未来・第95号


            未来第95号目次(2011年12月20日発行)

 1面  現実無視の「収束宣言」
     原発再稼動ねらう野田政権を許すな

     評価書提出を断念せよ
     10日 那覇市内で沖縄県民集会

     冬期特別カンパをお願いします

 2面  中国・北朝鮮敵視の日米共同演習 ヤマサクラ61許すな

     大衆行動の力で橋下独裁を倒そう
     大阪ダブル選挙の総括

 3面  酪農家の慟哭 飯舘村

 4面  ギリシャ危機と世界財政・金融大恐慌(下) 落合 薫

     犯罪と「精神障害者」を結びつけるな

 5面  もう待てない高校無償化

     石川一雄さんが再審無罪を訴え

     狭山事件の再審を

     関西宇部事件 不当判決 大阪地裁

     在特会の差別街宣を許すな

     派遣法改定案 骨抜き修正案の成立を阻止

 6面  被ばく地福島で出会った人びと(3) 三里塚の収穫祭へ 古河潤一

     原子力協定 成立を強行

     ふくしま集団疎開裁判 仮処分申立を却下

       

現実無視の「収束宣言」
原発再稼動ねらう野田政権を許すな

16日、政府は原子力災害対策本部(本部長・野田佳彦首相)を開き、東京電力福島第一原発の原子炉が「冷温停止状態」になったとして、事故収束に向けた工程表の「ステップ2を達成した」と発表した。
現実を無視した野田の「事故収束宣言」にたいして、福島県内をはじめとして非難の声が一斉にあがっている。

深刻な状態は変わらず
政府は「冷温停止状態」の定義を圧力容器底部の温度がおおむね100度以下で敷地境界での被ばく線量が年間1_シーベルト未満としている。しかし、この定義は原子炉が健全で、核燃料が圧力容器内に完全に封じこめられている場合の基準である。
現在、福島第一原発の1号機、2号機、3号機は核燃料が圧力容器から溶け落ちる、メルトダウンを起こしている。 2号機、3号機で7割の核燃料が溶け落ちている。
とくに深刻なのは1号機で、ほぼ全量の核燃料が溶け落ち、格納容器を突き破って、底のコンクリートを侵食するという重大事態に至っている。
燃料が溶け落ちて空っぽになった圧力容器の底の温度を測っても、何の意味もない。格納容器の底にたまっている核燃料の状態は、いまだにわかっていないのだ。
現在でも、福島第一原発からは、毎時0.6億ベクレルという膨大な放射性物質が流出している。政府は、原発から1キロ離れた敷地境界で被曝量が年間0.1ミリシーベルトに下がったと発表した。この数値も事故前と比較すると、10倍から20倍にもなる。
また第一原発の正門の空間線量は毎時29マイクロシーベルトで、事故前の0.06マイクロシーベルトの480倍で高止まりしているのだ。

憤る原発労働者
野田の「事故収束宣言」に、福島第一原発で働く労働者から怒りの声があがっている。
「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」
「言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみて、あり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」
「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」(汚染水の浄化システム担当)
「収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。
「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ている」
「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」(17日付 東京新聞電子版)

来春の再稼動阻止へ
今回の「事故収束宣言」は、原発輸出と停止中の原発の再稼動に向けたものであることは明らかだ。すでに衆参両院でベトナムなど4カ国との原子力協定が承認されている。再稼動に向けて7基の原発で「ストレステスト」の結果が出されており、現在審査がおこなわれている。
こうした動きにたいして、10日、東京・日比谷野外音楽堂に5500人が参加して、がんばろう!1000万署名集会がおこなわれた。また11日には、全国各地で集会・デモがおこなわれた。
来春に向けて、数万・数十万の大衆行動を実現し、民衆の力で原発再稼動を阻止しよう。

5500人が参加した「がんばろう!1000万署名集会」(10日 東京)

大阪では、女性が集まって企画・運営した「原発いらん!女子デモ!?だれデモ!」が老若男女300人の参加でおこなわれた。サウンドカーを先頭に、にぎやかにナンバ・心斎橋一帯を2時間パレードした(11日 大阪市)

評価書提出を断念せよ
10日 那覇市内で沖縄県民集会

「アセス評価書を提出するな!」(10日 那覇市内)

米軍普天間基地の名護市辺野古への移設反対と、環境影響評価(アセスメント)評価書の提出断念を求める県民集会が、10日、那覇市の県民広場でひらかれ350人が参加した。
主催は、基地の県内移設に反対する県民会議。
県民会議の崎山嗣幸共同代表は、「政府は閣僚を次々と沖縄に送り込んできているが、断固として許さず、アセス評価書提出の断念を求めていこう」と訴えた。
山内徳信参院議員、照屋寛徳衆院議員、赤嶺政賢衆院議員が発言。山内議員は「(日米政府は沖縄を)軍事植民地だと思っている」と弾劾した。
韓国から民主労働党の権永吉(クォン・ヨンギル)国会議員がかけつけ、「普天間・嘉手納の両基地をなくすことは平和を愛する世界中の人々の願いだ」とあいさつした。
田中前防衛局長の罷免、一川防衛相の辞任を求め、「評価書提出を断念し、誠意を示すべき」という声明を採択。県庁前から国際通りをデモ行進した。

冬期特別カンパをお願いします

民主党・野田政権は震災と原発事故の被災地住民を切り捨て、原発の再稼動、TPPへの参加、沖縄・辺野古新基地の建設強行、そして消費税の税率アップへと突き進んでいます。多く人びとが新自由主義攻撃と対決する広範な共同闘争を求めています。そのための冬期カンパへのご協力をお願いします。

《カンパ送り先》
 ◎郵便振替
   口座番号:00970-9-151298 加入者名:前進社関西支社
 ◎郵送
   〒532-0002 大阪市淀川区東三国6-23-16 前進社関西支社

2面

中国・北朝鮮敵視の日米共同演習
ヤマサクラ61許すな

来年1月31日から、陸上自衛隊中部方面隊総監部がある伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)において、日米共同指揮所演習=ヤマサクラ61がおこなわれる。
この日米共同演習は毎年2回、日米でおこなわれている。09年度のヤマサクラ57は、北部方面隊・東千歳駐屯地で自衛隊4500人と米軍1200人。10年度のヤマサクラ59は、西部方面隊・健軍駐屯地で自衛隊4500人と米軍1500人でおこなわれた。
今回のヤマサクラ61は、「中国・北朝鮮連合軍が隠岐の島を占領し、金沢・米子に上陸」、これを撃退するという想定でおこなわれる。露骨なまでに中国と朝鮮民主主義人民共和国を敵視した日米共同軍事演習だ。この演習には6000人規模の日米の軍事中枢が、伊丹駐屯地に結集しておこなわれる。そこで西日本全域にわたって日米両軍が展開する軍事作戦を、実戦さながらに指揮するのである。

