沖縄米軍基地
「基地返還計画」はペテン
辺野古新基地強行がねらい
5日、日米両政府は嘉手納以南の「米軍基地返還計画」を発表した。しかしその内容は、返還地区のほとんどで基地内施設の県内移設を条件としている。しかも、返還時期も特定されていない。
「返還計画」の正体は、3月22日に公有水面埋立申請をおこなった名護市・辺野古への新基地建設をごり押しするためのペテンにすぎない。
これで「沖縄の負担軽減」と強弁する安倍政権のやり方は、沖縄の怒りの炎に油を注ぐだけだ。
地元から拳あげる
5日 名護市
防衛省による辺野古への「埋立申請」強行への怒りに燃え緊急市民集会に参加した名護市民(4月5日 名護市内) |
「返還計画」が発表された当日の、5日午後6時半、沖縄県名護市民会館で、「〜子どもたちの未来のために〜 辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会」(実行委員会主催)が開かれた。大雨にもかかわらず名護市民ら1300人が参加した。集会は、3月22日防衛省が沖縄県に「辺野古埋立申請書」を提出したことを激しく弾劾した。申請書の提出に対する怒り、その申請のやり方に対する怒り、沖縄県民の声を一顧だにしないことへの怒りに満ちた熱気あふれる集会となった。
「埋立申請」撤回せよ
稲嶺進・名護市長は「名護の地元が頑張ったから県民の心を動かした。オール沖縄の辺野古新基地建設反対の声にまで高まっている。埋め立て申請もまた、地元から拳を上げることが大切」「閣僚は振興策をちらつかせながら、負担軽減とか理解を求めるとか繰り返して沖縄詣でをしている。しかし誰一人として、名護市長の私に会いたいと言ってこない、なんでかねー」とユーモアを交えながらも地元の声に耳を傾けようとしない安倍政権を痛烈に批判した。そして、「子どもたちに負の遺産を残してはいけない、子供たちの未来のために頑張りましょう」と決意を述べた。
決意表明では、高校1年になった渡具知武龍(とぐち たけりゅう)君(中学生の時も集会で発言した)が「子どもの時から父と一緒に反対運動をしてきた。小さくても基地の危険性は分かる。美しい海を埋め立て、基地をつくるのは間違い。子供は大人の行動を見ている。これからも頑張りましょう」と決意表明。ひときわ大きな拍手がわき起こった。
「地元の声を無視した政府の強行を断固として許す訳にはいかない」と申請撤回を求めるアピールを全体で採択した。名護市民は心を一つに「豊かな海を埋めさせない」ことを誓った。
4月28日は「屈辱の日」だ
政府式典に反対しよう
安倍政権は3月12日の閣議で、4月28日に主権回復式典をおこなうことを決定した。会場は国会近くの憲政会館。式典には、天皇と皇后も出席する予定である。
1952年、サンフランシスコ平和条約が発効した4月28日は日本の主権を回復したとして祝う日では断じてない。
この条約の発効によって、沖縄、奄美、小笠原はアメリカの施政権下に置かれた。まさに「アメリカに売り渡された日」である。またそれまで日本人であることを強制されていた在日朝鮮人・台湾人の「国籍」とともにその基本的人権を剥奪した日である。
沖縄と全国各地で抗議集会
式典の強行に抗議して沖縄県議会は3月29日に抗議決議を可決し、28日当日に抗議大会を開催することを決定した。東京、京都でも抗議集会が開かれる。
さらに、27日には、沖縄から知花昌一さんを大阪に迎えて講演会が開かれる。スタートした沖縄第4期意見広告運動を成功させよう。
闘争案内(「4・28」関係行動)
4・28政府式典に抗議する沖縄大会
とき:4月28日(日) 午前11時
ところ:宜野湾海浜公園野外劇場
主催:大会実行委員会
「主権回復の日」式典に抗議する集会
とき:4月28日(日) 午後1時半
ところ:文京シビックセンター〔東京都文京区〕
主催:日本ジャーナリスト会議など
知花昌一さん |
4・27『知花昌一講演会』
とき:4月27日(土) 午後4時
ところ:クレオ大阪北〔大阪市東淀川区〕
主催:「4・27」実行委員会
「主権回復の日」政府式典に反対する 4・28京都行動
とき:4月28日(日) 午前10時※集会後デモ
ところ:ウィングス京都〔京都市男女共同参画センター〕
主催:反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)
2013年 メーデーアピール
すべての貧しき者の連帯を
改憲と新自由主義の安倍政権打倒
闘うメーデーの歴史
合衆国・カナダ職能労働組合連盟が発した「1886年5月1日以降、8時間を合法的な1日の労働時間とすべきである」という歴史的決議のもと、労働者たちはゼネラルストライキに立ち上がった。この闘いがメーデーの起源である。
8時間労働制のスローガンは、長時間労働に苦しめられていたアメリカの労働者の心をとらえ、5月1日に向けて38万人の労働者がゼネストに立ち上がった。
5月3日にはピケ中の4人の機械会社の労働者が射殺され、翌日、シカゴのヘイマーケット広場での抗議集会での爆発・発砲で、組合リーダーが犯人としてでっち上げられ処刑される大弾圧となった。
しかし、8時間労働制を求める闘いは全世界に広がった。1889年第2インターナショナル創立大会での決議にもとづき、1890年5月1日、第1回国際メーデーが開催された。日本では1920年に第1回メーデーが闘われた。
2013年の課題
@アベノミクス―賃上げ幻想との闘い
新自由主義は、資本の行動の徹底した構造改革・規制緩和を進めた。派遣法や変形労働時間制・フレックスタイムや裁量労働制は、8時間労働制の解体とサービス残業をまん延させ、長時間労働による「過労死」を生み出した。
今春闘は、いくつかの大企業で一時金アップと定期昇給が喧伝されている。しかしこれは賃上げではない。非正規雇用労働者、年収200万円以下の1100万人の労働者への波及は完全に遮断された。
「通貨を2年で2倍」(黒田日銀総裁)という極端な金融緩和策は、ハイパーインフレをつくりだし、民衆を地獄に追い込む。「円安―デフレ脱却」で潤うのは一部輸出企業と金融機関だけだ。
消費税増税、年金支給年齢の引き上げ、支給金額の引き下げのうえ、さらに2%の物価上昇が労働者民衆を襲う。生活保護の10%カットは最低賃金の引き下げにつながる。
A改憲スクラムとの闘い
安倍政権は、憲法97条「基本的人権の本質」規定の全面削除(自民党改憲草案)し、労働者の解雇規制を限りなく緩和して、破綻した新自由主義的な構造改革路線を復活させようとしている。それが安倍のかかげる「世界一の国」、「強い国家」の正体だ。
