参院選
沖縄の怒りを国会へ
格差拡大・改憲・戦争への道を許すな
普天間爆音訴訟団事務局長・高橋年男さん(右から2人め)とヘリパッドいらない住民の会・伊佐真次さん(同3人め)を先頭に京都市内をデモ(6月16日) |
6月23日、投票がおこなわれた東京都議会議員選挙では、自民党が全員当選で59議席を獲得して第1党に返り咲いた。同じく全員当選で23議席を獲得した公明党とあわせて、都議会(定数127)の過半数を制した。一方、第1党であった民主党は改選前の43議席を15議席へと激減させる大敗を喫した。
今回の都議選の特徴はその投票率の低さである。それは、前回(54・49%)を11ポイント下回る43・50%で過去2番目の低さとなった。民主党は得票数で160万票以上減らしているが、その大半が棄権にまわったということである。今回の「自民圧勝」の中身は、自民党が「アベノミクス」効果で、政権交代によって失った支持基盤を挽回したとはけっしていえない代物である。また共産党の「躍進」が目立っているが、得票数では9万票減らしている。こうした数字は、多くの都民にとって投票すべき政党が存在しないことを示している。
むしろ自民党・安倍政権は、民衆の政党政治・議会政治にたいする失望の拡大を利用しながら、社会全体からすれば少数の支持を得ているに過ぎないのに、強力な政治権力を行使し、格差と貧困を拡大するさらなる規制緩和、日米同盟の強化、そして改憲へと一挙に突き進もうとしている。
こうした政治手法を打ち破るには政党に依存しない自立した大衆運動を強力に発展させなければならない。この間の橋下・維新の失速は、単なる橋下の「失言」が原因というわけではない。日本軍「慰安婦」被害者をはじめ、橋下・維新の暴政に対して怒りをもって立ち上がった人びとの国境を越えた闘いや、地域住民の政党の枠を超えた闘いが、橋下を追い詰めていった結果である。
したがって今次参院選挙の課題は、民衆の闘いを実際に担い、その利害を真に代表する人物を国会に送り込むことである。
前泊博盛さんが講演
第4期沖縄意見広告・報告集会
大阪
6月15日、大阪市内で第4期沖縄意見広告・報告集会がおこなわれ、150人が参加した。主催は、沖縄意見広告運動・関西事務所。
意見広告運動全国世話人の武建一さんは、「構造的沖縄差別はないと言う人がいるがそれは間違いだ」と強調し、第5期の沖縄意見広告運動を呼びかけた。
その後、『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』の著者、前迫博盛さんが講演。日米安保の矛盾を鋭く暴露した。
市東さんの農地守れ
7・14全国総決起集会へ
三里塚
トラクターに乗ってデモの先頭に立つ市東孝雄さん(3月24日 成田市内) |
成田空港は建設決定から実に47年が経過しているが、いまなお完成していない。それは政府による問答無用の農地強奪のやり方に、三里塚と芝山の農民たちが反対同盟を結成し、必死の抵抗を続けてきたからである。闘いは今も続いている。
農地法で土地強奪
成田空港建設の事業認定はすでに失効しているため、土地収用法による農地の強制収用はできない。ところが2007年になって成田空港会社は、空港敷地内で反対闘争を続ける市東孝雄さんの農地を強奪するため、農地法を悪用して裁判を起こした。その判決が7月29日、千葉地裁で言い渡される。
耕作者に無断で底地を買収、唯一の証拠書類を偽造など、空港会社は、違法・無法を重ねてきた。農地を奪う判決などありえない。
千葉地裁を包囲しよう
しかし、千葉地裁はあからさまに空港会社寄りの姿勢を示している。不当判決を許さない声を全国から巻きおこし、千葉地裁を包囲しよう。
7月14日、千葉市中央公園でおこなわれる全国総決起集会に参加しよう。〔4面に関連記事〕
2面
シリーズ 安倍政権批判(5)
世界に危機をばらまくアベノミクス
1.はじめに
安倍政権の命運をかけた経済政策・アベノミクスは、消費税率を2度引き上げるまではもたせなければならない。ところが、そういったブルジョアジーの期待を裏切り、参院選を前にすでにこの6月には破綻が浮き彫りになってきている。
アベノミクスの直接の意図は、この7月の参院選挙前に景気が上向いた格好にし、選挙後は消費税増税や社会保障削減を「粛々と」進めることにあった。そのために参院選に向けミニバブルを起こした。円安誘導、財政支出、投機資金の流入などの一時的なカンフル注射で円安、株価高が政権発足前から始まった。金融緩和への「期待」から米系ヘッジファンドなどの買いが入ったのである。昨年11月の解散総選挙から今年5月17日までの外国人投資家の累計買い越しは9・8兆円にも及んだ。しかしこれは、株価を釣り上げたうえで売り逃げを狙う投機的なものである。対照的に、日本の機関投資家は同期間に5・9兆円の売り越し、個人投資家も3・7兆円の売り越しであった。国内の投資家はアベノミクスをまったく信頼していないのである。
2.お札を刷りまくればデフレは治まる?
