未来・第127号


            未来第127号目次(2013年5月7日発行)

 1面 屈辱の日
    1万人が抗議

    政府式典に怒りのデモ

    沖縄県民と連帯を 4.28京都行動

 2面 シリーズ 安倍政権批判
    TPPー資本が社会を崩壊させる

 3面 大阪壊すな ストップハシズム

    宝塚市長選 奮戦記
    維新の会に圧勝!

    原発事故の責任を問う
    ノーモアヒバクシャ関西のつどい

    岩国との連帯強化を
    大阪市内で集会開く

 4面 原発事故ーその時病院が直面した現実
    ある医療従事者の体験(1) 

    脱原発テントと命を守る闘い

 5面 野宿者に選挙権、公民権を
    「4.5釜ヶ崎大弾圧」から2年

    オキュパイ大飯弾圧 公判傍聴記

    部落解放運動の復権へ
    第22回全国連大会に参加して

 6面 放射能高線量地域の子どもたちのために
    保養キャンプの継続・拡大を 

    書評 本当は憲法より大切な
    「日米地位協定入門」

       

「屈辱の日」1万人が抗議
「主権回復」政府式典がってぃんならん
4・28 沖縄大会

「黙ってはいられない」1万人が式典抗議にたちあがった(4月28日 宜野湾市)

4月28日午前11時、沖縄の宜野湾(ぎのわん)海浜公園(宜野湾市)では、政府主催の「主権回復・国際社会復帰式典」の開始時刻に合わせて、4・28政府式典に抗議する「屈辱の日」沖縄大会が開催された。参加者は1万人。
安倍政権は3月12日の閣議で、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効によって「日本が独立し主権を回復した日」として国を挙げた祝典を開催すると決定した。これに対して沖縄や奄美では「4・28は主権回復の日ではなく、講和条約により本土から切り離された『屈辱の日』である」と一斉に反発の声がわきおこった。
沖縄の怒りにあわてた安倍首相は「これは祝典ではなく記念式典だ」という詭弁を弄して、47都道府県知事に「主権回復・国際社会復帰式典」の招待状を送った。仲井真沖縄県知事は欠席したが、副知事を代理として出席させた。
政府式典は都内の憲政会館で天皇出席のもと、沖縄の怒りの声を無視して強行された。そして「祝典ではない」という弁明とはうらはらに、「天皇陛下万歳」を三唱するという茶番までやってのけたのである。

「沖縄に返せ」

政府式典と同時刻、沖縄では1万人の怒りと熱気にあふれる大会がはじまった。
最初に参加者全員で、「沖縄を返せ」の沖縄バージョン「沖縄に返せ」の大合唱。つづいて主催者を代表して大会事務局長の仲村未央(みお)県議から、経過報告とカンパのアピール。そして4人の共同代表が発言に立った。
喜納昌春・沖縄県議会議長は「サンフランシスコ講和条約で沖縄は本土と切り離され、米軍基地が集中した。差別的な日米地位協定の改定要求も無視され、オスプレイの強行配備や普天間基地の辺野古移設に向けて埋立申請が、米軍の言いなりでまかり通っている。沖縄の基地問題や北方領土問題が解決されない限り日本の主権が回復したとは言えない」と訴えた。
高良鉄美・琉球大教授は「政府は講和条約締結で沖縄を分離するだけでなく安保条約を結んだ。平和憲法は戦争をなくそうと高遠な理想を掲げている。憲法の改正を阻止しよう」と呼びかけた。
続いて県女性団体連絡協会長の伊志嶺雅子さんは「米兵の事件・事故はなくならない。不平等な地位協定は県民ではなく米兵を守っている。そんな状況で『主権国家』と言うことができるのか。主権国家なら、世界一危険な普天間基地は直ちに閉鎖すべきだ」と発言。
金城薫・中部地区青年団協会長は「4・28が屈辱の日と呼ばれるようになった話を初めて聞いて、日本政府に対する怒りや悲しみよりも、4・28を知らなかったことがショックだった」と率直な意見を述べた。

「屈辱の日」と染め抜いたのぼり旗が林立(4月28日 宜野湾市)

声を出し行動を

大会を同時開催していた宮古・八重山からメッセージが読み上げられ、稲嶺進名護市長など4人が連帯のあいさつをおこなった。
稲嶺名護市長は「今日また沖縄を切り捨てる式典がおこなわれている。許される事ではない。総理大臣・閣僚や国会議員そして国民を含め、まずは歴史を知るべきだ。サンフランシスコ講和条約、日米安保、日米地位協定はセットになっている。県民の人権が、ないがしろにされている中で、なにが主権回復か。いつも沖縄は切り捨てられ、交渉の道具として使われる。黙っていては認めたことになる。だから声を出し、行動しないといけない。これからも皆で心を一つにして頑張ろう」と参加者に呼びかけた。稲嶺市長の気迫のこもった発言はこの日の大会のハイライトとなった。
大会も佳境に入り、大会スローガンが読み上げられ、採択された。
最後に共同代表の崎山嗣幸・沖縄平和運動センター議長、仲村信正・連合沖縄会長、新垣繁信・県統一連代表幹事、中村司・県労連議長、新川秀清(あらかわしゅうせい)・第三次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団団長がステージ上に並び「がってぃんならん(合点がいかない)」を五唱し、大会を終了した。

7月参院選必勝へ

仲井真知事及び県選出自民党国会議員5人と自民・公明の県市町村議員は、「屈辱の日」沖縄大会に参加しなかった。
出席首長は41市町村中9人。安倍政権誕生後、沖縄では徐々に「オール沖縄」は崩れはじめている。5人の国会議員は政府主催の式典に参加した。そのうちの島尻安伊子と西銘恒三郎のふたりは、選挙公約に「普天間基地の辺野古移設反対」をかかげていたのである。ところが「沖縄の発展のため」と平然と公約を破ったのだ。沖縄はこれからきびしい闘いがはじまる。その反動をはねかえすために、7月参院選で沖縄選挙区の糸数慶子さんと比例代表の山城博治さんを当選させなければならない。 (沖縄 M)

政府式典に怒りのデモ
都内で抗議集会

右翼の妨害をはねのけて都内をデモ行進(4月28日)

4月28日、〈日本「主権回復の日」記念式典 抗議集会〉が東京の日比谷図書文化館・大ホールで開かれた。集会開始前にすでに会場は満杯で入りきれない状態に。
沖縄全体の意志を踏みにじり、オスプレイ配備を強行し、辺野古の埋立申請をおこない、沖縄を切り捨てた日を祝おうとする政府への怒りがそこにあった。

