未来・第91号


            未来第91号目次(2011年10月18日発行)

 1面  福島・沖縄、農民の怒りを一つに
     9日 三里塚で全国総決起集会

     生存権かけた闘争
     大阪ダブル選の争点

 2面  再稼動阻止 後戻りはさせない
     原発を止めるのは今しかない 伊丹集会に1200人

     「避難の権利」確立を
     区域外避難の賠償もとめ 院内集会

 3面  被ばく地・フクシマで出会った人びと(2)
     農村のきずなが生きている 古河潤一

     福島市・渡利地区の避難指定を見送り
     市の説明会で住民が反発

 4面  岐路に立つ生活保護制度
     シンポジウムに参加して

     投稿 空自・燃料タンク落下事故
     F15戦闘機に欠陥

     南スーダンへ陸上自衛隊派兵
     野田政権が方針固める

     普天間飛行差し止め
     住民側の上告棄却

 5面  寺尾判決37ヵ年 狭山第三次再審闘争
     検察に糾弾の声を

     証拠開示は検察の責務
     東京高裁・高検で狭山要請行動

     消費増税と福祉切りすて
     「社会保障・税一体改革」ゆるすな

 6面  シリーズ 原発労働者は訴える 第2回
     下請けいじめと労災隠し

     投稿 基地はいらない! ヨコスカに
     米 原子力空母の配備撤回求める

     関生・宇部弾圧裁判
     検察が1年6ヵ月を求刑

       

福島・沖縄、農民の怒りを一つに
9日 三里塚で全国総決起集会

空港二期用地内を反対同盟先頭にデモ(9日 成田市)

三里塚闘争40年の拠点であり続けた天神峰現地闘争本部の強制撤去(8月6日)から2か月、10・9全国総決起集会が三里塚現地でひらかれた。反対同盟を先頭に、沖縄、福島はじめ千人をこえる労働者、農民、市民が集まった。
開会宣言は、94歳森田恒一さん。主催者あいさつを北原鉱治事務局長。
萩原進事務局次長が基調報告。三里塚を取りまく情勢、福島原発事故の問題を取り上げ、福島・沖縄・三里塚がともに闘っていこうと三里塚闘争がすすむべき方向、当面する闘争課題について提起した(別掲)。
動労千葉・田中委員長、市東さんの農地を守る沖縄の会の豊見山雅裕さん、川野純治さん(名護市議)、関西住民を代表し永井満さん、山本善偉さんの特別報告があった。永井さんは、「9月18日、三里塚から萩原事務局次長、沖縄からの参加も得て三里塚関西集会を成功させた」と報告。
福島で原発災害と闘いながら営農を続ける農民は、「みなさんの支援に感謝。苦しい闘いを続けてきた。汚染をとめられなかった重みを感じている。自分を鍛えながら、福島の農地を私たちの手でかならず再生させる」と話した。
反対同盟の鈴木謙太郎さんをはじめ北総の農民が登壇し、反原発、TPP(環太平洋経済連携協定)絶対反対アピールを発した。

市東さんの農地を守れ
農地強奪攻撃の最前線に立ちながら、なおかつ「自然体でやっていく」と語る市東孝雄さんは、「農地を守る正義を確信する。身体を張って闘う」と決意を表明した。続いて、この間の攻防を支えぬいてきた、市東さんの農地取り上げに反対する会・共同代表の井村弘子さん他があいさつ。
顧問弁護団が8・6現闘本部破壊と裁判の報告。婦人行動隊・鈴木加代子さんがカンパアピール。部落解放同盟全国連合会はじめ住民・共闘団体から決意表明がおこなわれた。
集会宣言とスローガン採択、団結ガンバローのあと、反対同盟を先頭に、空港二期工事用地内の東峰・天神峰から市東さんの南台の農地まで、のぼり旗をなびかせ、声高くシュプレヒコールを繰り返しながらデモをやりぬいた。

福島の悔しさをわが身に 市東孝雄さん

農民の喜びは、自分が手塩にかけた作物が「おいしい」と喜んでもらえること。しかし福島の農家は、それができない。それは農家にとって絶望的なこと。警戒区域では、家畜を放置せざるを得なくなっている。そのあげくに殺処分。牛肉は出荷停止、果物は半値に暴落。わが身と思えば本当に胸が張り裂ける思いだ。
額に汗し誠実に働いてきた人たちに、何の罪があったのか。家を捨て農地を放置し、泣く泣く故郷を去らねばならない。子どもたちには、被曝の恐怖がある。私は、福島の人々の怒りと悔しさをわが身において闘う決意だ。


涙はつきた、手を組んで闘おう 萩原進さん

農民は土地を持って、牛や豚を背負って他所へ行くことはできない。降って湧いた人災によって見殺しにしなければならなくなっている。同じ農民として許せない。涙は尽きた。東北、福島の農民、漁民、仕事をなくした労働者と手を組んでたたかおう。原発を廃炉に。つくったやつらの責任を徹底的に追及し負わせる。
野田政権は、原発再稼動、沖縄基地の日米合意推進、TPP農業問題、教育への介入、三里塚攻撃、大弾圧などをやってくるだろう。「原発がなければ電気が足らない、沖縄基地がなければ攻撃される、空港がなければ経済が成り立たない」「輸出のためには農業は潰れてもいい」「国策だ」と脅してきた。しかし何が国策、国益だ。TPPは農民だけじゃない、労働者の生活を一変させる攻撃だ。もう騙されませんよ。
裁判闘争と現地闘争を一体にたたかおう。戦闘的労働運動も三里塚に結集している。労働者も農民も市民も、大きな波を広げてたたかおう。反対同盟は先頭に立ちます。


「三里塚裁判支援運動」を支えよう
天神峰現闘本部破壊(8月6日)につづいて、市東さんの耕作地・農地をめぐる攻防が激しさを増している。反対同盟は、天神峰現闘本部裁判闘争をひきつぎ発展させる闘いとして、あらたに「三里塚裁判支援運動」を発足させた。ともに担っていこう。

三里塚裁判支援運動
年会費1口3千円(団体は可能な限り複数口を)
郵便振替口座:00210-0-54174
加入者名:三里塚裁判支援運



生存権かけた闘争
大阪ダブル選の争点

「橋下と大阪維新の会の暴走をとめろ」。これが、11月27日に投開票がおこなわれる大阪市長選における労働者人民の共通のスローガンだ。
橋下徹・大阪府知事は10月21日の大阪府議会本会議で辞任を表明し、23日の大阪維新の会の総会で大阪市長選への出馬を表明する予定である。したがって11月27日には大阪市長選と大阪府知事選のダブル選挙となる。まさに橋下・維新の会との政治決戦である。
この選挙の争点はふたつである。一つは橋下・維新の会がかかげる「大阪都構想」の是非である。もう一つは、府議会に提出された「教育基本条例案」「職員基本条例案」にみられる首長独裁型政治の是非である。

