未来・第98号


            未来第98号目次(2012年2月7日発行)

 1面  対米追随を深める野田政権
     首相施政方針演説 消費増税突撃を宣言

     経産省が撤去通告 経産省前テント守れ 700人

 2面  米新戦略と自衛隊の同盟軍化
     成澤宗男さん(『週間金曜日』編集部)が講演

     ストップ!日米共同演習
     ヤマサクラ61反対 800人が集会・デモ

     労働福祉会館をつぶすな 尼崎市に抗議

 3面  日本政府の棄民政策に抗して(下)
     中手聖一さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 代表)

     避難・保養うけいれ 福島の子どもを守ろう
     <子ども福島>の吉野さんが訴え

 4面  反原発6万人決起に動揺する安田派
     「革共同政治局 2012年1・1アピール」を批判する 涼宮 晴人

     大阪市教委 橋下案を丸のみ

     秘密保全法 今国会上程ねらう

 5面  無権利化ねらう有期雇用契約
     非正規労働者の権利実現へ全国会議

     貧困・格差ゆるさず生きていける賃金を
     関西合同労組が12春闘討論集会を開催

     大飯原発3・4号 ストレステスト 密室聴取会を弾劾

 6面  被ばく地・フクシマで出会った人びと(4)
     「私たちは"戦友"よ」 古河 潤一

     投稿 「除染と復興 〜フクシマをめぐる現局面〜」を読んで
     『情況』 2012年新年号所収

       

対米追随を深める野田政権
首相施政方針演説 消費増税突撃を宣言

野田首相の施政方針演説(1月24日)は、全体の約3割を「社会保障・税一体改革」にあて、「不退転の決意で臨む」「決断する政治」などと、消費税増税の決意が散りばめられている。反面、原発再稼働と沖縄への新基地建設については意図と手順を曖昧にすることに徹している。
野田首相は、自民党ができなかったことをやる政権として、対米、対財界に自らを売り込もうとしている。「社会保障・税一体改革」(実際は消費税の引き上げと社会保障の切り下げ)、普天間基地の「名護市辺野古への移設」(内実は新基地の建設)、TPPへの参加に向けての協議開始(アメリカのグローバル資本がもっとも望んでいる形で)、さらに前原を政調会長に起用するなど、すべてがそうである。

野田改造内閣の布陣
1月13日発足の改造内閣で、原理主義的新自由主義者の岡田克也を、行政改革と公務員制度改革担当兼任の副総理として入閣させた。ここに、新内閣の性格が示されている。岡田は早くも20日には、「最低年金を賄う財源という意味で(10%を超す)さらなる消費税の議論が出てくる」と発言した。
「社会保障・税一体改革」とは、社会保障の削減・切り捨て(年金額のとめどない削減、自己負担の引き上げによる医療・介護の受診・利用抑制など)と消費税増税の一体としての実現である。唯一の目玉政策として打ち出した「総合的な子ども・子育て新システム」も実態は、保育の公的責任を放棄し、親の自己責任に変える大改悪である。
代表質問にたいする答弁で野田首相は、13年に年金制度改革(支給引き下げ)の法案を出し、14年3月末までに国家公務員給与の平均8%引き下げ、14年4月には消費税率の第一弾の引き上げを明言した。

施政方針演説の内容
「はじめに」で三大課題として、「大震災からの復旧・復興」「原発事故との戦い」「日本経済の再生」を挙げながら、復興のための施策としては、「復興庁」「復興交付金」「復興特区」を挙げただけである。被災地住民の生活の「復旧」はなく、ゼネコン・大企業・グローバル企業のための「復興」だけしか挙げていない。
しかも今年3月11日には、「政府主催で追悼式を執りおこなう」と述べた。被災地から逃げて、東京で、天皇が出席して開催するというのである。一方で、被災地の特別措置で延長した失業手当の期限切れが始まっている問題では、なんら具体的支援策を出していない。
原発事故対策では、廃炉までの具体的方針はなにもない。むしろ「収束宣言」を出した「ステップ1完了」の意義を強調し、「経済再生のためには、エネルギー政策の再構築が欠かせない」と、原発再稼働に道を開こうとしている。
除染を第一に挙げ、賠償については「公正で円滑な賠償」などと、線引きを持ち込もうとしている。総じて、被災者・被曝地住民のことなど考えていない。その一方で、「福島の再生なくして、日本の再生はありません」「がんばろう、日本」などと白白しく言う。
本音としての「日本経済再生」では、新自由主義的な「新成長戦略の実行の加速」を挙げている。沖縄については、「日本経済の再生」のところで「自由度が高い一括交付金」を挙げるなど、ペテンきわまりない。
「外交・安全保障政策」の項では、TPP協定交渉参加に向けた協議と普天間飛行場の「移設問題」という2つの目玉を、国際責任、日米同盟の観点から強調している。国内的理由はほとんど触れることもできない。とくに普天間問題ではひどい。中国・「北朝鮮」(朝鮮民主主義人民共和国)・イランの脅威を強調するのみで、日本の戦争責任、賠償問題についてはいっさい触れない。そして、「国際社会への責任」の項の最後に、南スーダンへの自衛隊派兵を挙げている。軍事的争闘戦への本格的参入を宣言しているのである。

民主主義は街頭にある
野田政権は、グローバル資本としての日本の財界の延命戦略に規定されている。それは世界的な新自由主義攻撃の行き詰まりのなかで、米体制への追随と支持に唯一の延命の道を見出そうとするものである。そのために、労働者への攻撃と支配の強化を図り、負担と犠牲を全人民に転嫁するというのだ。
政権交代してもなにも変わらない、自民党もだめ、民主党もだめという行き場がない幻滅、官僚と官僚主義にたいする怒りが、ポピュリズムを生んでいる。それに乗っかろうとする新党構想さえ登場した。その代表である橋下・維新の会らの主張は、首長独裁による上意下達政治と弱肉強食の市場原理主義の結合だ。
このような現状では、労働者人民は、もはや「民主主義は街頭に存在する」ことを発見せざるをえない。政権交代後の3年間の教訓は、労働者人民が生きるためには、既成政党やその組み合わせに期待することはできないということだ。自ら決定し、自ら行動するなかにこそ展望がある。

経産省が撤去通告
経産省前テント守れ 700人

「テントを守れ」経産省前は抗議の人で埋まった(1月27日)