中国包囲の米新戦略
今回の演習がこれまでと異なる最大の問題は、中国を敵視した米軍の新戦略の下で初めておこなわれる指揮所演習だということである。日米共同演習は、当初はソ連を仮想敵国とし、ソ連崩壊後は「北朝鮮危機」を想定したものであった。それが大きく転換しようとしているのだ。
この間、オバマ政権はイラク・アフガニスタン戦争の失敗から、米軍の戦略をアジア・太平洋を最優先するものに転換した。それを「統合エアー・シーバトル構想」という。中国の軍事展開を「米軍の行動の自由に対する挑戦」としてとらえ、グアムの海空軍の常駐兵力の強化、オーストラリア・ダーウィン基地への米海兵隊の配備などによって、中国包囲網を急激に強めようというものだ。
これと一体で自衛隊は新防衛大綱(南西拠点重視)を策定した。ジブチに初の自衛隊海外基地の建設、南スーダンへのPKO派兵、さらに次期戦闘機にF35ステルス機を選定などの動きは、米新戦略の下で自衛隊が、実戦に踏み込もうとするものに他ならない。
11月28日から12月1日にかけて米韓両軍は、中国側の強い抗議を無視して、黄海で合同演習を強行した。そしてこのヤマサクラ61では、中国・北朝鮮を仮想敵として日本周辺を戦場とする軍事演習に陸上自衛隊・政府機構・民間を動員しようとしているのだ。絶対に許してはならない。

米陸軍のモジュール化
米軍のトランスフォーメーションによって、第8軍をアジアにおける「統合任務部隊」(JTF)とし、一人の司令官が陸・海・空・海兵の4軍を統括するより実戦的なものとなった。
とりわけ陸軍はストライカー旅団戦闘団を軸とするモジュール(単位)化によって、作戦の態様・規模・地域への即応性を高めている。これにあわせて米軍は陸上自衛隊の再編と指揮系統の統合を「ヤマサクラ」の実施をとおして進めてきたのだ。
00年1月のヤマサクラ37から米第一軍団司令部(ワシントン州)が参加。06年には統合任務部隊司令部となり、08年には太平洋陸軍が参加。そして今回、第8軍の司令部が参加する。これは実戦経験を持つ米陸軍の最新部隊と共同作戦ができるように陸上自衛隊を再編していく過程であった。

国家総動員態勢づくり
今ひとつは、1997年の新ガイドライン策定から制定が進められてきた有事法の下で、国内の空港・港湾、自治体や民間業者を戦争動員するための枠組み作りである。
中国・北朝鮮連合軍との地上戦を想定して、陸上自衛隊だけでなく、自治体・民間などのあらゆる機関を動員する作戦計画を立て、指揮することを伊丹の中枢指揮所で行おうとしているのだ。このような軍事演習を断じて許してはならない。
来年1月22日、伊丹駐屯地を「人間の輪」で包囲しよう。

ヤマサクラ59の共同訓練開始式
(1月 陸自・健軍駐屯地)

大衆行動の力で橋下独裁を倒そう
大阪ダブル選挙の総括

「一般市民は我々が想像する以上に原始的である。したがってプロパガンダは常に単純な繰り返しでなければならない。諸問題を単純な言葉に置き換え、識者の反対などものともせずに、その言葉を簡明な形で繰り返し主張する者こそ、世論に影響を与えるという最終的な結果を残すことができる」。 ナチ政権の宣伝相ゲッペルスの教えを橋下は100%実践した。「タイタン」(「爆笑問題」所属の芸能プロ)が仕切って、「ワイドショー型」の選挙戦を展開した。笑顔で嘘をつく厚顔無恥を武器に、「市役所をぶっこわす」と叫んだ。
橋下は「改革の旗手」としてのイメージをうえつけた。

敗因
平松は「反独裁」を訴え、一時は相当橋下を追い上げた。平松票だけで見れば前回の市長選より15万5583票も増やしている。 橋下に勝つにはハシズムに対する危機感や怒りにとことん依拠し、雇用や福祉などを重視する住民自治の拡充を進めることだ。
しかし平松は「新自由主義的構造改革の進め方が強権的か、比較的穏やかか」という対決ならざる路線しか出せない。逆風に抗し攻勢を取らなければならないときに平松は守勢にまわった。「大阪満足度日本一」などまったく大衆の心に響くものではなかった。

生命力失った既成政党
橋下対平松の支持率は民主党支持層で52:48、自民党支持層61:39、公明党支持層37:63、無党派層(維新の会支持を含む)69:31であった。維新の会対既成政党という対決構造ではないことを示している。
民主、自民は次期国政選挙をにらみ、国会議員はじめ平松支援では動いていない。公明党も自主投票を決めた裏には取引がある。
共産党は市長選で渡司の立候補を中止し「反独裁」を訴えた。しかし府知事選で梅田候補への投票は前回より16万1404票、得票率にして5.54%も減った。市長選で共産党支持者の中から橋下に投票した人が、かつてなく多かった。
すべての既成政党が機能停止、生命力を失った。

新たな革命運動を
「閉塞感」と言われるのは大阪だけの問題ではない。小泉構造改革以来、大企業が空前の利益を上げる一方、格差と貧困がとめどなく進行している。
日本の政治情勢は大流動を開始している。安保・沖縄問題、TPP、増税、原発問題、どれをとっても既成の政党や政治潮流の枠でまとまることはない。二大政党体制も確立前に崩壊を始めている。
世界中で、日本で、人民の新たなたたかいが始まっている。 この情勢を革命へ導く力がなければ革命派を名乗る者は存在意義を失う。
今回のダブル選でわれわれは、選挙という土俵の上ではあれ、その力がないことを突きつけられた。こうした現状に追いついていない。
1%が富を独占する新自由主義、開始された99%の側の新たな反撃の運動、これとしっかりかみ合うことが必要だ。現代世界をとらえる革命の論理、古い形にとらわれない新たな党、たたかいの主体と呼吸する新たな運動、闘争手段・技術に至るまで、根本的に作りかえることが求められている。

