未来・第114号


            未来第114号目次(2012年10月2日発行)

 1面  普天間ゲートを実力封鎖
     オスプレイ拒否 怒りの決起

     原発事故の責任を問う
     福島原発告訴団が全国集会

     野田は即辞任しろ
     首相宅と事務所にデモ 船橋

 2面  国策と闘い農民として生きる
     「この国の農業と三里塚」集会

     震災ガレキを燃やすな
     大阪の学習会に参加して

     “大飯の乱”への政治弾圧許すな

 3面  シリーズ 橋下改革を斬る (第5弾)
     異様な格差社会の出現
     「維新八策」がめざすもの(上)

 4面  帰りたい 帰れない 帰らない
     飯舘村民の苦悩(第1回)

     投稿
     橋下市長! これが「慰安婦問題」の真実だ

 5面  中国の反日闘争を日本の民衆はどのように受けとめ闘うべきか

     「慰安婦」被害者の声を聞け!

 6面  差別と排外主義に反対し集会とデモ
     9・23 東京

     シネマ案内
     トガニ 幼き瞳の告発

       

普天間ゲートを実力封鎖
オスプレイ拒否 怒りの決起

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のゲート前で、連日オスプレイ配備阻止闘争が取り組まれている。
初日となった9月26日は、朝7時からオスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会による抗議行動が野嵩ゲート前で始まった。市民団体や沖縄県選出・出身の国会議員、県内市町村長が参加し、約300人が「オスプレイ配備断固反対」「普天間基地を閉鎖・返還させろ」とシュプレヒコール。
翌27日は、沖縄平和運動センターなど約50人が朝から、野嵩ゲート前で何度もデモや突入を試み、警官や基地従業員の警備員と衝突した。28日予定されていた米軍岩国基地から沖縄へのオスプレイの飛来を、「ゲートを封鎖し、実力で配備を止める」という決意のもとに実力闘争を展開。
米軍普天間飛行場 大山ゲート前を座り込みで封鎖(9月28日)

午前11時すぎ、ゲートに続く基地内道路の片側一車線に市民約40人が、ついになだれ込み座り込んだ。市民や報道陣を暴力的に排除する警備員に対して激しく抗議。警備員に加勢した50人の警察官を、山城博治・沖縄平和運動センター事務局長は「なぜ県警が基地内にいるのか。後ろに警備員、その後ろに海兵隊がいる。悲しい植民地の現実だ」と弾劾した。
午後6時に野嵩ゲートを警備員が閉鎖。ゲート前の道路は労働者・市民によって解放区となった。「台風のため飛来を延期する」という報が伝わる。一方で28日の那覇と本土を結ぶ航空路線は平常運航の見通しという。「県民の怒りこそがオスプレイを止めた」と参加者の意気が揚がる。
28日は、沖縄平和運動センターのよびかけで約100人が午前9時すぎから、大山ゲートに座り込み。警官隊からごぼう抜きにされても、何度も座り込み、ゲートの通行を遮断した。米軍は10時半ごろ、大山ゲートを閉鎖。27日午後に閉じられた野嵩ゲートを含め、抗議行動によって普天間飛行場のゲート2カ所が封鎖された。
この日、県民大会実行委員会が午前7時から野嵩ゲート前で開いた抗議集会には300人が参加。

日本は独立国か

稲嶺進・名護市長は「普天間飛行場へのオスプレイ配備は許されない。サンフランシスコ講和条約で沖縄が切り離されたように今回も本土の安全のため沖縄が切り離されようとしている。これで日本は民主・独立国家と言えるのか。沖縄から民主主義の闘いを示し、日本政府を目覚めさせよう」と訴えた。
政府は、9月19日にオスプレイの「安全宣言」を出した。低空飛行訓練の「安全確保策」として、航空法の安全高度150メートル以上の高度を順守し、「人口密集地は回避する」としている。また回転翼を上向きにする「ヘリモード」の飛行は米軍施設上空に限定し、回転翼を前に傾けた「転換モード」での飛行時間は、飛行が不安定になるためできる限り短くするという。しかし、岩国基地周辺でのオスプレイ試験飛行を実際に見た地元の女性(73歳)は、「近所では、反対してもどうせ飛ばすだろうと言っていた。24日に飛ぶところを見たが、えらく低く飛んでいて危なっかしい。これでは苦情が出るのは無理もない」と話している。米軍がこうした「ルール」を守らないことは明らかだ。沖縄県民のたたかいと連帯し、オスプレイの普天間配備を阻止しよう。

原発事故の責任を問う
福島原発告訴団が全国集会

「福島原発告訴団」の第二次告訴に向けた全国集会が、9月22日福島県いわき市内で開催され、県内と全国各地から、約300人が集まった。
「この未曽有の原発事故でなぜ誰も責任を問われないのか」。今年3月に告訴団が結成され、6月11日、福島県民1324人が、東電幹部や政府関係者ら33人を業務上過失致傷罪などで、福島地検に刑事告訴した。そして福島県民の怒りが検察を動かし、8月1日、告訴の受理となった。
300人が参加した原発告訴団の全国集会(9月22日いわき市内)

この日の集会の趣旨は、告訴を受理した検察をさらに包囲するため、福島から始まった告訴団の運動を全国に広げようというもの。
各地で、告訴人を募る事務局が立ち上がっている。福島のほかに、北海道、東北、関東、甲信越、中部、静岡、北陸、関西、九州、中四国の合計11カ所で事務局が動き始めているという。集会では、事務局を立ち上げた人びとが各地の取り組みを報告した。

原子力ムラにくさびを

また、弁護団に、これまでの保田行雄弁護士、河合弘之弁護士に加えて、海渡雄一弁護士(もんじゅ訴訟、浜岡訴訟など数々の原発訴訟を担当)が参加した。
集会は、いわき市議の佐藤和良さん、告訴団長の武藤類子さん(福島県三春町)があいさつ。武藤さんは、「原子力ムラにくさびを打ち込み、日本を変えて行こう」と訴えた。さらに、たんぽぽ舎の山崎久隆さんが講演。弁護団の各弁護士が発言。各地の事務局から報告など。双葉地方原発反対同盟代表の石丸小四郎さん(福島県富岡町)のまとめを受けて、市内デモに出発した。

告訴団長の武藤類子さんを先頭にデモ(9月22日 いわき市内)

全国から告訴へ

第二次の告訴状提出が、11月中旬に予定されている。福島のみならず全国の人びとが被害者であり、福島と全国の人びとが手を携えて、告訴告発に立ち上がろうと呼びかけられている。
全国からの告訴団への参加は、各地方にある告訴団事務局で受け付けている。連絡方法は、まず「福島原発告訴団」のウェブサイトにアクセスし、そこから自身の居住地域にある「事務局」のウェブサイトにアクセス、そこで案内を受けることができる。