2013年7月参院選挙は改憲をテーマにして、日本維新の会・橋下徹、石原慎太郎らと改憲スクラムを組もうとしている。戦争国家へ梶(かじ)を切る憲法改悪を絶対許してはならない。
オスプレイ配備・訓練強行や沖縄の新基地建設を許さず、沖縄県民と連帯して闘おう。
B原発再稼働との闘い
「3・11」は原発に依存した経済・社会の非人間性を明らかにした。脱原発社会の実現へ進もう。
政府・電力各社は、7月18日までに策定・施行とされる原発新基準をもって、停止中の原発の再稼働に踏み切ろうとしている。「原発社会」への逆戻りを許してはならない。
C働く者・貧しき者すべての連帯を主義主張を超え、セクト主義を排して連帯しよう。労働運動・市民運動の分断と対立をねらう、警察権力の弾圧を許すな。新自由主義と闘う社会運動的労働運動をつくりだそう。2013年メーデーは貧しき99%の者たちの連帯を宣言する。(労働者組織委員会)
2面
シリーズ 安倍政権批判(2)
改憲―戦争に突き進む安倍政権
安倍政権とは、小泉政権以降の格差貧困拡大で破綻した新自由主義の再稼働をねらう政権である。それは排外主義と復古的反動の装いをこらした対米追随政権であり、なによりも原発の再稼働と輸出、沖縄への新基地建設を強行する政権だ。シリーズ2回目では、安倍政権がめざしている改憲と国防軍創設、集団的自衛権の行使容認に焦点を当てて批判する。
安倍政権の性格と政策
安倍政権の性格は、第1次安倍政権時(06年)に安倍が首相としてやったこと、やらなかったことのなかによくあらわれている。
第1次安倍政権の「業績」を列挙してみよう。
@教育基本法を改悪し、教育目標に「国を愛する態度を養う」を入れた
A防衛庁を省に昇格させ、海外派兵拡大への道を開いた
B国民投票法を成立させ、改憲手続きの大枠を定めた
C首相在任中の最大課題としていた「消えた年金問題」を放棄して辞任した
他方で、安倍政権は労働者人民の反乱の標的となる弱点を抱え込んでいる。
安倍は「岸信介の孫」というブランドで若くして自民党幹事長や官房長官になったが、党内の基盤は脆弱で、現幹事長の石破茂にさえ劣る。安倍が幹事長の時の2004年、首相の時の2007年の参院選挙はすべて敗北している。
安倍の弱点
安倍が打ち出している政策は、「河野談話の見直し」、「辺野古移設」堅持、「尖閣諸島への公務員派遣」、「改憲・国防軍創設」など、対米関係、対中関係における「紛糾の種」のオンパレードである。これでは日米のブルジョアジーも支持し続けることはできないであろう。いま日本の労働者人民に問われているのは、その直接行動で安倍政権打倒のイニシアチブをとることができるのかどうかということである。
安倍政権の破綻はその経済政策である「アベノミクス」にもっとも顕著に現れるであろう。確かに現時点では、200兆円の国土強靭化策+「大胆な」金融政策で、「株高と円安」という直接的な効果が表れている。しかし「アベノミクス」のブレーン・浜田宏一(エール大名誉教授)の「リフレ論」(2%のインフレターゲットや日銀法改正)なるものはまったくの「学者の空論」にすぎない。欧米の支配層などは早くも「近隣窮乏化政策だ」として批判している。
アベノミクスによる極端な金融緩和は世界経済の最後のバブルの引き金を引く可能性が大きいのだ。国内的には、ハイパーインフレと国債大暴落で労働者人民は塗炭の苦しみに陥ることになる。
日米首脳会談と施政方針演説
2月22日の日米首脳会談をもって安倍はそれまでの「安全運転」というよそおいを一気に投げ捨て、むき出しの攻撃にうって出てきた。日米共同声明の概要をみれば、そのことは一目瞭然である。
@TPP交渉に関し、すべての関税を撤廃することが前提ではないと確認できたとし
A米軍普天間基地移設の早期進展で一致
B北朝鮮への追加制裁を含む安保理決議を目ざす方針を確認
C弾道ミサイル防衛協力を進める点で一致
D「尖閣諸島」について、首相は「冷静に対処する考え」を表明
E首相は、30年代に「原発ゼロ」を目ざすとの民主党政権の政府方針を「ゼロベースで見直す」と表明すると同時に、シェールガスの対日輸出の早期承認を要請、大統領は日本の同盟としての重要性に言及
この日米首脳会談を受けて2月23日に衆院でおこなわれた安倍の施政方針演説は、改憲に向けた政権の強い意志を示すものとなった。そのポイントは次のようなものだ。
@アベノミクスの加速
ATPP交渉参加は政府の責任で判断する
B安全が確認された原発は再稼働する
C「国家安全保障会議」設置に向け検討本格化
D「普天間飛行場の移設」を「早期に進める」
E「尖閣諸島」問題で中国に自制を促す
F憲法改正に向け国民的な議論を促す
維新が急先鋒に
他方、日本維新の会はこのような安倍政権の尻馬にのって改憲路線を突っ走っている。7月参院選では、参院で改憲勢力が3分の2の議席を獲得することを、目標として公然と掲げている。
維新が3月14日に衆院憲法審査会に提起した9条改正の要点案は次のような構成となっている。
@侵略戦争を否認し、国際社会で「責任を遂行する」
A自衛のための戦力保持の明確化
B個別的・集団的自衛権を保持し、行使できることの確認
C国家非常事態条項の新設
いまや維新は安倍政権が進める改憲攻撃の急先鋒となっている。
集団的自衛権が焦点に
昨年9月におこなわれた自民党総裁選ではすべての候補が、「集団的自衛権の行使を認めるべきだ」と主張した。もっとも強硬に主張していたのが新総裁となった安倍であり、新幹事長となった石破であった。「第3極」の石原慎太郎や橋下徹の主張もこの点ではまったく同じである。今日の改憲攻撃の焦点はまさにここにあるのだ。
集団的自衛権とは第二次大戦後に確立された概念である。
それは国家の「自然権」と見なされてきた個別的自衛権とは次の点で異なっている。個別的自衛権が、「国家の存立」のために、あらゆる段階であらゆる手段を取ることを可能とするのに対して、集団的自衛権の行使は、現に軍事攻撃が加えられている場合に限定されていることだ。
第1次安倍政権は、07年4月に集団的自衛権行使を容認する目的で「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を首相決済で設置した。そこで集団的自衛権の行使を認める「4つの類型」が検討された。
それは、@公海上で自衛隊艦艇と並走する米艦艇が攻撃された場合の反撃、A米国をねらった弾道ミサイルを日本のミサイル防衛システムで迎撃、BPKOで一緒に活動する他国部隊や隊員への「駆けつけ警護」、C補給・輸送・医療などの後方支援のありかたの4つである。