確かな手応え
10月冒頭からわれわれは「橋下独裁政治の暴走とめよう」を合い言葉に、大阪市内での宣伝戦を積み重ねた。また多様な闘争現場に赴き橋下打倒を呼びかけた。
市民の意識に直接向き合い、われわれのなすべきことをリアルにつかむために。またあらゆる左翼勢力が橋下打倒の選挙戦にたちあがる起爆力になろうと考えた。
市民の反応は実に豊かだった。ビラをその場で読み出す人が多い。激励だけでなく、自分の意見を言いに来る人も続いた。
闘いの戦線でも大きな動きがあった。吹田市につづき、11月7日には堺市の教職員5団体が全教、日教組などの壁を越えて共同声明を発表した。11月16日には大阪の労働7団体が「『維新の会』の独裁政治を許さない行動をおこしましょう」という共同アピールを発した。共産党が渡司の立候補を中止したのもこのような流れを背景にしている。
明らかに70年闘争以来のたたかいのマグマが地中で熱くたぎっている。

橋下の攻勢と矛盾
早くも橋下は激しく動いている。イメージ戦略で人気を維持しようとすれば、新たな話題を作り続けなければならない。
市の現業部門で「採用経緯で問題があれば再試験」、市幹部6人の更迭。区長は公選制と言っていたが、まず公募するとしている。橋下の独裁を強化する仕組みだ。「次期衆院選の争点は道州制。国全体の統治形態を変える」と言い出した。国政への進出も明言している。
だが、橋下の権力が拡大するにつれて彼らの矛盾は大きくなる。いままでは批判していればみずからを「改革者」として押し出すことができた。国政に出れば破産した二大政党と変わることのない姿があらわになる。ごまかし続けた都構想の具体性が問われる。ブレーンの上山信一は早くも「堺市(の再編)はこだわらない」と言い出した。
1%のために99%から絞り取るという、橋下の本来像が明白になる。「高転び」不可避の構造がある。

2条例案を葬り去ろう
橋下・維新の会とのたたかいは、これから2条例粉砕を軸にした地上戦に入る。府では手直ししたものを知事提案で出すとしている。大阪市も堺市もすでに維新案は否決されたが、橋下は、市長提案に切り替えて大阪市議会に再度提案するという。
地域の子どもたちが同じ小学校、中学校に通うことによって子どもたちは独特の共同体を形成している。大人たちもまたそれを軸に共同性を維持してきた。小中学校の選択制が導入されれば、経済状態やテストの成績で子どもたちも親もばらばらに分断される。格差が広がり差別を呼ぶ。
橋下に反対する教員、職員は地域に入ろう。 地域の共同性獲得のために立ち上がった人びと、だましとられた政治的力を奪い返し主権者として立ちあがる人々がこぞって集まり、巨万の大衆行動を実現したとき、橋下打倒は実現される。

3面

酪農家の慟哭 飯舘村

高濃度の放射能に襲われた飯舘村。そこで酪農を営み、区長を務めてきた長谷川健一さん(58)。現在は、地区の人びとと共に、伊達市内の仮設住宅に避難している。彼は、全国を行脚して、フクシマを伝えている。9日、福島市内で、長谷川さんの講演がおこなわれた。 主催は、国際環境NGO FoE japan。

「事故を風化させない」と訴える
長谷川健一さん(9日 福島市内)

美しい村に放射能が
飯舘村は、そのほとんどが原発30km圏外。前田地区は約45km。緊急時避難準備区域は9月末で解除。
私の地区は、飯舘村・前田地区。原発から45キロ。
飯舘村は、「みんなで頑張ろう」ということでやってきて、「日本一美しい村」の認定も受けた。その第一番目の企画となったのが、私の地区。
そんな美しい村に、放射能が降った。1号機が3月12日に爆発。そして3号機が3月14日に爆発した。
14日の夜、私は、「このままではだめだ。一体、どうなっているんだ?!」ということで、役場の対策本部に行ってみた。
「どうなっているんだ?」。担当者に聞いた。そしたら―
「いや〜、長谷川さん、大変なことになっているんだ」。
「なんぼなんだ?」と聞いたら―
「40を超している」。40マイクロシーベルト/時を超えている。
「なに〜?!」。
その部屋を出ようとしたら、担当者の彼に呼び止められた。
「長谷川さん、ちょっと、待ってくれ」
「なんだ?」
「このことを公表しないで下さい」
「なんで?」
「村長に、『言うな』って言われている」。

15日、地区で緊急集会
翌15日夜、緊急集会を開いた。部落の人たちは、放射能のことだから、みんな集まってきた。
「いま、放射能が、とんでもないことになっている。とにかく外には出んな。とくに子どもは絶対に出すな。どうしても出ないとなんないときは、必ずマスクしろ。肌を露出すんな。帰ってきたら、すぐに玄関で服、脱いじゃえ。すぐフロ、入れ。体、きれいに洗え。外にある野菜は絶対に食うな。換気扇、回すなよ」。そういう指示を出した。

線量計が振りきれた
ジャーナリストの人たちがたくさん来た。3月15日、伊達市布川地区で、線量計を出して測ってみたら、50マイクロシーベルト/時。これは、飯舘はとんでもないことになっていると、やってきた。
飯舘に入って来て、私の部落の集会場のところで線量を測った。その線量計は100マイクロシーベルト/時までしか測れなかった。それが針を振り切ってんだ。

1000マイクロでも子どもが外に
線量の高いところに5軒の酪農家がいる。私も酪農家。そこが心配だった。そこで、4月3日、長泥(ながどろ)地区に行った。ジャーナリストの方が測っていた。雨どいの下の線量、1ミリシーベルト、1000マイクロシーベルト。
だけど、外見ると、子どもが遊んでいる。洗濯物は外に干してある。大人たちも、外で、仕事している。
「なんたるこっちゃ」
すぐその足で、役場の対策本部に行った。
「村長、いっか?」
いなかった。議長と副議長がいた。彼らに言った。
「いま長泥に行って来た。とんでもねえことになっている。外でも子どもが遊んでんだぞ。なんでおめえら避難させねえんだ。」
そしたら、彼らは、「長谷川さん、そんなこと言ったって、大学のエライ先生方が来て、『安心だよ、安全だよ』って言われてんだぞ。おれら、これ以上、なにすんだ。原子力保安院まで来てんだぞ。『大丈夫だよ』って言ってんだぞ」。
俺は言い返した。「おめえら、いい加減にしろ。原子力保安院が来るってことは、あぶねえから来るんだぞ。安心なところには誰も来ねえぞ」。
4月10日、また近畿大学の先生が来た。住民の前で「安心です。大丈夫です」。「マスクもいらない」って。
次の日、4月11日、「(計画的避難区域の指定が発表されて)ほれ、逃げろ。ほれ、避難しろ」と・・・。
「人をコケにすんな」ってみんな怒ったぞ。

