原発はもういらない
県民大集会に7千人が参加
3月23日 福島市
「原発のない福島を!」県内外から7千人が参加(3月23日 福島市内) |
3月23日、「原発のない福島を! 県民大集会」が福島市あづま総合体育館で開かれ7千人が参加した。県外からの参加者は3千500人。主催は実行委員会。
集会ではさまざまな職業、世代から福島の現実を訴える発言がつづいた。
「福島第一原発事故の収束はほど遠い。なにひとつ進んでいない」(農業)。「海は汚された。漁民は生きることができない。原発はもういらない」(漁業)。
「福島の復興は進んでいない。1000万人署名に取りくんでいる」(高校生)。「だまされていることを知りながら無関心だった」(林業)。「半減期が30年。長い長い苦闘になる」(ホテル業)。「最初は2、3週間の避難だと思っていた。人間が制圧
できないものはつくるべきではない」(県外避難者)。「外で風や太陽にあたる、この当たり前のことができない」(子ども保養プロジェクト)。
閉会のあいさつで武藤類子さんは「東北は中央から抑圧されてきた歴史。私たちはこれ以上、バラバラにはされない。これ以上、命を奪われない。私たちはつないだ手を離さない」と決意を語った。
原発被害者と支援者の集い
3月24日 東京
3月24日、東京・日比谷野外音楽堂で「原発被害者と支援者の集い」がひらかれ1500人が参加した。主催は、原発被害者の会。発言した被災者は、口々に政府の姿勢に対する強い怒りをあらわにした。「3月13日、つれあいががんで亡くなった。命を守り、命をつなぐ。一時、福島から離れても、子どもたちを守る」(浪江町)。「光のみえないトンネルにいる。自ら命を絶った人は多い。再稼働するならこの国は原発で消滅する」(大熊町)。「仮設生活でめまいや吐き気がした。内科を受診したが、原因がわからず、医者から『仮設病』でしょうと言われた。17世帯の仮設で5人が亡くなった」(楢葉町)。
空港廃港まで闘う
反対同盟が烈々たる決意
3月24日 三里塚
(写真上)三里塚・沖縄・福島が手を結んで日本と世界を変えよう(写真下)市東さんのトラクターを先頭にデモ出発(いずれも3月24日 成田市内) |
3月24日、全国から三里塚現地に1370人が集まった。市東さんの農地法裁判が終局を迎える中(27日に最終弁論・結審)、農地法による農地強奪という前代未聞の暴挙を許さない闘いの決意を固める集会・デモとなった。
親父の遺志継ぐ
市東孝雄さんは、6年間にわたる農地法裁判を振り返り「NAA(成田空港会社)や国のデタラメさがよくわかった」「空港をつくるためなら何をやってもよいというのは絶対に許せない」と述べ、「これからも天神峰で農業をやり続ける」「オヤジの願いであった空港廃港まで闘う」と力強く決意を語った。
安倍政権打倒へ
基調報告に立った萩原進・反対同盟事務局次長は冒頭、「今の時点で(結集が)千人を超えてなかったら、1人ひとり壇上でその総括を語ってもらおうと思っていた」と、今回の集会にかける強い思いを表明。
三里塚闘争の課題として、@3・27農地法裁判の日、千葉地裁を包囲する大闘争を、ANAAも国も地域に犠牲を強いることしかできなくなっている現実を地域住民に訴えていく、B農地法で守られるべき農地を強奪するという二重三重の暴挙を許さない闘いを、と訴えた。さらに、三里塚と同じく「国策」の名のもとに苦しめられている福島・沖縄とともに闘うこと、安倍政権を倒す闘いをあらゆる人民と手をつないで対決していくことを訴えた。
福島・沖縄を結ぶ
福島から、椎名千恵子さんと大内孝さん(梨農家)が発言。椎名さんは、福島の現実と市東さんの農地強奪について、「この大地こそ生命」「いのちを守る、当たり前の摂理に立ちましょう」「具体的な闘いの中で連帯が広がる。口先だけではだめ。沖縄・三里塚・福島の連帯を」と訴えた。
沖縄からは「市東さんの農地を守る沖縄の会」安次富(あしとみ)浩さんが発言。オスプレイ配備強行、辺野古の埋め立て申請、4・28の「主権回復の日」化といった攻撃に、沖縄では怒りが沸騰している様子を激しく訴えた。いま沖縄では主権、自決権をかけた闘い、「私たちの沖縄をつくる」闘いになりつつあると報告。安次富さんの発言が終わると、反対同盟、福島の発言者、沖縄の発言者が壇上で手をとり、ともに闘うことをアピールした。
市東さんの農地守れ
集会後のデモは、暫定滑走路に着陸する飛行機が頭上をかすめる東峰集落、市東さんの家の前を通り、市東さん宅のすぐ脇につくられた第三誘導路をくぐって南台の畑まで。第三誘導路完成により、市東さんの家は完全に空港施設に囲まれた。この誘導路をジェット機が通ったら、市東さん宅はどれほどすさまじい騒音にさらされるか。27日の農地法裁判で、仮執行つきの反動判決が出れば、国・NAAはただちに強制執行に出てくる。すでに2月20日には、仮処分の通知(使用権の移転禁止)を、こそこそと市東さんの敷地内に貼り付けていった。
強奪がねらわれる市東さんの土地は、1971年の第1次強制代執行、第2次強制代執行で強奪された土地よりもはるかに広い、1ha近い面積におよぶ。「農地は農民の命」と訴える市東さんの農地を強奪することは、農民殺しそのものだ。
反対同盟は今回、あえて10月の闘争スケジュールを公表しなかった。それまでに緊急闘争を呼びかける可能性が高いからだ。市東さんの農地強奪を絶対に阻止する闘いを、反対同盟とともに闘おう。
オスプレイの配備・訓練反対
山城博治さんが四国で訴え
集会で訴える山城博治さん(3月25日 徳島市内) |
3月25日、徳島市内で「オスプレイ配備・訓練反対! 辺野古新基地建設やめろ! 全国キャラバン四国市民集会」が開かれ、130人が参加。
主催は〈第四期沖縄意見広告運動オスプレイ配備訓練中止を求める全国キャラバン〉。キャラバン隊長は、山城博治さん(写真)。山城さんは沖縄平和運動センター事務局長として、反基地闘争の先頭に立っている。集会で山城さんは、「沖縄県民の意見の大勢は普天間基地の県内移設反対・県外移設であり、とくに辺野古に新基地を建設することには強く反対している」「沖縄では4月28日は『屈辱の日』であり、主権が回復したと祝う日でない。このような沖縄差別は許さない」と県民の意志を踏みにじる安倍政権をきびしく批判した。そして、「沖縄では4月28日に抗議集会を開催する。5月の平和行進には例年に倍する参加を」と呼びかけた。
最後に全港湾四国地本の長尾委員長が閉会のあいさつをして集会をしめくくった。(F)
2面
シリーズ 安倍政権批判(1)
