オスプレイ配備 米兵犯罪に抗議
米軍基地撤去まで闘う 12・23沖縄
「御万人行動」の会場となった宜野湾海浜公園に3千人(12月23日) |
真剣な表情で発言を聞く参加者たち(12月23日) |
昨年12月23日、沖縄で「オスプレイ撤去! 米兵による凶悪事件糾弾! 怒りの御万人(うまんちゅ)大行動」がおこなわれた。呼びかけは、沖縄平和運動センター、普天間爆音訴訟団、命(ぬち)どぅ宝・さらばんじの会、行動する女たちの会など七団体。会場の宜野湾(ぎのわん)市海浜公園屋外劇場は約3千人の参加者で埋めつくされた。
普天間基地の移設先とされる辺野古からは、ヘリ基地反対協の下、オバァたちを先頭に多くの人が参加。ヘリパッド建設工事の強行に体を張って反対する高江の住民の姿も目立った。
集会前のプレ・イベントでは、「艦砲ぬ喰(ふ)ぇー残(ぬく)さー」(琉球民謡)の作者の4人姉妹「でいご娘」や「月桃の花」で知られる海勢頭豊、沖縄市山里青年会のエイサーなどが出演。
本集会では実行委共同代表の崎山嗣幸(しこう)沖縄平和運動センター議長が「来年も(追加)配備されるであろうオスプレイを阻止し、米軍基地撤去まで断固として頑張っていこう」とあいさつ。
安次富(あしとみ)浩ヘリ基地反対協共同代表は「ウチナンチュウ(沖縄の人)の力で日米両政府をギャフンと言わせよう」と発言。
普天間爆音訴訟団、4人の国会議員などが登壇。沖縄平和運動センターの山城博治事務局長は「屈することなく、県内移設に反対する沖縄の総意を突き付けよう」と来年も運動の継続を呼びかけた。
最後にオスプレイ配備や米兵による事件・事故に抗議し、「無謀な犠牲の押し付けを強要する日米両政府、そして米軍当局に対し、今後とも決然と対峙し続け」「したたかでしなやかに、かつ大胆に闘っていく」というアピール文を採択。ガンバロー三唱で気勢をあげてデモに移った。
今回の「御万人大行動」の特色は、サウンドデモ。大音響で鳴り響く三線、テクノミュージックにサンバのリズム、華やかにフラダンスが踊る。参加者一人ひとりが個性豊かに自己を表現し、多種多様な音楽を奏でた。
沿道からの参加者や親指を立てて通り過ぎる外国人の車もあった。参加者たちは平和を願う音楽に包まれながらも、オスプレイ配備反対、普天間基地の早期撤去・県内移設反対などの思いを強くした。
サウンドデモは普天間基地の大山ゲート前の広場まで、約2キロのコースを10ブロックに分かれて行進し、解散集会でもさらに激しく燃え上がった。
沖縄県民の肝苦さ(ちむぐるさ=心苦しさ)からの解放を求める激しい怒りをしっかりと受け止め、それと連帯する自らの闘いを本土で展開し、安倍政権を打倒しよう。
大阪で沖縄連帯集会 米領事館へ抗議デモ
「オスプレイの全国配備・訓練反対!」大阪市内デモ(12月23日) |
同日、大阪市内で「オスプレイの全国配備・訓練反対! 米兵による凶悪事件糾弾! 沖縄連帯関西集会」がおこなわれた。
よびかけは、沖縄意見広告運動、辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動、沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会、沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会、米軍犯罪被害者救援センター、しないさせない戦争協力関西ネットワークの6団体。
熱気あふれるロックサウンドが響くなか、300人を超える仲間が参加した。
集会では、俳優の山本太郎さんが緊急アピール。「日本はアメリカの植民地状態です」「原発しかり、オスプレイに憲法改悪」「今、声をあげないと日本はアメリカの好き放題にされてしまいます」「皆さん、ともに声をあげましょう。ともにがんばりましょう」と発言。
この日の関西集会は、沖縄への連帯のたたかいであるとともに、大阪で吹き荒れている反原発運動への大弾圧に反撃する集会としてもかちとられた。集会後、西梅田公園を出発し、アメリカ領事館前から市役所までデモ行進がおこなわれた。
関西と三里塚のつながり
三里塚団結野菜市
年末恒例の野菜市(12月27日) |
36年、第36回になる関西実行委員会・三里塚団結野菜市が、12月27日早朝から明石教会(兵庫県明石市)で開かれた。寒気はきびしかったが、冬晴れの青空。前夜三里塚でトラックに積み込まれた野菜は、成田から夜通し高速道路を走って早朝6時前に明石についた。
教会の庭に降ろされた野菜を前にしながら、関西各地から集まった仲間とともに午前8時から簡単な集会が持たれた。明石住民の会の日原さんが司会。
永井満・関西実行委員会代表は「36年間続けられた現地と関西を結ぶ野菜市だ」、92歳になる山本善偉・世話人は「単に野菜をいただく訳ではない。三里塚が闘い続け勝利している証」と、それぞれあいさつ。市東さんたちが、きびしい闘いのなか丹精込めてつくった無農薬・有機野菜を前に関西と三里塚のつながり、団結・連帯が語られた。
直接行動が未来ひらく
野菜を運んできた三里塚現闘から反対同盟・萩原進事務局次長のメッセージが読み上げられた。その中で萩原さんは、市東さんの農地裁判の現状から「従来の延長線の覚悟では闘うことはできない」「三里塚闘争47年のすべてをかけた闘いに立ち上がる」と呼びかけ、「勝利のカギはフクシマ・沖縄の湧き起こる怒りと結びつくこと」「直接行動が未来を切り開く時代が始まった」と訴えた。また、関西の反原発闘争への大弾圧に対し「前代未聞。三里塚へかけられた弾圧とみなす」と弾劾した。
いつものように、教会の敷地いっぱいに引かれた白線区分で、地域・団体ごとの注文どおりに野菜の仕分け作業。9種類の野菜が前庭に並べられた。ほうれん草が品薄で無くなったが、「今年は小さい」と聞いていた三浦大根も十分大きく、三里塚の土がいっぱい付いたゴボウやヤツガシラなど手慣れた作業で順調に進み、千葉へ帰るトラックも送り出し、会計も後片付けも含め午前中に終わった。
関西の闘う仲間は、この野菜市をとおして現地からの新鮮な野菜を食べ、三里塚裁判闘争、現地闘争へ全力で闘う決意を固めた。
2面
安倍政権の登場と日本階級闘争の課題
汐崎恭介
昨年12月16日の総選挙で、自民党が294議席を獲得して圧勝し、同26日、自民・公明連立による第二次安倍内閣が発足した。改憲派である自民党、日本維新の会、みんなの党の獲得議席を合計すると366議席に達し、衆院では憲法改正要件である3分の2議席(320議席)を上回った。一方、政権党であった民主党は惨敗を喫し、前回総選挙の308議席から5分の1を下回る57議席へと激減した。
3年間にわたる民主党政権の混迷の中で、安倍自民党や日本維新の会の橋下・石原などの超タカ派的勢力が息を吹き返し、改憲、9条破棄・集団的自衛権の行使、国防軍創設、核武装、中国敵視という極右的主張と弱肉強食の競争原理・市場原理をもって戦後民主主義体制の最後的な破壊に乗り出そうとしている。しかし、彼らの政治的な基盤はけっして盤石なものではない。
59・32%という過去最低の投票率がそのことを端的に示している。自民党の比例獲得票数は前回選挙に比して220万票も減らしている。また一方では、小沢一郎や亀井静香など戦後保守の本流が「反原発」「反TPP」を軸に、嘉田新党・日本未来の党に合流して、挽回を図ろうとしたが見事に失敗した。今回の総選挙における「12党派の乱立」という状況は日本の支配階級の政治的混迷をそのまま体現しているといえるだろう。
より深刻なことは、社民党や共産党などの「護憲派」が、沖縄人民の反基地・反安保闘争を選挙過程に反映させる力を喪失し、空前の高揚を見せた反原発運動の「受け皿」となることもできず、有効な反撃の手がかりもつかめないまま、ずるずると後退を強いられていることである。
福島原発事故と米軍基地問題
こうした危機的な政治状況を日本の労働者階級はいかに打開していくべきであろうか。
まず最初に確認しておきたいことは、このかんのめまぐるしい政局の変転にもかかわらず、今後10年間、日本階級闘争の最重要のテーマは間違いなく原発問題であるということだ。福島第一原発事故は、戦後の日本社会が抱えてきたさまざまな矛盾をいっぺんに表面化させた。それは、原子爆弾の被爆国であるにもかかわらず、米帝国主義の核政策と原子力産業を下支えするために、原子力発電を推進するとともに独自の核武装のための準備を進めてきた日本帝国主義のエネルギー政策の矛盾である。またそのために電力の大量消費を前提とした生活様式を日々再生産してきたことの矛盾である。またそこには電力消費地である大都市部と原発立地を強制された農漁村部との矛盾がするどく突き出されている。
反資本主義への転換
