未来・第118号


            未来第118号目次(2012年12月4日発行)

 1面  原子力ムラの組織犯罪を裁く
     東電を1万3千人が告訴

     10年分を数カ月で実現
     ―事務局の報告

     16日投開票 衆議院議員選挙
     比例区は“社民党”

 2面  燃やすなキケン・ガレキは利権
     大阪市に抗議行動つづく

     来年こそ再審実現を

     機能強化すすむ岩国基地
     「岩国行動2012」に参加して

 3面  “社会保障が財政圧迫”はデマ
     誰もが働き暮らせる社会を

     大阪府警がまた逮捕
     「事件」1月半後に令状で

     本の紹介
     『オスプレイ配備の危険性』
     著者 真喜志好一、リムピース、非核市民宣言運動・ヨコスカ
     七つ森書館

 4面  苦闘する福島の人々と向き合う
     原発事故から1年8カ月の福島を巡って

     横堀団結小屋撤去を弾劾
     関西実行委員会が声明

 5面  寄稿
     未来の命をどう守るのか
     切り離せない〈反原発〉と〈反被曝〉

     軍事使用反対、税金を投入するな
     関西空港反対で集会とデモ 11月23日

     農地は農民の命
     農地法裁判で萩原進さんが証言
     千葉地裁

     もんじゅ運転再開にとどめを

     12月、日本全土で訓練飛行 オスプレイ

 6面  帰りたい 帰れない 帰らない
     飯舘村民の苦悩(最終回)

     冬季特別カンパの要請

       

原子力ムラの組織犯罪を裁く
東電を1万3千人が告訴

福島第一原発事故によって引き起こされた多大な被害について、国や東電の幹部、学者などの刑事責任を問うかつてない規模の訴訟が開始されている。福島原発告訴団は、11月15日、第二次の1万3262人分の告訴・告発状を提出した。告訴・告発人は、第一次と合わせると1万4586人に上る。
この日、約200人が、全国から福島市内に集まり、デモ行進で福島地検に向かい、その後、屋内会場で報告集会をおこなった。

福島地方検察庁に向かう坂道が 福島原発告訴団のデモ行進で埋まった(11月15日)

集会では1万人を超える告訴・告発がどのようにして実現できたのかを、東京で事務局を担った女性が報告した。〔別掲〕
つづいて陳述書が読み上げられた。福島県二本松市から九州に母子で避難した女性は、「2011年3月11日にすべては変わりました。しかし、私が住んでいるところは内陸部で、津波の被害もなく、震度6弱の揺れにも家と家族は耐えきりました。私たち家族の命と絆を断ち切ったのは、その後に起きた東京電力福島第一原発の大事故です。」「姑は、事故の1年半くらい前に、脳出血が原因で全身麻痺の状態でした。一日三回、経管栄養で命をつなぎ、家で静かに生きていたのですが、震災により医薬品をはじめとした物資が入って来なくなりました。主治医も、原発事故で逃げてきた方たちの避難所を回るために在宅まで手が回らなくなりました。週2回の訪問入浴も来てくれなくなりました。そんな間にも、どんどん原発が爆発していきます。放射線量もどんどん上がり、外に出ることもなかなかできなくなりました。」「姑は3月24日、低体温症で息を引き取りました。今回の原発事故さえなければ、姑はもっと長生きをして、静かに天国へ送ることができたはずです。人間一人の人生の最期をこんな終わらせ方をした一員である東京電力をはじめ原子力を推進してきた人たちを、私は許せません。」

事故責任者の処罰を

実に1万人を超える告訴・告発は、史上かつてないことだ。
いまだ国や東電が責任を問われずにいる中で、「国と東電を処罰すべし」という怒りが声となり、1万人を超える告訴・告発となった。そして、これまで運動や組織などに関わりを持たなかった人びとが動くことで、1万人を超える告訴・告発となった。
また、そこには、福島の人びととつながり、福島の人びと共にたたかいたいという思いが込められている。そして、福島の復興を言うならば、まず、事故の責任者の処罰から始まるべきだという思いが込められている。さらに、もし、この犯罪が裁かれないとしたら、日本の社会が止めどもなく荒廃してしまうという危機感に突き動かされている。
そして、この1万人を超える告訴・告発は、単に数の多さにとどまらない意義を有している。それは、日本の歴史の中で国策によって犠牲にされてきた人びとの苦しみと怒りとたたかいの歴史を引き継いでいるという内実だろう。
報道によれば、検察当局は、すでに東京電力の社内事故調査委員会に加わった東電の社員から事情を聴いている。また、震災関連死〔※〕と認定された被災者の遺族から、参考人として事情聴取する方針を固め、年度内に結論を出す目途で動いているという。
しかし、「これは原子力ムラの組織犯罪、国家犯罪。決してたやすくはない。これからの私たちのたたかいにかかっている」と、佐藤和良さん(いわき市議)が最後に強調し、集会を終えた。
※震災関連死 地震や津波による死亡ではなく、避難生活の中で、体調の悪化、過労などによる死、さらに自死など。今年9月末時点で全国で2303人、うち福島県在住者が1121人に上っている。

10年分を数カ月で実現
―事務局の報告

手渡しや口コミで

いま関東では6千3百ぐらいです。段ボール箱4箱分を持ちこみました。
この数字は、実は全く組織的な数字ではなく、また何かの市民運動体が協力してくれたというのではなくて、本当に一人ひとりの手渡し、口コミの運動です。そのことが、この運動にかかわって一番うれしかったことです。
これまで「脱原発」と言ってきた人よりも、そうではない人の方が、10人、20人、50人、100人とつなげてくれました。私も、今までの関係だけではなくて、電話でお話していて、「この人は」という人にお願いして、そうやって新しく出会った人たちが100人、200人、300人と、ものすごく頑張ってくれました。
個人的なことを言えば、これまでもいろいろ運動にかかわってきたのですけど、今回は、10年分ぐらいのことをわずか数カ月でやったと思うぐらい頑張りました。

加害という思いから

私がたくさんの電話を受けた中で、心に残っているのは、「自分たちは、福島の人たちにとって加害者の側ではないか(だから自分は告訴・告発人になる資格はないのでは)」という痛切な思いでした。
もちろん私もその思いがあって頑張ったのですけれども、そういうお話に対して、私は、「告訴団長の武藤類子さんが、『でも、そこを告訴人になってほしい。日本全国の人が告訴人になってほしい』と訴えています」と。そして、「私は、(電気を消費する側の)関東の人間として、告訴人になるということが、私たち関東の人間の加害者としての責任を取ることではないか、福島の人びととつながっていくことではないかと思っております」とお話ししました。
人によっては40分、50分、お話しさせていただきました。そういう方たちが、50人、100人と集めてくださいました。電話で一人ひとり一所懸命、対話をして集めた数です。そのことで、私たち関東の運動が、福島の皆さんとつながれたと思っております。
この思いを国と検察にわかっていただけることを切に願っております。

16日投開票 衆議院議員選挙
比例区は“社民党”

