再稼働阻止へ 8万5千人
抗議の声 国会を包囲
6・2 NoNukesDay
「今度は私たちの手で再稼働をさせない」(鎌田慧さん)霞ヶ関に向かって行進するパレード(6月2日 都内) |
芝公園の集会(6月2日) |
2日、都内で、大規模な反原発行動が取り組まれ、のべ8万5千人が参加した。午後から芝公園(主催:さようなら原発1000万人アクション)と明治公園(主催:原発をなくす全国連絡会)でそれぞれ集会が開かれ、デモ行進のあと、夕方4時からの〈反原発☆国会大包囲(主催:首都圏反原発連合)〉に合流した。
もっと抗議を
12時半、李政美(イ・ヂョンミ)さんのライブ演奏、参加者による福島のカンショ踊りから始まった集会は、司会を橋本美香さん(制服向上委員会会長)がつとめた。
呼びかけ人の落合恵子さん、大江健三郎さん、鎌田慧さんが発言。
落合恵子さんは、「私たちは、もっとたびたび抗議をしましょう。もっとたびたび声をあげていきましょう。憲法が保障した生存権、基本的人権、主権在民。福島の人々に(これが)ありますか?」と問題提起。
鎌田慧さんは、「8月になると、再び稼働原発はゼロになります。去年はむりやり再稼働しましたが、今度は私たちの力で再稼働させない。もんじゅ、ウラン濃縮工場、核大国に向かっている、それを阻止しているのが、ここにいる私たちです。」とアピール。
福島第一原発から25qの所で有機農業を営んでいたが、今は田村市内の西側に在住の農業者・渡部ミヨ子さんは「政府は原発を輸出すると言っているが、道を誤ってはならない」と訴えた。
静岡から東井怜(あずま いれい)さん(原発震災を防ぐ全国署名連絡会)、北海道泊原発がある泊村に隣接する岩内(いわない)町から佐藤さん、福井、伊方、薩摩川内から、発言が続いた。
最後に首都圏反原連のミサオ・レッドウルフさんが、夕方からの国会大包囲への合流をよびかけ、パレードに出た。
東京電力本店前でひときわ大きな抗議の声をあげ、日比谷公園まで行進した。
国会大包囲
国会前(6月2日) |
国会前で アピールする正清さん(6月2日) |
国会正門前のメインステージで「ただいま午後4時半、国会大包囲が完了しました」と宣言された。大包囲完了を知らせる自転車隊が走り回る。
国会周辺は、アピールエリア、官邸前抗議エリア、アートエリア、経産省前テントひろば、ファミリーエリアなどで、同時進行の催しがおこなわれた。
国会正門前ステージでは、司会を福島出身の千葉麗子さんがつとめ、5時から大集会がひらかれた。ノーニュークスデイの主催3団体、国会議員、正清太一さん(経産省前テントひろば=写真)、柳田さん(再稼働阻止全国ネット)などが発言。さらに、全国各地の原発地元団体からのアピールが続いた。
検察はなぜ捜査しない
福島原発告訴団が都内で集会
東京地検に向けて怒りのシュプレヒコール(5月31日 都内) |
「検察は強制捜査を」「東電は自首しろ」「福島の叫びを聞け」―5月31日、被災地・福島からバス3台で駆けつけた約150人をはじめ、1000人を超える人びとが、東京地検と東京電力本店を取り囲み、叫びをあげた。
福島原発告訴団が結成されて1年。告訴・告発人が1万4千716人。今年1月から開始された「厳正な捜査と起訴を求める緊急署名」が10万8千333筆。さらに弁護団は、検察庁に対してすでに3回にわたって上申書を提出。そして、この日、日比谷野外音楽堂を会場にした「福島原発事故の厳正な捜査と起訴を求める大集会」と、検察・東電にたいする行動がおこなわれた。
日比谷野音の集会で、また東京地検や東京電力本店の門前で、福島の告訴人や全国各県の運動の担い手の人びとが訴えた。福島からの訴えは、復興という掛け声とは裏腹の厳しい現実を突きつけた。
郡山市から静岡県に避難している告訴団静岡代表の長谷川克己さんは、「被害者がいるからには加害者がいる。加害者が誠意をもって謝罪してこそ歩み寄りが生まれる。福島の痛みを、悲しみを、この国の未来をひらく鍵につなぐことができなければ死んでも死にきれない。司法の勇気ある判断を望みます」と訴えた。
告訴団副代表の佐藤和良さんは、「重大な権利侵害に検察は何もしないのか。東電を強制捜査すべきだ」と語気を強めた。
沖縄の“負担軽減”はウソ
オスプレイ訓練移転で安倍・橋下が連合
基地強制のペテン
橋下大阪市長が、大阪府八尾市にある八尾空港へのオスプレイ訓練の一部移転を政府に提案した。これに対して、批判の声がわき起こっている。八尾市は反対している。
いまなすべきことは、住宅密集地のど真ん中にある普天間飛行場からただちにオスプレイを撤去することだ。訓練の一部を同じく住宅地のなかにある八尾空港に移転しても、問題はなにひとつ解決されない。橋下はこれをもって「沖縄の負担軽減」につながると強調するが、それは沖縄に米軍基地を強制し続けるためのペテンである。
辺野古移設を推進
橋下が代表を務める「大阪維新の会」はこの5月、沖縄の地域政党「そうぞう」(下地幹郎代表)とのあいだで、米軍普天間基地の名護市辺野古への移設を推進することで政策協定を結んでいる。今月6日に、安倍首相と菅官房長官との会談を終えたあとの記者会見で橋下は、「(そうぞうの)下地代表は沖縄で初めて、辺野古移設を真っ正面から容認された。であれば(本州での)オスプレイの訓練はいいんではないか」と話している。あくまでも辺野古新基地建設を前提にした話なのである。
取引はしない
これに対して沖縄から強い反発の声があがっている。琉球新報は6月8日付の社説で、橋下の訓練移転案を「『慰安婦』に対する暴言への批判をかわす小手先の案」と切って捨てた。そして「なぜ、沖縄への基地固定化が前提なのか」ときびしく批判した。
沖縄タイムスも同日付の社説で「参院選を意識した人気挽回策」とし、「自民党と日本維新は辺野古移設と憲法改正で政策が一致している。沖縄にとっては訓練の一部移転案と取引するわけにはいかない」と橋下案をきっぱりと拒絶した。
橋下発言を許さない
沖縄では橋下の在日米軍「風俗業活用」発言に対する怒りが渦巻いている。6日、沖縄県議会は抗議決議を賛成多数で可決した。決議は「筆舌に尽くしがたい苦しみと痛み、人権じゅうりんを強いられている県民の感情を逆なでする発言で許しがたい」とし、沖縄県民への謝罪を求めている。
自民・維新連合許すな
大阪でも怒りの声は広がっている。8日には大阪市内で「橋下市長の『慰安婦』・性暴力発言を許さず辞任を求める集会」(実行委主催)が開かれ(=写真)会場は、参加者で満杯になった。橋下に即時辞任を求める声があいついだ。
7月参院選で自民・維新の改憲連合を打倒しよう。
2面
安倍政権批判(4)
安倍政権の原発・核政策を斬る(下)
4.原発にシフトする安倍政権