市民の財産を投げ売り
ここで「大阪都構想」の正体をはっきりさせておこう。橋下と維新の会は今日の世界を「大都市が民間投資獲得を目指して競う都市間競争の時代」(「大阪都構想推進大綱案」)という。彼らはこの競争に勝ち抜くための「驚天動地の行政改革」と銘打って、大阪市が所有する公共施設や公共交通の大規模な民営化を断行すると宣言している。
橋下が行革の対象にあげているのは、小中学校教育、国民健康保険、介護保険、生活保護、大学、病院、図書館、博物館、動物園、港湾など多岐にわたる。
大阪市長選のマニフェストでは保育所・幼稚園と地下鉄はただちに民営化することと、市有地を売却することを公約している。大阪市が保有する土地は市内の四分の一を占める。
長年にわたって大阪市民が蓄積してきた共有財産である土地や公共施設などの莫大な資産を、市場に放出して処分してしまおうとしているのだ。
これに内外の投資家や大企業がハゲタカのように群がってくるのは火を見るよりも明らかだろう。しかしそのあと、大阪市民に残されるものは医療・福祉の崩壊であり、教育の荒廃であり、雇用と賃金破壊の進行であり、格差と貧困の深刻化以外のなにものでもない。
橋下と維新の会の暴走を許せば、まさに「驚天動地」の災難が大阪の住民に降りかかってくるのである。

石原都政をまねる橋下
これは決して大げさなことではない。橋下が「大阪都構想」でぶち上げていることを、すでに10年前から実行している男がいる。東京都知事の石原慎太郎である。その独裁型の政治手法は言うまでもなく、教育や医療から「カジノ構想」にいたるまで、橋下のかかげる政策は石原とそっくりだ。
問題は石原都政の12年間で東京がどのように変貌を遂げたかということだ。2008年に東京都内で餓死した人は43人。10年間で1・6倍になった。予算規模約12兆円(2011年度)という日本一豊かな自治体で餓死者が増え続けているのだ。この数字は石原都政がいかに「弱者」に過酷な政治であるかを物語っている。府と市あわせても東京都の半分の予算規模しかない大阪で、橋下と維新の会は「石原流の構造改革」を強行しようとしているのだ。そんな「大阪都」に住む貧困家庭、高齢者、「障害者」、そして多くの子どもたちを待ち受けているのは、より悲惨な結末でしかないだろう。
橋下の暴走をとめろ。これは私たちの生存権をかけた闘争である。

2面

再稼動阻止 後戻りはさせない
原発を止めるのは今しかない 伊丹集会に1200人

2日、兵庫県伊丹市でひらかれた「さようなら原発1000人集会in関西」は、1200席ある伊丹ホールがほぼ満杯となり、大成功をおさめた。
福島の放射線被害をなおざりにする政府、収束を世論誘導するマスコミ、再稼動をたくらむ電力会社への不信は充満している。最寄駅から集会参加者の波は、途切れることなく続いた。ロビーには人が溢れ、開場時刻がくりあげられ、開会10分前には800席ある1階が先に満杯となった。

「原発をとめるのは今」参加者がホールを埋めつくした(2日 伊丹市)

内部被曝の恐ろしさ
集会は、ラジオパーソナリティの小山乃里子(ノコ)さんの司会で始まった。ノコさんは関西の女性アナウンサーの草分けで、95年阪神淡路大震災後は神戸市議もつとめ、森政権が「独身女性への年金は削れ」とした時は、ラジオ番組で即座に反論し、後に出演が減ったという経歴をもつ。
開会あいさつは、30年にわたり地域で反原発行動を取り組んできた「原発の危険性を考える宝塚の会」の中川慶子さん。中川さんは、長きにわたる活動の積み重ねがこの大集会に発展した、原発をとめるには今をおいてないと強調した。
講演にたった村田三郎さんは、医師の立場から放射線と内部被曝の恐ろしさを訴え、政府が福島でおこなってきたことのデタラメさを弾劾した。
社民党脱原発プロジェクト事務局長の服部良一衆議院議員は、来年4月に全原発の稼動を止めるため、国会でがんばると決意を表明した。

はじめの一歩を
落合恵子さん
休憩をはさんでいよいよ落合恵子さんの講演だ。落合さんは、自分は1945年の生まれで、戦後民主主義の申し子。あらゆる運動や闘いを経験してきた。そもそも出発点として原発と原爆は双頭の鷲で、45年の8・6ヒロシマと54年の第五福竜丸を経験したわれわれが、なぜ54基もの原発を持つに至ったのか。チェルノブイリ直後は激しく反原発を訴えたのに、25年たつと既成事実に負けてきた。今回の福島原発事故は、それを止められなかったことへの反省が出発点。子どもたちが今、放射線に怯えている。このような社会をつくった大人の責任が問われている。そして8・6ヒロシマのあとの生命の誕生をうたった栗原貞子さんの「生ましめんかな」と、今年8・6で紹介された福島のお母さんの詩を朗読しながら、私たちは運動の言葉ではなく、今を生きる人間として、「もう後戻りすることのない、はじめの一歩」を踏みだそうと、力強い訴えをおこない、万雷の拍手をうけた。

再稼動阻止の大運動を
閉会あいさつを尼崎地区労議長の酒井浩二さんがおこなった。再稼動阻止と1000万人署名を広げ、社会を変えていこうとまとめた。集会終了後のロビーは、落合さんの書籍の販売・サイン会に長蛇の列ができ、各地の反原発集会などのビラが配布され、1000万人署名や署名グッズ(のぼり旗・横断幕)の販売などでごった返し、署名は380筆が集まった。

22万枚のチラシを配布
この集会にむけて、3・11以降、阪神各地(尼崎・川西・宝塚など芦屋以東の150万都市圏)で、小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師)らを招き、「福島原発事故で何がおこったか」の集会を重ねてきた市民団体・労働組合・医療生協・消費者生協・地方議員などの団体・個人が、「原発の危険性を考える宝塚の会」などの呼びかけに応え奮闘した。
チラシは阪神各地で22万枚をまききった。全グループがあらゆる集会にチラシを持ちこんだ。ある市議は自分の選挙さながら全駅早朝ビラ配布を2週間行った。生協では商品チラシといっしょに集会チラシが配られた。会場周辺へ数千のポスティングもされ、個人は自宅・周辺住宅・友人のマンションにポスティングし、チラシがお互いのマンションで重なる笑い話も。
前売りチケットは30の団体・個人に1200枚が配布され、重なるグループ・個人が懸命にチケット販売をおこなった。
5日間にわたる宣伝カーの運行では、手を振る人、前売り券を求める人も生まれた。
最後は残ったチラシが新聞折り込みに。ネット、メール、ミニコミ紙も活用された。

100万人の決起を
福島の女性たち(10・27〜29)、全国の女性たち(10・30〜11・5)による経産省前すわりこみ行動、11・11経産省包囲行動を軸に闘いを強め、署名運動をくり広げ、来年3・11―3・24までに1000万筆を達成し、100万人の決起を作りだそう。(阪神地区・樋口)

