沖縄防衛局が評価書提出を強行
沖縄訪米団と連帯し基地撤去へ
夜陰にまぎれ評価書を置き去る
沖縄防衛局は12月28日未明、名護市辺野古に米軍新基地を建設するための環境影響評価(アセスメント)の評価書を、夜陰にまぎれて県庁に持ちこむ暴挙をおこなった。それも全体文書の3分の2だけを、内容表記もせず、守衛室におき去り、年内に環境アセスを済ませたという「事実」を残すために、どこまでも沖縄県民を愚弄する手法で。
この環境アセス年内搬入の動きに対して、沖縄県民はこれを阻止するために、連日県庁を包囲する抗議行動をくり広げ、運送業者の手による搬入を阻止してきた。このため、沖縄防衛局は、28日未明の午前4時すぎに、県庁に横付けされた車から防衛省職員が小走りで守衛室に駆け込み、何も表記されていない段ボール箱を積み上げて逃げ去ったのである。なんと不正義で卑劣な行為か。
昨年11月には評価書の提出時期をめぐって沖縄防衛局長が、「犯す前に、犯すと言うか」と沖縄への差別意識をむき出しにした発言をおこなった。沖縄の怒りの前に、直ちに防衛局長は更迭されたが、その直後に今度は一川防衛大臣が、国会質問への答弁で94年少女暴行事件について事実を知らないことが暴露され、参議院で問責決議があがっている。
このような経過の中で、年内に環境アセス評価書の提出を強行することは、140万沖縄県民の総意を踏みにじり、「沖縄は日本政府の言いなりになれ」「いつまでも米軍の奴隷のままでいろ」ということを宣言するものであった。「沖縄防衛局が評価書搬入を強行するなら体をはって阻止するぞ」と〈基地の県内移設に反対する県民会議〉は連日連夜の行動をおこなってきた。こうした沖縄県民の怒りに追いつめられた政府・防衛省は、夜陰に紛れ、必要部数がそろっていない評価書を守衛室に置き去りにしたのである。このような行為が認められてはならない。
評価書受理した仲井真知事の裏切り
沖縄の闘う人びとは、この日本政府の暴挙を弾劾し、またアメリカの防衛戦略の転換過程にありながら沖縄基地に固執する事の誤りを、アメリカの人民と政府・議会に訴えるために、この1月21日から大規模な訪米団を派遣する。「県外移設」を公約して政権交代したにもかかわらず、これを履行しなかった民主党政権。彼らに政権を担当する資格はない。一昨年の沖縄知事選では95%の人びとが米軍基地の県外移設を求めたのであり、辺野古案が無理なことは確定事項だ。また米政府は、膨大な財政赤字の前に、米軍戦略を大きく転換しようとしている。オバマ政権は、欧州・アジア2正面作戦を放棄し、同盟諸国に負担増を求めている。もはや米国には膨大な米軍の海外展開を維持する力はない。また米軍は基地の存在する他の地域で反基地闘争がまき起こり、反米闘争に発展することを恐れている。アメリカ人民の中からも沖縄から米軍の撤退を求める声があがっている。
民主党・野田政権は、政権交代の公約をすべて破棄したばかりか、マニフェストにすらなかった消費税の増税を強行しようとしている。このような政権が、140万沖縄県民を何重にも踏みにじり、基地による犠牲を沖縄に強制し続けることを許してはならない。
さらに県外移転を知事選の公約にして当選しながら、最後の最後になって評価書を受理した仲井真知事の裏切り行為を許してはならない。
沖縄県民の怒りと結びつき、2012年こそ普天間基地即時撤去・辺野古新基地建設阻止の闘いを強めていこう。沖縄意見広告運動をはじめ、広汎な沖縄闘争の陣形を日本本土に何としても作りだしていこう。訪米団の闘いと連帯し、沖縄米軍基地撤去、米軍基地を沖縄・アジア・太平洋地域から叩き出す闘いにたちあがろう。
沖縄県民が米と直接交渉へ 訪米団が21日に出発
今月21日、「アメリカへ米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」の訪米団が出発する。同会は、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会、第3次嘉手納基地爆音差し止め訴訟原告団、普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団、ヘリ基地反対協議会、ヘリパッドいらない住民の会などの団体・個人の参加で昨年結成。
米国では昨年末に辺野古新基地建設は困難として、在沖海兵隊のグアム移転関連費約1億5千万ドル(116億円)を2012会計年度(11年10月〜12年9月)から全額削除する国防権限法が成立している。
訪米団はこうした中で、沖縄自らが米政府と交渉するために、米連邦議会や米国民に直接沖縄の民意を訴える。
橋下新市長に抗議
労働7団体・市民が初登庁日に訴え
「教育・職員基本条例案」を撤回させよう (12月19日 市庁舎南側) |
12月19日、橋下大阪市長の初登庁の日、〈「維新の会」の独裁政治を許さない行動をおこそう〉と共同アピール(11月16日)を出した7団体(大阪労連・大阪全労協・全港湾関西地本・国労近畿地本・連帯労組近畿地本・関西マスコミ労組会議・おおさかユニオンネットワーク)は市庁舎前抗議行動に立ち上がった。
街宣車からのアピール。登庁する市職員などに横断幕・プラカード・ビラまきで、教育・職員基本条例案撤回、労働組合敵視を許すなと70人が訴えた。
7団体以外の市民も合流。橋下「就任前」の「12000人削減や2割賃金カット」発言、各局長の呼びつけは不当労働行為、無法行動―訴えが界隈にとどろく。歓迎ムードを許さない。抗議行動にはマスコミのインタビューもあり、大きな注目を呼んだ。
「圧勝」「賛美」の中で、闘う労働戦線と市民運動の統一の力で橋下・維新の会の暴走を転覆する行動が始まった。(労働者通信員M)
経済産業省前テントひろば
年末年始 千人以上が交流
12月1日から「女たちのとつきとうかの座り込み」がはじまった。年末の28日、東電前でおこなわれた「福島の女たちの御用納め」には150人が参加した。東電に数十団体・個人が抗議の申し入れをおこった。30日からレイバーネットがテントひろばの実況中継をおこない、参加者へのインタビューと盛りだくさんの企画がもたれた。
歌合戦や囲碁大会では鎌倉から参加した16歳の高校生が大活躍。31日のカウントダウンには福島瑞穂参院議員が参加した。
明けて1月4日は餅つき大会。丸の内署の妨害をはねのけて盛大におこなわれた。餅つき大会の後は、新春の句会が行われた。
