未来・第134号


            未来第134号目次(2013年8月20日発行)

 1面  オスプレイの強行配備弾劾
     日本政府への怒りに震える沖縄

     核の廃絶をめざして
     被ばくの事実を継承
     8・6 広島

     地球上から核をなくさなければ
     7日 電車内被爆者 米澤鐵志さんが訴え

 2面  「ナチスの手口に学ぶ」
     憲法改悪ねらう安倍政権
     木戸 雄二

     福島第一原発事故
     汚染水が大量流出

     関西初の米軍基地
     京丹後市にXバンドレーダーが

     稼働原発ゼロへ

 3面  伊方原発3号機など
     すべての原発の再稼働を阻止しよう(上)

 4面  何のための除染か(上)
     飯舘村 住民説明会
     請戸 耕一

     映画評
     風立ちぬ いざ生きめやも!
     ―宮崎駿監督 アニメ映画『風立ちぬ』によせて―

 5面  1万人の審査請求を
     生活保護基準引き下げに立ち向かおう

     守れ!経産省前テント シリーズE
     “経産省丸”転覆か?

 6面  軍法会議の研究
     「命令に従わないなら死刑」 石破が発言

     夏期特別カンパのお願い

       

オスプレイの強行配備弾劾
日本政府への怒りに震える沖縄

オスプレイの追加配備に沖縄県民の怒りは渦巻いている。写真は1日、沖縄県庁前(那覇市)でおこなわれた緊急集会

米空軍嘉手納基地所属のHH60救難ヘリが宜野座村(ぎのざそん)に墜落した事故により、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間基地への追加配備は一時中止していたが、12日午前、在沖米海兵隊は追加配備再開を強行した。ヘリ墜落事故から1週間もたたないうちのオスプレイ追加配備の強行である。
この暴挙に県民の怒りは渦巻いている。5日にヘリが墜落した宜野座村は事故の原因究明とオスプレイ追加配備反対の村民大会を22日に開催すると決めたばかりだ。

「言葉がない」

宜野座村の住民は「原因究明もなく不安は払拭されていない」と、住民をないがしろにする日米政府の態度を糺した。 また別の住民は「いつどこで落ちるかわからないヘリが、住まいの上空を飛び交うことがどれだけ不安かを、日米両政府も本土の人もわかっているのか」と憤った。
14日正午ころ、金武(きん)湾上空を南下するオスプレイを目撃した當眞淳(とうま あつし)宜野座村長は、「言葉がない。どうすれば理解してもらえるのか」と怒りに震えた。(14日付沖縄タイムス電子版)
また米空軍は墜落事故を起こしたHH60ヘリの飛行を16日から再開した。同型機を点検した結果「機体に問題はなかった」としているが、事故原因は不明のままだ。ここにも住民の安全を無視した米軍の姿勢がうかがえる。

野嵩(のだけ)ゲートで連日闘争

沖縄では8月1日から、オスプレイ追加配備に反対する闘争が普天間基地・野嵩ゲート前で連日たたかわれている。1日午後6時には、那覇市の沖縄県庁前でオスプレイ追加配備撤回を求める緊急集会が開かれた(=写真)。「基地の県内移設に反対する県民会議」主催のもと、労働者や市民団体350人が参加。オスプレイ12機の普天間基地への追加配備に対して怒りが爆発した。
沖縄防衛局は現在、野嵩ゲートをフェンスで囲って中に入れないようにしている。配備反対の闘いが再度、野嵩ゲートを封鎖するのを恐れてのことだ。集会では「フェンス撤回」「オスプレイの強行配備やめろ」と怒りの声が上がった。

核の廃絶をめざして
被ばくの事実を継承
8・6 広島

「放射能汚染・放射線被曝とどう向きあうか」と題して講演する今中哲二さん(6日広島YMCA・国際文化ホール)

被爆から68年目の8月6日、広島YMCA・国際文化ホールで「8・6ヒロシマ 平和の夕べ」(主催:8・6ヒロシマ平和の夕べ実行委員会)が開かれた。
河野美代子さんが主催者あいさつ。その後、被爆ピアノについてのトーク(矢川光則さん)とピアノ演奏(三浦裕美さん)、紙芝居と朗読による被爆証言(宮崎謙一さん)、今中哲二さん(京都大学原子炉実験所助教)の講演、福島の若者からの発言など。集会は、ヒロシマとフクシマの被ばくの事実を継承するものとなった。
今年の広島平和宣言には「核兵器は絶対悪」とある。しかし、原発については述べられていない。「原子力の平和利用」の亡霊は死んではいない。原発事故後も、ここに大きな対立がある。

低線量被ばく

今中哲二さんは、「ヒロシマの継承と連帯を考える」というテーマで、福島での低線量被ばく問題について述べた。
低線量被ばくについてわかっていることは、@福島第一原発の事故によって東京以北の東日本には無視できない放射能汚染があり、その判断基準は年間1ミリシーベルトである、A被ばく線量とがん死には明らかに比例関係があり、低線量でも「直線しきい値なし仮説」が妥当、Bチェルノブイリ原発事故後、子どもの甲状腺がんは増加しているということだ。
よくわからないことは、@福島県内で、子どもの甲状腺がんが見つかっているが、原発事故との因果関係についてはよくわかっていない、Aがん以外の病気の発生と被ばくの因果関係はよくわかっていないが、「ジャーナリストは、このよくわかっていないことを社会に発信し、警鐘を乱打していくべきだ」と今中さんは強調した。
また、「よくわからない事は、さらに詳しく調査する必要がある。ただし行政は原発事故原因説の立場にたって対応すべきだ」と、このかんの行政の対応を批判した。

被爆ピアノ

その存在感は圧倒的だった。ピアノの音色は被爆によっては変わらないのであろう。しかしその音色は被爆の悲惨さを訴え続ける。これは、演奏する者と聞く者との心の共振からなのだろう。事実をしっかりと語り継いでいくことの重要性を再認識した集会だった。

地球上から核をなくさなければ
7日 電車内被爆者 米澤鐵志さんが訴え

被爆電車の中参加者に語りかける米沢鐵志さん(7日広島市)

1945年8月6日、広島市内の路面電車内で被爆し、その電車に乗っていた人で、いま唯一の生存者となった米澤鐵志さんが7日、今も残る被爆電車651号に乗車した人たちに被爆体験を話した。
約1時間半、被爆後母親と逃げる途中見た様子や自身の発病、核と原発について次のように語った。
被爆者を描いた絵に、幽霊のように手を垂らしているのがある。なぜか。やけどで水ぶくれになった皮膚がめくれ手の先に垂れる。手を前に出したそういう姿になる。真っ黒な顔、爆風で眼球が飛び出し眼窩が黒く大きく開いていた。飛び出した目玉を頬のところで支えている恐ろしい光景だった。

