未来・第121号


            未来第121号目次(2013年2月5日発行)

 1面 オスプレイ配備撤回を
     沖縄上京団が東京で連日行動      

     沖縄県民と連帯して闘おう
     大阪で安次富(あしとみ)さん招き連帯集会

     辺野古の埋め立て許さん
     小野寺防衛相来沖に抗議

 2面 被災地どうしのつながりを求めて
     1・14 阪神大震災18周年集会

     オキュパイ大飯弾圧 公判傍聴記
     第2回〜第5回公判

     「障害者」集会に1200人
     関西

 3面  たたかう人びとの新年メッセージ
     生きる権利、働く権利」かかげ闘う
     被災地雇用と生活要求者組合 代表 長谷川正夫さん

     私は弱い時にこそ強いからです
     大阪府立学校「君が代不起立」被処分者 奥野泰孝さん

     協同、団結、連帯する合同労組運動を
     関西合同労働組合 執行委員長 石田勝啓さん

     三里塚闘争 2〜3月が正念場
     2・18市東さん農地裁判、3・24現地闘争へ

 4面  論考
     IAEAと福島(第二回)
     請戸耕市

 5面  寄稿
     低所得者に負担増を強いる生活保護基準の引き下げ
     高見元博      

     狭山闘争
     検察は三大物証の開示を
     全国連が東京高検・東京高裁に要請

     「君が代」不起立処分撤回
     人事委員会闘争へ
     大阪

     「君が代」処分に抗議
     大阪府教委に署名提出

 6面  被ばく地・フクシマで出会った人びとU(2)
     再会、再々会、そしてはじめての出会い
     古河 潤一      

     書評
     潜入 閉鎖病棟 「安心・安全」監視社会の精神病棟
     柳田勝英 著 現代書館 1800円+税

       

オスプレイ配備撤回を
沖縄上京団が東京で連日行動

「オスプレイ配備撤回!普天間基地即時撤去!」日比谷に4000人(1月27日)

大臣らへの申し入れに向かう代表(1月28日)

1月27日、東京・日比谷野外音楽堂で「NO OSPREY東京集会」が開かれ、4000人が参加した。主催は「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」実行委員会。オスプレイの配備撤回と米軍普天間飛行場の閉鎖・返還、辺野古新基地建設阻止を沖縄―日本の人民が連帯して実現することを決意した。
集会後は銀座を約2キロにわたってデモ行進。集会とデモには沖縄から代理を含む38市町村長、41市町村議会議長、29県議が参加。実行委団体などを含めると計144人で、72年「返還」後最大の沖縄からの上京行動となった。

平成の沖縄一揆

翌28日、実行委員会は、オスプレイ配備撤回などを盛り込んだ「建白書」を安倍首相らに手渡し、外相、防衛相などと面会して、つもりに積もった米軍基地による被害や墜落事故の証言集を示し、戦後68年の思いの丈をぶつけた。オスプレイ低空飛行訓練によって90デシベルを超える騒音被害を受けている宜野座村城原区の住民が撮影したDVDを持参して、情理を尽くして訴えた。
しかし、この日も政府の姿勢は変わらず、メンバーは闘い続ける決意を新たにした。
県民大会事務局長の玉城義和県会議員は、このたたかいを「平成の沖縄一揆」と位置づけた。そして「私たちは精いっぱいの民意を表している。これから先のことは、日本政府、国民が答えを出すべきだ。戦後の民主主義が問われている」と総括した。

沖縄県民と連帯して闘おう 大阪で安次富(あしとみ)さん招き連帯集会

地元紙を掲げて熱弁ふるう安次富さん(1月27日 大阪市内)

沖縄からの上京団に連帯して、1月27日、大阪市内で「オスプレイ配備撤回! 普天間基地の閉鎖・撤去! 県内移設断念! 1・27関西集会」が以下7団体のよびかけで開かれ、100人余が集まった。沖縄意見広告運動、辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動、沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会、沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会、米軍犯罪被害者救援センター、しないさせない戦争協力関西ネットワーク、関西共同行動。
ヘリ基地反対協共同代表の安次富(あしとみ)浩さんは、地元の琉球新報や沖縄タイムスを広げて、28日の首相への建白書提出が大きく報道されている様子を紹介。建白書を携えた直訴行動が沖縄県民の大きな期待を背負っていると。一方、昨年9月オスプレイ配備反対県民大会が過去最大の10万1千人の規模で開かれたが、日米両政府は昨年10月MVオスプレイ12機を強行配備した。本土の意識の差を鋭く追及。アメリカ国内では低空飛行訓練が住民の反対にあって中止に追い込まれているのに沖縄には平気で配備、これが「沖縄差別」だと訴えた。

飛行訓練中止を

沖縄意見広告運動・関西事務所は、特別アピールで「日米地位協定の5条2項の基地間移動の拡大解釈では法に不備があり、法に裏打ちされたものではない。危険なオスプレイが超低空で本土7ルートを我が物顔で飛行訓練を始める。本土の我々に直接危険が及ぶ。2月19日岩国集会をかわきりに、オスプレイ低空飛行訓練ルートにあたるイエロールート(九州)ブラウンルート(中国)、オレンジルート(四国)各地を巡るキャラバン行動に山城博治さんを隊長に出発する。各地の議会・首長に反対決議を上げるよう申し入れ行動をしながら地元の集会を重ね、飛行訓練中止に追い込んでいこう」と訴えた。

辺野古の埋め立て許さん
小野寺防衛相来沖に抗議

小野寺防衛相来沖に抗議して県庁に詰めかけた人たち 那覇市内(1月16日)

1月16日、小野寺防衛相は安倍政権発足後はじめて沖縄を訪問し、仲井真知事が入院のため、上原、与世田両副知事と会談した。
小野寺は安倍首相の「辺野古移設強行」の意を受けて、沖縄県民の前に登場した。これに対し市民団体や労働組合など150人が、「小野寺来県反対」の抗議行動に立ち上がった。県庁前交差点では、山内徳信参院議員はじめ多くの人が怒りの発言をたたきつけた。
市民団体の代表は「安倍首相は、民主党が辺野古移設の混迷を招いたと言っているが、そもそもの混迷を招いたのは自民党ではないか。安倍首相は訪米を前にアメリカへの手土産として辺野古埋め立ての申請をしようとしている。絶対に許せない」と怒りを表明した。
ヘリ基地反対協の安次富共同代表は「自民党の政権復帰で辺野古移設への強硬姿勢が強まっている。これに対し私たちは、夏の参議院選挙で糸数慶子さんを勝利させ、来年の名護市長選では『海にも陸にも基地をつくらせない』と言っている稲嶺市長の二期めの勝利を勝ちとろう」と闘いの方向性を鮮明にさせた。
小野寺防衛相は午後1時半に県庁に入り40分後に出てきたが、県民の怒りを恐れ猛スピードで出入りした。「辺野古移設反対」「オスプレイ配備を撤回せよ」「小野寺帰れ」と怒りのシュプレヒコールが、たたきつけられた。