震災1周年となる3月11日へ向かって、警戒すべき新たな策動がはじまっている。「安心できる復興を」(実態は原発再稼働・避難も補償も認めない)とする動きだ。経産省前テントひろばを守り、「原発再稼働阻止・避難と補償」のたたかいを拡大しよう。
南条倖司さん&まあさんのライブ(12月26日 テント内) |
2面
コミュニズムに新たな生命を吹き込もう
時代の転換期における私たちの課題
昨年は世界史の重大な転換点をなす年となったといって間違いない。そのメルクマールは以下の三点である。
それは第一に、昨年1月にベン・アリ政権を打倒したチュニジア革命によって火蓋を切られたアラブ民衆革命である。2月にはエジプトのムバラク政権が打倒され、リビアでは内戦が勃発し、3月に米・英・仏が軍事介入。10月に入って、反カダフィ派が全土を制圧し、同月20日にカダフィは拘束され殺害された。1月から反政府デモが始まったイエメンでは、11月23日にサレハ大統領が辞任を表明し、今年2月に大統領選挙がおこなわれる。シリアではアサド政権が反政府デモに武力弾圧を続けており、市民に膨大な死傷者がでていると言われる。またエジプトでは全権を掌握した軍部にたいする民衆デモが再燃している。このようにアラブ民衆革命は現在も進行中である。
第二に、3月11日の東日本大震災とそれによって引き起こされた福島第一原発事故である。この大事故の発生後、日本全土で拡大している反原発・脱原発の運動は、全原発の停止の要求から始まって、戦後の資本主義体制を根本的に問い直すものへと発展していくであろう。
第三に、9月17日に始まったニューヨーク・ウォールストリート占拠運動(OWS)である。この運動は、世界的な広がりを見せており、08年のリーマンショックに端を発し、現在も進行中の世界金融恐慌に対する民衆の側からの対抗運動として重要な戦略を提起している。もちろんこの運動はギリシャ・ユーロ危機の爆発と完全に連動している。
以上の三つのメルクマールは、世界がすでに「1968年の革命」以来の激動期に突入していることを示している。そうだとすればわれわれは、自身にたいして発せられている次の「問い」にこたえなくてはならない。すなわち、「現在においてもコミュニズムは有効なのか」という問いである。
この「問い」にたいして、われわれはこう答えよう。「人間と人間との関係、人間と自然との関係のラディカルな変革をめざす現実的な運動としてのコミュニズム、そして、共同(協同)社会を土台とした人間の永続的な解放をめざす運動としてのコミュニズムは、この時代を生きかつたたかうプロレタリアート人民の手によって、新たな生命が吹き込まれるときにはじめて有効になるだろう」と。今こそ「コミュニズムに新たな生命を吹き込む」ための断固たる飛躍のときである。
再稼働阻止 全原発の停止へ
当面する最重要の闘争課題は、原発の再稼動を許さず、日本国内の全原発の停止を実現することである。野田政権は昨年12月16日に福島原発事故の「収束宣言」を発表した。現在も福島第一原発から毎時0・6億ベクレルという膨大な放射性物質が流出している。1・2・3号機は核燃料がメルトダウンし、危険なために建屋内での作業がほとんどできない状態である。政府はこうした歴然たる事実を無視し、再稼動だけを目的として「収束宣言」を出したのだ。
福島の人びとは、現在も高い放射線量の中で危険にさらされている。多くの人たちが、こどもたちの将来を案じて「避難の権利」を保障するよう政府に対して悲痛な声を上げている。また福島第一原発の事故収束作業に直接従事している労働者たちは、事故前には考えられなかったような危険な被ばく労働を強制されている。その多くは地元福島の労働者である。日本政府は、福島の人びとに対して計り知れない犠牲を強要しながら、その実態を社会的に隠蔽し、抗議の声を抹殺し続けている。このようなことをこれ以上許しておいてはならない。
最優先しておこなわなければならないことは、原発事故によっていまなお危険な状態に置かれている人びとの生活と生命を守るために万全をつくすことである。そして原発事故の真の「収束」、すなわちメルトダウンした核燃料の完全な封じこめというきわめて困難な作業に真正面から向き合うことである。この危険な被ばく労働を誰がおこなうのかという問題がある。こうした問題をなおざりにして、「経済危機」や「電力不足」などを口実とした原発の再稼動(そして原発の輸出)などはありえないのだ。
構造的沖縄差別の打破を
今ひとつの重要な課題は、沖縄の辺野古新基地建設と高江ヘリパッド新設を阻止する闘いである。沖縄防衛局は昨年末、新基地建設にかかわる環境影響評価(アセスメント)評価書提出を強行した。
評価書の提出にかんして、官房長官の藤村は5日の記者会見で、ぬけぬけと「沖縄の負担軽減を図るというのが政府の基本姿勢」と発言した。政府にそのつもりが全くないことは、昨年11月の沖縄防衛局長による許しがたい沖縄にたいする差別発言によって明らかになっている。
なによりも日米同盟を最優先させる野田政権は、米軍に無償で新基地を提供することで、米国内で削減された軍事費の肩代わりまでしているのである。じつはこうした動きは、米軍の新戦略である「エア・シー・バトル」に対応したものである。
これは、対中国包囲網を強化するために米軍の戦略的な重心を太平洋に移すとともに、米軍の相手国にたいする攻撃は空(エア)と海(シー)からの攻撃に限定し、陸戦はもっぱら同盟国(日本と韓国)にやらせようというものである。自衛隊の与那国島への配備や、北海道の戦車部隊を九州までもってきて演習させたのも、これと連動したものである。まさに沖縄をふたたび戦場にする「戦略」が進められているのだ。そのための新基地建設を「沖縄の負担軽減」などという野田政権を断じて許してはならない。
まさにこれこそが日本社会の構造的な沖縄差別の姿であり、これと自覚的に闘うことが日本人民にまったなしに問われているのだ。
金融資本主義を撃つ闘い
野田政権は、6日、消費税増税を柱とする「税と社会保障の一体改革」素案を決定した。その内容は現行5%の消費税率を、14年4月に8%、15年10月に10%に引き上げるというものだ。一方で高所得者の「税負担を重くする」という名目で最高税率の引き上げに言及している。しかしそれは現行の最高税率40%(課税所得1800万円超)をわずか5%だけひきあげて45%にする(課税所得5千万円超に適用)というものにすぎない。所得税の最高税率は1984年まで75%(課税所得8千万円超)だったのだ。それを90年代の終わりには「景気浮揚策」として37%まで引き下げたのだ。しかしその結果もたらされたのは、深刻な景気後退と943兆円にのぼる国の借金(昨年6月時点)であった。