母も妹も死亡

翌日、やっと疎開先の村にたどりついた。私も母親も敗戦の次の日から髪の毛が全部抜け、高熱と嘔吐に苦しめられた。母親は9月に入り死亡。私は、医者だったおじいさんにも見離されたが、かろうじて回復した。市内の川の水を飲まなかった(母親は飲んだ)、黒い雨に濡れなかった、その日のうちに市内から出たなどの条件があったからではないか。母親の母乳を10日ほど飲んだ1歳の妹も10月に亡くなった。当時は「栄養失調」と言われた。立証の方法もないが、母乳による内部被爆だと思っている。
朝鮮人の友だちが多かった。彼らは疎開先もなく、ほとんどの級友が亡くなった。日本は、朝鮮人に対し戦前戦後ひどいことをしてきた。昨日、広島の繁華街で、中国電力前に抗議に行く人たちに「朝鮮へ帰れ」などと悪罵を浴びせるグループがいた。この国は、戦争と被爆をなんと考えてきたのか。
戦後、私たちは核兵器廃止運動をやってきた。原発にも反対してきた。しかし被爆国日本は核不使用共同声明に署名しない。原発事故が起こったのに再稼働し、輸出をするという。福島は安全だという「学者」さえいる。スリーマイルのとき、チェルノブイリのときから核使用は、やめなければならなかった。子どもたちを「放射線管理区域」以上の地域に住まわせてはならない。

体験を本に

本を出すなど考えてもいなかったが、福島が起こり、私の体験と考えを残したいと思うようになった。本にしてよかった(注)。「核」を地球上からなくさなければならない。電気が足りないことはない。毎晩、星が見えないほど街を明るく輝かせているではないか。 「力の続く限り訴える」と米澤さんは結んだ。

(注)『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』〜伝えたい少年原爆体験記、11歳の少年が生きぬいたヒロシマ〜 語り/米澤鐡志 文/由井りょう子 小学館 定価998円(税込)

説明会が打ち切られ退場してきた大阪市民と会場外で抗議行動していた200人が合流(20:50)

2面

ナチスの手口に学ぶ」
憲法改悪ねらう安倍政権
木戸 雄二

麻生発言と改憲攻撃

7月29日、麻生太郎副総理は都内のシンポジウムで、「憲法は、ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と述べた。
この発言に内外から猛烈な批判が集まるや、麻生はナチスを例にあげたことは「誤解を招く結果となった」と撤回したが、謝罪はしなかった。とりわけ「喧騒ではなく、静かに」と「(ナチスの)手口」は、まったく否定しなかった。ここに、安倍・自民党の改憲攻撃の本質が見える。
ヒトラーは「静かに」政権を掌握したのではない。ちょうど80年前の1933年1月30日に首相に任命されたヒトラーは、4週間後、国会放火事件をひきおこし、それを利用して翌日「大統領緊急勅令」を発布、集会の自由など7つの基本権を停止した。
3月5日の総選挙では大規模な選挙干渉、弾圧がおこなわれた。それでも3分の2の議席を確保することはできず、国会をナチ突撃隊が包囲し、野党議員を逮捕、拘束し無理やりに「全権委任法」(授権法)を成立させた。この全権委任法こそ麻生のいう「ナチス憲法」の核心であり、それをいまの日本で「静かに」(人民の闘いを圧殺、弾圧して)おこなおう、というのが麻生の本音なのだ。
「静かな手口」とは、96条改憲を突破口に、階級闘争を解体し、人々の異議申し立ての口を塞ぎ、マスコミを統制しおこなうことに他ならない。昨年4月27日に策定された「自民党憲法改正草案」は、その内容と手法を「ナチスの手口」に倣ったものに他ならない。それが麻生発言で明確にされた。ただちに、全面的に暴露、対決していこう。

立憲主義を全否定

昨年4月、野党だった自民党は、これまでのどの改憲案よりも反動的で低水準な改憲案を発表した。政権与党ではなかったため、近代立憲主義すら否定する超反動的な地金をむき出しにし、平和主義、国民主権、基本的人権などことごとく破棄する代物である。12年末総選挙、13年7月参院選でもそれは否定されず、麻生発言のベースにもある。この草案を徹底的に具体的に批判しつくすことが、安倍改憲攻撃を粉砕する出発点である。

97条の全文削除

自民党改憲草案の問題点は全篇にわたるが、最大の問題点はその内容、思想において13世紀のイギリス大憲章(マグナカルタ)以降の近代法体系、精神とまったく相容れない、立憲主義の否定にある。
近代法体系は、封建領主の専制支配に対し領民の血みどろの闘いを権利章典として書き込ませたことにある。この「人類の多年にわたる自由獲得の成果」「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」という現憲法97条に記された文章は、丸ごとバッサリと削除されている。

天皇主権へ転換

また、自民党草案は前文を全面破棄し改変した。「天皇を戴く国家」をうたい、国民主権を否定。「日本国民は」(現行)で始まる前文は、「日本国は」に変えられている。99条「天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、その他公務員は・・・この憲法を尊重、擁護する義務を負う」(現行)から、1項に「すべて国民は、この憲法を尊重しなければならない」とし、さらに「天皇、摂政」を削除した。「権力(者)を縛る」ものから、「国民を縛る」憲法へ、その本質を180度転換させている。

国防軍の創設

戦後一貫してたくらまれきた憲法改悪の主要なねらいは、9条破壊にある。今回の草案にもそれは隠されることなく「国防軍」創設をうたう。しかし、9条改憲には依然として多数の人民が反対している。そのため「96条(改憲手続き)先行」と、集団的自衛権の承認、防衛大綱の改悪で9条体系の全面骨ぬきをねらっている。
「世界最強の軍事大国、米国・米軍を自衛隊が守る」という珍妙な論理により、自衛隊を「敵前上陸部隊化」していこうとしている。これを許さない議論と闘いを、早急に構築しよう。

非常大権

現憲法になく自民党草案に新設されているのが、ナチスがおこなった「緊急事態、非常大権」である。
自民党案は、第9章に「緊急事態」の項を新設。「閣議にかけ緊急事態の宣言を発することができる」「何人も・・・国その他公の機関の指示に従わなければならない」。これこそが、政府が議会に代わり法律を制定し執行する、ナチスが絶対権力を獲得した道である。 しかし、このような強権、その発動に対し、労働者人民の抵抗は必至である。

公益、公の秩序

自民党案は憲法10条から40条に定められている権利条項を大幅に制限、抹殺している。
とりわけ21条「集会、結社、表現の自由、通信の秘密」。自民党案は、第2項に「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動をおこない、ならびにそれを目的として結社することは認められない」とする。「公益、公の秩序」を誰が判断するのか。警察・検察が逮捕、訴追権を行使する。いまの裁判所でさえ、警察・検察と一体といって過言ではないのだ。
原発反対が「公益に反する」とされることは想像に難くない。現在おこなわれている官邸前行動、経産省前テントひろば、電力会社への抗議などは真っ先に対象となる。

