未来・第152号


            未来第152号目次(2014年5月15日発行)

 1面  なし崩し改憲に歯止めを
     東京で共同集会 銀座デモ      

     川内の再稼働を許すな
     全国ネットが京都で合宿

     ヘイトクライム(憎悪犯罪)と闘う
     差別・排外主義にNO!討論集会

 2面  安倍暴走を阻止しよう
     5―6月、怒りの国会包囲へ(下)城戸 雄二

     “ストップ!安倍”
     6月1日、大阪でシンポ

 3面  次は狭山再審だ
     袴田事件再審決定に続け

     関電本店前弾圧(事後逮捕)
     大阪地裁が不当判決

 4面  論考
     「福島の復興」とは(5)
     南相馬市長選と住民の選択
     請戸 耕一

 5面  JR西 尼崎事故
     労働者いじめが横行
     歴代3社長の無罪判決で

     闘うメーデーの再生を
     大阪・中之島に800人が参加

     寄稿
     権力は万能ではない
     元自衛官 鈴木 一郎
     マレーシア航空機事件が示したもの

 6面  投稿
     オール沖縄との連帯を
     山城さん(沖縄平和運動センター議長)、仲里さん(元沖縄県議会議長)の        講演を聞いて

     投稿
     駅前のビラまきは罪?
     監視社会の進行に警鐘

     JR大阪駅前弾圧公判
     3日連続の終日法廷

       

なし崩し改憲に歯止めを
東京で共同集会 銀座デモ

「安倍政権の実質改憲攻撃に反撃を」と訴えて
デモ行進(4月26日 銀座)

「集団的自衛権の行使」容認、原発再稼働、沖縄・辺野古への新基地建設などに向けて、安倍の反動攻勢が続いている。
これらにどう反撃すべきかを模索する「ストップ安倍の暴走 つぶせ改憲 4・26共同集会・銀座デモ」が東京で持たれた。呼びかけは、教育・共謀罪・弾圧・等の個別の課題に取り組んでいる7団体(都教委包囲・首都圏ネットワーク、救援連絡センターなど)。
各発言者から、安倍が目指す戦争国家は歴史修正主義にまみれた戦前への回帰志向に根ざしていること、一見ばらばらに見える集団的自衛権や秘密保護法等の弾圧法は、なしくずし的な実質改憲に収束されてしまう等の危機感が語られた。
また、とても審議とは呼べないような異様な国会運営に憤慨して傍聴席から靴を投げ込んで起訴された12・6秘密法弾圧等の具体的な警察・検察・裁判所による弾圧の報告がなされた。
足立昌勝さん(関東学院大学名誉教授)は、強力な野党がなくなり、日弁連中央が「可視化」の僅かな成果欲しさで腰が引けているという困難な現状を指摘した。一方、帝国主義間の市場の分捕りあいであるTPPをめぐる情勢で安倍とて安泰ではない認識も示された。 安倍政権に対する首都での闘いは決して十分ではない。こうしたきびしい現状認識の下に、各戦線が連携を深め、幅広い陣形を形成することが当面の課題だ。(東京 T)

川内の再稼働を許すな
全国ネットが京都で合宿

全国の反原発運動団体が一堂に
(4月26日京都市内)

4月26日ー27日、再稼働阻止全国ネットワークは、京都で全国合宿をおこなった。 26日は、全国ネットの5つの呼びかけ団体の一つである〈ストップ☆大飯原発再稼働現地アクション〉との共催で、午後に「関西のつどい」、夜は全国交流会をおこなった。会場は、京都駅前のキャンパスプラザ京都。全国から180人が参加した。
「関西のつどい」では、全国ネットの共同代表である中嶌哲演さんと鎌田慧さんの講演があった。つづいて全国から参加している団体からの発言があった。
参加団体は、北は北海道の泊から、青森の大間、新潟の柏崎刈羽、福島からは原発いらない福島の女たち、東京からはたんぽぽ舎と経産省前テントひろば、北陸の志賀、福井、 島根、伊方 、玄海、南は鹿児島の川内まで、そして関西の反原発団体。また服部良一元衆議院議員も参加した。団体・個人からそれぞれ発言をうけた。交流会の後、会場を移し、懇親会をおこなった。

6月鹿児島闘争へ

翌27日は、社会労働運動センターきずなで、再稼働阻止全国ネットの全国会議が開かれ、川内原発の再稼働を具体的に阻止するための議論が進められた。
ここでは次ようなことが決められた。
第一に、5月ー6月は規制委員会をめぐる攻防になるので、まず5月14日に全国一斉の規制委員会に対する抗議行動をおこなうこと。
第二に、鹿児島県議会が、6月13日開会し、7月1日特別委員会決議、7月4日本会議決議の予定である。7月1日の特別委員会が県議会としての再稼働決議となる見通し。そこで6月13日から7月1日の間に県議会闘争を全国結集で組まねばならないだろう。闘争の具体的日程は、5月1日の地元鹿児島の諸団体の実行委をまって、そこで日程が決まり次第、その日に全国結集を決め、同時に再稼働阻止全国ネットの全国交流会を鹿児島でおこなうことを決めた。
再稼働阻止全国ネットと連携して、共に川内原発の再稼働を何としても阻止していこう。(京都 M)

ヘイトクライム(憎悪犯罪)と闘う
差別・排外主義にNO!討論集会  

4月13日、東京の文京区民センターで「差別・排外主義にNO!第2回討論集会」が開かれた。主催は差別・排外主義に反対する連絡会。集会は、第1部〈報告〉『攻撃された当事者は何を思う?』、第2部〈討論〉『私たちはどうつながるか?』という二部構成でおこなわれた。

「信頼感覚」の喪失

第1部ではジャーナリストの中村一成さんと弁護士の金哲敏さんが報告。
中村さんは、今年2月25日、岩波書店から刊行された『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件―〈ヘイトクライム〉に抗して』の著者である。中村さんはこの事件によって「社会に対する信頼感覚が大きく損なわれてしまった」と語った。「襲撃された学校は、子どもたちが朝鮮人としての自尊感情を育む場である。子どもたちは、家の門と学校の門から外へ出る時、深呼吸をするという。その学校で、『朝鮮人であること』を明確な悪意を持って思い知らされてしまった」のである。
中村さんが取材した保護者たちすべてが、子どもたちから朝鮮学校に通わせたことを根本から否定する疑問を投げかけられたと言う。
「こんなことをやって何の意味がある?」という虚しさが広がる中、「一世の時代から続く差別に『否』と言える最初で最後のチャンスかも知れない。他界した先人に正義を返したい」という思いで立ち上がった。そして勝利した。「だからこそあの判決は意味がある」と中村さんは強調した。
彼の言う「信頼感覚」とは、「『むやみに攻撃されない』『世界は生きるに値する有意義な場』『自分自身への肯定感』」のことであり、そうした「前提が打ち砕かれた」のである。
金哲敏さんは「日本は、1995年に人種差別撤廃条約を受諾し、翌年には発効しているにも関わらず、18年経った今に至るも、国内法を一切作ろうとしていない」と指弾。「『表現の自由』との関係などよりも、18年間も条約を履行しようともしない事をこそ問題にすべき」と訴えた。