野田は即辞任しろ
首相宅と事務所にデモ 船橋

野田事務所をデモで直撃(9月17日 船橋市内)

9月17日、野田首相の地元選挙区である千葉県船橋市において、野田首相の自宅と事務所を直撃するデモが200人の参加でおこなわれた。〈原発さよなら千葉〉が主催。 デモに先立って新京成線・薬園台駅前広場で午後3時から約1時間にわたって、フリートークや歌をまじえたにぎやかな市民集会が開かれた。
午後4時から野田首相の自宅と事務所を直撃するデモに出発。デモは、野田の自宅前と事務所前で立ち止まり、ひときわ大きな声で「脱原発」と「野田は即時辞任しろ」と訴えた。デモコースの途中にある新京成線・北習志野駅前では多くの市民の注目が集まった。そして北習志野駅近くの公園まで約1時間余のデモを元気よく貫徹した。
同日同時刻、JR船橋駅周辺においてもJR中央線総武線沿線グループを中心とするデモがおこわれた。2つのデモは、携帯電話でおたがい中継しあいながらデモのコールを統一しておこなった。こうして市内各地に「野田辞めろ」コールをひびきわたらせた。(東京O)

2面

国策と闘い農民として生きる
「この国の農業と三里塚」集会

9月16日、三里塚(成田)空港反対集会が大阪市内でひらかれ、135人が参加した。主催は、三里塚決戦勝利関西実行委員会と三里塚芝山連合空港反対同盟。
「この国の農業と三里塚」と題して、萩原進さん(空港反対同盟事務局次長)と村上真平さん(福島県飯舘村で農業を営んでいたが、原発事故で移住を余儀なくされた農民)が、講演。農と食という問題から、三里塚闘争の重要性をあらためて再確認する集会となった。 永井満さん(三里塚決戦勝利関西実行委員会代表世話人)の主催者あいさつに続き、2人が講演した。

飯舘村から三重県に避難した 村上真平さん

自然を収奪しない農業

村上真平さんは、@海外協力(農業)の経験、A2002年から始めた飯舘村での自然農業、B2011年3月11日の福島第一原発事故、について語った。
20年間の海外協力でつかんだものは、「貧しい国があるのは、多く取りすぎる豊かな国があるからであり、貧しい人がいるのは、豊かすぎる人がいるから」ということ。飯舘村では自然農業(自然をベースにした、自然を収奪しない農業の在り方)を探究していた。しかし、福島第一原発事故により、飯舘の空気と水と大地は高濃度に放射能汚染させられ、「飯舘村は国から見捨てられた」と確信した。
「飯舘村で私の家族に起きたことは、けっして例外ではない。近代化(資本主義化)のなかで、農業は一貫して切り捨てられてきた。農と食を人間のもとに取り戻すために、新しい社会のありかたを探究すべきだ」と述べた。 自己の体験と思索を通じて、物事の本質をつかんでいこうとする姿勢には、説得力があった。

三里塚反対同盟事務局次長の  萩原進さん

10・7 三里塚の地に

萩原進さんは、農地を取り上げ問答無用に強行された国の空港建設に反対し、農民として闘い続けてきた。この視点から農業の在り方を語った。
「三里塚では国策、国益の名のもとに、金と暴力で農民から農地をとりあげようとしてきた。金をやるから農業をやめろ、はじめから農民を蔑視したやり方だった。福島、沖縄、三里塚、(問題の)根は同じ」「今、農地法の名のもとに市東孝雄さんの農地が取り上げられようとしている。市東さんは生活できなくなる。この攻撃を粉砕するには、広範な人々が立ちあがることが重要だ。10月15日の裁判(千葉地裁)が決定的に重要になった。10月7日の三里塚現地闘争には、ぜひ駆けつけてもらいたい」と危機感をもって述べた。

国策とのたたかい

2人は異なる立場から農業にたずさわってきた。しかし、2人に共通するのは、国策との闘いなくして農民は農民として生きていけないということ。
都市の住民にとっても、三里塚闘争はけっして他人ごとではない。三里塚闘争に広範な人々が結集できる新たな運動陣形と運動理論を再構築するために議論を発展させていかなければならない。
その後、4人のリレー・トークがあり、山本善偉・関西実行委世話人が集会まとめをおこなった。なお、集会には「市東さんの農地を守る沖縄の会」からメッセージがあった。 集会後、難波までデモ行進をおこない、御堂筋を歩く人々に三里塚闘争への決起を訴えた。

震災ガレキを燃やすな
大阪の学習会に参加して

震災がれきを燃やして、本当に安全なのか?そんな気持ちで参加した8月30日、大阪市の説明会。橋下市長の対応は、あまりに不誠実、ひどい内容。このことに悶々としていたとき、「モジモジさんこと下地先生」の学習会があると聞き、参加しました。
モジモジさんは、大阪市説明会で、府、市、環境省の役人を相手に、わかりやすい数字をあげて追及した人です。主催は〈放射能から子どもを守るママの会・大阪市〉です。
まず、東北各県の放射能汚染度を文部科学省発表のセシウム134と137を合計したデータをもとに確認しました。福島は683万6050ベクレル/kg、岩手は2992・1ベクレル/kgです。福島に比べるとすごく低く感じるかもしれませんが、福島が酷すぎるのです。3000ベクレル/kgに近い数字は決して低い数字ではありません。1kgあたり1秒間に3千本以上の放射線が発せられているのですから。
それから「環境省『広域処理』の論点」について一つ一つ解説・反論がありました。
○大阪市が岩手のがれき処理を引き受けたことは、莫大な費用がかかり、無駄である。
○すべてのがれきは仮置き場に搬入済みであり、生活圏に影響を及ぼす仮置き場はわずか。広域処理の必要性はない。
○がれきを燃やすことにより放射能汚染が日本全土に広がる可能性がある。
○本当の復興支援にはならない。全国にがれきを運ぶ運送費は、福島から避難する人たちへの経済的支援など、復興支援にまわすべきである。
○震災がれきには放射性物質だけでなく、さまざまな有害物質が付着しており、それらが焼却によって限りなく飛散する。
○焼却処理、埋め立て処理などについての安全性は証明されていない。
○それらは人間の内部被ばくにつながり、この先、何十年も私たちの生命をおびやかすことになる。
○有害物質は「拡散しない」が原則。それに反して政府は、3・11以降被曝の「許容限度」や食品基準値を引き上げるなど、あらゆる面で汚染を希釈拡散する政策をとっている。この政策を180度転換させる必要がある。 ○汚染食品や放射性廃棄物のリサイクル品の流通等を通じ、汚染は全国に拡散する。このとき放射性物質の総量が環境中でどのように循環するのかが問題。汚染されていない物と混ぜて処理し、その一つ一つを「低い」と評価しても意味が無い。
この学習会には8月30日の大阪市説明会に参加されていた方が知り合いに声をかけ、家族を誘い、参加されていました。
みんな「なんとかしたい」との気持ちでいっぱいの人たちでした。大阪市でのがれき処理は、なんとしてもやめさせたい。本当にがれき広域処理をなんとしても止めたいです。(大阪 A)

