未来・第133号


            未来第133号目次(2013年8月6日発行)

 1面  農地奪う不当判決
     市東さん、反対同盟が闘争宣言
     7月29日 千葉地裁      

     オスプレイはいらない
     岩国市民大集会に1200人
     7月28日

       2面  安倍政権の「雇用改革」と労働運動の課題
     〜働き方を激変させる「限定正社員」〜

     参院選の結果とわれわれの課題

 3面  オキュパイ大飯弾圧で不当判決
     裁判所が再稼働を支持
     7月17日 福井地裁

     守れ!経産省前テント シリーズD
     脱原発運動の鍵を握る

     汚染水を河川に投棄
     事件の真相と除染の実態
     南相馬市

 4面  沖縄闘争の新たな発展のために
     ―被差別・被抑圧人民への敵対を深める安田派―

 5面  投稿
     南労会闘争 勝利報告集会
     地域の仲間と共に22年      

     投稿
     日本軍「慰安婦」問題の解決求め
     大阪・梅田で水曜デモ

     “地域で生きる”テーマに学習
     「精神障害者」が生きる上での障壁を取り払おう
     大阪府 高槻市

 6面  寄稿
     沖縄から日本を問う(3)
     〜沖縄、ヒロシマ・ナガサキ、福島〜
     知花 昌一      

     米軍Xバンドレーダー建設問題
     京都府に反対を要請

     夏期特別カンパのお願い

       

農地奪う不当判決
市東さん、反対同盟が闘争宣言
7月29日 千葉地裁

市東孝雄さん(写真中央)を先頭に千葉地裁に向けてデモ行進する反対同盟、顧問弁護団、支援団体(7月714日 千葉市内)

不当判決、仮執行粉砕」の垂れ幕を持って、支援者が千葉地裁玄関に走って出てきた。市東孝雄さんは「仮執行はつけられなかったが、反動判決だ。明日から新たなたたかいにがんばる」、と、決意をのべた。
7月29日、市東さんの農地法裁判判決日。千葉地裁・多見谷裁判長は、農地法にもとづいて農地明け渡しを命じるという、本末転倒の反動判決を下した。
不当判決弾劾
(7月29日 千葉地裁)
判決は「NAAは、市東さんとの間の賃貸契約を同意なく解約できる。すべての建物の撤去と土地の明け渡しを命じる」という、不当きわまりないもの。判決確定前に強制執行ができる「仮執行宣言」は出せなかったが、空港を阻止し続けている市東さんの農地を暴力的に取り上げるという反動判決だ。
判決後、ただちに千葉市中央公園から市民会館まで判決弾劾のデモ。市民会館では支援を前に声明。萩原さんが「東京高裁へ攻めのぼる」と決意を述べた。
判決に先立つ7月14日、三里塚反対同盟は千葉市内で全国総決起集会を開催した。【7月14日の集会での発言要旨は下段に掲載】

判決迎え撃つ
市東孝雄さん

2006年10月、空港会社は私が全然耕作していないところを不法耕作だといって訴えました。成田市農業委員会は成田空港のためならフリーパスです。千葉県は、「私が耕している場所はちがうから調べてくれ」と言っても、全然耳をかたむけませんでした。
誠実さなんてどこにもない。これで、90年近くも農地を守っている人間が納得できますか。
この畑は有機のビロードの土だといわれますけど、その土地をコンクリートにするということは私に死ねということです。自作補償1億8千万円を提示してきましたが、土地だって肥沃な黒土になるには何十年もかかる。金を出せばいいってもんじゃない。金よりも大事なものは一杯あるんです。
沖縄では基地、そしてオスプレイ。福島では原発。そこで働かざる得ないような状況に人を追い込んでおいて、「国策としての公共事業」を進める。そういう汚いやり方を私は絶対に許すことができません。
私の畑は6割とられてしまいます。それを真剣に考えると本当に大変なことです。「自作補償」というのは農業をやめてそこから出ていけということです。強制と一緒です。空港会社のやっていることは尋常なことではないです。
社会を本当に変えていく力は誠実に働くもののなかにあると思います。判決は予断を許しません。仮執行宣言や不当判決を許さず、迎え撃つ決意で判決に臨みます。

農業の未来をかけて
萩原進さん

市東さんは今、明日にでも農地を奪われるかもしれないという状況の中にいます。戦後の歴史の中でもこのように大規模な収用事件はありません。農地や海や川や山は、権力であれ誰であれ、勝手に侵すことはできません。
新東京国際空港の当初案は富里、八街(やちまた)案で9割方決まっていました。今でも日本であれだけの農地を持った恵まれた農家は他にはありません。その農家三千戸をつぶして空港を作るといわれた時に、当時の自民党の友納知事はぶるってしまった。当然、富里や八街の農民も猛反対したため、計画が半分になって三里塚に不時着したのです。なぜ三里塚かといえば、農家は戦後開拓農民。これはアメとムチを持ってすればつぶせるという愚弄したやり方です。しかし50年前には自民党の知事でも「日本でも誇れる肥沃な農地をつぶしてはいけない」という考えが心の片隅にあったのです。それがいまやTPPに象徴されるように農民がどんどん離農し、廃村化するような状況です。
これをどうするのか。やはり闘いぬいてかちとった権利を守り抜き、拡大し強化することです。その権利を主張しているのが三里塚闘争です。
市東さんは、安全で新鮮な野菜と闘いを通して400戸1200人の消費者とのつながりを築いています。その畑の6割を奪われようとしています。規模の縮小とか、生産性を上げるというわけにはいきません。土と大地、天候を鑑みながら作っていくのが農家の仕事です。「農地を奪われるのと労働者が首になるのと同じじゃないか」と言われればたしかに論理は同じだが、もっと深いところがあるんじゃないのかというのが私の意見です。大地を本当に大切にし、人間が生きるためにそれを誰にも侵させないという立場が重要です。闘う人たちにそこから生まれてくる食べ物を供給して、一緒に闘っていく。そういう構図が大事だと思います。そのことを実践している市東さんの農地の取り上げは、これからの日本の農業あるいは一次産業そのものを決するような事態だと思います。このことを心に強く深く刻み込むものとして本日があるんじゃないでしょうか。

オスプレイはいらない
岩国市民大集会に1200人
7月28日

降りしきる雨をついて岩国市中心部をデモ。「オスプレイはいらない!」の声が響き渡った(7月28日)

7月30日、MV22オスプレイ12機の米軍岩国基地(山口県)への陸揚げ強行に対して、基地周辺で抗議の市民行動がたたかわれた。これに先立つ28日、岩国市役所前公園で「オスプレイ追加配備抗議/沖縄配備・低空飛行訓練反対7・28市民大集会が開催され、1200人が参加した。