ヘイトを社会で包囲

第2部のパネルディスカッションでの主な発言を紹介する。 「在特会による大久保での乱暴狼藉に『しばき隊』や『プラカ隊』が在特会に抗議しても、沿道の人たちは、何が起きているのかさっぱり判らない。そこで、『今起きているのは、差別主義者のデモとそれに対する抗議です』という極々短い文章のビラを撒いた。その中で関東大震災の事とかに触れた。非常に反応があった。ヘイトの先にジェノサイドがある。これをわれわれは1回やったんだ。プラカードを掲げて、抗議している人たちですら関東大震災への意識が無いことが分かった。在日の中には、悪夢として語り継がれているが、日本人にはまったく失われていた。90年前の虐殺の現場をブログでアップするようにした。これがツイッターなどで拡散して、5万件位のアクセスがあった。」(「知らせ隊」Kさん)
「ネットにヘイトの動画が流れることで、他者の痛みへの共感を喪失するというダメージを子供たちがこうむっている。」(中村一成さん)
「在特会は、特別な連中ではない。普通の市民がやっているという認識が必要だと思う。今でもまだまだ、日本社会は容認している。だから、それに対しては、『おかしいんだ』と言っていくことが大事だし、彼らができないような社会的雰囲気を作ることが必要。」(「連絡会」Nさん)
都知事選で田母神に60万票が集まるこの社会が、在特会を産み出している。新自由主義と対決し、格差・貧困の拡大を許さず、「難しいことをやさしく、やさしいことを深く」広範にアピールする力が求められていると痛感した。(東京 S)

2面

安倍暴走を阻止しよう
5―6月、怒りの国会包囲へ(下)城戸 雄二

新自由主義と極右政治

資本の自由な活動を保障

安倍政権の第一の階級的性格は、「新自由主義の再起動」政権であるということだ。小泉政権による格差・貧困の拡大の後で成立した第一次安倍内閣は、これへの人民の怒り・閉塞感の拡大に具体策を持てず1年で倒壊した。この小泉から安倍・福田・麻生に至る過程は、格差・貧困の拡大の上にリーマンショックが襲いかかり(年越し派遣村の現出など)、日本における新自由主義攻撃は大きく挫折した。この隙を「国民の生活が第一」を掲げた民主党が突き、政権交代が実現した。しかし民主党政権は新自由主義をいったん中止させかかったがそれを貫けず、党内抗争と「マニフェスト」の不履行、別働隊橋下の新自由主義攻撃も加わり、野田は新自由主義に回帰し、そのあまりにもの変節への怒りで打倒された。
それゆえ安倍政権は、最初から新自由主義攻撃を再開する使命を帯びている。その骨子がアベノミクスだが、株価上昇以外に「成果」も生まず1年半が経過した。13年参議院選挙勝利まで改憲攻撃を封印した基本方針が「世界で一番企業が活躍しやすい国」(2013年施政方針演説)である。日本発のグローバル資本(トヨタ・パナソニック・キヤノン・日立・武田・ユニクロなど全分野の企業)による収奪活動・争闘戦の自由を保障するのだ。米・中・韓・EU・G20と世界市場をめぐり激突し、ムスリム人民などの民族解放・反資本主義運動に世界大的な軍事展開をも追求する(2013年アルジェリア日揮事件の総括)。今回の集団的自衛権容認の根源はここにある。
国内・国外を問わず賃金を極限的に削減し、雇用を破壊し、あくなき利潤追求の自由を保障する。武器輸出を解禁し軍需産業を育成し、原発産業による原発輸出セールスを安倍自身が担う。産業競争力会議(安倍首相が座長)では労働法制改悪と残業代ゼロを狙うなど、まさに世界大的な利潤追求の自由を保障する政権なのである。

戦後レジームからの脱却

第二の階級的性格は、「戦後レジームからの脱却」をかかげ、戦後憲法体制を否定し、戦争をおこなう国家体制づくりを使命とする、現状打破政権であることだ。第一次政権は「憲法の精神を教育において実現する」とした教育基本法を改悪した。第二次政権は秘密保護法制定・靖国参拝をおこない、沖縄辺野古新基地建設と原発再稼働を狙い、マスコミを統制し、集団的自衛権容認に手をつけてきた。この憲法破壊攻撃は、96条改憲や解釈改憲などの過程を経て、必ず現憲法体制の全面転覆まで行き着く。
安倍の「戦後レジームからの脱却」は、1930年代にヒトラーが民族主義・排外主義に依拠し「ワイマール体制打破」をかかげ、敗戦の屈辱感・経済的困窮を突破しようとしたのと同じ道をたどる。経済的停滞・人口減少の閉塞感に対し、マスコミを政府広報機関化し、近隣諸国への敵愾心を煽り、「世界で最もナショナリズムを発揚する国」にしていく。労働者階級への攻撃を続け、憲法改悪の上に新たな階級権力を目指している。この点で安倍政権は、「自由」と「民主」をかかげ戦後体制を維持してきた旧来の自民党とは本質的に異なる、保守ではなく「現状打破」が基本で、議会をも翼賛機関とし新たな憲法(自民党改憲草案)で「天皇を戴く」統治形態を目指していくのである。

極右=安倍の脆弱性

この階級的性格は、もはや成長の望めない今日のブルジョアジーの危機感にもよるが、安倍自身の歴史観―自虐的歴史観にも起因する。安倍は幼少期に祖父・岸が安保闘争で打倒され、高校時代は70年安保闘争で孤立し、国を悪くしたのは日教組だと思い続けてきた。また日本帝国主義の限界の露呈=バブル崩壊後に国会議員になり、議員生活は「失われた20年」とともにあった。これが戦後的在り方総体の否定=歴史修正主義と重なり、「慰安婦問題」・靖国参拝の言動として現れる。
もともとナショナリスト岸を尊敬してきた安倍は、93年初当選から「自由主義史観」グループの八木秀次・中西輝政らの極右勢力や、自民党世襲議員や、岸とともに「戦前日本」を担った政治家・軍人の子孫(平沼・新藤ら)と繋がってきた。政治手法は300議席を背景に官邸権力を駆使し、リベラル勢力を一掃し、「責任野党」で公明党の屈服を迫り、左翼・組合憎悪と治安弾圧を強める。過半の閣僚・党役員を極右人脈で固め(新藤・稲田・高市ら)、私的人脈を各機関に配置してきた。しかし彼らが行う靖国参拝の本音は「英霊東条英機万歳」で、説得力を持たず、幼稚性の残ったネオ右翼が安倍の正体である。

