再稼働に怒り 20万人
原発ゼロ≠ヨ 闘いは進む
国会正門前の路上にいっせいに人があふれ出した (7月29日 撮影・広河隆一氏) |
国会前を埋めつくす
「車道に出ないでください。歩道に上がってください」警察官の悲鳴が続く。午後7時過ぎ、国会前の車道にはいっぱいの人、人、人で身動きもできない。そんな状況で歩道に上がることなど、もうすでに不可能だ。
参加者はペンライトなど光るものを手に「原発反対」「再稼動やめろ」「子どもを守れ」「未来を守れ」などと訴え続けた。前には国会議事堂が、かすんで見える。
国会前の道路は市民によって完全に制圧された。
デモで7万人、国会包囲で13万人、計20万人の市民が埋めつくし、「原発いらない、再稼動反対」を叫び続けたこの行動。大飯原発の再稼動が強行されてしまった、その後の行動。再稼動されてもひるまない。いや再稼動されたからいっそう多くの市民が決起する。2名の逮捕者を出しながら。これはもう本物だ。
原子力ムラの再支配
7月29日、脱原発日比谷集会とデモ、そして国会大包囲。このかん毎週金曜日の夕方、首相官邸前での抗議を呼びかけてきたネットワーク「首都圏反原発連合」が主催。
「首相官邸前行動」は最初は400人ぐらいから始まり、インターネットなどでの呼びかけで、6月末には20万という歴史的な参加者数を生みだしてきた。こうした行動は、今や全国的に大きな動きとなっている。
この日、午後3時半から日比谷公園内で始まった集会には、人、人、人の波が続き、公会堂、図書館付近は埋めつくされた。
集会で俳優の山本太郎さんは、田中俊一氏を委員長にしようとする原子力規制委員会の人事にたいして、「こんな原発ムラのヤツラでいっぱいの委員会がこれからの原発稼働を決めていく」と徹底批判した。
原発再稼働の是非は、〈中立・独立、科学的な〉委員会が政治状況に左右されることなく決めていくべきだ。しかし、委員長候補である田中俊一氏の経歴を見ると、とても原発政策について「中立・独立」の立場の人間とは思えない。国の原子力政策を推進してきた原子力委員会の委員長代理を務め、核燃料サイクルを推進する日本原子力研究開発機構の副理事長だった。福島事故では、住民が帰還する汚染基準について楽観的な高めの数字を主張。識者からは「田中氏は原子力ムラの村長」という批判も出ている。
「これではもう原子力ムラの再支配そのもの。こんなものが許せるか」という山本さんの発言は集まったすべての市民の怒りであった。
再稼働も輸出もNO
作家の落合恵子さんは、「この猛暑でも電力は不足していない。原発をゼロにし、再稼働も、輸出も止めましょう」と訴えた。
さらに「原発のあり方」パブリックコメントに怒りをぶつけた。3つのシナリオのうち、あらかじめ「原発を適宜新設・更新させて15%とするか、20〜25%とするか」の2つに重きがある。たしかに「原発ゼロ」というシナリオもあるのだが、「2030年までのなるべく早期に」というもの。つまりは「今からあと18年間は原発を稼働させる」ということを市民に選ばせるためのものにすぎない。
さらに怒りの矛先は、この期におよんで原発を輸出しようという東芝・日立・三菱という三大原発企業へ。そして日本からの核廃棄物の捨て場所としてモンゴルの大草原を選んでいる日本政府へ。
警察の妨害はねかえし
集会後、参加者は東電本店前やJR新橋駅周辺をデモ行進。
デモにたしては警察の執拗な妨害があった。集会場からデモ隊をなかなか出さない。細切れにする。そうした妨害にもめげず、参加者は旗・ノボリ・プラカードなどで思いを表し、またドラムやカスタネット、笛などでリズムを取りながら行進した。
東電前での怒りのシュプレヒコール、新橋駅前などでの通行する市民とのエールの交換もあり、また右翼・「日の丸」勢力の妨害を跳ね返してのデモであった。
その後、参加者は国会周辺に移動して夕方の大包囲キャンドル行動へ。
また来よう、金曜の首相官邸前。集めよう1000万署名。これは6月末で786万筆。絶対1000万を達成させよう。原発再稼動阻止。輸出やめろ。さらに大きなたたかいへ突き進もう!(神奈川・F)
再稼働されたからこそ、いっそう多くの市民が決起する(7月29日 国会周辺) |
オスプレイ配備 絶対阻止
高江ヘリパッド工事ゆるすな
5日、大阪市内で〈オスプレイ配備NO! 普天間基地の即時無条件全面返還! 辺野古、高江の基地建設NO! を求める関西集会&デモ〉が400人の参加でおこなわれ、炎天下、米総領事館めざしてデモ行進した。(同時刻に開催予定だった沖縄県民大会は、台風の接近により延期となった)
米軍のオスプレイ配備は普天間飛行場にとどまらない。北部訓練場(東村〔ひがしそん〕高江)内のヘリパッド建設工事はオスプレイ配備を前提にしたものだ。
沖縄防衛局は、7月10日から高江でヘリパッド建設工事を再開した。19日には、座りこみ中の住民の上をクレーン車で資材を搬入。24日は警察が住民を強制排除して危険な作業を強行した。
これに対して同日、参院予算委員会で山内徳信議員が「オスプレイ配備のための高江ヘリパッド建設を直ちに中止せよ」と政府に迫った。野田首相は「高江のヘリパッドに配備する予定はない」と答弁したが、これは真っ赤なウソだ。
米海兵隊が4月に作成した環境調査の最終報告書のなかで、北部訓練場内の6つのヘリパッドのうち3つでオスプレイが離発着するための移設工事を行なっていることが明記されている。これは、防衛省がオスプレイの安全性を強調するために6月13日に沖縄県に提示した報告書である。その内容を政府が知らないはずがない。
これを受けて、伊集盛久(いじゅ せいきゅう)・東村長は7月9日、沖縄タイムスの取材に対して「オスプレイが配備されるならば、ヘリパッド建設について、見直しも含めて検討しないといけない」と答え、建設容認の見直しに言及した。