知事・市長は反対を

集会では、実行委員会を代表して〈瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク〉共同代表の桑原清さんがあいさつ。
桑原さんは、「参院選では自公が過半数を占めたが、私たちは安倍首相に白紙委任状を渡したわけではない」とオスプレイの追加配備に断固たる抗議の意志を表明した。またオートローテーション機能を欠如し、予期せぬ気流に対応する安全装置がないなどのオスプレイの欠陥を指摘。
日本政府が昨年9月に出したオスプレイの安全宣言に対しては「これは日米合同委員会の合意事項が守られていることを前提に出されたもの。実際にはヘリモードは基地内にかぎるなどの合意事項はまったく守られていない。日本政府の安全宣言はすでに破綻している」ときびしく批判。
岩国基地を拠点として日本全土で危険な低空飛行訓練がおこなわれようとしていることに警鐘を鳴らし、「傍若無人な米軍を許さない世論を作りあげよう」と訴えた。
最後に、国の言いなりになっている山口県や岩国市を「住民の生活を守る地方自治体として許されるのか。今からでも遅くない。知事・市長はきぱっりとオスプレイ反対の意志を表明すべし」とただした。

怒りのパフォーマンス

来賓のあいさつに続き、集会アピールを〈住民投票の成果を活かす岩国市民の会〉大川祈さんが読み上げ、大きな拍手で採択された。
集会の最後は「怒りのパフォーマンス」。集会参加者全員が赤地に白く「怒」と染め抜かれたうちわをかかげ「オスプレイ追加配備反対!」「オスプレイは沖縄にも岩国にもいらない」「全国どこにもいらない」と力強く唱和。
岩国駅前まで長いデモが続いた。

2面

安倍政権の「雇用改革」と労働運動の課題
〜働き方を激変させる「限定正社員」〜

警告が現実に

「参院選挙後、サラリーマンの働き方は大きく変わるかもしれない。転職が当たり前の社会を選ぶのかどうかが問われているからだ」「雇用ルールを改めれば、条件の良い職につける可能性がひろがるという。だが、転職しやすい社会は、転職を迫られる社会と裏腹だ」(7月13日付、朝日「公約を問う9」山本和弘記者)。
今次参院選の隠れた争点・公約は実は雇用問題であった―「解雇規制緩和」(自民・公明・維新・みんな)か、「人間らしい働き方」か、である。いま山本記者の警告が現実になろうとしている。

解雇自由を盛込む

参院選の結果をうけて、安倍政権「労働・雇用改革」の全容が明らかになってきている。雇用破壊の全体像が姿を現しはじめた。
いわゆる三本目の矢=「成長戦略」と「工程表」の実行である。日本再生本部ー産業競争力会議、規制改革会議などの夏の各種会議をへて、秋の臨時国会と来年の通常国会を「成長戦略実行国会」と銘打ち、「産業競争力強化法案」「成長力強化法案」の今秋成立をめざしている。その核をなすのが「雇用の規制改革」である。それは「雇用についても成熟産業から他の分野に人がスムーズに移っていけるよう仕組みを整える」(7月4日、日本記者クラブ党首討論での安倍発言)というものだ。

7月26日付日経新聞朝刊は、政府が「国家戦略特区」の検討に入ったことを伝えた

長谷川レポート

以上の論議の重要な舞台となっているのが産業競争力会議である。これは安倍が議長をつとめ、竹中平蔵(慶大教授)、三木谷浩史(楽天会長)、新浪剛史(ローソン社長)など新自由主義を信奉する財界人、知識人らでつくる政府内会議だ。同会議で、戦後の労働法制を根本的に否定する法案をつくろうとしている。ここに安倍改憲政権の政治手法を見て取れるだろう。
そこで「雇用問題」をめぐる議論の基調となっているのが3月15日の第4回会議に提出された長谷川閑史(やすちか)のレポートである。長谷川は、武田薬品工業代表取締役社長で経済同友会・代表幹事をつとめ、この間、政府に新自由主義的な規制緩和策を提言してきた人物である。
このレポートは長谷川が主査をつとめるテーマ別会合「人材力強化・雇用制度改革」(副主査はローソン社長の新浪)が会議に提出した資料である。その中で注目すべきなのは「雇用制度改革」という項目だ。
以下にその内容を暴露するが、それはユニクロやワタミなどのブラック企業を日本企業のスタンダードにするというものである。

1.「人材の過剰在庫」

@生産性の高い産業への労働力移動を促進、A正規雇用の雇用が流動化すれば、待機失業者が減り、若年労働者の雇用も増加し、正規雇用と非正規雇用の格差も埋められる、B現状は人材の過剰在庫。現行規制下で企業は、雇用調整に関して「数量調整」より「価格調整」(賃下げ、非正規化)に頼らざるを得なかった、Cこれからは自らの意志で積極的に動く人を後押しする政策を進めるべき、というのである。
現状を「人材の過剰在庫」(!)と呼び、その数量調整=追い出しをすすめるというのである。まさに、雇用を在庫扱いで処分しようというのである。

2.「解雇ルール」

@雇用維持型の解雇ルールを世界水準の労働移動ルールに転換する、A再就職支援金、最終的な金銭解決を含め、解雇手続きを労働契約法で明確に提起する、B雇用調整金を基本的に廃止し、その財源をもって人材移動を支援する制度に切り替える、Cハローワークを民営化する。
解雇の金銭解決(涙金で首切り)を制度化し、いままで解雇回避措置としてあった雇用調整助成金(休業手当を政府が補填)を廃止し、再就職(=転職)支援金をつくり、雇用保険制度もなくしてしまおうとしている。それを「人材移動支援」というのである。また、就職案内もビジネス化・有料化(民営化)して食いものにしようとしている。
これを「失業なき労働力移動」と呼ぶのだ。こんなものは世界水準でもなんでもない。解雇自由で失業大国化へ向かう米国水準である。

3.限定正社員の導入

「多様な働き方を差別なくみとめる(画一的な正社員中心主義を改める)」として「限定正社員」の導入が提言されている。
@「自己管理型の業務」「在宅勤務」に応じて労働時間規制を緩和、A裁量労働制の総労働時間規制(深夜・休日残業の割増、上限規定)の適用解除化、B多様な労働契約(3年超の有期雇用、地域限定、職種限定、プロジェクト限定)など自由化、C過剰な派遣労働規制、有期雇用規制(30日以内派遣禁止、付随業務扱い、有期雇用の無期転換規定など)の見直し、D研究者等を対象とした労働契約法(雇止め問題)特例法を含めた対応。
正社員を期間限定、研究限定・・・という形で選別して「再雇用」し、労働者全体をいつでも転職=解雇に追いやることが可能な状態に置こうというのである。裁量労働(何時間働いたかに関係なく、最初に決めた賃金しか支払わない)の拡大は残業代ゼロそのものである。その他に「若者・女性・高齢者の雇用・活躍の推進」「外国人の活用」が強調されているが、総じて非正規雇用のスタンダードにしようというものである。

国家戦略特区

この間の報道で、政府は国家戦略特区を設けて、以上述べた解雇自由の雇用制度を先行させ、それをえさにブラック企業を誘致しようとしていることが明らかになっている。これが安倍政権の成長戦略なるものの正体だ。
現行法では、労働者を守るために解雇制限の規定が設けられているが、特区ではこれを取っ払ってしまおうというのだ。これが実現すれば、「追い出し部屋」を設けたり、無理に配置転換する必要もなくなる。労働者に何がしかの金を払えば、簡単にお払い箱にできる。竹中らは、これらを「日本の景色を変える」と言っている。