「避難の権利」確立を
区域外避難の賠償もとめ 院内集会

区域外避難(「自主的」避難)に賠償を求める院内集会が、3日、参院議員会館講堂でひらかれた。主催は、国際環境NGO・FoE Japan、子どもたちを放射能から守る福島ネットワークなど5団体。
集会には200人が参加し、以下の3点を要求する声明文を採択した。
@4月22日以後の避難も含め、避難区域外からの「自主的」避難者、とどまらざるを得なかった住民に対して、幅広い賠償を認めること。
A「自主的」避難をせざるを得なかった住民、「自主的」避難を希望している住民、「自主的」避難に関して提言をおこなってきた市民団体等が、審査会に対して意見を言う場(公聴会)を複数回設定すること。
B市民からの意見書および意見を裏付ける資料を審査会の検討資料として配付すること。

政府は「自主的」避難に賠償を(3日 参院議員会館)

「除染」安全神話
FoE Japanの満田夏花さんは、〈避難区域外の「福島」で今、生じていること〉と題する緊急報告をおこなった。「避難区域」外の住民はいま、以下の状況におかれている。
住民の流出を恐れ、避難を「タブー」視する自治体。除染キャンペーン(除染しているのに逃げるのか)によって住民をしばりつける。根拠のない安全神話(除染で元の状態に戻る?)。避難について議論することもできない。高い線量下で不安をかかえた生活。子どもや妊婦を一般成人と区別しない被ばく線量基準。自主避難した場合や、将来の健康被害には補償のあてはない。毎日、被ばくさせられ続け、避難する権利がない状態におかれている。

命を守る選択
その後、区域外から「自主」避難した人、これから避難する人として、5人が発言した。以下、須賀川(すかがわ)市から北海道へ避難したAさんの発言を紹介する。
インターネットでBBCの映像(爆発報道)を見て、娘を連れ、妊娠中の妹と避難した。避難生活は何の未来もない。それで4月の末に福島に戻ってしまった。後悔している。福島で生きていきたいので除染をやったけれでも、隣の家も、道も汚染していて線量は減らない。自分たちだけやってもと、絶望した。5月23日に20_シーベルト撤回の文科省交渉に参加した。その時、子どもを預けた福島の母から「子どもが鼻血を出した」と電話があった。すぐ新幹線に乗って引き返した。新幹線の窓から汚染された土地をずっと見ながら、ここで生きていくのは無理なんだ。明日、ここ(福島)をすてようと決心し、家に帰った。夫は鼻血など、何が原因で出るのかわからないから医者に連れて行けばよいと言った。翌日、夫から子どもを引き離して北海道へ向かった。親族も知り合いも誰もいない。ホテルで暮らしながら、部屋を探し、本当にゼロからの出発だった。家族はバラバラになり、愛していた仕事もなくした。みんななくしたが命だけは守りたかった。命を守る選択しかない。被ばくしないであたりまえに暮らせる権利を認めてほしい。

3面

被ばく地・フクシマで出会った人びと(2)
農村のきずなが生きている 古河 潤一

私は9月上旬、趙博(チョウ・バク)さんと一緒に、ふたたび福島県をたずねた。三里塚で積んだ野菜を行く先々で配った。

いっしょに音楽会を
9月7日昼、田村市内で野菜をおろす。菜っ葉の1本、ジャガイモの1個までが25軒の農家に平等に分配されていく。どの人も野菜作りの名人たちであろう。「これはみごとな野菜」「これミソをつけてたべたらおいしいよ」。手ぎわいい。
趙博さんがギターをかきならして「北国の春」を熱唱。皆が手拍子、いっしょに歌う。何曲かのあと、原発崩壊をテーマに過激な替え歌をやると、失笑、苦笑、爆笑。歌のあと、婦人たちから「私たちも合唱団やっています。避難で数は減りましたが」「福島は合唱がさかんなんです」。たちまち、「来年1月に、いっしょに音楽会やりましょう」「やろう」で一致。
このあと、飯舘村、南相馬市に走り、老人施設や避難所でのライブは、合唱、笑顔、かっさい、大成功。
男性(50歳前後)「結婚式の撮影が仕事、カメラマンです。あの日、できあがったビデオを納品に行き、家が津波に襲われました。妻と娘がのみこまれました。ここの避難所は今月かぎり・・・。」

人が消えた海岸線
9月8日午前中、津波にのみこまれた南相馬市の海岸線を走った。広大な大地から、田んぼ、家々が消えうせ、雑草がおい茂っている。巨大なガレキの仮置場ができたが、農地の復興にはほど遠い。経験したことのない殺バツとした風景、悪臭がえんえんと続き、息苦しい。
海岸を離れ、飯舘村に入る。5月とはちがう。村に人影はなく、田畑には人の背たけをこえる雑草がおい茂り、農地の面影はない。道ゆく車輌、とりわけ復興支援車輌が減った。何よりあれほど行軍をくりかえしていた自衛隊の車輌がいなくなっていた。私が5日間、福島でみかけたのは、たった3台の小型連絡車輌だけである。日本政府は、福島の村々、田畑、人々を切り捨てた。息がつまる。

早く止めて
9月8日午後、無人の飯舘村・長泥十字路にさしかかった。ちょうど、文科省とJAEA(日本原子力研究開発機構)の職員が放射線量の測定に来た。結果は毎時14・6マイクロシーベルト、3月18日以降の累積放射線量は37・52_シーベルトである。高い。4月から下がっていない。
そこへ、1台のトラクターが走って来た。運転していたのは60歳前後の屈強な農夫。声はしゃがれて大きい。
「今、14・6と聞いた。先日、交叉点のまん中で8・3。じゃあ、田んぼの上でいくらなんだ。『測ってくれ』といくら言っても叫んでも測ろうとしない。
テレビで『飯舘は、2・3』とか言っている。うそをつくな。じゃあ、14・6の長泥は飯舘村じゃないのか。俺は飯舘村村民じゃないのか。存在しないのか。ほったらかしにしないで、俺の田んぼ、それなりの対策をしてくれ。土ににじんだ分、何とかしてほしい。
今、いちばんの気持ち、早く原子力の火を止めてほしい。月に何日か、避難所からもどり、畑の世話をしている。いまから畑の草を刈ります」。
私たちは、再開を約束してその場を立ち去った。

笑い ため息 涙
9月10日、夕方、須賀川市の小学校体育館で、矢野陽子さんのひとり芝居『ハルモニの夕焼け』が上演された。楽士、狂言まわしを趙博さんがつとめる。私は音響見習い。会場となった小学校の体育館が村人たちの結束でみるみる芝居小屋になっていく。舞台は黒幕でおおわれている。
私「あれはシイタケの栽培用のシートですか」
村人「そうです。100%遮光シート。安いし、軽い」
趙博さん「使えるな」
劇は戦前、故郷済州島から大阪に渡った女性の半生「苦労の第1期、第2期、第3期・・・」である。ハルモニと観客の気持ちが通じあい一体化し、「ちょっと平板か」と思われた劇は最後まで、笑い、ため息、涙、拍手につつまれた。200人満席。大成功。