「放射能の中で生きる術は」
他方で、3月末に、京大の今中助教のグループが入ってきた。さーっと飯舘村を調べた。すごい数値が出てきた。
そこで、村長に提言をするわけだ。
「飯舘村、危ないですよ。とにかく避難した方がいい」。
村長、何を言ったと思う?
「この数値、公表しないでくれ。頼むから」。
そして、今中さんは、逆に、村長から質問されたそうだ。
「放射能を浴びながら、ここで生活する術はないか?」

連れていかれる牛
3月12日から6月6日まで、牛乳を捨て続けた。
「計画的避難区域の設定で、牛は飼ってはだめですよ」と言われた。「牛は移動したらだめ。人間は避難しろ」って。「どうすんだ」。
それで村の酪農家に集まってもらった。一人じゃだめだ。夫婦で集まれと。いろいろ話し合った。われわれは、国・県・村・JAからは、一切、フォローをされなかった。自分たちで、涙を流しながら、決断をした。「牛を辞めよう。だめだ」と。自分たちで決断をしたとはいえ、情けなかった。これは。
奥さん方、みんな、「ごめんね。ごめんね」って。牛、連れていかれる場面で、みんな追っかけた。私は、酪農家の代表として、みんな立ち会ったけど、「なんたるこった。こんなこと、この世の中にあんのか」って思った。

国会まで走った
約60頭ぐらい処分されてから、私は―
「これ以上だめだ。こんなこと、やってられねえ。もう殺さない」。
思い切り走って、国会まで行った。
「俺、牛、殺さないぞ」。
そうして、5月25日に、ようやく、移動制限を解除にしてもらった。
それはみんな喜んだ。もう牛、殺さなくて済むわけだから。そうして、飯舘村の外の酪農家に乳牛は引き取られていった。

「原発さえなければ」と仲間が自死
やっと「安心したなあ。牛はいなくなったけど」と思っていたとき、もっとも恐れていたことが起きちゃった。
飯舘の隣の相馬市の酪農家。私の友人だった。彼は、「原発さえなければ」というメッセージを残して、逝っちゃった。彼には、7歳と5歳の息子がいた。
そして、時を同じくして、私の隣の部落の102歳のおじいちゃん。「お前ら、避難しなんじゃなんねえんだべ。俺がいたんでは、足手まといだべ」。 自らの命を絶った。
南相馬市では、93歳のおばあちゃん。「私は、お墓に避難します」。
こういうことが、どんどん起きていった。これからも、起きるやも知れない。

壁にチョークで「原発さえなければ」と書き残して・・・(長谷川さんの講演で使用した画像より)

コミュニティを守って
いま私は、仮設住宅にいる。ここに私と女房と私の親2人、4人で住んでいる。
私は、区長として、前から村に言っていた。
「仮設に入る人は、行政区単位でまとめろよ。コミュニティを崩したらだめだぞ。必ずまとめろよ」。
村は、やんなかったな。入居がだんだん始まって、それでもやらないから、これはだめだなと思ったから、自分で動いた。
私の前田地区では、21戸の人がここに来て生活している。

「除染まっしぐら」はおかしい
「除染一本だけではだめだ。村を出る方向、それもいまからシュミレーションして行かないと、だめでしょ」と。私は、ずっと言っている。
なぜかというと、5年6年、除染、除染とやっていて、それでだめだったらどうすんだ。その5年間は無駄な5年だべって。
私だって、ふるさとには帰りたい。でも、果たしてそれがどうなのか、わかんない。
若い人が帰って、子育て・子作りなんかできるような環境じゃない。
だとすれば、われわれが飯舘に戻って、われわれが生涯を閉じれば、そこで飯舘村は終わり。そういうことになる。これから何年か後には、そういう決断を迫られるだろうなって、そういう思いがする。

風化と差別に抗して
そういう中で、一番、子どもたちがかわいそうだと思う。
広島・長崎の原爆、あのときに差別が起きた。まさにこれから、この福島県、飯舘村、すべてで、そういう差別が起きる。
いま私は、全国を歩いて、二つのお願いをしている。
ひとつは、絶対に風化をさせない。こういうとんでもない事故を。
もうひとつは、差別が起きない社会づくり、差別ができない社会づくり、そういうものを、これから、みんなで、やっていかないとだめなんだろうなって、私は思う。
〔文責、見出しは本紙編集委員会〕

4面

ギリシャ危機と世界財政・金融大恐慌(下)  落合薫

3.危機の根源としての新自由主義の破綻

(1) 震源は米経済危機
経済学者としてのバーナンキは「ヘリコプター・ベン」と呼ばれる。中央銀行がじゃんじゃんマネーを市場に供給すれば、金融危機や景気後退は解決できるという主張の持ち主である。FRB議長として、リーマン・ショックに直面したバーナンキは、09年―10年にかけて1兆7500億ドルにも及ぶ量的緩和第一弾(QE1)を、さらに10年―11年にかけて総額9千億ドルの米国債を買取の対象とする、量的緩和第二弾(QE2)を実施した。その結果は、米国内の実体経済には向かわず、金利の高い新興国や高いリターンを見込める商品市場に流入し、新興国や資源価格のインフレ、さらには全世界的な金融投機を引き起こした。2011年になってからは米経済の失速を早め、株価も500ドル幅の暴落が続いた。バーナンキはこの事態に、「金融緩和が足りなかった」と開き直り、ウォール街の大勢となっている量的緩和第3弾(QE3)の発動を狙っている。ドル暴落の引き金を引く「自殺行為」となる可能性が高い。
TPPに必死のオバマ
リーマン・ショック以降の世界経済は、米国を中心かつ典型として、サブプライム・ローンの破綻→民間金融機関を救済するための財政出動→国家財政危機→景気悪化といっそうの実体経済への悪影響という循環を経てきた。その全重圧がユーロ圏各国の財政破綻と世界の金融危機として噴出している。
アメリカでは、「住宅価格低迷」「個人消費の不振」「失業者1400万人、失業率9%超に貼りついた異例の高水準」など、景気を支える材料がなにもない。ドル安を追い風にした輸出が頼みの綱になっている。オバマ大統領は2010年1月の一般教書演説で「今後5年で輸出を倍増させる」と打ち出し、それによって200万人分の雇用を生み出すという目標を掲げた。その期限である2014年が近づく中で、TPP早期妥結を求める姿勢が強まっている。
格差・貧困の拡大
米国調査局によると、公式基準とは別の形で2010年の貧困人口をより実態に沿って推計すると、約4910万人、人口比で16.0%に達する(公式基準でも、貧困人口が統計を取り始めて以来最多の約4620万人、15.1%)。
低所得層が受ける食費補助であるフードスタンプ(SNAP)の受給者数もうなぎのぼりで、米農務省の発表によると、今年5月に4500万人を突破、9月には4600万人に到達した。しかも受給者の7割が「現金収入ゼロ」という。
いずれも「先進国」で最悪、50年ぶりの水準である。全世界に財政破綻と金融恐慌をまきちらす投機的金融資本の足下にいるアメリカの労働者人民がもっとも苦しんでいる。ウォール街占拠運動は全世界の怨嗟の的を直撃している。

