未来・第82号


            未来第82号目次(2011年6月7日発行)

 1面  橋下・「維新の会」独裁をゆるすな
     「君が代」起立斉唱条例を強行採決 大阪府議会

     「現闘本部撤去」の反動判決を弾劾する
     警視庁が東京高裁内で50人を不当逮捕 三里塚現闘本部裁判

 2面  20ミリシーベルトを撤回せよ
     福島県民が文科省を追及

     「子どもたちを守る」でひとつに
     子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク・代表 中手聖一さん

 3面  全国各地で「原発とめろ」のうねり

     投稿 「もんじゅ」は廃炉しかない

 4面  「原発は東京へ持っていけ」
     畳看板を出した新妻完之さん

     関生支部の13人を起訴
     たたかう組合つぶし許すな

     JAL不当解雇撤回を訴え

     憲法審査会規程を制定 参議院

     コンピュータ監視法案 衆院で採決強行

     自衛隊のソマリア侵略
     隣国ジブチに恒久基地開設

 5面  「5・28日米合意」を撤回せよ
     沖縄に連帯し集会・デモ 大阪

     ブルーリッジ入港に抗議 大阪港

     普天間基地へのオスプレイ配備許すな

     投稿 沖縄の強さを実感した3日間

 6面  投稿 南相馬市でボランティアに参加
     府中派遣村の仲間とともに

     さらに証拠の開示を
     兵庫県 狭山集会

     夏期カンパをお願いします

 以下は、WEB版のみ掲載の記事です。

     第82回郡山メーデーにおける
     双葉地方原発反対同盟・石丸小四郎さんの発言

     第82回郡山メーデー
     二本松市から参加した若い母親の発言

     5月23日、「子どもたちを放射能から守る
     福島ネットワーク」が文部科学大臣に提出した要請文

     5月27日「子どもたちを
     放射能から守る福島ネットワーク」など6団体の声明

       

橋下・「維新の会」独裁をゆるすな
「君が代」起立斉唱条例を強行採決 大阪府議会

3日、橋下・大阪府知事が率いる大阪維新の会は大阪府議会本会議において「君が代」起立強制条例(「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」)の採決を強行した。また公立小中学校の教員人事権を市町村へ委譲する条例案も可決した。
さらに3日から4日未明にかけて府市再編に向けた各党協議会の設置条例、議員定数を大幅に削減する条例改定案などが、民主、共産、自民、公明の各会派の反対や抗議の退場を無視して、強行採決された。
これは戦後の地方自治史上かつてない異常事態だ。府議会の過半数を占める大阪維新の会が数をたのんで採決強行を繰り返した。ここには議会の「調整機能」とか「チェック機能」は存在しない。大阪府の「議会制民主主義」は死んだ。文字通りの橋下独裁が登場したのだ。

児童・生徒もターゲット
今回成立した「君が代」起立強制条例は、教員だけでなく児童生徒もターゲットにしている。
いままで橋下は「子どもや教育の問題ではない。服務規律の問題だ」と繰り返してきた。しかし同条例第一条(目的)では「次世代を担う子どもが」「我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」として、子どもに愛国心を植え付けることをうたっているのだ。
マスコミではほとんど取り上げていないが、この条例では府の施設における日の丸の常時掲揚も義務づけている。さらに第四条では「教職員は起立により斉唱を行う」と声を出して歌うことまで強制している。

石原都知事こえる暴挙
大阪労働者弁護団をはじめ多くの団体、個人が反対意見を表明している。「教育は、不当な支配に服することなく」と規定した教育基本法第16条違反。「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」と定める憲法19条違反。さらには条例制定権を「法律の範囲内」に限定する憲法94条違反なども指摘されている。
この攻撃のねらいは、教育労働者のたたかいを根絶やしにしようとするだけではない。大阪府下のすべての公務員労働者にたいして、「橋下の言うことを聞かない者はクビにする」という恫喝である。石原東京都知事でさえできなかった暴挙だ。

ナショナルミニマム(国による最低保障)の撤廃
橋下のキャッチフレーズである「ワン大阪」とは大阪・関西の地方自治体の中で、小泉政権以来の構造改革を実行しようとするものである。「権限や財源を地方にゆだねる地域主権改革」といえば聞こえはよいが、その実態は、福祉・医療や教育予算を大幅に削減し、その分を丸ごと大企業のために投入しようというものだ。
日本国憲法は、全国どこに住んでいても誰でも平等に教育や医療を受ける権利を保障している。
ナショナルミニマムとは、そのために国や自治体に義務づけられた最低基準である。いま進められている「地域主権改革」とは、ナショナルミニマムの撤廃を目指すもの。「国の義務づけ・枠づけ廃止」「ひも付き補助金廃止」の名の下に「国庫負担金の一括交付金化」ということにされてしまえば、財政の苦しい地方自治体は医療・福祉・教育などの支出を、みずからの裁量で削減せざるをえない。そして「企業誘致のため」として、大企業減税と大規模開発の実施に追いこまれる。
まさに大資本のために、労働者人民から医療・福祉や教育をうばい、歯止めなく貧困を拡大するものだ。しかし人民にたいするこのようなむき出しの攻撃は、戦後憲法下の地方自治制度やその組織を解体することなしに進めることはできない。
だから「橋下独裁」なのだ。「議員定数の削減」「首長・議会の二元制見直し」「自治体労働運動の敵視」などはそのためのものだ。

教育委員会制度の解体
「君が代」起立強制条例は教育労働者に対する攻撃であると同時に、教育委員会制度の破壊というねらいがある。
戦前は、地方の教育行政機関は内務行政をおこなうものであり、責任者である各府県の学務課長はほとんどが内務省の官吏であった。戦後は軍国主義教育の反省から、一般行政とは独立した行政委員会として教育委員会が設置された。これによって地方教育行政の政治的中立化を図るとともに、地域教育行政の文化的独立性を確保することがめざされた。
橋下はこの教育委員会を敵視し、教育の国家統制を学校管理権を通じて貫徹させる機関をつくろうと構想している。
これを許せば、教育の「自主性」や「政治的中立性」は最後的に吹き飛び、教育の国家統制が一方的に強化されることになる。
今や「橋下独裁打倒」のスローガンのもと、あらゆる勢力が結束してたたかうべき時がきた。

府庁前に300人が集まり、抗議の声をあげた。主催は「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪(5月26日 大阪城公園)

「現闘本部撤去」の反動判決を弾劾する
警視庁が東京高裁内で50人を不当逮捕
三里塚現闘本部裁判

農民から土地をとりあげ、成田空港建設を強行したことをめぐる反対闘争で、現在焦点のひとつになっている天神峰現闘本部裁判の控訴審判決が、5月20日、東京高裁でおこなわれた。
東京高裁は、最重要争点である現闘本部建物の実地検証や重要証人の証言をはじめ、一切の証拠調べ、証人調べを拒否し、わずか3回の口頭弁論(実質審理なし)をもって一方的に結審を強行した。判決日さえ、法廷では明らかにせず、公判記録にこっそりと書き込むというデタラメさだ。
そして迎えた5月20日の判決日。判決を前に、空港反対同盟と支援は日比谷公園に結集し、東京高裁にむけた霞が関デモをおこない、傍聴に臨んだ。

仮執行宣言
判決は、わずか1分。控訴棄却、しかも判決の確定を待つことなく現闘本部建物の破壊・撤去を認める「仮執行宣言付き」の反動判決である。
反対同盟と弁護団、支援は、弁護士会館において報告集会をもち、弾劾声明を明らかにした。
これと並行して、弁護団は上告、および「仮執行・強制執行停止」の申し立ての手続きをとり、裁判官との面談を求めた。裁判所はこの面談に応じようとせず、しばらくして、その動向に気をもむ反対同盟、支援者も裁判所に駆けつけ、裁判所の廊下や控室で成り行きを見守り、待機していた。

問答無用の逮捕
その時、突如として裁判所職員が「退去命令」をおこない、警視庁警官が反対同盟、支援者に襲いかかり50人を逮捕しさった。その中には、反対同盟の北原事務局長や、関西実行委の山本善偉世話人など高齢者も含まれる。この大弾圧の渦中に、強制執行停止の申し立てを却下したというのである。
反対同盟8人をはじめ12人が釈放されたとはいえ、残る38人は現在も勾留が続いている。
まさに異常きわまる大弾圧だ。裁判所に申し入れをおこない、その結論を聞くために裁判所内で待っていることが、犯罪(不退去罪)だというのか。38人の仲間を奪還しよう。

反対同盟が緊急闘争
5月29日、成田市天神峰の開拓組合道路で、反対同盟は緊急現地闘争をおこない、185人が参加した。
反対同盟の北原事務局長は東京高裁の反動判決とその後の大量逮捕を弾劾し、「権力は何を恐れているのか。大量逮捕は敵の追い詰められた姿だ。われわれは日本の将来のためにたたかう」と力強く発言した。

沖縄で三里塚集会
また「市東さんの農地を守る沖縄の会」から連帯と激励のメッセージが寄せられ、そのなかで6月22日に反対同盟と共催で「三里塚の今を考える沖縄集会」をおこなうことが明らかにされた。その後、参加者全員で降りしきる雨をついて、現闘本部に向けてデモをおこなった。

緊急闘争にたちあがった反対同盟
(5月29日 成田市天神峰)

2面

20ミリシーベルトを撤回せよ
福島県民が文科省を追及

2時間にわたり文科省を追及(5月23日)

福島から東京へ
5月23日8時すぎ、福島駅と郡山駅から、大型バスが出発した。2台で約70人。文科省が4月19日に通知した「毎時3・8マイクロシーベルト=年間20ミリシーベルト」基準を撤回させるために、福島の父母らが文科省に乗り込むのだ。文科省への要請行動は今回が3回目。1回目は4月21日に1人でおこなわれ、2回目は5月1日、10人が参加。今回は参加者が一気に増えた。〔主催は、「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」〕
約4時間の行程。バスに、30代のお母さんが数人。子どもたち4人も参加。自然食品の喫茶店を営む女性。中学生の親で勤務医の男性。家族を松本に避難させている男性。避難所で活動している70代男性など。バスの中では、みな少し興奮気味にしゃべっていた。同じ思いの仲間といるからだろう。今日の行動にたいする思いもあるだろう。
車中、ネットワーク代表・中手聖一さんの携帯電話が頻繁に鳴る。取材の申し込みだ。この行動が、大きくなりそうな予感。
首都高速に入る。高層ビル群と車の多さに一同しばし見入る。そこへ、「『福島県民、ただいま被ばく中』なんてゼッケンに書いて歩いたらどうだ」と年輩の男性。
40代の男性は、「大臣や官僚を前にしたら、怒りで何かしてしまいそう」。回りもほとんど同意した。

怒り・怒号・涙
12時半頃、霞ヶ関に到着。文科省の正面玄関で、首都圏などの仲間と合流。福島県民を中心に文科省内に入る。ところが、通されたのは、部屋ではなく屋根のない中庭テラス。雨模様なのに、コンクリートの上に座らされる。これが、文科省の態度だ。「ひどい」。一同、怒り。
座り込む福島県民の回りを、首都圏からの参加者が囲む形になって、午後1時半頃から交渉が始まった。