“大飯の乱”への政治弾圧許すな

9月20日、福井県警警備部公安課は静岡市内でAさんを逮捕した。これは6月30日から7月2日までたたかわれた、大飯原発再稼働に反対する「大飯の乱」といわれる原発道路正門ゲートを占拠した大衆行動への政治弾圧だ。
36時間にわたる解放区を実現した、ゲート前でたたかったすべての人びとへの弾圧である。権力・資本による報復弾圧であり、絶対許すことはできない。いかなる弾圧も、「大飯の乱」を消し去ることはできない。
原発再稼働反対のたたかいは正義だ(6月30日 大飯原発道路正門ゲート)

福島の原発事故は、いまだに収束していない。日々、放射性物質が吹き出し、垂れ流されている。大人も、子どもも被曝にさらされている。怒りを行動へ、再稼働を許さない意志を直接行動で示した「大飯の乱」こそ、反原発闘争の新たな出発点だ。
原発再稼働監視テントの仲間や全国のたたかう仲間とともにこの弾圧を粉砕しよう。原発再稼働監視テントは大飯弾圧救援を呼びかけている。

〈救援カンパのお願い〉 (原発再稼働反対監視テント)

救援活動には、弁護士費用、保釈金、交通費など、多くの資金が必要です。
共にたたかう仲間の救援のために、カンパをお願いします。
○ゆうちょ銀行から
ゆうちょ銀行 総合口座(ぱるる) 
口座番号:記号10350 番号31718741
口座名称:カンパジムキョク
○他銀行から
銀行名 ゆうちょ銀行 金融コード 9900  店番 038 
預金種目 普通 店名 〇三八店(ゼロサンハチ店)
口座番号 3171874 カナ氏名(受取人名) カンパジムキョク
ブログは、大飯弾圧救援 原発再稼働監視テント http://oikyuen.blog.fc2.com/
連絡先電話:090(8043)3558

3面

シリーズ 橋下改革を斬る (第5弾)
異様な格差社会の出現
「維新八策」がめざすもの(上)

「見出し」で踏み絵

橋下徹・大阪維新の会は国政に進出するために、議員の椅子にしがみつきたい民主・自民・みんななどに所属する現職国会議員を一本釣りで引き抜いて新党「日本維新の会」を立ち上げた。
八月末に発表した『「維新八策」最終案』は、総選挙の政策集などではなく、「価値観を示す綱領のようなもの」とした。「見出し」だけが一七〇本以上も並べられている。具体的な説明はまったくない。橋下は「数値目標や工程表は行政がつくるもので、政治は方向性を示すことに限定すべきだ」と白紙委任を求めている。
9月9日におこなわれた公開討論会では、松野頼久など「ガラクタ」とまで揶揄される国会議員たちが政策論議もせずに丸呑みした。河村たかし名古屋市長が国民総背番号制について意見を言おうとしたことに対して東国原は「八策」に書いてあることに同意するかどうかだと息巻いたという。踏み絵そのものだ。

放射能がれき広域処理反対で座り込む女性たち(7月18日 大阪市役所前)

首相より市長が上

みんなの党・渡辺が、双方解散して対等に新党結成へ進もうとしたことに対し、おごる橋下は、あくまでも維新の会への合流を求めて突っぱねた。その結果みんなの党は解体の危機に陥っている。
橋下は常にトップの座にいなければ気がすまない。橋下にとって、所属議員の数が必要なだけで、すべてトップダウンだ。「日本維新の会」党規約案では国政選挙の候補者の公認・推薦は代表に一任するとなっている。比例代表の名簿登載順位についても代表に一任。党員に投票権を認めず、代表の権限が異様に強い。万が一維新の会が国政与党となり党員が首相となるような事態が生まれたら、大阪市長の橋下が党首として首相に指示することになる。
危険を軽視してはならない。 橋下が狙っているのは、民主党にも自民党にもできない「強力な改革の実行力」を売り込んで、新自由主義を有無を言わさず押し進める大連立の要に座ることだ。あわよくば首相の座、それも大統領型で非常に権限の強い首相を狙っている。
その橋下は新党党首打診など元首相・安倍晋三に秋波を送った。自民党総裁に返り咲いた安倍は、橋下と共有できる具体的な政策の柱として、「教育改革」「憲法改正」「『「慰安婦』問題など歴史認識分野」などを挙げ、「戦いにおける同志」とエールを交換している。
「僕は、競争を全面に打ち出して規制緩和をする。小泉・竹中路線をさらにもっともっと推し進めることが、今の日本には必要だと思っている」。橋下は竹中平蔵を、財務相など重要閣僚へ推薦することを検討している。極右=新自由主義の大連立が登場しかねない。

福島切り捨て

「維新八策」は「日本再生のためのグレートリセット」と書き出している。何たる軽薄さ、どこまで白々しいのか。
福島第一原発は今も放射性物質を撒き散らし続けている。これ以上の大惨事がいつまた起きるかもしれない。二度と再びふるさとに帰ることのできない人びと。放射能汚染の中で暮らすことを余儀なくされている人びと。破壊された地域社会、家族の崩壊。いま日本に住むわれわれに必要なのは、あくまでもこの福島の現実に向き合うことだ。この事態を生み出した戦後日本社会のあり方や、アメリカを中心とする世界体制そのものを問い直すことだ。それには原発推進体制を許してきたみずからの痛苦の反省が伴う。
「グレートリセット」と言いながら福島に思いをはせない、一言も言及しない。この一点でも「維新八策」は弾劾、粉砕しなければならない。「リセット」という言葉には自己反省がかけらもない。指先でボタンを押せばやり直せるゲーム感覚の軽薄さしかない。

りんごのなる木

「皆さんにりんごを与えることはできません。りんごのなる木の土を耕し直します」と言うが、りんごで生活が成り立つのか。まず必要なのは米やパンだ。土を耕して木が育つのを待てるほど余裕はない。橋下が耕せばぺんぺん草しか生えない荒地が残るだけだ。

地方の破壊と大増税

「消費税の地方税化と地方交付税制度の廃止・地方間財政調整制度」を打ち出した。 これで地方自治体は一方で10兆円を得るものの、他方で23兆円超を失い、差引13兆円の歳入不足に陥る。「自立する地域」と言っても、現在地方交付税交付金を受け取っていないのは都道府県では東京都だけ。市町村でも原発立地自治体などが特例としてあげられるだけ。ほとんどの地方は消費税率を大幅に上げなければやっていけない。
同じ税率にすれば東京一極集中がさらに一気に進むだろう。地方毎に消費税率が違えば、例えば大阪市と隣の尼崎市で税率が違えばどうなるか、経験したことのない大混乱がおきるだろう。
「自治体破綻制度の創設」と言うが、もっとも大変な目にあうのは地方の住民だ。

大阪がモデル?

