未来・第145号


            未来第145号目次(2014年2月4日発行)

 1面  暴走する安倍政権
     施政方針演説 「集団的自衛権」に初めて言及

     秘密保護法はただちに廃止
     3千人が国会を包囲

     国連人権勧告の実現を
     都内で集会とデモ

     JAL不当解雇の撤回へ
     100万署名の拡大、継続を

 2面  名護市民が政府に勝った
     〜2014年 名護市長選挙(1月12日〜19日)に参加して〜
     「私にできることをしよう」

     「やれることは全部やった」

     「全国の仲間とともに」

 3面  未来の子どもたちを守るために
     名護市長選挙で再選を果たした稲嶺進市長の訴え

     市東さんの農地を守り抜く
     三里塚関西実行委員会が旗開き

     三里塚から新鮮野菜を直売
     盛況だった団結野菜市

 4面  収束作業の現場からU
     誰かがやらなければ(上)
     請戸 耕一

 5面  社会保障を切りすて 生活保護を切り下げる
     安倍政権の大改悪に反対行動を      

     JR西の「障害者」解雇事件
     大阪地裁が不当判決

     全業務で派遣を無期限に
     労政審が最終報告を答申

 6面  いのちか原発か(上)
     中嶌哲演さんが語る小浜市民の半世紀

             

暴走する安倍政権
施政方針演説 「集団的自衛権」に初めて言及

安倍政権の暴走が止まらない。先月24日に召集された通常国会の施政方針演説において、安倍は「集団的自衛権」に言及した。首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が4月に提出する予定の報告書を受けて、「集団的自衛権の行使」容認へと踏み込むという姿勢を明らかにしたのである。
安倍政権がかかげる「積極的平和主義」とは、「日本は海外の『紛争地』に積極的に自衛隊を派兵し、米軍と共同して武力で『紛争』を鎮圧する」ということだ。これは「戦争の放棄」をうたった現行憲法の平和主義を全面的に否定するものだ。
国会召集日に先立つ先月22日、スイスで開催された「世界経済フォーラム」(ダボス会議)に出席した安倍は、海外の主要メディア幹部ら30人を前に会見をおこなった。その場で「日本と中国が尖閣諸島を巡り武力衝突する可能性はあるか」と質問されたことに対して安倍は「大切なことは偶発的な衝突が起こらないようにしていくことだ。今年は第1次世界大戦から百年目だが、イギリスもドイツも経済的には依存度が高かった最大の貿易相手国だったが、戦争が起こった」と答えた。

日中間の緊張高まる

欧米のメディアはこの発言を「日中間の軍事衝突の危機が極度に高まっている」と受けとめ、衝撃が走った。日本政府は「偶発的な衝突の防止」が発言の趣旨であったとして「火消し」に躍起になっているが、問題の核心は「偶発的な衝突」の危険性を高めているのはいったい誰なのかと言うことである。
昨年末の靖国神社参拝の強行に続き、集団的自衛権行使の容認に踏み込み、憲法9条を事実上破棄しようとする安倍こそが、日中間の軍事的緊張を高めている張本人だ。
しかも日本政府が「偶発的な衝突防止」のために講じている策は、沖縄・先島諸島への自衛隊の配備強化であり、米軍と自衛隊による「離島奪還訓練」である。昨年11月1日から18日にかけて、陸・海・空自総勢3万4千人を動員した過去最大規模の「離島奪還訓練」が沖縄の宮古島周辺などでおこなわれた。宮古島と釣魚台(尖閣諸島)は、わずか200キロしか離れていない。これは中国に対する軍事的挑発以外のなにものでもない。
安倍政権は日中関係で、極めて危険な道へ足を踏み入れている。

都知事選が焦点

2月9日投開票の東京都知事選が、安倍政権の暴走にブレーキをかける重大な選挙として焦点化している。
自民党は、除名した舛添要一を押し立てて、この選挙をのりきろうとしている。名護市長選の歴史的勝利に続き、都知事選で安倍政権に「ノー!」の声を叩きつけよう。

秘密保護法はただちに廃止
3千人が国会を包囲

特定秘密保護法を廃止へ3千人が国会を包囲した(1月24日)

国会開会日となる1月24日、「秘密保護法廃止! 国会大包囲」がおこなわれた。主催は「秘密保護法」廃止へ! 実行委員会。行動は国会包囲ヒューマンチェーンと1・24「秘密保護法」廃止へ! 院内集会の2つ。
ヒューマンチェーンは3000人の参加で午後1時30分と午後2時の2回、国会を完全に取り囲んで「秘密法廃止!」の声をあげた。午後2時30分からの院内集会には450人が参加。会場に入れない人も多数いた。
集会は、日弁連副会長の佐野さん、弁護士の海渡さん、出版労連の大谷さん、新聞労連の米倉さんらが、「廃止」への決意を表明。続いて〈秘密保全法に反対する愛知の会〉近藤ゆり子さんが〈秘密法に反対する全国ネットワーク〉への参加を呼びかけ、今後全国一斉行動や全国交流会開催を提案した。大阪から〈秘密保護法廃止! ロックアクション〉、神奈川から〈秘密保護法廃止をめざす藤沢の会〉、長野から〈特定秘密保護法の廃止をめざす長野県連絡会〉が発言した。

国連人権勧告の実現を
都内で集会とデモ

「日本政府は国連勧告に従え」(1月25日)

1月25日、「国連・人権勧告の実現を! 1・25集会」が東京・代々木公園でひらかれ、600人が参加した。主催者あいさつをピースボートの野平晋作さんがおこない、その後、西野瑠美子さんが日本軍「慰安婦」問題について発言。移住労働者と連帯する全国ネットワークやDPI(障害者インターナショナル)日本会議がアピール。
さらに朝鮮学校無償化排除問題、セクシュアル・マイノリティ、部落差別問題、アイヌ問題、沖縄問題などのアピールが続いた。集会後、課題ごとに梯団を組んでデモ行進をおこなった。

JAL不当解雇の撤回へ
100万署名の拡大、継続を

弁護団が今後の裁判闘争の展望を報告(1月21日 大阪市内)

1月21日、「JAL東京高裁での勝利判決をめざす学習決起集会」(主催:大阪支援共闘会議)が大阪市内で開かれた。会場は120人を超える支援の労働者・市民で満杯となった。
冒頭、大阪支援共闘代表の萬井隆令(よろい たかよし)さん(労働法・龍谷大学名誉教授)が「一審判決はJALの主張をそのまま引写したような判決。控訴審も言うべきことを言ってきた。原告・労組・支援の力で職場にもどる。大きな運動で外に向かって決起しよう」とあいさつ。

