未来・第94号


            未来第94号目次(2011年12月6日発行)

 1面  沖縄防衛局長の暴言を弾劾する
     辺野古・環境アセス評価書の提出ゆるすな

     もんじゅを廃炉へ! 全国闘争に1300人

     教育・職員基本条例案の2月採決阻止へ
     12・1 大阪府庁包囲行動

     冬期特別カンパをお願いします

 2面  オスプレイ配備と高江ヘリパッド新設
     山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)

     来春 沖縄から訪米団
     第2期沖縄意見広告運動 関西集会

     関空への税金投入やめよ
     大阪市内で集会とデモ

 3面  除染期間中だけでも一時避難を
     「子どもたちを守ろう」 渡利地区で住民集会

     ストップ!「ヤマサクラ61」(日米共同指揮所演習)
     元自衛官連絡会がシンポジウム

     グアム移転費を認めず 米上院が法案可決

 4面  ギリシャ危機と世界財政・金融大恐慌(上) 落合 薫

 5面  改悪「臓器移植法」 その危険性を問う
     市民ネットワークがシンポジウム

     ”雇用の立て直し”こそ急務 『「生活保護利用者過去最多」
     に当たっての見解』(生活保護問題対策全国会議)を読んで

 6面  「住宅明け渡し」の不当判決
     住民はただちに控訴 芦原地区住宅裁判

     部落差別の歴史に終止符を
     再審実現へ神戸で狭山集会

     大逆事件100年で全国サミット
     全国8団体が真相糾明・名誉回復求め連絡会

     改憲ねらう憲法審査会がついに始動

     公立学校の新人教員 「心の病」が急増

       

沖縄防衛局長の暴言を弾劾する
辺野古・環境アセス評価書の提出ゆるすな

沖縄防衛局長・田中聡は、11月28日夜にもたれた報道陣との非公式の懇談の席で、沖縄人民に対する差別意識をむき出しの暴言をおこなった。田中は、記者から、名護市・辺野古への新基地建設に向けた環境影響評価(アセスメント)の評価書について、一川保夫防衛相が「年内提出の準備を進めている」という表現にとどめ、年内提出の実施について明言を避けているのはなぜか、と問われたことに対して「これから犯す前に、犯しますよと言いますか」という許しがたい差別暴言を吐いたのである。
また同じ席で田中は、「400年前の薩摩藩の(琉球)侵攻のときは、琉球に軍がいなかったから攻められた。『基地のない平和な島』はありえない。それは沖縄が弱いからだ」と発言していた。
この田中暴言を琉球新報が29日に報道したことにあわてた政府は、即日、田中の更迭を決定した。しかし、この問題は局長の更迭や、政務次官や防衛相の謝罪ですまされる問題ではない。

那覇市議会、県議会が抗議決議
1日に開会した那覇市議会は、ただちに抗議決議をあげた。決議では、「県民の長年の耐え難い苦痛を嘲笑い、県民と女性を侮辱し愚弄するもので言語道断」と厳しく糾弾。「沖縄に基地を今後も押し付ける政府・官僚の本音が見え、沖縄軽視と差別意識を露呈しており、到底許されるものではない」として、前局長による県民の前での発言の撤回と謝罪、一川防衛相の責任の明確化、環境影響評価書の提出断念を強く求めている。
2日には、沖縄県議会が抗議決議をおこなった。県議会の決議は、1995年の少女乱暴事件について「正確な中身は詳細には知らない」と、参院の委員会で述べた一川防衛相の発言も見識を欠くと批判し、前局長の任命責任と伴せて、一川防衛相の責任の明確化を強く要求している。

沖縄差別を打ち破ろう
野田政権は環境アセス評価書の年内提出を、あくまで強行しようとしている。それは米政府から辺野古新基地建設の「具体的進展を示せ」という要求に応えるためである。
米議会内ですら、米軍再編計画に疑問の声があがっているにもかかわらず、日本政府は沖縄人民に新基地を押しつけ、さらなる犠牲を強要しようとしているのだ。
このように日本政府の沖縄に対する差別的な政策は、近現代をつうじてまったく変わっていない。田中暴言は、まさに日本の支配階級の本音なのだ。
もはやこれ以上、沖縄人民を踏みにじり続ける政治を許してならない。沖縄の怒りにこたえ、環境アセス評価書の年内提出を阻止するたたかいにたちあがろう。

もんじゅを廃炉へ! 全国闘争に1300人

もんじゅ(写真奥)を臨む白木海岸で抗議集会(3日)

2011もんじゅを廃炉へ!全国集会が、3日、福井県敦賀市内でひらかれ、1300人が集まった。
午前中は、高速増殖炉もんじゅを望む白木海岸での抗議集会と原子力機構への申し入れ。午後は敦賀駅近くのホールで全国集会。参加者が入りきれず、通路が埋まった。
主催者の小木曽さんのあいさつの後、前福島県知事・佐藤栄佐久さん、元もんじゅ訴訟弁護団の海渡雄一さん、元京大原子炉実験所講師の小林圭二さんの3人が講演。若狭湾・敦賀半島の活断層・地震の危険性と核燃料サイクルの終焉を訴えた。
集会後、市中を敦賀駅前までデモ行進した。

教育・職員基本条例案の2月採決阻止へ
12・1 大阪府庁包囲行動

反撃の第一弾
11月27日におこなわれた大阪府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選は、知事・市長ともに大阪維新の会の松井一郎と橋下徹が当選するという、きびしい結果となった。当日の記者会見で橋下は、真っ先に「職員・教委は選挙結果を受け止めよ」と、職員基本条例と教育基本条例の強行を宣言した。
この橋下に対する反撃の第一弾として、12月1日、「集まろう!反対しよう!悪法とめよう!『教育基本条例』案反対!府庁包囲行動」が取り組まれた。
「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪の主催でおこなわれた集会には、エルおおさか南館ホールを埋めつくす240人が参加した。主催者としてあいさつしたホットライン事務局の黒田伊彦さんは、「大阪の閉塞感が橋下のあおる『改革』幻想にのぞみをかけた結果となった。既成政党は民衆からあいそをつかされた。差別的なネガティブキャンペーンが逆に橋下の追い風になった。しかし得票は民意ではなく人気だ。二条例案を廃案にするたたかいはこれから。2月議会がヤマだ」と呼びかけた。
基調報告・行動提起はホットライン事務局の井前弘幸さん。「橋下は選挙の結果をたてに現場は従えとくるだろうが、そうはいかない。犠牲になるのは子どもたちだ。一新された教育委員会のもとで、卒入学式がおこなわれる。全員に職務命令が出されるだろうが受けて立つ」と決意を述べた。