脱原発をかかげ、昨年9月から経産省前にたてられているテントに対し、1月24日午前、枝野経産相が定例記者会見で「テントの自主撤去を要求する」と表明。それをうけて経産省は文書で、「27日17時までに自主撤去せよ」と通告してきた。これまで経産省は口頭では毎日撤去を要求してきたが、今回は期限を切って命じてきた。
27日当日は13時から弁護士会館で抗議の記者会見、16時からテント前で抗議行動がおこなわれた。行動が始まった時点で、参加者は4百人を超えていた。〈経産省前テントひろば〉淵上代表が、これまでの経緯を説明し、決意を述べた。
〈とつきとおかの座り込み〉世話人の椎名さんが「テントはフクシマの支え。昨年10月以来何度も福島から往復して座り込みをおこなってきた。どんなに励まされたか」「テントの維持は私たちにとって絶対必要なのです」「福島の人は原発事故でどれほどの人が苦しんでいるのか、経産省は全く反省していない」と訴えた。
〈全国女たちの座り込み〉スタッフの木村さんが「原発の再稼働は絶対許さない。そのためのテントです。みんなの力で守り抜きましょう」。
これまでテントで座り込み、行動してきた人びとの発言がつづく。脱原発弁護団全国連絡会、福島会津の民謡など。途中、司会から17時時点で参加者は6百人を超え、北海道では20団体が抗議声明、経産省への抗議ファックス8千を超えたと報告があった。
さらに発言がつづき、18時に参加者は7百人を超えた。まとめは〈経産省前テントひろば〉の高橋幸子さんが、激烈に「一歩も屈しない、絶対引かない」とアピールした。
最後に再び椎名さんがマイクをとり「こんなに集まってもらった。本当に感謝しています。うれしいです。これからも座り込みをつづけ、みんなで原発いらないを行動していきましょう」と感謝の言葉をつづった。
その後も、テント前はいつまでも交流がつづき、この日、訪れた人は千人にのぼった。
当日、経産省は16時すぎには入口をシャットアウトし、内部の警備を普段の7倍にしていた。(1月30日 記)

2面

米新戦略と自衛隊の同盟軍化
成澤宗男さん(『週刊金曜日』編集部)が講演

1月21日、「日米共同指揮所演習=ヤマサクラ61反対学習講演会」が尼崎市内でおこなわれた。主催したのは「とめよう戦争兵庫―阪神連絡会」と「元自衛官連絡会」。講師は『週刊金曜日』編集部の成澤宗男さん。集会には米軍再編と自衛隊の関係を知ろうと60人が参加し、活発な質疑応答がおこなわれた。以下、成澤さんの講演要旨を掲載する。〔文責 本紙編集委員会〕


マスコミがつくった「日米安保神話」
いま世論調査をすると、90%以上の人が「日米安保条約は日本を守るため」となります。しかしこれはマスコミが作った「原発安全神話」と同じ神話です。日本人は「国を守る」ことを事実から考えることをしなくなった。米軍戦略や日米安保を考えるとき、ここから出発しなくてはなりません。
なぜ神話なのか。それは、アメリカは日本を守るために軍隊を駐留させているのではない事実を見ないからです。アメリカは建国以来、一貫して自国のために軍事行動をしてきた。外務省はなく外交・軍事は国務省・国防総省がします。ここ10年アメリカが世界で何をしたか。アフガニスタンでは、9・11に対してアルカイダを犯人とし、その基地があるとしてタリバーン政権を倒したが、この正当性は証明されていません。イラク戦争の「フセインの大量破壊兵器」もウソでした。
いまの日本でも、「拉致問題」や「不審船」を使い、今にも北朝鮮が攻めて来る、佐渡島を占領するなどと(新潟県の出身の私は新潟に帰ると)、扇情的に言われます。また中国は軍備を拡張して日本周辺で軍事行動を行い、これが脅威と言います。これも米軍・自衛隊の最新の装備と比較すると、まったくの虚構です。

「アジア重視戦略」の虚と実
昨年来、アメリカの軍事戦略の転換が言われていますが、これをどう考えるか。ブッシュの時代から2正面戦略というより「全世界即時攻撃構想」です。そして米軍事戦略の要諦は、全世界に米軍基地と同盟軍を配置し、地球上のどの場所でも1時間以内に、相手国・軍を壊滅させるというものです。
次に中国の軍事力ですが、他の国(日本など)と同様に、経済力が伸びれば軍事力も伸びるというもので、空母もロシアが鉄屑で売ろうとした船を再生したのです。空母はスペイン・イタリア・ブラジルも持ち、アメリカは11隻の原子力空母を全世界で展開させています。逆に、中国の空母をことさら脅威とする理由こそ見なくてはなりません。また米中の経済関係からして、全面戦争はありえません。
それよりも、アメリカは自国の世界戦略に脅威なものを軍事的に撃破するため、最新の軍備を更新する。それが問題のエアー・シーバトル(統合空海戦闘)です。

新防衛大綱と自衛隊の「同盟軍」化
今日の最大の問題は、この米軍戦略と一体で、(極東のみに限定された)「日米安保条約」にも違反する形で、在日米軍と自衛隊が世界規模で軍事を展開していることです。1976年に制定された「専守防衛」・基盤的防衛力が破棄され、新防衛大綱で動的防衛力へ転換しました。アメリカのエアー・シーバトルと一体化し、攻勢戦略をとるということです。
その上で、自衛隊は実戦を担ったことのないハンデを取り戻すため、本格的な実戦型の軍事演習を米軍と一体で激しくおこなっています。
佐世保にある日本版海兵隊=西部方面隊普通科連隊が、佐世保の強襲揚陸艦エセックスと一体で激しい敵前上陸作戦をおこない、その激しい訓練で自衛隊員から「自殺者」が出ています。東日本大震災の時の「トモダチ」作戦でも、イラクのファルージャ作戦を担った沖縄の海兵隊が、エセックスで気仙沼に上陸しました。「トモダチ」作戦は敵前上陸制圧訓練でした。いまや日米安保条約は、米軍戦略の最先端任務を担うようになっているのです。
結論的に言えば、アメリカの狙いは、日本を米軍の世界戦略にリンクさせ、英軍や豪軍のように死者を出しても軍事行動をおこなう自衛隊づくり、「米日同盟の米英同盟化」です。今回豪軍も参加するヤマサクラ61はそのためのものです。

ストップ! 日米共同演習
ヤマサクラ61反対 800人が集会・デモ

日米共同演習=ヤマサクラ61(1・24〜2・6)がおこなわれる伊丹市に、1月22日、関西各地から800人が集まり、集会・デモ・ヒューマンチェーンがおこなわれた。

日米共同演習に「怒」のプラカードで抗議(1月22日 伊丹市内)

同盟軍化・実戦部隊化
今回のヤマサクラ61は、米軍再編・オバマ新軍事戦略のもと、オーストラリア軍も参加し、中国・朝鮮民主主義人民共和国を敵国とし、自衛隊の同盟軍化・実戦部隊化をねらって、人員を増やし期間も2倍にしたもの。この意図に対し、昨年8月より集会実行委は調査・学習を強め、関西全域の反戦・平和団体、労働組合、地方議員・個人に賛同を呼びかけ、1・22闘争を準備してきた。
集会は地元伊丹民商の千住実会長が主催者あいさつ。宝塚の大島淡紅子市議と青年が司会をおこない、政党・来賓からは、服部良一衆議院議員や「沖縄ヘリ基地反対協」比嘉靖さんなどが発言した。
服部議員は、政権交代後の民主党政権の裏切りと、自民党以上の反動防衛政策を弾劾し、2012年は脱原発・辺野古・消費税などで流動をおこしていこうと発言。
つづいて比嘉さんは、沖縄に対する差別構造を弾劾し、沖縄がいかに戦争の犠牲になってきたかを訴えた。また平和憲法下で日本が米軍の手伝いをしてきたことを指弾。名護・辺野古の闘いでは素晴らしい市長を登場させた。さらにこの力を強めるために2月の宜野湾市長選で勝利し、米軍普天間基地は即刻閉鎖し沖縄に返せと訴えた。
次に、伊丹・川西・宝塚を先頭に、近隣都市の60人をこす地方議員が日米共同演習に反対を表明しうち20人近くが集会に参加し、伊丹市の上原議員から門真市の戸田議員まで、全員が紹介された。