今月16日、衆議院議員選挙の投開票がおこなわれる。今回の総選挙は09年の政権交代以降の民主党政権の変節に対して民衆が審判を下す選挙となる。
選挙戦の焦点は@原発問題、ATPP問題、B消費増税問題、そしてC憲法問題が大きくクローズアップされている。
とくに自民党は「国防軍の創設」「集団的自衛権の行使」を掲げている。また日本維新の会は「自主憲法制定」を公約に掲げた。代表の石原慎太郎は日本の核武装にも言及している。こうした動きが、釣魚台の領有問題をめぐって対中国強硬姿勢を押し出し、日米安保体制の強化をめざそうとしていることは明らかだ。
問題は安保をめぐるタカ派的言辞が幅をきかせる中で、安保問題の核心である沖縄の米軍基地問題について、意図的な争点外しがおこなわれていることだ。
沖縄県民の強い反対の声を踏みにじって、MV22オスプレイの沖縄配備を強行。相次ぐ米兵による暴行、強姦事件。こうした事態は沖縄が依然として米軍の占領下に置かれているということである。こうした事態を受け入れておきながら、「日本の主権」を声高に叫ぶ自民党や日本維新の会の欺瞞を断じて許してはならない。
原発政策については、自民党、国民新党、維新の会を除いて、ほとんどの政党が「原発ゼロ」を掲げている。しかし、本当に「原発ゼロ」を実現するためには強力な大衆運動の持続とその発展が不可欠だ。
今回の総選挙では、原発ゼロの実現と沖縄基地撤去のために大衆運動の現場に身をおいてたたかい、国会においてその利害を体現するために奮闘を続けてきた社民党の服部良一氏(近畿比例区)と照屋寛徳氏(沖縄2区)を推薦する。近畿比例区は「社民党」と記入しよう。

服部良一さん(近畿比例区)

1950年生まれ。労組委員長として大阪で地域労働運動に尽力しながら、沖縄の基地問題を始め、靖国神社参拝違憲訴訟や数々の平和訴訟、市民運動に取り組む。阪神大震災被災地のつどい実行委員長を11年間務める。09年8月衆院議員に初当選。



照屋寛徳さん(沖縄2区)

1945年生まれ。弁護士として、嘉手納爆音訴訟、刑特法裁判の弁護団、自治労、沖交労、軍警労、全駐労等の労働裁判を担当し、刑事事件で7件の無罪を勝ち取るなど人権派弁護士として活動。03年11月、衆院議員に初当選(現在3期目)。社民党国会対策委員長。

(この項は12月17日掲載)

2面

燃やすなキケン・ガレキは利権
大阪市に抗議行動つづく

大阪市長・橋下が汚染ガレキの受け入れ・試験焼却を11月下旬に強行しようとしていることに対して、連続行動がとりくまれた。

「ストップ!11月試験焼却」市内をパレード(11月18日 大阪市内)

試験焼却の前日、大阪市役所前につめかけた市民(11月28日)

集会とパレード

11月18日、大阪市役所をにらむ中之島公園・水上ステージで「燃やすなキケン!ガレキは利権!緊急アクション〜ストップ!11月試験焼却〜」がひらかれた。
主催者の〈ちょっとまって!放射能がれき 関西ネット〉が緊急アピールを読み上げ、3分アピールがつづく。「近隣7府県一斉アクション」「原発再稼働反対監視テント」「ガレキ問題学習会の企画運営をされてきた方」「大阪此花(このはな)発!STOPがれき近畿ネットワーク」など。
阪南大学准教授・下地真樹さんの発言、「此花での住民説明会で被害を受けられた方」からの報告につづき、また3分アピールに。
「STOP原子力!関電包囲行動」「放射能汚染ガレキ広域処理 監査請求をする会」「此花署名」「放射能から命を守る東大阪の会」「放射能から豊中の市民・子どもを守る会」などが次々とアピール。
集会後、大阪市役所前を通り、大阪駅付近まで270人がパレードをした。俳優の山本太郎さんも参加した。

市役所前での抗議

11月26日、大阪市は「29日の朝から試験焼却を開始する」と発表した。
28日には「汚染ガレキ 試験焼却やめて!緊急アクション」が取り組まれ、午後3時、市役所前に130人がつめかけた。主催は〈ちょっとまって!放射能がれき 関西ネット〉。 地元市民、被災地から関西に避難している人、隣県の和歌山からかけつけた人などが次々とアピール。汚染ガレキの試験焼却をやめるよう訴えた。
橋下市長は、今回100トンの試験焼却につづき、来年2月から合計3万6千トンを1年間かけて焼却し、濃縮された放射性廃棄物である焼却灰を大阪港の夢洲(ゆめしま)に埋めるという。2月の本焼却開始を阻止しよう。

来年こそ再審実現を

10月28日、日比谷図書文化館大ホールで部落解放同盟全国連合会による狭山中央闘争がおこなわれ、参加した。
小森勝重・狭山闘争本部事務局長から、『週刊朝日』による差別記事事件、「竹島」「尖閣」をめぐる韓国、中国への排外主義の強まりを弾劾し、「狭山再審闘争で差別主義・排外主義をはね返そう」と開会あいさつがあった。
井橋昌夫中央執行委員から、スライドを使って、筆跡に関する検察意見書の詳細な暴露と批判がおこなわれた。一例を挙げると、検察意見書は「石川さんの筆跡サンプルが少ない」ことをもって「脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡が違うとまでは言えない」と主張しているとのこと。井橋さんは、「サンプルが少ないのは検察が証拠開示に応じないからではないか」と怒りを込めて弾劾した。

差別裁判への怒り

基調報告で中田潔中央本部書記長は「寺尾判決は『例え小学校を出ていなくても、社会に出たらおのずと字を覚えるようになる。だから石川さんが脅迫状を書けないことはない』と言っている。本当にそうでしょうか。私たちの周りにいる読み書きのできないお父ちゃん、お母ちゃんは、できるだけ字を書く必要のない仕事を選び、字を書くような場面は避けて生きてきたのではなかったか。寺尾の言っていることは嘘です。要請行動の中で必要なのは、やっぱり『差別裁判は許せない』という部落大衆の怒りではないでしょうか」と訴え、「今年から来年にかけて、狭山再審が大きな山場を迎える中で、検察・裁判所に対する波状的な要請行動を拡大していこう」と呼びかけた。
反原発自治体議員市民連盟の布施哲也さんの講演では、電気料金制度についてわかりやすく暴露し、反原発闘争への参加がよびかけられた。
青年部が十数人で登壇し、リレートーク。一人ひとりが「3年ぶりのデモで、怒りを爆発させる」「冤罪が次々に晴らされる中で狭山だけがまだ。石川さんの悔しさを私たちが晴らす」と訴え、集会を牽引した。
婦人部は狭山朗読劇を上演。万年筆、カバン、時計らが、「石川さんとは会ったこともない」と証言し、会場を沸かせた。
各地方からの決意表明の後、青年を先頭にデモ行進がおこなわれた。
これからも、狭山再審の実現へ、共に闘いの輪を広げていきたい。(C)