基本方針の真っ先に「大阪府・市方式の徹底した行財政改革」をあげている。橋下は「大阪府は破産会社」というデマで脅して、人件費を大幅に削減すると同時に府民の暮らしを支える予算を切り捨ててきた。唯一自慢しているのが「財政を黒字化した」こと。 しかし今や周知のことだが、橋下が知事の時代に大阪府の負債残高は2048億円も増えている。その一方で07年に5・3%だった大阪の完全失業率は6・9%に全国以上のスピードで悪化。企業倒産件数の割合も14・6%(2059件)から15・6%(2073件)に。2010年段階の非正規雇用労働者比率は全国34・5%に対し44・5%。格差・貧困が拡大するだけだ。(つづく)

〈資料〉「維新八策」最終案(抜粋)

序文
日本再生のためのグレートリセット
 これまでの社会システムをリセット、そして再構築
給付型公約から改革型公約ヘ
 〜今の日本、皆さんにリンゴを与えることはできません。リンゴのなる木の土を耕し直します〜
維新が目指す国家像
・自立する個人
・自立する地域
・自立する国家
・決定でき、責任を負う民主主義
・決定でき、責任を負う統治機構

1.統治機構の作り直し 〜決定でき、責任を負う統治の仕組みへ〜
【理念・実現のための大きな枠組み】
・国の役割を絞り込み、人的物的資源を集中させ外交・安全保障・マクロ経済政策など 国家機能を強化する
・内政は地方・都市の自立的経営に任せる
【基本方針】
・首相公選制(人気投票的になることを防ぐ方法を措置)
・現在の参議院廃止を視野に入れた衆議院優位の強化
・地方財政計画制度・地方交付税制度の廃止
・消費税の地方税化と地方間財政調整制度
・道州制が最終形
2.財政・行政・政治改革 〜スリムで機動的な政府へ〜
【理念・実現のための大きな枠組み】
・持続可能な小さな政府
【基本方針】
・国民総背番号制の導入
・衆議院の議員数を240人に削減

3.公務員制度改革 〜官民を超えて活躍できる政策専門家へ〜
【理念・実現のための大きな枠組み】
・公務員を身分から職業へ
【基本方針】
・大阪府・市の公務員制度改革(頑張ったものは報われる、能力、実績主義、職位に見合った給料)を国に広げる
・大阪府・市職員基本条例をさらに発展、法制化

4.教育改革 〜世界水準の教育復活へ〜
【理念・実現のための大きな枠組み】
・自立する国家、自立する地域を担う自立する個人を育てる
・基礎学力を底上げしグローバル人材を育成
【基本方針】
・教育委員会制度の廃止(首長に権限と責任を持たせ、第三者機関で監視)、教育行政制度について自治体の選択制
・生徒・保護者による公公間、公私間学校選択の保障
・公立学校長の権限の拡大・強化、校長公募など、学校マネジメントの確立
・教育バウチャー(クーポン)制度の導入=教育機会を拡大するとともに教育機関の切磋琢磨を促す

5.社会保障制度改革 〜真の弱者支援に徹し持続可能な制度へ〜
【理念・実現のための大きな枠組み】
・真の弱者を徹底的に支援
【基本方針】
・自助、共助、公助の役割分担を明確化
・所得と資産の合算で最低生活保障
〔年金〕
・国民総背番号制で所得・資産(フロー・ストック)を完全把握
〔生活保護〕
・現物支給中心の生活保護費
・有期制(一定期間で再審査)
・医療扶助の自己負担制の導入
・被保護者を担当する登録医制度
・受給認定は国の責任で
〔医療保険・介護保険〕
・公的保険の範囲を見直し混合診療を完全解禁
・公的医療保険給付の重症患者への重点化(軽症患者の自己負担増)

6.経済政策・雇用政策・税制 〜未来への希望の再構築〜
〜経済政策〜
【理念、基本方針】
・競争力を重視する自由経済
・自由貿易圏の拡大
・新エネルギー政策を含めた成熟した先進国経済モデルの構築
・TPP参加、FTA拡大
・先進国をリードする脱原発依存体制の構築
〜雇用政策〜
【理念、基本方針】
・民民、官民人材の流動化の強化徹底した就労支援と解雇規制の緩和を含む労働市場の流動化(衰退産業から成長産業への人材移動を支援)
〜税制〜
【理念、基本方針】 ・少子高齢化に対応→フロー課税だけでなく資産課税も重視
・負の所得税・ベーシックインカム的な考え方を導入
・超簡素な税制=フラットタックス化

7.外交・防衛 〜主権・平和・国益を守る万全の備えを〜
【理念、実現のための大きな枠組み】
・日米同盟を基軸とし、自由と民主主義を守る国々との連携を強化
【基本方針】
・日本全体で沖縄負担の軽減を図るさらなるロードマップの作成
・豪、韓国との関係強化

8.憲法改正 〜決定できる統治機構の本格的再構築〜
・憲法改正発議要件(96条)を3分の2から2分の1に
・憲法9条を変えるか否かの国民投票



4面

帰りたい 帰れない 帰らない
飯舘村民の苦悩(第1回)

福島第一原発事故から1年半がたった今年7月17日、帰還困難区域とされた福島県飯舘村の長泥地区は、バリケードで封鎖された。いま飯舘村の人々は何を思い、何を望んでいるのか。原発事故のあと、飯舘村小宮地区から伊達市内の仮設住宅に避難している安齋徹さん(65)に村を案内してもらい、話を聞くことができた。安斎さんの話を4回にわけて連載する。〔文責・本紙編集委員会〕