伊丹駐屯地を包囲
集会宣言は平和憲法を広げる兵庫県民会議の木下達雄代表が提案し、参加者は「怒」の文字を広げ採択した。閉会あいさつを中北龍太郎弁護士がおこない、デモ行進に出発した。
デモは陸自第3師団前を通り、中部方面総監部(伊丹駐屯地)へ進む。西門で請願・申し入れをおこない、基地を包囲するヒューマンチェーンをおこなった。北ゾーンではフェンス越しに米軍野営施設が見え、伊丹駐屯地をキャンプ・イタミとして沖縄基地同様に米軍拠点とする日米共同演習に、怒りのウエーブをたたきつけた。

労働福祉会館をつぶすな 尼崎市に抗議

1月29日、「残そう労働福祉会館 尼崎市民集会」がひらかれ、労働組合員・近隣住民・利用者ら150人が参加した。
会館の玄関前でおこなわれた集会では、冒頭、尼崎地区労の小西事務局長が経過報告。酒井議長が主催者あいさつ。労働団体、「障害者」団体、市民運動、近隣の利用者がそれぞれ労働者福祉の切りすてを弾劾した。とりわけ手話サークルの団体は「ここを拠点に運動している。廃止されるとサークルが成り立たない」と発言。医療生協に勤める青年は家族4人で参加し、「子どもにこのような誇れる施設を残すことが親の役割」と語り、子どもにつけを残さないといって市財産を切り売りする尼崎市政を弾劾した。
会館の管理運営団体スタッフによる軽快な演奏とジャズリズムの歌(「わたしゃ労館の受付おばさん〜」)には喝采がおくられた。
また同館で春闘集会中の関西合同労組から多数の組合員が参加し、石田委員長が「廃止は絶対に許せない」と発言。
最後に「ろう館 つぶすな」を歌い、阪神尼崎駅前までデモ行進した。

対市交渉、市民説明会
1月25日の対市交渉は70人が参加し、前回の局長交渉以上に反動的な市の説明に激しい抗議の声があがった。さらに28日、30日と市民説明会が開かれ、利用者・市民が両日で100人以上参加した。45年以上使っているという市民や、子どもづれのお母さん、同郷の仲間の集いや音楽サークルなど幅広い利用者・市民を前に、市当局は「2012年度で廃止」をくりかえすのみで、怒りを買った。

福祉切りすてを強行
大阪維新の会・橋下を「改革者」と賛美する稲村市長は、橋下の大阪市長当選を機に一気に労館潰しに舵をきった。白井前市長は財政再建の名で市民プールを廃止、保健所を統廃合、保育所の民営化、学校給食の民間委託など、激しい福祉切りすてをおこなった。その後継の稲村市長は、「阪神淡路大震災復興ボランティア」の名で登場し、「みどりの未来」代表で『人民新聞』や『グローカル』にも登場し、エコ派・市民派を装ってきたが、今や新自由主義攻撃の急先鋒。最も反対の強い労館を潰し、その後は公民館・地区会館・女性センター・青少年センターの統廃合など、市民の最も身近な施設を売りとばそうとしている。パナソニックの工場誘致には莫大な市民の税金をさし出したが、数年で撤退(白井前市長時代)。震災・津波対策は一切おこなわず(労館は市南部の避難施設)、他方で労働者福祉を破壊する稲村市政を許してはならない。
次々と市民の財産を売り飛ばす尼崎市政に、市民の怒りは充満し、労館廃止反対の署名が広がっている。2月市議会を怒りの声で包囲し、労館つぶしを阻止しよう。

「労館を残そう」150人が会館前で集会(1月29日 尼崎市内)

3面

日本政府の棄民政策に抗して (下) 中手聖一さん
(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 代表)

阪神淡路大震災17周年集会(1/15)での福島からの報告(要旨)
本紙前号から続く


ネットワークたちあげ
中手聖一さん
ともに行動を起こしましょう、そう呼びかけて5月1日にできたのが冒頭ご紹介頂きました、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークです。立ち上がり時には250人ぐらい、現在は600人くらいのメンバーでやっております。
集まってみるとみんな地域の中で孤立して非常につらい目にあっていたんです。「危ない」と学校に抗議をしに行くと、もう変人扱いされてしまうんです。「あなただけですよ、そんなこと言って」。いや本当はそんなことはないんですけれども、学校のほうでとにかく平静になるようにと、落ち着いて行動をするようにというような指示ばかりを受けていて、いわば危険を口にする人達を排除しようと。こんな空気。地域の中でもそういう傾向がありました。

安全キャンペーン
事故が起きて8日後、3月19日には長崎大学から山下俊一教授がやってまいりました。専門家ということでやってまいりました。彼自身被爆2世だと、そして、チェルノブイリの調査にもあたったエキスパートだと、こういう触れ込みだったんですが、何のことはありません。チェルノブイリ事故の影響というのを世界でも最も過小評価している人間。福島に来て何もまだ細かいことが分かってない状況の中で、「もう大丈夫だ」と。彼は3月20日に収束宣言を勝手にしました。「これ以上事故はもう大きくなりませんから」と。今ある放射能のことだけ考えればいいですと言ったんです。そして今ある放射能の空間線量で言うと20マイクロシーベルト、30マイクロシーベルトなんていう数字はもう全く影響が無いんだと。心配する必要ないんだと。100マイクロシーベルト/時を超えたらば初めて心配してくださいと、こんなことを言っております。これが、不安の中にいた福島県民に本当に大きく影響を与えたんです。
ですから一般市民の中でも放射能の危険、学校に子どもを通わせて大丈夫なのかというようなことを言うと、「あなたは考えすぎだ」「心配しすぎだ」というように言われてしまう空気。家族の中でもお母さんが心配していろいろ言うと、お父さんの方がもう家の中で放射能の話はやめてくれと。こんなことを言うような状況でありました。

