大飯再稼働決定弾劾
消費大増税の今国会成立阻止
「いのちが大事!」 政府の大飯原発再稼働決定に2200人が福井県庁前を怒りのデモ(17日) |
公園を埋めた参加者(17日、福井市中央公園) |
16日午前、野田首相は西川・福井県知事の「同意」を受け、関係閣僚会合で、大飯原発3・4号機(福井県おおい町)の再稼働を決定した。
本紙前号でも明らかにしたように、大飯原発3・4号機には、事故時に格納容器の破裂を防ぐためのベントが設置されていない。また水素爆発を防ぐ水素再結合器もないのである。すなわち安全対策における重大な欠陥をなにひとつ改善していない原発を再稼働するというのである。
政府は、「全電源喪失防止策が整った」ことを強調しているが、これで安全が確保されたわけではない。重要なことは、福島第一原発の沸騰水型原子炉とちがって、大飯原発の加圧水型原子炉は、「全電源喪失」という事態にならなくても過酷事故が起こりうるということだ。1979年に米・スリーマイル島原発2号炉(加圧水型)でおきた過酷事故がまさにそうだったのである。
大飯原発3・4号機の再稼働決定は、民主党政権がいったんはかかげた「脱原発依存政策」を事実上放棄したのである。
民主、 自民、公明の三党が14日に合意した原子力規制委員会を新設する法案では、「原発40年廃炉」ルールが実質的に骨抜きにされた。
民主党は自民党の「40年経ったものが劣化しているとは断じがたい」という暴論を受け入れ、「20年延長」を認めたばかりか、「規制庁発足後すみやかに全ての安全規制を見直す」としたのである。「40年廃炉」ルールは原発の安全性を確保するものではないが、民主党はそれすらも投げ捨てたのだ。
政治を民衆の手に
また新たに発足する原子力規制庁は、独立した第三者機関ではなく、原発推進の環境省の下部機関。「独立性を担保するため」と称して、職員がその出身官庁に戻らない「ノーリターン」ルールを適用するとしているが、それさえも発足後5年間は棚上げするとした。これによって経産省や環境省から「出向」した官僚たちが規制庁の「立ち上げプロセス」を牛耳って、規制庁を意のままに操れるようにしてしまうのは明らかだ。
こうして日本の政・官・財が一体となって福島原発事故以前と同様の「安全神話」と「原子力ムラ」による核政策を推進しようとしている。 彼らは原発事故について、なにひとつ責任を感じていない。そして今後も責任を取るつもりなどない。それが原発事故以降の民衆の意識とどれほどかけ離れているのかすら、まったく理解できないのである。
こんな連中は民衆の力で権力の座から引きずり下ろさなければならない。15日、再稼働に抗議して首相官邸を1万2千人が包囲。17日、福井では2200人が怒りの声をあげた。大衆闘争こそが未来を拓く。民衆の手に政治と権力を取り戻せ。
弱者切り捨ての大増税を許すな
民主・自民・公明の三党は15日、「税と社会保障の一体改革」関連法案を修正して、今国会で成立を図ることで合意した。この法案は、消費税率を14年に8%、15年には10%に引き上げるという大増税法案である。すでに民主党は、09年の政権交代時のマニフェストでかかげた〈「障害者自立支援法」・「後期高齢者医療制度」の撤廃〉を反故にしてきたが、今回の三党合意によって、09年マニフェストの全面的な撤回に踏み込んだ。「税と社会保障の一体改革」と銘打ってはいるが、社会保障部分は自民党案の丸のみであり、最悪の大増税だけを強行しようとしている。
これによって民主党が解体に向かうことは必至だ。むしろ野田は、それを大資本の救済のために意図的に進めている。
しかし、時事通信が実施した6月世論調査でも民・自・公三党合わせた支持率は25・4%しかない。09年政権交代を超える民衆の力による政治の変革が待ったなしだ。
絶対にあきらめない
さようなら原発署名 750万筆
6日、東京日比谷野外音楽堂において、「許さない!大飯原発再稼働 さようなら原発1000万人署名第一次集約集会」がひらかれ、平日夜で悪天候にもかかわらず2300人が参加した。
署名は、世界40カ国から722万2297人(6月5日)が集まり、その一部が演壇に積み上げられた。
必ず止める
寿と加藤登紀子さんのオープニングコンサートに続き、主催者から3人の代表があいさつ。鎌田慧さん(ルポライター)は「もういちど事故が起こる前に、必ず止める。このまま再稼働させない。7・16全国集会で歴史を変えよう」と訴え、続いて大江健三郎さん(作家)が「3・11が日本人にモラルを与えた。モラルがないのが今の首相だ」と語った。最後に落合恵子さん(作家)から「命を脅かすものと闘う」「何があってもあきらめない」と決意が語られた。
続いて賛同者を代表して発言に立った佐高信さんは「かつて『恥宣言』をだしたチッソ労組を見習って、いま電力総連は『大恥宣言』を出すべきだ」と提起し、会場を大いに沸かせた。
福井からの報告は、サヨナラ原発福井ネットワークの山崎隆敏さん。
全国各地の署名運動とりくみでは、県内人口1割の24万筆を達成した新潟県のたたかい、人口340人の竹富島(沖縄)から人口の約半分の150人分の署名が届けられたことなどが報告された。
参加者は、残り280万筆の署名を達成し、7・16代々木公園に全国から集まり、再稼働を阻止しようと決意を固めた。集会後、東電前を通り、銀座をデモ行進した。署名は15日、首相官邸で提出。12日現在で750万筆を超えた。(O)
「命を脅かすものと闘う」(6日 東京・日比谷野音) |
さよなら志賀(しか)原発 金沢に2000人
10日、金沢市中央公園で、「大飯を止めて原発ゼロに さよなら!志賀原発」集会がひらかれ、石川県内をはじめ、富山県、福井県などから2000人以上が集まった。主催は、「さよなら!志賀原発」実行委員会。
実行委員長の岩淵弁護士は「関電の電力需給の見通しはデタラメ」「財界が再稼働をごり押ししている」と、大飯原発再稼働の動きを批判した。
富山からは、平和センターの山崎彰さんが放射能副読本やがれき問題について訴えた。
福井からは、サヨナラ原発福井ネットの山崎隆敏さんが大飯原発の再稼働に関する現状を報告し、午後に予定されている福井県原子力安全専門委員会の傍聴を訴えた。
石川からは、志賀町会議員・堂下健一さんが「町民はこのまま志賀原発(石川県羽咋(はくい)郡志賀町。北陸電力)を動かさないでほしいと願っている」と訴えた。
集会後、音楽とリズムが先導し、繁華街から北陸電力石川支店、県知事公舎前を通り、「原発依存反対」を市民に訴えた。
2面
新たな新自由主義的同盟
「日米共同声明」を批判する(下) 落合薫
〈目次〉
