福島を二度と繰り返さない
「毎日を反原発デーに」
3・9 東京 明治公園
原発はいらない再稼働をゆるすな(9日 東京・明治公園) |
東日本大震災・福島第一原発事故から2年目の「3・11」。東京では9日から11日にかけて3日間行動がおこなわれた。初日の9日は、明治公園で「つながろうフクシマ! さようなら原発大行動」と題して集会とパレードが開催された。 集会には1万5千人が参加し、「再稼働反対、原発なくそう」の声を都心に響かせた。 集会第二部は、女優の木内みどりさんの司会で始まり、鎌田慧さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、澤地久枝さん、広瀬隆さんら、呼びかけ人の面々が熱烈なアピールをおこなった。
だれも犠牲にしない
落合さんは、「あの事故のあと私たちは、だれも犠牲にしない、今までとは違った生き方のできる社会を求めてきた。いま再稼働や原発輸出が公然と語られ、オスプレイが日本中を飛行する時代になった。参院選後には憲法改悪が控えている。」「でも私たちはくじけません。力強くたんたんと確かに、果敢に一歩一歩、毎日を反原発デーにしていきませんか」と訴えた。参加者は大きな拍手 でこれに応えた。 大江さんは「福島第一原発事故をなかったかのようにしようとする人々と闘う」と決意を語った。 澤地さんは「福島の事故を二度と繰り返さないために、私たちに何ができるか。一人一人が考えることが、世直しにつながる」と訴えた。 集会後のパレードは、Aコース(渋谷方面)、Bコース(代々木公園)の2コースに分かれて出発した。
反原発で市民・労組が一同に
中之島公園に1万1千人が集う
3・10大阪 中之島公園
女神像エリア大飯原発すぐ止めろ!全ての原発を廃炉に |
3・11の東日本大震災、福島第一原発事故。その日から2年目を迎えようとする3月10日、関西各地から1万1000人が中之島公園に集まり、集会とデモをおこなった。
垣根をこえる結集
今回の特徴は、関西の反原発、脱原発を闘う勢力が党派の垣根をこえてはじめて統一した集会をおこなったこと。各地の市民団体とともに、橋下市政と闘う労働組合なども数多く参加した。この日の行動は、女神像前エリア、水上ステージ、剣先公園エリアの3つの会場でおこなわれた。集会後は、御堂筋、関電、西梅田の3つのコースに分かれてデモ行進。 女神像前エリアでは、12時30分から前段集会(各団体からのアピール)がはじまった。若狭ネット、ストップ・ザ・もんじゅ、原発再稼働反対監視テント、とめよう原発!! 関西ネットワークなどがアピール。雨が降り始めるも、次から次に参加者が入ってきて、会場は満杯になった。 1時15分からの本集会で、武藤類子さん(ハイロアクション福島四十年実行委員会)がアピール。 武藤さんは、福島の現状について怒りをこめて訴えた。 「福島では早春の訪れをむかえている。いち早く雪の中から出てくるふきのとうを喜んで食べていた事故前の日々を懐かしむ春であり、どこか悲しい春でもある」。 福島第一原発からは「今でも毎日2億4千万ベクレルの放射性物質が放出され続けて」おり、事故はいまだに収束していない。
福島は いま
そのうえで、武藤さんは福島の現実について、次のように語った。 @東京電力は貯蔵タンクにある放射能汚染水を海に放出しようとしている。 A福島第一原発事故の収束作業に従事する作業員の60%は福島県民であり、被曝が強要されている。 B除染作業員も被曝させられている。除染の効果は期待できない。 C甲状腺検査をした子ども10人に異常がみつかった。子どもたちの健康被害をみんな心配している。 DIAEAが福島に常駐し、世界に「安全」をキャンペーンしようとしている。
剣先公園エリア多数の労働組合が参加した(10日 大阪) |
生きるための怒りを
武藤さんは、このような状況の中で、「福島では人びとが分断され、物を言うことが難しくなっている。私たちの怒りと悲しみは消えることはない。今、新たな怒りが必要だ。生きる尊厳をうばう者に対して、命をないがしろにする者に対して、まっすぐに怒りを向けていこう」と訴えた。 福島では、新たな質の怒りが蓄えられ、吹き出ようとしている。「新しい世界にむけ、何かを変えていこうとする怒り」だと、武藤さんは語った。 女神像エリアからのデモは、御堂筋を南下し、難波まで。昨年7・16の代々木公園(東京)でのデモを彷彿させる長い隊列がつづいた。
原発なくそう
音楽・劇で訴え
大阪・中之島 水上ステージ
水上ステージ |
大阪・中之島公園の水上ステージでは「2013さよなら原発フェス」が開かれた。 今にも降り出しそうな曇空。寒さが増すそんな悪天候をものともせず、20団体・グループがアピール、音楽、劇などのパフォーマンスで反原発の訴えを響きわたらせた。
自転車発電
水上ステージ自転車をこいで発電(10日 大阪) |
PAなどの電源は全て自転車発電。「みなさんのご協力なしにこのフェスは成り立ちません」との司会の呼びかけで子どもや大人が自転車をこぎ発電に協力した。 アピールをおこなったのは、関西大弾圧救援会の下地真樹さん、アートにっこりセンター、来月の宝塚市長選に立候補する現職の中川とも子さん支援の呼びかけなど。ほかにも学生や奈良、滋賀、和歌山など関西一円から発言。 会場をいっそう熱くしたのは、常に反原発運動の現場に立ち続けるバンド〈はちようび〉。 「(福島の子供たちを)見殺しは俺イヤやねんて。自分の払った税金とか電気代が人殺しに使われてるのはイヤや。それだけで起ち上がる権利がみんなにあると思ってる」と「BABY311JAPAN」を演奏。 最後、原子力ムラの「絆」をコントで暴くスイシンジャーに笑い、強く降り出した雨の中、女神像エリアの本集会にそれぞれが合流した。
2面
原発のない社会めざして
オール滋賀で集会を実現
3・10 大津
大津生涯学習センターで神田香織さんのトークショーや映画上映がおこなわれた(10日) |