安倍首相の指南役とされる浜田宏一イェール大学教授は、「お札を刷りまくれば、おカネがじゃぶじゃぶになって物価が上がる」「その結果デフレは収まり、景気は回復する」と主張する。
ところがこれは、現実には通用しない机上の空論である。マネタリーベース(日銀券+日銀当座預金)を増大させてもマネーストック(一般の市場で流通する現金+各種預金通貨)は増加するとは限らない。市場におカネを流しても資金ニーズが存在しなければ、ゼロ金利でも借り手がつかないのが日本の現実である。世界的にも、「先進国」の金融緩和は投機に流れ、「途上国」はインフレに苦しみ、欧州ではマネーゲームに陥っている。
インフレターゲット
浜田理論に基づいて、安倍政権と日銀・黒田体制は、1月22日の共同声明で、「2%のインフレターゲット」の設定を発表した。欧米ではどこでもやっているからと理由づけをした。しかしドルもユーロもインフレターゲットなどは設定していない。英国やオーストラリアやカナダなど、インフレターゲットを導入している国は、インフレ抑制のために設定しているのであって、デフレ対策のために導入している国はない。
異常な金融政策を採る「リフレ派」は、「日銀が民間銀行へのベースマネー供給を増やす→市中銀行が貸し出しを増やす→民間企業のマネーストックが増える→国内民間需要が増進する」と主張する。しかしこれは、企業や個人が物価値上がりを期待して先買いに走るという空虚な「期待の理論」でしかない。
3.功なくして罪のみ
アベノミクスの「3本の矢」は、経済学的にはごちゃ混ぜの代物である。金融政策はマネタリストの学者の受け売り、財政政策は有効需要を刺激するケインズ的政策(「土建国家」的な公共事業のバラマキ)、成長戦略は小泉「構造改革」を引き継ぐ規制緩和を中心とするサプライサイド・エコノミクスである。
ミニバブル
第1の矢=「大胆な金融緩和」と第2の矢=「機動的な財政出動」の半年間の結果、生み出された短期的ミニバブルは、モルヒネのように慢性化し、スタグフレーションに陥る可能性が高い。アベノミクスの金融緩和は実体経済には効果がないことがはっきりした。現に、株や不動産は値上がりしても、賃金は上がらず、製品デフレは続いている。企業の設備投資も削減、輸出ドライブも作動していない。
アベノミクスの欠陥と危険性が浮き彫りになった。困難な2%のインフレ目標の「達成」のためには、際限なき財政出動が必要となる。膨大な国債残高を「解決」するためには結局超インフレしかない。しかしハイパーインフレより先に国債暴落が起き、その時点で大パニック、大デフレになる可能性が高い。
国債危機
日本国債が国内で自己完結的に保有、取引される構造はすでに崩壊している。日本は国債の国内保有比率が高いから、ギリシャのようにはならないという説は、「神話」になりつつある。
家計貯蓄率、個人金融資産の伸び率が減少している。1974年に23・2%あった家計貯蓄率は2008年には0・4%まで低下している。
90年代以降の「金融ビッグバン」によって、すでに日本国債の海外保有率は1割近くに上昇している。
国債の破綻の危険度を示すCDS取引の参照主体としての日本の順位は、08年末592位、10年末50位、12年末は10位と急上昇している。
4.解雇自由が「成長戦略」
アベノミクスの「第3の矢」は「民間投資を喚起する成長戦略」である。「世界で一番企業が活躍しやすい国」を目標に掲げ、原発再稼働、原発輸出の促進、規制緩和、法人税減税、民営化、貿易自由化(TPP参加)などの検討項目を並べた。その柱は、「競争力強化」と「規制改革」の2点にある。
企業が国を選ぶ
グローバリゼーションの急速な進展で、「企業が国を選ぶ」現実が生まれている。「競争力強化」のためにとられる諸措置によって実は、一部の多国籍企業だけが利益を享受し、圧倒的な企業は空洞化の嵐にさらされることになる。結果的には国内企業の競争力の強化にもなりえない。
他方で、規制改革の目玉は「解雇自由化」にある。小泉時代の非正規化に加えて、正社員も解雇自由に追い込む「限定正社員制度」などが検討されている。
6月14日に、「骨太の方針」「規制改革実施計画」と一体で閣議決定された「成長戦略」には、上の「目的」を実現するための諸施策が並んでいる。
5.世界経済危機の引き金
物価下落がすなわちデフレではない。現実の日本経済における物価下落は、本来社会科学的に定義されるデフレーション、すわなち円高による「通貨収縮」に起因するものだけではなく、実体経済の不況に起因するもの(需要不足)、および海外投資による空洞化に起因するものなど複合的である。お札をじゃんじゃん刷りまくる金融政策だけで克服できるわけがないのである。
デフレの真の原因
世界経済でなぜ日本だけが物価下落が激しかったのか。新自由主義的蓄積のためにグローバル市場における競争力強化を急速に図った日本のグローバル企業は、賃金カット、雇用カットを強化した。他方で、中国などの新興国・後進国との経済統合、資本侵出を進め、金融化、レントナー化を加速した。国内での生産的投資で稼ぐなどということからかけ離れた蓄積構造に急速に移行したことが真の要因だ。
このような現実のなかでアベノミクスの発動は、資産インフレ(バブル)と実物デフレが同居するようになるだけで、なんの解決にもならない。むしろバブルがはじけてハイパーインフレと国債大暴落が始まり、2008年のリーマン・ショックを上回る世界経済危機の引き金になる可能性が大きい。
最悪のシナリオ
2001年、日本の財政破綻を見越して、国際通貨基金(IMF)は日本の再建管理のためのシナリオを作成した。これがネバダ・レポートといわれているものだ。
それはIMFの最大出資国で事実上の支配権をにぎるアメリカが、日本が財政破綻した場合、世界経済の最後的な危機の爆発を食い止め、むしろそれをチャンスとして日本の金融財政を支配するために計画したものである。
