再稼働を阻もう
5日深夜、北海道電力泊原発3号機が定期検査のため発電を止めた。これで国内すべての商業用原発が停止した。
野田政権は、「全原発停止」という事態を回避するために、関西電力大飯原発3・4号機(福井県おおい町)を再稼働するための手続を強引に推し進めてきた。これにたいして、経産省や関西電力へ連日の抗議行動が取り組まれ、経産省前テントひろばでは、4月17日から今月5日まで集団ハンガーストライキがおこなわれた。
また大飯原発の地元では、4月14日に福井県入りした枝野経産相に対する福井県庁前での抗議闘争や、おおい町住民へ再稼働の危険性を訴えるビラ入れ、再稼働監視テント村の開設など、多彩な取り組みがなされた。こうした中で4月26日の、おおい町住民説明会では、これまで沈黙を強いられてきた地元住民たちが、ついに原発再稼働に反対の声をあげた。
「再稼働反対」が圧倒
日本における42年ぶりの「全原発停止」は、全国の心ある人びとのたたかいが生みだした画期的な事態である。毎日新聞が5、6日に実施した全国世論調査では、大飯再稼働に「反対」は63%で「賛成」31%を圧倒している。さらに再稼働のために政府がまとめた新たな判断基準を「信用しない」が77%。「信用する」はわずか16%にすぎない。
もちろん原発再稼働をめぐる情勢は予断を許さない。政府は10日、「大飯3・4号機を再稼働すれば、関電管内の8月の最大需要にほぼ見合う電力供給が可能」という試算を公表した。これは「もし再稼働しなければ、電力使用制限令を発動するぞ」という関西の各府県を含む地元自治体に対する脅迫だ。
電力は足りている
政府が発表した需給見通しはまったくのでたらめだ。8月の需要見通しは2987万キロワットとなっているが、昨年8月の最大重要2784万キロワットを203万キロワットもオーバーしている。また原発が再稼働しない場合の供給力を2542万キロワットとしているが、関電が4月1日発表した数字よりも31万キロワット低い。需要は水増しし、供給は過小に見積もられている。関電の実際の供給力は3100万キロワットを超える。電力不足の心配などまったくない。
先の世論調査では74%が「原発が再稼働せず、夏の電気使用が制限されても我慢できる」と答えている。こうした強い「再稼働反対」の民衆の意志が、野田政権の前にたちはだかっていることに確信を持とう。全原発の廃炉に向けてたたかおう。
原発ゼロの日 5500人参加 5・5東京
5月5日、全国で唯一稼働していた泊原発3号機が定期点検で発電を停止した。3・11以来、持続的高揚をもってたたかわれてきた反原発運動がすべての原発を停止に追い込んだのである。
これにあわせて東京・芝公園で「さようなら原発1000万人アクション」の主催で「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」が開催された。
冒頭のコンサートで音楽が流れる中を、参加者が続々と集まり5500人に達した。
こどもの日にちなみ、横断幕にしたてた鯉のぼりが準備されたほか、参加者には「さようなら原発」と書かれた紙製の鯉のぼりが配られた。原発のないきれいな未来をこどもたちに贈るという思いが込められているのだろう。
鎌田慧さん、澤地久枝さん、内橋克人さん(評論家)、古今亭菊千代さん、長田秀樹さん(北海道平和フォーラム)、山口幸夫さん(原子力資料情報室)、椎名千恵子さん(子ども福島)、神田香織さん、落合恵子さんから発言。こどもたちへの責任を果たせなかったことや福島の人たちを犠牲にしたことの反省、泊原発では事故が起こると地理上の制約から住民は、いったん原発に向かって避難しなければならないという驚くべき話、原発を組み込んできた社会構造を変えていこうという決意などが語られた。
また、韓国の環境財団代表の崔冽(チェ・ヨル)さんから、「安全より経済優先」という考え方が間違っていることや、韓国での反原発運動の広がりが話された。
集会後、連休で賑わう東京タワーを含めた2時間のコースを、右翼との対峙を交えてデモ。
ついに稼働原発をすべて止めた。この状態を永続させ、全原発を廃炉へ、その闘いを誓った一日だった。
「すべての原発を停止させたぞ!」(5月5日 東京・芝公園) |
デモ行進に鯉のぼりも(5月5日 大阪市内) |
〈反原発・反橋下・反基地〉かかげ
第83回中之島メーデー
大阪・中之島メーデーに参加した労働者(5月1日 大阪市内) |
1日、大阪・中之島メーデーは「世界帝国主義の戦争と支配に抗い、労働者の解放を闘いとるために、全世界の労働者と連帯し闘う」宣言(メーデーアピール)のもと、千人を超える労働者が参加。
本集会にさきだち、朝9時から大阪市役所前で、橋下の労働組合破壊にたいする抗議行動がおこなわれた。「橋下はすぐやめろ」と、数百人のコールが庁舎と市長室を直撃。
集会は10時から開始。全港湾大阪支部の大野委員長が「橋下と闘うメーデーだ」と主催者あいさつ。つづいて産別闘争の報告が港湾(全港湾大阪)、生コン(全日建連帯・関生)、教育(教育合同)、地域ユニオン(関西コミュニティユニオン)からあり、労働法制問題を大阪労働者弁護団が提起。
次に課題別戦線からの発言。脱原発、教育基本条例反対、TPP反対、米軍基地撤去、日朝日韓連帯、過労死問題などのアピール。さらにJAL不当解雇撤回原告団が、3月不当判決許さず、職場復帰までたたかう決意。関西の争議団体からアピール。関学、パナソニック、JRなど非正規雇用労働者の解雇、セクハラとたたかう発言がつづいた。第43回釜ヶ崎メーデーを終えた仲間も合流。
たたかう議員団の発言、メーデーアピールを確認しデモに出発。ゼネコン・金融街から関電本店へ進んだ。同日、大阪市内では全国金属機械港合同「怒りの港地域メーデー」もおこなわれた。(K)
第83回 中之島メーデーのメイン・スローガン
1 核と人類は共存できない! 原発の再稼働を許さず、自然エネルギーへ転換しよう!
2 格差社会を許すな! 新自由主義反対、競争ではなく共生の社会を実現しよう!
3 権力弾圧粉砕! 労働者の基本的人権、労働権、生存権を守ろう!
4 憲法改悪阻止! 米軍基地を撤去し、戦争に反対し、東アジアの平和を確立しよう!