大衆闘争を強化しよう
さらに2月議会にむけての行動を提起。・大衆行動・街頭宣伝、・府議会、大阪市議会、堺市議会各会派・議員への働きかけ、・世論形成に向けたマスコミへの働きかけ、ネットの活用、・より大きな運動の枠組み作り、・法的対抗措置、・文科省、府教委、市教委交渉、国会議員や国際機関への働きかけを提起した。そして2月府議会直前の2月12日に集会をやろうと呼びかけた。
大阪全労協議長・石田俊幸さんと、しない・させない戦争協力関西ネットワーク事務局・星川洋史さんは、連帯のあいさつで、民衆の「変革」の要求にこたえる新たなたたかいの必要性と、選挙戦の過程で党派・潮流の違いを乗り越えた動きがはじまっていることを強調した。

東京と大阪が連携して
続いて東京から予防訴訟をすすめる会の永井栄俊さんと青木茂雄さん、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被解雇者の会の前川鎮男さんが登壇し、口々に、「東京と大阪は直結している。あい次ぐ反動的な最高裁判決が今日の大阪の攻撃を呼んだ。大阪がやられたら次は東京・全国に広がる。連携してたたかおう」と訴えた。そして最高裁で口頭弁論がおこなわれた根津・河原井さん「君が代」裁判の判決(来年1月16日)に向けて、今月17日に東京で集会をおこなうことが紹介された。
ホットライン全国集会実行委の山田光一さん、住民監査請求をおこなっているハシモトドオリの会の藤永のぶよさんからも報告を受けた。
集会終了後、府庁にむかってデモをおこなった。短いコースだが、家から出てきてデモを激励する女性や歩きながら手を振る人など、注目度は高い。たたかう力がそがれていないことを示す闘争になった。

橋下・維新にただちに反撃のデモ(1日)


冬期特別カンパをお願いします

民主党・野田政権は震災と原発事故の被災地住民を切り捨て、原発の再稼動、TPPへの参加、沖縄・辺野古新基地の建設強行、そして消費税の税率アップへと突き進んでいます。多く人びとが新自由主義攻撃と対決する広範な共同闘争を求めています。そのための冬期カンパへのご協力をお願いします。

《カンパ送り先》
 ◎郵便振替 
  口座番号:00970-9-151298 加入者名:前進社関西支社
 ◎郵送
  〒532-0002 大阪市淀川区東三国 6-23-16 前進社関西支社

2面

オスプレイ配備と高江ヘリパッド新設
山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)

高江のヘリパッド建設予定地とゲート

私は、2007年に辺野古(へのこ)の現場にいたのですが、そこに高江(たかえ)の住民から、「いよいようちが工事始まる」と。何とか知恵を貸してくれんかという話があり、支援をせんとならんのかなと思って、6月30日に平和センターの車に味噌、醤油、チョコレートなどを詰め込んで、高江に赴いた。あれからもう5年です。
96年に米軍北部訓練場の過半の返還が決定したのが、実は2006年の2月に「返還ではなく、別の場所に移される」ということがわかりました。
米軍北部訓練場からのヘリパッド移設先とされた高江現地では、区民総会で反対決議を2回あげるわけですけれども、翌年の2007年7月1日に問答無用で工事が強行されます。それ以来、住民は現地にテントを張って闘っています。

問答無用の決定
なぜ高江か。なぜここに決定したのか。山の奥にはまだ使っていないヘリポートがいっぱいある。なぜ15カ所もある既存のヘリパッドを使わないで、新しいヘリパッドを作るのかという説明がない。私達は、まず説明が先でしょと言うんですけど、「日米で決めたことだ」っていうことで、問答無用でこの工事は始まりました。
東村(ひがしそん)高江は、人口が約160人、35世帯くらいの小さな集落です。この集落を取り囲むようにヘリパッドが作られると、この村は生活をするような状況ではなくなる。ヘリコプター基地のど真ん中に村があるということになります。
それで住民はこぞって反対をするわけですけども、県や村は「北部訓練場の過半が返還されるならやむをえないんじゃないか」という判断に立ってるんです、今なお。

年初の攻防
昨年12月から今年2月まで激しい攻防が闘われました。ゲートが2カ所あるんですが、私たちは、このゲートの前に政党の車と労働団体の街宣カー全部持ち寄って、バリケードのように封鎖しています。工事用の重機を入れさせないためです。重機が入ってしまうと、あとは作業員が入って運転をすれば作業ができるという状況になってしまうので。
北のほうにN1があって、そこに私は張り付いています。非常に風光明媚なところです。すごく山が深くて沖縄の水資源、そして沖縄の緑の大半をここに負っている、そういうところです。私たちはそこで寝泊りをしながら自炊をして、24時間態勢で張り付いています。

国が住民を提訴
国は2008年11月に、反対運動をしている住民を裁判に訴えた。通行妨害禁止の仮処分申請です。つまりゲートの前で立ちんぼしてたら、これは公共工事の妨害だと、往来妨害、それを仮処分で禁止して欲しいということで、住民15人を那覇地裁に訴えた。
途中で、8歳の幼児については、とり下げますが、残り14人を訴え続けます。そして那覇地裁はそのうちの共同代表をしていた2人について、妨害があったと認定した。で、私たちは、何が妨害なのか、何をもって妨害という事実に該当したのかを本訴で争うことにした。この12月に結審をして、来年の2月にも判決が出るという状況です。

オスプレイの訓練場
96年SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意の中には「北部訓練場の残余の部分から海への出入りを確保するため、97年度末までに土地と水域を提供する」と書いてある。そういうことでオスプレイ配備のための基地(高江ヘリパッド)建設だということが、だいたい分かってきた。あの物騒なオスプレイがやってくると。
日本本土から遠い沖縄に基地を。普天間から遠い辺野古に基地を。さらに辺野古から遠い高江に基地を持っていく。これは弱いところへ全部その犠牲を押し付ける。これは政治家の論理から言えば、票の少ないところへ全部持っていけと、票田は触るなということです。そうやってこの国は基地も原発もそうですが、とにかく弱いところに一切を押し付ける。
あさって、月曜日に帰り次第、安次富(あしとみ)さんたちを交えて、オスプレイ配備反対県民大行動実行委員会の準備会をたちあげます。全県でオスプレイ配備反対の闘いを強めていきたい。