伊集村長は、「SACO合意やヘリパッド移設はCH46中型輸送ヘリコプターが前提となっていたが、その前提が変わった」「SACO合意や工事の環境アセスが、オスプレイに変わっても有効なのか」と指摘している。
高江では、連日の座りこみで、監視活動を続行している。沖縄県民とともにオスプレイ配備を阻止しよう。
座り込みの頭上をクレーン車で資材搬入(7月24日 沖縄・東村高江) |
米領事館前で抗議のシュプレヒコール(5日 大阪市内) |
2面
オスプレイの危険性
7月23日、沖縄への配備をめざして米軍新型輸送機MV22オスプレイ12機が、米軍岩国基地に搬入された。オスプレイは量産決定後の06年から11年までの5年間で58件も事故が発生している。今年に入ってからは4月と6月にモロッコと米フロリダ州であいついで墜落事故を起こし、7月にも米ノースカロライナ州で緊急着陸するトラブルが発生している。開発開始から今日まで、オスプレイの事故による死者は36人。オスプレイは関係者から「未亡人製造機」と呼ばれる欠陥機である。このように危険な飛行機を、住宅密集地にある普天間飛行場に配備するなど、もってのほかだ。
「ちょっとしたミス」で大事故に
7月28日付『沖縄タイムス』は、米軍作成のモロッコ事故調査報告書が、事故の原因は「飛行経験の浅い副操縦士の判断ミス」と結論付けていたことを報じた。
報告書では「離陸直後にスピードがまだ十分出ていないにもかかわらず、操縦士が垂直飛行から慌てて水平飛行に移ろうとしたため、機体のバランスを崩した。そうした状態でさらに後方から追い風を受け、飛行経験の少ない副操縦士が体勢の立て直しに失敗したため墜落に至った」という。
ところがモロッコ事故のようなケースが発生することは03年と04年に米国防総省に提出された報告書のなかですでに指摘されていた(7月5日付琉球新報)。03年の報告書を作成した国防分析研究所の主任分析官レックス・リボロ氏(当時)は、機体両側に回転翼があるオスプレイの構造が飛行制御プログラムを複雑にしていると指摘。「低速飛行時に強風や操縦ミスが発生すれば、機体を制御しているコンピューターに誤作動が生じやすくなる。モロッコの事故は今後も発生する」と警鐘を鳴らしている。
またオスプレイ操縦歴10年の海兵隊パイロットは、「これまでの墜落事故で人為的ミ
オスプレイでは「ちょっとしたミスが大事故につながる」ということだ。これはまさに構造上の致命的な欠陥である。
危険な低空飛行訓練
米軍は沖縄にMV22オスプレイを最終的には24機配備することをめざしている。今年4月、米海兵隊が作成した環境調査報告書の最終版では、沖縄に配備されたオスプレイは、東北から沖縄まで6つの飛行コースで低空飛行訓練を行なうことになっている(右図)。
具体的には、@沖縄本島北部と奄美諸島(パープル)、A福岡、熊本、大分、宮崎県付近(イエロー)、B四国と紀伊半島付近(オレンジ)、C群馬、長野、新潟県付近(ブルー)、D山県、秋田、青森県付近(ピンク)、E福島、宮城、岩手、青森県付近(グリーン)である。これ以外に岩国基地を出発して広島県からら岡山県にかけて中国山地を飛行するコース(ブラウン)でも訓練をおこなう。
高度60メートルの超低空飛行
月2、3回、オスプレイ2〜6機を沖縄県から、岩国基地(山口県岩国市)とキャンプ富士(静岡県御殿場市)に展開させ、その際に飛行訓練を実施する。高度60メートルの超低空飛行訓練も想定している。時速は220キロから460キロ。全体の訓練の3割が夜間から未明にかけておこなわれる。
先に登場したレックス・リボロ氏は、オスプレイが低空飛行訓練で山間地域を飛ぶ場合は風の影響などで操縦ミスを起こしやすいと警告している(共同通信)。
リボロ氏は、山間部での低空飛行訓練は「(天候の変化等)操縦ミスにつながる要因が多くある」と強調。危険が想定されるケースとして、複数機による編隊飛行を例に挙げ「ヘリモードで低速飛行する際、他機から生じた気流により影響を受ける可能性がある」と指摘した。「海兵隊も(その危険性を)把握しており、他機との距離に制限を設けているが、それでは不十分だ」と述べている。
アメリカでは訓練延期
米国南西部にあるニューメキシコ州キャノン空軍基地周辺では、オスプレイの低空飛行訓練計画に対して反対運動が起きたため、訓練を半年延期し、内容を見直していたことが、横浜市のNPOによる調査で確認されている(東京新聞)。
米空軍は昨年8月にオスプレイの低空飛行訓練計画の環境評価書案を公表したが、住民らから騒音や安全性、自然環境への影響を懸念する意見が約千六百件寄せられた。
そのため空軍は6月、訓練開始の延期を決定。訓練内容を見直し来年の早い時期に発表することにした。
米国で住民の反対によって延期された訓練を日本で強行しようというのである。ところが日本政府はオスプレイの訓練を日米安保条約の「事前協議の対象ではない」として沖縄県民をはじめとする強い反対意見を無視して米軍の要求を丸飲みしているのだ。絶対に許してはならない。
オートローテーション機能がない
オスプレイの安全性に関する防衛省作成の解説書に掲載された図では、オスプレイが万が一飛行中にエンジンが故障した場合でも「垂直離着陸モード(ヘリモード)に移行してオートローテーション(自動回転)をおこなう」と解説している。
ところが、これがまったくのでたらめなのだ。オスプレイはオートローテション機能は働かない。飛行中にエンジンが停止すると、時速100キロ以上の猛スピードで地上
オスプレイの緊急着陸訓練はシミュレーター(模擬操縦装置)でしかおこなわれていない。あまりにも危険なため、実機を使った訓練は禁止されているのだ。