集団的自衛権容認を許すな

秘密保護法の廃止を求める運動は全国で展開されている。写真は5月6日の大阪市内デモ

安倍は、5月中旬に安保法制懇報告を出させ、集団的自衛権容認へ突進しようとしている。しかし北岡伸一(座長代理)を責任者とするこの安保法制懇は、安倍の私的諮問機関にすぎず、安倍の意に沿う報告を出すのは既定方針であり、何の説得力もない。世論は集団的自衛権容認が憲法改悪の1ステップと察知しており、多数が警戒感を示している。 このため政権中枢は、砂川判決を持ち出したが藪蛇で、「限定的」のごまかしや、閣議決定(公明党の反対でできない)でなく政府決定と言い、また通常国会での論議も回避している。しかし我々はすでに、解釈替えの責任者=法制局長官の首をすげ替えたことも、この攻撃が現憲法全体の破壊まで行き着くことも知っている。そのため、この論議は安倍を倒すまで終わらないということだ。
集団的自衛権・個別自衛権を論じるにあたって、安倍や支配階級の出す論理に惑わされてはならない。彼らは「中国が軍事大国として台頭し、東アジアの緊張が高まっている。だから集団的自衛権が必要」と言う。しかし中国の軍事予算と米・日の軍事予算の間には5倍以上の差があり、軍事力・戦闘能力など比較にもならない。また東アジアの緊張緩和を阻害しているのは安倍の靖国参拝ではないか。
古くから帝国主義は「自衛戦争」の名で侵略戦争をおこなってきた。集団的自衛権は軍事介入・侵略戦争の隠れ蓑であることはベトナム戦争などが示している。「限定的」などとつけようと、「地球の裏側まで」自衛隊が出動することを、安倍が否定したことはない。また「攻められないための抑止力」というのも、無限大に軍事力を拡大する方便でしかない。
われわれは帝国主義の「祖国防衛」論が、他国への侵略戦争の論理であり、軍備増強には限りがなく、その資源は労働者階級からの収奪であることは、日露戦争から第二次大戦に至る歴史で知っている。祖国防衛と人民収奪と戦争動員は一体関係なのだ。それゆえ「領土防衛」や「中国の脅威」の裏には、成長の望めない支配階級の危機があり、安倍の攻撃はそこから来るもので、労働者・人民は「自国政府の危機と敗北」を歓迎・促進しなくてはならない。戦後日本における「戦争反対」「憲法改悪反対」の闘いは、第二次大戦の惨禍の歴史的体験として力を持ち、アジア人民との不戦の誓いでもあった。これを破壊することなしに、安倍は一歩も進めないのだ。われわれは、この反戦意識と、新自由主義下での、格差貧困・原発再稼働・沖縄基地強化などへの怒りをつなぎ、階級の底力を発揮し、安倍と対決していくのだ。

万余の国会包囲闘争へ

「3・11後の社会運動」で「デモが当たり前」になり、行動を通じて人々は繋がっていく。続く秘密保護法制定過程で、シングルイシューでなく、この攻撃の大本と課題の繋がりが見えてきた。個人の力を累乗化する共同闘争の発展が安倍を追い詰めていく。また運動の中では弾圧が襲いかかり、様々な課題・困難が発生するが、運動総体の力で反撃し解決していこう。安倍が現状打破を掲げているとき、守りの姿勢では勝てない。国会の翼賛化を計っている時、議会内外を貫くカール・リープクネヒト(一人で戦争につながる軍事予算に反対した)のような闘う議員が必要だ。脱原発・集団的自衛権容認反対の70%の世論は後退していない。闘いの方針と展望が必要なのである。
グローバル資本の世界的収奪と戦争に反対する社会運動=社会の変革をめざした運動を作り出そう。生活防衛闘争・労働運動を強めよう。アジアと世界の人民と連帯し、日本の戦争国家化・アジア侵略を阻止しよう。戦争国家化・憲法改悪阻止、安倍打倒! の巨万のデモで国会を包囲しよう。

“ストップ!安倍”
6月1日、大阪でシンポ

 

6月1日、「STOP!安倍」6・1シンポジウムが大阪で開かれる。06年の安倍政権の登場に危機感を持ち9条改憲阻止の運動を始めた人々や、3・11福島原発事故に立ち上がった人々、沖縄米軍基地と闘う人々、社会的労働運動を担う人々、政党を超える議員などが呼びかける。
4人のパネリストは、軍事法制学者として安保・ガイドライン・軍事大国化に警鐘を乱打し(纐纈厚さん)、市民の憲法学習会を各地で開催し(高作正博さん)、秘密保護法・共謀罪・治安弾圧・労組つぶしと闘い(永嶋靖久さん)、さらに国会内外で沖縄闘争などの先頭に立ってきた(服部良一さん)、今を闘う理論家であり実践家だ。
安倍政権の暴走がまかり通っているのはなぜか。そしてその先に待ちかまえているのは何か。この暴走を民衆の力で食い止めることができるのかを、参加者とともに討論する。 〔詳細は6面闘争案内〕

3面

次は狭山再審だ
袴田事件再審決定に続け

「捜査機関による証拠のねつ造」

確定判決は、事件発生から1年以上もたって工場の味噌樽の中から発見された5点の衣類を袴田さんが犯行時に着用していたものと認定し、袴田さんを犯人とした。
これに対する再審開始決定の概要は以下のようなものである。@衣類に付着した血液は袴田さんのものでも被害者のものでもないとする弁護側のDNA鑑定は信用できる。A模造衣類に血液を付着させ味噌につけた弁護側の実験結果から見て、味噌樽から発見された衣類の色は長時間味噌に漬かっていたにしては不自然である。B事件後の捜索や仕込みの際には発見されなかった衣類が1年以上も経ってから発見されたのは不自然であり、そもそも焼却するなど効果的な証拠隠滅手段があったにも関わらず、味噌樽の中に隠したとすること自体が不自然である。C衣類のうちズボンのサイズは、確定判決の認定とは違い、細身サイズの「Y体」であることが明らかになった。これは袴田さんのウエストサイズと適合していない。Dシャツの損傷と袴田さんの腕の傷の数が一致しておらず、位置も違う。E袴田さんの実家からズボンの端布が押収されたが、ベルトと端布だけを押収したのは不自然。5点の衣類と端布はセットの証拠であり、5点の衣類にねつ造の疑いがあれば端布にも同様の疑いがあり、袴田さんの実家から端布が出てきたことを装うために捜索・押収を行ったとすれば容易に説明がつく。
再審決定は5点の衣類について次のように述べている。〈ねつ造されたと考えるのが最も合理的であり、現実的には他に考えようがない。そして、このような証拠をねつ造する必要と能力を有するのは、恐らく捜査機関をおいてほかにないものと思われる〉。

