安倍政権と全面対決を
再稼働阻止 解釈改憲許すな
昨年12月、秘密保護法を強行成立させ、辺野古新基地のための埋め立て承認を強制し、靖国神社参拝を強行した安倍首相は、2月東京都知事選の勝利を持って、原発再稼働と「集団的自衛権行使」の容認へ進もうとしている。安倍の反動攻勢に対決し、「再稼働阻止・改憲阻止」の大運動をまきおこそう。
国粋主義をむき出しに
衆参両院の安定多数を獲得した安倍政権は、1年間の「試運転」をおえて、昨年12月から全面的な反動攻撃にうって出てきた。
特定秘密保護法は、重罰をもって「市民の知る権利」を奪い、「報道の自由」を規制するものであり、民主主義の根幹を破壊する希代の悪法である。また「デモをテロ」と決めつけて政府に反対する運動を監視・弾圧するものだ。
法案審議のなかで、その内容が明らかとなるにしたがって反対運動が強まり、連日、国会を抗議デモが包囲した。全国的に拡大する抗議の声を無視して安倍は、12月6日に強行成立させた。
つづいて安倍・自民党は、沖縄県選出の5人の自民党国会議員に対して「『県外移設』をこれ以上主張するなら次期選挙で公認しない」と恫喝して屈服させた。さらに沖縄県民の抗議の声から遮断するために仲井真沖縄県知事を「入院」を口実に上京させ、2021年度まで毎年3千億円の沖縄振興予算を提示して、公有水面埋め立て申請を承認させた。このような金と権力にものをいわせたやり方に沖縄県民の怒りは沸騰している。
さらに安倍は、政権内部の一部批判の声をも無視して12月26日、首相就任以来「悲願」の靖国神社参拝を強行した。こうして安倍政権は昨年12月を期して、憲法改悪と軍事大国化への道を公然と進み始めたのだ。
原発再稼働許すな
2月9日投開票がおこわれた東京都知事選挙では、細川護煕元首相が小泉純一郎のバックアップを受け、「原発ゼロ」をかかげて立候補したことに対して、マスコミを使った露骨な「原発問題」の争点はずしをおこない、自民党が応援する舛添要一を当選させた。
安倍は福島第一原発事故はいまだ収束の目途も立っていないにもかかわらず、事故などなかったかのような態度をとっている。都知事選の応援演説でも原発事故には一言も言及しなかった。
都知事選に「勝利」した安倍政権は集団的自衛権見直しと原発再稼働に全力をあげてくる。原子力規制委員会はすでに「粛々と」政府の言うなりに審議をこなし、夏過程で一気にゴーサインを出そうとしている。
だが今度の都知事選で東京都民は200万票近くの「原発再稼働反対」の票を投じた。舛添の本質は原発推進だが、表面上は「段階的縮小」を唱えざるをえなかった。脱原発勢力は、依然として世論の多数を維持している。安倍政権は、伊方・玄海・大飯・高浜などの原発を夏までに再稼働に持ち込もうとしている。たしかに原発立地の地元市町は表面上は「賛成」だが、原発30キロ圏内をみればどこでも反対派が多数だ。
再稼働がねらわれている愛媛県伊方原発では、四国の住民の6割が反対している。今年は愛媛県知事選がおこなわれる。まだまだ決着はついていない。東京都知事選の余波をかって一気に再稼働に突き進む安倍政権に対し、地元の住民と連帯し、原発現地と電力消費地の大都市を貫く再稼働阻止の大運動をつくりだしていこう。「3・11」三周年に、福島と連帯する行動を全国各地で力強く作り出していこう。
それではなぜ安倍は、国際的な孤立を深めるだけで、長期的には何の展望もない偏狭なナショナリズムに依拠した政権運営をおこなっているのであろうか。もちろん安倍自身が極右・ナショナリストを本性とする政治家である。しかしより本質的な要因は日本の資本主義体制が旧来の保守政治家では打開することができない危機に直面しているということだ。
統治形態の転換
日本の支配階級がおちいっているジレンマとは、リーマンショック(2008年)によってその破綻を劇的に突き出されているにもかかわらず、新自由主義的構造改革を進める以外に、自らの進路を見いだすことができないということである。それは貧困と格差をさらに拡大し、国内の階級対立を尖鋭化させる。その矛盾のはけ口が排他的なナショナリズムへと向かっている。
それが、一方では「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指す」(2013年施政方針演説)として「市場開放」を進めながら、他方では「世界で最も偏狭なナショナリズムをあおる国」を同時に展開するということになっているのだ。規制緩和・自由競争と新保守主義が渾然一体となって、戦後憲法体制を破壊する新たな統治形態をめざしているのだ。
2014年の施政方針演説の基調は「経済の好循環」におかれている。国家戦略特区、規制緩和、法人税減税・財政健全化などである。「あらゆる人にチャンスを」、「女性が輝く」、「イノベーション」、「アジアの架け橋」など歯の浮くような言葉がちりばめられている。しかしこれらはすべて「資本の自由な活動」が主語であることを見なければならない。
他方では、積極的平和外交、フィリピン台風での自衛隊派遣、新防衛大綱、日米同盟、米軍再編、辺野古新基地建設など、軍事大国化に向けた本音むき出しの主張が随所に見られる。
「資本の自由な活動」と「戦争ができるのは当たり前」とするイデオロギーと国家体制の構築に向けて、2014年の政治を推し進めようとしているのだ。問題は民衆がこれに屈しないことだ。安倍政権の暴走を押し止めることができるかどうかは民衆の抵抗の強さにかかっている。
1月名護市長選挙で沖縄人民は歴史的な勝利をかちとった。脱原発・特定秘密保護法廃止・沖縄基地撤去の闘いを進め、労働法制改革・福祉切り捨て、憲法改悪など全分野で安倍強権政治と対決しよう。
NHK会長 籾井は辞任しろ
「慰安婦」問題などで暴言
NHK放送センター前で抗議(12日 都内) |
2月12日、午後1時、NHK会長・籾井(もみい)勝人や経営委員の百田尚樹・長谷川三千子の相次ぐ歴史捏造・差別暴言等に抗議し辞任・罷免を求める行動が東京・渋谷のNHK放送センター前で取り組まれた。呼びかけは、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動。
平日昼間にもかかわらず、元経営委員やNHKのOB複数を交えた80人が参加。経営委員の選任方法が以前よりも不透明で恣意的になっていること、安倍が抱くメディア支配の野望の反映であること、国連の差別法制勧告を国が無視していることと公人の暴言が続発し民間のヘイトスピーチが跋扈する関係性などの批判が語られた。
辞任・罷免を要求するシュプレヒコールが数波に渡っておこなわれ、NHKに抗議・申し入れがおこなわれた。