4類型の見直しへ
この懇談会は安倍がその年の秋に政権を放り出したことによって長らく中断していたが、今年2月8日再開した。その目的は集団的自衛権の行使を明記する「国家安全保障基本法」の制定を提言することだと言われている。
懇談会で安倍は、「アジア太平洋地域の安定と繁栄の要である日米同盟の責任はますます重くなってきている」として「4類型でいいのか検討する」と発言した。具体的には「北朝鮮やイランにおける核拡散」「東シナ海や南シナ海の情勢の変化」をあげ、「国際テロ組織」や中国の海・空軍を「軍事的脅威」と認識して、集団的自衛権行使の類型を拡大するというのである。
こうした日本政府の動きは、アジア諸国の側から見れば、米日の軍事的脅威が目の前に迫ってきているということに他ならない。いま現在、「アジア太平洋地域の安定」を脅かしている張本人は朝鮮民主主義人民共和国でも中華人民共和国でもない。憲法改悪―集団的自衛権の行使に突き進む日本政府である。
安倍改憲論の骨子
安倍が言いたてている改憲論は2012年4月に自民党の「日本国憲法改正草案」として出されたものである。
国防軍
この草案の問題点は第1に、9条を改正してその2項に「国防軍」を入れたことである。2005年10月の自民党「新憲法草案」では同じ「第9条の2」にあった「自衛軍」という規定をより仰々しい名称に改めている。しかもこの国防軍規定の第5項には、「国防軍に審判所を置く」という規定がある。現行憲法が禁じている、軍法会議、特別裁判所としての軍事法廷の設置である。
国防の義務化
第2に、「第9条の3」に、「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海および領空を保全し、その資源を確保しなければならない」という規定を置いたことである。これは2005年の草案になかった規定であり、明治憲法にさえない規定である。「領土」問題での排外主義をあおりたて、曖昧な表現で、「国民」に「領土、領海、領空に加え資源」を守る義務を課そうとしている。国家観の根本的転換をはらむものである。
第3に、「第9章・緊急事態」として、「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」を挙げている。東日本大震災という惨事に便乗して、戒厳令や非常事態法を導入しようとしている。しかもこの草案では、99条3項に、「国その他の公の機関の指示」に対する国民の遵守義務を定めている。
天皇元首化
1950年代以来、自民党が一貫して追求してきた天皇の元首化がこの「草案」にも盛られている。しかもこの草案では「第3条2項」で「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」という規定をおいた。卒入学式では教師のみならず、生徒・保護者も起立を強制される可能性がる。
基本的人権の制限
さらにこの「草案」は、現行12条の第2文を改定し、国民は憲法上の自由・権利を「濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と規定している。これに伴い、個別の人権条項でも、政教分離原則の緩和、集会・結社・表現の自由の制約、公務員の労働基本権の制限など、人権保障の弱体化、制限、剥奪が行われている。
「3・11」以降の事態を踏まえていっそう踏み込んだこの改憲案を推進するために、安倍や橋下などは、まず現行憲法96条「改憲要件」の変更から手をつけるであろう。いったん96条が廃止されれば、今回の改憲案さえ及ばない最悪の改憲案が登場する。今回の草案の意図を見すえ、改憲の手続きをめぐる政治過程(それは今や始まっている)で労働者人民の大衆行動を組織して闘おう。(落合薫)
3面
弁護団3時間半の大弁論
市東さんの農地法裁判が結審
3・27 千葉地裁
3月の三里塚全国集会で発言する市東孝雄さん |
3月27日、千葉地裁で三里塚「農地法」裁判が結審した。争われているのは、市東(しとう)孝雄さんの畑(天神峰と南台)、作業小屋、育苗ハウスを成田空港会社が取り上げようとしていること。
市東さんが小作人としておじいさんの代から100年近く耕してきた土地であり、耕作地の66%を占める。空港会社が旧地主から買い取り、市東さんに出て行けと言っている。しかし、土地を買っただけでは追い出すことができない。
そこで空港会社は、成田市農業委員会と千葉県農業会議に働きかけて、耕作権を解除するという手に出た。農地法は小作人の権利を守る法律であり、農業委員会や農業会議も小作人の権利を守るべき機関だ。本来なら空港会社の要求は退けられるところだ。
しかし、ここで「成田空港は法律の定めよりも優先する」という特例が働き、農業委員会も農業会議も、市東さんの耕作権を否定する裁定を下した。空港会社はそれに基づいて民事裁判に訴え、強制執行で農地を取り上げようとしている。
空港会社の前身である空港公団は、機動隊の暴力を使って農地を取り上げてきた土地収用法が成田空港建設では失効したことを認め、強制的な手段で農地を取り上げることはしないと公約した。しかしいま、空港会社は国家権力の暴力を発動させ、1970年代の2度にわたる強制代執行を再現しようとしている。
この地で農業を続けたい
裁判では市東さんが「この地で農業を続けたい」と核心点を陳述した後、弁護団が3時間半に及ぶ大弁論を展開した。
弁論は、これだけの論理性を持てば勝利しかないと思わせるものだった。論理に一滴の水も漏れだす余地のない完璧なものだ。これでどうやったら負ける判決が書けるだろうか。
戦後の農地解放を引き継いで制定された農地法は、「耕す者に権利あり」と小作人の権利を絶大なものとして守っている。戦前の無権利な小作人をイメージするとすればそれとは違うのだ。いくら土地を買い取った者であっても、小作人が耕作を続けると言ったら、その土地を他の用途に転用することはできない。
また、空港会社の度重なる不法行為の数々はそれだけで土地買い取りの権利を無効化している。第一、農地法は不在地主を許していないから、東京都に住所地のあった空港会社が成田市の農地を買うことは許されない。
また、空港会社が唯一の物証としている市東東市(とういち)さん(孝雄さんの父)の念書は、偽造されたものであると権威ある鑑定がなされている。そのような砂上楼閣の成田市や千葉県による耕作権解除は、ただちに取り消されるべきものだ。
国策裁判の非論理