拷問を容認

36条「拷問及び残虐刑」は、現憲法では「絶対」をつけて禁止されているが、「絶対」は削除される。やっていいということだ。10条から40条は、人民の血の犠牲によって書き込まれた権利である。21条をはじめとするこれらの領域は、人間が人間であることの根本にかかわるといって過言ではない。削除改悪を許してはならない。

「茶色の朝」

参院選を経て今夏、今秋から、いよいよ安倍政権との本格的対決が始まる。25%の支持しか「得られなかった」安倍政権は、それとしては「安定多数」の国会を使い、反動攻撃を次々にかけてくる。麻生発言、橋下発言などの不始末により安倍の本音はいったん押さえ込まれながらも、超反動を強めてくる。
安倍は大新聞の経営陣と頻繁に会食している。これまで以上の世論誘導が激化する。アベノミクスの破綻に対する人民の怒りを、治安弾圧で封じようとしている。
これらの集大成が、自民党改憲草案である。「ナチスの手口」を使って「静かに」「茶色の朝」を迎えさせることを許さない。自民党改憲草案との闘いを、全力で始めよう。

(注)『茶色の朝』
1998年にフランスで極右勢力が台頭していたことに抗議して出版されたフランク・パヴロフの著作。茶色は初期ナチスの制服の色。邦訳は2003年出版。

福島第一原発事故
汚染水が大量流出

参議院選挙が終わった7月22日、東京電力は福島第一原発の汚染水が大量に海洋に流出していることを認めた。
原発事故対策は、「原子炉を冷やし、放射能を閉じ込める」ことが第一だが、その冷却水が流出し続け、放射能に汚染された地下水も流出しているのだ。流出した汚染水に含まれるトリチウムは20兆から40兆ベクレルという。放射性物質拡散の危険は深まる一方だ。 チェルノブィリ原発事故では放射性物質を「石棺」で閉じ込めたとされるが、実際には流出がいまも続いている。現在、巨大ドームで原子炉全体を覆う工事が進行中だ。
福島事故では2年半たっても事態がほとんど改善されていない。この事実を隠してきた東電、政府、マスコミの責任は重大である。

関西初の米軍基地
京丹後市にXバンドレーダーが

今年2月、米政府の要請を受ける形で、日本政府は京都府京丹後市に米軍Xバンドレーダーの設置を決めた(2月22日、日米首脳会議合意事項)。日本海に面する丹後半島にある航空自衛隊経ヶ岬分屯基地内およびそれに隣接する形で米軍レーダーサイトが作られ、米軍人、軍属160人が常駐する。
このレーダーは使用周波数帯が「Xバンド」であることから、そう呼ばれる。1000q以上先の弾道ミサイルの発射を察知し、イージス艦や迎撃ミサイル部隊にデータを送る。米軍の想定では、朝鮮民主主義人民共和国からハワイやグアム方向に発射された弾道ミサイルを発射直後に、その種類、方向を判断するものとされる。サイトから半径6qは、陸海空とも立ち入り禁止エリアとなり、地元の生活・産業への影響は深刻だ。
これができると国内では133番目の米軍基地となる。Xバンドレーダーとしては、世界で4基目(青森県車力分屯地、イスラエル、トルコに次ぐ)。新たな米軍基地・侵略前線基地の建設を阻止しよう。

稼働原発ゼロへ

現在、国内で稼働中の原発は大飯原発3号機、4号機(いずれも関西電力)の2基のみ。 3号機は9月2日に、4号機は同15日に定期検査のため停止する。 法律で、稼働(営業運転)開始から13カ月以内に定期検査が義務付けられている。3号機は昨年8月3日に、4号機は同16日に営業運転を開始していた。

3面

伊方原発3号機など
すべての原発の再稼働を阻止しよう(上)

福島事故は未収束

地下水の汚染と海への流出はこのことをはっきりさせた。にもかかわらず、国、各電力会社は原発の再稼働を強引に押し進めている。
東京電力は、地下水の汚染とその汚染水の海への流出について、7月10日、原子力規制委員会から「その可能性が強く疑われる」との指摘を受けながらも隠し続け、参議院選挙翌日の7月22日になってようやくその事実を明らかにした。
8月7日、国の原子力災害対策本部が明らかにした内容は、福島第一原発地下を流れる地下水は1日約1000トンと推定、うち事故直後から明らかにされている1日約400トンが原子炉建屋に流れ込み汚染、残りの1日約600トンうち約300トン(ドラム缶換算で毎日1500本分)が、汚染源は不明であるが、高濃度に汚染され海に流れ出し、あと約300トンについてはその挙動は不明であると言うものであった。
しかし、汚染された地下水の量を約300トンと推定した根拠や、残り約300トンの挙動がなぜわからないのか、汚染源をなぜ特定できないのか等の理由は明らかにされていない。

地下水汚染の原因

今回の事態は、原発敷地内地中を流れている地下水脈のどこかに汚染源があることを示すものである。そのことは、溶け落ちた核燃料(デブリ)が、すでに格納容器を突き破り地中深くまでめり込んでいるという、深刻な事態を示すものではないのか。
「3・11」直後から、溶けだした核燃料によって、地下水の大規模な汚染と、その海へ流出の可能性とその危険性が指摘されていたのである。しかし、国と東電は、地下水汚染の有無について継続的な調査監視を怠り、その結果、この2年数ヶ月ものあいだ、対策が後手後手になり、今回の事態を生み出したのだ。

前例のない工事

今回、国は地下水の大規模汚染の事実を前にして、8月7日、急遽約400億円の国費(税金)を投入して、海への流出防止工事(1〜4号機建屋敷地の四方を取り囲む遮水壁)を「凍土」で固める工事を行うことを決定した。鹿島建設が国に提案したこの工法での大規模工事は国内外でまったく前例がなく、その効果は完成してみなければわからない未知の工事である。そして工事完成予定は早くても2年後となる。
国や東電にとって、福島第一原発地下には「富岡湧水」と呼ばれる巨大な地下水脈が流れていることは周知の事実であった。「3・11」でポンプが破壊されるまでは、第一原発建屋周辺の地下水対策として、毎日850トンもの地下水を汲み上げていたのである。