黒鉄(くろがね)の扉ひらく

弁護団長の上条貞夫さんが「高裁審理を振り返り、勝利の展望を語る」と題して報告。@「スタートラインに、徹頭徹尾、事実で勝負をきめよう」として取組んだ。整理解雇の4要件に関する一審の論理は隙だらけ。法理論的に根本的にまちがいだという解明を高裁に突きつけることができた。A解雇の時点で更正計画=事業規模縮小に見合った人員体制は超過達成されていたという事実を新しい証拠も含めて証言によって克明に立証できた。JALは一切反論できず、大量解雇の必要性を明らかにできなかったのである。これは決定的で反撃の手がかりといえる。B原告・証人の尋問・陳述で不当労働行為解雇の違法性をはっきりさせるこができた。Cこの証人採用は、署名が23万人以上が寄せられたことが決め手となった。「黒鉄の扉を打ち砕いた実感をもつことができている」と展望が語られた。

勝利判決めざして

支援共闘事務局より当面の闘いとして「一番の励み」として署名の継続拡大(100万筆目標。1・14現在団体1万1千筆、個人30万筆)、毎月29日全国宣伝行動・伊丹空港行動の要請がなされた。原告団6人が登壇し、客室乗務員の各原告が決意。そして山口宏弥パイロット原告団長が、「自分たちのことのように支援をいただいている」と支援への感謝を述べたあと「もの言う組合、もの言う労働者排除が狙い。勝利までつづける、原告団は毎日活動する」と決意表明。
2010年の大晦日に165人を解雇したJALに対する解雇撤回闘争は解雇を規制する戦後労働法制を転覆させるのか、労働組合の団結権を死守するのかの安倍政権との前線をなす闘い。組合の壁をこえた全ての労働者の闘いであり、「背信に次ぐ背信―人権問題・人間の尊厳を守り抜く闘い」(弁護団長)である。5月15日の客室乗務員判決、6月5日のパイロット判決の勝訴に向け、支援の闘いを広めよう。 (労働者通信員 K)

2面

名護市民が政府に勝った
〜2014年 名護市長選挙(1月12日〜19日)に参加して〜

「私にできることをしよう」

選挙最終日、打ち上げ集会に3000人を超える市民がつめかけた(写真はいずれも1月18日 名護市内)

想いを行動に

1月15日から19日まで沖縄・名護市に行ってきました。ジュゴンの着ぐるみを持って。
2013年12月、自民党所属の沖縄の国会議員5人は、公約を破り、辺野古新基地建設容認に転じ、さらに仲井真知事が辺野古の埋め立て承認を表明するというシナリオが現実に。この国にどんな未来が待っているのか暗澹たる気持ちでした。 政府の悪辣な弾圧・恫喝に対して沖縄からは、“あきらめないよ”という声は届いてくるものの名護市長選が近づき、私に何かできることはないかと思う日々でした。 「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」に対しても、昨年12月28日から大阪府警、公安、JR職員、右翼などの妨害が始まりチラシ1枚もまくことができません。大阪行動は494回つづいています・・・。
年末に、Aさんから誘われ、迷うことなく名護市に行くことを決めました。昨年末の沖縄県庁座り込みにも参加されていたBさんも一緒に。 瀬長亀次郎と民衆資料を展示している「不屈館」を見学。故大西照雄さん宅へ寄り、お焼香。沖縄のたたかいの歴史のなかで、生涯、屈しないことを実践された方々です。

稲嶺市政の成果

「稲嶺市政の4年間」の実績は、再編交付金に頼らなくても予算を増やすことはできると証明したことです。
1月16日、名護市の屋部公民館で午後7時から稲嶺さんの演説会がありました。
会場を埋めつくす支援者たちに、4年間、再編交付金なしでも、市長の熱意と活発な議論、職員の意識改革と情熱で全分野にわたり予算が増額したこと(327億円)、保育料は2人目半額、3人目は無料に! 中学卒業まで通院も入院も無料に! 学校給食も3人目から無料に! 幼稚園も給食開始。保育園の就園児童が4年で560名増えたことなど安心の子育て支援や全小中学校にクーラー設置! トイレの環境改善、和式から洋式への改修(325台)、校舎耐震化への建てかえを8年から3年に短縮して実施! など子どもの瞳が輝く政策、豊かな自然を活かし観光と農業の融合など新しい農業(アグリパーク事業)、元気な農業のすすめ、地域経済の活性化と雇用の創出など市民の目線でまちづくりを進めていることを話されました。子どもたちの未来のために、「名護市に新たな基地は、いりません」、「観光のまち名護市にオスプレイは似合いません」。政府の「アメとムチに屈しない名護市」を名護市民が決めようと力強く訴えると、会場には「すすむー! すすむー!」と鳴り止まぬコールが響きました。私も一緒に拍手とコール。稲嶺さんが手を差し出され私も握手、温かい手でした。知ることが一歩。

党派を越えた協力

稲嶺進候補事務所(勝手連、統一、センター、退職教職員、辺野古地元)を訪問、カンパを。3日間、幟や横断幕やプラカードを持って支持のお願いに参加。ジュゴンの着ぐるみを着て笑顔の手振り行動を楽しみました(名桜大学・道ジュネー・スーパーマーケット前・路地など)。党派を越えた協力態勢があったからこそ勝利に繋がったと実感しました。(大阪 O)

「やれることは全部やった」

のぼり旗を持って市内を道ジュネー(練り歩き)

昨年11月18日、名護市内に事務所を立ち上げた「稲嶺ススムと共に歩む市民の会(通称『ススム』会)」は年末にかけて、ビラ入れ、自転車による街宣などに決起した。年末年始は休みなしで街頭に立った。
1月8日「稲嶺ススム必勝総決起集会」は会場からあふれる3858人の人々で埋め尽くされた。1月12日出陣式は事務所前に1000人以上が集まった。
13日から18日の選挙戦は、『ススム会』にも県内、全国から次々に応援する人々が駆けつけた。16日からの3日間攻防になると、連日100人以上が事務所に出入りし、それぞれの行動に決起した。
18日の打ち上げ式に、『ススム会』は独自の隊列を組み、100人で楽器と着ぐるみと鳴りもので道ジュネーし、打ち上げ式に参加した。打ち上げ式は道路の四つ辻を3000人以上が埋め尽くし、「ススム」コールで稲嶺進候補を迎えた。
19日投開票当日、投票の締め切りが近づくと事務所に続々と『ススム会』メンバーが集まり始めた。期日前投票が前回より上回り接戦が予想されるとの報が入ると、みんなに緊張が走った。

やった!バンザイ!