温度差
250人の仲間が集まっても、実はこの中にも温度差がありました。ネットワークでは、その温度差を全部認め合っていこうじゃないかというふうにしました。
何が先だ、どっちが優先だということを議論してる時間は無いと。そう思った人が自ら手を上げて世話人になってくださいと。全部の活動をいっぺんにやりますよ、として始め、今もそういうふうにしております。
@避難・疎開・保養の呼びかけや具体的な企画を作る班、A除染・測定グループ、B学習会など知識の普及をやるグループ、C防護と呼ばれる、個人個人ができることは何なのか、食事のこと、あるいはマスクなどの身の守り方なんていうことですね。そういうことを一生懸命やっていこうじゃないかというようなグループ。この4つに分かれて活動を始めました。

打つ手が無い
この10カ月やって率直な感想を言いますと、原発の事故というのはひとたび起こってしまえば本質的には打つ手が無いんだなあということです。
除染というのは私達が一番最初に声を上げて、小さな市民グループでありますから、やれることは私立の保育園の小さな園庭の土をはいだりというようなことが関の山ではありましたが、やるんですが、結局また数字がどんどん上がってきてしまう。放射能は、山から住宅地や田畑に移動してくるということが、あとで分かりました。
今福島に来られた方々はみんな、どうしてこんなに普通に暮らしてるのとおっしゃいます。見た目だけでは全く普通に戻ったかのように見えるはずです。確かに普通の顔をして暮らしております。しかし福島での暮らしが普通の暮らしではないんだということは、福島にいる人間が一番よく知っております。もう限界なんです。

避難できる環境を
私たちは、自主避難の呼びかけというのを6月から本格的にやりました。全国の方々の協力も得て、今約6万人くらいの方々が福島県外に避難をしております。けれども子どもたちは全体の1割でしかないんです。
避難できる環境を整えるということがこれからの大きい課題になってくるだろうと思っています。避難にも先程言った一時退避ばかりでなく他にもいろんな形態があります。
ひとつは疎開というものです。これはいずれは福島に戻ってくるということを前提にした中長期的な避難の形です。さらに、「選択的な避難区域」を設定させたいというふうに思っています。希望者は避難ができるというエリアです。

チェルノブイリの例
こういった汚染がどういう影響を与えるかということについて、簡単にふれておきます。チェルノブイリの例から。
放射線の影響ということを言いますと、がんと白血病というふうに言われます。確かにがんも増えております。特に17年後あたりからその割合が増えていますが、増えている病気全体の中のごくごく一部です。
一番多いのは呼吸器疾患、それから心臓疾患などの増加も激しい。セシウムは心筋にたまりやすい。あるいはチェルノブイリ膀胱炎と呼ばれる泌尿器系の病気も増えている。
実際にこういうふうに様々な病気が事故の17年後あたりから増え始めています。子どもの場合はもっと早かったと聞いております。

住み続けることの影響
事故の際にも確かにたくさんの放射能が来て直接吸い込んだりして取り込んだのもあるんでしょうけれども、そこに住み続けることによって受けている影響というのもここから推察できます。
こんなことから福島の将来というのを考えた時には、本当に正直絶望的な気持ちになってしまうところがあるんです。先程も言いましたようにこの1年やってきて、結局決め手となるような打つ手はないんだなあというのが実感であります。それでもやはり私たち大人が子どもに向かって「もうお父さんはあきらめたよ」とは決して言えません。わずか何%でも1割でも被害を減らしたい、影響を減らしたいと思って活動してきました。これからもその気持ちで活動してまいります。
今避難とあわせて、防護グループの方では西日本から野菜を送っていただいて子ども達に優先的に販売しようと、そういう子どもを持つ親達に販売しようというような取り組みも始まっています。とにかくできることは一つでも多く、あきらめずにやっていきたいと思います。
事故の風化、被害の風化というにはまだまだ早いんですけれども、しかし国は収束宣言を出し、意図的に風化させようという大きな力が働いているのも実感しております。是非私達市民の力で今起きていること、これから起こしてはならないことというのを広く皆さん方の回りにも広めていただければと思います。
〔文責・見出しは本紙編集委〕

避難・保養うけいれ 福島の子どもを守ろう
<子ども福島>の吉野さんが訴え

一時避難の有効性を訴える吉野さん(1月22日 神戸市内)

1月22日、「放射能からいのちを守る全国サミット(2・11〜12・福島市など)」のプレ企画でみみをすますinひょうご〜今、関西でできることを語り合う〜≠ェ、神戸で開催された。関西各地で活動しているボランティアなど120人が参加した。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの避難・疎開・保養班の世話人・吉野裕之さんが基調報告。
食物からの放射能取り込み(内部被爆)について、毎日10ベクレルずつとると危険である。ホールボディカウンターで、毎月1300人を検査(20歳以下無料)をしている。野菜カフェ「はもる」(安全な野菜の販売と交流の場)が非常に好評である。
仕事や経済的負担等で残らざるを得ない人びとの負担を考え、あきらめざるを得ない人びとと支援をどうつなげていくか。それが保養。たとえば、〈4カ月 福島→2カ月 他府県〉のサイクルで、放射能の生物学的半減期を考慮すると、「サナトリウム型保養」(チェルノブイリで実践済み)が非常に有効なこと。避難は人が行政区から消えていなくなるが、保養は「一時の避難」で人口が減ることにはならないから、福島県など行政とも話ができることで、有効である。
福島では、あきらめや温度差が困難をつくりだしているなか、こどもを持つ親たちが測定・調査・学習・啓蒙・避難・保養など、できることはすべて、支援とともにとり組んでいる。北海道など自治体の協力(3千人の子どもたちの保養の交通費を道庁が負担)が大きな力となっていることなど行政との連携が必要。支援団体間の横の連携を広げて、つなげていこうと提起した。

子どもを放射能から守る
会津放射能情報センター代表・片岡輝美さんの現地報告、避難している人の発言などが続き、後半は、4つの分科会がおこなわれた。その討論では、支援の仲間たちがサマーキャンプ、ホームスティ、就農支援など、さまざまな団体が各地方で、受け入れ体制を作りどんどん実践している報告には圧倒された。
2・11〜12全国サミットで全国の取り組みの集約をおこない、つながりをより強くより広くしていこうとしている。避難する(できる)人と避難しない(できない)人との温度差(時には分断や混乱)も、子どもを放射能から守る一点で協力しあう在り方で乗り越えようとする姿勢には、考えさせられた。私は、ユニオン・労働組合の立場から、阪神大震災でのボランティア・支援の経験を生かしながら、最大限の取り組みを行っていきたいと思う。全国の闘う仲間は全力で、被災者・福島の子どもたちへの支援に取り組もう。(通信員・I)

※ユーストリームIWJ兵庫1チャンネルに映像があります。

4面

反原発6万人決起に動揺する安田派
「革共同政治局 2012年1・1アピール」を批判する
涼宮 晴人

2012年のたたかいは、世界恐慌とアジア戦争危機のなか、福島被災現地と経産省テント―沖縄―三里塚を先頭に力強い前進を開始した。昨年9・19明治公園6万人決起は情勢を大きく切り開いた。この道を進もう。一方、この9・19明治公園6万人決起に動揺と混乱を深めているのが安田派中央である。