大阪でも日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークがよびかけた抗議行動が、午後1時半からNHK大阪放送局に対しておこなわれた。(2面に関連記事)
NHKと大阪市に抗議
籾井発言に便乗する橋下
橋下市長の秘書に対して抗議文を読みあげ(3日 大阪市内) |
2月3日、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークがよびかけ、72団体・376個人が賛同した抗議文をもって、賛同団体・個人の有志20人が、NHKと大阪市役所に抗議行動をおこなった。
午後4時、NHK大阪放送局を訪れ、来意を告げるも、警備員が「代表3〜4人しか入れない」と対応。全員が入りたいという抗議者と押し問答になった。
最終的に1階ロビーに広報部長など3人が降りてきたので、その場で抗議・申入れをおこなった。『NHK籾井会長は辞任せよ』の抗議文を読み上げた。広報部長は、籾井会長に必ず届けると約束した。
続いて、抗議団は大阪市役所に移動。橋下大阪市長は、今回の籾井発言に便乗し「まさに正論」と再び暴言を繰り返している。
大阪市は、橋下市長の代理として、政策企画室秘書部の2人が会議室で対応。抗議団は「『慰安婦』問題をはじめとする無責任な暴言の責任をとり、直ちに辞任することをもとめます」の2本の抗議文を読み上げ、抗議の申し入れをおこなった。
2面
「ファシズム前夜」に警鐘
教育の国家支配に反対して集会
大阪
安倍政権による改憲・教育破壊とたたかう (11日 大阪市内) |
2月11日、「止めよう!子どもを戦場に送る国づくり 許すな!『日の丸・君が代』強制 教育の国家支配に反対する2・11大阪集会」が大阪市内でひらかれ、500人を超える参加者で会場は満杯となった。主催は、〈「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワーク〉。
わずか半年で独裁国家に
主催者あいさつに続き、三宅晶子さんが講演。演題は「思想・良心の自由と現在―ドイツ・日本の思想弾圧と戦後『想起の文化』を検証しつつ―」。1933年1月に政権を握ったナチスが、わずか半年で独裁国家をつくりあげた過程を紹介しつつ、今の日本が同じ状況になってきていることを深い危機感をもって提起。一歩まちがえば、取り返しのつかないことになる時点に、いま日本社会が立っていると、警鐘を乱打した。
続いて、グループZAZA(大阪「君が代」被処分者)の10人が登壇、代表して2人が発言した。弁護団からは、池田直樹弁護士が報告。
休憩をはさんで、後半は、趙博さんの歌で始まった。その後、連帯のアピール。東京、宮城、愛知、福岡から9人が発言。大阪でさまざまな課題をたたかっている10団体からのアピールが続いた。
まとめと行動提起、集会決議を確認して終了。ただちに、御堂筋デモに出た。途中、軍服右翼や在特会の妨害をはねのけて、ナンバまで元気よくデモ行進した。
投稿
NHKは極右だらけ
安倍暴走政治の意を体現
NHK経営委員は12人。首相が任命し、衆参両院の同意を得てそれが確定する。経営委員は番組内容に意見を言えないように放送法で決まっている。しかし、12人の経営委員がNHK会長を選任することになっている。これで選ばれたのが籾井勝人会長。
1月25日のNHK会長就任記者会見で籾井が言った事をまとめると、秘密保護法は「通っちゃったんで、言ってもしょうがない」「あまりカッカする必要はない」「領土問題で日本の立場を明確に発信していく、国際放送とはそういうもの」「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」「放送内容が日本政府と懸け離れたものであってはならない」、慰安婦問題は「今のモラルでは悪いんですよ」=つまり当時はよかったと言っているのだ。「補償問題は日韓基本条約で解決済み」「戦争をしているどこの国にもあった」とデタラメを言い、関連して「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」と何の関係もない事を持ち出した。そのあと「発言を取り消したい」と述べたが、もう遅い。しかも発言内容の誤りを認めて謝罪したわけではない。基本的な考え方は田母神、石原慎太郎、橋下徹らと同じなのだ。これにアジア諸国が反発したのは当然だ。
籾井のもっとあからさま版が百田尚樹・NHK経営委員。小説『永遠の0』の著者であるが、昨年ツイッターで「他国が日本に攻めてきたら、憲法9条教信者を最前線に立たせて『日本には9条があるぞ、立ち去れ』と叫ばせよう」などと暴言を吐いた人物だ。先の都知事選では、極右好戦軍人・田母神の応援演説で「南京大虐殺はなかった」と公言している。
同じく経営委員の長谷川三千子は「女性が家で子を産み育て、男性が妻と子を養うのが合理的」「選択的夫婦別姓や男女共同参画、男女雇用機会均等法に反対」。朝日新聞東京本社の応接室で拳銃自殺した右翼団体幹部を褒め称え、戦前型の天皇制支配を肯定するなど、極右反動の典型だ。
こういう連中がNHK経営委員12人中の少なくとも4分の1を占めている。これは昨年安倍首相が気の合う極右をNHK経営委員に送り込み、籾井のような最低の人物を彼らの手で会長に選ばせて事実上の国営放送を極右の方へ引っ張っていく安部暴走政治の意志をはっきり体現している。これに対して視聴者1万人以上が意見を寄せた。籾井会長の辞任を求める意見、百田・長谷川発言を批判する意見が合計6千件を超えて多数寄せられた。引き続き、籾井と極右経営委員の辞任を要求し、声を上げ続けよう。(S・K)
明るみに出る戦時資料
橋下(大阪市長)、籾井(NHK会長)らのデマを暴く
NHK新会長・籾井は1月25日の就任会見で日本軍「慰安婦」問題について「戦争地域にはどこでもあった」「ドイツ、フランスなどヨーロッパはどこでもあった」などの暴言を繰り返した。この発言に、大阪市長の橋下徹が「まさに正論」(1月27日)と飛びついている。橋下は昨年5月、「(戦場では)慰安婦制度は必要」、「(米兵は)風俗業を活用しろ」と発言して国内外から批判を受けたが、その考えを何一つ変えていない。
そもそも安倍首相が95年の村山談話について「そのまま継承しているわけではない」と語り、01年の「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を扱ったNHKに圧力をかけ、番組を改変させた。
日本の戦争責任を曖昧にし、謝罪と補償を回避しようとする安倍政権に対して、強制動員
真相究明ネットワークは真実の発掘のために日々活動している。昨年8月以降の新聞紙上
や真相究明ネットで明らかにされた諸情報をまとめてみた。