こうした事実は防衛省の内部では当然把握している。にもかかわらず、住民を欺くために平気でこんな悪質なウソをつくのである。
3面
オスプレイ配備と沖縄のたたかい
京都沖縄県人会会長 大湾宗則さんの講演を聞いて
島袋純二
7月29日、沖縄・岩国との連帯をかかげて「オスプレイ配備を許さない! 7・29京都講演集会」が京都市内で開かれた。主催はアジア共同行動・京都。
7月23日、アメリカ軍海兵隊所属の新型垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが米軍岩国基地に強行陸揚げされた直後であったため、参加者の怒りと今後のたたかいの方向を求める真剣な雰囲気に満ち溢れた集会となった。
岩国現地から報告
主催者代表の瀧川順朗さんのあいさつに続いて「7・23オスプレイ陸揚げ阻止! 岩国基地行動」の現地報告がおこなわれた。
ビデオ上映による現地のたたかいの生々しい映像に参加者は見入っていた。報告者の「オスプレイの陸揚げが強行されてしまったことは悔しいが、オスプレイの普天間基地配備に反対する沖縄の人たちと共に今後もたたかいを継続し強めていく」という発言に、岩国への連帯と共感を込めた拍手が送られた。
そして集会のメイン企画である大湾宗則さんの講演が始まった。
大湾さんは大阪で生まれ育った在「本土」沖縄人(ウチナンチュウ)の「二世」で、現在は京都沖縄県人会の会長。
講演する大湾さん(7月29日 京都市内) |
県人会の改革運動
県人会の活動基盤は交流・親睦にあるため、一般的に県人会として政治的に行動することはほとんどない。ただし沖縄県人会の場合、他の県人会と異なって、沖縄現地のたたかいの高揚と連動しながら政治的に行動することがある。
敗戦直後の「沖縄県人連盟」の時代を除けば、60年代の「本土復帰」運動の高揚過程、95年の「少女暴行事件」に対する10万人県民大会との連帯行動、そして一昨年に関西で始まって全国に広がりつつある現在の県人会・郷友会の動きなどだ。
しかし、このような県人会運動の政治的展開は、現実のさまざまな困難と格闘し、それを少しずつ解決し克服していくことなしには不可能である。大湾さんは京都の沖縄県人会を基盤にして、多くの困難をのりこえ、県人会の改革運動を先頭に立って推し進めて来た。この取り組みは、一筋縄ではいかない大変な苦労をされたはずだが、成果を着実に生み出しつつある。
それは「復帰」運動の過程で兵庫の沖縄県人会が果たした役割を現在の普天間・辺野古・高江―沖縄のたたかいの全国的高揚の中で、京都の沖縄県人会が果たしつつあると言ってよいだろう。いやそれに留まらず、かつての兵庫県人会運動が持っていた質の高い内容と同時にその限界を京都の県人会改革運動は大きく乗り越えていく可能性を持っている。そのことが、講演の内容やそこで示された大湾さんの姿勢にあらわれていたと思う。
大湾さんの演題は「オスプレイ配備と沖縄のたたかい」であった。大湾さんは冒頭、県人会の枠組みの範囲内で話をせざるを得ないと断った上で、そして、京都の運動とたたかいを前進させていく立場で話をすると述べ、講演をはじめた。
県民大会へ うねり
その内容は、オスプレイ配備に反対する8・5沖縄県民大会に向けての現地のさまざまな動き。その原動力となっているオスプレイ配備による命の危険性に対する県民の不安と凄まじい怒り。事故によって示されたオスプレイの構造的な欠陥と事故の不可避性。2001年「9・11」後の米軍再編と米軍にとってのオスプレイの軍事的・経済的有用性。2010年の米軍再編見直しとオスプレイ沖縄配備の固定化。
日米安保の法的地位協定の不平等性。アメリカに追従して日米安保を優先させ、沖縄県民に犠牲を強要する日本政府の沖縄差別の歴史。
日本政府、石原都知事、マスコミによる「尖閣諸島」問題の排外主義扇動が、「抑止力」論やオスプレイ配備の重要性の強調と結びつき、沖縄の反基地闘争を解体し、破壊し、圧殺する攻撃となっていること。
そして戦後における沖縄県民のたたかいの歴史と現段階・・・。
大湾さんの講演は「8・5県民大会」に向かう沖縄県民のたたかいを軸にして、このかんの重要な論点をていねいにわかりやすく説明し、聞くものにたたかいへの意欲を大いにかきたてるものであった。
国の在り方変える力
沖縄のたたかいが、県民の自決・自己決定権を貫いたものであること。「尖閣諸島」は中国の領土であると明言して排外主義と闘い、全世界の諸民族・人民の闘いと連帯していくこと。反原発運動を始めとしてさまざまな運動と闘いに結びついていくことが国の在り方を変えていく力になっていくなどなど、大切な提起がなされた。
休憩の後、アジア共同行動・京都から今後の運動と闘争スケジュールの提案、〈沖縄・辺野古への新基地建設に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動〉からアピールがおこなわれた。最後に主催事務局による集会のまとめと行動提起があり、終了した。
「10・21京都行動」に向かっての今年後半の第一歩として、極めて意義深い集会だった。
オスプレイ陸揚げ・配備阻止
7・23岩国現地大行動
「オスプレイ、ゴーバック」、「岩国にオスプレイは、いらない」、「沖縄にもいらない」、岩国市尾津町堤防に怒りの声が上がった。
MV22オスプレイ12機を積んだ民間輸送船グリーンリッジが7月23日午前5時過ぎ岩国沖に巨大な姿を現した。岩国現地大行動をたたかう仲間は、漁船の操業や取材の船等も禁止されるという戒厳体制をついて、門前川河口よりゴムボートを繰り出し、海上抗議行動をたたかった。陸上からも輸送船に向かって「配備やめろ」のシュプレヒコールを繰り返した。6時過ぎグリーンリッジが岩国基地に接岸したとの知らせに、始発電車も走ってないにもかかわらず次々と抗議の人が駆けつける。8時頃に陸揚げが開始された時には300人が基地対岸の尾津町堤防道路で海上と呼応して抗議の声を叩きつけた。
