未来・第128号


            未来第128号目次(2013年5月21日発行)

 1面  沖縄の怒りの声を聞け
     

     守れ!経産省テント
     テントで初の不当逮捕

     市東さんの農地取り上げ許すな
     3万人署名に協力を

 2面  シリーズ安倍政権批判
     TPPー資本が社会を崩壊させる(下)

 3面  JR事故を風化させない
     現場労働者の経験交流深める

     セクハラ告発に報復解雇した
     JR西日本本社に抗議

     君が代不起立処分に抗議
     4.29大阪

     橋下・安倍の教育破壊許すな
     大阪から反撃にたとう

 4面  原発事故ーその時病院が直面した現実
     ある医療従事者の体験(2)

 5面  現代における「国家と革命」
     展望12号論文への批判にこたえる

 6面  生活保護改悪やめよ
     「障害者」先頭に厚労省を追及

     関電前弾圧 「公妨」で7か月超える勾留
     Aさんは無実 即時釈放を

     米韓による戦争挑発

       

沖縄の怒りの声を聞け
参院選必勝へ山城博治さんが決意

都内で開かれた「沖縄は怒っている5.1集会」(1日)

オスプレイ配備反対をかかげ、昨年9月に10万人余の県民大会。今年1月、全市町村長と議会が「配備撤回」の建白書と首相官邸への直訴。こうした沖縄の切実な思いに対する政府の対応はいったい何だ。
「日米合意」など完全に無視して、MV22オスプレイが市街地を低空で飛び回わり、この7月には普天間に12機を追加配備。さらに来年には嘉手納にCV22オスプレイを配備するという。高江にヘリパッド建設、与那国島への自衛隊配備攻撃と続いて、3月には全沖縄の反対の声を無視して辺野古新基地建設に向けた「埋め立て申請」を強行した。そして沖縄にとって「屈辱の日」である4月28日を「主権回復の日」として政府式典を強行。いったいどこまでやるのか政府は。沖縄をなんだと思っているのか。

山城さんを国政へ

5月1日、東京の文京区民センターで開かれた「沖縄は怒っている 5・1集会」には会場いっぱいの人がつめかけた。
主催者あいさつは沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大城さん。「オスプレイ、辺野古、普天間、高江、与那国への自衛隊配備問題などすべてのたたかいで、非暴力・実力闘争の先頭にたっている山城博治さんを、7月参院選で国政に押し出そうと決定した」と力強く提起。

うせーらんきよーや

最初の講演は、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さん。
「うせーらんきよーや!(押しつけを拒絶しよう) いまの沖縄は『怒り』という言葉で表現できない」。「沖縄には憲法が適用されない25年間があった。復帰後も平和憲法より強い日米安保のもとで沖縄の基地は、数も増え、機能がよりいっそう強化されてしまった。地位協定もそのままだ。この4月28日は、そのことが改めて認識される機会となった。安倍首相は『4・28式典』の最後に、とってつけたかのように沖縄について発言したが、それはまったく意味不明なもの。ところが、まるで相手の口に物を詰め込むように沖縄に次々と押しつけてきている」ときびしく日本政府を批判した。

働くものの未来を

発言する山城博治さん(1日 都内)

続いて沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが登壇。
「メーデーの日に、労働者を前に発言できてうれしい」と切り出した。「全国の春闘は惨憺たるもの。『アベノミクス』というが、ここまで冷え切った経済が円安と物価高を誘発して良くなるというのなら、とっくにやっていたはず。安倍を持ち上げるマスコミに危うさを感じる。ほとんどの労働者は賃上げもなく、非正規雇用が増え、年収200万以下の生活に追いこまれている」
「労働組合が断固として立ち向かわなくてはならない。若者に声をかけて『ファシズムに巻き込まれるな! 働く者の未来をつくろう』と訴えよう。憲法にうたわれた働く者の権利を守ろう」

排外主義に抗して

「いまナショナリズムと排外主義が跋扈している。安倍首相は戦前のような社会にしようとしている。『人を人として大事にする』憲法を守るため、7月参議院選挙をたたかう」と決意を明らかにした。
最後に、毎月防衛省前での抗議行動を展開している「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」などが発言。熱気あふれる充実した集会となった。(神奈川F)

守れ!経産省前テント
テントで初の不当逮捕

「脱原発の砦」大飯原発再稼働を前に経産省前テントひろばでおこなわれたハンスト(12年5月5日)

政府は経産省前テントひろばに対して「テントの撤去=土地の明け渡し請求訴訟」を起こし、さらに1100万円の「損害金」を請求してきた。反原発運動の砦=経産省前テントひろばを守ろう。激化する攻防を現場から伝える。
5月10日、経産省前テントひろばでは、朝からしつような警備員の挑発が繰り返された。テント設営から、608日め。毎週金曜日はレイバーネットと共同の「あおぞら放送」TV中継があり、テントの一角は、机、機材、人でにぎにぎしくなる。
3月14日の占有解除仮処分執行以降、占有当事者を正清さん、淵上さんの2名に限定せず、当事者を共同化しようという呼びかけに、すでに200人が応じている。訴訟差し止めの署名も、3000筆に迫る勢い。
「明け渡し請求訴訟」第一回公判を23日、国会・首相官邸包囲行動を6月2日に控え、権力は焦り始めている。恐らく、歩道に面した2台の監視カメラ集音装置と連動しているのだろう。ただならぬ気配、物音で、反射的に警備員が跳んでくる。3人1チームで来るが、先頭は、ビデオカメラをライフルのように構えて歩いてくる。
その日、監視カメラの基礎に腰掛けていた男性は、テントの受付に正対していた。少々質の落ちた警備員は、銃口で威嚇するように、レンズを近づける。男性は、東京救援連絡センターで何十年も働いてきた「ヴェテラン」。「市民には肖像権があるのだよ」と繰り返し説諭するが、警備員は一向にやめようとしない。それどころか、レンズで男性の顔をなぶるように威嚇する。
さすがのヴェテランも、「こんなふうにされたらきみだっていやだろう?」と警備員の顔をなでるしぐさをした。そして、気づいたときには、50人の警官が呼ばれ、任意同行を求められた。こうした警察の対応に抗議すべく同行に応じた男性も、丸の内署は、器物損壊、暴行で事後逮補。現在も不当な勾留を続けている。
ついに警察は、テント・スタッフに対する弾圧に手を染めた。反撃を!
詳しくは、「経産省前テントひろば」のブログ、「脱原発テントとひとのいのちを守る裁判」ホームページをご覧ください。(Q 5月16日記)