このように福島原発事故は、1990年代後半から2000年代にかけておこなわれた、日本における本格的な新自由主義的構造改革(金融自由化と財政緊縮、分権化による地方自治の衰退、社会保障の解体、労働法制の改悪)の矛盾の噴出と相まって、戦後日本社会のありかたばかりでなく資本主義そのものを見直さなければならないという意識を日本の民衆の中に広汎に生み出している。
そこには、「市場原理主義」に対する懐疑からその否定へ、すなわち「反資本主義」へと向かう革命的な意識の転換がはらまれている。
日本社会の転換期
いまひとつの重要なテーマは沖縄の米軍基地問題である。このかんのオスプレイの沖縄配備の強行が示したことは、沖縄が今日にいたっても依然として米軍による占領状態が継続しているという事実である。72年の施政権返還後も日本政府は米軍基地を維持するために基地関連の膨大な予算を沖縄県に投入してきた。それは沖縄経済の自立的な発展を阻害して基地への「依存」を強制するものであった。また日米地位協定によって、沖縄の米軍に対する治外法権を認め、沖縄を事実上憲法の埒外においたのである。こうした沖縄に対する「国内植民地」ともいうべき差別的な政策をとり続けていることを一切不問に付しながら、かたや釣魚台や独島にかんしては、「国家主権」の問題としてその領有権を声高に叫ぶ日本政府の欺瞞性に人びとは気づき始めている。
この問題は日本人民が明治以来の日本と沖縄、日本と朝鮮、日本と中国、日本とアジアとの関係、そして戦後の日米関係を反省する重要な契機をなしている。
このように福島原発事故と沖縄米軍基地の問題を中心として、TPP問題や消費税増税問題、そして集団的自衛権の行使容認―憲法9条改悪などが重なり合いながら戦後の日本社会は大きな転換期を迎えている。
反資本主義運動をいかに構築するか
今日の政治状況は、一見すると労働者階級に対する逆流が勢いを増し、その闘いがたいへんな困難を強いられているように見える。しかし、既に述べたように原発再稼働反対運動や沖縄における反基地運動のなかに、民衆自身の手による反資本主義運動の萌芽を見て取ることができる。
「資本主義の共進化」
問題はこの「萌芽」をいかにして発展させていくのかということである。そうした観点から、デヴィッド・ハーヴェイが近著『資本の〈謎〉―世界金融恐慌と21世紀資本主義』(作品社 2012年、森田成也ほか訳)で提起した、「資本主義の共進化」という概念に注目したい。
彼は、資本主義が生き残るために必要な「3%の複利的成長」を達成するための「活動領域」として、@技術と組織形態、A社会的諸関係、B社会的・行政的諸関係、C生産と労働過程、D自然との関係、E日常生活と種の再生産、F世界に関する精神的諸観念、の7つを提示した。
そして「共進化」を次のように説明している。
「資本主義は、これらの諸領域のどれか一つだけの内部で動員された力にもとづいた何らかの整然とした革命的変化によって封建制に取って代わったわけではない。それは、旧社会の隙間から成長して少しずつ取って代わらなければならなかったのであり、時に軍隊、暴力、資産の略奪と奪取を通じて、時に策略と狡猾さをもってそうしたのである。・・・資本主義はさまざまな活動領域の中で共進化と不均等発展を経てようやく、それ自身の特有の技術的基盤を獲得したのであり、またその独自の生産過程や制度的・行政的枠組みはもちろんのこと、その信念体系や精神的諸観念、その不安定だが明らかに階級に支配された社会的諸関係の編成、その奇妙な時空間的リズムとその同じく特殊な日常生活の諸形態を見い出したのであり、したがって、これこそ真に資本主義だと言える存在になったのである。」
オルタナティブの構築
福島原発事故はハーヴェイが提起した「7つの活動領域」のほぼすべてにわたって、資本主義にかわるオルタナティブの構築という問題を、日本のすべての民衆に対して突きつけているのだ。
われわれは、福島原発事故を契機として澎湃とまき起こったさまざまの運動の中にこそ、社会を変革する手がかりがあること、そしてこの闘いの発展の中に、日本と沖縄との関係、日本と朝鮮との関係、日本と中国との関係、日本とアジアとの関係という歴史的課題を日本人民が反省的に乗り越えていく決定的な契機がはらまれていることに確信を持たなければならない。それは戦後の日米関係の根底的な見直し、日米同盟からの決別ともつながっている。
民衆側の戦略形成
実はそのことを誰よりもはっきりと自覚しているのは日米の支配階級である。だからこそ彼らは、再稼働反対の要求やオスプレイ配備反対の要求に対して、一歩も譲ろうとしないのだ。最近では警察権力による弾圧を強め、立ち上がった民衆に無力感を与え、運動を雲散霧消させようと躍起になっているのである。
いま日本の労働者階級にとって必要なのは、始まったばかりの日本における反資本主義運動の成長を促していくための戦略をしっかりともつことである。それはこの運動を社会を構成する主要な領域を横断して政治的に関与することができるような広さと深さをもった運動として形成していくための戦略である。
日本左翼運動の主体的総括
それは同時に、われわれも含めた旧来の左翼勢力が、日本における反資本主義運動の発展にとって決定的な阻害要因となっていることを自覚することでもある。首都圏反原発連合が、抗議行動の際に労働組合の組合旗や政治党派の旗幟を掲げることを「禁止」しているのには理由がある。過去のさまざまな大衆運動に対して政治党派がおこなってきた引き回しと囲い込みに対する「民衆」の側からの回答なのである。10万人をこえる大衆闘争が登場したときに、新旧左翼党派に突きつけられた回答がこれだったのだ。
セクト主義の克服
左翼が後退した客体的要因が1970年代以降の資本主義の再編とそれに伴う「労働の編成」の激変にあったことは間違いない。それは日本において総評の解体(89年)以降、いまだにそれにかわる社会的基盤の形成に成功していないことに象徴されている。しかしそれだけではない。左翼の後退には、左翼自身が克服しなければならない主体的要因がある。その最大のテーマがセクト主義の克服である。
日本における反資本主義運動が、資本家の国家の根幹を揺るがし、それを崩壊させるところまで成長させるためには、生産と労働のみならず、技術・組織・社会・自然・日常生活・文化・イデオロギーの全領域にわたって政治的に関与し、その影響力を行使するだけの力量を形成していかなければならない。そのためには、そうした多岐にわたる諸活動を俯瞰する大衆的に承認された機関(協議体)が不可欠である。またそうした機関が十分にその機能を果たすためには、運動の中で訓練され、経験を積み、人望の厚い活動家たちを大量に育成していかなければならない。
それは運動の中に「政治的分岐を持ちこむ」と称して、運動を政治的に引きまわしたり、政治的に囲い込んだりすることでは断じてない。いま日本の階級闘争の課題の一つは、分裂状態にある(日本共産党も含めた)左翼運動の統一を図っていくことである。自らの分裂状態を克服することができずに、左翼が反資本主義運動を発展させることができるはずがない。左翼の統一は単なる数あわせのためにするのではない。それはセクト主義という「左翼文化」を根底的に払拭するための第一歩に過ぎない。
始まったばかりの日本における反資本主義運動は資本の国家を圧倒し、それを崩壊させる力を潜在的に有している。その力を現実化させる過程は、日本の6千万の労働者が、あたかも一つの意志をもった階級として自らを組織していく過程そのものであり、労働者階級が新たな社会を建設する能力を形成していく過程そのものなのである。
最後に次のことを確認しておきたい。すなわち、10年後の日本の社会運動はどうなっているのかということである。どこまで協働の領域を拡げることができたのか。戦線の統一はどこまで進行したのか。国境を越えて闘いは進んでいるのか。そしてその社会的・経済的・文化的な基盤を拡大し、確固たるものとして成長しているのか。そうした明確なビジョンの下で現在の闘いを大胆に進めていこう。
3面
寒風つき気迫の元旦闘争
南労会争議が22年めへ
悪徳理事・若杉自宅へ元旦デモ(1月1日) |
13年年明け、港合同・南労会闘争が連続的に闘われた。元旦には吹田市で若杉常務理事宅抗議デモが闘われ、4日には背景資本=使用者である三菱UFJ銀行・大阪本店前で抗議街宣が取組まれた。争議の解決を迫る気迫ある闘いとなった。
困難のりこえ本来の闘いを
元旦10時、南労会悪徳常務理事若杉宅近くの公園に、地理不案内な中、続々と仲間が集う。港合同の仲間は弁天町からマイクロバスやワゴン車を仕立てて約100人の結集。 集会冒頭、港合同から中村副委員長が「大和田委員長、辻岡闘争委員の二本柱を失ったが困難をのりこえ本来の闘いを貫いて、争議に勝利する」とあいさつ。
大衆的現場闘争で闘う
