人権侵害 労働組合つぶしの 橋下の暴政に反撃を
橋下による異常、異様とも言える労働組合つぶしの攻撃が続いている。
市役所から大阪市労働組合連合会(市労連)など組合本部事務所の退去強要。支部に対するファックス設置などの便宜供与許可の取り消し。思想調査アンケートや職員メールの極秘調査。反撃も始まっている。2月29日、その日未明に大阪市議会が「君が代」起立強制条例を可決した事を弾劾して、大阪市役所前闘争が約200人の参加でたたかわれた。
2月6日、朝日放送がスクープとして「大阪市交通局の労働組合が、去年の大阪市長選挙で、現職市長の支援に協力しなければ不利益があると、職員を脅すように指示していた疑いが、独自の取材で明らかになった」と報道。「内部告発者」の「(組合は)やくざと言っていいくらいの団体だ」という発言や、維新の会の大阪市議が交通局に出向いた映像を流した。大阪交通労働組合(大交)は、悪質な誹謗中傷だとして直ちに朝日放送に対し抗議文。朝日放送は事実確認もせず、維新の会の組合攻撃に手を貸した。
橋下はツイッターで鬼の首を取ったように組合攻撃を書き殴った。「今回のえげつなさは、地公法の対象である幹部職員も含まれていること、そして何よりも組合が幹部職員も含めて、従わない場合は不利益を与えると脅していること。一体どちらが上司なんだ?」
大交は3月2日、報道された資料は「何者かが偽造したもの」として大阪地検に告発した。
憲法違反のアンケート
2月9日、総務局長名で「労使関係に関する職員アンケート調査」の指示が出され、10日から16日の間に回答することが強要された。
設問内容は、「労働条件に関する組合活動に参加したことがあるか」「活動内容」「誘った人」「誘われた場所」「誘われた時間帯」などから始められている。そして街頭演説を聞くことも含めて選挙活動に参加したことの有無、「活動内容」「誘った人」「誘われた場所」「誘われた時間帯」。さらには組合に加入しているか、組合を脱退することによる不利益はどのようなものがあると思うか、組合に相談したことがあるか、など22項目を回答させている。
露骨な組合への支配介入であり団結権の侵害である。まさに違憲・違法な思想調査だ。
このアンケートには「大阪市長橋下徹」署名入りの別紙が添付されている。そこには「このアンケート調査は、任意の調査ではありません。市長の業務命令として、全職員に、真実を正確に回答していただくことを求めます。正確な回答がなされない場合には処分の対象となりえます」という職員への脅し文句がならんでいる。
地方公務員法32条による職務上の命令は、当然職務に関連したものでなければならない。組合活動を詮索することは市長の職務権限の逸脱であり、違法である。
市労連はただちに労働組合法違反だと抗議。アンケートの破棄や市長の謝罪を求めるとして、大阪府労働委員会に救済を申し立てた。府労委は2月22日、「アンケートは不当労働行為のおそれがある」という異例の勧告をおこなった。
アンケートを集計していた大阪市特別顧問の野村修也弁護士はこの勧告に動転し、「府労委の結論が3月までに出なければ破棄する」と言いだした。橋下はアンケートをただちに破棄し、謝罪せよ。
職員のメールの内容を極秘調査
同じ22日、橋下が職員の業務用メールの通信内容を極秘に調査していたことが明らかになった。担当したのは野村と、市特別参与の山形康郎弁護士。これも組合を敵視した思想調査である事は明らかだ。
橋下は露骨に「市役所の組合、政治活動の問題を徹底調査する」、「趣味や嗜好で思想調査をやっているわけではない」とうそぶいている。
個人情報保護法や厚労省の指針でも、メールなどの個人情報を収集する場合には本人に事前通知することが必要とされている。橋下は、ここでも「厚労省が間違っている」と強弁した。このような破廉恥な居直りを許さず、橋下への怒りをさらに集中しよう。
大阪市役所前で橋下糾弾のビラまき(2月28日) |
基地押しつけは許さない
野田訪沖に沖縄県民が抗議
県庁前で野田に"怒"をたたきつけた(2月27日 那覇市内) |
野田首相は2月26日から27日にかけて就任後初めて沖縄を訪問した。基地の県内移設に反対する県民会議は、27日午前7時半から沖縄県庁前で野田来県抗議行動をおこなった。
仲井真知事は野田との会談の冒頭で「140万県民を代表して野田首相の来県を歓迎する」と述べ、政府が閣議決定した沖縄振興策に「いい内容をつくっていただいた」と恥ずかしげも無く卑屈な態度を示した。
沖縄では県議会をはじめ47市町村議会が「普天間基地の辺野古移設反対決議」をあげているのだ。ところが仲井真知事は、県民の8割以上が反対しているにもかかわらず、政府が「日米合意」をたてに辺野古新基地建設を進めようとしていることに抗議の姿勢すら示さなかった。
野田は、民主党政権の普天間「移設」をめぐる混乱を謝罪する一方で、「唯一有効な方法」として県内「移設」への理解を要請した。仲井真知事は、「辺野古は猛烈に時間がかかって現実的でない。事実上不可能と申し上げている(県内移設反対とはいわない)」と回答し、話は平行線と報道された。
しかし野田の「謝罪」とは、「沖縄県民に最低でも県外、国外と期待を与えてしまった」ことを詫びているだけだ。つまり、これからは「期待するな、諦めろ」ということなのだ。これほど県民を愚弄する態度はない。
わずか20分の会談を終えた野田は、普天間基地、嘉手納基地、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブなど、嘉手納以南の返還予定地を空から約55分かけて視察。辺野古では、ほんの4分間ほどキャンプ・シュワブ上空を飛んだだけ。野田は辺野古の地元住民や稲嶺名護市長と会おうともしなかった。