飯舘村を扱った映像やレポートは多々ある。が、安齋さんは言う。「取材はたくさん来るけど、表面しか捉えていない。『飯舘村はきれいで、だけどそこに住めなくなって、涙を流していました』―こういう話はもういいの。住民の心の中を、先の見えない不安感を取材して下さい」
国と村は、避難区域の再編を進めている。そして、菅野村長は、「除染して、2年で帰村する」という方針を推し進めている。しかし、少なからぬ住民は、「戻れるものなら戻りたい。だけど戻れるような状態じゃない。それなのに、いやでも戻されるのではないか。仮設住宅も追い出され、賠償も打ち切られるのではないか」。そういう不安に苛まれている。
安齋さんは、歯に衣着せぬ言葉で国や東電に怒りをぶつけ、また、返す刀で村長を批判する。もちろん安齋さんの意見・見方がすべてではない。住民の意見は様々に分かれている。しかし、安齋さんの言葉を通して、闘いたいのになかなか闘いにならないもどかしい思いが伝わってくる。そうした中でも、新しい方向をなんとか切り開こうと格闘する村民たちの姿を感じ取ることができる。


出稼ぎの村で

若く見られるけど、(昭和)22年=1947年=生まれですよ。親が飯舘生まれで、東京で養子に入って、戦後、飯舘に戻ってきました。開拓者ですね。 自分はこっちで生まれたの。兄さんは東京で。あの頃は貧しかった。食べ物も満足に確保できないような状態でした。
親は林業、山仕事、炭焼き。炭があまり売れなくなって、それから出稼ぎ。親が出稼ぎに行き出したのは、自分が中学校を終わってからかな。山仕事があんまり芳しくなくなって、出稼ぎの方がお金取れるからって。そして、おやじが出稼ぎをやめて、今度は自分が出た。自分も出稼ぎで、だいぶ家を空けていましたよ。
飯舘とかでは、みんなそうですよ。飯舘でも一時期、出稼ぎに出る人がかなり多かったです。

独り身

でも出稼ぎに行ってたら、家も自分も駄目になるということで、それで、葉タバコの生産をやったんですよ。
ところが、ちょうどその頃、葉タバコをやる農家が増えて、専売公社が減らそうとした時期。時期が悪かった。専売公社から「金を払うからやめて下さい」って言われてやめたの。
それからまた出稼ぎしたり、重機に乗ったり。東京や伊豆、伊豆の方が多かったかな。宅地造成とか道路工事とか。それが終わって、原町(福島県原町市、当時)の建設会社に行ったり。
出稼ぎしているときは、いやもう出っ放しですよ。盆正月に帰るぐらい。そうやって出ていたんで、それが祟っていまも独り身。そういう人、多いじゃないかな。自分だけじゃないですよ。

トマトで金賞

で、タバコやめてから、野菜作りをやったんですよ。飯舘で、野菜専門で食べるって言ったら、かなり厳しいですよ。
東京の方に出してみるけど、規格が厳しくて。トマトとか大根とか作ったんですけど、他所からドンとくると、もう飯舘村のは買い叩かれました。
大阪花博の頃はトマトを作っていたの。低農薬・無農薬で。花博に出して、何か知らないけど、協会から金賞をもらって。でも2〜3年作ってやめました。
評価されても、商品としては行かないんです。病気にもなるし、気候変動もあるし。トマトは作業は一番楽でしたよ。でも病気に弱くてね。

全部おじゃん

それもやめて、また外の仕事に出ていたんだけど、8年ぐらい前かな、国の助成でグリーンツーリズムということで、その講習を受けて、7年半か8年近くやっていました。 それから、一昨年、水田も始めました。3町歩ぐらいつくると、自分ひとりで生活するには間に合うから。水田やって、キノコ採ったり、山菜とったりして。お金なくても、そうやって暮らしていけるから。
そうやっていたところに、原発。それで全部おじゃん。(つづく)

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橋下市長! これが「慰安婦問題」の真実だ

橋下市長は8月21日の記者会見で「『慰安婦』の強制連行はない」「証拠があれば、韓国は示せ」と発言しました。この暴言に抗議し、橋下市長に公開質問状を出していた日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークが主催して、9月23日、大阪市内で集会がおこなわれました。会場は約500人の参加者で満杯。在特会など右翼の妨害をはねのけ、熱気あふれる集会となりました。
韓国から被害者ハルモニの金福童(キム・ポットン)さんが来られました。私はそのお話を聞いて、ハルモニの前に橋下市長を引きずり出して“歴史の証言者”である彼女の言葉を聞かせてやりたいと思いました。

生き証人はここにいる

金福童ハルモニは静かに語られました。
「今年87歳になりました。ここに来られて胸がいっぱいです。時代をまちがえて生まれたのか、国が弱いために日本に国を奪われました。若い男たちは皆、徴用や徴兵でひっぱられていきました。女についても募集がおこなわれ、娘をもつ親たちは娘を守るために早く結婚させようとしました。でも若者はおらず、年寄りや『障害』をもつ人と結婚することもありました。
私は当時14歳でした。村の区長と日本人が来て軍服を作る工場で働けとだまされて連れ出されました。母はまだ幼いと心配しましたが、『反日の家として財産を没収する』とおどされ泣く泣く私を手放さざるをえませんでした。私はまだ一度も花開いたこともないのに無慈悲に連れて行かれたのです。

機械のような扱い

幼い少女が8年ものあいだ、戦場で性奴隷として働かされました。この胸の痛み、わかっていただけるでしょうか。陸軍第一師団とともに広東、香港、シンガポール、スマトラ、インドネシア、マレーシア、ジャワと連行されました。ベニヤ板の小さな粗末な部屋に監禁され、逃げ出すことはできませんでした。
人間あつかいとは言えない、まるで機械のようなあつかいでした。軍人たちが列をなして、一人3分、数十人。痛くて血が流れ、終わっても立つことができませんでした。みなさんの父、兄、祖父、誰かが戦争に行っています。過去の残忍な歴史をかならず知っています。 こんなことをしておいて日本政府は謝らないのでしょうか。金もうけなどありえません。たとえお金をもらえたとしても、あんなことに耐えられる人はいません。橋下市長は証拠を出せと言いますが、(生き証人である)私は今ここにいます」。