沖縄は日本の植民地

元沖縄青年同盟の本村紀夫さんは、日本政府にとって沖縄は「明治政府が軍隊を持って手に入れた植民地以外のなにものでもない」と述べ、「ここまで沖縄を見捨て抑圧するなら、自己決定権を行使する以外にない」と発言。「沖縄の年配の人たちは『日本は帰るべきところではなかった』と語り、若い市町村議員からは『独立しかない』という声が上がっている」「沖縄人は、日本人に依拠するのではなく、自らの信じる道を歩むしかない。沖縄の自立、独立があって初めて連帯がある」と語った。

自己決定権こそ必要

新崎盛暉さんは、「3月22日に行われた安倍政権による辺野古の埋立申請は、沖縄の怒りの火に油を注いだ。ここから沖縄の戦いは発展する」と展望を語った。
ヘリ基地反対協の安次富(あしとみ)浩さんは、「沖縄の若者の中に、真剣に琉球独立を考える人が増えている。辺野古の問題にしても、安保にしても、沖縄の自己決定権が必要。そして琉球自治州を作っていく方向が必要だと思う。これは北海道のアイヌの皆さんの自治共和国という方向とも合わせて、日本の支配構造を打ち破っていくものになるのでは」と語った。
平和フォーラムの代表は、「脱原発の運動は高揚したが、朝鮮学校への高校無償化はずしとの闘いや沖縄へのオスプレイ強行配備に対する闘いにどれだけ人びとを結集できたかは総括する必要がある」として、闘う決意を明らかにした。 (T)

沖縄県民と連帯を
4・28 京都行動

4月28日、京都市内で、「主権回復の日」政府式典に反対する4・28京都行動がおこなわれ150人が参加した。主催は反戦・反貧困・反差別共同行動きょうと(反戦行動きょうと)。
主催者を代表して、反戦行動きょうと世話人の新開純也さんがあいさつ。
代表世話人の中尾宏さんが「4・28は在日に何をもたらしたか」と題して講演。京都沖縄県人会事務局長・大湾宗則さんは「沖縄の民衆にとっての4・28」をテーマに沖縄の熱い思いを語った。沖縄からは、7月参議院選挙に立候補する山城博治さんのメッセージが読み上げられた。集会後、四条通りから河原町通りを通って京都市役所前までデモ行進した。

2面

シリーズ 安倍政権批判(3)
TPP―資本が社会を崩壊させる(上)

4月20日、環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加する11カ国は、インドネシアで閣僚会議を開き、日本の参加を全会一致で承認した。これによって日本は7月下旬にマレーシアで開かれる予定の交渉会合から合流することになる。国内でのTPPへの参加をめぐる議論は、とかく農業や自動車に関する関税問題が取りざたされてきた。今回は視点を変えて、「米国の日本に対する構造改革要求」とTPPの関係を明らかにしていきたい。

事前協議

4月12日、日米両国は日本のTPP参加にむけた事前協議の内容を発表した。そこでは日本が米国から次の2点を呑まされたことがあきらかになった。
それは、
@米国は、日本から輸入される自動車に対する関税の撤廃をできる限り後ろ倒しにする。
A日本は、民間保険会社との適正な競争関係が確立されたと判断されるまでは、かんぽ生命によるがん保険・医療保険商品について認可をおこなわない。
というものである。Aでいう民間保険会社とは、日本のがん保険市場で75%のシェアを占める米系保険会社「アフラック」のことだ。
自動車、保険の両分野では米側の要求を丸呑みさせられた格好だ。
一方、農業に関しては「日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品というように、二国間貿易上のセンシティビティー(重要項目)が存在」することを確認したにとどまり、具体的な成果はなにも得られなかった。まだ交渉のテーブルについていない段階で、早くも米側から押しまくられているのだ。

日本包囲網

それだけではない。この日米合意の発表後、今度はカナダが日本からの輸入車に対する関税を米国と同様にできるだけ後ろ倒しすることを認めろと迫って、日本の参加承認を最後まで渋り続けた。公表はされていないが、カナダが承認することとひきかえに日本がその要求をのまされたことは間違いないだろう。カナダのファスト国際貿易相は「後から入った国は、すでに決まったことを覆せない」(4月21日付、朝日)とわざわざ念押ししている。
また7月の交渉会合ではニュージーランドやオーストラリアが日本に農産物の関税撤廃を求めて攻勢をかけてくるのは目に見えている。マスコミが「日本包囲網がつくられつつある」(4月20日付、朝日)と評するTPPに安倍政権があえて飛び込もうとしているのはなぜか。
それは米日双方にとってTPPの核心的なテーマが「関税」ではないからである。

構造改革要求

現在TPP交渉に参加している国は、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポール、米国、メキシコ、カナダ、ベトナム、マレーシア、オーストラリア、ペルーの11カ国である。
TPPが生まれたのは05年である。協定調印時の参加国は、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポールの4カ国だった。このとき4カ国は、2017年までに、例外品目を基本的に認めないという自由貿易協定(関税の撤廃)締結をめざしていた。協定は翌06年に発効した。
もともとシンガポールは酒とたばこ以外は無関税であり、ニュージーランドの関税も極めて低率であった。このようにほぼ関税撤廃を実現している国が中心となって、必要な貿易のしくみや枠組みを作ろうというのが当初のTPPの性格であった。
この段階では米国はTPPにほとんど関心を示していなかった。ところが、08年になってこの4カ国が金融サービスや加盟国間の投資活動の枠組みづくりについて協議を始めるやいなや、突如関心を高めていく。そして09年11月、オバマ政権はTPPへの参加を表明するのである。
この経緯をみれば、米国がTPPに参加した動機が「関税の撤廃」にあるのではなく、「金融」と「投資」にあったということは明らかだ。