市東さんの農地取り上げ許すな
3万人署名に協力を


親子三代百年

いま成田空港の建設工事をめぐって、親子三代で100年近く耕し続けてきた農地が暴力的に奪れようとしている。
成田空港は建設決定から47年が経過しているが、いまだに完成していない。それは政府による問答無用の農地強奪に、三里塚と芝山の農民たちが必死の抵抗を続けてきたからである。

農地法で土地強奪

成田空港建設の事業認定はすでに失効し、土地収用法による農地の強制収用はできない。ところが2007年になって成田空港会社は、空港敷地内で反対闘争を続ける市東孝雄さんの農地を強奪するため、農地法を悪用して裁判を起こした。その判決が7月29日、千葉地裁で言い渡される。
耕作者に無断で底地を買収、唯一の証拠書類を偽造など、空港会社は、違法・無法を重ねてきた。農地を奪う判決などありえない。

7・14全国集会へ

しかし、千葉地裁はあからさまに空港会社寄りの姿勢を示している。不当判決を許さない声を全国から巻き起こし、千葉地裁を包囲しよう。三里塚空港反対同盟のよびかける緊急3万人署名を達成しよう。
7月14日に千葉市中央公園でおこなわれる全国総決起集会に総結集しよう。

(闘争案内)

市東さんへの農地強奪判決阻止
 7・14全国総決起集会

とき:7月14日(日) 午後1時
ところ:千葉市中央公園 
主催:三里塚芝山連合空港反対同盟

《三里塚反対同盟裁判》

市東さんの農地法裁判 判決公判
とき:7月29日(月) 午後1時半
ところ:千葉地方裁判所



2面

シリーズ 安倍政権批判(3)
TPP―資本が社会を崩壊させる(下)

前号では「米国の日本に対する構造改革要求」とTPPとの関係について述べた。今回は、米国がTPP交渉に参加したときに新たに持ちこんだ「投資」と「労働」という2分野で何が起ころうとしているのかを明らかにしたい。

3.投資の自由化

米国の通商戦略が大きな転換をとげたのは、1986年にはじまったGATT(関税および貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンドからである。それ以前の物品の関税引き下げ中心から、金融・情報・通信や商標・特許などの知的財産権という米国が他国に対して優位に立っている分野で、自国の権益を維持し強化することに重心を移していった。
90年代に入ると米国の投資銀行による直接金融(株式や債権などの証券ビジネス)や直接投資(海外での企業買収)に重点をおく金融立国戦略を打ち出し、各国に対して資本移動の自由化や国内規制の撤廃を迫ったのである。
こうした「貿易の自由化」から「投資の自由化」への転換を示したのが、94年に発効したNAFTA(北米自由貿易協定)であった。ここで米国は投資分野全般にかんする包括的なルールをカナダとメキシコに認めさせることに成功した。


毒素条項―ISD条項

米国発投資ルールのなかでもっとも「危険」とされるのはISD(投資家対国家の紛争解決)条項である。これは「企業が協定加盟国の政策変更や新しい規制の導入で経済的損害を被った場合に救済が求められる」(NAFTA第11章)というものである。
私企業が一国の政策や規制に対して賠償を求めることが可能になる。これが「毒素条項」と呼ばれる実例を示そう。

米エチル社対カナダ政府

ISD条項が発動された典型例が米エチル社とカナダ政府のあいだの「紛争」である。 これは1997年6月、カナダ連邦議会が「C29法」を発効させたことに端を発した。この法律はMMT(メチルシクロペンタジエニル・マンガン・トリカルボニル)という神経性有毒物質の輸入及び州間取引を禁じる法律であった。
MMTとはガソリンの無鉛化によるパワー不足を補うためのガソリン添加剤として使用されていたが、この物質が大気中に放出されると健康被害をもたらすことが指摘されていたのだ。そこでカナダ政府はMMTを輸入禁止としたのである。
カナダ政府が「C29法」でMMT使用を禁止した時点で、MMTをカナダに輸入していたのはエチル・カナダ社であった。同社は米・バージニア州に本社を持つエチル・コーポレーション社(以下エチル社)の100%子会社であった。「C29法」の施行によってエチル・カナダ社の価値はゼロとなる。
エチル社は「C29法」に対して、「国際的に確定していない学説で指摘された危険性だけで、カナダ政府が輸入禁止措置をとることは公正ではない。この法律の施行によって同社の被る損害を補償すべきだ」と主張。NAFTA第11章にもとづいて仲裁調停を申し立て、会社の受ける損害及び調停に必要となる法律事務所への報酬費用、あわせて2億5100万ドル(251億円)の賠償をカナダ政府に求めたのである。
カナダ政府はこの案件はNAFTAの範囲を超えた問題であると反論したが、NAFTA協定にしたがって選定された仲裁人はこの主張を否定した。このため仲裁調停に移行したが、カナダ政府は敗れた場合の巨額の賠償金を恐れ、「C29法」そのものを破棄してしまった。さらにエチル社に1300万ドル(130億円)を支払った上に、「MMTの健康への影響は科学的には未だ立証されていない」という趣旨の声明を出すことまで了承させられたのである。
米国の一私企業の利害のために、カナダ国民全体の健康と安全がいともかんたんに犠牲にされてしまったのである。

資本の天国

ISD条項にもとづいて企業が損害賠償などで相手国政府を訴える場は、相手国の裁判所ではない。世界銀行傘下のICSID(投資紛争解決国際センター)などの国際仲裁所である。そこで3〜5名の仲裁人が判定を下す。仲裁のプロセスは、米国の民事裁判のプロセスに準拠したものとなり、仲裁人は米国の法律家によって占めらる可能性が高い。
審理は一切非公開だが判定は強制力を持っている。一審制で、判定に不服でも上訴はできない。
つまり米系企業に訴えられたら、まず勝つ見込みはないのである。
さらに付け加えれば、ISD条項では地方自治体も「政府」とみなされる。規制が自治体の条例によるものであったとしても、それを「間接収用」とみなした外資系企業から、当該自治体に莫大な損害賠償を請求されることになるのだ。そうなれば自治体は企業活動を規制するような条例の制定には一切手をつけなくなるだろう。
文字通りの「資本の天国」が現出する。

