芋、主食もサツマ芋という経験をしている。おかげで一生分の芋は食べ尽くしたと大人になってからは芋が嫌いだった。この経験が農業を大事にしないと食べられない時代が来るという感覚の元になっている。世界の飢餓人口は8億7千万人、栄養不良で5歳になる前に死ぬ子どもは年間500万人にのぼる(国連WFP調べ)。金持ち国だから今は日本に食料は入って来るが、いつまでもそれが続くものではない。地球規模で食糧が逼迫することが予測されている中で自給できないことがどれほどの危機か。
農業は人と人の結びつきであり金儲けの原理とは相容れない。市東さん、萩原さんの農作物を取り寄せるようになった時に、何か共産主義に触れたような不思議な感覚があった。この連帯感・解放感は、農作物を通した農民との人間的交流の感覚だったのだろう。その市東さんの農地の4分の3が取り上げられようとしている。労働者民衆の実力闘争が必要だ。6月25日には15時から、東京高裁で農地裁判控訴審の第2回口頭弁論が開かれる。全国から傍聴に駆けつけよう。(高見 元博)

読谷村で三里塚集会
市東さんが現状を報告 沖縄

5月10日、三里塚芝山連合空港反対同盟と〈市東さんの農地を守る沖縄の会〉が主催する「三里塚・沖縄集会」が、沖縄の読谷村文化センターで開かれ、50人の仲間が集まった(写真)。宮城正明さん、知花昌一さんが「二見情話」など三線と歌を披露したあと、昨年12月に急逝された萩原進さんに黙祷をささげた。
司会のあいさつの後、関西実行委員会の山本善偉さんが「三里塚に参加して40年、市東さんが一生懸命頑張っている。一緒に頑張りたい」と発言。その後、辺野古・高江からの報告と続いた。 そして市東孝雄さんが登壇。スライドで三里塚の現状を報告した。
市東さんは「農地法は農民を守るための法なのに、それを無視している。よく知らない人は『農土を移せばいい』と言う。うちの畑を100年近く耕してきて、もう農薬を全然使っていない。それを農薬を使った畑に持ってくれば、結局、それが混ざるわけですよね。ただ土をよそに持っていけばいい、そういう問題ではない。」「裁判所に畑の土を持って行った。これを見て、裁判長は『いい土ですね』と言った」「沖縄も三里塚も国策であり、国に対しハッキリとモノを言わないといけない。沖縄、三里塚、福島と連帯して、闘っていきましょう」と話した。
最後に、知花昌一さんが立って「沖縄の先人は国権に対し民権をやろうと闘ってきた。三里塚も民衆が血を流してきた。普天間でも連日命をかけて闘っている。辺野古、高江とも6ー7月大きな山を迎える。共に闘いましょう」と、まとめた。

6・25市東さん農地裁判へ
東京高裁は徹底審理せよ

25日、市東さんの農地の強奪をねらう「農地法・行政訴訟」控訴審(東京高裁)の第2回口頭弁論が開かれる。今回は、前回半分程度が終わった弁護団の陳述がおこなわれる。ところが、東京高裁・貝阿彌裁判長は、これを30分程度で打ち切ろうとしている。
農地法を使って土地収用法でもできなかった農地の強制収用をおこなおうとする暴挙を認めた千葉地裁一審判決は多くの問題点を含んでいる。徹底審理のために弁護団の陳述は不可欠だ。
審理を急ぐ東京高裁に対して、6・25第2回口頭弁論に結集しよう。全国の人々の怒りの声、「農地を守る署名」を貝阿彌裁判長に届けよう。
こうした市東さんの農地裁判の動きの一方で、国交省は、2020年までの新誘導路建設=発着回数の年4万回増(年34万回に)、さらに30年代の新滑走路建設(位置不明、用地交渉を除いて工期4年)を明らかにし、近く有識者会議に案を示し、関係自治体・航空会社との協議に入るという。TPPとも重なって、新たな農地強奪、農業破壊が始まろうとしている。市東さんの農地裁判は、これらの行方をも大きく左右していく。