逃げた高木大臣
応対にでてきたのは、渡辺・文科省科学技術・学術政策局次長。この場で決裁できる高木文部大臣や政務三役の出席を事前に要請していたのに。
「大臣を出せ」と詰め寄る。渡辺次長は「どこにいるかわからない」と、ふざけた態度。門前払いという意味だ。冒頭から、怒りが高じて激しい言葉が飛び交う。
子どもを連れて福島市からきたお母さんが、要請文を読み上げる。「私たちの苦悩と悲しみがどれほどのものか、大臣はお分かりでしょうか。私たちの我慢も、もう限界です」。読み進むにつれ、不安や思いがこみ上げ、涙が溢れて言葉が詰まる。途中から中手代表に交代した。この要請文は、福島県民の気持ちだ。
4月19日、文科省は、福島県にたいして、「(学校について)毎時3・8マイクロシーベルト=年間20ミリシーベルト」という基準を通知した。この「20ミリシーベルトまでは安全」という基準を、県や自治体、教育委員会、校長が現場に強制。子どもたちは、高い線量の校庭で活動を強いられている。「子どもを守れ」と、この基準に反対する親や教師が、孤立させられる事態まで起こっている。まるで戦前のようだ。
「この通知をただちに撤回し、あらゆる被ばく低減策を、国の責任で取れ」。これが要請の核心だ。
この要請にたいして、渡辺次長は、「年間20ミリシーベルトは基準ではない」と発言。「それなら通知を撤回し、新たな通知をだせ」と迫ると、「モニタリングの結果を踏まえ、夏休み後に見直す」と答弁。いま刻一刻と子どもに被ばく量が積算されているのに、まったく意に介していない。
みな悔しさで目に涙をためながら、怒りの視線で次長をにらんでいる。
その後、次長は、「1ミリシーベルトを目指すのが、文科省の方針」とも発言。しかし「だったら文書で自治体に通知しろ」という要求には応えない。
そう言ったかと思えば、「100ミリシーベルトまで問題ない」などと、ICRP(国際放射線防護委員会)でも認めていない最悪の基準を口走る始末。
さらに、放射線量の具体的な低減策について、1回目の要請からすでに1カ月が経っているのに、「これから調査して…」などと言う。何もやっていないことが判明。いっせいに怒りの声が上がる。

2時間にわたって追及
当初、交渉は1時間ということだったが、言を左右にするだけの次長にたいして、福島県民が怒りの訴えと追及で頑張り、制限時間をこえて、2時間にわたってやり合った。700人ぐらいの人びとが、この場を包囲、騒然たる雰囲気になっていた。最後の方では、文科省が若手職員を配置、力づくでうち切ろうとしていた。
午後3時半頃、《文科省での検討と回答を、立ち会った議員を通して報告する》ことを確認し、この日の行動を終えた。

「これが官僚か」
「《主権在民》で官僚は《公僕》のはず。でも全然違った。今日、来てよくわかった。それが一番の収穫だ」。須賀川市から来た男性が吐き捨てるように言う。参加者はみな、異口同音に「これが官僚か」「こんなにヒドイとは」と、驚きと憤りの混じった表情で語り合った。
「日本で一・二を争うがまん強さ」と自認する福島県民が、いま、我慢するのではなく、あちこちで集まりを開き、自分の意見を述べ、活発に議論している。仕事や子育てに忙しく、昨日まで政治に全く関心がなかったという人が、今日は官僚を追及している。
「3・11」は、日本の支配体制が、とてつもない虚構と偽計の上に成り立っていたことを暴き出した。襲いかかる命の危険を前にして、政府や行政、あらゆる既存の組織が、まったく助けてくれないということが突きだされた。人民自らが力を合わせて行動に立ちあがる以外に、命を守る術はない。そういうことがいやおうなしに自覚させられた。

文科省 20ミリ基準を断念

4日後の27日、文科省は「今年度、年間1ミリシーベルト以下を目指す」として、子どもにたいする「年20ミリシーベルト基準」を事実上、棚上げする文書を、福島県に通知した。基準の撤回にまでは至っていないし、課題もあるが、福島県民の運動の力でかちとった重要な前進である。

「子どもたちを守る」でひとつに
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク・代表
中手 聖一さん

文科省への要請行動がおこなわれる前日の5月22日午後、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク・郡山集会」が開かれた。そこで代表の中手聖一さんが「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の趣旨説明を行った。(以下要旨)〕

文科省交渉でマイクをにぎる中手さん(5月23日)

飯舘村の計画避難のことは大きく報じられているが、福島市や郡山市の状況はほとんど報じられない。しかし、調査が進んで、出てきた数字を見ると、中通り(福島、二本松、郡山、須賀川など)で安全に住めるところはほとんどない。放射線管理区域と同じ。
こういう実態があきらになって、もう自分をごまかすことはできなくなった。あの悪質な安全キャンペーンを信じるわけにはいかなくなった。

進言書を提出
こうした中で、福島県と教育委員会にたいして「進言書」を出した。
その内容は―
@まず、授業を中止しなさい。現実には逆のことがおこなわれている。授業をやりながら線量を測っている。これは人体実験だ。
Aそして(線量が高く)どうしようもないとわかったところは、集団疎開など、別の機会を設けて教育を保障する。疎開ということばを使うかどうかは悩んだ。
B次は、除染をする。きれいにしてから学校を再開する。そして子どもたちが戻ってくる。―
これをブログに載せたら、県内の親たちからたくさんの書き込みがあった。数日で800件。「毎朝、子どもには悟られまいと笑顔で送り出すけれど、本当は不安で、取り返しのつかないことをしているのではと、一日中、罪悪感に苛まれている」。そいう言葉がつづられていた。

ネットワーク設立へ
これらを読んで、私たちの手で子どもを救わないといけない―そう思った。
そういう思いで、4月25日福島市で対話集会をもったところ、予想の2倍以上の親たちが集まった。そして「すぐに行動を起こさないと」ということで、5月1日に、「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」を立ち上げた。

どれも正しい 全部やる
ネットワークの趣旨として、次のことを提起した。
ひとつは、「温度差を認めよう」を合い言葉にした。
地域の中で放射能にたいする認識や意識が違う。これだけの悪質な宣伝の中で、簡単に同じ気持ちになれない。でもいいじゃないか。「いますぐ避難だ」と思う人はそれをやろう。「除染ならみんな合意できる」というならば、除染をしよう。「まだまだみんなの意識が低いから勉強会をやろう」。それもいいじゃないか。全部やろうじゃないか。どれが正しいなどと言っているときではない。今すぐできることを、今すぐやろうじゃないか。そういう集まりにした。
「子どもたちを放射能から守る」という一点だけ、同じ気持ちであれば、それ以外のことは、いますぐ決めなければならないことじゃない。これを第一に提起した。
二つ目が、福島の私たちの会にしよう。決して県外の人を排除しようというのではないが、原発災害の当事者である私たちが、このネットワークを形成して、様々なところに働きかけ、動かしていこうじゃないか。当事者の声でこのネットワークは形成したい。そして県外・世界中の仲間たちとは、団体としてつながっていこうではないか。
こういうことを念頭に、ネットワークはつくられた。
いま様々なグループが様々な動きをしている。福島県民ってこんなに活動ができるんだということが、はじめてわかった。我慢させたら日本で一番か二番の福島県民が、我慢しないで、自分で動くんだ、今回のことでもう動くしかないと決めたらこんなに動けるんだ。
是非、みんな力を合わせていきましょう。

以下は、WEB版のみ掲載の記事です。

 第82回郡山メーデーにおける
 双葉地方原発反対同盟・石丸小四郎さんの発言

 第82回郡山メーデー
 二本松市から参加した若い母親の発言

 5月23日、「子どもたちを放射能から守る
 福島ネットワーク」が文部科学大臣に提出した要請文

 5月27日「子どもたちを
 放射能から守る福島ネットワーク」など6団体の声明

3面

全国各地で「原発とめろ」のうねり

原発も再処理もいらない 銀座デモ 5月27日 東京

銀座デモに出発(5月27日 東京都内)

午後6時から日比谷野外音楽堂で、「福島の子どもたちを放射能から守ろう! 原発も再処理もいらない! 5・27集会」がひらかれ、1000人が集まった。主催は、「原発とめよう! 東京ネットワーク」と「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」。
主催者あいさつ、社民党あいさつにつづき、「福島原発事故と福島の子どもたちの被曝問題」を福島老朽原発を考える会・青木一政さんと国際環境NGO・FoE Japanの満田夏花さんが報告。満田さんは、この日に文科省がおこなった記者会見にふれ、上限20ミリシーベルト問題を文科省は明言を避けたものの事実上タナあげした。この問題点として、
@上限20ミリシーベルトを撤回はしていない、A財政措置を除染に限っていて、避難は対象からはずされている。この2点を指摘し、山下俊一〔注〕などの無責任な専門家を排除しないとだめ、と提起した。
「六ヶ所再処理工場について」の報告をした山口泰子さんは、再処理工場がトラブル続きで、いまだ完成できないこと、原発が1年間に出す放射能を六ヶ所では1日で出すこと、電源が止まると大変なことになることを訴えた。
つづいて「柏崎刈羽原発について」「浜岡原発について」の報告。
最後に、6・11脱原発100万人アクションへのよびかけ、9・19全国集会(東京・明治公園。5万人目標。原水禁、平和フォーラムなど)へのよびかけがあった。
デモは午後7時15分に出発。東京電力本店前、数寄屋橋を通り、東京駅の北側まで行進した。

〔注〕福島県から「放射線健康リスクアドバイザー」に委嘱された長崎大学教授



関西電力京都支店に申し入れ 5月18日

反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)が、関電京都支店への申し入れをおこなった。JR京都駅前の関電京都支店に集まった30人の仲間は、ビラまき、マイクアピールをおこない、申し入れ代表団を送り出した。
応対にでてきたのは、広報スタッフの2人。申し入れは以下。
@老朽化した美浜1号、2号、3号の運転を停止し、廃炉決定せよ。
A美浜4号機建設計画を撤回せよ。
B高浜3号機のプルサーマル運転を停止せよ。高浜4号機でのプルサーマル発電を始めるな。
C関西電力の全原発を停止し、太陽熱、太陽光、風力、波力、地熱発電の研究に利益を投資せよ。
Dオール電化推進計画と、その宣伝をやめよ。
回答を求めたが、「返事は約束できない」「支店長が会う約束はできない」の一点張り。
また、関電側は今回の福島第一原発事故に対して、最後まで「事故」とは呼ばず、「事象」であると言い張った。

夜、反原発集会
その後、場所を移して反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)による「原発やめよう! 京都集会」が、ひらかれ、210人が参加した。
集会は、アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション代表、国際環境ジャーナリスト)、小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師)の講演を中心に、質疑応答、関電申し入れの報告、来日中のドイツ緑の党・国会議員あいさつがあり、最後に主催者から今後の行動提起があった。