階級闘争の再開

安倍政権は、グローバル資本家政府(政治的資本)として、参院選の「勝利」と「成長戦略」をテコに労働者民衆に襲いかかろうとしている。労働現場は資本の完全な支配下におかれ、労働者どうしの競争と選別の場に変えられる。それは地域社会が、単に「お金を稼ぐ」場に変えられるということだ。「人とつながり、居場所をつくる」(前述、山本記者)場であり、「連帯場」である職場、地域社会が破壊される。
労働運動は、いままでのあり方の転換が問われている。新自由主義を採らない選択肢をもち、地域と社会の柱が労働の現場であるという立場から労働運動を立て直す観点が問われている。「健全な市民感覚」(西谷敏氏)と使命共同体の価値観にたった社会運動的労働運動という「階級闘争」の再開が求められている。(森川数馬)

参院選の結果とわれわれの課題

7月21日投開票の参議院選挙では、わたしたちが推薦した山シロ博治候補(比例代表選挙)は、11万2641票を獲得したが、健闘およばず惜しくも落選した。今回の選挙で山シロ当選に向けてご協力いただいたすべての皆さんに、改めて感謝の意を表するとともに、次期国政選挙においては必ず真の民衆の代表を国会に送り込むため、ともにたたかうことを訴えたい。
今次参院選は事前の予想にたがわず、自民党が大勝する結果となった。自民党の得票数は前回参院選と比べて比例区で438万8733票プラス、得票率で10・61ポイントアップした。
しかしこれは、日本の民衆が安倍政権に対して信認を与えたわけでは決してない。そのことは52・61%という投票率の低さにも表れている。これは戦後3番目の低さである。04年に期日前投票が導入されて以降、投票率は年々増加してきたにもかかわらず、このような低投票率という結果になったということは、民衆の既成政治に対する失望感の巨大さを示している。その最大の原因は政権交代後の民主党政権の裏切りである。民主党は比例区で実に1131万5924票も減らしている。民主党の大敗が相対的に自民党を浮上させたに過ぎない。
朝日新聞の出口調査はアベノミクスを評価するという回答が69%で、評価しない24%を大きく上回っていたことを伝えている。しかし、圧倒的な民衆は「景気回復」の実感を持っていない。

政権基盤は脆弱

今回の選挙の特徴は、沖縄以外の選挙区で軒並み投票率が低下していることと、東京の山本太郎さんや東京、大阪、京都の共産党候補の勝利など大都市圏において安倍政権に対する批判票が伸長していることである。たしかに今度の選挙で自民党は「ねじれ国会」を解消した。しかしその政権基盤は極めて不安定であることは明らかである。
決定的なのは、沖縄選挙区の糸数慶子さん(沖縄社会大衆党)の勝利である。自民党はかつてない「総力戦態勢」でこの選挙に臨んだが、沖縄人民の日本政府への強い怒りがそれを凌駕したのである。
安倍政権は、日米同盟再編を完成させる集団的自衛権の行使容認にむけて日米ガイドラインの見直しを進めようとしている。これを水路に憲法9条改悪に進もうというのが安倍政権の戦略だが、同盟再編の要である沖縄米軍基地問題で早くも頓挫した。
それだけではない。福島原発事故の収束作業、原発再稼働、消費税増税、TPP、雇用制度改革などをめぐって民衆の怒りは幾層にも堆積している。政権基盤を揺るがす巨大な大衆運動の実現に向けて奮闘しよう。

3面

オキュパイ大飯弾圧で不当判決
裁判所が再稼働を支持
7月17日 福井地裁

7月17日、オキュパイ大飯の闘いに対する弾圧である川崎二男さんの判決公判がひらかれた。地元の福井県や関西をはじめとして全国から支援者が福井地裁に集まった。
この日、福井地裁は、傍聴者のTシャツに「再稼働反対」のロゴが入っていることを理由に入廷を拒否するという反動的対応にでてきた。被告の川崎さんも同じTシャツを着用していたが、彼はそのまま入廷した。

被告不在で判決

ところが開廷直前になって廷吏が裁判長に、被告人が「再稼働反対」のロゴ付Tシャツを着用している旨報告したため、裁判長は川崎さんに「再稼働反対」のロゴを別の着衣で隠すか、Tシャツを脱ぐように要求した。川崎さんはこの理不尽な要求を拒否。
この裁判では、これまで川崎さんは一貫して、このTシャツを着用して裁判に臨んできた。そのことを裁判長も認識していたはずだ。5月24日の結審まで、Tシャツにかんする裁判長からの法廷警察権発動はなかった。ところが、判決公判になって、突如として法廷警察権を発動して川崎さんを退廷させ、被告人不在のまま判決文を朗読するという暴挙を強行したのである。
「再稼働反対」のロゴ入りTシャツに対しては、大阪地裁でおこなわれている関電前「転び公妨」弾圧・Aさんの公判でも廷吏・裁判長が一致して入廷を拒否する法廷警察権発動をおこなっている。最高裁事務総局が全国の裁判所に一斉指示を出している可能性が高い。だとすれば最高裁は、安倍政権の原発再稼働を積極的に支持することを表明したに等しい。

判決文は矛盾だらけ

この日の判決は、「懲役2年、執行猶予4年、未決算入50日」という不当なもの。最大の罪状とされている「傷害罪」の実態は、検察側証人の医師ですら「治療の必要がない」という「全治2週間の火傷」である。そもそも「罪」に問うことが妥当かどうかが検討されるべき事案なのだ。判決では、「発煙筒の火炎温度が約900℃にも達する」という検察側の実況見分調書のデータを有罪の根拠としているが、本当に900℃の火炎を警備員に押し当てたならば「全治2週間の火傷」で済むはずがない。判決はこうした論理矛盾を平気でおこなっているのだ。
この不当判決は、何が何でも川崎さんを「有罪」にするという日本帝国主義・国家権力の原発再稼働推進の意志をあからさまに反映したものだ。川崎さんは直ちに控訴手続をおこない、この反動判決を粉砕することを宣言した。控訴審の闘いで、この反動判決を粉砕しよう。

守れ!経産省前テント
脱原発運動の鍵を握る

東京地裁は明け渡し請求を却下せよ(7月22日、経産省前テントひろば)

7月22日、東京地裁で、脱原発テント裁判・第2回口頭弁論が開かれた。前回は、30名足らずしか傍聴できない小法廷だったが、そこに多くの傍聴者が押しかけ、法廷前の廊下に坐りこんだこともあって、裁判所も今回は大法廷を準備。しかし、この日は傍聴のため駆けつけた人の数がさらに増え、330人。
傍聴できなかった2百数十人は地裁前で抗議集会。そしてこの間、法廷では傍聴者もびっくりするドラマが進行していた。