8時半過ぎ、海上デモ隊が帰ってきたのを機に朝の行動を一旦終了したが、昼のたたかいまで堤防上では抗議の声が途切れることなく続いた。
午後1時から抗議集会が開始された。主催者あいさつに立った〈住民投票の成果を活かす岩国市民の会〉の大川清さんは、「オスプレイは欠陥商品。欠陥商品は返品するのが当たり前。スクラップにして返品しよう」と訴えた。
岩国市民はおとなしいと言われてきたが、艦載機59機の移転計画や愛宕山米軍住宅建設計画に続く、オスプレイ陸揚げ強行に怒りの留め金はもはや外れている。またこの日のたたかいには岩国だけでなく、全国の基地闘争をたたかう人々が駆けつけた。
沖縄の〈ヘリ基地反対協〉共同代表・安次富浩さんは、高江からも嘉手納からも参加していることを紹介し、「本日をもってオスプレイ配備に対する全国のたたかいが始まった。どこにも飛ばさせないたたかいを」と強調した。
厚木(神奈川県)の爆音訴訟をたたかう人、佐世保地区労なども発言。関西からは服部良一衆議院議員の呼びかけでバス1台で参加。
総勢6百人がオスプレイに向け「怒」のプラカードを掲げ、「人間の鎖」をつなぎ、堤防上をデモして日本の空を飛ばさせない決意を示した。
堤防の上から抗議(7月23日 岩国市内) |
反戦詩人・槇村浩 生誕百年
透徹したプロレタリア国際主義
さる6月2日、『間島(カンド)パルチザンの歌』で知られる反戦詩人・槇村浩(まきむらこう 本名・吉田豊道)の生誕百年を記念する集いが高知市でひらかれた。
槇村は1912年6月1日に生まれ、1930年代にはプロレタリア作家同盟の活動家として、31年の「満州事変」に反対し、『生ける銃架』『明日はメーデー』などすぐれた詩を発表している。治安維持法下の弾圧で、3年余の獄中生活を余儀なくされ、38年に土佐脳病院で26才の若い生涯を閉じざるをえなかった。
著作には、発表された多くの詩以外にも、獄内でまとめた『アジアチッシェ・イデオロギー』や『日本詩歌史』などがあるが、官憲の弾圧で発表しえず、その公刊は戦後1964年以降まで待たなければならなかった。
今回の集いは、生誕百年を記念し、『間島パルチザンの歌』が発表後数年のうちに、その舞台である中国東北部吉林省延辺(ヨンビョン)(間島地方)まで伝わっていたことを戸田郁子さんから語ってもらうことが主要テーマである。
今回、中国東北部に暮らす朝鮮族の歩みを掘り起こしている戸田郁子さんから、「槇村浩が描いた間島、高知とつながる延辺」として、この詩が伝わっていたことが報告される。戸田郁子さんは、韓国人写真家のつれあいとともに韓国在住。この講演に期待して、東京・大阪・和歌山・広島など全国の人が集った。
戸田さんの話は、ビデオ映像を交えながら、朝鮮と中国東北部の国境の白頭山から始まった。その北にある間島地方は、槇村や多くの読者が想像したとおり、落葉松がおいしげり、緩やかな丘陵のもとの盆地と、小さな川と農村集落の点在する地域であった。
日本帝国主義の中国東北部侵略は、朝鮮半島を植民地にしたあとシベリア出兵の直後から朝鮮東北部に鉄道を敷き、これを延ばしながら周辺を制圧しておこなわれる。この侵略に抵抗し、山を越えパルチザンとなって抵抗する人々に自己をなぞらえたのが『間島パルチザンの歌』である。
実は1930年代後半には、この詩が、この地に届いていたことが、戸田さんの現地での聞き取りの中で判明する。1950年代には中国東北部での朝鮮語の教科書にも載っていたという。
高知という日本の田舎で、小さなサークル活動から始まる共産青年の歩みは、日本の中国侵略戦争に反対し、官憲の弾圧と排外主義の嵐のなかで、出征する軍隊にビラを撒き、製糸会社で働く女子労働者を組織する。そして知識欲と創造力を駆使して、朝鮮人民への限りない連帯をこめた長編詩となって発表された。槇村個人は26歳の生涯を閉じたが、その詩は中国東北部まで伝わり、今日にも受け継がれている。(投稿・ 津雲弘一)
4面
新たな在留管理制度の問題点
外国人への管理の強化と権利の剥奪
7月9日から、外国人への新たな在留管理制度が施行された。これまで、入管法による法務省―入管局の在留管理と、外国人登録法による自治体の管理との二元管理だったものを、外国人登録法を廃止し、法務省―入管局による一元管理に変更した。
長中期に在留する外国人に対しては、外登証に代わって「在留カード」を交付し所持させる。この「在留カード」の対象者は主に、永住者、定住者、日本人の配偶者、永住者の配偶者、留学生など。
特別永住者に対しては、外登証に代わって、「在留カード」ではなく「特別永住者証明書」を交付するとした。
短期滞在など、「3月」以下の在留の外国人は、これまでも外国人登録証の対象ではなかったが、今後も同様の措置が取られる。在留資格を持たない人々は対象に含めず、「在留カード」は発行されない。
超過滞在の外国人を住民サービスから排除
では、この新たな在留資格制度は、日本に住む外国人の生活と存在にいかなる影響をもたらすか。最も影響を受けるのが超過滞在などの外国人だ。
これまでは、超過滞在など在留資格を持たない人々も、自治体において外国人登録を行うことが可能であり、「在留資格なし」の登録証が交付され、それでもって、就学や母子手帳の交付、予防接種、結核治療、乳幼児検診などの行政サービスを受けることができた。指紋押捺拒否闘争―反「外登法」闘争の長い闘いの中で、拒否者や運動団体が自治体との粘り強い交渉を繰り返す中で、基本的に自治体は入管に通報することはせず、在留資格を持たない外国人も、自治体で外国人登録を行うことで住民としてのサービスを受けることができた。
