日本軍「慰安婦」
日本政府は謝罪と補償を
都内で国際シンポジウムを開催
8月14日、都内でおこなわれた第1回日本軍慰安婦メモリアル・デーデモ。この日を「国連記念日」にしようと世界各地で行動が取り組まれた。 |
8月11日、都内で国際シンポジウム「日本軍『慰安婦』メモリアル・デーを国連記念日に!!」が開催された。
午前の第一部では、日本軍によって「慰安婦」とされたエステリータ・ディさんが自らの体験を証言した。
被害女性が証言
「私は1930年4月28日、フィリピンのネグロス島で生まれた。1942年、日本軍がやってくるというニュースを聞いて、一家で農園を離れて田舎へ避難したが、疎開先まで日本軍がやってきた」。
「米軍が近づくと日本軍が残虐になった。ゲリラ攻撃があると、彼らは非常に怒った」。
「1944年、市場の近くの公園に日本軍がトラックで乗り付けて、彼らがゲリラと決めつけた人々を殺した。付近の住民は皆逃げた。私はつまずいて転んで捕まり、トラックに乗せられて連行された」。
「駐屯地に着くと、そのままレイプされた。何人も兵士がやって来て、抵抗すると壁に頭を打ちつけられ気を失った」。
「3週間、洗濯等をやらされた上、毎日レイプされた」。
「米軍が来るというニュースが来て、日本軍は物資を山の方へ運んでいった。翌日、私は米軍によって解放された」。
「ある日、ラジオから『日本軍によって慰安婦とされた被害女性は名乗り出よう』と訴える放送があった。最初は恥ずかしかったが、名乗り出ることにした」。
「日本政府に対しては、@謝罪、A教科書に事実を載せる、B法律を整備して合法的な補償をする、この3つがあって初めて私たちの正義が回復すると訴える。二度と戦争を起こしてほしくない。戦争で真っ先に被害を受けるのが女性や子どもたちだ」。
金学順(キム・ハクスン)さんの決起
午後の国際シンポジウムでは、バングラデシュのアンワラル・チャウドリーさんが基調報告。チャウドリーさんは、2000年3月、国連安保理議長として「平和と保障の維持促進に女性が対等に全面的に関わることの重要性を強調し、衝突予防と解決に関わる意思決定に女性がより一層強く関与する必要性を強調」する国連安保理決議1325号を採択させた。
「1991年8月、金学順さんが『慰安婦』とされた被害を名乗り出た。これは正義を求める長い闘いの始まりだった。国連安保理決議1325号は画期的決議だ。金さんのような女性たちの闘いがなければ実現しなかった」。
「女性の経験を持ち込むことで(国際紛争の)平和プロセスを進めることができる」。
「自国の歴史を国際的な文脈で捉える必要がある。世界で平和を求める人々に、1325号に基づいて日本に謝罪させるよう求める。日本の戦争へ向かう動きで、憲法9条によって高められている日本の信頼は大きく損なわれる」。
被害回復の道筋
韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香(ユン・ミヒャン)さんは、金学順さんが名乗り出て以降の闘いで当事者自身が、他の被差別人民と連帯するなど「変革の主体」へと変わっていったこと、支援する側も飛躍していったことを報告した。
質疑応答の中で、「慰安婦」メモリアルデーの制定が目的ではなく、被害の回復のための道筋であることが何度も確認された。(東京 M)
8月14日を国連記念日に
フィリピンと沖縄から報告
大阪
8月14日、「軍隊と性暴力の歴史に終止符を!『私はフィリピンで、日本軍に性奴隷にされました』」と題する集会が日本軍慰安婦問題・関西ネットワーク主催で開催された。
8月14日は、韓国の金学順(キム・ハクスン)さんが、日本軍「慰安婦」被害者であったことを初めて名乗り出た日だ。このことがきっかけとなってアジア各地の被害女性たちも半世紀の沈黙を破り証言に立ち上がり、日本政府の責任を問い始めたのである。
世界各地でアクション
この日を「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とすることが2012年12月、第11回アジア連帯会議で決まり、第一回目のメモリアル・デーになる8月14日に世界各国でアクションが起こされることになった。
日本でも日本軍「慰安婦」問題解決全国行動が呼びかけて、8月14日を国連の公式記念日にするキャンペーンが開始された。この集会も、そのキャンペーンの一環だ。
最初に『カタロゥガン! ロラたちに正義を!』というビデオが上映された。「カタロゥガン」とはタガログ語で「正義」。「ロラ」は「おばあさん」を意味する。上映後にフィリピンから来日したエステリータ・ディさんの証言を聞いた。
ディさんは、自らのつらい体験をときに言葉を詰まらせながら話した。
沖縄の「慰安婦」
つぎに「日本軍慰安所と米軍の性暴力〜沖縄から問う」と題して高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)が講演。高里さんは沖縄では「NO OSPREY! NO US BASES!」の上に「NO RAPE!」と書いた旗を掲げてたたかっていると紹介。そして戦時中の沖縄で、慰安婦とされた女性がどういう状態におかれていたのか詳しく話した。
当時、沖縄には144カ所も日本軍慰安所があった。大きな民家、病院、学校、保健所、検事正公舎などが軍に接収され、慰安所が設置された。米軍の上陸時、日本軍は壕へと移動したが、女性たちも壕に連れて行かれ、「慰安婦」の仕事や雑役をさせられた。しかし、次の移動時には戦場に置き去りにされたのである。地理も分からず、知り合いもいない土地で何人の女性たちが命を落としたかも分からないという。
高里さんの講演は、敗戦後の米軍相手の慰安所設置から現在までの、米軍による性犯罪とそれとのたたかいにまで及んだ。
このように女性の人格が貶められ、その人権が踏みにじられ続ける社会にどうやって終止符を打つのか。それは「慰安婦」とされた被害女性の尊厳を取り戻し、日本政府に真の謝罪をさせる―その運動のなかに答えのひとつがあるのではないだろうか。(大阪 N)
米軍ヘリ墜落事故
一歩間違えば大惨事
宜野座村民大会 過去最大に
宜野座ドームに村民の2割にあたる1100人が参加(8月22日 沖縄・宜野座村) |
