玄海原発の再稼動はだめ
佐賀県知事に市民が申し入れ 11日
11日、「佐賀県庁を取り囲む1000人アクション」がおこなわれた。古川・佐賀県知事、岸本・玄海町長らが、あいついで「停止中の玄海原発2号機、3号機の再稼働」を認める発言をするなかで、緊急にひらかれた。
定期検査などで停止中の全国の原発は、3・11福島第一原発事故以降、ひとつも再稼働できていない。原発利権にまみれた岸本町長や古川知事を先頭におしたて、経産省や電気事業連合会は、玄海原発の再稼働を切り口に、停止中原発の再稼働を全国でねらっている。
新館の玄関ホールで知事への申し入れ集会 (11日 佐賀県庁) |
子どもに明るい未来を
午前10時から県庁前路上でひらかれた抗議集会には、九州各県から200人が参加。山口県・上関原発建設反対をたたかう青年、東京、関西からも参加者がかけつけた。
子ども3人をつれて、福島市から福岡に避難してきた女性は「わたくしは福島県が大好きです。いますぐ帰りたいです。だけど、もう福島県には戻れない現実があります。九州のみなさんに、このような思いは絶対してほしくありません。原発はいりません。大切な故郷、いのちを守りましょう。子どもたちに明るい未来を残すために、声をあげて原発を廃炉にしていきましょう」と訴えた。
「玄海原発プルサーマル裁判の会」石丸さんは、「被曝労働者がいなければつくれない(原発の)電気。事故がおきたら、被曝を覚悟で決死隊のように、今も福島で作業をしている人を考えたら、申し訳ありませんと言うしかないような現実。福島では、小さい子が何も知らずに、砂遊びして無邪気にしているけれども、あと数年後はどんな状態になるのか、政治家もわかっているのに、そこから逃げなさいと言わず、福島を守ろうとか言って、ひどいことをやっているのが今の政府です。福島の犠牲者を思うならば、原発はやめますよと、すぐに言うべきです。電気が足りるとか足りないとか言う前に、いのちが大事。私たちの子どもたちは、私たちが電気を使った後の、核のゴミだけを引き受けなければならない。おとなが声をあげなければいけない」とよびかけた。
さらに、佐賀大学教授の豊島さん、千葉から九州に子どもをつれて避難してきた女性、俳優の山本太郎さんをはじめ、多数の方が発言した。
知事は出てこい
ゲートを閉じて、県民を締め出している県当局。集会終了後、参加者全員は、監視している職員を追及し、ゲートを開けさせた。
県知事に「再稼働を認めないことを求める」要請書を直接手渡すために、全員が庁舎本館に向かった。
ところが、正面玄関はすべての扉がロックされ、入ることができない。参加者は、扉を開けるよう要求し、40分にわたり、その場で抗議した。「カネより命」「子どもを守ろう」「原発いらない」「玄海止めよう」の声がこだました。
いったん、敷地外に出た参加者は、「人間の鎖」行動に移った。県庁を包囲し、抗議アピールを続けた。
県がバリケードで妨害
人間の鎖を終え、参加者は、今度は新館(新行政棟)をめざして進んだ。新館2階からは、連絡通路を通って、知事室のある本館2階に行くことができる。
参加者は新館通用口に殺到した。職員が入館を妨害するが、それをはねのけ、新館に次々と参加者がなだれ込んだ。階段をかけのぼり、連絡通路へ。
すると、県当局は、本館2階の入り口にバリケード(机)をおいて、通行を妨害。通路を埋めた参加者が抗議するも、通さない。
申し入れには、県原子力安全対策課の主査が応じるという県当局に対し、参加者は全員が入ることのできる部屋を要求。県は、6人の部屋しかないと開き直る。最終的に、新館1階の玄関ホールで全員が参加しての申し入れとなった。
担当者が出てくるまでのあいだに、ホールで集会をひらいた。司会から、夏休みに福島からの子ども受け入れを計画していること、200万円の予算で30人を受け入れる予定、現在申し込みが50人あるとの報告。
申し入れでは、「原発いらない福岡」「玄海原発プルサーマル裁判の会」をはじめ、申し入れ書をもたない個人も口頭で次々と意見・要請を表明した。
東京から福岡に避難してきた女性は、「今日、初めてここに来て、県庁のなかに入れなかったこと、(バリケードの)机を出してきたことに、非常に驚きました。わたくしは東京に住んでいました。(福島第1原発事故で)世界にむけての加害者です。いま、玄海原発で事故がおこれば、わたくしはまた加害者になります。定期点検で日雇い労働者の方々を被曝させることを前提になりたっている原発は、やめましょう。今日、私たちが受けた対応は、とても非人権的な対応です。」「仲間を捨てて、裏切るかたちで東京から移ってきた者の気持ちは当事者でないとわからないと思います」と訴えた。
いつでも緊急行動を
申し入れのあと、本館玄関前に会場を移し、総括集会をひらいた。県の不誠実な対応に強く抗議するとともに、今後も粘り強くたたかいぬき、玄海原発2号機・3号機の再稼働を絶対させないことを誓った。もし、古川知事が再稼働にゴーサインを出すようなことがあれば、緊急行動をおこなうことを皆で確認し、この日の行動を終えた。
申し入れ前の抗議集会(11日 佐賀県庁前) |
現地闘争本部を死守しよう
18日 現地で緊急闘争 三里塚
緊急現地闘争でデモの先頭に立つ反対同盟 (18日 成田市内) |
7月4日、千葉地裁民事第4部・藤山雅行裁判長は、6月9日に成田空港会社から出されていた「天神峰現地闘争本部建物等の収去命令申し立て」に対して、「収去命令」の決定を行い、三里塚芝山連合空港反対同盟に送達した。
5月20日の高裁判決は、成田治安法によって立ち入りできない現闘本部の撤去を反対同盟に命令するという矛盾があった。これについて藤山裁判長は、「取り壊しのためなら立ち入りできる」という暴論を吐いている。また裁判経過を無視し、木造の旧建物も撤去の対象に入れた。