(集会要項)

さよなら原発 3・10関西2万人行動
大飯原発すぐ止めろ! 全ての原発を廃炉に

日時 2013年3月10日(日) 10:30〜
会場 大阪・中之島公園
主催 さよなら原発 3・10関西2万人行動実行委員会
連絡先 ストップ・ザ・もんじゅ Tel:072−843−1904
 Fax:072−843−6807 (ホームページ http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/)

◎水上ステージ

《若者・音楽広場》

10:30〜12:30 音楽 さよなら原発フェス
12:30〜13:10 3分アピール
13:10〜 女神像前集会へ参加

《ちびっこ広場》

13:10〜14:10 バイバイ原発レンジャー、じゃんけんゲーム、うたと手遊び、大型絵本・大型紙芝居

◎女神像エリア

前段 12:30〜13:15 3分アピール
集会 13:15〜14:10 ギターと歌 kayoさん、福島から 武藤類子さんなど

◎剣先公園エリア

前段 12:30〜13:45 3分アピール&音楽
集会 13:15〜14:30 ギターと歌 kayoさん、福島から 武藤類子さんなど

デモコース(予定)

★デモには鳴り物やプラカード横断幕などご持参ください。
・関電コース  出発14:10(所要45分)
・御堂筋コース 出発14:10(所要90分)
・西梅田コース 出発14:40(所要60分)

2面

被災地どうしのつながりを求めて
1・14 阪神大震災18周年集会

阪神淡路大震災から18年。写真は被災地の組合のみなさん(1月14日 神戸市内)

助け合い生きてきた阪神大震災被災者

1月14 日、「福島から見えてくるもの」阪神淡路大震災18周年集会が、神戸市長田区で120人が参加してひらかれた。
主催者あいさつで〈被災地雇用と生活要求者組合〉長谷川正夫代表は、孤独死や借り上げ住宅からの追出し問題など、震災から18年たっても未だに終わっていない阪神大震災被災地の現実をあげた。そして3・11から2年もたっていないのに、なかったことにしようとしている国や行政のあり方を糾弾した。長田区を中心とするケミカルシューズ産業が大震災によって一挙に壊滅し、まったく仕事がなくなり、仕事を自分たちで作ろうと企業組合を立ち上げた。阪神大震災で被災者の命を助けてくれた看護師さんの足を守ろうと、命のつながりとしてナースシューズの製造にこだわってきた。本当に苦しい日々の連続で、やめようと思ったこともある。しかし自分たちで作った企業組合を潰すわけにはいかないと、助け合い、励ましあいながら企業組合を17年やってこれた。
このように、「福島の人びとへの励まし」として長谷川さんは、思いを語った。

「福島」は日本だけの問題じゃない

粟原富夫・神戸市会議員と、全国金属機械港合同・中村吉政副委員長の連帯のあいさつにつづき、〈子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク〉椎名千恵子さんが講演。
椎名さんは、子どもたちへの不安に対して、立ち上げられたばかりの診療所のことを話した。
検査されながら、内容は隠されて、不安が膨らんでいく現状。セカンドオピニオンを否定する行政。その中でお母さんたちがつながっていこうとして診療所建設にたどり着いた。除染は「火をつける」のと同じ側が「消そう」とする行為。自分たちが声を上げなければ、福島事故はなかったことにされる。
「これから日本は、世界はどうなるのか」という問題なのに、その深刻さが伝えられていない。福島金曜行動を紹介しながら、市民がビラを取り見てくれている様子を語り、「県の動きや甲状腺への不安から、市民が自分から主体的に動く、そういう気配がでてきて希望を感じる」と語った。
3・11にむけて「怒りをきちっと表していかないとダメ」と訴え、「生き物は、もともとつながって私たちの命はあったのだ。そのつながりがバラバラにされた中で福島問題が起こっている。つながっていこう」と語りかけた。

椎名千恵子さん

神戸から見えてくるもの

福島から避難されている絵描きの渡辺智教(とものり)さんのお話の後、兵庫からの発言として、借り上げ住宅からの追い出し当該の人は「契約書には20年で出て行けとは書かれていないし、入居するときに言われてもいない。出て行くつもりはない。神戸から見えてくるものとして教訓としていただきたい」と話した。
昨年の、この集会で、中手聖一さんの話を聞いて立ち上がった宝塚保養キャンプ実行委員会は、原発被災地の子どもたちを守るために昨年に続いておこなう春休みキャンプへのカンパなどの協力を求めた。
さらに、西宮市芦原住宅追出し裁判、助け合って17年間生きぬいてきた企業組合、ミニディサービスと発言が続いた。
今年の阪神大震災被災地の集会は、翌15日の椎名さんらの企業組合工場見学や、椎名さんを囲む会をふくめて、被災地どうしがさらに強くつながるものになったと思う。(労働者通信員・H)

オキュパイ大飯弾圧 公判傍聴記
第2回〜第5回公判

第2回公判(1月10日)

福井地裁は相変わらず物々しい警備体制がとられていた。正門からぐるりとまわって、裏側の地下室入り口に到着し、持ち物検査が行われ、金属探知ゲートを通過した。
傍聴席に入り、しばらくすると裁判官が入ってきたが、傍聴者は誰一人立ち上がりもせず、もちろん敬礼もしない。被告Kさんが入廷し、拍手で迎えられた。
この時、気づいたのだが、Kさんの前に立派な机があるではないか。Kさんはおもむろに風呂敷包みを解き、書類を机上に並べ、着席した。前回は2人の傍聴人を退廷させた裁判長の取り計らいとしては、まあまあ柔軟な姿勢を感じさせた。
この日は、検察側が押収および任意提出させた「映像」を、証拠として認定するために5人(警察官A、B、C、D、E)の証人尋問がおこなわれた。
最初は警察官Aが証言台に立ち、Xさん宅の家宅捜索で、ネットにアップされた動画の元データ(パソコン、ハードデスク、SDカード)をいかにして押収したのかを証言した。
警察官Bは警備員が撮影したスマートホンの画像の収得(任意提出)状況、警察官Cは監視カメラの映像の収得(任意提出)状況、警察官Dはユーチューブ動画の解析状況を証言した。警察官Cは6・30事件後にこの事件捜査のために増援させられていた。反対尋問で、Kさんから「警備の失敗を尻ぬぐいするために増援されたのか」と聞かれ、傍聴席から笑い声があがった。
休憩を挟んで、最後の警察官EがXさん宅から押収したパソコンやハードディスク、SDカードの解析について証言した。警察官Eはこれまでに300台のパソコン、700台の携帯の解析をおこなってきた人物で、Xさん宅から押収したSDカードからネットにアップされた動画の元データを復元した経緯を証言した。
5人の証言で、映像が証拠として認定され、法廷で上映されることになった。しかし、「Xさん宅から押収した映像には被害者が映っている」という理由で、傍聴者が見ることができる大型スクリーンではなく、裁判官、検察官、被告・弁護団の前にあるモニターで上映することになった。傍聴席から映像は見えないが、音声はそのまま流されたので、6月30日の大飯原発正面ゲートの状況は手に取るように伝わってきた。「明日、大飯原発が再稼働されるので来てほしい」「命を守るために再稼働を止めねばならない」と、切々と訴えることばが胸を打った。