(2) 中国とBRICS がバブル崩壊の危機
中国では、5月以降3カ月連続で消費者物価指数(=インフレ率)が6%を上回っている。とくに豚肉や野菜など食料品の値上がりが顕著で、労働者・農民の生活圧迫の要因になっている。インフレの抑制目標を4%としている政府は、段階的に金利を引き上げているものの、あまりに急激な金融引き締めは、経済成長に水を差しかねない。加えて、主な輸出先である日米欧の景気が失速しつつあり、今後、外需の落ち込みが経済成長を鈍化させる要因となる。
欧米の景気後退に連動して、その他の新興国も成長が鈍化しはじめた。ブラジル・インドネシア・韓国などは、株価下落に加え、外国資本の引き上げに直面し、流入規制から一転して自国の通貨安を警戒する段階に至っている。

4.世界システムの破たん

(1) 次はイタリアと日本
11月3〜4日、仏カンヌで開かれたG20首脳会議は「行動計画」で、「財政健全化計画」の重要性を強調している。国別では、イタリアはGDP比で4.6%ある財政赤字を13年までにゼロ近くにする目標の実現を約束し、そのためにIMFの監視を受け入れた。日本は、10年代半ばまでに消費税率を10%に引き挙げる法案を今年度中の国会に提出することを約束した。
先進国の「政府債務残高の対GDP比」は年々悪化している。大きな要因は、リーマン・ショック後の世界同時不況をのりきるために各国が巨額の財政出動を実施したことにある。しかも世界的な財政出動が景気回復につながらず、逆に先進国はみな同時に深刻な財政危機に突入し、金融危機と財政危機が一体的に進行する事態となった。
日本の「政府債務残高の対GDP比」は212.7%もあり、最悪だ。財政破綻が明らかになったギリシャの143%、イタリアの119%と比べても、突出している。〔本紙前号4面の表参照〕
「日本の国債は外国人保有比率が低いから、ギリシャやイタリアのようにならない」などというのは寝言である。金融のグローバル化が極限的に進んだ現在、日本国債が暴落すると利益が出るポジションをとるヘッジファンドが増えている。すでにIMF関係では日本がIMF管理下に入った場合の「ネバダ・レポート」と呼ぶプログラムを作成しているという。そこでは、公務員の総数、給料は30%以上カット、ボーナス・退職金はすべてカット、年金は一律30%カット、消費税を20%に引き上げなどが列挙されている。

(2) カジノ資本主義
新自由主義とは「実物投資」の行き詰まりを「電子・金融」で打開しようとして登場した。しかし結局、「実物投資」の利潤率を上昇・反転させることはできなかった。70年代までの戦後帝国主義、米帝の持続的発展は、原油価格の続落によって支えられてきた。それが反転したとき、米帝の戦後発展は終焉し、その覇権も本質的に終焉する。あとは金融化でのりきるカジノ資本主義の道しかない。新自由主義による略奪的金融投機が主軸となる構造が生まれた。

5.日本帝国主義の危機

貿易・為替・金融の3つの回路を通して、欧州経済危機は日本に波及する。そのなかで、消費税率10%を「国際公約」とすることによる凄まじい格差・貧困が日本社会を覆うことになる。
しかもこの世界経済危機の中で3・11が発生した。大震災と原発事故という世界史的な事態のなかで、格差・貧困の地獄図が露出している。
第1に、突然の失業に直面した場合の生活保障体制がないことである。
雇用保険に加入していた人の場合、失業保険は受給できるが、特別延長措置が取られたとはいえ、給付期限を迎えると打ち切りになる。非正規などで雇用保険未加入の人、あるいは自営業者で廃業を余儀なくされた人、または新規学卒者で内定を取り消された若者などは、失業給付は受給できない。(内定についての厚労省の指針は、「取り消さないものとする」努力目標であり、しかも内定通知だけでは労働契約と見なさないなどという解釈が行われている。)
第2に、福島第1原発で事故収束活動に従事している下請け労働者の実態である。6次、7次に及ぶ多重下請構造のもとで、労働者供給業者(手配師)が介在し、ピンハネが横行、安全管理も不十分な状態で就労させられる。「年越し派遣村」によって広く社会問題化した間接雇用・有期雇用の究極の姿がある。(11月30日、記)


フアン・ソマビアILO事務局長「世界
的な雇用危機について」
(『毎日』2011年11月4日付)

失業者は2億人を超え増え続けている。2008年からの危機で失われた3000万人の職を回復できていない。打撃を受けた若者層の失業者は8000万人弱で失業率は成人の2〜3倍に上る。労働者のうち数百万人はやむを得ずパートで働いている。危機前でさえ農業以外の雇用の半分は非正規で、5人に2人の労働者が1日2ドル未満の貧困層に属する。格差と貧困に抗議するオキュパイ運動は世界25カ国に広がっている。「われわれは今後10年間に及びかねない世界的な雇用後退の危機に直面している。分け隔てなく、働きがいのある仕事(ディーセント・ワーク)に就きたいという要求に耳を貸さなければ、社会、政治の面で破局を迎えるだろう」「世界は深刻な格差問題に直面している。『大きすぎる銀行は破産させられないとされる一方で、小さな個人が軽んじられている』との感覚や、『金融の利害が社会の一体性よりも優先させられている』との思いを人々が強めている」。



