未来・第86号


            未来第86号目次(2011年8月2日発行)

 1面  原発廃炉は浜岡から
     静岡市内で全国集会 7・17

     原発も再処理もいらない 7・23 新宿

 2面  "避難の権利" 確立を求め
     福島の住民が政府・原子力対策本部と交渉 7月19日

 3面  「君が代」起立強制条例の撤廃を
     都教委包囲ネットが集会 7月24日

     板橋高校「君が代」刑事弾圧 上告棄却の不当判決

     「君が代」裁判二次訴訟で反動判決 7月25日 東京地裁

     原発事故賠償に上限を設定
     電力資本温存の悪法ゆるすな

 4面  福島原発事故と原水禁運動
     いまこそ8・6ヒロシマの原点へ

     派遣法抜本改正を 院内集会 7・13

 5面  うちつづく不当弾圧への怒り
     1000人が大阪府警を弾劾 7・17 大阪

 6面  住民の追い出しを許すな
     西宮市芦原地区住宅裁判に集まろう

     今こそ、使える「第2のセーフティネット」を

     夏期特別カンパへのご協力をお願いします

       

原発廃炉は浜岡から
静岡市内で全国集会 7・17

7月17日、静岡市内で、「浜岡原発は廃炉しかない全国集会」がひらかれ、全国から27団体、700人が集まった。主催は「浜岡原発をとめよう静岡ネットワーク(浜ネット)」で、反原発自治体議員連盟が共催。
稼働中であった3号機、4号機が、世論におされ5月に停止した。しかし、あくまで防潮壁などの津波対策をとって、安全が確認されたら再稼働するという姿勢を中電はくずしていない。東海大地震がいつおこっても不思議でないと言われるなかで、震源域の真上に建つ浜岡原発。その廃炉を求める集会だ。

「人間の命とひきかえの電力はいらない」。炎天下の繁華街をデモ行進(7月17日 静岡市内)

原発を全部つぶす
注: 浜岡原発の基礎地盤は、泥岩と砂岩の互層で成っており、軟岩に分類される、と中電のHPで説明。手で簡単に割れるもろい岩。写真は講演会で浜ネットが配った泥岩の実物。
冒頭、浜ネット代表の白鳥さんがあいさつ。「昨日は、地震学者・石橋克彦さんを招いた講演会。今日、午前中は約100人で、浜岡現地の視察をおこなった。『絶対安全ですという砂丘のごまかし』あるいは、『固い固い岩盤の上です』と言い続けてきた浜岡原発が、どんな岩盤の上に建っているかを見てきていただいた(右注)。全原発を止めても日本の電力はこまらない。しかし、あえて言いたい。たとえ困っても止めるべきだ、なぜなら、原発は被曝労働なしにはエネルギーを1カロリーとも生み出せないエネルギー装置だから。原子力村の奥ノ院にすわる東京電力、中部電力、そのおこぼれをもらう学者、ちょうちん持ちをしている政治家、この連中は、原発が放射能を出し続けなければ運転できないことを知りながら運転をしてきた。原発を全部つぶす、この行動に立ち上がらなければいけない。その突破口を『浜岡を完全廃炉に』から築き上げましょう。」

まず止めよ
反原発自治体議員連盟の議員が紹介され、代表して福士敬子(よしこ)都議が発言。つづいて、福島瑞穂社民党党首、佐藤栄佐久元福島県知事、浜岡原発とめます本訴の会・弁護団長の河合弁護士が発言。
河合さんは、昨日、全国の脱原発弁護団を立ち上げ、弁護士が100人、全国の原発立地の弁護士が入っていると報告。
たんぽぽ舎共同代表の柳田さんは、「今、動いている原発は、すぐ止めよ。このことが大事。もう一度、大きな地震がきたらどうなるか。第二のフクシマがおこりうる。福島の事故が収束してないなかで原発を動かしている神経は、とても国民の安全を考えているとはいえない。まず止めよ。」と訴えた。

中部電力へデモ
全労協、原子力資料情報室、静岡県共闘の発言と続き、最後に決議文を読み上げて全体で確認した。
集会後のデモは、繁華街を通り、中部電力静岡支店に。デモ隊は大きな怒りの声をとどろかせた。受け取り拒否の中電にたいして、集会決議文の入った封筒が多数、郵便受け周辺に貼り付けられた。再度デモにうつり、市役所裏まで行進した。

県知事に緊急要請
浜ネットは5月24日、静岡県知事に次の緊急要請をおこなった。
浜岡原発の直近で、国が想定していない活断層が発見されたこと、および5月20日に5号機で重大事故(原子炉に海水が流入)が起きたことの二点について、県の責任で、中部電力と安全保安院による公開説明会を開くこと。

静岡市議会に陳情
6月20日、静岡市議会委員会において、浜ネットメンバーが意見陳述をおこない、「市議会が下記の事項を決議し、意見書を持って政府と中部電力及び静岡県に浜岡原発の廃炉を強く要請する」ことを訴える陳情書を提出した。
@浜岡原発は一時停止ではなく完全廃炉にすること、A廃炉後も続く使用済み燃料棒の崩壊熱による放射能被害の危険を、中部電力と政府が完全に取り除くこと、B浜岡原発が廃炉になっても中部電力管内の電力不足は全く生じない事実を広く市民に広報すること。
受け取り拒否の中電に抗議のシュプレヒコール
(7月17日 中電静岡支店前)

原発も再処理もいらない 7・23 新宿

7月23日、「くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会」デモが新宿でおこなわれ600人が集まった。主催は、「原発とめよう!東京ネットワーク」と「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」の2団体。
午後6時半に新宿中央公園・水の広場に集合。短時間の集会をおこなった後、7時から新宿駅方面へデモに出た。デモは新宿駅大ガードをくぐり、歌舞伎町を経て、ゴールデン街遊歩道入口まで行進した。

原発いらない、今すぐとめよう(7月23日 都内)

毎月デモ
集会では、主催者あいさつに続き、全労協、「プルトニウムなんていらないよ!東京」などが発言。
司会は「私たちは2004年から、毎月デモをやってきた。六ヶ所再処理工場が止まるまでデモを続けます。5年前から始めた経産省前行動も、毎月第4水曜日午後6時半から7時までやっているので来てください」と訴え、9・19「さようなら原発集会 集まれ!!5万人」(明治公園)への参加をよびかけた。