すでに韓国、アルゼンチン、ギリシャに適用されているIMF管理は労働者人民に塗炭の苦しみを強制する措置である。これと同様の措置を帝国主義国である日本に適用しようとしているのである。
そこでは次のような項目が挙げられている。
@公務員の人員総数を30%カット。賃金は30%カット。一時金はすべてカット。
A公務員の退職金は100%カット。
B年金は一律30%カット。
C国債の利払いは5〜10年間停止。
D消費税を20%に引き上げ。
E所得税の課税最低限を年収100万円まで引き下げ。
F資産税を導入し、不動産には公示価格の5%を課税。債権・社債については5〜15%の課税。株式は所得金額の1%を課税。
G預金は一律1000万円以上のペイオフを実施。第2段階として預金額の30〜40%を財産税として没収する。
これらの措置については、すでに実施され始めているものもある。しかし、アメリカの支配階級と金融資本が最終的にねらうのは、預貯金を封鎖して、労働者人民にツケを回して、日本を完全な金融的従属国にすることであろう。安倍やその取りまきの竹中平蔵、浜田などがそのことに利益を感ずる手合いであることは確かである。いま始まっているのはネバダ・レポートの最悪のシナリオの序曲である。(落合薫)
3面
現代の植民地支配 TPP
米グローバル企業の巨益が狙い
5月31日、反TPP国際シンポジウム(主催 実行委員会)が大阪市内で開かれ150人が参加した。
安倍政権は、今年3月15日に「TPP交渉への参加」を表明した。参院選後、7月からTPP交渉が本格化しようとしている中で、このシンポが開催された。
ISD条項と間接収用
コーディネーターの田淵太一さん(同志社大学商学部教授)は、「TPPでは農業や国民皆保険問題が強調されているが、『投資協定』が大きな問題。米国のトップ企業600社のみがテキストを見ての完全な秘密交渉(米国連邦議員も知らない)」と指摘。
その危険性が「ISD条項(投資家対国家の紛争解決条項)」にあらわれている。これは、「企業活動上の不利益を被った」ことを理由に、一企業が国家や自治体を相手に損害賠償請求が可能になるというもの。その賠償額は数十億円にも及ぶ。しかも相手国の裁判所ではなく世界銀行傘下の「国際投資紛争解決センター(ICSID)」に訴える。そこでの審理は非公開で、判決に上訴は出来ない。
政府が外国企業にたいしてその活動の規制をおこなうと、「政府が企業の財産(利益)を収用した」とみなして損害賠償請求できるという理屈だ。これを「間接収用」という。
TPPに加入すると、「内国民待遇」で参入してきた外国企業に、国のルールを自由に変えられてしまうのだ。
メキシコ―韓国の現実
パネルディスカッションでは、メキシコ通信労組STRMの活動家マリカルメン・リヤマス・モンテスさんが、NAFTA(北米自由貿易協定)について報告。
「あらゆる分野で労働者の雇用が脅かされ、国民の生活が破壊された」「メキシコは食料の輸出国だったが輸入国に変わってしまい、1800万人の農民は生産物の価格が48%下がる被害を受けた。貧しい農民の間には肥満と栄養不良、ドラッグが蔓延。家族や社会経済、自然環境が破壊され、雇用がなくなり大量の米国移住者を生んだ」。
続いて韓米FTA阻止汎国民運動本部共同代表の朴錫運(パク・ソグゥン)さんから、6年にわたるFTA反対運動の報告。
「韓米FTAの協定が締結される1年4カ月で9回の交渉。1500もある条項を猛スピードで決めた。問題は、交渉前に重要項目(米国産牛肉輸入再開、排気ガス規制緩和、医薬品価格など)が決められたこと。日本も自動車や保険の規制緩和問題などすでに交渉が18回行われ、アメリカの要求はもう80%程進んでいるといわれている」と警鐘を鳴らした。
韓国の反TPP大衆運動
朴さんは「反対闘争の先頭に立ったのは組織に属さない青少年や一般市民。ベビーカーを使ってデモをするなど、女性・主婦が先頭を切って運動を牽引した。集会はろうそくクデモに変わり、街頭デモへと展開。毎晩ソウルの街頭占拠が一月半続いた。その結果、米国産牛肉輸入の衛生条件が変更された」と運動の様子を報告した。
集会のまとめを全日建連帯労組関西地区生コン支部の武建一委員長が提起。「大衆運動を前進させ、『怒り』の国際連帯で行動しよう」と呼びかけた。
守れ!経産省前テント
再稼働攻勢に反撃を
5月23日の第1回テント裁判と6月3日のテントひろば応援団結成集会には、それぞれ300人をこえる人々が集まった。
原子力規制委員会による7月8日の新規制基準施行(予定)に日程を合わせ、5電力会社(北海道、東京、関西、四国、九州)は、7月中に再稼働申請を狙う。その内容は日米の「密約」であるプルサーマル再開が主題となっている。予定も含めると、泊3号、高浜3・4号、大飯3・4号、伊方3号、玄海3号などがプルサーマル(MOX燃料)である。
プルサーマルとは、プルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を通常の原子力発電所で使用すること。これは、核不拡散条約に抵触しないプルトニウム管理の方便だ。それが電力生産・送電事業とは質が異なることを強調しておきたい。
高浜にMOX燃料搬入
日本国内の原発で生産されたプルトニウムは、フランスでMOX燃料として加工製造されている。福島第一原発事故によって受け入れが延期されていたMOX燃料が、英国籍の輸送専用船(事実上の軍艦)2隻によって、6月27日、福井県高浜原発へ搬入された。
一方、自民党の電力供給議連は早期再稼働の要請を規制委員会におこなっている。参院選の公約では「再稼働推進」を堂々とかかげ、福島の事故など「どこ吹く風」だ。
こうした状況のなかで、経産省前テントひろばの存在意義は民主党政権時とは較べられぬほど高まっている。