まったく別人の写真

この裁判は、脱原発テントを不法占拠として、国が立ち退きを求める訴訟だが、問題は、誰が占拠しているかということ。国・経産省もテント前に監視カメラを設置するなどして調べたのだろうが、要するに福島の女性たちを含む、脱原発を願う全国の無数の人びとによってテントは2年近く支えられてきたので、占有者を特定できない。結局、今年3月の訴状では、正清太一、淵上太郎という、経産省とのやりとりの文書に署名した2名を被告としたのだ。
ところがこの日の裁判では、この2名の「被告」のうち、経産省が東京地裁に出した文書に添付した写真で正清と断定している人物は、実は全く別人のAさんであることが暴露された。
弁護団がこの事実を指摘すると、予め傍聴席の最前列に座っていたAさんが、写真と同じ服装・帽子で起立、裁判長があわてて「坐りなさい」と叫ぶが、写真の人物が被告席に坐っている正清さん本人とは全く別人であることは明白。裁判長もうろたえ、国・原告側が顔面蒼白となる中で、弁護団が「これは訴訟の根幹に関わる。国は直ちにこの訴訟を取り下げろ」と追及するなかで、法廷は時間切れとなった。

私たちは諦めない

裁判後の報告集会が弁護士会館で開かれたが、会場は超満員。
河合弘之弁護団長は冒頭、「今日傍聴した人、手をあげて」「傍聴できなかった人は?」と問い、多くが傍聴していないことを確認して、「じゃ、もう一度やるね」と正清、淵上両被告とAさんを壇上に上げて法廷を再現。正清、Aさんの2人を指さし、「この2人似てる? 違うよね。こんなの間違えるなんて、ベントを開けるのと閉めるのを間違えるのと同じ。経産省に原発なんか任せられないよ」と言って会場を沸かせた。
報告集会では、さらに弁護団副団長の宇都宮健児氏のドイツと日本の司法を比べ、「日本の裁判所を変えるのもテント裁判の役割」という話、さらにテント応援団呼びかけ人の澤地久枝さんの、福島の厳しい現状に触れ、テントの意味は「私たちは諦めない、忘れないということ」という話などを受けて、今後の闘いへの決意を固めた。
参議院選での安倍自民党の圧勝の翌日、この日の参加者は、怒り、悔しさを分かち合う仲間を求めて集まったという側面もあるだろう。福島の事態はますます深刻化し、原発再稼働情勢はいよいよ切迫している。脱原発運動の一つの重要なカギを、経産省前テントとテント裁判が握っている。
次回、第3回口頭弁論は9月12日、テント設立2周年の翌日である。(田中太郎)

汚染水を河川に投棄
事件の真相と除染の実態
南相馬市

福島県南相馬市小高(おだか)区で行われていた除染モデル事業で、洗浄によって出た汚染水を河川に投棄していたという重大事件が報道された(7月12日付で共同通信が配信)。
現場は南相馬市小高区の金房小学校とその周辺。そこでおこなわれた除染モデル事業(11年12月〜12年2月に実施)を請け負った東京の中堅ゼネコン「日本国土開発」は、高圧洗浄で出た汚染水を処理プラントに運ばず、側溝に次々と流していた。また、住宅塀の洗浄作業で出た汚染水が側溝から近くの飯崎(はんざき)川に流れ込んでいた。
投棄された汚染水の総量は、日本原子力研究開発機構(以下、原子力機構)の南相馬市に対する説明では609トン。そのうち検出限界値以下でそのまま排水したものが179トン。セシウムが検出されたものは430トンで、これについては沈殿や吸着などの処理をして暫定基準値以下にしてから排水したという。

原子力機構が反論

共同通信の報道を受けて同日、原子力機構・福島技術本部は、「除染水の管理については、排水に関する基準がない状況下において、当時の暫定基準値であった200ベクレル/リットルを参考に、自主的な管理基準値として管理した。これは何ら法令に違反するものではなく、妥当なもの」 であると反論している。
それでは実際の除染現場では何が行われているのか。除染モデル作業に当初から従事してきた木幡さん(仮名)に現場の実情を聞いた。以下は、木幡さんの話の要約である。

建物にたいする高圧洗浄。洗浄水はそのまま流されている。(写真は2012年12月、飯舘村で撮影)

「ゼネコンはみんなやっている」

汚染水を流すというのは、ゼネコンはみんなやっている。
とくにモデル除染では、やたらと高圧洗浄をやっていた。それで出た水は側溝に貯めて、あとで回収ということだったが、実際にはやっていない。除染に使用した機材を川で洗うということもやっている。
会社も問題だが、基準自体がいい加減だ。排水の基準がない。とりあえず当初は200ベクレル、特措法ができて90ベクレルというが、基準はないに等しい。
国の基準だと、1キログラムあたり1万ベクレル以下は汚染ではない。スクリーニングの基準も、1センチ平方メートルあたり40ベクレル、1平方メートルで40万ベクレル以下ならオーケーだ。
南相馬市小高区ではインフラ工事も始まっているが、土の汚染のことなんか全然関係なしだ。本当はものすごい汚染があるのに、普通の土木工事としてやっている。

問題は国・原子力機構

それに、モデル除染の委託を受けている原子力機構は、国となあなあの関係だ。今回の問題も、根本から管理し直さないと、一企業のレベルの問題じゃない。
県も市も、この事件では原子力機構に対して一応は物申すだろうが、それが全域の問題になって、除染が進まなくなると困るから、これもなあなあで終わりだろう。
結局、いい加減な基準で、成果も上がらない除染を続けてどうなのかという問題だ。今のようなことをやっていては、のれんに腕押しというか、砂漠に水を撒くというか、要するに無駄ということだ。悔しいけど、一作業員の力ではどうにもならない。
申し訳なさそうに語る木幡さんだが、自身も被災者だ。

矛を収めた南相馬市

南相馬市は、原子力機構に対し、「事前に説明がなかった」という手続き上の問題を指摘しただけで矛を収めた。
「きれいにしますよ」と言って請け負っておきながら、汚染物質をその辺りに捨てるという行為が、国や原子力機構やゼネコンによって行われている。これは、一般常識では罪に問われるべき行為である。謝罪し、除染を中止し、受け取った費用は全額返済するということが、当然の対応ではないだろうか。(請戸耕一)

4面

沖縄闘争の新たな発展のために
―被差別・被抑圧人民への敵対を深める安田派―

2012年9月9日、オスプレイに反対する沖縄県民大会(宜野湾市海浜公園)には10万1000人が参加。この沖縄県民の総意を日本政府は踏みにじり続けている。

21世紀革命を展望し、沖縄闘争の新たな発展を切り開く日本労働者階級・人民、沖縄人民の闘いに対して、明確な疎外物として登場しているのが今日の安田派である。安田派は07年に発表した「7月テーゼ」を持って、被差別・被抑圧の課題を自らの課題として引き受けて闘うことを放棄した。今回は、4月8日付『前進』2579号に掲載された沖縄県委員会論文を反面教師として批判し、沖縄闘争の発展とその勝利に向けた一助としたい。