同様のことが法人税についてもいえる。80年代末の法人税率は42%であった。これが89年に引き下げが始まった。その財源として導入されたのが消費税なのである。03年以降は30%以下になっている。今回の消費税導入が、大企業にたいする優遇税制を維持するためのものであることは明らかだ。
ところがマスコミも含めて「国家の財政破綻を回避するため」と言って、消費増税必要論の大合唱をはじめている。これはとんでもないデマゴギーである。本当に財政破綻を避けたいならば最低でも、トヨタやパナソニックなどのグローバル企業にはかつての40%、富裕層には75%の税負担を課すことからはじめるべきなのだ。なぜならこうした連中は、小泉改革時代に日本社会を格差と貧困の深刻化の中にたたきこむことで史上空前の利益を上げ続けてきたからだ。
こうした金融資本主義に対する根底的な批判が占拠運動(オキュパイ!)として世界に拡大しているまさにその時に、資本の救済者として登場しているのが大阪の橋下と「維新の会」である。「現状変革」をかかげながら、民衆の不満を糾合する彼らのやり方は、今のところ成功しているように見える。しかし、橋下がいかに「驚天動地」だとか「度肝をぬく」などと大げさな形容詞をつけようとも、その内容は、80年代以来、相も変わらぬ公務員バッシングであり、すでに破綻した「構造改革」路線の空さけびにすぎない。
このような「小手先の政治手法」では、貧困・格差、沖縄問題、原発事故などを契機にして、少なからぬ人びとが抱きはじめている資本主義社会そのものへの根底的な疑問に答えることなどできないのだ。アラブの民衆革命は、大衆闘争こそが社会を変革する唯一の力であることをあらためて世界に示した。時代の転換の兆しは日本社会においても確実にあらわれている。昨年9月の脱原発6万人集会の成功を上回るたたかいは可能である。まずは来る3月11日に、全国規模で、数十万人、数百万人の決起を実現しよう。
ヤマサクラ61 期間延長と豪軍も参加
1月31日から、中部方面総監部のある伊丹駐屯地などでおこなわれるとされていた日米共同演習=ヤマサクラ61は、その規模・期間・内容が大きく拡大していることが明らかとなった。期間は1月24日から2月6日までと当初の2倍になり、人員も増え、そのうえ「日米豪防衛協力の一環として、豪州陸軍からはじめて」参加が予定されている。
これはオバマ政権の中国包囲戦略(2正面戦略を、アジア・太平洋=中国包囲に転換)と機を一にするものである。作戦は在韓米軍第8陸軍司令部が全作戦を指揮し、この下に日本の自衛隊、米軍、オーストラリア軍が一体となって、中国・北朝鮮軍に対峙するというのだ。米軍指揮下で、日本と日本周辺を戦場にする戦争の演習を許してはならない。沖縄の米軍基地撤去の闘いと連帯し、1・21講演学習会、1・22伊丹駐屯地包囲闘争に立ちあがろう。
日印海洋軍事協力を拡大
対中国包囲の強化ねらう
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12月28日、インドで日印首脳会談(野田首相、シン首相)がひらかれ、共同声明を発表した。すでに、11月2日の日印軍事会談(一川防衛相、アントニー国防相)で、「部隊レベルにおける両国間の協力・交流を深化させる」「2国間訓練は重要な一歩となる」と確認されていたが、今回の首脳会談でさらに踏み込んだ。
今回の日印共同声明では、「12年中に海上自衛隊とインド海軍の共同演習を初めて実施することを踏まえ、海上安全保障面での協力を拡大」と明記された。今後、日印の陸海空3軍間での「スタッフトークス(幕僚協議)」をたちあげ、戦略調整に入るとしている。
日米韓、日米豪の軍事協力体制に加え、米国とともに、対中国包囲・挑発を強めるものだ。
3〜5面
たたかう人びとから新年メッセージ
2012年を変革と希望の年にしよう
大胆に民衆の中に飛び込もう
三里塚芝山連合空港反対同盟 事務局次長 萩原進さん
この3年間、天神峰現闘本部をめぐる攻防戦に登りつめてきた。裁判の内容的には決定的にこちらが勝利していた。だから東京高裁での50名不当逮捕があったわけだ。
いま世の中がものすごいスピードで動いている。ヨーロッパの大不況や日本の大地震・大津波そして原発事故の影響が世界を席巻している。
支配階級は、体制維持のために必死になっている。それは今の野田内閣を見れば一目瞭然だ。沖縄しかり、福島しかり、消費税しかり、国会の運営も一直線に突き進んで行かなくちゃしょうがない。もう国民が何を言おうが、どうなろうがおかまいなしだ。
そういう時代の中で3・11が発生したわけで、これはもう支配階級の能力の限度を超えてしまっている。だからわれわれにとっても、昨年1年間の世の中の動きのスピードはかなり速かったんじゃないかな。
三里塚の問題についても民主党政権は自民党時代そのもののやり方を引き継いだ形で成田対策をしていかなければならなくなっている。そこから一気に成田に片をつけようとしている。
これは成田にかぎらず、どの問題をとってみても、今までのようにどこかに落としどころがあるとか、かけ引きでなんとかなるという形にはならない。どれもが激突を回避できないようなかたちで進んでいくだろう。
そのことを物語ったのが天神峰現闘本部の撤去であるし、昨年1年の三里塚をめぐる攻防だったんじゃないのかというふうに思う。
確かに現闘本部そのものの物体は撤去されたが、闘争がなくなったわけではない。市東さんは2度の逮捕を頑張りぬいて、みんなで盛り上げてたたかい抜いてきた。
今年は市東さんの農地をめぐる決戦になる。第三誘導路の建設についてみればこれだけの不況の中であれだけの金をかけて、市東さんをたたき出そうという意図がみえみえなわけだ。
この攻撃は畑の取り上げと同じ位置づけを持っている。こんなことが許せるのか。これは三里塚の飛行場の非人間的な実態を如実にあらわしてる。これに対するたたかいとして三里塚の裁判の強化を図っていきたいので支援をよろしくお願いしたい。