「耐え難いほど正義に反する」

再審開始決定は〈国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束してきたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない〉〈拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるをえない。一刻も早く袴田の身柄を解放すべきである〉として、死刑と拘置の執行停止を命じる文言で結ばれている。
「死刑囚」が再審を待たずに釈放された前例はないとされる。「捜査機関による証拠のねつ造」に踏み込んだ再審決定も恐らく前例がないのではないか。そこには司法の腐敗に対する義憤と同時に冷徹な判断がこめられている。
すでに再審無罪が確定している足利、東電OL両事件でも検察は再審開始決定に対して抗告した。しかしいざ再審公判が開かれると検察自ら「無罪」を主張し、即日結審となった。冤罪の検証を阻むことこそが彼らの至上命題なのだ。無罪となっても損害賠償請求訴訟には膨大な費用と時間を要する。そのため、免田栄さんら訴訟を断念せざるをえない冤罪被害者もある。そして、証拠のねつ造や誤判によって罰せられたものは誰一人としていないのだ。
予想される展開に先手をうつためには、静岡地裁は再審公判を待たずに証拠のねつ造を断罪し、自ら釈放の命令を下す以外になかったのである。

狭山再審へ 証拠開示・事実調べを

袴田事件では600点以上の証拠が開示され、再審開始決定に先立ち事実調べがおこなわれた。中でも重要だったのは、捜査員がズボンの製造工場に聞き込みに行った際の捜査記録である。そこには、ズボンのタグにある「B」の印字は色を指しており、「サイズ」を意味するものではないことがはっきりと記されていた。一審公判での試着実験では、袴田さんにはズボンは小さすぎて、はけないことが明らかになったが、確定判決は「B」は大きなサイズを意味し、ズボンがはけなかったのは「味噌漬けによってズボンが縮み、袴田さんが太ったため」と認定して袴田さんの無実の訴えを退けた。だが、警察ははじめから「B」は色を意味するにすぎないことを知っていた。知っていながら捜査記録を隠しつづけていた。この事実は裁判所の心証に重大な影響をもたらしたに違いない。証拠開示がなければ、無実の袴田さんは今なお東京拘置所で死刑を待っていたかもしれないのだ。
他方、狭山事件では2009年の門野裁判長の証拠開示勧告から4年以上を経過しながら開示された証拠は130点余りに留まっている。勧告が指示した血液反応報告書、実況検分時のフィルム、死体の写真等も「見当たらない」として開示を拒否されている。これ自身が冤罪を放置し、追認するに等しい。
また、すでに捜索されたはずの味噌樽から、新たに衣類が発見され、袴田さんの自宅からズボンの端布が出てきたという経過は、狭山事件で三度目の家宅捜索で石川一雄さんの自宅から被害者のものとされる万年筆が発見されたという経緯と全く同様だと言って良い。袴田事件では、衣類に付着した血液のDNA鑑定および味噌漬け実験により袴田さんの無実が立証された。他方、狭山事件の場合、確定判決は石川さんが被害者の万年筆により脅迫状を訂正したと認定している。脅迫状の訂正箇所と石川さん宅から発見された万年筆とのインクおよびぺん先を鑑定することにより真実は明らかになるだろう。
東京高裁・河合健司裁判長に対して、全証拠の開示勧告と事実調べを迫ろう。

冤罪生み出す社会を変えよう

袴田再審決定からひと月たった4月30日、法制審議会の特別部会に法務省作成の最終答申案が提出された。警察の取り調べの録音・録画の対象となるのは、全事件の3%に過ぎない裁判員裁判事件のみ。通信傍受の対象を現在の4罪種から14罪種に拡大し、「司法取引制度」等を新設。冤罪防止を目的にはじまったはずの法制審議会は、厚生労働省事件・冤罪被害者の村木さんや、映画『それでも僕はやっていない』監督の周防正行さんを特別部会から排除し、かえって警察の権限を強化する本末転倒に行き着こうとしている。密室での自白の強要を警察権力は決して手放そうとしていない。冤罪は例外などではなく、むしろ腐った司法権力の構成要素なのである。
袴田事件を前後して、福井女子中学生殺人事件、飯塚、恵庭、北陵クリニック、姫路強盗事件等の冤罪事件の再審請求が相次いで棄却された。特に、検察の抗告を受けて再審決定を取り消された名張毒ぶどう酒殺人事件の冤罪被害者・奥西勝さんは、現在、医療刑務所において生死の境にある。
このような社会においては誰もがある日突然身に覚えのない罪を着せられるかもしれない。だがそれ以上に冤罪の加害者になることはたやすい。冤罪を生み出しているものは、警察権力に「安全・安心」を委ねている我々の社会の有り様そのものであるかもしれないのだ。 検察の卑劣な抗告を棄却させるために共に闘い、袴田再審で証拠の隠ぺい・ねつ造を徹底検証しよう。狭山再審の扉をなんとしてもこじ開けよう。すべての冤罪被害者と連帯し、司法権力の不正義を弾劾する声を巻き起こそう。
(深谷 耕三)

関電本店前弾圧(事後逮捕)
大阪地裁が不当判決

関電本店前弾圧で、事後逮捕・起訴された松田耕典さんの判決公判が4月28日に開かれ、大阪地裁第13刑事部・石井裁判長は、松田さんの「公務執行妨害、器物損壊」を認定し、「懲役10月、執行猶予3年、未決算入160日」の不当判決を出した。
この裁判は、12年10月5日、関電本店抗議行動に参加していたAさんが、「転び公妨」をでっちあげられ逮捕され、ワゴン車で連行されようとした際に、松田さんが「不当逮捕である」と抗議しただけで、後日(11月16日)自宅で令状逮捕された事件である。

「犯罪行為」などない

判決は、@Aさんが連行されようとしたワゴン車の窓ガラスを松田さんが叩いて抗議した行為は「公務執行妨害」にあたる。A警察官・影山(当時、大阪府警天満署警備課長代理。当日の関電本店前弾圧部隊の責任者)は、Aさんと別の警察官とのやりとりを一部始終見ていたので、何か犯罪が発生したと判断して逮捕行為におよんだことは(たとえ、後日、Aさんに無罪判決がでても)それは正当な公務である。Bアンダーミラーについては、松田さんが「もぎ取った」と断定。はめ直せば使用できるとはいえ、いったんはずれた時点で、本来の効用を失わしめたから「器物損壊」にあたる。C共謀については、上記「公務執行妨害」は、現場にいた氏名不詳の者との共謀が成立する、という内容。
松田さんは、抗議した時に窓ガラスを叩いたなどとは認めていないが裁判長は一方的に「叩いた」と断定した。百歩ゆずって仮に「窓ガラスを叩いて抗議」したとしてそれが、「逮捕・7カ月間の勾留・懲役10月」に値するのか。
こわれてもいないアンダーミラーを「いったんはずれた時点で、本来の効用を失わしめたから」器物損壊であるなど、最初から有罪ありきの判決だ。
松田さんは「こんな判決は絶対認められない」として、控訴した。
関電本店抗議行動を押しつぶすそうと狙う、このような弾圧をはねのけ、関電包囲行動は毎週たたかいぬかれている。再稼働阻止・全原発廃炉にむかって闘いぬこう。