3月10日、「原発のない社会へ びわこ集会」が、滋賀県大津市内でひらかれた。あいにくの雨にもかかわらず約1000人が集まった。市立生涯学習センターでは、神田香織さんのトークショーや、映画「シェーナウの想い」の上映、パネル展示等があった。膳所公園では、こだわりマーケットやライブ&リレートーク等がおこなわれた。
最後の全体集会は、膳所公園で開かれた。稼働中の原発であった志賀原発2号機(石川県)の運転差し止めを認める日本で初めて判決を下した元金沢地裁裁判長・井戸謙一弁護士(彦根市在住)が特別報告。「私はこの国が市民を守ろうとしないことに強い憤りを覚えます」と述べた。
その後、パルコ前まで、雨と寒風の中、デモ行進をした。今回のびわこ集会は、滋賀県では初めてのオール滋賀の陣形によって実現した反原発集会である。
昨年12月から準備を進め、実行委員会における議論を重ねて、今回の画期的な集会となった。そうした成果として、全体集会では脱原発をめざす首長会議会員の村西・愛荘町長がメッセージを寄せた。また日野町の藤澤町長が発言。滋賀県農業協同組合中央会から連帯メッセージが寄せられた。こうした陣形づくりに「さいなら原発びわこネットワーク」が重要な役割を果たしたことも強調しておきたい。(T)
島根原発を廃炉へ
3・3 松江
「島根原発すべてを廃炉に」松江市中心部をデモ(3日) |
「3・11」2周年を前に、3日、島根県松江市で全国にさきがけて集会が開かれた。「さよなら島根原発・未来のために」をテーマに、くにびきメッセ国際会議場に、400人が集まった。集会では、福島県飯舘村で酪農を営み、地区の区長をつとめてきた長谷川健一さんが講演。長谷川さんは、「福島の現実は過去のものではなく、まさに今、日本で進行している現実。目を見開いて、しっかり見据えなければならない」と強調した。建設中といわれている島根原発3号機はほとんど完成している。3号機が「3・11」以降、新規に稼働されるはじめての原発になりかねない。参加者は、島根原発1、2、3号機をすべて廃炉にしようと確認した。
さよなら島根原発ネットワークでは3号機の運転をやめさせるための訴訟を準備している。原告とサポーターの募集もおこなっている。
山陰地方の運動は中海の干拓・淡水化計画を食い止めた。原発も必ず廃炉にすると確信している。
集会後、中国電力への申し入れと松江駅までのデモがおこなわれた。(K)
オスプレイ
和歌山・四国で訓練強行
沖縄 爆音で授業中止も
6日から8日にかけて、沖縄に配備されている米海兵隊所属のMV22オスプレイ3機が、和歌山県および四国で低空飛行訓練をおこなった。沖縄以外でオスプレイが低空飛行訓練をおこなったのは今回が初めて。
当初、米軍は訓練ルートを九州上空の「イエロールート」でおこなうと連絡していた。ところが前日の5日になって急きょ、和歌山県から四国にかけて設定した「オレンジルート」に変更すると防衛省に連絡。
オレンジルートは和歌山県から紀伊水道を横断して、徳島、高知、愛媛の各県を通る。 突然の訓練ルート変更を知らされた地元から、怒りの声があがっている。
今回の訓練の拠点となった米海兵隊岩国基地の地元岩国市では、市民団体のよびかけで、5日、岩国市役所前広場で緊急抗議集会がおこなわれた。
主催者は「沖縄と連帯してオスプレイ配備を撤回させよう」とあいさつ。参加者は訓練に抗議して風船を飛ばした。
同日、夕方から「オスプレイの低空飛行訓練に反対する3・5市民の集い」が開かれた。
先月末、菅官房長官が本土で訓練することを「沖縄の負担軽減」と発言したことに沖縄では怒りが渦巻いている。
昨年10月の配備以来、沖縄では連日オスプレイの飛行訓練がおこなわれている。名護市、浦添市、宜野座村(ぎのざそん)、読谷村(よみたんそん)などの小中学校の周辺や上空をオスプレイが飛来し、その爆音で授業が頻繁に中断されている。
沖縄・岩国のたたかいと結びつき、オスプレイ配備を撤回させよう。
Aさん 無実を主張
関電前弾圧 初公判
4日、「関西電力本店前10・5弾圧」の第一回公判がおこなわれた。午後2時の開廷前から25人の定員をこえる60人の傍聴希望者が集まった。満席の傍聴人が見守る中、裁判は定刻通り開廷した。
「傷害」をでっち上げた検事の「起訴状」の内容を、被告のAさんはきっぱりと否定。弁護士はAさんの主張を補足した。
次回公判から証人調べに入る。検察側証人、弁護側証人、それぞれ4人をたてて裁判が本格的に始まる。
Aさんの勾留はまもなく半年をこえる。無実のAさんに対する長期勾留をこれ以上許してはならない。
オキュパイ大飯弾圧
公判傍聴記(3月1日 第6回公判)
前回公判から、一カ月ぶりの公判。その間、被告人(Kさん)による弁護人解任手続きがおこなわれ、1月29日と2月4日の裁判は取り消し。その後、国選弁護人(海道宏実弁護士)が選任された。2月27日には証人追加請求をおこない、笠原弁護士も加わり、この日を迎えた。福井地裁1号法廷。鵜飼裁判長。今日は検察側証人3人への尋問がおこなわれた。
(1)前川智裕証人 福井県警 警備部公安課
関電の防犯ビデオ映像と(九州)Kさん宅から押収した映像(K映像と呼ぶ)を対比させ、K映像の時間を特定した警察官である。
〈主尋問〉
両映像の一致する最初の基準点を「青色の車両のドアを開けた時点」とし、最後の基準点を「青色の車両付近でマイクアジテーションをおこなっている時点」とした。K映像は編集されていないことがわかった。この作業は2012年10月におこなった。
関電の防犯ビデオは業者によって鮮明化された映像を使った。元の映像と鮮明化された映像の内容には変更がなかった。
10月7日付の報告書を1月25日付の報告書に差し替えた。意見の部分を除外して、客観的な報告書にした。対比作業は私一人でおこなった。