安倍内閣の陣容を見てみよう。安倍が会長、平沼赳夫が最高顧問を務め「戦後レジームからの脱却」を理念に掲げる「創生『日本』」(事実上の安倍派)に所属する側近議員から10人も入閣。 19人の閣僚のうち、13人が右翼・改憲団体の日本会議国会議員懇談会に所属している(第1次安倍内閣では18中12人)。
安倍内閣は単なる右派内閣というだけではない。今回のこの組閣人事は原発を推進し、原子力政策に固執し、核武装を画策するものだ。
原子力担当・環境大臣には、民主党政権がかかげた「2030年代の原発稼働ゼロをめざす」という政策を「非現実的だ」と切り捨てた石原伸晃。「日本経済再生本部」担当大臣には元経済産業大臣の甘利明。甘利は財界人らが参加する経済財政諮問会議も担当し、原発維持を求める経済界の意向をくみ取る役割を担う。経済産業大臣には核燃料サイクルを容認している茂木敏充が就任している。
原発に関係する閣僚は「オール原発維持派」という陣容になった。
党人事も
自民党の人事はどうか。幹事長の石破は、報道ステーションで「核武装のために原発を持っておけ」というとんでもない発言をしている。そして自分の娘を中曽根のコネで東電に入れている。東電のパーティ券購入額トップ10に石破はランキング入りしている。
官邸人事は、菅義偉官房長官はじめ、加藤勝信、世耕弘成の両副長官、さらに首相補佐官の木村太郎、礒崎陽輔、衛藤晟一まで全員が「創生『日本』」のメンバーだ。
側近中の側近ともいえる政務秘書官に経産省の前資源エネルギー庁次長の今井尚哉(たかや)を充てた。
今井は昨年2月、橋下徹大阪市長と東京都内で密会するなど、大飯原発(福井県)再稼働のために暗躍した人物。嘉田由紀子滋賀県知事や山田啓二京都府知事にも「再稼働しないと電力不足になる」などと、“脅し”をかけて回った。
また事務秘書官には経済産業政策局審議官の柳瀬唯夫。柳瀬は06年、「安全神話」にもとづく「原子力立国計画」(経産省・資源エネルギー庁)をまとめた事務局メンバー。将来の原発比率を40%以上に高める計画を策定した。甘利経済再生担当相が第一次安倍内閣の経産相としてこの「計画」を推進した。
経済財政諮問会議(議長・安倍首相)の民間議員となった東芝の佐々木則夫社長は、入社早々東京電力福島第1原発の配管を担当し、原子力技師長、原子力事業本部長を歴任するなど原子力事業一筋の人物。06年に米原子力大手企業ウェスティングハウスを買収した“功績”が評価され、09年6月に社長に就任した。大間原発(青森県)の建設も東芝が受注している。
同会議の民間議員に起用された三菱ケミカルホールディングスの小林喜光社長は東電社外取締役を務め、諮問会議の役割は「いかに原発を再稼働するかだ」(1月7日)と語る原発推進派だ。
経産省の思惑通り
福島原発事故以降、その責任追及に戦々恐々としていた経産省。それが安倍晋三政権の発足以降、異様に活気づいているという。閣僚人事や経済政策などがほぼ同省の思惑通りに運んでいるためだ。
5.安倍は原発事故の戦犯
2006年12月、共産党の吉井英勝衆院議員が提出した「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」に対して、当時の第一次安倍内閣は次のように答弁している。
―・―・―
(問)海外では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか
【答】海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない
(問)冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
【答】そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
(問)冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
【答】そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
(問)原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
【答】そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない
―・―・―
この答弁を見れば明らかなとおり、当時の安倍政権は事故防止や被害対策などまったく眼中にない。実際に起きた事故への対応でも、電力会社によるデータのねつ造や事故隠しに手を貸していた。
そこに発生したのが、07年7月の新潟県中越沖地震。東電柏崎刈羽原発で放射能汚染水漏えい・火災事故が発生した。しかし、安倍政権は事故の原因究明に消極的で、新潟県が国際原子力機関(IAEA)による調査の受け入れを要請したのを受けて、ようやく立ち入り調査を認めた。それでも安倍は原発推進を続けていた。福島原発事故は安倍が招いたのだ。
6.日本の原発と米の核戦略
「結局、原発は安全保障の問題。アメリカは日本の原子力からの撤退を許さない」
「現在、全世界では約400基の原発が稼働しており、その半数以上は、米日仏3カ国にある。日本がやめたからといって、世界は原子力発電をやめることはない。特に中国は今後30年間に、75から120基を新たに建設するとみられている」
「不拡散は、米欧日が主導してきたものだ。3極体制が崩れると、不拡散の目的を必ずしも共有しない国々がより大きな影響力を持つことになる。それは日本にとっても好ましいことではない。世界は今より大きな危険にさらされることになる」
以上の発言は、昨年10月朝日に掲載されたワシントンの有力シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハレム所長へのインタビューの抜粋である。
CSISは昨年8月公表した第三次アーミテージ=ナイ報告(2012年8月)においても、日本政府が打ち出した「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す方針について「受け入れがたい」と強く指摘していた。
アメリカにとって、日本は世界の核拡散防止体制のために必要不可欠なパートナーなのだ。原発と核兵器開発は同じものである。アメリカは優れた核兵器開発工場(=日本)を手放したくないのだ。核兵器開発工場(=日本)を失うことは、核によるアメリカの世界支配の根本が崩れることと同じだという強い危機感がここに示されている。
「日米原子力協定」
石破は、昨年9月19日に東京・有楽町の日本外国特派員協会で行われた自民党総裁選候補者討論会で、「日米原子力協定から目をそらしていないか。わが国が平和的に原子力を利用するということが、日米同盟にとって、どういう意味を持つものなのかということをしっかり認識し、合衆国に説明することが必要であり、国民にもそれを説明しなければならない」と「原発ゼロ」が日米同盟を損なうと強調した。日米原子力協定が日米同盟の核心にあるのだ。