しかし自治体による外国人登録が廃止され、入管による管理に移行すると、在留資格の無い外国人を自治体は把握することができず、そうした外国人に行政サービスを通知することができなくなる。超過滞在などの在留資格の無い外国人は、そもそも「在留カード」は交付されず、仮に交付を求めに入管局に行けば即刻その場で収容所に送られることになるため、絶対に行けない。
新たな在留管理制度とは、超過滞在などの形で在留する人々を徹底的に調べ上げ、あらゆる行政サービスからも排除することで、実質的に日本に住めなくして排除することを目的にしている。
管理と罰則の強化
「在留カード」に記載される事項 |
@名前、生年月日、性別及び国籍の属する国または地域 |
特別永住者証明書と「在留カード」は、警察や入管職員に提示を求められた場合は応じなければならず、実際上の常時携帯義務だ。それに違反すれば1年以下の懲役または20万円以下の罰金という刑事罰に処せられる。外登証常時携帯・提示義務をめぐってこれまで激しい闘いが繰り広げられ、外登証の不携帯への刑事罰を行政罰に変更させるところに追い込んだが、今回、刑事罰を再び復活させた。日本人の住居の転入・転出の変更届出は14日以内とされ、それへの違反は5万円以下の過料という行政罰だが、それと比べても明らかな重罰である。
「在留カード」の偽変造や、虚偽届出によって懲役以上の刑に処せられた場合は退去強制となる。
指紋押捺拒否闘争・反外登法闘争が切り開いてきた地平を、ことごとく無きものにしようとするものだ。
地方入管局が直接管理
さらに在留期間の更新手続きや、住居地の変更以外の変更の手続きの際には、地方入管局に出頭しなければならなくなった。これまで外国人登録証の更新や変更の手続きは、居住地の市区町村でおこなえばよかった。これからは、例えば大阪府下に居住する人はすべて大阪入管局(南港)にまで行かねばならなくなる。
しかも、これまでの市区町村での更新では、指紋闘争などによって、外国人は管理の対象ではなく自治体の住民として捉えるようにとの粘り強い闘いで、そうした方向に自治体を向けてきたが、入管局はまさに「管理こそすべて」とする組織であり、自治体とは比べようがない。たとえ「合法的に」在留資格を得ている人にとっても、更新・変更手続きのために入管局を訪れたときに、些細な理由をこじつけられて在留資格を剥奪される恐怖を味あわされる。
永住者は7年ごと、その他の人々は在留期間が切れる前に更新手続きに入管に行かねばならない。なお、住居地の変更手続きについては、変更後の住居地に移った日から14日以内に在留カードを持参して市区町村の窓口で法務大臣に届けるとされ、その際に、住民基本台帳制度の対象となって転入届・転出届も同時に行われることになる。
なぜ入管局による一元管理に
では、なぜ外登法を廃止して、入管局の一元管理による「在留カード」に変更したのか。その理由はすでに明らかなように、指紋押捺拒否闘争―反外登法闘争の長い粘り強い闘いの中で、自治体は外国人住民を管理の対象と考えるのか、それとも同じ住民として接するのか、自治体は外国人を差別・迫害するのか、それとも外国人の基本的人権を守る立場に立つのか、を鋭く問う闘いを繰り広げてきたことによる。
その結果、多くの自治体では、指紋押捺拒否者(それは厳格に言えば外国人登録法に違反する)を告発するのではなく、「指定交付書」を発行して「話し合いの継続中」の形を取ることで「法違反」を回避させ、その期間を3月あるいは6月、そして1年と無限に引き伸ばしを図ったりしてきた。あるいは超過滞在の外国人に対しても外登証を発行して住民サービスを確保したりしてきた。こうした法務省の意に反する事態が続く中で、もはや地方自治体に外国人登録制度をゆだねることはできないとして、外登法自体を廃止して入管局の管理に一元化させたのである。
新たな在留管理制度の下で、外国人に対する管理や人権侵害を許さないために闘おう。
戦争と女性の人権博物館(ソウル)を訪ねて
日・韓の深い断層
3年ぶりに韓国を訪問した。主要な目的は尹奉吉(ユンボンギル)の故郷をこの目で見たいということだった。
日本大使館前の少女像、5月に開館したばかりの「戦争と女性の人権博物館」を訪ね、そして天安市の「韓国独立記念館」から、礼山郡徳山面にある尹奉吉の故郷に向かった。(注:尹奉吉は1932年4月29日、上海戦勝祝賀会に爆弾を投擲し、日本軍幹部多数を殺傷し、12月19日に金沢で処刑された)
双龍自動車労組
滞在4日目にソウルに戻り、たまたま通りかかった大漢門(ソウル市庁の近く)の前に、22人の遺影を掲げたテントがあり、立ち寄った。双龍(サンヨン)自動車労組のテントだった。
2004年双龍自動車は中国の上海汽車に買収され(株式49%)、その後も経営が好転せず、09年、会社は2646人の解雇計画を発表。2026人が希望退職に応じたが、500人の労働者が平沢(ピョンテク)工場に立て籠もり、77日間闘い続けた。8月4日強制排除され、461人が無給休職、159人が整理解雇された。
双龍自動車労組は大漢門の脇に22人の遺影を設置した焼香所を設けている。今年5月19日には、双龍自動車解雇者復職のための汎国民大会が開かれ、ソウル駅から大漢門の焼香所まで4千人のデモがたたかわれた。
5月24日には、22人の遺影をテントごと撤去されたが、労組はふたたびテントを設置し、100万人署名運動がおこなわれていて、多くの若者が立ち寄っていた。私たちもさっそく署名した。韓国の著名な小説家孔枝泳(コンジヨン)さんも「23人目の死者を出すな」と全力で支援している。
戦時性奴隷制を告発
建物は灰暗色で、この博物館自身が訪問者を拒絶しているように思え、戦時性奴隷制を告発し、直視するための博物館の性格を現しているようだった。