すべての証拠と法律は市東さんの勝訴を示している。唯一負ける可能性があるとするなら、それはこの裁判が国策裁判だからだ。反原発訴訟になかなか勝てないのと同様に、いくら法と論理で勝っても、「成田」という国策の前に裁判所がひざまずいてしまうからだ。
法に背き正義も論理も負けさせる判決を書いてきたのが三里塚裁判だ。階級裁判一般が問題なのではない。三里塚裁判は三里塚だから特別なバイアスが働くのだ。
それを許してきたのはマスメディアによる世論誘導であり、多くの国民の無関心だ。国民の無関心がフクシマ原発事故を許してしまったのではなかったか。
今また無関心が農民を殺そうとしている。農地は農民の命だ。その重みにかけて、無関心を覆さなければならない。
7・29判決公判に集まろう
判決は7月29日。市東さんを負けさせてはならない。控訴審に行く前に、一審判決のみで農地を取り上げる「仮執行宣言」付の判決を出させてはならない。
3・27の190人を10倍する結集で千葉地裁を包囲し、その必要があるのなら再度裁判所をオキュパイし、農民殺しの判決を出させない闘いを実現しよう。
三里塚闘争47年の歴史のすべてをかけて、私たちの力を総結集しよう。力を出し尽くさずに負けてよいのか。みんなで千葉に行こう。(高見元博)
防衛省へ連続闘争
辺野古「埋立申請」に抗議
辺野古新基地建設をすすめる防衛省が姑息な「公有水面埋立申請」を強行した翌日の3月23日、防衛省の正門前で115人が抗議行動にたちあがった。
25日には、底冷えの悪天候にもかかわらず、ふたたび防衛省前で百人余が抗議。沖縄から届けられた照屋秀伝さんのウチナーグチ(沖縄口)の抗議文も読み上げられた。
「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」(辺野古実)の呼びかけのもと、4月1日も防衛省抗議行動がおこなわれた。10日間に3回という連続闘争が防衛省まえで展開されている。
各地から市民団体、個人など毎回参加者は100人をこえている。
「埋立てを強行する」「4・28を祝う」と沖縄の声をことごとく踏みにじる理不尽な政府・防衛省に怒りが充満しているのである。
「辺野古」「高江」「普天間」という沖縄現地の闘いと連携して間髪いれずに防衛省本省に抗議団が駆けつけるという陣形が、この数年間のたたかいを通してしっかりと根付いてきた。
東京の「防衛省行動」と「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」、この東西2本柱の陣形で沖縄のたたかいと連帯していこう。(小多基実夫)
「君が代」不起立で
4人に減給1カ月
「君が代」起立斉唱を、処分をふりかざして強制している東京、大阪で、今春も多くの不起立があった。
卒業式における不起立で、都教委が発令した処分は、戒告5人、減給1カ月(10分の1)1人。大阪府教委は戒告10人、減給1カ月(10分の1)2人、豊中市教委が減給1カ月(10分の1)1人。
定年以降の再任用拒否、再任用取消(いったん決まっていた再任用を取消)、継続任用拒否もあいついでいる。政治的理由での任用拒否として判明しているのは、大阪府が4人(昨春の卒入学式不起立で2人、今春の卒業式不起立で1人、不起立問題ではないが狙い撃ちの処分1人)、豊中市が1人(昨春の卒業式不起立)。4月9日現在。
処分撤回、再任用拒否撤回へ、被処分者と連帯してたたかおう。
シネマ案内
必見!
『ニッポンの嘘』
映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(2012年 日本 114分 カラー)
長谷川三郎監督の映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』。この映画は、たたかう報道写真家・福島菊次郎さんが人生をかけてシャッターを切り続けてきた25万枚の写真を3年間の密着取材で選りすぐり、それに現在93歳になって衰えを知らぬ福島さんの今の生活を紡いで描いたものである。監督自身が「福島さんにほれ込んだので作った」と語るように、「人生かくあるべし」と思わずにはいられない作品である。
原爆でつれあいを失い、自身も被爆の苦しみに耐えながら、5人の子どもを必死で育てていく一人の猟師・中村さんを写すことで原爆を告発しようとし、打ちのめされるような体験を通してプロの報道写真家になることを決意した福島さん。三里塚、安保闘争、江田島など常にたたかいと告発の現場でカメラを武器に権力と立ち向かってきた福島さんのジャーナリスト魂が、映画の全編を貫いている。
一度や二度ではない右翼のテロや自宅への放火も福島さんの魂を砕くことはできなかった。「国の年金をもらいながら権力と闘うことができるか!」という生き方に、骨の髄まで反権力の福島さんの思想があらわれている。
一昨年の「3・11」。テレビで原発の爆発を見た福島さんは、90歳をこえながら矢も楯もたまらず現地にかけつけた。
映画は福島さんが強烈に弾劾してやまない問題を突きつけている。75年の天皇ヒロヒトの会見である。このときヒロヒトは「戦争責任という文学の事は、研究してないからわからない」と発言した。
上映後の舞台あいさつで福島さんは、日本帝国主義の朝鮮・アジア侵略から戦後の歴史をとうとうと語った。続いて長谷川監督は「敗戦とともに侵略の歴史をきっぱりと断絶させなければならなかった。そうできなかったために、今のさまざまな苦しみが続いており、戦争は今も続いているのだと福島さんは言います」と自身が読み取った福島さんのたたかいの核心を述べた。
福島さんは今年新たな写真集『証言と遺言』を出版した。さらに新たな本も出すという。長谷川監督は上映会の企画があれば、小さな集まりでも参加するとのこと。頼もしいかぎりだ。(S)
北朝鮮への戦争挑発
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がミサイル発射(実験)をおこなう兆候があるとして、日米韓が軍事的圧力を一層強めている。 2月27日から3月9日まで米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」がおこなわれ、在日米軍を含む米軍2100人が参加。それと一体で、3月1日から4月30日まで、米韓合同野外機動訓練「フォール・イーグル」がおこなわれている。米軍11000人、韓国軍20万人が参加。なかでも上陸訓練は、1989年開始以降、最大規模。大演習を目の前でやられて北朝鮮が黙っているはずがない。北朝鮮はこの演習強行は「無言の宣戦布告」であると強く非難した。