2面

「避難の権利」確立を求め福島の
住民が政府・原子力対策本部と交渉 7月19日

7月19日、福島市内で、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」など6市民団体が主催し、放射能汚染地域からの「避難の権利」を求めて、原子力災害現地対策本部との交渉をおこなった。交渉は約2時間半に及び、福島県民130人が参加した。

福島市内で対政府交渉にのぞんだ福島の住民たち
(7月19日)

避難の権利

福島市や市民団体の調査では、避難区域外にも放射能汚染が広がっており、すでに子どもたちの累積被ばく量は1ミリシーベルトの数倍に達している。
しかし、避難したくても避難できない人がたくさんいる。住民が被ばくのリスクを知る権利や、自主避難した場合に補償等が受けられる権利を確立する必要がある。そのためには福島県民が多数参加して、政府と直接交渉をおこなう必要があるという趣旨での交渉だ。

責任のがれ

まず住民側が、事前に提出していた質問事項への回答を求めた。
現地対策本部住民支援班の佐藤室長は、とりとめのない説明を延々と続けたあげくに、「政策的な意志決定を行うのは現地本部ではなく、原子力災害対策本部。私たち現地対策本部は実施部隊」と最初から責任逃れの姿勢に終始した。

「牛肉は問題ない」
「給食の材料について、詳細なモニタリングを実施しないのか」との質問には、放射線班の鎌倉氏が「飼料が管理されていれば、牛肉の流通には問題ない」と答えた。
管理されていないから、牛肉の汚染が全国に広がっているのに、この回答だ。

牛は全頭で、なぜ子どもはやらないの?
福島ネットワークの佐藤幸子さんは、子どもたちの尿が入ったボトルを佐藤室長の前に置き、「尿を提出したのは嫌がらせではない。10人の子どもを検査したら、10人ともセシウムがでた。自分の子どもの尿を検査してほしいという声がたくさんある。親が子を思う気持ち、それがこの尿だ。お願いします」と訴えた。
さらに住民が「牛にたいしては、全頭検査も尿の検査もやるというのに、子どもについてはやらないと。どういうことか」と詰めよる。
これへの総括班の原氏の答えは、「私どもは、原子力の緊急時の対策をやっているので、健康調査を扱うところはない。県の方に言って下さい。これはたらい回しではなく、役割分担です」
これをたらい回しと言うのではないか。

「線量は高くない」
「福島市が実施した渡利地区での測定で、高い汚染が面的に広がっていることが明らかになったが、これについて、どう検討したのか」という質問に佐藤室長は、「線量が高い地域が面的に広がっているとは認識していない。」と答えた。

「権利あるかどうかわからない」
この回答に業を煮やした「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の中手代表が、「福島県民には、他の国民と同じように、無用な被ばくを避けて生活する権利はあるでしょう。福島県民だけ、他の国民以上の被ばくをして生活しなければならないとは考えていないでしょ。どうですか。」と質問した、
これにたいして佐藤室長は、「権利があるかどうかはわからない」と答えたのだ。会場から激しいヤジや怒号がとんだ。

「避難するのは勝手」
避難を選択した住民が、「避難の権利」確立を求める訴えをしたが、佐藤室長の答えは、「避難されるのは、自己の判断に基づいて避難されて結構だが、国としては、安全な地域については、あくまでも、自身の判断によるものであると考える(だから国としては補償しない)」だった。

ヤジと怒号

会場ははげしい怒号でゆれた。
「撤回しろ」
「ソ連だって5ミリシーベルトで避難させたぞ」
「私たちは、安全な所から勝手に出ていく人なのか」
「撤回しないなら、もう一度、言ってみろ」
交渉に臨んだ福島の住民たちは、みな怒り、悔しさで涙を流す人もいた。しかし、どんなことをしてでも「避難の権利」をかちとろうと懸命の訴えが続いた。
この日の交渉を総括して、福島ネットワークの中手代表は、「今日は対話の第一歩。今後、サテライト疎開について自治体とも協議を進めていく」として、粘り強く交渉を進めていくことを明らかにした。

不信と怒り(7月19日 福島市内)

選択的避難とサテライト疎開を 中手聖一さん

交渉で発言する中手さん(7月19日)

現行の避難政策は、一律に避難をもとめる強制措置であるため、地域共同体を破壊してしまうという難点がある。そのため避難区域を広げにくいし、国としても決断しにくい。結果的に被ばくを増やしている。
そこで「選択的避難区域」の設定を提案したい。これは、全員一律強制の避難ではなくて、自己選択で避難できるというもの。住民に被ばくを避ける選択肢を与えてほしい。

選択的避難政策の3原則
一つは、自己選択を尊重すること。そのためには、正しい情報開示が前提だ。
二つめは、避難前と同程度の生活保障をすること。避難したら段ボールで囲われた生活というイメージでは、誰も避難を選択しない。
三つめは、アイデンティティの保護。「避難したかったら、アパートでも借りて好きに逃げたら」というのではダメだ。地域の共同体を復元できる道筋、避難先でもちゃんと福島人として生きられるような知恵が必要だ。具体的には、避難者が、避難地でコミュニティーを形成することだ。

そこにある福島
具体的には「サテライト疎開」ということになる。これは、避難しても「そこにある福島」、「疎開地にも福島があるんだ」という意味だ。除染が進んで郷里に帰れるようになるまで、疎開地で福島県人として暮らす。住民票は福島においたまま。だから住民流出にはならない。基本的な行政サービスもいまいる市町村から受ける。住民税も福島の市町村に納める。
例えば、子どもは、学校を核にしたサテライト疎開がある。

いますぐできる
これは、事実上すでに行われている。広島県からは、いまでも充分に活用できるような提案がきている。国が、さあやろうという号令をかけてくれれば、スタートできる。いますぐにできる。