4.「解雇の自由」へ

株主資本主義

「投資の自由化」と「労働の規制緩和」は表裏一体の関係にある。米国がTPPでねらっているのは対日直接投資の拡大である。直接投資とは外国の企業に対して、経営を支配することを目的に行われる投資のことである。こうした企業取得を目的としておこなわれる合併や買収をM&Aと総称している。 80年代以降、米国では株式市場でおこなわれるM&Aが主流となってきた。業績不振に陥っている企業の安い株を買い占めて経営権を獲得し、不採算部門の閉鎖、労働者の解雇、工場の売却などのリストラをおこなって一時的に業績を改善し、株価をつりあげるという手法である。株式市場が経営権を実現する場となったのだ。 これを可能にしたのはレーガン政権(81年〜89年)による労働組合に対する徹底した弱体化政策であった。労働者側の抵抗が弱まったことによって、米国の企業経営者たちの心理も大きく変化をとげた。彼らは労働者に大きな関心を払う必要がなくなった。こうして「企業経営においては株主の利益を最優先させる」という米国流のコーポレートガバナンスが確立されていくのである。

不当解雇とたたかうJALの労働者たち(11年1月31日 大阪市内)

労働の規制緩和

TPP交渉の24分野の中には「労働」という項目が入っている。その内容は公表されていないが、過去の米側の対日要求をみればおおよその見当はつく。
1998年、米国は「対日直接投資環境の改善に関する米国政府の提言」と言う文書で、「労働」分野にかんする次の4項目を要求した。
@確定拠出型年金の早期導入、A有料職業紹介事業の規制撤廃、B労働者派遣事業の自由化、C労働基準法による規制の見直し―の4項目である。
@からBまではほぼ米側の要求が実現されている。残された問題はCの労働基準法による規制の見直しである。米側は2006年6月の「日米投資イニシアティブ報告書」の「労働法制」という項目で、「ホワイトカラー・エグゼンプション制度」の導入と「解雇紛争への金銭的解決の導入」を要求してきた。
エグゼンプションとは「免除」のことである。ホワイトカラーすなわち事務系労働者の休日出勤や時間外労働にかんする労働基準法上の規制の適用を免除するというのがこの制度の趣旨だ。第一次安倍政権がこの制度の導入を審議会に諮問した事に対して「残業代ゼロ法案」という激しい反対の声がまき起こった。結局この制度は、安倍政権が短命に終わったこともあって実現していない。
もう一つの「解雇紛争への金銭的解決の導入」とは、「金さえ払えば解雇してもよい」というもの。日本の解雇規制を撤廃し、「解雇を自由化せよ」といっているのだ。
解雇規制とは「整理解雇の4要件」のことを指している。これは@人員整理の必要性、A解雇回避努力義務の履行、B被解雇者選定の合理性、C手続きの妥当性の4つの要件を満たさない解雇は無効とするものである。
日本の資本家階級はこの解雇規制を無効化する攻撃を強めている。典型的な例は、2010年12月31日の日本航空による客室乗務員・運航乗務員165名に対する不当解雇である。安倍政権の産業競争力会議で「解雇規制の緩和」が取り上げられた。これは6月に策定する成長戦略には盛り込まないことになったが、今後TPP交渉が進展する中で、ホワイトカラー・エグゼンプションと合わせて復活してくるとみてまちがいない。

99%が生きるために

なぜ日本政府がTPPに積極的に参加しようとしているのか。それはたんに米側の圧力に屈したというわけではない。企業に対する規制を次々と撤廃することや、労働者からその権利を根こそぎ奪い取っていくことは、グローバリゼーションの波に必死になって対応しようとしてきた一握りの日本の資本家階級にとっては願ってもないことだろう。この間の政府やそれを尻押しするマスコミの論調は、TPPという「外圧」にのっかって「規制緩和」を一気におしすすめてしまおうという節さえ見える。彼らにとっては、「国民の窮乏化」や「国土の荒廃」などはまったく眼中に無いかのようである。
ここにTPPの正体があらわれている。すなわち1%の繁栄のために99%を犠牲にする新自由主義的グローバリゼーションそのものだということだ。
これに対抗できるのは国境を越えた民衆のたたかいのグローバルな連帯である。ニュージーランドや米国内でもTPPに反対するたたかいがわき起こっている。FTAに対して韓国やメキシコの民衆は不屈にたたかいぬいている。
99%が生きていくために1%を包囲し、彼らが奪い取ってきたものを奪い返すたたかいを実現しよう。〔了〕(鼓川竜二)

【参考文献】

農文協編「TPP反対の大義」(農山漁村文化協会2010年)
農文協編「TPPと日本の論点」(農山漁村文化協会2011年)
中野剛志「TPP亡国論」(集英社新書2011年)
渡辺惣樹「TPP知財戦争の始まり」(草思社2012年)
『世界』2011年4月号(岩波書店)
『世界』2013年5月号(岩波書店)

3面

JR尼崎事故を風化させない
現場労働者の経験交流深める

職場の現状とたたかいが報告された(20日 尼崎市内)

生命と安全を守る

4月20日、「JR尼崎脱線事故8年を考える!ノーモア尼崎事故、生命と安全を守る4・20集会」が尼崎市内でおこなわれ100人が参加した。テーマは「JR尼崎事故の教訓を決して風化させない」ことである。
関越ツアーバス事故や笹子トンネル崩落事故、そして福島第一原発事故など、労働者や地域住民の安全をおろそかにしている企業・事業体の実態、「会社更生」を口実としたJALによる165人の不当解雇、民営化後の郵政職場の実態、非正規雇用労働者の実態などの「生命と安全を守る」という視点からのとらえ直しが必要だ。

危険な職場変らず

集会で発言したJRの施設現場の労働者は、業務の外注化、検査周期の見直し等の合理化によってJR発足時から社員数が半減していること。10年間新規採用をストップするなかで、40代の社員が極端に少なくなり、技術継承がすべての職場で問題となっていることを報告。
現場では業務の「効率化」がうまくいかず、かえって非効率になって要員不足を引き起こし、危険な職場になっている。外注会社では安全問題が軽視され事故が多発し、長時間・過密・ただ働きが横行している。「国労はこうした問題を追及して闘っていく」と決意を明らかにした。