8月5日に沖縄県宜野座村で発生した米軍HH60ヘリ墜落事故に抗議する宜野座村民大会が8月22日開かれた。
開会の午後6時半には、会場となった同村宜野座ドームには村人口の2割にあたる1100人が参加した。村民大会としては、過去最大規模となった。
住民の命が危険に
大会では米軍ヘリ墜落事故に強く抗議する発言が相次いだ。
墜落現場は、最も近い民家からわずか2キロしか離れていなかった。区長代表の大城さんは「一歩間違えば民間地に墜落していた。村民の生命が重大な危機にさらされた。オスプレイの配備が強行されているさなかであり、これ以上耐えられない」と訴えた。
安心して学びたい
発言に立った中学生は「僕たちが安心して学校生活や部活動が送れる日は、いつになるのか。新たな基地が建設されればさらに多くのヘリが宜野座の空を飛び、安心して遊び、学べない」と怒りをあらわした。
大会では、事故の原因究明と再発防止策が講じられるまで同機種の飛行を中止することや、オスプレイの全機撤収を求める決議を採択した。
2面
関電前弾圧で無罪判決
大阪府警のでっちあげが破綻
8月26日大阪地裁
「おれたち無罪! 警察有罪!」Aさんに対する無罪判決後、大阪地裁を2周するデモ行進(8月26日) |
昨年10月5日、関西電力本店前の抗議行動に参加していたAさんに大阪府警が「公務執行妨害・傷害」をでっち上げて逮捕・起訴した裁判の判決公判が、8月26日午後2時、大阪地裁1004号法廷でおこなわれた。
石井俊和裁判長(第13刑事部)は、冒頭主文で「被告人は無罪」を言い渡した。傍聴席は「ウオー」「勝ったぞ」歓声、互いに握手、「被告」とされたAさんも満面の笑顔。このことに裁判長、廷吏も制止をすることなく、勝利の感動が法廷に満ち溢れた。法廷に入りきれず、前の廊下で待機していた多くの参加者に無罪が伝えられると、フロア全体が歓喜につつまれた。数分間、大阪地裁がゆらいだのである。大阪府警による反原発運動への1年間にわたる関西大弾圧の一角がつき崩された瞬間だった。
犯罪の証明はない
判決では、Aさんが関電前行動で、公安警察官・城戸を引き倒したという第一事件、公安警察官・影山を押し倒したという第二事件ともに「犯罪の証明がない」として、検察の懲役2年6カ月の求刑を退け、無罪を言い渡した。犯罪が成立する要件である「故意」について、それぞれ故意はないとし、検察の主張が説得力がないとされたのである。
反原発運動つぶし
判決で重要なことは、自らを「被害者」と主張する城戸、影山や瓜生、今井ら公安警察官の証言を、「疑いある」「違和感を憶えざるをえない」として、全てを採用しなかったことである。これは、この事件が大阪府警による反原発運動つぶしのための企まれた弾圧事件であることを暗に認めたものである。
事件当日、現場で共に抗議行動に参加していた4人の被告側証人の証言と動画をもとに、裁判長に対して冷静な判断を迫ったことによって導きだされた勝利である。
Aさん証言の真実
石井裁判長は「注目するもの」として被告人質問と意見陳述をとりあげた。そして他の証言との若干の「矛盾」をあげつらった検察側の論告を退け、転倒時の状況について「彼の実感であるであろう」とその真実性を認めた。
Aさんが当時、関電前で「公安警察の弾圧を許さない」という警戒心をもって闘っていた姿とその迫力が裁判長を動かしたのだ。
違法警備は不問に
一方で判決は、公安警察の違法・過剰警備問題について不問に付し、判断を避けた。犯罪を犯したのは公安警察官であり、法廷証言は偽証だったのである。判決当日、裁判所に対するデモでは「おれたち無罪! 警察有罪!」のコールが響き渡ったが、まさにその通りだったのである。にもかかわらず判決は、法の番人としての裁判所の役割を放棄したものであった。
昨年10月5日の関電本店前は、誰もが指摘するように異常な警備体制であった。「被害者」となった影山は警備の中心人物(当時、天満署警備課長代理)で、抗議行動の参加者にたいして、さかんに挑発行動をくりかえしていたのである。このような反原発運動の破壊をねらった警察権力による弾圧。この真実が明らかにされ断罪されなくてはいけない。これは、今後の裁判闘争の課題である。
大衆的反弾圧闘争の力
今回の無罪判決は、大衆的反弾圧闘争による勝利である。公安事件弾圧での「無罪」をかちとったことは画期的である。裁判所が公安司法と化し、検察と一体となってきた状況を突き崩した今回の勝利は、大量の被弾圧者と半年以上にわたる長期勾留をささえた関西大弾圧救援会と大弁護団による大衆的反弾圧闘争の力によって実現された。
連日の面会、拘置所激励行動、裁判所行動、署名活動など、のべ数千人による行動、数万枚のビラまきがこの1年間に重ねられてきた。弾圧の不当性と仲間の即時釈放を求める署名が次々と警察、裁判所にもちこまれた。公判では傍聴席は毎回満杯となり、入りきれない人々が廊下にあふれた。
今年2月3日には労働者と市民が共同で大阪府警をとりまく市内デモが1000人規模でおこなわれた。6月21日にも裁判所周辺でデモが大規模に行なわれた。判決当日も2回にわたって100人規模のデモがとりくまれた。こうした重層的なたたかいが検察と裁判所を圧倒し、勝利判決を引き出したのである。(労働者通信員 M)
「維新を通すな」
堺市長選 〜市民からのレポート@
堺市が燃えている。4年前、竹山おさみ現市長は当時大阪府知事だった橋下の応援で、現職の木原市長を破って当選した。しかし、その後、大阪都に吸収合併されるのを拒否した竹山市長は「大阪都構想のための法定協議会に参加する条例制定」を強要する大阪維新の会・橋下、松井に反旗を翻した。
これは相当に勇気のいる行動である。「人気者」橋下に逆らったらどうなるか。大阪市の区長や民間公募校長のようにクビにされたり、辞職せざるを得ないように追い込まれたりするからだ。
竹山市長に大阪都構想参加を強要した松井大阪府知事は「従えないなら対立候補を立てる」と恫喝したといわれる。
竹山市長はもともと保守だ。しかし政令指定都市になった堺市を3分割され、堺市民の税金を大阪都の「ギャンブル財政」に奪い取られることは我慢ならない。「もともと裸一貫で市長になったのだから、勇気を持って橋下独裁と闘おう」と決意したようだ。
堺市vs大阪都
大阪府の中で最大規模の堺市が参加しないなら、大阪都構想は潰れる。大阪都になったら堺市がなくなる。