4面

論考
「福島の復興」とは(5)
南相馬市長選と住民の選択
請戸 耕一

X「除染して復興」の見直しを(承前)

十分な移住支援を

多くの住民が、現に被ばくをしながら、そして健康被害への危惧を抱きながら、生活と生業があるが故にここで居住を続けている。そういう住民に対して、国が本来やるべきことは「除染して復興」の掛け声や「安全・安心」のリスクコミュニケーションなどではないだろう。本来やるべきは次のことではないか。
@追加被ばく線量1ミリシーベルトを超える汚染地域が広がっている事実を確認する。その地域にいることは一定のリスクをともなうということを、国は十分に告知・説明する義務がある。
Aその説明を理解した上で、なおかつそこに帰還を希望する住民には、あらゆる防護策や健康対策、生活支援策を保障した上で、帰還をしてもらう。
B移住を求める住民には、移住先での居住、生業、教育、コミュニティなどすべてを完全に保障して移住を支援する。町外コミュニティの建設は、移住支援と不可分で重要な位置を持つ。また、移住した住民には帰還の権利も保障される。
C費用は、東京電力が出し、国が出すのは当然だろう。十分に出す能力はあると思われるが、もし足りないとすれば、国民に広く支援基金への拠出をお願いする。そのためなら多くの国民が協力するだろう。
少なくともこれが基本線ではないだろうか。
これを国がやろうとしないなら、地域自身、住民自身でやるということではないだろうか。

Y 中央・開発依存を超えて

阪神淡路大震災(1995年)のとき、「復旧なのか、復興なのか」という議論があった。そして当時の兵庫県知事は「創造的復興」という言葉をうち出した。その言葉が3・11の後の政府・復興構想会議の中で再び使われた。
災害によって被害を受けた住民は塗炭の苦みを強いられる。しかし国や資本は、災害を、平時にできないことがやれるチャンス、破壊による投資機会の創出と見ている。 平時から再開発をやりたいと狙っていたところに、災害によって破壊が起こった。住民が打撃から立ち直れないでいる間に、為政者は再開発計画を打ち出してどんどん進めてしまう。それが、阪神淡路大震災でおこなわれたことだった。
「せっかくだから元に戻す『復旧』ではなく、新しい町を『創造』するような『復興』がいいのではないか」というようなことがよく言われる。聞こえはいいが、実際の中身は、公共事業依存と大企業優遇、大量生産・大量消費と経済成長の追求でしかない。高度成長以来、ずっと繰り返してきた旧態依然たる政策だ。どこも「創造的」ではない。

南相馬市役所を正面からのぞむ(今年1月撮影)

地域の再生

被災地の外から大企業を誘致しても、公共事業を持ってきても、それが、南相馬市の本当の意味の復旧・復興にはならない。ではどうすればいいのか。地域という視点に戻るべきではないか。地域とは住民の生活領域、農村で言えば集落のレベル、市街地でいえば小学校の校区の範囲。もともと、ずっと人間の経済活動はそういう地域の範囲で営まれてきた。
ところが、近代以降、資本が主体になりその経済活動の領域を急速に拡大、住民の生活領域を超え、国の範囲も超え、今やグローバルに展開している。しかし、住民の生活は依然として地域にある。被災からの復旧・復興とは、地域の産業と住民の暮らしを本当に支えてきたものは何だったのかをとらえ直す必要がある。地域にはそれぞれの自然や歴史があり、それに根差した伝統や文化が存在している。それを今こそ復権する必要があるのではないだろうか。
中央依存を脱して、外からの資本参入を規制・管理し、地域で生み出された利益が再び地域の中で再投資され循環する経済の仕組みに作り変える。こういうと、「自動車はどうなる。家電はどうする。大昔の生活に戻るのか」という突っ込みが必ずあるだろう。そのとおり、地域で全部を賄うことはできない。だから、自動車産業も家電産業も必要だ。地域循環経済は差し当たりサブシステムでしかないだろう。
だが、そういう大量生産・大量消費を目的とする産業がメインシステムである時代をできるだけ早く超えて、地域循環経済こそがメインシステムとなる時代をたぐり寄せようということだ。もし「せっかくだから創造的なものを」という場合、その「創造的なもの」とは、こういうところにあるのではないだろうか。

協同の再生

地域を再生し、外からの参入を規制し、地域内で利益が循環する経済の仕組みをつくるためには、地域の住民が主体になる必要がある。 それは、「地域のことは地域で決める」「住民自身が計画し、実行する」ということだ。
ところで、国や行政も、言葉の上では、「コミュニティの維持」とか「住民参加」といったことを言う。しかし、災害前のコミュニティに戻るだけでは問題の解決にはならないのではないだろうか。あるいは、「住民参加」を謳い文句にしていても、実際には、議論・決定・遂行の過程から住民は排除されている。住民は、結果の追認に参加するだけ、あるいは、結果に文句をつけるだけの「お客様」にされている。
近代以降、国家の支配が社会の隅々に及んでいくわけだが、そうなる以前、農村集落で生活する人びとは、農作業や土木作業、冠婚葬祭などにおいて、「協同」という形で作業をおこなっていた。そこでは、「地域のことは地域で決める」「住民自身が計画し、実行する」ということが実践されていた。しかし、国家の支配とその肥大化が進むにつれ、協同は次第に解体され、行政に吸収され、代行されていく。そして、住民の側も、次第に協同の体験は失われ、国・行政の「お客様」に馴らされてきた。
ところが、3・11の被災の中で、命の危機に直面するとともに国・行政の支配が一時的に崩壊したとき、救出や救援、避難所の活動、ガレキ撤去、放射能測定や自主的な除染など、止むに止まれぬ事情から、協同が復活した。これは重要な経験だった。
しかし、それは、時間の経過とともに、その大部分は再び行政に吸収されている。そして住民は、自らの思いや憤りを市長や行政に苛立ってぶつける以外に、そのやり場を失っていった。
南相馬市で直面している問題を考えたとき、どんな切れ者やアイディアマンや剛腕が首長になっても、それでは打開できないだろう。行政が行政である限り、限界がある。行政が担う領域をできるだけ縮小し、「地域のことは地域で決める」「住民自身が計画し、実行する」領域を拡大し、住民による協同を大規模に復活させていく必要がある。こういう方向にこそ新たな可能性と展望があるのではないか。
南相馬市が急速な人口減少の過程にあるのは事実だ。町がなくなるのではないかという危惧を抱く住民も少なくない。が、そもそも人口減少とはどういう問題なのか。人口減少の直接の契機は、たしかに震災とくに原子力災害だ。しかし、そもそも、災害があってもなくても、大局的趨勢的に進行していた問題だった。それが、災害を契機に一気に加速した。そういうとらえ方が重要ではないか。

人口減少は不幸か?