反対同盟はただちに現闘本部死守決戦への戦闘宣言を発した。18日の緊急現地闘争には、 250人が結集した。三里塚闘争45年の歴史そのものである天神峰現闘本部を、労働者人民の力で守り抜こう。
2面
「ロードマップ」の破産を居直り
6月 日米安全保障協議委員会
6月21日、米国務省で「日米安全保障協議委員会(2+2〔ツープラスツー〕)」が開かれた。「2+2」がおこなわれるのは4年ぶり。日米両政府は「より深化し、拡大する日米同盟に向けて」と題した共同文書を発表し、民主党政権の登場によって一時的にきしみが生じた日米同盟の「修復」をアピールしようとした。
しかしながらその内容を見れば、05年10月に発表した「日米同盟の変革」、すなわち日米の軍事的一体化と在日米軍の再編が、06年発表の「ロードマップ」どおりに進展していないことは明らかである。
今回の「2+2」のポイントは以下の5点。
14年完成目標を断念
第一に、辺野古新基地建設をあくまで強行することを再確認したことである。共同文書では「普天間飛行場の代替の施設」を「キャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置される」とし、「V字型に配置される2本の滑走路を有する」と明記した。
そして当初の完成目標時期として設定した2014年には「達成されない」として、普天間基地に居座りつづけようとしている。
注目すべきことは「代替施設の滑走路」について、「均一の荷重支持能力を備えて1800メートルの長さを有する」としたことである。
米側は、オスプレイを離陸させるために、オーバーランも滑走路と同じレベルの強度にすることを要求していた。つまり、「均一の荷重支持能力」という記述は、辺野古へのオスプレイ配備が前提になっているのだ。
馬毛島(まげしま)移転に怒り爆発
第二に、米空母艦載機の陸上空母離着陸訓練(FCLP)の移転先として、鹿児島県・馬毛島を検討すると明記したことだ。
移転候補地とされた馬毛島(鹿児島県西之表市〔にしのおもてし〕)は、種子島の西方12キロに位置する島である。 馬毛島に米艦載機の離着陸訓練を移転しようという動きは07年からあった。厚木基地の米空母艦載機59機を岩国基地に移転するのにともなって、艦載機の離着陸訓練を馬毛島に移転するというものである。
地元の熊毛地域1市3町(西之表市、中種子町、南種子町、屋久島町、4万7300人)の住民は「馬毛島は漁場としての生活の場であり、軍事利用はそぐわない」と強く反対していた。
ところが今年5月、防衛省は地元をまったく無視して「離着陸訓練の移転先を馬毛島とすることで最終調整に入った」と報道にリークしたのである。そして「2+2」の共同文書で「馬毛島」と明記したのだ。たび重なる住民無視の姿勢に地元では「徹底して反対する」と怒りが爆発している。
6月28日には、住民の反対運動の高まりに押されて、鹿児島県議会が全会一致で「馬毛島へのFCLP米軍基地建設に反対する意見書」を可決した。今月2日に、防衛省の小川勝也副大臣が西之表市役所を訪問したさいには、長野力市長は改めて「馬毛島への訓練移転に反対」の意向を表明した。当日、市役所前で開かれた抗議集会には市民200人が参加して「日米合意撤回」「移転反対」の声を上げた。
「対中包囲」強める
第三に、「共通の戦略目標」として、日米の枠組み以外に、日米韓、日米豪、さらにASEANとの安保協力をもりこんだことである。また中国に対し、「国際的な行動規範の遵守を促す」と、これまでにない強い調子で牽制している。これは明らかに日米同盟を中軸とした「中国包囲網」の形成をめざすものだ。
第四に、共同文書「東日本大震災への対応における協力」では、地方自治体がおこなう防災訓練への米軍参加の意義を指摘し、自衛隊と米軍の運用調整のためにもうけた「日米共同調整所」を「あらゆる事態への対応モデルとなる」と位置づけている。
第五に、日米が共同開発中の次世代型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」を、米国以外の第三国に移転(輸出)する問題については、条件付きで初めて容認した。武器輸出三原則の撤廃に向けた動きとして重視しなければならない。
今年の沖縄5・15平和行進(宜野湾市) |
沖縄・高江に座り込みに行こう
ヘリパッド建設阻む住民の支援を
6月に沖縄を訪問した。辺野古と東村(ひがしそん)高江(たかえ)にも行き、現地でお話をうかがった。その中で感じたのは、辺野古のことは鳩山の迷走をマスコミが報道したので有名になったが、同じ新基地建設でも、東村高江のことがいまひとつ知られていないということだ。
普天間基地の辺野古移転は、単なる移転ではなく、北部新基地建設だ。普天間基地の危険除去が目的なのではなく、北部に一大拠点をつくることが辺野古移転の正体だ。
辺野古弾薬庫と隣接した滑走路をつくることで、基地機能を強化する目的がある。大浦湾の新たな軍港建設もセットになった大基地構想だ。そして、高江に新しいヘリパッドをつくることで、辺野古新基地と一体になった北部演習場の強化をねらっている。
8割のために・・・
ところが、高江の新ヘリパッド建設と引き換えのようにして、北部演習場の半分(実際には演習場として米軍が使っていなかった部分)を返還するというので、反対運動が難しい状況にある。ヘリパッドは高江地区を囲むようにつくられ、生活が破壊されるため、高江地区の住民は反対している。
しかし、仲井真県知事も東村の村長も建設に賛成している。仲井真の辺野古新基地建設反対は、元々基地賛成なのに世論を考慮した選挙対策だ。大きな世論になっていない高江ヘリパッドには賛成している。また、東村の村長は、「8割の虫を生かすのに、2割(高江のこと)が犠牲になるのは仕方ない」と発言している。後に撤回したが、本音だろう。