戦時下の性犯罪

次に韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香(ユン・ミヒャン)さんが発言されました。 「朝鮮の南北分断と慰安婦問題と在日問題は、一つの同じ歴史の線上にあります。70年代後半から80年代にかけて、キーセン観光がマスコミでも騒がれました。五、六〇代の日本人男性が、片手にホテルの鍵、片手に女性の手をにぎって・・・。恥ずかしいと思いました。このような事態に韓国政府は防ぐどころか(外貨をかせぐ愛国者として)助長していました。
ドイツ首相はナチスのユダヤ人虐殺にひざまずいて謝罪しました。ところが日本はどうなのでしょうか。
昨年12月14日は水曜デモが20年、1000回を迎えた日です。世界で連帯する行動がおこなわれ、『勝ったな』という思いと、『社会が変った』という実感を持てました。被害者が世界各国をまわって伝えてきました。日本大使館の弾圧をはねのけて、大使館の前に平和の碑を建てました。
コンゴやウガンダなど、今でも世界中で戦争下の女性への性犯罪や人権侵害は絶えていません。このような犯罪者が処罰されることなく犯罪を繰り返しています。私たちは戦時性暴力被害者を支援する『ナビ基金』を設立しました。
3月8日、世界女性デーにハルモニは記者会見しました。日本政府から賠償がとれたら、1円たりとも自分のものにしない。戦争に苦しめられている女性たちに全額寄付すると、その崇高な意志を語られました。平和の碑を世界中に建てましょう」。

制度全体が強制

次に梁澄子(ヤン・チンジャ)さんの発言。
「橋下市長は『強制連行の証拠を出せ』と言っていますが、日本政府が軍関係などの文書を調べることによって証拠(真実)は既に明らかになっており、河野談話という形で発表しています。強制連行でなければ国家に責任はないと言いたいのでしょうが、徴集、移送、管理を含む「慰安婦」制度全体にわたる強制が問題なのです。確かに植民地である韓国では、フイリピンや中国でおこなわれたように最初から縄で縛って強制連行するという形態ではなく、始めはだまして連行する形が多いようです。だからと言って強制でないなどいえません。連れて行ったところから暴力は始まるのです」。

慰安婦制度認める橋下

橋下市長は「『慰安婦』制度は今から考えると倫理的に問題な制度かもしれないけれど、当時の時代背景において、どうだったのか」 と発言し、戦争時には仕方がないと正当化しています。しかし、「慰安婦」制度は当時の国際法にも日本の刑法にも違反しているのです。
また橋下市長は「軍人の秩序を保つために慰安婦が存在したのは日本だけではない」と語っています。彼は戦争が残忍な性暴力と人権侵害なしに遂行できないものであることを知った上で、これを肯定しているのです。
ハルモニたちのたたかいは、国際社会が日本政府の居直りを許さない状況をつくりあげてきました。国連の人権委員会、女性差別撤廃委員会などが日本政府に被害者への公的謝罪と賠償を求めています。アメリカ下院議会、オランダ、カナダ、欧州議会で決議が上がっています。私たちの手で日本政府に謝罪と賠償を追及していきましょう。(藤崎律子)

5面

中国の反日闘争を日本の民衆はどのように受けとめ闘うべきか

石原東京都知事による「尖閣列島を東京都が購入する」という挑発的方針を引き金に、高まっていた中国民衆の対日批判は、9月に入って「国が購入する」という方針の決定を通して、一気に火を噴いている。柳条湖事件81周年の9月18日をはさんで、10日間にわたって北京、上海、広州、青島、蘇州、長沙、南昌、重慶、成都など100を超える主要都市で数万十万規模のデモが巻き起こった。その矛先は、日本大使館や領事館にとどまらず、中国に進出しているパナソニック、トヨタなどの工場、ジャスコなどへの攻撃として繰り広げられた。これほどの規模の反日運動は戦後なかった事態である。19日以降、中国共産党政権によってデモが禁止される中で表面的には鎮静化に向かっているが、日本企業におけるストライキや日本製品のボイコットは今も続いている。
戦後65年以上を経て、今、なぜこれほどまでに巨大な反日デモがおきているのかを、日本の民衆は真剣に考え向き合わなければいけない。

日本の侵略と搾取への怒り

第一に、中国を侵略し残虐な殺戮を繰り返しながら、戦後の今にいたるも根本的には反省せず、「南京大虐殺はデッチ上げ」などの暴言を幾人もの政治家がくり返し吐き続け、それを日本政府も一貫して容認し続け、そして多くの日本の民衆も容認し続け、その上で戦前と同じように釣魚台をまたもや奪い取ろうとする日本への怒りが、「東京都による購入」「日本政府の購入による国有化」でついに激しく火を噴いたのである。
第二に、中国に対する侵略の事実などなかったかのように、今、日本の企業が中国市場に大量に進出しているが、日本の賃金の10分の1という安価な賃金で中国人労働者を雇い、利益を上げている。こうした日本企業の差別的搾取への怒りが渦巻いているのである。
第三に、それは同時に、「共産主義」などとっくに投げ捨てた共産党独裁政権が、戦争責任も取らず今再び中国民衆を搾取する日本資本を導入し、「経済発展」をもたらしたと言いながら党の幹部たちとそれに連なる富裕層のみが莫大な富を享受し、多くの民衆が貧困と失業と格差社会の中に叩き込まれていることへの激しい怒りが火を噴いているのである。それらが結合して、「日本政府による釣魚台の国有化」を発端にして反日闘争という形で火を噴いたのである。
したがって中国民衆の反日闘争は、かつての日本帝国主義の侵略、そして今も変わらぬ日本資本による搾取、それを容認し導入して自らのみが肥え太る共産党独裁に対する、中国民衆の民族的で階級的で人間的な解放をかけた闘いなのである。

反中国キャンペーン
しかし、日本政府やマスコミは、「中国共産党への怒り」「広がる格差社会への怒り」という一面のみをクローズアップさせ、「原因は中国の国内矛盾」であるにもかかわらず、「領土問題の不当な要求を中国政府が持ち出して反日運動をけしかけている」かのようなキャンペーンを張りめぐらせている。
日本の侵略戦争の責任についても「すべて解決済み」であるとし、中国政府が「不当にも何度も蒸し返している」かのようなキャンペーンを張っている。
今、現におこなわれている日本資本による中国民衆からの搾取については、「日本企業は中国に進出して雇用も拡大し経済発展にも貢献してきた」などと、戦前の中国侵略と同じ論理と精神を振りかざし、「むしろ日本は中国のために良いことをしてきたのに、中国人は恩をあだで返すことを平気でおこなっている」かのような論理を振りかざしている。
あたかも「釣魚台は中国の領土」という不法で不当な要求を中国が日本に突如突きつけ、日本が応じないからといって不法な反日暴動を繰り返し、中国に貢献してきた日本企業を襲っているかのように描き、扇動している。こうした論調を、少なからぬ日本の民衆が容認している。
そして石原は「中国船を追っ払えばいい」と煽り、橋下は「尖閣に警察を常駐させろ」と煽り、「中国と戦争を仕掛けても構わない」という世論形成をはかっている。こうして、石原や安倍など、「戦前のような大東亜共栄圏の再興」を今も夢見る極右の復古主義が跳梁跋扈を始めている。そして、「中国の脅威に対抗するためには日米同盟の強化が必要」「民主党政権が沖縄基地の県外国外移設などと言い出して日米同盟を揺るがしたことが問題」「沖縄基地強化は中国の脅威に対抗するには不可欠」と言いなし、日米同盟と沖縄基地強化に向かおうとしている。
日本の民衆の責任