野田は「辺野古移設」を実行するために、これまで以上に「アメとムチ」で仲井真知事を籠絡し、日米政府の意志を貫徹しようとしている。
まずは破格の沖縄振興予算案2937億円。そして3月末に期限切れとなる沖縄振興特別措置法と駐留軍用地返還特別措置法の両改正案の閣議決定。さらに那覇空港第2滑走路建設、嘉手納基地以南5基地の返還(目に見える基地の負担軽減)、日米地位協定の改正などで「沖縄の世論の軟化」を誘導しようと必死だ。
また、今年6月の県議会選挙、2年後の名護市長選、名護市議会選挙に向けての辺野古移設容認派の育成と稲嶺与党議員の切り崩しが水面下で始まっている。「最低でも二人ひっくり返せば辺野古はできる」(米シンクタンク)ということだ。
仲井真と野田は26日、報道陣をシャットアウトして2時間にわたる夕食会をおこなった。ここで何が謀議されたかが重要である。(K)
2面
未来を決する攻防点
大飯3・4号機再稼働阻止へ 2月25日 京都
関西電力高浜3号機が2月20日に定期検査に入り、福井県若狭にある原子力発電所はすべて停止した。そして、北海道電力泊3号機が4月下旬に定期検査により停止すると、日本の原子力発電所54基全てが停止する。
この重要局面で、政府や原発マフィアは、いっぽうで泊原発の停止時期をさらにひきのばすことを画策し〔※〕、他方で、全原発が停止する前に、どこかで再稼働=突破口をひらくことを執拗に狙っている。
この再稼働候補のトップが関西電力・大飯3、4号機だ。この再稼働を許すのかどうか。ここに〈わたしたちの命と健康〉、その未来を決める最大の攻防点がある。
福井県議会はじまる
地元の了解が取れるかどうかの焦点として、福井県知事と福井県議会の動向がある。
福井県議会開会日の2月24日、〈反戦反貧困反差別共同行動きょうと〉のメンバー4人は福井市に行き、県議会を傍聴した。俳優の山本太郎さんや、多くの市民団体がかけつけ、118の傍聴席は満杯になった。西川知事は、冒頭の演説で、原発の運転再開について、「国が、国民の理解を得る努力をすることが先決だ」と述べ、原発事故を受けた国の新たな安全基準が示されなければ、原発の運転再開は認められない、との考えを改めて強調した。
翌日は、京都市内で「大飯原発3、4号機再稼働阻止!2・25京都集会」がひらかれ、、60人が集まった。主催は〈反戦反貧困反差別共同行動きょうと〉。
講演「再稼働阻止の根拠」を元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二さんがおこなった。
「運転再開を巡る状況」と題する訴えを、大飯原発の地元である福井県小浜市から妙通寺住職の中嶌哲演さんがおこなった。
4・7集会へ
来月7日には、「大飯原発再稼働を許さない4・7関西集会&デモ」が、滋賀県大津市なぎさ公園で、「さいなら原発びわこネットワーク」等の呼び掛ける実行委主催でおこなわれる。みなさんの参加をよびかけます。(反戦反貧困反差別共同行動きょうと・T)
〔※〕泊3号機は昨年8月に再稼働したため、法律上は今年9月まで運転可能。もともとは昨年3月再稼働の予定で、原子炉を起動していた。ところが、起動後、3・11が発生し、反原発の世論におされて再稼働への移行が遅れた。ようやく8月に再稼働強行に踏み切った。しかし、もともとは3月再稼働を前提に核燃料棒など物理的条件が設定されており、法律上はともかく、物理的には今年4月頃が「安全」運転の限界とされている。
起動した時点で原子炉燃料棒は核分裂をはじめており、起動も稼働も物理的には同じこと。
再稼動阻止を訴える小林さん(2月25日 京都市内) |
廃炉めざし大運動を
浜岡再稼働反対でパレード 2月11日 静岡
2月11日午後、静岡市内で「トーキング&はるいろパレードin静岡 福島の母親が語る。原発災害の苦しみとたたかい! 〜浜岡原発の再稼働を許さないために〜」がひらかれ、300人が集まった。主催は、静岡靖国問題連絡協議会、脱原発静岡連絡会。
「トーキング」では、今年一月に福島から秋田に9歳の子供と避難した中田麻意さん親子と、いわき市で脱原発運動をしている斉藤春光さんが、フクシマの現状をありのまま語った。小学3年生の昭栄君は、この日のために作文を書いて来てそれを読みあげた。
経産省前テントひろばから、正清太一さんが報告をした。
集会後、子供みこしを先頭に約200人が「しぞーか(しずおか)おでんフェア」でにぎわう、青葉シンボルロード沿いのコースをパレードした。
原発再稼動反対の強い思いで子どもみこしを先頭に静岡市の中心街をパレード(2月11日) |
浜岡廃炉をめざす
今回の集会・パレードは、例年「建国記念の日」に反対してきた靖国問題連絡協議会の協力により、3・11のひと月前のこの日、全国の脱原発行動と連帯して実現したもの。従来は静岡の各団体がそれぞれ別個に行ってき運動を共にやろうと確認し、実行委員会での喧喧囂囂たる議論を行って実現した。特に従来から反原発運動をしてきた人々と、昨年3・11後から運動をはじめた若者を中心とした人々との話し合いは、ゼロから積み上げる「積み木」のようなものだった。参加した皆の「浜岡原発再稼動に反対する強い思い」だけが唯一の接着剤だった。
集会のまとめで、脱原発静岡連絡会は、今後も丁寧な話し合いを積み上げる中から浜岡の廃炉を目指した脱原発運動の大きなムーブメントを作るために努力すると決意表明した。浜岡原発の再稼動を断じて許さないために、この運動を支え、共に闘おう。(A)
“一時避難”で子どもを助ける(下)
吉野裕之さん(子どもたちを放射能
から守る福島ネットワーク 避難・疎開・保養班)
1月22日 神戸市内での講演要旨(前号より)
サナトリウム型保養