続いて南労会支部小松委員長代行が基調報告。
未払い賃金損害賠償請求訴訟(元本2億5500万円)を軸に、大衆的現場闘争をもって闘った昨年の闘いを報告。不当労働行為を浮き彫りにする公判闘争、銀行闘争、内閣答弁書を引き出した闘い。これらを武器に、医療法違反、背任行為を追及する厚生局交渉。不当労働行為が労働犯罪(確定判決で支持された労働委員会命令の不履行状態)となり、大阪地検へ告訴・告発した闘い(現在、捜査中)と、多彩な闘争を展開し、勝利解決局面をひらきつつあることが明らかにされる。同時に診療所縮小・閉鎖攻撃との攻防が激化し「南労会闘争の原点は、南大阪労働運動の精華である労働者診療所破壊との闘いと団結権確保、この原点を守るために一人一人の組合員が執念もって勝利をもぎりとり」、一日も早くお二人の霊前に報告したいと結ぶ。
強制配転当該組合員からは、過酷な職場でがんばりぬくとの決意表明。
今年は南労会闘争勝利
早朝6時から480人で13カ所の社長宅闘争を闘った後に結集した連帯ユニオン関生支部の武谷執行委員は「25年争議の真壁闘争に勝利した。今年は南労会だ」と檄。関西合同労組石田委員長は「安倍政権と対決し13春闘と一体で闘争勝利」と。和田さんの解雇を撤回させる会、公務臨職の仲間、関単労からも発言。
初詣で賑わう付近の注目をあつめて、南労会支部を先頭にデモにうってでる。若杉の自宅前ではひときわ大きなシュプレヒコール。通行人や周辺住宅に次々とビラが渡る。
4日は朝9時より、三菱UFJ銀行の新年互例会にむけて約20人で抗議街宣を展開。互例会参加者の中から「南労会だ」の会話も聞こえ、反響がひろがっていることを実感。
昨年11月の南大阪の労働組合を中心にした決起集会に続き、連続的正月闘争は正念場をむかえた南労会闘争の13年決戦にふさわしい闘争であった。大阪の戦闘的労働運動に少なからぬ影響を及ぼす南労会闘争勝利のために共に闘おう。
賃金未払いに対する損害賠償請求裁判・最終弁論
1月18日(金) 午後1時05分〜 大阪地裁610号法廷
「10・17大阪駅前街宣」事後弾圧
2人釈放 1人起訴
仲間を返せ(12月24日) |
大阪府警が12月9日に2人、11日に1人を令状逮捕した弾圧で、12月28日、2人は釈放、1人が「威力業務妨害」で起訴された。
この弾圧をめぐっては、憲法研究者70人が「憲法21条1項の保障する表現の自由を不当に侵害するもの」という抗議声明を発表。官邸前見守り弁護団が『市民の表現の自由を尊重するように求める声明』。元日弁連会長・宇都宮健児弁護士は支援メッセージを発した。
〈放射能拡散に反対する市民を支援する会〉がたちあがり、「放射能と有害物質を含む震災がれきの広域処理に反対する市民の逮捕は不当です。下地真樹准教授らの即時釈放と謝罪を求めます」署名が開始され、短期間で8000筆を超えた。
24日には、全国一斉5都市(東京、つくば、名古屋、大阪、福岡)で抗議集会・街宣・デモが取り組まれた。
勾留理由開示公判が、各人についてひらかれ、不当な逮捕・勾留を徹底追及した。当初、3人起訴をもくろんでいた検察は、高まる世論を恐れ、2人を釈放せざるを得なかった。
しかし、起訴されたHさんは11・13大阪市説明会弾圧でも起訴されており2つめの起訴だ。Hさんを一刻も早く奪還しよう。
大阪で被処分者8人が人事委闘争
「君が代」処分撤回もとめ集会
2012年春の卒業式、入学式で処分された大阪府下の教員のうち8人が、処分撤回を求めて人事委員会闘争に入った。その一環として、〈石が叫ぶ「君が代不起立ひろげよう!」12・1集会〉が、大阪市内でひらかれ100人以上が集まった。主催は、〈奥野さんを支える叫ぶ石の会〉と〈支援学校の君が代不起立応援団〉。
冒頭、叫ぶ石の会と不起立応援団から経過報告がおこなわれ、つづいて、東京からかけつけた根津公子さんが講演した。
被処分者のYさん、奥野さんが決意表明。奥野さんは、「『日の丸・君が代』の問題は、本当のあるべきこと(姿)に正したい。(当たり前のように言われていることが)本当はまちがっているのではないか、ということを正していきたい。不起立がルール違反なのではない」と訴えた。
休憩のあと、代理人弁護士から「人事委員会への不服申し立てについて」と題する提起があった。最後に、奥野さん、Yさん以外の被処分者の決意表明と行動提起がおこなわれた。
福島原発告訴団が関東報告集会開く
12・22 東京
12月22日、東京・杉並で「福島原発事故の責任をただす! 福島原発告訴団・関東 全国告訴・関東報告&解散集会」がひらかれ、240人が集まった。「解散」とは「事務局機能を福島に移す」こと。
各地からの報告では、経済を観光に拠っている比重が大きい北関東で運動を広める厳しさが語られた。保田弁護士からは、検察の動向や子どもに健康被害が出ていることなどが語られ、検察に圧力をかけていく必要性が訴えられた。
告訴団団長の武藤類子さんは、「賠償の打ち切りや避難区域の解除等が目論まれている。先日郡山でおこなわれた閣僚会議でIAEAの原発推進の本性があらわになった」と語った。
関東では目標の5千人をこえる6300人を集めた。
経産省前テントひろばで
吉岡さんらを偲ぶ会開く
故人を偲んで多くの人が集まった(12月28日) |
師走28日、経産省前テントひろばは、衆院選・都議選選挙の結果としての核開発・改憲推進派の復活に深く衝撃を受け、安倍組閣情報に神経をとがらせていた。テント自体、脱原発のスローガンを掲げて、経産省当局と1年3カ月あらゆる折衝を重ねつつ、日々の撤去勧告をやりすごしてきてはいたが、堅川の野宿者強制撤去の無残な情報も伝わっており、議事堂からの坂の下、今までにない寂寥感に閉ざされているようだった。
枝野大臣の撤去勧告を粉砕した過去の実績に習い、支持者の厚い壁によって、当局の恫喝を跳ね返す対抗策に、とりあえず路線変更はないだろう。一貫して脱原発の主張を変更することのなかった東京新聞は、その紙面で、テント存続の危機を伝え、特報部デスク当人が、この安倍―茂木ラインは、抵抗運動が大嫌いだからと警戒を怠らぬよう示唆する訪問をしていた。
4人の「同志」を偲ぶ
恒例の毎週金曜日の抗議行動が官邸前中心に様々な展開をする頃、ひろばには、100人になろうとする人びとが傘をさして、集まってきた。八木さんの司会で始まった慰霊祭では、蔵屋敷有紀、久保田千秋、前澤奈津子、そして本紙『未来』の編集委員でもあった吉岡史朗の4人の志半ばで倒れた「同志」たちの在りし日の姿が、親しい友人たちによって語られ続けた。吉岡さんの本葬は、6日に大阪でされていた。
脱原発闘争の歴史のひとこま、2012年の記憶が鮮明に浮き彫りにされた。歴史は、敗者の側から、犠牲者、被害者の側から作り直されねばならない。現実政治は、常に、死を敗北としかみなさず、権力は、敵対するものの殺害の罪を自ら消す。福島の県民や放射能ホットスポットに生きる人びとは、安全神話で消されているに等しいともいえる。消される側の人びとを想い、消されることを恐れず戦い抜いた人びとだった。
日もとっぷり暮れ、雨の冷たさがイヤマシになる頃、吉岡さんの同志である橋本さんは、反革命勢力への呵責ない戦士が、実はもともと、ひとなつこい人類愛のひとであったことを集まった人びとに印象づけた。また、誕生日の3月14日はマルクスの命日であり、吉岡さんの党生活にとっては、特別な意味を持っていた日であることを縷々述べた。
八木さんは、「大飯の乱」の大闘争を、ひたすら蔭で支え続けた功績を讃え、福島の女性たちが、鬼にならざるを得なかったように、大飯原発の行く末を故吉岡は、鬼神となって監視するに違いないと締めくくった。
暗夜の氷雨の中でともるテントの照明は、数限りない正義を求めて戦い抜いた人びとの大いなるひとみの力のようだった。「狭き門」のほかには、正しくあろうとするものは、通れないのだろうか?(南方史郎)
4面
2013年 新年メッセージ
逆流に抗し 希望と勇気を
農民として 胸を張って生きる
三里塚芝山連合空港反対同盟
事務局次長 萩原進さん
三里塚芝山連合空港反対同盟 事務局次長 萩原進さん |
「のど元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがありますが、私たちは「3・11」をけっして忘れてはならないと思います。
労働者は仕事でちょっとしたミスをすれば、すぐにその責任をとらされますが、えん罪で有罪判決を下した裁判官は、一切責任を問われません。まるでそれと同じように、福島原発事故で東電や国は、取り返しのつかない大事故を起こしたのに、その責任をとろうとしていません。