不安で不安で本当につらい 福島市の2児の母親

9歳の息子と1歳2カ月の娘がいます。心配だったら家の中に置けばいいと思うでしょうが、子どもの成長過程の中で、太陽を浴びたり、虫を捕ったり、花を摘んだりすることが、どれだけ重要なことかおわかりですか。それが子どもに普通にさせられないんです。つらくてたまりません。避難を考えています。
ただ、住宅ローンがあります。 昨日、夫に言われました。「避難を考えているんだったら、おれは、子どもたちを避難させるための金を稼がなければならないから、おまえたちだけで行ってくれ。おれはここに残って、働くしかないだろう」と。住宅ローンは「おれが死んだら保険金が入るから」と。私と子どもを守るために死を覚悟しているんですよ。
妹も、私といっしょに避難しようと言ったけど、悩んで悩んで、やっぱりいっしょに行けないって言うんです。結婚したい人がいるけど、その人が福島にいます。その人を残して福島の土地を離れる勇気が持てないんです。でも元気な赤ちゃんを産みたいと思って、一旦は避難を決めたんです。でもそれをいま躊躇しています。そういう若い人たちの気持ちを考えたことがありますか。
4カ月もほっとかれて、もう精神的にクタクタです。
国が一言、「学校を閉鎖して、子どもたちを安全な場所に避難させる」と言ってくれれば、それが子どもたちのためになるのです。子どもたちは、学校がやっているから学校に行くんです。先生方は、苦しい思いをしながらも、子どたちが来るから学校で仕事をするんです。


3面

「君が代」起立強制条例の撤廃を
都教委包囲ネットが集会 7月24日

不当処分撤回、「日の丸・君が代」強制反対
(7月24日 都内)

「君が代」最高裁判決糾弾、大阪府「君が代」起立強制条例撤廃をかかげ、7月24日、都教委包囲・首都圏ネットが都内で集会をひらき、160人が参加した。
例年8月に都教委包囲デモを開催してきたが、「日の丸・君が代」訴訟での最高裁不当判決(「君が代」強制は合憲である)が5月以降たてつづけに出され、大阪では橋下知事ひきいる大阪維新の会が「君が代」起立強制条例を強行可決・成立(6月3日)させる情勢のなかで、前倒しの開催となった。

一連の最高裁判決
当該の原告から報告があった。
判決の特徴は、@実質的に大法廷判決である。判決はそれぞれの小法廷で出されているが、判決内容は完全に同一であり、竹崎長官をのぞく最高裁の全裁判官14人が協議したことは明白。
A「主文」と「補足意見」は、対立するものではなく、一体だ。全14人の裁判官のうち、反対意見2人、補足意見7人で、過半数を占める。補足意見のほとんどは、教育関係者に「慎重な配慮」を求める内容となっていて、それをマスコミが強調して報道している。しかし、現実に法的効力を発揮するのは主文である。補足意見は、主文にいろいろ注文をつけながらも、現実的には判決主文の反動性を隠ぺいし、社会的に認知させていく役割をはたしている。
B判決いいわたしのひどさ。5月30日以降、7月19日までに11件の「日の丸・君が代」最高裁判決が出ているが、その内容は、コピペ(コピー&ペースト)判決、いやコピペ以下の「内容省略」判決。個々の裁判の独自性を無視し、「日の丸・君が代」強制の職務命令は合憲だと絞り上げ、理由ぬきの通告にしかなっていない。判決といえるようなしろものではない。
こんな紙切れをもらうために7年間たたかってきたのではない、と怒りを表明した
主文の問題点としては、@最初に結論ありきの暴論。A「日の丸・君が代」強制は「儀礼的所作」であって、原告らの歴史観、世界観それ自体を否定していない、という詭弁。B判決の最大の根拠として〈全体の奉仕者=職務の公共性=服従義務〉というが、「日の丸・君が代」強制の職務命令は憲法に違反しない、と論証ぬきに強弁している。
最高裁判決の意味するものとして、@「職務命令」を憲法19条(思想・良心の自由)の上に置いている。職務命令には、憲法上の根拠はない。A「日の丸・君が代」強制は憲法19条違反。これを合憲とするのは、憲法19条の否定である。B「思想・良心の自由」権めぐる最高裁での初の判例。C板橋高校弾圧の最高裁判決(7月7日)をこの時期に出した意味は、今後卒業式などで「日の丸・君が代」をめぐり教委を批判すれば刑事弾圧を加えるぞという脅しである。

9・24全国集会へ
「君が代」強制大阪府条例はいらん! 9・24全国集会の主催者から報告がおこなわれ、条例制定の経過と中身の紹介があった。
さらに、橋下府知事のメールやツイッターでのおどろくべき発言を紹介。「教育は2万パーセント強制だ」「ストレスに耐えられるようにするのが教育だ」「教育の内容は権力を握ったものが決定してやっていく」「議会で決めるから軍国主義ではない」「これまでは行政は教育に不介入だったが、教育基本法が変わったのだから、介入は当然だ」などなど。
緊急全国署名をひろげ、9・24全国集会を成功させ、強制条例撤廃、9月府議会で処分条例をつくらせないたたかいを訴えた。

改悪教基法の実働化
以上の2つの報告を柱とし、ほかには、板橋高校弾圧・藤田さん、今年の「日の丸・君が代」被処分者、最高裁判決を受けた原告、教科書問題報告、特別アピール(福島県教組郡山支部書記長)などの発言があった。
基調報告は、「東京では、教育委員会が03年10・23通達を出したが、大阪では政治が教育に直接介入し支配しようとしている。06年に改悪された教育基本法、これを橋下知事が実践に移している」と警鐘を乱打し、9・24全国集会の成功をよびかけた。さらに、「大阪の教育ということに限定しないで、原発も、教科書問題も含めつながった闘いをやろう」と提起した。