2面
雇用安定・均等待遇実現へ 有期労働契約に規制を
4月25日、「実効ある有期労働法制を求める4・25共同集会」が都内でひらかれ、200人を超す人びとが集まった。主催は、集会実行委員会。
開会あいさつは小田川義和・全労連事務局長。続いて日本労働弁護団の棗(なつめ)一郎弁護士があいさつ。
西谷敏・大阪市立大学名誉教授が「政府案の問題点と労働組合の課題」と題して講演をおこなった。
有期契約労働者の権利の保障を(4月25日 都内) |
1200万人
現行「労働契約法」の改正という形をとって、有期契約労働者1200万人(派遣労働者300万人を含む)の労働条件がめちゃくちゃにされようとしている。これとのたたかいは、有期契約労働者の〈雇用の安定と均等待遇〉を実現していく大事業である。
つぶしても惜しくない
改正案はすでに今国会に上程され、5〜6月にも審議入り。一気に成立へと進むことが予想され、予断を許さない局面だ。
西谷さんは、この改正案を「つぶしても決して惜しくない」とバッサリ切った。学者の一部には無期転換権が法案に入ったことを「画期的だ」と評価するむきもあるが、この改正案は画期的どころか、まったく正反対のもの。西谷さんの意見に、会場から賛同する声と拍手が多数あがった。
規制強化を
「反復更新5年で無期転換」は画期的でもなんでもない。外国の例をみれば、通算した有期契約労働の上限は、フランス18カ月、ドイツ2年、韓国2年。さらに、韓国で06年11月に成立した非正規職保護法では、2年を超えれば自動的に無期契約とみなす強行規定になっている。
しかし、日本の改正案は強行規定ではなく、労働者が「遅滞なく申し出る」ことを要件としている。現在の判例法理では、5年も反復更新していれば「遅滞なく申し出」なくても期間の定めのない契約に転換していると認めるものになっている。改正案は現行の判例法理すら崩すものである。
それだけではない。5年の反復更新があっても、次の契約との間に6カ月の空白期間をおけば、これまでの5年間の通算期間は無効になり、もう一度ゼロから計算されるのである。つまり、5年直前で雇い止めにし、6カ月の空白期間を作って再度雇い入れれば、ほとんど永遠に有期契約で労働者を使えるのである。
「不更新」条項
さらに西谷さんは、「不更新」条項に強い怒りを示した。不更新条項というのは契約書に「今回の契約をもって更新を終了する」という一文を入れることである。これにサインすれば、更新終了に同意したとして雇い止めされ、サインしなければ契約は更新されずそこで雇い止めされる。だが改正案は、不更新条項に一言も言及していない。
外国人労働者との連帯
経団連は2030年までに外国人労働者1800万人を受け入れようとしている。これは今の有期契約労働者の総数をはるかに超えるものであり、労働力需給を買手市場にするためのものである。今後、有期労働契約問題は、外国人労働者を含めた団結と連帯の問題になっていくことは避けられない。
労働運動の課題
西谷さんは、職場で有期労働契約者が契約更新拒否されることにたいして、正社員や労働組合が自分の問題として受けとめ、いっしょになって更新拒否を阻止すべきであると指摘する。雇用形態による差別を、自ら打ち破っていく労働運動が求められている。
有期契約労働者の権利を保障する法案をつくっていくために、地域から草の根の立法運動をやりぬくことが提起された。
有期労働契約とのたたかいは、貧困と格差とのたたかいでもある。
「教育・職員条例案」反対 大阪市会にむけ決起集会
処分撤回へひとつになって(8日 大阪市内) |
8日、「大阪市議会に『教育基本条例』『職員基本条例』反対の声を! 『君が代』不起立処分を撤回させよう!市議会直前決起集会」が大阪市内でひらかれ、150人が参加した。主催は、〈「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪・全国集会実行委〉。
この条例は府議会では成立したが、大阪市では、さきの3月議会で継続審議となっていた。橋下・維新の会は、この15日開会の5月市議会で可決成立を狙う。
家庭教育条例案
開会あいさつでは、市議会をめぐる情勢の報告がおこなわれ、維新の会が「家庭教育条例案」をめぐり、市民・保護者から猛批判をうけ、混乱におちいっていることが報告された。
基調報告は、府条例に比べて市条例案がよりひどい点について指摘。
つづいて、〈WTC住民訴訟の会〉、〈都島区・旭区の会〉から連帯あいさつ。
東京から2人、福岡から2人の仲間がかけつけ登壇し、うち3人が発言。
処分撤回 2条例案を廃案に
今年の卒業式、入学式「君が代」不起立で処分された府下37人のなかから、4人が登壇し、処分撤回への決意を述べ、処分された全員がひとつになってたたかおうと訴えた。
行動提起の後、集会決議を採択し、大阪市役所にむけてデモに出た。
“尼崎”と“福島”で 何が問われたか
地脇 聖孝さん(鉄道安全問題研究会)
4月21日、尼崎市内で開かれた「ノーモア尼崎事故 生命と安全を守る4・21集会」で、鉄道安全問題研究会の地脇聖孝さんが「尼崎と福島、いま私たちに問われているもの」と題する講演をおこなった。その要旨を掲載する。(地脇さんは福島県在住。鉄道事故の原因調査とともに反原発運動をになっている。)〔文責・編集委員会〕
責任逃れの常套句
福島原発事故とJR尼崎事故には、多くの共通点がある。まず、「人間は技術を制御できる」「誤りを犯さない」という、技術に対する過信とおごりがあった。尼崎事故では、スピードと遠心力が脱線・転覆事故につながった。福島原発事故は、地震を無視した設計・管理が原子炉建屋の爆発となった。
JR西日本も東京電力も、「事故の真相を隠す。過小評価する。嘘をつく」ということを同じようにくりかえしている。また、JRも原発も国策による強力な推進体制のもとで発足した。JR各社と電力各社は、「利益優先、安全軽視」の企業経営をおこなってきた。そして事故が起きると同じように「カーブでの脱線転覆は予見できなかった」(JR西)、「津波は想定外」(東電)と言った。この 「困ったときの想定外(予見できなかった)」は、加害者が責任を逃れるときの常套句である。この単語が出てきたら要注意だ。
JR各社と電力各社は、たたかう労働組合であった国労と電産への攻撃の中で生まれたという点でも共通している。いま、電力総連は徹底した御用組合となっている。連合福島では「原発がなくなれば仕事がなくなる」という空気の中で、議論をすることさえできない。福島県議会と県知事が脱原発を表明したのに、連合福島は脱原発を方針にもり込んでいない。
地域住民との連携を