処理の目処立たず

原子炉建屋内の汚染水処理問題は、原子炉建屋内に毎日約400トン増え続ける汚染水と、その処理と保管をめぐって、この2年数カ月、たえず収束作業を阻み、未だにその根本的解決の道筋がたっていないのである。汚染水処理とその保管のために敷地内に貯蔵タンクを次々と増設し、8月6日時点で、建屋内の汚染水約7万7000トン、貯蔵タンクに約33万トン、合計40万7千トンもの高濃度汚染水が敷地内に貯まっているのである。しかも、2年後(15年9月)には、敷地内での貯蔵タンク増設が物理的に限界をむかえ、その後、完全に行き場を失うのである。
この状態が、1〜3号機から溶け落ちた核燃料(デブリ)を全て回収し、安全な場所への保管が可能となるまで、延々と続くのである。このような、解決不能な汚染水処理問題に加えて、新たに地下水の汚染問題とその海への流出問題が明るみになったのである。

地下水の上昇

8月10日、地下水の水位の計測の結果、地上から1・2メートルまで上昇しており、海側に設置されている遮水壁(技術的に地上から1・8メートルより下部にしか設置できない)を越えて、地下水が海に流れ出ていることが明らかになった。この地下水の上昇は、またその水圧で、3号機地下貯水槽底部(コンクリート製)では最大約40センチメートル、4号機地下貯水槽底部(コンクリート製)では最大約15センチメートルをもそれぞれの底部が押上げられていることが、8月13日明らかになった。

作業は不可能

このことは、海への流出だけにとどまらず、今後、地上(敷地内)にあふれでる可能性がある。もし地上に汚染水があふれだせば、どのような事態になるのか。8月2日付けの「福島第一サーベイマップ」で計測されている原子炉建屋内汚染水の貯蔵タンクへの移送配管での放射線量の最高値は、配管表面線量:最高値160ミリシーベルト、配管周辺空間線量:最高値25ミリシーベルトが計測されている。この値を参考に考えれば、あふれだす汚染水の放射線量がどのような値を示すかは容易に想像がつく。
地上にあふれでた汚染水は点ではなく、広範な面全体を高濃度で汚染する。実際に地上にあふれでたならば、そのような現場での作業は、ほぼ不可能となる。また、そのような現場での作業は、作業員にさらなる被ばくを強制するものとなる。それは今後の収束作業や廃炉作業をさらに困難にするだろう。

漁業への影響

さらに、福島県はじめ近隣の漁業者やその関係者の生活の場を、長期に破壊し続け、奪いさることことになる。「またもや裏切られた」「もはや信用できない」「こんな状態のなかで原発再稼働などとは、はらわたが本当に煮えくりかえる」と怒りをあらわにしているのだ。
また、汚染水の海への大規模流出は、国際問題化(すでにしはじめている)し、わが国に対して、国外からの損害賠償請求や、そのための訴訟がおこされるであろう。
この深刻な事態を前に、8月9日、国と原子力規制委員会は東電に対し、遮水壁をこえてあふれてでている地下水を、遮水壁手前の井戸から、ポンプで汲み上げ、応急的に敷地内の別の場所に移送保管するという泥縄的対策を指示した。しかし、この方法も直ちに行き詰まり、打開策はなくなり、深刻な危機に直面せざるをえないだろう。
にもかかわらず、国や東電は、「原発事故収束宣言」の破綻や、「原発再稼働」政策、「避難地域再編」「住民帰還促進」政策が破綻することを恐れ、この事態はたいした問題ではないと、意識的に言いなして、人々の目をそらそうとしている。

異例のスピード

7月8日「新規制基準」施行日当日、四電(伊方3号)はじめ関電(大飯3・4号、高浜3・4号)、九電(川内1・2号、遅れて玄海3・4号)、北電(泊1・2号、泊3号)、計12基が「適合性」審査申請書を原子力規制委員会に提出した。7月16日、第1回「審査会合」を開催し、8月15日第9回「審査会合」とハイスピードで開催している。
この過程で、関電・高浜3・4号、大飯3・4号が活断層評価結論の遅れ、対策や備えの不備が問題となり、審査が留保された。また北電・泊1・2号は、構造の異なる3号のデータ流用を指摘され「準備不足」として審査が保留となった。
四電・伊方3号については、非公開の規制庁・四電審査担当者による四電担当者への個別のヒアリングが、8月12日現在、「地震等の適合性に関するヒアリング」が各4回、「新規制基準適合性に関するヒアリング」が16回おこなわれている。

なれ合い

地元愛媛新聞記者の「審査会合取材報告記事」(8月4日付)でも「開催ペースは異例の速さ」「なれ合い払拭遠く」の見出しで、伊方3号機「適合性審査」の進捗状況を報じている。また「毎日新聞」(8月9日付)では、「原発新規制再稼働へ差拡大 順調な伊方、保留の高浜」の見出しで、「適合性審査」の2極化と9月中に審査担当者を現在の80人体制から100人体制へ増員し、さらなるスピードアップを図ると報じている。
安倍首相は、原子力規制委員会での「適合性確認」を、「安全性確認」と意識的に言い換え、原発の「安全性が科学的・専門的に担保された」として、「適合性」が確認されしだい、地元の了解手続きにはいり、速やかに原発を動かそうとしている。

「安全性」刷り込み

また5月14日、自民党国会議員を中心に「電力安定供給推進議員連盟」を立ち上げ、原子力規制委員会へ「提言書」を提出し、さらに衆議院原子力問題特別委員会で、原子力規制委員会・田中委員長への質問というかたちで圧力をかけている。また、「事務局幹部(規制庁幹部)が頻繁に自民党議員から呼び出しを受けている」事実が「東京新聞」で報じられている。
マスコミも、政府、電力会社が「適合性」合格=「安全性」合格と意識的に置き換えて、人々に刷り込もうとしていることについて批判せず、マスコミ自ら安直に使用し、政府・電力会社の意識的刷り込みに手を貸している。

山積する疑問

「普通に考えれば(作成には)5年はかかる」(更田原子力規制委員)とされたものが、10ヶ月の短期間で作成された「新規制基準」は本当に大丈夫なのか。 また、福島事故の原因がいまだ解明されていないにもかかわらず、本当に「福島事故」を再び起こさない「新規制基準」がなぜ可能なのか。
「過酷事故対策」として設置を義務づけられた特定安全施設のフィルタ・ベント設置や緊急時対策所設置について、加圧水型原子炉には5年間の猶予期間を与えてたが、その猶予期間中に「過酷事故」が起こっても大丈夫となぜ言えるのか。
「立地審査指針」をなぜ廃止したのか。40年廃炉ルールの抜け道を、なぜ認めたのか。「安全目標」なる概念を導入し、「新規制基準」の「性能要求基準」、その根拠のあいまいさ、その恣意性等等。
このように少し内容に踏み込めば、「新規制基準」は決して「安全性」を担保するものでないことは明らかではないか。(つづく)〔川村哲一〕