突然の参加表明

米国のTPP参加表明の翌10年10月1日、菅直人首相(当時)は国会の所信表明演説で唐突に、日本のTPP参加を検討すると表明した。そして1カ月後の11月13日、APEC(アジア太平洋経済協力会議)日本会議で交渉参加に向けて関係国との協議に着手すると正式に表明したのである。
菅のTPP参加表明の背景には、米側からかなり強い圧力が存在していたはずである。当時の参院予算委員会で菅は「『TPP』という言葉を初めて聞いたのはいつか」との質問にあいまいな答えしかしていない。また衆院予算委員会で前原誠司外相(当時)は「自分の知るかぎり、アメリカからTPP参加要請を言ってきたことは一度もない」と答弁しているが、そんなことはありえない。
鳩山政権時に「普天間基地移設」問題などをめぐって冷え込んでいた日米同盟関係を修復する条件として米側が「日本のTPPへの参加」を突きつけていたとしても不思議ではない。
APEC期間中に行われた日米首脳会談で菅はオバマに「日米経済協調対話」という協議を始めることを約束させられた。翌年から始まった日米経済協調対話で、米国側から提示された要求項目は40以上もある。その内容は情報通信技術、知的財産権、日本郵政、運輸・流通・エネルギー、農業、医療機器・医薬品など多岐にわたる。またM&A(企業の合併・買収)活動の妨げになる法律・規制などの改正や公正取引委員会の手続きの改善、企業に対する規制上の負荷の削減にまで言及しているのである。
まさに日本の社会・経済の広範な構造改革要求である。米国の日本に対する構造改革要求の始まりは1985年までさかのぼるが、それ以降、「日米構造協議」「日米包括構造協議」と名称を変えながら継続しておこなわれてきた。94年からは日米政府間で日米規制改革委員会を通じて「年次改革要望書」を取りかわす慣行が始まる。

年次改革要望書

この「年次改革要望書」で米側が要求して日本政府に実現させたものに、「大店法(大規模小売り店舗法)廃止」「労働者派遣法改正」「医療制度改革」「会社法の制定」「司法制度改革」「郵政民営化」などがある。
2000年に大店法が廃止されたことによって大型店の出店に対する規制が事実上なくなった。これはすでにその多くが「シャッター通り」と化していた地方都市の商店街に追い打ちをかけ、中小商業と地域の衰退を促進した。
03年、労働者派遣法改正により、翌年から「製造業への派遣労働」が解禁となった。これは年収200万円以下のワーキングプア層を大量に生み出し、格差と貧困を拡大させた最大の原因とみなされている。
06年の医療改革法によって患者負担増と診療報酬の大幅引き下げがおこなわれた。後期高齢者医療制度の導入もこのときであった。
05年の会社法の制定によって外国企業による国内企業のM&Aを容易にした。これは企業のリストラを促進する要因となっている。
まさに90年代末から自民党政権のもとで開始された「構造改革路線」とは米国の要求を丸のみするものだったのである。09年、小泉構造改革に対する民衆の怒りを背景に政権交代を果たした民主党・鳩山政権はまっさきに日米規制改革委員会を廃止し、年次改革要望書の取り交わしをやめた。
これに対して米側が激怒しないはずがない。普天間基地問題に加えてこの「年次改革要望書の廃止」が、その後の猛烈な「鳩山つぶし」となって吹き荒れていくのである。
鳩山を政権から引きずり下ろした後、米国がやるべきことは「年次改革要望書」にかわる日本への構造改革要求の場を復活させることであった。その「場」こそほかでもないTPPだったのである。(つづく)〔鼓川竜二〕

(資料1)

TPP交渉参加11カ国
ブルネイ、チリ、ニュージーランド、シンガポール、米国、メキシコ、カナダ、ベトナム、マレーシア、オーストラリア、ペルー

(資料2)

TPP交渉 これからの日程 【情報通信技術】
4月20日 TPP全11加盟国が日本の交渉参加を承認
4月下旬  オバマ政権が米議会に通告。90日後に日本の交渉参加が可能に
5月15〜24日 TPP交渉会合(ペルー)
6月  安倍政権がTPP参加を含む「成長戦略」を公表
7月下旬? TPP交渉会合(マレーシア)=日本が参加
9月 TPP交渉会合(場所未定)
10月7、8日 APEC首脳会議、TPP首脳級会議(インドネシア)
12月? TPP交渉会合(場所未定)=年内が妥結(合意)の目標期限

(資料3)

日米経済協調対話 米国側関心事項(抜粋) 20112年2月
【情報通信技術】
(通信)NTTとその関連会社のいかなる改革、NTTグループの再編にかかわるいかなる提言も規制の対象とする
(医療情報技術)医療情報技術の早期導入
【知的財産権】
(著作権保護期間)すべての著作物に関わる著作権保護期間の延長
(特許法)特許法の手続の簡素化
【郵政】
(競争条件)日本郵政グループの競争上の優位性を完全に撤廃
(郵政改革)日本郵政グループに追加的な競争上の優位性を与えない
【農業関連】
(残留農薬及び農薬の使用)新規に開発された農薬の利用を促進
【ビジネス法制環境】
(M&A)対日M&A活動を阻害している法律、規制、税制上の要件の見直し
【医薬品・医療機器】
(新薬創出)新薬創出加算を恒久化し、加算率の上限を廃止することにより、新薬承認の遅延を解消、研究開発への誘因の強化
(外国平均価格調整ルール)日本における価格が外国平均価格より高いか低いかにかかわらず、製品が平等に扱われるようにルールを改定
(14日の処方日数制限)患者の利益ならびに医薬品へのアクセスを考慮し、新薬の14日処方制限ルールを改正
(新薬承認の遅延)日本における革新的新薬の早期導入を促進するため、東アジア諸国における臨床治験データの受け入れを検討
(医療機器)品質管理システムおよび外国製造業者認定に関する要件の修正に向けて利害関係者と協議。

3面

大阪壊すな ストップハシズム

橋下市政への怒りの発言が次々とおこなわれた(4月13日大阪市内)

4月13日、「大阪を壊さんとって ストップ!ハシズム市民大集合」が大阪市内でひらかれ、会場のエルシアターは座りきれない900人を超える人びとがあつまり大盛況だった。主催は、WTC住民訴訟の会がよびかけた集会実行委員会。
「浪花の唄う巨人」ことパギやん(趙博(チョウ・バク)さん)の歌で始まり、次に新作ビデオ「維新のトオルちゃん」の上映があった。
笑福亭竹林(ちくりん)さんのトークをはさんで、「ストップ! ハシズム。怒りのトーク」がおこなわれ、9人が発言した。

ハシズムが学校に

「君が代」不起立処分の当該。「08年、府知事になった橋下さんは大阪の教育に口を出し始めました。卒業式、入学式の国歌斉唱を義務付ける条例を2011年につくりました。そして2012年には『3回不起立で免職』の条例です。私は去年、不起立で戒告処分にされました。今年の卒業式、不起立で減給処分を受け、再任用は不可という結果になりました。ハシズムが学校にやってきて、命令、命令、命令で、被害を受けるのは教員ばかりではありません。子どもたちです。そうならないうちに、ハシズムがファシズムにならないうちに、手を取り合い、つながっていく必要があります。人事委員会に不服申し立てというかたちで、声をあげています。」