今後のたたかいの方向性。一つめは、電力事業や鉄道事業は大規模開発や環境破壊と一体であり、地域住民の生活に直結している。ゆえに地域住民とつながって、企業を揺さぶっていくたたかいが最も重要であることを確認したい。 地域の中で最も虐げられている人たちの要求をすくい上げ、政府・企業にぶつけていく。こうした市民のたたかいをサポートすることが労働組合に求められる。いまは、市民運動が労働運動の4〜5周先を行っている状況だ。とくに女性や若者との結びつきが重要になる。なぜなら女性や若者はこれまで社会の意思決定過程から徹底的に排除され、企業犯罪の被害だけを押しつけられてきたからである。
二つめは、労働組合にたいする「既得権者」「特権階級」「労働貴族」「正規雇用労働者しか守らない」というイメージ。このマイナスイメージを払拭することだ。そのために労働組合は非正規雇用労働者、女性、若者、そして地域住民の中に入り、そこに組織と運動の基盤を築いていかなければならない。
価値観の転換が必要
三つめは、「組織の利益にならないからやらない」ではダメだということ。〈利益〉というのは企業の行動基準だ。「労動組合は企業と住民のどちらと共に歩むのか」が問われている。私たちは、命とカネのどちらを選ぶのか。利益のためなら人が死んでもいいという価値観から、命のために経済活動を規制する新たな価値観への転換が必要である。
四つめは、神戸地裁が2012年1月に山崎前社長を無罪とし、検察庁が控訴を断念したことにかんして。日本の刑法は「法人は犯罪をなし得ない」として、刑罰を個人に限定しているが、それでいいのか。企業・法人が責任主体になれない現行法では、JR尼崎事故も福島原発事故も処罰されない。いま、企業・法人処罰法の制定が強く求められている。JR尼崎事故の被害者は、「法人にも刑事罰を」「事故の根本原因はJR西の企業体質にある」と訴えている。福島では、「原発被ばく者援護法」制定運動がはじまった。企業犯罪とたたかう人たちどうしが、手を取り合おうとよびかけている。この国に生きるひとりひとりが尊敬され、大切にされる新しい価値観を若い人たちや子どもたちに残せるように立ち向かっていこう。
3面
「放射能から逃れて」 8・6ヒロシマ プレ企画
自然を収奪せず生きたい
村上真平さん(福島県飯舘村から避難)
8・6ヒロシマ平和の夕べ―プレ企画、「放射能から逃れて」の講座に参加した(4月22日、広島YMCA会館)。村上真平さんが、3月11日の翌日、福島県飯舘村から避難することになった様子、自然・有機農業を学び、アジアやアフリカで農業支援をおこないながら考えたことを話した。
村上さんは福島県田村市出身。農業高校を出て20年間アジアやアフリカで農業支援してきた。その後「自分の農業を」と飯舘村に農地を求めた。それから10年。ようやく軌道に乗り始めたとき、大地震と福島第一原発事故。「合鴨に草とりをしてもらう田んぼ」、「畑は耕さない」、という自然農業を学びたいと滞在する研修生のために、自分たちで材木に墨を打ち、ノミを使って宿泊用の家を建てている最中だった。
3月11日、棟上げの日。梁と柱に登り、組み合わせを木槌で叩いて調べていたとき、不気味な地鳴りと巨大な地震が襲った。激しい揺れに、「よく落ちなかった」という。
山間部で地震の被害はそれほど大きくなかった。しかし、夕方6時「福島第一原発の電源が失われ、燃料が一部露出」とラジオのニュース。9時45分ころ「炉心の上まで水が回復」。一瞬「良かった」と思うが、不安は去らない。12時ころ軽トラのバッテリーで見たネット情報、電源の不安は払拭できず。ようやく浅い眠りについた村上さん。真夜中の2時、車の音で目を覚ました。その日たまたま福島市内に出かけていたお連れ合いが、戻るなり「すぐに逃げよう」。
チェルノブイリ前から反原発に関わっていた村上さんご夫婦は、「原発の電源が無くなる」ことの結果は分かっていた。「ニュースはツジツマが合わない」。最悪の事態を予想。真夜中、慌しくお連れ合い、子どもたち、研修生の坂田さんと山形に出発。12日午後、1号機が水素爆発。「それを見たとき、望みは消えた」「ぼくたちはもう飯舘の家には戻れない」。坂田さんにも「申し訳ないけど研修は終わりに」と告げた。
ここまで聞いて、何とも言えない苦しさを感じた。即日深夜に、せっかく育てた農園を捨てて逃げなければならない。他方で、留まらざるを得ない大勢の人たちがいる。
もう一つ、強く印象に残ったのは、アジアと日本、農業と生き方の問題。20年間、アジア、アフリカで有機農法を支援した村上さんの目に映ったこと。日本の商社が森林を伐採し、材木を日本に輸出する。その跡にいったんは穀物をつくり、それも輸出。しかし土地がやせ、土が流された後は荒地になってしまう。「貧しいといわれる人々、国々がある」ということはどういうことか。一方に「豊か過ぎる人々、国々がある」。日本、「先進国」といわれる国々がすすめるグローバル経済により、その貧しさが日々つくられる。競争して蹴落としながら勝ち組に。お金のためなら自然を壊しても当然という社会。そうして第三世界の人々を搾取して生きるのか。
日本は、農業に適した豊かな国だと、村上さんは言う。大平原は、川や地下水からポンプで散水しなければならない。日本の里山、田んぼは、動力を使わなくても上から順番に水が潤っていく。映像で見せてもらった飯舘村の村上さんの農園、田んぼは緑の風景が広がっていた。
「自然を収奪せず、人を搾取しない。農を基礎に生きていく」。それが、村上さんがたどり着いた結論だった。そう考えて村上さんは飯舘に農地と農業を求めた。破壊的な生き方をやめ、新しい起点となれるのか。破壊的な構造の「最たるものが原発。今回、こういう形で明らかになった」「いまをおいて、セカンドチャンスはない。希望はもっています」と言う村上さんの言葉を、重く持ち帰った。(廣)
村上真平さん(4月22日 広島市内) |
8・6ヒロシマ平和の夕べ −2012
日時 8月6日(月)15:30〜18:30
会場 広島YMCA・国際文化ホール
平和講演:小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)
司会:河野美代子さん(広島被爆2世、産婦人科医)
歌 :三代目春駒さん
被爆証言:近藤紘子さん
講談:神田香織さん(福島県いわき市出身)
よびかけ:秋田明大 久保田圭二 河野美代子 立川久美子 中村周六 原伸幸 横佩智恵
主催:8・6ヒロシマ平和の夕べ実行委員会
《関連企画》
8月5日(日)上関・祝島交流ツアー 主催:原水禁山口
8月7日(火)「被爆電車」運行(11:00広島駅集合 11:30発)
「平和学習」(13:00〜) 米澤鐵志さん(電車内被爆者)