高江のことを広めよう
ところが最近になって状況が変わるかもしれないことが起きている。普天間基地にオスプレイが配備されることが明らかになったことだ。仲井真はオスプレイには反対している。するとオスプレイ用に新設される高江の新ヘリパッドについても反対しないとつじつまが合わない。状況が大きく変わる可能性がある。
高江のヘリパッド建設を阻止するために、高江のことをもっともっと広く市民に知らせないといけない。沖縄でも高江は知られていないというし、本土では言わずもがなだ。私たちも「高江は遠い」と言わず、沖縄を訪れたら必ず高江の座り込みに参加しに行こう。辺野古から車で1時間で行ける。
泊まり込みで監視
この3〜6月は、ノグチゲラの繁殖期なので工事しないことになっていた。しかし、この6月15日には重機搬入が行われようとし、ゲート前を反対派が死守した。今年1〜2月にも、工事強行との激しい攻防があった。
その時搬入されていた重機はリースだったので、いったん搬出し、今は重機が入っていないため、防衛施設局は新たに重機を搬入する必要があるのだ。重機搬入にはゲートを通るしかなく、ゲートは反対派が車を停めて、泊まり込みで搬入阻止の体制を続けている。
いったん重機が入ってしまうと、工事を止めるには工事業者の人数と同じぐらいの数の人が必要。搬入する砂利を土のうにつめて、ゲート以外の所から人海戦術で土のうを搬入するからだ。そのため、現地ではとにかく重機搬入を阻止するために、泊まり込みを含む監視体制を続けている。
高江ヘリパッド建設との闘いは4年になる。反対派住民と、まだまだ少ない支援の労働者・農民は、働きながら、育児しながら、座り込み・夜中の監視の闘いを続けている。それは本当にたいへんな闘いだ。
7月からは工事強行との闘いで、いっそう現地は緊迫していると思う。少しでも力になれるように、スケジュールを組んで訪問しよう。反対派の簡易宿泊施設もある。早朝、深夜の監視活動にも参加しよう。(GG)
N1ゲート前。門の前を車で封鎖している (6月 沖縄・東村高江) |
オスプレイの普天間配備
全会一致で拒否 沖縄県議会
先月6日、米国防総省が垂直離着陸機オスプレイMV22を米軍普天間飛行場に配備すると発表したことに対して、沖縄県議会が今月14日、全会一致で、反対意見書と抗議決議を可決した。
意見書・決議は「日本政府は、人命にかかわる重大な問題であるオスプレイ配備計画について、沖縄県や関係自治体への伝達を口頭で行うばかりか、米国では実施されて いるアセスメントが普天間飛行場で実施されるかどうかについては明らかにせず、配備中のヘリコプターにかわる単なる機種変更と位置づけるなど、県民の生命 と人権を無視した対応は言語道断で到底容認できるものではない。」「世界一危険で欠陥だらけの普天間飛行場にオスプレイを配備することにより、既成事実を積み上げ、一方的に押しつけようとする日米両政府のやり方は、県民が強く望んでいる『一日も早い危険性の除去』に逆行するものであり、断じて許されるものではない。」と述べ、オスプレイ配備拒否を強く表明した。
沖縄県内では、同様の意見書・決議がすでに14自治体で可決されている。
中国を挑発する日米豪演習 南中国海で初めて
9日、南沙(スプラトリー)諸島南のブルネイ沖で、日米豪が合同軍事演習をおこなった。同演習は、07年から始まったが、今までは日本近海で実施されてきた。南中国海(南シナ海)でおこなわれたのは初めて。海自護衛艦「しまかぜ」、米海軍駆逐艦、豪海軍パトロール艇の計3隻が戦術運動訓練などを実施した。
この軍事演習は、米軍による中国包囲網形成の一環。日米豪軍事演習の前日まで、米軍はフィリピンとの軍事演習を同海でおこなっており、15日から19日までは、ダナン沖で、ベトナムと合同演習をおこなった。
これは、先月ひらかれた「日米安全保障協議委(2+2)」で確認された「共通の戦略目標」の実働化である。日米の枠組み以外に、日米韓、日米豪、さらにASEANとの安保協力をもりこんだ。「中国包囲網」の形成をめざすものだ。
自衛隊 ソマリア沖派兵を延長
ソマリア沖アデン湾に派兵されている自衛隊の派兵期限切れ(7月23日)を前にして、政府は、安全保障会議と閣議で、派兵期間の1年延長を決めた。延長されるのは、昨年につづき2回目。
09年3月に海賊対処を口実に派兵され、現在も約5百人の海上自衛隊、陸上自衛隊が展開中。陸上基地として、ソマリア隣国のジブチに自衛隊が史上初の海外恒久基地を6月1日に開設している。
3面
門真三中「君が代処分」取消訴訟
処分の不法・不当性あきらかに 大阪地裁
大阪府の「君が代」条例反対集会で発言する川口さん(5月26日 大阪市内) |
4日、門真三中「君が代処分」取消訴訟の第11回口頭弁論が大阪地裁でひらかれた。
法廷は、(門真三中への「君が代」処分をただす会)会員や支援者が多数かけつけ、傍聴席に入りきれず交代での傍聴となった。
この日は、原告・川口さんへの尋問・反対尋問、および被告・門真市(市教委)への尋問・反対尋問がおこなわれた。市教委側の証人は、藤井・学校教育課長補佐(当時)。
川口さんの証言
卒業式に向けて、校長から「指導要領にのっとってお願いします」と言われたが、「職務命令」は出ていない。卒業式では、卒業生のほとんど全員が「君が代」斉唱時に座ったが、そのことで支障は何も生じなかった。3月13日の卒業式以降、27日に産経新聞報道があるまでは、何事もなかった。保護者からは、「卒業式はよかった」「感動した」との声がよせられていた。産経報道後、学校に電話やファックスが大量に入るようになった。