この対決に、堺市民が静かに燃え出している。4年前は現職(当時)市長を推した自民・民主が、いち早く竹山市長応援に回った。市議会に1議席を持つ社民党も陣営に入った。共産党は候補を用意していたが、「大阪都構想反対の一点で」と声明を出し候補を取り下げ、竹山支持に回った。市内で市民運動をしている人たちも応援に入っている。
市民の反応は、「竹山さんでいいのでは」「堺市を守ってほしい」「暴言橋下は信用できない」との意見が多数。だが一方で維新の人気はまだまだ強く、橋下の太鼓持ち番組ばかりをテレビで見ている人が大勢いるのも現実だ。
「反維新・保革統一」
大阪都への合流を拒否したお隣の兵庫県宝塚市長選、伊丹市長選のように、「反維新・保革統一」戦線が勝利するのか。それとも参議院大阪選挙区で巻き返した維新がフランスを占領したナチスドイツのように勝利するのか。9月15日告示、29日の投票日へ、激しい選挙戦になる。
維新・橋下の暴力政治をよしとしない人々は、市内外を問わず支援に駆けつけよう。〔道下 悟〕
現代の「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」か
『はだしのゲン』の閲覧制限
松江市の教育委員会は、『はだしのゲン』(中沢啓治作)を児童や生徒が自由に閲覧できない閉架にするよう指示し、学校側もこれに応じていた。
世論や新聞は「残忍な場面もある。・・・しかし、その残虐さの根源を考えさせる、その視点を大切にしたい」(『山陰中央新報』)という意見・論調が大半だった。
「閲覧禁止」への抗議や再考を求める要望・意見が全国からわき起こった。それに押されて8月26日、同市教委は「手続き上不備があった」と、措置を撤回、開架に戻すことにした。撤回は当然であるが問題は、「手続き」だけではない。
昨年4月、在特会系グループが京都、高知から松江市教委におしかけ、『はだしのゲン』を小中学校図書館から撤去するように要求。同年8月には、同趣旨の陳情を提出。12月、松江市議会は全会一致で、この陳情を不採択。にもかかわらず、独断で閉架措置をとった教育長(当時)の見識が問題だ。
中国、韓国・朝鮮から求められている歴史認識は、じつはこのような行為とその前提になる思想(無思想)にあるのではないか。在特会にちょっと脅されればすぐに屈してしまう教育行政。「あのときは仕方がなかった」と、また繰り返すのか。
右翼の圧力を口実に
『はだしのゲン』は、侵略戦争と原爆の非道、惨禍と差別に怒り、人間として懸命に生きる姿が描かれている。中沢さんは生前、「ぼくの眼に焼きついた光景は、まだまだ描ききれていない」と話していた。下村文科相の「子どもの発達段階に応じた教育的配慮は必要」(8月27日、共同通信)という圧力を許してはならない。
右翼の圧力を口実にした現代の「焚書坑儒」(注)を弾劾しなければならない。焚書のあとには坑儒がくる。現代の儒者は、誰か。侵略と戦争、憲法改悪に反対、核と原発をやめよ、生きる権利を叫ぶ、この社会に異議を申し立てるすべての人々だ。自民党改憲草案(じつは現憲法破棄、まったく別の憲法と強権支配の構築)の先取りではないのか。21条「表現の自由」がどのように変えられようとしているのか、ぜひ読んでほしい。(昇)
〔注〕焚書坑儒 秦の始皇帝が前213年、民間に蔵する医薬・・・農業以外の書をすべて焼き捨て、翌年数百人の儒者を坑(穴)に埋め殺した。(広辞苑)
3面
伊方原発3号機など
すべての原発の再稼働を阻止しよう(下)
昨年11月11日の伊方原発包囲行動。雨の中、各地から200人が参加した。 |
2.原子力災害対策指針
今年6月5日、新たな「避難計画」策定のために出された原子力災害対策指針は重大な問題をはらんでいる。
今回の指針で、防災対象地域については、予防的防護措置区域(PAZ)を5キロ圏内、緊急防護措置区域(UPZ)を30キロ圏内とした。これにより防災対象地域となる自治体は、15道府県45市町村(対象人口73万人)から21道府県135市町村(対象人口約480万人)に拡大した。
しかしこの防災対象地域設定そのものも、事故想定の過小評価にもとずくものである。福島第一原発事故が示した30キロ圏内をはるかに超えるプルーム(放射性物質を含む雲)の拡散とその地域における防護対策については、指針そのものが先送りされている。
安定ヨウ素剤については、5キロ圏内の住民に事前配布と服用年齢制限を撤廃するように改めている。しかし安定ヨウ素剤の服用について、事故時には全く実効性がともなわない「医者の指示」を条件としている。
さらに許されないことは、最も被ばくさせてはならない乳幼児用の安定ヨウ素剤が「わが国で錠剤しか製造・製品化されていない」として、安定ヨウ素剤は事前配布しないとしたことだ。
かわりに「乳幼児は優先的に避難させる」ことで「解決」できるとして、事故時に「優先的に避難が可能」であるかのような指示をおこなっている。しかし、そんなことは誰が考えても不可能だ。
また電力会社は「原子力災害対策」の一方の当事者であるにもかかわらず、防災対象地域としてあらたに設定された自治体からの「事前了解を条件とした安全協定」の締結要請をかたくなに拒否している。
住民避難は不可能
伊方現地においては、防災対象地域の30キロ圏内への拡大で、事故時避難を強制される人々の数は、5キロ圏内(PAZ)約5千700名(うち7歳未満:250名)、30キロ圏内(UPZ)約12万2千名(うち7歳未満:約6000名)である。
愛媛県・中村知事は記者会見で「避難訓練。じゃあ13万人全員でできるかと言うと到底できない」と発言し、「避難訓練」でも13万人の一斉避難が不可能なことを認めている。実際に事故が起これば、一斉避難など机上の空論であることを知事自ら告白しているのである。また愛媛県が策定した避難手段はマイカーを原則として、避難手段は各自の自己責任としている。とんでもない「避難計画」である。
また在宅要援護者は、家族の責任、社会福祉施設の入所者は各施設の職員の責任と、これまた各自の自己責任に転嫁している。
中村知事は愛媛での「避難計画」が実行不可能であることを認めながら、「原発再稼働の判断基準は白紙」といまだに言い続けている。まさか中村知事は、国と四国電力が、伊方原発の安全を保証すれば、事故が起こらないと信じているのだろうか。