平和記念資料館地下講習室
反弾圧の広範な陣形を
労組・市民運動がシンポ
4月20日、「ええかげんにせえ!警察・検察・裁判所」4・20シンポジウムが大阪市内でひらかれ180人が参加した。主催は、反弾圧ネットワーク実行員会。
このかん大阪では、不当弾圧により、労働運動の団結権や交渉権が激しく侵害・阻害され、市民運動にまで弾圧の手が伸びている。この日の集会は、労働組合から市民運動まで幅広い陣形が反弾圧の一点で集まり、弾圧を打ち返す闘いの教訓と決意が持ち寄られ、おおいに盛りあがった。
逮捕されたら黙秘を(4月20日 大阪市内) |
当該から
弾圧現状報告として、それぞれの当該から4つの報告がなされた。
@「(2011年)4・5釜ケ崎大弾圧」について、大谷隆夫さん(日本キリスト教団牧師・釜ケ崎医療連絡会議代表)から。不当な一審有罪判決をはねのけ、控訴審を闘う決意が述べられた。
A関生・第2次、第3次関西宇部弾圧について、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部(関生)副委員長の高英男(コ・ヨンナム)さん。裁判闘争に勝ち抜くとともに職場闘争を団結して闘うと決意表明。
B福島支援弾圧について、〈ふくしまっ子 大阪においでよ プロジェクト〉の古河潤一さん。 二度と福島へ行かせないための、でっち上げ弾圧である。「原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて 5・25『鎌田慧講演会』」を成功させ、福島支援への弾圧を、大きな運動の力で打ち破っていこうと訴えた。
C在特会を利用した弾圧について、「任意出頭」攻撃が繰り返されている韓基大さんから。
弾圧対策を具体的に
つづいて、大阪労働者弁護団の太田健義弁護士と大山弘道弁護士による、パネルディスカッション。
1.黙秘権の権利行使の必要性、2.任意出頭が来た時の対応、3.家宅捜索時の対応、4.令状部に対する抗議方法、5.勾留理由開示公判の必要性、6.被疑者ノートの取り扱いなど。いずれも具体的で、極めて有効な防禦の方法がかいつまんで説明され、労働組合活動家の仲間たちは、大いに聞き入った。
質疑応答の後、連帯アピールでは、〈共謀罪に反対する市民連絡会・関西〉の永嶋靖久弁護士が、共謀罪関連の動きとして、新たな(ダーティーな)捜査手法導入の動きを紹介し、反対運動の強化を訴えた。太田健義弁護士は、「秘密保全法」制定の動きがあると警鐘を乱打した。(労働者通信員 T)
「君が代」不起立で大量処分
2、3月卒業式、4月入学式での「君が代」不起立をめぐり処分が強行された。
東京では、卒業式で3人(戒告)、入学式で1人(戒告)。大阪では、卒業式で35人(戒告34人、訓告1人)、入学式で2人(戒告)の大量処分。
大阪府教委に抗議
入学式での処分辞令伝達が強行された4月25日、大阪府教委に呼び出された2人の教育労働者への激励と、処分に抗議する行動がとりくまれた。府教委がある府庁別館前に、100人を超える支援者や卒業式被処分者が集まり、1時から集会がひらかれた。
この日、処分を受け、研修を強いられた仲間が中から出てきて報告。松井府知事が「一度でも不起立した教員は、現場からはずせ」と主張していることにふれ、府教委は「今すぐにはできないが、検討している」と発言したという。
条例施行
4月1日から、大阪府「教育基本条例・職員基本条例」は施行されている。入学式処分は、その初適用だ。「君が代」不起立=職務命令違反を3回くりかえせば分限免職という憲法違反の条例をうちやぶろう。
佐藤昭夫さんが新著 『国家的不当労働行為論U』
4月27日、佐藤昭夫さんの『国家的不当労働行為論U』出版記念会が都内でひらかれ、60人以上の人びとが集まった。参加者は、国労5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団、鉄建公団訴訟弁護団や佐藤さんにゆかりの深い方々、さらには全国金属機械港合同、同・南労会支部、国鉄臨職闘争の和田さんなど多彩。
司会は被解雇者・郵政非正規社員「定年制」無効裁判原告の丹羽良子さんと、運転者ネット・松岡宥二さんがつとめた。芹澤寿良さん(高知大学名誉教授)が開会あいさつ。
第1部として、佐藤さんとジャーナリスト・荒木健次さんの出版記念特別対談〈国鉄闘争をふり返って―闘いと連帯の基礎は何か〉がおこなわれ、2000年4党合意から2010年6月最高裁での和解成立までの10年間をふりかえった。佐藤さんは「闘いと連帯の基礎は何か」というテーマについて、国鉄闘争の経過にふまえ、韓国の労働運動家の「彼らが正しいから勝つのではなく、私たちが連帯しきれなくて負けるのだ」(同書252ページ)という言葉を引用し、「自立した個人とその行動」が闘いと連帯の基礎にあると訴えた。敵の分断、分裂攻撃に対していかに連帯していくのか、これが闘いのテーマであるという指摘だ。
第2部は立食パーティー。乾杯の音頭は手嶋浩一・元国労九州エリア本部書記長。石田眞・早大法科大学院教授をはじめ、多くの人たちがお祝いを述べた。最後に大口昭彦弁護士が、閉会あいさつをおこなった。
4面
辺野古新基地建設を阻止し
沖縄闘争の歴史的勝利へ(下) 島袋 純二
〈目次〉
一、自己決定権を貫いて立ち上がる沖縄(前号)
二、米軍再編見直しと日米合意―沖縄人民の闘いに追い詰められる日米帝国主義
三、日本帝国主義の沖縄差別政策と対決し、普天間・辺野古・高江の闘いの強化・発展を
二、米軍再編見直しと日米合意―沖縄人民の闘いに追い詰められる日米帝国主義
辺野古における普天間基地の移設を建前とした新たな基地建設を阻止する闘いは、日米帝国主義の攻撃を根底からゆさぶり、二進も三進もいかない状況に追い込んでいる。
(1)米帝=オバマ政権は普天間基地の辺野古移設にあくまで固執しながらも、これまで辺野古移設とパッケージだとしていた嘉手納基地より南の米軍施設の撤去を切り離して、先行的に実施する方針を日米協議で合意した。それと同時に、米海兵隊のグアム移転方針も見直して、沖縄に海兵隊を1万人残留させ、その他の兵員をオーストラリア、グアム、フィリピン、ハワイ、などに分散して、配置するとした。
米帝=オバマ政権のこうした対応は、連邦議会における国防予算削減決定によって余儀なくされた措置である。そして防衛予算の削減は、上院軍事委員会の委員長や有力議員等が辺野古現地を視察し、辺野古移設は不可能と判断したことが大きな要因となっている。まさしく辺野古の闘いが米帝の沖縄基地をめぐる米軍再編の見直しを強制し、2年前の「日米合意」を破綻させつつあるのだ。