辺野古のたたかいにも影響
なぜ辺野古に2000m滑走路ふたつを備えたV字型滑走路を作るのか。オスプレイが前提とされているからです。辺野古にオスプレイの離発着用を作って、あの大浦湾を巨大な軍港にして、辺野古の弾薬庫にそのまま艦船を横付け、積荷をして、米軍が戦場に出かける、こういう絵が描かれている。
辺野古新基地は「普天間の代替施設」などというものではない。新しい戦略基地です。だから、オスプレイを配備させなければ、辺野古はアメリカにとってそんなに重要な基地にはならないでしょう。そういう意味でも高江での闘いは、どうしても勝利をしたい。 〔辺野古の海に基地はいらない!高江の森にヘリパッドはいらない!11・5集会での発言要旨 文責・見出しは編集委〕


山城さん(11月5日 奈良市内)


来春 沖縄から訪米団
第2期沖縄意見広告運動 関西集会

沖縄・辺野古からヘリ基地反対協共同代表の安次富(あしとみ)浩さんを招き、第2期沖縄意見広告運動関西集会が、11月19日、大阪市内で開かれた。沖縄意見広告運動・関西事務所が主催し、アメリカNYタイムス(WEB版)に意見広告を掲載したことの報告と、来春、訪米団を送り出すために開催された。240人が参加し、熱気あふれる集会となった。
開会あいさつに続き、山内徳信議員(沖縄選出)からのアピールが代読され、「アメリカNYタイムスへの沖縄意見広告の報告」が主催者からおこなわれた。
最初に講演をおこなった服部良一衆議院議員は、環境アセスの評価書提出をめぐり、「具体的進展をみせろ」という日米会談での米側の要求に焦る政府・防衛省の動きを暴露した。
続いて安次富さんが、2012年の沖縄の闘いと沖縄訪米団について提起。安次富さんは「2012年は基地建設阻止の正念場だ」として、次のように語った。

安次富浩さんが講演(11月19日 大阪市内)

米軍の新戦略
辺野古新基地の建設を阻止するたたかいは来年5月から6月が正念場だ。ここで勝ち抜けば新基地はできない。だから誘致派は焦りに満ちている。基地建設が具体的に進展しないため、彼らは切羽詰って、基地を受け入れるから早く金を寄こせと言いだした。
いまアメリカは米軍再編とは言わずに「エアーシーバトル」戦略と言っている。中国のミサイル攻撃を避けるために、海軍と空軍を洋上に待機させる戦略に変わった。既にゲーツは、国防長官をやめる前に、「沖縄の海兵隊の役割は朝鮮戦争で終わった」と言っている。
自衛隊の与那国島への配備計画は、アメリカの新戦略に連動している。
12月末の環境アセス評価書提出が切迫する中、11月14日の県議会で「提出断念を求める意見書」が可決された。
われわれは独自に訪米団を組織してたたかう。ぜひ支援のカンパに協力してほしい。

訪米団に支援を
講演の後、関西各地で反基地闘争などをたたかう諸団体が発言。
沖縄の訪米団を支援するとともに、環境アセス提出阻止への共同の決意を固める集会となった。

関西空港への税金投入やめよ
大阪市内で集会とデモ

大阪・日本橋をデモ行進で訴え(11月20日)

11月20日、大阪市の浪速(なにわ)公園で関西空港反対集会がおこなわれた。主催は淡路町空港反対同盟・新空港反対東灘区住民の会・関西空港反対明石住民の会、大阪の海と空を戦争に使わせない会の4団体。60人が参加した。
集会では主催者を代表して、新空港反対東灘区住民の会の山本代表があいさつ。連帯のあいさつを風を起こす女の会、関西合同労組大阪支部がおこなった。また部落解放同盟全国連合会と三里塚芝山連合空港反対同盟からのメッセージが紹介された。
歌と演奏をはさんで、大阪の海と空を戦争に使わせない会から「関空は、統合しようがどうしようが破綻した空港。1兆3千億円の負債は返済不可能。何十億円という税金の投入をやめて欲しい」と訴えた。
このあと明石住民の会から発言をうけ、淡路町空港反対同盟代表の永井満さんが集会のまとめをおこなった。集会後、全員で大阪市内をデモ行進した。

3面

除染期間中だけでも一時避難を
「子どもたちを守ろう」 渡利地区で住民集会

11月23日、福島市渡利(わたり)地区で、「渡利の子どもたちを放射能から守ろう!」と題する住民集会が開かれた。主催は渡利小学校の親たちでつくる「渡利の子どもたちを守る会(Save Watari Kids)」など。

ねばり強く行動
渡利地区は、市内でも高い放射線量が計測されている地域。この間、多くの住民が、避難と補償を求めて政府と市にたいして行動をしている。
10月8日には、政府・原子力災害現地対策本部と福島市が、同地区住民への説明会を開催。政府は、「特定避難勧奨地点には指定しない。とにかく除染をやる」という方針を示して終わろうとしたが、集まった400人の住民は納得せず、激論が5時間に及び、それでも決着がつかなかった。
10月27日に、「渡利の子どもたちを守る会」の住民らが、地元で住民集会をもち、政府との交渉の方針を確認。翌28日に、住民の代表が東京・参院議員会館で、内閣府原子力災害対策本部との交渉に臨んだ。
11月23日の住民集会は、この間の行動と交渉を総括し、次の方針を議論するもの。地区の住民ら約80人が集まった。

「選択的避難区域」を
「渡利の子どもを守る会」代表の菅野さんが、この間の交渉の状況と、住民の側の切迫した要望に踏まえて、次のような趣旨の提案をおこなった。
政府は、渡利地区の「特定避難勧奨地点」指定を見送ったが、そもそも、このような「地点」の指定では、渡利地区に合った措置は期待できない。「地点」の指定では、それによってコミュニティが分断される恐れがある。住民も、そんなことは望んでいない。
そこで、現在の「特定避難勧奨地点」の制度を見直し、福島市や渡利地区の実状に即して、新たな制度の導入を求める。
すなわち、高い放射線量に不安を持つ住民、とくに子ども・妊婦のいる家庭が、それぞれの選択で、同じ市内や近隣市町村に、一時的でも避難・移転でき、必要な援助・補償が受けられるようにする制度だ。これを、「選択的避難区域」とする。
隣の大波(おおなみ)地区で除染が始まっているが、難航している。渡利地区の除染がいつ始まるかも定かではない。そうしている間にも、子どもの被ばくは続いている。
とくに、除染が始まり、粉塵とともに放射性物質が舞い上がる危険な環境の下に、子どもたちを置いておくことには不安を感じる。除染の間だけでも、渡利地区を離れることができるような措置を取ってほしい。
同じ市内でも比較的、空間線量の低い西側、具体的には土湯温泉などの宿泊施設に、一定期間、除染の対象となる地区の子どもたちを避難させる方法を提案する。
―この提案が、「子どもたちを放射能から守るために 渡利・小倉寺(おぐらじ)・南光台(なんこうだい)の避難の権利・賠償に関する要望書」という形でまとめられ、福島市長、県知事、政府にたいして提出されることになった。