沖縄を圧殺する日米同盟
安倍の訪沖に対して県庁前は激しい抗議の声に包まれた(2月2日 那覇市内) |
日米同盟基軸―沖縄切り捨て
安倍首相は、2月22日におこなったオバマ米大統領との首脳会談を通じて、政治・経済・安全保障などで同じ目的を有していることを確認したとして「緊密な日米同盟は完全に復活した」と主張した。しかし共同記者会見は見送られ、単独での会見となった。
安倍政権の施政方針「原則に基づく外交・安全保障」の項で、ASEAN訪問時に表明した「私の外交」の原則、「戦略的な外交」「普遍的価値を重視する外交」そして「国益を守る『主張する外交』」の3つをあげ、これら一切の基軸が日米同盟であるとし、外交成果は語ることなく、「日米同盟政策が生命線」と主張するのみである。続けて「世界最大の海洋国家である米国と、アジア最大の海洋民主主義国家である日本とが、パートナーを成すのは理の当然であり、不断の強化が必要」であるとして、これまでもそうであったように対米追随路線に舵をきった。
「抑止力」そして「日米安保体制には、抑止力という大切な公共財がある」「抑止力を維持しつつ沖縄の負担軽減に全力で取り組む」「沖縄の方々の声によく耳を傾け、信頼関係を構築しながら、普天間飛行場の移設および嘉手納以南の土地の返還計画を早期に進める」という。
この「抑止力」の名の下に日米両政府は、戦後63年経っても沖縄に米軍基地を押しつけ続けてきたのだ。日本政府は「抑止力」という言葉を使う事によって、ただただアメリカに追随するしかないという政治の貧困さを自己暴露している。
「抑止力」とはアメリカの世界戦略ー世界支配を補完するために持ち出されている言葉でしかない。沖縄方言で読めば「抑止力」は「ゆくし力」であり、「ゆくし力」とは「嘘をつく力」となる。まさにそのとおりだ。
「負担軽減」「普天間基地の固定化はあってはならない」などが何度も語られる。そのために普天間移設が声高に叫ばれている。しかし今、その普天間基地も今後8年間かけて大規模な改修工事に乗り出す方針が明らかになった。総工費200億円は日本政府の負担、つまり税金である。「辺野古新基地ができないのなら、普天間基地は固定化する」という日米両政府の恫喝が沖縄にかけられている。
「4・28主権回復式典」許すな
昨年9月9日、「オスプレイ配備に反対する県民大会」が10万余の結集で闘いとられた。翌1月27日、この闘いの成果を受けて沖縄県内すべての41市町村長と市町村議会議長、それに県会議員ら総勢150人の直訴団が上京し、日比谷公園・野外音楽堂に4000人が参加する集会をかちとり都内をデモ行進した。そして翌日「建白書」を内閣総理大臣・安倍晋三に提出した。
「オール沖縄」の要請団であり、沖縄人民の心の底からの血の叫びである。この建白書の最後はこう記されている。「この復帰40年目の沖縄で、米軍はいまだ占領地でもあるかのごとく傍若無人に振る舞っている。国民主権国家日本のあり方が問われている」。そして2点の要求項目を示した。
「1、オスプレイの配備を直ちに撤回すること。および今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
2、米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。」
「屈辱の日」
しかし安倍は、このような声を無視して日米首脳会談後、辺野古新基地建設の手続きを進め、この「建白書」に対する回答を、3月12日に閣議決定として出した。
それが「1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効を踏まえ、日本の主権回復と国際社会復帰を記念する式典を4月28日に政府主催で開催することを決定した」というものであった。ここには「沖縄の声に耳を傾ける」どころか、とことん沖縄の声を踏みにじり、犠牲を強要し、沖縄差別を貫く安倍の姿勢がある。
そもそも4月28日はどんな日なのか。沖縄でなぜ「屈辱の日」と呼ばれているのか。
4月28日はサンフランシスコ講和条約によって「日本の主権が回復」したといって祝う日ではまったくない。この条約の発効によって、沖縄は1972年まで、小笠原諸島は1968年まで、奄美群島は1953年まで、それぞれアメリカ施政権下におかれ、まさに「アメリカに売り渡された日」であるからだ。
古くは1609年の島津の侵略以降、今日まで日本は沖縄人民の意志を一度たりとも聞くことはなかった。戦前も戦後も一貫したその姿勢は変わっていない。
またこの日は、日本の植民地政策によって日本国籍を一方的に強制された朝鮮人・台湾人が、この条約発効を機に国籍選択権も与えられずに日本国籍を一方的に剥奪された日でもある。
今、沖縄から「国民主権国家日本のあり方が問われている」と糾弾されているにもかかわらず、その回答が「主権回復を祝う」というものなのだ。沖縄はこれからも日本の「植民地」であり続けよというものであり沖縄差別以外の何ものでもない。こんな式典は即刻中止すべきである。
辺野古・高江新基地建設阻止
「主権回復の日」式典発表への怒りがさめぬ沖縄に、その怒りに油を注ぐ暴挙がまたも強行された。3月22日、沖縄防衛局は米軍普天間基地(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設先とする同県名護市辺野古沿岸の公有水面埋立承認申請書を沖縄県北部土木事務所(名護市)に提出した。提出そのものに対する怒りとともに、その申請のやり方の卑劣さに怒り百倍である。
公有水面埋立申請
「今から、辺野古埋め立ての申請書を出します」。那覇市にある県庁海岸防災課に1本の電話があったのが午後3時40分ごろ。その約5分後、約50キロ離れた名護市の県北部土木事務所3階の「庶務班」のカウンターに男性6人が現れ、段ボール5箱を置いた。「沖縄防衛局」を名乗り、「埋め立て申請に関する書類の提出に来ました」とだけ話し、名刺を渡すこともなく1、2分で立ち去っていったという。
事務所2階にある埋立申請の受け付けを担当する「維持管理班」の窓口には、反対派の住民や報道陣がいたため、防衛局はその裏をかいたということらしい。施政方針での「沖縄との信頼関係の構築」とは、こういうものだということだ。
すぐさま反撃が開始された。3月25日から当面1週間、那覇市にある沖縄防衛局に対する抗議行動を続ける方針が出され、25日は約100人の抗議団が怒りの声を上げた。