村の人たちが総出で芝居を成
功させた(9月10日 須賀川市)

ふえる耕作地の放棄
農夫(40歳代)「須賀川の放射線量は、0・6―0・7。春野菜、何もつくられなかった。いま、田んぼに行く力、でない。来週が青い稲の放射線量検査。これで『OK』ならば、10月10日ごろが刈り取り。玄米でもう一度放射線量はかる。高ければ出荷できない。『OK』だと思いたい。
いま、米価は1俵、30s×2、60sで1万2千円。これが昨年。手間ひま燃料肥料、金かけて、1万円だと大赤字。俺、今年は、1俵8千円、6千円くらいだと思う。これでまた、耕作放棄地がふえる。来年、やっていいのか悪いのか。皆、疲弊している中で、農業やろうとしてる。
須賀川では、地震で、農業用ため池『藤沼湖』の土堤が決壊して満ぱいの水150万トンが村々をおそった。7人が死亡、1人が行方不明。多くのため池でもクラック(ひび割れ)が発生し、水をためることができなかった。4月26日、猪苗代湖から水がきて、6月1日に田植。2週間のおくれは致命的だった。」
「だが今年、日照強く、夏が長くて、稲刈りは通常通りできる。福島県の早場米からセシウムは出なかった。だけど、風評被害はひどく、野菜の出荷価格は1/3に。何か、手足もぎりとられたような気持ち。きやすめのヒマワリは、あちこちに咲いて復興復興というが、来年やれるのか」。
会場から出ると、はるか山のきわまで黄金色の稲穂が夏の終わりの日射しに波うっている。美しい。ため息がでる。
今回の原発崩壊―放射線被曝は、核エネルギーを土台に延命した資本主義が、地震によって完全に破綻した結果だ。1950年代以来、国の核エネルギー政策(核武装と一体)を許した私たちの責任は大きい。根本に、資本主義の農民・農業切りすて政策がある。私たち(私)は都市の労働者階級の一員。どうするのだ。
いまやる課題、被災地(被曝地)フクシマを支援すること、すべての原発をとめること、このふたつのたたかいをやろう。福島の人々に会い、その話を聞こう。私は、また、福島に行きます。いっしょに行きましょう。連絡下さい。
趙博さん「津波のすさまじさ、原発放射能の恐怖を、実際被災地に入って強く実感した。やはり、住めないところ、避難しなければいけないところはあるんだ。国が保障しなければならない。農作物も食えるものは食う。福島の人たちは明るい。農村のきずなが生きている。ずっと支援をつづけよう」

福島からの電話
10月1日、福島から電話があった。
「いま、小学校の運動会に来ています。毎年、運動会は秋は忙しく、春なのです。今年、あの原発爆発。小学校は閉鎖。2校が統合されて、廃校になっていた学校で勉強しています。120人の児童が運動会をたのしんでいます。いろんな問題があって半日だけです。すごくたのしい。いい日です」。〔前回は85号に掲載〕

福島市・渡利地区の避難指定を見送り
市の説明会で住民が反発

8日の午後7時から、福島市の渡利小学校体育館で、「特定避難勧奨地点」〔注〕の指定をめぐって、渡利と小倉寺の両地区住民にたいする説明会がおこなわれた。
福島市は、この説明会の開催を、一部の住民にしか通知しなかった。こっそりとやって、住民の批判をかわそうとした。が、口伝てに広がり、午後6時半を過ぎた頃から人の流れができ、始まる頃には4百人以上が集まった。
政府と福島市は、「避難はさせない」「とにかく除染」という結論ありき、それを住民に押しつけることに終始した。
これにたいして、住民は強く反発、地域の町会長なども含め30人以上が次々と発言、訴えや批判を述べた。政府・福島市の説明に賛意を示す発言は皆無だった。
説明会は、大荒れに荒れて、夜中の12時まで5時間かかっても、収拾がつかないまま時間切れとなった。

:原子力安全・保安院の定義によれば、特定避難勧奨地点とは、事故発生後1年間に受ける放射線量が20_シーベルトを超えると予測される場所が、一定の広がりを持たずに地点として存在するところ。該当する住民にたいして注意喚起、避難の支援や、促進をおこなう。特に妊婦や子どものいる家庭の避難を促す。南相馬市、伊達市などで指定されている。〕


避難させない
政府・原子力災害現地対策本部から佐藤部長など3人、福島市からは10数人が前に並んだ。彼らの説明は、年間で20_シーベルトを超える地点があっても「避難はさせない」「とにかく除染」というのが結論だった。
「南相馬市では、政府は、《地上50p、2マイクロシーベルト/時》を基準に、18歳以下の子どもと妊婦がいる家庭について、特定避難勧奨地点に指定している。なぜそれが福島市ではだめなのか。おかしい」。南相馬市から参加した市議がこのように発言した。政府は、南相馬市と福島市で、避難の基準を変えているのだ。
これまで、公衆の被ばく線量限度は年間1_シーベルトと、法令(原子力基本法と関連法令)で定められてきた。ところが文科省の下にある放射線審議会は、10月6日、この1_シーベルト基準を維持することができなくなったとして、基準を変えるという見解案を出している。それは、端的に言えば、《年間1_シーベルト基準を適用していたら、避難や除染、それに伴う補償が大規模になり、国にとって政治的にも経済的にも大打撃だ。だから、基準を変えて、国民に我慢をしてもらう》という暴論だ。
これは、福島県の父母らの要求を受け入れて、一旦は、《学校について、年間1_シーベルトを目指す》とした文科省の5月27日の見解をも反故にするものだ。

住民を守らないのか
「避難はさせない」「とにかく除染」という政府と福島市の頑なな態度に、批判が相次いだ。「渡利の人を避難させる気はさらさらないということか。」「7月から説明会の開催を求めてきた。やっと開かれたけど、除染のための説明会になっている。おかしい」。
「国と市は、住民の意見をうけとめていない。説明会を中断して、市長とか大臣を呼べ」。

20_基準との対決
「20_シーベルト基準の問題が再び前面に出てきた。構え直さないといけない」。渡利地区の住民として、「権利としての避難」を求めて運動をしてきた中手聖一さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク・代表世話人)は、説明会を総括して、このように気を引き締めた。
渡利・小倉寺地区をめぐる事態は、放射能汚染をめぐる攻防の大きな焦点であり、重大な正念場に差しかかっている。

4面

岐路に立つ生活保護制度
シンポジウムに参加して

第54回日弁連人権擁護大会プレ企画として、シンポジウム〈「岐路に立つ生活保護制度」―ワーキングプア問題解消の処方箋を探る―〉が1日、大阪市内でひらかれた。会場の椅子席はほとんど埋まり予備の椅子を出すほどの参加で、生活保護法改悪にたいする大きな注目が集まっていることを感じた。