第3回公判(1月22日)

法廷を見渡すと、検察官の背後に黄色っぽい衝立があり、証言台が横を向いており、これまでの雰囲気と違って見えた。
傍聴予定者全員が入ってから、裁判長は被告人の入廷を指示し、Kさんが姿を見せた。Kさんは手錠をつけた手で、傍聴席の後部をさして、「警備課長だ」と叫んだ。
最初に、主任弁護士は検察官席の背後にある遮蔽物を撤去するよう要求した。裁判官は「裁量権の範囲内」「異議に理由がない」などと言って弁護団の要求を却下した(衝立は証人を弁護団、被告、傍聴人から見えなくするためにおかれていた)。
Kさんが発言を求め、衝立で証人を遮蔽することに異議を申し立てた。「三回目の裁判で、突然衝立で証人を隠すのはルール違反だ。野球で言えば、3回目にルールを変えるようなものだ。不平等なジャッジだ。」
裁判官はKさんの異議を却下したが、それでもKさんは食い下がる。ついに、Kさんは「弁護人を解任する」と発言。
弁護団は書類を片付け始めたが、裁判官は「弁護人解任の効力は発効しない」と告げ、遮蔽物の撤去を求め続けるKさんに、「審議の妨げになる」として退廷を命じた。傍聴席から抗議の声が上がったが、これも「傍聴席からの発言があれば退廷させる」と暴力的な訴訟指揮で、被告人の反対尋問の権利を封じたまま裁判が始まった。異常な裁判だ。
この日は、「被害者」Aなど4人の証人尋問がおこなわれた。

第4回公判(1月24日)

1時15分にKさんは元気な姿を見せた。22日にKさんによって弁護人が解任されたので、最初に再任手続きがおこなわれた。
この日は、警備会社の社員など3人の証人尋問がおこなわれた。

第5回公判(1月28日)

法廷には、今日も証人を遮蔽するための衝立がある。
Kさんが法廷に現れるや、手錠の解錠も待ちきれないように、裁判官に向かって、弁護人を解任した旨を告げる。裁判長は全く取り合わず、証人の入廷を促した。Kさんが抗議したが、裁判長は「(解任届が)届いていない」と突き放すように告げる。Kさんは「金曜日の夕方、解任したじゃないですか」「弁護士は帰ってくれ」と叫ぶ。
Kさんは(こんな裁判に出ていられないと)荷物をまとめて退廷しようとする。廷吏はKさんの行動を阻止しようとしたが、裁判長は廷吏に「被告人を退廷させなさい」と命じる。Kさんは廷吏に押さえ込まれ、手錠をかけられ、「欠席裁判をやるなら、やれ」と叫びながら、引きづられて法廷外に連れ出された。
弁護人から、「解任の意思表示があった」と告げるも、裁判長は「期日開廷後の解任は発効しない」と通告し、被告人抜きの証人尋問が始まった。この日は、兵庫県警警備部機動隊員・井上など5人の証人尋問がおこなわれた。

「障害者」集会に1200人
関西

1月10日、京都でおこなわれた〈「障害者総合支援法骨格提言」の完全実施と「障害者差別禁止法」の制定を求める全関西集会〉に1200人が集まった。全関西の広範な陣形だ。
「内閣府障がい者制度改革担当室」室長の東(ひがし)俊裕さんが講演。「骨格提言」は、医療モデルから社会モデルへの転換を提起している。日本は医療モデルがまだまだ根強い中で社会モデルに転換することの重要性を訴えた。〔機能的にできないことを「障害」と捉えるのが医学モデルで、訓練することが解決策となる。しかし訓練では獲得できないものもあり、それは自己責任とされる。社会モデルは「障害」の実体を「不自由を補完する社会の助けがないこと」と捉える。その解決は社会の側が有形無形のバリアを除くことだ〕
また東さんは「障害者権利条約」の批准のためには「障害者差別禁止法」の制定が不可欠だとし、「社会が『障害者』を同じ社会の仲間だと見るか、同情(憐れみ)の対象とするかだ」と述べた。
後半は5人の方が発言。印象に残ったのはコーディネーターの楠敏雄さんが生活保護の問題を、「障害者」にとって重要な問題と提起したことだ。楠さんは、そもそも生活保護でいいのか、所得保障は別建てで考えるべきではとも指摘した。
集会後、京都駅前までデモした。1200人も集まったのは、「障害者」の危機感の表れだ。(N)

3面

たたかう人びとの新年メッセージ

「生きる権利、働く権利」かかげ闘う
被災地雇用と生活要求者組合 代表 長谷川正夫さん

長谷川さん


阪神大震災から18年にわたる、全国の皆さまの物心両面にわたるご支援にお礼申し上げます。
いまは、私たちが望む社会とはほど遠いと感じます。3年前の「政権交代に期待した」沖縄・普天間基地の県外移設、「障害者」自立支援法見直しなどすべてが裏切られ、その上に消費税の大幅アップです。
今回の選挙で自民党、日本維新の会などが多数を占め、「いっそう右寄り」政権が登場しました。差別と排外主義を煽り、憲法改悪、「国防軍」構想、TPP締結策動、生活保護をはじめ社会保障の切り捨てをおこなおうとしています。私たちの生活をいっそう苦しめ、さらには再び戦争への道に連れていこうというのでしょうか。私たちは、中国、韓国・北朝鮮、アジアの人びとと連帯し、これらの右傾化攻撃と闘わなければなりません。
阪神大震災被災地の私たちは1月14日、地元・長田に福島から椎名千恵子さんをむかえ「震災18周年集会」を開きました。毎年、この集会を続けていることの大切さは、「決して諦めずに闘い続ける」「生きる権利、働く権利は、闘わなければ勝ち取れない」ことを訴え、お互いが手を結ぶことにあります。
椎名さんは福島のみなさんの苦闘を語り、手を携えたいと。18年後のいまも「借り上げ復興住宅」からの追い出し、20年30年を経てあらわれるアスベスト被害、さびれる商店街、失業と反失業の闘いを確かめ合い、苦労を分かち合い、明日への闘いをつくることができました。そのことが、東北、福島の皆さんへの励ましになれば、という思いでいっぱいです。今年の3・11を「黙祷と闘い」への、さらなる決起の日にしていきましょう。
フクシマ・沖縄・三里塚の闘いは、国家権力との闘いそのものです。私たちは「反失業・反資本、反原発、反権力」を闘い続けます。
労働者、市民の団結と連帯に勝利の鍵があります。これまで以上のガンバリで、今年1年を闘いましょう。