機能強化すすむ岩国基地
「岩国行動2012」に参加して

第七回目となる「岩国行動2012」が11月23日、24日に行われた。私は1日目の住民交流会、労働者反戦交流集会、2日目の国際集会と岩国基地へのデモに参加した。その中で岩国闘争の重要性をひしひしと感じた。

岩国市の中心部を通って岩国基地の正面ゲートへ向かうデモ(11月24日)

極東最大の航空基地

米軍は、2014年までに米海兵隊岩国基地に厚木基地から空母艦載機部隊59機、普天間基地から空中給油機12機を移転させ、約130機を擁する極東最大の米軍航空基地にしようとしている。移転にともない米兵とその家族らをふくめ4千人以上が岩国に移住するため、愛宕山地域を一大米軍住宅地にしようとたくらんでいる。
現滑走路を約1キロメートル沖合に移設するとして海面約213ヘクタールをうめたてた。埋立にともなう跡地返還はなく、岩国基地はまるまる1・4倍の約787ヘクタールに拡張された。
陸上だけではない。沖合拡張とともに長さ360メートル、水深13メートルの大型ふ頭やクレーンをそなえた港湾施設を建設している。この巨大なふ頭は、強襲揚陸艦や空母など大型艦船が接岸でき、空母の接岸をも見こしたもの。オスプレイの陸揚げはここでおこわれた。
岩国基地の米軍機は、中国山地や萩沖、四国沖の上空に専用の訓練空域をもうけ、日常的に軍事訓練・演習をおこなっている。これまでも低空飛行による被害が度々報告されている。艦載機部隊の移転で訓練空域が足りなくなる。離着陸の回数も飛躍的にふえる。「訓練空域および岩国レーダー進入管制空域の調整」として、それに対応した米軍のための空域拡大をたくらんでいる。
米軍は広島県に秋月弾薬廠(秋月、川上、広の弾薬庫)を持っている。ここの弾薬が岩国基地をへて国内・海外の基地に輸送される。

住民のたたかい

06年3月、合併前の旧岩国市(井原勝介市長)で、空母艦載機移駐計画受け入れの賛否を問う住民投票が行われ、反対票が87%を占めた。06年4月、合併による新しい岩国市長選挙では、移駐反対を訴えた井原氏が当選。ところが06年末、移駐反対を唱える市長に対し、国は新市庁舎建設費の07年度分の交付金約35億円の支給を見送った。井原市長は自らの辞職と引き換えに予算案の可決を議会に求め、議会もこれに応じた。
出直し選挙は正常な選挙ではなかった。交付金をえさにした国による買収、金と人を動員、老人ホームに押しかけて投票を迫るなど前代未聞の無茶苦茶な選挙だった。井原前市長は落選した。
「もう実力行使しかない」と、岩国市民は辺野古のたたかいに学びながら愛宕山で座り込みを開始。毎月1日、11日、21日、約50人の住民が参加して継続されており12月1日現在で90回を数える。

4つの訴訟

座り込みと並んでたたかいの今一つの軸が4つの訴訟。
◎海の裁判 沖合移設事業埋立承認処分取消請求訴訟(行政訴訟)
防衛省による空母艦載機部隊の移駐を前提とした「埋立変更承認申請」を山口県が承認したことに対し、「墜落と騒音の軽減」という沖合移設事業の当初の目的を逸脱しているとして、その取消を求めている。
◎空の裁判 岩国爆音訴訟(民事訴訟)
うるささ指数75W値以上の地域住民476名(後に合計654名)が国を被告として提訴。飛行差し止め、損害賠償、厚木基地からの空母艦載機部隊の移駐差し止めを求めている。 ◎山の裁判 愛宕山開発事業認可取消処分取消請求訴訟(行政訴訟)
新住宅市街地開発法には中止の規定がないにもかかわらず、愛宕山開発事業認可を取り消した処分が脱法行為であるとして愛宕山周辺住民19名が「事業認可取消処分」の取消を求めている訴訟。
◎テーブルの裁判 愛宕山開発等に係る市長協議報告書非開示決定取消請求訴訟(行政訴訟)
山口県と岩国市が愛宕山開発事業の跡地を国(防衛省)に売却する案を出していることに関わって、2008年4月7日の段階で国から山口県と岩国市に対して「民間空港と引き替えに愛宕山に米軍住宅を受け入れるように」との打診があったことが同年8月19日の新聞報道で明らかになった。これにつき一市民が情報公開請求をしたところ、岩国市が全面非開示とした決定の取消を求める訴訟。
オスプレイの陸揚げに対して、また沖縄への移駐に対してハンストや海上デモを含め連日の闘争が取り組まれた。岩国のたたかいは今日も粘り強く続けられている。

全国の闘争として

今回の企画の一つ労働者反戦交流集会を主催した実行委員会から「岩国連帯のぼり旗基金」が呼びかけられている。半年ごとに新調される「愛宕山に米軍住宅はいりません」ののぼり旗を一口700円の基金を募り贈ろうというもの。希望により名前や団体名を手書きで書き込んで(事務局が代筆)寄贈することもできる(関西合同労組・大阪支部でも仲介)。
沖縄意見広告運動が、関係172自治体に対してオスプレイの訓練飛行に抗議するよう訴える全国キャラバンを実施する。各地で共にたたかおう。(関西合同労組H)

3面

“社会保障が財政圧迫”はデマ
誰もが働き暮らせる社会を

11月19日、“たたいてどうなる、今、大阪から生活保護を考える”の第二弾として「ゆうても、財政、大変なんちゃうん?」(大阪弁護士会主催)が大阪市内で開催され、200人が参加した。『税金は金持から取れ』の著者である元財務省(国税庁)官僚の武田知弘さんが講演した。生活保護法改悪が切迫する中、非常にタイムリーなものだった。

デマ宣伝

武田さんは「国が公表しているデータを見れば一目瞭然。生活保護費が財政を圧迫しているというのはデマ。日本は千兆円近い赤字があるがその最大の要因は90年代に600兆円を超える公共事業をおこない、それがそのまま赤字になっているのが本当の原因。社会保障は増えたといっているがたかだか3兆円レベルのもの。これが財政を圧迫しているというのは本当に詭弁であり、ふざけているとしか言いようがない。今流されている宣伝は、財務省に非常に都合のよいプロパガンダだ」ときっぱり断罪した。

税収悪化 本当の原因

さらに「今の税収の悪化は、大企業と高額所得者の税率がこの20年間非常な勢いで減税されたからだ」と指摘した。
88年から08年で会社は20年前に比べて法人税を1/3しか払っていない。他方、年収5千万円を超える高額所得者はこの20年で8千人余から2万人弱に2・48倍にもなっている(図参照)。
年収5千万円を超える層というのは2、3年で億単位の財産を作れる億万長者。役員賞与もこの10年で倍以上になっている(図参照)。
さらに、会社の配当金は、99年から08年の20年間で5兆円余から3・2倍の16・5兆円強になり、内部留保は02年の190兆円から08年には1・5倍の280兆円に拡大している。 結局、減税した分が会社の内部留保や配当金、高額所得者等の懐に入っていると指摘した。