午後8時、投票が締め切られた。テレビの前に全員が集まり、QAB(琉球朝日放送)の画面を見つめる。
午後8時ジャスト、テロップで「名護市長選・稲嶺進氏・当確」が映し出される。
全員が「ワー」「やった」と歓声を上げる。割れんばかりの拍手と「バンザイ」コールがあちこちで上がる。抱き合う者、手を握りあい涙ぐむ者、電話やメールで全国に一報を発進する者、写真を撮り合う者、事務所は喜びにあふれた。すぐに「乾杯」の音頭にみんなの声が一つになり、事務所にこだました。(沖縄 M)

全国の仲間とともに

連日盛況だったススム会の事務所の様子

名護市長選の最終盤、1月16日から3日間という短期だったが「稲嶺ススムと共に歩む市民の会」=「ススム会」に集まった人達とともに、稲嶺進さんの再選目指してたたかった。ススム会には名護市民はもちろん、県外からも様々な人たちが集まり、和気あいあいとしながらも勝利のためにはとことんたたかいぬくという気持ちがあふれていた。
朝、主要な交差点に幟を持って立ち、市民に手を振りあいさつを交わすことから一日が始まる。車中から手を振ってあいさつを返してくれる人がほんとに多く、ますます意気があがる。その後、事務所で一息つき、その日の行動についてのミーティング。ミーティングでも各々意見を出しあい、その日やるべきことなどが明確に打ち出される。そうしてそれぞれの行動に出かけていくが、時間が空いたときは、事務所でいろいろおしゃべりしながら折り紙のジュゴンを作ったりする。このジュゴンは小さい子どもを持つ人たちがよく受け取ってくれ、重要なメッセージになっていたようだ。

「名護は負けない」

この過程で「名護は負けない、日本の言いなりにならない」という言葉を何度か耳にした。石破のあからさまな500億円発言に限らず、カネと権力で名護市民、沖縄県民などどうにでもしてやるといわんばかりの政府のやり方に対して、この選挙戦が沖縄の自己決定権をかけたたたかいであることを現地では誰もが自覚していた。辺野古新基地建設が最大の争点とついに明示されたことがそのことをよく表している。
最終日18日、稲嶺さんの打ち上げ総決起集会に向けて、ススム会の仲間は事前に小集会を開いた。ある女性は名護市民投票の時から使っているという基地建設反対のバナーを持って、「今現在までこれを持たなければならないとは思わなかった。早くこれを示さなくてもいいようにして欲しい」と訴えていた。そこから「道ジュネー」で総決起集会会場である通称青山前の交差点に合流していった。
その交差点は3000人を超える人々に埋め尽くされ、通過する車もクラクションでエールを送る中、稲嶺さんが最後の訴え。
「名護市は名護市民自ら決める。名護市長も名護市民自ら決める。そして辺野古はダメだということも名護市民の思いであります」「私たちは、環境を守るためにも資源を守るためにも、未来の子ども達を守るためにも辺野古には新しい基地は作らせない。そしてそれを決めるのは明日。そしてそれを決めるのは私たち名護市民。名護市民が明日答えを出すんです。みんなでノーという答えを出しましょう。そしてその答えを、日米両政府に突き返しましょう」

早々に当確が

翌日夜、稲嶺さんに早々と当確が出る大勝利。しかしその二日後の21日と続けて24日にも、沖縄防衛局は辺野古新基地建設に向けた工事の受注業者を募る入札を公告。さらに安倍政権は、稲嶺市長がその権限を使って基地建設を認めないことを表明していることに対して、市長権限を制限するための是正措置や行政代執行なども検討している。名護市民、沖縄県民の思いをどこまでも踏みにじる宣言である。これを許すわけにはいかない。もはや屈することのない沖縄人民と連帯する本土でのたたかいがこれまで以上に求められている。(兵庫 N)

3面

未来の子どもたちを守るために
名護市長選挙で再選を果たした稲嶺進市長の訴え

稲嶺名護市長

1月19日投開票の名護市長選挙で見事当選をかちとった稲嶺進さんが、選挙戦最終日におこなった演説を全文掲載します。〔見出しは編集部〕

明日はあったかい心とあったかい名護市の未来を約束する結果を出しましょうよ。これまで弁士の皆さんが、明日の選挙、決戦の日の取り組みについてお話を申し上げました。選挙期間中、本当に、ここにお集まりの皆さん始め、各地域、地域であったかいご声援と激励の言葉をたくさん頂きました。大きな、大きな力となりました、ありがとうございました。
その激励の言葉のおひとつおひとつは、稲嶺ススムを信じて、明日の名護市を、明日の沖縄県の行く末を、「頼むぞススム」ということで激励、励ましの言葉をいただいたと思っております。

決めるのは名護市民

明日の選挙は、これまでにない様相を呈してきております。一つには、辺野古移設を推進するのか「ノー」なのか、二者択一で争点がはっきりした選挙となったことであります。そしてここにお集まりの皆さんは、その答えは「ノー」だということでお集まりいただいています。
またこの6万1千名余の田舎の町に、東京から政府自民党の閣僚経験者を始め、大物の政治家と言われる人たちが続々と名護市に来ております。おいでになっているといった方がいいんでしょうかね。こんなに田舎の町に、どうして国の代表たる皆さんが名護に来るんですか。これは名護市をこれからの名護市を思いのままに動かしたい、そういうことで来るんですよ、皆さん。
名護市は名護市民自ら決める。名護市長も名護市民自ら決める。そして辺野古はダメだということも名護市民の思いであります。

日本の民主主義を問う

自民党、県選出の国会議員の皆さんを地面に這いつくばらせて公約をひるがえす。それを金の力と組織の力でやってしまう。同じようなことを名護市でもやろうとしている。日本の国は民主主義国家なんですか皆さん。日本の国の民主主義を問う選挙にもなるのです。
明日は稲嶺ススムが勝つことによって、これまで政府自民党がやってきたことは、傲慢で、差別で、札束で県民の心を買う、黙らせるという手法は間違っているということを名護市民自らの力で答えを出してヤマトゥに返しましょう。
私はこの4年間、市民の目線、市民生活が第一、そして公正公平を全面に、きちっと説明責任がとれる行政の運営のあり方ということを実践して参りました。そのことで予算も増えたし、調整基金も増え建設事業費だって増えました。子育て支援も、教育環境の整備も、強い農業、元気な農業を推進する独自産業も、それから観光の推進、振興も強く進めて参りました。わが沖縄県は観光立県を全面に打ち出しています。いま辺野古に、あのV字案がつくられると、そこからオスプレイがブンブン、ブンブン私たちの頭の上を飛び交います。トンボが飛び交うんだったらいいですよ。今落ちるかも知れない、騒音をまき散らすところに観光客が来ますか。もう二度と沖縄、名護やんばるには行きたくない、そういうことになっちゃうんですよ皆さん。観光立県と自ら言った仲井真県知事は、沖縄の自然をつぶして軍事基地を作ろうとしているんです。まったく言ってることとやってることが真逆です。