さらに沖縄県内各議会で抗議の意見書が採択されている。地元の名護市議会は26日、抗議の意見書を賛成多数で可決した。那覇市議会もこの日、同様の意見書を全会一致で可決した。名護市議会の意見書は、埋め立て申請を「市民の頭越しに基地建設を押しつける暴挙」と批判し、申請の撤回や県内移設の断念を国などに求めるものだ。
われわれの闘うべき道
基地ゲート封鎖
オスプレイの沖縄強行配備を前にして沖縄人民の怒りが爆発し、9月26日から10月2日、朝7時から8時まで、普天間基地の野嵩(のだけ)ゲート前で連日、抗議集会が開かれた。
連日のゲート前抗議にあわてふためいた米軍は、野嵩ゲート前に「米国内治安維持法に基づいて立ち入り禁止にする」との警告板を張り出した。オスプレイ配備前日には抗議デモが普天間基地の各ゲート前で行われ、四つのゲートがすべて閉鎖された。普天間基地開設以来の快挙が勝ちとられたのだ。この警告板も、抗議運動に対抗して米軍が思いついた苦肉の策だ。これに「ここは日本だ」「市民への脅しだ」「主権の侵害だ」という声が県民からあがり、看板は数日で撤去された。米軍が沖縄を植民地感覚で見ている証明といえる象徴的な事件だ。
この新たな闘いに沖縄人民は自信と確信を深めた。たしかにオスプレイの配備強行を許しはした。しかし自分たちの力でいつでも基地を封鎖できるのだと。
全土基地化に反撃を
在日米軍は、日本本土では初めてのMV22オスプレイ低空飛行訓練をおこなった。3月6日から3日間、19日から5日間、米軍岩国基地に展開し、その間、四国・紀伊半島に設定されている「オレンジルート」で強行したのだ。この間、7日には米軍岩国基地での夜間訓練もおこなった。
日米地位協定の前身である「日米行政協定」で「日本全土基地化」「在日米軍基地の自由使用」が定められている。それをそのまま引き継いだ「地位協定」によって米軍の運用(訓練や移動等)についての情報は、日本に通報する必要はない。
今回の九州ルートから四国ルートへ突然の変更も、防衛局の言葉を借りれば米軍から「連絡」があったこと自体「異例」のことだという。突然のこの暴挙に飛行区域の住民、自治体から怒りの声が上がったのは当然である。
日米政府がオスプレイ訓練に関して交わした覚え書きでは3つの原則が確認されたと言われている。1、市街地上空は飛ばない。2、夜間飛行はしない。3、転換モード(飛行を垂直から水平に切り替える際のプロペラの向きを斜めで飛行するモード)では飛ばない。このすべてが現実には踏みにじられている。市街地であろうが、夜間であろうが、また危険な転換モードでの飛行も沖縄では目撃されている。
日本本土におけるオスプレイの拠点とされる岩国基地、その周辺地域では日々、沖縄と同様の犠牲と危険が強制されるものとなる。そして全国で展開される訓練ルートは、全国の自治体・住民の頭上を飛ぶことになる。危険きわまりない日常に日本全土がおかれることになる。
沖縄では辺野古、高江、そして普天間基地ゲート前で連日の座り込み闘争が闘われている。本土でも沖縄と一体になって「オスプレイ撤去、普天間基地即時閉鎖、県内移設阻止」「辺野古・高江新基地建設阻止」の沖縄闘争を自らの闘いとして発展させて安倍政権打倒へ突き進もう。(藤原久志)
3面
琉球は独立すべきか
松島泰勝さんの講演を聞いて
3月15日、大阪市内で関西・沖縄戦を考える会の第3回学習会が開かれた。今回のテーマは、〈「沖縄戦」の教訓から琉球の「自治」へ〉。講師は松島泰勝さん。
松島さんは琉球(沖縄)で生まれ育ち、現在は龍谷大学経済学部教授である。著書に『琉球独立への道』『琉球の「自治」』など、編著に『島嶼沖縄の内的発展』『3・11以降何が変わらないのか』などがある。
松島さんは、自らがパラオで勤務している過程でアメリカの信託統治から独立したパラ共和国の研究から始まり、島嶼国家の研究などを通して琉球独立の可能性と現実性を確信するようになったという。
講演では、以下の3点にわたって持論が展開された。
内国植民地
一点めは琉球独立の根拠についてである。
「1879年の琉球併合によって日本の版図に組み込まれた」。
「琉球“処分”というのは正しくない。“処分”は正義が悪を退治するということであり、琉球は日本の武力によって“併合”または“略奪”されたのだ」。
「1880年の分島増約案で日本は沖縄本島以北を日本領とし、先島(宮古・八重山)を清国領とする二分割論を提起した」「これに対して清国は奄美以北を日本領、沖縄本島と近隣諸島を琉球国、先島を清国領とする三分割論を提起したのである」。
この歴史的事実を見ても明らかなように「琉球は今日に至るまで日本の“内国植民地”であり、さまざまに差別され、抑圧され、犠牲にされている」。
「日本は琉球人の生命や生活よりも日本人の生命や生活を重んじて基地を強制する差別体制だ」「米国に従属する日本の統治下にある限り、基地はなくならない」「基地被害や差別を告発するだけでなく、問題の根源をなくすための具体的な方法として独立を本気で考えなければならない」。
自己決定権の行使
二点めは琉球独立にかんする誤解への反論は、道州制批判を交えて展開された。
「独立後、琉球の経済は破綻するのではないか」「日琉同祖論を信じて自らを日本人だと思っている琉球人が多いのではないか」などの独立論批判に対して的確な反論がなされた。
「独立論は居酒屋で不満をぶちまける談義にすぎない」という批判に対しては、「独立はもはや居酒屋談義などではない。日本の琉球に対する圧制・圧政と差別に対する自己決定権の行使として市民権を獲得しつつある」「“沖縄差別”“県外移設”という言葉には、被差別の主体=脱植民地化の主体として琉球人が自らを自覚したことを意味し、自己決定権=自己解放の主体として主張しているのだ」と反論した。
脱植民地化
三点めは「なぜ今、独立なのか」について。
「沖縄戦の惨劇は日本による琉球支配の極致だ。それは基地問題や“4・28主権回復式典”などに示されているようにいまも続いている。脱植民地化して独立を実現しない限り、琉球はこの先も屈辱の歴史を歩まされる」「独立は基地を自らの手でなくすための、日本による約四百年にわたる差別や支配から解放されるための、経済自立を実現して琉球人の生活や経済を創造するための、自らの言葉・教育・文化を守り自然を守るための、さらに平和外交と文化交流などで世界的な信頼のネットワークを形成して戦争を回避し琉球が生き残っていくためのリアルポリティックス的な手段である」