3・1独立運動、関東大震災犠牲者名簿(11月19日付聯合ニュースほか)
東京の韓国大使館で、1919年3・1独立運動、23年関東大震災で虐殺された韓国人犠牲者の名簿などが見つかった(1953年作成)。
3・1独立運動犠牲者名簿=1冊(630人の名前、年齢、住所、死亡の日時・場所、状
況)、関東大震災犠牲者名簿=1冊(290人の名前、本籍、死亡の日時・場所、状況)、
徴用者名簿=65冊(22万9781人の名前、生年月日、住所)である。
「慰安婦」強制の新資料6点(10月6日付共同通信ほか)
関東学院大学の林博史さんは、軍の関与と強制性を認めた河野官房長官談話(1993年)の元となった政府調査資料には含まれていない新しい資料(「慰安婦」強制の新資料6点・・・B・C級戦犯法廷の起訴状や判決文)を発見した。
@バタビア裁判・第88号事件、Aポンチャナック裁判・第13号事件、B南京裁判・第12号事件、C徐州裁判・第1号事件、D上海裁判・第136号事件、E太原裁判・第3号事件。
南京12号事件の起訴状には「娘を暴力をもって探しだし、肉体的慰安の具に供した」、ポ
ンチャナック13号事件の判決文には「多数の婦女が乱暴な手段にて脅迫され強制させられた」と書かれている。
「慰安婦」強制の3資料全文(強制動員真相究明ネット発表)
法務省はこれまでに「スマラン事件(69号事件)、スマラン事件(106号事件)、桜倶楽部事件(5号事件)」の3件の要旨(A4版4枚)を「調査報告書」として出していた。
この3件の全文が国立公文書館に移管され、昨年9月開示された。
69号事件の被告は旧日本軍の軍人8名と慰安所経営者4名で、106号事件の被告は軍司令官1名で、5号事件の被告は慰安所経営者1名の合計14名で、強姦罪などで有罪とした法廷の起訴状、判決文、判決後の聞き取り調査報告書などである(530枚)。
1948年、能崎清次元中将はオランダ軍のバタビア臨時軍法会議で、懲役12年の有罪判決を受けている。1966年に石川県庁でおこなわれた聞き取り調査で、能崎は「軍司令部の参謀に抑留婦人を慰安婦とする件を話したが、反対意見は出なかった」「整列させた婦人(不承諾者も含む)から、中尉が勝手に選定して連れてきた」「連行後、各人から承諾書をとる際も、若干の人々には多少の強制があった」と証言している。
能崎は石川県出身で、1912年に陸軍士官学校を卒業し、独立守備歩兵第29大隊長、歩兵84連隊長、第7独立守備隊長、長崎要塞司令官、第16軍南方軍幹部候補生隊隊長、独立混成第56旅団長、第152師団長を歴任している。
強制連行された朝鮮人名義の郵便貯金の通帳数万冊(9月7日付聯合ニュースほか)
強制連行された朝鮮人名義の郵便貯金(未支給賃金)の通帳(数万冊)が福岡貯金事務センターに保管されている。多くの企業は逃亡を防止するために、賃金の一部を強制貯金させていた。戦後、本人に渡されず、通知もされなかった。この数万冊以外にも、「軍事郵便貯金約70万口座」「外地郵便貯金約1800万口座」が郵便貯金・簡易生命保険管理機構に保管されている。これらはいずれも塩漬け状態で、払い戻しは困難という。
慰安所管理人の日記(8月7日付毎日新聞ほか)
第2次世界大戦中にビルマ(ミャンマー)とシンガポールの日本軍慰安所で働いた朝鮮人男性の日記(43、44年)の日本語訳は「落星台経済研究所」のホームページで見ることができる。日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(43年7月29日)などと、慰安所や「慰安婦」と軍の関係が記されている。
ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、
「42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港」との記録があり、日記に書かれた釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付けている。
このように、次々と「軍隊慰安婦」強制の証拠が挙がっている。(富山雅夫)
3面
台頭する極右勢力
その主張と背景を検証する
昨年末、特定秘密保護法が国会を通過し、年内にも施行されようとしている。法の廃止を求めてたたかおう。秘密保護法は侵略戦争体制をつくり出すために、スパイ防止法などとともにくりかえし国会に上程されてきた。東京都知事選挙では、極右田母神俊雄に61万余票が投票された。極右勢力が現代日本の政治と軍事をどのように考えているのかについて、田母神俊雄(元航空幕僚長)の『真・国防論』(2009年)と懸賞論文「日本は侵略国家であったか」(2008年)で検証する。
文民統制の解体
田母神は「内局(大半が文官)はなくてもいい・・・。自衛官と大臣や官邸との距離を近くして、自衛隊と政府がいまよりも密な連携・・・」と書いている。本書の主張のなかでも、最も重要な主張ではないだろうか。
軍の要求を防衛省や首相官邸にストレートに反映できるシステムに変えなければ、戦争は出来ないと考えている。すなわち田母神は最終的には文民統制のたがを外すためにも、まずは内局から文官(背広組)を追放したいのだ。
特定秘密保護法
田母神は「こうした法律(機密保護法、スパイ防止法)が整備された場合には、一般国民がスパイ罪で厳しい刑罰を受けることになる」「防衛機密にかかわる事件を裁く際に、機密性が担保される軍法会議が必要」と書いている。
昨年の特定秘密保護法の成立過程で、政府は一般国民やマスコミは対象外であるかのように誤魔化してきたが、極右勢力は、マスコミも一般国民も特定秘密保護法の適用対象であり、しかも公開が原則の普通裁判所ではなく秘密法廷である特別裁判所(軍法会議)で裁判を進めたいと考えているのだ。
また、「(情報公開請求者の)リストを作るのは当たり前であり、・・・請求者がスパイだったらどうするんだ・・・。軍をつぶそうとする人物がいるおそれもある」として、情報公開制度を使って公文書の公開を請求する人を「スパイ」とみており、リストを作って、監視し、必要とあらば弾圧しようとしている。
田母神の主張の行き着くところは防衛省(自衛隊)を情報公開法(制度)の対象外とし、防衛省(自衛隊)を聖域とし、特定秘密保護法違反者に対しては軍法会議(秘密法廷)で、秘密裏に処分することである。戦後民主主義を根底から覆そうとしているのだ。
核武装推進論
田母神は「日本は核武装するべきだ」と語り、「(日本では)第1に、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)だ」と具体的に核配備の順序まで提案している。