真実を明らかに

尼崎事故遺族の藤崎さんは、「被害者参加制度のもとで歴代三社長の裁判がはじまった。その公判において151名の遺族の意見陳述は本当に心をうつものだった」とその一部を紹介した。
「元社長たちは自分に都合のわるいことはすべて『知らない』『記憶にない』『部下にまかせていた』と言う。こういう証人たちを誰が信じるでしようか」
「井出さんはこの7年あまり謝罪の言葉すらなく、事故の責任を感じているのかいないのか、姿を見せずその無責任さに遺族の皆が怒っていました」「安全よりもスピード、稼ぎ第一、金儲け優先の企業体質こそが福知山線列車事故の原因です。会社幹部が罪を問われるような法律が日本には必要です。」
また、108人目の犠牲者となった奥村さん(後追い自殺した被害者)の親族の手記を紹介し、「この裁判が企業責任を問う転換点となるよう真実をあきらかにしてほしい」と結んだ。

無責任体制

歴代三社長の裁判は5月31日に最終弁論がおこなわれて結審し、この夏に判決が下される。
〈JRに安全と人権を! 株主・市民の会〉からは、「この裁判で歴代三社長は『知らない・聞いたことがない』をくりかえしたが、現場から声をあげにくい、上意下達の職場支配を作ったのはいったい誰か。彼ら会社の上層部が『知らないことで責任を免れる』という無責任体制をつくりあげていたのだ」ときびしく断罪した。

組合つぶし許さず

JAL不当解雇撤回裁判原告団は、過去に起こったJALの事故とJR尼崎事故の同一性を強調。「安全確保」のために、組合つぶしを許さず闘っていこうと訴えた。
全日建連帯労組・トラック支部は、「トラック業界は年間3万件〜3万8千件の事故が起こり600人〜800人が亡くなっている。原因は、規制緩和のなかで過当競争、低賃金・長時間労働だ。業界全体での法改正を求めていく」と発言。

非正規に権利を

日本郵政非正規ユニオンは、「私は遅刻したことを理由に時間給を引き下げられたが裁判で争っている。『日本郵便非正規労働者の権利を守る会』を立ち上げ、非正規労働者の権利を守るために闘う」と決意表明。
大阪の自治体労働者は、「私は、プライバシーと表現の自由を侵害する橋下市長の『入墨調査票』の提出を拒否した。すると職務命令を拒否したとして懲戒処分を受けた。橋下市長と維新の会の台頭を許さないために、みなさんと共に闘っていきたい」と訴えた。
集会後、JR尼崎事故現場に向かってデモ行進をおこない、献花してこの日の行動を終えた。

セクハラ告発に報復解雇した
JR西日本本社に抗議

5月1日メーデーの日、関西合同労組はJR西日本本社に抗議闘争(大阪市内)

1日、関西合同労働組合は、契約社員を不当解雇したJR西日本に対して本社抗議闘争をおこなった。
解雇されたのは「脳性麻痺」で四肢に障害を持つ女性。女性は07年に上司から暴行を受けたことを提訴。大阪高裁で一部勝訴をかちとった。
ところがJR西日本は昨年3月、女性の7回目の契約更新をせずに、解雇した。
JR西日本は不当解雇を撤回せよ。

「君が代」不起立で減給!?
教育に自由と希望を
4・29大阪

新たな仲間も加わり、処分撤回に向けて決意を新たに(4月29日 大阪市内)

大阪府教委は、3月卒業式で「君が代」不起立をした教員(奥野さん)に対して減給処分を強行した。これに抗議し、撤回を求める緊急集会が、4月29日、大阪市内でおこなわれた。主催は〈奥野さんを支える叫ぶ石の会〉と〈支援学校の君が代不起立応援団〉。
休日の午前中にもかかわらず参加者は100人をこえた。
集会冒頭の寸劇で、「君が代」起立斉唱を強制する現場の状況、処分にいたる経過、不起立者の心情などが、軽妙なアドリブを交えて描きだされた。

処分をものともせず

今回の処分説明書の特徴は、職務命令に従わず黙って抗議の意思を表明したことや、目の前の子どもへの指導を優先して行動したことが「式典の秩序や雰囲気を損なうものである」と強調していることだ。「不起立」を現認するために「君が代」が流れているあいだ「立ちなさい、歌いなさい」としつこく言い続けていた教頭こそ「式典の秩序や雰囲気」を損なっていたのではないか。
奥野さんをはじめ、昨年戒告処分をうけて人事委員会に提訴しているグループZAZAのメンバーや、これから新たにZAZAに加わる人の一言トークは、重い処分をものともしない力強いメッセージだった。
弁護団の重村弁護士は、4・28「主権回復の日」政府式典を強行した安倍政権について、沖縄問題と「君が代」処分を関連付けて話をした。自由というのは国家権力から強制をされないという自由なのだ。
〈私たちは黙らない!2・11全国集会実行委員会〉の黒田伊彦(よしひろ)さんは、「今回の処分は最高裁判決でいう『裁量権の逸脱』を上回る減給処分だ。『職務命令に従います』というだけではダメで、『卒・入学式の君が代起立斉唱の職務命令に従います』と書かないと再任用を拒否される。」

志は奪えない

「このように特定の行動を指示して拘束するということは憲法で禁止している奴隷的恐怖を強制していることになる。事前に立つかどうかを執拗に問いただすのは沈黙の自由を侵すものだ。団結こそ力。孔子は『三軍の将を奪うことができでも庶民の志を奪うことはできない』といった。これを合言葉にこれからもがんばろう」と締め括った。

橋下・安倍の教育破壊許すな
大阪から反撃にたとう

大阪からたたかいを(11日 大阪市内)

11日、「撤回せよ!『君が代』処分、首切り=再任用拒否 『日の丸・君が代』強制に反対!5・11集会」が大阪市内でひらかれた。
今年は、大阪府の「君が代」起立斉唱条例の下で2回目の卒・入学式である。大阪府と大阪市の教育委員会は、教職員に対し職務命令で起立を強制し、従わない教職員に対しては減給・解雇を含む処分をおこなうという攻撃をかけてきた。
このような大阪府・市―教育委員会の攻撃に対し、今年も教育現場では不起立を含むたたかいが粘り強くおこなわれた。
会場には不起立を貫き、教育の反動化に反対する教員たちを支えようと160人が集まった。

子どもたちに矛先が

冒頭、主催者を代表して黒田伊彦さんが「橋下と安倍の『教育再生』・憲法改悪へのたたかいの檄を大阪から発信していこう」とあいさつ。
そして不起立を貫く教員たちの感動的な発言が続いた。
「在日朝鮮人の生徒を担任したとき、彼の父親から差別をうけた人間の苦しさを聞いた。そのときの話が『君が代』に反対する理由です」
「同和教育の実践のなかで戦争について学んだ。指紋押捺を拒否する生徒がいた。私は彼を支援した。私には『君が代』を歌うという選択肢はありません」
「いま矛先は私たちに向けられている。しかし次は子どもたちに向けられるのです」