1.沖縄闘争を全否定

この革共同沖縄県委員会論文は「4・28―5・15沖縄闘争のために 4・28政府『記念式典』を弾劾し労働者国際連帯を貫き闘おう」という見出しで、一応4〜5月沖縄闘争への呼びかけという体裁をとっている。しかしこの論文のキーワードは「新自由主義と闘う労働者階級の国際連帯闘争としての沖縄闘争」であり、「国際連帯闘争」を闘うことが「沖縄闘争」だというものでしかない。それはこれまでの沖縄闘争や沖縄問題の本質をすべて捨て去った、沖縄闘争を全否定する論文になっている。

沖縄の苦闘を無視

第一に、日本帝国主義の戦前・戦後一貫した歴史的構造的差別政策との闘い、現在の沖縄人民の根源的な怒りや苦闘にまったく触れようとはしない。
第二に、「安保・沖縄闘争を闘おう」と言いながら、日米同盟論批判や日米安保体制への闘いや言及もなく、米軍・米兵=「制服を着た労働者」との国際連帯が重要と主張するのみである。
第三に、沖縄労働者の闘いについても、過去の全軍労の闘いを回顧するのみで、新たな沖縄人民の闘いを切りひらいた昨年の「普天間基地全ゲート封鎖」の闘いや、辺野古・高江新基地建設阻止の闘い、オスプレイ配備強行に対する闘いについては一言も語らない。それぞれの闘争現場で連日、汗を流し苦闘する沖縄人民にまったく心を寄せようとしないのだ。
「基地労働者の決起こそ核心」とのみ語り、「求められていることは、戦後沖縄の闘いの総括とその歴史的飛躍である」と、このセンテンスは結ばれている。しかし、総括の中味は一切ないのだ。

日米安保を免罪

第四に、「新自由主義とたたかう沖縄闘争」という主張である。それは「沖縄闘争と国鉄闘争」の「歴史的結合」が「新自由主義とたたかう沖縄闘争」という「新たな地平を切りひらいた」というものだ。つまり彼らは国鉄闘争=「動労千葉防衛」の闘いが沖縄闘争そのものだといっているのだ。
また、沖縄の米軍基地の問題を、「全世界の労働者階級人民を分断支配する『要石』」という点に集約し、沖縄闘争を「この分断を打ち破る闘いとして闘われてきた」と一面化する。そこから沖縄闘争の担い手を「沖縄と日本の労働者階級、同時にアメリカの労働者階級、アジア全世界の労働者階級」と一般化・平板化することで、帝国主義本国人民と植民地・従属国人民とのあいだの歴史的今日的な差別・抑圧構造の一切を捨象するのだ。これでは、日米安保体制が果たしてきたアジア・中東のみならず、それこそ全世界の労働者階級・人民に強制してきた侵略と戦争の歴史を免罪するものでしかない。

沖縄闘争の「払拭」

第五に、結論として「労働者国際主義の復権へ」をかかげ、あらためて「沖縄闘争」の「沖縄的あり方」の払拭が強調されていることである。
沖縄独立論は日帝の沖縄にたいする差別・抑圧が強権的かつ露骨にのしかかってくる時に、沖縄人民の内部からくり返し台頭してきた。日帝の沖縄にたいする差別・抑圧という本質的関係が「『本土』=日本」の沖縄にたいする関係として現象してくる中で、沖縄人民の自己解放的要求が沖縄独立論として台頭してくることは、ある意味で必然であるといえる。われわれはまずこのことを当然のこととして受け止めなければならない。
しかし、沖縄人民が歴史的な解放を実現していく過程で、独自の国家を形成することがあったとしても、それが究極の目標ではない。なぜなら沖縄の解放は帝国主義の抑圧構造の根底的な粉砕=国家そのものの廃絶へと向うものだからである。
安田派はこうした点をまったく無視し、全否定する。「自立論」「反復帰論」「構造的沖縄差別論」を「独立論の亜流」として口汚く罵っている。彼らは沖縄独立論を「帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制(国際プロレタリアートの分断支配)と一体の思想だ」と言って批判したつもりになっているようだが、これこそ典型的なスターリン主義による民族抑圧の思想そのものではないか。
さらに、彼らは「だから『沖縄独立論』は直接には本土の労働者階級への不信を語るのだが、実は沖縄労働者階級への不信と一体なのだ」「沖縄と本土の労働者階級の分断を積極的に組織するということは労働者国際主義の否定であり、帝国主義とスターリン主義への屈服と投降にほかならない」という。
この文章の筆者は、日本帝国主義による戦前の沖縄支配のあり方、戦後の日米安保体制下の苦難の強制、その一体である戦後憲法からも切り離されたことへの沖縄人民の怒りにまったく心を寄せようとしていない。「侵略する側と侵略された側」や「差別と被差別」の立場の違いを明らかすることは、「分断支配」のためのものであり、「プロレタリア国際主義」と相いれないというのだ。その行きつく先はどこか。

沖縄の怒りに憎悪

それは「『復帰』41年―5・18沖縄集会」における富田某の基調報告に示されている。富田は、「結論として『復帰』とは日米政府が物質力をもって、沖縄の労働者が求めた国境を越えた団結を分断するために行った労組破壊・団結破壊攻撃であったということ。同時にスターリン主義的な「独立論」や「反復帰」「沖縄自立論」は、沖縄の闘いの中で、本土の労働者への不信をあおり、「血債主義」を植え付け、沖縄の闘いを沖縄だけに閉じ込めるものとしての役割を果たした、ということ。・・・ここに沖縄戦後史の本質がある」と言いきる。
また東京都内でおこなわれた「6・22沖縄集会」で、在本土の沖縄出身労働者に「血債主義的な紐帯(ちゅうたい)から一歩突き抜けた。在本土として闘っていく確信がもてた」と発言させている。彼は「沖縄独立論」「反復帰論」「沖縄自立論」はまとめて「『本土』労働者への不信をあおるもの」と口汚く罵るのである。
いまや安田派の憎悪は、日本帝国主義に対する沖縄人民の怒りの深さに対して向けられている。これに対してわれわれは、沖縄人民、アジア人民に苦痛・苦闘を強制し続けている現実を直視し、そこに心を寄せながら共に闘いうる連帯の内実を築きあげなければならないことを銘記しよう。

2.沖縄人民の自決・自己決定権

沖縄問題の本質

日本資本主義は世界史の帝国主義段階への推転過程で遅れて登場した国家であった。その日本資本主義の形成確立期は、同時に、いわゆる「琉球併合」をもって始まる帝国主義国家の形成、帝国主義的民族形成の時期でもあった。この過程で独自の文化と歴史を持つ琉球王朝を上から統合・処分し、暴力的に日本国家に組み込む強圧的政策が展開された。同時に下からの農民の運動などは、ことごとく明治政府の統合政策によって弾圧され、天皇制国家の皇民化政策が上から貫徹された。
沖縄の民族性=文化的独自性・異質性が押しつぶされる形で日本資本主義=日本帝国主義の国家形成、民族的統合過程に組み込まれていったのである。その延長で、戦前の差別支配、沖縄戦、戦後の分離・売り渡し、72年ペテン的「返還」、そして今日までの基地の重圧の全歴史が展開された。そこでは、帝国主義的同一民族内部における独特の民族的契機をはらむ差別支配が貫かれた。