6月30日3時30分〜35分の間の宮留ゲートにいる人物を特定した。K映像に映っている反対派を抽出した。16の場面に、スナップショットソフトで処理して、正面を向いた28人の顔を、写真面割り帳のように一覧にした。取りこぼしはない。特定作業は私一人でやった。
〈反対尋問〉
(海道弁護士)
・関電防犯ビデオの鮮明化を業者に委託したのは誰か→覚えていない。携わっていない。
・両映像を確認したか→内容に変わりはなかった。色が濃くなっていた。
・基準点の間に、カットした部分に同じ時間の別のものを入れても、時間は同じか→そうなります。
・反対派の特定は→28人以外はいないと思う。
・28人だけと断定できるか→断定はできない。
・推測ですね→はい。
(笠原弁護士)
・発煙筒を投げる映像はあったか→ありません
・発煙筒が人に当たっている映像はあったか→ありません。
・発煙筒が車の中に置かれる映像はあったか→ありません。
・ズボンの色をカーキー色と書いた理由は→書きミスです。
(被告人)
・ディスクの総録画時間は→D7、D8=124分、K映像=474分5秒
〈裁判官〉
・これまでに両映像の時間を対比させ、時間を特定したことはあるか→はじめて。私が考えた。一般の捜査官で、特定の知見はない。
・鮮明化する前に見たか→業者に出す前に見た。鮮明化する判断は本部がした。自分の判断ではない。
・35分から42分に訂正した根拠は→メモで確認。
・K映像は編集してないのか→回し続けている。
(2)河原利幸証人 警備部公安課
〈主尋問〉
面割り写真台帳を作成したのは、7月6日頃。面割り帳をつくって、本部に提出した。
〈反対尋問〉
なし
(3)ハラダタカシ証人 敦賀署警備課
〈主尋問〉
Kさんの直面割りを担当した。仮想被疑者4人と被疑者Kさん。
9月24日午後2時22分から36分まで。4人が顔を合わせないように、個室を準備した。3人は現職警察官で、1人は元警察官。うち2人が白髪まじり。
Kさんは4番目の部屋。報告書(写真)の確認。
〈反対尋問〉
のぞき窓は外から見えるが内側からは見えないガラス。
面通し実施の20〜30分前に撮影した。
一人が(1)〜(5)の部屋を覗く時間は1〜2分。
・黒髪が2人、白髪まじりが2人だが、なぜ全員白髪まじりにしなかったのか→理由はない。
〈裁判官〉
白髪まじりの被疑者役は2番目と3番目。
これで検察側証人は終り。次回から弁護側の証人調べ。弁護士はKさんの保釈申請をおこなったが、裁判所はこれを却下し、接見禁止処分の継続を決定した。
3面
労働規制のさらなる緩和・定昇改定を呼号
2013年版 経労委報告を批判する
多田幸三
2013年版『経営労働政策委員会報告』(日本経団連編)は、直前の12月に民主党政権が倒れ、安倍・自公政権の復活があり、非常に居丈高になっている。「活力ある未来に向けて〜労使一体となって危機に立ち向かう〜」のタイトルで、3章構成になっている。
第1章「一段と厳しさを増す国内事業活動と現状打開への道」では、産業の空洞化、円高下での「貿易立国」の崩壊という戦後最大の「難局」の危機感をあおり、一刻の猶予も許されない事業改善に向けた政策転換として、@円高の是正 A経済連携の推進(=TPP推進) B法人税負担軽減 C社会保障制度改革(企業の公的負担の軽減)Dエネルギー環境の転換(原子力推進と温暖化規制の緩和)E労働規制の見直しを挙げ、F項を新たな基準をもうけて「労働政策のあり方の見直し」として11頁もさいている。
労働法の規制緩和
ここでは、2012年に「改正」された労働者派遣法、労働契約法、高齢者雇用安定法と最低賃金の改定にかみついている。労働者派遣法の「改正」は、雇用の「受給調整機能」の減殺だと言う。
高齢法の「改正」は、企業の新陳代謝を阻害、若年労働者の就業に影響と脅している。労働契約法の「改正」に対しては、正規か非正規か「二項対立」的にとらえるのはおかしい、多様な働き方を希望する労働者の就業機会を奪うなどと、実態とは真逆の論を展開。非正規雇用が雇用の不安をつくった元凶であるのは世論の常識であるにもかかわらずである。
その上に右肩上がりの経済成長の時代に形成された労働法制の規制の見直しを言い、定期昇給・賃金カーブや年功処遇の見直しが喫緊の課題としている。解雇自由(規制改革会議は解雇条件見直しを検討)・不安定雇用、低賃金の自由を資本によこせと言うに等しい。
8時間労働制・最低賃金制度の解体
また、就業規則による労働条件の不利益変更の判例法規にたいし、ルールの明確化や裁量労働制・フレックスタイム制による労働時間制度の改革(=8時間労働制や残業手当の解体)、さらには、派遣制度の期間制限の緩和、最低賃金審議会の「全会一致」を踏み外すのは「異常事態」と非難している。
次々とでる労働法制の「改正」で、労働者の権利は奪われ続けてきた。そのことが、女性・若者の2人に1人の非正規雇用労働者を生み出し、年収200万円以下の労働者が1000万人を突破する事態にまでなっている。それでも資本家たちにフリーハンドを与えよと言っているのである。
経労委報告が主張する「労働法制の規制緩和」は絶対に許してはならない。労働契約法の有期法制化(5年契約更新した労働者の無期雇用への転換)も、クーリングオフ(空白期間)や、それまでの雇い止めによって骨抜きが危惧されている。こういった攻撃と全力で闘わなくてはならない。
「デフレ賃金」論のペテン
第2章は「競争に打ち勝ち、成長を続けるための人材戦略」である(略)。
第3章「今次労使交渉・協議に対する経営側の基本姿勢」で、「生き残りをかけたグローバル競争に勝ち抜くために」「労使パートナーシップ対話」を充実させ、労使一体となった「建設的論議を尽くせ」としている。
ここで、連合など労働側が訴える「賃金復元論」に対し、「デフレ賃金」論を展開し、実質賃金は大幅に上昇しており、日本の人件費は最高水準であり、「生活水準は低下していない」と断言している。とんでもない。