先日、「経産省前テントひろば応援団レター」第1号が発刊され、鎌田慧、落合恵子、広瀬隆、中嶌哲演、ミサオ・レッドウルフ、河合弘之弁護士などの応援演説を掲載した。論者は独立したフリーランサーで占められた。
都議選での自民党の「独走」は、倫理感と経済活動との狭間における国民的な分裂の深刻さをあらわにした。この逆風に耐えて勝ち抜くことができるかどうか、今が正念場である。
核爆発
テントひろばは、7月7日、「脱原発テントといのちを守る裁判 当事者集会」を呼びかけている。テント裁判の当事者には、6月18日段階で330人を超える人が応じている。しかし、昨年5月の「原発稼働ゼロ」からわずか1年で、自民・公明の数にものをいわせた核開発・核武装推進派の形成と民主主義破壊は頂点に達している。
福島第一原発3号機の事故は、MOX燃料による核爆発であった可能性が、識者の間で論じられている。プルサーマルが破産した史上最悪の事故だった。これを秘密にして、プルサーマルを国内各地で再開するというのだ。まさに安倍政権は、過ちを過ちと認めることができぬ恐ろしい戦争機械となりはてている。再稼働阻止!経産省前テントひろばと連帯してたちあがろう。(Q)
社会運動との結合目指す
関西合同労組 定期大会
6月9日
経産省テントひろばの仲間から連帯のアピールを受ける(6月9日西宮市) |
6月9日、兵庫県・西宮市勤労会館で関西合同労働組合第20回定期大会が開催された(=写真)。
来賓として高槻市会議員の和田たかおさん、被災地雇用と生活要求者組合の長谷川正夫さん、在日研究フォーラムの李相泰(イ・サンテ)さん、京都沖縄県人会の大湾宗則さん、三里塚決戦勝利関西実行委員会の安藤真一さんがあいさつ。
2012年度活動総括案を石田委員長、情勢案を佐々木副委員長、2013年度方針案を蒲牟田書記長が提案。その後、大阪、京都・滋賀、兵庫の各支部の総括が報告された。
1年間の前進を報告
総括案では、@関西合同労組が1年間全力で闘い、さまざまな前進を勝ちとったこと。とりわけ、非正規雇用労働者に対する退職勧奨や転勤をはねのけ、無期雇用に転じたこと。労働者代表選挙での支持を拡大したこと。さまざまな労働案件の解決を実現したこと、AN争議での信用金庫と荷主に対する詐害行為取り消し訴訟の攻防。JR西日本セクハラ解雇争議での裁判闘争や労災却下への不服審査請求やJRの使用者責任の追及の闘い。運輸部会の闘いなどが報告された。
街角に見える労働運動
情勢案では、ブラック企業横行と労働法制改悪の動きや安倍政権下で悪化する労働環境と全力で闘おうと提起された。
方針案では、反原発や沖縄の闘いなど社会運動と結びついた労働運動、「街角に見える労働運動」をめざそうと提案された。
第2部の交流会ではギター演奏が披露され、参議院選挙比例代表の予定候補・山シロ博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)のメッセージが読み上げられた。最後にインターナショナルを斉唱し、連帯感と熱気にみちた大会となった。(労働者通信員 T)
夏期特別カンパにご協力をお願いします
『未来』読者のみなさん。支持者のみなさん。安倍・自民党は、7月21日投票の参院選挙の公約で、普天間基地の辺野古移設推進、原発再稼働、規制緩和そして憲法改悪をかかげて反動攻勢に打ってでています。自民党は、先の都議会選挙で第1党への返り咲きを果たしましたが、けっして彼らが順風満帆というわけではありません。
5月23日の日経平均株価の急落以降、アベノミクスの破綻が日々あらわになっています。また欧米諸国も安倍政権の野放図な財政政策が世界経済全体を危機に巻き込むのではないかと戦々恐々としています。
格差と貧困を拡大し、沖縄を犠牲にして日米軍事同盟を強化し、集団的自衛権の行使容認から憲法9条改悪へと突き進む安倍政権を、民衆の力で打倒するために、私たちはたたかいます。
安倍は福島第一原発事故の収束の目途すら立っていないのに、原発の輸出と再稼働を強行しようとしています。福島の被災者を切り捨てる原発推進策を断じて許すわけにはいきません。
また安倍はTPPを推進し、農業を破壊する一方で、解雇を自由化するなど労働者の権利を根こそぎ奪い取って、「資本の天国」をつくり出そうとしています。新自由主義攻撃と闘う社会的労働運動を軸とした大衆運動を強力に展開しなければなりません。革共同再建協議会への夏期特別カンパをお願いします。
《カンパ送り先》
◎郵便振替
口座番号:00970−9−151298
加入者名:前進社関西支社
◎郵送 〒532―0002 大阪市淀川区東三国 6―23―16 前進社関西支社
4面
被ばく地・フクシマで出会った人びとU(3)
三里塚と福島、団結してガンバロー
古河潤一
三里塚・春の収穫祭 一心不乱にイモ堀に励む福島からの参加者たち(6月16日 成田市東峰) |
19度目の福島行き。福島の仮設に住む人たちが三里塚の春の収穫祭「いも掘り大会」に参加するのを案内した。
6月15日朝、三里塚反対同盟・萩原進さんから電話。「やるよ、福島の人たちをがっかりさせるわけにはいかない。強行突破だ」。その時、青年と私が運転するバントラックは北陸道を雨の中、北に走っていた。
総勢100人
16日定刻、マイクロバス、バン、大型バスから福島の人たちが、三里塚の地に降り立った。福島から50人、萩原さん一家、市東孝雄さん、現闘員さんたち、「産直の会」会員さん、総勢100人。
萩原進さんがあいさつ。「雨がやみそうもないので、濡れて汚れて不自由すると思いますが、いまから畑に向かいます」。福島の人たちは、ほとんどが、長靴と野良着、日よけ帽。婦人が笑う、「こんな雨、畑仕事にゃ問題ないよ」
いも掘りの会場は、萩原さんの家の裏の畑。目の前、東峰の森をかすめて、旅客機が頻繁に降下してくる。畑にはナス、ピーマン、ショウガ、トウモロコシが育つ。サトイモに「ハタイモ(畑芋)だ」。タマネギに「こりゃ豊作だ」「すげえ」と婦人たち。