はじめに
一、「G2」論と「東アジア共同体論」〔以上前号掲載〕
二、海兵隊の「分散配置」と沖縄基地強化
三、「日米原子力共同体」論
四、TPPと日・中・韓(+ASEAN)FTA
二、海兵隊の「分散配置」と沖縄基地強化
3つの文書〔注〕を通して、「日米同盟」の軍事的側面については第一に、「この地域における、地理的に分散し、運用面で抗堪性があり、政治的に持続可能な米軍のプレゼンス」を挙げている。とくにBの冒頭では、在沖縄米海兵隊を基軸としておしだしている。沖縄から海兵隊を撤退させるつもりがないことを日米双方の責任者が確認しているのである。
そのうえで「06年5月1日の日米安全保障協議委員会文書『再編の実施のための日米ロードマップ』に示された計画を調整する」として、「第三海兵遠征軍の要員の沖縄からグアムへの移転、およびその結果として生ずる米軍嘉手納基地以南の土地の返還の双方を、米軍普天間飛行場の代替施設に関する進展から切り離すことを決定した」としている(以下、この章の引用は断わらない限り、B)。
そして上記の「調整の目的」としては、米軍と自衛隊の相互運用性の強化と戦略的な拠点としてのグアムの発展を促進することの二点を挙げている。これは米軍新戦略を早期に実現することが目的であって、沖縄の「負担の軽減」などは視野にも入れていない。
米軍の態勢を丸々5パラグラフにわたって述べた後に、「同盟の抑止力が、動的防衛力の発展および南西諸島を含む地域における防衛態勢の強化といった日本の取り組みによって強化される」というセンテンスが初めて出てくる。そのうえで、「共同訓練、共同の警戒監視・偵察活動および施設の共同使用を含むこの間の動的防衛協力」という形で、米軍と自衛隊の一体化を強調している。
「調整」の内容として海兵隊の分散配置を掲げている。「ローテーションによるプレゼンス」というものの、規模、期間、部隊構成を明らかにせず、挙げている対象地域もオーストラリアだけ。この間の報道によれば、フィリピン、ベトナム、日本(本土)などを狙っていることは明らかである。
沖縄から日本国外に移転される部隊として、「約九千人の米海兵隊の要員」が「その家族と共に」として挙げられている。家族の数は不明である。そのうちグアムに移転する海兵隊部隊は約5千人(定員)で、第三海兵遠征旅団司令部などが含まれるという。しかも「沖縄における米軍のプレゼンスの長期的な持続可能性を強化するため、適切な受け入れ施設が利用可能となる際に、前述の沖縄からの米海兵隊部隊の移転が実現する」としている。グアム移転と辺野古新基地建設との「分離」と言うが、これではなにも変わっていない。むしろ普天間固定化を図っているのである。
また沖縄の米軍施設の返還の対象と手順を、17施設・区域について、四つに分類して示している。元々返還対象に挙がっていたものがほとんどで、しかも条件付きになっている。県内に代替施設を提供することなどを条件とすること自体許されるものではない。期限や時期もまったく示されていない。「沖縄の負担軽減」策などと言えるものではない。
「グアムおよび米自治領マリアナ群島(パガン島とテニアン島とされる)における自衛隊および米軍が共同使用施設として訓練場の整備につき協力することを検討する」と、言っている。ここだけは自衛隊が米軍より先になっている。海外での「共同訓練場の整備」の名目で財政負担をさせるためである。
普天間 居すわり策
普天間「移設」問題については、「運用上有効であり、政治的に実現可能であり、財政的に負担可能であって、戦略的に妥当であるとの基準を満たす方法」という条件を挙げ、「キャンプ・シュワブ辺野古崎地区およびこれに隣接する水域に建設することが」「これまでに特定された唯一の有効な解決策であるとの認識を再確認した」としている。新基地建設は、あくまで譲らないということである。そのうえに、普天間基地の「補修事業」について、経費負担を含め「相互に貢献する」とし、これだけは「12年末まで」と時期を明示している。普天間居座りを策し、その経費も日本側に負担させるということである。
今日の米軍再編の基礎となっている「エアー・シー・バトル」(海空戦闘)とは、米国防総省が中国を標的として構築している戦略である。〈有事の際に、米軍介入を阻む中国の接近阻止作戦〉を重視し、アジアでの米側の海・空の戦力を強化し、攻撃能力を高めることを目的としている。
アフガニスタン・イラク戦争で米軍は破綻し、これ以上の財政、戦死者数増大に耐えられない。なによりも地上戦闘が不可能になった。いまや米軍は、中国に対して、局地的な米軍の圧倒的優位を確保できず、核ミサイル戦闘を含め米軍の不利、劣勢の局面が表れている。これへの対応である。
海兵隊の「分散配置」は、この「戦略」から出されているのである。中国との本格的核ミサイル戦争を想定したとき、「沖縄は中国に近すぎる」(朝日5月11日)のである。米軍自身の自己保存のための退避が理由であり、「沖縄の負担軽減」とも、「抑止力の維持」とも関係がないのである。
そもそも現在の戦争で海兵隊の役割はない。海兵隊らしい着上陸侵攻作戦を行ったのは、1950年9月の朝鮮戦争仁川上陸作戦が最後である。現代戦で戦端を開くのは攻撃機や艦艇、巡航ミサイルであって、強襲揚陸艦に乗り込んで、海岸から上陸して敵地に切りこむ着上陸侵攻の戦争形態はもはや起こりえない。
米軍にとって死活的な軍事費問題については、日本政府が負担している米軍駐留経費の割合は約75%で、米軍が基地を置いている国の中では突出している。第二位のドイツでさえ20数%である。中央アジア、旧ユーゴスラビア、中東にある米軍基地の駐留費はほとんど米国が自己負担している。これが米軍にとって日本の基地、とくに沖縄の基地を手放せない理由なのである。60年の改定安保条約の下では、対米軍事支出は米軍の施設、区域の無償提供に限られていた。ところが72年の沖縄「復帰」時に、「米軍施設改良工事費」(6500万ドル)という新たな項目が追加された。この追加は、沖縄返還協定では規定されず、発効後5年間にわたって国会の承認を得ることなく防衛庁予算の中に虚偽表示されることによって執行され、78年になってようやく「思いやり予算」の名で表に出されたのである。金丸信が防衛庁長官として決断したなどというのは、それ自体が虚偽である。
三、「日米原子力共同体」論
Aの実質的な文末に当る所で、エネルギーとエネルギー安全保障にかんする協力の軸に「原子力エネルギー」を挙げている。日本の国内では再稼働か全原発の停止かが焦点になっているとき、日米の責任者が「原子力エネルギー」や「原子力安全保障」に関する協力を挙げているのである。