例えば自主避難的にローテーションの保養をしていく場合には、郊外の使ってない5LDKの一軒家があって、そこに子どもが友達同士のグループを作って一緒にひと月のプログラムを過ごす。その間は地元の一番近い小学校に在校生として迎えていただく。
例えば2カ月が一番いいので、2カ月間県外に出た場合に、2カ月はそこの学校、4カ月は福島に戻る。2カ月また行く。4カ月戻るだと全体的な汚染が生物学的半減期、セシウムだと2カ月で半分になる。戻ったらちょっと上がる。でもまた2カ月行くとさらに下がる。で、4カ月戻るっていう・・・山をだんだん低くしていくような手当てが実はできるんです。
25年経ったチェルノブイリで今もやっているのが、このサナトリウム型の保養という仕組みです。これは区域外就学という現行の制度を利用してできることが分かっています。
例えば6年1組が4月に行って、6年2組は5月に行く。6年3組は6月だよというような形で1クラスか2クラスずつローテーション分校的に空き教室を使わせていただいて、担任の先生と教科書と運動着を持って行く、そこでひと月過ごす、で、また戻る、をくり返していくことで線量を下げていくという手段も、これは行政の方々のOKがあればできるんです。
1かゼロかではなく
避難か残るか、1か0かの選択肢ではなくて、本当に0・66とか0・85とか0・12の人もいるかもしれないですけど、まず情報を聞きに来ただけで0・1だよね、みたいなことで、バリエーション豊かに、そして関わり方もいろんな・・・。安心して1回トライしたらいいよと。そうやってトライを繰り返していくことによって自分と相性のいい地域を探して、じゃあいざとなったら避難しましょうというようなひとつのきっかけ作りに、保養というのはすごくいいんです。
「もう受け入れ先、何件か見つかっているので、お母さん達、いざとなったらすぐ動けるようにいくつかグループ作って待っててね」という話をすると、「そんなことできるんですか」みたいな感触が実はあります。渡利地区の学習会なんかにも行ってお話しすると、「えっ」ていうような食いつきなんですね。
国内でチェルノブイリの子どもたちを受け入れている団体の方が何人かいらっしゃいますが、このあいだ直接お話をお聞きした時に、最低ひと月出て、汚染のない空気を吸って、汚染のない食べ物を食べて、汚染のないところで遊べるような環境にいると、やっぱり免疫力が高くなって、いざ戻った時にも抵抗できる体がちょっとずつ作られるんだそうです。
ですから出していくこと、預かることによって子ども達が自分でたたかう力を作っていく。それを並行しながらでないと残り続けるという判断は無理だよ、ということを共通認識にしていただけるような取り組みを、少しずつでもいいから成功させていきたいというのが、私達の民間レベルでできる自主的なところです。
本当は動きたいと思っている、行政の方々も心配しているのは当たり前なんですが、動きが取れないところをまずは自由に動ける民間ベースで進めていく。そして安心材料に各地の自治体の方にのっていただく。
私達被災地のNPOと県外で活動されている方々が一緒にタッグを組むことによって、やわらかい雰囲気で当たり前だよね、できることしていこうねっていう感じで、ソフトな感じで進めていければ、のってくれる方が増え、確実に子ども達が助かっていくんじゃないかなと思います。(了)
〔文責・見出しは本紙編集委員会〕
「命をまもる全国サミット」の一場面(2月11日 福島市内) |
3面
原発収束作業の現場から
ある運動家の報告 第1回
反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。 昨年末から今年2月にかけて、いわき市内で大西さんにお話をうかがった。話は多岐にわたるが、4つの章に整理した。
T.被ばくすることが仕事
U.中抜きとピンはね
V.地元労働者と新たな貧困層
W.原発労働と反原発運動のかい離
特にW章では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起がなされている。
大西さんのとり組みは現在も進行中なので、掲載に当たっては、特定を避けるための配慮をした。〔7回連載〕
T.被ばくすることが仕事
3・11の衝撃
――どうして原発労働に入ろうと考えたのか
社会運動をずっとやってきたんですけど、3・11と原発事故という事態に衝撃を受けたということです。
もともと、反原発・脱原発の運動には、チェルノブイリ事故(1986年)あたりまでしか関わっていませんでした。3・11が起こって、「反対運動を継続してこなかった」という自己批判ですね。そして、「自分が関わるとしたら、中途半端には関われないな」という気持ちからです。
また、反原発運動をやる場合、やっぱり原発労働の実態を知らないのはおかしいのではないか。現場に実際に入らないとわからないことがたくさんあるだろう。隠されていることがいっぱいあるだろう。これはもう、働くしかないな。働いている中で調べるしかないな―ということから、原発労働に従事することを決意しました。
さらに言えば、1F〔福島第一原発〕の事故収束から廃炉作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になる。そのとき、新たな原発労働者の層は、プレカリアート〔※〕といわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になります。この人たちが危険な現場に入ったらどうなるのか。
僕は、労働運動をやっているので、その観点で、少しでも現場を見ておかなければならないと思って入りました。
