フクシマを忘れない
再稼働阻止へ5500人
東 京
東京・日比谷野外音楽堂で開かれた脱原発集会には5500人が参加した。(3月15日) |
東京・日比谷野外音楽堂で3月15日、「フクシマを忘れない! さようなら原発3・15脱原発集会」が開かれ、5500人が参加した。司会は女優の木内みどりさん。ハイロアクション福島の武藤類子さん、作家の大江健三郎さん、澤地久枝さん、元宇宙飛行士の秋山豊寛さんなどが発言。集会後のデモ行進で銀座一帯に「脱原発」「再稼働やめろ」のシュプレヒコールを響かせた。
主な発言を紹介する。
武藤類子さん
福島では、3月11日は終わっていません。今年の1月も、仮設住宅の人から「お米と毛布を至急ほしい」との訴えがあった。仮設住宅では、賠償を打ち切られても、元の家に帰れない人たちがいます。雪で家が壊れてしまった。ねずみで家がやられてしまった。放射線の影響が不安など。放射能に汚染されたごみや瓦礫は、あちこちに袋詰めされて積み重ねられていたり、埋められたりしています。それらを減量化するための焼却炉が、住民へのろくな説明もない中で、各地に作られようとしています。
秋山豊寛さん
福島で農業をおこない、しいたけを作っていたが、福島原発事故で、原木として使われる椎やクヌギなどは放射能を濃縮して溜め込んでしまうために、シイタケ栽培はできなくなってしまった。そのため、京都に移った。福島に残った友人の話では、12年と昨年、ホールボディカウンターで被曝の検査を受けたが、2度目の検査のほうがセシウムの摂取量が増えていると診断された。被曝が続いている。
被曝労働を考えるネットワーク・なすびさん
今年は、被曝労働者春闘として運動を展開し、昨日、東電などの会社に申し入れをおこなった。汚染水処理に携わっている労働者で、1日12時間労働を強いられた人がいる。この人は、雇われている下請けの会社に、「もう体が動かない」と訴えた。すると、即日解雇されてしまった。これ自体は、労働基準法違反であり、闘っているが、被曝労働者は放射能の危険性にさらされている。年間被曝量が20ミリシーベルト以上になった労働者は解雇されている。この解雇も問題だが、20ミリシーベルトとは、0・1%の人が癌で死ぬ放射線量だ。このような悲惨な労働を強いる社会を、私たちは作ってしまった。脱原発とは、単に原子力発電を止めるという政策の問題だけではない。人を踏みつけて犠牲にする社会を変えることだ。
市東さんの農地を守れ
都内で三里塚全国集会
都内の芝公園で三里塚全国総決起集会が開催された(3月23日) |
3月23日、都内港区で、全国総決起集会(主催:三里塚芝山連合空港反対同盟)が開かれた。26日には農地裁判の控訴審(高裁)がはじまる。この闘いに向けた総決起集会だ。
三里塚闘争現局面の攻防は、市東さんの土地を守る闘い。そのためには高裁のある霞が関に攻めのぼり、あらゆる人々と連帯していく必要があるという故・萩原進さんの遺志を受け継ぎ、霞が関に近い芝公園で集会がおこなわれた。
公園周辺を数百名の公安警察がギャラリーのように取り囲む。警視庁の過剰とも思える警備体制のなか、集会には950人が集まった。
集会に先だって、趙 博さんなどのライブ演奏があった。ギター演奏と歌でもりあげた後、参加者からのフリートークがおこなわれた。
3・26東京高裁へ
集会は萩原富夫さんの司会で始まった。萩原さんは「親父の闘いを守り継ぐ」と決意を語った。
北原鉱治さんが主催者あいさつ。48年間の闘いをふり返り、「三里塚では、今までにのべ5000人が逮捕されている。今の政治を変える必要があるが、このようにして東京で初めて集会を持つことができた。市東さんの土地を守る闘いは、全国農民の生き方を示す闘いだ」と述べ、3・26控訴審闘争の重要性を訴えた。
次に、市東孝雄さんが登壇。千葉地裁の「土地収用法で取れないのなら、農地法で取ってもいい」という反動判決に対して、怒りをもって弾劾した。「安倍政権は農地法を改悪し、企業が農業に参入、個人農家をつぶそうとしている。安倍政権の攻撃と闘うあらゆる闘いと連帯して、控訴審闘争をたたかう」と決意を述べた(写真右)。また、顧問弁護団も一人ひとり闘う決意を述べた。
司会から「集まった署名は8051筆。これを第1回公判で提出する。目標の3万人まで、さらに署名を集めよう」と提起された。
続いて、国鉄千葉動力車労働組合、関西新空港反対住民、市東さんの農地取り上げに反対する会から連帯のあいさつがあった。
5月沖縄で三里塚集会
各地からの闘いの報告では、福島、沖縄、農民、経産省前テントひろば、関西地区生コン支部、動労水戸から、それぞれ発言があった。沖縄からは、名護市長選の画期的な勝利が報告され、「5・10に沖縄と三里塚を結ぶ集会をもつ」との発言があった。
集会後、新橋・銀座を通って東京駅まで首都の繁華街をデモ行進し、多くの都民に三里塚闘争を訴えた。
〔5面に関連記事〕
許すな 排外主義扇動
「差別なくせ」渋谷でデモ
国際人種差別撤廃デーの3月21日、東京で、差別反対東京アクションの主催によるデモとシンポジウムがおこなわれた。
「人種差別撤廃のための渋谷デモ」(写真)には250人が参加。1時間以上にわたって、渋谷・原宿一帯に「差別をなくそう」の声が響いた。
続くシンポジウム「ヘイトスピーチにNO! 大会議」は、ジャーナリスト・安田浩一さんをはじめ学者・区議会議員4名をゲストに迎えて進行。排外主義の階級分析・動機・心理を分析的に討論。排外主義扇動のカウンター側の抗議行動の意義や、より効果的な手法が模索された。
また、今日ほどあからさまな差別扇動がなかった過去においても、在日人民をはじめとしたマイノリティーを差別・虐殺してきた歴史が日本にはあるという点に踏み込んで討論がおこなわれた。
排外主義扇動を非理性的なものとして無視するのではなく、相手の変革や獲得をも視野に入れて取り組む姿勢の重要性や、権力の意向に寄り添う行政・メディアの体質をふまえて警戒の目を向ける必要性が訴えられた。
4月13日には、「差別・排外主義にNO! 第2回討論集会 」が文京区民センターで開かれる。『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店)の著者、中村一成さんと弁護士の金哲敏さんによる報告とパネルディスカッションがおこなわれる。多くの参加を呼びかけたい。 (東京 T)
4・13差別・排外主義にNO!第2回討論集会
〜攻撃された当事者は何を思う? 私たちはどうつながるか?〜
と き:4月13日(日) 午後1時半
ところ:東京・文京区民センター2A会議室
〔都営三田線/大江戸線春日駅A2出口すぐ〕
主 催:差別・排外主義に反対する連絡会
2面
戦後労働法の解体ねらう
派遣自由化を阻止しよう
2009年1月5日、派遣村実行委員会による国会請願行動 |
原則を変える大改悪
安倍内閣は3月11日、派遣労働を無期限・無制限に使えるようにする労働者派遣法改悪案を閣議決定し、4月の通常国会での成立強行にふみ出した。1985年に労働者派遣法(※)は作られた。そのときの確認は「派遣は臨時的・一時的業務に限定し、常用雇用の代替にしてはならない」というもので、その後の改正についても形ではこの原則は文言上も明確にされてきた。今回は労政審最終報告(本紙147号に批判)にもあった「臨時的一時的」の文言が消されたのである。これは、今回の改正が大原則をくつがえす大改悪であることを示す事態である。まさに「労働法の危機」「基本原則への攻撃」(西谷敏大阪市立大名誉教授)なのである。