Cでも、第二に、「民生用原子力協力に関する二国間委員会」の設置を挙げ、その役割として、原発関係の協力だけでなく、「原子力安全」「核セキュリティ」「核不拡散」など、核兵器に係わる「協力」も挙げている。
アメリカはスリーマイル島事故以来33年間、一基の原発も新設していない。しかし、オバマ大統領は、「クリーンエネルギー」と称して大量の原発の新設を認可しようとしている。だが、アメリカの民生用の原発製造技術は劣化してしまっている。他方で、06年に東芝が米ウェスティングハウスを買収し、07年には日立がGEと原子力分野での合弁会社を設立した。三菱重工も仏アレバと中型原子炉の共同開発を目ざす合弁会社(ATMEA)を設立している。
いまや日本が世界の原子力産業の中核主体となっているのである。米の原発新設も実質は日本の重電企業が推進する。そのための「日米原子力協力」なのである。
室蘭の日本製鋼所が世界の原子炉圧力容器のシェア80%を占めるなかで、米国が国外で原子力発電プロジェクトを実現する際に、日本の産業協力なしには動かない。「日米原子力共同体」の新たな形成を宣言したのが今回の日米共同声明なのである。
四、TPPと日・中・韓(+ASEAN)FTA
Aは、日米二国間の経済関係と地域経済統合の課題として環太平洋パートナーシップ(TPP)について、「二国間協議を引き続き前進させ」るとした。日本が全体の協議に参加するとは決められないため、日米「二国間の協議」しか挙げることができなかったのである。
TPPとは、アメリカの政治中枢とグローバル資本(アグリビジネスを含む)が、対中国包囲のために日本を動員することを狙いとするものである。農業・金融・保険・医療・特許などあらゆる分野で米国の覇権を維持することが目的である。日本の輸出企業にとって、もともと低い関税を全廃しても、アメリカがドル安政策を続ける限り輸出が伸びることはない。経産省や外務省の官僚さえ、TPPの目的は、「日米同盟の維持のためである」と言わざるをえなくなっている。それ以外の目的を挙げることができないのである。その意味から、日本が参加しないかぎりアメリカにとってTPPはなんの意味もない。
野田政権は、このTPPにたいし、4月28日にはASEAN+日・中・韓国・インド・オーストラリア・ニュージーランドなど六カ国による「東アジア包括的経済連携協定」(RCEP)の年内交渉開始で一致し、5月14日の日中韓の首脳会談では三カ国の自由貿易協定(FTA)の年内交渉開始で合意した。両天秤路線をかけることを明確にしたのである。
〔注〕3つの文書
A 「日米共同声明:未来に向けた共通のビジョン」と題する4月30日の日米首脳会談で発表した声明。
B 「日米共同文書」。4月27日の日米安全保障協議委員会(2+2)で採択したもの。
C 「ファクトシート:日米協力イニシアティブ」。A、Bにともなう確認のメモといった性格の文書。
沖縄の北部訓練場でジャングル戦の 訓練をおこなう海兵隊員(米海兵隊のHPより) |
3面
シリーズ 橋下改革を斬る(第2弾)
「維新の会」は政党失格
5月8日、市教委の職務命令などについて質問する毎日放送の女性記者に対して橋下が30分近くにわたって怒鳴りつけた。「(職務命令の)対象は誰なんだ」、「勉強不足、取材不足。事実も知らない」と大勢の取材陣の前で面罵し続けた〔※やりとりの内容は、記者の発言が正確で、橋下は事実誤認の発言をしている〕。この記者は以前『VOICE』という番組で「大阪の教育未来図―アメリカ落ちこぼれゼロ法から学ぶ」を放送した時、渡米取材した記者だ。橋下が執念深く仕返しの機会を狙っていたとも言える。
5月1日に大阪維新の会・大阪市会議員団が公明党と共同で5月議会中に「家庭教育支援条例案」を提案するとマスコミにリークした。それは「乳幼児期の愛着形成の不足が、軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因になる」とするとんでもない差別条例で、抗議が殺到。7日には提出を撤回し、謝罪せざるを得なくなった。橋下は、議員団がやったことで自分は関係ないと居直っている。
不祥事続発
昨年12月堺市議会。「維新の会」堺市議団が教育基本条例案を提出したが、対象となる学校が「市内の市町村立学校」となっていた。自分たちで考えず府の条例案を丸写しにしたため起きた水準以下の誤り。
本年1月1日、「維新の会」堺市議団の西井勝議員が飲酒の上ひき逃げ、逮捕起訴され、懲役10月(執行猶予3年)の判決が確定。辞職勧告決議にも関わらず西井は議員職にしがみついてきたが、とうとう6月7日、市議会に辞職届を提出した。
2月、大阪市議団の杉村幸太郎市議が「交通局と組合が組織ぐるみで大阪市長選挙に関与していたことを裏付けるもの」としてキャンペーンした「労働組合名義の職員リスト」が、その後、捏造であることが明らかになった。捏造したとされるのは、維新政治塾に応募していた維新シンパ≠フ元嘱託職員。
2月、橋下の密告奨励に応えた匿名メールが橋下に届いた。維新議員への苦情だ。「維新議員からの(市職員への)接触が一番程度が低く、(要求が)露骨になっています」、「無理強いが多くなった」、「内容を言わずに呼びつける」、「若い議員は、社会人としてのマナーから再教育すべきだ」。
5月、飯田哲史(さとし)大阪市議が、政務調査費で支払った事務所賃料の3割近くを後援会への政治資金として受け取っていたことが暴露された。飯田は他のテナントが9万円で借りていた所を昨年4月に選挙に向けた事務所として月額10万円で借りた。当選後の5月、月額12万円で再契約。オーナー側は「飯田氏から『賃料を3万円上乗せするので、その分を寄付してほしい』と頼まれ12万円になった」と証言。賃料のうち月額10万8000円は政調費から支出。
松井も橋下も
昨年11月29日、府知事選で当選したわずか2日後、松井の実質的違法献金が報道された。松井が府議に初当選した03年4月頃から雇われている秘書と、06年2月から従事していた元秘書の給与(月額約20万円ずつ)を松井が社長をしている電気工事会社が支払っていた。政治家の秘書の給与を会社が肩代わりすれば企業献金になる。受けたのが政党支部であれば政治資金収支報告書に記載しなければならず、不記載は政治資金規正法違反。政治家の資金管理団体や他の政治団体は企業献金を受け取ることは許されていない。松井が自民党を離党する以前の自民党支部の政治資金収支報告書には該当する記載がない。離党後は、受けたこと自体政治資金規正法に違反する。