※プレカリアート:新自由主義の下で、就労も生活も心境も不安定な状況にさらされている労働者の層を指す造語。
放射線管理員として
――大西さんの仕事は
放管(ほうかん)です。放射線管理員。
現場から戻ってきた作業員や車両のサーベイ〔survey 放射線測定〕と除染、それから作業現場のサーベイ。
簡単にいうと、そこら中が汚染状態なので、免震重要棟〔対策本部がある〕とかJビレッジ(20キロ圏の境にある出撃拠点)に汚染物質をいれないために配置されています。
昔は原発の建屋の中がとにかく危険で、それが拡散しないように、放管が配置されてサーベイをしていた。今は逆です。
全てが放射線管理区域の状態で、この建物の中に、汚染物質を入れないために配置されているんですね。もちろん免震棟も線量は高いんですけど、外は全て危険だから、建物の中だけでもなんとか守り切る。最後の砦を守る仕事です。
車両のサーベイをする放射線管理員 (Jビレッジ除染場 中電の応援) |
――放射線管理員とはどういう資格か
一応、放射線作業従事者に当るので、その教育を必ず受けなくてはいけないです。僕の会社は、20年間、放管をやってきた人がいたので、詳しくいろいろ教わりました。 今がどれだけ異常事態かっていうことについても、毎回毎回、説明してくれました。
ただ、今は、そういう教育受けてない人も放管をやっています。だから、数値の意味を知らないという人もいますね。
――生活していた場所は
湯本(いわき市)の旅館ですね。
元々は温泉街だけど、今は、一般客はほとんど泊めていない。あらゆる企業が飯場代りに使っているんです。だから雰囲気が違っています。
――朝起きるのは何時
4時半ぐらい。5時くらいには出発してます。
車は、会社の車だったり、元請けの車だったり。東電のバスで通勤するところもある。 朝6時に二つ沼公園〔Jビレッジ直近、東芝などの作業拠点になっている〕に着きます。
そこで乗り換えて、30分くらいで1F・2F〔福島第二原発〕の中に入って、作業の開始です。
――現場に到着すると
交代制ですから、班ごとに、どういうローテーションで、何をやっていくのか、みんなで打ち合わせをします。
まず、どういう交代で、どういう休憩のとり方をするのかというのが一番大きい。
あとは、当日の作業内容の打ち合わせを綿密に。
現場の作業に出ると必ず線量を浴びるので、浴びる前に「これをこうして、こうして」ということを、あらかじめ事前に想定して、みんなで話し合いをします。実際の作業以上にシミュレーションに時間をかけます。
そうしないと、現場でモタモタしたら、それだけ被ばくしてしまうから。
現場に着いたら、サッと持ち場に着いて、ビュッと仕事をまとめて、サッと現場を出るという形です。
――その指示をする人は
それぞれ一つの作業について、チームリーダー、グループリーダーがいるので、その人の判断で最終的に決まります。例えば、「今日は、ここは線量が高いから、この作業については中止だ」といった判断です。
――放管は、「線量が高そうだ」というところに、最初に行く
そうです。「ここはこれだけの線量がある」ということを事前に把握して、「今日は向こうの方はだめだから」とか、「今日はここだけだったらいいですよ」ということを作業者に伝えます。
あとは、パトロールって言ってるんですけど、どれだけ放射線があるかっていうのを、隅々まで測っています。
服を着る労働
――作業時の服装は
1Fのときは、Jビレッジの中でタイベック〔※〕に着替えます。
2Fの場合は、着替えないでそのまま入ります。2Fは、比較の問題ですが、「安全」ですから。
※高密度ポリエチレン不織布〈タイベック〉でつくられた防護服
――2Fに行くときは着替えないのか
もともと管理区域というのは、私物はパンツ一丁以外、一切身に付けてはいけないんです。しかし今は、2Fは、もう自分の服でそのまま作業してますよ。
1Fも、自分の服はとりあえず脱ぐけど、作業服はそのまんま着て、その上にタイベックを着てマスクしてという感じです。
あれだけの人数と放射線量、それにあれだけの交代制の中で、追いつかなくなっています。服についても、3・11以前と以後では、ほんとに感覚がおかしくなっています。
――3・11以前は
原発労働に入って一番最初に何を言われたかというと、「原発労働は服を着るということ自身が仕事だよ」と。服を着替えること自体が、もうすでに仕事の一環に組み入れられているという特殊な仕事という意味です。
3・11以前の話も聞かされました。
服を何回も何回も着替えて、着替えるごとに、だんだん危険な区域のレベルが上がって行く。黄服、青服、赤服と着替えて、A区域、B区域、C区域、D区域という形で、炉心近くに行く。
そのレベルが上がるたびに、その前の服を脱いで、危険なところに行くための新しい装備に着替えますが、放管は、その人がそのレベルに見合った装備をしているかをチェックするのです。
とくに炉心に向かう赤装備のときは、補助員が必要です。補助員が、服や靴下やゴム手袋を順番に装着し、密封するために桃色のテープをぐるぐる巻いて、マスクをはめてやります。
逆に脱ぐときも、補助員が、マスクを取って、ヘルメットを取って、アノラックを取って、キムタオル〔紙製のタオル〕で拭いてあげて、手袋も取ってあげて、それから、ようやく自分で脱げるようになったら、自分で脱いでいきます。
こうしてようやく赤服だった作業員と補助員が、同格の汚染レベルになります。そうすると今度は、作業員と補助員が次の区域に行って、そこにも補助の人がいてという具合。これを3回繰り返してようやく表に出ることができます。
装備を最高レベルにするために1時間近くかかります。だから「服を着ること自体が労働」というのです。手袋をはめるのも労働です。手袋だって、綿手袋をして、その上にゴム手袋を2枚します。