犯罪と「精神障害者」を結びつけるな

「実態を隠した国会報告は許さない!『共同声明』で新たな運動を広げよう! 医療観察法廃止! 全国集会」が11月27日、都内で開かれ72人が参加した。

人権尊重に逆行
基調報告は、障がい者制度改革推進会議のメンバーで、全国「精神病」者集団の関口明彦さんがおこなった。
医療観察法は、日本が批准しようとしている障害者権利条約の理念と逆行している。人権と倫理の基準の問題だ。社会の在り方として、自分の安全・安心のためには多少の悪には目をつぶる、多少の人には泣いてもらうという論理が働いている。人権の重要性を社会がいかに判断するのかという倫理の問題だ。共同声明運動で各分野の運動体に働きかけて「運動」にしていこうと訴えた。
精神科医の高木俊介さんが特別報告をおこない、東俊裕さん(障がい者制度改革推進会議室長、元国連障害者権利条約特別委日本代表顧問、弁護士)が講演した。
医療観察法をなくす会事務局長の池原毅和弁護士は、今後の方針として、@学習会の出前、A議員勉強会を開く、B推進会議の成果物に反することをなぜするのかと省庁に迫っていく、と提起した。

差別をあおるデマ
討論では「病者」から発言があった。差別がまかり通る原因として「精神障害者」と犯罪を結びつける人が多いことがある。「健常者」が自分たちの安全・安心のために「精神障害者」を遠ざけ、病院に隔離しておけと差別を容認している。この差別は警察・マスコミ・日本精神病院協会系の精神科医が作り出した「精神障害者」と犯罪をことさらに結びつけるデマに根拠があり、なくすことができるものだ。実際には「精神障害者」の犯罪率、再犯率は「健常者」よりもかなり低い。

5面

もう待てない高校無償化

3日、「もう待てない高校無償化─朝鮮学校に教育保障を」全国集会が都内でひらかれ、1400人が参加した。主催は、〈「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会〉。

大阪市内でおこなわれた緊急集会(6日)

即時適用を
主催者を代表して、連絡会事務局長の長谷川和男さんが集会の獲得目標を提起。菅首相が退任にあたり、審査手続きの凍結解除をしたが、すでに3カ月が過ぎた。「教育には政治・外交は関わらない」と文科省自身が言ったにも関わらず、いまだに適用されていない。日本政府にたいして、無償化の即時適用、自治体に広がる朝鮮学校への補助金凍結の動きの即時中止を求める。
平和フォーラムのあいさつに続き、来日したモンダンヨンピル(東日本大震災の被害を受けた朝鮮学校を支援する韓国の団体)代表の権海孝(クォン・ヘヒョ)さん(俳優)が発言。「朝鮮学校の問題は過去の問題ではなく、私たちの未来に対する問題である」と語った。

学校は私たちの故郷
つづいて、12年前から「統一」のために歌って来たウリナラバンドが朝鮮学校のことを「私たちの学校は、私たちの故郷だ」と歌った。
東京朝鮮高校3年生は、先輩たちが卒業直前まで署名など必死で取り組み、「私たちの時に解決できなくて済まない」と流した悔し涙を忘れることができない。私は、片道2時間かけて、北関東から通っている。祖国の歴史や言葉を習うのは、当たり前ではないか。後輩たちに同じ悲しみを味合わせたくない。無償化適用を見届けて卒業していきたいと訴えた。
同校の保護者は、「差別は悲しみを生み、それはやがて憎しみへと変わる。その負の遺産を子どもたちに残してはならない」と強調した。
訴訟弁護団が、「訴訟に踏みきる準備はすでにできている」と発言。
福岡・大阪・愛知・神奈川・埼玉・東京から連帯あいさつがあり、最後に行動提起で締めくくった。

大阪でも緊急集会
6日には、大阪市内で「朝鮮学校への『無償化』適用と大阪府補助金支給を求める緊急集会」がひらかれ、会場の旭区民センターをうめつくす多くの人が参加した。

石川一雄さんが再審無罪を訴え

9日、不当逮捕から48年目となる狭山差別裁判の石川一雄さんをむかえ「ええかんげにせえ!警察・検察・裁判所」シンポジウムが大阪市内で開かれた。主催は反弾圧ネットワーク。250人をこえる参加者が詰めかけた。
メインの石川さん(72歳)は昨年ついに開示をかちとった36点の証拠のうち、@事件当日、現場で農作業していたOさんの報告書関係、A逮捕当日石川さんが書いた上申書、B取調べテープなどをあげて、これらを調べたら「〈自白〉と〈脅迫状〉がウソであることが完全に明らかになる」と強調。また獄中の拷問的な取調べの実態を怒りをこめて明らかにし、狭山事件は警察・検察・裁判所の犯罪だと訴えた。
12月の三者協議を前にして「今年はできなかったが、来年は再審を実現し、権力犯罪を明らかにする」「私はまだ42才。これから人生」(獄中32年)明るく元気に決意を語った。
続いて08年、今年4月と続く釜ヶ崎への弾圧、5月の関西生コン支部、8月の全港湾大阪支部、11月の派遣パートユニオン・関西と連続する労組弾圧とのたたかいの報告。永嶋弁護士から共謀罪反対の訴え。10月の在特会弾圧の当該である竹内牧師。会場からは部落解放同盟全国連が発言した。反弾圧ネットワークの関西における新しい広がりがつくりだされたシンポであった。

新たに14点を開示
14日に開かれた狭山事件の3者協議で検察側は万年筆、かばん、腕時計にかかわる証拠など14点を新たに開示。弁護団は今後、開示された証拠を精査して、再審請求に活用していく方針。

再審実現へ決意を語る石川さん(9日 大阪市内)