電話は名前を名乗らず、同じ内容の抗議が多く、ファックスは、名前を名乗った激励文が多かった。生徒たちは、自分たちは正しいと思ってしたことなのに、ネットの2chでの書き込み(誹謗中傷)などを見て、傷付いた。産経報道のあと、門真市教委からしつこく事情聴取が繰り返された。
学校行事に「日の丸・君が代」なくても何もさしつかえない。これを強制的に導入し、従わないものを処分してくるのを見ると、戦前の軍国主義教育にもどる危機感を感じる。「君が代」斉唱時に起立して歌うことは受け入れられない。
藤井・学校教育課長補佐の証言
学習指導要領には、「起立して歌う」とは書かれていない。平成12年(ママ。2000年)12月5日に通知を出して、あと毎年、校長会で口頭で指導してきた。通知後、小学校は「改善」されたが中学校は改善されなかった。3中の卒業式終了後、校長から報告があった。深刻に受け止め、原因、経過、不起立指導がなかったか校長に事実確認を指示した。3月27日に産経新聞の報道があったので、28日に指導主事を学校に派遣した。
訓告書は誰が書いたのか知らない。
報告集会
閉廷後、場所を移して、報告集会がひらかれた。
はじめに、ただす会共同代表・三浦さんが「川口さんの信念貫いた姿に感動した」と挨拶があり、続いて、共同代表・戸田さんより「門真市議会も、共産党も、この処分に口をつぐんで、なかったことにしようとしている」と、この裁判の重要性を訴えた。
奥山弁護士、小野弁護士からの解説と総評がおこなわれ、次回弁論までに、この間の最高裁判決も検討して、総まとめの最終書面を提出すると報告があった。
質疑応答が続き、最後に川口さんが「いろんな人がたくさん来てくださってほんとにうれしい。このように運動が広がることが大事だ。これからもよろしく」と、お礼を述べ、終了した。
不当処分撤回へ
この日の法廷では、@卒業式は何の波瀾もなくおこなわれた。A教師が生徒に不起立を扇動したという事実はない。B産経報道後の事情聴取の不合理性。C処分がいかなる損害を教員と生徒に与えたか。D市教委は、処分決定に関与しておらず、市教委が出した処分書(訓告書)も、市教委が作成したものではなく、府教委から降りてきたもの。E処分の法的根拠を市教委は示せない、などの諸点があきらかとなった。
次回、第12回口頭弁論は、9月28日、午後4時、大阪地裁809号法廷。
侵略賛美の教科書採択
栃木県大田原市 15日
大田原市教委は15日、来年度から市立中学校で使用する歴史と公民の教科書について、育鵬社版教科書を採択した。育鵬社版は、これまでの扶桑社版をひきつぐもので、右翼団体「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれた「教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)」のメンバーが執筆している。同会のバックには、安倍晋太郎がいる。
2012年度から使用される中学校教科書の採択は、この7月から8月にかけて、全国各地でおこなわれる。侵略賛美・憲法無視の「つくる会」系教科書=自由社版・育鵬社版の採択をさせないたたかいをまきおこそう。
狭山要請行動に参加して
3月の第6回三者協議で、検察は47年間隠し持っていた「ルミノール検査は陰性」との技師メモと石川さんの当初の上申書という重大証拠をやっと出してきた。次の第7回三者協議では、のこる証拠を全面開示させよう。ここに再審開始の成否がかかっている。
7月8日、部落解放同盟全国連合会がよびかけた狭山要請行動に参加した。全国から集まった全国連各支部と共闘の約46人とともに、東京高裁と東京高検への要請行動をおこなった。
高裁では、全国連の村上副委員長が、「狭山は重大な情勢をむかえている。5月には布川事件の再審無罪が確定し、裁判所への批判と裁判所への国民の視線が注がれている」「検察庁は『ルミノール反応検査報告書はない、存在しない』といっていたが、実は存在していた」「裁判所は、ルミノール反応検査報告書、殺害現場の8ミリフィルム、石田養豚場のスコップの指紋鑑定、否認していた当初の取り調べテープなど、すべての証拠に対して最後の開示命令をだしてほしい」「石川さんの三者協議への出席を認めよ」と要請。
本部、各支部の参加者が真剣な表情で要請書を読み上げる。文字の読み書きをうばわれた部落差別の現実への怒りが語られ、狭山事件は部落差別を利用した国家犯罪だと糾弾した。
検察庁では、7月1日に主任検事になった広瀬検事当人に「一体あなたは狭山事件のことがわかっているのか?」と問いただした。そして「全証拠は国民のもの。それを明らかにするのは検察の責任だ」と追及がおこなわれた。(大阪・S)
夏期特別カンパへのご協力をお願いします
たたかう仲間の皆さん。『未来』読者の皆さん。震災・原発・沖縄基地強化とたたかい、革命的共産主義運動の飛躍をめざす私たちに、夏期特別カンパをお寄せくださるようお願いします。
3・11東日本大震災と福島第一原発事故は、現代帝国主義の矛盾・不朽性が露呈し、人民に襲いかかる構図を示しました。福島原発事故は4カ月を経ても「収束」の見通しすらたっていません。国家と独占電力資本が国策として押し進めてきた核・原発政策は、人類の手で制御できない悪魔の政策であり、その破産とつけが襲いかかっています。私たちの先達が1945年のヒロシマ・ナガサキ被爆や54年のビキニ被爆を経験し、核廃絶を誓いながらも、私たちは日本列島が核・原発で覆われる事態を許してきました。