「2008年、国連の市民的および政治的権利に対する規約委員会は琉球人を先住民族と認めた。2010年、第76回期国連人種差別撤廃委員会は琉球人を独自の民族として認識し、米軍基地の強要を人種差別とみなし、義務教育の中で琉球諸語による教育を求めるとともに、差別の監視や権利保護について琉球と協議するよう日本政府に勧告した」「琉球独立を国連に認めさせる運動を展開すると同時に、琉球独立を支援する国際的なネットワークを形成していく」「独立に関する学会=琉球民族独立総合研究学会を設立し、具体的・客観的に、そして強い情念をもって琉球独立を議論する」。
日帝の差別構造
松島さんのウチナンチュウ(琉球人=沖縄人)としての真摯な姿勢と態度に基づく独立論は、一定共感できるものであった。日本帝国主義が沖縄に差別と犠牲を強要すればするほど、ウチナンチュウの中に独立的気持ちが生まれ強まっていくことは必然的であり、当然であるからだ。この現実をしっかりと見据え、受けとめなければならない。
その上で、沖縄問題とはあくまで日本の沖縄に対する帝国主義体制の差別構造と差別政策が核心であり、それを基軸とした今日的なアメリカ帝国主義の世界的な(とりわけアジアにおける)軍事的・政治的・経済的な戦略、およびそれとリンクした日米安保体制と不可分一体の問題である。
したがって、沖縄問題の歴史的・根底的な解決は、日本の帝国主義体制の変革と日本の労働者・人民の沖縄人民と連帯する自己変革なくしてありえない。琉球独立の国連による承認運動も日帝国家権力との闘いを基軸に貫き、その一環として展開することによって一定の意義と現実性を持つことになる。このことを踏まえるならば、松島さんが「独立は手段である」と規定していることはまったく正しいといってよいだろう。(島袋純二)
大阪府教委が重処分
不起立で減給2人、戒告10人
破り捨てた処分辞令を手に、報告する被処分者(3月27日 大阪府庁別館前) |
今春卒業式での「君が代」不起立を理由に、大阪府教委は12人の府立学校教職員に対して処分を強行した。内訳は、減給10分の1(1カ月)2人、戒告10人。
もともと不当処分であるうえに、減給を含む重処分であることは、特に許せない。
昨年1月の最高裁判決では「不起立行為に対する懲戒において戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについて、本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」と判示している。これは、都教委の重処分乱発にたいするたたかいが不屈にくりひろげられるなかで、一方で根津さんだけを例外扱いし、重処分(停職)を追認しながらも、他方では、戒告を超える処分については、一定制限するよう言及したもの。今回の府教委処分は、この最高裁判決をも無視した重処分である。
事実上の解雇も
定年以降の再任用拒否や、再任用取り消し(いったん決まっていた再任用を取消)もあいつぎ、判明しているだけでも「君が代」不起立を理由に4人(大阪府3人、豊中市1人)が雇用継続を拒否された(3月28日現在)。事実上の解雇である。
府教委が被処分者を呼び出して処分を伝達する3月12日と27日には、これに抗議する行動が取り組まれ、府教委が入る府庁別館前には多くの支援者が集まり、抗議集会・申し入れがおこなわれた。
本の紹介
驚くべき行動力の秘密
『ひとり舞台 脱原発 闘う役者の真実』
山本太郎著 集英社刊 定価¥1238+税
おぼろげながら知っていた俳優・山本太郎が、3・11以降の反原発運動に参加していると、その年6月ころに聞いた。その後、マスコミでも言動がとりあげられ、初めて会ったのは昨年の8月30日、大阪市のガレキ受け入れ説明会の場であった。午後から終了の夜9時まで、市民にアピールするとともに、終了時には「今日の闘いは橋下のウソをあばき勝利した。だが彼は必ずやる。ガレキ焼却を止めるにはこの10倍の人数が必要だ」と総括提起までしてくれた。
その頃入手していた『ひとり舞台』を今回改めて読み直した。驚くのはその行動力だ。4月10日(2011年)の杉並「素人の乱」から、福島現地―北海道・泊―経産省前―佐賀県庁―大阪―ドイツ・ゴアレーベン―チェルノブイリ。この本にはないが、その後、福井―大阪市役所―関電前―大阪府警天満署抗議行動と、2012年秋には関西でもすっかりなじみの顔となった。そして12月総選挙では、東京杉並で、脱原発運動にデマをふりまく石原伸晃を相手に7万票も獲得した。
さて、このエネルギーの秘密は何だろう。それは「幼い頃に母親から叩き込まれた正義感―不公正を憎み、弱者を思いやる。我が身をさらしてギャグを繰り出し周囲を楽しませることに無上の喜びを感じる」ことにあると記す。その母親は、4・10杉並「素人の乱」に初めて参加する時に背中を押してくれ、その後は「信念を貫きなさい」と言ってくれるという。
溜まっていた思い
それでは、彼は突然決起したのか。それは違う。やはりここ十数年、この社会のあり方や環境問題を考え、自分で勉強してきた中で、3・11に際し、いま行動しなければと、「溜まっていた思いをベント”した高円寺デモ」と記している。
その後の活動と仕事の合間の軋轢・思い、また彼を育ててくれた深作欣二監督との思い出などは本書を読んでほしい。
『ひとり舞台』というタイトルには「ネガティブな面とポジティブ」な意味があると言う。「役者が声をあげることで共感してもらえる」部分と「見せ物的」になる部分、と。しかし、この運動に関しては、まず「ひとり舞台」なのだと。ここらは佐賀地検の事情聴取に対してもきわめて原則的に闘いぬいた中にも貫かれている。そして多くの人とつながる事で巨大な力になるという。
さて10年後、20年後、山本太郎と脱原発運動はどうなっているであろうか。大半の原発が廃炉に向かう中で、役者の仕事が再び回ってきて、菅原文太のような存在感のある俳優か、沢田研二のようなアーティストになれていたらと想像すると楽しくなる。そうするためにも、ぜひ多くの人がこの本を読んでもらいたい。(M)
4面
論考
IAEAと福島(第四回)
請戸耕市
昨年12月15日から17日、福島県郡山市において、「原子力安全に関する福島閣僚会議」(以下、IAEA福島会議)が開催された。
本論考では、IAEAが福島で何をしようとしているのか、福島県は何を考えているのか、諸資料をもとに検討したい。
T.IAEAが福島に拠点
U.原発再稼働とIAEA安全基準
V.除染ミッションの指摘
W.低線量被ばくとロシャール
X.IAEAが健康調査を支援
Y.改めてIAEAとは
Z.IAEAと福島県当局
(以下、今号の本文)