4面

何のための除染か(上)
飯舘村 住民説明会
請戸 耕一

6月25日、飯舘村飯野出張所で開催された「除染作業実施のための住民説明会」

6月25日、飯舘村飯野出張所で開催された、飯舘村小宮地区を対象にした「除染作業実施のための住民説明会」を取材した。環境省福島環境再生事務所が、小宮地区の除染を開始するに当たって、除染の進め方を地区住民に説明し、同意を取り付けようというもの。小宮地区は130世帯。全世帯が県の内外に避難をしている中、この日は約80人が参加した。

T 国・環境省が進める除染の行き詰まり

飯舘村の除染は国の直轄でおこなうとされている。2011年9月段階での「飯舘村除染計画書」では、住環境の除染について、2011年度中に着手し、2年程度で終了するとしていた。また、2012年5月段階の住民説明会では、2012年度に村の西半分、2013年度に東半分の除染を実施するとしていた。しかし、現在のところ、除染に着手できているのは、全20地区のうち、二枚橋・須萱と臼石の2地区のみ。
国・環境省および菅野典雄村長が推し進める「除染して帰村」という考え方に、多くの村民が不信を抱き、除染に同意していないからだ。そして効果をうたって開始された除染だが、実際にやってみると芳しい成果が挙がっていないのが実情だからだ。

疑問噴出

この日の説明会は、今年度実施予定の地区に対するもの。全体で約2時間半。環境省職員が、約40ページのペーパーを配り、それに沿って除染のスケジュールや工程、住居やその周囲の樹木、農地などについての除染方法、それへの同意取得の手続きの進め方、さらに、小宮に新設される仮設焼却炉の概要などにかんして、1時間ほど説明。その後1時間半の質疑がおこなわれた。
質疑では、住民から、除染についての疑問が次々と出され、環境省は要領を得ない答弁に終始した。その主要なやり取りは以下のようなものだった。〔一部要旨〕

ゼネコンのための除染

【住民】何のための除染なのか? 何回やるのか? どこまで線量を下げるのか? 1ミリシーベルトというけど、何年かかるのか? そういうことが何一つ書いてないじゃないか。

【環境省】大変むずかしい質問だ。できるだけ下げる。残念ながら除染の効果は場所によって違うので、はっきりした数値は示せない。
 何とか今の計画は進めさせていただきたい。長い取り組みになるが、地道にやらせてもらいたい。

【住民】それじゃあ、「除染のための除染」、「ゼネコンのための除染」じゃないか。きっちりした数値目標を出しなさいよ。

【住民】環境省の考えている「人が生活していい被ばく線量」とはいくつなのか? 村長は、年間5ミリシーベルトといった。それもどうかと思うが、環境省が狙っているのは、年間20ミリシーベルトではないのか?

【環境省】国の方針としては、最終的には、年間1ミリシーベルトを目指すということに変わりはない。

除染の目安なし

【住民】「最終的に」ではなくて、今回の除染ではどうなのか? 何の目安もなくていいのか?

【環境省】一律にどこまで下げるかの数値の持ち合わせはない。申し訳ない。ただ、年間50ミリシーベルトのところはその下に、年間20ミリシーベルトのところはその下に・・・。

【住民】「やってみないとわからない」ということね。(会場、失笑)
これだけの資料の中に、目標とか線量とかがひとつも示されていない。それが、村民が一番気にしているところだ。どこで帰村宣言が出されるのか、不安に思っている。
数値目標を決めるべきだ。NHKも報道(6月14日付 NHK NEWS WEB 掲載)している通り、除染業者との契約で、具体的な数値目標を出させないために、結果も曖昧になっている。

【住民】除染がうまくいかなったとき、どうするのか?前回(5月)の懇談会のとき、責任者の方が、「これから勉強する」といっていたが。

【環境省】リバウンド(除染後に線量が元に戻ること)の原因追究はできていない。申し訳ない。私どもで分かるのは、現場での作業の方法についてだけだ。

【村長】目標についてだが、村としても、最終的には年間1ミリシーベルト。しかし、これは、毎時0・23マイクロシーベルトということ。これを実現するのは大変だ。
だから村としては、当面年間5ミリシーベルトで、という話をしている。少なくとも5ミリシーベルトを目標にしてもらう。
小宮の田圃の実験では、毎時5〜6マイクロシーベルト前後のところが、毎時1〜1・5マイクロシーベルトに下がっている。毎時1マイクロシーベルトでもいいよという人と、それではだめだという人がいる。それでいいよという人には、それで帰村してもらう。それではだめだという人は、すぐには帰れないわけだから対応を考えないといけないということだ。

やってみないとわからない

【住民】環境省の話は、何回聞いても、「やってみないとわからない」という。
それから、村長が、田圃の除染で線量が下がったといったけど、それは田圃に水を入れる前だからだ。水を入れたら、濁り水が入ってまた線量は上がる。水を入れて、田圃を始めてから、線量が上がったというんじゃたまらない。
「とにかくやる」というだけの除染なら、直ちにやめてもらいたい。「私は除染の現場なので他のことは分からない」という答弁では話にならない。

【住民】そもそも、国が示しているのは、「原発事故が起きて、放射能が降りました。しようがないから除染します。で、除染してみたけど下がりませんでした。しようがないけど帰還して下さい」という風にしか聞こえない。
私たち若い者にとってはこれから先の生活があるのに、今のことしか考えていないようなやり方ではどうかと思う。

【住民】村長さん、これは受けとめ方の違いだと思うけど、年間5ミリシーベルトというのは、放射線管理区域だよ。放射線管理区域というのは、放射線による障害を防止するために設けられる区域で、法令で取り決められているんだよ。

【住民】質問に対する環境省の答えは、「わかりません。でもメニューはこれだけです」。そんな人たちにたいして、除染の同意ができるか?「分からない」という人はやめて下さい。「あとは現場で相談して」と言われても相談にならない。
同意書を出さないとどうなるのか? もう対象外で補償も対象外になるのか?