全国ネットワークを

2012年春の卒業式で不起立をして処分を受けた7人の教員が、現在人事委員会に処分撤回の不服申し立てをしている。さらに、今春処分を受けた4人が新たに不服申し立てをおこなった。弁護団の池田直樹弁護士が「先生たちの熱い思いを大切にしながら、法的なたたかいをしていきたい」と発言。集会の最後に「たたかいの全国ネットワーク、大阪での強固なネットワークの形成をめざそう」と提起され、全体の拍手で承認された。

4面

原発事故―その時病院が直面した現実
ある医療従事者の体験(2)

流された車が家屋に突っ込んでいる。津波被害のすさまじさが生々しく伝わってくる。(2011年10月撮影)

福島原発事故当時、第一原発から9キロ、第二原発から3キロにある今村病院に勤務していた佐藤慎司さん(30代、仮名)の体験を紹介する。
佐藤さんはその日も通常通り出勤して事故に遭遇。患者の避難に奮闘した。事故から2年、ようやく佐藤さんは事故当時の体験を落ち着いて話せるようになった。そこで福島第一原発が危機的な状態に陥っていた当時の現場の状況を聞くことができた。

3月11日14時46分 地震発生(承前)

さながら野戦病院

―けが人などが担ぎ込まれてきたわけですね

そうこうしていると、いろんなところから情報が入ってくる。慌てて家に戻ったスタッフから連絡が入ってきて、徐々に状況がわかってくる。あそこの道は通れないとか、トンネルが落ちてるとか、どこまで水が入ってきたとか。いい情報は一つもないけどね。
同時に続々と救急車も入ってきた。あの辺には病院が他にないからね。
まずは、スペースの確保。つぎに患者さんや資材の運搬。エレベーターは全部止まっているので、1階から2階に上げるのも、2階から1階に下すのも全部マンパワーですよね。
ちょっとしたケガの人もいるし、もちろん重症の人もいる。ある種の戦場ですね。一番ひどい状態だったのは最前線にいた人。消防や警察の人で、たぶんぎりぎりまで海のそばで避難を呼びかけていた人たち。
最前線の人間だからこそ、そういう目にあってしまった。その人たちに対して、今度はわれわれが最前線じゃないですか。だからもう逃げるわけにいかない。どうにかできる範囲でできることをやるしかない。お互いがそういう感じでしたね。
救急車がついたら救急隊も、われわれスタッフも、若い事務の男の子も、とりあえず手が空いていれば「担架で運んでやってくれ」「背負っていってくれ」と。もちろんドクターやナースは治療に携わらなくてはならないし。

―治療の優先順位はあったのですか

トリアージね。講義や訓練は受けている。でもトリアージというはフランス語で「選別する」という意味でしょ。「人間を選別する」というのはどうだろうね。 結局小さな病院だから、やれることしかやれない。それに地元の病院だから患者さんの顔もある程度わかっている。だからちょっと切ったとか、そういうケガだったら、「少し待ってね」って。患者さんもわかるから。みんなそれなりに気をつかったり考えながらやっていたと思う。
津波にあった人は水を飲んだり、泥を飲んだりしている状況で担ぎ込まれてくる。肺の洗浄をしてあげられたらもっと容体を確保できたのかもしれないけど、残念ながらそこまでできずに酸素を投入するとか気道を確保することしかできていなかったと思う。それが最善とは言わないけれど、あの状況でできうる限りの対応だったと思う。
その日は学校が卒業式で、若いスタッフたちの休みが多かった。もちろんスタッフの数はちゃんと揃えてシフト組んでいるんだけど。やっぱり肉体的に即戦力になる若いスタッフが少なかったね。でも津波の後、非番のスタッフが応援に来てくれたりもしたからね。

JR富岡駅付近の様子。建物がメチャクチャに壊されている(2011年10月撮影)

3月11日16時36分 炉心への注水不能

15:42 第一原発1、2 号機 交流電源喪失
16:36 第一原発1、2 号機 緊急炉心冷却装 置が注水不能
20:03 知事、第一原発 の半径2キロに避難指 示要請
21:23 政府、第一原発 の半径3キロ内住民に 避難指示、10キロ内住 民に屋内退避指示

そこまでは行かないだろう

―そういう中で原発が危険な状態になっていった

まず原発という発想はなかったね。原発がおかしくなるなんてね。 道路が壊れたといっても、一日か二日頑張ればと思っていた。二晩ぐらい泊まって対応すれば落ち着くだろうと。電気が止まっていても、バックアップのボイラーで発電すれば何とかなる。それに二日ぐらい寝なくても死なないしとか。
その時点で印象に残っているのは、ずっと揺れている、止まらない。体に感じる地震がずっと続いている。そして、たまに大きいのがくる。いつ止まるんだって。それに寒い。

―「原発の状態が危ない」という情報はいつ

そのときは地震と津波で、ある種のパニックのようなものだったから、あまりはっきり覚えていないんだけど、原発のこともたぶん耳には入っていたんだと思う。いつの時点からとかもはっきりしない。
そういう会話はあえてお互い口にはしなかった。それにどっかで希望というか、そうは言ってもそこまで行かないだろうと思っていたのかな。
たしかにスリーマイル島とかチェルノブイリとかは知っていたけども、やっぱり対岸の火事と見ていた。それにソ連とかアメリカならまだしも、これだけの技術のある日本でそこまでにはならないだろうというのもあった。安全神話ということかな。

―あえて原発のことは口にしなかった

各々いろんな気持ちがあったと思うね。でも患者さんにたいする責任感の方が上回っていたというか、腹を決めたという感じかな。
ということと自分の場合は、道路が崩落したとか、段差があって通れないとかという情報が入ってきて、帰ろうにも無理だから残る外はないなと。

2011年3月11日、津波に襲われた福島第一原発(写真は東京電力が公表したもの)