地元から怒りの声
茨城県ですら、避難計画の検討の結果、東海第二原発の30キロ圏内の対象人口は約100万人、そのうち一斉避難が可能な人員は県内バスの最大限7080台を動員しても最大24万人、100万人もの一斉避難はそもそも不可能だと、明確な結論をあきらかにしているのである。このような実行不可能な「避難計画」を前提にした伊方原発3号機再稼働など断じて認めることはできない。30キロ圏内の住民は、このような「避難計画」は、地元住民なかんずく社会的弱者を切り捨てるものだと、声をあげはじめている。
3.「審査会合」の監視を
現在、「審査」が先行してる、伊方3号、玄海3・4号、川内1・2号、泊3号の「適合性審査」の結論がでるのは、「審査」の進捗をみれば、当初の見通しより大幅に前倒しが予測される。
私たちは、「適合性審査」会合はじめ「個別ヒヤリング」でおこなわている「審査内容」「審査方法」などの問題点をチエックし、原子力規制委員会・規制庁がいい加減な「審査」ができないように、その問題点を具体的に、誰もが理解できる内容で、暴露していこう。
そして「新規制基準」「原子力災害対策指針」が決して「原発の安全や住民を守る」ものでないことを、多くの人々にさまざまな方法で伝えていこう。
知事の「同意」
自民党資源・エネルギー戦略調査会で「原発再稼働に対する基本的考え方」(「原発再稼働」をどのようにすればスムーズに進めることが可能か)の検討がおこなわれている。そこでは原発立地県の「同意」が最大のポイントとして論議されている。
すなわち原子力規制委員会での「適合性審査」合格の結論を待たず、各県知事が「納得」し「同意」できる環境を事前にどのように準備するのかが論議されている。
ここで問題になるのは、去る7月9日、松山市で開催された全国知事会の原発再稼働問題についての「提言」である。原発の安全対策と防災対策部分の「提言」は次の通りである。
「原子力発電所の再稼働の判断にあたっては安全性やエネルギー政策上の必要等について、丁寧に国民に説明するとともに、個別の発電所の取り扱いについて、議論を尽くした上で、国の責任のもとに判断し、前面に立って公開の場で十分な説明を行い、地域住民及び地方公共団体の理解を得ること」
愛媛県・中村知事が記者会見で認めているように、中村知事の主導で「提言」の中に「国の責任で判断」の文言が挿入され、これが原発立地県も含め「全国知事会」の公式の「提言」として国に提出された。
先ほどの「自民党資源・エネルギー戦略調査会」で検討されている「再稼働に向けた基本的進め方」は、以下のような内容である。
「国のエネルギー政策と原発の必要性」を明確にする。「原発安全性」については原子力規制委員会が「新基準適合」を認定し「安全性」を国の責任で担保する。「原子力防災対策」については環境相が関係県知事と「協議」というかたちをとって「原発事故の場合」地元住民の「防御や避難」について十分な備えがあることを大臣の責任で確認する。
この上記の手続きをふまえて、関係知事ならびに立地自治体の同意を得た段階で再稼働させるというものである。
「基本的進め方」の最終方針はまだ決定はされていないが、上記の流れで、国は「再稼働」の手続きを進めてくるだろう。問題は「全国知事会」の「提言」の立場では、上記手順に対応した国の示す内容に、県知事の側からの具体的な反論がだされなければ、同意手続きの最終段階になってからは、同意の拒否が不可能となってしまうということである。
さらに問題は、「提言」の中で「丁寧に国民に説明」「議論を尽くす」「公開の場で十分な説明」が如何ようにも解釈可能であり、「提言」では、地方自治体側からのその中身や方法、条件など具体的に何も規定されていない。これでは国に、その中身や方法、条件など一切を丸投げするものではないか。
4.「白紙委任」させない
愛媛県・中村知事の「原発再稼働の判断は白紙」とは、「国が最終責任を明確にすれば、再稼働を認める」と言っているにすぎない。
中村知事は、「3・11」以降、今日に至るまで「判断は白紙」であり「私は首尾一貫している」とアピールしているが、昨年6月「この国の状況を考えるなら、直ちに原発をなくすることは現実的ではない」「伊方原発再稼動は必要」との見解を明らかにし、いまだ発言を撤回していない。
また「原発の安全性」について、今回「適合審査」に関して、「『新規制基準』に基づいて厳格・的確な審査と国民への丁寧な説明」とは言ってはいるが、「新規制基準」の具体的内容に関する疑問や問題については一切語ろうとはしない。
さらに、「丁寧な説明」を要望するが、県知事として県民への「丁寧な説明」を、何をテーマにして、どのような方法で、その実施を国に求めるのか、具体的には一切語ろうとしない。すでにふれたが、国にたいして、実行可能な「避難計画」が担保されないかぎり、「原発再稼働」などは論外であるとは、けっして表明しない。
知事のペテン許すな
これを見ただけでも、中村知事の「判断は白紙」がいかに地元はじめ県民を欺かんとするヌエ的・ペテン的なものであるかは明らかである。私たちは、中村知事に「白紙委任状」を絶対に渡してはいけない。この内容を県民に具体的に暴露し、中村知事をして、国に「白紙委任状」を絶対に渡すことができない状況をつくりだそう。
全国の原発立地県での「知事同意」をめぐるたたかいが、いま重要な局面となっている。
9月―10月のたたかい
9月15日、大飯原発4号機が運転を停止する。昨年5月5日以来、ふたたび「稼働原発ゼロ」を迎える。一切の「原発再稼働」を許さず、「運転原発ゼロ」から「全原発廃炉」へ新たな挑戦をはじめよう。
私たちは、原発立地県での多様なたたかいを強め、その力をひとつにして、知事が国に「白紙委任状」など渡せない状況をつくりだすために、今からたたかいを準備していこう。
さようなら原発1000万人アクション、首都圏反原発連合、原発をなくす全国連絡会の3者が呼びかける「原発ゼロ☆統一行動」(10月13日午後1時〜東京・日比谷公園)を、全国の力で成功させよう。
福島原発告訴団の東電などに対する刑事告訴に対して、マスコミが「不起訴」キャンペーンをおこなっている。これに乗っかった東京地検・福島地検の「不起訴」策動を許さず、原発事故の責任者全員に必ず責任をとらせよう。(了)〔川村哲一〕