2月1日、橋下市長の特別秘書として奥下剛光が就任した。月給40万円。奥下は橋下の後援会長の息子で、堺屋太一の秘書を長年勤めていた。4年前の知事選では橋下の選挙統括本部にいた。「公私混同」、「私設秘書にすべき」、「税金から給与を支払うことに違和感」の声が出ている。口元監視で非難の的になった和泉高校の中原徹校長は橋下の学生時代からの友人。橋下が府知事の時、10年4月から民間人校長として採用された。「縁故採用だ」とあらためて抗議の声が上がった。
他人に厳しく自分に甘い
5月28日に「公開」された橋下の市長就任時の資産は5366万円だという。タレント時代の年収は3億円とも言われていた。そのとき貯めた金額を隠している。「普通預金や親族資産も公開すべき」と言いながら自分が公表することは「今は勘弁して」と逃れる。ダブルスタンダードは橋下の常套手段、本性だ。
橋下は「決めたことが守れないようではどうしようもない」と繰り返し、自分に従わない者を徹底的に攻撃する。ことあるごとに「嫌なら辞めろ」と職員や教員に迫る。
「隗より始めよ」。行政、政治、自治などまったくのど素人=維新の新人議員や、当選のための打算で維新に入った元自民党の議員。ルールにこだわるというのなら、傲慢さ、尊大さだけは共通しているこの連中こそ辞めさせなければならない。
生活保護制度の改悪ゆるすな
人気タレント叩きと 橋下の新制度
人気お笑いタレントの母親が生活保護を受給していたとして、すさまじいバッシングがなされている。不正でも何でもない(後述)このケースをめぐって「不正受給」キャンペーンがなされ、小宮山厚労相は「親族側に、扶養が困難な理由を証明する義務を課す」という、事実上〈扶養〉を生活保護利用の要件とする法改悪を検討すると発言し、厚労省は生活保護制度の見直し案を盛り込んだ「生活支援戦略」の骨格を国家戦略会議に報告、今月中に中間報告をまとめ、秋に最終とりまとめをおこなうという。また小宮山は、生活保護支給水準の切り下げにも言及している。
このような制度改悪は、現行でも充分機能していない生活保護をほとんど利用できないものとし、餓死・孤立死・自殺の増加を招くものだ。
自民党の政策
今回、バッシングの先頭に立った世耕(せこう)弘成議員と片山さつき議員は、自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」の座長とメンバーである。同党が今年4月9日に発表した生活保護制度に関する政策は、@生活保護給付水準の10%引き下げ、A自治体による医療機関の指定・重複処方のチェックなどによる医療給付の抑制、B食費や被服費等の生活扶助・教育扶助等の現物支給、C稼働層を対象とした生活保護期間の有期制の導入、というものだ。
野田首相は、この生活保護に関する自民党の政策を「(5段階の)4か3・5は同じ」と評価している。今回の異様なまでのキャンペーンは、こうした自民党と野田政権がねらう生活保護制度の改悪に道を開くものだ。
親族扶養は前近代的
そもそも、現行の生活保護制度では、親族から援助を期待できるかは、生活保護を受ける際の要件ではない。1929年制定の救護法、46年制定の旧生活保護法においては、「扶養義務者が扶養をなしうる者」は、実際に扶養援助がなされていなくても保護の要件を欠くとされていたが、50年制定の現行生活保護法では、その条項は撤廃された。その趣旨は、親族に扶養の義務を強制することは前近代的で時代錯誤とされたからである。
もちろん現行制度でも、親族からの仕送り等があれば、その分を差し引いて保護費が支給されることになっている(問題とされたタレントの母親も、行政に仕送りを申請して、その分支給費の減額を受けていたというのであるから、不正などは一切ない)。しかしそれは、親族に扶養義務を課すのとは、全く次元の違う話である。
水際作戦の常套手段
現行の制度の下でも、行政が違法に保護申請を断念させること(「水際作戦」)が問題とされている(05〜07年に北九州市で連続した餓死事件で社会的に問題とされた)。その手法において、「扶養義務者に扶養してもらえ」「親族の扶養の意志の有無を書面で出せ」といった対応が多いという。
そのような現実の上に、今回小宮山厚労相が表明したように、「親族側に、扶養困難の証明義務を課す」ようなことがなされたらどうなるのか。疎遠となった親族に扶養照会がいくことを恐れ、保護の申請をためらうケースが激増するだろう。
橋下の西成区新制度
生活保護制度の改悪で、いまひとつ重大な動きが、大阪市長・橋下が打ち出した、大阪市西成区における生活保護受給者の「医療機関等登録制度」である。
先にあげた自民党の政策のAにあたるもので、西成区に限定して、生活保護受給者に、原則として一診療科につき一医療機関、一被保護者につき一薬局をあらかじめ「医療機関等登録証」に登録し、主治医の紹介状があるか緊急時以外は、登録以外の医療機関・薬局の利用を認めない(医療券を発行しない)というものである。
8月1日からの実施にむけ、すでに告知を開始しているという。
そもそも、このような制度で医療を制限することは許されない。
このような制度が導入されれば、自分にあった医療機関を求めたりセカンドオピニオンを求めて別の病院に行くことができなくなる(これは精神科などの場合、特に深刻)。加えて、手続きが煩雑で、精神疾患や「障害」を持つ人、自己主張や対人交渉が不得手である人にとっては大きなハードルとなり、必要な受診を抑制させられることになる。
しかも、このような重大な権利の制約を結果するにもかかわらず、法律・条例によるのではなく、市の「実施要綱」によっておこなおうとしているのである。また、「西成区だけ」というのも、憲法の定める「法の下における平等」に反する。
事実に反する差別煽動
そもそも、保護費のうち医療扶助費が占める割合は、大阪市では1999年59・2%から2010年45・0%に減少しており、全国平均47・2%(2010年)より低い。そして西成区のそれは、43・4%と、さらに低いのである。
橋下の打ち出した今回の制度は、釜ヶ崎を抱える西成区を“不正の温床”のように描き出す、悪辣な差別キャンペーンだ。
福祉解体とのたたかい
タレントバッシングも橋下の西成区新制度も、生活保護制度の改悪にむけた、すさまじい攻撃だ。それは、長期不況の下であえぐ労働者人民を差別主義的に動員する、極めてイデオロギッシュな攻撃でもある。
労働者人民が生きる権利を正面から掲げて、生活保護制度をはじめ、「障害者」、高齢者、保育等のあらゆる福祉領域で、福祉を解体する攻撃とたたかおう。社会保障・税一体改革ゆるすな。
4面
水平社創立90周年
狭山闘争の歴史的勝利かちとり