何が問われているのか

この中で、沖縄人民の自決・自己決定権はどのように貫徹されるものなのか。それは沖縄人民が真に自由な自己決定を貫くことができるような解放性を持つ政治空間が必要であり、沖縄人民が必要と思えば、沖縄における人民権力の樹立が、日本政府の根底的転覆に先んじておこなわれることも大いにあるということでなければならない。総じて沖縄人民の根源的要求を日本の労働者階級・人民が自身の要求としてはっきりと掴み取ることができるかどうかが問われているのだ。

3.結びにかえて

われわれは、単に安田派のあり方を批判するだけではなく、根底的批判とともに沖縄人民―日本労働者階級・人民の未来を拓く闘いとしての新たな沖縄闘争のあり方を、沖縄人民・日本人民の苦闘の中からつかみださなくてはならない。

日本ー沖縄関係の変革

それは沖縄人民のたたかいを単に「民族の自決」という方向に絞り上げるというものではない。自決・自己決定権は沖縄人民の自明の権利である。その行使とは日本政府の構造的差別政策を粉砕し、日米安保体制を打破するということである。沖縄を差別することによってしか成り立ちえない日本政府ならば、それを打倒することによって勝ちとられる政治空間の中で「沖縄を沖縄人民の手に奪い返す」という闘い方である。その過程で日本―沖縄関係の変革をかちとり、安保(安保―沖縄)闘争の新たな発展によって日米安保条約を日本・沖縄労働者のたたかいで打ち壊していくのだ。それは米軍基地を全面撤去させるたたかいとして実現されていくであろう。
米軍基地撤去のたたかいは、それ自身、生活と生命のための必須のたたかいである。辺野古・高江のたたかいに至るこれまでの沖縄闘争がそのことを示している。しかし、それは同時に反戦・反安保のたたかいである。とりわけ、沖縄米軍基地こそは安保の実体的支柱そのものであり、基地撤去=全面撤去のたたかいはストレートに安保粉砕のたたかいである。そして今日的な日米関係の下では、安保政策は軍事同盟として日本の国家体制の生命線としてもある。また別の視点からいえば、日本の構造的な沖縄差別政策は、日米安保体制の維持が国家的要請としてあり、帝国主義としての存亡のかかったものだということである。
沖縄闘争を徹底的に闘い抜き、反原発・福島―三里塚、改憲阻止闘争を全力で闘い抜こう。(桑江智久)


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南労会闘争 勝利報告集会
地域の仲間と共に22年

2011年におこなわれた南労会の元旦闘争。場所は和歌山県かつらぎ町

勝利解決を遺影に報告

7月13日、南労会闘争勝利報告集会が大阪市・港区民ホールで開催された。
南労会闘争は医療法人南労会における「労働者医療」の破壊、激しい組合つぶしとの22年間に及ぶ闘いであり、全国的にも突出した長期争議である。今年3月11日、裁判所での和解という形で勝利解決を勝ちとり、この集会への参加が呼びかけられた。
会場には260人を超える労働者が続々と集まり、各席には真新しい報告集が置かれていた。舞台下には故大和田委員長ら闘い半ばで他界した港合同の指導部3人の遺影がおかれた。
第一部は、組織の総力をあげて闘ってきた全国金属機械労働組合港合同、当該の南労会支部が感謝と決意を述べ、代理人弁護士、労働法学者の佐藤昭夫さんが深い思いを語った。 第二部は全日建関西生コン支部の力強い和太鼓で開始。DVD「南労会闘争22年の軌跡」が感動を呼んだ。南大阪の官民の労働者、共闘してきた争議組合などの発言が続く。韓国民主労総の労働者も壇上にあがった。元宜野湾市長・伊波さんも飛び入りで山シロ博治候補の支援を訴えた。港合同の歴史と厚みを実感する多彩な集会であった。

二つの拠点を残す

和解内容は、賃金未払い等に対する解決金の支払い、謝罪、松浦診療所の設立趣旨を踏まえた再建、労働組合との対等な協議の確認などである。
12名の解雇撤回は勝ちとれなかったが、南労会に組合を残し、もうひとつの拠点としてNPOみなと合同ケアセンター(被解雇者が中心で運営)を残したことが勝利の証であると述べられた。

地域の仲間の支え

南労会松浦診療所は、南大阪地域における戦闘的労働運動、未組織労働者も含む果敢な労災職業病闘争の結晶として、1976年に設立された。1991年から始まった争議は、この原点を踏みにじり、南労会を私物化し、労働者医療の破壊に手を汚した松浦理事長ら経営陣との闘いであった。
開設に協力し、患者・利用者として南労会に関ってきた地域の労働組合は自らの課題として南労会闘争を支えつづけた。「地域の仲間に支えられて22年」(報告集)の闘いこそ勝利を導いた力であった。

昼休み集会と元旦闘争

南労会闘争は、今日ではほとんど見ることができなくなった現場・職場闘争、実力闘争、ストライキ等の連続であった。
これに対し経営側は処分、解雇、賃金未払い(4億円超)、民事仮処分や損害賠償請求裁判などを乱発。
圧倒されるのは、毎昼の抗議集会と元旦闘争を、各々1992年からと1995年から、欠かすことなく続けてきたことである。この闘いは南労会に測りしれない脅威を与えたに違いない。

団結権を軸にすえ

07年9月26日、永井高裁判決が争議の転回点となるが、団結権を軸にすえた闘いが引き出したものであり、労働判例として特筆すべきものだ。
南労会は幾多の労働委員会命令を一切履行せず、最後は労働組合法の刑事罰の対象となり大阪地検の捜査に至る。確信犯的悪質さと同時に、闘う側の執念、それを支えた陣形の力の大きさを示している。争議の最終段階では異例の国会答弁も引き出した。
集団的労使関係そのものが著しく衰退している今日、多くのことを学びとる事ができる。

新たな闘いの出発点

和解解決は新たな闘いの出発。受けた支援を運動で返す―当該も支援も「今後の闘い」に触れ、決意や期待を語った。
22年の闘いは労働運動全体の再生と発展に資する普遍的教訓を残し、活かされていくものと確信する。闘いぬいた皆さん、本当にお疲れ様でした。(大阪O)

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日本軍「慰安婦」問題の解決求め 大阪・梅田で水曜デモ

「慰安婦」被害者に正義を(7月3日大阪市内)