避難求める横の広がり
国も行政も除染を呼号する中で、避難を求める渡利地区の住民が孤立させられてしまうかのように思われた。
ところがこの要望書には、渡利地区だけではなく、隣接する小倉寺地区や南光台地区の名前も並んだ。これは、渡利地区と同じように高い空間線量なのに、避難ができないでいる小倉寺や南光台の地区からも、渡利地区の動きに同調したいという声があがり、それを反映したものだ。
また、福島市内の商店会からも、「渡利の子どもを守る会」に話が聞きたいという声がかかったという。
さらに、この日の集会では、除染などで先行する隣の大波地区や郡山市、南相馬市などからも、同じ思いの発言があった。
とくに、「大規模除染」が始まっている大波地区の住民から次のような事実が話された。
@地区内でおこなわれた放射能問題の講演会の際、自治会の役員らが、講師にたいして、「避難のことを言ったら、講演を止める」という制動をかけるなど、避難について議論することを許さない雰囲気をつくっている。
A同地区の除染によって出る汚染土の仮置き場が、住民が反対の声をあげているにもかかわらず、市と自治会役員の間だけで、地区内の公園に決められた。
B実際の除染は、計画よりも1カ月以上遅れており、しかも除染後も放射線量は下がっていない。
国や行政が呼号する除染が、住民主体を無視し、民主主義にもとるやり方で進められいることに、驚きと怒りの声が漏れた。
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表世話人の中手さんが、「まず声を挙げた。それがようやく形になり始めた。だけど結果が出せるかどうか。今日の集会は、もしかしたら、後々、『あの日が転換点だったね』と言っているかもしれない。そう言える日が来るようにがんばろう」とまとめた。

渡利署名に協力を
12月上旬の対市交渉にむかって、緊急の署名が呼びかけられている。福島市内、県内のみならず、全国のみなさんの協力を訴える。一次締め切りは、12月9日。
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署名用紙、署名フォームはインターネットで「渡利署名第2弾」で検索。


結果を出すまでがんばる(11月23日 福島市内)


ストップ! 「ヤマサクラ61」(日米共同指揮所演習)
元自衛官連絡会がシンポジウム

80回超えた第3師団への申し入れ
陸上自衛隊中部方面総監部がある伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)で来年1月31日から2月5日まで実施される、日米共同指揮所演習「ヤマサクラ61」の中止を求めて、元自衛官連絡会が10月30日、大阪市内でシンポジウムを開催した。
はじめに、「とめよう戦争 兵庫・阪神連絡会」の梶原義行代表から、2004年に伊丹市の陸上自衛隊第3師団から第6次イラク派兵が実施されるのを阻止するために座り込みなど多彩な闘いをはじめて以来、自衛隊伊丹駐屯地・第3師団への申し入れが80回を超えたことが報告された。
その間に、政府は自衛隊の戦力を「基盤的防衛力」から「動的防衛力」へ大きく転換させ、海外派兵を常態化させている。
陸自派兵に反対するたたかいは、米軍普天間基地撤去・辺野古新基地建設反対と連帯するたたかいであり、日米安保同盟の強化と日米共同軍事演習に反対するたたかいとしてますます重要な位置を持っていることが確認された。そして来年1月31日から始まる日米共同指揮所演習の中止を求める伊丹のたたかいを開始する場となった。

自衛隊に「疑似戦場体験」
講演をおこなった反戦自衛官の小多基実夫さんは、3・11大震災直後に横田基地に置かれた米太平洋軍前線司令部=「米4軍統合支援部隊(JSF)」と防衛省・仙台駐屯地に置かれた「日米共同調整所」が、初めて実戦の場で発動されたこと。米軍によるトモダチ作戦は、核戦争下の上陸―占領作戦としておこなわれたこと。自衛隊史上はじめての10万人動員という総力戦規模で、日米共同作戦が実施されたことを指摘した。
出動した自衛隊は、東日本全域の幹線道路を管制し、空港の復旧などもふくめて、衣食住にかかわる兵站の入り口から出口までのすべてを取り仕切ったのである。まさに有事法(国民保護法)に基づく国民総動員を実地でおこなったのだ。
自衛隊の災害救助活動を見て、「自衛隊を災害救助隊につくりかえよう」という議論が左翼系の学者などからわき起こっている。こうした自衛隊の賛美は、かつての「兵隊さんありがとう」の歴史をふたたび繰り返すことになる。それは「戦争ができる自衛隊」「国軍化」の道である。
被曝を覚悟した福島第一原発周辺の作業や行方不明者の捜索と遺体収容作業などに動員された10万人の自衛官は、「疑似戦場体験」にさらされた。多くの自衛官が有無を言わせぬ雰囲気の中でこうした作業の「志願」を強要され、苦悩しているのである。

自衛隊を対中国戦略に動員
自衛隊は、今回の災害派遣の「実績」をチャンスとしてとらえ、対中国包囲にシフトした米軍戦略の転換に呼応して、ふたたび沖縄を戦場とする南西重視の「動的防衛力」戦略を推し進めている。
陸自は、11月10日から18日まで九州各地の演習場でおこなわれた「島嶼部防衛演習」のために、90式戦車4両をふくむ戦闘車両70台を、北海道から大分の日出生台に民間フェリーを使って移動させた。
この大演習に続いて、日米共同指揮所演習「ヤマサクラ61」がおこなわれようとしている。これは中国に対する米軍の軍事包囲戦略に自衛隊を組み込んでいくものだ。
1月22日には、伊丹市内で「ヤマサクラ61」反対闘争がとりくまれる。日米共同演習に反対しよう。

グアム移転費を認めず 米上院が法案可決

沖縄の米軍普天間基地を名護市辺野古に移設するとした「日米合意」計画を断念し、普天間基地機能を嘉手納に統合するよう主張している米上院軍事委員会が提出していた「国防権限法案」が1日、可決した。
同法案は、在沖海兵隊のグアム移転を認めないとしている。下院と異なる結果となったため、両院協議会が開かれるが、グアム移転費が一切認められなかった場合、辺野古への新基地建設は、いっそう困難になる。