玄海・川内原発の停止・廃炉を
九電本店に200人が申し入れ 5月18日

九電本店に抗議
(5月18日 福岡市内)

環境保全や反原発を訴える九州の市民団体など260団体でつくる「九電の原発廃炉を求める連絡会」は、5月18日、九州電力にたいして「玄海および川内原発の全炉の運転停止・廃炉。原発の新設・増設計画の白紙撤回」を求めて申し入れをおこなった。
この申し入れには約200人が参加し、九州電力本店(福岡市中央区)の前で抗議行動を展開した。
玄海原発は、プルサーマル運転中の3号機が、昨年12月、一次冷却水に放射能漏れ事故を起こし、12月11日に運転を停止している。九電はこの放射能漏れ事故の原因究明を放棄して「微細な穴(ピンホール)による偶発的な事故と推定される」として、現在定期検査中の2号機とあわせて運転を再開しようとしている。
また九電は使用済み核燃料の貯蔵量を増やす「リラッキング」を玄海原発でおこなおうとしている。リラッキングとは貯蔵プールの大きさを変えずに、燃料の間隔を狭めて貯蔵量を増やそうというもの。燃料の間隔を狭めることで「再臨界」の可能性が高まることから、今回の申し入れでもリラッキングの中止を求めている。
また現在運転中の玄海原発1号機は営業運転からすでに36年が経過しており、「1号機の場合、何かあって原子炉が止まり、冷やすと原子炉そのものが割れる危険性がある」と指摘されてる。

福井でも反原発パレード 5月15日

原発さようならとアピール(5月15日 福井市内)

原発銀座と呼ばれる若狭湾に14基の原発をかかえる福井県。その福井市で、5月15日、「フクシマと共に 5・15パレード」がおこなわれた。主催は実行委員会。
主催者の説明によれば、このパレードを福井新聞の催し欄に掲載してもらおうと交渉に行ったところ、「反原発」を掲げたものは掲載できませんと断られた。チェルノブイリ原発事故のあと、今から20年ほど前に反原発デモをやった際は4人しか集まらなかった。原発立地自治体ほどではないが、福井市内でも、友人知人、親戚の中には原発関係者が1人はいるという状況で、原発反対をはっきり言うのは、かなりきびしい状況がある。
市役所裏の中央公園でひらかれた集会には、130人の市民が集まった。福島第一原発のある双葉町に実家がある人、同原発から17キロ地点の南相馬市に住んでいて被災し子どもを連れてこちらに避難してきた女性、郡山市から避難してきている男性なども参加。また、ネットで知って、名古屋や岐阜から来た若い女性、滋賀県から子ども連れで参加した若い夫婦なども。だが、参加者の大半は地元福井の人たちだ。
集会では、原発への不信、怒り、不安が口々に語られ、カネと政治力で抑え込まれてきた福井の足元から「原発はいらない」のエネルギーがわき出てくるのを感じさせた。集会後のデモは、途中、関西電力「地域共生本部」の入ったビルを通り、福井駅ちかくの西武までパレードした。

投稿 「もんじゅ」は廃炉しかない

5月15日、とめよう「もんじゅ」関西連絡会が主催する、「『もんじゅ』を廃炉に! 関西集会」が開かれた。
この集会は当初、高速増殖炉「もんじゅ」を推進している日本原子力機構(旧動燃)および文科省vs運転再開絶対反対派の双方の公開討論会として企画された。ところが、4月半ばになって、推進側が出席を断ってきたため、急きょ集会に切り替えておこなわれた。
小林圭二さん(元京大原子炉実験所)は、福島第一原発の事故について、「『想定外』に追いやられた想定内の事故。津波の歴史を無視し、反原発側が主張してきた『電源の共倒れの危険性』を、国・電力会社・司法が一体で否定してきた。さらに当初の対応の遅れが事故を拡大した。一日も早い『収束』がいわれているが、過酷な作業環境の中で高被曝を強いられている労働者(多くは下・孫請け)の命を考えてなされるべきだ」と話した。
そして「高速増殖炉『もんじゅ』は、昨年8月の炉内中継装置の落下事故で、運転停止中だが、修復はほとんど困難。廃炉しかない」と断言した。
ストップ・ザ・もんじゅの大島茂士朗さんは「『もんじゅ』は地震と津波に耐えられない」という報告。
若狭湾には活断層がたくさんあり、ことに美浜原発や「もんじゅ」はその真下に活断層が通っている。再開はもとより、ただちに廃炉に向かっていかなくてはならないと強調した。
小木曽美和子さん(福井県民会議)は、「もんじゅ」再開は琵琶湖を破壊し近畿一帯に被害をもたらす。関西中の力で反対をしようと訴えた。
自治労脱原発ネットワークの末田一秀さんは、自治体労働者の立場から「防護対策の全面見直しが完了するまで原発を稼働させない」ことが廃炉への第1歩と強調した。
「もんじゅ」の総事業費は1980年から今年まで9481億円にのぼっており(政府支出=税金は8099億円)、維持のための運転費だけで1日5500万円もかかっている。
高速増殖炉は、軽水炉の倍ものプルトニウムを生産する構造であり、危険で、商業炉としてまったく展望はない。金を食いまくり、核兵器の原料を「増殖」するだけの「もんじゅ」は絶対に廃炉にしなければならない。(大阪・K)

4面

「原発は東京へ持っていけ」
畳看板を出した新妻完之(さだゆき)さん

国道沿いに立てられた畳看板(4月16日 撮影)

震災から約1カ月後の4月7日、福島第一原発から約30キロ圏に近い国道6号線沿いに、「原発どこかえ もってけ」と、大書した畳の看板が出た。
6号線は、もともと江戸と仙台を結ぶ陸前浜街道。福島第一原発の建設工事の際、アクセス道として拡幅・整備された。いまは事故処理作業にむかう東電や自衛隊の車両がひっきりなしに通る。
そこに畳看板を出した新妻完之(さだゆき)さん(68)を訪ねた。
太平洋に面して、南北にのびる波立海岸。堤防に沿って国道6号線が走る。その道沿いに久之浜町田之網地区の集落がある。
いまは穏やかな海が広がっているが、3月11日、津波に襲われた。国道沿いの家はほとんど全半壊。1階を津波が突き抜け、柱だけが残っている状態。同地区約100戸で5人が亡くなり、3人が行方不明だという。
その上に原発事故だ。
新妻さんも、水素爆発直後から2週間、いわき市南部の娘さん宅に身を寄せた。そして、いまは近くの知人宅から、昼間、壊れた家の修復に来ている。そこでお話を聞いた。
新妻さんは、3歳のとき、東京から、親の実家である田之網に戦争で疎開してきた。そしてここで育ち、地元の製造業で40年働いた。「私はここに愛着がある」という。
単刀直入に、「あの看板をだされた気持ちを聞かせて下さい」と切り出すと、「座って話しましょう」と、作業の手を休めて、材木の上に座るように勧めてくれた。
〔以下、新妻さんの話〕

       ・  ・  ・  ・  ・  ・

現場にいない記者会見
ニュースで、東電とか大臣の記者会見をやっているけど、東京にいて何でわかるの。地元が放射能でこれだけ逃げ回っているのに、どうして東京で記者会見できるの。ファックスとか電話だけでどうして答弁できるの。
こんな大惨事で、世界のフクシマになってしまっているのに、記者会見が、何で10キロとか20キロのところに、現場事務所をおいてやれないの。
それを見ていて、わたしはもう腹わたが煮えくりかえってね。

石原・天罰発言
もうひとつは、東京都知事・石原慎太郎。あえて呼び捨てにするけど。「津波は天罰」と発言。
津波で何十万人(が被災)でしょ、そして原発でしょ。いまだってみんな逃げ回っているんだから。かわいそうだよ。家を捨て、牛・馬・豚・鶏…みんな殺処分でしょう。かわいそうだよ、あれは。
そういう中で、ああいう言葉は…。もう心が張り裂けそうになってね。
あの言葉は、おれは絶対に許さない。あとで謝罪して撤回したみたいだけど。一回言ったら、消えないからね。腹にあるから出たんだ。撤回したって、絶対に許さない。
地元の人らにとって、あの言葉は一生、頭から離れないし、消えない。

東京へもっていけ
東京電力の電気は、地元では使ってないんだから。1ワットも。みんな東京さ、引っ張っていくわけだから。それが三つ目の腹が立ったことさ。
畳に「原発はどこかえもってけ」と書いた。本当は、「原発は東京さもってけ」と書きたかった。
だけど、東京の人がみんな悪いわけではないんだから、「どこかえもってけ」にした。だけど本当は「東京へもってけ」と言いたかったわけ。

ムシロ旗
通る車に、チラシを配るんでも良かったんだけど。そんな暇もないし。それで、ちょうど家の流れた畳を、そこ(6号線)の下り線・上り線のどっちからも見えるように、2枚ずつ立てた。
江戸時代は、ムシロ旗に書いたよね。それが一番いいんだろうけど、それじゃ雨風で飛ばされちゃうから。それで、畳にすれば、残るんじゃないかと、畳1枚に一文句づつ、「原子力はいらない」「原発はいらない」と書いてね。

原爆投下と原発
原発が来たのが40年ちょっと前(1966年に1号機の設置許可)かな。私が20歳ぐらいのとき。
「原発? 原子力? 広島や長崎があれだけ戦争でやられて、原爆を落とされて、なんでまたそれを福島にもってこなければならないのか」と、そういうふうに私は思っていた。
まだ社会のことはわからなかったけど、そういう危ないものをどうしてここさ、もってこなければならなかったのかなと思っていた。回りもみんなそう。
原子炉というのはどういう設備で、どういう風にやるという説明もなく、「ただ原発ができるようだ」ということを聞かされただけ。
そして結局、いま被害を受けている。しかも、放射能のこともあって、(久之浜は)復興がいちばん遅れている。
そういう諸々の思いがあって、畳に書いた。
近所の人もみな同じ気持ち。「完之君、よくあげたなあ」って。

       ・  ・  ・  ・  ・  ・

胸の内が晴れた

新妻さんの話は、静かで丁寧な調子で始まったが、次第に怒気を含んで、声が大きくなっていった。
その憤りは、政府や東電に向けられているとともに、福島に原発を押しつけておきながら、そのことに無関心できた都市の人びとにたいする糾弾でもあった。そして反原発がお題目に過ぎなかった左翼にも。
しばらくして厳しい語り口から、また穏やかな調子に戻って、「話をして、少し胸の内が晴れました」と言ってくれた。

何者かが撤去

実は、畳看板は今はない。5月7日、朝、新妻さんが、いつものように家の片づけに来たら、番線が切られ、畳がなくなっていた。「だれが持っていったかわからないけど、普通の人じゃない。東電の人か。ひとりではできないから」。
当初、「取られても、何度でも立てるぞ」と思っていたけど、いまは少し考えている。「いま原発の現場で作業している人は頑張っている」。この人たちは、大臣や東電幹部とは違うと思っている。「(畳看板を)外した人がそういう人だったら、わかる気もする」。
いずれにせよ、新妻さんや田之網地区の人びとの原発と政府・東電にたいする憤りは収まるはずもない。やがて、畳看板撤去の真相が見えてくるとともに、より大きな怒りが、より大きな方法で叩きつけられるに違いない。