警察と在特会による執拗な妨害をはねのけて、毎月、第一水曜日に大阪駅前(梅田)で開催されている水曜デモ。7月3日の水曜デモは、参院選挙を目前に控えて、「維新(ハシモト)も自民(アベ)ももういらん! 水曜デモに行こう!」と題して、大阪市役所南側の中之島公園・女神像前で開催され、梅田までのデモ行進がおこなわれた。この日は、暴風警報が発令されるというあいにくの天候だったが、約200人が参加。
主催者である、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークは、「橋下の『慰安婦』発言に抗議をおこなってきたが、安倍政権も同じ。安倍政権は支持率を落としておらず、もし自民党が大勝すれば、歴史の歪曲はさらに進み憲法も改悪される。それは『慰安婦』被害者の思いを踏みにじることになる」と訴えた。集会では、〈橋下市長の「慰安婦」・性暴力発言を許さず辞任を求める会〉、〈子どもたちに渡すな!危ない教科書 大阪の会〉が訴え。フィリピン・ミンダナオ島出身のミュージシャン、アリソン・オパオンさんが歌でアピールした。フィリピンのロラ(おばあさん)たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画『カタロゥガン(正義)! ロラたちに正義を!』の主題歌を歌ったのはオパオンさんである。
集会後、大阪市役所からアメリカ領事館を通って梅田までのデモ行進。
デモ行進終了後、梅田のヨドバシカメラ前で、恒例の「水曜デモ」がおこなわれ、多くの人が参加した。

8・14メモリアル・デー

橋下の暴言には、韓国や沖縄はもとより、アメリカや世界各国からも非難が突きつけられている。日本国内においても、7月3日に宝塚市議会が橋下の「慰安婦」発言に抗議する決議を採択し、6月24日には堺市議会が橋下と石原の公職辞任を求める決議を可決するなど、地方議会で続々と決議があげられている。維新の支持率は急速に落ちている。
しかし、橋下と同じ歴史認識を持ち、日本軍「慰安婦」問題に日本軍の責任はないと言い放つ安倍政権の支持率は落ちていない。こんな安倍政権の大勝を許してはならないという思いが集会とデモに結集した。
8月141日は、1991年に韓国の金学順さんが、日本軍「慰安婦」被害者として初めて名乗り出た日だ。この日をメモリアル・デーとして、各地で水曜デモや集会などが開催される。
関西では、8月14日の午後6時から、大阪市立住まい情報センターで、フィリピンから「慰安婦」被害者と支援団体、沖縄から〈基地・軍隊を許さない行動する女たちの会〉共同代表・高里鈴代さんを迎えて集会がひらかれる。多くの人びとの参加を訴える。(大阪 H)

“地域で生きる”テーマに学習
「精神障害者」が生きる上での障壁を取り払おう
大阪府 高槻市

7月21日、私たち精神科クリニックの患者有志が呼びかけた「地域で生きる」と題した学習会に多くの患者をはじめ24人が集まった。2つの講演はよく整理されていた。

生保引き下げに怒り

高槻市会議員の和田孝雄さんのお話は、生活保護の引き下げへの怒りがこもったものだった。具体的にどのくらい下がるのかから入り、とくに母子世帯が激しく下がるから貧困の連鎖になると指摘。働いても低賃金という人が多く生活保護を受けている。片や日産のカルロスゴーンは時給37万円もある。もんじゅのために1日5500万円も無駄に使っている。最低生活以下だった戦前の救貧対策に歴史を逆戻りさせようとしているなどと話された。
今の日本の「障害者」政策は、労働(一般就労)に対する礼賛・賛美だが、それは歪んだものだという批判もあった。「障害者」が作業所やデイケアに通所すること自体がもっと評価されるべきだと。

医療観察法の矛盾

ルポライターの浅野詠子さんは医療観察法の制度の様々な矛盾についてよく調査されていた。 一番ひどいのは、最も医療が必要とされる急性期に、「鑑定」入院と称し2〜3か月間まともな医療が保障されないこと。「発達障害」、「知的障害」、認知症、アルコール依存など治療が意味をなさない人が多数、長期間収容されている。電気けいれんが推奨され頻繁におこなわれているような状況である。
医療観察法病棟が700病床であるのに対し、ある医師の推計では4000人の「精神障害者」が刑務所にいて、まともな医療がされていない。それを観察法と隔てるのは心もとない鑑定だ。社会復帰施設への地元の差別的反対運動が起きるなど、「精神障害者」が地域で生きるために、地域の側が試されていると話された。
質疑討論では、講師の労働のとらえ方が良かった。看護師だが指定通院機関でも矛盾を感じる。医療が原因で症状を悪化させる医原性の問題が多い。福祉の変化でワーカーは生活保護を切る方向に目が行ってしまっている。観察法でも医療者の観点がひっくり返り、お世話をするという観点がなくなっているなどの意見があり、自分や息子の具体的な行為が観察法の対象になるものなのかという質問もあった。

違憲訴訟へ

行動提起では、生活保護費の引き下げに対し、違憲訴訟を視野に入れた行政への審査請求に多くの皆さんに参加してほしいとの訴え。観察法に反対する全国集会や関西での取り組みに参加し実践的に動こうと提起された。翌週28日に開かれた医療観察法廃止・全国集会にはこの集会から「病者」4人が参加した。
生活保護費引き下げに対する審査請求が大々的に開始される。読者で、自分も生活保護だ、知り合いに生活保護の人がいるという方は、ぜひこの運動に加わっていただきたい。8月から引き下げるという保護決定通知書を失くさないように保管しておいてください。(高見元博)

連絡・相談は、Eメール gen1951@nifty.comか、月〜金の午後4時から午後8時までの間に、携帯090―3054―0947高見まで。

6面

寄稿
沖縄から日本を問う(3)
〜沖縄、ヒロシマ・ナガサキ、福島〜
知花 昌一

時代と離れて生きられない

沖縄を見たとき、福島を見たとき、怒りが現れるのは当然だ。それは阿弥陀仏のいちばん大事な本願だ。親鸞は王に礼拝せず権力に迎合しなかった。弾圧され島流しになった。仏教は、戦争に全面的に協力した歴史がある。検証はされてきているが、まだまだ不十分。本来なら変革する力を持っている。それが権力に迎合したとき、マルクスのいう阿片になる。
人間も、組織、運動も「自分が正しい」ということを根幹にする。それは間違う。間違うのが人間だ。仏教で言えば凡夫、そういう者に権力を与えた場合、かならず濫用する。運動も、そこを見失うと間違う。60歳を過ぎて、私はそれを見た気がする。阿弥陀仏の浄土、理想郷とは地獄、餓鬼、畜生のないところだ。私は、たたかう仏教、変革する仏教を強調したい。沖縄にいると、いつもそう思う。ずっと怒ってはおれないから、ときどき怠けるが、怒りのない慈悲は無に等しい。
核兵器不使用声明に日本政府は加わらなかった。広島や長崎が、原発に反対する私たちが、もっと怒らなければならない。私たちは、そういう時代を生きている。
安倍政権は、原発が大事故を起こしながら再稼働をねらい、海外に原発を輸出しようとする。プルトニウムを溜め、自衛隊を国防軍に、戦争ができる国にしようとしている。そこには沖縄の基地撤去も、原発廃止もない。見つめ行動することは苦しいが、四苦八苦、生老病死は真実であり苦であり、誰も逃れることはできない。押さえたり、押さえられてはならない。誰も時代と離れ生きられないのだ。