3・11―9・19情勢とたたかいの展望

9・19は「5万人結集」を呼びかけた主催者の思惑をはるかにこえたものだった。「原発再稼動反対」を中心テーマに6万人以上が明治公園に結集した。
当日は集会開始の1時間前には会場から人があふれ始め、集会開始時刻になって押し寄せる人波はさらに増え続けた。JR当局はこれ以上の降車乗客の受け入れは危険と判断し、急きょJR千駄ヶ谷駅を「通過」扱いにした。明治公園6万人を中心にさらに東京体育館周辺の自由通路一帯(明治公園よりも広い!)も人で埋まり、公式発表はないものの集会参加者と参加を試みた人の合計は10万人をこえたことは間違いない。

呼びかけ人の奮闘と福島現地500人の隊列
9・19成功の大きな要因は、大江健三郎氏をはじめとした呼びかけ人諸氏の真剣な訴えと集会準備にあるといえる。平和フォーラム一部幹部にあった保守性をつきやぶり、具体的に原発再稼動を阻止して、全原発を停止するためにおこなった心からの呼びかけが、これだけ多くの人々をとらえたことは感動的だ。
また、9・19の成功を牽引したのは、福島現地からの労働者、農民、市民たちだ。白虎隊にならったとされる、「怒」ののぼり旗と訴えは集会の方向性を決定づけた。

大衆決起の構造
この6万人の人々はどこからやってきたのか。示唆を与えてくれる例がある。
ある自治労加盟単組では、現場における組合のたたかいが久しく低迷していて、とても反原発のような政治課題の動員は期待できないとの判断で、おざなりな「動員通達」だけを回し、わずかな役員と専従だけで参加しようとしていた。ところが、「動員通達」を回したところ、執行委員経験者をはじめとして「オレも参加していいのか?」との問い合わせがあいつぎ、当初見込んでいた動員数の数倍が9・19当日に参加した。これは一例である。
かえりみれば、中曽根の国鉄分割・民営化攻撃以降をとってみても、日本の労働者人民は日本帝国主義国家権力と総資本に対して以下のように渾身の反撃を実現してきた。

・1987年 売上税反対決起(中曽根打倒)
・89年   土井社会党の躍進といわゆる「マドンナブーム」
・92年   カンボジアPKO派兵に反対した全国の反基地運動
・95年   「米軍少女暴行事件」を引き金とした、沖縄10万人決起
・97年   沖縄・辺野古新基地建設反対運動の開始
・98年   新ガイドライン・有事法制反対、20労組を中心とした数万人決起
・2000年 国労臨時大会 闘争団と家族による演壇占拠により4党合意可決を阻止
・01年   アフガニスタン―2003年 イラク侵略戦争反対運動
・05年   「日の丸・君が代」闘争の開始
・07年   沖縄戦記述の教科書検定問題で沖縄11万人決起
・08年   年越し派遣村
・09年   8・30衆院選挙、自民党政権崩壊
・10年   鳩山内閣崩壊
・11年   3・11と9・19明治公園6万人決起

上記、1987年〜2010年のたたかいの実体に注目すると、それぞれに個別のたたかいでありながらも、これらの大衆決起の中心に国労と国鉄闘争支援陣形があることに気づくだろう。
だからこそ、日本帝国主義国家権力と総資本は大衆決起の事実上の「軸」となっている国労と国労闘争団および1047名国鉄闘争支援陣形の解体を国家戦略として位置づけ、国家的体重をかけて攻撃を続けてきた。
それは2010年4・9政治和解とそれをテコとした国労中央本部による闘争団切り捨て、全国支援陣形解体により、権力の側からすれば「これでトドメ」となるはずだった。しかし、3・11震災―津波―原発事故が労働者大衆を心の底から突き動かしたとき、たとえその労組の執行部がどんなに腐敗していても、組織された労働者は労働組合を水路にして巨大な決起を実現できる。このことを9・19は劇的に実証した。4・9政治和解をもってしてもまだ日本労働者人民の戦闘性は健全だということだ。

9・19の大成功に打撃感

一方、安田派中央は歴史的9・19決起に追いつめられ、動揺と混乱を深めている。それを表現しているのが『前進』新年号(2518号)の安田派政治局『2012年1・1アピール』(以下『アピール』と略)だ。
安田派の現場メンバーは以下の2点について『アピール』での中央見解を待っていた。
ひとつは、2011年4月に行われた統一地方選挙結果、とりわけ杉並区議会議員選挙に関する総括だ。開票結果は、新城・けしば陣営が前回より得票を伸ばす中で、北島候補が大幅に票を減らし、前者それぞれにダブルスコアの差をつけられ落選した。
いまひとつは9・19明治公園6万人決起の直後であったにもかかわらず、11・6日比谷集会が昨年から「微増」に終わってしまったことだ。(実際には「微減」だが、「微増問題」と呼ばれている)
以上の2点について、『アピール』ではまったくふれられていない。
まず、2011年に安田派中央が反原発運動について動揺した過程は以下のとおりだ。
3・11直後、安田派中央はその中心的テーマを被災地における「震災解雇との対決」に据えていた。しかしその後、全社会的に反原発・脱原発の動きが強まり、特に4・10「素人の乱」1万5千人デモが安田派中央を動揺させ、選挙終盤で決定的「ブレ」が発生し、結果として杉並区議会議員選挙において北島候補は惨敗した。
安田派中央は、この統一地方選挙敗北を受けて、同年5月に全国代表者会議(安田派『共産主義者』bP69所収)なる党規約に定めのない会議を私的に招集して、「思い切って反原発闘争に力を入れる。大胆に統一戦線を広げる」方針を確認した。
それまで「動労千葉特化路線」「4者・4団体反革命規定」のもとに地域の団体・個人関係の多くについて「決別」を強行してきたが、5月全国代表者会議により、そんなことはさらりと忘れて反原発運動について「統一戦線」と称する大衆運動へのスリ寄りを満展開できるように方針転換された。かれらはいわゆる「4・4(4者・4団体)派問題」をひとまず棚上げして、6・11―9・11―9・19に組織の体重をかけた。かれらの11月集会ビラのメインスローガンからは国鉄闘争が消え、『反原発・反失業』に置き換わった。
にもかかわらず、公式発表でも11月集会参加者は「昨年から50人増えて5950人」という結果であった。
これに対して動労千葉の組合員大衆から、一昨年も「50人増」だったことと比較して、「今年は、大震災があって原発事故に対する怒りがこれだけあって、だけど怒りの声と結びついていないということに対して、『ああ、これではダメなんだ』と。それがうちの組合員の感想なんです。」(2011年11月 動労千葉労働学校における田中委員長のあいさつ 全国労組交流センターの月刊『労働運動』12月号掲載)
つまり、動労千葉の組合員大衆から「ダメ出し」を受けたということだ。