88年の税制に戻せ

武田さんはさらに指摘する。88年には消費税なしで税収は50兆円を超えていた。日本経済は当時より25%拡大しているから88年の税収に戻せば消費税なしで70兆円になる。70兆円の税収があれば今の財政問題はほとんど解決する。しかし、これに抵抗しているのがこの20年間で良い思いをしてきた人たちだ。

消費税は不公平

消費税は消費した分だけ負担するので一見公平にみえるけど全くのデタラメ。年収200万円の人はそのほとんどが消費に回るから消費税5%で10万円を納めるので実質負担率も5%。しかし、年収1億円の人が衣食住などに消費してもせいぜい2千万円もあれば足りる。この場合、納税額は100万円になるから実質負担率は1%にすぎない。
武田さんは「もし所得税を年収200万円の人には5%、年収1億円の人には1%にするといったらどれだけ国民が反発するか。しかし、これと同じことをしているのが消費税なんですよ」とわかりやすく指摘した。

1700万人が生活保護に

武田さんはさらに重要な指摘をした。「非正規雇用の人たちは1700万人と言われているが、そのほとんどの人たちが年金をまともに掛けていないため、年金を受け取る年齢になっても年金を受取れず生活保護水準以下になることが試算されている。つまり、1700万人もの生活保護を受けるかも知れない人たちをこの社会は抱えている。これは企業側が非正規雇用を拡大した結果である」
「このような非正規雇用の問題を抱えているのは先進国で日本だけ。非正規雇用労働者の賃金の正規雇用労働者に対する割合はフランス81%、ドイツ76%、イギリス65%。しかし、日本は41%。日本以外の非正規雇用労働者はそこそこ生活していける。しかし、日本はとうていやっていけない。生活保護の最大の問題は日本がこのような社会になっていることだ」「だから、生活保護で問われていることは、まず、みんなが働いて暮らしていける社会をつくることだ」と指摘した。

反対行動の取組み

社会保障費が財政を圧迫しているというニュースがいかにデタラメなものか、本当に目からウロコが落ちる話だった。その後、第二部として集会参加者自身が討論に加わるワールドカフェという新しい方式で活発な議論がおこなわれた。
生活保護法改悪法案は来年早々にも出される予定である。声をあげにくい受給者に狙いを定め、差別をあおり、バッシングを強めて社会保障解体の突破口にする動きは本当に卑劣きわまりない。
今、大阪弁護士会などが中心になって反貧困運動を担うさまざまな団体が生活保護法改悪反対の街頭行動に出ている。労働組合も多くの人たちとスクラムを組み、可能な行動にとりくんでいくことが求められていることを強く感じた。(大阪 Y)

大阪府警がまた逮捕
「事件」1月半後に令状で

11月16日、Kさんが大阪府警により、「公務執行妨害、器物損壊」容疑で令状逮捕された。関西電力本店前で10月5日、Mさんが「転び公妨」で逮捕された際、その弾圧に抗議し、警察による逮捕・連行を妨害し、警察車両を壊した容疑だと権力は発表した。同日、勝手に「関連カ所」と決めつけた5カ所に同容疑で不当捜索がおこなわれた。
この逮捕は、大阪市の「汚染がれき11月試験焼却」強行にむけて、また10・5関電前弾圧で起訴されたMさんの救援活動の妨害を狙い、中心的に動いていたKさんを逮捕したものだ。
でっちあげ逮捕を許すな。ただちに釈放せよ。

本の紹介
『オスプレイ配備の危険性』
著者 真喜志好一、リムピース、非核市民宣言運動・ヨコスカ
七つ森書館 1200円+税

オスプレイ=和名は「ミサゴ」という鳥だそうである。鷹の一種で海辺などに生息。「素早く空中から急降下し魚を獲る」姿から名前をつけたらしいが、「MV22(オスプレイ)は、ミサゴの能力にはるかに劣り、その名に値しない」(本書あとがき)。
米軍岩国基地に異様な姿を現わし、沖縄普天間基地に配備が強行された米軍新型輸送機オスプレイ。テレビ放映された資料映像を見ると、フラフラと飛行し下方の樹木をなぎ倒している。
危険性は数々指摘されている。くわしくは本書を読んでほしいが、一、二紹介する。
ひとつは、「航空機モード」と離着陸時の「ヘリモード」の転換に、およそ12秒かかる。このときが、かなり危ない。CH46大型ヘリのローター(プロペラ)直径約15mと比べ、オスプレイは約11m。航空機モードの場合のためか小さめである。そのため、離着陸時には揚力を得るよう超高速回転させる(不安定さと危険が増す)。しかし、プロペラとしては普通の飛行機より大きく、滑走着陸ができない(プロペラが地面に当たり壊れる)。
もう一つは、飛行中エンジンが不調になった場合、ローターの揚力で落下を緩和できるオートローテーション機能の不備。CH46は落下時速約50キロ、それでももちろん危ないがオスプレイは100キロを超える。機体自重はCH46の約2倍、積載量は約2倍から4倍。オスプレイの小さなプロペラは、その重量を保持する揚力が得られない。

1/3以上が墜落

アメリカ側からも「危ない、落ちる」と指摘されている。米下院での専門分析官による証言、『タイム』誌が2007年に掲載した「オスプレイは空飛ぶ恥」という記事が転載されている。1980年代から始まった開発には多額の費用がつぎ込まれ、92年に最初の1機が初飛行したときに墜落。しかし開発は続けられ、危険であろうが役に立つまいが配備し、次は「同盟国」に売らなければならない。
イギリスが開発したオスプレイ同様に垂直離着陸するジェット戦闘機ハリアーも、よく落ちた。米海兵隊では、保有機の1/3以上が墜落した「実績」を持つ。
軍用機は、平穏無事な飛行をするわけではない。「敵の攻撃をくぐりながら」激しい運動をおこなう。訓練も、そうである。「世界で最も危険」と言われる普天間基地に、「世界で最も危険な航空機」を配備するなど論外である。ある集会で照屋寛徳・衆議院議員は、「レバ刺しは危険だから法律で禁止。オスプレイは危険でも沖縄に配備する」「47都道府県知事のアンケートを見た。反対は8/47だ」と、憤懣を表明した。「低空訓練は、ヤマトの各地でもやるんですよ」と。
しかし、「安全なら配備していいのか」。8月18日の報道ステーションに出演した高橋源一郎氏は、「安全であろうとなかろうと、配備すること自体が問題」とストレートに指摘。「安全問題」に導こうとした古館氏はオロオロしていた。日米安保同盟と地位協定とはいったい何だと、つくづく思う。日米地位協定にともなう航空特例法は、「米軍機は安全高度規制等に規制されない」としている。
他国の空を勝手に飛び回る米軍機。「配備は単なる機種変更、とやかく言えない」という日本政府。もはや沖縄は「独立」し、私たちは自立するときではないか。(武)