「想定外の事態が発生した」と彼らは言いますけれども、それは絶対にちがう。18年前に阪神大震災がありました。つい最近でもスマトラ沖で大地震と大津波が発生しています。東北でも地震や津波はあったのです。これらを教訓化して手を打たなければならなかったことを、政治家たちは一切やらなかった。それどころか自分たちの利益のために、「国策」というかたちで公共事業を進めてきたのです。それが住民のための事業ではなかったということが明らかになったのが、東北地方を襲った大津波であり、原発事故だった。
これは想定される事態であったし、防ぐことができる事態であったのです。それを彼らは認めようとしません。そして被災者に対する補償を打ち切って、地震・津波・原発事故をなかったことにしようとしています。われわれはそういうことは許さない。この責任はかならずとってもらう。
生命の営みを支えているのは大地です。この大地をアスファルトの下に埋めてしまったり、放射能によって汚染したりすれば、人間は生きていくことはできません。
昨年を超える闘いを
成田空港はどうでしょうか。一千町歩以上の土地をつぶして空港にしただけではなく、道路、鉄道、ホテル、駐車場など関連施設の建設によって、この北総台地の農業がつぶされています。
千葉県の中では農業専門の高校が一校もなくなってしまいました。農業の後継者がいなくなる状況が生まれています。首都の食糧をまかなう地域がなくなろうとしているのです。こんなことでどうやって食料自給率をあげることができるでしょうか。
これからは飛行場よりも農業が大事なんだと、農民が農民として胸を張って生きていけるようにしたい。いまこそ大地をよみがえらせて、消費者と手を組んで、食糧を大事に大事につくっていく、それが社会にとって本当にためになるんだと言うことを声を大にして言いたい。
そういう意味で私は、福島と三里塚と沖縄は、ひとつながりの問題だと思っています。私たちがしっかり手をつなぎ、声をひとつにして政府に叩きつけていけば、かならず明るい未来が見えてくると思います。
市東さんの農地を守る闘いは正念場を迎えました。裁判闘争においても、現地闘争においても昨年のレベルを超える闘いが必要です。みなさんのよりいっそうの奮起をお願いします。
勇気をもって 時代を切り拓け
三里塚芝山連合空港反対同盟
事務局長 北原鉱治さん
三里塚芝山連合空港反対同盟 事務局長 北原鉱治さん |
三里塚の闘いは48年間にわたって、一歩も後退していません。国策に抵抗し、国家権力と闘ってきたのが三里塚闘争です。政治家は権力抗争ばかりで国民のことは頭にありませんが、三里塚闘争には日本の未来を考え、若者たちの将来を考えて闘っている人たちが全国から集まっています。
昨年の総選挙の結果を見て下さい。日本はこのままでは沈没します。成田空港を見て下さい。緑豊かな山野を誰がこんな無残な姿にしたのでしょう。政治家たちはTPPによって、日本の農業を壊滅させようとしています。もはや誰かがやってくれるだろうという時期は過ぎました。声あるものは声をあげ、勇気ある者は勇気を持って立ち上がるときです。若いみなさんには、これからの社会がどうなるのか、どうしなければいけないのかを共に考えてもらいたい。もちろん、やるかやらないかは一人ひとりの自覚の問題です。しかし他力本願ではだめです。自分たちの力で時代を切りひらいて下さい。
三里塚は健在
今年は市東孝雄さんの農地裁判の判決が強行されようとしています。国家権力はあたかも断頭台にのぼった囚人にするかのように、市東さんの首に刃を突きつけています。重大な決戦ですが、反対同盟は決意を固めています。三里塚闘争はこれまで大きな犠牲を払ってきました。過去五千人にのぼる逮捕者を出しましたが、苦しみが大きければ大きいほど、私たちは鍛えられてきました。自分の人生を自分できりひらく、これが三里塚闘争です。三里塚の大地に立つということは、全国のたたかう人々とつながっていくということです。
私はこの闘いに迷いはありません。市東さんの土地を空港の中に囲い込んでも、彼の闘いを封じこめることはできない。闘う場所はいくらでもある。三里塚闘争はこれからもずっと健在です。
農地は農民の命 絶対に負けない
三里塚芝山連合空港反対同盟 市東孝雄さん
三里塚芝山連合空港反対同盟 市東孝雄さん |
昨年は春までは天候がよかったのですが、それから先が不順で、野菜にいきおいがつかず、成長が遅れて大変でした。産直野菜は、みなさんの希望どおりとはいきませんが、私は旬のものをみなさんに届けて、それをお料理して食べていただくことで、この季節にはこれというかたちで味わっていただくのがベストだと思っています。
さて、成田空港会社は、今年の3月31日に第三誘導路の供用を開始するといっていますが、それに見合う成田空港の発着便数が確保されているわけではありません。以前は貨物便を増やすと言っていましたが、結局ダメで、今は格安航空といっています。しかしそれも欠航便も多く、めどが立てられない状況です。何よりも無理な増便による事故が心配です。
現地ではどんどん工事を進めながら、もう一方で裁判では農地法で私の畑を取り上げようとしている。この両面から攻撃をかけてきています。つくってしまえば、いつでも追い出せるというかたちをつくろうとしているのが見え見えです。
こんな力づくのことをやりながら、裁判では「話し合いをやってます」なんて平気で証言したり、都合のわるいことはすっとぼけたりで、本当にはらわたが煮えくりかえる思いです。昨年の11月28日には横堀の団結小屋を強制撤去しましたが、これは「人がいるところでもやるんだぞ」という脅しです。私はこんな脅しには屈しません。
最後まで闘う
2月4日と18日に萩原進さんと私が千葉地裁で証言します。裁判所を圧倒する人数で包囲して、多見谷裁判長にプレッシャーをかけていきたい。マスコミは、三里塚闘争はすでに終わってしまったかのような報道しかしませんけれど、それでは「四十数年経っても完成しない空港とは一体何なのか」ということを世間に知らしめるようなたたかいが必要だと思います。
農民にとって農地というのは自分の命と一緒です。それを取られると、そこで農業ができなくなる。はっきり言って農民に死ねと言うことです。だから絶対に負けるわけにはいきません。この土地はただの土地ではないんです。祖父、父が90年間かけて耕して、肥沃な土になったところです。これを違法な、でたらめなやり方でとられるということに、私は本当にがまんできません。最後まで闘うしかないという気持ちで裁判も闘っています。
今年は私にとって決戦の年となります。向こうも当然構えてきますので、ぜひ多くの皆さんに現地に来ていただいて、ともに闘っていただきたいと思います。
ともに力をあわせ たたかいぬこう
三里塚決戦勝利関西実行委員会
代表世話人 永井満さん
三里塚決戦勝利関西実行委員会 代表世話人 永井満さん |
新しい年を迎え、闘う仲間の皆さんに年頭の挨拶に代え、闘う決意の表明をいたします。
私たち関西実行委員会は、1977年、「鉄塔決戦に総決起せよ」「鉄塔を化して人塔とせよ」「北総台地を百万の人民で埋め尽くせ」との三里塚反対同盟の檄に応えて、関西の労働者・学生・市民・住民が決起し、結成されました。そして4・17現地集会にバス12台を連ねて総結集し、三里塚反対同盟、全国から駆けつけた闘う仲間と固く団結し闘ったのでありました。あの日の感激を忘れることはできません。
以来三十有余年、非妥協・不屈に闘い抜く反対同盟とともに、そして全国から結集する労・農・学・市民の闘う仲間と共に、ほとんど全ての闘いに決起し、闘ってきました。
同盟との血盟にかけて
闘いは今、祖父以来、三代に亙(わた)って営々として耕してきた市東さんの農地を奪おうとする、国、空港会社、更に裁判所も一体となった不当・悪辣な攻撃に、断固立ち向かい、不屈・果敢に闘う市東さんと反対同盟対国家権力との、掛け値なしの決戦局面に直面しています。
このときに当たり、私たち関実は反対同盟との血盟にかけてこの決戦を断固闘い抜き、敵の攻撃を打ち破り、市東さんを守り抜き、反対同盟及び、闘うすべての仲間と共に勝利をかちとることを固く決意しようではありませんか。
以上をもって年頭の決意といたします。
5面
原発事故から二度目の新年を迎えて
子どもたちを放射能から守る
福島ネットワーク代表 佐藤幸子さん
子どもたちを放射能から守る福島 ネットワーク代表 佐藤幸子さん |
我が家の年末は、お正月を迎えるために欅の臼と杵で餅を搗き、しめ縄を作り、大掃除をして、自給した食材でおせちを手作りするのが恒例でした。
日常の生活はできる限り電気や石油に頼ることなく、煮炊き、暖房、お風呂は薪や炭での生活でした。それは、特別なことではなくわずか半世紀前の日本の農村の暮らしだったのです。
2011年3月11日を境に、その暮らしを全て失いました。畑での農作業は「被曝労働」になります。薪を燃やすことは放射能を拡散し、灰に濃縮します。木造の我が家は、空間線量が外とあまり変わらなくなってきています。