4面
何のための除染か(下)
飯舘村 住民説明会
請戸 耕一
飯舘村二枚橋の田んぼでおこなわれている除染現場のようす。飯舘村で除染に着手できているのは全20区のうち、わずか2区のみ(6月撮影) |
6月25日、飯舘村飯野出張所で開催された、飯舘村小宮地区を対象にした「除染作業実施のための住民説明会」に住民80人が参加した。説明会で出された住民の意見の多くは、「『とにかくやる』というだけの除染なら、直ちにやめてもらいたい」ということであった。
除染の行き詰まり
この日のやり取りの中に、いくつかの大きな問題が突き出されていると感じた。
ひとつは、住民の側の「除染の数値目標を示すべき」という当然の求めに対して、環境省は何も示すことができなかった。
「できるだけ下げる。残念ながら除染の効果は場所によって違うので、はっきりした数値は示せない」
「リバウンド(除染後に線量が元に戻ること)の原因追究はできていない。私どもで分かるのは、現場での作業の方法についてだけだ」
環境省の現場サイドとして、除染の効果について全く確信を持てなくなっているということが窺える。やってもやっても成果があがらない。とにかく除染という作業をこなしているだけ。それ以上でも以下でもないというのが正直な実情なのだ。
除染直後にはいったん下がった放射線量も、1カ月後、半年後には元に戻っているという例は枚挙にいとまがない。また、ある場所とある場所をとればたしかに下がっているが、全体として見れば結局、セシウムの半減期による物理的な減衰と、セシウムの地中への浸透・沈降による遮蔽効果によって、放射線量がゆっくりとだが下がっているということを大きく超えるものになっていない。そして、はっきりしていることは、事故からこれまでの2年間は、半減期の短いセシウム134が放射線量の低減に寄与してきたが、これから先は半減期の長いセシウム137の影響で、下がり方はどんどん緩慢になるということだ。
飯舘村は全体が中山間地である。小宮地区の住居や農地は山林に囲まれた谷合に点在している。環境省が示した除染計画では、小宮地区の谷合の部分だけを除染することになっている。山林部全体を除染することは不可能だからだ。
しかしそれでは、山林の放射性物質はそのまま残されてしまうことになる。その山林に囲まれた住居や農地だけ除染しても、いずれ山林から放射性物質が流れ出してくるのだ。中長期的にみれば除染の効果はない。
この除染のために、飯舘村だけで総額3千224億円が投入される。人口6000人の村にだ。もちろん、その金は1円も村民には渡らない。また除染作業員もギリギリの賃金しか受け取れない。ほとんどがゼネコンやその関連企業の懐に入る。
まさに、住民が批判するように、「除染のための除染」、「ゼネコンのための除染」なのだ。そして、「『とにかくやる』というだけの除染なら、直ちにやめてもらいたい」。これが多くの住民の声である。
下がらなくても帰村
いまひとつは、このように除染の行き詰まりが明らかになっている中で、住民の間に広がっている危惧は、国や村長が、除染の行きづまりを開き直って、放射線量が自然減衰以上には下がらないのに帰村を宣言し、補償を打ち切るのではないかということだ。
「環境省の考えている『人が生活していい被ばく線量』とはいくつなのか? 村長は、年間5ミリシーベルトといった。それもどうかと思うが、環境省が狙っているのは、年間20ミリシーベルトではないのか?」
「そもそも、国が示しているのは、『原発事故が起きて、放射能が降りました。しょうがないから除染します。で、除染してみたけど下がりませんでした。しょうがないけど帰還して下さい』という風にしか聞こえない」
実際、除染を開始する当初は、「年間1ミリシーベルトを目指す」と掲げていたが、この間、村長は年間5ミリシーベルトという数値を公言し、国もそれを渡りに船にしようとしている。
さらに、村長は、「毎時1マイクロシーベルトでもいいよという人と、それではだめだという人がいる。それでいいよという人には、それで帰村してもらう」と、この日も発言している。毎時1マイクロシーベルトの放射線量の下で生活するということは、低く見積もっても年間5ミリシーベルト以上、単純計算をすれば年間8ミリシーベルト以上の被ばくをするということだ。
住民の危惧が、現実味を帯びてきている。もちろん、健康被害のリスクを理解した上で、自らの判断で戻るという選択もあるだろう。また、村長も言葉の上では、「毎時1マイクロシーベルトではだめだという人は、すぐには帰れないわけだから対応を考えないといけない」と言って、戻らない選択も示してはいる。が、それを額面通り受け取っている住民は少ない。
そもそも、なぜ、飯舘村の住民だけ、あるいは福島県の住民だけが、他とは違う基準で被ばくを強制され、健康被害の危険にさらされなければならないのか。法治国家を標榜する日本において、権利や義務が、明らかに平等に扱われていない。住民の様々な要求や訴えの中には、この強い不信と憤りが貫かれている。(了)
自殺者すでに36人
医療観察法を廃止しよう
心神喪失者等医療観察法の施行から8年。〈医療観察法廃止! 7・28全国集会〜精神障害者の差別・隔離強化を打ち破ろう!〜〉が都内で開催された。各地から「精神障害者」をはじめ81人が参加した。
強制入院の強化
集会の基調報告は、〈心神喪失者等医療観察法(予防拘禁法)を許すな! ネットワーク〉の龍眼(関口)さんが提起。6月13日に成立した精神保健福祉法改悪案は強制入院の強化だと批判。また障がい者制度改革推進会議の議論を紹介し、医療観察法について批判的意見の委員が多数だったことを紹介した。
取り組むべき課題として、医療観察法によって端緒を開かれた保安処分の社会全体への拡大を防ぐこと、犯罪防止名目での違法な監視に反対すること、共謀罪には断固として反対することなどが提起された。
特別報告として池原毅和弁護士から、医療観察法病棟への入院者の8人、医療観察法に基づく強制通院者の28人が自殺したことを報告された。
病棟の居住施設化
休憩をはさんで全国「精神病」者集団の山本真理さんから「私たちはどこへ行くのか? どう闘うのか?」と題する提起があった。
政府検討会で、ついに“禁断の”病棟の居住施設化が俎上に載せられた。病棟丸ごと名前を変えただけで居住施設(病院ではない施設)になってしまうという。