事実は、97年からの14年間で、労働者の所得は88%に減少している。米(177%)、英(190%)、仏(163%)、独(129%)などと比べ、OECD諸国でも最低である。最低賃金も日本は最低水準で、全世帯の3割が貯蓄ゼロ世帯という貧困・格差の国となった。
経労委のデフレ賃金論は、ペテンである。また労働者の実感とまるで違う。労働者の生活はますます苦しくなっている。30代非正規雇用(男性)の未婚率は75%である。働き盛りの男性が結婚して家庭を築けない。
新自由主義に勝ち抜く賃金闘争論を
2月の予算委員会で、共産党の笠井亮議員が、安倍を追及する際にしめした資料「大企業の利益・配当金・内部留保と給与の増減比」を見ると、労働者の平均賃金が1997年を100として、年々下がってきて2011年には85まで落ち込んでいるのに対して、株主への配当金が285と3倍に、内部留保が185と2倍に、経常利益が159に上がっている。
儲かった分の過半を株主配当金にどんどん出していて労働者に回さない。まさしく株主資本主義。新自由主義型に日本の資本主義が完全に変わっている結果。世界経済が金融化し、ガバナンスは配当と株価になってしまっているからだ。旧来は設備投資に回したものを配当に回す。製造業の比率がどんどん低くなるなかで、金融化・株価でもうける。株主・銀行に金がどんどん行っているのに、労働者には全く回ってこない。この構造を打ち砕く闘争が求められている。新自由主義に勝ち抜く、賃金論・賃上げ闘争・新たな社会の展望を構築しなければならない。
大幅賃上げを
「アベノミクス」は、株高・円安の期待を生み出した。しかし、実体経済はデフレを脱却していない。賃金も雇用も回復していない。ガソリンや小麦など輸入品の値上げは労働者の生活を直撃している。ローソンなどが一時金アップ(ローソンのブラック企業ぶりは有名)したとして、参院選(七月)を乗り切り、原発再稼働、集団的自衛権=憲法9条改悪に突き進もうとしている。2013年春闘で経労委報告と対決し、大幅賃上げを勝ち
取ろう。労働者の反撃の陣形を作り出し、安倍反動政権をうちくだこう。
最後に、経労委報告には、福島原発事故に対する反省の言葉は一切なく、電力不足の不安をあおり、民主党の原発ゼロ政策(それ自身あやしげだが)を「およそ実現不可能」と一蹴している。福島の子どもたち30万人を見殺しにする以外の何ものでもない。
新自由主義攻撃にさらにドライブをかける経労委報告を、闘う労働者の13春闘の実践で粉砕していかなくてはならない。
(資料)
経営労働政策委員会報告 2013年版〔概要〕
活力ある未来に向けて 〜労使一体となって危機に立ち向かう〜
第1章 一段と厳しさを増す国内事業活動と現状
打開への道
1.悪化を続ける経営環境
(1)日本経済の縮小と立地競争力のさらなる低下
(2)求められる東日本大震災からの復旧・復興の加速化
2. 本格的な産業空洞化の進行
(1)一気に加速する産業空洞化
(2)地方経済・中小企業、産業・経済全体への影響
3. 危ぶまれる「貿易立国」の地位
4. 国内事業環境の早期改善に向けて
(1)一刻の猶予も許されない事業環境改善に向けた政策転換
@円高の是正 A経済連携の推進 B法人の税負担の軽減 C一層の社会保障制度改 革 Dエネルギー・環境政策の転換 E労働規制の見直し
(2)労働政策のあり方の見直し
・「企業の事業活動の柔軟性確保」「多様な就業機会の創出」
(3)中小零細企業に影響の大きい最低賃金引き上げ問題
5. 民主導による経済活性化、雇用創出の推進
(1)新たな市場獲得による企業の成長
@国内における潜在需要の掘り起こし Aグローバル展開の一層の推進
(2)中小企業・地方経済の潜在力発揮と雇用拡大
@道州制の実現 A農業・水産業の競争力強化
B地域特性を活かした産業振興(観光資源の有効活用)
第2章 競争に打ち勝ち、成長を続けるための人材戦略
1. 「変革への取り組み」を支える組織・人材
・グローバル事業展開にあたって、不断に「変革」に取り組むことにより、持続的な成長を実現する
2. 中核人材の育成に向けた取り組み
・職務や職責の段階に応じて、適切な教育や経験を積ませる
(1)採用:求める人材像を明確に 海外企業との競合も意識した採用戦略
(2)若手従業員:組織的に育成体制を充実・強化してOJTを有効に機能させる
(3)ミドルマネジャー:本来の役割を果たしやすい組織的な環境整備、グローバル人材を計画的に育成する
(4)次世代経営幹部:早期選抜と戦略的な人材配置を通じ、組織的かつ計画的な育成を図る
3. 多様な人材の活用に向けた取り組み
(1)能力を発揮するためのワーク・ライフ・バランス推進
・仕事の質的向上と生活の充実の相乗効果により生産性の向上を目指す
(2)女性のさらなる活躍に向けて
(3)高齢従業員のさらなる活用に向けて
(4)障害者雇用の促進に向けて
第3章 今次労使交渉・協議に対する経営側の基本姿勢
1.求められる「労使パートナーシップ対話」の充実
・課題解決型の話し合いの場を労使共同の取り組みと位置付け、建設的な議論を尽くす
2. 総額人件費に対する基本的な考え方
(1)付加価値の大幅な減少
・総額人件費の適切な管理が一層必要
(2)慎重な判断が求められる所定内給与の引き上げ
・所定内給与の引き上げによる総額人件費の増加額は自動的に約1.7倍に
(3)懸念される人件費の増加要因
@法定福利費の増大 A定期昇給の影響 B改正高齢法に伴う影響
3. 2013年労使交渉・協議における経営側のスタンス
・企業の存続と従業員の雇用の維持・安定が最優先の議論となる
・賃金決定は「個別企業労使」が経営実態を踏まえて協議し、自社の支払能力に即して行う
・短期的かつ一時的な企業業績の変動は、賞与・一時金に反映
4. 労働側スタンスへの見解
・1997年水準への「賃金復元」論:経済や企業の実態を無視している
・デフレの進行によって実質賃金は大幅に上昇