橋下が補助金をゼロに

朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪。「大阪府では20年間にわたって補助金が出ていた。橋下が知事になって、すべての補助金を打ち切りました。今、学校は補助金がまったくゼロというなかでたたかっております。」

大阪市のガレキ受け入れ・焼却に反対

阪南大学准教授・下地真樹さん。「(大阪市が受け入れている相手の)岩手県にどれだけガレキがあるのか、いまだにデータが隠ぺいされています。安全性の検討プロセスを隠ぺいしたままで進められる政策に賛成すること自体まちがっていると思います。」
ほかに、〈桜宮高校から体罰をなくし、改革をすすめる会〉、地下鉄・市バス民営化に反対している〈大阪市営交通の会〉、〈住吉病院を充実させる西成区市民の会〉、「入れ墨調査拒否」処分当該、橋下市長特別秘書への不正給与問題、大阪市思想調査アンケート国家賠償請求訴訟などの訴えがおこなわれた。
民衆の歌を皆で歌い、最後に行動提起があり、橋下との闘いを横につなげていこうと具体的な行動が呼びかけられた。

投稿
宝塚市長選 奮闘記
維新の会に圧勝!

4月14日投開票された宝塚市長選挙は、久しぶりに私たちに希望を与えてくれる結果となりました。中川ともこ現市長の再選を勝ち取り、同日おこなわれた伊丹市長選と、宝塚、伊丹での市議補欠選挙(各1議席)でも維新の候補を大差で退けました。

危機感を持って

私は中川現市長を当選させるために選挙運動に参加しました。中川市長は護憲と脱原発を主張する数少ない庶民派の女性市長で、絶対に当選させたい人でした。しかし今回は維新の会から対立候補が出馬したことによってきびしい選挙となりました。宝塚市では去年の衆議院選挙の政党別得票数で維新の会がトップだったのです。
私はこれまでつながりのある仲間たちに呼びかけて、連日選挙事務所に詰めて、宣伝カーの運転やビラのポスティングなどをやりました。選挙事務所には危機感を持ったさまざまな人たちが応援にかけつけていました。

感動的な選挙

投票前日は感動的でした。午後4時に阪急逆瀬川(さかせがわ)駅をおりて、応援演説用の小さい案内を持って立っていると続々と市民が集まってきました。平松前大阪市長や山本太郎さんが演説する6時ごろには歩道橋の上も下も人でいっぱい。1200人ぐらいはいたと思います。こんな光景は今まで宝塚で見たことがありません。
今回の勝利から実感したことは、護憲勢力は衰退と言われるけれど、けっしてそんなことはない。反維新・反自民で他の勢力が一致協力すれば選挙に勝つことができるということです。

庶民の情熱と行動力で

選挙が終わり、ポスターの回収にまわってみると、意外にも維新のポスターを貼っているところが少ないのに気がつきました。強大そうに見える維新の会ですが、私たちのように実際に地域の中で動く人間がいないのだなと思いました。橋下の人気にたよっているだけではダメなのだ。ここに彼らの弱点がある。
私たち庶民には情熱と行動力がある。このような取り組みを全国に広げて憲法改悪を阻止し、脱原発を実現しましょう。(兵庫 K)

原発事故の責任を問う
ノーモアヒバクシャ関西のつどい

中嶌哲演さんと山本太郎さんの対談(4月21日)

4月21日、「ノーモアヒバクシャ関西のつどい 〜このままでは子どもを守れない〜」が大阪市内で開かれた。主催は、とめよう「もんじゅ」関西連絡会&脱原発政策実現関西ネットワーク。午前中に映画を上映。午後はトークがおこなわれた。

事故は収束してない

冒頭、主催者は「福島第一原発事故は収束していない。4号機の使用済み燃料プールの問題が未解決。被曝労働を強いられている労働者が犠牲になっている。除染、帰還が推進されている。原子力ムラは、誰ひとり責任を取っていない。国が前面に出て責任を取るべき」と訴えた。
つづいて、映画『福島 六ヶ所 未来への伝言』が上映された。この映画は、20年間、六ヶ所村を撮り続けたフォトジャーナリスト・島田恵さんの初監督作品。
原子力施設を抱える地域で暮らす人びとの生活と苦悩を通し、放射能という「負の遺産」をこれ以上増やし続けることの責任を問う内容。加藤登紀子さんの歌がバックに流れ、涙なしには見られない。

内部被ばく

午後のトークは佐藤幸子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)のお話から始まった。
佐藤さんは、「福島の母の願い」と題して、
福島県の子どもがおかれている状況について訴えた。県外へ一時避難・保養に行かせようとしても、県は「保養」という言葉(概念)を使わせず、行先が県外だと助成金も出さない。子どもは外で遊べないので、体力がつかず、スポーツテストは全国で最下位に。福島県産の米を食べると助成金が出るなど、内部被ばくを強制する県政になっているという深刻な現状が語られた。

原発の倫理問題

俳優の山本太郎さんは「福島原発事故は『終わったこと』にされている。被曝労働を強いられている労働者もひどい扱いを受けている。」と語り、中嶌哲演さん(原発設置反対小浜市民の会)は「若狭地方は近世以降の大地震の真っただ中にある。原発は経済問題で語られることが多いが、倫理的問題を訴えたい。原発労働者は50万人を超えた。原発建設にあたって立地差別がある。福島の子どもを預かる国民的運動を」と訴えた。

本当の豊かさとは

藤波心さん(歌手、高校2年)は「原発が必要か必要でないかの議論を、もうする時ではない。答えは出ている。原発がなくてもやっていける社会を。本当の豊かさとは何か、本当の幸せとは何か、考え直すとき」とアピールし、『故郷』を参加者と歌った。
ほかに、所源亮(ところげんすけ)さん「脱原発で経済はよくなる」、生活協同組合コープ自然派、ストップ・ザ・もんじゅから発言があった。

岩国との連帯強化を
大阪市内で集会開く

オスプレイ訓練反対の取り組みが報告された(4月19日)

4月19日、岩国連帯関西集会が大阪市内で開かれ、80人が参加した。集会は、洛南ユニオンとユニオンぼちぼちの仲間の司会ではじまった。 最初に、2013岩国・労働者反戦交流集会実行委の代表である全日建連帯労組の垣沼さんが主催者あいさつ。

全国キャラバン

つづいてオスプレイ訓練・配備反対全国キャラバンの報告とビデオの上映。2月に兵庫県と中国地方、3月に四国と和歌山、4月に九州のキャラバンをになってきた全日建連帯労組の西山さんが報告。それぞれの県で申し入れした際の様子や反応、四国に行ったときの山城博治さん(沖縄平和運動センター)の発言がビデオで紹介された。
九州の佐世保基地を見に行って写真を撮っていたら、米軍に拘束された話や、オスプレイの飛行訓練ルートには、発表されているルート以外にブラックルートというのがあり、それは東京の市街地を想定したもので、東富士演習場から実際に東京に向けて低空飛行訓練をするらしいという話があった。