6面

視座 世界政治の焦点 ウクライナ(上)
黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)を読む

5月23日、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナが「大規模な内戦に陥っている」と危機感を表明した。ウクライナに軍事介入し、クリミアを併合した張本人が、自ら引き起こした事態に戦慄しているのである。ウクライナは現在、世界政治の焦点となっている。しかしこれを、ロシア(+中国)対西欧の「新冷戦」と見るのは軽薄である。ウクライナを世界政治の駒としか扱わないプーチンや欧米・日本の指導的政治家と変わらないからである。ウクライナの歴史や文化を知りたいと思って本書を手にした。著者が、元ウクライナ大使を務めた外交官であると知り、あまり期待はしていなかった。しかし、ウクライナの個別研究がほとんどないなかで、貴重なものであると分かった。若干の他の文献も交えて、本書から学んだウクライナ認識を紹介したい。
                                           (清川 忠)

ソ連崩壊の引き金

ウクライナは旧ソ連を構成した15共和国中、人口や経済力でロシアに次ぐ位置にあった。ソ連崩壊の時点で5000発の核弾頭を受け継ぎ、世界第3位の核保有国でもあった(96年までにすべて自主的に放棄している)。そのため「ウクライナなくしてソ連邦はありえない」と言われていた。
そのウクライナがソ連崩壊の引き金を引いた。1991年8月、共産党「保守派」がゴルバチョフ打倒のクーデターを起こして失敗した。その直後の8月24日、共産党員が多数のウクライナ最高会議はほとんど全会一致で独立宣言を採択し、共産党を禁止した。その年の12月1日、国民投票でウクライナは完全独立を決めた。すでにバルト3国はソ連を離脱していたが、ソ連崩壊の引き金を引いたのはウクライナ独立のこの決定である。それはゴルバチョフが望んでおらず、エリツィンですら予測できなかった事態であった。 われわれにとって、ロシアの一地方程度の認識しかなかったウクライナが、ロシアと決別する一歩を踏み出したのはこのときである。

「ウクライナ」の語源

筆者はロシア語が少しわかるので、ウクライナとは「辺境」の意味であると思っていた。そんな語を「国名」にすることが理解できなかった。本書で初めて謎が解けた。ソ連の歴史学会では、たしかに「辺境地帯」の意味とされてきたという。ところがウクライナ語では「土地」または「国」(英語で言えば"land")の意味であるという。そしてコサック時代(注:後述)の「祖国」としての意味をこめて誇りをもって使うようである。
ロシア帝国やポーランド・リトアニア連合王国など、かつてこの地を支配した宗主国から見ての「辺境」の意味でないことは確かである。
『世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』には別の説が紹介されている。ウクライナはたしかに古来のスラブ語で「辺境」としての意味がある。ただしそれは、13世紀にこの地を征服したモンゴルのキプチャク・ハン国の首都であったサライ(カスピ海北岸に近い現在のアストラハン)から見ての話であるという。ユーラシアを制圧したモンゴル大帝国からすればウクライナは支配の及ぶ西の端であったからたしかにそう呼ばれたであろう。
ウクライナは第2次大戦における独ソ戦の主要な戦場になり、41年から44年までの3年間はドイツ軍の占領下におかれた。全人口の6分の1にあたる530万人が死亡したという。そのうち390万人が民間人で、さらにそのうち少なくとも90万人がユダヤ人であった。ソ連軍もドイツ軍も撤退にあたっては焦土作戦をとり、700の市と約2万8千の村が全壊させられた。
戦争の犠牲はこのときばかりではない。古来、世界でもっとも肥沃な黒土地帯を目ざして、多くの民族がこの地を争って興廃を重ねた。ロシア革命のときには、もっとも激しい内戦と外部からの反革命的干渉戦争の戦場となった。
第1次大戦でこの地に侵攻したのはドイツ軍・オーストリア軍、フランス軍、さらにポーランド軍である。内戦の主体は独自の社会主義と民族主義の主張をもった中央ラーダ(「ラーダ」とはロシア語の「ソビエト」に相当するウクライナ語)によって組織された「ウクライナ人民共和国軍」、デニキンとウランゲリという2人のツァーリ時代の将軍に率いられた反革命の「白軍」、アントノフ・オフセンコが率いた外来のボリシェビキの「赤軍」、アナーキストのマフノ率いる「黒軍」、農民反乱に基礎を置く「緑軍」などであった。全土が戦場になった内戦・外戦は3年以上もつづき、最後に「赤軍」が勝利するのは1921年の末であった。この間、首都キエフ(ウクライナ語では「キイフ」)は5回以上、奪回、再奪回を繰りかえした。
ウクライナでは民族自決をめぐって社会主義、共産主義陣営内部でも激しい対立を繰りかえした。ボリシェビキは、いったんは中央ラーダとウクライナ人民共和国を認めた。ところがペトログラードの人民委員会議は、ウクライナのボリシェビキにも断らず、支持を撤回して最後通告を突きつけた。以降ウクライナでは、共産主義を名のる政党が3つも出現し、ともにコミンテルンへの加盟を申請する事態となる。ウクライナの民族自決を踏みにじったボリシェビキの政策の結果である。この点は、白井朗著『20世紀の民族と革命』に詳しい。
スターリン主義の犠牲をもっとも受けたのもウクライナであった。1929年から始まる「上からの革命」は、「農業集団化」「クラーク撲滅」「穀物の強制徴発」を掲げて、強行された。ウクライナの穀物を奪うことが目的のこの過程で、抵抗する多くの農民が処刑されるか強制収容所に入れられた。1933年をピークとする飢餓で餓死者が300万?600万人出たとされる。この間、ロシアでは飢餓をほとんど経験していない。スターリンはウクライナ民族主義の基盤をなす自営農民を絶滅するためにこのような政策を実施したと言われる。
ウクライナは20世紀に6回もの独立宣言を出している。ロシアの一部などという認識は根本的に間違っている。数か月から1、2年しかつづかなかったウクライナ人が切望する独立が91年、ついに350年ぶりに実現したのである。スターリン主義の問題性として語られる農民・農業問題、民族問題、党独裁と粛清・弾圧問題がもっとも集中的にあらわれたのがウクライナでもある。なぜそうなったのかをウクライナの歴史から知りたいと思う。(つづく)