部落解放運動の新たな前進を
1922年3月1日〈全国水平社創立〉から90周年を迎えた今日、われわれは、われわれ自身がその結成に関わり、共に闘ってきた部落解放同盟全国連合会(全国連)による「部落差別とは何か」の理論的解明にふまえ、水平社創立以来の部落解放運動に貫かれてきた思想的原点を継承し、部落解放運動の新たな前進を切り開いていかなくてはならない。
一、部落差別の理論的解明と部落解放闘争の諸契機
(1)「部落差別とは何か」の解明
全国連は、第2回大会において、部落差別の本質を「帝国主義の階級支配の一環としての身分的差別」と規定し、この身分的差別を「部落民を他のいかなる理由でもなく、身分を理由として政治、経済、社会、イデオロギー(教育、文化など)の全社会場面にわたってがんじがらめにしようとする全人格的抑圧」として明らかにした。
それは、@部落差別を「封建制度の残りかす」と捉える封建遺制論や、A「部落民も労働者である」として部落解放闘争の固有の意義を否定する経済基底還元主義、B「市民的権利の剥奪」「基本的生産関係からの排除」「社会的差別意識」の三点を部落差別の本質と規定し、部落解放闘争を行政闘争に一面化したいわゆる朝田三命題の限界、さらに、C「人種起源説」とその裏返しとしての血統主義など、従来の様々な解放理論の誤りを乗り越える画期的意義を持つものであった。
(2)部落解放闘争の原点
「部落差別とは何か」の解明にふまえ、水平社創立以来の部落解放闘争に貫かれてきた諸契機を明らかにし、今日的に継承していこう。
その第一は、部落差別に対する人間的怒りである。
為政者のどんな弾圧も、「指導者」のどのような制動も、部落民の差別に対する怒りと人間解放の希求を消し去ることはできない。近現代に限って見ても、水平社創立前夜の博多毎日新聞社糾弾闘争から今日の狭山闘争に至るまで、部落解放闘争に貫かれている原点は、現実の部落差別に対するやむにやまれぬ人間的怒りに他ならない。
第二は、部落民自己解放の思想である。
水平社創立宣言は「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」のよびかけに始まり、「人間をいたわるかの如き運動はかえって多くの兄弟を堕落させた」と述べ、融和主義との決別を訴えている。創立大会で採択された綱領の第一は「特殊部落民は部落民自身の行動によって絶対の解放を期す」であった。部落大衆は、何度でもこの水平社創立の原点に立ち返り、部落民自己解放の思想を蘇らせて闘うだろう。
第三に、差別徹底糾弾の思想である。部落差別が部落民に対する全人格的抑圧としてあるが故に、部落大衆は、差別糾弾闘争に起ちあがることを通して、人間としての誇りを奪い返すことができる。また、部落民に対する全人格的抑圧としての部落差別が、それ自身、階級支配であり、政治的抑圧であるが故に、差別糾弾闘争は政治支配に対する闘いとして闘われることによって真に全面的に発展するのである。
(3)共産主義の再生と部落解放闘争
だが、このような部落解放運動に固有な諸契機と、それにもとづく部落民の独自の団結を支持し、連帯して闘い抜くことは誰よりもわれわれ共産主義者の課題である。
戦前戦後の共産主義運動が、部落民の闘いを「民主主義革命」あるいは「プロレタリア革命」の従属物と見なし、ある時は「革命」のために利用し、ある時は、「階級的団結を破壊するもの」として圧殺しようとしてきたことをわれわれは自己批判的に総括しなくてはならない。日本共産党の「国民融合論」と矢田・八鹿差別事件、革共同中央を名乗る安田派の「7月テーゼ」と広島差別事件は、その二つの頂点であり、それらが部落解放闘争を否定し、狭山闘争に敵対するものであることは明白である。
労働者を単一かつ純粋な「普遍的な存在」と見立て、他者を「止揚すべきもの」とみなし、「労働者の解放」に他者の解放を従属させるような運動が、果たして人間の解放を約束するのか。
われわれは、部落民の差別に対する人間的怒りを共有し、部落民自己解放の闘いを支持し、差別糾弾闘争に連帯して闘うことを通して、部落解放を一環とする全人民の人間的解放をかちとる運動として、共産主義運動を再生していかなくてはならないのである。
二、階級支配の新自由主義的再編の一環としての新たな部落差別
(1)部落解放運動解体攻撃
階級支配の新自由主義的再編の中で、部落解放運動を解体し、部落差別を扇動し強化する新たな攻撃が襲いかかってきている。
この攻撃の核心は第一に差別糾弾闘争の圧殺にある。
差別糾弾闘争は、1960年代末から70年代にかけて、浦和地裁占拠闘争を突破口とする狭山闘争の爆発を決定的な契機として復権された。この闘いの中で、部落解放闘争は水平社創立の原点を蘇らせたのである。国家権力は一方では狭山控訴審における寺尾有罪判決を頂点にその圧殺に総力をあげ、他方では、同和対策事業を一部幹部の買収と部落内部の利権的対立の方向にねじまげ、大衆的団結の解体に全力をあげた。差別糾弾闘争に対する弾圧と同和対策事業の廃止の方向を公然と打ち出した90年前後の「法務省見解」や「地域改善対策協議会意見具申」は、国鉄分割民営化による国労解体攻撃、「日の丸・君が代」強制、日教組解体攻撃と並んで、階級支配の新自由主義的再編の今日的出発点をなすものであった。
第二に、部落解放闘争によってかちとられてきた諸権利を根こそぎ奪い取り、部落解放運動の基盤としてあった部落の「地域共同体」そのものを解体しつくそうとする攻撃である。
それは、同和住宅・改良住宅家賃の大幅値上げによる住民追い出し、住宅の公的保障の全廃、公務員現業職に対する差別キャンペーンと自治労解体・民営化攻撃、日の丸・君が代に反対し解放教育を担ってきた教職員に対する処分と日教組解体攻撃として、全面的に激化している。
第三に、昨年1月の在特会による水平社博物館への差別街宣事件、2003年の「連続大量差別ハガキ事件」等に顕著な、部落民に固有な歴史、思想、団結への激しい憎悪と攻撃である。
(2)新自由主義の破産と部落解放闘争
だが、われわれはこのような激しい攻撃と真正面から対決することを通して、新自由主義的政治の破産と部落解放闘争の新たな展望をつかみ取ることができる。
第一に、決定的なことは、国家権力が半世紀にわたる攻撃をもってしても、石川一雄さんを屈服させ狭山差別裁判糾弾闘争の正義を圧殺することはできなかったという事実である。
第二に、今日の社会においては「あらゆる個人」は生まれながらにして平等ではない。橋下徹らが振りかざす「個人責任論」はどこまで行ってもデマゴギーだ。それは「貧困の世襲化」や、貧困世帯の3割を母子家庭が占めているという事実、さらには被差別部落に今なお貧困世帯が集中的に存在しているという事実が証明している。