また、例えば、汗が出ても拭いちゃだめなんです。放管教育では、眼が一番、被ばくしやすいと教わります。だから、汗は拭けません。安全な場所に行って、補助員が、顔をキムタオルで拭いてあげるのです。
――まるで宇宙空間に送り出すような感じ
そう、本来そういう世界のはずですよね。
それがいまや、全域が炉心付近の状況になっています。例えば、1Fの1号機、2号機、3号機の周辺が、もう完全に炉心と同じレベル。
2Fに至っては、もう私服ですから。私服といっても、それぞれの会社の服ですけど。汚染物質が付着した作業服を、家に持って帰って洗わなくちゃいけない状況は、異常ですね。
――3・11以降は、そういう基準が崩れている
そう、崩れています。タイベックを着てそのままコンビニに行ったら、何の意味もないです。
――どうしてそういうことが起きているのか
管理することを、東電が投げていると思います。
これだけ膨大な人が、炉心作業と同じような状態で、働いているわけです。
今までなら、一人を炉心に送り出すのに、宇宙飛行士を送り出すようにやっていたけど、今その基準でやったら、どれだけの人がいるのかという問題になって、「もう無理、管理しきれない」と、完全に感覚が麻痺してしまっているように思います。
(つづく)
4面
投稿 No! 性暴力 里美さんの闘い
JR西日本は解雇通知を撤回せよ
神戸市内で「NO!性暴力 森崎里美さんを支えよう 2・19集会」が開かれた。参加者は100人をこえた。集会後はJR西日本・神戸支社まで、車椅子の里美さんを先頭にアピールウォーク。
終点の神戸支社で申入れをおこなったが担当者は逃亡、門は閉ざされたまま。卑劣なJRに怒りの声をあげた。
「暴力の行為者・上司Aに100万円の罰金。JR西日本の責任は認めず」という2審判決に対して上告審を決断し、また雇用契約期限を3月末に控えての取り組みだった。ところがJR西日本は2月29日、里美さんに雇い止め解雇を通知してきた。
性暴力とその後の会社の対応によりPTSDを発症させられた里美さんの解雇は絶対に認められない。JR西日本は解雇通知を撤回し、里美さんを職場に復帰させよ。事件の責任を明らかにし、謝罪せよ。
4年間の闘いの軌跡
集会はABC放送テレメンタリー録画の上映で始まった。
性暴力を受けてから4年間の里美さんと家族の闘いの記録である。重度の「障害者」であり、職を転々としながらひとりで子ども二人を育ててきた里美さんが、JR西日本の「障害者」枠で契約社員となったのは2006年2月。人生で初めての時給千円をこえる仕事だった。2007年11月、社員旅行の帰り、Aは里美さんに酒を飲ませてホテルにつれこみ、カミソリで体毛を剃りレイプした。Aは「会社に言ったら契約更新はない」と里美さんを脅し、その後も性的関係を強要。
翌年3月契約更新を確かめた後、里美さんは意を決して会社に訴えたが、暴言を浴びせられた上、セクハラを否定された。警察にも行く。2008年10月、里美さんはたった一人で神戸地方裁判所龍野支部に提訴した。しかし、2010年6月「客観的な証拠がない」と棄却。絶望の淵で死に場所を求めて海に向かった里美さん。何も知らず帰りを待つ子どもからの電話に自分を取り戻し、家族と共に新たな闘いへと入っていく。
「こんな事が誰の身の上にも起こってほしくないからお母さんは闘っている」と語りかける里美さん、うなずく長女。「ついて行ったお前が悪い」と非難した母親も力強い協力者となっていく。
会社も、警察も、裁判所も「なんで逃げなかった」「証拠がない」と被害を認めなかった。もし頚椎を損傷すれば下半身麻痺となる身体、カミソリを突きつけられて抵抗できるか? 陰毛をそられた姿を病院や警察に見せられるか? 血だらけになっていたら責められずにすんだのか?! と里美さん。判決を前に「苦しんでいるのは自分だけでない」と実名公表を決断。「賭けやった」と語るほほに涙。
テレメンタリー放映後、「里美さんの裁判を支える会」ブログ(里美ドットコム)へのアクセスは2万件を越え、全国から続々と激励の手紙が届いた。
ポルノ幻想に侵された判決
島尾弁護士からは、判決が最初の行為をレイプと認めながら、その後の行為を「好意をもっていた」と判断したことについて、裁判官自身がポルノの描く(男性にとっての)性的ファンタジーに侵されていると批判。JRの責任を認めず、行為に比して慰謝料があまりにも低いなど、問題点を明らかにした。
堂々とすることが性犯罪を防ぐ
里見さんは「性犯罪被害はどうして隠さなあかんのか。これで幸せなのかと自分に問うた」「黙っていることにつけこんでくる犯罪。堂々とすることが性犯罪を防ぐ」と決意を語った。PTSDとの闘病にも触れた。
会場から里美さんに共感する発言が相ついだ。
女性、「障害者」が性を奪い返す
性暴力被害の実態は闇の中だが、DVや性犯罪として表面に出る数字を見ると少なからぬ人々の日常の中に性暴力がある。被害者が声をあげられないから「暴力」にも「犯罪」にもならない。人間存在にとって最も根源的な性が人間的豊かさや喜びではなく、暴力と虐待、恐怖と屈辱に覆われている現実。非正規雇用、「障害者」差別など社会的差別もテコにしながら。社会のあり様全体の鋭い反映である。
里美さんの勇気ある執念の闘いは闇を切り裂き、封印を解いた。女性、「障害者」たちに「嫌なものは嫌と声を出そう」、性を自分自身に取り戻そう、加害者とそれを生み出す背景にむかって闘おうと呼びかけている。全国から寄せられた圧倒的な共感と声援。里美さんの闘いを勝利させよう!(大阪 N)
被災地救援への弾圧やめよ
大阪府警 ボランティアを不当逮捕