日本政府は、米韓の挑発的な大演習にはひとこともふれず、北朝鮮の動きを一方的に非難、PAC3を日本全土に展開し、大々的な北朝鮮への非難を繰り広げている。日米韓は、北朝鮮への戦争挑発をやめよ。
4面
信念は曲げられない(下)
井戸川町長の退任
退任式であいさつする井戸川克隆・双葉町長(2月7日) |
2月7日、双葉町役場埼玉支所(埼玉県加須市)で、井戸川双葉町長の退任式が行われた。井戸川町長は、昨年末、町議会からの不信任決議を受け、一旦は辞任を拒否して議会を解散したものの、今年1月23日に、辞意を表明した。
中間貯蔵施設と区域再編
それから、中間貯蔵施設の問題です。
町議会の不信任決議の内容に、「双葉町は、双葉郡の他の町村と協調していかなければならない」とありますが、「双葉町の復興のために、中間貯蔵施設は認めなければならない」という議会と、私は相容れることはできません。
何の約束もない中で、受け入れるかどうかの議論もないままで、国や県が、「双葉町に中間貯蔵施設を造れ」ということの不条理さをずっと訴えてきました。
「30年で持ち出す」ということについて、誰も明確な話をしません。福島県からも回答はありません。「双葉町が住めなくなることについて、どう思いますか」という質問もしましたけど、明確な答えがありません。
それから避難区域の見直しです。
避難するときは、われわれは無条件で避難させられたんですが、帰還となると、いろいろと条件が出てきております。避難区域の見直しが、われわれ被害者のいない所でおこなわれていることについて、どうしても納得できないものがあります。
「仮の町」
町民は、非常に困難な環境に置かれ、苦しんでおります。一刻も早く、この苦しみから、脱出させたいという思いで、2011年5月頃には、「仮の町」の構想をまとめました。しかし、合意を形成するに当たっては、非常に難しいというふうに思いました。前例のないことですから。
避難を指示・命令した国が、避難によって困らないようにしてくれれば問題もなかったのですが、そうではなかったので、町民は今のことで精一杯で、町の将来のことまで考えるに至らない状態です。今の生活の困窮ですね。その意識の方が強いと感じております。
ただ、子どもたちの意見を見ますと、「どうしてもふるさと双葉に帰りたい」という意見が多いようであります。やはり「まとまりたい」という意向が強いようです。
商店を再開するにしても、全く見知らぬところでやるよりは、町民をお客さんにした方がいいという気持ちが出て来ると思うんですね。時間が経つと「やっぱり、まとまるところがほしいなあ」となると私は思っています。
賠償問題
町民のみなさんの声は、「賠償問題を進めろ」ということでした。「早く避難区域の見直しを決めて早く進めろ」ということが圧倒的に多かったと思います。
これは、いま政府の方とも話を詰めまして、だいたいいい線まで来ていると私は思っておりますので、新しい議会の下に、その説明を聞いて、納得していけば、早い段階で、町民にはお知らせできると思います。いろいろお叱りをうけましたけど、納得できるものになってくると思います。
ただ、国・東電から示された賠償をとにかく求めるという姿勢について、私は、「非常に危険だな」と思っています。自分たちで築くべき賠償というのもあるはずです。
いま、東電の財物賠償でもって、新しい土地と家を求めるという動きがあります。これは、賠償のあり方として、私は、間違っていると思います。財物賠償はあくまでも財物賠償です。
「賠償を進めるために、区域の見直しをやるんだ」ということが言われます。が、区域の見直しによって、不利益を被る町民が発生するのです。私は非常に懸念を持っております。
区域の見直しと賠償を切り離すことができればと思うんですけど、いま一緒にされています。
旧騎西高校の避難所
騎西高校〔※1〕のあり方については、当初から、納得している人はいません。
国には、「いつまでも置いておかない方がいいんじゃないですか。早く何とかしていただきたい」と言ってきました。
国は、交通事故の事例をもって、賠償を行っていると言いますね。でもね、交通事故を起こせば、代車を用意しますよね。それで「とりあえずの不便さを解消して下さい」と言いますよね。それは加害者の側が用意するんですよ。今回、ちょっとおかしいのは、災害救助法〔※2〕で対応していることなのです。それで満足できるわけがないんです。満足していると思われたら困るんです。「一刻も早く代車を用意してもらいたい」と国にお願いをしてきましたが、依然として、騎西高校に置かれている状態なんですね。
いわき辺りに行くと、町民から、「町長が騎西高校に置いている」と言われますが、そうじゃないんですよ。「代車を用意して下さい」ということを言っているんです。新車はまだいいです。双葉町はまだ新車を買う段階ではありませんから。やがて買える段階になったら、賠償金を使って新車を求めるのが、帰還のプロセスかなという風に思っております。
〔※1〕埼玉県加須市の閉校となった高校の校舎。避難所として、当初約1400人、現在約140人の町民が生活している
〔※2〕災害救助法は、災害発生時に、応急的な救助、食料や水の提供、救急医療などの実施を目的とする法律。あくまでも応急的な対応であって、原発事故による避難の長期化と深刻な汚染ということに対応していない。また、原発事故は、自然災害ではなく原因者・加害者が存在するという点でも、性格が違う
町議会の解散
それから、なぜ町議会を解散したかですね。
町の執行部と議会とが談合してたらいけないんです。執行部と議会が談合したらなんでもできてしまう。密室で。それがあったから、町の財政が、あんなにおかしくなってしまったわけです。それを踏まえて、私は絶対に談合をやらないようにしてきました。
議場で正面から議論するのが当たり前で、そのための議場なのです。だけど、一般質問をする議員の方が、本当の政策論議ができない。「政策論議をしてくれればいいなあ」と思っていたんだけど、裏での談合の方が大きな影響力があって、議場ではなんか小さな話しかできない。日本の議会制民主主義の根幹から直さないといけない。そう思っていたから、信念を曲げない。議会にすり寄っていくことはしなかったんです。
痩せても枯れても、井戸川は、こんなちっちゃな井戸川だけれども、心まで売るつもりはないですから。信念を曲げるつもりはありません。
だから、私のことが、「邪魔で困る」という人はいっぱいいたと思いますよ。