関生支部の13人を起訴
たたかう組合つぶし許すな

5月27日、大阪地検は同月11日に不当逮捕された全日建連帯労組関西地区生コン支部(関生支部)の高英男(コ・ヨンナム)副委員長をはじめ13人を起訴した。この弾圧は、関生支部が昨年7月から11月にかけて139日間のストライキ闘争で生コン販売価格の適正化を実現したことへの報復弾圧である。でっち上げを粉砕し、13人の早期奪還をかちとろう。

勾留理由開示公判に250人
5月19日、大阪地裁でおこなわれた勾留理由開示公判には組合員、共闘団体の仲間250人以上がかけつけ、この不当弾圧を弾劾した。裁判は13人の組合員を3組に分けておこなわれ、その交代のたびに法廷は激励と拍手が鳴り響いた。これには裁判官も制止できず見つめるだけ。逮捕された組合員たちは意気軒昂と弾圧の不当性を弾劾する意見表明をおこなった。裁判終了後、逮捕された仲間たちを乗せた警察車両があらわれると、一斉に「がんばれ!」の声が地裁にとどろいた。

JAL不当解雇撤回を訴え

大阪・なんば(5月18日)

5月18日、「日本航空の不当解雇撤回をめざす大阪支援共闘会議」は、全国各地と連帯して統一街宣をおこなった。大阪以外では、JR鳥取、広島、下関、岡山の各駅など、西日本各地で同時におこなわれた。
大阪では、昼間はJR天王寺、尼崎、高槻の各駅や伊丹空港、淀屋橋など。
夕方には、大阪支援共闘に参加している市内の労働組合員など約百人がなんば高島屋前に集まった。日本航空は赤字でもないのに昨年12月31日、165人の「整理解雇」を強行した。この違法性を大型宣伝カーを使って訴え、同時に解雇撤回を求める署名活動もおこなった。CCU(日本航空キャビンクルー・ユニオン)の女性の訴えに多くの署名が寄せられた。
6月20日には学習決起集会「日航不当解雇撤回、裁判闘争勝利に向けて」(午後7時より JR天満すぐ国労会館3階大会議室)がおこなわれる。(労働者通信員M)

憲法審査会規程を制定 参議院

5月18日、「参院憲法審査会規程」が、参院本会議で民主、自民、公明などの賛成により可決・制定された。
衆院では、すでに09年6月に制定されている。改憲勢力は、「憲法改正原案の審議から国民投票までの必要な制度がすべて整った」としている。
憲法審査会とは、07年に憲法改悪のための国民投票法が強行成立した時に、国会法を改悪し、「改憲を目的として憲法の調査をおこない、改憲原案を審査し提出する機関」として規定されたもの。
衆院で制定された当時、野党だった民主党は反対した。ところが、今回参議院で民主党が提案した内容は、それと同じ。

コンピュータ監視法案 衆院で採決強行

5月31日午前、衆院法務委で採決を強行、午後本会議で可決した。
同法案は09年に三度めの廃案になった共謀罪関係法案の一部。「ウイルス」とみなされるソフトを作成しただけで犯罪とする、捜査機関が令状なしでプロバイダに一定期間の通信履歴を保全させる、1枚の令状でネットワーク上の全パソコンの情報を押収できるなど。
同時に採決された強制執行妨害罪の対象拡大(刑法一部改悪)とともに、治安弾圧拡大がねらいだ。9日にも参院で採決されようとしている。

自衛隊のソマリア侵略
隣国ジブチに恒久基地開設

日本政府が昨年7月から建設を進めてきたアフリカ・ジブチ共和国での自衛隊海外基地が1日に開設した。
日本政府は、「ソマリア沖での海賊対処」を口実に、09年3月に海上自衛隊、陸上自衛隊をソマリア沖に派兵し、現在も約500人の自衛隊が軍事行動を展開中。これをさらに継続し、強化するための恒久基地として、ソマリア隣国のジブチに土地を借り上げ建設していた。ジブチ国際空港の隣に位置し、広さは約12ヘクタール。滑走路はジブチ国際空港を利用しており、それ以外のすべての軍事施設が整っている。
海外派兵を今も継続していることだけでも大問題であるが、ついに海外恒久基地を持つに至った。

5面

「5・28日米合意」を撤回せよ
沖縄に連帯し集会・デモ 大阪

「5・3改憲阻止共同行動」がデモ(5月29日)

5月29日、名護市辺野古に新基地を建設するという昨年の日米合意の撤回を求めて、大阪中之島公園で集会がおこなわれた。主催は5・3改憲阻止共同行動。台風が接近するなか、110人が参加し、デモをおこなった。
集会で最初に発言にたった平和憲法の会・京都事務局長の大湾宗則さんは、このかんの沖縄のたたかいを総括して、最も保守的な名護が基地反対に大きく動き、市長選・市議選に勝利したことをあげ、たたかいを通して地域社会を変えることができると提起した。
続いて元京大原子炉実験所助教授の海老沢徹さんは、福島原発事故から80日たつが状況は予断を許さない。これは人類が初めて直面する困難で、そのためには国が責任をもって組織を作り、収束させることが絶対的条件だと強調した。
釜ヶ崎日雇労働組合の三浦さんは、釜ヶ崎の労働者がトラック運転手で募集され、原発事故現場に連れて行かれ、抗議すると直ちに解雇されたことが報告された。原発は最底辺の労働者によって支えられている。被曝覚悟で働かざるをえない現場労働者の立場で、東京電力や鹿島建設の責任を追及し、反原発のうねりで社会変革の闘いに発展させていこうと訴えた。
5・3改憲阻止共同行動は、安倍政権による改憲攻撃の強まりの中で登場した。大震災・原発事故、沖縄闘争の重大局面の中で、その役割は重要になっている。(M)

ブルーリッジ入港に抗議 大阪港

大阪港に停泊中の米艦ブルーリッジ

5月13日、米第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」が多くの反対の声をおしきって大阪港(南港)に入港した。
その日の夕方、港区の天保山公園において抗議集会がひらかれた。「大阪港の軍港化を許さないぞ」「平和貿易港としての大阪港を守るぞ」をかかげ、地域の労働組合、住民団体が参加した。
集会では、南大阪平和人権連帯会議議長の大野さん、大阪平和人権センターの山下さん、奥野まさみ大阪市会議員、全日建連帯労組関西地区生コン支部・西山さん、そして大阪平和人権センター自治労大阪青年部が発言した。「たび重なる大阪港への自衛艦、米軍艦の入港は、有事のさいの港湾利用を先取りしようとするものだ」「昨年1年間で日本の民間港湾にアメリカの軍艦が18隻入港している」「日米軍事体制の強化がおこなわれているなかでの大阪港入港だ」と批判の声をあげた。
参加者は沖縄のたたかいと連帯して大阪港を平和貿易港として守る決意を固めた。
二日前に13人逮捕という大弾圧を受けた関西地区生コン支部からは、「昨年のストライキを口実にした弾圧であり、勾留も長期に及ぶことが予想されるが、屈せず闘う」と決意が述べられ、参加者は大きな拍手でこれに応えた〔4面記事参照〕。今回の関西地区生コン支部への弾圧は国家権力による労働者への許しがたい権利侵害である。はねかえそう。
集会後のデモは元気良くおこなわれた。(労働者通信員N)

普天間基地へのオスプレイ配備許すな

米海兵隊は、米軍普天間飛行場に垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを配備しようとしている。オスプレイは、開発段階だけでも4回墜落し30人の死者を出している。実践配備以降も、10年4月にはアフガニスタン南部で同機が墜落し、4人が死亡した。このような危険な軍用機を、住宅密集地の真ん中に位置する普天間飛行場に配備するなどもってのほかである。
ゲーツ米国防長官は今月中に、北沢防衛相にオスプレイの普天間配備を正式に通告するという。これに対して日本政府は、「CH46ヘリからの機種変更であるから安保条約の事前協議の対象である『重要な変更』にはあたらない」として受け入れを決
MV22オスプレイ
めている。
オスプレイ配備に普天間第二小学校の校長は「子どもたちの安全を守るのが教師の役割。いま声を上げなければ日米両政府に一方的に決められ、普天間が固定化される」(5月30日付沖縄タイムス)と危機感をあらわしている。沖縄県民とともにオスプレイ配備を阻止しよう。

投稿 沖縄の強さを実感した3日間

5月14日〜16日の3日間、県民大会にあわせて沖縄を訪れた。
初日の14日に訪れたひめゆり平和祈念資料館には、たくさんの中高生が修学旅行で来ていた。館内では、子どもから年配までさまざまな世代の人が真剣な眼差しで展示に向き合っており、重苦しい雰囲気に満ちていた。しかし、一歩建物の外に出ると、入り口付近で写真を撮りあったりと、和やかな様子の修学旅行生の姿があった。

ひめゆり学徒に思う
この子どもたちと同じ年頃であった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校が負わされた「従軍看護婦」としての過酷な任務について、証言を聞いたことがある。元ひめゆり学徒の方から発せられた証言の数々、例えば手術で切り取られた生身の腕や脚を抱えて捨てにいったという話や、栄養失調で失明した友人を放っておかざるをえなかった話などは、10年近い時を経ても生々しい衝撃として心に残っている。
そのような話を思い浮かべながら、写真すら残っていない少女の名前が書かれたパネルに残るエピソードや、あどけなく生真面目な少女の面影が残る顔写真の数々を前にすると胸がふさがれてしかたがなかった。

平和行進で普天間基地を包囲(5月15日)

ボランティアが交通整理
沖縄の「本土復帰」から39年目にあたる翌日の5月15日。この日は「沖縄平和行進」「平和と暮らしを守る県民大会」に参加した。
南北2コースに分かれて普天間基地を包囲する平和行進のうち、北ウイングコースを歩いた。驚いたのは、デモ行進中に、警察ではなく主催者側の若いボランティアの人たちが交通誘導していたことだ。彼らからの呼びかけが適時行われていたおかげで、スムーズに行進が進んでいた。
時々建物の上から手を振る人もいたが、南ウイングに比べて幹線道路沿いを歩く時間が多かったせいか、人通りが少なかったのがやや残念だった。途中、普天間基地のゲート前で、「普天間爆音訴訟」の横断幕を掲げた韓国からの一団とエールを交換するという一幕もあった。

思いやり予算を被災地へ
平和行進の到着地は、宜野湾海浜公園野外劇場。「普天間基地を県外へ」「辺野古新基地建設ナンセンス」のスローガンに加え、「1兆円を東北復興へ」を高く掲げていた。「米軍への『思いやり予算』を凍結させ、被災地の支援に回そう!」と書かれたチラシが会場で配られており、そこには、5年間で在日米軍基地の維持費に提供される予定の1兆円を被災者支援に使うと50万人の被災者に、毎月5万円を3年間支給できるとの文字。
途中から雨が降り出して寒くなった会場にいながら、もっとひどいどしゃぶりに身をさらしている被災地の人々を思うと改めて怒りがこみあげてきた。