狭山事件の再審を

1日、東京・日比谷野外音楽堂において、「狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会」主催による狭山事件の再審を求める市民集会「なくせ冤罪! いまこそ取調べ可視化・証拠開示の法制化を」が開催され3000人が参加した。
集会では、組坂繁之・部落解放同盟中央本部委員長の挨拶、各政党の挨拶、国会議員紹介のあと、石川一雄さんと早智子さんが、「再審をかちとるたたかいはもう半世紀になろうとしている。なんとしても再審開始をきりひらきたい」「(前日の)福井事件・前川さんの再審開始決定は狭山にとっても前進」とそれぞれ発言、再審開始に向けて決意を述べた。
続いて、弁護団による報告、松岡徹・部落解放同盟中央本部書記長の基調報告を受け、布川事件の桜井昌司さん、足利事件の菅家利和さん、志布志事件の川畑幸夫さん、袴田事件の袴田ひで子さん、そしてゴビンダさんを支える会の今井恭平さんたちから連帯のあいさつと「可視化・証拠開示法制化」の訴えがなされた。
鎌田慧さんのまとめ、庭山英雄さんの挨拶の後、参加者は「取調べ可視化と証拠開示の法制化を」の横断幕をかかげて衆・参両院の議員面会所にむかって国会請願行進をおこなった。(M)

東京・日比谷野外音楽堂でおこなわれた狭山市民集会(1日)

関西宇部事件 不当判決 大阪地裁

1日、全日建運輸連帯労組・関西生コン支部にたいする「5・11関西宇部事件」弾圧の判決があり、高英男副委員長に懲役1年2カ月、松村執行委員に懲役8カ月、他の11名に懲役6カ月、全員に執行猶予3年の不当判決が出た。関西生コン支部は、ただちに控訴。判決前に1300筆の第二次団体署名を地裁に提出した。

在特会の差別街宣を許すな

「〈1・22差別街宣〉を許さない奈良決起集会」(部落解放同盟奈良県連合会/差別街宣を許さない奈良の会共催)が12日、奈良市内でおこなわれた。
今年1月22日に水平社博物館(奈良県御所市)前で差別街宣を行った川東大了(「在特会」メンバー)に対して、水平社博物館と部落解放同盟奈良県連合会が「名誉毀損」で提訴した民事裁判が奈良地裁でおこなわれている。この集会は、この裁判を支援するためにおこなわれた。
まず、差別街宣を許さない奈良の会・辻本事務局長が経過報告をした。
事件は1月5日、水平社博物館の「コリアと日本『韓国併合』から100年」の展示内容に対し、川東が「抗議」に来たことから始まった。同月22日に、博物館前で部落差別街宣をおこなった。そこには、@朝鮮人民に対する差別A日本軍「慰安婦」に対する差別B部落民に対する差別が含まれていた。
つぎに、金尚均(龍谷大学法科大学院教授)が講演。
@在特会に対する京都朝鮮学校の闘いA日本の刑法では、個人に向けられた表現に対してしか処罰できない、という法的不整備の問題B差別が野ざらしにされている現実のなかで、新たな法整備を勝ちとるためにも、反撃して闘っていくこと、奈良の裁判はその第一歩だ。
在特会らの差別言動を放置せず裁判闘争を含めて、大衆的に反撃していくことの重要性を確認した。(T)

派遣法改定案  骨抜き修正案の成立を阻止

国会会期末が迫る7日、派遣法改定案の骨抜き修正案を可決させる動きが急浮上した。衆院厚生労働委員会が抜き打ち的に早朝8時40分から開かれ、同日夕方5時からの再開審議で採決を強行した。
これに対し緊急国会傍聴闘争や院内集会、国会前行動等が取り組まれた。12時から衆議院第1議員会館で開催された集会(主催:派遣法の抜本改正をめざす共同行動)には、急を聞いて100人以上の人たちがかけつけた。
翌8日の衆院本会議での採決はくいとめられ、修正案は継続審議となった。

さらなる改悪修正
今回の修正案は、「製造業派遣・登録型派遣の原則禁止」を削除し、派遣元のピンハネ率を明らかにするマージン率の開示も個別契約での開示ではなく「平均のマージン率」開示でよいと大幅に後退し、みなし規定は施行時期を3年後とし、専門26業務も資本家に使いやすくする方向でみなおすというもの。民主、自民、公明の3党によって提案された。
衆議院厚生労働委員会で、修正案の共同提案者である自民党の田村憲久議員は「(原案のままでは)こわくて派遣労働者を使えないという(大手の派遣先企業の)憂いをなくし、安心して派遣労働者を使えるようにするのが今回の修正案の目的である」とおぞましい答弁をおこなった。

許せぬ付帯決議
さらに許しがたいのは付帯決議である。これも何の議論もなく採決に付され、可決された。これは、修正案でかろうじて残った「みなし規定」を完全に無意味にするものである。
田村議員は「『みなし規定』の施行を3年後にしたのは、その間に労働政策審議会で『みなし規定』をなくする方向で議論してもらうためである」と発言。また、専門26業務についても資本家にとって使いやすくする方向で見直すとされた。
しかも「検討の結論が出るまでの間、期間制限違反の指導監督については・・・必要な限度においてのみ実施するよう改めること」(付帯決議2項)というのである。
まさに派遣労働者の要求を絞め殺す議論だ。

なぜ急ぐのか
1年9カ月もたなざらしにされてきた改定案が、会期末にもかかわらず急きょ成立を狙う動きが出てきたのは、来年1月からの通常国会に上程されようとしている有期労働契約法制と関係がある。
有期労働法制の対象者数は派遣労働者の数十倍を超える。大手企業は派遣法を早く「片づけて」極悪の有期労働契約法の制定にとりかかりたいというのだ。そのために民主、自民、公明の3党の水面下での工作がおこなわれたのである。しかし、多くの人たちの闘いで資本の思惑は打ち砕かれた。

6面

被ばく地福島で出会った人びと(3)
三里塚の収穫祭へ 古河潤一

私は10月末、みたび福島県をたずねた。田村市の人たちが、三里塚の秋の収穫祭「いも掘り大会」に参加するのを支援するためだ。28日、東京・日比谷でおこなわれた「創ろうみんなの障害者総合福祉法を!」集会とデモに参加。29日、経産省前の「脱原発、福島の女たち」座りこみ、デモに参加。日がかわって30日0時、レンタマイクロバスで常磐道を北へ走った。
先日、「福島県須賀川の米からセシウム検出せず。出荷できる」と知った。
阿武隈PAで仮眠。7時前に田村市の公民館に着いた。5月には何度もこの前を走った。秋の文化祭ののぼりが立っている。まもなく大人7人、子ども6人、犬1匹がのりこんで席についた。発車。子どもたちは小学4年生4人と2年生が2人。すべて女の子だ。テンションは一気にピークに。3時間余の走行中、ゲーム、おしゃべり、わらい、歌う。そして「車に酔ったぁ」。13人のグループをまとめてくれるのはMさん。実直な年かさの女性、みんなの信頼は強い。