私は弱い時にこそ強いからです
大阪府立学校「君が代不起立」被処分者 奥野泰孝さん

奥野さん

2012年3月、卒業式国歌斉唱時の不起立で戒告処分を受けた。
教育の問題は、未来の大人のために、大人自身が自己に責任を負い考えるべきだと思う。
キリスト者である事、教育の仕事、障がいを持つ子どもたちとの交流、
美術教員としての表現への興味、これらが生活に手ごたえを与えてくれる。日々悩み苦闘しているが、弱くちっぽけな私を愛してくれる神の存在がうれしい。
若い時、同和教育推進校(府立高校)で人権を学び、生徒たちに「おかしいことはおかしいと一人でも言っていこう」と言ってきた。教会学校では青年に「偶像崇拝が信仰をゆがめる」と語ってきた。「天皇制は間違っている」と伝えてきた。そのことに更に積極的になったのは、日教組が、「日の丸・君が代」に対する運動方針を転換した頃。1995年1月、阪神淡路大震災を芦屋で体験し、多くの隣人が亡くなる中で私は、「生かされている。いつ死んでもおかしくない。だから、明日を思い煩うより今日を悔いなく生きたい。」と強く思うようになったからだ。
「大日本帝国憲法」下、「偶像崇拝」強要に反対して迫害を受けたキリスト者がいた。また、国家権力に屈服するキリスト教指導者が、朝鮮のキリスト者に「日本国民なら宮城遥拝しなさい、神社参拝しなさい。国家神道は宗教じゃない。日本国民として当然。抵抗して無駄な殉教はしないように。」と指示したと知った時、私はキリスト者として恥ずかしく思った。だから、神の愛で動く。愛とは自分が不利益を受けても、その対象を本来の場所(状態)に移してやることだと思う。「このままじゃもったいない」という思いだ。
「踏み絵」ではない。不起立で殺されることはない。起立するなら、処分を受けなくても私は「神の前に死んだ者」。処分を受けても「神の前に生き続ける」方が価値のあることだと思う。私は自分の弱さを感じる。しかし、私にできる闘いがある。キリスト者は地の塩となり、また炭鉱のカナリアとなり、自身の身を持って、世に問うことが出来る。〔「私は弱い時にこそ強いからです」(コリント人への第2の手紙12章10節より)〕

協同、団結、連帯する合同労組運動を
関西合同労働組合 執行委員長 石田勝啓さん

石田委員長

昨年は、非正規雇用の組織化、運輸労働者の組織化と産別労働運動への挑戦、闘う労働運動のネットワーク、社会運動との連携などに力を入れてきました。
有期雇用法制が成立するなかで、「雇い止め」や配転の相談が多く寄せられ、団体交渉で撤回を実現したり、労働委員会への斡旋にも取り組みました。トラック運転手の人が心筋硬塞で倒れ、その上に下宿から追いだされ、生活保護をとらねばならないケースなど、有期雇用をはじめとする過酷労働の実態との格闘の連続でした。
争議中の中島商運が偽装解散し、2月1日の全面勝利判決を武器に、労働債権の確保にむけて分会の仲間が全力で闘っています。JR西日本職場でのセクハラと闘うSさんに対して、姫路労基署が労災を却下。一方でSさん支援の輪(支える会)は、大きく広がっています。
多くの人たちと協同し福島の子どもたちの保養キャンプにも取り組んでいます。メーデーをはじめ関生・港合同・全港湾(大阪支部)等との共同闘争、反原発・沖縄(オスプレイ)・三里塚・狭山等、市民団体・社会運動との連帯は、1・14被災地集会での反原発運動の仲間と結びつき、新たな出会いを生み出しています。
首相官邸・国会前に20万の直接行動に立ち上がった人々と闘う労働運動が結びつくことは、第一級の課題であることが見えてきました。
非正規雇用労働者の組織化は04年3・3%から09年5・3%へと倍増しており、ユニオン・合同労組の活動領域はますます拡がっています。
安倍政権は、有権者のたった16%の投票で8割の議席をとるという、脆弱な基盤での政権発足です。しかし「30年代原発ゼロ」方針の白紙撤回、国防軍の創設(憲法改悪)やアベノミクスを打ち出し、新自由主義の巻き返しをねらっています。
私たちユニオンも悪戦苦闘していますが、関西合同労組の持ち味をいかし、2013年、経団連・経労委報告と真っ向から闘う春闘をスタートさせ、全力で闘っていかねばならないと、決意を新たにしています。

三里塚闘争 2〜3月が正念場
2・18市東さん農地裁判、3・24現地闘争へ

「市東さんの農地を守ろう」決意新たに関実旗開き(1月27日 大阪市内)

市東さんの農地強奪をめぐる裁判が緊迫した状況をむかえた。農地法・行政訴訟が2月の2人の証言(2月4日、萩原進さんの証言。18日市東さん本人証言)、3月末の最終弁論で結審が強行されようとしている。
この情勢の中で、1月27日、三里塚決戦勝利関西実行委員会の旗開きがおこなわれた。三里塚現地から反対同盟・萩原富夫さんをむかえ、闘いの決意とアピールを受けた。関西、関実は、決戦攻防をともに闘いぬく決意を確認した。
市東さんの耕作地は、政府・成田空港会社(NAA)が「B滑走路をフル活用する」ために不可欠な誘導路の前に立ちはだかっている。政府・NAAにとって、まさに「目の上のたんこぶ」だ。
一方、政府・NAAは、成田空港の自由化(航空機乗り入れの自由化)を掲げ、LCC(格安航空会社)導入をテコに、成田空港の生き残りをかけた年間発着30万回化(2014年)を強行しようとしている。
NAAは、3月末としていた第3誘導路の供用開始を3月7日に前倒しすると宣言。成田空港の30万回化と24時間使用に舵を切った。
30万回化とは、早朝6時〜深夜11時の発着と単純平均して1時間に48機、2本の滑走路を活用するとして、ほぼ2分半に1機の割での発着となる。こうした状況を自らの身に引き寄せて考えてみてほしい。空港周辺地域はもちろん、80デシベルを超える爆音地獄(ガード下、都心交差点の轟音)に叩き込まれる。市東さんはじめ、「空港予定地内」の農家にとっては、身も心もボロボロにされる騒音地獄となる。暮らしも農業も立ち行かなくしてしまえ、というのである。さらにNAAは、農民にとって「いのち」そのものである農地を強奪しようとする。農民が農民として生きようとすることを全否定することだ。
市東孝雄さんは一人の農民として反対同盟として、この理不尽きわまる攻撃に仁王立ちして闘っている。闘うことなしに、この地にとどまり生きることができない。その攻防の最大の山場が、2〜3月、裁判闘争、現地全国闘争として闘われる。
2月18日、市東さん本人が証人として、政府・NAA、千葉県(農業会議)による農地取り上げの不法不当を全面的に明らかにする。傍聴と裁判所を包囲する闘いの輪で、裁判所の不当きわまりない訴訟指揮をはね返そう〔要項6面〕。
3月17日(日)には三里塚から市東孝雄さん、沖縄から金城実さんをむかえ関西三里塚集会(関実・反対同盟の共催)が開催される。〔賛同お願い:1口500円。郵便振替00980―1―63353/三里塚決戦勝利関西実行委員会〕
市東さんの闘いと決意をともにし、3月24日「三里塚現地全国闘争」に結集しよう。関西からはバスが運行される。