辺野古、そして高江へ
最終日の16日は、車のフロントガラスに滝のような雨が当たる中を辺野古へ向かった。
辺野古到着後もしばらくは、雨宿りをするためにテントにいるような状態だったが、しばらく待つと小降りになった。現地の方の案内で周囲を歩き、その方の案内でさらに車で1時間ほどの高江にも足を運ぶことができた。辺野古、高江ともにテントの中は和気あいあいとした雰囲気で、私たちのあわただしい訪問を快く受け入れてくださり、ありがたかった。
あいにくの天気で、森へ足を踏み入れる機会はなかったが、遠目にも豊かなやんばるの森に抱かれた高江周辺は、特別天然記念物ノグチゲラの繁殖期ということで米軍の演習もヘリパッド工事も休止されており、ひどく平和で静かだった。今後の激しい攻防が予想される辺野古と高江だが、このような静かな平和をつかの間のものではなく、永久的なものとして取り戻すための行動が求められているのだと思う。
ところで、以前辺野古を訪れた時には、基地と集落の境界を示していたのは容易に飛び越えられる高さの細い針金のような鉄条網だったのに、今回は頑丈で高さのあ
キャンプ・シュワブのフェンスに基地反対の横断幕を取りつける(5月14日)
るフェンスが建てられていた。最初、悔しいだけの思いでそれを見ていたのだが、近づいてみてみるとフェンスにはたくさんの檄布、連帯や激励の言葉を寄せた布が掲げられていた。案内してくれたTさんは「(檄布が)つけやすくなった」と笑っていた。
辺野古においても、また高江においても、こういう現地の方々のたくましさと明るさ、したたかさこそが、長く続く闘いに必要な強さなのだということを、実感した沖縄滞在だった。(I)

6面

投稿 南相馬市でボランティアに参加
府中派遣村の仲間とともに

府中派遣村の呼びかけで、5月6日から9日にかけて、福島県南相馬市でのボランティア活動に参加しました。第2次派遣隊です。
府中派遣村は、08年に結成され、野宿者の支援などをおこっているグループです。今回の大震災が起きると、4月中旬の約1週間をかけて、被災した福島・ 宮城・岩手3県を回る、第1次派遣隊を送っていました。

原発30キロ圏へ
4月中旬当時、宮城県石巻市には約600人のボランティア登録があったのに対し、原発事故のせいか、福島県南相馬市には80人ほどの登録しかありませんでした。南相馬市は、06年に旧小高町、旧鹿島町、旧原町市が合併してできた市ですが、縦割り行政のせいか、原町地区には大量の物資が届いているのに、鹿島地区にはほとんど回って来ないという状況でした。そこで「府中派遣村は、原発から31キロの鹿島地区にこだわる」と決めたのでした。なお、南相馬市よりはずっと多くボランティアが入っている他県でさえも、登録人数の10倍はボランティアが必要だとも聞きますし、5月の連休明けからは、ボランティアがガタッと減るようです。
第2次派遣隊は21人で編成。鹿島地区の要望をきめ細かく聞いて、広く義援金も募り、中古ながらも小型のダンプカーや荷物用の1輪車なども届けました。21人で編成したのも、「15人くらいで来てくれると、被災した家のドロのかき出しやガレキの撤去が1日でできるので助かる」という希望に応えてのことでした。

家族を奪った大津波
鹿島地区には2か所の避難所があり、それぞれ40人〜50人が避難していました。僕は、「視覚障害者」の友人と二人で、はり・マッサージをおこないました。
避難所では、だだっぴろいピータイル貼りの床の場所に、高さ90cm位の仕切りで区切ったタタミ1畳ほどの空間に布団と毛布をしいて、みんな寝起きしているのでした。
ある大工さんは、「仕事先から急いで家へ帰ると、そこには何もなく、家族もいなかった・・・見つかったけど」と言うので、「良かったですね」と言おうとしたら、「見つからなかったら無縁仏だもんな」とぼそっと言われ、言葉が出ませんでした。
また、助かったのは若いお母さんと子どもだけで、「今夜が家族4人のお通夜で、明日がお葬式」と言う人もいました。
「必死で赤ちゃんの哺乳瓶と携帯電話だけを持って、2階にかけあがったら、その直後に津波が来て、1階はやられた。もう1歩遅れたら、今はなかった」と話してくれたおばあちゃん。
別のおばあちゃんは「孫娘は学校を早退して家にいたところ、息子から『先祖の墓地に来るように 』と電話があり、高台の墓地に行くと、津波が押し寄せるのがずっと見えた。そこより低いところにあった避難所に避難したクラスメイト30人はみんな津波にのまれ、生き残ったのは5、6人だけ」と話してくれた。
「もう40日くらいほとんど眠れない」と言う女性をマッサージをしたら、 頸がガチガチで気休めほどのことしかできず、後ろめたさを感じずにはおれませんでした。
南右田という地区は、戸数100軒くらいの地域だそうですが、先祖の墓所を含めて全部壊滅してなくなったとのことでした。

心閉ざす人びとの力に
鍼・マッサージの利用者を募ったり、避難している人の話をいろいろと聴いてくれた仲間のおばちゃんから、ずっと週刊誌を見ている50歳代の男性のことを聞きました。
その人は大工さんで、親とお連れ合い、息子夫婦の家族全員を流されてしまい、残されたのは自分だけ。家があった所には2回行ったけれど、40軒あった部落で残ったのは3、4軒で、それも1階部分は完全に吹き抜け状態。自分の家はきれいサッパリない。「もう2度と行きたくない。どこヘ行く気もしない。動きたくもない。仕事があるからと誘われるが、やりがいもないし、してもどうなるものかと思う。避難所は4か所目、言われるままに移っているが、もうどうでもいい」と話していました。「(そんなにすすめるなら)鍼治療を受けてみようかな」と言われました。
マッサージをしていると、そこに、遠方に住むという次男夫婦が子ども4人をともなって訪問。いたずらっ子の2歳のお孫さんをだっこしてうれしそうでした。その様子を見た息子さん夫婦は、先週はまったく孫に触れようともしなかったし、口をきこうともしなかったのにと、よろこんでいたそうです。
被災した家の泥掻きをした人たちは、カッパ・防塵マスク・ゴーグル・帽子・皮手袋・金属入り中敷を入れた長靴と、重装備で大変だったろうと思います。近くでは、500トンもあろうかという大きな船や、何艘もの船が、海から何キロも入った所でひっくり返っており、復興はやはり原発の被害も加わって、そのぶん遅れる、と感じました。(東京・T)

さらに証拠の開示を
兵庫県 狭山集会

5月21日、神戸市長田区において狭山・兵庫県集会がひらかれた。
3月26日におこなわれた三者協議の報告を、部落解放同盟全国連合会中央執行委員の寺下眞治さんが3つのポイントを強調しておこなった。
ひとつは昨年5月に証拠開示された石川さんの逮捕直後の筆跡鑑定が新証拠として提出されたこと。脅迫状を書いた犯人は石川さんとは別人であることを立証するものだ。
二つめは、「犯行現場」とされた雑木林で血液反応検査をやった技官から検察官が聞き取りを行ったメモが証拠開示されたこと。そのメモには、「検査をしたが結果は陰性だった(反応がなかった)」と記されている。「雑木林で殺害した」というのは真っ赤なウソだということを暴く決定的な証拠が出てきた。
三つめは、弁護団は3月三者協議で再度の証拠開示申し立てをおこなったこと。裁判所の勧告にもかかわらず、現場検証の8ミリビデオのフィルムや、死体の写真等が今なお開示されていない。
そのうえで寺下さんは「スコップの指紋鑑定の開示が重要」と強調した。スコップは「死体を埋めるために、養豚場から盗み出したもの」とされ、養豚場で働いていた部落青年らに対する差別見込み捜査の手段とされたものだ。ところが、このスコップの指紋鑑定は今なお隠されたまま。石川さんのみならず、養豚場関係者の指紋が出なかったからにちがいない。
この間。狭山担当裁判官が交代した。次回の三者協議が重大な焦点となる。6、7月の東京高裁・高検にたいする要請行動を全力でとりくみ、再審を実現しよう。(M)

夏期カンパをお願いします

東日本大震災と福島原発事故は、現代帝国主義の矛盾をはっきりと示しました。原発事故は3か月を経ても「収束」のめどがたっていません。核と人類は共存できません。すべての原発の停止・廃止と同時に資本主義社会の根底的な変革をなしとげましょう。この大震災と原発事故を反省せずに延命しようとする帝国主義ブルジョアジーの支配を打倒し協同的生産を基礎とする共産主義社会の実現のために、広範で戦闘的な大衆運動を推進しましょう。革共同再建協議会への夏期特別カンパをお願いします。

《カンパ送り先》
 ◎郵便振替
  口座番号:00970-9-151298  加入者名:前進社関西支社
 ◎郵送:〒532-0002
  大阪市淀川区東三国6-23-16 前進社関西支社



以下は、WEB版のみ掲載の記事です。

第82回郡山メーデーにおける
双葉地方原発反対同盟・石丸小四郎さんの発言

(文責・本紙編集委員会)
こんにちは。石丸でございます。これで私は集会に参加させて頂くのは3回目で、平素から大変ご支援を頂きましてありがとうございます。心からお礼を申し上げます。それでは、私に与えられた時間は30分ですので皆さんのお手元にある「未曾有の原発震災に直面して」っていう資料によって進めてまいりたいと思います。
で、私は第一原発から5km、第二原発から2.5kmのところに住んでおります。言ってみれば今放浪の旅っていう状況です。この悔しさ、このむなしさ、どう表現していいか分からないっていうのが率直な気持ちです。そういう思いを(配布資料の)1面に書きまして、それを読ませて頂きたいと思います。

▼こうして原発震災は始まった。
3月11日、14時46分、私は薪ストーブの前にいた。何の前ぶれも無く激しい揺れに襲われストーブの上のヤカンがダダダーと激しい音を出し続けた。短周期振動のせいなのか、ヤカンはストーブから落ちない。とっさに火事を恐れヤカンを持ち上げストーブの蓋を取り、お湯を注ぎ込んだ。とにかく長く強烈な地振動が「これでもか」「これでもか」と続いた。
次の瞬間「短周期振動だ、原発がヤバい!」との思いが頭をよぎった。構造物には固有の揺れやすい周期がある。原発の周期は0.1秒から0.5秒の範囲にあり「原発はビビリ振動に弱い」と教わっていたからである。これは後の話だが、原子炉建屋にいた労働者が「激しい揺れと共に、コンクリート壁がビチビチブチブチの音と共にひび割れ建屋内内部が白い幕に覆われた」と語っていた。
次いで、防災無線の緊迫した声で津波警報が発せられた。その日の21時頃「半径3km以内の住民の避難」「3km〜10km以内の屋内退避」の指示が出た。
これが終わりの見えない原発震災の始まりであった。
私は、これまで「原発ほど不条理で不公平で差別的なものは他にない…」と思い、主張もしてきた。
目にも見えず、臭いもしない、味も分からない放射能によって、何の落ち度もない人々がすべてを放棄して故郷を去り、子どもまでがマスクをして逃げ廻らなければならない。逆に、それを造り、最も熱狂的に推進してきた人々が安全地帯にいて、「ただちに健康に影響はない」と語っている。
更に、原発から遠く離れ恩恵を享受してきたであろう人々の中に原発を「増やす」「現状程度」と思う人が56%もいると言う。
この現実を前に言うべき言葉もない。
原発震災はいまだ進行状態にあるが、この2ヶ月間をふり返り「現状と課題」を述べることとする。