これまで、人間として一番豊かな暮らしと考えていたことが、放射能の被害を一番受ける結果となるとは、何とも言葉がありません。
放射能は目に見えないし、感じることもないのですから、気にしなければそこに住み続けることも可能です。「直ちに健康への被害は出ないレベル」なのですから。しかし、私は受け入れることができませんでした。例え微量であっても、何世代にもわたって影響が出る可能性があることは、これまでの経験から明らかです。その影響から子どもを守ってあげることが最低「親」として果たす義務だと考えて震災当日の夜中に避難の決断をしました。
2012年秋から川俣町では除染が始まりました。「除染の効果は期待できないし、住むつもりもないので我が家は除染しないで、そのお金を子どもたちの避難費用に使って欲しい」と役場に伝えても、「隣近所に迷惑になりますから」というのが返ってきた答えでした。
昨年も、今年も避難生活でお餅を搗くこともできずに、ひっそりとお正月を迎えました。人間にとって、本当の豊かな暮らしとは何かを一人ひとりが考えて、今の便利さだけを追求した生活を改めなければ、きっと第二の「フクシマ」が起こってしまいます。もう二度と福島の悲劇は起こしてはならないと、新年を迎えて決意を新たにしました。
原発依存社会に戻らないために
元京都大学原子炉実験所講師 小林圭二さん
元京都大学原子炉実験所講師 小林圭二さん |
昨年12月の衆議院選挙は、脱原発依存が争点の一つだった。自民党は、主要政党で唯一脱原発を明言せず、公約で判断を十年先送りした。その間に原子力規制委員会が安全と認めた原発を順次再稼働させ、既成事実を作って有無を言わさぬ状態へ持っていこうという腹だ。その自民党が大量の議席を獲得して勝利した。しかし、得票率を見れば敗北した前回選挙と大差ない27%にすぎない。大政党に有利な小選挙区制のからくりの結果であって、自民党が民意を代表しているわけではないことを表している。
日本の住民7〜8割が、程度の差はあれ原発依存からの脱却を望んでいる。そのため選挙中には原発問題の言及を避けていた自民党だったが、勝利するや態度を一変させた。連立を組む公明党と「原発依存を減らす」合意こそ成立したが、茂木経産相は民主党政権の「2030年代の原発稼働ゼロを目指す」方針の見直しを明言した。同じく「原発の新増設を原則認めない」との方針も、安倍首相が見直しを表明した。首相の地元、中国電力上関原発の建設再開問題が念頭にあることは明らかだ。
一方、福島原発事故がいまだに収束していない。今も毎時千万ベクレル(東電の推定)の放射性物質が環境へ放出され、大気や土地を汚染し続けている。1〜3号炉の現場には放射能が強すぎて近づくことさえできず、格納容器や原子炉圧力容器の破損個所、溶融した燃料の所在など最も基本的な現状さえわからない。ただ闇雲に注水を続け、「冷却できている」と勝手に判断しているだけだ。「冷却」に使われた汚染水は、地震で発生した建屋床の亀裂から進入した地下水と混ざり、汚染水の量はこの1年で倍増したという。事故で避難した福島県民16万人は今も戻れず、今後も多くが戻れる見通しがない。除染はほとんど成功しないため、帰宅のすすめは被曝の増加にしかならない。大量の使用済み核燃料を保管中の4号炉は、水素爆発で建屋の側壁を失い、大きな余震で崩壊し大惨事という一触即発の危機にある。
福島の悲惨な現状は、半世紀以上政権を独占した自民党が財界と一体となり築いてきた原発依存社会がもたらした。ところが、彼らは福島事故に対し終始他人事だった。原発事故による被害は、約5年以後から顕著に表れる。政権を取り返した彼らが、原発依存の既成事実を積みあげた10年後、事故の被害を目の前にして公約の「最適な原発比率」をどう描くのか。これまでのように御用学者を総動員しあらゆる詭弁を弄して「責任はない」と主張するのか。
こんな未来を見ないために、安倍内閣の前のめりの推進政策の出鼻をくじき、昨年の運動を超えるさらに大きな全原発即時廃炉を目指すうねりを作らなければならない。
広島、長崎、福島を繋ぎ、核と原子力の廃絶を
被爆二世 産婦人科医 河野美代子さん
被爆二世 産婦人科医 河野美代子さん |
福島第1原発事故から1年10カ月が過ぎました。現実的にも本質的にも「収束」の見通しはありません。
福島のみなさんの怒りと不安を思うと、本当に胸が痛みます。67年前にヒロシマ、ナガサキで被爆し、いまも苦しみ続ける被爆者は、「あのときと同じ」「ヒロシマ、ナガサキの怒りは届かなかったのか」と悔やみ、「一刻も早く核と原子力を廃絶しなければ」と覚悟しました。
私たちは、再び三たび「ヒロシマ、ナガサキ、福島を繰り返すな」と声を上げなければなりません。森滝市郎先生は、75年原水禁大会で「核絶対否定」の立場を明らかにし、核兵器廃絶とともに原発反対を柱に据えました。
広島に避難している福島の若い女性たち、お母さんたちと話し合いました。「私は産んでもいいの?」「産めるの?」と、さまざまに葛藤がある彼女たち。3・11以降、福島を生きる女性たちの生活は一変しました。見えない放射能への恐怖、そして見えないがゆえに意見が分かれ、家族、友だち、恋人の間ですら悲しい相違が起こっています。これから子どもを産み育てていく女性にとって、とても大事な重い問題です。
私たちが若かったとき、「産もう、被爆者の命を繋ごう」「どんなことがあっても、その命を引き受けよう」「ともに生きよう、闘おう」と悩み決意し、被爆者青年同盟を立ち上げました。残念だけど、いままたそこへ戻らなければなりません。私が話したことで、彼女たちの心が晴れるとは思いませんが、生きてきた私たちの姿を見てもらい、少しでも役に立ちたいです。
「8・6ヒロシマ平和の夕べ」は、これまで今中哲二さん、米澤鐵志さん、高史明さん、中沢啓治さん、小林圭二さん、小出裕章さんらに、それぞれ語っていただきました。ネネさんや神田香織さんにも来てもらいました。今年は再び今中哲二さんに「福島後」を話してもらいます。広島、長崎、福島が繋がり、「核兵器、原子力の廃絶」を闘いとりましょう。8月6日、広島へお出でください。
反核・反原発、改憲阻止を闘い続ける
広島電車内被爆者 米澤鐡志さん
広島電車内被爆者 米澤鐡志さん |
3・11から2年になろうとしている。
私は広島で被爆した後、1950年頃から原水禁運動に関わり、60年代から「核と人類は共存できない」と原発を含めた反核運動に参加し、以後約50年「語り部」をおこなってきた。しかし3・11により三たび核惨事をひき起こし、自らからの運動の不十分さに深刻な打撃をうけた。3・11以後その反省にたって、より広く深い運動を志ざした。
昨年は原発廃止と再稼働反対の運動に「力」をいれ、大飯、福井、そして東京や8・6広島、祝島へ行った。4月18日から「使い捨て時代を考える会」槌田たかし氏が呼びかけた「再稼働阻止」ハンスト、座り込み行動に、全原発が止まった5月5日まで参加した。途中体調を崩したこともあったが、妻の「歳を考えろ」という警告にも耳をかさず毎週の関西電力京都支店行動にも参加し続けた。
それらはかつて60年代70年代の組織による縦割り動員ではなく、それぞれ個人が自由に工夫し参加する運動であった。首相官邸前の金曜行動、経産省前の、大飯の、そして瓦礫反対の大阪市役所前のテント村など素晴らしい運動が組織され、強弱はあっても力強く継続している。関電京都駅前の再稼働反対のスタンディングには、私は2時間の立ちっぱなしに疲れ、前後一時間ずらし参加。最近は簡易椅子を持ち込んでいる。多くの参加者が自分のスタイルで参加しており、200人ほどから始まり多いときは約450人まで膨れた。最近は、100人から150人に見えるが、短時間の人を含めれば決して減っていない。
マスコミがほとんど伝えなかった6月30日から7月1日の大飯原発前トンネルの阻止行動は、土砂降りの雨の中、子どもを抱いた多くのお母さんや若者・女性たちが、機動隊に排除されながら「再稼働反対」の声を上げ続けた。体力の限界で途中脱落したが、私にとっては感動的な経験であった。
ともあれ、昨年末の選挙はマスコミの意図的操作も含め恐るべき結果となった。私たちは、反原発や弾圧反対の新しい闘いに依拠し、改憲阻止の運動を再構築しなければならない。
6面
正念場をむかえた沖縄
真宗大谷派僧侶 知花昌一さん
真宗大谷派僧侶 知花昌一さん |
今、普天間基地ではオスプレイ強行配備に対する抗議・抵抗が続けられている。大山ゲートで早朝から毎日「熟年さらばんじの会」が、野嵩ゲートでは「平和市民連絡会」が毎日、月・火曜日は「クリスチャン」が、「沖縄から米軍基地をなくす県民会議」が。それだけではなく辺野古での座り込み、高江でのオスプレイパッド工事を阻止する必死の闘いが続けられている。