近代以降の日本、とくに戦後の日本においては、人口は増えるものだし、経済は成長するのが当たり前だと信じられてきた。が、長い人類史を見たとき、人口増加時代というのはむしろ特異な現象だった。人口が停滞し、経済も低成長というのがむしろ定常の姿だった。そして今、世界全体が人口減少の趨勢にあり、低成長時代に入っている。これは、特異な状態から定常の状態に戻りつつあるということだ。その中でも人口減少のトップを走っているのが日本だ。
そもそも人口が少ないことが問題なのか、高齢者が増えることが不幸なのか。そういう感じ方こそが、近代的な思考の限界ではないだろうか。
もちろん、医療や介護など、深刻な問題が目白押しだ。しかし、南相馬市は、日本全体が直面し、早晩、世界全体が直面する問題に時代の最先端で直面しているということができる。だから、南相馬市で、人口減少時代の新しいライフスタイルや経済・社会・行政システムあり方を模索する必要がある。それはどこを探しても先行例はない。むしろ南相馬市から、新しい時代の姿を世界に発信するチャンスになるかも知れない。

「文明朽ちて・・・」

このような話は、「2年後はどうなる」というスパンの話ではもちろんない。世代を超えた話だが、今から取り掛かるべき話でもある。
原町をどうするか。あるいは、小高をどう再建するか。いま行政の進めている議論に大きなビジョンを期待するのは難しい。実は渡辺氏は一面、上のような問題意識も書いているのだが、しかし実際、選挙で掲げた政策は全く旧態依然たるものだった。新しい発想と方向で始める必要がある。中央依存、大企業依存をどう脱却していくか。地域の再生、協同の再生をどう実現していくのか。人口減少時代のライフスタイルはどうなるのか。そういう議論を住民が主体になって始める必要があるだろう。
また、町外コミュニティというテーマも依然、検討するべきだろう。帰還一辺倒で全く俎上に上っていないが、現実には万単位の住民が避難している。町外コミュニティも、ディベロッパーやゼネコンに委ねたら高度成長期のニュータウンになってしまう。が、住民が主体となって、議論し計画し実行する中で作られるならば、新しい方向を模索する拠点にもなり得るのではないだろうか。
最後に、選挙結果について議論する中で、住民が語った言葉を紹介してこの論考を閉めたい。
「僕は、高度成長の時代、どこにも行かず、ずっとここにいた。何にも恩恵なんてなかったよ。ただ、たんたんと畑を耕したり、コメを作ったり。でも3・11でこういうことになってしまってね。でも、『国破れて山河あり』というけど、『文明朽ちて里山あり』じゃないかな。この里山に可能性があると思うんだ。放射能の問題は50年、100年かかるけど、だからこそ、こういうことを機に、ゆっくりと方向を転換していく。そういう決断をいま始める必要があると思う」
市長選の過程で交わされた論戦や住民同士の議論は、厳しい現実の中から、被災地全体いや日本全体の将来にかかわる問題を提起している。それは、まだ混とんとしているが、大きな可能性を持っていると感じる。(おわり)

5面

JR西 尼崎事故
労働者いじめが横行
歴代3社長の無罪判決で

尼崎事故から9年。JR西日本の責任を問う発言が
続いた(4月19日 尼崎市内)

4月19日、兵庫県尼崎市内で、「ノーモアJR尼崎事故 生命と安全を守る4・19集会」が開かれ110人が参加した。
集会の基調報告を現場の国労組合員がおこなった。「事故後9年が経過し、この事故に関連しておこなわれた山崎元社長及び歴代3社長の裁判が無罪となるや、職場では社内増収の強要・事故や作業のミスを労働者個人に押し付ける社風が復活し、事故当時の上意下達・専制的な職場支配をするための労務管理・労働者いじめが横行。社員間の競争を、いっそう煽っている。」「4・19集会はJR尼崎事故の教訓を決して風化させず、集会を通じてお互いの実態を知り、一歩でも半歩でも闘いに立ち上がる決意を持つ集会にしよう」と呼びかけた。

利潤第一主義

「噴き出す分割民営化の破たん―北海道そして西日本」と題して鉄道安全問題研究会の地脇聖孝さんが講演をした。
地脇さんは、特急列車のトンネル内での火災事故、相次ぐ脱線事故、歴代社長の自殺などのJR北海道の問題は「安全より利益」利潤第一主義のJR体制にある。JR北海道では、線路が歪んだまま放置されている箇所が260カ所、人員や予算に余裕がなく、1年間も保守されない箇所もあった。その構図はJR貨物と四国、九州も同じだ。JR体制では「人減らしと労働強化」の合理化がくりかえされている。JR北海道では民営化当時1万3千人の社員数が現在6800人に減り、しかし特急列車の本数は78本から140本に逆に増えた。許せないことに検査データー改ざん問題では、JR現場社員は懲戒解雇、取締役は「2割減給」3ヶ月。上に甘く、下にだけ厳しい処分。

JRの組織責任

JAL大量不当解雇撤回原告団から、「東京高裁における判決が迫っている。このかん高裁前での座り込み行動では述べ2千人以上が参加した。更なる署名運動の強化と物販への取り組みの協力を」と、支援要請があった。
JR現場からは、尼崎事故前の職場にもどりつつある現状が報告された。JRの元契約社員からは、雇止めの不当性が訴えられた。
大阪市交通局の労働者は、橋下市長・維新との闘いの報告を生き生きと語った。
JR尼崎事故で娘さんを亡くした事故被害者遺族の藤崎さんからの訴えがおこなわれた。
藤崎さんは、被害者参加制度のもとで開かれた3社長裁判は9月27日に判決があった。JR側の主張を受け入れたあまりのひどさに怒りを覚える。裁判長は、企業の責任だけでなく個人の責任を求めるのは厳格に考えないといけないと言い放った。それも判決文ではなく説諭ということで、自信のなさのあらわれである。遺族は控訴するとともに、明治時代にできた刑法では大きな限界があると「組織罰を考える勉強会」をつくり法制化にむけて取り組みをおこなっている。
東京で福島原発事故の原告団と交流し、検察審査会制度と、国・東京電力の企業罰・組織罰について話し合いをおこなった。控訴審で3社長の組織罰・企業罰を求めていきたいと話した。
最後のまとめの提起で、憲法改悪へという動きが安倍政権のもとで加速し、「働いても食っていけない社会」になっている中、あらたな闘いに取り組んでいこうと呼びかけられ集会を終えた。
集会後、事故現場で献花し、この日の行動を終えた。(国労組合員 T)

闘うメーデーの再生を
大阪・中之島に800人が参加

 