ここで私一番強調したいのは原発ほど不条理で理不尽で、世代間不公平のあるものは無い、そして差別的であるっていうことなんです。それは一にかかって放射能の存在なんです。放射能っていうのは、原発の事故が起きる前から、この差別的で、そして不条理で、そして理不尽なものだったと思います。そのために私は闘ってきました。しかしこの言葉は大事故のあとになりますと、それがもっともっと増幅した形で襲い掛かってくるっていうことについてあらためて感じました。特に世代間不公平。中には放射能問題騒ぎすぎじゃないかって言う人がいます。しかし何の責任もない子ども達が校庭で遊べない、そして深く深呼吸も出来ない。そういう思い、これはなんというものでしょうか。そして本来まもなくプールが始まりますけれども、そのプールの水を排水をすることが出来ないので、今年は500ヶ所ぐらいのプールで子ども達が泳げないんじゃないかっていうふうに言われておるわけです。そして本当は子ども達っていうのは友達が大切で、そして友達との中で悲しみやいろんなことを分かち合うわけですよね。それが出来ないっていうことですね。そして老人の人、弱い人が犠牲をこうむるんです。最初に大熊町にある二葉病院というところの入院患者の人達が40数人亡くなってるんです。これは毎日新聞のトップに大きく出ました。搬送する時に様々な医療器具が外れて、そして40数名の方々が亡くなってるわけです。そしてこの水素爆発。そして排気ですね。
そして本来は、これをいちはやく、本来はこの大熊町にあるオフサイトセンターっていうのがあるんですけれども、ここに緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの一端として、地形や、それから放射能線量ですね、そして気象条件によって避難場所を明確に指示することが出来るシステムだったんです。ところがこれを一切出来なかったんです。なぜかと言いますと停電によってそれが動かなかったわけです。こんなばかなことがあるでしょうか。そして2ヶ月後に発表されるという状況なんです。そしてその結果浪江町から川俣町にかけての国道114号線ですか、ひどい放射能汚染に見舞われたわけです。そして本当に、飯舘村。合併もしないで自分達で本当に山の中で農業で生きていこうということで原発の恩恵なんか全く無いです。そういうところが最も激しい影響を受けるんですよね。放射能汚染される。これが理不尽でなくてなんでしょうか、皆さん。私は我慢できないんです。正直申し上げて。そういう思いで日々おるんですけれども。それでは私、今考えていることを申し上げて、1ページをめくって頂きたいと思います。ちょっと時間もあれですけれども、大丈夫だと思いますので読み上げます。

(1ページを読みあげ)
▼「想定外」を許してはならない
マグニチュード9.0の巨大地震と津波による甚大な被害は天災である。
しかし、激しい地振動と津波によって「機器類の破損−全電源喪失−冷却材喪失−炉心溶融−莫大な放射能放出」は人災そのものである。
日本列島は4枚のプレートの上にあり、しかも世界で起きたM7以上の地震の10%が日本で起きているという。とりわけ宮城、福島県沖の海域は”巨大地震の巣”そのものと指摘されてきた。
ここに13基もの原発を造る”亡国政策”が強力に押し進められてきた。
気になるのは「津波によってすべてが破壊された」とする報道が多いことである。しかし、強烈な短周期地震動が長時間続いたことにより老朽劣化した建屋、ケーブル(総延長1,700キロ)配管(同160キロ)ポンプ類(360台)が破断ないし破損したと見て徹底した情報公開を求めなければならない。その後、津波によって非常用ディーゼル発電機が破損停止し全電源喪失状態に陥ったと見るべきではないか。
この巨大地震と津波の危険性は、09年6月、原発の耐震指針の改訂を受け東京電力が実施した耐震性再評価中間報告書を検討する審議会の場で「869年貞観の地震は津波に関しては非常にでかいものが来ている」の指摘があった。
これを東京電力と国は「まだ十分な情報がない」と無視し続けてきた。
私達、素人でさえ不安視してきた。時と共に「千年来の津波」「人智を超えた」「想定外」の言い訳で原発の延命を図ろうとする動きを決して許してはならない。


私が強調したいのは、時の経過とともに必ず想定外、人智を超えたものだっていうふうに言って免罪符を入れようとします。これを決して許してはなりません。そしてこれを許すっていうことは、私は、福島県自体が本当に孤立してしまうということです。それは何かと言いますと、過去の例からも見て下さい、皆さん。沖縄の現状そうじゃありませんか。あの沖縄の中ですごい基地を置かして、そして日本の国民はそれを容認してきたではありませんか。原発だってこの福島県は特殊な条件だということで放棄される可能性っていうのはあるわけですから、決してこれを許してはならないというのが私が第一に訴えたいことです。そして各種構造物の固有周期というのは、この表にありますように、原発というのは短周期振動に弱いっていうことは前から言われておったわけです。そして私達素人でさえこの貞観地震の問題を去年の6月27日の資料でも指摘し交渉でも指摘してるわけです。このことを強調したいわけであります。2ページをめくって頂きたいと思います。

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▼全電源喪失事故は昨年6月に起きていた
原発で電源が失われた場合、非常用ディーゼル発電機が原子炉を冷やす”最後の砦”だという。その起動に失敗すれば全電源喪失事故、すなわち「ステーションブラックアウトの恐怖」として最も恐れられる事故となる。
11日、激しい地振動に続く津波で13台中10台は地下にあったため水没、敷地面より高い場所にあった3台中1台(6号機用)のみ駆動した。(東京電力の公式発表はない)
昨年の6月17日、14時52分、この全電源喪失事故が第一原発2号機で発生している。
ヒュウマンエラーが原因で外部電源が喪失、同発電機の立ち上げにも失敗し原子炉隔離時冷却系ポンプを手動で起動させ6分後に水位は回復させている。
しかし、同発電機が起動し電源が回復したのは30分後だったという。(国会社長答弁)
翌月の「脱原発情報No121」では次のように指摘している。
「事故の経緯を示す詳細なデータ公開、原因究明と対策、同型機への対応など全く不十分なまま7月16日に原子炉を再起動させた」
東京電力は、この事故が発生した時、危うさをさとり対策を講じなければならなかった。
その他の問題点は以下の通りである。
@東電の専門家チームが4年前「50年以内に9メートル以上の高い波のおそれが1%かそれ以下の確立で押し寄せる可能性がある」と英文レポートを提出しているが改善策は取られなかった。A同発電機は大量の熱を出すため、それを捨てる海水冷却ポンプが津波の直撃を受ける場所にあった。B高所設置できる空冷式ポンプもあるが水冷式よりも高価なため安全に金をかけるのを惜しみ対策が取られなかった。(東海第2原発では3台中2台が生き残った。それは改良済みのものであった)


これが全電源喪失事故の問題です。で、去年の6月17日に同じ事故が起きてるわけです。皆さんこれ、車を持ってて、ものでも、それから私達が日常的な生活をしてる中で例えば緊急に必要なものが起動できなかったっていったら、これすぐ修理屋さんに走るんじゃないですか。これ社会的常識なんです。ところがあの会社は社会的常識というものを全く持ち合わせてない会社。これを私はとにかく声を大にして申し上げたいというふうに思っております。で、3ページをめくって頂きたいと思います。

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▼利益優先、安全軽視の”原発究極の合理化”次々と
多くの人達は東京電力を超優良企業と思ってきた。
しかし、この会社、一皮めくれば倒産企業に等しい財務内容だ。
97年、有利子負債残高が10兆5千億円(09年7兆4千億円)売り上げ5兆円であった。自己資本比率も09年17%(全企業平均41.9%)と全産業平均を大きく下回っている。
背景には、原発全17基の建設費5兆円(用地買収費対策費を含めれば2倍となる)が重くのしかかってきたと見て取れる。
米国にだまされ実験機に等しい原発を掴まされ、事故と故障の連続で満足に動かぬこともあり「原発を止めたがらない」危険な体質(隠ぺい体質も)が形成されてきた。
故障と事故隠しスキャンダルに加え、中越沖地震の直撃を受け設備利用率(稼働率)は53%(全国平均66%)で、08年には900億円の赤字に転落した。
09年には修繕費や人件費を徹底削減し乾いたタオルを更に絞る込むようにして1,600億円のV字黒字に転じている。
犯罪的なのは原子力安全・保安院と組み「定期検査短縮」(3ヶ月を→1ヶ月に)、重要配管に傷があっても運転できる「維持基準」の導入、「定期検査間隔延長」(13ヶ月→24ヶ月)により24ヶ月ノンストップ運転への道も開いた。設計寿命を超える「40年超寿命延長」の法改正もした。
これを”原発究極の合理化”と批判してきた。
09年には原子力安全・保安院の「原発保安活動総合評価」で「重要課題あり」のレッドカード直前のオレンジカードを出されている。


で、この会社、皆さん本当にビッグカンパニーだと思っていたと思うんです。ところが売り上げの2倍を超える借金があるっていうことは財務の常識から言ったら倒産企業らしいんですね。そして今、昨日の新聞で明らかになりましたのは、一部債権放棄を銀行に求めているわけです。こういう会社なんです。
そして現在の清水社長というのはミスターコストカッターっていうあだなが付いてたんです。要するにコストを徹底的に下げるっていう人だったんです。そして彼その人が東京電力の社長になったんです。ここにこの会社の特徴があるんです。今から10年前、5500億円の修繕費がかけてましたけども、10年後にはなんと3700億円に切り下げました。33%の計算です。人件費も10%の切り下げです、10年間で。これ、柏崎刈羽原発を襲った中越沖地震があってなおかつ修繕費をけちるっていうのはこれは異常という他ないんです。
そして私の知る限りにおいては地震対策としておこなったのは(一部聞き取れず)へ振動防止器具を付けただけ。これは双葉郡に東京電力、広報誌を出したんですけども、その中にそれだけ入ってた。本当はもっと金かけたんだったら、もう大々的に宣伝するはずです。ところがこの黒字を出すのに耐震防止策を付けただけでごまかしたわけです。こういう会社なんです。そして徹底的な、乾いたタオルを絞り込むようにしてV字黒字に転換したんです。これが実態。
そして私達は2010年、去年の11月28日に電源喪失、原子炉緊急停止、保安規定違反など事故続発、背景に修繕費の大幅削減、安全を犠牲にしてV字黒字転換っていう批判をしてます。特に去年はひどかった。飛行機の緊急着陸とも等しい原子炉緊急停止が2回もあったんです。そういう実態なんです。これが事故の背景にある。したがって決して地震のせいだ、1000年の、最近私、ビッグパレットのことを別荘と言ってんですけども、そこへ泊まるんです、来た時は。そうしますと、あそこでいろんな話題が出るんですけども、本当に、今、今日時間ちょっとありませんので、何か機会があったらまたお話ししたいと思いますけども、これだけは申し上げたいんですけども、東京電力では社員の中から渉外担当者を各町の議員に一人ずつ配置してます。そういう人物が、これ労働組合の幹部でもあるんですけども、昨日会いましたらさすがにげっそりしてまして、そして何言ったかって言ったら、「石丸さん、1000年来の地震にあった」って言いました。で、それは、彼らは明確に1000年来の地震で免罪符を得ようというのが明確で、これを絶対許してはならないというのが私の気持ちです。で、4ページをめくって頂きたいと思います。