かつての侵略戦争と植民地支配、その過程で引き起こした戦争犯罪。これに対する、謝罪・賠償をはじめとする根底的な清算を、日本政府はおこなってこなかった。また、日本の民衆も自らがそれに加担してきたことへの反省をせず、そうした歴史認識を日本社会と日本民衆の共通の認識として確立してこなかったこと。
これらの歴史的課題を、いま中国民衆が反日闘争としてわれわれに突きつけているのである。 日本国内では、中国民衆の反日闘争に対する排外主義が広がっているが、中国民衆が反日闘争として問いかけているのは、こうした問題を自覚できない日本社会と日本の民衆のありようなのだ。

排外主義へ転落する安田派

ところで安田派は、日本と中国・韓国の双方の「民族排外主義」を弾劾するという主張を掲げている。「プロレタリアートには領土も国境も存在せず、プロレタリアートは世界単一の階級」であるにもかかわらず、「民族」にこだわっておこなわれている中国や韓国の反日運動は排外主義でありプロレタリアートの利害を阻害するものだ、という主張である。
それは現に闘われている中国民衆の反日運動にたいして、「排外主義だからやめろ」という主張に行き着くものだ。「今回重要なことは、中国の労働者階級の中に民族排外主義の立場をのりこえて、階級的立場を明確にして領土問題に対応する勢力が登場していることである」(『前進』2553号 9月24日付)と述べていることに明らかなように、大半の反日運動はそうではなく民族排外主義だと捉えているのである。
安田派がこうした主張をくりだす根拠は、「プロレタリアートは世界で同一の階級」という主張の結果、帝国主義と植民地、その中での侵略戦争という抑圧民族と被抑圧民族の関係を完全に無視し、その中で引き起こされた虐殺、陵辱、その加害者とさせられた帝国主義国の民衆と、被害を強いられた植民地支配の下での被抑圧民族民衆の問題を完全に捨象するところからくる必然的結果である。まさにこれこそが「プロレタリアート」の名による民族排外主義そのものの姿である。
では、中国民衆の反日闘争を日本のわれわれはどうように受けとめ、捉え、そして闘うべきなのか。
侵略と植民地支配
ひとつには、今問題となっている「領土問題」について、「日本固有の領土」と日本政府が主張する「領有宣言」は、どのような時代におこなわれたのかを明確にすることである。朝鮮・中国への侵略戦争と植民地支配の只中でおこなわれたことは紛れもない事実である。このことを具体的に日本の民衆に訴えねばならない。
二つには、では侵略戦争と植民地支配の中で何がおこなわれたのか。その中でいかなる戦争犯罪を日本は引き起こしたのかを、日本軍「慰安婦」問題をはじめとして具体的に日本民衆に訴えていかねばならない。そしてそれらが日韓条約や日中友好条約で「解決済み」とはけっして言えないことを具体的に明らかにしなければならない。
三つには、いま、日本企業が中国や韓国に大量に進出しているが、中国・韓国の労働者が受けている賃金も含めた扱いはどうなのかを具体的に訴えていかなければならない。差別と搾取と収奪の現実を具体的に訴えていかねばならない。
中・韓民衆との連帯を
四つには、こうした侵略戦争の歴史的事実と日本の責任、日本企業がおこなっている現実などを考えたとき、はじめて、中国民衆の反日の訴えとは何かを考え、つかみ取る契機を手にすることができるのではないだろうか。
五つには、では中国や韓国に対して「戦争を仕掛けても当然」とする主張をどう考えるのか、あるいは「中国の脅威」に対抗するために沖縄基地の強化が必要という主張などをどう考えるのか。この議論を深めることを通して、日本の民衆のありようを変え、戦争と基地強化に反対する運動をより大きく作っていかねばならない。
日本の民衆は、こうした努力と闘いを続けることを通して、排外主義を打ち破り、のりこえることができる。それが反日闘争に立ち上がる中国や韓国の民衆との根源的な連帯を作り出す道ではないだろうか。(中沢慎一郎)

「慰安婦」被害者の声を聞け!

対応した市職員に 自らの体験を語る金福童ハルモニ(9月24日)

9月24日、午前10時過ぎ、金福童(キム・ポットン)ハルモニを先頭に日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの人びとが、橋下市長との面会を求めて大阪市役所を訪れた。
関西ネットは、橋下の暴言直後の8月24日、橋下市長あてに公開質問状を提出していた。回答期限を過ぎた9月10日になって、ファックスで「大阪市長・橋下あての要望だが、発言は行政機関の長としてではなく政治家としての発言」と回答を拒否してきた。
関西ネットは、この日に面会に行くことを事前に連絡した上で、ロビーで面会を求めたが、対応した秘書課職員は、「市長には会えない」の一点張り。高齢のハルモニが海を渡って韓国から来ているのに余りにも非礼ではないかと抗議し、ようやく議会の委員会室が用意された。
秘書部長らを前にして金ハルモニは30分にわたって自らの体験を語り、「証拠が無いという発言は許されない。市長に会えなく残念で悔しい」と話した。そしてわずか1カ月足らずの間に世界から寄せられた個人5747筆、団体251の賛同署名を手渡した。
同時刻、橋下は自宅にいたそうだが、ツイッターで「日本国家が暴行・脅迫・拉致をした証拠はありません」とつぶやくという、許しがたい対応をおこなっていた。
23日、約500人の集会、そして24日の橋下との面会を求めた行動は、「橋下・維新の会」の跳梁跋扈を許さず、「領土問題」をめぐる排外主義を許さず、歴史と事実を見据えて戦争責任を正しく清算することで、日本とアジアの民衆の新たな関係を形成していく重大な一歩となる集会と行動だった。