(2)辺野古の闘いは、日帝にとっても決定的なダメージとなっている。否、米帝以上に追い詰められていると言える。辺野古の闘いの強力かつ広範な展開によって、「沖縄県民の頭越しに基地建設を強行しない」という建前をペテン的にふりかざす日帝は、完全に行き詰まり状態に陥りつつあるのだ。
現在、日帝が何らの成算もない中で必死になっておしすすめているのは、仲井真知事や佐喜真宜野湾市長といった、かつての「条件付き基地容認」派に対して「振興策」などのアメをちらつかせて寝返らせ、籠絡することであり、地元の少数の「条件付き基地誘致」派などを使って辺野古現地の闘いをなんとか分断、破壊しようとしていることである。さらには今年6月の県議選や2年後の名護市長選・名護市議選における多数派獲得を模索することである。
辺野古現地・名護市民―沖縄人民、そして「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」をはじめとした全国の心ある労働者人民の強固な大衆的陣形の底力を拡大・強化・発展させ、日米両帝国主義をさらに徹底的に追い詰めていこう。
三、日本帝国主義の沖縄差別政策と対決し、普天間・辺野古・高江の闘いの強化・発展を
辺野古闘争を最先端・最基軸とする現在の沖縄闘争をさらに発展させていくために、沖縄奪還論を今日的に総括し、新たな沖縄闘争論を確立していくことが求められている。
沖縄奪還論は、沖縄問題の本質的核心である日本帝国主義の構造的な沖縄差別体制と沖縄差別政策を明らかにし、そのような沖縄差別を打ち破って沖縄の歴史的解放を実現していくということを基軸に据え、現実的闘いとしてあった「本土復帰」闘争を安保粉砕・日帝打倒という日本革命の戦略的要として位置付けるものであった。このような沖縄問題の本質と復帰闘争の現実に踏まえた奪還論は、当時の復帰闘争に関わる革命的な沖縄闘争論として歴史的意義を持っていた。
しかし、72年「5・15」のペテン的沖縄「返還」以降も軍事分離支配という沖縄の戦後的実態は変ることなく、沖縄人民に依然としてさまざまな犠牲が押しつけられているにもかかわらず、現象的には日本国家の施政権下に置かれたことによって、「復帰」問題はあたかも「解決」したかのように政治の焦点から遠ざかっていった。それに伴って、「復帰闘争」の現実に即して革命的に打ち出された奪還論も、その歴史的限界性を突きつけられた。
問われていたことは、「5・15体制」下にあって沖縄人民がさまざまなに立ち上がっている現実に踏まえた新たな沖縄闘争論を、沖縄をめぐる新たな情勢に対応するものとして、〈奪還論に貫かれていた沖縄問題と沖縄闘争の本質的内容〉を飛躍・転換―発展させることであった。すなわち、沖縄奪還論の革命的転換が求められたのである。
今われわれは、新たな沖縄闘争論を確立していくにあたって、現代の沖縄問題の本質である日帝対沖縄の関係を革命的に転覆していくことを基軸としながらも、それを辺野古をはじめとする沖縄闘争の現実に立脚して学びながら、たたかう沖縄人民と共に勝利の確信と展望を切り開いていくものとして、内容豊かに形成していくことが必要である。
それはイスラム人民の「アラブの春」やアメリカ人民の「オキュパイ運動」に象徴されるような、全世界の労働者人民の闘いと結びついていく内容でなければならない。
現在さまざまな形で闘われている沖縄闘争の基軸を貫いている沖縄人民の自決・自己決定権はすぐれて人間的自己解放性を持ったものである。この自決・自己決定権は「日本」や全世界の労働者人民の自己解放的闘いにとっても不可欠なものである。「日本」―沖縄の労働者人民が自決・自己決定権を基礎として共有し、それを基軸に貫いて日本帝国主義と闘い抜いていくことが沖縄闘争の勝利と沖縄の歴史的解放を実現していく唯一の道である。
新たな沖縄闘争論は、沖縄の闘いの現実にしっかりと立脚し、自決・自己決定権を基軸的に貫いて日本帝国主義に突きつけ、物質化していくものとして、確立されていくのだ。辺野古の闘いを先頭に、沖縄のさまざまな闘いを主体的に担い、前進させていくと共に、それと一体のものとして新たな沖縄闘争論を鮮明に確立していきながら、沖縄闘争の勝利の展望を切り開いていこうではないか。
〔補足〕
今回は触れることができなかったが、米帝の新軍事戦略=エア・シー・バトル戦略と新自由主義の破産、日米安保同盟の戦後的特殊性とその現状、釣魚台問題、天皇制の問題、および反原発闘争や三里塚闘争をはじめとした全国の諸闘争との連帯などの諸課題を新たな沖縄闘争の中にしっかりと位置付けて闘っていく必要があることを確認しておきたい。
重機搬入を阻む(1月17日 沖縄・高江) |
レイシズムの現在を考える
4月14日、シンポジウム〈差別・排外主義にノー! 世界―日本のレイシズムの現在を考える 埼玉フィリピン人一家嫌がらせ事件から3年〉が都内で開かれ、52人が参加した。主催は、差別・排外主義に反対する連絡会。
草の根の差別
最初に連絡会から、3年間の取り組みの報告があった。つづいて森千香子さん(一ツ橋大学准教授)から提起を受けた。森さんは、草の根の差別・排外主義の広がり、国家的な差別政策を許してしまう根底に、学生(若者)層の無関心があること、被差別の当事者と差別を扇動する側との間のグレーゾーンへの取り組みが重要であると訴えた。
そして、奴隷制・植民地主義・ホロコーストを正当化する18世紀以降の人種概念〔科学的レイシズム〕、1960年代以降の「文化に交わると自らの文化が壊される」〔文化本質主義的レイシズム〕、そして今や「男女平等や、表現の自由など、普遍的価値にそぐわないから排斥する」〔普遍性レイシズム〕へと進んでおり、ネオナチや、フランスの国民戦線など、西欧極右勢力の連合が進んでいる。
マイノリティーの人たちを例外扱いする共通した三つの見方がある。@凶暴な身体―「ムスリムの人たちがEUの価値観を奪っている。移民が仕事を奪っている」、A見えない身体―「無視・無関心。人間として見る事無く、労働力としてしか見ない」、Bかわいそうな身体―「同情からの支援。対等な存在として見ずに、庇護してかわいがる。しかし、対等な権利を主張したとたんにむき出しのレイシズムとなる」。単に、凶暴なレイシズムを叩いているだけでは根を絶つことはできない。
森さんは最後に、反貧困運動の中で「ブラジル人よりも安い給料の日本人がいる」という言説も出ていると弾劾し、一般的な無関心もレイシズムの空間を形成しており、ポピュリズムの台頭の中で、一気に広がる危険性がある、と訴えた。
朝鮮学校
この後、高校無償化からの朝鮮学校の排除に反対する運動のビデオが上映され、同連絡会から佐野通夫さん、ジャーナリストの安田浩一さん、森千香子さんによるパネルディスカッション。