最後に全国の支援のみなさんには、いろんな意味で縦横無尽に大胆に民衆の中に飛び込んでいってほしい。これではだめだとか、あれではだめだのって、そんなふるいにかけてる必要は、もうない。今までの常識では考えられなかったことがやっぱ起こり得る時代に入っているから、そういう自分の尺度を取っ払ってやってくべきだというふうに思う。
三里塚は転換期における革命の課題
三里塚芝山連合空港反対同盟 事務局長 北原鉱治さん
昨年は大変な年だった。小松左京の『日本沈没』という本があるけど、別の意味でそういう時代になった。このままでは、日本列島で人民が生きていけなくなってしまう。それでいいのだろうか。昨年3月11日の東北の大地震と大津波そして原発事故によって、東日本一帯に放射性物質がまき散らされた。核は絶対にダメだ。そして戦争は絶対にダメだ。
今、わたしはつくづく思うことは、この成田空港は根本から間違っていたということです。政府が空港建設を内定したのが1966年の6月24日。それからわずか10日後の7月4日に閣議決定した。説明会も公聴会も、住民との話し合いも一切なしだった。これが民主主義と言えるだろうか。私たちが運輸省に抗議に行くと、当時の航空局長の答えは「日本は戦争でアメリカに無条件降伏したから、日本の空域も日本のものではない。アメリカが支配している。制空権はアメリカが持っている。だから、日本の空の交通網もアメリカにお伺いを立てなければならない」というものだった。
それが今も続いていることがおかしい。敗戦からすでに67年が経っているのだ。日本はいつまでアメリカに左右されているのか。
しかし、日本の政治は変わっていない。このままでは日本はダメになる。政治を根本から変えなければだめだ。農民とか労働者が、本当の主権を持たなければならない。そのために世の中を根本から変えなければならない。それが革命につながるのではないかと思う。革命への意志を持ってがんばっている皆さんは、時代の転換期における革命の大きな課題として三里塚闘争をたたかってもらいたい。成田空港は46年たってもまだ半分しかできていない。それはなぜか。そこに正しい抵抗があるからだ。私たち反対同盟は決して皆さんを裏切らない。これまで貫いてきた筋を通す。今年は市東孝雄さんの農地をめぐる決戦となる。
権力攻撃はね返し今まで以上の闘いを
三里塚芝山連合空港反対同盟 市東孝雄さん
一昨年、空港会社は、第三誘導路の工事を始めました。会社側はいろんなコマーシャルをやったりしていますが、実際の成田空港の離発着回数はそんなに増えていないと思います。北海道まで800円そこそこでとか言ってますけど、こんなに離発着料が高いのに、利益なんて出ないでしょう。絶対に長続きしないと思います。
年間離発着30万回とか言ってますけど、20万回と言ってた時でも17万回しかなくて、足りなかったんですから。
年間30万回の実態は格安航空、LCCだけです。これを15社くらいにすると言ってましたが、まだ2〜3社です。
事業予測なんて机上の空論です。スカイライナーだってガラガラになってます。成田空港には展望はありません。
ところが空港会社は30万回の受け入れはできますよという形だけは作ろうというので、反対運動をなくすために、工事を強行している。
第三誘導路の建設工事ですが、裁判をやっている最中なのに、工事の認可を下ろすというのが許せないですね。工事は日曜日でもやっているし、雨の日もやっている。それだけ向こうは焦っています。しかし、2500メートル滑走路に3つも誘導路つけるというのはおかしな話です。
今までのところは、誘導路の下の部分、地下道とかのトンネル工事でしたから、振動などは思ったほどありませんでした。しかし、これから上の部分の工事が始まれば、どうなるかわかりません。
今年は裁判闘争も大詰めを迎えます。昨年の5月は東京高裁で逮捕されました。2年連続、2度目の逮捕です。権力の不当なやり方に対して、こちらがなにか言っただけで捕まってしまうんですから。それで向こうはやりたい放題でしょう。やっぱり悔しいといえば悔しいですね。
これから権力の攻撃が激化してくると思います。ですから、その時に、どういう反撃をとるかってことを考えておかないといけないと思います。
昨年はいろんな意味でおたがいに大変でしたが、今年はそれにふまえて、裁判をはじめとして今まで以上の闘いができるように頑張っていきますので、よろしくお願いします。
市東さんの農地略奪を許さない
三里塚決戦勝利関西実行委員会代表世話人 永井満さん
「北総の野を百万の人民で埋めつくせ。岩山大鉄塔を人塔と化して闘おう。」1977年の年頭に反対同盟が全国に発したこの檄にいかに応えるか。すでに71年第一次代執行阻止闘争以来、三里塚現地の闘いに参加し、反対同盟及び、全国から結集した闘う仲間と共に闘いつつあったわたしたち関西の住民は、急遽明石住民の会・加辺永吉氏のもとに集まり、真剣に討議した結果、関西の住民・市民・労働者・学生にひろく呼びかけ、「三里塚決戦勝利・百万人動員全関西実行委員会」を結成、バス16台を連ねて4・17現地集会に総結集した。
こうしてわが「関実」は生まれた。以来35年、私たちは闘う三里塚芝山連合空港反対同盟の旗のもとに結集し、国家権力の暴虐に絶対非妥協・不屈に闘う反対同盟の闘いに感動し、共鳴し、ともに闘ってきた。
昨年5月20日の東京高裁の「執行権」つき不当判決と、北原事務局長以下50名の逮捕。更に正当な権利者・使用者である同盟に一切通告せず、3百の機動隊と重機を動員し夜陰にまぎれて強行した8・6現闘本部破壊の暴挙に見られるように、「公共の利益」なる仮面をかぶり、今や国交省・裁判所・NAA、そして千葉県・成田市が一体となり反対同盟圧殺の凶暴な攻撃に打って出てきている。
私たちは今起こっていることの正体を見抜かねばならない。彼らの次なる攻撃は市東さんの農地略奪である。現在おこなわれている「農地裁判」でも、偽証・証拠捏造などが半ば公然とおこなわれ、市東さんの署名までが捏造されている。裁判所はそれを糺そうとせず、黙認している。これはもう共謀である。
昨年の東日本大震災では地震とそれに伴って襲った大津波によって多くの犠牲者が出た。しかもその上起こるべくして起こった原発の爆発・炎上と大気中に拡散した大量の放射性物質により、広範囲に及ぶ放射能被害が生じ、数十万の人々が住みなれた町をおわれ、苦難の生活を強いられている。
全原発を廃止せよ!