現在の「日米原子力協定」は、1988年に発効。この協定の管理下にある限り、日本には、高速増殖炉を利用する核燃料サイクル事業(使用済み核燃料の再処理およびプルトニウムの抽出)が認められている。それは核兵器開発に向けて技術と核燃料を保持するということだ。核保有国以外で唯一核燃料サイクルを持てる「特権」も与えられてきた。日米原子力協定で定められた“契約”のもとに、日本は核開発につながる技術を獲得してきた。アメリカが日本の脱原発に反対するのは、核管理システムと安全保障のバランスを崩されたくないからだ。
米と日本の核武装
核技術とはもともと目的は核兵器であり、電気は副産物にすぎない。核兵器に必要なのは、濃縮工場と原子炉と再処理工場だ。軍事用プルトニウムの生産は、黒鉛減速型の原子炉でなければならない。通常の軽水炉で生産されるプルトニウムは原爆用としては使えないのだ。1965年、日本で最初に導入された東海原発の原子炉は、英国で核開発用に製造された黒鉛減速炭酸ガス冷却型(コールダーホール型)の原子炉だった。この原発で作ったプルトニウムでイギリスは原爆を作っていた。
1967年には動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が発足し、高速増殖炉の開発を始めた。高速増殖炉が完成すれば、使用済み核燃料から戦術核といわれる高性能小型プルトニウム爆弾を製造することができる。動燃に与えられた使命は、採算を度外視しても高速増殖炉を開発することだ。
1971年には使用済み燃料からプルトニウムを抽出するため、東海村再処理施設の建設が始まった。その後、茨城県大洗町に高速実験炉「常陽」、福井県敦賀市に高速原型炉「もんじゅ」、ブランケット(高速炉の天然ウランで作った中性子吸収体、燃料集合体を取り囲むように配置してある)を再処理するための東海村リサイクル機器試験施設(RETF)の建設と、核開発を進めた。
RETFの建設なくしては、不安定な核爆弾を作ることはできても核兵器は作れない。アメリカはもんじゅの建設を認めただけでなく、そのブランケットから兵器級プルトニウムを抽出する特殊再処理工場(RETF)の建設も認めた。そして、そのための軍用小型遠心抽出器を動燃に販売した。兵器級プルトニウムは臨界条件が厳しく、普通の再処理工場の抽出器ではプルトニウム同位体のPu240が10%以上混在するた臨界前に核分裂が始まる心配がある。動燃はアメリカ軍に資金と技術で協力し、その代わりに軍用技術の提供を受けていた。
リスクは日本に
濃縮工場を経常的に運営することは、核兵器の維持や核戦略の展開にとって非常に大事な要素である。そこでアメリカは「核の平和利用」と称して、原子力発電所を世界中に売り込んできた。
NRC(米原子力規制委員会)は昨年、使用済み核燃料に関するリスクの再評価を完了するまで、原発建設認可の最終決定を停止することを決めた。最終処分施設がないため、新たな原発建設ができないのだ。アメリカにとって原発はもはや重荷になっている。
しかし核を支配することが世界支配の要である以上、そのリスクは日本に押し付けられることになる。商業用原子炉から兵器級の核物質をつくりだす技術や、研究者・技術者の育成は日本でおこなう。原発、再処理施設、高速増殖炉、RETFを日本で動かし続け、使用済み核燃料の最終処分は、原発事故ですでに汚染されてしまった日本でやればいいということだ。韓国やベトナムの使用済み核燃料は六ヶ所村の再処理工場に運べ、これがアメリカが日本に求めていることだ。
原発輸出も日本がやる限りは、ロシアや中国による影響力の拡大を防げる。しかも日本が原発を販売するとパテントビジネス(特許)で米国に濡れ手にあわの金が入る。
まさに再稼働を阻止するたたかいは、日米同盟とのたたかいであり、アメリカ帝国主義の世界支配体制と根底的に対決するたたかいなのである。(了)〔堀口龍雄〕
3面
農地を奪う判決許すな
7・14全国総決起集会(千葉市)へ
三里塚
3・24全国総決起集会 |
1.市東さんの農地法裁判
市東さんの農地取り上げ攻撃との攻防は、まさに風雲急を告げる情勢に入った。
3月27日に結審し、7月29日の一審判決が目前に迫ろうとしている。市東さんの農地を市東さんと反対同盟、そして全国の三里塚支援勢力の力で守り抜くことができるのかどうかの攻防が続いている。
反対同盟が呼びかける緊急3万人署名と7・14全国総決起集会に全力で決起しよう。全国のあらゆる集会で、街頭で、職場で「市東さんの農地を守れ」の声を集め、千葉地裁・多見谷裁判長に突きつけよう。
農地法による農地強奪
何よりも、この農地法裁判・行政訴訟自体が、異様な裁判だということだ。
農地法は言うまでもなく、耕作地と農民を守るための法律である。農民が農地を手放そうとしているのならいざ知らず、安全・安心の農作物を消費者に届けるために農地を守り、耕作を継続していることをもって、なぜ「裁判にかけられる」ことになるのか。
しかも対象農地は、市東さん親子3代90年以上にわたって、平穏に耕作を続けてきた農地であり、また国内法では唯一「強制収用」を可能とする土地収用法によっても収用できなかった農地なのだ。
法の趣旨や目的とまったく逆のことがまかり通る、こんなことが許されていいのか。「国策」なら何でもありだとでもいうのか。
1本百円の大根を
政府・NAA(成田空港会社)は、市東さんの農地取り上げに「1億8千万円を『補償』する、これはこの畑の20年分の収益に当たる」などとほざいている。これに対し市東さんは、「無農薬・有機栽培の安全・安心の野菜、1本百円の大根を消費者に届けたいのだ」と応じている。
この市東さんのアピールの中に、真実と正義があり、農民としての誇りと心意気、魂があるのだ。札束や暴力、国家の強権で、農民の魂までをも抜き取り、叩き潰そうという、この薄汚い政府・行政や巨大資本の策謀を絶対に許してはならない。何よりも三里塚農民は、こうした攻撃と非妥協不屈に47年間闘いぬいてきたのだ。
2.成田空港の現状
オープンスカイ
成田空港への乗り入れ路線、発着枠はこれまで、国家間の交渉で決められてきたが、この3月末より各空港会社が自由に決定できるようになった(オープンスカイ)。政府は、オープンスカイを成田空港の「第2の開港」として、ありとあらゆる規制の撤廃、悪無限的な空港の拡張に向かい始めている。
数年前より、政府・NAAは、空港発着枠の拡大に必要な施策としてエプロン(駐機場)の新設、B滑走路の第3誘導路新設、深夜・早朝時間帯の延長、1978年の暫定開港から続く空港入場検問の撤廃(試験的に実施)などを進めてきた。また現在、LCC(格安航空会社)のための新たなターミナルの建設を進めている。一言で言って、成田空港は、1978年の開港から35年、様変わりの様相を呈し始めているということだ。