【パンフレット紹介】

反対同盟は、この決戦攻防を全国に訴えるため、パンフレットを発行した。市東さんの農地をめぐる裁判や三里塚闘争の歴史と現在などを、わかりやすく紹介している。活用してほしい。頒価1部100円。

4面

論考
IAEAと福島(第二回)
請戸耕市

12月15日から17日、福島県郡山市において、「原子力安全に関する福島閣僚会議」(以下、IAEA福島会議)が開催された。
本論考では、IAEAが福島で何をしようとしているのか、福島県は何を考えているのか、諸資料をもとに検討したい。

〔目次〕

T.IAEAが福島に拠点
U.原発再稼働とIAEA安全基準
V.除染ミッションの指摘
W.低線量被ばくとロシャール
X.IAEAが健康調査を支援
Y.改めてIAEAとは
Z.IAEAと福島県当局

(以下、本文)

原発再稼働とIAEA安全基準(承前)

(3)放射能過小評価の安全基準

日本は、IAEAのお墨付きを得て、ひとまず再稼働は果たしたものの、実は日本の原発の規制や安全の基準が、IAEAの基準とはかなり違うということが問題になり、これから、IAEA基準に沿った改変をどんどん迫られていく。それが、規制機関、避難基準、汚染対策などだ。
個別には以下に見ていくが、IAEAの基準の特徴は次の2点。
(1) 事故については、〈事故は起こる〉という想定で基準や対策を組み立てている。しかも事故以外にも〈原発が攻撃を受ける〉という想定に立っている。それは、IAEAがそもそも核戦争体制の一環としてあるからであり、アメリカが、常時、中東や東アジアにおいて戦争状態にあるからである。
(2) しかし、放射能にたいして、極めて過小評価している。より正確にいえば、健康被害による損失と政治的経済的な利益とを天秤にかけて、損失より、利益が上回れば、被ばくを許容するという考え方だ。

(4)7日間で100ミリシーベルト

2011年7月から、「原子力災害対策指針」〔※11〕の検討がおこなわれ、原子安全委員会から原子力規制委員会に引き継がれて、田中俊一の下で、2012年10月に公表された。
「国際基準や福島原発事故の教訓等に踏まえて」としている。とくに、原発事故が発生し避難をする基準について、避難基準を意味するOIL(運用介入レベル)というIAEA安全基準の用語をそのまま採用している。そして、具体的な数値は「検討」しているが、「指針」と一緒に示された「放射能拡散予測計算」では、IAEAの基準である「7日間で100ミリシーベルト」を採用している。事実上、これが新基準ということだ。

IAEAの避難基準

では実際、IAEAの避難基準はどうなっているのか。IAEA安全基準文書を見てみよう。〔※12〕
確定的影響と確率的影響の大きく二つの判断基準を示しているが、とくに「確率的影響リスクを容認レベルまで低減する」判断基準が問題だ。
「7日間で100ミリシーベルト」が避難などの基準。しかも、胎児についても同じ。一時的移住や除染も「年間で100ミリシーベルト」が基準。
作業員については、500ミリシーベルトあるいはそれ以上も、となっている。

基準以下で避難は有害

さらに、これらの基準に関して、次のような考え方が示されている。
「長期的な健康プログラムに、非常に低い線量(100ミリシーベルト以下)で被ばくした人を含めることは、不必要な不安を生じさせる可能性がある。さらに公衆の健康維持の観点から見て費用対効果性がない」
「確率的影響(がんや遺伝的影響が含まれる)は線量がどれほど少量であっても発生リスクが存在すると想定されるので、緊急時に関連するリスクをゼロ近くに削減することは非現実的であり、有害な面が多くなるだろう」〔※13〕
つまり、基準以下なのに避難を求めたりするのは、「有害」であると。100ミリシーベルト浴びるまでは避難させないということだ。あるいは、一時的移住と除染がセットになっていることから想像がつくように、除染で年間100ミリシーベルトになったら、元に戻れということが含意されている。 これが、IAEAの基準だ。
そして、田中俊一は、「事故の教訓」として、「この基準に則った原子力防災指針ができました」という報告をIAEA福島会議でやろうとしたのである。

除染ミッションの指摘

(1)「過剰に安全側に立った考え方」

IAEAは、2011年10月に「除染に関するミッション」を派遣、国にたいして、「助言」という表現で、日本政府に対して注文を付けている。その「最終報告書・要旨」〔※14〕によれば次のように言っている。
「日本の当局は、被ばく量の低減に効果的に寄与し得ない、過剰に安全側に立った考え方を回避することが奨励される。この目標は、現状において『正当化の原則』および『最適化の原則』の現実的な実施を通して達成することができる。より多くの放射線防護専門家(及び規制機関)を、政策決定者を補佐する組織的な構造において関与させることが、この目的の達成にとって有益かもしれない。IAEAは、新しい、適切な基準の検討に当たって、日本を支援する用意がある」
これは「助言」という表現だが、強い危惧が示されている。政府・原子力災害対策本部の「推定年間被ばく線量が20ミリシーベルトを下回る地域においても・・・除染を実施し、推定年間被ばく線量が1ミリシーベルトに近づくことを目指します」〔※15〕にたいして、「過剰に安全の側に立った考え方」だと批判している。つまり〈基準は、1ミリシーベルトではなく、20ミリシーベルトで十分だ。それ以下にするというのはやり過ぎだ〉と言っているのである。そして、〈ICRPの原則に従うように〉と促している。端的に言えば、〈費用対利益という損得勘定で考えろ〉ということだ。
「正当化」「最適化」をここで説明しておこう。

「正当化」とは

「正当化」とは、被ばく作業をおこなうにあたって、被ばくという被害に伴う損失と、作業によって得られる利益とを比較して、利益が上回らなければならないという考え方。これについてICRPは、例として、放射線治療を施す場合、患者にとって被ばくのリスクと治療効果の利益という対照を挙げる。
しかし、ICRPが想定しているのは、作業者や被害者ではなく、国や原子力産業にとっての損失・利益だという点に注意をする必要がある。この場合、健康被害が出たときに生じる治療や補償の費用問題が損失であり、国や原子力産業のおこなう事業の進捗が利益になる。そして、被ばくによって健康被害が起こったと認める被ばく量の基準を高くしておけば、利益の方が上回ることになる。また利益が大きければどんどん浴びても構わないということも出てくる。