労働法への総攻撃
これまでは通訳など「専門26業務」を除いて派遣期間は原則1年、延長しても3年が上限だった。法案では、3年で人を入れ替えれば、労働組合などの意見を聞くだけで、無期限に派遣労働者を使える。専門業務の区分も廃止して、どんな仕事でもずっと派遣。リーマンショックの際に、大きな社会問題となった「派遣切り」。すなわち、大企業による「期間制限違反」「業務偽装」など違法派遣が合法化され、労働者には低賃金と「生涯ハケン」が押し付けられることになる。
無期雇用の派遣労働者については、派遣可能期間を撤廃し、簡単に解雇でき、正社員から無期雇用の派遣社員への置き換えも可能となり、派遣先の正社員との「均等待遇」も「均衡」に変更され、賃金差別が温存される。ちなみに、ILO国際労働機関など世界では「均等」が常識。
安倍政権はこの派遣法の改悪をスタートに解雇自由(金銭解決)、所定労働時間拡充など「規制緩和」という名の全面的な労働法制作り変えの総攻撃にうって出ようとしている。サービス残業や解雇を合法にして、資本による労働者使い捨てにお墨付きを与える、「雇用改革」「世界で一番企業が活動しやすい国」(安倍)づくりがこれなのだ。労働運動の正念場である。
雇用調整助成金削減
労働者派遣法の大改悪と一体で、それを後押しする予算措置が図られている。正規からの非正規・派遣置き換え促進、これが「失業なき労働移動」(日本再興戦略)の姿である。
2014年度予算で雇用調整助成金の大幅削減がおこなわれた。昨年1175億円だったものが、545億円と半減。代わりに「労働移動支援助成金」(移動助成金)に301億円がつけられた。不況による事業縮小の中で、雇用維持のために使われてきた助成金が削られたのである。劇的事態である。産業競争力会議などで「比率の逆転」「3対7へ」などと言われてきたものである。
この「移動助成金」は、解雇される労働者ではなく、「再就職支援」事業の名目で人材派遣会社などにばら撒かれる。
労働移動支援助成金
「再就職支援奨励金」
この助成金は安倍成長戦略が掲げる「失業なき労働移動」の目玉策である。もとは、「事業規模の縮小等により離職を余儀なくされる」労働者等に対し、民間の職業紹介事業者に労働者の再就職支援を委託し、再就職を実現させた中小企業事業主に、助成金が支給される制度。この助成金が 2014年3月から拡充された。企業が再就職支援会社に払う費用を、転職者1人につき最大60万円まで補助(転職支援費用の半額が助成されてきたが、これからは費用の3分の2まで国から支援)。しかも、これまでは「対象外」とされていた大企業にも国からの助成金が出る。いまの助成額は上限40万円で、転職成功時に限ってお金が出る。これを改め、上限額を1・5倍に増やし、たとえ就労に成功しなくても、労働者の転職先探しを再就職支援会社に頼めば10万円を出す。こういうことのために予算が大幅増額されたのである。首切り促進制度である。首切り業者をはびこらせようというのである。
安倍雇用改革は国家戦略特区での解雇規制緩和が臨時国会で「解雇特区」との批判をあびて後退したなか、派遣労働問題がすえなおされ、予算措置がつけられスタートを切ろうとしている。
事実上の改憲
この大改悪は、労働法の基本を壊す改憲ともいうべき事態である。派遣法大改悪案(新法といえる)の国会上程を断じて許さず、派遺労働の全面自由化を阻止しよう。「派遣法廃止」を明確にして闘おう。
大阪労働者弁護団など在阪法律家8団体呼びかけで「STOP!!派遣法の大会改悪!」4・14大集会(18時半エルシアター)が開かれる。各団体は組合を超えて大結集しよう! (森川数馬)
※労働者派遣法の正式名称は「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備に関する法律」(労働者派遣法)で1985年7月5日成立。
労働者派遣(人材派遣会社が雇用契約を結んだ労働者を企業に派遣する制度)は歴史的には戦前の「人夫出し」の地獄労働を反省して、強制労働(労基法5条で禁止規定)や中間搾取(労基法6条で禁止規定)であるとして戦後禁止されてきたものである。また、職業安定法によっても「労働者供給」事業は原則禁止されてきた。
それを認めたのが85年労働者派遣法である。例外法であり、労基法・職安法と矛盾する違法制度なのである。施行された当初は専門性の高い業務に限って労働者派遣が認められていたが、99年に一部を除いて対象業務が原則自由化され、2004年には製造業への労働者派遣が解禁された。12年6月時点の派遣労働者数は約135万人である。
軍隊は女性を守らない ―在沖米軍による性暴力を糾す―
「軍隊は女性を守らない 沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力」と題する集会が、3月16日、大阪市内でひらかれ100人が参加した。主催は、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク。
冒頭、琉球放送『戦場のうた』が上映された。そのなかで、沖縄の慰安所は、当時の県知事の反対を押し切って、1941年頃から140か所以上設置されたこと、そして今日、沖縄県の説明板からは「慰安婦」の文字が削除されていることなどが伝えられた。
駐留軍による性暴力
つづいて、「女たちの戦争と平和資料館」の事務局長であり、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表の渡辺美奈さんが話をした。
50年の沈黙を破って証言した事実も消されていく中で「女たちの戦争と平和資料館」が建てられた。なぜ2012年に沖縄で展示会を開催したのか。95年に国連北京女性会議の中で、紛争下の女性に対する暴力が議論されたが、紛争下ではなく駐留中の軍隊による日常的な性暴力も議論となった。その会議の最中に沖縄で、米軍による少女暴行事件が起きた。沖縄では米軍による性暴力はたくさんあり、95年の事件は氷山の一角。沖縄は、辺野古をはじめ、とりくまなくてはいけない課題が山積して、なかなか踏み出せなかったが、2011年に「沖縄戦と日本軍『慰安婦』実行委員会」が立ち上げられた。
展示内容の、展示室1―「沖縄の歴史と日本軍の侵略」、展示室2―「日本軍による性暴力被害」、展示室3―「戦後も続く性暴力」について、詳しく説明。
沖縄の歴史と沖縄戦の被害を伝えないことには、慰安所問題は出てこない。強制された「集団自決」や、本土から来た日本軍は沖縄の言葉がわからないために沖縄の言葉を使うとスパイとした事実を物語る「スパイ防止マーク」。戦後も、強かんされた後に殺される事件が多発。当時、「トイレに行くのは自殺行為」とまで言われた。米兵が近づいたら村中に知らせるために各所に鐘が設置されていた。被害者が名乗り出ることの困難性。今も苦しみは続いており、ふとしたことで思い出される記憶に苦しめられ続けている女性。
「つまづきの石」
質疑応答では、渡辺さんから丁寧な説明があった。
●「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)のアクティブとは?