より広範囲に訴えるために
私なりに、不条理な部分とたたかってまいりました。町長職を続けることで、事故のわい小化とともに、このたたかいもわい小化されてしまうことを私は恐れまた。
現実を現実として訴えていくため、より広範囲に訴えていくために、町長職をやっていることは不都合だと考えた。
この事故の正しい歴史を残すために、まだまだやりたいことがあります。今後は、要請があればいろんなところで語って、希望を述べて行きたいと思っています。そういう道が待っているようであります。双葉町民、郡民、県民のために、力を発揮できればという思いで、双葉町の枠を外れるために、辞職を決意したわけであります。
私は、財政再建のために、「とにかく町を潰せない」と町長になることを決意しました。途中でとんでもない事故に遭遇して、今度は、町民の健康のため、子孫繁栄のために、頑張っていきたいと考えております。(了)
書評
『福島原発と被曝労働』
著者 石丸小四郎 建部暹 寺西清 村田三郎
¥2300+税 2013年1月刊 明石書店
扉の向こうは放射能が支配し、人間が住む世界ではない。いちど持ち込んだ工具もカメラも除染できないので二度とこちらの世界に戻してはならないという。労働者たちは二重の手袋、つなぎの作業服姿でその世界に入り、すべてを脱ぎ捨てて戻ってくる。労働者たちは大量の放射能を浴び、蓄積し、徐々に健康を崩していく。
この本の編集方針は次の3点にある。@原発労働者の労働、生活、健康の実態を照射し、健康被害への補償の実現に資する。A福島原発事故の被災者の怒り、憤り、不安、悲しみを理解し、脱原発を志向する。事故収束作業に関わる労働者の実態と政府の責任を明らかにする。B原発労働者の労災補償制度の実態を明らかにし、被曝労働者の健康管理のための議論を深める。
そして、目次は第1部「福島の今」、第2部「原発下請け労働者はどのように働いてきたのか」、第3部「被曝労働者の健康を守るために」と続いている。第2部の第3章・第4章で、原発被曝者たちが原発での労働実態を語っている。
1970年代に運転を開始した原子力発電所は1980年代後半になるともう老朽化が始まり、修理修繕のために、高線量下での原発労働が際限もなく繰り広げられてきた。高線量を浴びても、外には出さなくていいカメラや工具とは違って、労働者は外での生活が待っている。
労働者は被曝線量を下げるために、シャワーを浴び、サウナで汗を流し、それでもクリアーできないときはビールを飲んで排尿を促し、体外に排出させようとする。「最高の科学の結晶」といわれる原発で、なんと原始的な対策しかないことか。
原子力発電所は宇宙のように放射線が飛びかう世界であり、生命が生命として、人間が人間として生きることのできない世界だ。その中で人間が働くこと自体が矛盾している。資本の増殖のために、原発を推進してきた資本主義に廃炉を期待してもかなうはずもない。たとえ廃炉が決まっても、それから延々数十年、数百年もかかり、何十万何百万人もの被曝労働を不可避としている。私たちの世代が生み出した原発と被曝労働に無関心であってよいはずがない。
しかも、復活した自民党政権はエネルギー計画有識者会議から反原発派を追放し、原発ゼロ方針を転換した。原発は私たちの手で、資本もろとも始末しなければならない。(S)
5面
論考
IAEAと福島(最終回)
請戸耕市
昨年12月15日から17日にかけて福島県郡山市において、「原子力安全に関する福島閣僚会議」(以下、IAEA福島会議)が開催された。
最終回では、あらためてIAEAとは何か。IAEAの誘致を進める福島県の姿勢とどのように対峙すべきかを考えていきたい。
Y.改めてIAEAとは
ここまでIAEAが福島で何をしようとしているのかを見てきたが、ここでIAEAとは何かについて触れておこう。
1.「核の番人」の意味
IAEAとは1957年に発足した国際機関。国連の機関ではないが密接な関係にある。2011年時点での加盟国は151カ国。
IAEAの目的は「原子力の平和利用を促進し、原子力の軍事転用を防止」することである。その任務は、原発の推進、放射線利用の促進、核拡散阻止のための査察の3分野だ。アメリカなどの核大国による核兵器独占を維持し、それに挑戦する国の台頭を許さないという仕組みである。
IAEAの任務の重心は核査察にある。職員数約2300人のうち、査察部門が約660人。たいして、原子力安全部門は約160人でしかない。原子力安全部門が設置されたのはチェルノブイリ事故の後だ。
今日、イランや北朝鮮の核が問題視されているが、実は日本はIAEAが最も力を割いている国のひとつである。日本には査察対象施設が250カ所ある。20〜25人の査察官が常駐し、青森県の六ヶ所村の再処理工場には常時数人の査察官が張りついている。IAEAの全予算の25%が対日査察に投じられている。
それは日本が1954年以来、「当面核兵器は保有しないが、核兵器製造のポテンシャルは保持する」(外務省)〔※33〕という政策を取っているからだ。IAEAは、日本核技術の軍事転用を警戒しているのだ。
2.原子力の推進機関
IAEAは、その憲章で「機関は、全世界における平和、保健及び繁栄に対する原子力の貢献を促進し、及び増大するように努力しなければならない」(第2条)と謳う通り原子力の推進機関だ。
「原子力安全」という言葉はたびたび使われるが、安全の確保やそのための規制という意識は希薄だ。
チェルノブイリ事故の直後に、IAEAのブリクス事務局長は次のような発言をしている。
「核エネルギーの重要さを考えれば、チェルノブイリ規模の事故が年に一度程度あってもがまんできる」〔※34〕
IAEAの基本姿勢は、〈原発事故を繰り返しても原発を推進する〉ということなのだ。
3.否定と隠ぺいの手口
IAEAをはじめとする国際機関は、チェルノブイリ事故による汚染地域で調査をおこないながら、「放射線の影響はなかった」「放射線と疾患の関係は証明されなかった」と繰り返してきた。どうしてこのような事実とかけはなれた報告になるのか。
そのからくりを『終わりのない惨劇 チェルノブイリの教訓から』(ミシェル・フェルネクス他 竹内雅文訳)が暴露している。
WHOを支配下に
原子力産業が始まったころ、WHOの下にいる研究者たちが危惧を抱き、1956年に「未来の諸世代の健康が原子力産業の成長と放射線源の増大によって脅かされている」とする文書を発表した。
ところが1959年に「IAEAとの同意なしにはWHOが研究や調査はできない」という協定が結ばれ、核・原子力による健康被害などの調査に関わる問題はIAEAが仕切ることになった。それ以降、WHOはIAEAと一体で健康被害を否定・隠ぺいする側に回ることになる。