・中小企業に対する賃上げ要求:中小企業は厳しい業況にあり、理解が得られない
・非正規労働者の処遇改善:すべての従業員の総額人件費の問題として捉える視点が大前提
5. 良好な関係構築に向けた労使コミュニケーションの強化
4面
信念は曲げられない(上)
井戸川町長の退任
退任を惜しむ町民と握手を交わす井戸川町長(2月7日 埼玉県加須市) |
2月7日、双葉町役場埼玉支所(埼玉県加須(かぞ)市)で、町長の退任式が行われた。井戸川町長は、昨年末、町議会からの不信任決議を受け、いったんは辞任を拒否して議会を解散したものの、今年1月23日に、辞意を表明した。
退任式のあいさつとその後の記者会見において、井戸川町長は、財政再建の取り組みから原発事故による苦難までの7年2カ月を振り返った。その中で、被ばく問題、中間貯蔵施設、区域再編、賠償問題などについて、自らの信念を語った。そして、辞任の真意を、「不条理の流れに対して、同調できない」「信念を曲げられない」と述べ、「現実を現実として、より広範囲に訴えていくために、町長職の枠を超えて、双葉町民、郡民、県民のために行動していきたい」と、今後の決意を表明した。
もっとも双葉町民の意見は様々だ。生活再建が遅々として進まない中で、「国に抵抗するより早く賠償を」という苛立ちの声もある。また、町長の主張を極端と見る向きもある。
井戸川町長は、町民の健康と町の将来を考えて信念を貫いてきた。その信念は、原発事故によって故郷を奪われ、避難生活を強いられるという苦難と、原子力ムラの中にあった双葉町のあり方への反省から生まれたものだった。寝る間も惜しんで本を読み、資料に目を通して、原発事故と被ばくと健康被害の真実をつかもうと努力していた町長の姿を、近くにいた町職員は見ていた。
国と東京電力を相手に、不条理を告発し、信念を貫こうとする井戸川氏の存在は、これまでもこれからも、双葉町と福島県にとって必要な存在だろう。
以下は、町長の退任式でのあいさつ、記者会見での発言、懇談での会話を再構成したもの。
この間の経過
11/28 井戸川町長、佐藤知事・双葉郡町村長との協議会を欠席
12/10 町長、双葉地方町村会・会長を辞任
12/20 双葉町議会、町長に対する不信任決議案・可決
12/26 町長、町議会を解散
1/23 町長、辞職表明
2/4 町議選、開票
2/7 町長、退任式
肉がないから痛くて ちょうど7年と2カ月です。平成17(2005)年の12月8日、町長になって初登庁いたしました。
いろいろ課題を抱えた中での始まりでした。覚悟の上で、飛び込みましたが、やはり入ってみると、大変な内容になっておりました。
平成19(2007)年には、双葉町の予算を組むことが困難でした。もう、その困難さというのは、たとえて言えば、普通にすわっていることができなかったですよ。お尻に肉がなかったんです。
肉がないから座っていられないんですね、痛くて。だから体を、しょっちゅう斜めにして斜めにしてという感じでした。〔※〕
これは、誰かの所為ということではなく、やはり町全体として反省すべきことだと思いました。ただ、「大変だ。厳しい」と言っていたら町全体が暗くなってしまう。だから、それは言わないで来ました。引き受けたわけですから。
困難な中にも、努力をすると前が開けてきました。特段の能力がなくても、誠意を持って努力する。これに尽きると思います。 あの苦しみを何とか乗り越えて、日本一の町をつくろうといろんな施策をやり、原発に全部依存するんじゃなくて、町民力を高めてやっていきたいという思いがあって、頑張りぬいたんですね。
※ 双葉町の財政は、原発立地による税収や交付金に依存してきたが、慢性的な財政危機に陥り、09年9月には早期健全化団体に転落。事業を止めるなど、歳出を厳しく見直して、10年度決算で財政健全化団体から外れた。
壊れないでと祈るも
あの苦しい財政再建を何とか乗り切って、「やれやれ、双葉町もだんだんいい方向に来たな」というときに、この事故の発生でした。地震の最中、本当に早く収まることを祈っておりました。「原発がダメになる。壊れる」。あの揺れ方に、そう思いました。「壊れないでくれ」と祈っておりましたけれども、残念ながら壊れてしまいました。
その後、今日まで、海図のない航海に出ました。
日本全体が混乱の最中にあったにしても、いくらかでも道標があれば、このような思いをしなくても済んだと、そんな風に思います。
東電に反省なし
退任式であいさつする井戸川克隆・双葉町長(2月7日) |
よもや埼玉の地で、最後(退任)を迎えるとは予想だにしませんでした。
「原発事故は起こらない」と国・東電は繰り返し言い、それを何回も何回も確認して参りました。しかし、事故は起きました。これは「起きてしまった」のではなく、「起こされてしまった」のです。「完全に騙されていた」と私は思っております。
2006年の津波対策をやらなかったことが引き金だと思います。〔※〕
事故は起きてしまいました。不幸にも起きてしまいました。
事故後の対応は、「東京電力という会社の正体を出したな」と思っております。
人権無視、責任回避。事故対応についても賠償についても、「被害を与えてしまった」という反省の様子や、あの平和な双葉町を住めない町にしてしまったことへのお詫びということが、感じられません。むしろ「まだまだ隠ぺいしているな」
とさえ思えるわけです。
※ 東京電力は、04年のスマトラ沖大津波を受けて、06年、巨大津波に襲われた際の被害想定や対策費を見積もっていた。また、08年にも同様の試算をしていた。しかし、いずれも、津波対策の強化は行わないと決定した。
原因者は健在
本来なら、事故の原因者が、私より先に職を辞して反省をしなければならないのに、未だに多くの方が在職しております。
避難のやり方も、救済の仕方も十分でない中で、町民は本当に日々、喘いでおります。あの状況を原因者は体験しているのでしょうか。一時体験したとしても、それは、全部を体験したわけではありません。われわれはすべてをなくしたわけであります。