「村総出の収穫」
萩原富夫さんの案内で、福島の人たちは、おずおずとジャガイモ畑に入る。畑に拡がり、掘り始めると手は止まらない。茎を引き抜き、イモを掘りだし、持参した袋に詰める。茎や葉は畑の中央に、誰言うともなく積み上げられる。村総出の収穫作業という風景。米袋一杯にイモをつめこみ、自分の名前を書く婦人たち。皆が笑顔に。
一人の男性が私に言った。「ここの畑の土は、30〜40センチの深さまでバクテリアが生息している。この土を葛尾(福島県葛尾村)の畑に持ち帰り、培養したい」。富夫さん笑って「いくらでもどうぞ」。
昼食のために、萩原さん宅の作業場に野菜コンテナでテーブルとイスをしつらえた。福島勢は4つの仮設から、10の出身町村の人たちが席についた。お互いに名乗りあい、苦労を語り、酒を酌み交わし交流会。司会は萩原富夫さんと福島から田村市のSさん。
国策との闘い
市東孝雄さん(反対同盟・農民)
「国策のための成田空港。何をしてもいいという空港会社のやり方。会社は、私の地主から畑を買いながら、15年間、隠していた。私は知らず、地代を払っていた。裁判の書類で畑の位置がちがう。また、うちの親父の確認書、同意書は調べてみると偽造だった。空港のためなら住民は関係ないというやり方。
農民にとって農地は命です。土地を取られることは、『農業をやめて死ね』ということ。7月29日が判決。期待はしていない。国策ということでは、福島で生活されている皆さま(が、国からやられていること)と同じ。福島とつながり交流していきたい。」
一歩一歩前へ
Wさん(田村市の仮設住宅)
「20キロ圏内からの避難者です。現在、村は除染作業中。除染の結果、線量がかなり下がったところと、元と同じく戻っているところがある。私は半信半疑の立場です。いちばん心配なことは、子ども、孫さんたちがもどって来るのかということ。」
STさん(田村市の仮設住宅)
「いも掘りは2回目の参加です。私たちの仮設は5町村出身のお互い知らない人の集まりだった。私たちのところでは、地元で野菜を作って食べられない。『見えない敵』と闘っている。私は今、除染作業員のまかない担当で出稼ぎしています。作業員は、東京、九州、沖縄から来て、作業していただいています。一歩一歩前へ、生活していけたらいい。」
全村避難
MOさん(三春町の仮設住宅)
「ここに来て、この飛行機の発着、離着陸の騒音がいちばん気になった。ここで生活する苦しさ、実感しました。ここで農業をやっている皆さんが本当に何を思っておられるのか、考えております。私の村は20キロから30キロ圏に位置している。全村避難している。事故、どうしようもない。クヨクヨしないで楽しく生きればいい。『年間1ミリシーベルトで帰還』といわれている。30年かかるのか、60年かかるのか、現在、つかめない。おそらく農業やれないと考えています。これからも、みんなで頑張っていかないと、と考えています。今日は関係者の皆さん、ありがとうございます。ご健勝をお祈りいたします。」
東電が憎い
Tさん(福島市の仮設住宅)
「飯舘村長泥の農家です。福島原発については、何の恩恵も受けておりません。長泥地区は、バリケードで封鎖されております。だが、草を生やしていたのでは、田んぼに申しわけがない。2、3日前も戻って草を刈りたおしてきました。村に人の姿が見えない。私の機械で毎時4・5マイクロシーベルトくらいある。東京電力は『原発は大丈夫だ』と言っていた。ぼこったら直しもできない。火を消すこともできない。東京電力が憎くってしようがない。飯舘村さ来なさい。丸太でガンってひっぱたいてやる。原発反対です。」
Nさん(「三里塚の土がほしい」と言った人)
「私も農家。2年前まで土をいじっていた。ここの土、あのやわらかさ、あたたかさ、におい、すばらしい。土が生きている。この土にずっとさわっていることはできないのかと。残念な思い。成田空港のため土地取り上げから、土を守っていると言われた。この土は『永遠の宝』だ。ぜひ、皆さんで守っていただきたい。私たちもそれに向けて頑張っていきたい。」
Sさん(司会、田村市住民)
「20キロ、30キロ圏から人は出ています。(福島県田村市)都路町に戻っているのは3割。3000村民のうち、1000人くらい。お店は3軒くらい開いているだけ。若い人たちが戻ってくるのには、どうしたらいいか。それが課題。」
ここの野菜はちがう
三里塚・春の収穫祭 一心不乱にイモ堀に励む福島からの参加者たち(6月16日 成田市東峰) |
Hさん(都内 産直の会会員)
「ここのお野菜は味が違う。スーパーに行っても、野菜に手が出ない。こちらで働いている人の顔が見えて、『あの人がもうすぐキウリをとどけてくれる』とわかると待ちますよね。今日は孫と孫のお友達を連れてきました。」
Kさん(都内 産直の会会員)
「実家は農家。原発から80キロ。放射能は降ってくるが、補償の対象外。農産物を検査すると、基準値をオーバーする農産物が一杯でる。私としては、母親が作った大切な野菜なので食べるようにしています。今日は福島の皆さんと交流していただきたいと80人くらいで参加予定でしたが、雨で中止としました。」
Yさん(市東さんの会)
「先ほど、市東さんご自身が皆さんにお話ししましたが、宝物である土が、今、アスファルトの下になろうとしている。私には耐えられない。福島の皆さんはいくら放射能に侵されていても、その土地を離れられない。先に住んでいたのが市東さん。後から空港が来たのに、お金の力、国の力で追いだそうとしている。法律違反も無茶苦茶やっている。7月29日に第一審の判決。それに向けて、私たちは署名活動をやっています。短期間、3万集めたい。1週間前に千葉で反原発のデモをやりました。福島と離れていても、力をあわせていきたい。」
市東さんの農地取り上げ反対の署名用紙が回された。福島の人たちはていねいに書き込む。一人の男性が手を挙げて発言に立った。
スタンダップ!