第三に、戦争と差別の元凶としての天皇制の歴史的思想的破産である。水平社博物館差別街宣事件との闘い、「日の丸・君が代」強制に反対する闘いと連帯して闘おう。
三、狭山闘争に勝利し、部落解放闘争の新たな前進を
(1)検察が証拠隠し
4月に行われた狭山第三次再審請求審の第10回三者協議で、19点の証拠(「スコップに関する書類」、「筆跡資料」等)が開示された上、次回第11回三者協議は、異例の半年間の空白を設けて10月の予定となった。それに先立つ3月30日、検察側から、筆跡に関する意見書1通と、法医学鑑定に関する意見書2通が提出された。弁護団は反論の意見書を提出する予定である。これを受けて、裁判所が争点を絞り込み、何らかの判断を示す可能性がある。狭山第三次再審闘争は、再審開始か棄却かの決戦的局面にある。
だが検察は、死体の写真、「殺害現場」の実況検分撮影フィルム、血液反応報告書の3項目の証拠を「不見当(見当たらない)」とし、「なぜ見当たらないのか」の説明を今なおおこなっていない。これらの核心的証拠が開示されないまま裁判所が判断を下すことは許されない。
さらに検察及び裁判所は、弁護団に不当な圧力を加え、開示された証拠をはじめ三者協議の内容を明らかにすることを一切禁止している。石川さん本人も三者協議の場から締め出されている。
(2)差別裁判に怒りを
この5月23日、不当逮捕から49年を迎えた石川一雄さんは、「心は閉ざされたまま半世紀」とその苦しみを吐露しながら、「証拠なき有罪」を弾劾して闘い抜いている。
石川一雄さんのつれあいである早智子さんは、テレビのインタビューにこたえて、「獄中で闘う石川一雄さんの姿が、部落出身であることを隠していた自分の生き方を変えた」と述べている。この言葉に、狭山闘争を通して部落解放運動に起ちあがってきた全ての部落大衆に共通する思いが込められている。
〈検察の証拠隠し〉と〈裁判の密室化〉による再審棄却の陰謀を暴露し、全人民の怒りを結集して立ち向かおう。
(3)改良住宅からの追い出し阻止しよう
応能応益制による同和住宅・改良住宅家賃の大幅値上げと住民追い出しの攻撃は、「地域共同体」としての部落を解体する攻撃であると同時に、公営住宅を全廃し、住宅の公的保障を全廃することを通して全人民の居住権を剥奪しようとする攻撃である。
われわれは、同和行政一般、行政闘争一般が悪であるかのような見解とは無縁である。差別に包囲されてきた部落民にとって部落は生きる拠り所である。行政闘争は、部落民の地域における共同体的団結を守り、生命と尊厳を守るために不可欠の闘いであり、差別糾弾闘争の一環なのである。
このような部落解放闘争としての行政闘争は、全人民の生命と人権を守る闘いの一環として闘われてきた。問題は、行政が一部幹部を絡め取り、利権屋を跋扈せしめた結果、行政闘争が歪められ、大衆的団結が阻害されてきたことにある。
芦原(兵庫県西宮市)をはじめ、部落に住み続ける権利を求め、部落の大衆的団結を求めて闘う全国の住宅闘争を闘う住民と固く連帯し、居住権を求める社会的連帯を作りだしていこう。
部落差別をテコとする新自由主義攻撃と全面的に対決し、反原発の闘い、沖縄・安保・三里塚の闘い、格差と貧困との闘いを全人民の共同の闘いとして推し進めよう。水平社創立宣言の「人の世に熱あれ。人間(じんかん)に光あれ」というよびかけを我がものとして、人間の尊厳に満ちあふれた社会をめざす共産主義運動を再生していこう。(深谷 耕三)
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投稿 戦争と女性の人権博物館
オープン記念して集会
「この日本の現状をみんなの力で変えていこう」(10日 尼崎市内) |
「博物館を建てて、私たちのことを歴史に残してほしい」という日本軍「慰安婦」被害女性たちの要望で募金運動が始まり、9年を経て韓国ソウルに建てられた〈戦争と女性の人権博物館〉が、5月5日にオープンしました。
このオープンを記念する集会が、6月10日、尼崎市内でひらかれました。
まず、韓国から来られた尹美香(ユン・ミヒャン)さんから、オープン当日の様子や館内の様子が、報告されました。
また、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で、体調の不良をおして日本政府を糾弾し続けておられる吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニのビデオレターも紹介。そのメッセージは、ご自分のことはさておき、日本に住む在日同胞、とりわけ、朝鮮学校へ通う同胞の現状に心を痛められたものでした。朝鮮学校への補助金の打ち切り、高校無償化からの除外という今の現状を訴えられたのです。「この日本の現状を皆さんの力で変えてほしい」とハルモニは訴えられ、尹美香さんもこの問題に触れ、この状況をみんなの力で変えていきましょうと結ばれました。
女性差別と植民地主義
朝鮮学校の無償化を阻むもの、それは一言で言えば「植民地主義」であることをこの日、引き続いて報告に立たれた藤永壯(たけし)さん(歴史学者)は語られました。「女性差別と植民地主義。民族教育をつぶそうとする、この社会情勢を変えないといけない」とも。
今、日本政府は、韓国政府が「博物館」建設を支援したことに対して、抗議をおこなったり、「博物館」の展示内容にふれ、「我が国の立場と相いれないものがある」などと恥ずかしげもない申し入れをしています。
日本軍「慰安婦」とされた方たちへの謝罪もなく、今また、朝鮮学校だけを「高校無償化」から除外する姿勢は、日本政府の差別行政そのものです。
私たち日本人自身が、この社会の成り立ちを、一日も早く変えていかなければならないという思いを強くしました。(大阪 T)
沖縄戦の歪曲ゆるさない
「関西・沖縄戦を考える会」発足
8日、「関西・沖縄戦を考える会」発足集会が大阪市内でひらかれ、50人が参加した。
「関西・沖縄戦を考える会」は、「大江・岩波―沖縄戦裁判」の勝利の成果を引き継いで、沖縄戦の史実歪曲を許さず、沖縄戦の事実を学び、広く知らせていくことを目的に、「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」の後継組織として発足した。
集会は二部構成で、第一部は会の発足集会、第二部は学習・記念講演会。
呼びかけ人のひとりである小牧薫さんの司会で集会は始まった。