受付は「慰安所の受付」のようで、「突撃一番」(コンドーム)を受け取る日本兵のような気分に襲われた。料金(大人3000ウォン)を払い、対面の鉄扉を開くと、コンクリートの壁が現れ、悲しみにふるえる女性が墨で描かれていた。
日本語解説パンフを手にして、小さな博物館をまわった。この「小ささ」が日本人の無関心と無責任を象徴しているように感じる。展示は、軍隊慰安婦動員の歴史、1990年代から始まった運動史、そして世界の紛争下の女性にたいする性暴力へと続いていた。
1カ所に留まって、じっとおばあさんの訴えを聞いている1人の青年がいた。おばあさんの声は、日本軍兵士に蹂躙され続けた記憶を絞り出すようで、心の底から訴えていた。
1000回を超えた「水曜デモ」の要求項目は@戦争犯罪の認定、A真相糾明、B公式謝罪、C法的賠償、D戦犯の処罰、E歴史教科書への記載、F追悼碑と史料館の建設である。
日本でのたたかいを
日本大使館周辺は警察車両がぎっしり配備され、物々しい警備が敷かれていた。ここは、100年の歴史を凝縮した地として、日韓の深い断層を感じた。この断層を超えるには、日本でのたたかいをこそ必要としている。(竹内二郎)
5面
橋下・維新の会 3条例を強行可決
大阪市役所前で橋下に抗議のシュプレヒコール(7月26日) |
7月27日、大阪市議会において「職員政治活動制限条例」「労使関係に関する条例」「市立学校活性化条例」の3条例が可決・成立した。8月1日までに施行。
憲法違反、基本的人権破壊の「職員政治活動制限条例」。組合活動を制限し、労働運動破壊を狙う「労使関係に関する条例」。橋下が選んだ公募区長と公募校長による教育への介入・破壊を可能にする「市立学校活性化条例」。
憲法と関連法(法律)を無視したこのような条例は無効だ。撤廃を求め、実働化阻止へたたかおう。
〈「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪・全国集会実行委〉は、採決前日の26日夜、市役所前の中之島公園で集会をひらき、市役所通用門前で抗議のシュプレヒコールをあげた。
職員政治活動制限条例(維新、公明、自民が賛成)
地方公務員法では禁じられていない「政党など政治団体の機関紙の編集、配布、それを援助すること」「デモを企画、組織、援助すること」「集会で政治的意見を述べること」「政治的目的をもった文書、図画、音盤などを発行、掲示、配布すること」「政治的目的をもった演劇を演出・主宰し、援助すること」を禁止。「以上のことに加え、選挙の投票よびかけや署名、寄付などを電話・ファックスなどで区域内(所管区域内)あてにおこなった場合は、市の区域内でおこなったものとみなす」。違反すれば「戒告、減給、停職または免職」というもの。
橋下は、国家公務員の政治活動規制と同じだから問題はないというが、戦後憲法下で、そもそも公務員の政治活動制限はなかった。戦後革命の嵐のなかで、1948年にGHQ(連合国総司令部)が制限したもので、憲法違反との指摘が強い。現在の欧米では、国家公務員の政治活動制限はない。
これでは「原発反対」を表明したり、プライベート時にツイッターで発言することも禁止されかねない。まるで、かつての治安維持法の公務員版だ。
労使関係に関する条例(維新、公明、自民が賛成)
市の組織運営、人事、予算編成など「管理運営事項」についての労使協議を禁止。交渉議題は、賃金や福利厚生などに限定。労使交渉をマスコミに公開。労組に対する便宜供与は、とりやめるというもの。
不当労働行為への追及を困難にし、いままでおこなわれてきた労働条件に関わる交渉も、「管理運営事項」だからと交渉拒否。組合事務所を市役所などの施設から追い出し、組合活動を困難にさせ、マスコミを使って、つごうのいい部分のみを取り上げ、労組攻撃を煽ることが狙われている。
市立学校活性化条例(維新、公明が賛成)
校長は原則的に公募。学校協議会を各校に新設し、校長および区長の意見を聞いて、委員を任命する。協議会は学校の運営計画や「不適格」教員への対応について校長に意見を述べることができる。すなわち介入できるということ。
区長や校長を公募にすれば、どうなるか。橋下が自分の言うことを聞く人物を公募というかたちで、どんどん採用することが可能になる。公選とはまったくしくみが違う。
こうして、橋下の意向をくんだ尖兵として区長、校長がどんどん学校教育に介入し、教育破壊をすすめていくことが可能になる。おそるべき事態だ。
憲法違反の2条例撤回を
橋下・維新を包囲する陣形めざし
7月24日、〈「要求できない労組・脱政治の公務員」づくりの2条例、「福祉・人権切捨て」の大阪市政改革プランに異議あり 大阪市2条例廃案・改革プラン撤回をめざす7・24集会〉が大阪市内で開かれ、230人の労働者市民が参加した。主催は、南大阪平和人権連帯会議、東南フォーラム、おおさかユニオンワークなど、労働組合が軸となって結成された〈橋下『維新の会』の労働と人権問題を考えるネットワーク〉。
共同代表として主催者あいさつに立った丹羽雅雄弁護士は、「橋下の攻撃は行き詰まった新自由主義を強引に推進するもの。立憲主義、人権・平和などの価値観そのものや、民主主義を解体する全面的で総合的なもの。これと如何に対決するのか。バラバラに個別の攻撃と闘っているだけではダメ。強い団結と多様でしなやかな連帯を広範につくりだしていかなければならない」と熱く訴えた。