それは、対反対同盟のみならず、対周辺自治体や住民対応においても、大きく変化をしようとしている。
周辺住民とのあつれき
天神峰部落と市東さんの家屋を空港用地で囲い込むことになる第3誘導路計画とともに、「早朝・深夜時間帯の1時間運用延長問題」は、大きな地域問題に発展していった。
騒音直下の下総地区(成田市)は、「絶対反対」と説明会を拒否。「空港城下町となった成田市」の小泉市長は、この声を押し切り緩和容認に進んだ。結果的には、深夜のみの1時間延長容認となったが、問題は何一つ解決していない。周辺地域の騒音問題は我慢の一線を超えたということだ。
空港運用の規制緩和、24時間空港化への流れの中で、火種が拡散し地域からの反乱が必ずや引き起こされるに違いない。
新たな農地強奪
この3月末に、成田空港の自由化と年間発着数30万回化へのスタートを切った政府・NAAは、早くも「B滑走路の延長が現実的課題」「運用効率や有事の対応を考えると、成田にも4千メートル級がもう1本必要」(産経新聞)などと言い始めている。すなわち、B暫定滑走路の南側延伸=天神峰・東峰部落の破壊である。
また「2本の滑走路をつなぐ誘導路を空港の北側にも設けるべき」(全日空)などの動きも出ている。
また「成田・羽田の一体運用が実現できたとしても、発着枠75万回程度にとどまり、100万回が当たり前のアジアの主要空港に及ばない」などと空港拡張の主張が跋扈し始めている。
成田空港は、新自由主義経済と航空の自由化(オープンスカイ)政策のもとで、このように当初の空港計画の完成のみならず、悪無限的な拡張が図られようとしている。
もちろんその先にあるのは劇的な破たんである(成田空港の現在の運用実績は21万回。30万回はあくまでも運用枠にすぎない)。問題はこうした攻撃が、空港用地内農民は言うに及ばず、成田空港周辺地域と農業、環境、住民に対して、取り返しのつかない破壊と打撃を与えることになるということだ。
市東さんの農地を守る現在の闘いは、こうした新たな成田空港建設・拡張攻撃との闘いの始まりでもあり、その行方を大きく決していくことになる。緊急3万人署名と7・14全国闘争への総決起を訴える。
労働運動の再生と復権を目指して
熊沢誠さん(甲南大学名誉教授) 西谷敏さん(大阪市大名誉教授)が講演
5月30日、「労働運動の再生と復権を目指して」と題して、熊沢誠さん(甲南大名誉教授)と西谷敏さん(大阪市大名誉教授)を招いた講演会(主催 民主法律協会、大阪労働者弁護団)が開かれた。(=写真)
職場をかえる
熊沢さんは、労働組合運動の思想原点をノンエリートがその立場のままで「生活安定と発言力」の拡大をはかると定義し、「労働組合のさまざまな有り様」という把握のしかたを提起した。
そして既存の労働組合が非正規雇用労働者に対する差別的な状態を放置し、労働条件の〈個人的処遇化〉という企業労務をゆるし、最も過酷な処遇を〈個人の受難〉とさせてきた現状をどう打開するのか。この現状の打開を外部の「コミュニティユニオンなど」にまかせることだけでは「職場は変わらない」。熊沢さんは、その著書のなかで「『労働組合』と『ユニオン』は同義である」とし、「労働組合」を企業内組織として見放し、個別労働紛争の解決に奔走する「ユニオン」についてのみある種の期待を込めて語るのは(狭い)」「両者は二項的に対立・棲み分けがなされるようなものではない」とのべている。
労働法に依存するな
西谷さんは、日本の労働運動が、@過度に裁判による解決に偏重している、A法律・判例にしばられて自粛しすぎている、とその合法主義的あり方を批判して、本来の労働組合の闘いの復権を訴えた。
「労働法自体は、労働組合の諸活動を妨害したり促進したりする」ものである。労働組合に対する法の態度は「禁止→放任→積極的承認」である。「労働組合が活力を失っているときに労働法にそのカンフル剤の役割を期待することはできない」として「組合運動なくして労働法に期待する」というあり方を批判した。
そして、かつての順法闘争や安全闘争にふれ「網の目をくぐるような」闘いをつくりだし、ストに代わる実力闘争の復活を提案した。
組合バッシングと危機
西谷さんは、「労働組合が市民に嫌われるという異様な日本の現状」の原因は「労働組合があまりに企業社会に縛られ、自己の狭い利害に陥り、『健全な市民感覚』を失っているからではないか」と指摘する。「労働者は市民、市民は労働者」という感覚が日本にはない。組合バッシングのなかで、世界的にも稀な憲法28条(労働3法)の先進性が活かされていない。
また今後、労働組合法が改正され、団体交渉を企業内労組に限定し、コミュニティユニオンの団交権が奪われる可能性があると指摘。労働運動の危機に警鐘をならした。
地域との連帯
民主法律協会の豊川義明弁護士と大阪労働者弁護団の在間秀和弁護士から次のような問題提起がなされた。豊川さんは、正規雇用労働者中心で市民社会との連帯が弱い戦後労働運動へ反省点を指摘し、「横」「地域」「弱者」との連帯と、「社会的運動との交流」を提起。在間さんは「金銭解決型」を脱却し、労働運動を職場に根付かせるために「地域ユニオンへの期待」を語った。
社会運動ユニオニズム
労働組合が新自由主義攻撃下の労働現場に全く対応できず、現状維持に汲々としながら狭い「利益共同体」化し、労働者全体から乖離している。今回の講演会ではこうした労働組合の現状に対してさまざまな側面から指弾をうけた。
また今回の提起者が学者と弁護士だけで現場の労働組合の担い手たちがいなかったことは慙愧に堪えない。
「労働運動の再生と復権」とは合法主義を脱し、地域や社会運動と連帯し、市民感覚を携えて企業社会をおおう新自由主義攻撃と闘う視点を確立せよということである。「利益共同体」と化した現状を打破し、「使命共同体」に脱皮する労働組合と労働運動の飛躍が提起されたと受けとめた。学者や法律家が所属団体やセクトの壁をこえて、「現状打開しよう」と声をあげているとき、労働組合・労働運動の担い手であるわれわれが何をなすのかが厳しく問われている。〔森川数馬〕
4面
原発事故―その時病院が直面した現実
ある医療従事者の体験(3)
福島原発事故当時、第一原発から9キロ、第二原発から3キロにある今村病院に勤務していた佐藤慎司さん(30代、仮名)の体験を紹介する。
佐藤さんはその日も通常通り出勤して事故に遭遇。患者の避難に奮闘した。事故から2年、ようやく佐藤さんは当時の体験を落ち着いて話せるようになった。福島第一原発が爆発した直後、病院では患者の避難をめぐって何が起きていたのか。当時の苦悩する医療従事者たちの姿が生々しく語られた。