4面

苦闘する福島の人々と向き合う
原発事故から1年8カ月の福島を巡って

関西での保養キャンプ実施の参考に、原発事故から1年8カ月の福島を訪れた。 11月9日、レンタカーを借りて福島空港から福島市へ、紅葉や安達太良山の冠雪を見ながら東北自動車道を北へ走る。
福島市内は、通る人たちはほとんどマスクもつけず、普段と変わらない様子。北に信夫山が見える。信夫山は、いまも高線量で危険とされている。
椎名千恵子さん(原発いらない福島の女たち)と合流。福島駅の近くに設置してあるモニタリングポストを見た。測定値は0・24マイクロシーベルト/時だった。これらのモニタリングポストは、中の測定器を下に向けず横に向けたり、周辺を除染して数値が低く出る設定になっているということだった。
途中の道路で、街路樹にツリーをかける工事をしていた。椎名さんは、「食べ物イベントが目白押し、行政は人集めをやって復興をアピールしたいのだろう」と言っていた。線量が比較的高い(0・2〜0・4マイクロシーベルト/時)広場に子どもたちを呼び込んで、露天で物を食べさせることの恐ろしさを強調していた。他方で、一時でも放射能のことを忘れるイベントに参加する大人の感情もあるとか。

放射能測定所

福島放射能測定所を訪問。食物や土の放射能測定器、ホールボディカウンターなどが設置されていた。その間にも、年配の男性が米を持ち込み、測定を依頼していた。最近では、食べ物の数値は落ちてきているが、干し柿から相当高い放射能が検出されたという。生柿からは、それほど出ないのに干し柿になると極端に高くなる。放射能が濃縮されるのと、浮遊している放射性物質が付着するからだろう。
この後、「野菜カフェ」を訪ねた。おもに西日本の野菜を仕入れ、ほとんど儲けを出さずに販売している。人づてに広まって、毎日多くのお母さんたちが買い物に来る。放射能の含まれない食材を求めるということだけではなく、情報を共有し悩みを話しあう場になっているということだった。

渡利(わたり)地区へ

線量計を借りて渡利地区へ向かう。中学校の駐車場に車を停め、車外に出て測ってみると0・17マイクロシーベルト/時。これは、除染の結果の数値。取り除かれた土は、校庭のどこかに積み上げられているはず。しかし、校庭を出てすぐの側溝を測ると、0・4マイクロシーベルト/時あった。側溝を測っていると、近所の人が出てきて極端に嫌な顔をされた。
移動して山際の土手付近で測ると1・072マイクロシーベルト/時で、風が吹くと1・107を記録。年間10ミリシーベルト近くになる数値だ。近所では、洗濯物がかかって風にゆれていた。マラソンが開かれるという看板があちこちに立っており、そのコースに当たる道路も、車内で0・3マイクロシーベルト/時あった。
キャンプに来てくれた子どもの家族と会って話しをした。Hさんの家族は、福島市にとどまって生活している。Nさんは、母子で山形市に避難。お父さんは福島市内でメーカーに勤務、週末だけ山形市に帰る、と。子どもたちは、プール授業に参加させていない。選択ができるよう先生が配慮してくれたとのこと。

人気(ひとけ)がない飯舘村

11月10日、案内の人といっしょに川俣町、飯舘村を経由して南相馬に向かう。道沿いの紅葉がきれい。しかし、そこは人の気配が無い。
飯舘村に近づくと警察車両が目につく。「横浜」ナンバーの機動隊車両と行き違う。人がいない家や、荒れ放題の農地。時折、人や車を見かけるのは、パトロールだったり除染作業の作業員だったりで、生活は感じられない。空き家は朽ちるに任せられている。
南相馬市内に入ると、人々の暮らしが少しずつ見えるようになる。去年の12月以来1年ぶり、海岸の「海水浴場」を見る。案内してくれた人の家族も震災の前年まで毎年、来ていたそうだ。海岸線は破壊されたままで、地盤が1メートルくらい沈下し砂浜が見えない状況は同じ。

案内してくれた人の話

「家族の避難をめぐって父親と対立し、それ以来、口をきいていない」。父親は「マスコミも行政も、怖いことはないと言っているのに、なぜ避難をしなければならないのか」と言っている。転勤を申し出たら、「飯舘村から通っている人が優先」とされた。母子を避難させているが、いっしょに避難した人たちは福島に帰っている。汚染が薄くなったということではなく、二重生活がもたないということ。家賃は借り上げ住宅で3年間無料だが、水光熱費はいる。何かと出費がかさむ。気候の違いや県民性の違いもある。コミュニティができないなか、生活がつらい。もう限界だと、帰ってしまうのだと。自分としては放射能を心配しなくていい土地で過ごしたいと思うが、父親のことなどを考えると、なかなかそうもいかないという。

小高地区へ

小高地区へ向かい、6号線を閉鎖しているところまで走る。途中、結婚式がおこなわれていた。普通の生活のある場所から、しだいに人の気配がなくなっていく。小高地区は、閉鎖解除されたはずであるが、人々は放射能を恐れて帰っていないのだろう。津波で、内陸部へと折れ曲がった鉄柵。根元から完全に折れた電柱。壁がない家屋。6号線から内側は、床上浸水ぐらいの被害を受けたようだ。海岸線の方向は草がぼうぼう、何も分からず。 道路が閉鎖されたところで、マスクをした警察官やパトカーが規制をしている。一歩も車外に出ずUターンして小高地区を後にした。

いわき市で開かれた「原発事故子ども被災者フォーラム」(11月10日)

いわきフォーラム集会

飯舘村、川俣町、田村市の迂回路と高速道路を経由、2時間半かけ、いわき市まで走った。国道6号線を使えば1時間もかからない距離だ。
川俣町や田村市で除染工事を多く見かけた。
いわき市内で開かれた「原発事故 子ども支援法いわきフォーラム集会」に参加した。参加者は約250人。ちょうど日弁連原発事故対策副本部長の海渡雄一弁護士が、支援法の概要と課題について話していた。
この法律は、その目的の第1条で「放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと等のため」と明記し、「子どもにとくに配慮して行う被災者の生活支援等に関する施策の基本となる事項を定める」としている。 山下俊一が言っている「100ミリシーベルトまでは安全」ということを真っ向から粉砕している。
いわき市当局は「対応してまいりたい」を繰り返すのみ。復興庁からもきており、市民から政府への要望。双葉地方原発反対期成同盟の代表は「国や東電の責任を曖昧にしてはならない」と追及した。多くの人が「低線量といわれているいわき市が線引きから外れるのではないか」と危惧。福島全県と周辺県の高線量地域も含めるようにという声が出ていた。市民の無関心に注意を促す意見もあった。