「階級的労働運動路線」の限界
しかし安田派中央は、安田が党内権力闘争のためにつくりあげた「階級的労働運動路線」=動労千葉特化路線にしばられ、事実をみすえることができない。彼らの「時代認識と路線」によれば、「動労千葉のようにたたかう労働組合」の同心円的拡大こそが勝利の道となっている。だが、これこそが彼らの限界を刻印している。
今回の9・19総括で重要なのは「労働運動」うんぬんよりも「労働組合」のほうだ。「たたかう労働組合」が3・11情勢下でたちあがるのはもちろん自然なことだが、もう一方で職場の経済闘争がまったく低迷していても(もちろんそれ自身は克服されるべきことだが)、3・11後のように巨大な激変期においては、「たたかえていない労働組合」もまた巨大な大衆決起の水路になりうる。この点で今日の情勢はいわゆる戦後革命期とも比較しうるのである。
安田派中央はそのように総括して、党内権力闘争のためにつくりあげた「階級的労働運動路線」=動労千葉特化路線=4・4反革命規定を撤回すべきであった。だが、安田派中央は自らの誤りを認めない結果、「9・19について、なぜ6万人決起したのか、なぜ11月集会が増えないのか」を正面から書くことができず、杉並選挙敗北も5月全国代表者会議も『アピール』でふれることができない。

「4・4派対決」路線と反原発大衆運動
今後、安田派中央は自己の政治的孤立を開き直り的に合理化するために「4・4派対決」路線を強めざるを得ない。
「今日の日本の現実は、労働者階級の基礎的団結形態である労働組合が、資本と結託した連合幹部やスターリン主義的・体制内的指導部の裏切りによって徹底的に解体され、無残なまでに変質させられている。」(『アピール』第3章)
だが一方で、目の前で巨万の労働者大衆決起を突きつけられて、未練がましく反原発運動にすり寄っていかざるをえない。これが安田派政治局内で意見対立となって今回の『アピール』における内容の混乱を結果している。かれらの2012年方針は一言でいえば「4・9反革命と徹底的に対決し、広汎な反原発運動を実現しよう。」ということになるが、こういうことが現実に通用するかどうか、現場労働者大衆からの審判は、すでに11月労働者集会の破産として突きつけられている。(1月29日 執筆)

大阪市教委 橋下案を丸のみ

2日、大阪市教委は非公式の会合を開き、橋下が掲げる教育基本条例案を受け入れることを決めた。条件付きとはいうものの、事実上丸のみである。市長が「教育目標を最終決定」でき、教育委員の罷免もできる。学校選択制を導入するなど。
「教育目標が現行法の理念に反しない」「予算配分上の目標にとどめる」ことを条件としたようだが、橋下を相手に歯止めになるようなものではない。
市教委は、橋下が市長に就任する前には、事務局が「維新の会」教育基本条例案の主要部分を削除した案を作成するなどしていた。

秘密保全法 今国会上程ねらう

政府・情報保全に関する検討委員会は、「秘密保全法」の本年通常国会提出に向けて法案化作業を進めることを昨年10月に決定した。
概要は、〈国の安全〉〈外交〉〈公共の安全・秩序の維持〉についての「重要な情報」を新たに「特別秘密」と規定。それを漏らした場合、最高10年の懲役に処すという内容。
現状の国家公務員法で「職務上知りえた秘密」を洩らした場合は最高1年、自衛隊法では、「防衛秘密」を洩らした場合、最高5年だ。
また、「特別秘密」の概念が曖昧で、権力が恣意的に運用できる。85年に強い反対運動で廃案になった国家機密法案に比べても、対象範囲が広い。
日弁連は今年1月11日に、同法案を国会に上程しないよう求める会長声明を発した。

5面

無権利化ねらう有期雇用契約
非正規労働者の権利実現へ全国会議

1月27日〈非正規労働者の権利実現全国会議〉が大阪で開催された。同会議は2008年暮れの年越し派遣村の熱気の下、09年に結成され、脇田滋・龍谷大学教授が代表幹事となって非正規労働者の権利実現のための集会や研究活動をしてきたが、今回、大阪で全国会議が開催されたものである。

労働組合の役割を訴える脇田さん(中央奥)
(1月27日 大阪市内)

橋下勝利について
冒頭、同会議の呼びかけ人である西谷敏・大阪市立大学名誉教授から1時間の講演があった。たいへん、示唆されることが多かった。
西谷さんは大阪市長選挙について触れ、6対4で独裁を掲げた橋下市長が勝ったことに強い危機感を表明。民主主義を守れという票が4割あったことを評価するというのではダメである、「独裁でもいいから現状を変えてほしい」という声が6割にも達したことをきちんとみなければならない。「独裁でもよい」というとき、独裁の意味が本当に労働者・市民に理解されているのだろうか。民主主義の重要性が本当に理解されているのだろうか。今の大阪の現状は「独裁でもいいから現状を変えてほしい」というところまで労働者・市民の中に不満が充満しているということであり、深刻な問題としてとらえなければならないと指摘した。

分裂させられている99%
日本の労働者は正規も非正規も本当に痛めつけられている。こういう状況の中で、ドイツや中国や諸外国のようにストを打つにも打てず、サボるとか抵抗するという行動も目に見える形で出てきていない。なぜそうなっているのか、どこに突破口や状況を変えていく手がかりがあるのか真剣に考えていかなければならない。ウォール街占拠運動は“1%”と“99%”といわれているが、日本では人口の“99%”を占める人びとが分断させられている。公務員の中の正規職と非正規職の大きな対立、派遣労働者などの非正規雇用労働者の無権利化や対立など、団結しにくい仕組みが作られてしまっており、これをどうするのかが大変大きな問題になってきている。

有期労働契約
西谷さんはさらに、政府が今国会で法案提出を狙っている「有期労働契約」について触れた。
従来、反復更新している有期契約のパート労働者を雇い止めにするときには解雇法理を適用するという判例法理が確立しており、この判例法理がこれまで資本にとって大きな障害となってきた。今回の有期労働契約の改悪は、これをくぐりぬけてしまおうというものである。
昨年12月、政府の諮問を受けた労働政策審議会は、有期労働契約の限度を5年とし、これを超えたら労働者の申出によって期限の定めのない労働契約に転化することを法制化すると建議した。他方で、それ以前の段階で雇い止めし、6カ月以上のクーリング期間をおけば何度でも、同一人物を雇い入れることができるようにすることも建議している。これでは無権利状態の常態化である。
しかし、今回の改悪はそれにとどまらないと西谷さんは指摘する。5年後、さらに10年後に労働者が今より減少していれば人手を確保するために賃金をあげないと確保できなくなるが、日本は少子高齢化で労働者数は減少の一途をたどっている。そこで、日本経団連は2030年までに外国人労働者を1800万人受け入れるというのである。有期労働契約改悪のウラには、アジア等から1千万人単位の安い労働力を大量に導入して賃金の構造的大幅ダウンを強行するねらいがある。