今までの運動は医療観察法をめぐる一点共闘であるため、@触法障害者対策待望論に切り込めていない、A精神医療をどうするのかの議論は棚上げしたまま、という問題があった。今後もそのままで行くのかという疑問が呈された。
また「人格を治す」として、矯正のために精神工学とも呼ばれている強制的矯正へ踏み込んでいる。その先鞭をつけたものが医療観察法である。
「精神障害者」に対しては、まず排除したうえで二級市民として社会に統合する。すなわち「一応入れてやろう。社会の隅においてやろう。しかし逆らったら拘禁」という流れが作られた。医療観察法はこうした精神医療の再編から生まれた。
そういう中で、医療観察法だけを廃止するということは現実的に可能か? 自民党改憲草案における人権概念の原理的転換や、「限られた国家財政なのだからガマンしろ」という攻撃の中で「障害者」だけが良くなることはない。一つの運動分野だけを深堀するという諸運動の現状を脱する必要がある。
実践的課題として、学校で、職場で、地域社会で、人権を守り、精神に対する不可侵性・非侵襲性を守るとともに、まず排除しない、専門家に何もかも押しつけない、分業を乗り越えた共存と共生、「困った人、迷惑な人、ややこしい人」と共にある地域社会の実現をと提起した。
実践的課題へ
「これまでの一点共闘で良いのか」という問い直しは重要な問題だ。重装備で人権無視の精神科救急と、医者は入院患者百人に一人という長期療養型病床の二極分化へ精神医療の帝国主義的再編が進んでいる。
新自由主義攻撃の中で「精神障害者」のなかから支配階級に迎合する部分が育成されている。
この現状を根底的に乗り越えるにはどうするのか。精神科クリニックをどう位置付けて運動の拠点化していくのか。「精神障害者」の独自運動をどう構築するのか。実践的課題はさまざま提出されている。よく分析し、実践的課題を鮮明化することから始めよう。〔高見元博〕
あいば野演習場でのオスプレイ訓練反対
滋賀
10月滋賀県で行われる日米共同演習で、沖縄普天間基地に配備されている輸送機オスプレイが初めて使われようとしている。
米軍と自衛隊は10月上旬から中旬にかけて滋賀県高島市にある、あいば野演習場で、日米共同訓練=フォレスト・ライトをおこなう。この演習で、いま沖縄県民からその配備に激しい抗議が巻き起こっているオスプレイを使用しようとしているのだ。
オスプレイは空中で停止し隊員が陸上に降下する「ヘリボーン」作戦で初めて使われ(10月10日)、つづいて「陣地攻撃」訓練(10月16日)にも使われる模様。
関西から、日米共同演習反対・沖縄普天間基地撤去・オスプレイはアメリカに持って帰れの運動を作り出していこう。
5面
福島で生きる若者たち
〈8・6ヒロシマ―平和の夕べ―〉に参加して
今年の8・6ヒロシマー平和の夕べーで発言した福島の若者たち。福島に住み続けることの思いや悩み、そして希望を語った(8月6日 広島市内) |
今年の8・6ヒロシマ平和の夕べ。福島の若者からの話が、特に印象に残った。福島から来たのは飯舘村出身の佐藤健太さんと、〈peach heart〉、〈女子の暮らしの研究所〉という福島の女子(女子とは、18才以上の学生や、まだ子供も持っていない世代を指す)のグループのメンバーたち3人。
健康、行動を記録に
佐藤さんは、震災・事故直後、最もひどいレベルの放射能汚染をもたらされた飯舘村にいて、その情報が全く明らかにされず放置され続けていた中で、自分たちは本当に大丈夫なのかと、ツイッターなどでSOSを発信し続けていた。
そのなかで、飯舘村にいち早く調査に入った今中さんに出会い、リアルな状況を率直に教えてもらって、それ以降、健康や行動の記録を手帳に残そうと動いている。
佐藤さんはこれまで、いろんな人と出会い、いろんな状況も見てきた。そしていろんな思いを持ちながら、今でも張り詰めた気持ちで、福島市での生活を続けている。
女性が本音を出せる>
〈peach heart〉の代表の女性は、震災当時は東京に住んでいたが、もともとは南相馬市出身。その後、復興支援のために東京―福島を往復していた。しかし地元に居続けないとわからないことも多く帰郷を決意した。
放射能汚染という中で、妊婦や子どもに対しては避難をすすめる動きもあったが、近い将来、子を持つ可能性のある自分たちはどうなるのかという不安がとても大きかった。色々勉強して放射能の恐ろしさを実感する。その後出会った同世代の女性達にどう思うのかと聞いてみると、「気にしない」、「本当に怖い」、「どうしていいかわからない」など反応は様々。そして、家族や彼とこの問題についてきちんと話し合えない、本音で話しづらい環境にあることがわかった。
自分が福島に戻ってもそんな環境はイヤだ。何とか変えたいと思い、女性達が本音を出し合える場として〈peach heart〉を立ち上げた。勉強会や保養をかねた旅行などをやってきているそうだ。
子どもを産めるのか
〈女子の暮らしの研究所〉の女性は郡山市出身。いったん避難を決め千葉に移ったが、そこでは福島のことがあまりにも知られていないと感じ、情報発信しようと決め、また福島へ。毎週火曜日の、〈女子の暮らしの研究所 LABOLABOラジオ〉というラジオ番組などで情報発信している。
福島というととにかく、「危険だ」、「安全だ」、「逃げろ」、「煽るな」ということがよく言われるが、彼女たちは普段どういうことを感じて生きているのか、どういうことに胸を痛めて、または前向きに生きているのかということなどを発信している。
去年、親子保養ツアーのボランティアで広島に来て河野さんと知り合った。子どもを産めるのかなど、彼女たちのたまらない不安を河野さんは受け止めてくれた。河野さん自身が被爆2世として同じ悩みを持っていたこと、その中で、「産むんや、命丸ごと引き受けよう」と決めたことなど教えてもらいとても前向きになれたとのこと。
「そもそも私たち自身が、障害を持って生きていくとか、病気の子供を抱えて子育てをしていくということに対して本当に無知だったということを知りました。それはじゃあ社会を変えていけばいいんじゃないかと、本当にみんなが暮らしやすい社会をつくれば幸せになれるとようやく気づくことができて、そんな社会をつくるためにいろんな活動をしています」