文化も奪われる

11月11日、いわき放射能市民測定室を訪問。日曜日で本来は休みだったが、特別に見学させてもらった。ここの測定器は、水入りペットボトルをつめたダンボール箱で囲まれている。水が外部からの放射線を遮蔽する効果があり、測定の精度を上げるために置かれている。
市の広報に載った「水から250ベクレル」という数値。ここの責任者の方は、「いまごろ発表するいわき市に問題もあるが、それ以上に驚愕したのは市民の反応が無いこと。知らないことの怖さ」を強調していた。雑食性のイノシシの肉は放射線が高く、猟をする人がいなくなった。蝗を甘辛く佃煮にして食することもしなくなり、「食の文化が無くなる」ということも。いわき市は線量が低いと言われているが、ホットスポットが多くあるとのこと。また、いわき市には放射性ヨウ素が事故直後に降り注いだと言われる。市民は大量に被曝したが、ヨウ素の半減期は8日。いまでは分からない。甲状腺検査をやってくれる病院は福島県内にはなく、茨城県でやっと一つの病院を探し出したということだった。 常磐自動車道から、あぶくま高原道路を経由して福島空港へ。空港のモニタリングポストは、0・135マイクロシーベルト/時だった。来年の春休みも頑張ってキャンプをやろうと決心して帰路についた。(K・M)
〔注〕放射線値は、測定器や測定値の誤差があるため、参考値。

横堀団結小屋撤去を弾劾
関西実行委員会が声明

11月28日、横堀団結小屋が強制撤去された。29日、三里塚決戦勝利関西実行委員会が抗議声明を発したので、了承を得て転載する。

昨日、成田空港直近にあった横堀団結小屋が裁判所によって強制撤去されました。小屋には山崎さんが住み、生活をしています。それを問答無用に強制撤去することは人権侵害、居住権の侵害であり許されません。
この暴挙の背景には、来年成田空港の自由化、そして成田空港の完成を目論む成田空港会社NAAと国交省の強い意志が働いていたことは明らかです。この間、NAAと国交省は、空港の運営に何の支障ももたらさない4つの一坪共有地を不当な裁判によって強奪することを目論んで、東京高裁に仮執行宣言がついた不当判決を強行させました。
NAA、国は成田空港の自由化、2014年には年間離発着30万回の実現のために第3誘導路の来春供用開始、市東さんの農地を民事裁判によって強奪しようと目論んでいます。この間の一坪共有地への不当判決、この横堀団結小屋への暴挙は、この市東さんと三里塚反対同盟への恫喝と闘いの圧殺を狙ったものであることは明らかです。同時に、空港の運営に何ら支障のないこうした「整備」は、「つくらない」との住民との約束を反故にし横風用滑走路の建設をも目論んだ成田空港の完成が、NAA、国交省の「念願」としてあり、そうした意図のもとでの攻撃だということです。断じて許されません。
現場では30人が座り込み阻止行動をしましたが、機動隊によって強制的に排除され、小屋の中には山崎さん、柳川さん、加瀬さんが篭っておられたのですが、排除されて小屋は解体されました。報道では、そうした闘いの画面はなく、NHKなどは抗議の画面さえ流されない、解体される画面だけという「偏向報道」でした。
2010年の日米航空協定の妥結を受けて、それまでの保護主義的航空政策をかなぐり捨て、アメリカの自由化要求に全面屈服し、第3誘導路供用開始、市東さんの農地強奪、くらしの破壊へと突っ走るNAA、国交省の住民を無視した新自由主義航空政策への転換を断じて許してはなりません。三里塚反対同盟、市東さんと共に闘い、47年にわたる三里塚闘争を守り抜きましょう。12・10と来年2・4の二つの農地裁判に全力で結集し、3・24三里塚全国総決起へのうねりを生み出しましょう。
11月29日
三里塚決戦勝利関西実行委員会
事務局次長・松原康彦



5面

寄稿
未来の命をどう守るのか
切り離せない〈反原発〉と〈反被曝〉

ガレキの問題にかかわり始めてから1年になった。当初は私自身、被災地を支援するということからガレキの広域処理に反対というよりも、協力するべきだと思っていた。そういう知識がなかった私は、岩手や宮城のガレキは安全なのではないか、それを拒否することは被災地を見捨てることになる。そう思いながら、この問題にかかわった。
しかし、原発事故から関西に避難してきた人たち、お母さんたちと話し合う機会を通して間違っていることに気づかされた。少し長くなるが、私が聞いたことをいくつか引用してみよう。
「震災までは、あんなことやこんなことをしたいなどと思っていた。だけど震災、原発事故のあと、原発のない青い空があるだけでいいと思うようになった」「子どもをつれて関西に避難してきている。子どもがいる人もいない人も、どうしたら未来に命をつなげるか、そういうことを深く考えるようになった」「放射性廃棄物の問題をキチンとすること。今回の事故の責任を明らかにすること。それをぜひやりたい」「政府や環境省は、事故を奇貨に放射能は危なくないという意識を植え付けようとしているとしか思えない。従来ドラム缶に入れ厳重に管理されてきたようなレベルのものを、普通に焼却し埋め立てようとするのは、そうではないか」「ガレキの広域処理を許してはいけない。原発は、ただちに廃棄していかなければ」などという声を、何度も聞いた。

本当の支援とは

ガレキの問題にかかわりながら多くの被災者、避難者、お母さんたちと出会った。彼ら彼女たちと話すうちに東北、関東で、これまでに経験したことがないような放射線による、あるいは放射線の影響ではないかと思われる事例、健康被害、そしてそれに対する不安な思いを知った。不安は、もちろん現在だけではなく、未来にわたっている。
そういう人たちと言葉を交わすうちに、放射線被害、放射能の恐ろしさを直視することこそ、被災地のため、被災者への支援になると確信した。それは、西日本へ避難してきている人たちだけでなく、福島、東北に住み放射能による健康不安を持ちながら、暮らしや住居の再建ができずに苦しんでいる人たちへの本当の支援だと思うようになった。
一方で被災地でも、関西・全国でも「安全キャンペーン」が盛んに振り撒かれている。根拠のない、あるいは科学的に明らかに間違っている「安全神話」に惑わされてはならない。子どもたち、若い人たち、これから生まれてくる子どもたちに、食品、環境、健康などでとり返しのつかない禍根を残すことになる。

未来を変える力

電力会社や政府、政治家、行政は何を考えているのか。「基準値以下なら大丈夫」「少なければ安全」などと、強引に原発事故のとり戻しをねらっている。こんな虚偽にごまかされてはならない。反・脱原発運動は、この1年に大きく広がり未来を変える力になりつつある。同時にそれは、被災地でも避難した地域でも苦しむ人々、これから生まれてくる子どもたち、私たち自身のためにも異議を唱えなければならないことだ。
反原発と反被曝は、切り離すことができない同じ線上にあるという強い認識が必要だ。原発事故現場で働く人たち、被曝に苦しむ人たち、その避難の権利も含め実現していこう。福島原発で働いている人々がいる。あらゆる被曝の危険に晒されている人々と手を結ぶ運動に拡げていかなければと思う。そこにしっかり向き合って、原発事故で明らかになった私たちの社会の問題、矛盾を突き動かそう。
下地真樹(阪南大学准教授)

軍事使用反対、税金を投入するな
関西空港反対で集会とデモ
11月23日

関空の赤字に前金の使うな(11月23日 大阪市内)