必ず「戦争」を入れることにしたことと、記憶を集めて伝えるだけで良いのか、市民運動の拠点にする、という故松井やよりさんの想い。「つまづきの石」という「ここからナチスに連れて行かれた」ことを示す道にある石の指標が、ドイツには多数作られている。
●教科書から「慰安婦」が削除されてしまったが、どうすれば?
中学校の歴史教科書から削除した理由を政府は、「中学生には早すぎる」と言っているが、被害者は13−14歳の中学生、義務教育でこそ教えるべき。
●世界は「慰安婦」問題をどう見ているのか? 人権を重視するのが国際社会。「日本は事実さえ認めないのか」と言われてきている。安倍首相の、「検証はするが河野談話は見直さない」という発言は、「裏付けはなかったが、韓国に配慮して見直さない」という世論作りであると批判され、証拠は山ほどある。バタビア事件について1962年の法務省の元兵士への聞き取り調査でも具体的供述がされている。それでも日本軍はやっていないと言い張るのか。
NHKへ抗議を
最後に、主催者から、@5月31日から6月1日に開催される第12回アジア連帯会議への参加・賛同の訴え、A橋下暴言から1周年の5月10日に集会を開催、B6月21日、22日に大正区コミュニティセンターでパネル展、C3月25日のNHK大阪への再度の抗議行動への参加が呼びかけられた。 (大阪 H)
3面
「慰安所」は軍の支配下にあった
元官房副長官・石原のウソを暴く
昨年8月、「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー(8月14日)を国連記念日に」をかかげて全国各地で「水曜デモ」がおこなわれた。(写真は昨年7月3日、大阪市内でおこなわれた「水曜デモ」) |
安倍極右政権のもとで、歴史修正主義に基づく歴史の清算が始まっている。2月20日、衆議院予算委員会で、石原元官房副長官は河野談話について、「(元慰安婦の証言の)事実関係の裏付調査はおこなわれていない」と発言した。安倍政権は、韓国政府、中国政府からの強い抗議を受けて「河野談話」の見直しを見送ったが、基本的な姿勢は変っていない。歴史の偽造を許さないために、真相究明ネットが提供するスマラン事件開示文書から「慰安婦」強制・性奴隷制の真実の姿を明らかにしたい。
河野談話
河野談話は当時の外政審議室の調査にもとづいて発表された。外政審議室は、外務省など10の機関から収集し、「慰安婦」被害女性、元軍人などからの聞き取り、国内外の文書及び出版物(各種の「慰安婦」被害者の『証言集』や研究書)を総合的に分析・検討した結果などをまとめた。調査は@慰安所設置の経緯、A慰安所が設置された時期、B慰安所が存在していた地域、C慰安婦の総数、D慰安婦の出身地、E慰安所の経営及び管理、F慰安婦の募集、G慰安婦の輸送等、8項目にわたっている。
安倍政権は石原信雄発言に飛びつき、当時の調査研究で明らかにされた慰安婦強制の事実を否定しようともくろんでいる。しかし、日本軍が慰安所制度(制度である!)を持っており、そこに多くの女性が日本軍の支配下で奴隷状態に置かれていた事実を覆すことはできない。
たとえば、河野談話の「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」については、本人たちの聞き取り調査だけでなく、当時政府が収集した研究書や出版物などで認定されており、元軍人や慰安所経営者などの聞き取り調査や研究論文などにより裏付けられている。
また、「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」ことは、法務省が報告したBC級戦犯バタビア裁判の資料によって認定されている。このように、性奴隷制への日本軍の関与は単なる「関与」にとどまらず、制度下で、組織的・体系的に実行された戦争犯罪である。
バタビア・スマラン事件
法務省はスマラン事件の全容を知ることができる3件の文書綴りを隠し、その要旨をわずか4枚の「調査報告書」として公表していた。この3件の全文が国立公文書館に移管され、2013年9月に全文書(1077ページ)が強制連行真相究明ネットワークに開示された。
開示文書にはオランダ語の起訴状、判決文、供述調書、被害者調書などの日本語訳文、そして戦後に法務省がおこなった関係者への聞き取り調査報告書などがある。その中から、現時点で精査できている4文書(@能崎聴取書1966年4月5日、A松浦供述書1962年2月19日、B起訴状1947年11月22日、CJさんの被害者調書1946年1月10日)から、スマラン事件の真相に迫りたい。
バタビア裁判の公判記録によれば、1944年1月、南方軍の能崎清次少将(当時)が、池田省一大佐と大久保朝雄大佐からの要望で新しい慰安所開設を話し合い、第16軍司令部に新しい慰安所設置を提案したことから始まる。この時、能崎少将は第16軍司令部の認可を条件に、部下の岡田慶治少佐に、軍司令部との認可交渉にあたらせた。
この時、第16軍司令部からは、「自由意志の者だけを雇うこと」を注意され、岡田少佐は女性を集める手配と4軒の慰安所開設の準備を指示。2月末、各地の抑留所から35名の婦女子を慰安所に連行。3月上旬から軍支配下の軍人・軍属のための性奴隷とした。慰安所は2カ月間運営され、4月末に閉鎖された。
強制連行の明白な証拠
ア、Jさんの被害調書によれば、岡田少佐が被害者を抑留所から慰安所に連行する指揮を執った。2月23日に日本人が抑留所に来て、「事務所で働く者を選ぶ」と偽って、17〜28歳の女性を並ばせ、名簿をチェックした。26日には、激しい抗議と抵抗に対して、「承知しなければ射つ」と脅かして、9人の女性を車に投げ込み、強制的に連行した。
イ、松浦供述書によれば、「ロスアンゼルスの海外放送でやかましく本件を取り上げ、日本側を非難した。…海外放送の件を承知した軍司令部は慰安所の閉鎖を命じた」とあり、能崎聴取書によれば、軍司令部から婦人を強制連行してきたことを指摘され、「これはしまった。具合が悪いと思ったので、直ちに慰安所閉鎖を決意し、命令した」と証言している。