【村長】そういうことはないが、7〜8割の人の同意でやっていく。全員の同意までは待てない。ある程度のところで始めたい。
〔なお、これ以外に、住居の周りの除染で、針葉樹は切るが落葉樹は切らないことへの疑問、同意取得の手続きを環境省が建設コンサルタント会社に丸投げしていることへの批判、仮設焼却炉で、除染廃棄物を燃やすことはないのかという危惧などが出された。とくに仮設焼却炉の問題は重要だが、時間切れで終わっている。〕(つづく)

映画評
風立ちぬ いざ生きめやも!
―宮崎駿監督 アニメ映画『風立ちぬ』によせて―

参院選の投票を終えて、前日より公開されていた『風立ちぬ』を観て、多くの観客とともに涙してしまった。
映画はゼロ戦の設計技師・堀越二郎と作家・堀辰雄をゴチャマゼにして、ひとりの主人公・二郎に仕立てたフィクションである。飛行機好きの少年とゼロ戦の誕生をタテ軸に、美しい薄幸の少女・菜穂子との出会いと別れを横軸に、1930年代の青春を描いている。
飛行機好きの少年は、イタリアの著名な飛行機製作者カプローニに導かれながら、帝大工学部から三菱飛行機名古屋の技術者として、常に計算尺を片手に科学と技術の進歩を求め、やがて第二次大戦初期の日本が誇る傑作戦闘機・ゼロ戦を創り出す。
宮崎駿は、戦争でゼロ戦が果たした役割にはふれないが、最後に「征きて帰りものなし。飛行機は美しくも呪われた夢だ。」「1機も戻ってきませんでした。」と語らせている。 菜穂子との出会いは1923年の関東大震災。再会は避暑地・軽井沢。結核に冒された菜穂子との大切な日々は短くはかない。堀辰雄は「風立ちぬ、いざ生きめやも」と、菜穂子は「あなた、生きて」とそれぞれ強く生きることを二郎に言う。
この映画を公開初日に見た作家・高橋源一郎は「美しい映画だった。とても。そして不思議な映画だった。」と朝日新聞・論壇時評(7月25日)に記している。そして「戦争遂行への声高な批判もない」「宮崎駿は、過去に遡って告発することばを抑え込み、肯定的なことばを発することを選んだ」と続けている。
実際この映画には、ごくわずかなナチス批判や、特高は出てくるが、声高に反戦を叫ぶことはなく、ひたすら技術の進歩を求める設計者の姿があるだけだが、まぎれもなく歴史を見つめ、科学と技術を問う「反戦映画」であろう。
人類にとって空を飛ぶことは長年の夢であった。その夢をライト兄弟はかなえ、カプローニと二郎は前へ進めた。その技術が戦争においてどんな役割を果たすかを横において。そして今、私たちは「夢のエネルギー=原発」の起こした事故と放射能と対峙している。夢の技術は悪魔を呼びさます技術と隣あわせである。
宮崎駿監督は、映画では「機関銃を乗せねば、もっとスピードが出る」と語らせるが、直接の反戦は叫ばない。ただ実生活では製作プロダクション(スタジオジブリ)をあげて憲法改悪反対の声をあげはじめている。「『忘れない』ということばだけでは風化を押しとどめることはできない」(高橋源一郎)を知っている映画の作り手と、そして私たち社会運動家は、現実の社会運動の中で宮崎監督と出会えれば、論議しながらその方途をさぐっていきたい。
この映画への政治的評価はさまざまあろうが、ぜひ劇場に足を運び、観てから、さらなる討論が深まればと思う。(M)


5面

1万人の審査請求を
生活保護基準引き下げに立ち向かおう

7月27日、生活保護問題対策全国会議の集会「生活保護基準引き下げ直前! 何が問題か? どう立ち向かうか!」が都内で開かれ170人が参加した。自立生活サポートセンター・もやい代表理事の稲葉剛さんの司会で、「生活保護基準引き下げの問題点:吉永純さん(花園大学)」「ゼッタイおかしい!生活扶助相当CPI(物価指数):白井康彦さん(中日新聞記者)」「当事者・支援者のリレートーク」「生活保護基準引き下げにどう立ち向かうのか:尾藤廣喜さん(弁護士、生活保護問題対策全国会議代表幹事)」という講演などがあった。
集会で、違憲訴訟を前提にした1万人の集団審査請求が提起された。私たちもこれに加わっていきたい。集会では以下のようなことが提起された。

引き下げが始まった

いよいよ8月から保護費の引き下げが始まった。
前国会で審議されていた生活保護法改悪案と生活困窮者自立支援法案は、保護申請書を渡さないなどの手口でおこなわれてきた「水際作戦」と呼ばれる不当な門前払いに合法性を与え、保護の入り口を狭める、とんでもない法案だ。これら法案は、参議院で審議中に問責決議が可決されたので、審議未了で廃案になった。
保護費の切り下げは予算の問題なので、法案とは関係なく開始された。2年半のうちに平均6・5%、最大10%(約2万円)、総額670億円が削減される。生活保護受給者にとっては死活問題だ。しかも、本来基準額を決める社会保障審議会の基準部会などでもどこでも検討されなかった「デフレ論」が厚労省の独断で持ち出された。
生活保護の切り下げは、政府の社会保障制度改革の突破口という位置付けがある。実際に最低賃金や住民税非課税基準、様々な制度の自己負担金の低所得者に対する減免制度に影響してくる。
そればかりか、社会保障制度改革国民会議で出された高齢者をはじめとする自己負担増、予算の大幅削減の露払いになろうとしている。小泉改革では福祉予算が毎年2000億円削減され、医療崩壊をはじめ大きな影響が出た。

デフレ論のインチキ

保護費引き下げのうち580億円は「デフレ論」が根拠となっている。これを算出したのは厚労省だが、極めて恣意的で、根拠のないものであることが明らかになっている。デフレと言っても、実体の大部分は、電化製品の大幅な値下がりに過ぎない。生活必需品は値上がりしてきた。厚労省が独自に編み出した生活扶助相当CPI(消費者物価指数)が実にでたらめなのだ。統計の用語で「ウエイト」という何をどれくらいの割合で購入しているかの指標がでたらめだ。年収100万円しかない人が、毎年4万2千円も電化製品を購入し続けているという荒唐無稽なストーリーだ。

CPIの「接続」

さらに問題なのは、生活扶助相当CPIの算出方法が厚労省独自のものだということだ。厚労省が、とくに物価の高かった2008年(以下「08年」)と物価の低かった11年を比較していること自体がおかしい。それを前提にしても、総務省という本家本元の計算方式では2・36%の物価の値下がりと出るところ、厚労省の独自方式では4・78%も物価が下がっていることになってしまう。
総務省のCPI計算方法は、5年ごとに基準年を決めて算出しているので、厚労省が算出の基準とした08年と11年を比較する場合には「接続」と呼ばれる換算をしないといけない。08年は05年を基準年、11年は10年を基準年としてCPIを計算している。指数は05年、10年をそれぞれ100として算出されているので、10年のCPIが05年基準ではいくらになるかを計算し、08年の指数をそこで得られた数字で割って100を掛けねばならない。これで、10年基準に換算した08年のCPIが出てくる。
この方式で実際に計算してみると、10年基準での08年の生活扶助相当CPIは101・9となる。これで、もともと10年基準である11年の生活扶助相当CPIと比較することが可能になり、実際の下落率が出てくる。11年の生活扶助相当CPIは99・5であり、下落率は2・36%である。この下落は、電機製品の値崩れが大きな要因となっている。