重要なのはその否定・隠ぺいの手口だ。
会議からの排除
95年ジュネーブで開催されたWHO会議の例。
チェルノブイリ事故後の健康影響に関する研究報告があるということで、各国から医師や専門家など多数参加があった。IAEAは原子力推進派に動員をかけ、低線量被ばくの影響に言及する発言者は、今後はすべての大会のプログラムから排除すると激しく攻撃した。これ以降のWHOの国際会議では排除が原則になったという。
都合のよい定義
「健康被害」の定義を都合よく変更し、統計を操作する。
「死に至る癌」
カウントされるのは「死に至る癌」に限定される。それ以外の腫瘍はカウントしない。 また放射線起源以外の癌や、放射線によって助長された癌はカウントしない。
「遺伝性疾患」
「重大な遺伝性疾患」は「たいへん稀で、たいへん重い病気」と読み替えられる。 喘息などは認められない。 死産も認定されない。
不適切な指標
不適切な指標を意図的に設定することで、現実とは、かけ離れた統計上の結果を報告する。
10年後の死亡率
がんの発症率ではなく死亡率をとるところにからくりがある。医療の進化によって年々、癌の延命率は高まっている。10年後に限定した死亡率だけをとれば「際立った増加はまったく見られない」となる。
不適切な病理
被災国で問題になっている糖尿病については研究せず、肝硬変を研究する。
不適切な研究期間
悪性腫瘍の潜伏期間より前に終了するように研究期間を設定する。
子ども・妊婦は除外
子どもや妊婦など危険が大きい集団は、研究の標準仕様指示から取り除く。
統計がないと強弁
「罹患統計が存在しない。よって畸形の発生はない」。1995年IAEA総会での報告。実際は、ベラルーシで原発事故の4年前から罹患統計はつくられていた。ベラルーシの先天性畸形の発生率は、母親が妊娠中に居住した地域のセシウム137による汚染の度合いに比例している。
Z.IAEAと福島県当局
IAEAの誘致は、福島県の側から要望書を出して働きかけている。IAEAが「金を出せない」と言えば、その金を県が用意する厚遇ぶりだ。
2012年8月の欧州訪問の報告会見で佐藤知事は次のように述べている。
「特にIAEAでは、天野事務局長と会談させていただき、除染や健康管理の分野における共同プロジェクトを実施することで合意し、12月の原子力安全福島閣僚会議の際に、覚書の締結を目指そうということになっております」〔※35〕
さらに、在ウィーン大使の訪問を受け、「(IAEA福島閣僚会議の開催が)被災した人にとっても安心の一つとなればうれしい」とも発言している。(2012年11月12日 読売新聞)
「脱原発」宣言と矛盾
IAEAの誘致をめぐって、福島県の第2回復興計画検討委員会(2011年11月14日)において、次のようなやり取りがあった。
(岩瀬委員の質問)
「『IAEA等の国内外の研究機関等の誘致活動』とあるが、IAEAは原子力の平和利用を推進する機関であり、立場上は推進である。…原発に依存しないと宣言している福島県に推進機関を誘致することは矛盾しないか。IAEAとしても戸惑うのではないか」
(県の答弁)
「IAEAの誘致については、広く放射能に汚染された県土の除染に関する、より高度な研究等を行うとともに、その成果などを世界へ向けて発信することを目的としている」〔※36〕
IAEAは、原子力推進機関の総本山だ。
他方、福島県は、昨年8月策定した「福島県復興ビジョン」において、「今回の原子力災害で最も深刻な被害を受けた福島の地においては、『脱原発』という考え方の下、原子力に依存しない社会を目指す」〔※37〕と明記した。
その県当局が福島県をIAEAの拠点にしようとしているのだ。
原発誘致以来の一貫した問題
福島県は、原発の誘致の際にも県側から積極的に動いていた。県当局が原発誘致を公表するのは1960年5月。原発誘致の動きは秘密裏に進められていた。
当時の県職員が次のような文章を残している。
「(佐藤善一郎)知事は(昭和)32年(1957年)八月知事に就任する早々、相双地区の開発に目を向けていた。…研究のすえ、この地区の開発には原子力による電源開発が最適と判断し、33年(1958年)当初から、ひそかに企画開発部に命じて、立地の適否について検討をさせた。…当時としては、原子力といえば原子爆弾も同じものと考えられていたので、調査には慎重を期し、同時に知事の政治生命にもかかわる一大事業と目された。…知事は自ら堤社長(西武鉄道社長、当時。大口の土地所有者)に会い、かなりの確信を得たようであった」〔※38〕
1960年5月に原発誘致を公表すると、県開発公社が東京電力に代わって用地買収に動いた。大熊町や双葉町の住民は、土地買収問題が浮上してようやく原発誘致のことを知る。県や東電の記録では反対などなかったとされているが事実と違う。双葉町郡山地区では当初、地区の大多数が反対。高利貸しの家の2軒だけが賛成だった。大熊町夫沢地区では、原発敷地と国道6号線を結ぶ進入路の建設の際、測量用に打たれた幅杭を住民が抜いてしまうということもあった。
しかし大口の土地所有者が西武の堤であったこと、県が事前に秘密裏に決めてしまっていたこと、土地買収においても、県が動いて脅しと買収で抵抗をつぶしていったというのが事実なのだ。
原発だけではない。只見川流域の電源開発以来、新産業都市指定など、県民を犠牲にしながら開発を追求してきたのが福島県の歴史だ。
その行き着いた先が2011年3月の原発事故なのだ。
県はこの負の歴史をきびしく反省し、県民の批判に向き合うべきだ。
福島原発事故は歴史的な事態である。日本だけでなく全世界の人びとが、福島から何が発信されるのかに注目している。その福島が、IAEAにすがって「放射能との共存」を発信するというのだ。こんなことが非難もされずにまかり通ることなどあってはならない。(了)
【参照引用注】
〔※33〕 外務省HP
「我が国の外交政策大綱」1969年作成/2010年公開
〔※34〕 『終わりのない惨劇 チェルノブイリの教訓から』 ミシェル・フェルネクス他 竹内雅文訳 緑風出版
〔※35〕 福島県HP 知事記者会見録 欧州訪問について
〔※36〕 福島県HP 第2回復興計画検討委員会における意見と対応について
〔※37〕 福島県HP 福島県復興ビジョン
〔※38〕『水は流れる 佐藤善一郎』 佐藤善一郎伝記刊行会
6面
高校無償化
朝鮮学校はずしにNO!