あの知花がなぜ仏教か、と

沖縄の現実もそうだ。苦を引き受けるなかから、乗り超えていく。「なぜ、『日の丸』を焼いた沖縄の知花が、仏教か」と問われる。沖縄に生まれ沖縄に暮らし、沖縄の現実を見たとき阿修羅のように怒りと悲しみを抱く。私は親鸞を勉強しながら、「剥がされていったものをとり返そう」と思った。そして社会とともに生きる。そう答えるしかない。
誰も、死に向かって生きている。永遠の命はない。しかし、本当にそうは思っていない。あしたも大丈夫、きょう死ぬとは思っていない。時間軸でいうと過去、現在、未来。仏教では、いまが過去と未来を包摂しているととらえる。未来も過去も、いまにある。今現在説法という言葉がある。「あなたは、いまどう生きているか」。おいしいものを食べお酒を飲み、楽しい。それは一時、本来は苦。それを認識できるか。苦しいが、それを超えて生きる。
沖縄ではキリスト教になじみがあり、基地反対運動には牧師さんたちがいた。仏教は、あまり見えない。私はハンセン病患者の支援運動にかかわり、一所懸命になっている仏教の僧侶たちを知った。「日の丸」を燃やし逮捕されたとき、選挙のときも真っ先に駆けつけてくれたのがハンセン病回復者の人だった。なぜ、見ず知らずの人が応援してくれるのか。聞くと、悔しさからだという。ハンセン病は差別の極みにおかれている。治っても死んでも墓に入れないほど差別がある。「自分は泣いてきた。抗議しようにもできなかった」「あんたはいいね。右翼から襲撃されたりしたけど、それでもいいよ。やりたいことをやった。だから応援するんだ」。そういう人たちのなかに、仏教者がいた。

苦しみの中に生きてきた

私は学生運動から基地反対運動をやり、天皇制に怒り「日の丸」を燃やし、運動を糧に生きてきた。いまの法衣姿と反戦・平和を求めてきた自分、平和と平等を問う仏教と、私の中に矛盾はない。学生運動や党派の運動は、自分たちが正しいということを前提にしないとできないのかもしれない。間違うということが孕まれている。私の中に、これまでと違ってきたものがあるとすれば、そういう意識だ。
その概念を踏みはずしたら、たとえ政権をとったときにも大勢の粛清が起ってしまう。実際に起こった。人を生かすはずの運動だったのに、人を殺してしまう。私が学び知った仏教は、自我意識を自分に問い続ける。新鮮に仏教に接した。むしろ、これが自分の生き方だと思った。
沖縄に「命は宝(ぬちどぅたから)」という言葉がある。献血運動にも使われている。きれいな言葉のように思われるが、そうではない。沖縄の戦後、「心の叫び」として使われてきた。「鉄の暴風」といわれた沖縄の地上戦は、非人間的状況の極限だった。恐怖のあまり味方を撃って逃げ、倒れた者を置き去りにして自分だけ助かった。重傷の肉親をつれて行けない、息をしているけど埋めてきた。チビチリガマの「集団自決」。自分の子どもを殺して生き延びたお母さんがいる。
「人間としてやってはいけないことを、やった」。そういう重い苦しみがずっと残っている。押しつぶされるように生きた。それでも生き、命が継承された。しかし、苦しみを消すことはできない。きれい事ではない。自分に言い聞かせるためでもある。沖縄だけではなく広島、長崎も、そういうことがいっぱいあった。いまの原発にもある。

想いをはせる

辛淑玉(シン・スゴ)さんは、「原発は、原子力発電ではなく核発電」といった。原子力とかアトムというと、きれいに聞こえる。沖縄は、これまで「集団自決」といってきたが、いまは「集団強制死」といっている。「コザ暴動」も、暴動というのは権力者が使う言葉であり「コザ民衆蜂起」としようとなった。言葉の表面だけの問題ではなく意味、本質の問題である。
高橋哲哉さんが、沖縄、福島について「犠牲のシステム」と書いている。苦痛に追い込まれている者がいる一方、その利益を享受している者がいる。自覚しているかどうかはともかく、そういう関係、構造がある。それを「犠牲のシステム」といっている。福島にあれだけ原発があり事故がありながら、いまも東京や都市の人々はそれを享受している。自分たちがそういう強制をしているとは、思っていない。沖縄には膨大な米軍基地があり、犠牲を受けている。本土の人たちは、自分たちが犠牲を押しつけていると思っていない。
しかし、人間は「想いをはせる」ことができる。広島、長崎は、大きな犠牲とともに歩んできた。そして福島。私たちは福島に沖縄に、広島・長崎に寄り添いつながることができる。近くの原発に目を向ければ、遠くの原発も見えてくる。誰もが福島に行くことはできないが、想い、近づくことはできる。沖縄と広島、福島がつながる、その作業をおこなっていきたい。(おわり)

米軍Xバンドレーダー建設問題
京都府に反対を要請

京都府庁を取り囲むレーダー基地建設反対の市民アピール行動(7月9日)

7月9日、「京丹後へのXバンドレーダー米軍基地建設反対!7・9京都府要請行動および市民アピール行動」が、京都府庁とその周辺で、1日行動としてとりくまれ、猛暑のなかを60人が参加した。

反対署名6507筆

朝10時半から京都府庁正門前で集会をおこない、府への要請行動代表団を送り出した。代表団は、「止めよう経ヶ岬の米軍レーダー・危険な戦争準備を許さない」緊急京都府民の会代表で、丹後・丹波地域で活動している大槻正則さん、「緊急京都府民の会」南部連絡会の代表で京都沖縄県人会の事務局長・大湾宗則さんをはじめ、丹後地域からの参加者、丹後地域出身の京都市民、大阪からの参加者などの8人。京都府知事に6507筆の反対署名 を提出し、京丹後市への米軍Xバンドレーダー基地建設に反対する要請をおこなった。

京都府庁でデモ

代表団による署名提出・要請行動、記者会見と並行して、府庁の正門、東門、西門で昼休み時間帯のビラまきやアジテーションなど、市民アピール行動がおこなわれた。
要請行動を終えた代表団を迎えて報告集会を開き、午後1時から京都府庁を1周するデモをおこなった。
その後、場所を移し、丹後・丹波からの参加者と交流会がおこなわれ、30人が参加した。
この日の京都府庁職員のビラの受け取りはよく、関心は高い。運動を盛り上げて、知事が反対するところまで持っていこうと参加者は決意を固めた。

カンパ要請

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『未来』読者のみなさん。支持者のみなさん。安倍・自民党は、参院選の勝利を受けて、普天間基地の辺野古移設推進、原発再稼働、規制緩和そして憲法改悪をかかげて反動攻勢に打ってでています。新自由主義攻撃と闘う社会的労働運動を軸とした大衆運動を強力に展開しなければなりません。革共同再建協議会への夏期特別カンパをお願いします。
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