福井県立大学・吉村臨兵教授が「市民と公務員が手をつなぐ地方自治」との演題で講演。つづいて、市労連弁護団の在間秀和弁護士が、「憲法・労働法に違反する大阪市2条例」と題する特別報告をおこなった。弁護団会議を抜けてきたところと言う在間弁護士は、「職員の政治的行為の制限に関する条例案」と「大阪市労使関係に関する条例案」の問題点を指摘。前者について、地方公務員法では制限されていない、国家公務員に対する制限を市職員に適用するものであり違法と批判。後者について、従来は労使交渉事項であったものを「管理運営事項」として対象から外し、意見交換さえ禁じている。組合掲示板・組合事務所などの「便宜供与」は行わないとしており、労働組合活動を認めない宣言そのもの。既に橋下は、組合事務所問題について管理運営事項といって団交を拒否している現状も報告。また組合会計の報告を求めることができるという内容まで盛り込まれていると強い危機感と怒りが表明された。
当該のアピールは自治労大阪府本部書記長、大阪市教職員組合書記長。司会(南大阪平和人権連帯会議・中村副議長)からは「本丸がシーンとなっとったらあかん」、官民連帯して闘おうと檄が飛んだ。奥野市議からは議会の現状報告。
東南フォーラム事務局長は条例と市制改革プランに関する質問状をもって各会派の申入れ行動をおこなったことを報告。今後の運動の課題として、公務員労働者当事者の闘い、広範なネットワークづくり、8月1日就任の新区長との闘いを、それぞれの地元で展開していくことを提起。
最後は南大阪平和人権連帯会議・大野議長が怒りと信念の閉会あいさつで締めくくった。
7月27日、条例は成立したが、撤回に追いこむまで闘おう。橋下・維新への全面的、総合的な反撃の陣形をつくり出そう。(労働者通信員N)
投稿 雇い止めは無効
JR西を訴えたたかう里美さん
JRによる〈3月末雇い止め〉無効を求める里美さんの、地位確認訴訟第1回口頭弁論が、7月26日にひらかれた(提訴については、本紙108号に投稿)。
職場の上司から性的暴行を受け、相談した会社のセクハラ相談室で二次被害と言うべき暴言をあびせられ、上司と会社を相手に損害賠償請求訴訟をおこした里美さん。上司の加害責任は認めたものの、会社の責任は不問に付す不当な判決が確定してしまったが、里美さんは新たなたたかいとして、この提訴に踏み切った。
里美さんは、JR西日本に1年更新の契約社員(「障害者」雇用枠)として働いていた。社員の成績に関するデータ等、正社員が扱うような仕事を任され、「障害」をもった利用者への接客に関する社内研修の講師を任されるなど重要な仕事に就いており、例年特段の継続の意志確認なく更新を続けてきた。契約社員は原則5年までとする規則になっているようであるが、会社が必要とする契約社員は、子会社への採用などで雇用継続してきた実例があるという。また契約社員で10年間更新している「障害者」枠雇用の社員がいることを会社も認めている。通常であれば里美さんは、雇用継続されたはずだ。
にもかかわらずJR西は、3月末に雇い止めを通告してきた。その理由たるや、「昨年度の勤務実績がない」というものだ。里美さんが休職に追い込まれたのは、上司からの暴行と、それを相談した会社のひどい対応、そして被害を告発して以降に受けた、職場での暴言や無視といったいじめが原因だ。
堂々と意見陳述
26日の弁論では、里美さん本人が意見陳述をおこなった。雇い止めは、どうしても納得いかない。出勤できなくなったのは、会社の責任。提訴後、心無い言葉をかけられたり無視されたり、仕事を干されたのが本当にしんどかった。結果、うつ病で休職した。それなのに雇い止めとは、会社を訴えた者へのみせしめ。セクハラを告発した社員が雇い止めにあっていいはずがない、と力強く堂々と述べた。
裁判には、傍聴席に入りきれない支援者が集まり、裁判後、別会場で小集会をもった。支援陣形をひろげ、里美さんを支えよう。
次回弁論は、9月20日午後1時半、大阪地裁。(H)
総背番号制(マイナンバー)法案を通すな
今国会で成立が狙われている同法案は、これまで国の行政機関や地方自治体がそれぞれバラバラに分散管理していた年金、福祉、医療、税金などの個人情報を統合し、個人に割り振られた1つの番号で管理するというもの。
警察は、社会運動家や反政府勢力とみなした個人の情報を、いままでは各行政組織に照会して情報収集していたが、この番号にアクセスすれば一瞬ですべての情報が入手可能となり、国会権力による人民支配の強力な武器となる。
この法は、1960年代から警察や財界が「国民総背番号制」として、いっかんして導入を画策してきたもの。いままで、何度も阻止されてきた。
雇用の不安定化に拍車
3日、労働契約法改定案が参院本会議で可決成立した。施行は公布から1年以内(別途政令で定める)としている。
野田政権は、「期限の定めのない雇用契約を正規とするのではなく、有期を基本とした雇用契約とすべき」(7月6日提出・国家戦略会議フロンティア分科会報告)と、ただでさえ不安定な現在の雇用状況をさらに不安定なものにし、有期雇用を原則にまで高めようとしている。
今回の改悪により、上限5年の有期雇用を、6カ月のクーリング(契約中断)をはさめば、何度でもくりかえすことが合法となるとんでもない内容だ。さらに、期限の5年で、雇止めが頻発する危険性も指摘されている。
6面
息子よ 原発作業員の母は訴える(下)
福島第二原発がある富岡町で暮らしていた木田節子さん。息子さんは原発作業員である。そのお話を前号に続き掲載する。〔文責 本紙編集委員会〕
木田節子さん。今年2月から書き始めたノートが4冊になった |
収束作業
震災後、息子は、東電に出向です。
東電に出向というと聞こえはいいですが、警戒区域の線量計測、スクリーニングの立ち会い、やがては福島第一原発のガレキ撤去とか…。
東電は、社員を被ばくから守るために、協力企業に要員を出させる。それを断ると、「仕事を回さないぞ」と言われるので出すしかない。それでうちの息子が行くことになった。こんな構図だそうです。
息子に思いが通じない
震災後しばらくの間、息子が水戸に来たときには、好きなものを食べさせてあげて、酒も飲んで、楽しく過ごしていました。