夏の座り込みへ

次に岩国からのビデオメッセージ。〈住民投票の成果を活かす岩国市民の会〉大川牧師、〈愛宕山を守る会〉天野事務局長、岩国市議の田村順玄さん、連帯労組やまぐちの麻田さんがビデオに登場した。麻田さんは会場でも発言した。
関西の活動報告として、全港湾大阪支部の陣内さんが辺野古大阪行動の報告。また全労協青年部から今年の夏、岩国での座り込みに参加する計画をしていることが報告された。
アジア共同行動の大内さんは、京都府・丹後半島の自衛隊経ヶ岬分屯基地に米軍がXバンドレーダーを設置しようとしていることや、岩国署名、グッズ販売など、岩国連帯の取り組みを提起した。
最後に司会からまとめがあり、全体で岩国連帯の取り組みや11月の岩国行動に向けて、決意を打ち固めた。

4面

原発事故―その時病院が直面した現実
ある医療従事者の体験(1)

常磐線・富岡駅のホーム。原発事故以降は休止中だ。

福島原発事故当時、第一原発から9q、第二原発から3qにある今村病院に勤務していた佐藤慎司さん(30代、仮名)の体験を紹介する。
佐藤さんは、その日も通常通り出勤して事故に遭遇。患者の避難に奮闘した。事故から2年、ようやく佐藤さんは事故当時の体験を落ち着いて話せるようになった。
あくまでも一人の医療従事者の体験を通してだが、佐藤さんは次のように訴える。
「『放射能で死んだ人間はいない』なんて言うけど、実際にはウチの病院をはじめ、たくさんの人が避難やその後の負担で命を落としている。原発再稼働に賛成とか反対とか、安全基準だとか、いろいろ議論されているけど、『ひとつ原発事故が起こったら、こんなに犠牲が出る』ということを考えたら、結論は、はっきりしていると思う」
東日本大震災と原発事故発生から2年。 あのとき何が起きたのか。
原発推進の流れが強まる中、忘れてはならない事実のひとつを記録しておく。

震災関連死

東日本大震災の犠牲者数は、死者15、861人、行方不明者2、939人(昨年6月警察庁調べ)。
さらに直接の地震・津波による犠牲ではなく、避難過程や避難生活の中での体調悪化あるいは自死などによって亡くなった「震災関連死」が3、004人(昨年12月復興庁調べ)。そのうち福島県内での震災関連死が1184人と全体の約4割。とくに原発事故による避難区域がかかる双葉郡8町村と田村市、南相馬市、飯舘村の11町村での震災関連死が合計で1、051人と全体の9割近くを占めている。

20q圏内の病院で

当時、福島第一原発から20q圏内には7つの病院が存在しており、原発事故によって避難を余儀なくされた。そこで起こった事態について『国会事故調報告書【本篇】』(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)では以下のように記述されている。
「福島第一原発から20q圏内には、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、南相馬市の5市町に7つの病院が存在する。県立大野病院(大熊町)、双葉病院(同)、双葉厚生病院(双葉町)が5q圏内に、今村病院(富岡町)、西病院(浪江町)が10q圏内に、市立小高病院(南相馬市)、小高赤坂病院(同)が20q圏内にある。事故当時これらの7つの病院には合計約850人の患者が入院していた。そのうち約400人が人口透析や痰の吸引を定期的に必要とするなどの重篤な症状をもつ、又はいわゆる寝たきりの状態にある患者であった」
「当委員会の調査によると、平成23(2011)年3月末までの死亡者数は7つの病院及び介護老人保健施設の合計で少なくとも60人に上った。『震災後の避難前の時点』から『別の病院への移送完了』までに死亡した入院患者数は、双葉病院38人、双葉厚生病院4人、今村病院3人、西病院3人であった。また、双葉病院の系列の介護老人保健施設の入所者は同病院の患者と一緒に避難したが、そのうち10人が死亡している。なお半数以上が65歳以上の高齢者である」
『国会事故調報告書』では、7つの病院及び関連施設において発生した苛酷な事態について、一定の紙幅を割いて事実と原因の究明をおこなっている。またもっとも犠牲の大きかった双葉病院については、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下 「双葉病院」恐怖の7日間』(森功著 講談社 2012年3月11日)において克明な取材が行われている。

散乱するベッドや車イス。避難時のパニック状態が想起される(写真は双葉病院)

3月111日14時46分 地震発生

―3月11日はどういう日でしたか

佐藤:8時半からいつも通りの1日がはじまった。強いて言えば、あの日は学校の卒業式だったでしょう。子どものいる女性スタッフで休んでいる人もいて、その分忙しかったと記憶している。
地震発生は午後の診療が始まって一時間ちょっとたったぐらい。


―富岡町は震度6強でしたが

なんせ初めてだったね、こんなに揺れるのは。よく立っていられないと言うけどほんとにそうだった。
で、すごく長かった。普通の地震なら地鳴りがしてガーとなって、ある程度待てば収まってしまう。それが収まるどころか、徐々に徐々に強くなっていく一方で止まらない。どうなっちゃうんだ。これは止まんないぞ、尋常じゃない。
機材なんかが右に左に動いていた。病棟の詰め所にある棚とかは軒並み全部倒れていた。立っているものはすべて倒れるような。停電は数分ぐらい。すぐに非常電源に切り替わったから。
ただ、これはものすごいことになるとすぐに感じたね。


―それは津波ということですか

いや、そのときはまだ津波のことは頭になかった。
ただこれだけの揺れだから、転んだとかガラスで負傷したとか、そういう人がすぐに駆け込んでくるだろうとは思った。
まず現状の確保だね。入院の患者さんのこと、あと自分の担当していた患者さんの把握。ある程度動ける人はいいとして、寝たきりの患者さんの状況。それから外来の患者さんの誘導とか。
こういうとき患者さんはみんな、帰りたいと言うんだね。家が心配だからだろうけど。家族のいる人もいない人も帰りたいと。でも帰らない方がいいって言ったんですよ。たぶん町の中もパニックになっているだろうし、タクシーなんかつかまんない。慌てて帰ったらかえって危ない。病院にいてもらった方が安心だからね。
で、落ち着いて下さいって話しかけていた。これは自分に向かっても言ってるんだよ。われわれまでパニックになると患者さんに伝わるからね。