基地はつくらせない

私たちは、環境を守るためにも資源を守るためにも、未来の子どもたちを守るためにも辺野古には新しい基地は作らせない。そしてそれを決めるのは明日。そしてそれを決めるのは私たち名護市民。名護市民が明日答えを出すんです。みんなでノーという答えを出しましょう。そしてその答えを、日米両政府に突き返しましょう。
どうか皆さん、明日の最後の最後まで投票箱が締まるまで気を抜かずに最後の最後までがんばりましょう。稲嶺ススムも先頭にたってがんばることをお約束し、ここからの最後の訴えとさせて頂きます。がんばろう。

市東さんの農地を守り抜く
三里塚関西実行委員会が旗開き

参加者全員で反対同盟歌を斉唱

1月19日、三里塚決戦勝利関西実行委員会の2014年団結旗開きが開かれ、60人が参加した。
1週間前には反対同盟が旗開きをおこない〔本紙前号〕、年末の萩原進さん(三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長)の急逝という悲しみをこえて、3月農地法裁判控訴審の開始という重大な状況に立ち向かう闘いが提起され、2014年の闘いはすでに始まっている。

萩原さんの遺志を継ぐ

冒頭、萩原進さんへの黙祷をおこなった。
山本善偉世話人は「萩原進さんの遺志をついで3月に向けて頑張ろう」と開会を宣言。部落解放同盟全国連合会から滝岡さん、被災地雇用と生活要求者組合の長谷川さんから連帯のあいさつ。
反対同盟からは、市東孝雄さん、萩原富夫さんのメッセージが寄せられた。市東さんは「萩原進さんが示してくれた道の先にこそ私たちの勝利があると確信しています」、萩原富夫さんからは「立ち止まってはいられない。負けられない、絶対に勝つ。この思いを忘れることなく、自分なりに毎日を闘い抜きたい」と率直な想いを込めたメッセージ。
関西実行委員会事務局の松原さんは闘いの現況、そして当初萩原進さんも参加が予定された「ほんまやばいでTPP 2・16シンポジウム」への取り組み、そして市東さんの農地法裁判控訴審闘争にむけた3万人署名活動をやりぬき、3・23東京での全国集会、3・26控訴審第1回裁判(東京高裁)への参加を訴えた。

名護市長選勝利にわく

永井満代表は「萩原さんの遺志を引き継いで、関実がこれからどう闘うかだ」と提起、乾杯の音頭をとった。歓談と交流をしながら、参加者からあいさつや決意、漫談(?)などがつづき、風をおこす女の会の寸劇で盛り上がりつつある中、沖縄の名護市長選挙での「稲嶺ススム当選確実」の一報が入り、会場は大いに湧き上がった。宴の締めは、恒例となった、永井代表、山本世話人はじめクリスチャングループによる讃美歌の合唱。
最後に、反対同盟の歌、インターナショナルを全員が肩を組んで歌い、旗開きを終えた。悲しみと厳しさをのりこえて、新しい年の闘いの出発を誓いあった。

三里塚から新鮮野菜を直売
盛況だった団結野菜市

故萩原さんの遺影を前に集会

昨年12月27日、第37回・三里塚団結野菜市が兵庫県明石市の明石教会でおこなわれた。直前の21日、萩原進さん(反対同盟)急逝の報に衝撃を受け、誰もが開催を心配したが、例年通り開催された。

団結の証(あかし)、野菜市

早朝、三里塚からトラックが到着。三里塚直送の野菜が教会の敷地に次々と積み上げられる。萩原さんの遺影を前に、〈明石住民の会〉日原さんの司会で集会が始まった。 最初に、関実代表世話人・永井さんが、37回目を迎えた野菜市は三里塚と関西の団結の証しであること、急逝された萩原進さんは常に三里塚反対同盟の闘いの先頭に立ち関西に何度も来ており、今これから大きなたたかいを打ち立てていこうとするときに萩原さんを失うことは大きな痛手であるが、萩原さんの意思を受け継いで闘おうと述べ、黙祷を呼びかけた。
次いで、前夜からトラックで野菜を運んできた三里塚現地闘争本部の仲間が、「昨年の市東さんの農地裁判闘争でたたかいの発展を勝ち取りつつある中での萩原さんの急逝、2014年はこの悲しみとショックを乗り越えて市東さんの農地決戦に突入しよう」という三里塚産直の会のメッセージを読み上げた。そして産直の会の忘年会を気持ちよく終えた後の萩原さんの最後の様子も聞くことができた。
〈東灘区住民の会〉松原さんから、萩原さんが亡くなる直前の12月18日、関西から6人が三里塚現地調査に訪れ、反対同盟との交流会で萩原さんが楽しんでいた様子が紹介された。

仕分け作業でにぎわう野菜市会場

近所の人も続々と

その後、それぞれの野菜の担当が、注文を受けた団体ごとに野菜を分配する作業に入った。秋がなくていきなり冬になったような今季、心配していた白菜も十分大きく、他の野菜も土がついたみずみずしいものばかり。
仕分けが終わった時点で、それぞれが代金を支払い、車に野菜を積んで帰っていく。三里塚からのトラックが帰り、今日中に個々の注文主に届けるという団体が教会の広場で仕分けを終え、教会の後片付けが終わったら、もう昼時だった。
明石教会の近所の人たちも千葉直送の野菜市を楽しみにしていて、なじみの人が次々と来ていた。野菜市の成功を見届けてから、永井代表らは翌日の萩原さんの告別式に参列するためあわただしく関西を発った。

4面

収束作業の現場からU
誰かがやらなければ(上)
請戸 耕一

汚染水漏えい、4号機プール燃料取り出しと厳しい問題が続く東京電力福島第一原発の収束作業。今回は、1〜3号機の作業に従事する斉藤貴史さん(仮名)にお話を聞いた。斉藤さんは、もともと全国の建設現場を渡り歩き、事故後の福島第一原発の現場に入っている。私たちの周辺で、いま現在、放射線や被ばくを問題にする場合、その単位は、毎時何マイクロシーベルトというレベルだろう。が、斉藤さんが携わる現場は、時間当たりミリシーベルトという桁の違う世界だ。そういう現場に身を置く斉藤さんの言葉は重い。〔インタビューは昨年11月、いわき市内でおこなった〕