3月12日15時36分 1号機爆発
3月12日
5:22 第二原発1、2、4号機 冷却機能喪失
5:44 政府、第一原発の半径10キロ内住民に避難指示
7:45 政府、第二原発の半径3キロ内住民に避難指示。10キロ内住民に屋内退避指示
10:17 第一原発1号機 ベント操作
15:36第一原発1号機 爆発
17:39第二原発の半径10キロ内住民に避難指示
18:25第一原発の半径20キロ内住民に避難指示
「何やってんだ」
―原発の深刻な事態を認識するのは
翌日12日の1号機の爆発。そういうことが起きたということを聞いたのは午後3時半過ぎぐらいかな。
「何やってんだ」という感じでタイベック(防護服)を着た警官が跳びこんで来たのが、たぶん初めての情報だったと思う。
テレビなどの情報は、なぜかなかった。東電からもなかった。役場からもなかった。
タイベックを着てたら、異様だわね。いきなり雪崩込んできて、浴びせるように「爆発したんだから、逃げろ」みたいなことをいきなり言うんだよ。
「え〜?!」という感じ。ほんとに。
―爆発したと聞いて何を考えましたか
原子炉の機械的なことの知識はなかったけれど、爆発したってことはイコール放射能が漏れるという考えは浮かぶよね。
どれくらいの量で、どういう範囲でとか、わからないからものすごい恐怖。知識がないから単純な恐怖。知っている人は知っているなりの恐怖感があるんだろうけど、知らない者の恐怖感というのもあるんだね。
ちょっとは覚悟した。「もしかしたら、俺ヤバいかも」って。
でも、同時に、ずっと情報が薄い中で情報らしい情報、具体的な情報が初めて入ってきて、何か救われたような気持ちも半分あった。入ってきた情報は最悪の情報なんだけど。それでも、まだ「どっかで誰かが対応してくれて何とかなるだろう」と。そのときはまだそう思ってた。ただ、実際にはそうではなかったということだけど。
―12日の早朝には10キロ圏内にも避難指示が出ていますが
なぜか知らなかった。教えてくれなかったというか。少なくとも僕のところでは全く。
まあ腹は立ったよ。どうしてくれちゃったんだと。国なり県なり町の首長なり、東電なり、何で誰も教えてくれないんだ。何やってんのって。
原発立地地域の病院で、初期被ばく医療機関にも指定されているところなんだから、優先的に情報は来てもいいんじゃないかと思っていた部分がある。
ところが真逆だったというか。何も知らなかった。
―やはり事実はそういうことですか
そう言われると逆に聞き返すんだけど、避難指示とか、みんなはいつ知ったのって。
国の指示もマスコミの情報も、俺はやっぱり記憶にない。一番近いところにいるのに。爆発してから言うなよってことだよ。
もしかしたら耳に入っていたかも知れないけど。でも周りのみんなも、避難なんてことで騒いでいなかった。そこにタイベック(を着た警官)が跳びこんできて、いきなり「逃げろ」と。
〈富岡町への連絡及び避難指示〉
○事故発生 福島第二について10条通報、15条通報を受信
3月11日夜 東電職員2人が状況説明
○10キロ避難指示 報道や大熊町の防災無線で認知
○自治体から住民への避難指示 12日朝 富岡町独自に全町民避難指示
○避難の詳細 12日午前8時頃 バスで川内村へ6千人避難
16日ビッグパレットふくしまへ避難
「逃げろ」はのみ込めない
―「逃げろ」と言われたことに対しては
いきなり「逃げろ」と言われてもね。やっぱりみんな、自分だけ逃げたいということはなかったと思うね。ある種の正義感か責任感か。避難にしても何にしても、患者さんをどうにかしたいというか、患者を残してその場からという奴はいなかったね。
「とりあえず逃げろ」。事態は分かったけど、その言葉は「患者は構わないからとりあえず逃げられる人間だけ逃げろ」みたいに聞こえたね。タイベックの警察官の言葉が。その人自身かなりパニックになっているわな。
「とにかく逃げろ」と。そしたら、意思伝達ができて避難行動がとれる人に限られるわけじゃないですか。「逃げろ」という言葉は逃げられる人間の言葉であって、それが病院とか医療従事者の立場からすると疑問を感じるというか、どうものみ込めない言葉なんだな。
―実際の避難の方策は
警官が来て「爆発した」と言うのと、避難要請的なことは同時進行だったんだと思うのね。大型のバスが2台来て、「それに乗って、逃げて下さい」という言い方だった。
でも、そもそも避難なんて無理。国とか県は各病院の自力でみたいなことを言ってきたわけだけど、どう考えても不可能。うちの病院の患者さんたちを動かすなら、患者さんの数倍の人と車を投入して、ものすごい時間をかけてやらないと。
でも実際に来たのは2台。それだけ。およそ実情に対応していないわけだな。患者さんに対する対応としてはかなり薄いというか、何も考えていない。病院を避難させるということがどういうことなのかについて、国も県も実際に何も考えていなかったということだ。
バスに乗れない
―そのバスは誰が手配を
詳しいことはまったくわからない。そんなことをいちいち確認してもどうにもならないからね。
〈富岡町に対するヒアリング〉「バスを手配しようとしたが、浜通りのバスはどこも出払っており1台も手配できなかった。12日午後4時に町役場は撤退したが、残された病院は町ではなく『別の対応』がされると聞いた。結果的にそれが自衛隊であり県警だった」(『国会事故調報告書【本篇】』)
―バスへの乗車は
バスが来るまで何も知らないということは、第一歩からして遅れちゃう。しかも、すべて普通より時間がかかるのに。ウチの病院は、脳卒中の後遺症とか寝たきりの患者さんが多いわけだから。
それにバスは椅子だよね。「椅子に座れない患者さんは乗せられません」というわけ。そんなことをどこが決めたのか。それが結論なのか。バス会社さんは「いまいろんなことでうるさくなってるから、椅子に腰かけてシートベルトつけられない方は乗せられません」ということをはっきり言うわけ。
じゃあどうする? 通路に寝かせていくかとか、いろいろ考えるわけだよ。
次に「1人の患者さんに対して、看護師さんを1人つけてください」という話が出てくるわけ。理屈はわからないわけじゃないけど、どう考えてもそれは無理でしょう。普段だって1人のナースが5〜6人を相手にやっているわけでしょ。それをこんなときに、椅子に座れない患者さんをバスに乗せないとか、ナースを1人ずつつけろとか。そういうことを言うわけよ。
さらにわれわれの避難だってある。誰しもその場から離れたいと思うだろうし、「誰が乗るの?私が乗るの? 私は乗れないの?」ということになるでしょう。
単純に「職員が何人いて、患者さんが何人いて」という計算の下にバスを手配しているんだろうけど、それと実際とは全然違う。
―どういう患者さんが残ることに