日本の核武装を担保するために、田母神は「原発を引き続き活用」(都知事選挙)と主張している。しかも、「(原発に)ジャンボジェット機が突っ込んできても核爆発事故が起きることはない。原子炉の核分裂反応は大きな衝撃で起きたり、容器が壊れても起きない」と書いているが、3・11福島原発事故が起きた後も、この主張を変更していない。
広島・長崎での原爆被ばく、ビキニ・ネバタ州での核実験被ばく、イラク人民・米軍兵士の劣化ウラン弾被ばくなどについて真摯に向きあったことがあるのだろうか。
侵略戦争賛美
昨年9月、都内でおこなわれた外国人差別に反対する集会 |
田母神は「戦時中の日本が行ったよいことまで塗りつぶし、なかったことにしてしまうのは間違い」「日本を白人国家が追いつめ、首を絞めてきたので、死ぬ寸前にやり返したのが先の戦争なのだ」「日本の侵略についてあれこれいうのは・・・中国、韓国、北朝鮮のわずか3カ国だけ」という歴史認識に立っている。
2008年の懸賞論文で、田母神は「日本が侵略国家というのは濡れ衣である」「日本は蒋介石によって日中戦争に巻き込まれた被害者だ」「日本政府と日本軍の努力で、現地の人々が過去の圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」「我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している」「我が国は・・・統治をした」「我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したといわれるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものである」と、あきれる主張を繰り広げている。
「圧政からの解放」と言うが、「3・1独立運動」で7500人以上の朝鮮人を虐殺し、台湾独立運動を圧殺するために2万4千人も虐殺したことをどう考えるのか。「現地人の教育に力を入れた」と言うが、それは皇民化教育であり、民族抹殺政策であった。「日本軍の駐留も条約に基づいたもの」と言うが、日韓議定書も、韓国併合も、台湾統治も軍隊を派兵して強行しているのである。「道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している」と言うが、資源略奪と軍事支配のためのインフラ整備だった。「日本は日中戦争に巻き込まれた被害者だ」と言うが、アジアに数百万の日本軍を派遣して数千万人も殺しておいて被害者とは、何をかいわんやである。
台湾植民地支配
@大虐殺
1895年、日清戦争に勝利した日本は台湾を割譲し、植民地統治が始まったが、台湾人民は「台湾民主国」を宣言し、武装して戦った。日本軍は5万の兵、2万の軍夫を派兵し、1902年までに2万4千人を殺害して台湾を軍事制圧した。
A台湾総督の絶大な権力
台湾総督府は全島を支配した。総督は包括的に政務を統理し、命令、監督の諸権利を併せて行使するばかりでなく、陸海軍の統帥権と軍政権を掌握した。律令制定権は総督の強権を生みだす産婆役として本国から付与された。法律と同等の効力を発する命令を出すことが出来た。
B集会結社を禁止
台湾人の集会結社が禁止され、言論出版が抑制され、台湾人の土地が併呑没収され、台湾人だけの株式会社設立が禁止抑制され、公債引き受け・郵便貯金が強制され、教育・就職の差別がおこなわれた。
C土地強奪
土地調査は本国資本の進出が目的で、土地所有権の明確化、権利移転の近代的保証、租税義務を確立するためにおこなわれた。総督府は、山間僻地に居住する貧窮農民の生活を支えていた森林原野を「確証無き山林原野はすべて官有」と定め、原住民の居住区や台湾人の森林は無主地として没収し、官有化し、ほとんど無償で製糖会社や三井、三菱の企業会社に払い下げた。更に、警察の強権を使って、台湾人の所有として認定された私有地にまで併呑の触手を伸ばした。
D地元産業を破壊
中小地主はたえず租税の取り立てと土地収用併呑におびやかされていた。米作に従事する農民は日帝に米価を牛耳られ、台湾人の米穀商や台湾在来の仲買人が没落すると、米の集荷、脱穀、肥料、水利などすべて総督府の食糧局や農会あるいは三井物産や三菱商事などに支配統制されるに至った。
大正末期まで台湾人のみによる株式会社の設立が禁止され、台湾人系諸銀行の経営権は乗っ取られ、大東信託株式会社の弾圧、太陽鉱業の経営権奪取、旧式製糖業の併呑、パイン栽培・製缶事業が統合され、その結果、日本統治の末期までに台湾産業はすべて日本人の手中に帰し、台湾特産の米、砂糖、バナナの栽培、水利施設、肥料、加工、販売、出荷、移出など経済活動の端から端まで完全に支配されていた。
E重税課税
台湾人には重税が課せられ、1904年の財政負担を比較すると、日本では住民1人当たり3334円の負担だったが、台湾では4554円の財政負担を強いられた。1907年の台湾の米産額は約460万石で、1938年には1000万石、産額の約半数は日本本国に積み出し、農民たちは自家消費を減量させてまで米の供出を強制された。
F低賃金
同じ中学卒業者でも台湾人は日本人の半分以下の待遇だった。大工、左官などは日本人なら東京並みの1日4円だが、台湾人はその半分で、工員、筋肉労働者はすべて台湾人によって占められ、熟練工で日給1円から1円50銭、台南地方の甘蔗園に働く農業労働者は日雇い70銭程度で、女子はその半分しかなかった。
いかにたたかうか
田母神は「悪ガキのような国々を抑えるために必要なのは力なのだ」「秩序を乱す国には、...騒いだら承知しないぞと警告することで国際社会は安定する」とくりかえしているが、このような子どもじみた「論理(排外主義)」で、攻撃用兵器を持ち、核武装をしようと主張している。
しかも、「金持ちの国が、貧乏な国をいじめて何かを奪うということはなくなった」などと、現代帝国主義の現実を見ようとしていない。戦後世界は朝鮮、ベトナム、イラン、イラク、アフガニスタン、フォークランドなどへの侵略戦争がくりかえし起きているではないか。
以上のように、田母神の主張は事実無根のデマゴギーそのものである。歴史的事実をねじ曲げて、過去の日本帝国主義の侵略戦争を美化し、日本の軍事大国化をめざすものである。
問題は、こうした極右的な主張が若年層を中心に広がっていることである。その背景には、90年代からつづく日本経済の低迷による社会的閉塞感や小泉構造改革によって若者の貧困化と格差の拡大が一気に進んだことがあるのは間違いない。またリーマンショック(08年)以降、新自由主義的グローバリズムの破綻の中でアジア諸国においても、地域の不安定化や2国間関係の緊張が生みだされていることが、「タカ派」的な主張に人気が集まる根拠となっている。