2人の証言は慰安所の閉鎖に関するいきさつを述べているのだが、まさに強制連行がばれ、国際問題になるのを恐れた軍司令部は閉鎖を命令し、能崎駐屯地司令官は抗弁もせず、直ちに慰安所を閉鎖せざるを得なかったのだ。(Jさんは、被害者Aさんの許婚者である日本人が東京に手紙を書いて、その結果慰安所閉鎖の命令が出されたと証言している)
ウ、能崎聴取書には、「承諾書の内容についても、…ただサービス業的のこととして曖昧にしか表現されていない」とあり、このやり方は欺罔(法律上、詐欺の目的で人をだまして錯誤に陥らせること)にあたり、強制連行そのものである。
松浦供述書でも「多くは良家の子女で、レストランにでも働く位で出てきた者」と、欺罔によって募集し、慰安所に連行したことを認めている。
エ、能崎聴取書には、「州庁側で選出して、整列させていた婦人(その中には不承諾者も含まれていた)の中から、軍側の若い中尉が勝手に選定して、連れてきた」「若干の人々には多少の強制があった」と話しており、まさに「不承諾者」に対する強制があったことを証言している。
能崎は「若干の」「多少の」とできるだけ被害を小さく見せようとしているが、日本軍が武装して侵略し、一般のオランダ人を抑留所に詰め込んでおり、その軍隊が「多少の強制」などという言い訳は通用するはずがない。まさに有無を言わさない強制であったことを物語っている。
オ、能崎聴取書には「慰安所は軍の治安や風紀に関係が深いということから、慰安所の管理だけは何処でも軍側がこれを管理することになっていた」と書かれている。これはスマラン駐屯地だけではなく、日本軍がアジアを侵略していく際に、各地に慰安所を開設し、経営は民間業者(軍属)に委託したとしても、管理は軍がおこなっていた証拠である。
カ、そして最後に能崎は「慰安設備は何れの国の軍隊でも必要ではないだろうか。この種の設備が全然なかったとしたら、軍隊はとても治まりがつかなくなる」と証言している。能崎は敗戦から20年も過ぎた1966年になっても、「慰安所必要論」を主張した。骨の髄まで帝国主義軍隊の価値観に染まっている。
脅迫と暴行による性奴隷
ここではJさんの証言とバタビア軍法会議第69号事件の臨時軍法会議附託決定書(起訴状)にもとづいて説明する。
被害者Jさんは「3月1日の晩7時半頃…三橋は部屋に入るや否や私を椅子の上に引上げ、嫌らしい真似をし始めた。私は出来るだけ抵抗し半時間以上彼を殴ったり蹴ったりして身を護ったが、終に彼は私を寝台に寝せ、下着類や月経を装って用心の為にもっていた月経帯迄はぎとられ、終に暴力を以て処女を破られて終った」「慰安所の生活は私には地獄であった。何時も私は客をとらなければならない時には反抗した。…度々性交を強要する為に暴力が使はれるので、何日も良く歩けなかったり、劇痛を蒙ったりした」「私は或時は一組の揃ひの食器を打ち壊したこともあった。それで或朝のこと下田は私に若しも客を拒んで許り居たら、1日に15人の客をとらなければならない兵隊用慰安所へやるやうにすると云った」と証言している。
起訴状でも、第3被告(岡田少佐)は「第四及び第六の各収容所に抑留されていた一団約三五名の婦人を連れ出し、スマランにある将校クラブ、スマランクラブ、日の丸及び双葉荘等の慰安所に連行して、売淫を行わせ、売淫を肯んぜざるものに対しては、強制して、これを行わせた」「もし彼女らが肉交を求めて同クラブを訪れる日本人に対し、各自自由意志をもってこれを拒絶した場合には、彼女らの家族に最も恐怖すべき手段をもって報復すると威嚇した」「Lなる婦人に対し、腕力をふるって強制的に性交を営んだ」と記している。
第9被告の軍属(古谷=慰安所経営者)は「日本軍当局によって同所に宿泊せしめられていた約七名の婦女子に対し、売淫を強制し、もし彼女等がその慰安所を訪れた日本人に性交を拒絶した場合には、しばしばそれらの婦女子を殴打」し、 第10被告の軍属(下田=慰安所経営者)は「かねて日本軍当局によって宿泊せしめられていた約七名の婦女子に対し、同慰安所を訪れる日本人と性交を肯んじない場合には、兵卒専用の劣等な慰安所に住み替えさせると脅迫し、売淫行為を強制」し、第11被告の軍属(森本=慰安所経営者)は「約一一名の婦女子に売淫を強制し、もし彼女等が同慰安所を訪れる日本人に対し、性交を拒否した場合には、報復手段として彼女等の家族を収容所に拘置すると威嚇した」「Tなる婦人に対し、腕力をふるって強制的に性交を営んだ」と記している。
このように日帝軍隊は暴力と脅迫で性奴隷を強制していた。慰安所は軍人軍属による暴力と脅迫と威嚇が支配していたのだ。政府は慰安所の経営は民間業者がおこなっていたから国に責任はないと主張しているが、その慰安所経営者は他ならぬ軍属の立場であった。慰安婦経営者の罪を国の責任から外すことは恥ずべき居直りの論理である。
起訴状を裏付ける被害者と被疑者の証言記録(オランダ語)は手書きの走り書きで日本語に翻訳されているが、これらのすべてを精査するにはまだまだ時間がかかる。日本帝国主義の責任を追及するために最後の1行まで明らかにしよう。
(須磨 明)
4面
論考
「福島の復興」とは(2)
南相馬市長選と住民の選択
請戸 耕一
目次
T 「復旧復興の遅れ」の現状
U 帰還促進の徹底―国の加速化方針
V 被災者切り捨てと開発依存
W 別れた住民の選択
X 「除染して復興」方針の見直しを
Y 中央依存・開発依存を超えて
地震、津波、そして原子力災害の直撃を受けた南相馬市で、1月19日、市長選の投票がおこなわれた。結果は現職・桜井勝延氏の再選。主要メディアはこの結果について、「脱原発候補が再選」「市政継続を市民が選択」と報じた。しかし、この選挙は、それほど単純な構図ではなかった。
津波被害が大きかった南相馬市小高地区村上(2013年12月撮影) |
T「復旧復興の遅れ」の現状(承前)
農業と製造業への打撃
南相馬市の基幹産業は、農業と製造業。それが大きな被害を受けている。農業は、作付け制限・自粛が続いている。稲作は、一部の試験栽培を除いてやっていない。
製造業を含めた事業所は、災害前に比べて約3割の減少。それに伴って従業員数も約3割の減少。地域経済は著しく衰退している。
商圏の縮小・人手不足