4面
沖縄の自己決定権確立へ前進する
市東さんの農地を守る沖縄の会 安次富(あしとみ)浩さん
辺野古の闘いは沖縄の自己決定権確立のため前進する。
昨年末、沖縄防衛局は、県民の猛反対を押し切って環境アセス評価書を仲井真沖縄知事に提出した。沖縄女性を侮辱し、沖縄差別を公言して更迭された田中前防衛局長の後任に、高江「通行妨害訴訟」を提訴した真部が沖縄防衛局長として再登場した。
アセス評価書は提出されたが、私たちは怯まない。アセス評価書提出の次に日本政府がおこなうのは、仲井真知事の許可を得るため公有水面の埋め立て申請であろう。ウチナンチュは仲井真知事を支えるため大規模な県民大会を開催する。野田政権と対峙するため、売られたケンカは買う。それがウチナンチュの答えだ。
米国議会では普天間移設が進んでいない理由から在沖海兵隊のグアム移転予算が全面削除された。議会は膨大な財政赤字の節減策として国防費予算の大幅カットを決定した。オバマ政権はオーストラリアとの協定で米海兵隊2500人の移駐を決定した。米国の「エアー・シーバトル」戦略が動き始め、中国からのミサイル攻撃範囲内から脱出するために米海兵隊などの再編が始まった。ブッシュ政権下の「米軍再編」は捨てられたのだ。知日派ジョセフ・ナイですら辺野古移設を疑問視し始めた。
欠陥機MV-22オスプレイ12機が今年10月までに普天間飛行場に配備される。空中衝突回避が出来ず、空中におけるエンストによる墜落を回避するオート・ローテーション機能も無く、騒音が激しく、タッチエンドゴー訓練での不安定さ、バックファイアーによる原野火災などオスプレイの設計士ですら欠陥機と称する代物。空中給油訓練で岩国、富士演習場での訓練も計画されている。オスプレイがもたらす危険はヤマトまで広がった。
日米両政府から、辺野古がダメなら「普天間基地の固定化」あるいは「嘉手納新統合案」が囁かれている。太平洋の藻屑になるか、米国本国に引き取ってもらうため、ヘリ基地反対協などの市民運動団体が協力して1月21日から訪米し、沖縄の実態を伝える。アメリカの航空安全法違反を訴える普天間基地爆音訴訟団、2万2千人の原告を抱える嘉手納爆音訴訟団、与儀功貴君の遺族を支える会より不平等協定である「地位協定」の抜本改定等を直訴する。沖縄の将来に向け、自己決定権をかちとる足がかりをつくるため訪米する。
全原発の廃炉に向けた覚悟の年に
元京都大学原子炉実験所講師 小林圭二さん
今年の年明けは、希望と不安の混沌とした幕開けでした。東京電力福島第一原発事故がもたらした広範囲の放射能汚染は、人々の命を、これから百年以上にわたり脅かし続けます。今年はその出発の年にすぎません。
政府と東電は年末に相次いで事故調査中間報告書を出しました。野田首相は、年の変わり目を抜け目なく利用して“収束”を宣言しました。しかし、破壊された原子炉に近づくことさえできない調査では事故解明などできるはずもなく、実態は依然として闇のままです。それでも「冷温停止状態」、「除染」、「ストレステスト」、「電力不足」など意味のないあるいは不可能な虚言や、事実無根の脅し言葉を弄して人々をだまし、停止中原発の再稼働、原発の海外輸出、賠償金値切りにつなげようとしています。
未曾有の大事故とその影響は、東電、政府、御用学者、そして原子力ムラ全体に対する人々の怒りを爆発させました。この怒りを、不幸の新たな予備軍として控えている全国54基の原発再稼働をやめさせ、すべて廃炉にさせるための力にしなければなりません。東京、九州などでは大集会とデモが実現しました。新しく運動に加わる人が増え、希望の芽が出てきました。しかし、全原発の廃炉に向けた大きな流れを作るには、まだまだ不十分です。特に、関西での運動がもっと大きくならなければなりません。
今年3月11日の事故1周年には、大阪中之島公園一帯に様々な団体やグループが垣根を越えて集まり、初めての人たちにも広く呼びかけて多く加わった1万人を超える集会とデモを計画しています。是非、参加して大阪の町中に廃炉の声をとどろかせましょう。
創造的破壊から業界の再構築へ
全日建連帯労組関西地区生コン支部
昨年は、世界的規模で資本主義が終焉に向かった年でした。資本主義とは市場原理主義、弱肉強食の競争原理であり、その手法は3つ。1つは規制緩和。これによって徹底的に競争させます。2つ目は民営化。公共財を大資本に渡して、金儲けの仕組みをつくることです。3つ目は社会的支出の抑制。国や自治体の支出を抑制し、医療・福祉・雇用などへの予算を削ることです。この3つの手法で、支配層は資本主義を延命してきましたが、08年のリーマンショック以降、破綻しその後、続いて欧州での財政危機。そして、米国の債務超過です。
日本では3年前に民主党政権に代わり、国民本位の方向に政治をリードすると言っていました。政・財・官のトライアングルを変えていく。子ども手当支給、年金充実、雇用の規制強化をうたっていました。しかし、この3年間、それとは全く違うことが行われました。普天間基地問題では従前の移設案に逆戻りしています。また、米国と大企業に対する規制強化、大企業に負担を求める税制改正など、すべきことをせず、消費税増税に進んでいます。東日本大震災への対応でも、米国が「トモダチ作戦」と言いながら、日米同盟強化のための訓練としてそれを利用しています。
その流れの中で、昨年11月に大阪では市長・府知事選挙があり、大阪維新の会が圧勝しました。これは政治の閉塞感、自民党・公明党・民主党がほとんど変わらない政策を実行していることに対する府民・市民の反発によって票が流れたのです。
ここから教訓としなければならないのは、戦前のドイツでヒトラーが誕生したときと今が似ているということです。維新の会がやっているのはナチスと同じ手法です。今こそ歴史から教訓を得て、本質を見る目を持たなければなりません。
闘えば必ず成果出る年 確信持って一層奮闘を
では、今年は何をすべきか。震災の問題では、現地の事業協同組合・漁協・農協・生協・市民がまちづくりの共同構想を練り上げる必要があり、また、地元中小企業への優先発注。これらが復興に必要な課題であります。
原発問題では、日本にある全原発を直ちに廃棄すべきです。原発なしでも電力が賄えることは立証済みであり、人類と共存できない放射能を生み出す原発は、建設すること自体が間違いなのです。
また、在日米軍基地は直ちに撤去すべきです。その根本には日米安保がある。日本の平和と自立・独立を実現するためにこれを破棄しなければなりません。
そして、TPPは市場原理主義を再度導入するものです。参加すれば日米の大企業が勝ち、中小企業・労働者・農民・医療などが犠牲になるのは明らかです。
生コン産業に於いては、昨年末、大手生コン卸商社「藤生商事」が実質200億円程の負債で倒産し、7つの生コン工場と複数の輸送会社が連鎖倒産しました。連帯労働組合と労使関係がある4工場は現在閉鎖されていますが、私達は4工場の自主再建を目指し、現在各工場で24時間の労働債権確保の為、監視行動を継続しています。
会社が潰れても組合が有れば雇用が守れる事を内外に示し、労働組合の存在価値を高める「チャンス」ととらえ、倒産した当該分会組合員も意気軒昂に闘っています。
この一年、関西地区生コン支部は「大躍進の年」「輝ける年」にするためにその先頭に立って実践することを決意し、新年を迎えているところです。
顔も名前も出して語る革命派が必要だ!