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▼原子力政策の破たんのツケが使用済み燃料プール問題
炉心溶融事故の危機と共に心配されるのが使用済み燃料貯蔵プール問題である
水素爆発の原因である水素が原子炉から出たものなのか使用済み燃料プールなのか見解が分かれているが、両方と見て誤りはないだろう。
第一原発の使用済み燃料貯蔵の総量は09年度末で1万体を超えている。
内訳は1〜6号機プールに4546体、共用プールに6800体、乾式貯蔵施設100体で福島原発が使用済み燃料貯蔵庫になっている。
共用プールは93年、佐藤栄佐久前知事が「国が約束を反故にした!」と激怒し、原子力政策転換のきっかけとなったいわく付きのものである。
本来、同プールは定期検査の際に取り出した燃料棒を一時的に保管する冷却プールで、1炉心分は1号機400体、2〜5号機各548体、6号機764体の計3356体限定である。
それが1.4倍とギュウギュウ詰めにしていた。
特に、損傷の激しい4号機プールには2.4倍の1331体も入れていたのだ。
その方法がリラッキングである。
図の原子力政策の破たんで六ヶ所再処理工場が故障で動かず、原発を使用済み燃料の貯蔵庫代わりにしていたツケが廻ったのだ。
犠牲になった県民はたまったものではない。


これです。これはペテンですよ。本来であればこれ、あんなにひどい状況にはならない。今1号機から3号機まで地振動によって建屋全体も破壊されたわけですね。その結果水漏れがしてるわけです。ですから生コンを入れるポンプでジャブジャブジャブジャブ水を入れてずーっと冷やし続けなきゃ。で、それが今度は漏れて出る時はものすごい放射能の高い状態になってるわけです。これあと最後に申し上げますけれども、いずれにせよこれは犯罪的なものだというふうに言えると思います。六ヶ所再処理工場が25年経っても動かないために、そのために各全国の原発のが、使用済み燃料保管庫に代わっていたということ。皆さん、原発1年間運転しますと110万kWで広島型原爆1000発分の放射能、死の灰が生まれると言います。使用済み燃料プールっていうのはそういう代物なんです。それが1万体も福島原発の中にはあるっていうことなんです。これは犯罪以外のなにものでもありません。5ページをめくって頂きたいと思います。

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▼放射線は実現できる限り低く
3月12日、「第一原発から出た放射能雲は南下して福島県南部、茨城、千葉、神奈川県の海岸上空から太平洋上に流れ、南西と北西の風に乗り蛇行しながらカリフォルニアへ至る」とシュミレーションされていた。現実に、ヴァージニア州へと流れ観測点でセシウム137(自然界に存在しない)が検出されたという。同26日には、中国黒竜江省でもヨウ素131が検出されている。
5月上旬の主要地の放射線量を掲載した。
環境放射能や水・農畜産物が帯びている量について、発表報道されるたびに「ただちに健康被害を生ずる値ではない」との注釈が付けられてきた。
しかし、ある程度以下の低線量であれば無害だという論は実証されていない。(閾値)
世界では「出来るだけ実現できる限り低く」(ALAP)を原則とすることが常識となっている。
その根拠は「放射線はどんなに少なくても、それに比例して影響が表れる」「集団としての線量でガン死者の数が決まる」とするもので「集団線量」と呼ばれ、表す単位として人・シーベルトが使われている。100万人が0.01シーベルトずつ被曝しても集団線量は100万×0.01=1万人シーベルト、1000万人が0.001シーベルト被曝しても1万人シーベルトでガン死者は同じになるというものである。
最も高い評価者であるゴフマンは 1万人シーベルトあたり4000人ガン死者が発生するとしている。
これは逆に言えば2.5人シーベルトに1人ガン死が発生するということである。
ゴフマンはガン死の危険度は平均値であって実際は年齢によって大幅に違うと主張している。
05年、厚生労働省は職域の定期健康診断における胸部X線検査の法的義務付けを廃止する方針を出した。
病気発見の利益よりも被曝により発ガンする影響を考慮してのものだった。
この胸部X線検査の被曝線量は1回当たりに0.05ミリシーベルト(50マイクロシーベルト)である。「出来るだけ実現できる限り低く」の原則を大事にして運動を強めなければならない。


で、くどいようですけれども、とにかくみんなで出来る限り低く抑えようと。あらゆる知恵を出して。例えば小学校の土を剥いで、そして対策をとる。そして即決です。いろいろ議論してやらないというのが一番悪いと思いますのでやると。そしてそれを全部、東京電力の敷地に運び込んで、そしてもしなんだったら東京にダンプで持って行って内幸町に持って行くというくらいの気持ちでやるということが大切だと思います。で、とにかくくどいようですけれども、できるだけ実現できる限り低くというふうに考えております。で、詳しい放射線の問題は吉田さんや佐藤さんに譲ることとして、私達は要求し闘うということを最後に申し上げて終わりたいと思います。

(私達の要求は)6つです。
(要求のひとつめは)1日も早い事故の収束と放射能の封じ込めに全力をあげさせることです。で、皆さん、ここで強調したいのは、先程申し上げましたように第一原発の敷地には87500トンの高濃度に汚染された水があります。これだけ言ってもお分かりにならないと思います。で、1トンっていうのは1m、1m、1mの枡っていうふうに考えて下さい。その枡が並べると87km。87って言ったら福島をはるかに越えたところに、ずーっと1列に並べれば延びる量なんです。これ半端な量ではないんです。そして今、先程言いましたように、冷却のためにどかどかどかどか水を入れてるわけです。そしてこれは循環できれば。一にも二にも循環させて冷却させて、これによってしか抑えることは出来ません。ところが今は垂れ流しなんです。これを双葉郡が、私はまことに残念ですけれども、帰れないだろうという根拠であるし、それから、レベル7の評価なんですけども、事故の評価が。まだチェルノブイリの10分の1でなぜレベル7になったかと言いますと、これからチェルノブイリと同等の放射能が放出される可能性があるということなんです。何故かと言いますと、覆いが無いんです、あれ。ですから原発は5つの壁に守られているっていう、ペレット、それから被覆管、圧力容器、格納容器、建屋なんです。これで原発の放射能は出ませんって広報してきたんです。それが全てパーになった。したがって、あそこに覆いをかけなければ、それからじゃぶじゃぶ水に流すものを止めなければ、引き続き汚染は広がります。そしてこれから東京のほうに風が吹いていく季節になります。ですからそのことを考えながら私達は1日も早く事故の収束を求めるということが大切。そしてそれはただ単に1人の運動ではなくて、私はオール福島、福島全体が一丸となって霞が関や東京電力に求めていくと。私達が発信しなければ誰が発信するんですか?このことを最後に申し上げて、是非この2、3、4、5、6(注)についても説明したいんですけども、残りは吉田さんや佐藤さんがカバーしてくれるものと思いますので私、時間がまいりましたので、大変涙腺が、様々なことがありまして弱りましてご迷惑をおかけしたこと最後にお詫び申し上げまして私の報告に変えたいと思います。どうもありがとうございました。

注:(石丸さんの講演レジュメから)
2、高線量汚染区域からの避難、特に子供達の保護対策に万全を期すること。
3、東京電力、経済産業省と、その下の原子力安全員会、原子力安全・保安院及び御用学者の責任追及を徹底して行う。
4、福島原発全10基をすべて廃炉とすること。
5、日本列島のすべての原発閉鎖、建設中2基の中止、新増設計画を白紙撤回し脱原発を明確にすること。
6、避難地住民をはじめ避難、汚染及び風評被害にあった農・漁業生産部、商工業者すべてに補償を行うこと。