〔承前〕
W.低線量被ばくとロシャール
「住民自身で」 さらにロシャールは、住民が抱いている政府や行政に不信や怒りを、別の方向にそらす手立てを示している。
「住民と当局との間に大きなギャップがあった。遺棄されてしまったという気持ちが支配していた。『政治家はウソをついている。真実を語っていない』という不信感があった」(ロシャール)〔※23〕
これはチェルノブイリで起こったことであり、いま福島で起こっていることだ。当然にも、原子力施策を推進してきた政府・行政に怒りが向かう。
これにたいしてロシャールは、このように説いたという。
「被害者ぶるのはやめよう」「来ない資金援助を待つのはやめよう」「自分たちは自助努力をしなければいけない」(ロシャール)〔※24〕
そして、放射線の測定、食品の測定、除染、汚染の少ない農産物の工夫など、「汚染地域における生活の改善」を、住民の参加で、住民の自助努力で行うようにしたことが重要だったと述べている。
「数値上の黒白ではなく、住民が、自助努力で放射線防護に取り組み、状況を改善することで、住民は、基準値より上か下かということをそれほど気にしなくなる」(ロシャール)〔※25〕
こうして、政府・行政への信頼も回復されたと述べている。
「住民が自身で」という文言は、これだけを取り出せば耳ざわりの良い言葉だ。問題はこれを説いているのが、誰なのかだ。原子力を推進してきた側、原因者であり加害者の側が、被害者に向かって、「自助努力を」と説く意図は何なのか。
それは、〈国や行政にたいする責任追及や賠償請求をやめよう〉という呼びかけにほかならない。ロシャールは報告のまとめで、「放射線防護の文化」といっているが、以上を通して見るならば、「放射能と共存する文化」だと言うべきだろう。
X.IAEAが健康調査を支援
1.チェルノブイリから福島へ
IAEAは、チェルノブイリ事故の後、専門家を現地に動員して、繰り返し疫学調査をおこなっている。その結論は、ことごとく放射能汚染による健康被害を過小評価するものであった。IAEAにとって、福島原発事故においても、「健康被害はない」という結論が必要なのだ。
これに応える形で動いたのが日本財団であり、福島県立医大だ。
事故から半年の9月、日本財団と県立医大が、国際専門家会議「放射線と健康リスク―世界の英知を結集して福島を考える」を福島市内で開催している。国際専門家会議と称しているが、その実態は、国連科学委員会(UNSCEAR)、WHO(世界保健機関)、IAEA、ICRPなど、原子力推進の立場から低線量被ばくの健康影響を事実上認めない専門家に限られている。
そして、この会議のまとめとして出された「結論と提言」〔※26〕という発表で、重大なことが言われている。
日本財団の創始者である笹川良一の評価や競艇ビジネスの是非は措くとして、日本財団(日本船舶振興会、笹川記念保健協力財団など)のチェルノブイリとの関わりは古い。
IAEA「国際チェルノブイリ・プロジェクト」は1990年5月から1年間だったが、笹川記念保健協力財団が組織したチェルノブイリでのプロジェクトは、1990年8月に始まり、2001年まで10年にわたって健康調査などをおこなっている。潤沢な財力で、述べ450人の専門家を派遣し、機材を提供している。
日本財団のプロジェクトの最初の団長が、IAEAのプロジェクトの委員長でもあった放影研の重松理事長(当時)。重松は、広島原爆の黒い雨について〈人体への影響は認められない〉という1991年の調査結果を出した人物である。
この日本財団のプロジェクトを総括する座談会が2004年におこなわれているが、そこでの発言から、このプロジェクトの意味を理解することができるだろう。
「長瀧先生はチェルノブイリを千載一遇のチャンスだととらえて尽力されていました」(山下俊一の発言)
「(日本財団10年のプロジェクトを総括して言えることは)fall―outの影響というのは、科学的には甲状腺がんしかないということです。fall―outとしては白血病は全然増えていない、他の病気も増えてない、ということを、社会に、日本全体としてあるいは世界にアピールすることは、いままでかかわった人たちの大きな任務」(長瀧重信の発言)〔※27〕
〔※fall―out:放射性降下物〕
まさに、山下をはじめとする人びとは、このような意気込みでいま福島に乗り込んできているということだ。
さて、この日本財団「結論と提言」を以下で検討したい。
「住民の避難、屋内退避や食の安全規制は適切に実施された。・・・甲状腺被ばく線量は比較的低かったとされており、必ずしも(安定ヨウ素剤の)服用の必要はなかったと考えられている。・・・避難民も含めて、一般住民への直接的な放射線被ばくによる身体的健康影響は、チェルノブイリに比べて限定的で非常に小さいと考えられる」〔※28〕
まだ県の健康調査が始まったばかりだというのに、すでに「健康影響は、限定的で非常に小さい」という結論を打ち出している。
治療はなく「理解してもらう」
「保健関連の専門家と科学者は、放射線影響の可能性とその有無についての理解促進に努め、現在の情報をできるだけわかりやすく福島県住民と住民以外でも危惧している人びとに理解してもらうよう心がけるべきである」〔※29〕
この「結論と提言」には、疾患が出たら治療をおこなうという領域がほとんど触れられていない。「健康影響は、限定的で非常に小さい」という予断をもっているわけだから当然ともいえるが、最大の取り組みが、「継続した健康モニタリング」と「影響の有無の理解促進」になっている。
「日本政府と国際機関は、長期的な協力関係を効果的に継続するために、この災害から学んだことをいかに最大限利用できるかという課題を解決すべきである」〔※30〕
この災害から多くの人が学んだことは、〈放射能と人間は共存できない。原子力は直ちにやめるべきだ〉ということだろう。それは「利用」するような事柄ではない。
この日本財団「結論と提言」は、県民健康管理調査・検討委員会(第4回 2011年10月17日)で配布され、議事の一番目に取り上げられている。このことからもわかるように、山下副学長の下で、県と医大の正式な方針として確認され、県民健康管理調査のこの間の進め方、そして山下副学長を中心とした県民健康管理調査・検討委員会の議論のやり方に反映されているのだ。
それは、恐ろしいことだが、IAEAが、チェルノブイリにもたらした事態を、再び福島で繰り返そうというのだと言わざるを得ない。
2.県民健康管理調査と医大の体制