結局、言われた通りの範囲の中でやるしかない。
だから、残念ながらそのときには乗せて行けない方もいた。観光バスが2台来て、座席が余っていても条件的には乗せられないと。
自分で歩ける方や介助すれば移動できる方と、全介助で2〜3人いないと動かせない方となったときに、一番状態の良くない方に待っていただくという判断にならざるを得ない状況だった。
12日の夕方。たぶん、4時とか4時半とかにそういうことをバタバタやっていたんだと思う。
―バスに乗る患者さんとスタッフの数と、乗らずに残った人たちの数は
12日の夕方で患者さんが90人ぐらいで、スタッフが30人ぐらいか。第一陣で避難した患者さんが20人ぐらい。それに同じぐらいの数のスタッフがついて行ったのかな。なんせ「逃げろ」と言われてバタバタだったから、数字的なことは定かじゃないな。
―その時点で残った患者とスタッフについての方針は
その時点では1回で運び切れないなら2回、3回という考えでしたよ。だから最初のバスは第一陣ということだったと思うな。自分は行ってすぐに戻るつもりでしたよ。「まず、患者さんを全員避難させよう」という頭があったから。
患者で残した人はみんな全介助で、コミュニケーションも取れない人もいたし症状としてはかなり重いし、ケアもかなり労力を要するという状態だったね。
だから戻るまでの間、何とか頑張ってほしいと。
あとでそうならなくなるんだけど・・・。(つづく)
「(入院患者96人のうち)重篤患者67人と病院職員8人を残して、軽症患者にほとんどの病院職員が付き添い、川内村に避難した」 (『国会事故調報告書【本篇】』)
「12日:バスが病院に到着し、移動に耐えられると判断された軽症の入院患者が、川内村を経由して郡山市内の高校へ避難した」 (『国会事故調報告書【参考資料】』)
5面
福島・広島・沖縄に思いを馳せて
知花昌一さん、中村周六さんが対談
対談をおこなう中村さん(左)と知花さん(右)(6月2日 広島市内) |
今年の「8・6ヒロシマ平和の夕べ」プレ企画の第2回。〜対談〜「平和と平等を問う」が6月2日、広島市内で開かれ50人が集まった。
対談したのは知花昌一さん(真宗大谷派僧侶、反戦地主)と中村周六さん(浄土真宗本願寺派僧侶)。「沖縄とヒロシマを語り合う」と、平和の夕べ呼びかけ人の一人、中村さんらが知花さんを招いた。
中村さんは、「4月にジュネーブで開かれた核拡散防止条約(NPT)会議で出された『いかなる状況でも核兵器は二度と使わないことが人類生存の利益につながる』という共同声明に、被爆国である日本は署名しなかった。その後すぐ、安倍首相はインドへの輸出を公言。ヒロシマ、ナガサキを経験しながら、まったく省みない。多くの人たちがフクシマ3・11を苦悩しているのに。沖縄に平然とオスプレイを配備する。この国は何だろうか」「1945年4月1日からの沖縄戦から今日まで何も変わらず、どこまで沖縄の人たちに苦渋を押しつけるのか。知花さんに語ってもらい、考えたい」と語る。
知花さんは、沖縄では何度も10万人県民大会をおこない、普天間基地の県内移設、オスプレイ配備に反対してきたが、一切変わらない。その上に4・28「主権回復の日」とは―と次のように話した。
「安倍政権は4・28を主権回復という記念日として祝典をおこなった。沖縄のすべての主権を売り渡した屈辱の日。沖縄は猛反発した。『復帰』以降は5・15が基地反対の日となり、4・28は後景化していた。今回、激しい怒りとともに、県民大会も開かれ、若い世代が屈辱の日を知る機会になった」。
明治政府による琉球処分、沖縄戦と米軍支配、4・28サンフランシスコ講和条約=主権売り渡し、5・15「基地付き」本土復帰、そしてこれから第5の琉球処分がおこなわれようとしている―「沖縄はいま、もう独立だという議論があちこちで言われている。沖縄2紙も自立、自己決定権を公然とかかげ始めた。実際に考えていこう、と」。そうでないと日本という社会、政治は変わらないのではないか、という。
ではヒロシマは―。「いろいろな運動もあり、ずっと問われてきた。そしてフクシマ。もう一度、私たちは根本から考えていくときだ。なぜ、かつての運動から40年の時をへて僧侶になり、ヒロシマに回帰したのか。人間に絶対的に敵対する核・放射能をすすめる者たちとどう闘うか。福島第一原発の大事故の後でさえも、ヒロシマ・ナガサキが省みられないのか」(中村)。「仏教では、怒りは抑えるべきものとされるが、福島、ヒロシマ、沖縄―怒りはその人々への思いをはせさせる」(知花)と、意見が交わされた。
【次号から、「沖縄のいま」(仮題)として、知花昌一さんの話を連載する】
本の紹介
フィリピン民衆 vs 米軍駐留
ローランド・G・シンブラン著 新田準 翻訳 凱風社
2012年6月発行 2000円+税
ちょうど1年前に発行された本だが、沖縄問題に取り組む人にはぜひとも読んでほしい。
フィリピンは1571年にスペイン領となるが1899年に独立。1901年にアメリカの植民地とされ、1942年には日本に占領され43年に親日政権が誕生するが、45年日本の敗戦でアメリカの植民地支配下に戻り、46年に独立。65年親米政権マルコス独裁体制が登場し、72年に戒厳令を敷くが、86年エドゥサ革命で第4共和制を樹立した。91年比米軍事基地協定の延長を拒否。米軍はフィリピンから撤退を余儀なくされた。
まさにフィリピンは数百年間、植民地支配と戦い続け、数百万人民の命を犠牲にして、尊厳を求め続けてきた国である。
米軍撤退後のスービック海軍基地やクラーク空軍基地などの「転用政策」は、基地転換開発法、基地転換開発庁、スービック湾都市開発庁、クラーク開発公社の設立などによって急速に解決していった。「米軍基地の撤去は国家経済を破綻させる」と考える人が多数いたが、基地の跡地は経済成長の牽引車となった。2008年6月現在、米空海軍雇用の3倍の労働者の雇用を生み出した。
しかし、米軍撤退の10年後の2002年、VFA(訪問米軍地位協定)、MLSA(相互兵站支援協定)が締結され、米軍がフィリピンに戻ってきた。
VFAは極めて一方的な協定である。米軍の兵士・職員がフィリピン国内で犯した犯罪について、米国にはフィリピンの法律に従う義務がなく、米兵の拘束についても特別扱いを受けて、出入国管理法と関税法が免除されている。VFA第5条によれば、米軍関係者がフィリピンで犯した犯罪は、どれほど重大であっても「公務上の行為」と見なされる。フィリピン国内で発生した米軍の兵士・職員の犯罪は、米軍指揮官が「公務証明書」さえ発行すれば、犯罪人はフィリピン側の手の届かない場所にとめ置かれる。