「税金で関空の赤字を補填するな!軍事使用を許さない!原発を全部とめろ!市民への不当な弾圧粉砕! 11・23関西空港反対集会」が大阪市内で開かれた。
「(1960年代末)淡路島に関西新空港をつくるということから、関空反対闘争が始まった。空港が淡路にくれば島は破壊される。反対運動に対し、『伊丹・大阪空港の騒音に苦しむ住民の気持ちを踏みにじるのか』とまで言われたが、私たちは早くから伊丹の騒音反対運動をいっしょにやっていたんですよ。けっきょく巨大空港は軍事使用される。何度もそういうことはあった。これからも反対していく」と、三里塚決戦勝利関西実行委員会代表・永井満さんが開会あいさつで訴えた。
三里塚芝山連合空港反対同盟から集会へメッセージが寄せられた。「国策・成田空港建設に反対し46年間闘いぬき、3・11原発事故弾劾と一体にその国策を暴いてきた。いま最大の焦点は、市東孝雄さんの農地取り上げ攻撃。同盟は秋から年末、来春にかけ46年のすべてをかけた重大な決戦として闘う。関西空港も成田同様、延命策はない。反対同盟は空港絶対反対を、全民衆の連帯で闘いぬく」(要旨)と、司会が読み上げた。
関西合同労組、大阪の海と空を戦争に使わせない会、関西新空港反対明石住民の会、新空港反対東灘区住民の会などから、「関電の大飯原発再稼働に、断固反対。関電、関空とも官僚の天下りの温床だ」「関空には税金を投入しながら、福島の子どもたち、住民を放射線の危険にさらしている」「大飯原発再稼働反対、関電包囲行動、大阪市の汚染ガレキ焼却への抗議行動などで、9月以来すでに8人が逮捕されている。しかも『留置番号では勾留理由開示裁判を開かない』という。憲法に保障された黙秘権を踏みにじる、絶対に許すことができない暴挙だ」と、次々に発言があった。
集会後、約50人が「国交省は関空破綻の責任をとれ」「約束違反の陸上飛行をやめろ」「放射能ガレキを燃やすな」「市民への不当弾圧弾劾」などをコールしながら、西梅田公園から梅田、御堂筋を大阪市役所までデモ行進した。

農地は農民の命
農地法裁判で萩原進さんが証言
千葉地裁

三里塚柴山連合空港反対同盟 事務局長萩原進さん(11月12日)

11月12日、千葉地裁で市東(しとう)さんの農地法裁判の証人尋問が行われ、三里塚空港反対同盟事務局次長・萩原進さんが証言した。4時間にわたる証言は、年度内結審を策動する多見谷裁判長はじめ、国・空港会社を圧倒した。
萩原さんは、証言を始める前に強調しておきたいこととして、次の三点を述べた。ひとつは国策としての空港建設で強権的に農地をとりあげようとしていること。ふたつは、土地収用法が失効した後、農民と農地を守る法律である農地法を逆手にとって市東さんから農地を取り上げようとする手法に対する怒り。みっつは、3・11大震災のあと「今までの常識」が一変したこと。その流れに逆行するような裁判に対して、問題提起をした。
遠藤弁護士、葉山弁護士から一瀬弁護士まで合わせて7人の質問に答え、萩原さんは、「三里塚に空港が閣議決定された当時(1966年)のお金で1千万円を借金し、農業の国策であったシルクコンビナートにかけたことが、空港によってつぶされた」「農民の意見も聞かず既成事実を積み重ね、農民を愚弄するやり方に怒りを覚えた」「とことん農民として生きてやろうと空港反対の決意を固めた」と証言した。
同じ開拓農家の部落である天神峰(てんじんみね)と東峰(とうほう)の関係、両親とともに開拓に苦労した様子を述べ、「農業が軌道に乗ったのは60年代であり」「公害問題や空港問題を考える中から、完全無農薬・有機農業で旬の野菜を作るようになった」と。産直の関係は、生産者と消費者の顔が見える関係というよりも一体のもの、農民にとって農地は命そのもの、どこでも農地になるというのは全然違う、と話した。
「東峰神社は部落の総有であり、公団は登記できない」「神社木伐採の時の抗議は当然である」「部落全体で裁判を起こして総有を認めさせた」。暫定滑走路やB滑走路の供用についても、「既成事実を積み重ね、住民を追い出すことが狙いだ」「マスコミからも『軒先工事』『地上げ屋行為』と言われているではないか」と、声を上げた。
90年代の成田シンポジウム・円卓会議で、「土地取り上げは強制的にはしない、としたが今も守っていない」「力で追い出すことができず、飛行機を飛ばして騒音被害の中に置き、事故の危険をかえりみず責任を我々に転嫁するやり方は許せない」と、述べた。
「市東さんは、先々代からの農地を受け継いで10年たってやっと落ち着いた。金の価値では測れない。農地を取られることは死を意味する。しかも農地法で明け渡せとは何事か」と、怒りをぶつけた。
農業の根幹から解き明かし、空港建設の暴虐を暴いた4時間にわたる萩原さんの証言は、法廷を圧倒した。次回12月10日も萩原さんが証言する。傍聴にかけつけよう。

もんじゅ運転再開にとどめを

文部科学省の作業部会で、11月8日、日本原子力研究開発機構は、高速増殖炉「もんじゅ」を、早ければ来年末に運転再開、2〜3年試運転、さらに4年間の本格運転との方針を公表した。計画概要を来夏策定としている。
原研機構は、「部会の計画策定と、原子力規制委員会の安全性確認が来夏に終われば、来年末にも試運転開始できる」と説明。
3・11以降の情勢に逆行するような暴論は許せない。「もんじゅ」を廃炉に。

12月、日本全土で訓練飛行
オスプレイ

沖縄に強行配備された垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの本格運用を12月上旬におこなうと、在日米軍のアンジェラ司令官が11月29日、メディアとのインタビューで公表した。
沖縄では、すでに10月から訓練がくりかえされており、日米合同委員会で合意した安全確保策を守らない飛行が繰り返されている。本格運用となることで、さらに傍若無人の危険飛行がくりかえされ、日本全土での低空飛行訓練も始まることになる。
また、11月29日からグアムで始まった海兵隊訓練に沖縄のオスプレイが参加。海外での訓練参加は、沖縄配備後はじめて。

6面

帰りたい 帰れない 帰らない
飯舘村民の苦悩(最終回)

福島第一原発事故によって深刻な放射線被害を被った福島県飯舘村。いま飯舘村の人びとは何を思い、何を望んでいるのか。事故後、飯舘村から伊達市の仮設住宅に避難している安斎徹さん(65)に話を聞いた。最終回では、少しづつ変わり始めた住民の意識について語ってもらった。