行政の現場からも問題点が指摘された(1日 大阪市)

釧路市の体験
基調講演「希望を持って生きる釧路チャレンジ” 〜寄り添う支援の現場から〜」を櫛部武俊・前釧路市生活福祉事務所生活支援主幹がおこなった。釧路市は水産と炭鉱の街だったが、水産はすたれ、2002年には頼みの綱の地元の太平洋炭礦(本社釧路市)が閉山し、市民19人に1人が生活保護を受給する北海道一の失業の街になった。
かつては地元に残りたい人は少なく、札幌へ移る人が多かったが、今は逆に定住希望が増えている。マイノリティである失業者、障がい者、高齢者等が、逆に地元で多数派になり、街全体が危機感を共有する中、彼らの起業努力が実を結び、子どもたちとともに希望を作り出している。
櫛部氏は、失業対策事業などの仕事づくりは確かに大切だが、それ以上に失業等の苦しみの中で失った「かけがえのない私」(櫛部氏)を「発見」すること、「当該の気持ちを大切にするあり方」、「居場所づくり、仲間づくり」(同)が大切だと指摘した。
櫛部氏は釧路市の体験をとおして、街全体が失業の街になりながらも自ら起業等を進め自信を取り戻していった努力の中に実は「共同性の回復」という大切な要素があることを指摘しているのではないかと私は強く感じた。私も日々の労働相談の中で、いじめやパワハラ等で職場で孤立し自信を失い発病していく仲間の姿を多く見てきた。櫛部氏の指摘には大いに共感するところがあった。
また、櫛部氏は自身の失敗例として「支援してやるという思いあがった姿勢」の反省を述べた。受給者が資格をとり保護を受けなくてもよくなり自立していったが、しかし、突然行方が分からなくなり、心配して家に行ってみると本人はすでに「蒸発」していたというのである。周りの人の話によれば、「こうやったらいいよ」というアドバイスも、結局、本人にとってはつらくなるだけのもので、無理に無理を重ねさせていたということがわかったということである。これは行政サイドの反省だけでなく運動をする側の反省としても考えさせる話だった。

日本の社会保障の貧困
大阪弁護士会の松田直弘弁護士が「生活保護制度をめぐる基礎知識」と題して基調報告をおこなった。
これを聞いて私は、日本の社会保障の貧困さを強く感じた。日本では生活保護受給者が200万人に達するとして大騒ぎになっているが、日本の2/3の人口しかないドイツ(8177万人)の生活保護受給者は794万人で絶対数で日本の4倍、日本の約半分の人口しかないフランス(6503万人)の保護受給者は372万人となっている。ドイツもフランスも日本より桁違いの社会保障を労働者の側がかちとっているのである。この話を聞いて、日本の労働運動はドイツ、フランス以上にたたかい、社会福祉の運動と連携して権利としての社会保障をかちとっていくことに多くのエネルギーを注ぐ必要性を強く感じた。

行政側もまきこんで
このシンポジウムに大阪市の生活保護行政のトップである大阪市健康福祉局生活福祉部保護課長の畠山節子氏が参加したことも大いに注目すべきことである。畠山氏の発言に会場の一部では批判的な言葉も聞かれたが、行政の内側もまきこんで生活保護法の改悪とたたかっていくことは大切なことである。

有期保護の導入
全労働省労働組合中央副執行委員長・河村直樹氏は、労働行政からみた有期保護導入の問題点を指摘した。
ハローワークを利用する圧倒的大多数は中小企業であり、重層下請構造に加え景気低迷によって求人は最低賃金そのものないしはスレスレのものが多くなってきていること、少しでもよい条件のものがあれば100倍を超える倍率になることも珍しくなく、結局、高齢者や生活保護受給者などが応募しても面接にとうていたどり着けない実態を報告した。
有期保護の問題点として、保護打ち切り直前になれば本人の意に沿わない劣悪な仕事を事実上受給者に強制していくことになるため、有期保護の導入はハローワークの職業相談を変質させると指摘。また、劣悪な雇用保険制度の現状を改革する必要性も強く訴えた。

フランスの例
福原宏幸・大阪市大大学院経済学研究科教授は、フランスの報告をおこなった。
今の日本の状況は、80年代のフランスに似ているという。フランスでは、保護受給者が就労すると所得のすべてが減額される旧来の「社会参入最低所得手当(RMI)」(日本の生活保護に当たる)から、就職した後も一定割合の手当の支給を継続させる制度(RSA:エルサ)がかちとられてきている。
また、フランスでは前職の95%以上の賃金でないと適職ではないという適職選択権保障をかちとってきているということである。労働市場の劣悪化が進み、どんな低賃金でも仕事に就かざるをえない日本との違いを強く感じたところである。(Y)

投稿 空自・燃料タンク落下事故
F15戦闘機に欠陥

事故をおこしたF15戦闘機の同型機(機体下が燃料タンク)

7日、午前8時45分頃、戦闘訓練を終えて小松基地(石川県)に着陸する直前、F15戦闘機の燃料タンク1本と、模擬ミサイルの一部が落下する事件(事故)が発生した。報道によれば、タンクが丸ごと落ちたのではなく、飛行中に破裂し、翼の固定器具からちぎれたようである。
燃料タンクの残骸は石川県能美市山口町の浄水センターだけではなく、となり町の小松市坊丸町にも落下。ここは人口密集地であり、あと一秒爆発落下が遅れていれば、坊丸町住民の頭上に150sの燃料タンクが落下していたのだ。恐るべき事態である。
防衛省・小松基地当局は、この事件(事故)をできるだけ小さく見せようと、「燃料タンク落下事案」と表現している。「事案」と表現することによって、事故でもなく、事件でもないと主張している。防衛省・小松基地当局は事件(事故)の本質(原因)究明をないがしろにして、欠陥戦闘機F15に搭乗させられる自衛隊員の命はもちろん基地周辺住民の命までも軽く扱っている。

事故原因究明を
今回の事件(事故)によって、F15戦闘機に根本的欠陥があることが明らかとなった。
マスコミ報道をまとめると、@機外燃料タンクを2本増やして訓練していた(合計3本)、Aタンクが丸ごと落ちたのではなく、飛行中に破裂し、翼の固定器具からちぎれた、B機外タンク内の気圧は燃料の残量と連動し、飛行中に自動的に調整される、C燃料が入っている場合は表示計で確認できるが、空になると燃料メーターは『ゼロ』を表示、気圧の高低は分からなくなる、D機外タンクは空の場合、離陸前も飛行中も内部気圧を確認する方法がない、E落下したタンクは空の状態で、気圧が異常に上昇し破裂した可能性がある、F操縦士、整備士とも気圧の状態を把握しないまま飛行訓練を重ねていた、Gこうした問題はすべてのF15に共通、すなわち、整備士や操縦士の問題ではなく、機体そのものに欠陥があると報じている。