Mさん(三春町の仮設住宅)
「原発は『環境にやさしい、安心、安全だ』と言っとった。事故が起きて、コントロールできなかった。東京電力原子力発電所の失敗だ。ご当地は成田空港に攻められとる。われわれの悩みもおたがい意見交換しあって、聞いて、国策でつくったものは国で責任をとってもらう。ひとり、ふたりではダメだ。団結して、申すことは申す。」
その時、MOさんの声が飛んだ。「最後に、成田空港反対でガンバローってやったら」。
Mさん、「それでは皆さん、スタンダップ! いいですか、腰に手をあてがって踏ん張って。ご当地が成田空港に負けないで、反対すること。福島県が放射能に負けないように頑張りましょう。ガンバロー、 ガンバロー、ガンバロー」
福島の人たち、東京、千葉の人たち、反対同盟、現闘員、皆が叫び、こぶしを突き上げた。皆で大笑い。拍手。最後に観光バスのガイドさんが「アザミの歌」を歌う。皆が唱和。
いとしき花よ
汝(な)はアザミ
心の花よ
汝(な)はアザミ
定めの道は
はてなくも
香れよ せめて
わが胸に
ありがとう
帰路、常磐道で大型バス、バンの人たちと別れた。19時過ぎ、二つの仮設で皆を下ろしてマイクロバスを走らせていると、Jさんから電話。
「今、観光バスが帰ってきました。みんなドロンコ。みんなジャガイモ一杯もってすごく嬉しそう。秋には、さつまいも掘り、私も行きます。ありがとう」。
5面
領土ナショナリズムの魔力と無力
−岡田充さん(共同通信論説委員)の講演を聴いて−
4月28日、東アジア情勢にくわしい岡田充さん(共同通信客員論説委員・桜美林大学講師)の講演、「領土ナショナリズムの魔力と無力」を聴く機会があった。
領土―論証できない罠
岡田さんの話は次のようなものだった。
領土とは、「誰のものか、どこの国のものか」。「尖閣(注)を取られると、次は与那国、沖縄も・・・」という論証できない罠に、あらかじめはまっていることが危うい。昨年の4月に石原都知事が「都が尖閣を購入する」とワシントンで表明し、これをうけて野田・民主党政権が「国有化」としたのが7月7日だった。
このころ野田政権は支持率をどんどん下げる一方で原発の再稼働を画策。また消費税増税をめぐって「3党合意」をはかろうとしていた。話題をそらす意味で「何をするか分からない北、軍事大国化する中国、そして尖閣諸島」は、排外主義ナショナリズムの絶好の的にされた。
視界から消えた島
明治政府が魚釣島を無主地として「国標」を建てると閣議決定したのが1895年(明治28年)。その法理は「無主地先占権」であった。「無主地」というのは、「誰もいない」というのではない。そこに先住民がいても「無主地」となる。まさに占領する側の論理だ。その10年前に無人の南北大東島を日本領に編入したが、尖閣諸島は「中国との軋轢が生じる可能性がある」と国標を棚上げした。1895年の閣議決定が、日清戦争の最中に強行されたのは衆知のとおりだが、この決定は国際的にはもとより、国内的にも公表されたわけではなかった。台湾植民地化の陰に隠して「視界から消えた」島のように扱われたのである。
実際に魚釣島に国標が建てられたのは1969年である。68年に、尖閣諸島周辺海底に石油資源があるらしいという調査報告が出された翌年のことだ。このときになって再び尖閣という島が視界に現れたのである。
田中―周会談
日中国交正常化の際、田中角栄と周恩来の会談で「この問題は置いておこう」となった。これは外交文書に残っている。いわゆる「棚上げ」である。日本は96年に国連海洋法条約にもとづき、200カイリ排他的経済水域(EEZ)を設ける。中国がこれを認めていないため、日本は「日中双方の領海基線の中間線を境界とする」と主張している。2000年に日中漁業協定が結ばれ、中国側はガス田開発を中国側海域で始めた。2004年ころから日中の共同開発などを交渉している。いま中断しているが、こういうのも「棚上げ」の例の一つだ。
領土問題とは、近代国際法においては極めて排他的な権利の問題である。国家と国家という土俵で争うと、力づくか、売り買いかで出口がなくなる。目立たないように「棚上げ」がいちばんよいのではないか。
孤立する日本
「領土ナショナリズムの魔力と無力」の、無力について。自民党改憲案は「国防軍創設」を明記した。では安倍政権はどうやって「尖閣」という刺さった棘を抜こうとしているのか。「中国包囲網」と言うのは、日本が中国周辺諸国と「戦略的に仲良く」して中国を孤立させ、有利な条件で尖閣問題の片をつけたいということらしい。もちろん第一にアメリカとの同盟強化だ。いざというときは日米安保条約第5条(日米の共同対処)の発動を期待している。韓国に対しても同じである。これが成功するだろうか。政府の歴史認識のお粗末さや、4月28日を「主権回復の日」などという感覚では「包囲網」どころか、アジアで孤立するのは日本のほうであることは歴然としている。アメリカでさえ、安倍政権の「東京裁判史観の否定」などは認めていない。
現実の出口を
そもそも「固有の領土」という概念はない。ヨーロッパでは国境の変更はよくあった。海に囲まれた「自然国家幻想」というほかない。生活者の視点をもって日台中漁業合意、資源の共有化、無人の孤島の争いは棚上げという対話と協議こそ「出口」になるだろう。
虚妄であるから「魔力」ということだろう。岡田さんは、あえて「解決」という言葉を使わずに「出口」と言っていた。虚妄の先にある現実よりも、「現実の出口を」という意味に聴いた。人為的、後付的な「領土」概念や歴史的経過をのべた上で、「どこのものである」という言い方はしなかった。この辺りは『展望』12号、落合氏の文章にも共通しており、『未来』128号で補強されている。
安倍政権とそれに追随するメディアの酷さに対し、こういう議論を率直に深め、広めたい。もちろん、私たちには侵略戦争の歴史と謝罪の責任があるということをはっきりさせながら。(村)
注:日本名「尖閣諸島」、中国名「釣魚台」と呼ばれているが、ここでは「尖閣」と略称している
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橋下大阪市長の「慰安婦」発言に思う
毎週水曜日、ソウルの日本大使館前でおこなわれている抗議行動(写真は3月20日) |
大阪市長・橋下の「従軍慰安婦は必要だった」という発言に、日本軍「慰安婦」とされた人びとをはじめアジアの民衆は激しく怒っている。この橋下発言の発火点が、安倍首相による侵略否定と戦争美化の発言であったということは、もはや世界共通の認識となっている。