住民の気持ちは重い

自分たちは被ばくさせられたと。で、賠償金も精神的慰謝料の10万円。でも、「もういいよ」という人がいるの。納得しているのか、あきらめなのか。 本当は、集団で訴訟を起こせばいいですけど。
自分たちは、いま裁判を起こしている。東電に慰謝料を請求する裁判。現在の慰謝料は一人月額10万円の低さ。それに、加害者の東電が全然反省していない。東電は全然、反省していないですよ。だから「懲罰的慰謝料」も請求します。
でも、この裁判のことがテレビに流れたら、「金儲けだろう」って、飯舘住民に言われて。そんなんじゃない。自分たちが裁判に訴えたのは、飯舘住民の人が、1人でも2人でも、加わってくれればいいと。いま26人ぐらい。最初は14人ぐらい。これは100人、500人になったら力になるんだけど。

東北人の気質か

住民の気持ちが重いのはなぜか。うーん。東北の人は、おとなし過ぎると言われけど、たぶん日本人は徳川時代にお上にはもう何も言えなかった。そしてずっと馴らされてきた民族で、政府にモノを言ってもしようがない。そのあきらめムードがたぶん強い。
福島県から出ると、「もっと声をあげなきゃだめでしょう。飯舘の人はおとなし過ぎる」って言われるけど、「もう怒ったら大変なことになりますよ」って言ってるんだけど。

「放射性廃棄物仮置場はいらない!」と玄関に貼り出した(飯舘村小宮地区)

東京の人の気持ち

東京では、何万人が官邸前に集まったと言っているけど。ちょっと気持ちが違う気がします。
このあいだ東京に行ったとき、この福島原発の電気を東京で使っていることを分かんない人がいました。「福島原発の電気を、福島県でひとつも使っていませんよ」っていったら、「えっ?!」って。「東京都民が使っている電気なんですよ」って。「だから、東京都民にも責任はありますよ。だから、都民の人はもっともっと声をあげて下さい」って。 でも、原発事故をもろに受けた私たちにとっては、10万、20万のデモはやはり力強いですよ。それがもっともっと大きくなっていけば、政府も動かざるをえなくなるし、東電もウソはつけないし、だから、もっともっと大きくしていかないと。

水俣に学ぶ

この前、水俣に行ってきたんですよ。いやー、これは、学ぶべきものがありますね。原発事故と同じ。
水俣で感じたことは、まず、国・県・行政が、最初に患者さんが出たときに、手を打っておけば、200万人以上も被害を受けることはなかった。そして、患者さんが出て、病院に入院させたら、漁業組合長が病院から連れ出したって。なんでって、魚が売れなくなるから。それで、どんどん増えていってしまった。だから、いま「風評被害」だとかいってごまかしてしまうのといっしょ。
それに、飯舘で除染をやっているのもいっしょ。海に杭を打って、そこに汚染土を入れて、上に土をかぶせて、建物を建てて。だけど、中の物が漏れているんですよ。
資料館にも案内してもらったけど、水俣は、55年、60年近くなりますけど、「ああ、これが原発事故の将来、こうなるのかな」と。
水俣の人は、何十年も苦しんでたたかっているので、福島・飯舘の人より、こっちのことを本当に心配しています。
だから、福島・飯舘の人も、もっともっと立ち上がんなきゃだめなんですけど。まあ、水俣の人達も、1年や2年の話ではないからね。5年10年かかってようやく、という感じだから。だから、福島もこれから。これから声をあげなくちゃ、完全に潰されますよ、自分たちも。

だんだん牙をむく

自分は、3・11以前は、何かするなんて、なかったですよ。ごく普通の村民ですよ。最初は、えーと、昨年4月の「負げねど飯舘 !!」の村民決起集会、あれからです。そして、避難で福島市に行ってちょっと活動して。「これだけ大きな事故が起きたから、何かグループを作って、住民と、行政・東電・国の間に立たないとだめですよ」って話していたんですよ。それが、「愛する飯舘を還せプロジェクト 負げねど飯舘 !!」の始まり。 「負げねど飯舘!!」は、いまは村長にちょっと頭を押さえられたような感じなっているけど、「負げねど飯舘!!」が、あのままの状態で来れば、また、変わっていましたよ。

気付き始めた

村の職員も、最近、ちょっとこっちにきているかな。少し住民寄りになってきたかな。村長も、だんだん、裸の王様になりつつある。
いままで村長がやりたい放題をやってきたけど、今回、区域再編でも、除染でも、もう、住民からコテンコテンにやられているから。とにかく国のいうことを聞いていれば、なんとかなるということがこの1年で、ガタガタになっているからね。それで住民も牙をむき始めているから。自分は、剥きっぱなしだけど。
飯舘の人はなかなか立ち上がらないと言ったけど、だんだん変わってきている。だんだん気づき始めている。住民が気づき始めたというのが大事ですよ。これが、どんどん大きくなって、牙をむいていけば、いかに村長でも、国の言いなりではいかなくなるからね。今は、まだクスぶっている段階だけど、そのうち火がつきますよ。

10月に村長選

「帰る」「帰らない」で、村は二分される。そう見ているよ。3区分と賠償問題になったとき、やっぱりもめる。今度は、「村長、何、勝手なことした」となる。椅子でもなんでも飛んでくるような話になるよ。
村長は、「村では、一律にするようにしてますけど・・・」と言って逃げようとするけど、そうはなんない。
ただ、10月に村長選があるけど、これは、菅野村長の再選だな。 菅野村長が再選されても、これからどんどん問題出てくるわけで、それをどんどん突っ込んでいけばいいと思っている。
あと、来年、議員を変える。いまの悪い議員は全員取り換える。
※注 10月21日投票の飯舘村長選では菅野典雄氏が無投票で再選。

住民の心の中を見て

テレビも新聞も取材に来るけど、表面しか捉えていない。NHKにも抗議したんです。 「表面の話はもういいから。裏で苦しんでいる人がたくさんいるんですよ」って。そしたら、「貴重なご意見、ありがとうございました」で終わり。
裏を取材して下さい。住民の心の中を。「飯舘村はきれいで、だけどそこに住めなくなって、涙を流していました・・・」。
こういう話はもういいの。
「2年後にはいやでも戻されるんじゃないか」とか、「仮設にもいられなくなるかも知れない」とか、先の見えない不安。
津波の被害と違う。津波の被害は、全部なくなってしまったけど、これから前に向かって進もうというものが見える。けれど、飯舘は見えない。
この苦痛を、全国の人にわかってほしいですね。「金くれ」って言っているんじゃなくて、「この苦痛を取り除いてくれ」って言っているのですね。(了)

カンパ要請

冬期特別カンパへのご協力をお願いします
『未来』読者の皆さん、支持者のみなさん。16日投票の総選挙において、09年政権交代以来の政治の大流動が起こりつつあります。
こうした中で、原発ゼロと沖縄の米軍基地撤去の実現のためには民衆自身の直接行動をさらに発展させていくことが不可欠です。わたしたちは今年1年間、そのためにみなさんと共に奮闘してきました。ぜひ、革共同再建協議会へ冬期特別カンパを寄せて下さい。

《カンパ送り先》

◎郵便振替 口座番号:00970−9−151298
 加入者名:前進社関西支社
◎郵送 〒532―0002 大阪市淀川区東三国 6―23―16 前進社関西支社