日本財団「結論と提言」で示された通りの方向で、「県民健康管理調査」が進められ、県立医大の新しい体制づくりがおこなわれている。
「影響ないことを解明」「不安除去に貢献」全県民を対象にした県民健康管理調査がおこなわれているが、県立大の倫理委員会に提出された研究計画書が、その目的を端的に語っている。
「原子力発電所の大規模事故における周辺一般住民の外部被ばく線量の実測を早期に実施した事例はなく、今後の低線量被ばくに対する健康管理影響解明における学術的な貢献度は高い。・・・県民の放射線に対する不安除去に貢献することができる」〔※31〕
「本格調査においては、・・・現時点で予想される外部及び内部被ばく線量を考慮するとその影響は極めて少ないことを明らかにできる」〔※32〕
健康調査は、「(被ばくの)影響は極めて少ないことを明らかにできる」ことが目指されており、もって、「県民の放射線に対する不安除去に貢献する」ためのものだと明記している。そして、「影響がない」という結論を得ることが、「低線量被ばくに対する健康管理影響解明における学術的な貢献」になるというのだ。
しかも、「原子力発電所の大規模事故における周辺一般住民の外部被ばく線量の実測を早期に実施した事例はなく、今後の低線量被ばく・・・」というように、今後も原発事故が起こるという見地から、事故が起こっても低線量被ばくの対策は取らなくても大丈夫だというのだ。
それは、原発事故を繰り返しても原発を推進し、犠牲者が出てもそれを省みないということに他ならない。
まさにIAEAに貢献する県民健康管理調査なのだ。(つづく)
〔※23〕〔※24〕〔※25〕内閣官房HP低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ 第5回会合(2011年11月28日) 議事録(※引用部分は要約)
〔※26〕〔※28〕〔※29〕〔※30〕福島県ホームページ 県民健康管理調査検討委員会 第4回検討委員会(2011年10月17日)当日配布資料
〔※27〕笹川記念保健協力財団HP「笹川チェルノブイリ医療協力事業を振り返って」
〔※31〕〔※32〕情報公開クリアリングハウスHP 県民健康管理調査 福島県立医大倫理委員会資料
5面
原発ゼロへ4万人
国会周辺を埋め尽くす
3・10 東京
福島第一原発事故から2年目、都内では、3月9日から11日にかけて諸行動がとりくまれた。
10日は、「0310原発ゼロ★大行動」がおこなわれ、4万人が集まった。主催は、毎週金曜日に、首相官邸前・国会前で抗議行動をとりくんできた、首都圏反原発連合。
午後1時から日比谷野外音楽堂で集会、霞が関デモ、3時からの各省庁前等での抗議行動、そして5時からの国会前大集会という長時間で多彩なアクションであった。
発言では、落合恵子さんが、「私たちは54基の原発を子どもたちに残してはならない」と呼びかけ、多くの発言があった。
経産省前テントひろば代表の淵上さんは「一昨年の9月に“思わず”できてしまったテント。そこから『脱原発』を呼びかけ続けて545日経った。『原発反対』の意思を表明し続けると同時に『民主主義』の実践の場としてやってきた。撤去策動には徹底して抵抗していく」と結んだ。
2時すぎから国会請願行進。日比谷野音から出発したデモは、外務省・財務省・経産省などを通って国会へ。
5時からは、国会正門前集会。夏日のような昼間から一転、寒い。しかし、ぎっしり国会周辺の歩道が埋まった。さまざまな人が思い思いの発言。菅直人元首相も初めて参加し、東電幹部と対決した自らを、そして「原発ゼロ」を強調。
昼夜で、総勢4万人。お年寄りから中年・女性・若者まで広がりを見せた。霞が関一帯を包んだ「原発いらない!」の声は、全国へ、そして世界へ、確実に届いたはずだ。(神奈川 F)
上関原発の即中止を
原発にたよらない町へ
原発絶対反対ののぼりを掲げデモ(3月10日) |
3月10日、中国電力上関原発の建設予定地・山口県上関町の中央公民館で、「上関原発の即刻中止を! 3・11福島を忘れないin上関集会」が開かれ、300人が参加した。
主催は原発に反対する上関町民の会、祝島島民の会、原水禁山口、長島の自然を守る会。
原水禁山口の岡本議長は「すべての原発を廃炉に、上関原発を即刻中止へ」とあいさつ。祝島島民の会の清水代表は、「今後も祝島の原発絶対反対の姿勢は変らない」と力強く発言。上関町民の会・代表は「原発に頼らないまちづくりへ全力で頑張る」、長島の自然を守る会の高島美登里さんは「町の誇りをとりもどしたい」とそれぞれ発言。福島県郡山市の中村和夫さんは「福島の復興は原発をなくすこと。祝島とスクラム組んでいく」と発言した。
伊方原発は廃炉しかない
11日 ゲート前で抗議行動
集会後 松山市内をデモ(3月10日) |
3月10日、愛媛県松山市・堀の内公園で「3・10伊方原発をとめる愛媛集会」(主催「伊方原発をとめる会」)が開かれ、470人が参加した。
再稼働前提に値上げ
愛媛県内では四国電力が「7月19日伊方3号機再稼働」を前提に電気料金値上げ申請したことに怒りが渦巻いている。
集会では、「とめる会」草薙順一事務局長が「再稼働を許さず、伊方原発の廃炉までたたかおう」と決意表明。
参加者代表10人がリレートークをおこなった。
近藤誠さん(伊方原発反対八西連絡協議会)は「伊方2号機、3号機直下に8本の断層が走っている。南海トラフ大地震が不可避な中で伊方原発を再稼働するなど決して許されない。廃炉以外に道はない」と四国電力や国の対応を厳しく批判。
翌111日には中村時広愛媛県知事あてに20万人を超える「伊方原発の再稼働をゆるさず、廃炉を求める」署名を提出した。
22回目の座り込み
11日、伊方原発ゲート前で、22回目の「伊方原発再稼働反対! 伊方原発廃炉!」を求める座り込みがおこなわれ、約30人が集まった。
「八幡浜・原発から子供を守る女の会」代表・斉間淳子さんは「福島の人たちはふるさとを失った。原発は二度と稼働させてはならない」と決意を語った。
九電は再稼働やめろ
3月10日、福岡市博多区の冷泉公園で「さよなら原発福岡集会」が開かれ、2千人が参加した。
集会では「原発なしで暮らせる社会を」(原発とめよう! 九電本店前ひろば)、「再稼働はやめてほしい」(福島からの避難者)などの発言があった。
集会後、九電本店に向かうコースなど二手に分かれて市内をデモした。
敵の焦りが見えてきた
市東さん迎え大阪で三里塚集会
3・17
三里塚の市東さん 沖縄の金城さんを先頭に大阪ミナミをデモ(3月17日) |