民族差別と排外主義ゆるすな
「これ以上子どもたちをふみにじるな」右翼の妨害はね返し6000人が都内デモ |
2月20日、文部科学省は朝鮮学校を高校授業料無償化の対象からはずす省令改定をおこなった。これは昨年12月28日、安倍首相が下村文科相に対しておこなった指示にもとづくものだ。
「拉致問題」などを理由に朝鮮民主主義人民共和国への排外主義キャンペーンを繰りひろげ、民族教育を敵視し、朝鮮学校で学ぶ子どもたちから教育の機会をうばう。日本政府による露骨な民族差別に対して、3月末、東京と大阪で抗議集会が開かれた。
3月31日、東京・日比谷野外音楽堂で「朝鮮学校はずしにNO! すべての子どもたちに学ぶ権利を! 3・31全国集会&パレード」が開催された。
参加人数は6000人。日比谷野外音楽堂を埋めつくした在日の皆さんと、日本の全国各地で「高校無償化」朝鮮学校排除に反対し、自治体による補助金カットに反対してたたかっている仲間が一堂に会し、絶対にあきらめず、かならず勝利するまでたたかいぬくことを決意した。
無念の思いを
この日は朝から小雨がぱらついていたが、集会がはじまる頃には雨も上がり、少々肌寒い天候にもかかわらず、正午頃になると続々参加者が会場に詰めかけ会場は満杯となり、やがてあふれはじめた。
集会前のステージでは、朝鮮大学校の学生たち数十人による「声よ集まれ、歌となれ」の合唱と歌唱指導がおこなわれた。学生自身が作詞作曲したものだ。
この3年間、無念を胸に残して卒業していった高校生たちの思いを、代表の学生たちが訴えた。
午後1時、集会が始まった。実行委員会代表のあいさつにつづき、鎌田慧さん、三宅晶子さん、デビ・スカルノさん、キム・ミョンジュンさん(映画『ウリハッキョ』監督)が連帯のアピール。
そして朝鮮高校生による華やかな舞踊と「花」の合唱が披露され、全国に10校ある朝鮮高級学校の学生代表たちが登壇した。
神奈川中高級学校の代表が、この3年間の自分たちの思いを訴えた。
ちょうどこの頃集会場の外から、右翼による大音響の妨害演説や聞くに耐えないコールがおこり、高校生の発言が聞こえにくくなる。
しかし、会場内で高校生のシュプレヒコール。参加者も大声で唱和し、右翼の妨害を圧倒。参加者どうしの団結をいっそ強いものにした。
あとには引けない
続いて登壇した朝鮮学校校長会・副会長である茨城朝鮮初中高級学校校長は、「過去3回も『高校無償化』から除外された子どもたちを送り出した」苦しい胸の内を語った。
大阪・愛知の訴訟団と東京の学園理事長からのメッセージとそのたたかいが報告された。
東京のキム・スノン理事長は「東京も訴訟の方向で検討を進めている」と報告。また「戦後68年間、幾度となく繰り返されてきた朝鮮学校に対する弾圧と攻撃を、在日一世や二世がそのつど不屈の思いではねのけてきたウリハッキョの歴史を思い返すと、絶対にあとには引けない闘いである」と決意を述べた。
全国のオモニ会代表は「子どもたちの純粋な想いをこれ以上踏みにじらないで欲しい」と訴えた。最後に集会宣言を満場の拍手で採択し、パレードに移た。
パレードは17梯団、6000人を超える長大なものとなった。右翼街宣車による大音量の妨害や汚い罵声をものともせず、整然と日比谷公園から銀座をとおり常盤橋公園まで行進した。
民族教育を守りぬく
3・24 大阪
「無償化は朝鮮人として誇りをもって生きていくために必要」(3月24日 大阪市内) |
「高校無償化法」施行から3年、日本政府は卑劣で無法なやり方で朝鮮学校のみを無償化から排除してきた。無償化法は各種学校を含む全ての生徒に平等に就学支援金を支給するという戦後初めて作られた法律である。受給の主体は生徒であり、政治や国家間対立を不支給の理由にすることはできない。しかし無償化適用されないまま卒業した生徒は既に2000人。連動して橋下徹らが大阪府・市の補助金を停止、これが全国の自治体に拡大している。どんなに辛く悔しい思いをしてきたことか! さらに安倍政権が誕生するやいなや「無償化しない」と宣言。
年明け、朝鮮学校側はついに裁判を提訴。しかし政府は法律施行規則を改定、2月20日文科大臣は全国10校の朝鮮学校に対し無償化しない行政処分を強行した。なりふり構わぬ民族教育抹殺の攻撃である。
この激流を日本人と朝鮮人の連帯した力で押しかえそうと、3月24日〈朝鮮学校への「高校無償化」適用 自治体補助金の再開・復活を求める「朝鮮学校ええじゃないか! 春のモア・パレード」〉がひらかれた。昼過ぎから扇町公園には朝鮮学校支援グッズ販売のテントが立てられ2時開始の集会には3000人近い人びとが集まった。
実行委の主催者あいさつ、丹羽雅雄弁護団長報告につづき壇上に立った朝鮮高校の生徒や卒業生たちの訴えは深く心を打った。「阪神教育闘争から65年、先代たちは血を流し死者を出しながら命をかけて学校を守りぬいてくれた。無償化は朝鮮人として誇りをもって生きていくために必要」「和歌山から往復5時間かけて通学している。ウリハッキョという言葉には想像を絶する闘いで守られた熱くて重くて温かい想いがこめられている」。オモニ会は「ウリハッキョで民族の言葉や歴史を学ぶことがそんなに悪いことなのですか?」と語りかけ、国連に行くためのカンパを訴えた。朝高生のコーラスやラップを交えながら、日本人学生、各地の支える会、労働組合などの連帯あいさつが続いた。
日本人の側からも「背景にある戦後も変わらぬ民族差別と植民地主義の政治。それを許してきた日本社会のあり方を変えていかなければならない」「解決の主体は日本人」との提起。集会後、西梅田まで乳母車隊を先頭に、長蛇のパレードで「無償化を」と訴えた。
いま日本は民族排外主義、戦争扇動を格差・貧困のはけ口にしながら焼き直しの新自由主義、日米軍事同盟強化、戦争国家へと突き進んでいる。「99%」の民衆が民族差別を克服し連帯していかなければ未来は開けない。歴史の真実と向き合い交流と共同行動を日常的に積み上げていこう。(大阪N)
訂正のお知らせ
おわびと訂正
『展望』第12号につぎのような誤りがありました。おわびして訂正します。
○51ページ12行目 (誤)マルクス主義政治学→(正)マルクス政治学
○60ページ 7行目 (誤)イコールフッテング→(正)イコールフッティング