まさに行なわれようとする第4の琉球処分と真っ向から闘っている。処分とは権力を持った強者が弱者を一方的に処分することです。
第1回目が1879年3月27日です。明治政府が軍隊を動員して首里城を占拠し、琉球国を取りつぶし、日本に併合し、沖縄県とした。
第2回目が1952年4月28日です。講和条約で日本の主権を回復すると同時に、沖縄は「屈辱の時代」と言われる異民族軍事独裁支配=米植民地として処分された。
第3回目が1972年5月15日です。核も、基地もない本土並みを求め島ぐるみの復帰闘争を展開したが、米軍基地維持のため日米安保条約下に処分された。国を取りつぶし、日本に併合し、沖縄県とした。
なぜ今回が第4の琉球処分かというと、辺野古基地建設、オスプレイ配備をめぐって沖縄側の意思が一切反映されることなく米軍基地維持の日本政府の強権的、差別的沖縄政策が強行されようとしているからです。
沖縄はこれまで4回にわたり10万人規模の県民大会を開き、日本政府の沖縄政策に異議を突きつけてきた。民主的手段でこれでもかこれでもかと訴えてきたが、何一つ解決しないどころか、むしろますます悪くなっている。
「もう抗議とか訴えではなく、具体的な抵抗が必要だ」との声が出始めてきた。大方の民衆は日和見であり、保守的であり、臆病である。しかし日和見や臆病に優る怒りが蓄積すると一気に燃え上がる。沖縄はその経験を1970年の「コザ民衆蜂起」で経験している。県知事でさえ今の状況を「地下のマグマが燃え上がってきている」と表現する。マグマの爆発に期待と不安の入り混じった高揚を感じている。右傾化する日本を沖縄から覆していく正念場をむかえている。
政治に諦めずに、大衆運動を構築する
前衆議院議員 服部良一さん
前衆議院議員 服部良一さん |
昨年末12月16日の総選挙では、皆様のご期待に応えることができず本当に申し訳なく思います。多くの皆さんから激励やご支援をいただいたこと、感謝の限りです。
まったくひどい選挙でした。民主党に裏切られた感は当然としても、ここまで自民党や日本維新の会が大勝するとは、小選挙区制度の問題を含めて暗澹たる思いです。自民党は前回最低だった比例票をさらに218万票も減らし(得票率27・6%)、一方では43%の投票で79%の議席を獲得。議席数から見れば、自民294議席で単独過半数240を大きく上回り、自公325議席で衆議院再可決の3分の2を超え、同じく自民+維新348議席で憲法改悪の発議の3分の2を超える議席を与えてしまいました。
この選挙のつけは今後の日本の政治に決定的な局面をもたらしかねません。改憲派の筆頭の安倍が総理では、憲法9条の危機がもっともリアリティを持った時代に突入しようとしています。
選挙の大勢が判明したときに、真っ先に頭をよぎったことは「沖縄はどうなるのか」「朝鮮高校の授業料無償化はどうなるだろう」でした。民族排外主義や「国益」ばかりが強調され、マイノリティの人権が押しつぶされてしまう、危険きわまりない時代が到来するのでは…。
改憲、新自由主義、原発推進の政権。どう考えてもうまくいくとは思えません。生活格差はますます拡大するでしょう。TPPは与党内政局になるのは確実です。政治に諦めずに、大衆運動を構築していかなければなりません。
一方で社民党をはじめ日本のリベラル政治勢力が風前の灯火に。私は市民運動出身ですが、政治の世界に飛び込んだ以上は、日本のリベラル政治再建のために力を振り絞って頑張らなければと思っています。いまは、山内徳信参議院議員の秘書時代の2年間と衆議院議員3年3カ月、計5年余りの国会活動を総括し、市民運動や闘いの現場に復帰しながら、今後の活動を考えてみたいと思います。
今後とも、よろしくお願いいたします。
労働者が希望を持てる闘いを
連帯ユニオン関西地区生コン支部 副執行委員長 高英男(コウ ヨンナム)さん
連帯ユニオン関西地区生コン支部 副執行委員長 高英男 (コウ ヨンナム)さん |
私達労働者を取り巻く社会状況は、新自由主義思想に於ける消費増税・原発再稼働・沖縄普天間基地へのオスプレイ配備など、大企業優遇・一部特権階級の支配政治がその激しさを増しています。その犠牲は全て人民大衆に転嫁されているのです。派遣非正規労働者の増大・ワーキングプアの増大は正にその象徴なのです。
この間、多くの地域職場で労働組合の闘いが継続されてきましたが、充分な労働戦線拡大には至っていません。その要因をしっかりと捉え、情勢を正確に分析し、戦術を検証する事が重要です。派遣・非正規労働者の増大やワーキングプアの増大は、私達の闘う環境を厳しくしているのではなく、団結できる環境が広がっていると捉える視点が必要です。
世界的に1%の者が99%を支配する社会とは、どの様な社会なのか、その仕組みとはどの様な物なのか? 少数は多数を支配する為に大衆間に分断を持ち込みます。その為に差別を利用し、大衆の間に階層と格差を付ける事で分断を図り支配構造を固定化させているのです。
新自由主義の一部特権階級の利益追求は多数を犠牲にする事でこの支配構造を突き崩し、多くの階層から収奪しワーキングプアを生み出しています。以前までは、有名大学を卒業し一定の企業に就職すれば、生活に困る事は有りませんでした。労働組合に結集しなくても或いは社会矛盾は他人事で済ませられる生活環境が、多くの労働者の団結の阻害要因となっていました。
しかし、現在は多数の労働者が派遣・非正規労働者とされ労働者は闘う事でしか生きられない社会であることを突きつけられています。ここに多数の労働者が団結できる環境が生み出されているのです。現象面は困難に見えてもそこに反転攻勢を掛けられるチャンスが有る事に確信を持ち、闘いを展開する事が重要なのです。情勢負けしない分析とは、階級的視点を持って物事を見れば自ずと見えてくるのです。
今後の闘い方は、先ず共通する要求を組織する事、共通する戦術(闘い方)を組織する事、共通する業種で共通する闘いを作り出す事です。そうして闘う戦線を拡大させるのです。関西地区生コン支部は、生コン産業を中心にゼネコン・セメントメーカーの業界支配に抗する戦線拡大を目指し、共通の課題で中小企業集団と労働者へのオルグを積極的に展開し、他産業にもその取り組みを、運動の拡大と組織の拡大を始めています。
多くの労働者が闘い方が分からず労働組合に絶望し、闘う事をあきらめ団結できる機会を失っています。それは、私達の闘いが未だ少数で、現状を打開する闘いの典型を示せていない事が大きな要因です。要求を基礎にした闘いを組織する事こそ労働者に、希望と勇気を与えるのです。労働者が要求を実現できる闘い・労働者が希望を持てる闘いを全国の地域・職場で展開しましょう。
政治の混乱によって漆黒の闇に迷う市民
(大阪府)守口市議会議員 三浦たけおさん
(大阪府)守口市議会議員 三浦たけおさん |
政権交代こそが貧困と格差社会をなくすと多くの市民が期待をし、2009年の衆院選では、民主旋風を受けた野党民主党が圧勝して非自民を中心とする民主党政権が誕生した。一時期の例外を除いて長期与党であった自民党は本格的に下野することになった。
日本政治史で初めて国政選挙で野党が圧倒的民意を得て、政権交代となった。しかしこれまで政権を握り、市民、国民おいてきぼりの政治を行ってきた自民党・公明党から、公約である方針や意図を批判を受けると安易に政権を投げ捨ててしまった。この政治理念のなさ、一国の総理大臣が僅かな期間に三人も代わるという不安定な政治のありさまが政治不信を加速させた。
民主党は、年の瀬の押し詰まった総選挙に政権の延命を賭けざるを得ず、その結果この選挙は少数の政党の乱立と離合集散の繰り返しを呼び起こし、かえって政策論点が見えなくなり、新たな不安を招くことになった。
前民主党政権は、福島原発の事故原因も歴然としないなか、専門学者によって活断層が有ると認められているにもかかわらず大飯原発再稼動を強行した。民衆が人の命よりも原発再稼動を求めていると思っているのだろうか。
今なお国会前には反原発の怒りの声が上がっている。世界経済においては、アメリカの財政、貿易の大赤字と大失業、EUにおけるギリシャ、ポーランド、イタリアの財政危機。成長を望めぬ日本経済。その行き着く先は格差の拡大である。格差の拡大は必然的に、少数の特権階級と多数の踏み台にされた者たちとのあいだの対立と矛盾を激化させる。
結果、多くの若者を始め市民国民の政治への不信感は政治離れを加速し、理論ではなく罵倒で決着をつける、より強いメッセージ性と破壊力のあるリーダーを求めることになる。反民衆的デマ政治を掲げる勢力に変革への期待感が寄せられていく。