著者のシンブランは抑えがたい怒りに打ち震えながら、次のように語る。米国は自国の挑発的な世界政策がもたらした「9・11の犠牲者」の名の下に侵略を正当化し、石油資源の豊富な国に戦争をしかけて、占領してしまう国である。米国を攻撃しているのは米国の軍国主義の犠牲者である。米国はイラク同様、フィリピンでも自由のために闘う人をテロリスト、反乱軍、武装勢力、犯罪者と見なしている、と糾弾する。そう、ここをはっきり語らねばならないのではないだろうか。(S)
闘いの炎は全国に拡がる
オキュパイ大飯弾圧 最終意見陳述(要旨)
2013年5月24日 川崎二男
5月24日、オキュパイ大飯弾圧裁判で被告の川崎二男さんが最終意見陳述をおこなった。その要旨を掲載する。判決は7月17日(水)11時から福井地裁で言い渡される。〔要約は編集委員会の責任でおこなった〕
2011年3月11日のフクイチ・シビアアクシデントから2年以上が経ちました。今も続いているフクイチでの放射性物質の発生は未だに止めることもできずにいます。今年3月の段階で、敷地内の放射能汚染水を管理するタンクが敷地内だけでは足りなくなるような状況になっています。また、放射性物質が今でも東日本一帯に拡散し続けているのです。
福島ではすでに3人の子供たちが甲状腺癌になってしまいました。 子供たち1人1人の病気になった因果関係を特定することは医学的には難しいかもしれません。統計によって初めて放射能汚染が原因だと特定されることになるというのでは、確実にある一定の犠牲を前提にしてしか判断しない、責任を回避することでしかありません。
私たちは、水俣病の悲劇の歴史を既に知っています。水俣病被害者に対する補償が確定するまで、50年以上の長年月がかかったのです。当時先頭に立って責任回避に動いたチッソ資本・行政・医学会や司法の責任者たちは責任を回避できたのかもしれません。しかし、継承されている方々がこのことに無自覚であってはいけないのではないか? 過去の過ちを教訓にして改めるべきではないのか? と考えることこそが、人間としての正しい選択ではないかと思います。
抵抗権行使過程における不可避な行動を犯罪に仕立て上げ、ジェノサイドの危険性を回避する行動を処罰することが当然の「法の行使」だとするならば、1945年以降の世界が前提とし、戦後の日本もこの裁判を肯定する立場から新たな憲法の下で経過してきた1945年以来の日本の全歴史を否定することになります。東京裁判やニュルンベルク裁判は成立根拠を持っていなかったことになるのですから。
福島棄民政策と、この間の反原発運動や放射能ガレキ焼却反対運動に対する弾圧は、「民衆の生命・自由・財産等は国家の帰属物である」という、憲法とその下での社会の全否定であります。「自己の良心にのみ従う」ことを基本とする裁判官でさえ、法秩序を維持することが不可能な程の法体系の破壊が、他ならぬ憲法遵守義務が明記されている者によって行われています。
憲法をはじめとする法体系の遵守者・擁護者たる裁判官は、近代法成立以前の社会の再現を容認するのか否か? が今問われているのです。その社会とは、弱肉強食のむき出しの対立が日常になる社会であり、民衆にとっては自分たちの生命は民衆の集団による団結の力、むき出しの力をもって守ることを選択せざるを得ないのです。
6月30日へ向かう過程は、多くの「再稼働反対」の民衆が監視テントに集まり、「7月1日の再稼働は、時間設定不明の核爆弾のタイマーが作動する日だ」「外から反対を言うだけでいいのか」等の、多くの声に接しました。
いつフクイチの二の舞になるかもしれない大飯原発再稼働で何百万人、何千万人という人々が「ダモクレスの剣」の下で日々の生活を送らざるを得ない状況に置かれたのです。
オキュパイ大飯の闘いによって発火した炎は、燎原の炎のように全国に拡大し、現在のような状況が転換されない限り、どのような弾圧をもってしても鎮圧することはできないのです。例え、私一人を処断したとしても。次から次から新たな闘いの主体が登場することは明らかです。
本紙前号5面「大阪市斎場差別裁判」の記事に関するおわび
本紙前号5面「大阪市斎場差別裁判で全面勝利」(投稿)の編集段階で重大な過ちを犯してしまいました。関係者の方々に心からおわびします。
事実経過は以下の通りです。筆者の南寛治さんが、本紙編集部に送った原稿を当該の方々を交えて検討したところ、次の点が指摘されました。まず「瓜破、北、鶴見の3斎場も指定管理者制度下に置く攻撃をかけています」という文章に対して。原職復帰をのぞむ当該の方から、この記述では帰る職場がなくなってしまうという意見が出されました。これを受けてこの一文が削除されました。
つぎに「この解雇撤回闘争から逃亡した大阪市従業員労組は、」からはじまる段落に対して。当該の方たちから、あくまで市従の組合員として市従全体を獲得する立場でたたかうという意見が表明され、この段落の削除が要求されました。
こうした当該の方々の意見を踏まえて、南さんは最終稿を作成し、編集部に送りました。ところが編集部では、上記2カ所について削除されていることに気づかず、元の原稿のまま掲載してしまいました。私たちの初歩的なミスによって当該の皆さんの意に反する記事を掲載したことを改めておわびするとともに、今後このようなことがないよう努めます。
『未来』編集委員会
6面
直撃インタビュー(第18弾)
改憲阻止の展望ひらく
「維新」を退けた宝塚市長選挙 木下達雄さんに聞く
木下さん |
4月におこなわれた宝塚市長選挙。橋下・日本維新の会は「公務員攻撃と新自由主義的政策」をかかげ、参院選への前哨戦とした。しかし、現職・中川候補を支援したある労働者が「(維新は)地域の住民に依拠していない。そこに彼らの弱点が見えた」と語ったように、市民はダブルスコアで「維新にノー」の意思を示し、その後の「維新衰退」への先陣を切った。中心的にかかわった大林寺住職・木下達雄さんに、その教訓から改憲阻止への共同闘争の展望などを聞いた。〔5月28日、宝塚・大林寺で。聞き手・本紙編集委員会〕
―昨年末の衆院選、いわゆる「革新、護憲派」は壊滅的な結果でした。維新を退けた4月宝塚市長選から見た教訓は
状況は甘くありませんでした。左派政党が単独で支援しても勝てないんですよ。今回は、暮らしに根ざした街づくり、市民病院充実と市財政の黒字化など4年間の実績がありました。
しかし、昨年衆院選時の宝塚市の票を比例代表で見ると、維新だけで31%、自民党約25%。合わせると56%です。それに対し、いわゆる革新、市民派は合わせても14%。圧倒的に不利です。
もちろん国政選挙と首長選挙は位相が違うし、投票率も違う。直前の選挙のこの結果を見ると、よほどがんばらねばとても及ばないという思いがありました。維新はいま急落状態ですが、4月段階ではまだ予断を許さなかった。
維新の本質と実像
―宝塚は、市民運動のベースがある街とのこと。ただ、今回の選挙でも現市長4万3千票、維新は2万3千票を出しました