門真市議・鮮烈左翼 戸田ひさよしさん
「世界社会主義革命実現に向けた活動の一環として議員をやっている」戸田から「本気に革命せねば」と思っている人達に新年メッセージを送る。世界国内情勢の重大事については各人士が既に語っている事と思う。
今の日本社会でおよそ左派的な社会運動を広げるためには、顔と名前を出して語るスポークスパーソン(弁舌者)が不可欠だ。それを私は十年前から痛感している。かつては左派運動の参加者が多く、人々の身近にいた。「運動の顔」も弁舌者も自然に生まれていた。しかし今は全く違う。
人が運動に参入する最大の契機は「生身の人間の言動を直接受ける」事である事は不変だが、「生身の左派」は民衆から見えなくなる一方で「生身の権力派と右派」がテレビとネットを通して甚大な影響を与えてきた。匿名で肥大したネットウヨはザイトク潮流として街頭に躍り出てゴロツキ共が名前も顔もさらして有名人気取りで蛮行を為し、それによってさらに信奉者を増やしている。
市井の人々にとっては、小泉橋下的言動に真っ向反対する人々の主張はもちろん存在すら見えない。さらに問題なのはネットで情報を得る「進歩的市民」にすら「生きた人間存在としての左派」が見えて来ないという事だ。現実の左派運動を見ても、街頭でもネットでも顔と名前をさらして主張している活動家は極少数ではないか。これではダメだ。
必要なのは「革命の任務配置として」意識的・組織的に「運動の弁舌者」を育成してネット世界に打ち出していく事だ(街頭での弁舌行動も積極的に動画撮影して報道する)。各戦線の公然活動家ごとに最低1〜2名はこの役割を引き受けるべきだし、運動組織は彼らが揺らぎ無く弁論・文書発表出来るように支えなければならない。「武装闘争自体が革命の最良のプロパガンダである」社会とは全く違う現代日本社会にあっては、「生身の人間の公然たる言論による革命的扇動啓発」が絶対に必要である。
もちろんこれは、資本主義権力と非和解的に闘う革命派にはとりわけ難しい任務ではある。「ネット社会」にあっては個人の経歴信条だけでなく友人家族関係までが晒され執拗にバッシングを受ける。データ押収による組織弾圧契機も拡大する。しかしそれらをはね除けて「ネットでも公然と革命主張と左派主張を続ける人材」を輩出しなければ日本での革命の勝利はない。違うか?!
5面
子どもたちのために 大人は諦めてはいけない
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 代表
中手聖一さん
原発事故の汚染と被害の実態が明らかになりつつあります。放射能は、風雨のたびに山々から、田畑や住宅地へと流れ込み、生活空間の放射線量を上昇させ、農作物の汚染値は上昇し続けています。除染は掛け声ばかりで何も進んでいません。思うように放射線量は下がらず、集められた放射能は行き場を失いました。福島の人間を県内に封じ込め、棄民政策を進め、チェルノブイリが歩んだ道を、いま福島が同じように歩まされています。本当の被害はこれから始まるのです。
チェルノブイリ原発事故は、26年がたとうとする今も被害は進行しています。ウクライナのナロジチ地区では、人口が三分の一に減り、罹病率は8倍に増えました。国の人口も13%減り、寿命は10年縮まりました。回復の兆しはまだありません。さらに20年後、50年後にどうなっているのか、誰にも正しい予測はできません。
福島の子どもたちの9割が、まだ汚染地帯に放置されています。そして、毎日被曝し続けています。線量計を首から提げて一日を過ごし、屋外活動も再開されました。給食には地元米が使われ、検査は名ばかりのフリーパス状態です。このままでは深刻な被害が、子どもたちに襲いかかります。
子どもの避難や疎開を進めようとする自治体は、今は全くありません。しかし、いずれ否応なしに行わなければならなくなるでしょう。1人でも犠牲者を少なくするため、原発を容認し続けてきてしまった私たち大人が、せめても子どもたちにできること、それを全力でやりぬかない限り、次の未来を語ることはできません。
私たち大人が諦めるわけにはいきません。私たちにできることは何なのか?子どもたちが問いかけています。私たちは答えなければなりません。
経産省前テントひろばの闘いと脱原発
経産省前テントひろば 淵上太郎さん
東日本大震災と福島原発事故の衝撃は、脱原発・反原発の運動を大きく変動させた。
特に左翼ではない普通の市民の原発に対する危機感に基づく政府や行政に対する具体的な要求、やむなき闘いと運動はフクシマから奔流となって全国に流れ出し、大衆的運動の新たな再生をも担う勢いである。それはわが国の政治の成り行きに対する真っ当な抗議、生活における具体的な要求としてあるがゆえに、2009年の政権交代に対する期待と落胆を経験しつつあった多くの人々にある種の勇気を与え、人々に声を挙げ、行動に出るという民主主義の原点的な行動を励起し続けて来ている。
そうした状況のなかで私たちは当初、カンパを募りつつ素朴な福島支援を始めた。小規模のものでしかなく、9条改憲阻止の会でも必ずしも十分な討議を行って実行したわけではない。多少強引な進め方もあったがご容赦を頂きながら、多くのグループ・団体による共同・協力を実現もできた。他方、脱原発の闘いをどう進めるか、福島とどう連帯できるのか、首都圏における脱原発の運動をどう進めるか等々について考えて、国会前座り込みもやり、6・11を経てその骨格がつくられてきたが、具体的な行動という点で隔靴掻痒という状況であったと思う。
契機は9・11経産省包囲を巡って訪れた。すでに5万人集会として9・19が計画されてもいる。9・11を一過性の「包囲」に終わらせていいのか。特に我々が首都圏で何ができるのか。議論自体は比較的簡単だったが決断は簡単とは言えなかった。運動や闘いは常に具体的な世界であり、具体性を欠くところに真の世界はない。テントはそういう流れの中で産声をあげた。名前もない状態で始まった。
経産省前テントは、経産省に突き刺さった抜きがたい棘となった。それが維持され100日が経過し今日では首都圏における原発問題での重大な砦となり、そして福島の女性たちに、全国の女性たちに闘いの場を提供するものとなった。
テントは多くの人々によって支えられながら越年した。昨年12月1日からは、福島の女性たちによって「とつきとうか」の闘いが始まった。女たちが世界を変えると呼びかける福島の女性たちの闘いが「とつきとおか」たって何を生み出すか。