4面

ギリシャ危機と世界財政・金融大恐慌(上)  落合薫

1 ギリシャ危機の根源性

(1)財政危機と金融危機の連鎖
1カ月あまりのあいだに、ユーロ圏の財政・金融危機が連鎖的に広がった。ギリシャの財政破綻と実質的デフォルト(債務不履行)につづいて、イタリアの財政危機が露呈し、イタリアは国際通貨基金(IMF)の管理下に入った。これに、ドイツ国債の「札割れ」が追い討ちをかけた。11月23日、ドイツの10年物国債の入札の応募額が募集額の6割に満たなかったのである。
いずれも、「先進国」とされる経済協力開発機構(OECD)加盟国ではかつてなかった事態である。今回の危機は、2008年のリーマン・ショック以上に、各国の財政危機と金融危機が連鎖的に複合している点で、より深刻である。
ユーロ圏諸国や銀行は、銀行が「自発的に」応じるから、強制的に債務カットを迫る通常の債務不履行とは違うと主張している。しかし押しつけられても債務削減に応じない、あるいは応じることができない銀行が相次いで出てくれば、このシナリオは崩壊する。たちまち本当のデフォルトになる。

(2)ギリシャの危機
欧州連合(EU)各国はギリシャにたいする支援額を減らすため、緊縮財政を求めるだけでなく、空港や郵便局など公営企業を売却して500億ユーロ(5兆7500億円)を捻出することまで求めた。事実上、外国企業への叩き売りである。またEUとIMFは無理な財政「健全化」の目標を押しつけている。
ギリシャ政府は公務員を削減し、追加増税に加え、国有財産の売却などをおこなうという。しかし経済成長率がマイナス5.5%(今年見込み)で、失業率が17.6%(7月。15〜24歳は42%)の国で、2014年にGDPの6%相当の黒字(歳入超過)を目標とすることなど、どだい無理である。
危機と負担をおしつけられるギリシャの労働者人民は、昨年初めから9回に及ぶゼネストに立ちあがっている。今年、10月18〜19日の48時間ゼネストでは、全国各地で人口の10%の約100万人がデモに加わった。

(3)危機の原因
喧伝されているのは、脱税や所得隠し(GDPの15%と推定)、人口1110万人にたいし100万人に上る公務員数の多さ、社会保障と福祉の水準の高さなどである。ドイツでは、イソップ物語の「アリとキリギリス」のたとえを引いて、「働かないギリシャ人をわれわれの税金でなぜ支援するのか」などと言われている。しかし年間労働時間でもギリシャの労働者の方が「働いている」。
通貨統合により、ユーロの価値は17カ国によって支えられていると思ったフランス、ドイツ、イギリスなどの銀行が放漫な貸し出しをした。とくにフランスの銀行はギリシャの債権・国債を大量に買って危機を高めた。
ドイツの銀行が各国債にたいするクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を149億ユーロも売りに出している。とくにギリシャのCDSのレート(保証料)が50%を超えているなかで、ドイツの銀行は、ギリシャを危機に追い込んで、しかも破綻させないことがもっとも儲かる。逆に、ギリシャのソブリン債CDSを買った側は、ギリシャ財政をデフォルトに追いこめばもうかる。ギリシャは投機的な金融サギの餌食にされたのだ。

※注 ソブリン債とは、政府・政府機関発行の債券。CDSとは本来、一種の信用リスク保険であって、利子収入の幾分かの掛け金を毎年払えば、債権が不履行にされた場合、額面通りに支払いをしてくれるという契約である。ところが、債権の所有のいかんにかかわらず、その「裸の」契約のみを売買できるようになって、CDSは性格が一変する。相手が倒産するかどうかを賭ける純粋のギャンブルになってしまうのだ。


ギリシャ政府はゴールドマン・サックスなどの米投資銀行に知恵をつけられ、金融工学による粉飾、早く言えば、「飛ばし」、またはインフラなどの国家の将来の収入源を抵当に入れての融資などに走った。それを隠す指導をしたのもアメリカの金融機関である。しかもギリシャの財政破綻の最後的引き金を引いたのは、アメリカのマネー・マーケット・ファンド(MMF)である。
投機的な高利を目がけて世界中の市場を浮遊するMMFこそ、今回の危機の主犯というべきである。現に、6月―8月の2カ月間に、MMFは550億ドルもヨーロッパ市場から逃げ出している。
ギリシャの汚職事件に登場する「黒幕」はドイツ企業が多い。シーメンス、ダイムラー、フェロシュタールなどドイツ企業のギリシャ当局への贈賄疑惑が、汚職事件の裁判のたびに浮かび上がっている。また米露に次ぐ世界第3位の武器輸出国ドイツの一番の顧客はギリシャである。00〜10年、ドイツはギリシャに潜水艦や戦車など25億ドル(約1900億円)もの兵器を売った。他方、ギリシャの「敵国」トルコにも、ドイツは大量の兵器を売っている。

2 EU・ユーロ解体の危機

(1)危機対策が危機を拡大する
10月下旬のユーロ圏首脳会議は、危機対応力を現状の4400億ユーロから1兆ユーロ規模に高める欧州金融安定基金(EFSF)の強化を決めた。しかし欧州各国が投入するのは2割程度で、残りの約8割はIMFや民間など外部資金頼みという。それでも必要資金の調達のため、各国の財政負担は増える。自分の足を食って飢えをしのぐタコのようなものである。
民間保有のギリシャ国債の50%ヘアカット(債務減免)案は、ギリシャの政治的混乱で宙に浮いてしまっている。欧州銀行への資本増強案も、来年6月末を期限に中核的自己資本比率を9%にすることと引き換えである。これによって、多くの銀行が増資よりもバランス圧縮を進める(分子拡大より分母圧縮をする)ため、貸し渋り、貸し剥がしが頻発し、景気の一層の悪化につながる。
EFSFの規模拡大案は、同基金の資金をベースに借り入れを起こし、レバレッジを効かせて、ユーロ圏国債の購入や銀行への資本注入を実施しようとするもの。レバレッジを効かせることのリスクや外部資金(中国や日本)頼みの不透明さから、破産は目に見えている。