「最適化」とは

また「最適化」とは、とくに低線量被ばくの領域の問題についての考え方。
ICRPも、放射線被ばくと健康被害に関して「しきい値」はない、つまり、どんなに低線量の被ばくでも健康被害はあるということを認めている。しかし、被ばく線量をより小さくしようとすると、より大きな費用が必要になるので、得られる利益に対して、それに見合わない費用がかかる場合がある。そこで、どこかで線を引く必要があるというのが「最適化」。
これも被ばくし健康被害を受け、それに苦しむ者を主体に考えたら、どんなに費用をかけても防護策を取るべきと考えるだろう。しかし、国や原子力産業を主体に考えると、一定の割合で健康被害がでるには違いないが、防護策にかけられる費用には限度がある。あるいは、健康被害が出るにしても、それが社会問題にならないで済めば、防護策にかける費用は抑えることができる、ということになる。
助言の言う「過度に安全」とは、〈健康被害がない〉という意味ではなく、費用対利益の観点で、〈ある程度の健康被害は出るが無視してよい〉という意味になる。

(2)「修復」は10ミリ基準

ところで、IAEAは除染についてどういう考え方なのか。IAEAだけでなく、原子力用語としての除染は、原子炉に関連する機器や配管、衣服・身体や車両など、ごく限られた部分について施されるもの。核実験や原子力施設の事故によって広範囲に汚染した場合、除染などできない。
だから、IAEAでは、広範囲の汚染にたいする対策を「修復」と言っている。具体的には、被ばく線源の除去・削減、長期的防護活動、食品や飼料の制限、立ち入りや土地利用の制限と、広義に使っている。
そして、IAEA安全基準文書では次のような注意書きをつけている。
「『修復』とはすべての放射能を取り除いたり、放射性物質をすっかり取り除いたりすることを意味するものではない。最適化過程により大きく修復ができるかもしれないが、必ずしも以前の状態まで回復するわけではない」〔※16〕
その限りは正直だ。
しかし、その文書で、参考レベルとして示している基準は、年間10ミリシーベルト。それ以下では、〈修復は正当化されないとし、制限なしの解放の基準である〉としている。つまり〈費用対利益からして、年間10ミリシーベルト以下は、何もせず放っておいていい〉というのだ。
また、修復の責任は、汚染の原因者ではなく、汚染した地域の所有者または管理者になっている。
さらに、修復の費用は、原因者が負担すべきだが、その費用が、原因者の通常の経済活動に比べて「不釣り合いに高いかもしれないということを理解」して、産業界、地域社会、政府などが負担するだろうというのだ。 こうしてみたとき、日本政府は、さしあたり除染を続ける以外ないが、除染の成果が上がらないことを突きつけられていく中で、「年10ミリシーベルト以下は除染しない」というIAEAの「修復」基準の方向に沿って転換していくことだろう。また、福島県当局は、IAEAに除染の指導を期待しているようだが、それは、次のW章で見るように「放射能との共存」という方向に促されていくことになるのだ。 (つづく)

【参照引用注】

〔※11〕原子力規制委員会HP
〔※12※13〕原子力安全基盤機構HP IAEA安全基準邦訳「原子力又は放射線の緊急事態への準備と対応に用いる判断基準」全般的安全指針
〔※14〕内閣官房HP「原発事故の収束及び再発防止に向けてIAEA除染国際ミッションによる最終報告書(要旨仮訳)」
〔※15〕首相官邸HP 第19回原子力災害対策本部 配布資料
〔※16〕原子力安全基盤機構HP IAEA安全基準邦訳「過去の活動および事故で汚染された地域の修復」安全要件

【注】

IAEA 国際原子力機関(International Atomic Energy Agency)

ICRP 国際放射線防護委員会(International Commission on Radiological Protection)

5面

寄稿
低所得者に負担増を強いる生活保護基準の引き下げ
高見元博

安倍政権は1月29日、生活保護の大幅な引き下げを閣議決定した。今年8月以降実質1年8カ月で、生活扶助基準額を670億円(6・5%)下げ、期末一時扶助金を70億円カットし、総額で740億円(7・3%)減額するというものだ。同時に医療扶助などを450億円削減。働いている受給者に認められている必要経費を110億円減額する。受給者の96%が減額され、最大で10%の減額がおこなわれる。とくに子育て世帯が大きな減額となる。

低所得者層に打撃

だが問題はそれに留まらない。生活保護水準を基準としている低所得者への減免制度に影響が及ぶ。住民税の非課税世帯は約3100万人いる。生活保護費と連動して最低ラインが下げられ課税対象となる世帯が増える。また介護保険料や、医療費の自己負担上限、障害者総合支援法の自己負担などが生活保護費と連動しており、自己負担が増える。また最低賃金も連動して下げられるので、労働者の賃金相場にも影響が出ると考えられる。211万人の生活保護受給者にとっての大問題であるだけでなく、他人事と見過ごしていたらとんでもない目に合うのだ。
この引き下げに先立ち、社会保障審議会生活保護基準部会が報告を出したことをマスコミは大きく報じた。世帯によっては比較した低所得者より2万6千円収入が多いなどと大々的に報じられ、それが引き下げの理由であるかのように論じられた。それは真っ赤な嘘だ。まず比較対象の低所得者には「健康で文化的な最低限の生活の保障」である生活保護費よりも所得の少ない人が、厚労省が認めただけでも35%含まれる。実際には、生活保護費より少ない所得の人が800万人いる。その現実を何とかすべきなのであって、その水準より生活保護費を下げろという議論自体がおかしいのだ。

「デフレ」のペテン

この議論からは全体で約90億円下げるというのが結論になるはずだった。民主党政権の時に厚労官僚はそう描いていたようだった。しかしそれだけでは自民党の選挙公約である10%引き下げに届かない。そこで厚労官僚が思いついたのが、デフレで消費者物価が下がっているというストーリーだ。580億円はデフレ分だというのだ。政府は5・6%も物価が下がっているという。この数字にはカラクリがある。比較対象となっている2008年は原油価格上昇で飛びぬけて物価の高かった年だ。また家具・家電製品が大幅に値下がりしているのはたしかだが、家具・家電を買う機会が少ない低所得者層は値下がりの恩恵を受けてはいない。それでも下がっている分の5・6%を負担せよというのだ。

貧困問題の解決を

生活保護受給者は211万人おり決して小さな問題ではない。生活保護受給者だけの問題ではない。3100万人の非課税世帯の多くが手取り収入を減らされるのだ。安倍は「強い経済」という言葉を躍らせることで参議院選を乗り切ろうとしている。その中身が低所得者に負担増を強いることなのだ。インフレになり、消費税が増税されればより影響は大きい。低すぎる最低賃金を大幅に上げ、非正規雇用という働かせ方を解消することから始めなければ貧困問題は解決しない。貧困問題をより深刻にする安倍政権や維新の会に任せておいてはならない。