国政選挙は、政党を選ぶというのが選択肢の一つですが、自治体首長選挙は住民自らが市民の生活向上と、自治を共に進めてくれる候補者を選ぶこと。位相の違いがありますが、やはり政党の思惑もあり、また政党は選挙に通じているから候補者を出してくる。しかし、本来は別ものだと思いますね。
今回は、維新が乗り出してくるという危機感から政党を超えた市民団体の協調ができ、いつもは腰が重い労働組合も動き方が違いました。いくつもの勝手連が生まれ、幅広く手をつなぐ陣形ができた。従来は保守系候補を推薦していた業界団体も「維新では困る」という風潮でした。
大阪市長選時のアンケート調査で見ると、橋下・維新の支持層は意外と中堅層、所得の高い層に多い。宝塚市にも一定の支持層がありました。
維新とは「これ新たなり」という意味ですが、その政策、理念などは新自由主義と独裁主義のミックス。中曽根の臨調・行革、小泉構造改革という新自由主義の流れにあり、現安倍政権の別働隊といえます。
「変える」といっても、勤労者の側に立って暮らしを豊かに変えるのではない。「統治形態を変える」と言っていますよね。支配のあり方を、より効率化する。そこを取り違えてはなりません。
財界、支配層の意向を体現。同一階級内における権力移行がねらいです。それを独裁的に遂行する。そういう意味ではクーデター的指向といえます。
変えてはいけないもの
―いま「民主主義」の意味を、どうお考えですか
私たちは、戦後民主主義とは何かを、深く考えてこなかったのではないか。「自分たちが変える」という意味を問うべきです。
昨年末の総選挙で自民党は大敗した前回よりも票を減らしながらも、「圧勝」しました。勝因は民主党の惨敗と小選挙区制度にあったわけですが、ではもし「完全な比例代表」で民意を完全に反映すればよいのか。ナチスの台頭は、もっとも民主的といわれていたヴァイマール憲法下、公平公正な選挙制度、高い投票率のもとで実現したのです。
日本国憲法は国民=人民が国家・権力者を縛るという立憲主義。そこには人民の権利や生活を守るというだけではなく、代議制民主主義や多数決でも変えてはいけない、やってはいけない内容がある。それを、日本国憲法は謳っています。
多数決でも、やってはいけないことがある。それを相対化して見る視点が必要。そうでないと、民主主義が選挙制度の問題に歪小化されてしまう。
3・11以降、反原発の分野などで直接的な民主主義、主体的で能動的な働きかけをしていこうという直接行動が始まっています。
人民を縛る憲法へ
―憲法問題ですが「自民党の改正草案」、改憲阻止の展望についてお聞きします
改悪というよりも現憲法とまったく本質、性格を異にする新憲法をつくろうとするものですね。
国家・権力者を縛る憲法から、国民=人民を縛る憲法に180度変える。本来は、自由と権利を守るために、あるいは多数決原理、多数による強制から人民を守るために、人民が主権者として国家を制限する。そこを転倒、逆転させようとしています。
国民の「義務」規定が非常に増えた。「教育・納税・勤労」の三大義務に加え、3条「国旗、国歌」の尊重義務、12条「国民の責務」に「公の秩序」の縛り、24条「家族は互いに助け合わなければならない」義務。福祉の思想を抹殺、自己責任を憲法に明記する企てです。
102条で「憲法尊重義務」から「天皇、摂政」をはずす代わりに「全て国民は」を入れています。国民を縛る意図があからさまです。
前文には「天皇をいただく国家」としています。それから「和を尊び」と。一見当たり前の言葉のようですが要注意。「和の精神」は、日本人の精神に根強くあります。「小異を捨てて大同に」と言いますが、それは少数の異なる考え方を排除する「村八分」につながる。
「和」を大義名分として同一化させるのと排除するのは、裏表の論理です。戦時中、『國體の本義』(1937年文部省編纂)という本の中で、「和の精神」がことさら強調されていたことを忘れてはなりません。
現憲法の素晴らしいところは、「個人として尊重される」(現憲法13条)ですね。基本的人権、平和主義、国民主権とかあるけれども、ベースは「個人の尊重」です。
反面教師
自民党草案を学ぶことが大事ですね。あらためて読むと、9条「国防軍」だけでなく全面的におかしい。突っ込みどころ満載、非常によい反面教師のテキストです。
これを学習すれば、現憲法の大切なところが浮き彫りになります。と、いうより「こういう憲法、世の中にしてはならない」ということが、すべて網羅されています。
そして「私たちは、こういう世の中をつくりたい」というイメージが浮かび上がってきます。学習するにとどまらず、そういう社会的運動を起こしていける大きな可能性があります。
憲法は特定の政党・団体の課題ではなく全人民的課題ですから、統一戦線、共同行動に必ずつながっていくと思います。
―マルクス主義原典を読む会を、10年近く主宰しておられます。『共産党宣言』から『ゴータ綱領批判』『ドイツ・イデオロギー』・・・ 昨年からは『マルクス自身による資本論入門』(モスト著)でした
一人ひとりが自分で考え、力をつけ行動していく過程が大事です。新しい社会への過渡期として、いまの時代を捉えていくことが大切では。主体的に能動的に、意識的につながっていく。
『共産党宣言』でマルクスが、資本主義社会の次に生み出される社会を「アソシエーション」といっているのは、そういう意味合いでしょう。これを「協同組合」として解釈すると、歪小なものになってしまいますね。もっと能動的で主体的ともいえる、人々が有機的につながっていこう、自由に連合していこうというイメージで「社会主義」を豊富化させたい。
新しい社会をめざす
いまの時代、マルクスが活躍した時代と基本的には同じですよね。賃労働と資本という基本的矛盾は激化しているし、労働者のおかれた状況はむしろ工場法以前の時代に戻りつつあるといって過言でない。
モストが「むすび」に書いていますが、「今日の社会はいずれ倒れて、もっと高度な、もっと高潔な社会に席を譲らないではいないのだ、という確信。勤労諸階級こそ、政治権力という強大なテコによって現在の社会構造を根本的に変革する資格を持っているのだ、という確信」。
「政治権力」を握ればすべてが解決するわけでないことは、20世紀の革命運動の中で明らかになった。それを踏まえ、この二つの確信を私たちが批判的に継承していく。それがマルクスの原典を読む会を続けている意義、私の思いですね。
【きのした・たつおさん】
1949年生まれ。兵庫県宝塚市・浄土宗大林寺住職。「ひょうご憲法アピール2013」呼びかけ人の一人。日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会代表。死刑廃止運動や、3・11以降、福島の子どもたちの宝塚保養キャンプなどにとりくむ。