2月27日、被災地支援のボランティア活動を続けているFさんが、突然、大阪府警に逮捕された。Fさんが昨年5月福島でボランティアのためにレンタカーを借りたことが「免状不実記載・同行使容疑」であるというのだ。
さらに許せないことに、大阪府警と福島県警は、Fさんといっしょにボランティアにはいった人の自宅、さらには直接関係のない労働組合の事務所など、十数カ所の家宅捜索をおこなったのである。Fさんは今も城東警察署に勾留されている。
Fさんは、3・11福島原発事故の衝撃を受けて、5月上旬から1カ月間、南相馬でボランティア活動に従事していた。地元の病院スタッフとともに避難所を回り、診察・リハビリ・運動などのボランティアを手伝っていた。
避難所となった学校体育館では、「原発から20キロで線ひいて家から追い出された。避難所の生活は家畜同然だ。放射能あびせられて、モルモットにされている」と訴える人々が、津波と原発放射能によって苦難の生活を送っていた。
Fさんはボランティア活動の合間にレンタカーを借りて川内村、田村市、浪江町、飯舘村など原発20キロ圏近く残された人々と交流し、激励に回っていたのだ。
このような献身的なボランティアを不当逮捕することなど絶対に許すことはできない。
Fさんは、重度の「身体障害者」の訪問介護ヘルパーを仕事にしている。逮捕された翌日も重度訪問介護の予定がはいっていた。
Fさんは接見に入った弁護士に、自分の心配をよそに、「放置したら患者の命に関わります。介護者の手配を急いでください」と訴えていた。このときは弁護士が、福祉法人に急いで連絡し。かろうじて事なきを得た。
また放射能にさらされている福島の子どもたちの一時避難のためのプロジェクトがFさんを中心に進められていたところである。
大阪府警はただちにFさんを釈放せよ。被災地救援運動への不当弾圧をやめろ。
橋下流を拡大させるな
尼崎市で「日の丸」条例を粉砕
橋下大阪市長の暴走は組合破壊・改憲宣言など激しさを増しているが、隣接する兵庫県尼崎市では10日間の行動で「日の丸」強制条例を阻止した。
発端は2月11日「朝日」のすっぱ抜き。市議会最大会派の新政会が2月議会に「日の丸」常時掲揚条例を提案するという。陳情締め切りは13日午後5時、20日議会開会、委員会審議27日、本会議採決は3月1日というクーデター型の暴挙だ。
ただちに市民有志が〈緊急行動〉を結成し、反撃が開始された。20日には、〈労館存続を求める会〉20人と〈緊急行動〉15人が議会棟前に集まり、ビラまき・要請行動。議会では市長の施政方針提案ののち、「日の丸」条例をめぐる審議に。新政会丸岡議員は「子どもを元気にするため、常時掲揚、全行事の正面に」と提案。
これに対し、戦争問題、市民合意なしの制定、姉妹都市(鞍山)との友好破壊、「予算措置と行事の範囲」などについて的確な反対質問がなされた。困惑した丸岡は「第二次大戦は自衛戦争」などと言いだし、「急な提案では」という質問には「前から考えていた」と口からでまかせ。これに怒った70人近い傍聴席から激しいヤジがとんだ。
行事の範囲も未掌握で「主な行事」と言いかえたり、必要な予算も計算してないことが暴露され、すかさず「税金の無駄遣いはやめろ!」。市民の怒りのすさまじさに、議長はか細く「静粛に」と言うばかり。
翌日からそれぞれが可能な行動を各所で展開。駅ビラ・団地ビラ・新聞折り込み・街頭宣伝カー。26日に抗議集会。市役所横の公園にテントを張り、27日の委員会審議から3月1日の採決まで座りこみが決まった。
27日の委員会審議にも40人近くの傍聴者(直接傍聴は10名だけ)がつめかけ、午後2時から5時まで激しい論戦とヤジ。とくに「予算措置と行事の範囲」では、あまりにも不備で「条例になじまない」という意見が提案・賛成会派を圧倒した。結局、「このまま3月1日に採択すると大混乱になる」との判断から継続審議となり、4月1日実施は阻止された。
淀川を隔てて大阪に隣接する尼崎の市民は、「橋下流を拡大させるな」を合い言葉に、10日間の緊急行動を闘いぬいた。傍聴闘争―座りこみの直接行動は、「選挙は全権委任」とうそぶく橋下型の暴走を阻止した。(尼崎 M)
市役所横、座り込みテント前で団結集会(2月26日 尼崎市内) |
5面
生活保護の改悪を許すな
「求職者支援制度」 の問題点
2月24日、「生活保護“改革”と求職者支援制度を考える」と題する緊急院内集会が衆院第一議員会館でひらかれ、170人余が参加した。主催は生活保護問題対策全国会議。
緊急院内集会に170人が集まった(2月24日 衆院第一議員会館) |
開催の目的
生活保護受給者が増加する中、生活保護制度に関する国と地方の協議会は昨年12月、『中間とりまとめ』を発表した。その中で提案されていることは、「働ける」とみなした生活保護受給者に対し、求職者支援制度(後述)の利用を義務付け、それに反した場合には保護の打ち切りもあり得るというもの。
この制度は「働かないなら保護を打ち切る」という考え方に立って作られており、制度上も運用上も大きな問題を抱えている。こんな制度の利用を義務づけられたのでは、「有期保護」(注)以上に過酷な結果になってしまいかねない。
今回の緊急院内集会は、求職者支援制度導入に対してどうしていくべきかを考えるため、昨年夏に全国の支援団体等の協力を得て集めた稼働年齢層(65歳以下)の生活保護受給者897人のアンケートの分析結果にふまえて開催された。
求職者支援制度
求職者支援制度は、雇用保険を受けられない失業者が再就職に向けて職業訓練を受講するに際し、一定の要件の下に給付金を支給する制度である。これはリーマンショック後に創設された緊急人材育成支援事業を母体にするもので、雇用保険と生活保護の間をつなぐ「第二のセーフティネット」として厚労省が位置付けている。
過酷な運用の実態