主催者あいさつは、岩高澄さん。つづいて、「大江・岩波―沖縄戦裁判支援連絡会」から「関西・沖縄戦を考える会」を発足させるに至った経過が報告された。
呼びかけ人の松浦茂さんから会則と組織体制の案が提起され、代表世話人2名、世話人5名、事務局・会計・監査各1名の腹案が出された。参加者全員の拍手で提案が承認され、正式に「関西・沖縄戦を考える会」が発足した。
第32軍司令部壕「説明板」問題
学習・記念講演では沖縄現地から村上有慶さんが講師に招かれた。村上さんは(沖縄戦)第32軍司令部壕の説明文案を沖縄県当局から委嘱された「検討委員会」のメンバーの一人。
沖縄県当局は、検討委員会が提出した原文から「慰安婦」「住民虐殺」「捨て石」などの沖縄戦の核心にあたる文言を削除して、今年3月23日に説明板の設置を強行した。検討委員会が説明板の設置前に削除に対して抗議し、県当局と話し合いの場を持つことを確認していたにもかかわらず、県当局はそれを踏みにじった。
村上さんは込み上げる怒りを抑制し、ユーモアも交えながら冷静に事の経過を説明し、今後も削除された文言の復活まで、検討委員会として県当局に要請し闘っていくと決意を語った。
特に、「〈慰安婦〉と〈住民虐殺〉の事実を記述から削除するということは、沖縄戦の実相を覆い隠し、沖縄戦の本質を見失い歪曲してしまうことになる」「今の日本社会が新たな戦争に向かうような動きの中で、沖縄戦研究者として学問の世界に閉じこもるのではなく、外に向かって積極的に行動していく」という村上さんの発言が強く印象に残った。(S)
沖縄から村上有慶さんが講演(8日 大阪市内) |
門真三中「君が代処分」取り消し裁判 控訴審第1回
7日、控訴審第1回口頭弁論が大阪高裁でひらかれた。
冒頭、原告側の控訴理由書と門真市・大阪府の反論書を確認し、原告・川口さんが本人意見陳述をおこなった。
教育の戦前回帰に危機感をつのらせ、平和教育・人権教育の大切さを訴えた川口さんの人柄あふれる、固い決意のこもった意見陳述に傍聴席から拍手がおこった。
公判後の報告集会では、「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪の黒田伊彦さんから、東豊中高校裁判の高裁判決(09年)や、枚方市での不起立者の名前収集の裁判で個人情報保護条例で勝利した例などをあげ、これらを意見書として裁判所に提出するという力強い報告があった。
次回口頭弁論は、8月30日(木)午後4時から。
原発収束作業の現場から
ある運動家の報告 ―最終回―
「ガレキ受け入れ反対」への異議(つづき)
――逆の側からですが、原発も汚染土も東京に持って帰れという憤りが、福島の人びとも心の底にあります
もしもですが、「これから第一原発がまき散らした放射能を、全部、東京湾に埋めるんで、東京の人は気を付けてくださいね」ということをやったら、果たして受け入れるでしょうか、という話ですが、ありえないですよね。
でも、東京の人は、その逆のことを、いとも簡単にやっているのです。傲慢な力を行使していることにすら気づいていないのです。
ところで、『月刊 政経東北』という月刊誌が、福島にあります。その昨年11月号の「巻頭言」で、次のように呼びかけています。
「・・・霞が関の関心は、大震災・原発事故から年金制度改革やTPPなどに移りつつある。補償も除染も震災復興も不十分な中、抗議の意味を込めて、汚染土を国と東電に返す運動を進めたい。送り先は次の通り。・・・」
――知っています。実際、この呼びかけに応えてなのか、環境省に土が送られました
そう。だからこういう意識は絶対にありますよ。ダンプに積んで永田町や霞ヶ関かに土をお返しするんだという話は、そこここでされています。
それを弾圧できるのか。それを弾圧するとなると、「そもそも放射性物質をまいた人は弾圧されないのか。おかしいぞ」という問題提起ができるわけです。
被害者意識から加害の自覚へ
――被害意識から運動が始まるとしても、その意識をどう発展させられるかです
そうですね。最初の意識は、被害者であっても構わない。
被害者の自覚も大事です。ただ、そこから自分は加害者でもあったということへの気付きが大事です。被害者意識に留まったら限界になります。
被害者意識から始まって、加害性に気づいていくのですけれども、実は、さらに、そのあとが重要ではないかと思っています。昔あったような総ざんげに陥ったら、今度は、責任を不在にしてしまうんですね。
本当の次の段階というのは、「自分たちにも加害責任があるんだ」と気づいたら、「では何をしたらいいのか」というときに、本当に戦争犯罪人を自らの手で裁くことだったはずです。
――そう、東京裁判ではなく人民裁判。これができなかったのが戦後の敗北の原点
そうなんです。人民裁判なんです。
一人ひとりと対話して問いかけていけば、「自分たちも共犯者だったんだ」という意識にはなると思います。だけど、「では誰が悪いんだろう?」ということで、本当の原発推進派が、結局、曖昧にされてしまうということになりかねない。
そこで、3段階目。被害者意識が第1段階、加害者性の自覚が第2段階だとすれば、そこから国民総懺悔ではなくて、「本当の犯罪者をきっちりと人民の手で裁きましょうよ」という動きにもってかなくちゃいけないと思います。今は、まだ、第一段階の「自分達は被害者だ。ああ、東電ひどい」という形で進んでいる状況です。
――その点で、全国各地の運動は、福島との実体的な交流がまだ弱いという気がします
そうですね。
福島のひとたちの顔や、原発労働者の顔を思い浮かべて運動をしたら、東京の運動は、被害意識に留まっていることはできないはずです。
同じことですが、廃炉というスローガンが、観念・抽象の世界にどんどん進んでいくなあっという感じがしますね。
――東京の現場の人たちと、この問題で討論は
僕と意識を共有している人もいます。
その人は頭を抱えていますね。運動が、「ガレキ受け入れ反対、受け入れ反対」と、だんだん感情的になっていることに、「ちょっと違うんだけど」と言っています。
――そこで運動にかかわっている中心的な人たちの意識や大衆的な論議が重要では
そうですね。
可能性はあると思っています。そもそもこれまでの労働運動のあり方自身に壁があったわけで。そういう壁を突破していく意味でも、この議論は必要ですね。(了)
6面
〜8・6ヒロシマ平和の夕べ〜
広島・長崎から福島へ、子どもたちへ 河野美代子
ヒロシマ、ナガサキから67年目の夏をむかえます。今年もまた、あの暑い夏がやってきます。東日本大震災、福島第一原発大事故から、あっという間に1年が過ぎました。