安倍政権の閣僚らが靖国神社に大挙して参拝したことに、「日本は侵略や植民地支配をまったく反省していない」とアジアの民衆が敏感に反応するのは当然だと思う。
昨今の「韓流ブーム」によって、韓国へ旅行する日本人は多い。その行き先の多くはソウルの明洞(ミョンドン)や釜山のチャガルチ市場でのショッピングや、「韓流ドラマ」のロケ地であろう。ところで次のような場所を訪れる日本人はどれほどいるだろうか。
受け継がれる歴史
ソウル市内の西大門(スデモン)独立公園には、日帝植民地支配下の京城監獄でおこなわれていた、日帝支配と闘った人びとに対する弾圧を再現し保存した建物がある。同じソウル市内の南山公園には安重根(アン・ジュングン)義士記念館がある。釜山市には、かつての旧東洋拓殖釜山支社の建物が釜山近代歴史館となり日帝の植民地支配と抵抗運動の歴史を展示している。ソウルから南へ約1時間30分ほどにある天安の独立記念館では、日帝植民地時代の韓国民衆の抵抗と苦難の歴史を見学することができる。
また韓国の西海岸にある群山という港町の群山近代史博物館では日帝植民地時代の農民抵抗史が展示されている。このように韓国では日帝植民地時代の歴史を伝える施設が各地にある。中国でも平頂山や南京、そして重慶など各地に同様の施設がある。それらはアジアの民衆の心の傷みとして、子や孫に脈々と受け継がれていることを想わねばならない。
ある日突然、「明日から姓を○○に変え、指定する宗教に則って礼拝をおこなえ」と外国の政府から強制されたらどう思うだろう。まさに朝鮮人民が受けた屈辱がこれだったのだ。これはいくら謝罪しても消し去ることができるものではない。
戦後補償は解決済みか
日本政府は、韓国や中国に対して「戦後補償」は「国交回復時に解決ずみ」というが、はたしてそうか。当時の韓国は朴軍事独裁政権による経済建設が進められていた。中国は文化大革命によって後退した国内経済の再建が急務であった。こうした事情によって、国内の反対を押し切って日本との関係を正常化しなければならなかったのだ。
韓国では韓日基本条約反対の闘いが激しく闘われた。中国でも周恩来首相をはじめとする指導者たちが、中国人民に「なぜ対日賠償を放棄するのか」を説得するために各地を回ったと聞く。これらを思うと簡単に「国交回復時に解決ずみ」とはいえないであろう。
だから、いまなお中国人強制連行の補償を求める闘いが続いているのであり、ソウルの日本大使館前では、毎週水曜日、日本軍「慰安婦」被害者のハルモニたちを中心に多くの若い人びとが拳をあげているのだ。そしてこの闘いが全世界に拡がっている。私たちもこの闘いに連帯し、安倍・橋下らを政治の舞台から引きずり下ろさなければならない。 (S・K)
警察・裁判所に抗議
自由を取り戻す中之島デモ
大阪
天満署、地裁、市役所をにらむ会場にさまざまなバナーが貼り付けられた(6月21日 大阪市内 |
6月21日、「司法を変えよう! 弾圧とめよう! 自由を取り戻す 中之島ぐるぐるデモ」がおこなわれ、午後4時から水上ステージで集会、4時半からデモに出た。主催は、ぐるぐるつながるネットワーク。
このかん大阪では、原発に反対して逮捕、労働組合活動で逮捕、「選挙権を返せ」と抗議したら逮捕、と不当弾圧が続いている。この日のデモは、1時間半かけて、大阪府警天満署、大阪地裁、大阪市役所、関電本店、大阪地検の順に回り、雨の中500人が抗議の声をたたきつけた。
自衛隊3軍が米軍と強襲揚陸訓練
自衛隊の陸海空3軍が、6月10日から26日まで、米カリフォルニア州で米軍と共同訓練をおこなった。米海軍と海兵隊がおこなう強襲揚陸作戦訓練「ドーンブリッツ(夜明けの電撃)」に自衛隊3軍が参加する形式。
これは、「離島防衛訓練」などと報道されたが、実態は米軍と自衛隊が共同で「敵地」に上陸侵攻する演習だ。米軍はステルス性能を持った新型強襲揚陸艦ニューオリンズ、自衛隊は大型護衛艦「ひゅうが」(実態は空母)、大型輸送艦「しもきた」(実態は強襲揚陸艦)などが参加。この訓練が、中国との戦闘を想定した日米共同訓練であるため、中国は「訓練の中止」を要求した。
6面
寄稿
沖縄から日本を問う(1)
〜沖縄、ヒロシマ・ナガサキ、福島〜
知花昌一
「日の丸」を焼き捨て、三里塚闘争と固く連帯し、反戦・反基地をめざした。沖縄はもとより何度も何度も「本土」の集会にかけつけ、沖縄と「日本」の共同した基地撤去を訴え続けた。親鸞を学び、たたかいに新たな道を求める知花昌一さん(=写真)から、「いま、沖縄から日本を問う」と寄稿をうけた。
「主権回復の日」
いま、沖縄では「本当にこれでいいのか」ということが、日々問われる状況になっている。4月28日、安倍首相が「主権回復の日」式典をおこなった。1952年4・28は、サンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が屈辱の米軍支配下におとし入れられた日。沖縄は猛反発した。
たしかに第1条で「連合国は日本の主権を承認する」としている。しかし、第3条は「小笠原、奄美、沖縄諸島を、施政権を分離する」と。そして沖縄について「司法、立法、行政3権のすべてを行使する権利をアメリカが有する」とされた。沖縄は「屈辱の時代」となった。沖縄をアメリカに売り渡し、日本の主権を回復した。祝賀式典とはとんでもない、と猛反発が起こった。
1971年まで沖縄で4・28という日は、屈辱から日本復帰を求める「復帰闘争の日」であり大きな盛り上がりがあった。ところが、72年「返還、復帰」以降は、5月15日が基地反対、平和をかかげる集会などの中心となり、4・28は行事もなくなっていった。今年、「4・28から5・15」過程があらためて問題になった。誤解を恐れずいえば、かえってよかったのではないか。県民大会が開かれ、県議会は全会一致で抗議決議、市町村も抗議した。若い人たちが歴史を見直す機会になった。4・28を知らなかった人たちが、何だったのか問い直すことになった。
沖縄の自立、独立
これまでと違うのは、沖縄の独立、琉球の独立ということが言われ始めた。いままでなかったことだ。新聞に「独立論の系譜」が出たり、雑誌『通販生活』にも「沖縄は独立した方がいい」と特集された。5月には琉球民族独立総合研究学会が立ち上げられた。学問的にも運動的にも、本格的に独立を考えていこうとなってきた。