福島にとどまる思い
福島のことで、関西という離れたところに住む私たちにわかっているのは、原発事故によりかなりひどい放射能汚染がもたらされたということと、その事故が収束するどころか、汚染水の問題など影響がますます拡大しつつあるというようなこと。それ以上の、福島に住む人びとの思いを伝えるような報道はすでにほとんど見られないし、生の声が伝わってきにくくなっている。だから今回は本当に大事な声を聞ける機会だった。
わずかの時間で、彼ら彼女らにとっては自己紹介程度の話しかできなかったと思うが、それでも福島に住み続けていることの思い、決意のようなものを受け止めざるを得なかった。
被ばくということを考えると、若ければ若いほど福島から出来るだけ遠くに離れたほうがいい。出来るだけそうすべきと思うが、そう簡単にいかない事情があるのも想像できる。今回の福島の若者たちは、何か事情があるからというよりも、もっと積極的にそこにとどまっている。そして彼らが悩みながらも現地で生き、活動してきたことは、やはり必要で大きな意義を持つものだと思った。
避難すべき、避難させろというたたかいはそれでもなお継続しなければならないと思うが、福島でのこのような活動と結びつきながら、現地の声、思いをもっと伝えていくことが、まず何より求められていると思った。(浅田洋二)
投稿
狭山再審へキャラバン
フェイスブック通じて取組み
兵庫
〈狭山再審を求める市民の会・こうべ〉がよびかけた神戸駅前座り込み(5月)、狭山再審キャラバンと交流会(7月)に参加しました。
これらの取り組みには、市民の会・こうべの会員のみならず、インターネットの交流サイト(フェイスブック)を通じて関西一円から参加されていることに驚きました。話を聞いてみると、若い頃に狭山に関わりながら、長い間、運動から離れていた人たちがほとんどとのこと。参加者の皆さんの、今度こそとの思いに、私自身も決意を新たにしました。
石川さんの呼びかけ
8月、神戸に来られた石川一雄さんは「この間の新証拠によって、証拠の偽造が明らかとなった。決定は来年に持ち越しになるが、皆さんの力で再審を実現したい」と支援をよびかけたとのこと。でっちあげ不当逮捕から50年を経て、不屈に闘い続ける石川一雄さんに連帯し、共に再審・無罪の実現を目指して闘かわなければなりません。
かつて私たちは、浦和地裁占拠闘争(1969年)により、石川さんの無実の叫びを知り、狭山闘争に突き動かされました。日本帝国主義の政治支配が部落差別によって支えられていることに私たちは心の底から衝撃を受け、狭山を我が闘いとして決意しました。この衝撃は、決して古びてはいません。
万人を動かす叫び
前述の狭山再審闘争・交流サイトをたちあげた管理人は、浦和地裁占拠闘争も11万人集会(1974年)も知らない世代であり、ほんの1年前に東京高裁前で石川さんに出会ったばかりであるとのこと。こうした動きは、石川さんの無実の叫びが、万人を揺り動かす力を持っていることを実感させてくれます。
再審の扉をこじ開けるために、狭山闘争をすべての人々に開かれた闘いとすることが必要です。これまでの私たち自身の狭山闘争に対するセクト主義的な関わり方の側面を反省し、狭山再審を願う様々な立場の人々の思いを学び直し、分かち合うことが不可欠だと感じました。今度こそ狭山再審勝利へ。共に闘いましょう。(神戸 H)
感想
過酷で残酷な現実
「原発事故―その時、病院が直面した現実」
本紙127号〜132号の連載を読んで、病院と入院患者にとって原発事故がいかに過酷で絶望的なものかが伝わってきた。病院には胃瘻(いろう)の患者がいる。酸素吸入器や排尿管をつけられた患者や2時間おきに吸引やケアが必要な患者がいる。
こんなとき、原発事故が起きたら、重症患者の避難が後回しにされ、放置され、殺されていく。まさに戦場の治療論理が貫徹される、なんと残酷な医療か。
原発は制御できない
インタビューに応じた佐藤さんは「制御できないものを作った人間の責任」「東電・政府は最悪の状況を想定外にしていた」と怒りをあらわし、「日本全国で原発から半径50キロには医療施設を作ってはならない」と語っている。私は、「医療施設から半径50キロ以内の原発は再稼働させてはならない」と思った。
私の住む石川県能登半島にある志賀(しか)原発の10キロ圏内には志賀町立富来病院がある。同じく20キロ圏内には羽咋公立病院、国立七尾病院、穴水総合病院などがあり、50キロ圏内には輪島市立輪島病院、内灘町の金沢医科大学病院、金沢市北部には浅野川病院があり、富山県でも氷見市民病院、高岡市民病院が入る。民間の医療機関や施設はもっとたくさんある。
志賀原発の再稼働は絶対に許されない。(S)
対中包囲網の最前線
米軍Xバンドレーダー基地
米軍が京都府京丹後市に建設しようと狙うXバンドレーダー基地。航空自衛隊経ヶ岬分屯基地内および、それに隣接する区域に建設し、米軍、米軍属160人が常駐する。関西で初の米軍基地だ。
この建設を認めれば、次にやってくるのはPAC3である。米帝国主義の、対中国(朝鮮民主主義人民共和国)包囲の最前線基地となるXバンドレーダー基地は、戦争状態になれば、まっさきに狙われる対象だ。これを守るために、PAC3がセットになっていることは想像に難くない。
今年2月の日米首脳会議で一方的に建設が合意された。その後、京都府知事、京丹後市長が、条件付きで受け入れる意向を表明。8月7日、地元でひらかれた京丹後市による説明会では、住民の不安が次々と表明され、怒りは噴出している。9月府議会で「Xバンドレーダー基地受け入れ」を認めさせてはならない。今月20日には京都市内で「京都に米軍基地はいらない!緊急集会」がおこなわれる。〔6面闘争案内参照〕
6面
国、東電に 漁業者怒る
福島第一原発の汚水流出で
8月22日、相馬市で相馬双葉漁協が開催した試験操業検討委員会。説明に来た経産省や東電に対して漁業者たちが怒りをぶつけた。 |
8月19日、福島第一原発敷地内の汚染水貯蔵タンクから、汚染水約300トンが流出していたと東京電力が発表した。これまでタンクからの漏出事故は4件発生していたが、今回の流出量は桁違いに大きい。流出した放射性物質の総量は、約24兆ベクレルと推計される。