板橋高校 「君が代」刑事弾圧 上告棄却の不当判決

都立板橋高校卒業式での「君が代」刑事弾圧(いわゆる藤田裁判)で最高裁は7月7日、上告棄却(罰金20万円の一審判決が確定)の反動判決を出した。
この裁判は、「君が代」不起立等での不当処分の撤回を求める民事裁判ではなく、刑事弾圧裁判である。
「日の丸・君が代」を強制する都教委通達(03年)が出た直後の04年3月、都立板橋高校での卒業式に来賓として招待された元同校教員である藤田さんは、開式18分前に式場内で週刊誌のコピー記事を保護者に配布し、教職員に対する「君が代」斉唱強制が深刻になっていることを説明。しかし、管理職から退去要求があったので、「来賓として式に列席させるよう」抗議をしたが、開式15分前には式場から退出した。これを「威力業務妨害」とでっちあげられ、藤田さんは同年12月に在宅起訴された。
その時の同校卒業式では、「君が代」斉唱時に、ほとんどの卒業生は着席した。来賓として来ていた土屋たかゆき都議(右翼。当時、民主党であったが、後に民主党都連から除名)が、卒業生らに起立するよう大声でわめき散らしたものの、卒業生のほとんどはすわったままだった。卒業式を大声で妨害したのは土屋都議であって、藤田さんは妨害などしていない。
この事件は、刑事弾圧をもって「日の丸・君が代」強制を推し進めていく攻撃であり、断じて看過できない。
藤田さんは「検察・公安は何でもでっちあげる。最高裁は、いままで原発設置許可無効の訴えをことごとく葬り去ってきた。その結果、こんかいの福島第一原発事故のような悲劇を招いた。最高裁の裁判官は、全員辞職すべきだ」と怒りを表明している。

「君が代」裁判二次訴訟で反動判決
7月25日 東京地裁

卒業式などでの「君が代」起立斉唱・ピアノ伴奏をしなかったことを理由に懲戒処分をうけた教職員たちが処分の取り消しを求めた裁判で、東京地裁は7月25日、「請求棄却」の不当判決を出した。
この裁判は、東京「君が代」裁判の二次訴訟(05年、06年処分。原告66名)であるが、一次訴訟(04年処分。原告168名)では、今年3月10日に東京高裁で逆転勝利の「処分は無効」という判決が出ている。

「職務命令は合憲」と強弁
今回の東京地裁判決は、この間の一連の最高裁判決と同じく「国歌斉唱時の起立等を命じる職務命令は憲法19条(思想・信条の自由)に違反しない。起立斉唱が命じられることは、原告らの思想・良心を直接否定するものではない」と強弁。
さらに、「原告らの行為によって卒業式等の進行に具体的な支障がなかったとしても軽微な非違行為とは言えず・・・裁量権の逸脱濫用にはあたらない」とした。
原告団は、ただちに控訴してたたかうことを表明した。

不当判決を弾劾する(7月25日 東京地裁前)

原発事故賠償に上限を設定
電力資本温存の悪法ゆるすな

原子力損害賠償支援機構法案が7月28日、衆院で可決され、29日、参議院で審議入りした。

加害企業=東電を救済
同法案は、原発被害に苦しむ人々を救済するのではなく、加害企業である東京電力を救済する法案である。福島第一原発事故の補償金を、税金と電気料金上乗せでまかない、加害企業である東電資本は何の痛みも伴わないという、とんでもない法案だ。
それだけでも許せない法案であるが、問題はそれだけではない。法の施行1年後をメドに原子力損害賠償法(原賠法)を改悪し、@国の負担額上限引き上げ、A電力会社の無限責任への見直しを進めることが付則に明記されている。
つまり、現行の原子力損害賠償法を改悪して、加害企業の無限責任を有限に変えるというのだ。
福島第一原発の事故は収束のめどすらたたず、今も放射能をまきちらし続けている。にもかかわらず、さらに原発を稼働させ、ふたたび事故がおきても電力資本は責任をとらず、温存されることを保証しようというのだ。原発推進を加速させ、お墨付きを与えるものだ。
原子力損害賠償支援機構法案を葬り去ろう。原子力損害賠償法の改悪を阻止しよう。

4面

福島原発事故と原水禁運動
いまこそ8・6ヒロシマの原点へ

7月3日広島・中国新聞社ホールで「福島原発震災から原子力の終焉に向けて」と題して、小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)による講演会が行われた。
「原発はごめんだヒロシマ市民の会」と「カトリック正義と平和広島協議会」の共催で行われた講演会は、広島で反戦・平和の活動や改憲反対、自然破壊を許さない運動そして反核運動をたたかってきた人たちの、さながら総結集の場となった。固定椅子はすべて埋まり、折りたたみ椅子からも人があふれ、立ち見が出るほどの超満員。講演が始まると、一言も聞き逃すまいとみんなが集中し、雑談の声などもまったくない。
誰もが、ヒロシマはいまフクシマに何を語れるか、ヒロシマは今何をすべきかを真剣に考えているのだ。
小出さんは鮮烈につきつけた。「被爆地・広島が核兵器廃絶のために活動していることをありがたく思う。しかし、核と原子力は同じものです。原子力発電廃絶のために使う力はないということであれば、理解できる。しかし、原子力の平和利用ならいいということであれば、間違いだと私は思う」。この提起を受けて、いま私たちのなすべきことを考えたい。

原発と戦後日本の社会構造

原子炉の目的は核兵器
日本の原発建設は中曽根康弘や正力松太郎らによって進められた。1954年3月2日、当時の保守三党は原子炉築造予算2億3千5百万円を突如提出した。米国がビキニ環礁でおこなった水爆実験によって第五福竜丸など多数が被爆した翌日のことだ。
提案趣旨演説を行った改進党の小山倉之助は「近代兵器の発達はまったく目まぐるしいものでありまして、これが使用には相当進んだ知識が必要であると思います。…新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります」と核兵器を使用する能力をもつことが原子炉建設の目的だとあけすけに論じた。そうして建設された東海原発は黒鉛炉であり、軍用プルトニウムを生産できるものであった。しかしアメリカは日本の核武装を許さず、使用済み燃料の再処理を認めなかった。
以降日本の原発は軽水炉を導入することになる。核政策という面から見ると、軽水炉から抽出されるプルトニウムは核分裂性プルトニウムの割合が低く、爆発させることはできても実戦に使う核兵器にすることは難しい。日本政府は核を扱う技術を習得習熟するために軽水炉や再処理工場を確保していく。だが核武装のためには十分ではない。兵器級のプルトニウムを作るための高速増殖炉「もんじゅ」の建設をどんなに破産しようと断念しないのはそのためだ。