テントは脱原発の共同と連帯の場である。そのようなものとして維持し発展させられなければならない。多くの人々の力は権力との攻防に打ち勝ってそれを実現していく。3・11の一周年を含む2012年が脱原発の願いを実現していく貴重な2年目となることを自覚をもって迎えたいと思う。
「教育基本条例」は戦争への一歩
大阪府守口市議 三浦たけおさん
政権交代こそが貧困と格差社会をなくすと多くの市民が期待をし、2009年の衆院選では、民主旋風を受けた野党民主党が圧勝して非自民を中心とする民主党政権が誕生し、一時期の例外を除いて長期与党であった自民党は本格的に下野することになった。これが日本政治史で初めて、国政選挙で野党が圧倒的民意を得て政権交代となったが、公約である方針や意図をこれまで政権を握り、市民、国民おいてきぼりの政治を行ってきた、自民党・公明党から批判を受けると政策転換を安易に行なう政治理念のなさは、一国の総理大臣が僅かな期間に二人も代わるという不安定な政治のありさまは政治不信を加速させ、新たな不安を招いた。
その上、世界経済においては、アメリカの財政、貿易の大赤字と大失業、EUにおけるギリシャ、ポーランド、イタリアの財政危機。成長を望めぬ日本経済。
その行き着く先は格差の拡大である。格差の拡大は必然的に、少数の特権階級と多数の踏み台にされた者たちとの対立矛盾が激化。
結果、多くの若者を始め市民国民の政治不信感は政治離れを加速し、理論ではなく罵倒で決着をつける、より強いメッセージ性のある破壊力のあるリーダーを求め、反民衆的デマ政治を掲げる勢力に変革への期待感が寄せられている。
その結果、反民衆的デマ政治と闘う側が負け続け、今、混沌の深淵に立たされていることすら多くの大衆は気付かず、理論ではなく、論理破壊を習慣付けられ、漆黒の闇から出でし混沌は深淵と結び、秩序を失った民達は政治や経済、社会情勢に破滅を感じとり、漆黒の闇を迎えようとしているのではないのか。
この大阪においては、大阪府知事、大阪市長選挙とダブル選において、大阪都構想を新たな争点として橋下徹氏の圧勝を許した。「府と市の非効率な二重行政が大阪の停滞を招いている。大阪都によりワン大阪を実現することで、大阪に発展をもたらす」などと宣伝したが、全くの虚妄である。現状の「府・市」が「都・区」になるだけで、二重構造(二重行政)であることに変りはない。
結局のところ、橋下・維新の会の意図は「言うことを聞かない大阪市を解体し、大阪全体を思うままに動かしたい」というところに有るのではないのか。政策においては、地下鉄や高速道路の建設などによって「大阪全体のGDPを上げる、景気を良くする、雇用を拡大する」と言うが、「公共事業をおこなえば経済が活性化し地域は発展する」等は、一昔前に破たんしている古い考え方である。
橋下の復古主義者ぶりは昨年6月に強行成立させた「君が代起立斉唱強制条例」、9月府議会に提出した「教育基本条例案」「職員基本条例案」にも露骨に表れている。
「教育基本条例案」、この条例は教育の場に品質管理を持ち込むようなもの。均質の職員と均質の子どもたちが育ち、激化する国際競争に対応できる人が育つだろうか。「職員基本条例案」は、厳罰主義で上司命令絶対と言う条例案。住民の声を政策に反映させる喜びを与え、職員一人一人がやる気を引き出すことが出来るのか疑問である。
とりわけ教育への介入は、過去の歴史が証明するように、戦争政治への一歩であり、許してはならない。
「政治の主体性」の回復を
KCM(関西共産主義運動)代表 八木沢二郎さん
アラブの春に始まり3・11、ギリシャ―EU危機、OCCUPY WALL STREETと続いた11年は、08年の金融恐慌に始まる大きな資本主義の転換が、持続し明確になり更に政治、階級闘争にはっきりと姿をあらわしたものだった。08年恐慌にたいして支配者は、膨大な財政出動と金融緩和で対処し、「雇用なき回復」をなしたかに見えた。だが、その財政出動が、各国の財政を痛め破綻させ危機を深め、その金融緩和が、途上国への過剰流動性として流れ込み、住宅、食糧、資源バブルを生み出しやがてその引き上げによる後退を生み脆弱な社会的基盤を動揺させている。
このように財政・金融という「通常」の政策での危機回避が不能ならその向かう先は、人民の搾取と収奪の強化以外にない。ギリシャアやイタリア、アメリカ、そして野田政権のTPPや、税と社会保障の一体改革の名による大増税政策。
この資本主義の危機は、人民の反抗を生み拡大させている。階級闘争の新たな段階である。戦後大雑把に言えば、1945〜68年の「戦後」、70年を過渡期とする、新自由主義とそれに応じた「新しい社会運動」(環境その他のシングルイシューの時代)の二つの時代があり、08年以降、第三の時代に突入しつつある。
それは、資本主義の危機と従って、政治的には、「統治の危機、動揺」であり、危機を乗り越える「強い政治」が待望される時代である。人民各層の抵抗が生み出され「どのような社会と国家をつくるのか」が問われる。(とりわけ日本では、3・11以降と関連)シングルイシューの揚棄(否定でなく)による「政治の全体性」の回復が我々に問われる。
支配者側の「強い政治」に抗する我々の戦線の強化、人民各層の反抗に答えうる場の構築を急がねばならない。
貴同盟が、団結して「党の改革」を遂行し、この戦線構築の一翼を担うことを祈念する。
6面
1000回水曜デモ連帯行動 世界6カ国1地域で開催
日本軍「慰安婦」被害者たちが、蹂躙された人権と尊厳をとりもどすために、韓国ソウルの日本大使館前で始めた水曜デモ。
昨年12月14日、この水曜デモが1000回を迎えた(第1回は1992年1月)。これに連帯して日本、カナダ、台湾など世界6カ国1地域の30都市でアクションがおこなわれた。東京では1300人が霞ヶ関の外務省を人間の鎖で包囲。
大阪500人
同日夕、大阪・扇町公園ではキャンドルナイトコンサートが開かれ、500人が参加した。
コンサートは6時半から始まり、20年間の水曜デモをふり返る映像、亡くなられたハルモニたちの面影、韓国挺身隊問題対策協議会・尹美香(ユン・ミヒャ)代表、吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニ、金福童(キム・ポクトン)ハルモニからのメッセージ、当日ソウルでの水曜デモの映像などが、次々と野外に組んだスクリーンに浮かび上がった。