狭山闘争
検察は三大物証の開示を
全国連が東京高検・東京高裁に要請

1月23日、東京高検・東京高裁に対して、部落解放同盟全国連の狭山要請行動がおこなわれた。
村上副委員長と全国連から、今回の要請行動の意義について提起があった。石川一雄さんは74歳、今年は不当逮捕から50年を迎える。石川さんは、新年アピールで「弁護団の話によると、今月予定される第12回の三者協議を受けて、3月頃には補充書、鑑定書が出された後は、いつ裁判所が結論を出してくるかという切迫した状況になります」と訴えている。石川さんの怒り、悔しさを思うとき今年こそ再審と無実を勝ちとる。今日は三者協議を前にした決定的な日。昨年暮、安倍自公政権が成立し、検察・司法も反動化する怖れがあるがなんとしても勝利したい。細かい問題はあるが気迫で再審をせまる。そのために三大物証をはじめとした証拠開示をかちとろう。
東京高裁・小川正持裁判長への要請行動は、福岡、山口、関西、茨城、長野などの全国連の支部、共闘の労働者など11団体、20人を上回る仲間が要請書を読み上げた。小川裁判長に対して、「冤罪をつくりだす責任は、証拠を隠し、ねつ造する検察にある。同時に、証拠に耳を傾けない裁判所にも責任がある」とした上で、証拠開示命令を出せ、そのもとで事実調べをおこなえ、部落差別による冤罪は許さない、と強く訴えた。
東京高検への要請行動は、担当検察官を前にして、村上副委員長が中心となっておこなわれた。筆跡、三大物証(時計、カバン、万年筆)等の証拠を、なぜ開示しないのか。雑木林でのルミノール検査報告書などの重要な証拠が「見当たらない」ということについて、前任者から引き継いでいるのか、どう対処するのかという質問に対して担当検察官は「この場は聞くだけだから」「それは三者協議で」等々をくりかえした。要請団から「職務怠慢だ」「検察もあやまちを犯してきた」「その体質が冤罪を生んでいるんだ」「東電OL事件などの冤罪に対して反省がない」「無責任だ」という追及がおこなわれた。
最後に、全国連から狭山要請行動の重要性が増している、くり返しおこなっていくことが訴えられ、全体で確認した。狭山闘争の勝利へ共に闘っていこう。(労働者通信員 T)

「君が代」不起立処分撤回
人事委員会闘争へ
大阪

(1月19日 大阪市内)主催者公式記録より

1月19日、〈「君が代」不起立処分撤回! 人事委不服申立者を支援する集い〉が大阪市内でひらかれ、120人が参加した。
昨年、大阪府下では、卒業式・入学式の「君が代」斉唱時に不起立をしたことを理由に37人が処分されている。8人が人事委員会闘争に踏み切ったが、そのうちの7人が〈グループZAZA〉を結成し闘っている。7人の処分内容は「戒告・再任用更新拒否」1人、「戒告・再任用取り消し」1人、戒告5人。
この日の集会は、この〈グループZAZA〉と「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪が主催し、当該7人の各支援グループが協賛して開かれた。
開会あいさつを「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪の事務局代表・黒田伊彦(よしひろ)さんがおこない、このかんの経過を同事務局が報告、「公開審理はまだ始まっていない。3〜4月頃から始まる」との見通しを語った。
弁護団の冠木弁護士は「19人の弁護団を結成した。最高裁は『君が代』斉唱時に起立するのは思想信条の自由を(直接には)侵害しておらず、単なる儀式にすぎないというごまかしの論法で合理化している。こうしたごまかしを許さない弁護活動をやっていきたい」と語った。

良心に反する法律には従わない

つづいて、被処分当該の7人が、それぞれの思いを語った。「勤務実績が良好でないと言われたが、具体的に聞くと答えられなかった。」「新入生の担任だったのに、入学式からはずされた。」「自分の良心に反する法律には従わない。そういうなかで法律も変わっていく。」
休憩の後、都立特別支援学校教員の田中聡史さんが発言。田中さんは、2011年4月入学式、2012年3月卒業式、4月入学式で不起立し、3回とも戒告処分をうけた。「不起立せずに命令どおりに立っていた時期もありました。『処分されて大変ですね』と言われますが、気持ちとしては命令に従って立っていた時期より今のほうがずっと解放されている」と語り、また、「再発防止研修」という名で、都教委が繰り返しおこなう思想転向強要を厳しく批判した。
質疑応答につづき、7人の被処分当該を支援するグループがそれぞれアピールをおこなった。さらに、入れ墨調査を拒否して処分された大阪市職員、東京と愛知からの連帯発言があった。
まとめの提起では、2月府教委交渉、大阪市教委交渉、「私たちは黙らない! 2・11全国集会」への結集がよびかけられた。

「君が代」処分に抗議
大阪府教委に署名提出

府教委前で抗議(1月18日 大阪市内)

昨年春の卒業式・入学式において、「君が代」不起立を理由におこなわれた処分の撤回を求め、大阪府教委に対して〈「君が代」不起立処分および再任用取り消しの撤回〉を求める署名の提出行動が、1月18日おこなわれた。主催は、「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪。
手交に先立ち、4時半から府教委が入った府庁別館前で抗議集会がおこなわれた。「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪・黒田伊彦代表があいさつ。日本キリスト教団の牧師は、憲法20条「信教の自由」の大切さを訴えた。東京から駆けつけた永井さん、青木さんが、「東京の〈10・23通達〉から今年で10年になる。教育の政治支配を許さない全国的闘いを」と訴えた。大阪市入れ墨調査を拒否して処分された当該からも決意表明があった。

4378筆を提出

午後5時、府庁別館玄関前で、〈「君が代」不起立教職員への戒告処分および再任用取り消しの撤回を求める要請署名〉を府教育委員会委員長・蔭山英男あてに提出した。黒田代表が、戒告処分・再任用取り消し処分に対して強く抗議し、その取り消しを求める要請文を読み上げ、被処分者から分厚い4378筆の署名を手交。
続いて、〈奥野さんを支援する叫ぶ石の会〉、〈君が代強制反対キリスト者の集い大阪実行委員会〉、〈戦争と「日の丸・君が代」に反対する労働者連絡会・豊中・北摂〉が抗議・申し入れ書を読み上げて手交した。
最後に、被処分者3人が「思想信条の自由を土足で踏み荒らす攻撃を許さず守っていく闘いに頑張る」などの決意表明。
全員で府教委にむけシュプレヒコールをあげて終了した。