作業員や車両の放射線量測定をおこなう放射線管理員

1.宇宙服の人たちは

斉藤さんは、インタビューの開始早々、いきなりまくしたてた。

私らから、何を訊きたいんだい? マスコミとか、専門家とか、政治家とか、そういう人たちはね、自分ら、線量のあるところにはまず行こうとしないで、外から、どうたらこうたらって言っているけど、チャンチャラおかしいよ。自分ら、安全なところにいて「汚 染水が漏れてるぞ」とか、「これ、ダメじゃないか」とか。
ダメだって言うなら、お前、一回でもいいから、50ミリシーベルトでも100ミリシーベルトでも浴びに来てみろと。それから言いなさいよと。私ら、言いたくなるよ。
だけどね、私らよりも、もっとすさまじい作業やっている人たちがいたんだよ。
爆発からまだ程ない時期、もう、宇宙服みたいなのを着て行く人たちがいたんだ。酸素ボ ンベを持って、鉛の服を着て、その上にベストを着て。 何をしているのかなんて、そり ゃ分かんないよ。私らはそういう作業はやってないから。5〜6人で、ダッダッダッて中 に入っていくんだ。この人たち、何してんだろうって見てた。
結局、そういう人らが、メルトダウンした辺りに行って、何かの作業をしてたんだろう。 事態はどんどん悪化して行く状況だったから、誰かがそこに行ってやらないといけない作 業があったんだと思うよ。
でも、その人ら、半分以上は亡くなっていると思う。まあ、名目は、心筋梗塞とか、何だ とか、とにかく、被ばくで死んだとはなってないと思うけど。
聞いた話では、だいたい2週間の作業で、1日に80万円から100万円ぐらい、2週間で1千万円以上。それを家族に渡して、自分はその仕事に飛び込んで行くと。その人なりの事情もあったんだろうね。
みんな、一切口外しないという念書を書かされているんだ。それが国なのか東電なのか、 私ら、分からないよ。誰も、口をつぐんで詳しいことは言わないから。
だから、みなさん、外で空論みたいなことを言っているけど、原子炉がメルトダウンして、 どうしようもないときに、誰かがやらないと収まらなかった。そこに飛び込んで行った人 たちがいたから、今の状態が保たれているんだよ。

2.APDが鳴る恐怖

ーどういう作業をされてきたのですか

主にガレキの撤去作業だね。ガレキって言ったって、もう毎時500ミリシーベルトとか、2000ミリシーベルトというヤツだからね。
1号機の辺りなんかも、今は、カバーをつけたんで、線量も結構落ちてるけど、最初は、 まあ、高かったね。 で、爆発してるからもうガレキだらけ。それを全部、私らが行って 処理して、鉄板を三枚ぐらい重ねて敷いたりしてきたんだ。 海岸側なんか、まあ、すご いよ。「墓場」って言われているところがあるんだけど、潰れたタンクとか、重機とか、 クレーン車がひっくり返って、もう、みんなそのまんま、触るに触れない。そういうのを 目の前にしながら、作業をやってきたんだ。
タービン建屋のところなんかも、今は線量も下がってるけど、やっぱり一番最初は、ガレ キだらけで、線量もものすごく高い。そこにタイヤを敷き詰めて、その上に鉄板を敷いて いったんだよ。

ー線量の高い場所の作業は遠隔操作ではないのですか

やっぱり人が行かないとダメだね。無人重機なんかも使うけど、結局は人なんだよ。
例えばガラコン(コンテナ)にガラを入れて、それをクレーンで釣ってくるんだけど、そ のガラコンをクレーンから外すのは人間なんだ。そのガラがすごい線量なんだ。
鉄板を敷いていく作業だって、クレーンで釣り上げた鉄板を降ろすとき、チェーンとかワ イヤーを外すのに誰かが行かといけないわけさ。

ーロボットの開発も進められているそうです

いやあ、ロボットだって、入れないところは入れないんだよ。建屋の中の様子を調べるのでも、ロボットに行かせるんけど、階段やらなんやらがグチャグチャで、入っていけない。
それから、あんまり線量の高いところだと、ロボットでも故障しちゃう。半導体かなんか がやられちゃって。で、ロボットは帰ってこないんだ。とにかくロボットでさえ壊れる線 量ってどういうことだい。
ロボットがとにかく入ってゆけて、中の様子が少しわかっても、何かがゆらゆら見えてる んだけど、それが湯気なのか煙なのかというのは、ロボットでは判別がつかないんだ。結 局、最後は人が行って目視確認してこないことにはどうしようもない。今だって、湯気も 煙も、あっちこっちから出てるからね。
これから3号機建屋の上を除染ということで、こそぐ作業をやる。それに、自走式の機械 を入れるっていうんだけど、たぶん使い物にならないね。だって、大きなガレキは除いた けど、デコボコで、鉄筋があっちこっちに出てるんだよ。鉄筋だって、直径が30ミリぐら いある太いヤツ。そういうのに引っかかって、機械なんか前に進めないよ。結局、人間が 行って、そういう鉄筋とかを一個一個叩いて行かなければ、機械なんて走れないんだ。

ーその作業はかなりの被ばくがあるのでは

そうね。もう、ちょっと行っただけで、APD(警報付きポケット線量計)が、ピッピッ ピッピッ・・・って鳴るんだよ。そういうところに行って作業をするわけさ。その恐怖感、 わかるかな。もう、パニックになるのもいるんだから。
作業をしようとして、燃料プールのそばに行くとか、クレーンから外しに行こうとするん だけど、もう近づいただけでAPDが鳴っちゃう。予定した仕事なんか全然できないで、 すぐに戻ってくることになっちゃう。それで次の人が行って、またすぐに戻ってくるとい う具合だよ。
でも、APDが鳴るからって行かないと、いつまでもどうしようもないから行くんだけど、 作業は予定よりどんどん伸びて行くね。工程表通りには全然いかないよ。
で、工程表通りにいかせようとすると、APDがアウトになっちゃう。アウトというのは、 APDが、2ミリシーベルトとか3ミリシーベルトの設定を超えちゃうと、もう、ピィー って鳴りっぱなしになっちゃう。そうすると、この人は始末書だから。始末書を書かされ るんだ。

ー始末書とは

「そこまで浴びてはいけないのに、お前は浴びた」ということだな。浴びた人の責任にさ れてしまうんだよ。ゼネコンさんとしては、浴びないように計画して指示を出しているん だから、浴びたヤツが悪いという理屈になるんだね。