私たちは再び、三たび、被爆者、被曝者を出してはならないとヒロシマ、ナガサキから発言し、行動してきました。ビキニ、第5福竜丸、世界の核実験場、世界に2万発をこえる核兵器、核工場、原発事故と汚染、スリーマイル、チェルノブイリ…。人々は連綿と核と放射能に襲われ続けています。そしてついに福島第一原発の大事故。痛恨の極みです。とりわけ子どもたちへの被曝が本当に心配です。広島、長崎はずっと〈被爆の実相と、その後〉を訴えてきました。5年前から、「もう一度、原点から。核と戦争、被爆とは」を考え直そうと「8・6ヒロシマ平和の夕べ」をとりくんでいます。しかし、この事態を招いてしまいました。
これまで京都大学原子炉実験所の今中哲二さん、小林圭二さんに話してもらいました。今年は、「核はやめるべきだ」と警告し続けてきた小出裕章さんに平和講演をお願いしています。小出さんは「軍事利用では核と呼び、『平和利用』では原子力と呼ぶのは間違い。同じものだ」と。それを、私たちは広島の地で重く受けとめたいと考えます。小出さんに8月6日、広島の地で話してもらうことは、きっと大きな意味、意義がある、新たな発信となると確信しています。
昨年は、病床から参加してくださった『はだしのゲン』の中沢啓治さんが、血を吐くように自らのゲンバクを語り、「ぼくは、生あるかぎり反戦、反核をつきつめる」と訴えました。いま、ヒロシマ・ナガサキの被爆者が、力尽きて次々と亡くなっています。その意志、声を引き継がなければなりません。
一方で子どもを産むことをためらい、心配する若い女性たち、お母さんたちがいます。私たちは「被爆2世として子どもを生み、育てよう」と、その後を生きてきました。いずれもが、ヒロシマ・ナガサキを体験しながら再びたくさんの新たな被曝者をつくり出してしまった私たちの、福島へ、子どもたちへの責任、課題ではないでしょうか。原発をとめ、核兵器を廃絶させなければなりません。
福島県飯舘村から避難した営農家・村上真平さんの話しを聞きました。自分たちがつくった農園、家、生活の場、ゆたかな村を即日追われてしまった、二度と帰れない―それが原発事故、放射能です。6月10日、呼びかけ人をはじめ伊方原発現地と松山での原発反対集会に参加しました。6月末には島根原発にも行きます。私は上関・祝島、大分の地熱発電、風力、県北の小規模水力発電なども見てきました。
2012「平和の夕べ」
今年の「8・6ヒロシマ平和の夕べ」を、ざっと紹介します。
小出先生。『原子力の専門家が原発に反対するわけ』『放射能汚染の現実を超えて』『原発と憲法9条』など著書多数。メディアでもまっすぐに発言されています。そして最新著『騙されたあなたにも責任がある』。「(安全だ、と)騙されたのだから、自分たちに責任はないというなら、また同じように騙されてしまう。だから騙された責任があると考えてほしい」「汚染された日本、世界で生きる覚悟を」という小出先生のお話を8月6日、広島で聞くのは辛いのですが、聞いてください。
歌手の三代目春駒さん。代表作は「その男ヨシオ」です。「1945 8月6日イン・ヒロシマ カウンター振り切る放射能 黒焦げの焼死体 瓦礫の街 見ろよ一人の男〜その男ヨシオ オレのジイチャン 生きたるんじゃ〜 あなたが逝ってしまう前に、もっと話したかった」という歌詞。
近藤紘子さん。流川教会・谷本清牧師の娘さんです。爆心から1・1キロ、生後8か月。建物の下敷きになり、その後、下痢と高熱。教会のあった幟町で生き残ることができた、たった1人の赤ちゃんでした。ABCC〔注〕での屈辱に満ちた体験に、彼女は広島から逃げたいという思いに。海外での様々な体験。いまも、両親に恵まれなかった子どもたちの養子縁組のお世話や「チルドレン・アズ・ザ・ピースメーカー」の国際活動をされています。ちょっと違った被爆者の体験が聴けるでしょう。
神田香織さん、講談師。ジャズや1人芝居をとり入れた講談。『はだしのゲン』や『チェルノブイリの祈り』などの演題をお持ちです。8・6では『はだしのゲン』を公演してもらいます。福島県いわき市出身。「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を立ち上げ、活動中です。
案内状をつくる前、平和公園の峠三吉の詩碑に行ってきました。片隅にひっそりと佇む碑には折り鶴の一つもなく、ウーロン茶がぽつんと置かれているだけでした。「いまでもおそくはない。あなたのほんとうの力をふるい起こすのはおそくはない」(峠三吉・原爆詩集『呼びかけ』)。8・6ヒロシマ平和の夕べに、お集まりください。(8・6ヒロシマ平和の夕べ 呼びかけ人)
〔注〕原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission)
原子爆弾による傷害の実態を調査するため原爆投下直後にアメリカが設置した。原爆による傷害調査を目的とし被爆者を連行、サンプルやデータ収集をするも治療は一切おこなわなかった。現・日米共同運営の放射線影響研究所。
8・6ヒロシマ平和の夕べ−2012
日時 8月6日(月)15:30〜18:30
会場 広島YMCA・国際文化ホール
平和講演:小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)
司会:河野美代子さん(広島被爆2世、産婦人科医)
歌:三代目春駒さん
被爆証言:近藤紘子さん
講談:神田香織さん(福島県いわき市出身)
よびかけ: 秋田明大 久保田圭二 河野美代子 立川久美子 中村周六 原伸幸 横佩智恵
主催:8・6ヒロシマ平和の夕べ実行委員会
《関連企画》
8月5日(日)上関・祝島交流ツアー 主催:原水禁山口
8月7日(火)「被爆電車」運行(11:00広島駅南口集合11:30発)
「平和学習」(13:00〜) 米澤鐵志さん(電車内被爆者)
平和記念資料館東館地下会議室(2)
夏期特別カンパへのご協力をお願いします
野田政権は原発再稼働、消費増税など極反動の道を進んでいます。しかし彼らの支配体制は、二大政党(民主・自民)の支持率があわせても30%以下という危機に至っています。
労働者人民は社会と政治を変える直接行動に立ちあがり始めている。脱原発を闘う人々は、野田政権が〈資本の儲けのために人民の命を差し出す政権〉であることを知った。いまや再稼働をめぐる問題は、全原発の廃炉=資本主義社会の打倒までつきすすむ課題となりました。私たちは、この闘いのなかで、新たな共産主義運動の展望をつくりだすべく奮闘しています。
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