南相馬市は、災害以前、相双地域(相馬と双葉の両地域)の人口約14万人を商圏としていた。しかし、双葉郡のほとんどや飯舘村が避難区域とされ、住民はいない。そして、その相双地域の北端に位置する南相馬市も人口減少に陥っている。
商圏の縮小によって生じている問題は、売り上げ減と人手不足だ。売上の減少について、原町の事業所の実態調査〔昨年9月調査〕の結果は以下のようだ(『政経東北』14年2月号)。
・卸売業、小売業、サービス業で12年、13年と回復傾向にあるが、10年9月の68割程度
・建設業では、飛び抜けて伸びが大きい1社を除くと、昨年より売り上げは減少
・製造業では、今年も昨年とほとんど変化がなく、10年9月の8割弱
大半の企業が売り上げを回復できていない。
また、人手不足が深刻だ。相双地域の昨年11月時点の有効求人倍率は2・69倍で県内最高。
企業が事業を再開し、募集をかけても一向に決まらないなど、事業展開に支障をきたしている。若い世代が避難しており、介護や医療といった職場が極端な人手不足に陥っている。
ここまで「復旧・復興の遅れ」の現状・実態を見てきた。復興以前の復旧すらいまだ遠く、被災者の生活再建が進展していない。時間がたつにつれ、深刻さが増している現状が見えてくる。
そこで次に、国がこの現状に対してどうしようとしているのか。さらに、横山・渡辺両氏(いずれも落選)がうちだした「復興の加速」の内容を見てみたい。
U 帰還促進の徹底
安倍政権になって以降、与党の自民党・公明党による3回の提言、および原子力規制委員会、原子力損害賠償紛争審査会などの方針などが出され、それらを受けて、政府が、「原子力災害からの福島の復興・再生を一層加速させるため、政府としての大きな方向性を示す」として、「福島復興加速化方針」を昨年12月に閣議決定した。
「福島復興加速化方針」の要点を列挙すれば以下のようになる。
@20ミリシーベルト基準で避難を解除し、帰還を促進する
A帰還困難区域については移住費用を支援。帰還困難区域以外は「戻る」選択には賠償追加で支援。帰還困難区域以外で「戻らない」選択には支援なし〔※〕
B除染一辺倒から、除染・インフラ整備・汚染水対策・廃炉を「大きな公共事業」とし、「国が前面に」で税金投入へ
C健康不安対策は、個人線量計とリスクコミュニケーション。健康被害はなしが前提
D帰還促進で賠償を抑制。さらに追加除染費、中間貯蔵施設建設費に税金を投入
E自治体に新たな交付金。帰還促進が目的
〔※年末の原賠審指針は、帰還困難区域以外でも「戻らない」選択が合理的と認められる者について支援策を示した〕
20ミリで帰還促進
「福島復興加速化方針」の報道では、「全員帰還からの方針転換」「住民の判断の尊重」とされたが、内容を読むと全く違う。方針の主眼は、〈東電の救済〉〈原発の再稼働〉、そして、そのための〈20ミリシーベルト基準での帰還促進〉である。
しかし、それは、住民の意志に反している。79%という住民の大多数が「放射線への不安を感じている」と答えている〔1月19日、NHKによる出口調査〕。また、小高区など避難区域の住民の31・1%が「戻らない」と答え、その理由の最多が、「放射能への不安」42・8%だった〔昨年89月、市・復興庁による住民意向調査〕。
また、あえていえば、国が依拠するところの「国際的合意」でさえ、低線量被ばくによる健康影響を否定はしていない。にもかかわらず、なぜ20ミリシーベルト基準での帰還促進なのか。
東電救済・原発再稼働
端的に言えば、まず、〈東京電力の救済〉だろう。東京電力が、賠償費用や除染費用で音を挙げている。東京電力に資金を出している銀行や大株主も救済を要求する。だから、賠償を抑制し、除染や収束・廃炉に税金を投入することで、東京電力の負担を軽減しようというのだ。
また、〈原発の再稼働〉もある。賠償が膨れ上がったり、避難住民が膨大になるのは、原発再稼働の足かせなのだ。だから、原発事故の被害規模をできるだけ小さく抑え込み〈復興している〉としたいのだ。アベノミクス、国土強靭化、東京オリンピックといった経済成長戦略に舵を切りたい、だから〈福島の原子力災害問題への関わりは早く終わりにしたい〉という意図も滲む。
そして、自治体も、本来は住民に近い立場にあるはずだが、〈住民が戻らないことは税収減〉、〈国の意向に従わないと自治体が成り立たない〉と考え、国の帰還促進政策に追随する。
つまり、住民の命や健康や生活よりも、東電や銀行、原発や経済の利害の方を優先して、〈20ミリシーベルト基準での帰還促進〉が方針化されていると見る方が妥当だろう。1ミリにするか、5ミリなのか、20ミリなのかは、いわば金勘定の問題なのだ。「福島復興加速化方針」は、その言葉の上では「福島の復興・再生のため」とあるが、その中身は真逆。経済成長戦略のための「命と健康の切り捨て」方針と言っていい。
「加速」とは
震災から1カ月の11年4月、当時の民主党政権の下で、政府・復興構想会議が、「未来に向けた創造的復興を目指していく」と提言した。「創造的復興」とは、財界の要請を受けた言葉であり、経済成長戦略に沿った復興という含意である。
が、自民党政権にしてみれば、民主党政権のやり方では不徹底だった。そこから、経済成長戦略への徹底をはっきりさせるという意図で「加速」とうち出したのだ。
中央の経済団体である経済同友会は、やはり「加速」を強調し、復興交付金の使い道を、企業誘致や農地集約化など産業分野の方に移せという意見書をまとめている。〔13年10月7日、意見書〕
こうした流れに沿って福島県は、「投資促進・雇用創出を図る」として、「ふくしま産業復興投資促進特区」を進めている。以下で見るように、南相馬市長選で主に渡辺氏が掲げた政策も、この流れに沿うものだ。
V 被災者切り捨てと開発依存
除染と産業政策に傾斜
「行政の対応が鈍く、復興は遅々として進まない」「南相馬市を建て直し、復興を加速させる」「復旧復興を加速し、人口減少を食い止める」。渡辺氏は出馬に当たってこのように桜井市政を批判し、「復興の加速」を訴えた。その政策はどういう中身だろうか。
渡辺氏の主な政策はおおむね次のようだ。
・除染のスピードアップ
・農業生産法人設立や企業誘致などの産業政策
・医療・教育・子育て支援の充実