ところが、事故を起こした加害者が辞めないで、被害者である私が辞めるんですよ。原因者はピンピンしてますよ。
このことは、やっぱり大きな意味を持っていると私は思っているんです。こういうことが日本社会で容認されるとすれば、とんでもないことです。私は身をもって、このことを世の中に訴えていきたいと思っています。
辞職の理由ですが、やはり私は、今の流れに対して、同調していくことができないと思ったことでしょう。
安全が確保されてない
まず、この事故は、福島県の双葉地方の事故ではありません。地球規模の事故だと私は思っております。にもかかわらず、もう終わったかのような雰囲気すら作られようとしております。しかし現実はレベル7のまま、今も放射能を出し続けています。
私は、大きな責任を背負いながら、町長をやっていました。町が続くことも、子孫が繁栄することも、私の責任であります。
しかし今、子孫の繁栄が担保されていない。中間貯蔵施設の問題、避難基準の20ミリシーベルトの問題、今も放射能を出し続けている問題。国に「いつになったら安全なのか」と問い合わせても何も答えない。そういう危険な中に、町民を戻すわけにはいきません。
復興という名の下に、避難した町民・県民を帰還させようという政策に、私は反対であります。むしろまだまだ避難が足りないと、もっともっと避難させなければならなかったという思いであります。
そんな思いから私は、意を決してジュネーブに赴いて、国連人権理事会にこの不条理を訴えました。
〔※〕
将来の子どもたちのことを思って、同調者のいない中、独断でやりました。「福島県内が危険だ」と叫ぶ首長は、私しかいません。私は、あえてこの役をやろうと、自分自身で決めております。
※ 井戸川町長は、昨年10月、国連人権理事会で日本の人権状況を審査する会合が開かれるのを前に、ジュネーブの国連欧州本部で、NGO主催の会合に出席、原発事故による住民の被ばく状況と国・東電の事故対応の問題を訴えた。
20ミリ基準
私は、以前から、「一般公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルトだ」と言い続けてきました。「20ミリシーベルトでいいよ」という議論とは、相容れることはできません。 いま福島県内では、「安心教育」、つまり「安全じゃない安心教育」が徹底されています。そういう教育の危険さをひしひしと感じています。
したがって、わが町民についても、その安全の知識を深めていく必要がある。1ミリシーベルトという原理原則を深めていく、広めていく、知ってもらう。この取り組みを今後とも続けて行かなければならないと思っています。
また、放射線の作業に従事する方には管理区域の基準があるわけだから、同じように、住民に対しても基準を設定して、安全を確保する必要があります。
私の考えから言うと、今の福島県には住めません。(つづく)
5面
違法な農地強奪を許すな
3・24三里塚全国集会へ結集を
昨年10月7日におこなわれた全国総決起集会。頭上を大型機が通過する。 |
3月7日、成田空港B滑走路への3本目の誘導路が供用開始された。
陸の孤島
市東さん宅と作業小屋などが、第1誘導路、第3誘導路で挟まれ、さながら空港用地に包囲された「陸の孤島」状態である。
離着陸時や、滑走路あるいはターミナルに向けて自走する航空機の騒音レベルは90デシベルを超えることもあり、まさに「騒音地獄」である。
これが早朝6時から深夜11時まで続く。この「騒音地獄」が市東さんたち農家の平穏な生活を破壊し、空港予定地内から追い出そうとする攻撃なのだ。
政府・成田空港会社(NAA)は、これに加えて、市東さんの農地や、農業をやっていくのに欠かすことのできない作業小屋、育苗ハウスなども奪い取ろうとしている。それがこの3月27日に最終弁論を迎える「行政訴訟・農地法裁判」である。
裁判をめぐる重要な状況については、すでにくり返し訴えてきている通りであるが、予断を許さない状況だ。千葉地裁と国・NAA(成田空港会社)の農地強奪攻撃に対して、激しい抗議を叩きつけよう。
年間発着30万回化
こうした攻撃の激しさは、航空の自由化と競争のなかで、年間発着30万回化に成田空港の生き残りをかけているからだ。
成田空港はLCC(格安航空会社)導入によって、2012年に初めて年間発着20万回を記録した。第3誘導路供用で27万回(今年3月)、14年度には30万回まで空港容量を拡大するという。
羽田空港との一体的運用と空港容量の拡張で、激しい国際的な空港の生き残りをかけようというのだ(もちろん空港容量が30万回になったからといって、実際に30万回運用されるとは限らないが)。
30万回の発着は、2〜3分に1機の割合で次から次へと一日中、航空機が発着するという頻度だ。加えて、国とNAAは空港の運行時間の延長を画策している。運行時間の早朝深夜のそれぞれ1時間延長である。これは限りなく24時間空港化に近づくということ。
国とNAAのこの「離着陸制限緩和提案」に対し、周辺地域から拒否する動きが始まっている。これが実施できなければ、27万回化あるいは30万回化は「絵に描いた餅」になりかねない。説明会などを開催して、3月一杯を期限に、国は周辺自治体(成田市、芝山町など)に「受諾」を迫っている。
3・24三里塚全国闘争ー27農地法裁判闘争へ
市東さんの農地を守る闘い、また空港周辺住民のくらしを守るための闘い、いずれもがいのちと暮らしをかけて、一歩も退くことなく成田空港の30万回化・24時間化という「国策」に対峙し激突している。全力支援しよう。3・24全国総決起集会、3・27農地法裁判闘争を闘おう!
第3誘導路粉砕・市東さんの農地を守ろう! フクシマ連帯・原発再稼働許すな! 沖縄へのオスプレイ配備反対・基地撤去!