5月1日、第85回中之島メーデーが大阪・中之島剣先ひろばで開かれた(写真)。「競争より共生の社会を!」と「労働法制改悪反対」がメインスローガン。午前中、各労組ごとに組合休暇・有給休暇を取った組合員たちが現場闘争をおこない、午後の集会・デモに結集した。〈闘うメーデー〉の新たなスタイルである。
集会発言は安倍政権打倒の発言が続いた。各労組争議報告は新自由主義攻撃と闘う非正規・中小労働運動から。まとめで「労働運動の再生」「自分たちの代表を国会に送る政治勢力をつくりだそう」「本日のメーデーは新しい労働運動の契機となった」と提起。
林立する組合旗を晴天になびかせて市役所前、関電本店を経て、西梅田公園までデモ。これと呼応し、市内では港合同の地域メーデー、阪神地域では尼崎地域メーデーなどがおこなわれた。 (労働者通信員 M)

寄稿
権力は万能ではない
元自衛官 鈴木 一郎
マレーシア航空機事件が示したもの

マレーシア航空機MH370の事件の真相は目下不明である。今後もどこまで明らかになるかわからない。しかしこの事件で明らかになったことがある。
レーダ等によって航空機の飛行状況を把握することは現代の軍事においては死活的重要性を持っている。そのように最重要な問題にもかかわらず、リアルタイムどころか何日たっても当該航空機の航跡がよくわからない。ということは、防空識別圏の設定範囲を越えたような場所の航空機は、どこの国もろくに把握できていないという現実が明らかになったということである。つまり現代の帝国主義軍隊は「喧伝されるほど万能ではない」ということである。
ベトナム戦争当時、米軍のパイロットは、地上から電信柱みたいな地対空ミサイルSA2がまん丸に見えると、「自分に当たる可能性が出てきた」として、あわてて回避行動を取ったという。レーダ警戒装置はあっても、四六時中ピーピーうるさいからスイッチを切っていたらしい。
当時のミサイルは西側諸国も似たような性能で、B29のように高度1万mを低速でゆったり飛んでいるものに何とか当てられるかという能力であり、高い機動性を持つ小さな戦闘機など、よほどでない限り当たるものではなかった。なんとか当たるようになったのは随分と最近のことである。
帝国主義軍隊の軍事力は多くの場合、このように誇張され過ぎ、また自身でさえも過信しすぎているというのが現実である。では、なぜ誇張されすぎるのか、という理由である。
支配階級は絶対的に少数であるのに圧倒的多数を支配しなければならない。支配の道具たる軍隊・警察自体も、圧倒的多数を占める末端部分は支配されている民衆からなりたっている。それを、彼ら末端部分をあたかも彼らの利害は支配階級の利害と一致しているかのごとく思い込ませることにより組織を維持している。本質的に脆弱なものだ。
その脆弱性をカバーする為に、支配階級の軍事力を絶対的と思い込ませることにより、被支配階級に絶望感を植えつけようとしているのである。

大切な「民衆の武装」

少し話しは変わるが、秀吉の刀狩に関する学術的研究はほとんど存在していないそうである。左翼を自認する部分も含めて多くの日本人は、刀狩で百姓町人はすっかり武装を解除され、それ以降は一揆をするにも鎌、鋤、竹やりで武装するしかなかったと思いこんでいた。黒澤明の「七人の侍」は素晴らしい映画だが、それにしてさえも百姓はそもそも軍事的には無力な存在というところから出発していた。また一世を風靡した「カムイ伝」でも白戸三平は大衆を一生懸命に好意的に描こうとしたが、その農民達はやはり軍事的には非武装で無力に近い存在に見える。
ところが実際には刀狩以降でも農民の間に鉄砲が農具として大量に保有され、それが支配者から認められていた。農民達は映画、漫画ほどには無力な存在ではなかったようである。 現在の日本では武器の保有が徹底的に取り締まられ、暴力は国家権力の専有物という考えが徹底してしまった。しかし歴史的に見れば、このような状態に陥ったのは明治以降のほんの最近のことでしかない。江戸時代でさえ、農民が大量の鉄砲を保持していたという事実が消し去られている。明治以降の帯刀禁止令(軍人、警官、官吏以外は刀を公の場で持ち歩いてはいけない)も帯刀が禁止という意味で、家で所持していることが犯罪とはされていなかった。秩父困民党の蜂起でも農民が銃器で武装して警察や軍と戦った。
現代の我々自身が「民衆の非武装」ということを、太古の昔からの当たり前の事象とあまりにも思い込んではいなかっただろうか?「民衆の非武装」に疑いを持とうとさえしていなかったのではなかろうか? そこに問題を感じる。
現在、米国では銃による犯罪で多数の死者が出ている。日本では、おそらく左翼も含めて全米ライフル銃の業界団体がけしからんからこんな状態なのだという理解が圧倒的である。しかし聞くところによれば、合衆国の憲法には国民が武装するのは権利であるとの明記があり、それを民主主義の基礎とみなすから、国民が銃の規制には賛成しないというのが真相であると言う。
米国の「民主主義」はすべてを賛美することはできない。また、銃による犯罪が多発して多くの犠牲者がでているというのも現実だろし、日本は確かに銃が規制されていることにより、銃による犯罪が少ないという面は事実だろう。
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」では、反革命を殺してしまえ、と言うのが歌詞である。(余計なお世話だが)日本では、「フランス国歌は過激であり国歌としては品位にかけ不適切だから変更すべきだ」と言うコメントも見られる。しかし、フランスでは現在でも「ラ・マルセイエーズ」は躊躇することなく国歌として歌われており、フランス人が国歌を変更すべしと言う議論をしていると言う話しは聞いたことがない。
日本でもほんの百年ほど前までは武士以外でも武装していたという事実を肯定的に確認しよう。そして国家権力は決して万能ではないということを確信しよう。

6面

投稿
オール沖縄との連帯を
山城さん(沖縄平和運動センター議長)、仲里さん(元沖縄県議会議長)の講演を聞いて

4月27日に投開票された沖縄市長選挙では、与党推薦候補が石垣市長選に続いて勝利したとのこと、ほんとう残念です。11月の沖縄県知事選に向けて全力で準備していく必要があるでしょう。
とりわけ、沖縄と連帯する「ヤマトでの運動」の格段の強化がこれまで以上に問われています。「これ以上、沖縄を孤立させてはいけない」と思いながら、歯がゆい想いでいっぱいです。
さて、4月21日、横浜市内で「オール沖縄と連帯し、アジアの平和をめざす神奈川集会」が開かれました。
格調高い「琉球舞踊」(写真)で始まったこの集会、神奈川県下から自治労などの労組や市民220人が集まりました。沖縄平和運動センター議長の山城博治さん、元沖縄県議会議長で元自民党県連顧問の仲里利信さんの講演のあと、鶴見と川崎の県人会代表、神奈川平和運動センターなどの発言が続きました。

格調高い琉球舞踊が披露された
(4月21日 横浜市内)