・復興の起爆剤としての火力発電所誘致
・メインスローガンとして「復旧・復興を加速し、人口減少を止める」
・中央とのパイプの回復
問題に具体性なし
渡辺氏の政策には、小高区などから避難している住民の問題、仮設住宅で苦しんでいる現実、被ばくと健康被害を危惧する実態など、一番厳しい問題に関して具体性がない。関心が薄く、政策の重心をそこには置いていないことが見て取れる。
賠償問題について若干発言があるが、国が打ち切りに踏み出していることには触れずに、「中央とのパイプの回復」ができれば賠償問題も前に進むかのような言いぶりが目立つ。
除染で問題解決
渡辺氏は、「復興の遅れ」の原因は「除染の遅れ」だとして、「除染のスピードアップ」がすべてを解決するというところに話を収れんさせてしまっている。
そもそも、除染には限界がある。そもそも「移染」でしかない。広大な山林が手つかず。目標1ミリシーベルトには程遠い。最終処分場をどうするかを誤魔化しながら、仮置き場や中間貯蔵施設への同意を迫る。こういう矛盾に目をつぶって、除染が進めばすべてが解決するかのようには言う。これはおかしい。
汚染の実態があり、住民の意向や選択がある。多数の住民が「放射線への不安」を訴え、あるいは帰還を希望していない事実がある。にもかかわらず、「除染して帰還」という方向でしか問題を立てていない。
国の方針と合致
渡辺氏は、「復旧・復興を加速し、人口減少を止める」をメインスローガンにすえ、その「復興」の主要な内容は産業政策になっている。そして、「復興の起爆剤」が火力発電所の誘致だとしている。 渡辺氏が「復旧・復興の遅れ」で問題にしているのは、〈除染が遅れて住民が戻ってない。そして産業政策が展開できていない〉ということだ。
この意識も、国の加速化方針や財界の求める加速化と完全に合致している。 (つづく)
5面
投稿
「一般の人」と適正評価
秘密保護法廃止へ裾野を広げよう
昨年末に強行成立した特定秘密保護法の審議過程で、安倍首相は「一般の人たちには関係のない法律である」と力説した。この発言が彼一流のデマゴギーであることは、本紙の読者なら説明するまでもないが、一般大衆は必ずしもそう受けとめていないことが危惧される。
この法律は「外交」「防衛」「テロ」に関する情報管理をタテマエとしている。つまり国の外交や軍事、テロ対策に直接かかわっている人たちや、関連する業界、メーカーなどで働いている人たちが対象だという。そして、それらの人たちが秘密保持という観点からみて「適任」であるか否かをチェックすることを定めている。「適正評価」の対象項目は、思想・信条はもとより、交友関係や預貯金などの資産その他ほとんどすべての面に及ぶ。そのためには、盗聴や尾行、張込み、インターネットやメールのチェック、さらにはスパイ(友人をスパイに仕立てる場合も)による情報収集が当然おこなわれるだろう。
10万人が対象に
国会審議のなかで「現時点で適正評価の対象者をどの程度見込んでいるのか」という質問に、政府はアイマイな答弁に終始したが、国会終了後のある議員の質問状に対して「10万人程度である」という公式回答がなされた。
さてそこで、われわれ一人ひとりは、自分がこの「10万人」のなかに含まれているのかと、考えてみる必要があると思う。外交や軍事、テロと直接関係していないから大丈夫だとしてノンビリ構えていられないことは、原発(核武装のため!)問題ひとつとってみても明らかである。医療や介護に従事している人たちは、トリアージ(戦時医療)の関係から至近距離におかれている。
よく言われるように、治安立法は「小さく産んで大きく育てる」のが権力を握っている者の常套手段である。かつて、人びとの異議申立てを、その潜在的可能性も含めて根こそぎ封殺し、支配体制の強化と侵略戦争の遂行にむけて猛威をふるった治安維持法がその典型である。同法は「国体の変革」すなわち天皇制に反対する思想と運動の取締りを眼目として制定された。しかし、天皇制(イデオロギー)に対して何らの異議も唱えていなかった団体や個人までが治安維持法違反で弾圧されたことは、よく知られた史実である(国内の治安維持法による検挙者数約68000人)。
無関係の人はいない
もうひとつ、特定秘密保護法に違反した場合、最高10年の懲役刑および罰金1000万円が科せられる。治安維持法は1925年の制定時、最高刑10年であった。幹部・活動家の多くが10年間も権力によって奪われることは、活動家の再生産のサイクルが絶たれ、組織の命脈が制圧されることを意味する(当時の指導部はこの点についての認識が希薄であった)。そしてさらに1928年、緊急勅令によって死刑が導入され、植民地であった朝鮮半島や「満州」では死刑が執行された(国内でもゾルゲ事件にみるように、軍機保護法などとの併合罪による死刑判決がおこなわれた)。
結論をはしょっていえば、特定秘密保護法に「関係のない」「一般の人たち」などは存在し得ない。いったん施行されれば、将来、死刑の導入も大いにありうる。このことは、この法律がいかに広範な人たちの存在を脅かすものであるか、換言すれば、この悪法に反対する闘いの裾野を広げていく可能性が無限に存在することを意味している。
戦争国家法を粉砕するために、「一般の人たち」にむけて、わかりやすく説得力に富んだ〈宣伝〉と〈扇動〉を繰り広げ、世論の喚起に努めよう! (静岡 S)
米軍基地はいらない
京都市内で集会とデモ
「米軍基地反対」京都市内をデモ(3月21日) |
3月21日、京都にも沖縄にもどこにも米軍基地はいらない!Xバンドレーダー基地着工反対!3・21京都集会が、京都市内で開かれ、130人が参加した。主催は、米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会。
集会では基地建設予定地の京丹後市宇川地区から、「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」事務局長・永井友昭さんが現地報告。新たに宇川地区で始めた反対署名は、すでに530筆を上回り、地域の過半数を越えた。また3月31日の米軍用地の契約更新では、新たに一人の更新保留者が出た。米軍人・軍属の住宅はまだ決まっておらず、説明会もおこなわれていないことなどが話された。