富岡駅。津波の直撃を受けて駅舎は崩壊・流失した。

津波警報 14:49
津波第一波到達 15:27
富岡町の津波の高さ 21・1m
富岡町の死者・行方不明者 24人(死者・行方不明者は2012年11月14日時点/震災関連死122人を除く)


―津波を認識したのは

津波警報が発令されるのはどの時点だったのかは記憶が曖昧。ただ自分の感覚では、津波という情報が入ったのは地震から30分ぐらいたってからだった気がする。
病院中が直後の対応に追われていたから、冷静にテレビを見たりして外部からの情報を正確にとらえられるようになるには30〜40分かかったんじゃないかな。
だから「津波がくる」という情報が入って、実際に津波が到達するまでの時間は15分とか20分だったかもしれない。

―津波の被害は

スタッフの中で犠牲になった人はいない。親戚や知り合いにまで広げたら違うけどね。
病院から海は見えないので津波そのものは見てない。病院の南側にある富岡川の水が逆流していろんなものが遡ってくるのが見えた。何なんだこれは? 動画の逆まわしというのも変だけど、なぜ川が反対に流れているのか? どういうことなんだ? いつもより水かさが3倍ぐらいになって逆に流れていく。車やら建物やらがいろんなものが。
どうしようもないことがあるんだと思った。地震は防ぎようがないし、津波は海と反対側の高いところに逃げるしかないと。

流された人を救助

川を見ていたら流されてる車に人がいる。人間3人と犬が1匹。引き波のときに、たまたま引っかかったような形になっていた。
みんなは救急とかレスキューとかと言うんだけど、待っていたって来ないと思った。こういう場合は、近くの人がやるしかないんじゃないかと思った。みんなには止められたけどね。「何やってんの!」って怒られた。「あんたが持ってかれたらどうすんだ! これから怪我人がどんどん運ばれてくるのに」ということだね。
でもそれは「見捨てろ」といっているように聞こえた。
それで止められたけど助けに行った。腰ぐらいまで泥に浸かってね。もちろん自分だけじゃなくて何人もが、いろんな形でね。例えば水道のホースを投げて手助けしてくれたり。
その車の一人は、どうも動きが鈍かったのでおかしいなと思ったんだけど、頸椎損傷だったらしい。自力では脱出できない状態だったんだ。その後、回復したらしいけど。
ちょうど津波が起きて川が増水していたときは、雪がちらついていた。風があって寒かったよ。まともに被害にあった人はさらに寒かったでしょう。 (つづく)〔写真は2011年10月撮影〕

脱原発テントと命を守る闘い

経産省前テントに対して、政府は「テントの撤去=土地明け渡し請求訴訟」を起こした。さらに、1100万円の「損害金」を請求してきた。テント関係者のうちの2人を被告とした訴訟だ。
経産省前テントは、福島原発事故をうけて建てられた、原発の総元締めである経産省と霞が関に対するたたかいの砦だ。「国有地の不法占拠」などというのは問題のすり替えだ。 原発推進政策とのたたかいとして反撃しよう。裁判期日は6面。

5面

野宿者に選挙権・公民権を
「4・5釜ヶ崎大弾圧」から2年

さまざまな弾圧とたたかう仲間が集い、熱い討論がくりひろげられた(4月5日大阪市内)

釜ヶ崎大弾圧〔注1〕から2年目を迎える4月5日、大阪市西成区で「4・5釜ヶ崎大弾圧から丸2年☆憲法を守れ!☆日本の民主主義が危ない!!☆反弾圧シンポジウム 憲法21条の現在」が開かれ、100人をこえる仲間たちが集まった。主催は4・5釜ヶ崎大弾圧救援会。
集会では、一審の有罪判決を補強した大阪高裁の不当判決をはねかえして最高裁闘争へとたたかいを進める「被告」たちを支え、「野宿者の選挙権の回復、表現の自由をかちとろう」と呼びかけられた。反原発闘争や労働運動への弾圧とたたかう仲間たちも集い、熱気あふれるシンポジウムとなった。

選挙権回復の闘い

冒頭、ドキュメント「釜をなめるな! 選挙権回復闘争の記録」(金稔万監督)が上映された。2010年7月11日の投票所行動にいたる闘いの経過が映し出される。
07年元旦、三角公園でおこなわれた炊き出しから、野宿者が生きるための住民票の取得。07年3月、大阪市が住民票を一斉削除。この大暴挙に抗して選挙権の回復にむけたねばり強い司法権力と大阪市に対するテント闘争。説得力あるカメラワークと音声によって構成された映像には解放感がみなぎり、闘争の臨場感をすべての集会参加者が共有することができた。

司法の腐敗

釜ヶ崎弾圧の救援運動を中心的に担っている遠藤比呂通弁護士が「野宿者公民権運動と表現の自由の現状」と題して講演をおこなった。弾圧の当該で故人となった南さんの在りし日の姿に触れながら、 この運動の意義を語った。「当日投票できるといったことは正しいのか―正しくないのか」という彼女の真摯な問い詰めと選管との粘り強い交渉が、西成区役所に投票をOKしたことを示す文書が存在することを明らかした。体を張って選挙権の行使を訴えた南さんの行動は、司法・行政の欺瞞を暴きだした。「自分も彼女に教えられた」と遠藤さんは言う。
裁判所はその闘いを「政治的自由(政治に参加する権利)にあたらない」ときめつけ、「投票所の静謐な環境」を乱したことをもって「犯罪」とした。これは裁判所が国際人権規約自由権規約25条(選挙・公務に参加する権利)を踏みにじるものである。遠藤さんはこうした司法の腐敗をきびしく断罪し、釜ヶ崎の労働者と活動家を分断しようとたくらんだ権力の弾圧をのりこえ、「南さんの遺志を引き継いで野宿者の公民権運動を」と訴えた。

集団を取り締まる国家

続いて「今、何がおきているか―政治的自由の現在」と題して永嶋靖久弁護士が講演。 @最近の弾圧の特徴、A監視国家、B自民党はどんな社会を目指すのか、以上3つのポイントで現在の治安攻撃にたいするたたかいを呼びかけた。
「『過激派』であることを隠してアパートを借りたことが詐欺」とされた例を紹介しながら、「文書弾圧」の広がりや「詐欺」罪を使った弾圧が多発していることに警鐘を鳴らした。
さらに昨秋の関西における反原発運動にたいする連続的な弾圧では、現行犯事案を事後に令状逮捕して起訴し、長期間にわたって勾留する手法を報告。権力は反原発運動を「反社会勢力」ときめつけて裁こうしていると指弾した。警察による監視(Nシステム、防犯カメラ)や市民相互の監視による監視社会が作られようとしていること。自民党が改憲によってめざしているのは、結社や集団をそれ自体で犯罪であるとする社会であると喝破した〔注2〕。