世界がそうした状況におかれているからこそ、再びアジアにおける戦争に踏みこもうとする安倍や田母神の極右・軍事大国化路線を根底的に批判する強力な論陣と大衆運動が必要である。
秘密保護法反対闘争では多くの若者たちが戦争への危機感を募らせて国会行動に参加した。いま重要なのは、時代の閉塞感に呻吟するすべての若者たちとともに真に人間的な共同社会を建設することができるという確信であり、そのための明瞭なビジョンであろう。(田端 登美雄)
4面
収束作業の現場からU
誰かがやらなければ(下)
請戸 耕一
汚染水漏えい、4号機プール燃料取り出しと厳しい問題が続く東京電力福島第一原発の収束作業。今回は、1〜3号機の作業に従事する斉藤貴史さん(仮名)にお話を聞いた。斉藤さんが携わる現場は、時間当たりミリシーベルトという高線量の世界だ。そういう現場に身を置く斉藤さんの言葉は重い(インタビューは昨年11月、いわき市内でおこなった)。
3.2カ月で交代するゼネコン社員
ーゼネコンの人たちの話が出ました私らの立場から言わせてもらうと、ゼネコンさんたちは本当にどうしようもないのばっかりだよ。だってゼネコンの人たちは、2カ月で交代するんだから。
現場に来たって、「ここはどこですか?」から始まるんだから。どこに何があって、こうなっていて、ということを覚えるのに、だいたい1カ月半ぐらいかかるわな。覚えたと思ったら、もうあと2週間しかない。2週間で何ができるの。しかもその間に雨が3、4日でも降れば、もうほとんどないわけ。
やっと現場を覚えたかなと思ったら、「長い間、お世話になりました」って、まだ、2カ月かそこいらでしょって。それでも色紙には、「みんなで共に頑張って、福島の復興のために・・・」とか。だったらお前が一命を投げ打ってここで頑張ればいいじゃないか。そんなきれいごとだけ書き残して、すぐにいなくなってしまうね。
そりゃ、自分たちは線量を浴びたくないからでしょ。一応、会社の決まりらしいんだけど、要するに、彼らは、線量を浴びないで帰ることしか考えてないんだよ。そうじゃないヤツなんて、皆無だね。
でも、東電なんかもっとひどいよ。事故直後に頑張った人らは別だけど、今は、東電の人は現場に出ることはほとんどないから。線量の高いところに行くのは私ら。私らを遠くから見守っているのが東電の仕事。私らが、彼らの身代わりで行ってるわけ。だから、おかしいんだよ。
はっきり言って、大学出の知識のある人は現場には絶対に行かないね。本当は、そういう人が現場に行ってやってくれれば、もっと早く解決するかもしれないのに。だけど、そういう人は一歩引いて、外から指示しかしない。それじゃあ現場なんか見えないよ。それでは一向に収束なんかしないよ。
これね、日本の人間の育て方、教育が間違っているんじゃないの。「自分たちは、偉いんです。だから、自分たちは、安全なところで指示をします」って。どこが偉いのか。これっておかしいんじゃないの。
彼らは、口は達者だけど、仕事はできない人が多い。現場の人からちょろっと聞いたことを、さもさも自分で考えたことの様に、朝礼なんかで語ったりするのは得意だけど。 自分もいっしょに作業をするっていう姿勢だけでも見せれば、またものの見え方も違ってくるんだろうけど、一切、しようとしない。現場に来ても、検査とかチェックとか言って、その辺をちょろっと見て、すぐに免震重要棟の中に戻ってしまうね。
そのくせ、私らが、現場判断で、これはこうやった方がいいと思ってやったりしたことには、「それは予定外作業だ。何でやったんだ」って怒るんだ。
そうかと思えば、この作業はこうしましょうって決まっていたのに、後から後から、あれもやってこれもやってって言って来るわけ。あんたら、私らに予定外作業をするなって言っているくせに、予定外作業をどんどん押し付けてるじゃないのって。全く支離滅裂だね。
福島第1原発4号機の収束作業のようす |
4.私らモルモットか
ー被ばく量はどれくらい?だいたい、1年半ぐらいで、70から80ミリシーベルトかな。そうするともうしばらく線量のある現場には出られない。〔※〕どっか別の仕事に行かないといけない。だから、なるべく長く仕事ができるように、線量の高い作業に行ったら、次はそうじゃない作業に、という具合に交代交代で回しながらやっている。みんな、生活がかかってるからね。
果たして、そういうやり方がいいのかどうかはわかないけど、今のところは、私ら、それで納得してやっていくしかないんだよね。
ただ、放射線っていうのは、浴びないでいいんだったら、浴びないに越したことはないと思うよ。原子をいじって、エネルギーを取りだそうとするわけでしょ。その弊害なんだから。私はそう考えている。
〔※電離則では、1年で50ミリシーベルト、かつ5年で100ミリシーベルトが上限とされている。それを超えると5年間は管理区域内で仕事ができなくなる。〕
月に一回ね。これなんか、納得できないものがあるね。
私ら、毎月、病院に行って、自分の体のデータを、東電にしろ、国にしろ、提供しているわけさ。なのに、彼ら、それに対して何の回答も返信もない。おかしいんじゃないの。現場ではみんなそう思ってるよ。
データだけとって、彼らだけは知っていて、本人には教えないなんて、それだったら、モルモットといっしょじゃない。「ああ、ちょっとこの人、病んできたな。もうすぐガンが発生するんじゃないか」とか。20年ぐらい先に、「放射線を浴びると、こうなるんですね」という研究成果を発表するために、データ取りをしているだけだよ。その実験材料にされているんだから、たまったもんじゃないよ。
5.原発をやめる覚悟
【斉藤さんは、収束作業の最前線にいながら、原発の是非、日本の未来、文明の限界といった問題について考えていた。いや原発事故という現代文明のもたらした災害に向き合っているからこそ、考えざるを得ないということかも知れない。】
原発はもうやめた方がいいと思うよ。
ただ、やめた場合、日本は経済的に落ち込むよね。他の国との競争にも負けるでしょう。
一度、文明の味を覚えた者が、それを捨てる覚悟をできるのか。どっかに行くにも新幹線に乗らないで、鈍行で行けるだろうか。誰も行かないじゃないの。新幹線どころかリニアだと。どうしてそんなものがいるんだろうね。国民が、みんな、隣りがテレビを持っているからウチもテレビ、ピアノがあるからウチもピアノってやってきたわけでしょ。
私は、人間が、何か踏み込んではならないところまで踏み込んでいるような気がしてならない。遺伝子操作とか、原子力とか。車に例えれば、ブレーキの要領がわからないのに、スピードが出るからってビュンビュン走っている感じ。もうこの地球が、人間の文明を支え切れなくなっている。何かがおかしいとしか思えない。