基地建設は米軍や日本政府の思惑通りには進んでいない。これからが正念場だ。4月20日には宇川で基地建設に反対する集会とデモがおこなわれる。
市東さんの農地裁判
控訴審始まる
市東孝雄さんの農地取り上げを画策する農地法裁判の控訴審(第1回)が、3月26日東京高裁で開かれた。
前段集会で反対同盟・北原事務局長、萩原富夫さんが発言。約200人がデモ行進(写真)、午後からの裁判に向かった。
裁判では市東さんがプロジェクターで農地を映写、持ってきた土を提出し畑の状況を説明。「なぜ空港会社が私の畑の地主なのか」「営農、耕作している者にこそ権利がある」と主張。弁護人が順次、地裁判決の不当を糺し、高裁での事実審理を要求した。また、裁判に先立って、緊急署名8千筆余りを裁判所に提出した。
次回は6月25日(水)午後3時、東京高裁。次回は空港会社側弁論の予定。
資本主義を超える
自著『「資本論」の核心』(情況新書2014年3月刊 定価1300円+税)の薦め
ソ連崩壊の根拠
本書の特徴は、ソ連・ 東欧崩壊の原理的根拠を解明しているところにあります。そして『資本論』初版本文価値形態論の解明から資本主義批判を見直し、新たな運動の提起をおこなっています。
ソ連・ 東欧崩壊という大事件は、社会主義をプラス・イメージからマイナス・イメージに転換させました。だが、一番の問題は、いまだに左翼(社会党、共産党、新左翼を総称しておきます)の側が、ソ連・東欧崩壊についてのきちんとした見解を出しえていないことです。資本主義を変えるのに、まず政治権力を奪取するところからしか可能ではないという考え方がその背景にありましたが、この考え方自体を俎上に乗せることが問われていました。日本での60年安保闘争の経験は、伝統的な考え方に疑問を持つ人々を生み出し、日常の生活からの変革を求めて協同組合運動に関わる人々を生み出しましたが、その動きは左翼の中では位置づけられることなく現在に至っています。つまり、「政治権力の奪取から社会革命へ」という考え方のオルタナティブが、運動としては形成されているものの、政治的、思想的影響力を左翼に対して持ちえてはいないのです。
私は、ソ連崩壊の原理的根拠を、商品や貨幣や資本が、人々の無意識の領域で人格の意志支配をするシステムであり、従って、意識的行為によってそれらをなくすという方針は、無意識の領域を意志で統制するという背理を抱えていたというところに求めました。ですから、これらをなくすためには、迂回して、商品や貨幣や資本なしで生産や流通や消費が可能なシステムを作り出す以外にありません。
私の提起はグラムシの陣地戦の具体化であり、陣地戦の組織方針における原則的な観点でもあるのです。現代革命において、陣地戦の背景なしに権力奪取を構想しても、現実的に可能なのは、社会民主主義政権であり、これでは社会変革の筋道をつけることはできません。
ソ連崩壊の原理的根拠はまた、資本主義が様々な抵抗運動にもかかわらず、依然として永続している原理的根拠でもあります。資本主義の矛盾の深刻さにもとづいて、危機が如何に深化しても、主体が登場しなければもう一つの世界は実現できません。そして、商品や貨幣や資本が、人々の無意識の領域で人格の意志支配をするシステムであるという現実は、主体形成の困難を意味します。この現実を踏まえた主体形成の展望が解明されなければならないのです。
「もう一つの世界」
いま、世界政治においては、かつてハイエクが想定した自由主義と全体主義( この文脈ではソ連社会主義もこれに含まれています)の二項対立に対して、第三の道(ヨーロッパの社会民主主義のリニューアル)が提起され、さらに緑の政治が登場してきています。 しかし、自由主義以外の政治思想で、ソ連・東欧崩壊についてきちんと評価したものは見当たりません。世界社会フォーラムは資本主義に代わる「もう一つの世界は可能だ」と呼びかけていますが、その原理的根拠の解明が問われています。
日本では2011年3・11大震災と原発事故以降、大衆運動が復活しています。 この大衆運動は、意識されているわけではありませんが、陣地戦の陣形によって組織されるようになってきています。業界団体への対抗を意識した協同組合だけでなく、生きづらさを抱えた若い人達が、任意の居場所的寄り合いで運動の底辺を支えています。新左翼の伝統的な組織方針ではこれらの多様な活動を集約できていません。陣地戦の組織論を欠いているからです。
この書では、「資本主義を超える」という合言葉で、新しい運動の提起を行っています。ぜひ手にとってみてください。
6面
民衆の切実な課題となる
最低生活保障(上)
高見元博
日本では憲法25条で生存権が保障されている。健康で文化的な最低限度の生活の保障だ。これは、日本の労働者民衆が歴史的に勝ち取ってきた権利だ。60年安保闘争と密接に関係した朝日訴訟などの民衆的闘いによって生活保障の実体は勝ち取られてきたからだ。
最低生活保障を具現化するのが生活保護だ。この「保護」という言葉には問題がある。自治体労働者が「保護してやる」という立場に立ってしまう言葉だからだ。固有名詞として使う場合以外は「生活保障」という言葉の方が良い。
捕捉率
日本では捕捉率が低いという問題がある。捕捉率とは、最低生活保障が必要な人の内、実際に生活保護を受けている人の割合だ。民間の研究では15・3%〜18%と言われている。厚労省の資料では「国民生活基礎調査」で、所得のみを考慮すると15・3%、資産要件を考慮すると32・1%だと言っている。
生活保護を受けている人は約216万人(世帯では約159万世帯)なので、最低生活ライン以下の低所得者の人数は推計1415万人。人口の10%を超える数字だ。生活保障が特殊な人の問題ではないことを示している。この中には、低年金・無年金者やワーキングプアが含まれる。
外国と比較すると、スウェーデンの捕捉率は82%、ドイツ64・6%、フランス91・6%、イギリスは制度が複数あり47〜90%。日本の捕捉率がいかに低いかがわかる。
生活保障は最低生活ライン以下の1400万人の問題であるだけではなく、生活保護費を基準にしている最低賃金、就学援助や住民税の減免や医療費の減免措置など、多くの低所得者に影響してくる問題なのだ。