5面

被ばく地・フクシマで出会った人びとU(2)
再会、再々会、そしてはじめての出会い
古河 潤一

1月22日、東大阪市の小学校で野菜と支援物資を積む。段ボール箱9個、野菜は校庭のはしを畑にして、全校生徒100人余りと先生が育てたもの。「野菜をフクシマに届けたい」と、全校生徒がメッセージを書いた。4年生が私たちのバントラックに野菜を積みこむ。皆が口々に叫び、大さわぎ。私は握手ぜめに。「私、感動しています。実現できるなんて」と校長先生。
24日、9時、三里塚(千葉県成田市)で野菜を積む。14時、福島県葛尾(かつらお)村の人びとが住む仮設に。15時、さらに16時に田村市内の仮設に。
25日、朝、Mさんのガソリンスタンドを訪ねると、店内に大男たち。あいさつ。除染の労働者。話すうち、車が次々と給油に来る。男たちは、店前の除雪をはじめる。やがて、30人余りに。雪の山をくずす者、ねこ車で運ぶ者、交通整理をする者、声がとびかい、本気の仕事になっていく。30分で雪はなくなった。
男たち「俺、沖縄から、あの人は北海道から。やはり、地元が多いよ」「原発で働くよりずっといい。線量、低いし」「朝日の記事はひどい。落葉、下流で受けている。皆、マニュアルどおり、仕事している。いらい現場のまわりはカメラだらけ。森は悪意に満ちている。有名になりたいパパラッチ、我慢ならない」「田村はターゲットになっている」「あげく、作業は中断、今日で終わり」
ややあって「いま聞いたが、毎月、野菜を届けてくれてるんだって」さし出される男たちのごつい手と次々握手。「俺たちは、3月にもどって来る。また会おう」また握手。私、「宿舎はどこですか。野菜を届けます」また、握手、握手・・・。
25日午後、田村市の小学校を訪ねた。廃校になっていた学校に、いま〈原発20キロ〉近くから2つの小学校が避難。スクールバスで通い授業を受けている。全校百数十名。校長が2人。各学年は2校が1つの教室で学ぶ、担任もふたり。
メッセージとハブラシを渡す。野菜は、検査していないからだろうと思うが、子どもたちに渡せなかった。一人の校長は、大阪の子どものメッセージを読み、「何か交流ができればいいのですが」もうひとりの校長「校庭表土をはぎ、線量は下がりました。今年はプールを再開します」
Мさんのガソリンスタンド前を除雪する除染作業員たち(1月25日)

突然、私の名を叫ぶ声にふり向くと、5年生の女の子。体をひるがえして、仲間を呼ぶ。一昨年、三里塚の「いも掘り」に来たなかよしグループである。スクールバス待機の列が崩れ、もう大さわぎ。「また、いも掘り、行こな」と言うと、「絶対だぞ」「呼んでくれよ」「バス、運転してくれよ」「風邪、ひくでねえど」
見ると、みんな背が高くなっている。ランドセルが似合わない。笑える。
25日夜、教えられた山頂のレジャー施設を訪ねた。「この雪のなか、むりじゃないの、4駆でなきゃ」毎月会う婦人が言った。
それでも、ボロトラックは、山頂まで登った。子どもたちの野菜を渡す。料理長「すばらしい野菜。子どもたちがねえ。こんなの手に入らないよ」
26日、朝、電話。スタンドのMさん「いま、除染の人から、電話があったよ、『野菜、ありがとうって、お伝え下さい』って」
26日午後、仮設の新年会ではじめて会う女性、「昨年、8月からこの仮設に。田村市都路町、原発17キロから逃げてきた」「田畑、1町歩あまり、となりの人に貸していた。賃料は1反で1万円弱。『地主と小作』という関係じゃない。村のおとなりさん。仲よし。だけど原発事故でもう作物はつくれない。ところが東電は補償を耕作者に渡す。5年。借りてた人は『田畑を返します』。もう私には1円も入ってこない。おとなりとの関係はズタズタよ」
「避難、よそへ行くのは簡単じゃない。やはり、田畑。先祖にすまないという以上に、田畑に申しわけないという気持ち」「お墓も移せない。土葬がかなりある。土をたがやして、土の上で暮らして生きて、死んで、土に埋められて、土になる。たしかに、遺骨を掘りおこして、火葬にして、つれて行く・・・あるけど、何か・・・」
男性、「三里塚のいも掘り、すごい。何たって、空港の中に入っていくと、ずっと入って行くと畑があるんだ。土がいい。素手で掘れる。芋がいい。うまい。昼食がすごい。『もてなし』ってあれだ。ゲーム、トラクター乗り、たのしいよ。交流よかった」「あれは大型バスをチャーターして、ここのレクリエーションにして行くねうちがある」「マイクロバスで来てくれるなら、満席にするよ。今年は満席!」
26日、夕方、飯舘村の老人ホームに野菜をとどける。途中、昨年9月、除染を終えて、農水省職員が「作物つくれます。安全です」と言った畑に立ちよった。30センチの積雪。はるかな山々、家々も白い世界。畑を歩きまわり、線量計をかざす。毎時0・48〜0・90マイクロシーベルト。除染前と同じ線量! 青年と私、立ちつくす。風はない。 夜、仮設に、長泥(ながどろ)(飯舘村)のTさんを訪ねた。野菜を渡す。先月と同じ顔ぶれで「たこ焼」がはじまる。
Tさん「H牧場でも、よそから土をもってきて、かぶせた。線量は2ケタ下がった。だが、何か月かで、また元の線量にもどった」
「東電が憎い。この国が憎い」
お連れ合い「突っ殺してやりてえ」 Tさん「大阪に行くよ。行って全部しゃべるよ。最初に言うこと?『大阪のたこ焼は、おいしくてうまい』だ」一同、大笑い。
夜がふけ、雪は強くなる。郡山ジャンクション閉鎖。私たちのバントラックは地元の4駆車にまじり、力走快走。常磐道に入るころには、吹雪からぬけだした。全行程2115キロ。トラブルなし。
2月は14日から3日間、Aさん参加、3名で運転。趙博さん参加。歌と野菜をとどけ、話の続きをきかせてもらう。

書評
潜入 閉鎖病棟 「安心・安全」監視社会の精神病棟
柳田勝英 著 現代書館 1800円+税

「自分が患者から見て権力者であるという自覚がない精神科医ほど恐ろしいものはない」。
本書は、(精神)医療が政治支配の一環であることを示した優れたルポルタージュであり、一級の資料である。本書が暴き出す日本の「ありふれた」精神科病院内の監獄的抑圧、薬漬けの恐怖は、『ショック・ドクトリン』でナオミ・クラインが暴露したアメリカ精神医学界の「人体実験」に勝るとも劣らない。そうした差別迫害が、勤労・衛生を規範とする社会体制維持のために、政治権力、医師と病院、家族の共謀によって担われている構造を本書は生々しく描き出している。「長期入院者。それは結局、家族に見捨てられた人たちだった」との言葉は痛切である。驚くべき事に、現在13万人を超える人々が5年を超える長期入院患者として存在している。著者は「責任はあなたに狂気を感じる側にある」と訴えかけている。
本書の第三部が「もう一つの『精神病院』」として取り上げるのは介護施設である。ただし、そこでの体験は、入所者ではなく職員として、対称的な視点からとりあげられる。あくなき利益を追求する経営者。「安い給料で、顔を殴られ腹を蹴られて、それでもニコニコしてオシメを替えろっていうの!」と叫ぶ寮母。そしてここでも囚人として扱われる入所者たち。そこには「一つの物差しだけでは計りきれない現実」があふれている。筆者は、差別・抑圧を生じさせる人間と人間の重層的な関係に迫っていく。
第二部の高見元博氏(保安処分に反対する有志連絡会代表)に対するインタビューも秀逸である。「強制入院制度」の廃止へ、現代社会の変革を志す全ての人びとに一読をお勧めしたい。(N)

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