※注 レバレッジとは、投資において信用取引や金融派生商品などを用いて、手持ち資金よりも多い金額を動かすこと。自己資本と比較して、損も利益も巨額になる。


(2)EUとユーロ圏のなりたち
通貨統合は、対米対抗的な域内囲い込みという防衛的性格をもっていた。同時に、フランス・イタリアなどの国にとっては、ヨーロッパの金融政策をドイツが事実上決めている状況を改めること、一言でいえば、「ドイツ・マルクの支配を排除すること」であった。また政治的には、東西統一で巨大になるドイツが独自路線に向うのを防ぐという意図もあった。
つまりEU諸国は、ドイツの経済力を当てにしてEU、ユーロ統合に応じたが、他方では、ドイツの主導権は認めない、ドイツを封じこめることに力を尽くしてきた。しかし理念とは逆に、各国間の格差、各国内の格差は拡大している。
結局、ドイツを封じこめる目的であった単一通貨圏が、突出するドイツに依存する財政破綻国家群の「共同体」となるか、逆にドイツがユーロ圏を単独で離脱するのかという、ぎりぎりの選択が問われるところまできている。
ユーロ統合の脆弱性
1999年の発足当初、通貨統合の欠陥が深刻な問題にならなかったのは、中・東欧というフロンティアがあったからである。
04年に始まった中・東欧への東方拡大(この年に中・東欧10カ国がEU加盟)で、EU加盟国はそれまでの15カ国から27カ国に増加した。新たな加盟国は市場経済化を急いだため、ユーロ圏では自動車から配管まで輸出が増えた。ギリシャなどの中小国の貿易収支や雇用を支え、構造問題は隠ぺいされた。
08年の金融恐慌のときですら、ユーロは上昇を続け、対ドル相場は最安値の2倍にもなった。ユーロがドルに代わる世界通貨になると言われたのはこの時である。
しかし通貨・金融政策は統合したが、財政は各国ごとの「主権」に基づいて別個であった。さらに労働法制が各国ごとに異なっており、移民労働者をめぐってEU各国で排外主義が台頭している。政治的統合の困難性と民族国家による階級支配の行き詰まりがここに表れている。
ふたたびドイツ問題
ユーロ統合の前から、ドイツは東欧諸国に工場が流出する恐怖から、労資一体で賃上げを抑制し、消費を抑制して、生産性向上と資金の欧州諸国への投資に振り向けた。ギリシャをはじめ、スペイン・ポルトガル・イタリアなどの南欧諸国は、ドイツからの投資を受け入れ、消費バブルでドイツ製品を買いまくった。その結果が、今回の南欧諸国の財政危機、信用不安である。
2011年3月25日に発表されたEU首脳会議の「ユーロプラス協定」は、賃金抑制のために相互チェック・システムを導入するなどの点で、フランスがドイツに「屈服し」、EU圏全体の「ドイツ化」を進めるものとなる。(11月30日 記)


5面

改悪「臓器移植法」 その危険性を問う
市民ネットワークがシンポジウム

11月13日、「このままでいいのか!改定臓器移植法のこれからを考える」シンポジウムが都内で開催された。主催は、「臓器移植法を問い直す市民ネットワーク」。パネリストは、浅野健一同志社大学教授、光石忠敬弁護士、小松美彦東京海洋大学教授、そして司会は脳神経外科医の山口研一郎氏。4氏の提起をまず受ける形で進められた。

歪められた報道
浅野氏は、99年3月から7カ月間、厚生省(当時)の臓器移植専門委員会の委員を務めた経験がある。2月におこなわれた97年「臓器移植法」に基づく第1例目の「脳死・臓器移植」をめぐって、NHKをはじめとした家族のプライバシーをも考慮しない報道の中で、報道の基準を作る作業をおこなった。しかし、「脳死判定」の状況も含めて監視するオンブズマンを作ることを主張した結果、首になってしまったとのこと。
彼が作った基準は、後にまったく考慮されなくなり、「脳死判定」をおこなった病院、「脳死」となった原因、正しく治療がおこなわれたのかなど、大事なことが報道されなくなってしまっている。臓器移植ネットワークや厚労省の垂れ流す情報のみを伝える結果、鉄道自殺を図った少年は、交通事故として報道され、交通事故での脚の手術の中で血栓が飛び「脳死」となった青年も交通事故として報道されるような状況になってしまっている。
光石氏は、09年の改悪「臓器移植法」について、「脳死」となった本人の事前の意思表示が不明な場合には、家族の判断で臓器を摘出してよいとすることは、自己決定権の空洞化をもたらす、と批判。直ちに施行を停止するべきであると述べた。

アメリカでの実態
小松氏は、アメリカで進んでいる実態を紹介し、警鐘を鳴らした。
アメリカでは、「脳死」と診断されながらも長期に生存する症例に基づき、「脳死」を人の死とすることに対する批判がおこなわれたが、これをかわし、臓器摘出対象を増やす方策が主張されている。
08年にまとめられた『大統領生命倫理評議会白書』では、意識と呼吸運動が消失している者は、生きようとする力を失っているのであって、死んだものと見なす、という論理が記されている。これは暴論だ。救命打ち切りの手順を簡素化するだけに過ぎない。
人工呼吸器を使って生存できるということは、肺における酸素と二酸化炭素の交換がおこなわれ、細胞レベルの呼吸もおこなわれていることを意味する。人の意識は、体を動かすことができなければ、他人が判断することはできない。
またアメリカでは、人工呼吸器を外して心停止を起こさせ、臓器を摘出することもおこなわれている。07年には793件おこなわれた。そして、生命倫理学者の中から、この際、死んだ人からでなければ臓器摘出をしてはならない、というルールをなくしてしまおう、との主張がおこなわれている。

日本の医療も変質
山口さんは、日本の医療界も変質してきていると指摘。救急医は、患者の救命だけでなく、臓器提供のことまで考えなければならない状況になってきている。また、患者も入院時に臓器提供の意思を問われるようになってきている。
そして医療界からは、虐待で「脳死」となった子供からもアメリカのように臓器を摘出できるように検討すべし、「脳死判定」から臓器摘出のプロセスを簡略化すべし、などの声が上がってきている。

“いのち”を考える
市民ネットワークの川見さんからは、「TPPによって、アメリカのような医療体制が推し進められるのではないか」との指摘もなされた。
会場からの発言として、お子さんが心臓移植を受けた方から「皆さんは、移植を受けて助かっている人のことをなぜ語らないのか」との意見が出された。小松さんは答えて、「臓器を摘出されて死なされた人のことをどう考えるのか。また、死に瀕した人が複数いる場合に、わたしたちは家族の救命だけを考えることが許されるのかどうか」と述べた。
市民ネットワークでは、『脳死・臓器移植Q&A50 ― ドナーの立場で“いのち”を考える』を海鳴社から出版した。臓器移植や「脳死」の実態、それらがもたらすいのちのきりすてを進める社会への批判が、そこには記されている。(K)