石炭―石油―原子力
原発の大量建設はエネルギー政策の面からも進められた。戦後しばらくは、日本のエネルギーは水力と石炭が主力であった。ところが戦後世界体制がアメリカの中東支配を重要な柱として成立する。中東産油国に対する支配権を確立、一方で技術開発が進む。国際石油資本(メジャー)は、これらによって増産された石油の輸出先を求めた。日本に石油を押しつけることになる。日本の思惑も一致した。62年原油輸入自由化以降、石油中心に急激に転換する。当時、1バレル=1ドル、「水より安い」と言われた石油は高度成長の原動力となった。それは、炭鉱の閉山、労働者の大量首切りの過程でもあった。
それから10年を経た73年、オイルショックが日本経済を直撃した。エネルギー供給の8割近くまでになっていた原油の価格が急騰し、原子力へのシフト―原発建設が一気に進む。79年スリーマイル、86年チェルノブイリと原発の重大事故が続いても「日本の原発は安全」だと強弁しながら原発建設は続けられる。
安全性の確保や廃棄物処理にかかる費用などを無視すれば、発電そのものにかかる費用は原子力の方が安くなる。こうして21世紀には石油のエネルギー供給に占める割合は50%を割ることになる。発電分野にかぎると2008年には原子力が24%と石油の倍近くになる。90年代以降構造改革が進められ、グローバリズムのもとで大企業は国際競争力強化をめざす。企業間競争激化は、エネルギーコスト低下圧力となる。電力自由化の下で電力各社は耐震性・安全性にかかわるコストを削減した。
こうした結果、福島第一原発の事故は引き起こされた。

過疎地の「麻薬」
重化学工業を中心とした60年代の高度成長政策は、大都市圏に生産と人口を極度に集中させる一方で、地方の農業や地場産業を著しく衰退させた。それは地方財政の公共事業や補助金への依存度を高め、その自立性を奪っていった。
原発建設を推進する上で、74年の電源三法〔注1〕の制定は、決定的な意味を持っていた。
これによって電源開発促進税を創設し、交付金という形で巨額の原発立地対策費を投入した。原発立地道県が独自に徴収できる核燃料税とあわせて、過疎地の地方財政に大きな比重を占めるようになっていったのである。
こうした過疎地の原発依存は、小泉政権の進めた新自由主義的構造改革路線によって、ますます強められる結果となった。小泉政権は公共事業費を半減させるとともに、「三位一体改革」と称して、地方交付税交付金の大幅な削減を強行した。そのため地方財政は危機に陥った。財政危機克服の名の下に市町村合併が強行され、同時に公務員も削減され、防災や、医療・福祉、教育が犠牲にされた。
政府や電力会社は過疎地の自治体の窮状につけ込んで、金をばらまき、原発誘致へと追い込んでいった。そして原発が立地する自治体は、ますます原発交付金への依存を強めざるを得なくなったのだ。
東日本大震災―福島第一原発事故は、このような戦後日本のあり方を根本的かつ全面的に変えなければならないことを示している。

ヒロシマと「核平和利用」論

54基もの原発建設を許し、フクシマを防ぐことのできなかった私たち。「平和利用」とどのように対決してきたのか。

広島に原発計画
広島に原発建設計画があった。
1955年イエーツ米下院議員が「広島に原発を建設すべき」という法案を提出した。前年のビキニ環礁での水爆実験があり、反米・反核の動きを懐柔することを目的とした。さすがにこれは受け入れられず立ち消えになった。
しかし当時の浜井信三広島市長〔注2〕は、自身が被爆者であり、焦土と化した広島の復興のため粉骨砕身奮闘していたが、原発計画に対しては「犠牲者への慰霊にもなる」とコメントしていた。
「微量放射能による悪影響が解決されない限り平和利用はありえない」としながらも「死のための原子力が生のために利用される」というアイゼンハワーの提唱に幻想をいだいたのだ。同年第一回原水禁世界大会が広島で行われたが、その目的は、あくまで軍事利用の禁止に限られていた。
56年5月、広島で原子力平和利用博覧会が開催された。「夢のエネルギー」というバラ色のイメージをふりまいて。この年、第二回原水禁世界大会が長崎で行われた。その中で結成された日本被団協の結成大会宣言は「破滅と死滅の方向に行くおそれのある原子力を、決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向かわせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります」というものだった。
このような被爆者たちの「平和利用」論へのかかわりを、今の私たちが安易に批判することは決して許されない。原爆は一瞬にしてこの世の地獄を出現させた。立ち直ることは不可能に思われた。「だがこの地獄を作り出した巨大なエネルギーを平和のために使えば未来はあるのではないか」という、まさにすがるような被爆者の思いがそこにはあった。被爆後はGHQ(連合国総司令部)がプレスコードをしいていた。また放射線被害にかんするすべての情報をABCC〔注3〕が隠匿していた。その中で発せられたメッセージであった。

原水禁と「平和利用」
「軍事利用ノー、平和利用OK」という内実で続いた原水禁運動は、軍事利用否定にかんしても、根底的な亀裂が生じた。
ソ連の核実験再開をめぐって、日本共産党がその支持を原水禁運動に強要し、やがて原水禁国民会議と日本原水協に分裂する。日本共産党はその後も「社会主義国の核はきれいな核だ」という立場を変えていない。

75年核絶対否定宣言
元日本被団協理事長・森瀧市郎さんは原発建設に反対する各地の運動に触れ、また世界を回ってさまざまな被曝者に出会いその闘いに触れる中で、ついにすべての核絶対否定の立場に立つ。
70年闘争のさなか被爆者青年同盟が結成されたのを皮切りに、各所でたたかう被爆二世の組織が結成された。差別や健康不安で悩み苦しんできた被爆二世が「君は明日生きるか」とたたかいの声をあげた。森瀧さんはこうした被爆二世たちとともに考え、たたかってきた。さらにオーストラリア先住民の反核運動に触れ、揺るぐことのない反核の立場を宣言する。
「『核兵器絶対否定』を叫んできた私たちは、いまやきっぱりと『核絶対否定』の立場に立たざるをえないのであります。『平和利用』という言葉にまどわされて『核絶対否定』をためらっていたら、やがて核に否定されるでありましょう。…くりかえして申し上げます。『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』と」(被曝30周年(75年)の原水禁大会基調演説)。
翌年には次のようにも言う。「巨大エネルギー、巨大開発、巨大生産、そして巨大消費という形態をとる核時代の産業文明は、いまこそ、その価値観を一大転換しなければなりません」。被爆者としての革命宣言である。
しかし原水禁運動はこの森瀧さんの精神を投げ捨てる。原水禁と原水協は77年〜85年統一大会にこぎつけた。それは上からの統一を押しつけるものであり、路線対立を防ぐとして大衆の自立的なたたかいを抑圧した。そして「原発」を統一大会の議題にすることを許さなかった(原水禁運動の破壊に日本共産党がはたした犯罪的役割を銘記しておかなくてはならない)。こうしたなかで原子力そのものを問う市民運動は、分散した闘いを強いられる。
それでも各地でたたかいは地道に続けられた。森瀧さんは「反原発の運動は人間が核を否定するか、核に人間が否定されるかのたたかいだ」と反原発運動に全力をあげる。