最初に、安田さんの新刊書『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(4月19日発売)が紹介された。
安田さんは、在特会の人たちは「社会の人とつながりたい」と思っている。日の丸をうちふりながら、「社会活動をしている。権力と闘っている」と思っている。飲み会で盛り上がり、その後の空しさ・孤独感をかこって。この人びとを直視しなければ理解できない。京都朝鮮学校の襲撃者(在特会メンバー)は、「かけつけた(朝鮮学校の)OBが正直うらやましましかった」と言った。小学校を襲われてかけつける日本人がいるか? それを見て「負けたと思った」と言う。「マスコミ、公務員(組合)、外国人には発言する回路があるだろう。俺たちには所属もない」、それがファシズム・レイシズムにつながっていくと思う、と提起した。
佐野さんから。グレーゾーンにどう広げるのか。枝川の朝鮮学校を石原都知事がつぶしにきたが勝訴した。学校は解放区、在日の集まる場、そのことを知っているから、国はつぶそうとしてきた。1948年朝鮮学校閉鎖令、16歳の子が射殺される弾圧の中で守ってきた。49年朝鮮学校閉鎖。又復活。65年日韓条約締結。外国人学校法案は、8回上程され、8回つぶして廃案になった。
今は第3の危機。金の力でつぶそうとしている。「朝鮮学校は民族の文化を学ぶ点で、日本の学校と違う」。誇りを、集まりをつぶそうとしている。「朝鮮学校がある事がだいじなことなんだ」ということを、日本人にどう伝えていったら良いか。一緒にマッコリを飲んで、映画を観てほしい、と文化に触れ合うことの重要性を訴えた。(東京・S)
5面
「電気が足りない」 それがどうした
再稼働反対で県民アクション 神戸
商店街をパレード(4月30日 神戸市内) |
4月30日、神戸市内で「兵庫も地元や!再稼働反対兵庫県民アクション」がおこなわれ、県内各地から400人が参加した。よびかけたのは「さよなら原発神戸アクション・神戸は地元や!市民会議」。会場の東遊園は、すぐ隣に関西電力神戸支店のビルが建っている。参加者が交代で自転車2台をこぎ、集会用のアンプ、スピーカー電源をまかなった。
呼びかけ団体を代表し、田中英雄さんは「大飯原発から神戸は100キロ。兵庫県北東部の丹波市、篠山市はわずか60キロ。若狭湾には14基の原発がひしめいている。過酷事故が起こり、風速10メートルの北風が吹けば3時間で放射能がくる。政府と電力会社がきちんと取り組めば、夏の電力不足は起こらない。万一、関電の言うように『不足』するとしても、真夏の数時間エアコンを控え生産をずらせばいい。原発事故がもたらす償いようのない被害に比べれば、なんでもない。『電力不足、それがどうした!』 それが福島事故を起こしてしまった私たちが、世界と世代に果たす責任だ」と訴えた。
集会後、神戸・三宮の繁華街を「原発いらない、電気は足りる、再稼働反対、兵庫も地元、子どもを守れ」とコールしながらメリケンパークまでパレードした。
滋賀、京都などで再稼働反対の動きが広がるなか、知事が関西広域連合長をつとめる兵庫県の動きは鈍い。4月10日の県防災企画局申し入れ、交渉後も対応を渋っている。4・30集会決議に対し兵庫県は5月2日、「関西広域連合の見解(「安全が確保されれば」という程度)が兵庫県の立場。これ以上話し合う必要はない」と回答してきた。
各地に「放射能がれき受け入れ」の動き
一方、兵庫県下では「がれき受け入れ」の動きが始まっている。西宮市が「1日も早く受け入れる」と表明。尼崎市は「夏までに試験焼却をおこなう」と発表した。兵庫県は処分場がある市町に、焼却、焼却後の埋め立てなどを要請、4月9日に説明会をおこなった。加古川市議会、佐用町議会が受け入れを表明。三田市にも受け入れに積極的な議員がいる。
神戸沖の埋立処分場がねらわれている。放射性セシウムは水に溶けやすいが、国の「基準」は陸上の埋立地を想定したもの。神戸沖は直接海水に接し、埋め立て済みの土地も沈下や雨水の影響を受ける。
広域処理しなければ復興がすすまないとする根拠は何か。放射性物質の拡散問題と、広域処理を押しつけようとする背景が問題だ。
関越道バス事故の真相
4月29日早暁、関越自動車道(群馬県)で乗客乗員46人が死傷する高速ツアーバスの事故が起きた。苛酷な労働現場での1人乗務が事故を引き起こした。
7人を殺した主犯は、新自由主義路線による規制緩和を強行した自民党政権と資本の増殖に邁進する旅行会社(ハーヴェストホールディングス社)であり、原価割れするほどの安値で引き受けざるを得なかった零細のバス会社(陸援隊)である。
2008年に「670キロまで1人乗務」の指針を出した自民党政権の責任、それをそのまま放置してきた民主党政権の責任も重大である。
運転経過
今回事故を起こしたバスは、27日夜東京を出発し、28日朝金沢に到着した。往路の運転手は2名で、午前8時に金沢駅に到着後、ホテルで午後4時30分まで休憩をとり、午後10時金沢駅で乗客を乗せて出発し、富山県高岡駅を経由して東京に向かった。高岡駅でもう1人の運転手が乗務を降りて、運転手はK運転手1人になった。
もともと、陸援隊の運行計画では、K運転手1人乗務だったが、K運転手は地理不案内な金沢への1人乗務はできないと申し出て、陸援隊は富山に帰省する運転手を往路だけ加えることにし、帰路はK運転手1人だった。
金沢―東京間の545キロは、時速90キロで走っても6時間を要する長距離である。夜間、1人で6時間連続で運転することは人間の生理学上不可能な運行計画である。到着時間が決められており、1人の運転手による運行そのものに問題があった。
企画
今回のバスツアーはハーヴェストホールディングス社(豊中市)が、「片道3500円・45人の乗客」で企画した。往復で90人、31万5000円の企画である。インターネット上の販売会社を通じて乗客を募集し、取次専門会社(1万円)から別のバス会社(1万円)を経由して、陸援隊が15万円で請け負った。
ハーヴェストホールディングス社は14万5000円の収益を上げる構造になっている。(他社高速バスの金沢―東京間片道料金:MKツアーランドは3800円、北陸鉄道は7840円)
陸援隊とK運転手
今回事故を起こしたバス会社は「針生エクスプレス・陸援隊(千葉県印西市)」といい、資本金1500万円で1990年に創業し、1997年に現在の会社を設立した。
K運転手は1993年に来日し、1994年に日本国籍を取得した。2年前からバスを所有し、首都圏で中国人ツアー客の送迎・観光案内をおこなっていた。陸援隊の仕事は昨年7月から始めた。雇用形態は陸援隊から電話で単発の仕事を頼まれる「日傭い」「アルバイト」だった。