基地を撤去せよ
そもそも、侵略戦争のために小松基地が存在し、40機ものF15戦闘機が常駐し、年間1万回もの訓練〔注〕によって騒音と危険(事故)を住民に強いている。
騒音については、1975年以来の訴訟で、騒音による住民被害は毎回(4回の判決)認定されている。危険性は「第6航空団(小松基地)緊急着陸報告」を見れば、この10年間で、訓練中に59回ものトラブルを起こし、パイロットは命からがら帰投している。1969年には、F104戦闘機が金沢市街地に墜落し家々をなぎ倒し、多数の死傷者を出し、昨年3月には小松基地滑走路にF15戦闘機が胴体着陸し、そして今回の燃料タンク爆発落下事件(事故)である。パイロットや住民に人的被害がなかったのは奇跡的な偶然の結果だ。
住民が騒音と危険(事故)から解放されるためには基地を撤去する以外にない。膨大な被害をアジア人民に強制した歴史を反省し、二度と侵略戦争を許さない人民として生きようではないか。
第5、6次小松基地爆音訴訟はいよいよ本格審議に突入した。今度こそ、騒音による身体的被害を認めさせ、自衛隊機の飛行差し止めを勝ち取ろう。爆音訴訟を支援しよう。(竹内二郎)

:「小松基地管制隊管制報告」によれば、軍用機管制回数は2009年度で年間2万504回。

南スーダンへ陸上自衛隊派兵
野田政権が方針固める

今年7月に独立した南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)への参加というかたちで、日本政府は陸自の派兵をねらっている。350人の部隊を送り出し、首都ジュバなどに展開するとされる。
16日の航空観閲式(自衛隊百里基地)で野田首相は「どういう貢献ができるか、最終調査をおこなっている」と事実上の派兵宣言をした。野田のいう最終調査とは、8日に出発した第2次調査団(陸海空の自衛隊員ら約30人)のこと。アフリカの内陸部で港がない南スーダンに、ケニアの港湾施設などから物資の補給路を確保できるかなどの調査をおこなう。
日本政府は、すでにアフリカのソマリア沖とジブチに自衛隊を展開中。これに加えて、南スーダンにも追加派兵という動きだ。帝国主義軍事外交、侵略派兵を許すな。

普天間飛行差し止め
住民側の上告棄却

沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の周辺住民396人が、騒音被害を訴え、国に夜間・早朝の飛行差し止めと損害賠償を求めた「普天間爆音訴訟」の上告審で、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は11日付で、住民側の上告を棄却する決定をした。
同訴訟では2010年7月の控訴審判決で、国にこれまでの爆音訴訟で認められた損害賠償金額の倍額の支払いを認めたが、飛行差し止め請求は棄却した。
国側は上告せず、賠償命令は確定。住民側は、飛行差し止めと、国による騒音測定にしぼって10人が上告していた。

5面

寺尾判決37カ年 狭山第三次再審闘争
検察に糾弾の声を

東京高裁・寺尾判決(1974年10月31日)37カ年にあたって、狭山第三次再審闘争への取り組みの強化を訴える。焦点は証拠開示である。証拠開示を拒む検察に対し、全国津々浦々からの糾弾の声をあげよう。12月冒頭と言われる次回三者協議に向かって、石川さんと共に闘おう。

証拠開示拒否
去る9月28日の第8回三者協議で、検察は「証拠開示の関連性、必要性に関する判断は、検察官の専権事項の如く述べ」(石川一雄さん10月アピール)、証拠開示を拒否する姿勢をあからさまにした。石川さんはこれを「証拠の新規性、明白性の判断は検察側ではなく、裁判官自身が行うべきものであって、検察官が口を挟むべきものでない」(同)と強く弾劾し、「検察が拒んで出して来ない場合は、もはや裁判官自身が真相究明のために『事実調べ』を行い、証人調べをすれば『白、黒』がつけられる筈」「此の切迫している事態をどう切り抜けるか、その打開策を困(こう)じなければと現在暗中模索乍も、第三次再審裁判において無実を立証するのは、古くて新しい証拠である検察官手持ちの証拠を吐き出させる以外にはない」「この機を逸したら私の再審開始は永久に鎖(とざ)されて終う」と訴えている。
この石川さんのアピールからも明らかなように、9月三者協議において検察の態度に変化が現れ、2009年12月の門野裁判長による勧告以来の証拠開示の方向に重大な逆流が生じている。再審の門を閉ざしてはならない。

確定判決を揺るがす証拠
9月三者協議で弁護団は、門野裁判長が開示勧告したルミノール検査報告書や実況見分を撮影した8oフイルムに加えて、死体の埋設に使われたとされるスコップの指紋検出検査報告書等の開示を求めた。これらに対して検察は「不見当(見当たらない)」あるいは「新規性・明白性がない」として証拠開示を拒んだ。
上記のスコップは、当時部落青年が多数働いていた養豚場から犯人が盗み出したものとされ、部落青年らに対する見込み捜査の口実となったいわくつきの「物証」である。発見直後に指紋検出検査がおこなわれたことは当時の新聞でも報道されている。
これが今なお開示されないのはなぜか。石川さんの指紋はおろか石田養豚場関係者の指紋が一切検出されなかったためとしか考えられない。そしてこの検査報告書が、「養豚場関係者=石川さんが犯人だ」とする寺尾確定判決の事実認定を根幹から揺るがすものであるからにほかならない(実はスコップそれ自体が、差別的見込み捜査の糸口とするために警察によってねつ造された「物証」なのだ)。
ルミノール検査にせよ、指紋検出検査にせよ、石川さんの無実を立証する証拠はことごとく隠されてきた。寺尾確定判決は、こうした検察による証拠の隠ぺいの上にのみ成り立ってきたのである。

隠した証拠を出せ
女子高生誘拐殺人事件の犯人を取り逃がし、責任を追及された政府・警察権力は、無実の部落青年・石川一雄さんに罪を着せることで国家の安寧と秩序を守ろうとしてきた。この差別裁判の原点を消し去ることは絶対にできない。いかに強大な国家権力といえども、正義と真実の前には無力である。今こそすべての世代へ、狭山事件の真相と差別裁判の今を伝え、力をあわせて、12月三者協議での証拠開示をかちとろう。