真の敵
続いて第2部として「いまわたしたちに求められている運動的課題」の問題提起が弁護士の中西基事務局長からあった。これもたいへん重要な指摘であった。
「スペイン、ギリシャ、イギリス、アメリカなど世界中で、行き過ぎたグローバル資本主義とマネーが支配する社会のあり方に対して、多くの市民(特に若者たち)が立ちあがっている」ことにふまえ、「さまざまな社会運動・市民運動にとって、『真の敵』(新自由主義、グローバル資本主義、泥棒資本主義、強欲資本主義)は共通しているという認識を、まず運動側が持たなければならない。そのうえで『真の敵』を克服するために、できる限りひろく連携・連帯していくことが重要」「反貧困運動や、消費税反対運動、さらには脱原発運動など」は「『真の敵』とのたたかいと位置づけることで、共闘できるはず」であり、「一過性ではない、継続的な深い『コアリッション』(政治的な連合・連携)を築いて」(同会議議案書)いこうという提案がおこなわれた。

労働組合の役割
脇田さんからは、韓国の労働運動と日本のそれとの違いを指摘する中で労働組合の果たす役割の指摘があった。“99%”を占める労働者が分裂させられ、橋下市長のような流れに集約される傾向がある日本と違って、韓国では労働組合が“99%”をまとめている。韓国では企業別組合を解散し産業別に一本化して、中小零細、未組織の問題に取り組んでいるが、日本は逆で、08年の派遣切りのときは大企業の正社員の労働組合は自分たちの雇用を守ってストひとつ打たず派遣労働者が切られていくのを見捨てた。しかし、韓国では同じ金融危機による解雇に対して労働組合が身を捨てて抵抗し、目に見える形でストライキを打った。労働組合がこのように全体を代表する形でたたかっているので支持も集まりソウル市長選の勝利にもつながっている。日本と韓国の違いとして、日本では非正規雇用労働者がこんなにひどい状態なのに、それをまとめる運動が十分組織できていないと指摘した。

参加しての感想
私はこの集会に参加して労働組合の果たす役割が、自分が考えてきたよりも実はもっともっと大きいということを感じた。
今、反貧困を闘う側から強欲資本主義(新自由主義)を「真の敵」として明確化して闘おうという声があげられている。また、アメリカ・ウィスコンシン州では州知事が金持減税をおこない、公務員労組から団交権をはく奪し、社会保障の大幅カットを行う攻撃に対して教職員組合、公務員組合、さらには移民労働者等を中心とする清掃業などの労働組合や市民がたちあがって州庁舎を占拠し、知事リコール運動が必要数54万票を超えて100万票に達するに至っている。新たな胎動は確実に始まっている。日本でも99%のたたかいと団結をめざしてたたかっていきたいと思う。新たな世界が見えた集会だった。(Y)

貧困・格差ゆるさず生きていける賃金を
関西合同労組が12春闘討論集会を開催

1月29日、関西合同労働組合が春闘討論集会を尼崎市内で開催、40人の組合員が参加した。
佐々木副委員長から、12春闘の方針提起、スローガン案、行動提起。その後各分会から春闘の取り組みや争議の報告。N分会から解雇撤回争議が山場をむかえているとの報告、S分会から複数分会になって少しづつ職場改善を勝ちとりたいとの報告があった。高速増殖炉もんじゅのビデオが上映され、今春闘でも原発反対の取り組みを強化することが確認された。
元労働基準監督官・大野義文さんが、「風通しの良い職場の実現のために〜おかしいことにおかしいと言える団結と闘争を!〜」と題して講演。労働現場のさまざまな問題への実践的対処のしかたは大変参考になり、質疑応答は労働相談さながらとなった。大野さんは「最近の労働組合の人はおとなしすぎる」と叱咤激励。初参加の組合員は一生懸命メモを取って聞いていた。
いよいよ12春闘の本番、2月の春闘要求書提出行動をかわきりに、団交からストライキを含む職場要求闘争を全力で闘おう。(労働者通信員 K)

職場改善・解雇撤回など活発に討議(1月29日)


大飯原発3・4号機ストレステスト
密室聴取会を弾劾

1月18日午後4時15分、経産省別館で大飯原発3・4号機のストレステストの評価をめぐる意見聴取会がおこなわれようとしていた。原子力安全・保安院は傍聴者を別室に隔離しようとしたが、怒った傍聴者はマスコミと一緒に意見聴取会場に入り、弾劾、追及した。原発メーカー三菱重工から、岡本孝司(東大教授)、阿部豊(筑波大教授)、山口彰(阪大教授)ら3人が受け取っていた献金の問題を追求し、委員の辞任を求めた。
再稼働推進派の委員は黙りを決め込むも、傍聴者たちは4時間にわたって弾劾しぬいた。外では70人が保安院前でコールをつづけている。経産省正門から40人の私服警察官が進入、経産省横の通路からは機動隊30人が入るという物々しい状況が続く。聴取会での弾劾状況はインターネットでライブ映像が流され、経産省前テントには、続々と人が集まってくる。
とうとう別室に逃げ込んだ委員だけで秘密聴取会をおこない、「再稼働妥当」の評価を強行した。しかし後藤政志委員(元原子力プラント設計技師)と井野博満委員(東大名誉教授)は、傍聴者を締め出すことに抗議し、参加を拒否。別の2委員も時刻が遅れたことで、用事を理由に途中退席。最後まで残った委員は出席予定8人中、4人だけだった。「妥当」評価は商業新聞からも、はじめに結論ありきと揶揄される始末だ。
この日の意見聴取会は、1月23日にIAEA(国際原子力機関)が来日、31日までの日程で、関西電力大飯原発(福井県おおい町)などを視察し、関電の評価や国の審査の内容について確認することにあわせた、再稼働に向かっての出来レースである。
「原発寿命40年プラス20年」の決定とともに推進派の策動が強まっている。福島第一原発の事故収束が全く見通しがたたない中で、許せない「妥当」評価である。
次回、聴取会は2月8日。弾劾行動を強め、再稼働阻止を当面の目標にたたかおう。

経産省別館前で抗議の訴え(1月18日)

6面

被ばく地・フクシマで出会った人びと(4)
「私たちは"戦友"よ」  古河 潤一

5度目の福島訪問。1月20日9時、定刻、三里塚着。萩原進さん、富夫さんから野菜をうけとった。進さん「葉物野菜が少ないんだ」。
福島県に入り、高速道を降りるころに雪は強くなる。ふぶきで視界が消える。路肩もあいまい。大幅遅刻で、16時、田村市のMさんの店についた。
野菜の半分をおろす。今回も20人近い人が集まって仕分け作業。25軒分に平等に分ける。大根、白菜、ほうれん草、ブロッコリー、ごぼう、にんじん、里いも、ジャガイモ、さつまいも・・・・・・。
婦人「売ってる野菜は堅くなっていて、まずい。ほんとうにうれしい」。
何人かが「次の『イモ堀』行きますね。呼んでください」。
そして、店でお茶会。Mさんが「キノコご飯」を出して下さる。すばらしい味と香り。「猪鼻茸」というらしい。だが、もう山に入ることはできない。
男性「除染、できないよ。山はどうするんだ」「田畑だって、表土はいだら、終わりだよ」。