3月17日、大阪市内で三里塚関西集会が開かれ、120人が参加した。オープニングは、反原発行動で活躍するロックバンド〈はちようび〉。元気いっぱいの音楽がステージから溢れた。
永井満・関西実行委員会代表世話人が「市東孝雄さんをめぐる農地強奪攻撃に本当に腹が立つ。ともに闘おう」と主催者あいさつ。
弾圧に負けない
関西大弾圧で逮捕されたMuさんから、「福島がなかったかのように再稼働。オキュパイ大飯で9月に1人、10月関電前で1人がでっち上げ逮捕、11月に2人、大阪市ガレキ説明会で4人。12月に3人逮捕されたが、反弾圧闘争は全国に広がっている。〈東京の会〉もできた。エネルギー倍増、めげない。つぶすつもりがますます大きくなっている。私たちは、三里塚の野菜をとおして福島とつながろうとしている。沖縄、福島、大飯反原発、三里塚をつなぐ。頑張る」と特別報告があった。
安保は毒まんじゅう
つづいて〈市東さんの農地を守る沖縄の会〉の金城実さんが発言。
1985年、大阪で高校教師をしていた。中曽根が公式参拝をしたとき、靖国訴訟の原告に加わった。沖縄での靖国裁判は、沖縄の歴史の中ではじめて首相と靖国神社を糾弾していく裁判。戦争で殺された人たちの悲しみと怒り、自分が生きている誇りを子孫に伝えていく歴史的使命がある。沖縄では初めて裁判所に米兵を引きずり出したが、安保条約が毒饅頭だということをそこで知った。地位協定、全部米軍のつごうがいいように法令がつくられている。沖縄の人たちは人間扱いされていない。
市東さんの会に加わって丸1年。1975年海洋博のとき、三里塚の鉄塔破壊に抗議する像を建てることになった。
それが私の三里塚とのかかわり。4・28沖縄屈辱の日、安倍は「主権回復」と言うが、調印した吉田茂、60年安保の岸信介、沖縄密約の佐藤栄作、こいつらが化け物妖怪のように現れて暴れているのが日本の現状だ。いろんなやり方、色合いの風を吹かせながら闘っていこうと結んだ。
国策と対決
いよいよ三里塚反対同盟の市東孝雄さんが登壇。〈風を起こす女たちの会〉の松野尾かおるさんと対談形式でその思いを語った。
―3月7日、第3誘導路供用開始について
市東さん「完全に取り囲まれ、うるさくなった。2800メートル滑走路に誘導路3本はおかしい。追い出したいためだ。2本目に200億円かけた。傲慢なやり方は絶対に許せない」
―2月18日の裁判では4時間もの証言でした
「この農地は100年、誰にも文句も言われず耕してきたと言った。空港会社が違法とペテンをやっている。一切耕したことのない所を不法耕作していると言い、証拠も偽造している。裁判長に助けを求め、裁判が進んでいく。怒りがこみあげ、終わってみたら4時間という感じだった」
―2月20日裁判所が「公示」を貼りました
「土地は借りているが、トイレの中、離れ、鶏小屋、ハウス、道具を置くトレーラーの中にも勝手に貼っていった。何で自分の所有物が取られるのか、不法侵入というやり方しかできない敵の焦りが見えた」
―結論が予想できるからといって手を緩められません
「実家に戻ったときから覚悟を決めている。向こうがどう出ようが関係ない。2回逮捕されたが、自分が正しいと思っているから余計にパワーが湧いてくる。出ていくことに対する補償が向こうの言う『話し合い』で、自分のように反対している者には最後は国家権力を持ってくる方法しかない」
―沖縄、福島に行かれました
「沖縄へは3年前の4月25日の県民大会など。空港から読谷に行く途中、いい土地は全部基地。畑には石ころ。 これは大変だなと思った。福島には3月11日にも行ってきた。2年で終わった、復興したんだというキャンペーンがある。全然だ。国策だから何をやってもいいとか、従わなければならないという考え方を変えなければ」
福島 沖縄 三里塚
―最後に、いちばん訴えたいことを
「国策のやり方は一つ、憤りを感じている人は一杯いるが、みんな三里塚に集まって欲しい。福島、沖縄、三里塚が一つの闘いになって、3・24三里塚現地、3・27裁判へ1人でも多く来ていただき、『ここに三里塚あり』と知らしめるような闘いをやりたい」
この後、リレートークは、部落解放同盟全国連合会・荒本支部、福島に三里塚の野菜を届けている古河潤一さん、保養キャンプから発言があり、集会まとめを山本善偉・関実世話人が「3・24三里塚に総決起しよう」と締めくくった。(兵庫E)
6面
3・1朝鮮独立運動94周年
朝鮮半島の平和的統一をめざして
3月2日、「安倍・朴政権の登場と私たち 3・2日韓民衆連帯集会」が、東京・文京区民センターで開かれた。
主催は、日韓民衆連帯全国ネットワーク、反安保実行委員会、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター(VAWW RAC)、許すな! 憲法改悪・民連絡会、在日韓国民主統一連合などの実行委員会。
「常識」を見直す
最初に講演をおこなった浅井 基文さん(前広島平和研究所所長)は、「安倍・右翼改憲政権と私たちの課題」と題して以下のような内容を提起した。
朝鮮半島、そして東北アジアに平和を、ということは大多数の市民の願いだ。そのためには、日本で常識とされてしまっている五つの問題について見直す必要がある。
「朝鮮の核ミサイルは米日韓に対する脅威」という「常識」
この「常識」の最大の非常識は、「戦端が開かれる」=「朝鮮が核ミサイル攻撃を仕掛ける」という前提にある。朝鮮が先に攻撃を仕掛ければ、次の瞬間に米(日韓)の総反撃で朝鮮は地上から消える。だから朝鮮が戦端を開くことはあり得ない。朝鮮が核ミサイル開発にまい進するのは、もっぱら米(日韓)の朝鮮への侵略戦争衝動をけん制し、自国の生存を確保するためだ。
朝鮮の核開発は朝鮮の安全保障にとって有害無益」という「常識」
朝鮮がなけなしの金を使ってでも核開発を余儀なくされたのは、朝鮮戦争以来いっかんしてアメリカが朝鮮に対する核先制攻撃戦略を採用してきたからだ。朝鮮が核開発中止に応じるためには、まずアメリカが対朝鮮敵視政策を根本的に改めなければならない。
「朝鮮の核開発はNPT体制に対する挑戦」という「常識」
朝鮮はNPT(核拡散防止条約)体制に挑戦した最初の国ではない。イスラエル、インド、パキスタンというれっきとした「先輩」がおり、これらの国々の存在は事実上黙認されている。
核不拡散体制が望ましいことは一般論としてそのとおりだ。しかし、NPT体制は自国の安全を保障しないというのがイスラエル、インド、パキスタンの立論だった。いま朝鮮が取っている立論もそういうものだ。