証拠開示は検察の責務
東京高裁・高検で狭山要請行動

9月20日、部落解放同盟全国連合会による東京高裁、東京高検に対する狭山要請行動がおこなわれた。
要請行動は「検察から証拠開示の姿勢はなくなっており、裁判長の積極的姿勢もない。また、担当の広瀬公治(ひろせ きみはる)主任検事も、われわれの要請行動に対しては、『検察官の訴訟活動については答えない』(7月8日の要請行動での発言)といった硬直した態度をとっている。7月13日の第7回三者協議で検察側は『追加の証拠開示の必要はない』との意見書を裁判所に提出した」という状況の中でおこなわれた。
東京高検では広瀬検事も顔を見せる中で、厚労省の村木局長に対する証拠改ざん事件を受けた「検察の在り方検討会議」が今年3月に出した提言「検察の再生に向けて」をどう受け止めるのかと問うた。それを狭山事件に当てはめれば、「無実のものを救済するという再審の理念に立ち、人権を踏みにじらず、証拠を開示し、事件の真相を明らかにすることこそが、広瀬検事に課せられた責務だと思うが」と問い詰め、発言を求めた。しかし広瀬は「質問等にはお答えしません」という態度に終始し、「それがいやなら席を立つ」と言わんばかりの姿勢だった。
東京高裁では、検察に証拠開示させることなどを強く要求し、「裁判長に私たちの要請がどのように伝えられているか」と追及した。管理官は、「本日要請があったことは伝える。要請文は、裁判長が見えるところに置いている」などと答えた。
再審の実現に向けて、検察が隠し持つ全証拠を開示させること、これが核心だ。全証拠を開示させ、石川さんの再審無罪を勝ちとろう。

消費増税と福祉切りすて
「社会保障・税一体改革」ゆるすな

野田政権は、自公政権以来、政財界にとって懸案だった消費増税を一気に進める増税内閣だ。すでに菅政権時代の6月に、「2010年代半ばまでに段階的に消費税率を10%まで引き上げ」るとした「社会保障・税一体改革成案」が発表されているが、野田は9月の所信表明演説で「これを土台とし・・・次期通常国会への関連法案の提出を目指」すとした。今月12日には、安住財務相が経団連会長に「来年には消費税の(増税)法案を必ず出す」と約束している。

自公政権から引継ぐ
消費増税は自公政権時代以来、一貫してねらわれてきたが、人民の怒りの前に阻まれてきた。そもそも政権交代を実現した09年8月の総選挙で、消費増税はひとつの大きな争点であった。消費増税をしないとマニフェストにかかげた民主党の圧勝で、完全に人民に否定されたのだ。
しかし鳩山政権も、消費税論議を“塩漬け”にはしたが、麻生政権時にできた09年度税制改正法案の附則104条(「段階的に消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、2010年度までに必要な法制上の措置を講ずる」とした)には手をつけなかった。その後、菅政権が消費増税路線を打ち出し、麻生内閣で財務大臣だった与謝野を経済財政担当相、社会保障・税一体改革担当として入閣させ、消費増税に血道をあげてきた。野田はその後継として、具体的な増税法案に着手しようとしているのだ。

法人減税と消費増税
「社会保障・税一体改革成案」(以下、「一体改革成案」)は、消費税の増税と同時に、法人実効税率の引き下げを打ち出している。大企業をさらに優遇しながら、巨額の財政赤字のシワ寄せを人民に押しつけるものだ。そのために、「社会保障の強化」と「一体」で打ち出し、消費税を福祉目的税とするなどというペテンをろうしているのだ。
一体改革成案には2015年度の社会保障費用の推計が出されているが、社会保障の機能強化による追加所要額は2・7兆円とされている。消費税の1%アップは額にして約2・5兆円と言われているから、約1%分だ。税率アップに連動する社会保障支出増が1%とされているから、消費増税5%のうち、その2%を除く3%は財政再建に回されるのだ。改革成案に添付の図は、あたかも消費税の増税分5%すべてが社会保障に回されるように描かれているが、ペテンだ。
一体改革成案が打ち出している問題は、消費増税だけではない。社会保障解体の具体的な施策が打ち出されている。

国の責任を放棄
一体改革成案では、社会保障について「国民相互の共助・連帯の仕組みを通じて支援していくことを基本に」「負担と給付の関係が明確な社会保険(=共助・連帯)の枠組みの強化による機能強化を基本とする」としている。これは、公助=社会保障における国の責任を放棄すると言っているに等しい。
また、「負担と給付のバランス」ということも言われており、基本的に「負担の範囲に給付は制限する」ということをねらっている。社会保障の原則を解体するものだ。

子ども・子育て新システム
深刻な保育所待機児童の問題にたいし、認可保育所を増設するのではなく、保育制度を新自由主義路線で抜本改編しようとするのが新システムだ。これは、公的保育を解体する制度だ。(新システムの批判は、伊藤周平『医療・福祉政策のゆくえを読む』新日本出版社 2010年 に詳しい)
幼保一体化で「こども園」になり、営利法人の参入が認められる。すでに「地域主権改革」の下で、保育所などの設置や人員に関する基準を各自治体の条例で定めるように変えられており、保育の質の低下も必至だ。

医療制度改革
医療分野では、現在の患者3割負担に加えて受診時に100円の上乗せ定額負担が検討されている。また病院の入院日数基準の短縮化で9日(現在は20日)という不可能と思える数字があげられている。医療費削減のために、現在でも厳しい病院をさらに締め付け、淘汰をねらっている。
また、直接は出てきていないが、2001年の経済財政諮問会議からいわれてきた、「社会保障個人会計」にむけた布石がみてとれる。
社会保障個人会計とは、社会保障の負担と給付を個人レベルで掌握するもので、極端な話、負担(税や保険料など)を越える社会保障給付を受けることは「過剰な保障」として、死後に遺産から超過分を保険料として徴収する(04年の経団連提言)といったことまでねらうものだ。

共通番号制度
社会保障・税に関する共通番号制度の早期導入に向け、次の臨時国会に法案を上程するとしている。これは前記の社会保障個人会計のための必須の体制整備だ。
国民総背番号制に道をひらくものであると同時に、個人の医療・年金等の情報が一元的に国に管理されることにより、給付を多く受けた人の保険料を上げるようなことも可能になるものだ。

人民の反乱を
厚労省は8月に「社会保障・税一体改革の当面の作業スケジュール」を公表しており、子ども・子育て新システムは来年早期に法案提出、医療・介護についても来年早期に基盤整備一括法(仮称)案を提出、等々の作業が進められている。消費増税にむけた法案づくりもすでに始まっていると思われる。
増税に反対する怒りを糾合すると同時に、脱原発のうねり、沖縄のたたかいとも一体となって、原発推進予算や米軍への思いやり予算を被災地復興や福祉にまわせ、という声をあげていこう。福祉の解体を阻止しよう。

6面

シリーズ 原発労働者は訴える 第2回
下請けいじめと労災隠し


――1日のタイムスケジュールは


8時に出勤して、朝礼やって、ラジオ体操。それから、「今日はこの内容で作業します」というのをやる。
あとはKY(危険予知)とTBM(ツール・ボックス・ミーティング)。班長さんが「今日の役割分担、君は何をやる、君は何をやる」。それから注意事項。
管理区域内の作業は、法律で1日10時間と決められている。東電の管理では9時間半。その9時間半いっぱいまで働くというのもたくさんいるし、おれも危うく9時間半を超す寸前のときもあった。

――作業が押している?