核と人類は共存できません。この期に及んでも原発推進の政府・電力資本=帝国主義社会に対して、私たちは、全原発の廃炉とこの社会の根底的な変革を求めて立ちあがります。それは震災・原発の問題だけでなく、日本全土のわずか0・6%の面積の沖縄に、在日米軍基地の75%を押しつけている問題、格差・貧困がますます拡大している問題、アジア侵略戦争を反省し「二度とアジア人民に銃を向けない」と誓ったにもかかわらず、跳梁する排外主義の問題とも同根です。
震災・原発事故の上に、なおかつ労働者階級の屍を積み重ね延命しようとする資本主義・帝国主義に対し、これを打倒し人間の共同的・協同的生産を基礎とする社会への変革のために、共同闘争・社会変革の隊列を今こそ強化していこうではありませんか。
東日本大震災の救援、全原発の停止、そして闘う仲間に襲いかかる大量逮捕・起訴の弾圧を粉砕するために、革共同再建協議会に夏期特別カンパを寄せられることをお願いします。
《カンパ送り先》
◎郵便振替 口座番号:00970-9-151298 加入者名:前進社関西支社
◎郵送 〒532-0002 大阪市淀川区東三国 6-23-16 前進社関西支社
4面
被ばく地・フクシマで出会った人びと
「原発はがん 復興は手さぐり」 古河 潤一
「あの震災・原発から病院を守りぬいたスタッフは皆、同志です」〔同病院医師。筆者が南相馬市を去る日の言葉〕(写真は上下とも5月 南相馬市内) |
私は5月上旬から1カ月間、被災地・福島県南相馬市に行った。そこで市立総合病院のスタッフとともに避難所をまわり、診察・リハビリ・運動の手伝いをした。避難所となった学校体育館などでは、津波と原発放射能に自宅をのみこまれた人々が、不自由な生活を強いられていた。
もう原発はやめろ
女性(88歳)「津波がもっこらもっこら迫ってきた。家もねえ、銭もねえ、死にたかぁねえ。残っているのは家のローンだけだ。15年払ってきて、まだ9年のこっている。払えるわけねえ」
男性(84歳)「塗装工をやっていた。家も道具も車も仕事も、津波がもっていった。津波にのまれた死体はまっ黒になっていた。姿かたちがあったらいいほうだ。俺は生きてる。働かなきゃあ」
男性(70代)「40、50歳のころ、原発の仕事をよくやった。新設じゃない。しょっちゅう修理だ。配管の修理で溶接したあとをグラインダーで削ったり、ボルトを締めたりした。マスクがほこりでつまって、気を失ったこともある。あるとき、ボルトを締めていたら突然蒸気がシューッと出てきた。すると『はい、もう来ないで下さい』と言われたよ」
「2、3日前、東電がここにあやまりに来たよ。十数名がずらっとならんで、高圧的だったな。『仕事をよこせ。電気をながせ。電車を走らせろ』と言ったが、何も答えないで帰っていった。原発が吹っ飛んだんだ。もう原発はやめろ。火力の方がいいよ、放射能が出ないから」
女性(50代)「原発から20キロで線引いて、家から追いだして・・・。ここでの生活は『はい、朝めし。はい、昼めし。はい、晩めし』まるで家畜だ。放射能あびせて、モルモットか、おらあ。人間だど、みな。避難所を転々として、ここで6カ所目だ。また朝が来て、カレンダーにしるしをつける毎日だ」
男性(40代)「東電がにくい。原発がにくい」
無人地帯を走る
ボランティア活動中、福島県いわき市から南相馬市まで車で走った。普段なら海岸沿いの国道6号線を60qでいける道のりが、原発20キロ圏を迂回して山間部をぬける国道399号線を使うため130qの走行となる。川内村、田村市、葛尾村、浪江町、飯舘村と阿武隈山系の村々を走った。美しい季節、美しい村々。だが、学校、保育所、商店に、田畑や放牧地に人の姿はない。田んぼはまったく手つかずである。鳥やカエルの声もほとんどない。対照的に警察車両や自衛隊の車両、装甲戦闘車両が目立つ。
静かで昼間もこわい
女性(ガソリンスタンド経営)「原発の爆発で村から人がいなくなった。夜はまっくら。昼間もこわいよ、静かで。気持ちがうつうつして、病気になりそうだった。タンクローリー呼んで、スタンド再開した。地震や津波はこえていける。だけど原発は先がわからない。毎日がつらい」
田畑を捨てる
放射能汚染によって住民が退去を強いられた飯舘村で、5月21日、22日、避難前集団検診があった。村の中でも原発寄りに位置し、放射線量が高い、比曽、長泥、蕨平から250人余の人びとが診察をうけた。
50代の男性が「今年のアスパラガスはできがいい。食ったらうまかったよ」と言うと、となりにいた男性が驚いた顔をして「死ぬぞ」とつぶやいた。するとその男性は「俺はもうおわりだ」と言った。
女性(70代)「60年以上手がけてきた田んぼを捨てて、出ていかなきゃならねえ。原発はどうしようもねえ」
男性(50代)「『飯舘の牛』と言えば、10カ月育てて50万円から60万円になった。いまは30万から40万だ。月末にはみんな手放すよ。6万から10万くらいにしかならねえだろう」
女性(看護師)「となりの老人施設では100人あまりの方が生活しておられます。『環境の変化より(放射線被曝の方が)まし』というのです。私らは福島市から1時間かけて通勤しています。県外からの人もいます。職員が減った分は村の他の施設からの応援でうめています」
飯舘村で
ホットスポット・飯舘村長泥十字路(上下とも)。下の写真の×印は、文科省の観測地点〔中の矢印は原発の方向を指す〕(5月) |
6月6日、飯舘村の交叉点で一匹の猫をみた。晴れた日にはこの近くの峠から、はるか遠くの太平洋と原発が見えるという。その猫は、もう目は見えず、耳も聞こえず、体のバランスがとれず、歩くことができないで、かろうじて立っていた。
5月14日までの長泥十字路の累積放射線量は、18・233ミリシーベルト。4月19日、文科省はこどもの年間累積被曝限度を20ミリシーベルトと発表した。絶対に許せない。
私たちの責任