帰るか、残るか

―その時点での対応の指示は

その日の夜の時点で、たしか小さな子どものいるナースとか、家で介護をしているスタッフは優先的に帰そう。帰ってもらった方がいい。そんなことを言ったような気はする。 たぶん院長とか婦長とかが話し合って、部署ごとに伝えられたということだったかな。
とにかく自分も若いナースには帰った方がいいという話をしていた。
自分なんかは家まで遠いけど、ナースたちはだいたい地元の富岡とか川内とかで、やっぱり子どもや家族のことが心配だろうし、まず地震であれだけ揺れたんだから家の中はむちゃくちゃだろうなと誰でも想像しただろうし。
だから自分は帰らないという腹積もりだったけど、若いナースには帰れってことを言ってたね。それに帰りたいということを言いだせない人もいたろうし、帰りたいけど立場上難しい人とかもいる。でも、仕事を取るか家族を取るかという風にしたら、家族取るのは間違いではないでしょう。
帰る人はみんな、申し訳ないって言って帰った。そういう気持ちはあったと思う。こっちも感情的な部分は押し殺しているから。そうしないと平常でいられないわけだし。みんな何とかこらえていたけど、こわばっていたと思う。顔そのものは笑ってごまかして和やかな感じをつくろっているけど、それは見え見えだったね。
いまでもよく「誰々は逃げた。逃げなかった」という感情を引きずっている人がいるけど、自分にはいまも当時もそういう気持ちはない。

―そうすると、残る人と帰る人の数は

その日にいたスタッフは、卒業式でいつもより少なくて505人くらいか。それで当初のバタバタした状態からひと段落して落ち着いた時点で、半分ぐらいが帰ったと思うな。残ったのは25人ぐらいか。

―ご自身のご家族は

ある程度落ち着いた段階で連絡がだんだん取れてきたんだよね。自分の場合は、まず東京の知り合いからかかってきた。
途切れ途切れの電話の中で、たぶん家族に1回だけ連絡ができたかな。まず無事という確認と、状況が状況だけに1日で済むのか2日で済むのか分からないけど、「とにかく俺は病院に残るよ」っていうことは電話したと思う。

―その日の夜は

夜はラジオをつけながら、救急外来にいつでも対応できるようにということで、1階の受付あたりにスタッフは待機していた。
極力電気を使わないようにということで、みんなロビーに集まっているようにしていた。一階の受付とかフロアーとかに患者さんを寝かせる状態。ソファとかを患者さんに優先して使ってもらって。「帰らないほうがいい」と言って残ってもらった患者さんもいるし。だけど、とにかく揺れていたからね。寝れるっていう状況じゃない。(つづく)

5面

現代における『国家と革命』
『展望』12号所収論文への批判にこたえる
落合 薫

『展望』121号に掲載された拙論「現代における『国家と革命』のために」について、いくつかの疑問、批判、意見が出されています。事実の究明の不十分さと論理の展開の疎漏さを改めて自覚しました。問題の深化のために以下の3点について、回答ないし訂正を提起します。【 】でくくってあるのが出された意見・批判です。文中のページ数は『展望』12号のものです。

1.アベノミクス

30ページ下段の「(2)円安→貿易赤字が拡大→国債金利が急上昇し、ハイパーインフレに陥る危険性大」という記述についての批判と疑問です。

【円安になれば輸出が増えるのだから「円安→貿易赤字」ではなく「円安→貿易黒字」となるのではないか】

まず事実を見てください。すでに2011年から貿易赤字が続いています。これは3・11以降、全原発停止で原油や天然ガスの輸入が増えたこと、釣魚諸島の問題で、対中輸出が減退したことが原因です。
アベノミクスによる円安はこれを加速し、食糧・資源高をいっそう加速しています。他方、輸出は、すでに海外への生産移転が進んでいることと、円建て輸出の比率が高まっている(対アジアの輸出では平均約50%)ため、金額的には伸びていません。貿易赤字は今年3月まで単月で9カ月連続しています。
もちろん貿易赤字が増えても、経常収支は即、ひどい赤字になるわけではありませんが、2012年度は黒字が43・6%縮小し、4兆2931億円でした。唯一増えたのが、海外投資から得られる利子や配当などを示す所得収支で、前年度比5・1%増の14兆7245億円の黒字でした。これは日本のレントナー(金利生活者)国家化を示す事実です。
しかしアベノミクスの破綻が一番先に現れるのは貿易赤字の増加と経常収支黒字の減少ではないか、いやすでにもう致命的に現れていると思います。「円安→輸出進展→製造業への投資・雇用の増大→景気回復」という図式を描いてきたマスコミやリフレ論学者を断罪しなければなりません。

【「貿易赤字が拡大→国債金利が急上昇」は論理的なつながりが不明である】

国債金利の上昇は、貿易赤字のように即、現れているわけではありません。その意味では、矢印でつなぐことで、連続的過程であるかのような誤解を与えたのは間違っていました。
しかし論理的につながりがないわけではありません。貿易赤字がどんどん拡大していくと、通貨としての円への信任が低下し、円建ての日本国債が売れなくなるので、国債の金利を上げざるをえなくなります。そうなれば財政破綻やハイパーインフレで労働者人民は塗炭の苦しみに陥ります。アベノミクスをこのまま続ければその状態になるという見通しです。 外国為替・貿易収支・国債金利などの変動は、一国的な数量バランスだけを見ていては何も分かりません。現在の円安と日本の株価上昇も、アメリカの金融緩和が限界に来ていて、米FRB(連邦準備制度理事会)が昨年9月から実施しているQE3(量的緩和第3弾)を終了させようという動きに規定されている面があります。そのため円安を容認する動きが出てきています。逆に言えば、アメリカでさらなる量的緩和が必要になったり、量的緩和の終焉局面が来れば、円安など容認できなくなり、株高も円安も一気に終了するということです。アベノミクスというのはしょせん、アメリカに依存し寄生する政策にすぎません。

2.領土問題

「第3章 『領土』問題―釣魚台、獨島、『北方領土』」(34〜40ページ)全体に対して出された意見です。

【「日本の領土ではない」ということをもっと鮮明に打ち出すべきだ】
【「釣魚諸島は沖縄のものだ」という主張もありうるということか?(38ページ)それは対中国排外主義に利用されるのではないのか】