そう。定期検査の期間をなるべく短くしようとしているから。定検の期間を短くしてしまうと、作業にかなり無理が生じる。

下請けに矛盾を強いる

6次下請け、7次下請けまでいる。東京電力は、「3次下請けまでしかいない」っていってるけど。
俺がいた東芝からいうと、大元の東芝があって、その下に東芝プラントシステムというのがあった。その下に電気業務、計装業務、機械業務などをやる会社がいっぱい入っている。そこが3次下請け。俺のところは、地元の会社で、4次下請け。だけど、3次下請けの名前の社員として、ある一定の期間だけ、登録する。
さらに、ウチの会社にも下請けがいる。6次、7次、8次となると、ほとんど地元。△△工業とか、▽▽システムとか、適当な名前がついた会社。みんな違う作業服を着ているから一目瞭然、3次下請けのわけがない。「3次下請けまでしか絶対に雇わない」となれば、3次下請けがものすごい人数を社員として確保していなければならなくなる。必然的に下請け、そのまた下請けになる。構造的にそうしないと運営できない状態。

労災隠しが日常茶飯事

労働災害を起こすと、東京電力にものすごく問いつめられる。本人だけでなくて、下請け会社そのものが責められる。そして来年度の発注はなくなるという状況になる。となると、労災が起きても、隠せるものは全部隠す。
俺の知り合いだと、グラインダーで、ここ(手の平を指す)をザックリと切った。そこらじゅう血まみれになるぐらいケガしたけど、それも隠した。東京電力の人間に見られない内に、周りでみんな片づけて隠す。
骨折しようが何しようが、平気な顔で(管理区域を)出ていく。一応、会社の事務所では、「こういうケガをした。バレてないから大丈夫」と報告する。

――治療費や休業補償は


労災がバレてしまうと、何カ月間の営業停止だとか、発注停止という処分が来る。であれば、その人間に休業補償なり、治療費なりをちょっと高めに出しても、黙っていてもらった方が会社は得。「もしばれてないんだったら、とりあえずすぐ帰って病院に行け。金は全部やるから。休んでいる間の金も全部払うから。黙ってろ」となる。
手の骨を折ったなんていうのは、もう二度と行けない。現場で労災だとなればね。「ウチで階段から落ちました」という報告ならオッケーだけど。

――そういう報告をするわけ?


例えば顔に傷をつくったときも、家でころんだとか。犬の散歩で、犬に突然引っ張られたとか。

東京電力は傷つかない

――労災問題を何とかするには


いまの体制ではムリではないか。
言われるのよ。同じ会社の中で、労災事故が3件あったら、ペナルティで来年の発注はなくなるって。一年間の発注といったら、少ないところでも何億。会社の存続が問題になってしまう。そういう風に脅かされるんで、労災は隠す。
隠すということは、隠した会社の責任になる。だから、もしバレても、東京電力は「知らなかった」で終わり。東京電力には傷が付かないようにできている。ヒドイ会社だよね。
マスコミとかからは、管理体制が不十分だったんではないかとかいわれるけど、それは「どうも申し訳ありません」って頭を下げれば済む。あいつら痛くも痒くもないね。

――労基署は


「検査に行きます」って、連絡が来る。そうすると、「書類を労基署に出すように、まとめておけ」。危ない作業があるときは、「違う日に回せ」。という感じで全部隠してしまう。
労基署も、全部隠されているのは分かっている。でも、本当に抜き打ちでやっちゃうと、出入り業者がみんな営業停止処分になるぐらいのことをやっている。そうすると、原発が止まっちゃう。行政も、国も、マスコミも、全部グル。〔つづく〕

投稿 基地はいらない!ヨコスカに
米 原子力空母の配備撤回求める

9月25日、秋空の広がる横須賀ヴェルニー公園で、原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀基地母港化3周年に抗議する集会がおこなわれ、2000余の労働者市民、若者や家族連れ等々が集まりました。神奈川平和運動センターと三浦半島地区労の主催、平和フォーラム・全国基地ネット・平和センター関東ブロックの共催で開催されたものです。
今年の横須賀反基地のたたかいは、福島原発事故の収束の見通しがまったく立たないこともあって、2つの原子炉を持つジョージ・ワシントンへの不安と怒りが満ちていました。集会が一番盛り上がったのは、怒りをこめた大きな声であいさつされた沖縄平和運動センターの山城博治さんのときでした。ヤマトンチュウのあいさつと比べて力の入れ方が違う、「しっかりやらんか」と叱咤激励しているのです。「野田首相の原発再稼働推進、辺野古への基地押し付け、日米同盟の強化を絶対許さない。沖縄・本土のたたかいを」と訴えました。
集会後は、ゲート前を通るデモです。
さあ、ここでバナナボートが登場します。デモの隊列が整う間、公園出口で待機しているたんぽぽ舎約40余人のところで、ひとりの若者がギター片手に、あのなつかしいバナナボートの変え歌で、“でーよ!出ていけーよ”とやりだしたので、リズムを取りながらの大合唱となり、デモへと出発したのです。
ゲート前でも、東電前アクションの若者が元気なシュプレヒコールの音頭をとり、みんなで「原子力空母はいらない」「基地はいらない」とコールをした後、バナナボートの大合唱を基地内へ届けとばかりがんばりました。
集会中の発言のなかでは「反原発運動の皮肉として、『東京に原発を』ということも言われるけれど、実際はすでに首都圏に存在する空母ジョージ・ワシントンには、二つもの原子炉があるということはもっと知られるべきだ」との発言もありました。
原子力空母、そして横須賀の原子力燃料工場など、ここヨコスカは、とてもアブナイところだと実感した一日でした。(神奈川 I)

関生・宇部弾圧裁判
検察が1年6カ月を求刑

13日、大阪地裁において関西生コン支部(全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部)にかけられた関西宇部威力業務妨害弾圧の論告がおこなわれ、検察は、「不当要求の悪質な行為」として、高副委員長に懲役1年6カ月、12人に懲役1年を求刑した。
5人の弁護人による最終意見陳述がおこななわれ、「関生支部の進める産業別政策闘争への破壊であり、労働組合弾圧である。威力業務妨害行為はない。工場長らが入構しなかったのは自由意志である」として「憲法28条団結権行為であり、無罪」であると主張。最後に高副委員長から「民事裁判で解決がすすんでいた1年以上前の出来事を事件化した弾圧」「関西宇部への抗議・要請行動は09年春闘の未解決問題とダンピングをおこななう大阪広域協同組合の是正・適正化を求めた正当な組合活動であり、13人は無罪」と意見を述べ、12人の組合員がそれぞれ無罪を訴えた。法廷には組合員や共闘労組が傍聴に駆けつけ満杯となった。この弾圧は穏当なピケットと産業政策闘争を威力業務妨害として中小零細企業における争議を禁圧するものであり、断じて許されない。当日は裁判所へ1300団体を超える抗議署名が出された。判決は12月1日午後2時から大阪地裁1005号法廷。
(労働者通信員 M)