もっと別の意味の豊かさとか幸福といったものに、目を向けて行くべきだと思うんだ。里山で、現金は少ないけれども、こんなにいい自然と、田圃や畑がある生活。そういうところに、文化の豊かさとか、心の豊かさとかがあるんじゃないか。でも、日本人は、本来、持っていたそういう豊かさを壊しながら、経済的な豊かさを求めて、原発もつくってきたわけでしょう。
そういう文明を捨てられないというなら、やっぱり原発なりなんなりが必要だという話になるよね。日本という国はどういう選択をするのか。その辺をもっと真剣に議論していかないといけないじゃないの。
たしかに、今回の事故をきっかけに、そういう文明はちょっともうおかしいんじゃないかと、感じている人も出て来てるよね。でも、そういう人たちが出て来ても、他方で、やっぱりやめられない人たちがいて、やめられないという人の方が裕福で力があるから、そこで人間同士のいさかいとか、いじめだとか、国同士の対立とかが起こるんじゃないか。
私ら、現場で、ガレキをひとつひとつ処理するような作業をしながら、でも、本当にこれからどうなるのかってことを考えてしまう。そうすると本当に頭痛がするような気持ちなんだ。
とはいえ、原発に賛成だとか反対だとかというのは、好きなだけやってくれたらいい。だけど、どっちにしろ、壊れてしまった原発を何とか止めないといけないわけでしょ。収束作業はとにかくやり続けるしかない。やらなければまたドーンと行きかねないんだから。そこのところを、まず、考えてもらいたいんだな。
だから、原発に賛成だという人には、「じゃあこの収束作業のこの状態はどうなんですか、この先の見えない現実を見ても賛成なんですか」と訊きたいね。
逆に、原発に反対だという人には、「じゃあ、反対、反対って言ってるけど、この収束作業を進めるために、誰かが飛び込んで行って、犠牲にならないと仕方がないじゃないですか」と。もし今、私らが作業をやめてしまって、誰も何もしないで放っておいたら、また放射能をまき散らすようなことが起こるわけなんだから。だから、誰かがやらないと。で、誰がやればいいんだい?収束作業の本当に詰めた話になると、そういう問題になるんだよ。
だから、賛成だとか反対だとか、収束作業がどうだとかこうだとか外から言ってるんじゃなくて、一度、ここに来なさいよと。それができないにしても、せめて、私らのような人間が、ピーってAPDが鳴る音に怯えながら、作業をしているんだということを頭のどっかに置いて、いろいろ考えてほしんと思うんだ。
私ら、自分たちが今やっていることに、どういう意味があるかなんてことは、今は分からない。ただ、いつか死ぬときになって、自分らが多少でもいろんなことをしたお蔭で、少しは収束に向かったのかなあと思えれば、まあ、それでいいんじゃないのかなという気持ちなんだ。(了)
5面
投稿
「3万人署名運動」に取り組む中で
全国に新たな三里塚をつくり出そう
反対同盟の旗開きで発言する市東孝雄さん (1月12日) |
成田空港反対運動―三里塚闘争は48年目を迎える。市東孝雄さんの農地など13006平方メートルに、70年代の初期よりも広い戦後最大の土地強制収用が行われようとしている状況だ。3月からは控訴審闘争がはじまるため、現在は3万人署名運動が取り組まれている。私自身はほんの数年前にこの闘いを知って、集会等に参加させてもらっているのはここ1年くらいだが、私なりに三里塚を闘うとは何か、を考えていきたい。
反「国策」の闘い方
署名を集めたりする中で多くのことがわかる。
まず署名を集める中で「空港はもうできているではないか」や「気持ちはわかるけど…」、ひどい人だと「あきらめが悪い」というような言葉を多く聞く。つまり「意義」がない、と。しかし本当にそうだろうか。
成田空港は国家権力によって現地への事前説明もせずに計画を進め、金でだめなら暴力、さらに分断工作までしてきた。本当に許せないものであり、農民は当然にも「私たちを愚弄するな」と立ち上がり、運動の中でも自己変革し現在に至っている。
闘争によって成田空港は「失敗」(今年は東京新聞コラムでも)であることは間違いないのだが権力・資本は欠陥のまま「開港」し、また商業施設、格安航空誘致、メディアからの黙殺(もしくは「国民的迷惑キャンペーン」)などという「既成事実」化を狙いながら同時に農地強奪を進めていることを甘く見ることはできない。
こういった悪質な国策は三里塚だけではなく、どこでも、ずっと行われている。国家の論理は必ず多くの人が排除・犠牲とされる。最近で言えば沖縄でのエセ「返還」=実質的強化や各地の原発問題、「オリンピックのため」の野宿者排除もだ。
こういった国家との闘いの中で、三里塚は半世紀近くたっても完全開港させず、農民自身がしっかりと農業を続けている、私はそれだけでも意義はあると思うし、それとともに闘争の「これから」が重要ではないだろうか。ここにこそ反「国策」―反国家の闘い方が示されているように感じる。
つまり、運動を「流行」のようにして、都合が悪いともっともな理由をつくって逃亡したり、盛んに「今は実力闘争の時代ではない」(現にあるというのに!)とするのではなく、相手の「既成事実」化といかに闘うかを三里塚は示したし、そして示し続けている。 それは沖縄の「承認」に対する闘い、反オリンピック、反秘密保護法案…いやほとんどの抵抗運動に通じるし、さらに問われなければならないことである。それらに軽重は無いし、ましてや「もう農民(言葉を入れ替えてみよ)が少ないからいらない」などと数の問題にするなんて言語道断だ(実際に聞いたことである)。
そのために私たちは「あきらめの悪い」左翼であるべきだ、と言える。
この闘っている、特に当事者にとっては当然であるが反「既成事実化」の意義を再確認するとともに、今多くの人たちが提議していることをあげたい。すでに出ていて、また私の力不足で不十分かもしれないが箇条書きにすると、@NAAによる裁判そのものの問題点・農地法悪用批判、A「国益」から離れたTPP・農業切り捨て政策批判、農民問題、B裁判所と一体である権力、権力肥大化批判、C空港(国家)の犯罪性、D真の公共性とは何か、などが主にあげられると思う。多様な論点から多くの人に呼び掛けていくことが必要だ。
共同闘争のために
沖縄との連帯、農地を守る会結成、3・ 11以後の東北農民との交流などさらに各地の連携が進みつつある。私個人としてはリーフレットを配ったり、本や映画を知人に貸し出したり、反原発デモなどでわずかながらも協力してもらえる人がいて、やはり個人レベルでの交流の大切さを改めて思い知らされた。