領土や主権などというものがいかに人為的で、近代世界システムに固有のものかを前提的に延々と展開したのは、われわれも旧来陥っていた傾向を克服するためです。領土や主権は帝国主義論的理解だけではとらえきれません。典型的には、帝国主義の「無主地先占」論に対抗するため、別の「無主地先占」論を対置するやり方です。
707年代にわれわれが主要に依拠した井上清さんの方法は、まだ領土概念さえない明・清時代の文献をもって「中国領だ」とする方法で、歴史的にも現在的にも実態を無視していました。そこからそもそも「どちらの領土」という枠組み自体を打ち破る必要を感じました。ただ「日帝による略奪」とだけ書いて、「日本の領土ではない」と書かなかったのは不十分だったかも知れません。現実には、「日本政府は領土主張を撤回せよ」というスローガンが必要だと思います。
井上清さんの「釣魚台」論は次のようなもの。
@中国の冊封船は釣魚諸島を通ったが、琉球からの進貢船は逆風・逆流で通過しなかった。
A中国は明・清時代から外洋を航海できる大船を持っていたが、小舟しかない琉球は釣魚諸島には近寄れなかった 。
B中国の史書に「郊」「溝」などと書いてあるのは黒潮のことで、黒潮は釣魚諸島の南側を通っている、また琉球諸島と釣魚諸島の間には千メートルにおよぶ深い海溝があり、琉球の進貢船と漁船は超えられなかった。
C中国の史書には「釣魚台」とあるだけで、日本名や琉球名はない。
日帝の中国・アジア侵略の出発点としての日清戦争の過程での釣魚諸島略奪にたいする井上さんの激しく正しい弾劾から学びつつ、今日指摘されている誤りは正しておくことが必要です。
(1)冊封船にも進貢船にも往路と復路がある。また季節風を利用する帆船の進貢船は復路は釣魚諸島を通った。
(2)中国は明時代に200年間に及ぶ「海禁策」を取り、大型船は琉球などに与え、船員や航海技術も喪失していた。そのため冊封船の航行のために、琉球から航海長や水先案内人、船員や通訳などを出してようやく航行できていた。そのうえ出港の頻度は、冊封船に比し進貢船の方が10倍以上も高かった。
(3)黒潮は釣魚諸島の南側ではなく南も北も全体を洗い流す形で流れている。大型の帆船にとって海溝が深いか浅いかは関係がない。また漁船も琉球の糸満の漁師は世界で最初に「追い込み漁法」を考案したほどで、少なくとも江戸時代には釣魚諸島周辺で盛んに漁をしていた。また八重山島民は琉球王朝から禁止されても禁止されても釣魚諸島周辺で漁をしていた。
(4)名称は「冊封船」に乗っていた琉球から派遣された船員または通訳(主に那覇にあった久米村の住民)が中国語に翻訳して述べたのを冊封使が書きとっただけで、古来、琉球では釣魚諸島を「ユクンクバジマ」とか「イーグンクバジマ」と呼んでいた。
沖縄の人々は70年代から井上清さんの間違いについては自覚していたが、当時は中国・台湾人民の感情と日帝の侵略・排外主義との闘いに配慮して問題にしませんでした。しかしこの1両年、井上説を批判し、「釣魚諸島は沖縄のものだ」とか、「沖縄と台湾の漁民が話し合って決めるべきだ」という主張が出てきてます。

【千島列島は、サンフランシスコ条約では帰属先を明らかにしていない(34ページ)というが、ヤルタ会談ではソ連に引き渡すことを確認している】

サンフランシスコ条約は50数カ国が署名した公的な条約です。それにたいし、対日参戦の代償としてソ連に千島列島の占拠を認めたのはスターリンとルーズベルトのヤルタ会談での密約です。
米上院は1951年のサンフランシスコ講和条約を承認する際、「この承認は合衆国としてヤルタ協定に含まれるソ連に有利な規定の承認を意味しない」との宣言を行っています。また1956年に米アイゼンハワー政権は、「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米国政府の公式文書ではなく無効である」との米国務省公式声明を出しています。 現に米政府は、1956年の日ソ交渉で日本政府が「2島返還」で解決することを決めたとき、強烈に介入し恫喝的手段も使って「4島返還」でなければダメだとして、日ソ平和協定の締結を破綻させています。私が述べたかったのは「千島列島がどちらに帰属すべきか」ではなく(それをいうならアイヌをはじめとする「北方民族」が権利を持つことになる)、米帝の戦後政策として日本周辺の領土問題を不安定かつ係争問題にして、日本に日米軍事同盟と基地の自由使用を押しつける手段としてきたということです。

3.国家論

「第5章 現代国家をめぐって」(43〜51ページ)に関する意見・批判です。

【「国家のために死ね」というのは古代や中世の共同体の下でもあったのではないか】

ここで言いたかったことは、本来、共同体だけに可能であった所属員に「死ね」、あるいは「殺せ」と命じることを、近代政治国家、国民国家は、共同体を擬制して行うということです。だから「共同体の幻想的形態」という規定が深い意味を持ちます。
所属員に戦争を強制する「共同体」は「本来の共同体」ではないとか、「原始共同体」ではありえないと言えるでしょう。その意味では、古代や中世の場合を、マルクスに習って「二次的・派生的共同体」と規定し、ここではその意味で言っているとすべきかもしれません。「本来」とか「擬制」というのはそのことを指しています。

【国家の実体的解明が不十分で、観念論ないし実存主義になっている】

アルチュセールや吉本隆明のように国家の本質をイデオロギーや観念と見る見解とは違いますが、国家の暴力性や抑圧性を客観的に述べるだけでは闘えないと思います。「暴力機構」とか「階級的抑圧の機関」というのは結局、「国家=手段」説です(誰にとっての手段か、という問題はありますが)。
これでは、「国家=自己目的」とする支配階級には勝てないと思います。逆にたまたま勝てた場合には、勝利した階級や集団の独裁的な国家権力の強化に帰結するのではないかと思います。
現在のわれわれにとって重要なことは共産主義を思想として再建することだと考えます。科学や宗教でなく「思想」ということです。私自身が革共同にかけていたものは、理論や信仰ではなく、思想を語り、思想に生きるあり方です。
国家論こそ、それがもっとも問われる領域であると考えます。「思想」が、「理論」または「科学」と違うのは、流動的で、個の主体を突き詰めることです。いかに「正しい」と思うことを言っても、人を内面から動かすものがなければ意味がないと思います。国家論を独自に対象化せず、階級規定や経済的基礎に還元するのは結局、国家との真剣な対峙、対決を放棄することにつながると思います。

6面

生活保護の改悪やめよ
「障害者」先頭に厚労省を追及

生活保護が改悪される動きに抗し、「障害者」団体の呼びかけで8日、厚労省交渉がもたれた。生活保護は2つの流れで改悪が進められている。
一つは度々取り上げている扶助費の削減の動きだ。これは今年度予算の問題である。もう一つは生活保護法改悪の流れ。5月17日にも閣議決定される。
法と制度の改悪では家族、親族に対し扶養義務を強化し、ジェネリック医薬品(薬価の安い後発薬)を義務化する動きがある。これらをメインに交渉がおこなわれた。
家賃扶助費の問題と扶助費削減の質問も用意していたが、時間切れとなった。交渉には45人が参加。大半は「障害者」だ。厚労省側は保護課の係長など4人。