だけど、今年の正月明け、全国の原発の再稼働の話が出たとき、「まったく、この国は懲りない国だよね。福島でこんなことをしておきながら、再稼働だって」と、息子がご飯を食べているそばで言ったら、息子が、「それでも、この国は資源がないから、原発がないとだめなんだよ。お母さん」って言うんですね。
私は震災後、広瀬隆さんとかの本をたくさん読んでましたから、「だから、お前はバカなんだ」って言いました。それで、息子のマインドコントロールを解きたくて、原発がいかに間違っているかということをこんこんと話しました。そして、「読め」って言って、本も買って持たせてやったんです。
だけど、たぶん読んでない。読んでいれば、原発作業員が、政治家や電力会社や学者に利用されているということが、わかったはずですよ。
でも、息子は、原発問題について勉強をしないんです。何で勉強しないか。怖いからですよ。怖いから勉強をしないんですよ。
だから、いまでも思いは通じないんですよね。
息子を取り戻したい
私の話がうるさくなったのか、息子は、避難先に来なくなりました。
日本の原発というのは、60年ぐらい前に、政治家と科学者と電力会社がもうかるように最初からつくられた構図だったんですね。でも問題は、原発の末端の労働で被ばくすること。そこで、政治家や電力会社の幹部たちは、「田舎に原発をつくって、地元で雇用して、そいつらにやらせればいいじゃないか」って言ったというのですね。本で読みました。
「被ばくする作業は、こいつらにさせればいいじゃないか」って言われている。そんなふうに言われていることも知らないで、息子は10年も原発で働いている。しかも、原発が爆発して自分の住むところも追われている状態なのに、「日本には原発が必要だ」なんて息子は言っている。そういうのが、とっても悔しいのです。
その後、私がデモや集会に参加するようになって、発言などをして、それがネットなどで紹介されているのを息子が知って、「何でお母さんが、首相官邸前でマイクなんかもって、しゃべっているんだよ」って、娘のところに電話してきたそうです。娘は、「お兄ちゃんが、原発で働いているからだよ。お母さんは、息子を取り返したいって思って、やっているんだよ」って。
でも、私と息子は、今もわかりあっていません。対立したままです。でも、あきらめず対話を続けていくつもりです。私の活動は、息子を取り戻すためにやっているんです。それまであきらめずに続けていきます。
白血病・悪性リンパ腫
息子は、中学2年のときに、悪性のリンパ腫を発症しました。1年間、東京・築地のがんセンター(国立がん研究センター中央病院)で治療して助かりました。「10年経ったら大丈夫。普通に子どもはできるから」と言われて、25歳のときに結婚したんですけれど、残念ながら子どもには恵まれませんでした。
その後、「どうしても子どもがほしい」という奥さんと気持ちが合わなくて、結局、離婚してしまいました。息子の奥さんのことを、私は大好きだったので、とても悲しかったんですけど、うちの息子と別れて他の人と結婚して幸せになれるんだったら、「仕様がないよ。別れるしかないね」ということで、認めたんですね。
うちの息子は悪性リンパ腫でしたが、実は他にも、そういう話があります。
今年の1月か2月、娘の友だちが水戸に遊びに来たんです。その子に、「あれー、お兄ちゃんいたよね。お兄ちゃん元気?」って聞いたら、「死んじゃったよ」って。白血病で亡くなったそうです。その子のお兄ちゃんはたぶんうちの息子と同じくらいの年。
それから、娘が同級生の人たちと仮設住宅でボランティアをやっているんですが、その一人の男の子も白血病で、いま再発中。
さらに、うちの息子が退院して、2年ぐらいあとに、50メートル先の家の子が、白血病になった。その3年か4年以内に、同じ小学校の子が、心臓疾患で外国に行って移植手術を受けています。
富岡町のそれも半径3キロぐらいの狭い範囲で、3人の子どもが白血病、うちの息子が悪性リンパ腫で、1人が心臓疾患。これはどういうことでしょうか?
残りの人生かけて
58年の人生で、57年間、原発の問題に気が付かず、去年の3・11まで考えなかったことは、申し訳なかったと思います。でも、いろいろわかってきたら、黙っていられないんですね。
娘は、「お母さん、そんなに頑張ったって、どうせこの国は原発を再稼働するんだよ。お母さんが頑張っても通じないよ」と言いながら、応援してくれています。友人は、「どうせ、都会の人は、関心を持たないよ。私たちが、どんなに言ったってだめなんだよ。福島がこれだけのことになっても、わからない人はわからない」と言っています。
でも、「50代以上の人間で、絶対に原発にケリをつけてやる。これにケリをつけない
富岡町と楢葉町にまたがる福島第二原発の集合排気塔 |
原発は、必ず止まります。それは、第二、第三のフクシマが起きたときか、人間の知恵と理性で止めたときです。
電力会社のみなさん、政治家のみなさん、マスコミのみなさん、国民のみなさん、あなたはどっちを選びますか?
たしかに、まだ小さい運動かもしれませんけれど、みなさん、毎週金曜日の東京に来てください。首相官邸前に集まってください。(了)
夏期特別カンパへのご協力をお願いします
野田政権は原発再稼働、消費増税など極反動の道を進んでいます。しかし彼らの支配体制は、二大政党(民主・自民)の支持率があわせても30%以下という危機に至っています。
いまや再稼働をめぐる問題は、全原発の廃炉=資本主義社会の打倒までつきすすむ課題となりました。私たちは、この闘いのなかで、新たな共産主義運動の展望をつくりだすべく奮闘しています。
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