3・24三里塚全国集会
日時 3月24日(日) 正午
会場 千葉県成田市・天神峰 反対同盟員所有畑
主催 三里塚芝山連合空港反対同盟
パンフ紹介 『農地は私たちの命』
「市東さんの農地取り上げを拒もう」と、反対同盟からパンフレットが発行された。
「いま、成田で何が起きているのか?」「生活まるごと取り上げ・・・」「危険きわまりない欠陥空港」「福島―沖縄―三里塚」など、カラー12ページ。頒価100円。全国で配布、活用してほしい。問い合わせ・注文は、前進社関西支社まで。
〔連絡先は本紙1面題字横に記載〕
シネマ案内
『フタバから遠く離れて』
監督 舩橋淳/2012年 日本/96分 カラー
私は、「3・11」以降、ささやかながら反原発の取り組みに与してきた。もちろん、被災地・被災者のことが「わかっている」などとおこがましいことは微塵も考えたことはなかったが、この映画を観て、改めて「全くわかってなかった」ということを痛感させられた。
この映画は、役場も含め町まるごと埼玉県に避難した、福島県双葉町の人びとを追ったドキュメンタリーだ。福島第一原発は双葉町と大熊町にまたがっており、まさに原発直近に住んでいた人びとである。
カメラは、避難所の中や、避難所から出て新たな生活を始めた人に密着するのはもちろん、井戸川町長が副会長を務めていた全原協(全国原子力発電所所在市町村協議会)の会合、上京しての霞ヶ関デモ、そして井戸川町長へのインタビューと、さまざまな角度から、双葉町とその住民に迫っている。
帰る町を失った人びと
私が「全くわかっていなかった」と感じたのは、「帰る町を失った」人びとの存在、思いということだ。地震被害、津波被害、そして原発事故による放射能汚染で、本当に多くの人びとが今なお苦しい生活・非情な思いを強いられている。そのうえでなお、「被災者」とひとくくりにしてしまってはいけないであろう人びとの存在である。
震災の年の夏、「フタバを返せ!」と叫ぶ霞ヶ関デモに参加した方が、「『元の町に住みたい』って、無理な要求なのはわかっている」ともらしていた。みな、「もう戻れない」ことはわかっているのだ。
また、「一時立ち入り」のすさまじさ。長年生き暮らしてきた家に、わずか2時間、自由がままならない放射能防護のためのスーツで汗だくになりながら、一世帯2人まで。
井戸川町長が、原発誘致の歴史を語る中で、「昔は出稼ぎの町だったが、原発がきて、出稼ぎに行かずに地元で働くことができるようになった」と語っていた。映画で密着している家族も、原発作業員OBで、娘の連れ合いが原発作業員。また、妻を亡くした男性の息子も原発内で作業中に震災にあっている。
町長は、「原発誘致は失敗だった」と総括しつつ、「双葉町が消えてなくなることは、絶対に許せない」と語っていた。そして原発誘致は失敗だったが、それで東京は恩恵を受けてきたんだ、との語りが胸に響いた。
被災者の思い
私は、高槻市(大阪府)で企画された上映会で観たが、上映後、会場からの意見交換の中で、大阪に避難してきている女性が、たくさんの方が集まってくれたことへの感謝と同時に、被災者・避難者の思いをわかって欲しいと切に訴えていた。
これからも、各地で上映される機会があると思うので、ぜひ観てほしい。
また、岩波書店から、この映画の監督が書いた、同名の本が出ている。映画を観る機会がない方は、ぜひそちらを読んでいただきたい。(YH)
日本原電が破たんの危機日本原電が破たんの危機
原発専業の日本原子力発電は、現在発電量ゼロ。ところが、東電、関電など5電力が電気を買う契約を続け、電気が送られていないにもかかわらず、「基本料」と称し12年度上半期分として計760億円(年に1500億円)も払った。関電などは、この費用を原価に含めて電気料金を値上げするという。詐欺ではないか。
日本原電の敦賀2号機は、直下に活断層があると判断され、廃炉にするしかない。1号機も直近に活断層があり、運転40年を超えており廃炉は不可避。東海第2は地元の反対で再稼働の見通しはついていない。
同社は4月に借入金1040億円の返済期限が来るが、銀行からの融資が難しく、借金を返せなければ経営破綻する。9電力会社は債務保証などで約1200億円の支援に乗り出す。日本原電が破綻すれば、株主である各電力会社は大損失をこうむるからだ。
検討しただけで交付金
ガレキ受け入れ
「検討」しただけで莫大な交付金がもらえる!?という話を共同通信が報じている。
環境省は、震災ガレキ受け入れを促進するためと称して、実際は受け入れなくても「検討」しただけの自治体や施設組合など14団体に340億円を交付すると決定していた。たとえば大阪府堺市には81・2億円など。しかも、このなかには「検討」すらしてない団体が含まれていることも指摘され、環境省は神奈川県4団体への交付は取り消すと訂正。
「検討」しただけでお金をもらえるなんて、復興予算の横取り。がれき広域処理の正体が垣間見える話ではある。
6面
生活保護切り下げは正義か!?