22日、相馬市内で相馬双葉漁協が試験操業検討委員会を開催した。組合員や仲買業者など約80人が出席。その場で経済産業省と東京電力の担当者が、汚染水問題に対する謝罪と対策の説明をおこなった。
1.漁業者を愚弄
検討委員会で説明に当たったのは、経済産業省資源エネルギー庁の上田洋二調整官、東京電力の新妻常正常務、林孝之福島本部副本部長など。上田調整官の説明の要旨は以下のようなもの。
まず冒頭で、「たいへんな御心配をおかけしています。8月7日、安倍総理から、『汚染水問題は喫緊の課題であり、国としてしっかり対策を』というお話があり、『経産省も迅速な対策を』という指示がありました」と話した。
その上で、@汚染水対策の三原則、A直ちに行う緊急対策、B今後1〜2年で行う抜本対策という骨子で国の対策を示した。
以上が上田調整官の説明のほぼすべて。つまり、対策と言っても、本当に大枠の話だ。これは、この間、東京電力、政府、規制庁などで議論されている話を、体裁よくまとめた机上の計画。事態に向き合って悪戦苦闘している中から出て来たものではない。2年前ならいざ知らず、この期に及んでこんな机上の計画を示して済むと思うところが、漁業者を愚弄している。
上田調整官の説明の中で印象に残った点を挙げれば、「総理の指示で」というフレーズを繰り返したこと。この間、「国はどうして前面に立たないんだ」という批判にさらされており、それへの対応なのだろう。しかし、苦しんでいる漁業者を前にして、伝わったのは、泥を被りたくないという国の逃げ腰の姿勢だけだ。
「影響ありません」
つづいて東京電力の新妻常正常務、林孝之福島本部副本部長が説明をおこなった。
対策の三原則、緊急対策、抜本対策という枠組みは、経産省の説明と全く同じ。
東京電力がもっとも言いたかった事柄はおそらく次の点にあるだろう。
▽継続して海域モニタ リングをおこなっているが、港湾外への影響はほとんどない
▽水ガラスによる地盤改良で遮水効果が有効に発揮されたと考える
▽港湾内・港湾境界付近では、影響は限定的
「影響はない」「効果は有効に発揮」「影響は限定的」という文言が繰り返された。つまり、世間は騒いでいるかもしれないけど、実際には大したことはありませんよ、というのが真意なのだ。図表やデータは、進行している危機をとにかく小さく見せるための詐術とすら言える。
「効果を発揮している」という水ガラスによる地盤改良でも、「20%は透過してしまいます」とさらりと言ってのける。
なお、報道によれば、福島第一原発の港湾内で採取した海水のトリチウムの濃度が1週間で8〜18倍に高くなったと、東京電力が8月23日に発表。海洋への放射能汚染の拡大が進んでいることはもはや否定しようもない事実。
海洋投棄ねらう
もっと驚くのは次の説明だ。
「事故後の約2年間の累計で、港湾に流出した量の試算は、トリチウムが40兆ベクレル、ストロンチウム90が10兆ベクレル、セシウム137が20兆ベクレル。それにたいして、平常運転の福島第一原発のトリチウムが年間22兆ベクレル、それ以外の放射性液体廃棄物が年間2200億ベクレルです」。
事故が起こって炉心が溶けても、流出した放射能の量は年間に直したら平常時と変わらないから、全く大したことはない。小出しにすれば全然問題ないと言っているのだ。
放射能にたいする感覚が麻痺しているとしかいいようがない。
このような説明の向こうに見えるのは、汚染水対策が早晩、行きづまることは明らかで、そのときには、海洋への投棄に進みますよ、ということだろう。
2.一体、何年かかるのか
次に、経産省と東京電力の説明の後、漁業者らが質問や意見を述べた。そのやり取りの一部を紹介する。
漁業者A:東電の言うことなんか信じられない。操業ができるようになるのに、何年かかるの? 新妻さん(東電の担当者)、あなたは何年かすれば部署も変わり、退職したら、それで終わりでしょ。でも私らずっといるんだよ。
私はまだいいよ。もう年だから。でも息子は30代。孫もいるよ。息子には「漁師はやめろ」と言っている。先が見えないから。でも「やりたい」と。俺も心の中では継いで欲しい。でも言えないよ。こんな状態じゃ。何年かかるの? 答えなさいよ。国のトップ、安倍さんをここに連れて来なさいよ。
漁業者B:「影響ない」というけど、東電の説明でも、完全に止められるという話ではなかったじゃないか。
東電・新妻:止めたいです。
漁業者C:「影響ない」なんて、全く信用できない。
漁業者D:「数値が変わってない」というのは、むしろ、汚染水が流れるのが今回始めてではなくて、前々から汚染水が流れていたということじゃないの。それが今回初めて分かった。というか東電がはじめて認めた。これまで隠していたということでしょ。
漁業者E:今の東京電力は信用できない。国が前に出て来なさい。総理が来なさい。
経産省・上田:総理からの指示にもありましたので、事業者任せにしないということで。
漁業者を愚弄する国や東京電力の説明に、厳しい批判が飛び交った。
漁業者を抑える仕組み
ところで、この日の集まりは、事前の予測ではもっと荒れると思われたが、案外に静かに感じられたのはどうしてか。その辺を参加した漁業者のSさんに訊いてみた。
Sさんが言うには、こういうことだ。
「漁業者はいま漁に出られないから、東電の賠償金と海のガレキ撤去で暮らしているわけ。でもガレキ撤去は今年で終わり。そうすると賠償金だけ。不安だよ。だから、本当はもっと強く言いたいよ。東京にもいって声を張り上げたい。でも、そんなことをして、もしも賠償金を打ち切られたりしたらと思うと、みんな躊躇するんだ」と。
もうひとつ、Sさんは難しい内情を話してくれた。
「さっきも発言していた県漁連の会長さんがいるでしょ。会長さんは、東電となあなあなんだな。会長さんのところは大きな会社で、大きな船で遠くで魚を取っているから、全然困っていないの。それに会長さんは社長さんで、そもそも船になんか乗らない。私らとは全然違う立場。そういう感じだから、『もうリコールでもするべー』という話もあるんだけど」
たしかに、野崎哲県漁連会長の話は、どうも歯切れが悪いと感じたが、そういうことだったのだ。漁業者の憤りを抑え込むもう一つの仕組みがこれだった。もっとも、Sさんの口ぶりからは、抑え込まれてきた怒りがそろそろ爆発するという機運も窺える。(T)
カンパ御礼
夏期特別カンパ闘争にご協力ありがとうございました。