そうして反民衆的デマ政治と闘う側が負け続け、今、混沌(こんとん)の深淵(しんえん)に立たされていることすら多くの民衆は気付かずに、理論ではなく論理破壊を習慣付けられている。漆黒の闇から出でし混沌は深淵と結び、秩序を失った民衆は政治や経済、社会情勢に破滅を感じとり、漆黒の闇を迎えようとしている。
しかし、官邸前の20万の民衆、関西においても連日のように反原発・反ガレキ焼却で立ち上がっている民衆、この闘いの中にこそ多くの民衆の希望と未来があるのではないだろうか。
7面
総選挙後の新たな情勢に立ち向かって
経産省前テントひろば 代表 淵上太郎さん
経産省前テントひろば 代表 淵上太郎さん |
経産省前テントは一昨年9月11日、福島原発事故緊急会議に集まる人々を中心に初めての経産省包囲行動が成ったその日に建てられ、480日を超えました。
私たちは世界と日本社会の正義に位置し、それをどのように実現するかを考えています。
私たちの要求は、安全ではない原発は動かさないで欲しい、科学的に安全が保障できない原発は再稼働しないで欲しいというものです。そして少なくとも福島原発事故について徹底的な調査とそれに対する対策を講じないうちに、電力会社の都合や経済的理由によって原発の再稼働をするような愚挙はやめて欲しいということにすぎません。福島原発事故は、原発というものが非常に危険なものであり、人間がコントロールできない根本的な問題を抱えていることを証明したのです。原発から必然的につくられる核廃棄物の処理にいたっては、全く見通しがない状態です。つまり安全な原発など事実上存在しないのです。
原発の推進と規制を司るとされた経産省は、「電力の安定供給」「化石燃料の高騰」ということを大義名分に、従って安全問題は二の次で、7月に大飯原発の再稼働に踏み切ってしまいました。他方で、国会承認も経ないで、決められた原子力規制委員会は、「原発の科学的技術的な安全」を追求する、と言うものの、活断層の調査においても、問題を先伸ばしし、多くの原発の再稼働に向けての安全宣言の機会を追求していると考えられます。安倍総理は、規制委員会が安全であるとした原発を政府の責任で再稼働させると明言し、新しい原発の建設も進めようとしています。
私たちを含めて多くの国民の怒りは当然すぎるものです。まして未だに放射能被害に苦しむ福島県民(福島の3分の2の地域は今でも放射線管理区域です)は、怒りと絶望のもとで物も言えない状況に追いやられています。放射能は見えないし臭いもしないので、長期にわたる内外の被ばくの恐怖は当事者以外になかなか理解を得られないという問題をもたらしていますが、そうしたことについて政府や行政自らがその危険性の警鐘を打ち鳴らすべきです。反対に、あろうことか20ミリシーベルト以下になったら、避難者に帰還命令が出されるという事態を迎えています。
そうした中で国民が何も言わず、政府や権力者の言い分だけを聞いているとすれば、わが国が標榜する民主主義の根幹にかかわる重大な失態となります。経産省前テントは、原発の再稼働問題を軸にわが国の民主主義の実践実行を問題として、経産省の一角に存在しているものです。存在そのものが、国や経産省の責任を問うているのですから、国有地を不法占拠しているなどの批判に動ずることはありません。
新年に当たり、経産省前テントひろばに引き続き注目し、反原発・脱原発の砦として、大きなご支援をお寄せいただけるよう全国の皆さんに改めて呼びかけるものです。
安倍反動政権に対峙する重層的戦線の構築を
KCM(関西共産主義運動)代表 八木沢二郎さん
自民党は、たかだか30%弱の支持率によって「圧勝」し、安倍反動内閣が登場した。彼らは、集団的自衛権―改憲を公然と掲げ、国土強靭化―(建設)国債の増発―インフレターゲット(更なる金融緩和)を主張している。あたかも、中国侵略とそれを支えた軍事国債によって第二次大戦へと突き進んだ戦前の軍事ファシストのように。
だが、これは破綻の道である。08年リーマンショック(金融恐慌)以降各国は、大幅な財政出動と金融緩和によって一時的に危機をしのいできた。また、相対的に潜在的成長力のある中国、インド、ブラジル等の途上国の成長に助けられもした。しかし、ギリシャ―EUに見られるように、この政策が、一層の矛盾と危機を新たに生み出した。即ち、財政出動は、ソブリン危機を、金融緩和は、資金の途上国への流入となって、そこでのバブルを生み出した。こうして、先進国では、若者を中心とする失業の増大と財政危機からくる大幅な社会保障の劣化によって労働者人民を塗炭の苦しみに追いやり、途上国もバブルの崩壊と輸出の減退によって成長力を後退させ、さまざまな社会的矛盾を生み出している。
アメリカのオキュパイやEUのゼネスト、あるいは、中国での住民の決起は、その帰結であり08年以降の新たな階級闘争の開始を告げている。
安倍の政策は、上記のようにすでに使い古され、破綻が証明された代物である。一時的カンフルとして多国籍企業や土建屋を潤すとしても、やがて、財政危機をより大きくし、国債の減価と長期金利を上昇させソブリン危機をもたらす。カンフルは、強くなければほとんど効果は無く(巨大な需給ギャップ)、強ければ副作用としての危機は巨大になる。そして、EUがしめしているように雇用なき、賃金上昇なき、社会保障の劣化によるカンフルである。こうして社会的矛盾と閉塞感が、増大する。そして、今回選挙にも現れたようにこの閉塞を基盤として「決める政治」=排外主義的方向が登場する。支配者も被支配者も「これまで通りやっていけない」情勢が到来しつつある。(小党分裂=国民の分裂は、その証左であり、あれこれの政策だけではなく社会のあり方が問われる)
我々は、このような安倍反動政権に立ち向かわねばならない。それは、重層的なものでなければならない。第一に、集団的自衛権―改憲に対する広範な戦線の構築。それは、「未来」や「緑」といった中道左派をも含むものとして。彼らと手を結ぶ事に躊躇してはならない。第二に、反原発再稼動阻止の戦線の持続と強化、第三に排外主義の基盤ともなる社会から“疎外”された非正規雇用労働者や、青年、学生の戦線。それは、労働運動の課題でもあるが(橋下の公務員攻撃が連合型組合が非正規労働者を疎外しているという限りでスキをついている)それにとどまらず、湯浅氏の「もやい」的な全生活の扶助的要素を持った組織が必要である。サパティスタは、政治―軍事的戦線であると同時に民生(民の生活)の協同でもある。(同様に、主義は異なるがイスラム同胞団、ハマス等も)そして第四(最後に)これらの戦線の先頭に立ち、組織し、「最終目標」と現在の危機を解決する「過渡的方策」を提示する共産主義者の組織。当面それは「党」ではありえないが、「党派」を含む先進部分のゆるやかな組織として重要である。
「デモより大きく革命より小さい」情勢で
(大阪府)門真市議・「革命21」所属
戸田ひさよしさん
(大阪府)門真市議・「革命21」所属 戸田ひさよしさん |
年末のロクでもない結果の衆院選を経ての新年となった。不当弾圧で獄中越年を余儀なくされた人達への激励と連帯のあいさつをまず送りたい。その中には私が政治弾圧で2006年の正月を西警察留置場で迎えた時代に支援してくれた人もいることだろう。大拘に行くと畳下からさえ冷風が吹き、寒さに強い私でも体の芯から冷える程だった。大変だと思うが獄中闘争と鍛錬に頑張って欲しい。
昨年後半の脱原発運動への大弾圧では関西派(機関紙「未来」の革共同のことだが、私の習慣としてこう呼ばせて欲しい)の人達が異様な程に集中的にパクられた。「小さな所帯に何すんねん!」と思うが、それほど権力にとって目障りな存在になっているという事だろう。実際、関西派の人達は種々の大衆運動において下支え的に、左派としての原則を維持しながら頑張っていると思う。ザイトクら差別排外主義暴力集団から大衆運動を防衛する持続的活動においても、その功績は大きい。機関紙「未来」も、役に立つ記事があると感じて(失礼)読んでいる。特に原発労働者へのインタビュー記事などは出色だった。優れた記事はネット分野にどんどん紹介投稿をして、記事と「未来」の存在を広めた方がいい。(革命左翼としての分析評論も)
一方、大衆運動の誠実な活動家集団というだけでなく、「革命を目指す共産主義者の同盟」としての主張や存在感も示していって欲しいとも思う。日帝打倒社会主義革命を目指す「荒々しくも人と地球に優しい革命左翼」勢力の「見える化」が必要な時代情勢だ。
「資本主義と米帝の命脈は尽きている!」という大状況に「いつまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」の日本的中小状況をどう解体して展望を拓いていくか。「反動支配の万力」=検察司法とマスコミを撃つ目的意識的な闘いと昨年六十二年ぶりに起こった十万規模の連続的大衆決起(広範な大衆の覚醒の開始でもある)の継続拡大がその鍵だ。共に闘わん!