原発事故の責任
予定より少し遅れて、反対同盟・萩原進さん宅に到着。進さん、静江さん、現闘員さんたちが出迎えてくださった。参加登録。さっそく畑見学。夏野菜のピーマン、枝豆などがわずかにのこり、冬野菜の大根、白菜、ネギ、ニンジンが秋の陽ざしに育つ。犬もひさしぶりに土の上を歩く。
参加したAさん(女性)「きれいな畑」。
同じく参加者のBさん(男性)「土がいいわ」。
進さん「風評被害ありました。安全なのか。生産者には責任がある。業者にたのんで測った。野菜からセシウムは出なかった」。
Aさん、体を小さくして頭を下げる。「ご迷惑おかけして、本当にすみません」。
現闘員と私、あわてて「そうじゃない。ちがうんです」「原発爆発、人や土地、作物の被ばく汚染の責任は東電と国にあるのです。福島の人々はとんでもない被害をこうむったのです」「電気を浪費している都会の僕たちこそが、皆さんにあやまらなければなりません。本当にすみません」。
Aさん「そう言っていただいて気持ちが楽になりました」。
進さんがうなずく。深い「イモ穴」の説明に、皆が聞きいる。「すごい知恵」。
その時、大型旅客機が東峰の森をかすめて、降下、着陸する。Bさんと、子どもたちが歓声をあげた。「すごい」「大きい」。

国のやることじゃない
マイクロバスに乗りこんで、「清水の畑」にむかう。東峰の森をまわりこむと風景は兇暴になる。高い鉄板フェンス、有刺鉄線、誘導路下トンネル、誘導灯、警察車輌、監視台。空港敷地内のジャリ道を走る。ジャンボ機が目の前を、島村さん宅と防風林すれすれに着陸してゆく。爆音、バスのガラスがふるえる。
Bさん「これはひどい」。Mさん「国のやることじゃあない。ずっと一日中でしょう」。
さらに1機が降りてくる。
Bさん「3分も(間隔が)あいていない」。大人も子どもも顔がこわばる。
清水の畑に着く。畑にはさつまいも、葉野菜が育つ。横の「森」の樹々は、それぞれがのびあがり枝葉を広げている。森と畑は島村さんの家と畑、作業場や墓地、神社、開拓道路、その先、市東さんの家と作業場、育苗ハウス、畑へとつながり、巨大資本の利権と国家暴力の空港建設を阻む。農家は、日々耕し、種をまき、生活して、空港を三重のフェンスのむこうに、未完成のまま、おいつめている。鳥の声、風。
Aさん「すてきなところ」。

がんばり屋さん
すでに、芋畑はつるが刈りとられ、黒ビニールのマルチシートがはがされた。簡単な説明のあと、芋掘りが始まった。子どもたち、おとなたちが畑になだれこむ。親づるを目当てに手で土をくずすと赤紫色の芋がでてくる。「キャッ、大きい」「すごい」福島っ子は夢中で土を掘る。芋を袋につめこみ、めいめいが芋の葉などで自分のしるしをつける。2年生の子は小さな体で、肩をふるわせて、両手でふたつの大きな袋を持っている。
Mさん「孫です。がんばり屋さんですよ」
反対同盟心づくしの昼食。赤飯、豚汁、ポテトサラダ、ゆで落花生、焼きソバ、冬瓜、つけもの、煮物、「何をたべてもおいしい」。私はここで、5月福島県いわき市での女性のデモで知り合った男性と再会した。

土にさわっても叱られない
春と秋、年2回の三里塚の収穫祭だが、今年6月は参加者が少なかった。原発爆発・放射性物質の嵐、大地と人の被ばくは福島・全東北・関東を恐怖にたたきこんだ。だから、100人余が参加した今回の収穫祭の解放感・もりあがりは、すごい。昼食のあと、福島っ子は、走るトラクターの前バケットに乗り、歓声、さけび、悲鳴、大笑い。6人が席順をかえて、「5回のったぁ」。ゲーム。つなひき。森の中を、土の上を、全力でかけぬける。〈いちばん長い芋コンテスト〉で2年生の子が1位に。「折れなくてよかった」。そして交流会。
進さん「3・11で生き方、社会のあり方が問われている。福島の怒りは、わたしたちも同じ。福島、沖縄と手をつないで。交流を深めていきたい。」
Mさん「原発30キロ圏、取り残されたところから来ました。参加人数は減りましたが。また参加させていただきます。支援、おねがいします」
6人の福島っ子も声を合わせて笑顔で歌う。
鈴木加代子さん「あの子たち、私に『土にさわっても、叱られない』って。ね。何か…」絶句。

こんどはもっと大勢で
帰路、バスの中で子どもたちは眠っていた。速度をかせぐ。19時すぎ、公民館についた。進さん自らが収穫し、積み込んでくださった山のような野菜を下ろし、再会を約束して、バスにのりこむ。23時、東京に着き、車を駐車場にいれた。寒い。走行1052q。運転席で朝まで眠って、大阪に戻った。
翌日、Mさんから電話。
「萩原さんには、本当にありがとうございます。いただいた野菜、あんなにいっぱい。今日、村中に届けました。送ってもらった『いも掘り』の案内のチラシを渡して。みんな、すごくよろこんでいました。また行きます。こんどは、もっと大勢で」「子どもは田舎で、のびのび育った方がいい。本当は、ここで遊ばせたい。」
12月23日、私は福島へ反対同盟農家からの支援の野菜を運ぶ。

原子力協定 成立を強行

9日、参院本会議で、民主・自民は原発輸出を推進するための「原子力協定承認」を強行可決・成立させた。協定の対象は4か国。ヨルダン、ベトナムへは原発の輸出、ロシアへは日本の使用済核燃料から回収したウラン再濃縮委託、韓国へは原発関連機材の輸出、というもの。

ふくしま集団疎開裁判 仮処分申立を却下

6月24日、原発事故による被ばくから守るため、子どもたちの集団疎開を求めて、郡山市内に居住する小学生、中学生14人の親たちが、子どもの法定代理人として、郡山市を相手取り、民事仮処分を申したてた裁判。
今月16日、福島地裁郡山支部は、この「仮処分申立」を却下した。決定文で「100ミリシーベルト未満の被ばくでは、晩発性障害の発生確率の実証的裏付けがない」とか「文科省通知で年間20ミリシーベルトが暫定的目安とされた」ことなどを理由にしている。