ー作業計画そのものに無理があると

まあ、ゼネコンさんとしては、無理がないようにしているつもりなんだろうけど。でも、実際に現場に行ったら、こっちで線量を測ったときは、低いから大丈夫ってことで作業を始めても、すぐ近くに、すごく高いところがあった、なんてことがよくある。
一般の工事現場なら、工程表があって、今日はここまで作業をしてと計画している。で、 このままでは納期に間に合わないとなったら、徹夜作業だってやるよね。
だけど、ここの作業の場合、工程表は一応、上の方で作ってはいるけど、実際に現場の作 業では、APDが鳴ったから、今日はここまでで上がるとするしかないんだ。間に合わな いから、線量を浴びてでもやってこいなんて話にはならないわけさ。
そうすると、工程表では1カ月だった作業が、優に2カ月、3カ月ってかかっちゃうこと だってある。そうすると2年の目標も10年にだって伸びてしまう。

ー熟練の作業員がいなくなると言われます

限度いっぱい浴びて現場を離れなければならない人がどんどん出てるよ。で、役に立たないのが、いつまでも現場に残ってる。いい加減で、仕事したくないやつはデレデレ長くいるな。逆に、役に立つ人は、パッパ、パッパと仕事をするから、線量も食らっちゃって、はい、じゃあ、もう終わりとなってしまうケースが多い。
だから、なんかおかしいんだよ。そういう矛盾だらけの中に身を置いて仕事をしている。 まあだけど、そうは言っても、職人は、みんな、結構、まじめに一所懸命、やる人が多 いんだよ。
ただね、入れ墨をしょってる人が、最近増えてるね。半分まではいかないだけど、結構い る。若いのもいれば、歳とったのもね。

ー政府・東電の「中長期的ロードマップ」によれば、2015年に3号機燃料プールの燃料取り出し、

17年に1、2号機燃料プールの燃料取り出しとしています


そんなものは机上の話だから。まあ3号機のオペフロ(オペレーションフロア=原子炉建屋上部、燃料プール付近)の作業は何とかやれてる。1号機はいったん被せてあった建屋カバーをまた外すことになってる。でも、その先はどうかな。4号機の場合と違って、3号機も1号機も燃料プール辺りの線量は高いからね。
2号機なんかは、建屋はあんまり壊れていないんだけど、内部なんかもう計り知れない。 線量なんか万単位だからね。(格納容器付近で毎時約7万ミリシーベルト)。完全に致死 量でしょ。100年経っても手が付けられないんじゃないかな。どうにもならないでしょ う。
7年後にオリンピックだというけど、その辺りまではごまかしごまかしでやっていくんじ ゃないかな。でも、その後、どうするのか。オリンピックでいい格好しちゃってその後が 大変になるじゃないだろうか。(つづく)

5面

闘うユニオンをめざして
関西合同労組 春闘討論集会

生活防衛・大幅賃上げを(1月26日 西宮市内)

1月26日、関西合同労組の旗開き・春闘討論集会が西宮市内で開催された。このかん組織拡大がめざましい運輸労働者各分会を中心に40人をこえる組合員が集まり、14春闘「統一要求書」「春闘スローガン」「要求書提出行動など春闘・年間スケジュール」、「春闘資料」をめぐって熱い討議がおこなわれた。
冒頭、石田委員長から豊富な資料を使って次のような提起がおこわなれた。

アベノミクスとの対決

@14年は労働者の生活が変わる、負担増元年といわれている。これがアベノミクスだ。消費税増税8兆1千億円、年金減額8千億円で保険料負担増5千億円、介護保険料アップ1兆円。さらに住民税がのしかかる。2015年までに20兆円をこえる負担増が労働者を襲う。さらに10%の消費税が来年以降に待っている。
Aその一方で、大企業には10%、5兆1千億円といわれている法人税減税である。これでは「消費税は福祉のため」は大嘘で大企業のための増税。
Bさらに「悪徳企業(※注)」の横行、組合差別、労働法制無視の企業天国無法特区、生活保護費10%削減など。
C連合の1%ベア方針では、実質賃下げ容認との不満の声が高まっている。経団連は大企業のみの「ベア容認」で、7割を占める中小労働者は地獄のような状況だ。
D14春闘は安倍政権との対決を明確にして、大幅賃上げ(雇用形態の区別無く35歳平均で月額30万円へ、日額15000円、時間給1500円以上へ)で闘おう。
続いて、春闘統一要求書、春闘行動方針の討議に移り、最低賃金の大幅アップと運輸労働者の組織化が提案された。
その中で中小企業の経営も労働者とともに、大独占の金儲けと闘う方向が提案された。 討論では、賃上げ要求額はどうなのか(妥当なのか)、日本の最賃は国際的には最低レベルで、購買力平価換算でヨーロッパで1200〜1300円/時間、生活保護の時間額計算で1400円(東京)を考えると、1500円要求は妥当という結論に。
争議各分会からの報告。運輸労働者からの提案として「積荷・荷下ろし」の就労時間からのカットや「固定残業」などについて、もっと労働局・行政を追及すべきとの意見がでた。

トリクルダウン論

討論のまとめを執行委員が提起。アベノミクス「好循環」論(安倍施政方針演説)は、トリクルダウン説(=富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透するという新自由主義思想)。内部留保をため込んで1兆5千億円の収入(ユニクロ柳井社長)の1%富裕層、年収300万円以下が40%という事実のまえにそのトリック理屈は嘘が暴露されている。
実は一部の輸出企業、株主が大もうけし、全てのつけを労働者と中小企業にまわすだけのやり方と指摘。「すべての国民に景気回復を実感してもらう」「おこぼれが来る」(何時なのだ)は全くのウソ、賃上げはストライキを背景に実力で闘いとって実現するものだとまとめた。

三池炭じん爆発50年

記念講演では『三池炭鉱炭じん爆発50年展を振り返って』と題して、大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)谷合佳代子館長が講演。
日本労働運動史で最大の争議である三井三池争議の闘い、その敗北の2年後に起こった炭じん爆発事故にふれた。
谷合さんは、@炭労への組合潰し(1278人の指名解雇。生産阻害者あつかい)、国策の大合理化の攻撃の中で戦後最大の労働災害(458人の犠牲者と839人の一酸化炭素中毒患者)が起こり、A労働組合の支えなしに、今なお当該・家族の苦しみがつづいていること、B3・11原発事故と同じ「安全神話」構造がここにある。これをのりこえる労働組合の団結と労働安全運動を訴えた。
谷合さんは「三池炭鉱炭じん爆発50年展」で一日中父親の名簿を見つめる家族や、闘いを語る前川俊行さんの話(『異風者からの通信』)などを組合員に語りかけるように話した。
その後、日頃会うことの少ない組合員同士の懇親会がなごやかにおこなわれ、旗開き・春闘討論集会は終了した。