オール沖縄の団結

最初の講師の山城さん。文科省による竹富町への地方自治法を使った「教科書是正要求」、与那国での陸自沿岸監視部隊駐屯地建設着工、石垣島への初動担任部隊配備策動、宮古・下地島への空自の進出など、この間、暴走する安倍政権。そして琉球新報や沖縄タイムスへの報道統制、そして何よりも防衛局による「辺野古への埋め立て申請」・・・などと、「これでもか」と続く沖縄への攻撃に対するたたかいを訴えました。
山城さんは、保革論争を超えよう、たたかいの焦点は「政府対沖縄」「オール沖縄の団結」の強化だと強調しました。これこそが、安倍政権の「沖縄さん、もう一回祖国防衛のための玉砕の島になってくれんかね」という本音に対するたたかい方だと訴えました。

再び戦場にしない

続いて講演した元県議会議長の仲里さんは、名護市長選挙では、「選対とは関わりなく、自主的に私の車にスピーカーを置いて毎日辻立ちをやりました。保守か革新かではなく、辺野古新基地を阻止するためには稲嶺さんしかいないと独自の運動をしました。島袋前市長さんの地元でも辻立ちをやりました」と強調しました。「年末に仲井真知事が辺野古埋立て承認に回り、『140万県民に代わってお礼を申し上げる』とか『いい正月が迎えられる』と言いました、あれが一番県民に『かちん』ときたことです」と。そして仲里さんの原点は、やはりかつての沖縄戦だそうです。
「ある日、銃剣を持った日本兵が入ってきました。3歳の妹と従姉が、ガマが怖くて泣くので、おむすびを出して『これは毒入りだから2人に食べさせろ』と強制してきました。みんなで相談して『家族が死ぬ時はみんな一緒だ。2人を殺すより、ガマから出よう』と決めました。グラマン戦闘機がすぐ目の前を飛び、おふくろと私が弟をおんぶして山に入り、1カ月もかかって避難壕を掘りました。それでも米兵に気づいて山に逃げ込み、家族と離ればなれになってしまった」。
こうした経験から、仲里さんは、「安倍さんは戦争好きです。いま進んでいるのは戦争の準備です。米軍基地だけでなく、新たな自衛隊基地も沖縄に押しつけようとしています。宮古・八重山に400名規模の自衛隊を配備する計画が報道されています。水陸両用車を使った日米の共同訓練、あれを見ていると沖縄がまた戦場にされるのではないかと強く思います」と述べました。
今こそ、「オール沖縄」に私たちも心から連帯し、取り組みを強めなければと痛感しました。 (神奈川・深津利樹)

投稿
駅前のビラまきは罪?
監視社会の進行に警鐘

集会で発言する韓基大さん(4月26日 大阪市内)

反原発・震災がれき広域処理反対運動に対する一連の弾圧のひとつ「2012年10・17大阪駅前街宣弾圧」の裁判が5月1日より始まった。4月26日、裁判闘争勝利にむけた集会が開かれ、95人が参加。題して「大阪駅前でビラをまいたら罪ですか??? 」。
「被告」の韓基大さんは同年12月別件で勾留中に再逮捕・起訴された。
「事件」当日、韓さんらは大阪駅前で街宣をおこなった後、橋下市長に震災がれき受入れ・焼却を中止せよと抗議をする為、市役所に向かった。その際、駅コンコースを通ろうとした。すると街宣の道具やゼッケン着用を口実としてJR職員が通行を妨害、韓さんらは当然にも抗議した。これを「威力業務妨害」として起訴したのだ。
コンコースは公共の通路だ。これは表現の自由をめぐる闘いでもある。

表現の自由を守る

集会では最初に、大阪駅前での情宣活動への弾圧体験者として「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」、そして37年前に駅前街宣で不当逮捕され、国家賠償請求訴訟を闘った方が発言にたった。この間の弾圧は在特会が宣伝活動に暴力的挑発・妨害をおこない、JRと警察が連携して弾圧に乗りだすやり口。卑劣な弾圧を知った市民が多く駆けつけ、粘り強く行動を貫いてきた中で妨害を押し返してきた様子が生き生きと報告された。
韓基大さんは、震災がれき広域処理は政府・原子力産業にとって放射能拡散によって「放射能安全神話」を構築する狙いがあった、だからこそ負けられない、表現の自由を守ると決意を語った。
続いて「威力業務妨害」による弾圧体験として全日建連帯関西生コン支部、4・5釜ケ崎大弾圧当該の報告を受けた。関生支部は2005年から10件の連続的弾圧を受けてきた。罪名は様々。文字通り国家権力による労働組合破壊である。釜ケ崎大弾圧は2007年大阪市により2088人の住民票を奪われた住民の選挙権行使要求に対する弾圧である。さらに秘密保護法廃止☆ロックアクション、反監視管理ネット北摂からも訴え。
弾圧が様々な領域で闘う人々を結びつけてきたと同時に、治安弾圧と管理監視社会が深く進行していることを痛感した。弾圧にひるまず表現の自由を実践し闘いを前進させよう。(大阪 N)

JR大阪駅前弾圧公判
3日連続の終日法廷

大阪市は、放射能汚染がれき受け入れを表明し、近畿一円の市民が大反対運動にたちあがるなかで、これを警察力をもって押しつぶし、がれき試験焼却を2012年11月に実施、翌13年2月から本格的な焼却に踏み切った。この過程で、12年10月17日の大阪駅前街宣をめぐり3人が事後逮捕され、うち韓基大さんのみが起訴された。罪名は「威力業務妨害」。
大阪府警曽根崎署から事前に指導を受けていた大阪駅当局は、街宣当日、副駅長を先頭に20人を動員し、ビラまきへの妨害と、街宣終了後の市役所へ向かっての移動に際しコンコース通行を妨害。副駅長らによる街宣妨害・通行妨害に、韓基大さんが抗議したことをもって「威力業務妨害」とした「でっちあげ弾圧」である。

不当な訴訟指揮

1日からはじまったこの裁判には、公判前整理手続きが導入され、12年12月の起訴事件でありながら、裁判開始が14年5月という不当な指揮がおこなわれた。裁判は、5月1日、2日、7日と大型連休をはさんで3日連続、毎回、終日法廷という、傍聴・支援者が参加しにくい意図的な設定。この3日間で、起訴状朗読から6人の証人尋問まで終えるというスピード審理。
さらに、検察側証人の証言時には、大きな衝立が法廷に持ち込まれ、傍聴席からは姿が見えない状態で証人尋問がおこなわれた。裁判長は、証人に名前も聞かず、傍聴者には、証人の姿も名前もわからない状態で裁判がおこなわれた。これでは公開法廷ではない。
連日60人ー70人の傍聴・支援が集まり、韓基大さんとともに戦闘的に裁判闘争を闘い抜いた。東京、東海地方、中国地方からも支援者がかけつけた。ありもしない「威力業務妨害」をうちやぶり、無罪をかちとろう。
次回公判は、6月2日(月)午前10時から。この公判で結審する。