6面

差別と排外主義に反対し集会とデモ 9・23東京

9月23日「差別・排外主義にNO! 9・23行動」が強い雨の降りしきる中で130人でとりくまれ、韓国料理店などが並ぶ東京・新大久保の商店街をデモ行進した。主催は、差別・排外主義に反対する連絡会。
雨の中、東京・新大久保の商店街をデモ(9月23日)
この地域では毎週のように外国人への嫌がらせがおこなわれており、在特会などの排外主義者のデモでは「朝鮮人をぶっ殺せ」などというコールまで叫ばれている。
集会は午後1時から始まった。主催者から、「領土問題」に端を発して排外主義的主張が強まる中で、排外主義グループが再び勢力を拡大してきていること、攻撃対象が反原発運動や生活保護受給者にまで拡大してきていることが語られた。このような動きを許さず、攻撃対象とされた人々を仲間として守るために闘おうと呼びかけられた。
〈「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会〉は、政府が「高校無償化」の対象を拡大する中で朝鮮学校だけは適用しないという差別を続けている状況を語った。政府は、排除の理由として「拉致問題」を挙げるのだが、拉致された家族の横田夫妻は『週間金曜日』のインタビューで「教育と拉致は別問題」「朝鮮学校を無償化の対象から外すというのは筋違い」と主張していることを紹介した。
〈『重重』市民でつくる写真展in練馬実行委員会〉が、「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち 安世鴻写真展」を先ごろ市民の手で開催したことを報告。連日100人を超える人々が来場した。この写真展は、6、7月にニコンサロンでおこなわれたものを引き継ぐもの。ニコンサロンでの写真展は、ニコン側が右翼勢力の主張を受けて一方的に中止決定するという事態の中で、裁判所から仮処分命令を引き出し開かれたものだった。ニコン側は金属探知機まで置くというものものしい警備体制を取って緊張をあおり、写真展を中止する機会をうかがい続けた。こうした状況に対して市民の力で防衛体制を取って開催された。在特会の妨害行動もあったが跳ね返した。大阪での写真展開催については、ニコンは拒否する姿勢を今なおとり続けている。
〈川崎から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める市民の会〉は、この3年間川崎市議会に対して、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める意見書を採択するように求めてきているが、自民党などの反対によって、いまだに採択されていないことを報告。さらにこの間、1993年の河野談話を否定する政治家の発言が相次ぐなど、日本の戦争責任を否定する動きが高まっている。そんな中で、日本軍「慰安婦」被害者=李容洙さんを招いて9月に集会を開催した。集会準備過程で、右翼勢力からの妨害予告もあった。
〈難民を支援し連帯する会〉は、日本政府が難民の受け入れを渋るだけでなく、処刑の恐れがある本国へ強制送還を続けている状況を告発した。こうした状況に対して、2004年にクルド難民によって闘われた72日間座り込みを受け継ぐ集会が呼びかけられた。
〈渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合〉(のじれん)は、渋谷区が災害対策や再開発を名目として、野宿者を排除していることを弾劾した。寝場所や共同炊事の場が奪われている状況、江東区の公園での野宿者排除と闘う当事者が団結して追い出し攻撃と闘っていることが報告された。
デモには沿道から応援が寄せられ、雨の中にもかかわらず多くのビラが受け取られた。オープンカフェからもビラを受け取ろうとして手を伸ばす人びとがいた。ハングルのシュプレヒコールやビラにある母語を見て、顔のほころぶ人びともいた。

シネマ案内
トガニ 幼き瞳の告発

題材は韓国で本当に起こった事件。原作は超売れっ子コン・ジヨン(日本語訳・蓮池薫)。主演はイケメン俳優コン・ユ。雑誌で紹介記事を見た時、それだけで見ようと決めていた。
妻を亡くし、病弱な娘を持つカン・イノ(コン・ユ)は、恩師の紹介で、田舎町・霧津(ムジン)のろう学校で美術教師の職をやっと手に入れた。
着任してみると学校の雰囲気は暗く、子どもたちに笑顔が無い。おびえるようなまなざしで彼を見る。そして理不尽なことが次々と起こる。採用のお礼として大金を要求する校長。電車にひかれて、ろう児が死んだ明らかな自殺事件を、「事故として処理した」と笑顔で報告に来た警察官。寮に行くと寮母が女の子の頭を何かに押し込んでいる。よく見るとそれは動いている洗濯機だった・・などなど。
裏では、さらにおぞましい事件が起こっていた。人権の擁護者として名声をほしいままにしていたろう学校の校長・教師らが、ろう児たちに性的暴行を加えていたのだ。何年間にもわたって。
子どもたちの勇気ある告発で、裁判が開始される。裁判は手話通訳を要求するところから始めなければならなかった。しかも、診断書を書いた医者、教育委員長などは地域の名士として、加害者と利害関係でつながっていた。案の定、加害者たちの刑は罰金刑など軽すぎるものだった。不当判決への怒りの座り込み・デモ隊に放水車が襲いかかる。
実際の事件は新聞の片隅に小さく報道された。駈けだしの記者が書いたものだったが、原作者の心を激しく揺さぶり、彼女はすべての仕事を投げ出して本作の執筆に没頭した。刊行後、大反響を呼び、兵役中だったコン・ユが映画化を熱望したという。
『未来』読者がコン・ユなる俳優を知っているとはとうてい思えないので説明しておく。彼はロマンティックコメディと呼ばれる軽いタッチのテレビドラマで、「鍛え上げたスタイルと、甘いマスクが売り」という韓国の典型的な人気俳優だ。兵役後、多くが泡のように消えていくが、コン・ユはこの作品で本格的な俳優人生への切符を手に入れた。
子役たちは迫真の演技で、特に裁判のシーンでは果敢に闘う姿が痛ましくもりりしく本当に子どもなのかと思うほど。傍聴席は本物のろう者たちでうめつくされ、事件のあった当時在籍していた男性もいたそうだ。不当判決の瞬間、怒りの叫び声がひびきわたるが、これは明らかにろう者の声だ。
ただ残念なことがいくつか。仕方なくろう学校に来たカン・イノはどうして着任してすぐ手話ができたのか? 通訳できるほどの腕前なら以前からろう者と関わりがあったという事だ。また彼が裁判中に自殺した男の子の遺影を手に、機動隊の放水を浴びながら不当裁判を糾弾するシーン。もっとも大切な見せ場に手話がついていなかった。これでは映画の中のろう者たちは彼が何を言っているのかわからない。せめて誰かがとっさに通訳するシーンが必要だった。そして彼の言葉にろう者たちが共感する手話が欲しかった。
映画は公開されるや爆発的な反響を呼び、韓国国内で動員は460万人。映画の影響で事件の再調査が開始され、加害者たちは重刑となり、学校は閉鎖された。怒りはさらに発展し、子どもや「障害者」への性犯罪は重刑化する法が成立した。「トガニ法」と名付けられている。トガニとは日本語で「るつぼ」のこと。(R)