福島県全域はおろか、日本と世界の都市、農村、田畑山林、河や海、そこに生きる人々を被曝させた福島第一原発。いまもそこで、連日24時間、労働者が被曝労働を強いられている。
「原発は危険」と言ってきた私たちには、原発をつくらせた罪=責任がある。いま、すべての原発をとめなければならない。被災地の人びとと、ともに行動しよう。
被災地からの手紙
7月1日、南相馬市立総合病院から手紙が届いた。
『…機会があれば、今度は一緒にお酒を飲みましょう。その時は、あんな事もあったねと、話せるくらい南相馬が復興しているようになりたいと思います…
追伸
脳外科5名、72時間の入院のみ可能であった当院ですが、ようやく6月20日から70名、短期入院であれば可能と福島県から通達がありました。今までより病院も少し活気が出て来て、少し安心しました』
9月、再び支援物資と「元気」を届けるために、飯舘村、南相馬市に行きます。一緒に行く人を募ります。連絡ください。
【編集委員会より】
南相馬市へのボランティアに参加を希望される方は、ご一報ください(本紙ホームページから)
5面
「障害者」福祉 新制度に敵対する政府・厚労省・国会 自立支援法を撤廃に
追い込んだ「障害者」運動の再高揚を
「食べる、排泄する、移動する、といった人間としての基本的なことをするのに、なんで『障害者』だけ金を払わなければならないのか?!」という怒りをまきおこした「障害者自立支援法」。長妻厚労相(当時)が撤廃を約束したのは、一昨年10月30日の日比谷野音での集会であった。
昨年1月には、「障害者自立支援法」違憲訴訟の原告・弁護団と国が和解合意、また「障がい者制度改革推進会議」(以下、「推進会議」)が発足。以来「障害者自立支援法」にかわる新制度の構築にむけ、推進会議等で議論が重ねられ、踏み込んだ内容の意見書が出されてきた。
しかし昨年以降、政府・厚労省・国会は、この新たな制度にむけた流れを裏切る動きをしている。今国会では、問題の多い「障害者基本法」改定法案が衆院を通過、現在参院にかけられている。
「障害者自立支援法」撤廃の約束を勝ち取った、「障害者」を先頭とした運動の力を、もう一度高揚させ、政府・厚労省・国会の反動を押し返さなければならない。そのために、この間の動きをまとめてみる。
画期的な推進会議の意見
推進会議は、首相を長とする「障がい者制度改革推進本部」のもとにおかれた機関で、24人の構成員の過半は「障害者」およびその家族。自立支援法に代わる新法のみならず「障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする我が国の障害者制度の集中的な改革」の内容を検討する。
具体的には、今国会で「障害者基本法」の改正、来年の通常国会で「総合福祉法」(自立支援法に代わる新法)、再来年の通常国会で「差別禁止法」を制定することをめざし、昨年6月に第一次意見、12月に第二次意見をとりまとめている。
発足から1年で膨大な論点の2つの意見をまとめるという、すごい速さで審議が進められているが、それは「障害者」運動の蓄積と、切実な現場の声があればこそと言える。
意見の基本理念
第一次意見は制度改革の基本的な理念や課題の整理、第二次意見は「障害者基本法」の改正の内容についてまとめている。それぞれ内容は多岐にわたる。
第一次意見の「基本的考え方」をみると、@従来の制度が「障害者」を「施策の客体」と位置づけていたことを転換し、「障害者」が「権利の主体」であることを明確にする、A従来「障害者」が日常生活で受ける制限の原因は「障害」があることによるとされてきたのを、社会環境等に原因があると転換する、Bすべての「障害者」が家族への依存を脱し自ら選択した地域において自立生活を営む権利を確認し、そのために24時間介助等を含む支援制度の構築をめざす等々、「障害者」福祉を根底からつくり変えていく内容となっている。
各論も画期的内容
それをふまえた各論でも、例えば「障害の有無にかかわらず、すべての子どもは地域の小・中学校に就学し、かつ通常の学級に在籍することを原則」とする、「精神障害者」に対する強制入院について見直すべきであるとするなど、画期的とも言える内容となっている。
また第二次意見も、そのような立場から、「障害者基本法」の必要な改正の内容について、全面的に提起している。
政府・厚労省・国会の巻き返し
(1)「障害者自立支援法」改定法案
昨年4月末、推進会議に何の説明もなく、突然自立支援法の改定法案が議員立法で出された。5月末に衆院を通過、参院で廃案となったが、秋の臨時国会で再提出、12月3日に成立した。
政府が約束に基づいて推進会議で議論していることを、国会が完全に無視するかたちで、「障害者」が求める内容を反映しない改定案を通してしまった。5月以降は、民主党が自民・公明と一緒になって推進したのだ。
(2)「障害者基本法」改定 法案
前記の通り、推進会議は昨年12月に、基本法改正の内容に関する意見書を提出したが、政府は2月14日、推進会議に改定法案を提示、3月11日には推進本部で確認した。この改定法案は、推進会議第二次意見の核心部分を反映していない(具体的内容については、後述)。
(3)総合福祉部会報告にたいする厚労省コメント
推進会議は、来年通常国会で「総合福祉法」(自立支援法に代わる新法)を制定すべく、「総合福祉部会」という部会を設けて議論を進めている。部会では、膨大な論点を網羅すべく、9つの作業チームをつくり検討を進め、第1期報告、第2期報告をまとめている。この8月ないし9月には、部会の意見がまとめられ、法案づくりが始まることになっている。
厚労省は、2月15日に第1期報告にたいする、6月23日には第2期報告に対するコメントを出している。その内容は、「財源確保が必要」「国民の合意が必要」「地域主権改革の流れに逆行する」等々の口実で、報告の核心を否定するもの。