しかし、実態は第二のセーフティネットとはほど遠い。
「職業訓練による就職実現が期待できると判断された者」は職業訓練受講が義務づけられ、合理的理由なく訓練の申し込みをしなかったり、訓練に出席しない場合は稼働能力不活用として保護の停廃止を検討するというのである。
しかも、一度でも「やむを得ない理由」なく訓練を欠席したりハローワークの就職支援を拒否すると、当月の給付金が不支給となり、これを3回くりかえすと初日にさかのぼって給付金の返還対象となる。わずかな遅刻も欠席扱いされ、親族の葬儀参加も「やむをえない理由」とはされない。
さらに、一度受講すれば6年間再受講できず、「やむを得ない理由」での欠席を含めて8割以上の出席が義務づけられ、一日でも欠ければ即刻給付が打ち切られる。
生活保護の改悪
求職者支援制度は、元々は雇用保険制度に由来するもので生活保護とは無関係。しかし、『中間とりまとめ』は同制度と生活保護を結合し、求職者支援制度を受講しないものや出席しないものを稼働能力不活用として保護を停廃止することを打ち出している。これが適用されていけば、同制度に従わないものは生活保護から排除されていく。
アンケートから見えてくるもの
特徴的なものをいくつかあげると、「就労指導有り」は35%。就労指導を受けている中で「とにかく早く働け」が53%。就労の希望では「行政が仕事を用意してほしい」が48・1%で最も高かった。有期保護反対は80%にものぼった。
生活保護受給者は学歴、病気、障害、育児、介護等の様々なハンディを抱え、会社・社会から偏見・差別にあい、過酷な非正規雇用・底辺労働が強制されており、就労が強調される一方で、適切な就労支援がなされていない現実が浮き彫りとなった。
受給者の声
「就労支援面談では単に無料の求人雑誌を見せられただけ。自分で、雑誌やハローワークから情報を集め求人活動していたので、全く意味がなかった」(男性35〜49歳)
「公的な仕事(公立公園の管理等)を一時的にでも用意していただき、ただ生活保護を受けるのではなく、働いてお金をもらえる場をつくっていただきたい」(男性35〜49歳)
「期間内に成果を出せない人は大勢いる。仕事に付けないまま保護を切られたら死ぬしかない」(男性19〜34歳)
「まさに、受給者に対して打ち切り→死刑宣告しているようなもの」(男性35〜49歳)
生活保護受給権はく奪を許すな
稼働年齢層の受給者が急増したのはリーマンショック後からである。〈年越し派遣村〉の熱気の中で一度は製造業派遣や登録型派遣の原則禁止が掲げられながらもこれを削除する動きが強まり、さらに有期労働契約を改悪する動きが強まっている。労働組合こそこれと真っ向からたたたかっていくことが必要である。さらに社会保障の運動をたたかっている人たちとの連携・連帯を深め、受給者の生の声を聞き、その権利を守るためにたたかっていくことが強く求められている。
注:有期保護とは、生涯で生活保護を受給できる期間を限定するものをいい、アメリカではすでに実施され5年に限定するものが主流になっている。
JAL不当解雇撤回へ 今月29日、30日に一審判決
「勝利判決をかちとり、あの空に帰ろう」2・13〈日本航空の不当解雇撤回をめざす大阪支援共闘会議〉第2回総会が大阪市内でひらかれ、冷たい雨をついて原告と大阪の闘う労働組合など支援者130人が集まった。
一年にわたり闘われてきたJAL不当解雇撤回裁判(原告148人)は12月19、21日に結審した。きたる3月29日(乗員)、30日(客室乗務員)に判決が迫るなかでこの集会は開催された。
大阪支援共闘の代表萬井隆令さん(龍谷大名誉教授・労働法学者)は「法廷は圧勝した。支援運動で勝利を。148人を職場に」と檄を飛ばした。
原告弁護団の山口泉弁護士は「稲盛会長の『経営上は解雇する必要がなかった』発言を認めた9月30日証言」はじめ「整理解雇4要件の一つも満たしてないことが明らかになり、全てのラウンドでKOした」と法廷での攻防を報告。追いつめられた被告JALは最後に「4要件は更正計画には適用されない」「解雇、選別も自由」と「ちゃぶ台かえし」の御用学者意見書を出したが、裁判所は証拠採用せず却下した。あとは「運動で勝利を」と訴えた。
闘いは山場
山口宏弥乗員原告団長はじめ、4人の原告が壇上に並び「1年間全国を走り回り、闘いにふれた。ぜったい負けない」と語り、「大阪市では、橋下徹市長が言いなりにならない職員を首に。組合つぶしにでている。もの言えない職場はJALも同じだ」と弾劾し「官民で解雇はねかえし、安心して働ける社会を」と訴えた。
今後、第二次100万署名、全国街宣の強化、京セラ本社への闘い、政府・国交省・総務省、出資予定の8商社・3大銀行、9月上場を支えようとする日興、野村など証券会社などへの大衆抗議行動を確認した。大量不当解雇撤回、職場復帰へ闘いは山場をむかえた。12春闘と一体で支援を大きくしよう。(労働者通信員M)
官民で解雇はね返し、安心して働 ける社会を(2月13日 大阪市内) |
6面
投稿 「障害者自立支援法」廃止へ
厚労省は約束を守れ 怒りネット 厚労省交渉
障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会は、昨年8月30日、「障害者自立支援法」に代わる新制度のための「総合福祉法に関する骨格提言」を発表した。これをうけて「総合福祉法」の法案化作業を進めてきたはずの厚生労働省は、2月7日、「骨格提言」を無視した「厚生労働省案」(わずか4ページ)を発表した。(本紙前号既報)
〈怒っているぞ!障害者切りすて!全国ネットワーク〉は、2月22日に厚労省交渉をおこない、30人以上が参加して、この「厚労省案」について追及した。