無年金・低年金問題
日本では低年金、無年金者が多い。将来無年金者になる年金未納者・未加入者は400万人を超える。公的年金加入者の5・7%だ。よく言われている40%の未納率というのは、国民年金のみの加入者に対する割合のことだ。危機感をアジるために言われている数字なのだろう。経済的に苦しければ、手続きをすれば納付免除や先延ばし可能であり、そういう人は将来低年金となる。また国民年金のみの人はもともと低年金であり、他に所得や資産がなければ貧困世帯となる。免除や先延ばしの措置を受ける人は多く、04年から05年にかけて納付率を3・3%アップさせたほどである。(割り算の分母が減るから率が上がる。)
国民年金のみの人は自営業者400万人、無業者700万人の他、パート・アルバイトなどの非正規雇用の労働者1200万人が含まれる。パート・アルバイトの女性の内24・6%が国民年金のみである。
低年金の実態は、年金の人のうち、男性では所得50万円未満が7・1%、50万〜100万が17・3%、100万〜150万が13・5%。女性では50万未満が26・8%、50万〜100万が40・6%、100万〜150万が17・0%である。他の所得や資産がある人もいるし世帯構成にもよるが、仮に100万円以下の低年金者の割合を見ると、男性で24・4%、女性では実に67・4%に達する。65歳以上の単身女性世帯の所得を見ると150万円以下の世帯が女性単身者に多い。
餓死者
このような貧困問題の実態は餓死者数にも表れている。厚労省の「人口動態調査2012」によれば「栄養失調」「栄養欠乏」「食糧の不足」が死因とされる者の数は2011年で2053人にのぼる。実際には餓死でも、直接の死因が心不全や他の疾病とされた人の数を含めればもっと膨大になる。日雇い労働者やホームレスで餓死、凍死者は多いが、差別感情がそれらの問題を表面化させていない。
なぜ死に至ってしまうのか? なぜ生活保障を受けられなかったのか?とくに生活保護を受けられなかった理由は、水際作戦や様々なスティグマの存在が考えられる。
水際作戦とは、低所得者が生活保護の窓口に行った時に、ケースワーカーが様々な難癖をつけて追い返してしまうやり方だ。申請用紙も渡さずに追い返す例が多く存在する。ケースワーカーの実務をするには公的資格が必要だが、資格がないにも関わらずケースワーカーの実務をしている例も多く、最近では警察官OBのワーカーも多い。また一人の受け持ちが100人以上と多いことも新たな仕事を増やしたくないという心理を生む原因となっている。
スティグマというのは心理的な社会的障壁のこと。他者や社会集団によって個人に押付けられた負のレッテルを意味し、元々の意味は「烙印」だ。福祉制度の利用がスティグマとされる。恥や後ろめたさといった考え方や、「国の世話にはなりたくない」といった考え方が含まれる。スティグマが生活保護利用の妨げになっているケースは数多く存在する。それは本人の問題でもあるが、社会が作ってしまった障壁と考えるべきだろう。マスコミが不正受給を大きく報道することも、スティグマを生む。不正受給は全体の0・5%に過ぎないのに、過大に報道されている。それで形成された世論は大きなスティグマだ。貧困世帯が保護世帯を非難することが多いのはこれらのマスメディアの報道によるものだが、低所得者対策を狭めて、結局自分の首を絞める結果となる。
日本の扶助費の低さ
それが日本の生活保護の利用率の低さにも表れている。捕捉率も低いが利用率(人口に対する生活扶助を受けている人の割合)も低い。日本の利用率は1・6%。スウェーデンは4・5%、ドイツは9・7%、フランスは5・7%、イギリスは9・27%である。
結果として日本の扶助費の総額も低い。各国の公的扶助費のGDPに占める割合は日本は0・6%だが、オーストラリア5・6%、イギリス5・0%、フランス4・1%、カナダ3・6%、ドイツ3・3%、アメリカ1・2%であり、OECD平均は2・0%である。福祉という意味では血も涙もない自由主義国家アメリカのさらに半分に過ぎないのだ。
扶助費引き下げ
このように見ていくと日本の生活保障費は引き上げるしかないはずだ。ところが日本では、実際には引き下げがおこなわれている。
生活扶助費は2013年8月、14年4月、15年4月と3回に分けて引き下げられる。最終的な引き下げ額は夫婦と子ども1人世帯で1・6万円、夫婦と子ども2人世帯で2万円、70代以上夫婦6千円、70代以上単身3千円、60代単身2千円、41歳〜59歳単身4千円、20歳〜40歳単身7千円、母と子1人8千円だ。
この4月には消費税が3%上がる。これに対応して生活扶助費は2・9%上がることになっている。ところが平均6・5%、最大10%の引き下げの第2回目の引き下げ分が差引されるので実際にはそれだけ上がらない。
また、「アベノミクス」というインチキな経済政策の結果である円安で、物価は上がっているがそれは反映されない。
自公政権の政策
なぜこのようなことになるのか。自民党の政策であり、民主党政権下でも貫かれたブルジョワジーの政策だ。
自民党の2012年2月の政策ビジョン。「自助、自立を基本とした社会保障制度」「家族の助け合い、すなわち『家族力』の強化により『自助』を大事にする方向を目指す」「『自助』『自立』を第一とし、『共助』、さらには『公助』の順に従って政策を組み合わせ、負担の増大を極力抑制する中で真に必要とされる社会保障の提供を目指す」
民主・自民・公明三党合意で2012年8月成立の社会保障制度改革推進法。「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していく」
家族の助け合いや国民相互の助け合いというものは、国の福祉の責任とは関係ないものだ。別次元の問題である。家族の助け合いに論理をずらすのは、国としての責務を果たす考えがないからだ。自民党は、家族が助け合えば国は生存権を保障しないでよいと言いたいようだ。家族に責任を押し付け、生存権保障を例外中の例外としてしまう、でたらめな論理なのだ。扶養義務を強化しようとした生活保護法改悪案はこの考え方から出てきた。 (つづく)