子育て世代がねらいうちに
2月19日 院内集会
2月19日、衆院第一議員会館で開かれた「緊急院内集会・第2弾 生活保護の引き下げに正義はあるのか!?」に参加した。
主催は「STOP! 生活保護基準引き下げ」アクションである。
「障害者」の立ち上がりが鈍いが、今回、DPI(障害者インターナショナル)日本会議より参加があり、会長メッセージが読み上げられた。
2月1日に院内集会第1弾がひらかれ、本紙121号にも問題点が述べられている。今回の集会の大きなテーマは、生活保護基準額が下がることで影響を受ける制度について。これが38もある。
ひろがる子どもの格差と貧困
その中から就学援助についての特別報告を「就学援助から見た子どもの世界に広がる格差と貧困」と題して青砥恭さん(NPO法人さいたまユースサポートネット代表・明治大学講師)がおこなった。
青砥さんが代表を務めるサポートネットの学習教室に参加している子どもたちの現状は、次のようなものだ。
本人が知的・発達障害であった。
親が低学歴で学習体験が少なく子供に教育を受けさせる必要性を感じていなかった。
ひとり親が多くその8割は母子世帯であった。
親がうつ・精神疾患などを持っていた。
本人が低学力で学校で軽んじられ「いじめ」を受けていた、など様々な問題を抱えており、2割の子供たちが「不登校」となっているそうだ。
例を挙げて、一人一人がどんな境遇にあるかレジュメに書かれている。読めば涙があふれて辛いくらい、厳しい生活をしている子どもたちだ。
子どもたちの過酷な現状
母親は失踪、父とは離別し、心療内科に通う祖母に養育されている子。母親は金銭管理能力がない、姉も本人も不登校という子。母子世帯で母は精神疾患で自傷行為、家庭に絶望している子。
父親と死別、母親は中国人で日本語が話せず、自分は中国語が分からないので家庭での会話がない。いじめと差別で学校も教師もいやになり、他人と関係が作れない子。
父親の仕事が破たんし2年間学校に行けず、中2でアルファベットも難しい。学校に行けないが学習教室には来る子。
就学援助の引き下げに連動
また、生活保護が受けられない場合の例も。
18歳で7か月の子と2人暮し。父親とは会ったことがなく子どものころから生活保護。母親もほとんど学校体験がない。
今は母親に子どもを見てもらいビル清掃の仕事に。朝6時〜夜8時まで働いて多くて日当8千円。月20万の時もあるが月8万の時もある。
生保を受けている例。40代の母。パートで月13万。生保は不足分の7〜8万。姉は大学進学を志望していたが奨学金は「収入」と見なされ生保が切られるので断念。
40代母、ギャンブル依存。DVの夫と離婚。うつ病で働けなかった、子どもたちの部活の用具を買うにも苦労した。子どもたちも交通費を倹約するため自転車で通学。
埼玉県A市の2中学を調査したもの。就学援助・生活保護世帯の子供たちの進路は、職業高校、通信制、就職が多い。傷害・疾病者がいる世帯が56%に上る。
母子世帯の正規職の割合は、06年に比べてマイナス3・1%。非正規職は当然にも逆にプラス3・8%。
全国の小中学生の6人に1人、156万人が就学援助を受けている。就学援助対象品目・援助額は、生活保護制度の教育扶助費目を基礎に設計されている。
生活保護基準額が下がれば連動する。就学援助を受給できる世帯の収入基準も生活保護制度の最低生活費を基礎に決めている自治体が多い。
実際に就学援助を受けている人からの発言。子どもたちの服は近所のお下がり、ケーキはクリスマスなど特別な日、クリーニングは出さずに家で手洗い。旅行は10年間1度も行っていない。「修学旅行で行きなさい」と言っている。が、就学援助が打ち切られたらそれも行けなくなる。
「障害者」の自立が不可能に
他にも、生活保護で生計を立てているお母さん。JALを不当解雇された人。医療的ケアが必要な「障害者」などから発言があった。
生活保護の引き下げは、「障害者」の自立生活を不可能にする危険性がある。家族の管理下へ戻れ、という攻撃でもある。
この人たち、子どもたちの、どこに「余裕」や「ぜいたく」があるのか。政府は「少子化」「少子化」と叫ぶのなら、子育て世代をねらい撃ちする生活保護基準額削減を止めよ。(「障害者」G)
終わりなき追悼
東京で吉岡さんを偲ぶ会
吉岡さんがその立ち上げから参加した<経産省前テントひろば>の人びとが呼びかけて、故人を偲んだ |
2月27日、午後6時半開場の偲ぶ会は、職員によって解錠される前から、三々五々、文京区民センター玄関に、追悼の人びとが集まり出した。表の道路側には、一ダースほどの公安関係者がそれとなく待機している。
経産省前テントひろばのFさんは、その面前で撮影にいどんでいた。イザコザは起こらない。それぞれ玄関付近で、物思いにふけるように首うなだれ、開場を待つ人びと。
2階会議場は、立食形式のパーティ会場に、机、椅子など並べ替えられ、正面には、プロジェクターによる遺影、額入りの遺影は、テントにおかれ、偲ばれていたもの。
その周囲には、花、供物など。その左には、スチール写真が、20枚ほど。右側には、在りし日の吉岡氏のオキュパイテントでの所感、談話の動画(Oneness TV 金子譲氏編集)が、視聴できるようになっていた。
7時すぎて、司会の岩本愼三郎さんが、3分の黙祷を提起し、全員起立。60年代からの政治・社会活動家が8割近くを占め、若い人びとは主に、大阪市庁舎南面のオキュパイ・テントに結集した人びとといっていい。この日は東京各地で種々の集会が企画されており、少なくない現役の人びとが欠席のお詫びを寄せていた。結局、何十年もの昔からの人びとが、駆けつけてくれたことになる。のべ百人近くなっていた。招かれた実姉のご夫妻も、挨拶のしようがない風情だった。
故人は、大阪オキュパイテント闘争を、原発大事故現場の福島へ展開する途次に、64歳で倒れて、帰らぬ人となった。ほぼ二世代(子どもを産める20歳を1世代とすれば)革命をひたすら念じて活動してきた「同志」の死を、その年齢を超えた人びと、その周辺の人びとが凝視していたことになる。この現在、あの60年安保締結の岸首相の係累が、二期目の総理大臣に着任したばかり。青春からの争闘が、その結実をみない、この無念さが、吉岡さんの喪失を中心に、会場を支配していた。
しかし、弔辞を述べる人びとは、吉岡さんの、希望を失うことのない、ひたすら前向きな精神をひき継ぐ熱い思いに満たされていた。ことに、三里塚闘争への結集を呼びかける松原さんなどの言葉は、その敢闘精神が、乗り移ってきたかのようだった。さらに、同志 塩川さんの弔辞は、ほとんど実話、「歴史」に類するものだった。
呼びかけ人の一覧にて、弔辞の報告に替えさせていただく。
淵上太郎、江田忠雄、谷 園子、冨久亮輔、正清太一、大下敦史、平岡臣実、三上 治、島田悦司、福田良典、八木健彦(敬称略)
この他に、大阪オキュパイテントで、同じ釜の飯を喰った仲間が、続々、故人の遺志を継ぐ誓いの言葉を述べた。弔辞は、平等に3分スピーチとなった。(南方史郎)