反核・反原発、改憲阻止を闘い続ける
ルネサンス研究所関西研究会運営委員会
『未来』読者の皆さん
ルネサンス研究所は、2010年12月に設立されました。研究所に参加する研究員の思想傾向は様々ですが、「私たちは『オルタナティブ』の空虚をもはや潔よしとしない。そこをもう一度〈共産主義〉によって埋めたいと考えている。」「私たちは政治集団ではない。…ただ、『広汎な大衆』が政治的階級形成を遂げるうえで利用可能な機関であってほしいと願うのみであり、そうした主観的願望を体現する名として、私たちは『研究所』を名乗る―立ち上げることを選んだ。…私たちの『研究対象』をあらかじめ限定するものはなにもない。それを決めるのは、私たちになにかをさせたいと思う利用者のほうであり、私たちとしてはただ、〈共産主義〉の理念を利用者とともに、実践的な『問い』として今・ここに出現させる装置でありたいと願うのみである。」(設立趣意書)を共通の拠り所としています。
以来、関西研究会ではほぼ月一回の頻度で研究会を行っています。2012年は、〈資本主義の現在―グローバル化・金融化・非物質的労働化〉をテーマに、現代資本主義の実態と本質に迫ることをめざして研究活動を行ってきました。現代資本主義批判を踏まえなければ、共産主義の新たな内容と実践を展望することはできないと考えるからです。
全世界的に資本主義の新たな矛盾が深化・拡大する中、我々のめざすべき、そしてめざしうる共産主義とは何かについて明らかにすること、共産主義者はどのような世界を実現したいと欲しているのかについて真剣な討議を組織することが重要な課題となっています。ルネサンス研究所関西研究会は、この課題に関心を寄せる全ての皆さんとの共同の研究と討論を進めたいと願っています。ぜひ、ご参加ください。
8面
真実と正義は必ず勝つ
石川一雄さんの2013年新年メッセージ
石川一雄さん |
私たちは新年を迎えても特別に意識することなく、ただ只管(ひたすら)に冤罪を晴らす為の活動を展開する中で、むしろ皆さん方の今後において、私石川一雄に対する支援活動にどう関わって頂けるのか、その方が気掛かりでなりませんが、取り敢えず新しい年の第一歩を踏み出すに当たり、皆さんに心から新年のおよろこびを申し上げます。
残り三項目の証拠開示を
昨年の年頭の挨拶の中では、「・・・今年が最大な山場」であり、私の「生死を決する年になる」と檄をとばした関係で支援者各位からも多大なご尽力を賜りましたのに、「勝利」はおろか、「再審」の目処(めど)も立てられないまま、2013年を迎えて終ったことを大変申し訳なく、済まない気持ちで一杯です。
然しながら、弁護団の話によると、今月に予定される第12回の三者協議を受けて、3月頃には補充書、鑑定書が出された後は、いつ裁判所が結論を出してくるかという切迫した状況になります。そのような中で、少なくとも裁判所から勧告されたものの、未だ開示されていない残りの三項目の証拠を出させる活動を皆さん方に切にお願いする次第であります。
これまでの再審裁判で冤罪が晴れた事件は、みな一様に検察の証拠開示に因るものであります。従って確定判決を覆す重要な証拠は検察の保管庫に眠っており、然も、膨大な未開示証拠の存在を認めながら、職責を全うしない検察側の対応を厳しく糾弾しなければなりません。ご承知の様に再審裁判では新証拠が発見された時に「実現」されるとあってみれば、尚更検察官は「無辜(むこ)の救済」の再審の理念にたち、直ちに証拠を開示し、「白」「黒」をつける措置を講ずるべきでありましょう。以前、検察担当官は、「手元に証拠を集め、整理すると分量として積み上げれば2〜3メートルになる」と弁護団との折衝の場で回答し、未開示証拠の存在を認めていたので、皆さん方の「証拠開示せよ」「不正義は許されない」の声を検察庁に届け、何としても開示させて頂きたく願っております。
全捜査過程を明らかに
私も3年ほど前に、ジュネーブにある国連・規約人権委員会委員に検察側の証拠不開示について訴えてきました。委員からは再三に渡って、日本政府に対し、強く証拠開示するよう勧告されています。そもそも検察に有る証拠は公費で公的機関に因って収集された物でありますから、本来は公的財産であり、弁護側に開示されて然るべき物です。新証拠が必要とされる再審にあって、請求人の私に当然開示すべき物である筈です。にも関わらず「プライバシー保護」等を理由に開示しない訳ですが、「プライバシー」を問題にするのなら、事件当時、被差別部落に対する差別的集中見込み捜査を行い、どれほど被差別部落の人たちの人生を踏みにじったかを先ず明らかにすべきですし、そのためにも検察は全証拠を開示し、捜査過程を全て明らかにすべきです。重大な事実の隠蔽行為が国民に知れることを恐れ、証拠開示出来ないのではないか、と指弾せずにはおれません。
「真実と正義は必ず勝つ」と信じ、声をあげてからやがて半世紀が経とうとしている現在、今度こそ裁判官は、私の訴えに耳を傾け、真摯に向き合って頂けるものと信じて居り、取り分け、私が書いた逮捕当日の「上申書」が証拠開示によって日の目を見、「筆跡の不一致」の鑑定書も提出されたことで、私にとっては、確定判決の事実認定が覆る程の新証拠として、裁判官が認めて下さると信じて疑いません。
また今後も「犯行現場」に関する捜査書類をはじめ、ルミノール反応検査報告書、証拠の標目を記載した証拠リストなど、未開示証拠類の開示を重ねて請求して参る所存です。中でも、真実の全容が明らかにされるであろう、逮捕当日から否認し続けた間に「脅迫状」を見ながら書き写した練習用紙を開示して頂ければ、当時私が如何に無学であり、文字が書き得なかったこと、また、捜査当局の不正義が明らかになるであろうことなど裁判官に解って頂けると思いながら、その開示も積極的に求める訴えを続けていくつもりです。
証拠リストを出せ
検察官は弁護団からの証拠開示請求に対し「どんな証拠か個別に特定するよう」求め、開示の必要がないとして開示拒否をしているようですが、弁護人には証拠リストすら出さず、検察手持ちの証拠が解らないからこそ全証拠の開示を求めるのであって、「特定」の仕様もないのです。故に支援者皆さんからも再度裁判官に「証拠開示を受ける機会を保障」するよう声を大にあげて頂きたいのです。
私の完全無罪への核心は証拠を開示させる一点につきるので、このことをご理解の上行動を起こして頂きたく、心からお願いし、年頭に当たり私の不退転の決意と皆さんの更なるご協力を切望して失礼いたします。
皆さんにとりまして今年もよき一年になりますよう念じつつ。
2013年1月1日 石川 一雄
生まれつきの革命家 吉岡史朗君へ
君と初めて出会ったのは、40年以上も昔のことになったね。お互い貧しかったが、差別や抑圧の無い平和な世界を造ろうという気持ちで一杯だったね。集まって何をしていたか、もう思い出せないが、昼になると毎日近くの市場でお握りを買ってきて食べたことは何故か覚えている。
その後暫くして別れの挨拶もしないで別れてしまい、30年君と会う事はなかった。
20世紀も終わりに近づいた吹雪の夜、君は大きなリュックを背負って汽車から降りてきたね。人気の無い駅の改札を通って僕の所へやって来て30年ぶりの握手をしたのをはっきり覚えている。なんと素晴らしい再会だった事か。
数年が過ぎ、君の勧めもあって君の近くで仕事を再開してからは、昔と違って毎晩のようにお酒を飲みながら政治だけで無く音楽や文学、登山やスキーの話をしたね。今考えてみると、君は僕が大学に居た頃の話を随分褒めて話してくれたが、自分の30間は全く話さなかったね。君の部屋の膨大な書物、簡便に造ってくれた結構美味い食事、眠る時は自分のベッドを譲ってくれた君の優しさ、共に出来た時間に感謝。
そして話がスターリン主義って何だと。唯物論で見る日常、なかなか答えが出なかったね。でも暫くして「もう少し時間を、必ず解決するから」
と言って第二の「3・14」をやってくれたね。さっき聞いたのだが、マルクスが亡くなったのが「3・14」、君が生まれたのは「3・14」、君は苦しい問題でも何時も楽しく片付けたが、生まれつきの革命家だったんだね。闘いの最後は経産省前から大飯、大阪市役所前テント、反原発の闘いに立ち上がった多くの人達、若者に囲まれ、「健康に注意」を聞きながら闘いを続け志半ばで倒れたんだな。
今、暗黒の時代への扉を開けようとする奴等が居る。涙で君を送ることは止める。どす黒い奴らを打倒して新しい時代への扉に手を掛けよう。我々が君を乗り越えるまではまだ君が必要だ。暫く会えないのは残念だ。
2012年12月5日 僕は北の旅人だった。(中畑 透)
高校授業料無償化
安倍が 朝鮮学校を不指定校に
民主党政権が導入した高校授業料無償化から朝鮮学校が除外されていた問題で、学校法人「朝鮮学園」が、近く国を相手に無償化の義務付けを求める訴えを大阪地裁に起こす方針を固めたと12月28日の朝、報道された。
その直後の閣議で安倍は、朝鮮学校を不指定校とするよう文科相に指示。閣議後の記者会見で下村文科相は、「2013年度から朝鮮学校に対して高校授業料無償化を適用しない」方針を表明。
無償化が始まって以来、朝鮮学校には一度も無償化は適用されていないが、民主党政権時代は、あくまで「審査中」という建前であった。つまり、法律上は除外できないが、まだ「審査が終わっていない」というかたちで実質排除=違法状態を続けてきた。
ところが、安倍は高校無償化法に基づく文科省令を改悪して、朝鮮学校を不指定にし、国内10校の朝鮮高校に不指定処分の決定を文書で通告するという。裁判を起こされる前に、現在の状態を合法化しようという実にあくどいやり方だ。
冬期特別カンパへのご協力をお願いします
原発ゼロと沖縄の米軍基地撤去の実現のために民衆自身の直接行動を発展させましょう。わたしたちは、そのためにみなさんと共に奮闘します。ぜひ、革共同再建協議会へ冬期特別カンパを寄せて下さい。
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