NPT体制は、核兵器国による核兵器の「全面的かつ完全な軍備縮小」の約束(第6条)と非核兵器国によるその非保有の約束(第2条)の実現というバランスの上に成り立っている。
アメリカが約束を守らず、その対朝鮮核威嚇政策を手放さない状況で、朝鮮に対してだけ「NPT体制に対する挑戦」と非難するのはいちじるしくバランスを欠いている。
「朝鮮の人工衛星打ち上げの本質は弾道ミサイル開発という「常識」
この「常識」はすべての国のロケットにも当てはまる。安保理決議が「朝鮮の人工衛星打ち上げ」だけを制限し、他の国々のケースを問題にしないのは二重基準以外の何ものでもない。
これは主権国家の対等平等原則(民主的国際関係)という客観的基準にかなうものではない。
「朝鮮のミサイル開発は安保理決議違反」という「常識」
この「常識」は、宇宙条約ですべての国に認められている宇宙の平和利用の権利を安保理に制限・禁止する権限があるのか、という根本問題を素通りしている。
宇宙条約は、「宇宙空間は、すべての国がいかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ、国際法に従って、自由に探査し及び利用することができる」(第1条)と定めている。
「既存の国際条約で認められている国家の権利を新たに制限する権限が安保理にはある」という考え方に重大な問題がある。このような考え方を認めてしまうならば、安保理(つまり大国)はいかなる国際法の内容も勝手に変えられることになってしまう。
大国が実力でルール(国際法)をいかようにもできるということになれば、世界は2世紀前のウィーン体制の時代に逆戻りしてしまう。
最後に浅井さんは「客観的基準を踏まえて私たちの対朝鮮認識を正すこと、それがまずは第一歩だと確信する。
正しい認識に基づく世論が形成されていけば、現在の大国及び米日韓主導の対朝鮮政策もたち行かなくなるだろう」と述べて話をしめくくった。
朴新政権と韓米同盟
「朴槿恵(パク・クネ)保守新政権登場と韓国民衆の闘い」と題する講演が、「韓国進歩連帯」〔※注〕からおこなわれた。
まず、朴槿恵政権について、自主統一委員長のチェ・ウナさんが語った。
前政権である李明博政権が韓米同盟を中心として韓米日軍事同盟を推進したことに対する批判が国内で起こるで、朴槿恵政権は、中国も含めた国々とのバランスの取れた外交政策をおこなっていく、と述べている。
また前政権が北朝鮮に、核の放棄を迫りつつ政権の崩壊までを狙っていたのに対して、パク・クネ政権は「朝鮮半島信頼プロセス」なるものを打ち出している。しかし、この「信頼プロセス」も核の放棄を前提としており、北が変わることだけを求めている。そして、韓米同盟を軸にした政策が進められている。
軍事的衝突の可能性
チェ・ウナさんは 「特に、私たちが憂慮しているのは、南北の間で軍事的衝突が起こる可能性です」と強調した。前政権は、西海一帯に多くの兵力を集中した。韓国国防部は、現場判断で軍事的措置を講ずる方針を採っている。朴槿恵政権は、このような事態を防ぐシナリオを持っていない。他方、北への「人道支援」文化交流が多少おこなわれるかもしれない。しかし、こうした活動から民主勢力を排除する懸念がある。
進歩陣営は、朝鮮半島の平和的統一を願う人びとと連帯して取り組んでいく。
朴槿恵氏は、選挙の時には、経済の民主化、福祉政策の充実を推進すると言っていた。しかし、政権が始まるとこうした問題は白紙に戻ってしまったようだ。
進歩陣営では、朴槿恵政権は本質的に前政権と変わらないと確認している。人道支援の再開、政治的軍事的緊張の緩和を求めていく。朝鮮半島非核化のためには米朝対話も必要である。そして、在韓米軍の撤退も実現しつつ、朝鮮半島の非核化と強固な平和を達成すべきである。
米日韓の野合と闘う
韓忠穆(ハン・チュンモク)共同代表は、朝鮮戦争休戦60周年の取り組みも含めて以下のように語った。
朝鮮戦争休戦60周年を迎えようとしているが、朝鮮半島は今最も危機的な状況にある。昨日は、3・1独立運動記念日だったが、韓国軍20万人と米軍1万人が合同軍事演習をおこなっている。
これに対して北は、この演習を侵略行為と捉え、少しでも侵略があれば直ちに戦争も辞さないと表明している。
日本の安倍政権は、朝鮮半島の南北対決、米朝対決を利用して軍事大国化しようとしており、平和憲法も変えようとしている。この米韓日の軍事的野合を、反戦平和勢力が手を取り合って打ち砕かないといけない。
韓国で平和大行進
今年7月27日で、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれてから60周年を迎える。当時の朝鮮半島の人口は3500万人で、その内500万人が死傷した。民間人の犠牲者が多かった。
現在人口は7500万人となり、武器の破壊力は数百倍。戦争がおきれば、はるかに多くの犠牲者が出る。そして、被害は朝鮮半島に限らない。日本やアメリカ、中国も参戦するだろう。
日本の皆さんにとっても、朝鮮半島の問題は他人事ではないはずだ。市民団体は手を取り合って力強い闘いを繰り広げることを提案したい。
同じような提案は、アメリカの市民団体や平和人士にもしている。これに応えて、ANSWERやインターナショナル・アクション・センターが共に闘うと申し出ている。
今度は、ヨーロッパや中国に行き、朝鮮半島の平和構築のために共にがんばっていこうと提案したい。
7月27日を中心として、国際大行進、国際平和宣言、国際討論会、シンポジウムをおこなう。韓国では、各界の市民団体、宗教団体とも連携して進めていく。「平和元年にしよう」が合言葉になっている。7月初めには、韓国全土を巡回する平和大行進をおこなう。27日には、数万人の集会をおこなう。各国、各都市でもこのような取り組みをおこなってほしい。
このほか〈沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック〉、〈許すな! 憲法改悪・市民連絡会〉、〈「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター〉、〈「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会〉が発言。〈ノレの会〉の歌と演奏がおこなわれた。(I)
※注 韓国進歩連帯は、労働運動や農民運動、貧民運動、学生運動、女性運動など韓国の進歩主義的運動団体が結集して07年に結成された連合体。