田村市の仮設住宅
18時。田村市内の規模の小さな仮設住宅を訪ねた。Sさんが仮設の人達に私を紹介して下さった。野菜を下ろす。全戸に平等に分配。白菜の数が足りない。Sさんが包丁で切りわけて手渡す。「ほんとにうれしい」皆が笑顔に。「掃除はあしたにしましょう」それぞれが野菜をかかえて、雪の中、帰ってゆく。雪はやみそうもない。
私は駅前のビジネスホテルに宿をとり、小1時間お湯につかって、12時間眠った。
翌朝、Mさんの「きのこご飯」を食べて、仮設を再訪。住人の古いジープが雪かき装置をつけて、仮設の間を走りまわっている。集会場では、昨夜の婦人たちが掃除、除雪。あいさつすると「お茶しましょうか」。
集会場には、コタツが2つ。婦人たちは、皿を手に集まる。昨日のホウレン草のおしたし。里いもはゆがいて、黒味噌で。白菜のつけもの。私も慌てて、「きのこご飯」を出す。「猪鼻ご飯じゃないの」皆、大よろこび。きわめつけは、炊飯器で焼いたという「カボチャケーキ」これはおいしかった。
この仮設の住人は大熊町、富岡町の人びと。また仮設が小規模ゆえに、芸能人などの訪問、支援もなかった。三里塚の野菜が「ほとんどはじめての支援物資」。「お茶も、こんなに集まるのは初めて」「野菜のおかげ」入口で声「バァちゃんを、お願いします」皆が老婦人をコタツに招きいれた。
「命がけで逃げてきた」婦人が語る。激しいゆれ、津波。「一夜、公民館。水も食事も電気もなかった。翌朝、着のみ着のまま、バスに乗った」原発放射能の恐怖。「3月11日は71歳の誕生日だった」。寒かった。体育館の板の上に、新聞紙、ふとん。「そこだけが自分の居場所」「配給のおにぎりは1日に1個」「仲間で、もう1個ずつもらって来る。ナベまで手にいれてきて、雑炊をつくって食べた。死んでたまるか。死にたくなかった」2人の婦人は顔をみあわせる。「おたがい戦友よ」。
「皆で、野菜のお礼を書こう」、紙とペンが配られた。

飯舘村
午後、飯舘村を走った。そこここの雪の上に車の轍、人の気配がある。だが、12月24日、牛に干草を与える男性を見た放牧地に、人と牛の姿はなかった。

松川町の大規模仮設
夕方、飯舘の人たちが避難する福島市松川町の大規模仮設住宅に、Tさんを訪ねた。彼は、9月飯舘村長泥十字路に「俺は今から畑の草を刈る」とトラクターで現れた方である。「いとこの家に行こう」で、となりの棟の1軒に。5人で、お茶になった。ふきの煮つけ、白菜のつけものがでてきた。私はあわてて「きのこご飯」と「カボチャケーキ」を出す。「すごい」とTさん。
いとこの婦人「春にはわらび、ふき、竹の子をゆでて、塩漬、保存」「ただ煮るだけで、おいしいでしょう。親から教わって、子に伝える。だけど、山にはもう入れない。このきのこご飯もふきの煮物も、もう終り」。
Tさん「畑やりたいよ。やれないかもしれない。だけど、子、孫の世代でやれるようになった時のために、俺はまた草を刈るよ」。
仮設の水が白濁、ひどいとおっしゃるので、車のバラスト用に積んであった20リットルの水、9本を渡した。「また会いましょう」「会おう」握手。18時、ひどい降りになってきた雪の中、帰路についた。
後日、人づてに、Sさんの言葉を聞いた「仮設で、ひとりの孤独死もださない」。

私が確信したこと
今回で、より強い関係、新しい関係を築いた。月1度、必ず福島を訪ねよう。支援をつづけ、関係をつづけ、それを自分の場所で、反原発のたたかいと一体にやりぬこう。
何より、福島と三里塚の結合を、もっと強く、もっと深く。国策の原発が破綻し、原発放射能に田畑を奪われた農民と、国策の巨大空港建設に、農地を奪われようとして、半世紀たたかい続ける農民。敵はひとつ。勝利にむかってともに手をとり合って進もう。営農、それ自体がたたかいのテーマ、それも両者共通の。
今回の福島訪問〈一部雪の中を1803キロメートル走破〉。やれる。やりつづけられる確信をもった。まず自分ひとりでも「とにかく行こう」ではじめた。今、自分と自分の職場、地域の人々、党と大衆組織、自分につながる人々と「福島へ行こう! どのような課題を、共に、どう実現するか」提案できるところまできたと思う。
最大のテーマは避難。私たちにすれば「避難支援」。まず、小さくてもいい、短期間でもいい。力を合わせて、やってみよう。
2月中旬、趙博さんたちと「福島、歌の旅」やります。応援して下さい。

投稿 「除染と復興 〜フクシマをめぐる現局面〜」
を読んで 『情況』2012年 新年号所収

筆者は言う、「除染とは放射性物質を、ある場所から別の場所に移動させる作業だ。除染によって放射性物質を消滅させたり無毒化させたりすることは出来ない」。

「除染のとり組みは住民から始まった」
避難できなかった人やすぐ戻った人が、国、行政が何もしない中で生活していくために、子どもや妊婦を放射能から守るために、フィルムバッジを配り、生活の中の被曝量を測定した。様々な努力をして生活空間の被曝量をはかり少しでも安心を求めた。しかし線量が下がらないことがわかってきた。そこで除染が始まったと言う。

国がやる除染とは
国の除染作業と市民レベルの除染は全く違うものと指摘している。除染ビジネス、利権の構造、避難を拒む国家意志。「『帰れない』『危険だ』という事実を隠し、そういう事実を指摘したり、避難・疎開を求める意見を抑え込むことに国は躍起になっている。国としては、支配秩序を保つためなら、住民の健康が犠牲になってもしかたがないという無慈悲な決断をした。そう見る以外ない」と批判している。
そして「子どもの命と健康を守るために」を提起する。権利としての避難を、市民による食品検査を、市民の力で復興の議論を。

福島の苦闘と切り結ぶ運動を
最後に「全国の人びとに訴えたい」として福島を相対化しないよう提起している。「放射能と対峙し格闘する福島の人びとと連帯した反原発・脱原発の運動なのか、それを相対化したところでの一般的な反原発・脱原発の運動なのかと言う問題である」。福島の苦闘と切り結ぶ全国の反原発の運動を訴えて、締めくくられている。(S)

『情況』2012年1・2月合併号(新年号) 1300円 情況出版





お知らせ
直撃インタビュー「三里塚は攻勢に出る(下)萩原進さん」は次号(2月21日発行)に掲載します。



冬期カンパへのご協力 ありがとうございました