厚労省の独創的方式

ところが、厚労省は全く独創的画期的な方法を考え出した。この総務省の換算方法を取らず、08年の生活扶助相当CPIを計算するのに、10年基準で計算された個別品目の指数に、10年基準の個別品目のウエイトを掛け合わせ、合算したのだ。このような数字の操作をすると、総務省のやり方よりも大きな差が出ることが分かっている。普通統計は過去の指標に合わせることで一貫性を出す。厚労省方式では、08年からすると未来の指標に合わせるという、まったくおかしなことをやっている。
また、10年は地デジ化の影響があり電化製品の購入割合が取り分けても大きい。厚労省独自方式では、未来の割合(ウエイト)を未来を基準年にした数値に掛け合わせる。電化製品の購入割合が大きい10年のウエイトで計算したものだから、生活扶助相当CPIが跳ね上がって、厚労省の計算では08年は104・5となった。
この厚労省独自方式で4・78%の物価下落という数値を導き出した。全くでたらめなのだ。電機製品をほとんど買わない生活保護受給者が、電機製品のせいで不当に多くの保護費を削られるのは不合理そのものだ。

1万人の審査請求

この日の集会で、1万人の審査請求をしようという方針が出された。「1万人」というのは社会的にインパクトのあるものにしたいからだ。マスメディアが資本家階級の手先として生活保護バッシングをしているのに対し、社会的インパクトの強さで対抗しようというものだ。
実際、生活に大きな影響が及ぶ。それに対し、行政に対する不服審査を求める。却下されたら違憲違法を問う訴訟を起こす。朝日訴訟という裁判闘争で保護費の大幅改善を勝ち取ってきたが、それに匹敵する訴訟となる。
当事者からは、審査請求をしたら行政から不利益な扱いをされるのではないかという声が聞こえるが、そんなことはない。正当な権利の行使であり、弁護士・司法書士などの法律家が代理人として立ってくれる。また、生活保護の人に費用の負担は求めない。
大阪の訴訟ネットは、8月28日、午後6時から大阪弁護士会館で相談会を持つことを予定している。

私たちも加わろう

私たちもこの動きの一部として、1万人の審査請求、1千人の違憲訴訟めざして、加わっていこう。生活保護当事者はもちろん、友人知人に生活保護の人がいるという方はぜひ声を掛けてほしい。
7月末に渡された保護決定通知書をなくさないでほしい。審査請求の用紙などは、ネット上では生活保護問題対策全国会議のブログ上にあるが、それを打ち出せないという方は私の方に請求してほしい。郵送する。審査請求はまとめて行うので、審査請求書のコピー2枚に押印したものと保護決定通知書のコピー1枚を私の方に送ってください。〔高見元博〕

連絡・相談先(高見)
Eメール:gen1951@nifty.com
携帯:090―3054―0947 月〜金の午後4時から午後8時まで。
※連絡・相談いただければ、集約日と住所をお伝えします。

守れ!経産省前テント シリーズE
“経産省丸”転覆か?

テント明け渡し裁判第2回口頭弁論の当日、東京地裁前で抗議行動をする人たち

3・11東電福島第一原発の過酷事故に対する東電や政府の対応への批判や怒りが、民衆のさまざまな示威行動となって現われた。筆者も昨年6月〜7月の関電大飯原発再稼働に反対する現地行動に参加した。
しかし、こうした持続的な示威行動とはうらはらに、参院選後の国会の議席構成は、なんと原子力産業協会(原産協会)から多額の献金を受けてきた自民党の多数へと逆戻りした。戦後、旧軍閥・旧財閥・旧司法機構などとともに復活したのが、この原産協会の前身・原子力産業会議(1956年設立)であった。
司法権力は原子力産業に取り込まれ、その結果裁判所はあらゆる原発反対運動を封殺するように動いてきた。彼らは法廷を通して、反対運動を体制の枠組みへと囲い込もうとしてきた。あたかも怒れる狼を羊に変えてしまう牧場へと誘導するかのように。
この誘導に抗おうとするものは、警察権力によって今度は監獄へと連れ込まれるのだ。
たえず分断と分散の圧力にさらされている福島原発事故に対する強力な懐疑派の運動にとって、直接行動(経産省前を占拠!)を2年近くつらぬいてきた経産省前テントひろばは、既成の政党や運動体から独立した結集軸となってきた。

占有当事者の拡大を

そのテントひろばが、ついに裁判所送りとなったのが「立ち退き請求裁判」(3月29日提訴)である。抗議署名5133筆。抗議ハガキ(たんぽぽ舎企画・制作)8000枚以上。 7月22日の第2回口頭弁論には全国から傍聴希望者が3百数十人。大法廷でも、80人ほどしか傍聴できない。テントは、裁判所包囲デモという対抗戦術を鍛え上げようとしている。
裁判の日を、被告側はデモの日、すなわち法廷外抗議行動の日とした。裁判後の報告集会会場の弁護士会館大ホールは、人であふれかえった。テントひろば応援団の澤地久枝さんのお話は感動的だった。作家は3・11以降、極限状況の日本人を凝視していたのだ。 60年代以来の直接行動のサヴァイヴァー(生き残り)の数多くが集まるテントは、こうした閉塞状況から脱却する戦術を練り上げてきた。
そのひとつが占有当事者(被告)の拡大だ。現在、337人を超える。福島事故の被害者や被ばく労働者と連帯する「被告」団の拡充。さらに反核燃・反核兵器運動を推進する弁護団2百数十人。こうして権力側のルールを逆手にとって打開をはかる戦術が次々と編み出されている。
次回第3回口頭弁論(9月12日午後2時 東京地裁)には、500人の傍聴者を募集。前日の9月11日は、テント創立2周年。再び、原発稼働ゼロの祝祭日が来そうだ。
前号でも紹介したが、経産省側は占有者特定の写真で、まったくの別人を特定するというお粗末ぶり。経産省がこのような裁判の舵取りにうつつを抜かしている現在も福島第一原発事故の現場から大量の放射能が流出している。現在、36億5千万ベクレルという途方もない放射能が検出されている。(Q)

6面

軍法会議の研究
「命令に従わないなら死刑」 石破が発言

参議院選挙で自民党が圧勝し、憲法改悪・自衛隊の国軍化が現実味を帯びてきた。また自民党の石破茂幹事長が、4月21日放映の「週刊BS―TBS報道部」で「国防軍」命令に従わなければ軍法会議で「死刑」と発言していたことが明らかになっている。軍法会議とはいったいどのようなものなのか。日本での誕生の経緯、法的性格やその運用はどうなっていたのか。そして軍法会議の復活をねらう自民党の動きについて整理してみたい。

1.制定の経緯

日本における軍法会議の根源は明治維新翌年の1869年に発足した兵士に対する刑事裁判制度に遡る。1882年に、陸軍の東京鎮台に軍法会議を設置し、1883年軍法会議法の前身である「陸軍治罪法」を施行した(1884年海軍治罪法施行)。これは検察官を必要とせず、裁判官が捜査・取り調べ・審判をするという「糾問制」がとられていた。5年後に改正され、裁判所から独立した検察官が設けられた(弾劾制)が、1審終審制・非公開・非弁護はそのまま残された。