例えば、 「直ちに一人ひとりに介護職員(ヘルパー)が常時付き添うということになれば、非常に多額の財源及び人材が必要となるため、国民の理解を得ながら検討する必要があります。(中略)一人で地域で生活を営めるような自立訓練や困ったときに対応してくれる相談支援体制の充実といった他の代替手段の活用など、様々な地域資源の活用により総合的に対応することについても検討が必要と考えられます。」
このコメントでは、推進会議第一次意見で打ち出した、「障害者」を「権利の主体」と位置づけ、権利実現に必要な保障を国の責任でおこなうということが、完全に否定されている。
・ ・ ・ ・ ・
こうして、政府・厚労省・国会が、あげて推進会議の意見を否定し、福祉切りすて政策を進めようとする動きが、露骨に表われてきた。
「障害者基本法」改定法案
今国会で審議されている「障害者基本法」改定法案の内容には、推進会議の意見をふまえた改善も少なからずある。
しかし、@推進会議が求めた、前文を設けて権利法とすることはなされていない。A何より、核心部分で「可能な限り」という文言を6カ所入れて、「財源が確保されない」といった口実で放置することに道を開くものとなっている。
例えば第三条二項は「全て障害者は、可能な限り、どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生することを妨げられないこと」(傍点引用者)。
Bまた、「精神障害者」の社会的入院の問題に関しては、まったく盛り込まれていない。
C「障害者」の定義につき、「医療モデル」(「障害者」の受ける様々な制限の原因を身体的または精神的な機能の「障害」にもとめる考え方)ではなく、「社会モデル」(その原因を社会環境の側にあるとする考え方)に基づくことを求めたが、「『障害』および社会的障壁により制限を受ける状態にあるもの」(第二条)と、「障害」と「社会的障壁」を並列することで、社会環境の側の責任を曖昧にしている。
大きなうねりを
「評価できる点もある」ということ、さらに震災後の「財政難」キャンペーンもあって、この基本法改定の動きにたいして、国会行動なども取り組まれたが、まだ大きな反対のうねりはできていない。
しかし、昨年来の政府・厚労省・国会の動きを見れば、財政削減・福祉切りすての流れの中で、推進会議の提起する内容を破壊しようとしていることは明白だ。
「可能な限り」といった、福祉切りすてに道を開く文言をしのびこませた法案は、許してはならない。この動きを止めなければ、来年出される総合福祉法の内容も、推進会議・総合福祉部会の提起する内容を踏みにじるものにされてしまう。
基本法改定法案は、参院での審議日程はハッキリしていないが、すでに衆院を通っている。今一度、自立支援法を撤廃に追い込んだ「障害者」を先頭とした運動の高揚をつくりだしていこう。
臨時国会に再提出された自立支援法改定案に反対し、連日国会前で「障害者」が抗議行動(昨年11月30日) |
丸岡修さんの死を悼む
若き日の丸岡修さん |
「パレスチナに連帯した丸岡修君を送る会(集会と偲ぶ会)」が、6月19日、京都市内でひらかれた。
丸岡修さんは、拡張型心筋症という重い心臓病を患い、重篤の状態にあったにもかかわらず、日本帝国主義国家権力・東京高検により、当然の治療を受けることを妨害され、5月29日、無念の獄死を強制された。
この無念を共有する有志により丸岡修君を送る会が組織され、その主催により集会と偲ぶ会がおこなわれた。参加者は、かつての同志・友人や、丸岡さんが無期懲役囚とされて以降、彼への劣悪な獄中医療に怒り支援者となった人たちなど、約60人。私は同時代を闘った者として、丸岡修さんの無念の死を悼み、彼の無念を引き継ぎ闘うために参列した。
集会は、かつて丸岡さんが同志への追悼集にかかげた「涙ではなく祭りを! オリオンの二人と共に」の言葉にふさわしいものとしておこなわれた。主催者として、「拡張型心筋症の丸岡修さんに生きる途をの会」の柳田健さんがあいさつ。その後、PANTAさんの演奏を中心に、丸岡さんを知る人からのあいさつを挟み、丸岡さんの刑執行停止申立を6次にわたっておこなってきた弁護団の大谷弁護士の報告。大谷弁護士は、刑の執行停止を拒否し続けた者として、東京高検公安部をあげ、矯正局の判断さえも覆すことに全力を挙げた事実を強く弾劾した。
集会を終え、第二部として偲ぶ会が、会場を移し、立食パーティー形式でおこなわれた。丸岡さんがもっとも信頼していたという妹さんから、送る会のお礼と報告。映画監督の足立正生さんから経過報告。獄中の重信房子さんからのメッセージ。
国家権力による判決なき死刑執行と言える「獄中医療の放棄」、刑執行停止拒否の悪辣な策動を弾劾し、丸岡さんが求めた「人間が人間らしく生きていける世界」をつくる闘いを引き継ぐ集いとなった。(黒石昌朗)
6面
放射能の恐怖―ヒロシマの原点
8・6ヒロシマ ―平和の夕べ―
8・6ヒロシマ―平和の夕べ―(8月6日、15時30分〜、広島YMCA・国際文化ホール)の発言者・集会要旨を紹介する。「ヒロシマの継承と連帯を考える」が毎年共通のテーマ。2月に、平和講演を中沢啓治さんに引き受けていただき、3月はじめに小林圭二さん、草薙順一さん、早苗NENEさんの発言と歌が決まった。案内状の印刷に入ったときに、東日本大震災と福島第一原発の事故がおこった。(Y・M)
中沢啓治さん |