世界の目 アメリカの「失望」が意味するもの
独・フランクフルター・アルゲマイネ紙より

安倍首相の月あたりの外遊回数は、先月8日の時点で1・16回にのぼった。これは歴代首相の中ではトップであるという。外遊先で原発や武器の売り込み、国内の「特区」への投資の呼び込みなど、トップセールスに余念がない安倍ではある。こうした日本の首相の姿を海外のメディアはどう見ているのか。
昨年末、安倍が靖国神社を参拝したときのドイツメディアの反応を紹介したい。取り上げるのは、保守系の新聞『フランクフルター・アルゲマイネ』の北京特派員、マルク・ジーモンスの「多くの中国ブロガーは日本との戦争を欲する」と題するコラムである。
いかにも刺激的なタイトルであるが、ジーモンス自身は、「安倍首相の下で日本の軍国化と右傾化が進行する現実をまのあたりにするにつけて、日本人の『忘れっぽさ』はいかにも心許ない」とその率直な不安を述べている。そしてアメリカが安倍の参拝に対して『失望』と言う表現で明確に批判をおこなったのは、「日本が戦後数十年を経て、アメリカ流の戦後的コンセンサスや西欧的価値観から離れていっていることを深く洞察している」ことの証左であるというのだ。また彼は、東京裁判でアメリカ人によって死刑を宣告された14人のA級戦犯を合祀している靖国神社を参拝するという、いわば「パートナーを侮辱することすら辞さない」安倍の態度について、「アメリカから明確に距離をおくことになっても、戦後的秩序を修正しようとするものである」という中国社会科学研究所の王一の見解を紹介している。
このドイツの保守系新聞の記者は、安倍の靖国参拝に中国と日本との関係は、軍事的衝突を含む危険性をはらんでいると警告する。西欧メディアがこのように自分の「靖国参拝」に不安な眼差しを向けているの知ってか知らずか、年明けのダボス会議の期間中に安倍は、外国メディア関係者との懇談会で、記者から「日中が武力衝突に発展する可能性はないのか」と質問されたのに対して、「英独は多くの経済的関係があったにもかかわらず第1次世界大戦に至った」とやったのである。この発言に同席したジャーナリストたちが息をのんだのはいうまでもない。(H・T)