「被告」の決意

「逮捕されないような運動にするという分断をのりこえて、いろんな闘いで権力を包囲しよう」。「キング牧師の『自由』の闘いのような、目に見える大衆的な闘いを」。「志半ばでたおれた南さんの遺志を引き継ぎ最高裁闘争を闘う」。「被告」たちはそれぞれに不屈の決意を明らかにした。また関西大弾圧救援会、釜ケ崎の福祉施設での解雇撤回闘争から連帯のアピールがおこなわれた。
住民票の一斉削除に抗議し、選挙の投票を呼びかけたことを犯罪とする4・5釜ヶ崎大弾圧とのたたかいは、野宿者の権利回復と政治的自由をかちとるたたかいであると同時に、新自由主義攻撃と対決するたたかいである。改憲に向けて突進する自民党と治安国家を逆包囲する多様なたたかいをつくりだそう。(労働者通信員M)

注1 釜ヶ崎大弾圧

2007年3月29日、解放会館、NPO釜ヶ崎、ふるさとの家の3カ所計2088人の住民票を大阪市が一斉削除。2010年7月11日参院選。住民票を削除された人のうち45人が投票。2011年4月5日 6人が公務執行妨害で逮捕、10数カ所家宅捜索。101日、さらに1人逮捕。25日、南さんら4人を威力業務妨害で起訴。2012年3月28日、4人全員に有罪判決。9月19日、南さん、がんの再発で逝去。12月12日、大阪高裁が控訴棄却。3人が上告。

注2 自民党改憲草案〈第21条の改正案〉

「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは認められない」。
現行憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する」。

オキュパイ大飯弾圧 公判傍聴記 第7回公判(3月26日)

晴れ。春の兆しの中を電車が走る。線路と田んぼの狭間をパンタグラフの影がでこぼこしながら走る。田耕しや畦造りが始まり、視界に幾何学的な模様がくっきりと浮かび上がっている。午前10時7分、鵜飼裁判長が開廷を告げ、被告人Kさんが入廷した。傍聴席の20人ほどが拍手で迎える。

1.金子譲さんが証言

市民ジャーナリストとして、OnenessTVを運営しています。3・11福島原発事故以後、脱原発・再稼働反対の集会、講演会を撮影し、インターネットで発信してきました。

大飯で密着取材

オキュパイ大飯については、6月16日に大飯のテント村に入り、6月30日から7月2日まで密着取材をおこない、7月中旬までいました。
2カ月以上あとの9月20日に編集した画像をユーチューブで発表しました。メモリーカードが10月1日に押収され、事前に任意提出などの連絡はありませんでした。

不当捜索

前触れもなく、7人の警察官が午前9時前に来て、捜索令状を見せて、家宅捜索をおこない、押収していきました。
フリージャーナリストのAさんから連絡があり、捜索押収に対して、抗議のための署名運動を始めることになりました。インターネット上で、2〜3日間で、著名人も含めて600人の署名が集まり、福井県警と裁判所に送りました。

取材の自由を侵害

私の取材対象には原発、がれき処理問題があり、取材対象の顔を隠したりして信頼関係を作ってきました。
しかし、警察の捜索押収によって、取材対象との約束を反故にしてしまいました。取材対象の意に反して、映像が警察に持っていかれ、秋以降、市民メディアは抗議行動をしている人たちから取材を拒否される場面が出てきました。
私だけの問題ではなく、ジャーナリスト全体の問題だと思うようになりました。押収された当初は、そこまでは感じてはいなかったのですが、ジャーナリストの取材の自由(取材制限)に関わる問題だと思います。

2.被告人Kさんが証言

「オキュパイ大飯」に参加したのは再稼働を阻止するためです。福島原発事故の一報を受けて、以前から原発反対運動をしてきたこともあり、被害の大きさに申し訳ないと責任を感じ、食料などを届けるために福島に出かけました。

オキュパイ大飯

「オキュパイ大飯」とは4月9日から7月にかけての大飯原発再稼働反対運動の総称でもあり、6月30日からの大飯原発ゲート封鎖の36時間の運動もさしています。4・9決起をネット上にアップすると、自然発生的に輪が広がりました。集まった階層は様々で、目的は再稼働阻止の一点でした。
地元の人からの差し入れもあり、やってよかったと思いました。 再稼働の前日、6月30日までに、やるべきことをすべてやり抜いて、それでも動かそうとする大飯原発に対しては、現地でのたたかいしかないと思いました。
証人に対する遮蔽措置については、今回の事件では必要ありません。
また、短期間に何回も期日を指定したことは、裁判の内容を十分に検討できないまま次の期日を迎えてしまい、不利益を被りました。

5月7日(火)午前10時、検察の論告・求刑、
24日(金)午前10時、最終弁論と被告人Kさんの意見陳述。

部落解放運動の復権へ
第22回全国連大会に参加して

4月6〜7日、部落解放同盟全国連合会の第22回全国大会に参加しました。
メインスローガンは「部落解放運動の復権へ、新たな挑戦に打って出よう!」。中央本部・中田潔書記長は「解放運動総体の厳しい現実を前に、既存の解放運動への批判勢力から脱却し、部落解放運動そのものをゼロから作り直していこう。何よりも地域の要求と団結に根ざした自前の運動をつくっていこう」と呼びかけました。
同和住宅家賃値上げ・住宅追い出し攻撃と闘う奈良・西宮、「解放ボランティア」に取り組む長野県連から報告があり、婦人部は広島・全国婦人部大会への参加を呼びかけました。
緊迫した情勢を迎える狭山第3次再審闘争について、小森勝重狭山闘争本部長より「4〜5月にも弁護団・検察双方から、意見書・証拠提出がでそろう。いよいよ再審開始か否かを高裁が判断する段階に入る。石川一雄さんの不当逮捕から50年となる今年、再審実現に向けて全力を挙げて闘おう」との提起がおこなわれました。2月婦人部、3月青年部の要請行動の報告があり、要請行動の継続が訴えられました。
沖縄県名護市辺野古のヘリ基地反対協議会・共同代表の安次富浩さんから特別講演がありました。安次富さんは、学生時代に狭山闘争に参加したことに触れながら、「自己決定権はウチナンチュウにあるのであって、日本政府にあるのではない。沖縄はそういう闘いをやる」と語りました。青年部からは「5月に青年部の沖縄行動をおこないます」との発言がありました。
全国連大会に参加し、部落解放闘争との連帯・共闘の重要性を改めて実感しました。狭山第三次再審闘争の勝利へ、共に全力で闘っていきたいと思います。(投稿 S)