また「連れていく人が悪いと言われるけれど私は自分の意志で行くんだ」と声をあげる闘う「障害者」や、名護市長選での稲嶺さん勝利後は「三里塚のように闘おう、というべきだ」とSNSでわずかながらも見かけることもできた。
沖縄や福島、「国策」への怒りとともに、全国の農民、住民運動、労働運動との連携を各地で進めることや、既成党派学生や無党派学生でも学園で映画上映会等を進めていく必要がある。三里塚闘争がもう「終わった」と考えている人が多く、まずは続いていることを知ってもらうことが重要である。
また避けて通れないことはすべてがそうだとは言えないし、私も偉そうに突き放して言うことはできないのだがこれまでの新左翼運動の負の部分の総括とこれからの展望を語る必要があり、私自身も考えていきたい。
市東さんの農地を守り、三里塚闘争勝利のために萩原さんの遺志を継いで霞ヶ関に攻めのぼろう。全国に第2、第3の三里塚をつくりだそう。(Y・S)
名護市長選挙をたたかって
沖縄の怒りを実感
「ススム」ののぼり旗を林立させて市民にアピール (1月18日 名護市内) |
1月11日〜13日に沖縄・名護市長選挙の応援に行って来ました。
11日昼前に名護市に到着。すぐに「ススム会」事務所へ。あいさつもそこそこに集合住宅のビラまきに出発。集合住宅とは言っても自分が住んでいる尼崎市などとは違い、かわいらしい程度の規模のがポツリポツリとあるだけ。移動時間の方が長いくらいでしたが千葉、神奈川からの応援の人たちと一緒に貫徹しました。夕方から「稲嶺ススム」の幟を持って事務所近くの交差点に立って宣伝。ビラまきもアジテーションもしない、ただ立って手を振るだけの宣伝でしたが、車の中から笑顔で手を振り返してくれる人の多さには、これまで経験したどの選挙運動よりも手応えを感じました。
翌12日は告示日、選挙事務所前でおこなわれた出発式にはイメージカラーのブルーの鉢巻をした人たち千人近くが集まり、糸数慶子さん、照屋寛徳さんなどの応援演説と稲嶺進候補の決意表明で一週間の選挙戦がスタート。私たちは辺野古周辺のビラまきに行きました。沖縄の一戸建ての住宅は開放的すぎて、かえってどこから入っていいのか戸惑ったりしましたが、洗濯物を干していた女性が「がんばって」と声をかけてくれました。
バスから「がんばって」
午後からは自転車に幟を立てて市街地を一回り。驚いたのは、バスの運転士さんが私たち5名ほどの自転車宣伝隊に車を寄せてきてスピードを落とし外部マイクで「ハイ、がんばって下さいよ」。会社にバレたら減給処分ものでは?と少し心配になりました。
3日目となる13日は、飛行機の時間までポスターの段取りなどを手伝い、心残りながらも帰ってきました。4000票の大差で勝利したものの、これからは実力闘争になります。3日間の選挙応援を通じ、仲井真の裏切りに対する沖縄人民の怒りはただ事ではないと感じました。9月には名護市議選、11月には県知事選があります、連帯し全力で闘いましょう。(兵庫 T)
《古典再読》
たたかう工女たちへの賛歌
『ああ野麦峠 ある製糸工女哀史』(山本茂実著)
ほこりのかぶった文庫本を引っ張り出して読んだ。黄ばんだページを1枚1枚開いていくと、涙がとまらなくなった。ノンフィクションとは、こんなに力があり、心に突き刺さってくるものか。著者山本茂実は足かけ5年の歳月をかけて、400人近くのおばあさんから、明治期の生糸製糸工女の実態を聞き取った。
明治期の生糸は最大の輸出商品で、外貨獲得の主要産業であった。明治政府は製糸産業で獲得した外貨で、外国から軍艦を購入し、富国強兵政策を推し進めた。その裏には、過酷な労働を強いられた少女たちがいた。募集年齢の低さ、欺罔による募集、長時間の過酷労働(高温多湿)、低賃金・後勘定(逃亡防止策)、手紙の検閲、父母の死の無告知、貧しい食事、寒い寄宿舎と挙げたらきりがない。
特に、賃金体系が過酷で残酷であった。良質の糸を引いた工女から順に50等級のランクをつけて、上位ランクの工女には割り増しを付けるが、逆に下位ランクの工女からは罰金を徴収して、生産(量・質)を競わせていた。常に他の工女以上に働いていないと賃金が下がるという仕組みで、「共食い制度」とも呼ばれていた。
また、生糸生産に適した工場内の環境は高温多湿であり、工女たちは冬でも下着1枚でびしょびしょに濡れながら長時間の労働を強いられていた。冬は工場外との温度差が激しく、結核発症の温床となっていた。肺結核、腸結核、喉頭結核、心臓麻痺、水銀中毒、腎臓炎、醋酸中毒、慢性腸カタルなどの罹患率が高く、とくに結核性の病気が多かった。
当時の繊維工場に働く工女は毎年1000人のうち13人の割合で死んでいる。病みだしてから解雇または退職後に死んだ者がさらに10人もおり、これを加えると工女1000人について毎年23人という高率の死亡になる。
『ああ野麦峠』は単なる女工哀史ではなく、たたかう工女たちの賛歌である。大製糸会社・山一林組の岡谷工場の1300人の工女が1927年8月27日に決起した。要求は@労働組合加入の自由、A組合員を理由に差別・解雇するな、B食料・衛生上の改善、C体育・娯楽設備を設置せよ、D低賃金の解消など7項目だった。
今から考えると当たり前の要求だが、山一林組はゼロ回答だった。世論の同情はあったが、行政も警察も工場側に立ち、20日後の9月17日、争議団を解散し、最後まで闘いぬいた47人の工女たちは岡谷を去って行った。
富国強兵策のもとで工女を食い物にした製糸産業も、福島県民を棄民にして生き残ろうとしている東電も、資本の姿であり、1300人の製糸工女のように、生きることが求められている。(石川俊二)
6面
いのちか原発か(下)
中嶌哲演さんが語る小浜市民の半世紀
中嶌哲演さん(昨年12月15日 大阪市内) |
昨年12月15日、大阪市内で開かれた「原発あかん、橋下いらん、弾圧やめて」講演集会において、福井県小浜市で原発反対運動を続ける中嶌哲演さんが講演をおこなった。「原発銀座」と呼ばれる若狭湾沿岸で原発建設計画を阻止してきた住民運動の貴重な証言である。(要約は編集部)
財源よりも市民の心
1975年から76年にかけて、ふたたび小浜原発誘致の話がもちあがった。社会、共産、公明の議員たちは異議を唱え、翌年、3カ月の集中的な反対運動によって決着をつけた。
「市民の会ニュースNo 39」(76年3月18日)は「市民の期待と不安にこたえて、市長『原発誘致しない』と言明。吹雪下の市民運動。春風とともに成果」と伝えている。
72年の時の市長の対応にならって、素晴らしい名言を残して断った。「財源よりも市民の豊かな心を私はとる」「県7市のうちで最低の財政力であり、財源は欲しいけれども、しかし市民に不安を与えたり、贅沢に慣れてあとで問題が出るようであってはならない。少々貧しくても、みんなで努力していきたい」。