親族まで照会

差別的な親は多く、子どもである「障害者」「精神障害者」がひどい人格否定をされているケースが少なくない。そういう親元から自立するには生活保護が欠かせない。
改悪法ではそれに制限をかける。扶助申請の時に家族に扶養照会をかけることは今でもおこわれているが、新制度では、親族が扶養できないと言えば、なぜ扶養できないのかを説明する義務が課されることになる。
さらに、扶養義務者の勤める会社にまで照会をかけるという。今まで以上に心理的・実質的な制限がかけられる。行政が裁判所に調停を申し立てることもあるという。
扶養義務は民法の規定であり、強化する意図はないと厚労省は言う。
厚労省の出した課長級会議文書は強化と読めるかもしれないが、実施にあたってのマニュアルではそう書かないから良いではないかというのだ。その場逃れもいいところだ。マニュアルができたらもらうことになった。再交渉もありだ。

ジェネリックの強制

ジェネリック医薬品は効能、主成分が一緒だったら承認されるので、含有成分が違うものはあるそうだ。添加剤が違う場合があるとのことだ。
「効果が違うという訴えがあるが、厚労省として把握していないのか」と追及すると「それは、医薬食品局の担当」といって逃げを図った。そんな無責任なことで押し付けられてはたまったものではない。
「精神障害者」自身は、薬のどの成分が実際に効いているのか分からないから、含有成分の異なるジェネリックを嫌がる人は多い。しかし、医者が処方箋にジェネリックを書いたら本人は納得していなくても無理強いされることになる。
それは医者と患者の問題で厚労省は関知しないというのだ。医者と患者の関係が悪ければどうするのだ。
医者にジェネリックを使うよう圧力をかけておきながら、医者を説得できないのは患者の責任だというのは不条理はなはだしい。ジェネリック医薬品は一般でも推奨されており、生活保護受給者に限り義務化する意図ではないという。それは詭弁というものだ。

7月に再交渉

次回、扶助費の問題に絞って7月までに再交渉を設定することになった。生活実態から迫っていきたい。(MT)

関電前弾圧
「公妨」で7カ月超える勾留
Aさんは無実 即時釈放を

●第2回公判(4月15日)

この日は、検察側、弁護側から「事件」当日に現場で撮影されたビデオの上映がおこなわれ、裁判は10分ほどで終了した。

●第3回公判(4月22日)

この日は、検察側証人として2人の警察官が証言した。この2人にたいして、検事、弁護士の双方からそれぞれ尋問がおこなわれた。
1人目の証人は、大阪府警警察官・城戸利雄(天満署)。「転び公妨」第1現場の主人公。2人目の証人は大阪府警警察官・影山正樹(天満署、警備課長代理)。「転び公妨」第2現場の主人公である。

違法なビデオ撮影

城戸は、「事件」当日、ビデオカメラを持って、関電包囲行動の参加者を無差別に撮影しつづけていた警察官だ。憲法違反・プライバシー侵害の不当な撮影をやめるようAさんが抗議しているなかで、Aさんによって「路上に倒された」と称している輩だ。
城戸の証言によれば、当時現場で城戸は「倒された」という認識はなく、Aさんと城戸が同時に倒れたことをもって、近くにいた影山が勝手に「Aさんが城戸を倒したにちがいない」と決めつけ、駆け付けたということだ。もしそうなら、なぜその場で城戸自身がAさんを現行犯で逮捕しなかったのかと弁護士に追及され、城戸は、しどろもどろになった。

「巴投げ」はうそ

また、影山が調書で「Aが巴投げで城戸を投げた」と述べていることに関して、裁判官は「本当に巴投げで投げたのか?」と質問した。すると、影山は、わかりやすく説明するためにそう言ったが、実際には巴投げではないと弁解した。
城戸は、身長176p、体重70s、剣道三段、柔道二段である。柔道の経験もなく、体格も城戸より小さいAさんが、いとも簡単に城戸を投げ飛ばしたなど、信じられない話で、さすがに裁判官も不審に感じたということだろう。
しかも、実際に2人が倒れる瞬間は、影山は目撃していないことが証言であきらかになった。ちょうど、タクシーが通り、それにさえぎられて、影山の視界から一瞬2人は消え、その後、倒れた状態の2人を見て、勝手に「Aが城戸を倒したにちがいない」と判断したというのである。
倒した事実を見たというなら、影山がAさんを逮捕すればよいはずなのに、逮捕していないので、なぜ逮捕しなかったのかと問われ、影山は、まわりに多くの人がいたから逮捕できなかったと言い訳をした。

「犯罪」はなかった

実際は、犯罪など起こっていなかったから逮捕できなかったのだ。だから影山は、城戸に代わって、Aさんを問い詰め、近くの自販機があるコーナーに追い詰め、「名前を言え。(城戸を)押し倒しただろう」などと言って、Aさんから言質を取ろうとしたのだ。その過程で、影山の後ろにいた女性が警官とのもみあいで倒された。倒れた女性の体に、影山が足をとられ後方に倒れる際に、影山がAさんの手を引っ張り、Aさんも道連れにされて倒れたというのが真実だ。
この事実を影山は、「Aに押し倒された」と強弁している。影山は、身長177p、体重81s、剣道二段、柔道三段で、Aさんよりはるかに大きい体格だ。この影山を、柔道を習ったこともないAさんが簡単に押し倒したというのだ。つまり、短時間のうちに、城戸、影山という2人の柔道有段者をAさんが次々と投げ飛ばし、押し倒したというのである。
次回、5月20日の第4回公判では、検察側証人の残り2人(いずれも警察官)が証言予定。
昨年10月5日に逮捕されたAさんの勾留は7カ月を超えた。大阪府警による「転び公妨」でっち上げを許さず、一刻も早くAさんの保釈を実現し、無罪をかちとろう。

米韓による戦争挑発つづく

朝鮮半島東側の海域で、米韓による「合同海上訓練」が5月13〜14日にわたっておこなわれた。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は「露骨な威嚇、重大な軍事挑発であり、朝鮮半島情勢を必ずや核戦争勃発の局面へと追い込むことになるだろう」(朝鮮労働党機関紙・労働新聞)と警告した。