問われる「革命的左翼」
一方で「革命的左翼」を自称してきた私たちはどうだったのか。
「自然の法則を探求し、自然を無限に支配してゆこうとする人類の知性は、ついに原子力の解放に成功した。」これは、黒田寛一が『現代における平和と革命』(1959年)で第1章の冒頭に掲げた文章である。黒田はこのように核技術を賛美し、それを「ナチズムの打倒」や「日本帝国主義を崩壊せしめる武器」となったと賛辞を贈っていた。われわれはこの思想と批判的に向き合うことはなかった。
それを端的に示しているのが次の文章だ。
「反戦反核闘争と反原発闘争は完全に一つの闘いである。この両者を分断する既成原水禁運動をのりこえ、反原発闘争の高揚を8・6―8・9闘争につなげよう」(『前進』2493号、島崎光晴)。自らをかえりみることのない暴論と言うしかない。
核技術の導入は戦後世界体制の重大な柱であった。しかし私たち「革命的左翼」はアイゼンハワーの『原子力平和利用』政策の意味をとらえ返してきただろうか。帝国主義が核をビルトインしたことの軍事・政治における世界支配、また世界経済にとっての意味を正面から見据えてきただろうか。残念だがノーと言うほかない。帝国主義の核政策との根本的な対決をしてこなかったのだ。
戦後日本社会の中で原発がどのような意味を持っていたのか。核政策のみならず、エネルギー問題や産業構造、地方自治などその全体においてとらえる努力をしてこなかったのではないか。
そして原発反対運動や反公害運動などを軽視してきたのではないか。その中で思想的にも後退してきたのが私たちだ。いまいちど被爆者の闘いに学び、フクシマのたたかいに学び、反原発闘争に学び、現実の運動に参加して連帯していくことから始めなければならない。

8・6ヒロシマ
反核闘争の第一の課題は、「人類と核は共存できない」というヒロシマの原点をいまこそよみがえらせることだ。
核と原子力は同じものだ。核兵器に反対するものは同時に原発も絶対に許してはならない。定期検査に入った原発の再稼働を許さず、すべての原発をとめよう。また福島への支援・連帯を強めよう。このたたかいは戦後社会のありかたの根本的変革を求めるものだ。
第二に、フクシマの事態は被爆者の原点的怒りに火をつけるものとなる。被爆者(二世、三世)は66年間にわたって体に何か不調があれば「放射能のせいではないか」と不安を抱えながら生きかつたたかってきた。いままた福島の人々が同じ不安の中で生きることを強制された現実を目の当たりにして、被爆者の怒りは根本から解き放たれる。被爆者の生の声を聞くことが今までにまして重要になっている。
第三に、すべての反核運動の統一をめざして共同闘争を積み重ねることだ。4月のたたかいや、6・11など日本全国各地で原発に反対する共同行動がたたかわれ、前進している。7・3小出講演会は広島の様々な運動が手を結ぶ契機となっただろう。
私たちに必要なのは「○○運動には○○がない」と尊大に語ることではなく、その運動から学ぶことだ。在外被爆者支援の闘い、上関原発建設反対闘争をはじめとする各地の反原発運動、被曝労働者のたたかいなどに学びつつ参加していくことだ。そして今秋9・11―19反核闘争の成功に全力をあげよう。
第四に、今年の8・6ヒロシマの重要性を訴えたい。
世界中から集まる人の思いはひとつ。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモアフクシマ」だ。「核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失う」(森瀧さんの言葉)。フクシマで起きている事態は、避難しなければ被曝を強いられる、避難しても生活は崩壊するというものだ。また汚染稲わらを食べた牛の例は、農水産物の放射線量を発表すれば一次産業は崩壊する、隠蔽すれば一億総被曝の危機だということを示した。このような核を構造化した社会は根本から変えなければならない。(堀口龍雄)

注1 電源三法 発電用施設周辺地域整備法、電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法。原発立地自治体に交付金等多額の収入をあたえた。
注2 浜井信三元広島市長 1947年公選された初の広島市長となる。計四期にわたって市長を務め、復興と平和行政を進めた。回顧録『原爆市長』を河野美代子さんがブログで紹介。たくさんの問い合わせがあり再版されることになった。
注3 ABCC 原爆傷害調査委員会。被爆者に対し治療も行わず、あくまで研究、実験材料として扱った。7800人のなくなった被爆者を解剖していたといわれる。

派遣法抜本改正を 院内集会 7・13

「なんでやらない派遣法抜本改正7・13院内集会」(主催 派遣法の抜本改正をめざす共同行動)が参議院議員会館でひらかれ、105人が参加した。

大量解雇とたたかうソニー労組が発言(7月13日 参院議員会館)

労働ビッグバン
共同行動を代表して棗(なつめ)一郎弁護士が基調報告。全国ユニオンの震災ホットラインの相談598件のうち277件、すなわち半数が派遣労働者からのものであることを指摘し、弱い立場の者から首切り等がおこなわれる構造は、東日本大震災の中でもまったく変わっていないことを明らかにした。これまでの派遣法の大幅規制緩和が、労働ビッグバンすなわち雇用形態の完全自由化、労働時間規制の完全自由化、解雇の完全自由化の中に位置づけられており、これに抗していくには、この労働ビッグバンとのたたかいという全体像をみることが重要であると指摘した。
また、労働法制審議会では「金銭による雇い止めの合法化」まで議論されていることを指摘。派遣法抜本改正のたたかいで運動の側が消極的姿勢を示せば、資本の側から反転攻勢に出てくることは目にみえているとし、なんとしても派遣法抜本改正を突破口に、労働ビッグバン・規制緩和の大きな流れと対抗していくための運動を保持し、確立・強化していかなければならないと語った。
さらに、派遣法の根底にあるのが有期雇用の問題であり、派遣法抜本改正のたたかいは有期雇用問題の解決への展望を切り開くものであると提起した。