“雇用の立て直し”こそ急務
『「生活保護利用者過去最多」に当たっての
見解』(生活保護問題対策全国会議)を読んで

厚労省は11月9日、今年7月の生活保護利用者数が1951年度を超えて過去最多の205万495人になったと発表した。
これに対し、生活保護問題対策全国会議(事務局長 小久保哲郎弁護士)は同日、全国の反貧困運動や生活保護にかかわっている多くの団体、さまざまな労働組合など54団体の賛同の下、“利用者数ではなく保護率で比較すべき”“利用者の増加ではなく貧困の拡大こそ問題”“社会保障制度を拡充し、雇用を立て直すとともに、生活保護制度の迅速な活用によって生活困窮者を漏れなく救済すること”が大切だとする見解(以下、『見解』)を発表した。

利用者数ではなく保護率で比較すべき
『見解』が示すとおり、生活保護利用者数でみると1951年度は204万6千人であるから、現在の利用者数は確かにこれをわずかに超えるが、保護率(全人口に対する保護利用者数の割合)でみると、まったく違う様相が浮かび上がる。
1951年の人口は8457万人だから保護率は2.4%、他方現在の推計人口は1億2691万人であるから保護率はわずか1.6%にとどまる。つまり、現在の保護率は1951年の3分の2程度にすぎないのである。
当時と同等の保護率になるには、保護利用者数は現在の約1.5倍の309万人に達
する必要がある。保護率でみると、いまだ「過去最高水準」には遠く及ばないのである。
また、左図にあるように、日本の保護率は異常に低い。フランス5.7%、イギリス9.27%、ドイツ9.7%、アメリカ13.05%に比較して、日本はわずかに1.57%である。むしろ、日本の社会保障の劣悪さこそが浮かび上がる。

貧困の拡大こそ問題
『見解』は、生活保護利用者増加の背景にある「雇用と社会保障制度の不全」に鋭く切り込んでいる。
日本の年金制度が社会保障機能に乏しく、無年金・低年金の高齢者が多数存在する構造的問題を指摘したうえで、「非正規雇用の蔓延等によって雇用が不安定化し低賃金の労働者や長期失業者が増えたこと、雇用保険のカバー率が失業者の2割程度と著しく低いこと、子育て世代への支援が乏しく、低所得者に対する住宅セーフティネットもほとんど存在しないことなど、生活保護の手前にある雇用や社会保障制度の手薄さに原因がある」と指摘している。
さらに、「こうした状況の中では『最後のセーフティネット』と言われる生活保護の利用者数が増えることはむしろ当然のことであり、多くの生活困窮者の生存を支えているという積極的な面にこそ目を向けるべきである」と指摘する。
「問題は、『生活保護利用者が増えている事』や『生活保護利用者そのもの』にあるのではなく、そうならざるを得ない雇用やその他の社会保障制度の脆弱性にある」「こうした生活保護利用者増加の真の原因を解決しないまま、生活保護制度や制度利用者を問題視することでは解決にならない」「生活保護制度を切り縮めることではなく、低賃金・不安定雇用への規制を強化し、雇用保険、年金、健康保険、児童扶養手当、子ども手当、住宅手当、生活保障付き職業訓練などの中間的セーフティネットを充実することこそが求められている」と指摘する。

何が問題か ―労働組合の課題
私は、『見解』の指摘する“雇用の立て直し”は、極めて重要であると考える。労働運動にかかわっている立場から反省的にとらえると、われわれは“雇用の立て直し”にどれほどのことができているのか、ということがある。
小泉構造改革・規制緩和の中で、労働ビッグバンが強行され、戦後長く続いてきた「他人の就業に介入して利益を得てはならない」という「中間搾取の禁止」(労基法第6条)は派遣法によって穴をあけられ、さらに製造業等への拡大によって膨大な間接雇用・不安定雇用・低賃金労働者が生み出されてきた。
また、かつては失業者の生活保障を果たしてきた雇用保険制度は次々と改悪され、1995年には中高年齢者には遡及加入しても最低210日あった失業給付は今や年齢に関係なく90日に切り縮められ、給付額も大幅に下げられた。それだけでなく、雇用破壊による賃金抑制・賃下げが横行し、期限の定めのない契約は数カ月単位の有期雇用契約に切り刻まれた。
『見解』を読んで思うことは、労働組合として取り組むべき課題が多くあるということである。雇用破壊とのたたかい、派遣法撤廃をみすえた抜本改正へのさらなる力量投入、有期契約の拡大とのたたかい、整理解雇4要件破壊とのたたかい、最低賃金を上げるための地域や産別でのたたかい、生活保障としての失業給付の拡充を求めるたたかい等々である。
生活保護という切り口から、日本社会のさまざまな問題点が浮かび上がる。たたかう側の主体の問題点も同時に見えてくる。生活保護法のたたかいに関わって感じることは、私自身の視野の狭さである。社会保障の運動をたたかっている人たちに学びながら、この日本社会の中にさらに深く入り、労働運動の現場に立って、多くの人たちとともに、この社会を変えていくことが求められている。(Y)

6面

「住宅明け渡し」の不当判決
住民はただちに控訴 芦原地区住宅裁判

改良住宅家賃値上げに反対して従前家賃の供託を続けてきた兵庫県西宮市の芦原地区住民に対して、11月15日、神戸地裁尼崎支部は、「住宅の明け渡し」を命じる不当判決を下した。
弁護団からの報告によれば、供託者の家賃支払いについて他の市町村が「支払い能力に応じた」柔軟な対応をおこなったことについて裁判所は、「本来あるべき在り方とは言えない」とし、3年間という到底不可能な支払い期限を設けて住民追い出しをはかった西宮市を擁護した。
また、判決は「住民の居住先の確保については明け渡し裁判とは別物」と述べ、裁判所として判断しないと言い放った。さらに判決は「国際人権規約が定める居住の権利は、家賃滞納まで認めたものではない」との見解を示した。
総括会議では、芦原地区住民らから「追い出された住民がどこへ行こうが知らんという。どこまで卑劣な判決か」「一方的な値上げを認め、払えなければ出て行けということを認めるのが国際人権規約か。判決が言ってるのは嘘八百だ」という弾劾の声がわき起こった。芦原地区自治会連合の役員からは「判決は仮執行をつけることができなかった。昨日と明日とで何が違うか。何も変わらない。これからも一日一日住みつづけることが勝利だ。これからも勝利を積み重ねていこう」と力強く方針が提起された。この日の不当判決に対しては、ただちに控訴することが表明された。
不屈にたたかいつづける芦原地区住民と連帯して、大阪高裁での控訴審を共にたたかいぬこう。(M)