規制緩和が元凶
自民党政権が2000年に規制緩和をおこない、貸し切りバス事業者による高速ツアーバスへの参入を可能にした。この規制緩和によって、旅行会社が貸し切りバス事業者から原価割れするほどの安値でバスを借り上げ、旅行会社が儲かる仕組みができあがった。高速ツアーバス利用者は年間20万人から600万人にふくれあがった。市場は飽和状態となり、過当競争のなかで、労働者に矛盾を転嫁し、苛酷労働を強制し、今回の事故につながった。
投稿 「集団ハンスト」の
成功と原発全停止を迎えたこどもの日
〈経産省前テントひろば〉から
唯一の稼働原発・泊3号機の停止予定日5月5日までに、大飯原発再稼働を狙う動きが強まるなかで、これにストップをかけるため、〈経産省前テントひろば〉のよびかけで、集団ハンスト行動がおこなわれた。4月17日から5月5日まで。
5月2日、雨
寂聴さんはタクシーでしかも車椅子でテントにやって来た。
この日は鎌田慧さん、澤地久枝さん、そして瀬戸内寂聴さんの3人がテントに座り、寂聴さんはこの日朝から食事を抜き断食に入っていた。当初、同席するはずだった落合恵子さんは肋骨にヒビが入る怪我をされたとの事で、遅れて来る事に。
テントを訪問するきっかけは、4人とも「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人であること。澤地さんが坂本龍一さんのコメントを紹介した。「今日はニューヨークにいてそちらに行けませんが、気持ちは皆さんと一緒です」。
寂聴さんの話。5月5日を境にして日本は原発から抜け出すと、国がきちんと皆に約束をしなくてはならない。民主主義とは選挙だけではなく行動に移すこと。私は若者たちに期待はしていますが、今の日本には絶望しています。広島、長崎で酷い目にあった日本が唯々諾々と原発を使っているのは、恥ずかしいこと。これは絶対になくさなければならない。再稼働するなどといっている彼らは、自分のところには被害が来ないとでも思っているのか不思議でならない。ドナルド・キーんさんが、日本人は災害にあっても整然と並んだりしていたことに感動し、寄付も集まったと言うが、もっと言いたいことは言うべき、もっと怒らなければいけない。黙って辛抱することを美徳と思ってるようだが、やっぱり闘わなければならない。
3日 憲法記念日、雨
今日は早くから警察・機動隊がテント前に集まってきた。憲法記念日集会の妨害目的で東京に右翼が集まり、テントにも来るであろうと予想された。
事前情報では、右翼の街宣車100台を連ねてくるとの話もあったが、実際には2〜30台ぐらいだった。複数の街宣右翼がテント前に来たが、テントに危害を加えることはなく、2時間ほどで撤収。
4日
夕方から、「5日に向けての前夜祭」朴保さんのコンサート。素晴らしかった。
5日 こどもの日、快晴
この日は、前日までの空模様とはうって変わり、抜けるような青空と強い日差し。
午後から「さようなら原発5・5集会」があるので、芝公園まで、福島の女性たちを先頭に徒歩で向かった。
集会は素晴らしいものだった。福島の女たちが輝いた。デモ出発時には「カンショ踊り」で、アピールできた。これを見て経産省包囲に参加してくれた人も。
デモ終了後、夕方5時から「カンショ踊り・経産省包囲行動」は700人くらいが参加して大盛況。「19日間のハンスト」終了セレモニーが午後9時まで続いた。(F記)
19日間の集団ハンストを貫徹(5日 経産省前) |
「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」での椎名千恵子さんの発言(5月5日、東京・芝公園)
あと間もなくで、原発ゼロの日を迎えることができます。こどもへのプレゼントをすることができます。すばらしいと思います。止まったんじゃない、止めたんだということを確認しましょう。
そして、もう一つ私は確かめたいです。どんなに絶望的なことが起きても、私たちはこどもを守る、未来を守る、未来を作っていく。そうした大人たちが、この日、この時に集まっているということです。これも、何よりの、こどもたちに、生きる姿勢を見せるプレゼントではないでしょうか。
様々な違いがあります。時にそうした違いに、腹をたて、怒りを持ち、情けなくもなり、がっかりもします。しかしそうしたときに、一体そうしたことを誰が喜ぶんだと頭に据えて、今日のこのつながりを、ほどくことなく、ひるむことなく、原発いらない日に向かって、また続けていきましょう。よろしくおねがいします
ノーモア原発、ノーモア福島
6面
「ミサイル」キャンペーンに与し 排外主
義に転落したものたち 反戦自衛官 小多基実夫
4月13日の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による人工衛星打ち上げを、「追いつめられた北朝鮮スターリン主義による13日の『人工衛星』=ミサイル発射」(『前進』2533号「革共同沖縄県委員会」署名)と断定し、政府・マスコミによる排外主義デマの大合唱に加わった輩がいる。
彼らは、「(米帝と日帝に対して)反労働者的な『人工衛星』=ミサイル発射と核武装で対抗しているのが北朝鮮スターリン主義」(同前)と決めつけ、「それは労働者階級の自己解放的な決起に敵対し、国際プロレタリアートの団結を破壊するものとして徹底的に断罪されなければならない」(同前)と最大級の非難を投げつけている。
衛星打ち上げ用ロケットもICBM用ロケットも技術的には同種のものであるが、そのことで北朝鮮を断罪するのであれば、それに30年も先駆けて同種のロケットを打ち上げてきた自国(日本)の軍事政策をこそ真っ先に批判すべきではないか。
日本の「宇宙開発」も軍事ミサイルが目的
日本は、敗戦後間もない1950年代初頭から経団連のヘゲモニーのもとで「保安庁」(自衛隊の前身)の参加を含めてロケット開発に着手し、東大宇宙研と日産自動車が軸となって開発を進めてきた。
ロケットモーターには大別して2つの方式がある。ひとつは液体燃料式で発射直前に燃料を注入しなければならないためICBM(大陸間弾道弾)等には適さない方式とされ、今回北朝鮮が打ち上げに失敗した「銀河3号」や日本の「H―U」ロケットは、この方式。この2機の能力の圧倒的な差は本紙103号で紹介されているとおりである。
そしてもうひとつは、ICBMや潜水艦発射型の弾道ミサイルに不可欠の固体燃料式ロケットである。