ソニー大量解雇
ソニー仙台テクノロジーセンター(宮城県多賀城市)での大量解雇と闘う仲間が登壇。同センターでは正社員280人が広域配転され、期間社員は慣れないドロ掻きや片道3時間かけて復旧作業をしていた。4月冒頭、自宅待機を命じられ、5月末に期間社員150人が雇い止め(解雇)を通告された。このため22人がソニー労働組合仙台支部に加入し、解雇撤回・正規雇用を要求してたたかっている。被災した中小企業で一人の解雇も出さないようにがんばっている会社もあるのに、震災を口実に大量解雇をおこなおうとするソニーは許せないという怒りが表明された。
つづいて、東日本大震災を口実に群馬県の自動車部品工場で強行された大量の派遣切りとたたかっている仲間からの報告。震災前まではフル稼動で残業も多かったが、震災以後ガラッと変わり、交代勤務や残業がなくなった。3月31日、「今の現場は4月30日で終了する」と派遣会社から告げられ、頭が真っ白になった。寮から追い出されたらホームレス状態になることを覚悟した。そのときユニオンを知ってすぐ電話をし、支部を結成し、派遣会社と団交を行い、退職金を出させ、不十分であるが新しい仕事先を紹介させている。

震災後の労働相談
全国ユニオンと東京東部労組からそれぞれの労働相談のまとめが報告された。被災地での非正規雇用労働者の現状の一端を示すもので貴重な報告だ。

運動の再構築を
今国会での成立があやぶまれている目の前の現状に惑わされるのではなく、より大きな視点で派遣法をめぐる攻防の構造をしっかりとらえていくことは、運動を確立・強化するためには不可欠である。全国的な議論をふまえた上で、運動の再構築にむけたたたかいが始まることに新たな確信をもった。(労働者通信員Y)

5面

うちつづく不当弾圧への怒り
1000人が大阪府警を弾劾 7・17 大阪

4月5日、釜ヶ崎で7人逮捕、うち4人起訴。5月11日、連帯ユニオン関生支部13人逮捕、全員起訴。5月20日東京高裁で三里塚闘争を闘う農民・支援50人逮捕と、大量逮捕攻撃が続いている。
また、脱原発デモでの不当逮捕、詐欺罪、旅館営業法違反などをデッチ上げての不当逮捕(起訴はできず)が続いている。5月29日には、丸岡修さんが必要な治療をうけられないまま、獄死を強制された。さらに在特会の告訴を利用した弾圧など、枚挙にいとまがない。

組合つぶし攻撃
7月17日、大衆的反撃として「ええかげんにせぇ! 警察・検察・裁判所 反弾圧ネットワーク」は大阪・剣先公園で集会を開催。1000人を超える規模で大阪府警本部へデモをかけた。
集会は、若者たちによる闘いを訴えるダンスと演奏ではじまった。
関生支部・武委員長は「昨年の関生ストのピケット行為への不当弾圧」、「『組合員同士会話するな』『組合事務所への出入り禁止』が保釈条件とはなんだ」と、新自由主義による闘う労働組合攻撃に怒りを表明。「支部は80年代からの、いくたびの弾圧をのりこえ、200職場1700名の組合として闘っている」と報告。

選挙権をはく奪
釜ヶ崎弾圧については、弁護団と不当勾留中の4人からの獄中アピールが紹介された。
貧困などにより野宿を強いられた仲間の住民票を大阪市が削除して、公民権の全てを奪おうとしたことに対し「選挙権はある」「投票所に行こう」と呼びかけた行動が「威力業務妨害」なんて許せない―憲法違反そのものだと弾劾した。がん闘病中の女性の勾留を続け、受診も拒否していることが暴露された。
韓国から民主労総・建設労組委員長など3人が登壇。関生弾圧に抗議し即座にソウル・日本大使館抗議をおこなったと報告された。
参加諸団体からのアピールの後、「警察・検察・裁判所の弾圧を跳ね返す」の横断幕を先頭に炎天下、デモにうって出た。
今回の闘争は弾圧と闘う労働組合・市民団体が関西と全国から結集して闘われた。

関生・釜ケ崎の全員を保釈奪還
この闘いを受けて、7月20日にひらかれた関生弾圧公判、釜ケ崎弾圧公判(いずれも第1回)は、大阪地裁の大法廷に、それぞれ100人を超える仲間が結集して闘われた。7月22日には、関生の仲間13人を保釈奪還、25日には釜ヶ崎の仲間4人も保釈奪還した。(労働者通信員M)

デモ隊後方の建物が大阪府警本部(7月17日 大阪市内)

6面

住民の追い出しを許すな
西宮市芦原(あしはら)地区住宅裁判に集まろう

9日、神戸地裁尼崎支部で西宮芦原地区改良住宅をめぐる住民対西宮市の裁判がひらかれる。家賃値上げに反対し、値上げ前の家賃を供託してきた住民に対して、市が住宅の明け渡しを求めた裁判だ。この日が結審となる。芦原地区住民は、正午から裁判所包囲デモを呼びかけている。

応能応益制は違法
改良住宅とは、部落差別をなくすために、部落大衆が自分たちの家や土地を提供して建てられた住宅のこと。1996年の公営住宅法改悪と翌年の建設省通達により、全国の同和住宅・改良住宅に対して、応能応益制(収入に応じた家賃値上げ)の導入がおこなわれた。
西宮市芦原地区は全国に先駆けて「応能応益制は部落差別」「一律低家賃は当然の権利」というスローガンをかかげ、値上げ前の家賃を供託する闘いに突入するとともに、債務不存在確認訴訟を神戸地裁尼崎支部に提訴し、04年に一審で勝訴した。
判決は、改良住宅への応能応益制導入を違法と断じ、供託を有効と認めたもので、日本の公営住宅裁判史上、画期的なものであった。