はるまきちまきさん、在日青年のデュオ・志遠(チウォン)、パンソリの第1人者安聖民(アン・ソンミン)さんのアリランメドレーなど、心を揺さぶる熱唱がつづいた。
さらに、日本で勉強中の韓国からの留学生など、「慰安婦」被害者の心をしっかり受け止め、日本政府に解決を迫る決意を込めた発言がつづいた。
そして参加者全員が持つキャンドルに火をともし、「1000」の人文字が夜の公園に浮かび上がった。
最後に水曜デモの歌を合唱して幕を閉じた。参加者の中には若い人たちの姿も多く、朝鮮高校の生徒たちもグループで参加。若い世代に受け継がれていくことでたたかいも大きくなっていく予感を感じさせた。
開会前に在特会が妨害に押しかけ、差別暴言をはき散らしていたが、次々と集まる参加者の数に圧倒されて退散した。
日本政府は協議拒否
12月19日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領と野田首相の首脳会談が京都で開かれた。李大統領から日本軍「慰安婦」問題の解決のための2国間協議の開催を求められたにもかかわらず、野田首相は日本政府は従来から呪文のように語ってきた「日韓条約で解決済み」をまたも繰り返して申し入れを拒否した。
更に、1000回デモ当日、ソウル日本大使館前の向かい側に「平和の碑(少女像)」が建立された。これについて、日本政府は「在外公館の尊厳を汚すから撤去せよ」と要求したが、「撤去したら第2第3の像ができますよ」と李大統領から一蹴された。女性の尊厳は汚してもまったく頬かぶりしておいて、在外公館の「尊厳」を主張するとは本末転倒、厚顔無恥のきわみだ。日本人として恥ずかしさと怒りに身が震える。
韓国で名乗り出た被害女性の数は234人(何百分の1にすぎない)。2011年は1年間で16人も亡くなり、生存者は63人になった。
この年末年始もハルモニたちは、零下10度を下回るソウルでの水曜デモに、老いた身体を運んでいる。
1000回を超えてハルモ二たちになお叫ばせるのか。「慰安婦」問題の解決は待ったなしだ。私たちの手で日本政府に責任をとらせよう。
恒例 団結野菜市が盛況
三里塚から丹精こめた野菜とどく
年末恒例 三里塚団結野菜市(12月27日 明石教会 兵庫県明石市) |
昨年12月27日、35回目となる三里塚団結野菜市が、例年通り三里塚反対同盟の全面的な協力のもと、三里塚決戦勝利関西実行委員会の主催で開催された。
今回の野菜市は、これまでの「安全・安心の無農薬・有機野菜」が、東日本大震災による福島原発大事故・放射能汚染問題によって、根底から揺さぶられるというきびしい状況のなかでの開催となった。反対同盟農家は可能な限りの「安全・安心」を確保し、例年通り野菜を準備し届けてくださった。届けられた野菜は、白菜、大根、さといも、やつがしら、さつまいも、ごぼう、にんじん、長ねぎ、ほうれんそう、じゃがいも―いずれも反対同盟農家が丹精込めて作り上げた野菜であり、農地を守る三里塚46年の不屈の闘いと生活の結晶そのものだ(加えて千葉県名産の殻つき落花生)。
その農地と生活を守る三里塚の闘いはいま、市東さんの農地を守る闘い・裁判闘争を焦点に、最大の正念場を迎えている。大切に育ててきた三里塚の大地を守りぬき、毎年欠かすことなく開催されてきた団結野菜市を、来年も再来年も続けていくことを共に誓いあった。
避難者の訴えに 脱原発の決意新た
12・18さよなら原発!西宮集会
西谷文和さんが講演
12月18日、西宮市大学交流センターで、「さよなら原発!1000万人アクション西宮」集会が開かれた。前半は、イラク現地にたびたび行き、子どもたちを劣化ウラン弾から守る活動を長く続けてきた西谷文和さん作成のDVDの上映と講演。西谷さんは、劣化ウラン弾がいかに子どもたちに危害を与えてきたかを説明するとともに、今回の福島事故での放射線をめぐって電力会社・政府がデタラメな対応をくり返してきたことを批判した。さらに西谷さんは原発利権、とりわけ電力会社とマスコミの癒着を、3・11以前に行われていた有名タレントやスポーツ選手を使ってのコマーシャルを上映しながら、判りやすく説明。本当に多くのコマーシャルが流され、「原子力発電はきれい」「私は必要だと思います」と、自然のうちに洗脳されてきたことが明らかとなった。また、電力料金の設定が電力会社に都合のいいようにされており、さらには再生可能な自然エネルギーの活用がいくらでもありながら、これを阻んできた構造も明らかにされた。こうして改めてこの国では政府・電力会社・御用学者・マスコミなどが一体となり、安全神話をでっち上げ、原子力政策をおしすすめ、今また彼らの手によって責任逃れ・放射線汚染が推進されているかが明らかになった。
避難者の訴え
後半は、福島からの避難者の訴えと、各団体・個人の取り組みの報告。とくに福島から関西に避難してきた30歳代のお母さんの訴えには、全参加者が聞き入った。彼女は震災後、放射能の危険性から身を守るために家族で避難を考えるが、夫と意見が対立。しかしねばり強く討論を行い、とりあえず子どもだけは避難させる事になり関西に逃れてきたとのこと。関西に来るにあたっては、全くの見ず知らずの地での生活の不安や、子どもが学校でイジメに会わないか心配したが、いろんな人に助けられ、また福島の人とも連絡を取り合いながら今日まできたとのこと。しかし福島の夫との二重生活は家計的にも大変。しかしもっと多くの人が放射能の危険性のない所に移れるようにしなくては、と訴えた。
そのあと、12・3もんじゅ現地闘争を闘った仲間や、関電包囲行動や1000万人署名や市民投票の訴え、長崎の被爆者の写真展の開催など、西宮で闘う仲間が次々とアピールをおこなった。これまで阪神各地(とくに宝塚など)に比べて西宮では脱原発の取り組みが弱かったが、ピースネットの行動を軸に団体・個人で創意ある行動が取り組まれ、百人近くの市民が参加し元気溢れる集会となった。こんご福島の人たちの訴えに応え、避難者のコミュニティづくりや住宅・仕事の保障、さらには東電・政府の責任追求へ、地域に根ざした運動をねばり強く作り上げていく必要を感じた。この集会の成功をうけつぎ、3・11一周年にむけこの輪をもっと大きくしよう。(K)
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