この方面での開発にこそ執念を燃やす日本は、1970年に固体燃料のL(ラムダ)型ロケットを完成させ、同時にソ・米・仏に次いで衛星打ち上げ(おおすみ)を成功させた。以後、現在のM―X型に至るM(ミユー)型ロケットとして開発を進め、いつでも軍事転用可能な能力を磨きあげている。
しかし、ICBM(大陸間弾道弾)技術としてはもうひとつの課題がある。それは、軌道投入への誘導方式である。日本のロケットは、国内外の「軍事転用への警戒」圧力によって、誘導制御装置を装着できず、「無誘導打上げ方式(空力安定+スピン安定)」という軍事利用に不向きなものとなってきた。そのため実際にも自衛隊からは、一貫して冷ややかな評価を受けてきた歴史がある。
全段制御ロケットになったのは、10年後の80年の(M―3S型)からであるが、以来30年余の日本の宇宙開発は、来年13年に打ち上げ予定のイプシロンロケットに至るまで全て、米・中・露と同様に「ICBM」あるいは敵国の軍事衛星等を破壊する目的の「ハンターキラー衛星」に共通する軍事技術として一直線に突き進んできた。
MD配備で明らかになった問題
事後報道で判明したことは、7:40 防衛省は、米軍のSEW(早期警戒衛星)情報を受ける。 → 8:00 韓国国防省が発射を発表。 → 8:03「韓国国防省の発表」を打ち消すように、内閣官房の緊急情報システム・エムネットが「わが国は発射を確認していない」と発表、これがテレビを通じて緊急ニュース速報として全国に流れた。 → 米軍からSEW情報が入った7時40分過ぎ、宮古島に配備された空自のPAC3部隊では、「信号弾が打ち上げられ、PAC3に迎撃態勢をとるよう」知らせたというのである。(朝日4・14朝刊)
しかし、これは少し信じられない「事実」である。飛翔コース(発射場所・打ち上げ方向)、さらに時間帯も「12日から16日、日本時間午前7時から正午まで」と、あらかじめ全てが公表されており、自衛隊の「常識」から考えるとミサイル部隊等は、少なくとも万全の態勢で1時間以上前には戦闘配置に着いていたはずである。
しかも「信号弾の打ち上げによってPAC3部隊に迎撃態勢を指示した」というのは更に考えられない。1960年代でも自動化されており、あるいは仮眠中の隊員にもわかるようにサイレンを鳴動させていたのだからである。
という、疑問は残るもののそれにしても重要なことは、日本政府(首相官邸、内閣官房)が指示―命令を出すどころか、「発射を確認していない」とSEW情報を否定していたにもかかわらず、最前線の自衛隊部隊が、米軍SEA情報だけに従って、米軍の指令のもと韓国軍とともに実際に「戦闘態勢を発動した」という事実である。
今回、仮に打ち上げ直後の失敗でなく、あと数分間飛んでいたら首相も防衛大臣も誰も知らないところで北朝鮮の衛星に対し、米軍と一体化した海自イージス艦からSM―3ミサイルが発射され、北朝鮮との戦争的事態に突入していた可能性が存在したのだ。そして原発事故と同様に、民衆には何ひとつ情報も伝えられずに、である。
PAC3の移動―配置は何を物語るか
予想軌道から約300qも東に外れた沖縄本島(那覇、知念)の基地に射程半径約20qのPAC3を配備することの意義はどこにあるのか。さらに、どこのPAC3部隊を沖縄に移動させたかである。
沖縄に近い第2高射群(福岡県)ではなく、第4高射群(滋賀、三重)であった。その理由は、九州の第2高射群は佐世保基地を、関東圏に展開する第1高射群も横田基地(埼玉県入間の高射隊)、横須賀基地(横須賀の高射隊)という米軍の最重要基地の防衛任務についており、それに比べて第4高射群が配備されている近畿―中部地方には守るべき米軍の軍事拠点が存在しないからである。
実際、沖縄に集中したPACミサイル部隊は、米軍による一元的指揮のもとで、嘉手納の米陸軍と那覇、知念の空自PAC3部隊(弾道弾対応)、さらに元々配置についている那覇、知念、恩納の空自PAC2部隊(航空機対応)という多重防衛で米軍嘉手納基地防衛の配置に着いたのである。
つまり、今回の「MD戦争の実戦配備」は、嘉手納基地と横須賀基地、横田基地を同時に守らなければならないような事態を想定した作戦であったというほかなく、それは「北朝鮮の衛星ロケットに対する布陣」というより、中国との大戦争に備えたデモストレーションであったというべきだろう。
実際、「予告」の初日であった12日には中国軍機、ロシア軍機が、偵察行動に入り、那覇基地から空自のF15戦闘機が緊急発進したと報道されている。
北朝鮮を「餌食にして」戦争挑発をおこなっているのは、米日である。闘いの方向を誤らせる排外主義の大合唱にはくれぐれも警戒せねばならない。
反戦・反核・反差別をテーマに奈良で平和・人権祭り
3日、JR奈良駅前広場において、「奈良からつながる平和・人権祭り」(主催:同実行委員会)がおこなわれた。この「平和・人権祭り」は、奈良県内外で活動する19の団体が実行委をつくり、運営・企画したもの。また、いろいろな団体が飛び入り参加している。
テーマは、反戦・反核・反差別。5つのテントには、反原発、沖縄、三里塚(成田)空港反対、日本軍「慰安婦」問題、女性差別、憲法問題などのブースがつくられ、パネル展示あり、物販、署名活動など、各団体が趣向をこらしてセッティングした。
テント前の広場では、午前と午後の2回にわけて、催しが繰り広げられた。各団体からのアピール。その後、1人芝居や、沖縄民謡(三線演奏)、ブルース、アフリカの太鼓など、国際色豊かに力強い演奏がおこなわれた。
ミュージシャンは近畿各県から集まり一つにつながっていた。共通するテーマはさまざまな社会的差別からの解放、共に平和に生きることのできる社会の実現だ。表現行為は異なるが、思いは同じ。社会運動と演劇・音楽がつながり、ともに社会を動かしていく。
自分たちのグループの人はよく知っているが、他のグループで運動をしている人は意外に知らない。初めて顔をあわす人、いろんな仲間と出会い、活力をもらった。個々の団体の力は小さくても、一つに集まれば大きな力になることを実感した。
この催しは、奈良県内で闘う団体が一つにつながり、個々の運動をさらに大きくもりあげていきたいとの思いから、「沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会」の呼びかけと行動で実現した。今の時代は、誰もがつながりを求めている。つながれば、社会を変えられる。つながらなければ、社会を変えられない。
旧来の運動が一つの壁にぶちあたっているなかで、こういうことを実感した「平和・人権祭り」であった。
ここに集まった仲間は、「沖縄密約返還40周年弾劾!5・15奈良行動」をよびかけている。
(おことわり)
連載『原発収束作業の現場から』は、今号はやすみます。