治安の論理
この事態にあわてふためいた国は、控訴審において、西宮市の弁護団に訟務検事(国の弁護を担当する法務局の役人)を送り込み、「一審判決が維持されるならば全国の自治体が大混乱に陥る」という主張で、裁判所に恫喝をかけた。
住民に値上げ家賃の支払いを命じる二審判決は、治安の論理をかかげ、住民の権利をふみにじる不当なものだ。

3年で支払え
債務不存在確認訴訟の控訴審判決を前後して、同様に供託して闘った全国20数地区の裁判でも、値上げ家賃の支払いを命じる不当判決が下された。各地の住民は自治体との交渉を果敢に展開し、値上げ家賃と供託金の差額の支払いを、50年・100年の分納にさせ、同和住宅に住み続ける権利を守り抜いてきた。
ところが西宮市の対応は「3年で支払え。払えなければ出て行け」という異様なものであった。
芦原地区住民は、各地の自治体の例にならって長期分納をおこなうよう調停を申し立てたが、西宮市はこれに応じず、調停不調の決定直後に住民追い出しの裁判を提訴した。

国家権力の意志
西宮市の異様なまでの対応は、自治体固有の事情などによって説明することはできない。債務不存在確認訴訟の二審で訟務検事を差し向けたように、そこには国家権力の意志が働いている。
応能応益制に反対し、同和住宅に住み続ける権利を守ろうとする闘いを根絶やしにするため、その中心地をたたきつぶすということだ。言いかえれば、値上げ家賃を払えなければ出て行けという西宮市の姿勢にこそ、応能応益制にこめた国の意志が貫かれていると言える。
それはひとつには、住宅の公的保障を廃止するということ。
もうひとつは、部落大衆から土地と住居を強奪するということ。
芦原地区住民は言う。「改良事業に協力してくれ、低家賃の住宅を保障するから家・土地を手放してくれと、頭を畳にこすりつけるようにして頼んできたのはいったい誰だったのか」と。
芦原地区住民と連帯して、住民追い出し裁判をはね返そう。8・9裁判にかけつけよう。(長岡 剛)

※裁判所包囲デモの集合 場所は、石田公園(尼崎市水堂町3-12。神戸地裁尼崎支部から西へ400m)です。

今こそ、使える「第2のセーフティネット」を

7月13日 星陵会館

表題の集会が、7月13日、都内で開かれたので参加した。主催は全国生活保護問題対策会議など4団体。
福島県南相馬市で、原発賠償(仮払い)や義援金を理由に、200をこえる世帯が生活保護を打ち切られるという事態が起きている。これは原発賠償や義援金の事実上の没収行為だ。95年の阪神大震災のときは、義援金は収入認定から除外されたが、今回の東日本大震災では、逆のことがおこなわれている。
また、大阪市では就労可能年齢の生活保護申請者に対して、生活保護法改悪を念頭においた「就労指導」が激しくかけられている。
こうした生活保護打ち切り攻撃が強まる中で、集会が準備された。

3年間の時限政策
リーマンショック後、年越し派遣村の衝撃の中で、2012年3月までの3年間の時限政策として打ち出された、住宅手当創設を中心にした制度がある。これは事実上、生活保護の中の住宅扶助を独立させたもの。
第1のセーフティネットが雇用保険などの社会保障、第3のセーフティネットが生活保護としたら、その間に位置するものとして、第2のセーフティネットとネーミングされたものである。
当初、大きな期待が寄せられたが、支給期間が半年間と限られていたため、使い勝手が悪かった。しかし、それでも制度創設以来、約5万人が支給決定を受け、そのうち1万人を超える失業者が就職している。東京4372人、愛知2395人。大阪は6209人と、この制度がもっとも利用されている。

かちとった地平の確保・強化を
しかし今、国は第2のセーフティネットを消滅させ、かつ、生活保護を全面改悪しようとしている。
これに対していかにたたかっていくのか。それは、実際にかちとった第2のセーフティネットの地平を確保・強化し、生活保護の改悪を許さないことである。
開会あいさつに立った尾藤廣喜・生活保護問題対策全国会議代表幹事や、基調報告をおこなった小久保哲郎同事務局長、パネリストとして参加した稲葉剛〈もやい〉理事長らは、このことを熱く訴えた。

社会全体の問題
今秋には09年全国消費実態調査の集計結果として、「一般低所得世帯の消費実態が生活保護基準を下回っている」という報告が出ると予想されている。これが出されれば、保護基準の引き下げに向かっての大合唱が始まる。また、8月をメドに生活保護法の改悪案が示されると言われている。
冒頭に述べたように、生活保護申請の現場では改悪を先取りした「指導」がおこなわれている。生活に困窮した人の命がかかっている。
尾藤代表幹事は、保護基準切り下げに対して「解決は簡単である。最低賃金を上げ、年金等を上げればよいのだ」と指摘した。まさにその通りである。
生活保護をめぐる攻防は、日本社会全体の問題である。この逆流を押し返していくためには、社会保障をたたかってきた運動と労働運動が手をつなぐことが必要なのだ。このことを痛感した集会だった。(Y)

夏期特別カンパへのご協力をお願いします

闘う仲間の皆さん。『未来』読者の皆さん。
私たちは、いまこそ「核と人類は共存できない」ということをはっきりさせましょう。この期におよんでも原発推進政策にしがみつこうとしている日本帝国主義ブルジョアジーのいっさいの策動と対決して全原発を即時停止させ、資本主義社会の根底的変革を求めて立ちあがらなくてはなりません。
それは震災・原発の問題だけでなく、わずか0・6%の面積の沖縄に75%の米軍基地を押しつけている問題、格差・貧困が極限的に拡大している問題、アジア侵略戦争を反省し「二度とアジア人民に銃を向けない」と誓ったにもかかわらず、激しく台頭・ばっこする排外主義の問題とも同根です。
私たちはこの震災・原発事故の上に、なおかつ労働者階級の屍を積み重ね延命しようとする資本主義・帝国主義に対し、これを打倒し人間の共同的・協同的生産を基礎とする社会への変革のために、巨大な規模で進みつつある共同闘争・社会変革の隊列を今こそ強化していこうではありませんか。
東日本大震災の救援のために、全原発の停止のために、そしてたたかう仲間に襲いかかる大量逮捕・起訴の弾圧を粉砕するために、革共同再建協議会に夏期特別カンパを寄せられることを訴えます。

《カンパ送り先》
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