6面

放射能高線量地域の子どもたちのために 保養キャンプの継続・拡大を

3・11福島原発事故から2年。放射能高線量地域の子どもたちの状況はどうなっているのか?
データが少ないなかで福島県の「甲状腺検査の実施状況及び検査結果」などから、その深刻な実態の一端が見えてくる。この検査は2012年に9万4975人の子ども(18歳以下)が受診しておこなわれた。
その結果、A2判定(5・0ミリ以下の結節や20・0ミリ以下の嚢胞)が4万1398人で全体の43・6%(2011年は35・3%)。B判定(5・1ミリ以上の結節や20・1ミリ以上の嚢胞)が548人で0・6%(2011年は0・5%)。甲状腺ガンが10人で0・01%(2011年は0%)となっている。
ちなみにチェルノブイリ原発事故のベラルーシ共和国の小児(0〜15歳未満)甲状腺ガンの患者数は、事故前の10年間で7人だったのが、事故後の10年間(1986〜1995年)で424人と60倍も増加し、おおぜいの子どもが亡くなっている。また甲状腺ガンだけでなく、他の臓器のガンや免疫力の低下によってあらゆる病気が増加したという。

「4年目から発症」

福島県はこの検査結果について、「チェルノブイリの事故では4年目から発症しているので、甲状腺ガンは事故と関係がない。今のところ事故の影響は考えられない」と言っている。
「4年目から発症」というのは対策が本格化したのが事故の4年後だったので、それ以前の正確なデータは存在していないということに過ぎない。放射能の影響は確実だ。
放射能高線量地域の避難できない子どもたちの保養(キャンプ等)が何としても必要となってくる。しかし保養に参加できる子どもの数は、約2万人程度と言われており、福島県だけでも30万人いる子どもたちの圧倒的多数が参加できていない。

対立と分断

福島県は「復興・安全キャンペーン」を繰り広げて「地産地消」を勧め、イベントを開催するなどして「避難」や「保養」を口に出せない雰囲気をつくっている。栃木県や宮城県などの高線量地域では、放射能のことはまったく問題にもされていない。「内部被曝」問題を国や行政、医学会や病院が意図的に隠蔽している。それによって夫婦や家族、コミュニティーのなかに対立が生みだされ分断を強いられている。
このような状況のなかで、春休み保養キャンプが全国各地でおこなわれた。

学生スタッフが中心に

ある団体の春休みキャンプでは福島・栃木の相談会に2回参加して参加者を募った。学生スタッフが計画や実務の中軸を担った。かれらは議論をかさね、下見をし、プランをねり、街頭募金に出て自ら資金を集めた。
キャンプでは被災地からの避難者と保養に参加した保護者の交流会もおこなわれた。これは被災地で生じている分断・対立や被災地との温度差を認識するうえでだいじな取り組みだった。
また地元自治会の協力もとりつけて、さまざまな行事をおこなうことができた。保養を地域の人たちの協力のもとに実現したことの意味は大きい。「子どもたちの心と体の保養を」という一点を共通の目標として実行委員会で意見交換と議論を積み重ね、スタッフの継続的な団結をつくりあげてきた。

公的保養が必要

この春の保養キャンプは、マスコミからはまったく無視された。3・11から2年というなかで、原発事故を「過去のもの」にし、「なかったこと」にしようという大きな力が作用していると感じる。各団体が手をつないで、公的な保養の必要性を訴えながら、これからも保養キャンプを続けていくことが求められている。(通信員 I)

書評
本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」
編著 前泊博盛 創元社/1500円+税

オスプレイの飛行訓練の平均高度は「150m」と日本では発表されている。しかし海兵隊の訓練マニュアルでは「60m」だ。本書では、このことを示して米軍機は日本の航空法令の「最低安全高度=150m」に拘束されていないことを明らかにする。
在日米軍は次のような特権を持っている。
1.財産権(日本国は米軍の財産の捜索、差し押さえなどの権利を持たない)、2.国内法の適用除外(航空法の適用除外や自動車税の減免など)、3.出入国自由の特権(出入国管理法の適用除外)、4.米軍基地の出入りを制限する基地の排他的管理権(日本側の出入りを制限。事件・事故時の自治体による基地内の調査の拒否)、5.裁判における優先権(犯罪人である米兵の身柄引き渡しの拒否など)、6.基地返還時の原状回復義務免除(有害物質の垂れ流し責任の回避、汚染物質の除去義務の免除など)。

日本は独立国か

日米の法的関係の優先順位は、形式的には「講和条約安保条約行政協定」となっている。しかし実際には「講和条約安保条約行政協定」となっており、行政協定が最上位に位置している。さらにその上には密約があり、二重三重に米軍の特権が保護されている。著者たちは「日本が独立した国家といえるのか」と怒りをあらわにする。
著者たちはドイツ、イタリア、韓国、イラク、フィリピンといった諸国とアメリカとの間で締結された地位協定について詳しく比較検討し「日本ほど自立性のない国はない」と結論づける。
米・イラク地位協定では米軍の撤退時期を明記し、米軍は2011年12月31日までに撤退した。また米軍犯罪における裁判権はイラクが確保し、イラク国内からの米軍の越境攻撃の禁止や米軍艦船の軍需物資のチェック権を確保している(「平和憲法の国」日本では米軍は自由に越境攻撃をおこなっている)。
フィリピンの憲法は「外国軍基地の原則禁止」を明記し、非核を原則としている。日本では、米軍の核兵器の存否についてチェックも出来ない。91年に米比基地協定の期限が切れたとき、米軍は撤退せざるえなかった。
このようにイラクやフィリピンでは、粘り強い交渉で自国の権限を確保した。東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国には米軍基地はなく、紛争は軍事力ではなく外交で解決する非同盟の原則が貫かれている。

米日の弱点

なぜ日本はこのような「屈服的」な日米関係を選択したのか。米国は、日本がふたたびアジアにおいて対抗的な帝国主義国として復活することを警戒し、徹底的に武装解除(日本国憲法第9条と日米安保)した。他方、日本はあくまでも帝国主義として生き残るために、「屈辱的な共犯者」としての道を選択した。
その道は沖縄と福島(原発立地地域)への矛盾の集中と犠牲の転嫁である。しかしそれがいまや米日の帝国主義の弱点となっている。4人の著者が訴えたかったのはこのことだろう。(S)