安倍の暴走との闘い

14春闘は、アベノミクス・大企業との闘いとなる。「施しの賃上げ」ではなく、地域・職場のユニオンが塀・壁を越えて団結し、99%の貧しき者たち全ての力で闘う。
それは3・11原発事故に終焉を突き出された「大量消費・大量生産・成長一本やりの被曝・原発依存社会」ときっぱり決別する、14年〜15年の闘いの開始となる。それを実感する充実感ある集会となった。

※注 悪徳企業
このかん「ブラック企業」という言葉が定着してきており、本紙でも用いてきた。しかし、「ブラック」という表現にはアフリカの人々やアフリカ系アメリカ人などに対する蔑視や差別を前提にしたものがある。今後は「悪徳企業」「ダーテイー企業」という表現を用いたい。(労働者通信員 K)

JR西の「障害者」解雇事件
大阪地裁が不当判決

判決後の集会で弁護士の説明を聞く(1月23日 大阪市内)

「原告の請求をいずれも棄却する」と中垣内裁判官は、か細い声で主文を読み上げた。その瞬間、解雇は認められないと集まった傍聴席から、「不当判決だ」という声が上がった。

JR西日本を告発

森崎里美さんは、重度の脳性「まひ」の障がい者だ。それまで100社近い会社に就職を断られ、やっとJR西日本姫路鉄道部に障害者雇用枠で契約社員として採用された。 2007年11月に、上司A(係長)から性的暴行をうけ、JR西日本に告発したが「そのような事実はなかった」と一蹴され、たった一人で会社と上司にたいして損害賠償請求訴訟をおこし闘っていた。支援する仲間が「支える会」を結成して闘いに合流。一審は全面敗訴したが二審大阪高裁で一部逆転勝訴した。ところがJR西日本は、セクハラを告発した里美さんを2012年3月末日で、報復として「雇い止め」(解雇)にしたのだ。そして始まったのが地位確認訴訟だった。

セクハラの実態を無視

里美さんは性的暴行によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した。それが長期欠勤の理由なのに、今回の判決では里美さんのAへのメールで「恋愛関係にあった」として、使用者責任を認めていない。これはセクハラ被害者の心理を無視したものだ。 周藤由美子さん(ウィメンズ・カウンセリング京都・カウンセラー)によれば、加害者に迎合するメールを出すことは多くの被害者に見られる傾向だという。
また厚生労働省の労働基準局基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」でも、「勤務を継続したいとか、セクハラを行った者からのセクハラの被害をできるだけ軽くしたいとの心理などから、やむを得ず行為者に迎合するようなメール等を送ることや、行為者の誘いを受けることがあるが、これらの事実がセクハラを受けた事を単純に否定する理由にはならないこと」と留意を促しているのだ。

会社の嫌がらせ

さらに会社が里美さんにたいして、すでにある図面を新たに作成させるという嫌がらせの仕事(パソコンのマウスをつかって作図する)をさせたことによって手根管症候群を発症したことも欠勤の理由だ。
しかし判決では、「右手の手根管症候群だけでなく、使用していない左手も主根管症候群となっている」から、欠勤とは関係がないとして認めていない。これは脳性「まひ」の人は、右手を使うときに安定を保つために左手も極度に緊張して手根管症候群になることを理解しない裁判官の無知をさらけ出すものだ。
里美さんの決起と闘いは、障害者雇用枠で働く障がい者や、契約社員の雇い止め問題にとって極めて重要だ。またセクハラやパワハラの犯罪に苦しむ障がいをもつ女性への展望を開くものでもある。今後、どのような方向性で闘うにしろ共に闘い続けよう。(通信員 K)

全業務で派遣を無期限に
労政審が最終報告を答申

1月29日、厚労省の労働政策審議会・労働力需給制度部会は、労働側委員の反対を押し切って最終報告案をまとめ厚労相に建議(答申)した。この建議を受けた同省は、この最終報告案に沿った派遣法改悪案を、今の国会に提出し、成立させ、2015年4月から施行するとしている。

3年で使い捨て

従来、正社員の職域を侵さないように、派遣労働が可能となる業務は限定され、あくまでも臨時・一時的な特殊な場合のみ認められてきた。しかし、改悪案ではこれらの規制を取り払ってしまおうとしている。
これまで派遣先は一つの業務を派遣労働でまかなう場合、最長3年間のみときびしく限定されていたが、今回の改悪案では、3年毎に派遣労働者を交替させれば、派遣先は規制を逃れ、無期限に派遣労働者を使えるようになる。派遣労働者は、3年で放りだされる。その後の確かな保障など何もない。まさに3年で使い捨てだ。

業務制限を撤廃

従来、正社員から派遣労働者への置き換えが起こらないように、無期限に派遣労働者を使える業務を通訳など専門26業務に限定してきた。今回の改悪案はこれを撤廃し、港湾運送業務、建設業、警備業(いわゆる禁止3業務)以外のすべての業務で派遣労働を可能にしようとしている。
この改悪案が通れば、禁止3業務以外のすべての業務で正社員から派遣労働者への置き換えが急速に広がることは目に見えている。

派遣法大改悪を許すな

今回の改悪案は、部分的なものではない。これによって日本の社会が大きく様変わりするような原理的な転換である。さまざまな直接行動などに立ちあがっている人たちとも連帯し、この大改悪を押し返していこう。

6面

いのちか原発か(上)
中嶌哲演さんが語る小浜市民の半世紀

第4弾となる「原発あかん、橋下いらん、弾圧やめて」講演集会が昨年12月15日、300人を超える参加を得て、開催された。この日は、「若狭に京阪神からつながろう」をテーマに、福井県小浜市から中嶌哲演さんが講演した。2回にわたって中嶌哲演さんの講演要旨を掲載する。〔要約は編集部〕

何時間かけても、若狭の地元住民の悲しみ、怒り、無念の思いやあきらめの歴史を語りつくすことはできない。若狭14基の原発の電力はすべて関西の4府県、特に大都市圏に送られてきた。10基の原発立地の福島や若狭にとって、とっくの昔に「秘密保護法」は制定され、施行されていた。地元住民ならばそう思う。14基の原発の集中のなかで、小浜は市民運動、住民運動によってなんとか食い止めてきた。

原発反対運動の始まり

1966年、関西電力が小浜の奈胡崎(なごさき)の地質調査開始。
1968年、関西電力の小浜原発建設問題が浮上。 当時、小浜市長、市議会定数26中21の保守多数派が小浜原発誘致派。福井県知事も、小浜選出の福井県議も誘致派。若狭には当時、実験炉「ふげん」を含む7基の原発が建設中ないし計画中だった。
地元の内外海(うちとみ)漁協が「自分たちは原発はいらない」と関西電力に行って抗議し、勉強会を開いた。しかし誘致派はしぶとく、巨大な原子力ムラが束になってかかってきた。地元漁協の人たちは「このままだと土俵際弓なりで押し切られてしまう」と言っていた。
1979年末、「これはいよいよ小浜で反対運動を立ち上げなければならない」となり、〈原発設置反対小浜市民の会〉を結成した。有志個人の参加というより、団体加盟が主流だった。6団体が加盟、3団体がオブザーバーとして参加した。小浜市連合青年団や候補地地元漁協の人たちもオブザーバー参加した。