特別裁判所

1889年大日本帝国憲法が発布され、第60条に、「特別裁判所の管轄に属すべきものは別に法律をもってこれを定む」と、軍法会議は通常裁判所とは別の特別裁判所として位置づけられた。
大正デモクラシー期には、「(軍法会議は)軍人から市民権としての裁判権を剥奪する」として、廃止論が起こった。
1922年、陸・海軍治罪法が廃止され、陸・海軍軍法会議法が施行され、1947年日本国憲法施行まで有効だった。この時の法改定(新軍法会議法)によって、弁護人依頼権の保障、重罪事件における必要的弁護制度、軍法会議公開の原則、上訴権が保障され、制度上でも、法務官(文官)が裁判官の1席を占め、身分・地位が保障され、司法権の独立の要素が加わった。

臨時軍法会議の増加

対米太平洋戦争に突入する直前の1941年には、侵略先の裁判を進めやすくするために、臨時軍法会議の増加をはかり、1942年には、「統帥の要求」を反映させ、軍紀を維持するために、法務官を文官から武官(陸軍法務部将校・海軍法務下士官)に改めた。ここで、軍法会議(軍司法)は完全に上命下服の統帥下に入り、「司法の独立」「法の正義」が形骸化された。
さらに1945年、判士の欠員を補うために、判士を兵科将校だけではなく、他科将校から任用することを可能にした。特設軍法会議で、法務官が任命されていた予審官、検察官に兵科将校(法律の素人)を当てても可とすることによって、陸軍軍法会議は裁判の体をなさなくなり、「素人裁判」に変質していった。

2.法的な性格

軍隊は市民社会の一部を構成しているが、市民社会とは相容れない「社会」であり、人の殺傷を許さない市民法は人の抹殺を認める軍隊の規範にはなり得ない。したがって、強大な軍隊を持つ日本帝国主義には、軍隊の規範に則った法規範を必要とし、陸海軍刑法・軍法会議(法)が整備されていった。
市民による犯罪は市民法(刑法)への侵害として通常裁判所で裁かれ、軍人による犯罪は陸海軍刑法への侵害として特別裁判所(陸海軍軍法会議)で裁かれた。特別法(特別裁判所)は他の同格の法(通常裁判所)に優先適用されるので、戦後新憲法のもとでは、特別裁判所(軍法会議)は禁止され、自衛隊員による犯罪も通常裁判所(刑法)で裁かれる。

俘虜、現地住民も対象

軍法会議は軍隊を成立させるのに不可欠な「軍紀の維持」「軍隊指揮権を強固に維持し、指揮命令系統を守ること」を終局的な目的として設置された。したがって、軍人・軍属・召集中の軍人だけではなく、俘虜、現地住民をも対象とした。
軍法会議には、常設軍法会議(高等軍法会議、軍軍法会議、師団軍法会議)と特設軍法会議(合囲地軍法会議、臨時軍法会議)がある。前者は2審制、公開裁判、弁護人をつけることを原則としたが、後者は1審制(始審であり終審)であり、裁判は非公開でかつ弁護人も付されなかった。

兵士の人権軽視

特に、臨時軍法会議はわが国の裁判権の及ばない海外の戦地において作戦を展開する軍隊にその規律保持の目的で設けられた。しかも、派遣部隊が法務官を伴っているとは限らず、また、軍事作戦を優先させ、迅速な裁判のために裁判官の任免や除籍回避(資格剥奪)の規定、書面の形式等の要件を緩和しており、裁判を非公開とし、弁護人を付さないものにして、兵士の人権を軽視した。

3.実際の運用

軍法会議で審理された著名な事件としては5・15事件(1932年)や2・26事件(1936年)があるが、ここでは第七連隊赤化事件(1930年)を取り上げてみたい。

第七連隊赤化事件

反戦川柳作家の鶴彬は1930年1月に第七連隊(金沢)に入隊した。鶴彬(つる あきら)は日本共産青年同盟の機関紙「無産青年」を隊内に持ち込み、配布した。その年の秋に、「第七連隊赤化事件」(治安維持法違反)で逮捕された。
金沢城内に本部がある第九師団の衛戍(えいじゅ)拘禁所に収監され、常設軍法会議で審理された。検察官は竹沢某、裁判官には坂口法務官と渡砲兵中佐が任命され(もうひとりいるはずだが不明。九師団長かもしれない)、弁護人には労働党顧問神道弁護士代理、谷村弁護士と益谷弁護士がついた。

一般傍聴を禁止

1931年5月15日に第1回軍法会議が開かれた。法廷は公開され、傍聴席は立錐の余地なく埋まり、2人の弁護人が熱弁をふるった。審理の途中で、裁判長が「安寧秩序を乱し、軍隊の発達を阻害する恐れあり」として、一般の傍聴を禁止した。
翌16日、竹沢検察官から懲役2年6ヶ月を求刑された。6月13日の軍法会議で懲役2年(未決通算150日)の有罪判決がおりた。判決後、鶴彬は大阪衛戍監獄に移送され服役し、1933年1月に原隊復帰し、12月に除隊した。衛戍監獄では寒中水風呂などの虐待を受け、鶴彬の身体はぼろぼろになっており、5年後の1938年9月、東京野方署で獄中死(29歳)した。

4.軍法会議の復活

 

自民党の改憲草案には、憲法9条を変更して自衛隊を「国防軍」にすることが明記されている。それに伴い、国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている特別裁判所(軍法会議)の設置が盛りこまれている。

石破発言

4月21日放映の「週刊BS―TBS報道部」で、石破茂幹事長は「(戦地への出動命令に)従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年」(7月16日付東京新聞)と発言した。
軍法会議は、自衛隊が他国を侵略し、合囲地などで攻撃にさらされ、部隊が崩壊の危機に直面するときにこそ必要としている。すなわち、軍法会議の目的は対外侵略戦争で、出動を拒否する自衛隊員に、「死刑だ」「懲役300年だ」と脅しをかけて、軍紀を守らせることにあるのだ。
軍法会議は侵略の軍隊にこそ必要なシステムであるが、合囲地などでは、結局は「統帥の貫徹」が優先され、「法の正義」は押しつぶされる運命にある。

軍法会議以前

しかも石破幹事長は「公開の法廷ではない」とだめ押しをしているが、これは戦前の軍法会議をも飛び越して、「治罪法の時代(1921年以前)」に逆流させる暴論である。安倍首相や石破幹事長のような自民党に日本(世界)の未来と自衛隊員の安全を任せることはできない。〔田端登美雄〕

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