なぜ、そういうことになってきたのか。私は、独立ということには否定的に考えてきた一人。これまで独立論はどちらかといえば鬱憤晴らし、サロン的な談義だった。復帰の前後にも「反復帰論」というのがあった。いまもその系譜はある。
ところがいま、もっと多くの人たちが独立を言わないといけない時代になってきたのではないか。否定的にとらえてきた私も、独立ということを突きつけないと日本という国の政治、社会は変わらないのではと思うようになった。それが、いまの沖縄の気持ちだ。
いま沖縄の新聞は「独立」という言葉ではないが、「沖縄の自立、自己決定権」と大見出しをつけている。民衆の側に、まだ十分に議論が広がっていない背景がその表現になっているのだろう。
そういう意味では「独立」はまだ少数派。しかし、真剣な議論が始まっている。「自立、自己決定権」は、日本との関係性のもとでは当然だという思いが一般化してきている。
私たちは、「日の丸」を振って復帰運動をおこなった。高校2年のときが東京オリンピック(64年)。沖縄に聖火が来た。私も聖火ランナーになりたかった。日本には「戦争をしない、軍隊を持たない、そして基本的人権」の憲法があり、経済は成長していた。沖縄にないものばかり。憧れた。
しかし、いざ日本に「復帰」してみると、安保条約は沖縄に押しつける一方で、自衛隊はすでに20万人もいる。人権も本当に保障されているのか。在日や部落民への差別が厳然とある。ちょっと違うぞ。「いっしょになろう」と頑張ってきたが、「別れた方がいいのではないか」と思わざるを得ない。
独立について「無責任なことを言うな」という人たちもいる。しかし自立、独立、そういう方向を突きつけた方が対等な立場になれるのではないか。すぐに現実のものにはならないだろう。だが、独立を突きつけられた国にとっては不名誉なことである。それほどまでに、その国の政治が貧しいということだから。
第5の「琉球処分」
第1から第4までといわれる「琉球処分」。いま第5の琉球処分といわれる、大きな動きが始まったのではないか。
第1の琉球処分は、よく知られているように1879年、明治政府が600名の軍隊によって琉球国に侵攻し日本に併合、沖縄県とした。第2は1945年、沖縄戦。沖縄は本土の捨石とされ、20万人の人たちが犠牲になった。「沖縄、広島、長崎」と言われる犠牲を被った。そこには天皇制との関係がある。
米国に沖縄支配を進言した天皇メッセージが、1979年ころアメリカ公文書館で見つかった。天皇はマッカーサーに頻繁に謁見し、1947年に側近を通してメッセージを渡している。そこには、「25年ないし50年間、アメリカが琉球諸島を占有することが望ましい。日本国民はそれを許すであろう」とあった。天皇には戦争責任はもとより、戦後責任もある。それが沖縄の認識だ。
1944年2月の御前会議で当時の近衛首相が戦争の終結を提言した。ところが昭和天皇は「あと一戦果あげてからでないと有利な講和に持ち込めない」と戦争を継続させた。もちろん軍部も同じ。その結果、沖縄戦がおこなわれ広島、長崎(への原爆投下)に至った。
天皇メッセージが第3の琉球処分、講和条約につながったというのが沖縄の見解。沖縄は天皇に対して恨みがある。
1970年に、突出した行為ではあったが富村順一が包丁を持って東京タワーを占拠した。彼はその時、「アメリカ人と日本人は残れ。朝鮮人は降りろ」といった。また彼は「美智子も沖縄の女性のように、娼婦になって沖縄に尽くせ」(ママ)と書いた。当時はベトナム戦争の最中。沖縄の女性たちに、そういう苦渋が押しつけられていた。天皇制に対する糾弾だった。
そのあと3名の沖縄の青年たちが、戦争責任を追及し皇居に突入(71年)。いまの天皇が沖縄にきた海洋博のとき、ひめゆりの塔のガマに潜んでいた青年が天皇に火炎瓶を投げつけた(75年)。1987年の沖縄国体、「日の丸」を引き降ろし焼き捨てた私の行為も、そういう一つに入るだろう。これらは突出した行動ではあるが、沖縄の天皇制に対する糾弾として続いてきた。(つづく)
加瀬都貴子さん追悼集 『加瀬さん 見守ってください』
A5判103ページ 非売品
編集・発行 「加瀬都貴子さん追悼集」編集・刊行委員会
加瀬都貴子さん(=写真)が亡くなって、8月で1年になる。『加瀬都貴子さん追悼集―加瀬さん、見守ってください』が発刊された。私たちは、加瀬さんを忘れることはない。40年以上の間に神戸市民救援会議、加瀬さんから多くの人たちがお世話になった。本誌には23人、15団体から文章が寄せられた。長い年月が過ぎ、連絡のとれなかった人も多い。救援にかかわっている人たち、「救援ということ」を知らなかった人たちにも、ぜひ読んでほしい追悼集である。
救援とは何か
救援は決して「後方」の仕事ではない。加瀬さん自身は『救援ニュース』100号のインタビューに答え、国家・権力に対する激しい怒り、人間としての誇り、新しい社会を希求する精神、党派救対との違いと関係性を明確に語っている。加瀬さんと出会い、救援に接したそれぞれが、救援という加瀬さんのたたかい、市民救援会ということの根本を語っている。
大量逮捕・起訴がおこなわれた69年、71年安保沖縄闘争。東京まで面会に訪れた加瀬さんは、長期勾留中の年少の若者に敬意を込め「しっかりね。頑張ってくださいね」と言葉をかけた。彼は、それが「昨日のように思い出される」という。
1990年、三里塚・天神峰現闘本部が機動隊によって封鎖された。1月の早朝、降りしきる雪と寒風のなか、待機した車に乗るように促された・・・。が、加瀬さんは断固として乗らない。封鎖線をにらんだまま、最後まで対峙し続けた。
警察の差し入れ妨害に、烈火のごとく立ち向かう加瀬さん。
加瀬さんが日ごろ口にしていた「救援は表に出る仕事ではないのよ」という言葉は、本当にそうだった。あるとき鶴見俊輔さんが「その姿勢に感服した」と言ったと聞いたときも、「加瀬さんはまったく意に介せずだった」とか。「これ何よ。私の本なんかいらないわよ」という言葉が、「あなたはどうなの。どうするの」という問いかけとともに、聞こえるような気がする。
都貴子さんを支え続けたつれあいの俊行さんは、後を追うように亡くなった。都貴子さん88歳。俊行さん90歳。俊行さんの言葉には、2人がお互いに深い愛情を寄せ合っていた同志であった、と残されている。(M・S)
問い合わせ(E-mail)yellow-bird@gaia.eonet.ne.jp