共通目標で一致団結

70年前後、中央や大都市レベルでは反原発運動や原水禁運動はすでに分裂していたが、〈小浜市民の会〉は、そうした政党・政派や諸団体が合流してきた。結成準備会は8〜9回開いたが、最初の2、3回は大激論、大論争だった。「なぜそう主張するのか」、主張とその根拠を全部洗いざらい出しあって、みんなで話し合った。そして「いまここにいる小浜市民や諸団体は、とにかく小浜に原発をつくらせないという共同目的のために集まったのではないか。意見の相違、主義・主張の相違は、自分の持ち場に持ち帰って実践して下さい。〈小浜市民の会〉においては、違いをやたらとあげつらうのではなくて、共通の目標で一致団結しましょう」となった。
のちに〈小浜市民の会〉が有権者の過半数の署名を達成することできたが、それを可能にした一番主要な条件はこのときの確認であったと思う。

自前の勉強会

1968年から72年の運動が、小浜市民のすべての原点である。12ブロックで勉強会をおこない、140行政区すべてにポスターを貼った。小浜市は11の村と小浜町が合併してできた。12のブロックに小学校と公民館がある。空白ブロックもあったが、ブロックごとに勉強会を開き、夜の8時前から集まって、11時、12時まで熱心にやった。 勉強会のテキストは新聞記事の切り抜き。9団体の青年たちが30人、まる1年、一般の新聞の切り抜きを集めて勉強会を50回やった。反対派、政党、労組、グループの資料をほとんど使わないで、もっぱら客観的資料に終始した。勉強会が説得力を持った。「原発は大変な問題なんだ」とわかった。
全行政区140にポスターを張り巡らした。スローガンは「美しい若狭をまもろう」。20歳の青年がつくったシンボルマークを見た幹事会が「これは素晴らしい」と。そこでポスターにつけた。またこのシンボルマークがシールになって店のウインドウ、家の玄関、マイカー、カバンなどの持ち物に貼り付けられた。「小浜の市民運動が展開している。小浜はいま大変な状況にある」という説得力のある、非常に有効なシンボルマークになった。

全住民を対象に

6回にわたって、9400世帯全戸にビラを配布した。若狭3000人の組織を擁する若狭地区労評を中心に9団体がメンバー総出で分担した。
全戸ビラでは3つの目的を掲げた。@小浜市への原電設置を阻止する。Aこれ以上の原発の建設、増設、集中化に反対する。B既設の原電について、安全性の確保、自主・民主・公開の平和利用の三原則にもとづく厳重な監視を要求する。
当時、合流した団体の中には、「平和利用三原則」を認める人や団体があった。だが、地元住民の立場からすれば、中央レベルや都市の三原則派や絶対否定派の論争は空中戦でしかない。こうした論争が、どこまで原発をとめることに寄与したか、私は非常に疑問であるし、不満がある。このことをあえて率直に申し上げておきたい。
2回目のビラの冒頭では、『原発誘致の公正な討論を』という見出しでこう書いている。「絶対危険な、世界にも例のない集中化ということで、事故が続出して、未解決の問題がいっぱいだ」。安全が確かめられていない、大型原発、常軌を逸した集中化、甘い立地基準だということで、「例えば大型の大飯原発1基つくる場合、原子炉から37キロには2〜3千人の町があってはならない、という規定がある。なぜ、日本ではこれがまかり通るのですか」。
また、『利害よりも百害だ』という見出しで、「いのちが脅かされる。暮らしが根底からくつがえされる。美しい若狭が破壊される」「原発でウランを燃やすと、死の灰とともに原爆の材料になるプルトニウムという物質ができます。四次防を推し進めている政府・自民党と営利主義の企業が『死の商人』と化して、手を結ぶ可能性が大いにあります」と指摘していた。プルトニウムは金よりも高価で取り引きされ、その市場があると聞いた。

公害列島のオアシス

こういうビラを配って署名運動に入っていったが、3つの項目を掲げた。@市民のいのちと生活や美しい郷土の自然を守るため、小浜原子力発電所を設置しないこと。A市民の生命と生活に直接かかわる大飯原発の建設中止を要請し、これ以上の増設、集中化に反対する。B三原則のもとに既設の原電は厳重に監視し、その監視機構もつくって民主的に運営すること、を要求した。
3回目のビラでは、関西と若狭の関係に踏まえてアピールした。『公害列島の中のオアシス、若狭』という見出しで、「水がきれい、新鮮な魚。景色が素晴らしい、古い文化財が多いのに感心。素朴、素朴。土地の人がとても親切。海をいつまでも美しく。文化財と自然環境を破壊しないように、自然との調和をはかりながら、観光都市としての発展を。これらの言葉は国定公園の若狭湾、海のある奈良=小浜市を訪れる人が一様に口にするものです。公害列島化しつつあるわが国において、美しい若狭はいまや私だけのふるさとと言うにとどまらず国民的オアシスになっています。また、こういう条件を生かす地域開発こそ若狭、小浜の真の発展をもたらすものと言えましょう」。こういう訴えを市民全戸配布ビラのなかでおこなっていた。

第一次闘争の勝利

1972年3月、2万4千人の有権者のうち、1万1千329人の署名を集めた。だが、この署名を小浜市議会総務委員会は、ろくすっぽ審議もしないで闇に葬ろうとした。そこで、誰が賛成し、誰が反対したか、党派や個人の議員の実名を列挙して小浜市民に知らせた。
継続審議になったので、6月、5回目のビラを出した。「住民の分裂やあきらめは誰を利するか。美しい郷土を守り育てるために、市民、市議会、市当局は一致団結しよう」。その結果、反対署名は2万4千有権者のうち、1万3千500人に。これを総務委員会が審議した。最初は傍聴数名を拒否。2回目は傍聴20名を拒否。3回目は40名の傍聴を拒否。4回目は、100人近くでおしかけ、委員会室に入って傍聴した。私も20分予定の請願陳述を1時間半やった。
総務委員会も、本会議も21対5で否決。1万3千500の請願署名は不採択となった。しかし、誘致派だった市長は「これだけの反対があるとは思わなかった」と誘致の断念を議会で表明した。こうして小浜市民の第一次闘争はその結果を見た。(つづく)