小浜市民だけの300人の市民集会、デモをやった。市長の家の前や、議会で誘致に先頭にたっている議員の家の前にデモをかけ、シュプレヒコールをあげたりした。十数号のビラで、集会やデモの様子や議会や市長の様子などを市民に伝えていった。そういう市民との往復運動をこのつたないガリ版刷りのビラでおこなっていった。
「小浜は滅ぶ」
1981年から84年にかけて、大飯3号、4号増設に反対する大運動をやった。最終段階に小浜で市民アンケートをやり、30%弱の回答を得た。86%が「増設反対」。94%が、小浜市も、大飯町と関西電力が結んでいるような立地なみの安全協定に改定しろ」というものだった。
なぜか。当時、大飯原発4基から10キロ圏内の住民分布は、小浜市民が75%を占めていた。大飯町民が14%。だから、関西電力や原子力ムラ、原子力行政が言う「大飯原発の存在している地籍が大飯町だから、大飯町が『立地地元』」というのは屁理屈である。
1983年のアンケートでは、300人くらいが余白にびっちりと自分の意見を書き込んでいた。「孫子の代まで死刑宣告を受けたのと同じ。とにかく止めることをお願いします。これ以上の増設絶対反対。家の2階からよく見えて、事故なきを毎日祈りおる状態です。私方では、あまりに大飯若狭地区原発に失望し、一家どこかへ移転も考えています。2児の母として、断固、原発に反対します」「何年か先、いろんな困ったことがでてきて、その時、子や孫から、これを許したわれわれがどれだけ恨まれることか。謝ってすむような単純なものではない」。
また別の方は「現在、将来において増設については絶対に反対せねば小浜は滅ぶ」と書いていた。
住民投票
1984年、原発10キロ圏内の1万4千人余りに住民投票を呼びかけた。投票率53%で91%の有権者が反対を表明した。その時の声。「中学生の娘が言いました『お母さん、私ら小浜の子は他の県の人と結婚できんね』と」。78歳の女性は「関西電力なれば、大阪の近くにつくりなさい」「原発の空気を都会で恩恵をこうむっている人びとに送ってやりたい」。また「原発を持たぬ都市での無駄遣いをなんとかならぬものか」と。
2000年代に入って、「小浜に使用済み燃料の中間貯蔵施設はいかがですか」と誘致が持ちかけられた。「もし小浜が受けとめて下されば、向こう50年で1200億円の交付金で毎年20億円の安定財源が入りますよ」と。
これに対して小浜市民は反対署名1万4000を集めた。なぜこうなったのか。小浜市民の賛成反対の意見を聞いているなかで、私たち反対派は小出裕章さんを呼んで「小浜市民の会」を中心に130人で講演会を開いた。これに参加した保守的な人たちが、「素晴らしい話だ。今度は私たちの主催で」と、300人の市民がアンコール講演会をやった。それでモヤモヤしていた小浜市民の頭はすっきりした。「やっぱり反対しなければいけない」と吹雪やみぞれの中、JAの婦人部が先頭を切って1万4千筆の署名を集めた。
全有権者が対象
小浜市民の運動は、「3万数千の小さな地方都市だから可能なんだろう」と言われるかもしれない。しかし小浜の地元の住民としては、「全行政区や全有権者を対象にした運動をしなければならない」と、相手が大きいだけに、「仲間内だけで『反対、反対』と言っていても、具体的に計画をストップできないだろう」という意識が一貫してあったのである。(了)
「原発あかん、橋下いらん、弾圧やめて」講演集会は、次回第5弾を6月22日(日)、大阪市・浪速区民センターで開催する。講師は沖縄で米軍基地反対運動をたたかう建築家の真喜志好一さん。
守れ!経産省前テント シリーズJ
「単なる占有にあらず 国の責任を問う」
傍聴にかけつけた人びと(10日東京地裁前) |
2月10日、「脱原発テントといのちを守る裁判」(経産省前テントひろば裁判)の第5回口頭弁論が東京地裁でおこなわれ、200人が傍聴につめかけた。
法廷では、「国有地を占有している被告」とされた正清太一さんと淵上太郎さんが、「福島原発事故が未だ収束していない。それに抗議するテントには正義があり、再稼働をもくろむ国の政策は不当である」と意見を述べた。弁護団は、経産省側が求釈明に答えないことや証拠提出を拒んでいることなどを弾劾した。また地裁前では傍聴券抽選をはさんで抗議集会がひらかれた。
「しびらっこくない」
裁判終了後、午後4時から参議院議員会館で報告集会が開かれ、100人余りが参加。
正清さん、淵上さんが公判での陳述内容を紹介。弁護団からも公判報告がおこなわれた。
福島から参加した黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)は、次のように訴えた。
「都知事選で頑張ってもらった人たちにお礼をいいたいが、福島の願いからいえば一つになれなかったのは本当に残念。しかし、流すべきは流し経験から学び合い、これからの運動をつくっていきましょう。『緩慢な死』といわれる福島から、『お互いに強くなっていきましょう』といいたいです。私たちは、諦めるわけにはいきません。福島の状況。私の知人は『もう私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。どうしたらいいのか』と言っています。ふつうに暮らしてきた福島の人間は、どうしたらいいのか。避難、健康、除染、被曝労働、汚染水、廃棄物、帰還の問題などなど。これからが心配です。IAEAが福島に環境創造センターというのをつくろうとしている。知事は、放射能のことを知れば大丈夫、放射能文化を学ばせると言っています。東電、国は賠償責任をどうするんだ。いま原発はどうなっているのか、地震のたびにぞっとします。甲状腺の膿胞、がんも増えている。また専門家が、いろんなことを言うでしょう。私たちは、数字やグラフの解析を求めているのではない。被曝しないように、対策を早くしてほしいということです。怒りを通りこしています。しびらっこくない(あきらめずにね)・・・」。
伊方から駆けつけた堀秀樹さん。「農業をやっています。事故が起こるまではとくに何もしていなかった。伊方はなかなか声が上がらない。しかし中央構造線があり、地震は必ずある。事故があったら瀬戸内海は全滅するでしょう。応援の人もきてくれ、チラシ配りなど大きな力になっている」「過疎地の人々の命と未来を踏みにじって原発を押し付けた国や電力会社に抗議と怒りを持って参加した」と話した。
「2月から3月、福島3周年へ、再稼働阻止へ全力をあげよう」と提起があり、会場全体が拍手。
次回、第6回口頭弁論は4月23日午後2時、103号法廷。集合は地裁前に1時。午後4時、報告集会の予定。