部落差別の歴史に終止符を
再審実現へ神戸で狭山集会

狭山再審闘争が大きな山場を迎える中、粟原富夫・神戸市議ら5氏のよびかけによる狭山集会が神戸市兵庫区で開かれた。
吉田徳夫関西大学教授の「司法と部落差別」と題した講演で、1960年に至るまで結婚差別判決が判例として生きてきたことを知り、衝撃を覚えた。吉田教授は、部落差別が司法を含めた国家の政治によって作り出されてきたものであることを強調し、狭山再審闘争が「部落差別の一つの歴史に終止符を打つたたかいである」ことを明らかにした。
集会での各発言は、いずれも「狭山再審の今を伝え、再審闘争の輪を広げよう」という思いに満ちたものだった。私自身も、この集会をきっかけに、狭山再審実現の一翼を担っていきたい。(K)

大逆事件100年で 全国サミット
全国8団体が真相糾明・名誉回復求め連絡会

1911年1月24日の大逆事件死刑執行から100年目の今年、大逆事件26人の人権回復を求める催しが、1月の幸徳秋水墓前祭(『未来75号』参照)はじめ全国各地でおこなわれた。とりわけ9月24日には、首謀者とされた秋水の生誕地=高知県中村市(現四万十市)に、和歌山をはじめ全国各地の人びとが集まり「大逆事件100年サミット」が開かれた。

真相糾明と名著回復
主催者挨拶は、大逆事件100年を市政のテーマとする四万十市の田中全市長と、大逆事件研究家の山泉進明治大学副学長。つづいて和歌山・新宮をはじめ、岡山・熊本・東京・大阪(菅野すが)、さらには事件時には赤旗事件で収監されていて難を逃れた堺利彦を顕彰する堺利彦顕彰記念館(福岡県みやこ町)、また秋水の理解者であった石川啄木の「国際啄木学会」、あらためて再審請求を模索する大阪の弁護士グループなど、全国各地からの報告がつづいた。
岡山県井原市からは秋水とは思想を異にする森近運平が今日繋がったことの意義が報告され、熊本からはこれまで声も上げられなかったが名誉回復を求める請願を始めたと発表、大阪の弁護士からは発端の信州明科(現長野県安曇野市)で宮下太吉が実験した「爆裂弾」は単二乾電池大の爆竹程度であり、また取り調べの誘導も今日的には科学的に論証できるので再審を請求したいとの報告があった。

背景は日露戦争・韓国併合と非戦運動
大逆事件は、日清戦争・日露戦争を強行し1910年には韓国を併合した明治政府が、台頭する社会主義運動をつぶすため、天皇暗殺(大逆)を企てたとして幸徳秋水ら26名を1910年6月から逮捕、裁判らしきものもほとんどおこなわず、11年1月には12名の死刑を執行し、「お上に逆えば死刑」という恐怖感を植えつけた一大権力犯罪であった。
幸徳秋水は自由民権運動の中江兆民の弟子で、堺利彦らと平民社を結成した思想家・ジャーナリストであったが、日露戦争下で非戦を貫く『平民新聞』が権力に目の敵にされ、全国各地の読者・関係者が逮捕され、係累の者は国賊として故郷を追われた。「天皇に逆らえば死刑」の恐怖感はその後のこの国の社会運動を大きく制限していく。
当時この事件に衝撃を受けた石川啄木は、日記に「幸徳は決して自ら今度のやうな無謀を敢えてする男ではない」と記した。この声を背に秋水は最後の漢詩を作り(区々成敗且休論… こまごまとした成功失敗について、今あげつらうのはやめよう)、「100年後の人々の判断」に理解を委ねたのである。

100年後の風景
同じ四国で中村からそう遠くない愛媛・松山の地は、「日露戦争の英雄」=秋山兄弟の生誕地である。しかし膨大な農民兵士を死に追いやった日露戦争は、その後秋山兄弟すら軍隊をやめ宗教や故郷の学校長に走る。この対外侵略か非戦かの分岐点で「国民作家」司馬遼太郎は迷い、秋水の生誕地=中村を何度も訪れ、自由民権運動を取材するが、作品にはしなかった。そして松山が舞台の作品『坂の上の雲』が司馬最大の人気作品となる。とはいえ司馬はこの作品の映像化に反対していた。
その日露戦争・大逆事件から100年。日露戦争で傷ついた一農民兵士の孫が、市長として日露戦争に非戦を貫いた秋水顕彰の事業に奮闘し、また和歌山新宮・紀伊半島一帯や高知中村周辺は、1960年〜80年代に原発建設をことごとく阻止し、今は地域をあげてTPPに反対している。しかしそれでも祖父が秋水の関係者であった有名歌手は、100年事業に際して祖父の故郷で歌うことは叶わなかった。まだまだ闇は深く、秋水の託した100年後に革命は成就してはいない。それでも民衆の闘いは四万十や熊野の清流が黒潮で繋がるように、次なる大きな社会変革へと歩んでいると思えた。(岸本琢磨)

改憲ねらう憲法審査会がついに始動

憲法改悪のための国民投票法は、07年5月、安倍政権が強行成立させ、10年5月に施行された。
この法により、憲法改悪原案が国会に提出されれば、憲法審査会の議決を経て国会が改憲を発議し、いつでも国民投票が可能となる態勢に入った。この憲法審査会が、反対の声を押し切って、衆参でそれぞれ始まった。
衆議院では11月17日に第1回目が、今月1日には第2回目がひらかれた。参考人として出席した前衆院憲法調査会会長・中山太郎は、「大震災への対応のひとつ」と称して非常事態条項を作れと要求(11・17)、自民・石破は、国家存亡の危機の際、国家を守るために「国民の権利を制約し、義務を負わす」(12・1)などと主張した。
参院でも11月28日に、第1回目の審査会が開かれた。

公立学校の新人教員 「心の病」が急増

11月8日発表の文部科学省調査によると、10年度に公立の小中高・特別支援学校などで働き始めた教員約2万6千人のうち、288人が1年以内に依願退職した。10年前、00年度の依願退職者は新人教員約1万5百人のうち、33人だった。率にして、3.6倍も増えている。特に、「心の病」で辞める人が急増。
10年度の退職者数は、東京都がトップで84人、次いで大阪府20人、愛知県18人、埼玉県15人。