第82回郡山メーデー
二本松市から参加した若い母親の発言

(文責・本紙編集委員会)
皆さん、こんにちは。私は二本松市から来ました◇◇といいます。吉田優生(まさき)さん[ハイロアクション福島原発40年実行委員]と子育て仲間としてお付き合いさせて頂いているんですが、突然なんですがこういうたくさんの人の前でお話をして欲しいと頼まれまして急遽決まって、すごくどきどきしてるんですが、つたない話ではありますがこの震災以後の私と家族の話ということでお聞き願いたいと思います。
私は今小学3年生になりました一人娘と、あと80を超えている私の祖母、それから両親と暮らしています。私はシングルマザーです。それで、両親は建設会社を自営しています。 それで地震があって、原発事故が起きまして、私はすぐに、避難をしようって家族に言いました。でも、とにかくパニックになってしまって、とにかく危ないことが起きたから早く逃げよう、逃げようって言いました。ちょうどその時ニュージーランドのほうに妹が嫁いでいるんですが、赤ちゃんを連れて帰ってきているところでした。で、その赤ちゃんの健康もすごく心配だったので、とにかく家族みんなで逃げようって言いました。
でも、建設会社って皮肉なことに今まで仕事があまり無かったにも関わらず、地震が起きた途端仕事が舞い込んできました。壁が壊れたから直して欲しいとか屋根が崩れてるからビニールシートかけて欲しいとか、些細なことですがみんな困っていて。うちの両親は川俣からも一所懸命社員の人が出て来てくれているんだ、そういう社員を置いて自分達が逃げるわけにはいかないと。だから逃げるんだったらお前達だけで逃げろと言いました。でも私は親を置いて、あと施設でお世話になっている父方の祖母やおば、そのような人を置いて逃げるということが出来ませんでした。
そして妹は無事に帰ったんですが、子どもの学校が4月6日から普通に始まりました。それで、何で、こんなにまだ原発収まってない、放射能もまだ降ってきている、そのような状態なのにどうして学校が始まるんだろうって思いましたが、やっぱり勉強が遅れるんじゃないかとか、みんな行ってるのに自分だけ行かないっていうのはどうなんだろうとか、やっぱりそういう思いもありまして通わせることにしましたが、私達の子どもが通っている学校は普通に集団登校しています。隣の学校は極力親が車で送るようにと言っています。それで私はもう班長さんの親御さんに、過保護かもしれないけれども車で送らせて下さいと言いまして、集団登校から外れて送り迎えを毎日しています。その中でやっぱり親御さんの中で話す機会がちょっと4月の参観日の時にありまして、私の旦那さんの実家が山口県にあるのでそちらに避難したいと考えているんだけれども、二本松は浪江町の人を受け入れていて仮設住宅が二本松に建てようとしていると。そのような中で安全だと言われてるとこに住んでいる自分達が逃げるっていうのはどういうことなのかと。またここに戻って来れるんだろうか。ちゃんとみんなに受け入れてもらえるんだろうかっていう不安を口にされました。
でも私は行く場所があるんだったらば1人でも多くの子どもを県外に出したほうがいいんじゃないのって言いました。そして私は毎朝起きるたびに「これが夢だったらよかったのに」とか思いながら胃が重くなって起きるのもいやで、雨が降れば「この雨は放射能の雨だから子どもにあてないようにしたい」と思ってカッパを着せるんですがそのカッパ脱ぐ時にまた濡れますよね。触ったこの手で子どもをちゃんと手洗うかなとか、本当に洗っただけで落ちるんだろうかとか、いろいろ考えて。マスクだって、子どもがマスクして普通生活しないですけれども、これからだんだん暑くなって夏になってマスクして密閉された校舎の中で授業受けられるんでしょうか。なんか普通に考えただけで、放射能あるなしに関わらず外で遊べない子どもたちがこんなにたくさんいるなんて異常なことだと思います。
それで、もういてもたってもいられなくなって私は河口湖自然学校というところにゴールデンウィークを飛び石だったけれども、その休みを、うちは学校を休ませまして、ちょっとまとまった休みを作って、山梨県のほうに行ってきました。それはタレントの清水国明さんというかたが支援金を全国から募って、それで福島県の子ども達、あと今回震災にあった他の県の子ども達もですが、受け入れてくれてるところです。そこで宿泊代も食費も支援金で賄われて、で、みんな子ども達が本当にのびのびと外で遊んでいます。そういうところに行ってきまして。福島県は子ども達のためにたいしたことしてくれないけれども、他の県では子どものことをすごく心配して受け入れてくれるんだっていうふうに思って、なんかとてもありがたいんだけれども、どうしてこれ福島県で主導してちゃんとやらないのかなってすごく疑問に思いました。
それで私は今、1回帰ってきましたけれども、やっぱり年間20ミリシーベルトまで子どもに、まあそこまではいかないだろうけれどもってそこから始めて、下げていく努力をするっておっしゃいますけど、それにしたって、今回初めて知りましたが、年間1ミリシーベルトっていうのが自然界以外のところからの放射線の年間、受けても差しさわりが無いと言われている数値が法律で決められているということが分かりまして、それの20倍ってどういうことなんだろうって。
それで二本松市では、さすがにそれはおかしいからそれの半分を見積もって校庭の土を削ろうとしてますが。それうちの会社でもやることになったようなんですが。会社の作業員の安全もすごく気になります。放射性物質を一般の人がこんなに簡単に扱っていいんでしょうか。それで、校庭以外にも子どもたちが登下校する道すがら土はいっぱいあります。山もいっぱいあります。そこに溜まっている放射能、どうやって取るんでしょうか。それで草刈り、みんなこれからどんどん雑草が伸びて、しますけれども、それ素手で触ってるおばあちゃん見かけたりします。本当に触って大丈夫なんでしょうか。その草刈ったやつ、普通にゴミ袋に入れて普通の焼却炉で燃やしちゃって大丈夫なんでしょうか。そういう1つ1つのことが不安で不安でしょうがなくて、家族の中で相談して、私は子どもを長野県のほうに疎開させようと考えています。私はたまたま仕事が今無かったものですから、一緒に子供と行ってあちらでしばらく生活をしようと思ってます。長野県の松本市で松本市長の菅谷(すげのや)さんというかたが、チェルノブイリの子ども達のケアもされているかたで、すごく福島県の子ども達の体を心配して、本当だったらば計画的避難区域とかそういう政府の決めた避難区域のところから外れている県中、会津の子ども達は対象外だったんですが、そこにも対象を広げてくれました。このように全国にたくさん子ども達の健康を守りたい、そういうふうに言ってくれるかたがいるということを初めて、今回の事故をもって知りました。だからもっともっと県民がもうちょっと、ひとりひとりの親ももうちょっと、本当に今置かれている状況が子どもにいいものではないということをもうちょっと認識してちゃんと、ここにもし留まらざるを得ないんであれば、内部被曝どのぐらいしているのか、外部被曝どのぐらいしているのか、そういうのを測定してちゃんと管理して、ある程度になったら強制的に避難させるぐらいの、そのような対応をちゃんと県にはとってもらいたいと思います。
で、原発ってよくトイレの無い家を造るようなもんだって言われますけれども本当にそう思います。東電の社長も東電の社員の人も菅総理も私達もみんな同じ人間で、人間の力でそれを無毒化できない放射能っていうものをどうして、原発を落とされた日本でこんなにたくさん造ってしまったんだろうなあって。私はちょっと理解できないんですが、でもそれをほったらかしにしてきたのも私です。でも反原発とか脱原発とか今までそういうことをやるの、声に出して言うのってすごく巨大な権力に逆らってるみたいで、後で何されるか分かんないとか、そういう怖さみたいなのがあって声上げられませんでしたけれども、こうやって火の粉が自分に降りかかって、自分が被災者扱いをされてないけども被災者だって思ってるんで、悔しさっていうか悲しさっていうか、そういう言葉にならない思いっていうものをどんどん声を上げてたくさんの人に知ってもらって、で、私達だけの問題じゃないんだって、どこにでも起こり得る問題なんだ、これ以上たくさんの人が被曝しないように、そういう社会を作っていかなきゃいけないって訴えていきたいと思います。
これからどこに住んでも、私のふるさとである福島県、ここがきれいになるまで頑張って声を上げて行動していこうと思っています。ありがとうございました。

5月23日、「子どもたちを放射能から守る
福島ネットワーク」が文部科学大臣に提出した要請文

文部科学大臣 高木義明様

            

子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク  代表 中手聖一

福島の子どもたちの被ばく最小化のための行動を直ちに執るよう要請します

私たちは、自分たちの子どもを放射能から守りたい、ただただその一心で集まった福島の親たちをはじめとする市民団体です。私たちの苦悩と悲しみがどれほどのものか、大臣はお分かりでしょうか。
貴省が4月19日に通知した「3.8μSv/h=年間20ミリシーベルト」の基準は、いわゆる安全基準として一人歩きし、私たちの愛しい子供たちは、部活や体育などで、校庭へグランドへと駆り出されています。校庭には毎時数十〜数百マイクロシーベルトという、恐ろしいほどの放射線を放つ場所が、何の管理もされずに放置されています。校舎内の放射能汚染は日に日に進み、子どもたちは毎日毎日学校で被ばくさせられています。
全国全世界から福島に集まっている関係者は、みな線量計で被ばくを管理しながら働き、その傍らで子どもたちは無防備のまま生活しています。このような異常な状態を作りだしたのは、大臣、貴省が出した“子ども20ミリシーベルト基準”によるのです。
私たちの我慢ももう限界です。のんびりとモニタリングをしているときではありません。
高木大臣、以下の被ばく低減策を直ちに行うことを決断してください。

一、今すぐ“子ども20ミリシーベルト基準”通知を撤回し、あらゆる被ばく低減策を、国が行ってください。
二、そのために、授業停止やいわゆる学童疎開・避難が必要なところは、躊躇なく行ってください。また、自主的に避難や疎開を行う者への経済支援を行ってください。
三、校庭削土をはじめとする除染作業、高放射線区域の隔離等を急いで行ってください。その際に集められた放射能は、国と東京電力が引き取ってください。
四、マスク・手洗い等の励行はもちろん、給食食材の配慮など内部被ばく防護策を徹底してください。
五、これらにかかった費用は、国が責任を持って負担し、東京電力に請求してください。

5月27日「子どもたちを
放射能から守る福島ネットワーク」など6団体の声明

2011年5月27日

声明

本日(5月27日)、文部科学省は、「福島県内における児童生徒等が学校等において受ける線量低減に向けた当面の対応について」を発表し、この中で、「年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトを目安とし」としながらも、「今後できる限り、児童生徒等の受ける線量を減らしていくという基本に立って、今年度、学校において児童生徒等が受ける線量について、当面、1ミリシーベルトを目指す」としました。また、校庭・園庭の空間線量率が毎時1マイクロシーベルト以上の学校の除染について、財政支援を行うこととしています。
明言こそしていませんが、年間20ミリシーベルトに基づいた校庭等の利用制限毎時3.8マイクロシーベルトを事実上断念し、棚上げにして、私たちがいままで求めていた通常の基準値年間1ミリシーベルトを目指すという基本姿勢を文書で示しました。
これは、5月23日の福島の父母たちおよびそれを支援する多くの市民たちの要請にこたえたものであり、この間の市民運動が勝ち取った大きな一歩です。

一方で、下記の課題も残ります。

1.「今年度1ミリシーベルト以下を目指す」について
・事故後からの積算線量で年間1ミリシーベルト以下を目指すべき。また、学校外における積算線量も含めるべき。
・さらに、既に1ミリシーベルトを超えている学校については、表土除去だけではなく、学童疎開など、あらゆる被ばく低減策を実施すべき。
・この1ミリシーベルトには、学校給食などによる内部被ばくは含まれていません。これも考慮にいれるべき。
・内部被ばくに関しては、モニタリングの対象とすべき。

文科省が示している「今年度」とは、4月1日からとなり、事故後の3月分は含まれない可能性があります。また、「当面の対応」では、積算線量計を各学校に配布し「積算線量のモニタリングを実施する」となっています。マスコミ報道によれば、この測定は基本的に6月からとされています。4月以降または6月以降の評価で「1ミリシーベルト」とするのは不十分です。

2.財政支援を、土壌の汚染低減措置に限っていることについて
・授業停止、学童疎開、避難などあらゆる被ばく低減策について、これらを実行に移す具体的な措置を示し、財政支援を行うべき。

「当面の対応」では、国による財政支援を土壌の汚染低減措置に限っています。

3.土壌の汚染低減化を毎時1マイクロシーベルト以上に制限していることについて
・土壌の汚染低減化は毎時1マイクロシーベルト未満であっても必要です。年間1ミリシーベルトの被ばく以下になるよう土壌の汚染を除去するべき。
・除去した土壌については、東電と国の責任で管理すべき。

「当面の対応」では、財政支援の対象として、校庭・園庭の空間線量率が毎時1マイクロシーベルト以上と制限を設けています。しかし、毎時1マイクロシーベルトは、事故以前の福島県の平均空間線量の約25倍にもあたり、年間では8.8ミリシーベルトにもなります。年1ミリシーベルトを守るためには、セシウム137で考えれば、土壌1平方メートル当たり40キロベクレル、空間線量では毎時0.15マイクロシーベルト以下にする必要があります。

なお、今回の問題の根底には、文科省がもつ根強い「安全」神話がありました。文科省および福島県の放射線リスクアドバイザーは、あたかも100ミリシーベルト以下であれば安全であるかのような宣伝を行ってきました。この偏った文科省および一部の無責任な学者の宣伝を修正していかない限り、問題は繰り返し生じるでしょう。
私たちは、勝ち取った今回の大きな前進を、一緒になって行動を起こしてくださった全世界の市民の方々とともに確認するとともに、引き続き、日本政府に対して、以上の問題の対応および20ミリシーベルト基準撤回を求めていく所存です。

以上