「原発の安心感の化けの皮がはがれた。人類は核・原発を制御できない。放射能の恐怖は、広島の原点に返った思い」(『毎日』4月27日、ネット版3月29日)。中沢啓治さんは、そう語る。白内障のため漫画の執筆はペンを置いた。昨年、肺がんが分かり闘病中だったが、1月に「原爆と戦争を語り続ける」と会見。2月から7月11日まで広島平和記念資料館で開かれた『こどもたちの見た戦争展』(『はだしのゲン』原画などを展示)にむけ意欲を見せ、新たな映像作品〔注〕も発表した。
その中沢さんに「8・6ヒロシマ―平和の夕べ―平和講演をお願いしたところ、快諾された」(実行委員会)。
〔注〕新作映像『はだしのゲンが見たヒロシマ』
―中沢啓治さん自身が出演。(石田優子監督、77分。製作・シグロニュース)
上映予定は次のとおり
*8月6日(土)〜26日(金)
10時半〜 併映『原発切抜帳』 オーディトリウム渋谷(東京)
*7月30日(土)〜8月5日(金)
「ヒロシマ平和映画祭」八丁座(広島市八丁堀、福屋デパート8階)
※日によって上映時間が違います。
問合せ:八丁座 082-546-1158
原爆を描くつらさ
絵を描くのが好きだった中沢さんは、中学校を卒業し一家の生活のため看板屋さんに就職。22歳のとき漫画家になろうと上京する。「被爆体験を描くことはつらい」「原爆被害を伝えることの難しさ」(絵本『はだしのゲン』)。
ようやく漫画雑誌にとりあげられるが、「原爆を描いていると、穴に閉じ込められて逃げ場がないような心境になる。原爆をテーマに描いたら、次は娯楽物を書かせてほしいと、編集者に頼んだ。そうしないとやりきれなかった」(同書)。
『はだしのゲン』と中沢さんの生き様
中沢啓治さんのことは、『はだしのゲン』をぬきには語れない。
主人公・中岡元(ゲン)の原爆、被爆体験をつづることを縦軸に「さまざまな視点から読める作品」(岩波ブックレット『はだしのゲンはヒロシマを忘れない』)として、中沢さん自身と人間の生き様を描く。
原爆前の広島、当時の日本の暮らし、戦時下の子どもたちの日常。ゲンの父親は、「反戦思想」の持ち主。ゲンも朝鮮人・朴さんとのつきあいを「非国民と朝鮮人、だめな人間どうしが仲ようしとる」と仲間にからかわれる。ゲンは、「非国民、朝鮮人といっしょとばかにされたらたまらん」(ママ)と言いながら、朴さんとの交流をやめない。
折り重なる死体
被爆し放置された路面電車でゲンは見た。ウジだらけの死体、電車のつり革を持ったまま死んでいる人、人。「くさい、鼻がちぎれそうじゃ。原爆は、あっという間に(人を)焼き殺したんじゃのう…」と、呆然とするゲン。折り重なって川に浮く死体。それをかき分けるように甲板に瀕死の重傷者、死体をぎっしり並べポンポン船で似島(にのしま)に運ぶシーン。広島湾沖合いにある似島は遺体収容の島になり、戦後は原爆孤児が学び暮らした似島学園が置かれた。戦後を広島で過ごした者には、記憶に残る島の名前である。
わしゃ天皇をゆるさん
ゲンたち腕白の卒業式のとき。ゲンは「君が代なんかクソ食らえじゃ、誰が歌うもんか」「アジアの人、数千万人の命をとることを許した天皇。わしゃ許さんわい」とわめく。悪ガキ連中も「おう、やれやれ中岡。応援したるぞ」。羽織袴、モーニング姿の来賓たちが「天皇陛下にむかって戦争犯罪者とほざくとは、なにごとじゃ」と騒ぎになる。漫画の吹き出しを存分に使い、怒りをぶっつける。
原爆投下と戦争責任
8・6ヒロシマ〜平和の夕べ〜での平和講演は、広島被爆2世の河野美代子さん(呼びかけ人、産婦人科医)のインタビュー形式でおこなわれる。河野さんは、「闘病中の中沢さんが、いまも問い続ける戦争と原爆、アメリカの原爆投下への怒りと天皇の戦争責任。中沢さんの恨みと、優しさ。それらをしっかり語ってもらうインタビューにしたい」と話している。
中沢さん以外の発言者は、左記のとおり。
小林圭二さん
小林圭二さんには、「福島第一原発事故とヒロシマ(仮題)を話してほしい」と実行委員会。大震災の事態をうけて核の本質、原発の「いまと今後」について言及されるだろう。
本紙前号にインタビューが掲載された。小林さんは「福島の事故が起こって「(原発の)化けの皮が剥がれた。ヒロシマ、ナガサキに戻った。核は、生命に対し本質的に敵対性を持つ。軍事と平和に境界はない」と話している。
元京都大学原子炉実験所講師、伊方原発1号炉訴訟から原発反対にとりくむ。高速増殖炉もんじゅ訴訟の原告側補佐人、証人。著書は『動かない、動かせない「もんじゅ」』(七つ森書館)、『プルトニウム発電の恐怖―プルサーマルの危険なウソ』(創史社)、「もんじゅ破綻―もはや廃炉しかない」(『世界』2011年3月号に寄稿)など多数。
草薙順一さん
草薙順一さんは、スモン訴訟、豊田商事事件被害者救済訴訟、愛媛玉ぐし訴訟などの代理人を手がけてきた弁護士。
伊方原発に反対、上関原発の建設に反対し、昨年8月5日の上関・祝島交流ツアーに参加するなど行動している。
早苗NENE(ねね)さん
早苗NENEさん―1968年、「じゅんとねね」でデビュー、「愛するってこわい」が大ヒット。72年にデュエットを解散、ソロに。その後、八丈島に移住し島の自然を守る活動などの後、ハワイに音楽留学。
現在は平和、環境、自然保護、和歌の恋歌などをテーマにライブ活動を続け、震災チャリティーコンサートをおこなっている。先日NHKの歌番組では、じゅんさんとヒット曲を歌う。今回歌われる『サヨナラ戦争』。憲法9条をアピールする迫力を聴いてほしい。
米澤鐵志さん
米澤鐵志さんは6日の夕べに参加するとともに、今年も8月7日「被爆電車・平和学習」講演をおこなう。
1945年8月6日の朝、母親といっしょに路面電車に乗り、八丁堀付近を通行中に電車内で被爆、小学校5年生だった。市内白島方面へ逃げ、高田郡の疎開先にもどる。母親は9月1日に死亡、1週間ほど母乳を飲んだ1歳の妹も10月に亡くなった。
戦後、今日まで一貫して、反核・平和運動に身をおいてきた。