40人近い参加者で厚労省を追及(2月22日 第一議員会館) |
画期的な「骨格提言」
「障害者」とその家族が過半をしめる障がい者制度改革推進会議とその下におかれた総合福祉部会は、「障害者自立支援法」の根本問題にメスを入れ、意見や提言をおこなってきた。
「障害者自立支援法」は、「障害」ということを〈個人の自己責任〉として扱っている。その発想から〈応益負担〉や〈「障害」程度区分に基づく支給量決定〉といった様々な問題点をかかえてきた。
推進会議や総合福祉部会では、「障害」とはその人の生活実現を妨げる社会的障壁であるという考え方にたち、それを除去するための支援を保障する制度として、新制度をめざしてきた。
「骨格提言」は「障害者総合福祉法がめざすべき6つのポイント」として、次の6点を挙げている。@「障害」のない市民との平等と公平、A谷間や空白の解消(制度の対象とならない「障害者」を出さない)、B格差の是正(自治体間・「障害」種別間の格差)、C放置できない社会問題の解決(「精神障害者」の社会的入院、「知的障害者」等の長期入所等)、D本人のニーズにあった支援サービス(支援サービス決定における本人の意志の尊重)、E安定した予算の確保(障害者福祉予算の水準を対GDP比でOECD諸国平均なみに)。
「骨格提言」を無視
しかし、2月7日に発表された「厚生労働省案」は、こうした基本姿勢を完全に無視したものであった。自立支援法を「廃止」とはせず、法の名称と「理念・目的」の修正等にとどめるというもので、違憲訴訟の「和解合意事項」に反している。
施策の内容においても、
・「障害程度区分」(本人抜きでコンピューター判定や「専門家」の協議によって「障害の程度」をランクづけし、希望する介助を制限する)は維持。「5年後を目途に障害程度区分のあり方について検討」
・「障害者」が65歳になると、自立支援法から介護保険に移行し、それまで受けていたサービスが受けられなくなったり利用料が増える「介護保険優先」のあり方も維持
・「社会的入院の解消」ついては、触れてもいない
このように「骨格提言」をほとんど無視するものであった。
厚労省を追及
2月22日の〈怒りネット〉の厚労省交渉は、当然にもこの「厚生労働省案」の内容を追及する場となった。
おりしも交渉当日の22日付東京新聞朝刊は「障害者阻む自立支援法 延命?」という記事の中で、厚労省の企画課課長補佐の「これまでに法律を廃止したのは、らい予防法などごくわずか。政策に一定の継続性がある場合、『廃止』とはいっても法技術的には『改正』のことなんです」という発言を掲載した。
この点を追及すると、厚労省側は、10年12月の自立支援法改正で応能負担になっている、今回の総合福祉法では「障害者基本法」「改正」をふまえて名称や目的規定を改めるので、「民主党マニフェスト等で掲げられている障害者自立支援法の廃止になると考えている」、「(『骨格提言』については)慎重に検討し、計画的・段階的に改善していく」と回答。
厚労省側がくりかえし「実質的廃止」と言うのに対して、「『基本合意』には『廃止』と明記してある」「『廃止』と『実質的廃止』の違いは何か」と追及したが、内容のある回答はなかった。
税金だから我慢しろ
現行の「障害程度区分」認定のプロセスの中で、さまざまな人権を侵害する質問項目があることについて追及すると、厚労省側は「税金等貴重な財源で賄われている…(だから)調査の中で不愉快に感じる場面とかもあるかもしれないが、制度の趣旨をご理解いただき、認定調査にご協力いただきたい」と発言。
要するに、“税金使ってるんだから、「障害者」は人権侵害もがまんしろ”ということだ。
介護保険との統合狙う
65歳になると介護保険に移行して支給量が減る問題について追及すると、「現在の社会保障の原則である保険優先の考え方」などという勝手な「原則」を口実に、変えるつもりはないと発言。
障害程度区分のシステムを維持すること、4月から実施される「つなぎ法」(※昨年成立した自立支援法の改定)の制度で新たにケアマネージャーを「障害者」に導入すること、程度区分の見直しを「5年後を目途に」検討としていることなどから推測されるのは、厚労省は相変わらず「障害者」福祉を介護保険に統合しようとしているということだ(介護保険法は16年に見直し・改定がおこなわれる)。
今回の「厚労省案」と4月から実施の「つなぎ法」の制度は、今よりも介護保険の制度に近づくものだ。
医療観察法の問題
12年度予算案の中で厚労省は、医療観察法の病棟でおこなわれている「医療」を、一般の精神科病院に普及させる事業を計上している。
これに対し、医療観察法の対象とされた「患者」のうち、14人もの自殺者が出ているのであり、医療観察法病棟の「医療」は「先進的」でも「高度」でもない、と追及。
「骨格提言」では「社会的入院の解消」を法に書き込むと明記しているにもかかわらず、「厚労省案」には全く言及がないことも、あわせて追及した。
福祉とりもどす闘い
民主党政権に「自立支援法廃止」の約束をさせたのは、違憲訴訟や毎年の日比谷集会にたちあがった「障害者」、そしてその背後にいる全国の「障害者」の力だ。
民主党と厚労省による約束やぶりに対し、全国の「障害者」はいま一度大きな運動の高揚をめざしている。2月29日には関西で1300人を集めて、「骨格提言」を反映した新制度を求める集会が開かれたほか、全国各地で同様の集会がもたれている。
すでに厚労省は法案を作成し、民主党・野田政権は、3月半ばにも国会上程をねらっている。
こんな法案の国会上程を許さず、社会保障・税一体改革で進められようとしている社会保障きり捨ての攻撃に対して、「障害者」、高齢者、福祉関係労働者も含め、多くの人をまきこんだ運動の高揚をつくりだそう。(Y・H)